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2016年2月に作成された記事

2016年2月20日 (土)

新東名高速道路 長篠設楽原パーキングエリア(PA)

■工事中の仮称:第二東名高速道路 設楽原パーキングエリア(PA)

■場所:(上り) 愛知県新城市矢部字谷下ノ入(やべあざやげのいり)

(下り線) 愛知県新城市富永字住居田(とみながあざすまいだ)

■Yahoo!ロコによる長篠設楽原パーキングエリア周辺地図

■google マップによる長篠設楽原パーキングエリア周辺航空写真

■休憩施設混雑情報(NEXCO中日本「目で見るハイウェイテレホン」へリンク)

東名高速道路・新東名高速道路上り

東名高速道路・新東名高速道路下り

■新東名SA/PA混雑状況画像

長篠設楽原PA上り

長篠設楽原PA下り

新東名高速道路 インターチェンジ等一覧

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新東名高速道路 岡崎サービスエリア(SA)

■工事中の仮称:第二東名高速道路 岡崎サービスエリア(SA)

■場所:岡崎市宮石町字(みやいしちょうあざ)サクラジリ

■Yahoo!ロコによる岡崎サービスエリア周辺地図

■google マップによる岡崎サービスエリア周辺航空写真

■休憩施設混雑情報(NEXCO中日本「目で見るハイウェイテレホン」へリンク)

東名高速道路・新東名高速道路上り

東名高速道路・新東名高速道路下り

■新東名SA/PA混雑状況画像

岡崎SA上り

岡崎SA下り

新東名高速道路 インターチェンジ等一覧

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新東名高速道路 岡崎東インターチェンジ(IC)

■工事中の仮称:第二東名高速道路 額田インターチェンジ(IC)

■接続道路:一般国道473号

■場所:愛知県岡崎市樫山町字春兵土(かしやまちょうあざはるびょうど)

■Yahoo!ロコによるインターチェンジ周辺地図

■google マップによるインターチェンジ周辺航空写真

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新東名高速道路 インターチェンジ等一覧

新東名高速道路・名称問題 岡崎市長 内田康宏のブログ

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新東名高速道路 新城インターチェンジ(IC)

■工事中の仮称:第二東名高速道路 新城インターチェンジ(IC)

■接続道路:一般国道151号

■場所:愛知県新城市八束穂字宮下(やつかほあざみやした)

■Yahoo!ロコによるインターチェンジ周辺地図

■google マップによるインターチェンジ周辺航空写真

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新東名高速道路 インターチェンジ等一覧

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新東名高速道路 豊田東ジャンクション(JCT)

■工事中の仮称:第二東名高速道路 豊田東ジャンクション(JCT)

■接続道路:伊勢湾岸自動車道 東海環状自動車道(一般国道475号)

■場所:愛知県豊田市岩倉町字山ノ神(いわくらちょうあざやまのかみ)

■Yahoo!ロコによるインターチェンジ周辺地図

■google マップによるインターチェンジ周辺航空写真

新東名高速道路 インターチェンジ等一覧

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2016年2月13日 (土)

ブラタモリで沼田が出ると聞いて、関越自動車道が沼田ダムを避けているか検証してみる(その2)

 「ブラタモリで沼田が出ると聞いて、関越自動車道が沼田ダムを避けているか検証してみる(その1)」をUPしたところまずまずのご好評をいただいたので、調子こいて(その2)を書いてみる。

沼田ダムと関越自動車道 (3)

 左側の沼田ダムの図面は「産業計画会議」の第8次勧告「東京の水は利根川から~8億トンを貯水する沼田ダムを建設せよ~」(S34.7.29)からの抜粋である。

http://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom/recom_08.pdf

 如何にも関越自動車道と上越新幹線が沼田ダムを避けているかのように見えるところをおってきたところであるが、(その1)では、高速道路と新幹線の計画は、沼田ダムの中止までの間に行われており、時系列的にはダムとの調整を考慮して路線選定していてもおかしくないことは分かった。

 (その2)では、高速道路と新幹線のそれぞれの報文に何かヒントがないか探ってみる。

 

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 まずは、関越自動車道である。

 日本道路協会の「道路」1979(昭和54)年3月号に「関越自動車道沼田地区の計画」というそのものズバリの報文が掲載されている。執筆者は浅野頼夫氏(日本道路公団沼田工事事務所長)である。

1,地形的特徽

 渋川〜水上間のうち、渋川〜昭和間は赤城山西麓の裾 野を通過する。赤城山は黒檜山(1,828m)を最高峰と し、山頂に大沼をいただくカルデラ火山であり、特に西麓は標高、約500〜600mの広大な火山地形の台地を形成している。この台地には放射線状に浸触されたV字谷が多く発達し、利根川へ向っている。特に路線通過付近は谷の巾が広く、深いのが大きな特徴となっている。

 昭和村〜沼田市にかけては河岸段丘が発達し、高低差が非常に激しい地形となっており、特に沼田台地は片品川、薄根川また利根川の3河川に囲まれており、片品川に沿って見られる河岸段丘 (深さ約100m、3段丘) は 雄大で、見事な景観を呈している。沼田市以北、月夜野町にかけては利根川左岸側に発達 した段丘的地形を呈しているが、再び利根川を横過すると、谷川岳を前に山岳地特有の起伏に富んだ変化のある 地形が連続している。

 

3. エ事計画の特色

 関越道は渋川市 (標高160m)と関越トンネル坑口 (標高630m)間に470mの標高差があり、また地形上, 利根川に沿い北上するとしても、国道17号線および対岸の県道がかなり急岐な路線を通っているため、渋川市 から赤城山々麓の裾野を通過する。 このため、その取付部分に縦断勾配3.5%の区間が約 8kmにわたり連続する結果となっている。 縦断線形計画上、①「標高差をかせぐこと、②土工(盛土・切土) のバランスを計かることを主として検討した が、広大な台地を侵触、形成されたV字谷は砂防指定地等の規制が多く、掘削土量の流用を考慮した盛土工事は 非常な困難が予想される。したがって余剰土の発生を出 来るだけ少なくするため、数多い各部の縦断線形は比較的高い位置で計画することとした。 特に渋川〜沼田間では、このV字谷あるいは河岸段丘による河川(谷) の横過は高さ50〜80mと非常に高い位置となっているところが多い。

関越道と沼田ダム (2)

 路線選定理由に沼田ダムは一切出てこない。この報文が書かれたのは1979年であり、(その1)で紹介した木村武雄建設大臣の「沼田ダムはあまりにも犠牲が大きいのでこれはもうやめるんだ」という発言から7年後であるから当然であろう。

 「沼田台地は片品川、薄根川また利根川の3河川に囲まれており、片品川に沿って見られる河岸段丘 (深さ約100m、3段丘) 」「利根川に沿い北上するとしても、国道17号線および対岸の県道がかなり急岐な路線を通っているため、渋川市 から赤城山々麓の裾野を通過する」というところが上記の縦断図及び下記の3D図から見て取れるだろうか。ダムはなくとも3本の河川による深さ100mの河岸段丘を通るためには回りこまむことが合理的だったということだろう。

関越道と沼田ダム (4)

地理院地図3D機能で作成

 グーグルアースの方が分かりやすいかな?

関越道と沼田ダム

 

 それでも片品川、永井川等、長大橋梁で多くの谷を越えていく必要がある。

 代表的な橋梁としては片品川橋がある。

関越道と沼田ダム (1)

 この形式を検討したものが下記のとおりである。

関越道と沼田ダム (3)

 

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一方、上越新幹線はどうか?もう一つの坂の上の雲 鉄道ルート形成史」髙松良晴・著 日刊工業新聞社・刊>から該当箇所を引用してみる。

(2) 2度水没の中山トンネル

上越新幹線工事誌(日本鉄道建設公団東京新幹線建設局)に、高崎・越後湯沢間のルート選定について次の 記述がある。

  「高崎・越後湯沢間において、三国山脈を長大トンネル(大清水トンネル)のルートについて、在来の清水 トンネル、新清水トンネルの実績をもとにしてルート選定を行った。この結果、高崎から大清水トンネルの坑口を最短ルートで結び、高崎・湯沢間の駅間距離、並びに長大トンネル連続による運転整理等を勘案して、月夜野町に駅(上毛高原駅)を設置することとした。」

 在来線の上越線ルートは、渋川駅を出て利根川を渡ると、利根川左岸沿いにほとんど明かり区間で、沼田、後関を経て水上へといく。   一方、上越新幹線のルートは、上越線ルートの対岸、利根川右岸の山中を、榛名トンネル(15,300m)、中山トンネル(14,857m)、月夜野トンネル(7,295m)と連続する長大トンネルで抜くものである。

 上越新幹線ルートのトンネル勾配は、上りはじめの榛名トンネルから1,000分の12のなだらかな上り坂となっている。結果論ではあるが、かようなルート選定が、トンネルが比較的に山すその滞水層を抜くこととなり、掘削中に大量の被圧通水に遭遇し、すべての土木工事完了するまで約10年の歳月を要する大きな原因となった。

 

 「もう一つの坂の上の雲 鉄道ルート形成史」髙松良晴・著 171~172頁

 

(3) 幻の渋川ルート

 上越新幹線が、高崎駅から大清水トンネル坑口へ向けての直線ルートを採ったことから、長大トンネルの間 に、上毛高原駅が設けられることとなった。なお、上毛高原駅の1日あたり平均乗車客数は、上越新幹線開業後25年目の平成19年度(2007年度)で、740人である。

 ルート選定時、日本鉄道建設公団新幹線部長であった大平拓也氏によれば、高崎から上越線沿いに、渋川、水上に駅を設置して、大清水トンネル坑口へのルート案を検討されていた、という。

 上越新幹線ルート案打ち合わせのため、建設担当の篠原武司日本鉄道建設公団総裁と運行を担う磯崎叡国鉄総裁との両トップが会談している。双方の事務方は、事前に打ち合わせのうえ、渋川ルートが本命であり、直線ルートはあて馬の思いであった。

 だが、その場の結論は、直線ルートとなった。

 ちょうどその頃、国鉄は東北新幹線で水沢駅、花巻駅などの中間駅設置の要望を受けていたが、新幹線の速達性確保などの視点から、中間駅設置に否定的であった。したがって、磯崎国鉄総裁は、上越新幹線で駅間距離の短い渋川、水上2駅の設置は、東北新幹線へ波及することを恐れた。一方、篠原鉄建公団総裁は、ことのほか直線ルートへの思いが強かった。このことから、両トップは、直ちに、直線ルート案で地元を説得し了解を取りつけようということになり、事務方から見れば、どちらかと言えばダミーであり、調査不十分であった上毛高原ルート案が、一転、決定ルートとなった瞬間であった。

 歴史に、もしも、はない。

 だが、筆者の私見ではあるが、高崎大都市圏の視点に立って、当時、直線ルートにこだわらず、吾妻線との分岐駅でもある渋川駅を設置して大清水トンネルへ至るルートを選択していたら、渋川市周辺は、今よりも、高崎市圏のもっと大きな街となっていた、と思う。そして、中山トンネル、榛名トンネルの難工事もなかっ たであろう。

 惜しかった、と思う。

 

「もう一つの坂の上の雲 鉄道ルート形成史」髙松良晴・著 175~176頁

 意外だが、新幹線については、中山トンネルルートは当て馬であり、本命は渋川~水上ルートだったという。(その1)で取り上げた国会答弁によると、「上越新幹線の基本計画公示は昭和四十六年一月十八日、調査指示が昭和四十六年一月十九日、建設指示が昭和四十六年四月一日、線路・駅位置の認可が昭和四十六年十月十四日である」ということから、このやりとりは、遅くとも1971(昭和46)年10月よりも前の話であり、沼田ダム計画が中止になる以前のものである。ダムと本命ルートの調整はどのようになっていたのだろうか?

 また、土木施工13巻3号(1972(昭和47)年3月号)に「上越新幹線の建設計画について」という報文が掲載されている。執筆者は植月(足へんに斉?)日本鉄道建設公団新幹線第一課長)である。

(2) 駅および経過地の選定

(略)大宮~高崎~長岡~新潟間を結ぶ形の上越新幹線の骨格が想定されることになった。

 その他の中間駅については、広範囲な地域の開発と利用客の利便および,260km/hという高速性を十分発揮できる駅間等を考慮し、在来鉄道および道路との連絡のよい地点が選ばれた。書く区間の路線選定の概要は次のとおりである。

(略)

ⅱ) 高崎~長岡間

 高崎~長岡間は約140kmあり,この間,地域社会の利便および列車運転整理上,3駅程度設けることが望ましいと考えられ,種々検討の結果,上毛高原,越後湯沢,および浦佐の各駅が設置された.

 上毛高原駅は,沼田,水上,猿ケ京からほぼ等距離にあり,これらの都市機能の開発,あるいは奥利根川全域の観光開発に効果を発揮すると思われる.なお,高崎~上毛高原は,市街地を避け,榛名山麓および子持山西部を,14km以上の2長大トンネルで抜ける直進ルートとした。

 

上越新幹線と沼田ダム

 

 ところで、本稿とは別のネタになるが、上越新幹線新宿駅のネタについてはいくつか記事を書いてきたが、この報文には、将来の新宿方面への分岐についての考え方と配線図も載っている。

(4) 停車場および車両基地

ⅰ) 大宮駅

 当分の間東京~大宮間は東北,上越両新幹線の共用であるが、上越新幹線大宮~新宿間が完成した場合の列車運行(東京発新潟行と新宿発盛岡行)に支障がないように、両新幹線の分岐点には,図-3に示すような立体交差を設ける.

上越新幹線 新宿駅への分岐線と東京駅の東海道新幹線への直通配線

 実際には下記のとおりとなった。

東北新幹線配線図

 

 最後に「ダム日本」1968(昭和43)年1月号」に掲載された「沼田ダム建設を実現しよう」を貼っておく。

沼田ダム建設を実現しよう

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2016年2月 7日 (日)

ブラタモリで沼田が出ると聞いて、関越自動車道が沼田ダムを避けているか検証してみる(その1)

 ブラタモリで来週は群馬県沼田市を取り上げるという。

 以前も東京駅の幻のトンネルの関係で記事を書いた。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-141f.html

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-ee75.html

 ドボク的には、未成ダムの沼田ダムがある。

 果たして、沼田ダムとは如何様なものなのか?

 日本史等で「産業計画会議」というのを習ったことを覚えている方もいらっしゃるだろう。あの「電力の鬼」松永安左エ門氏が作ったシンクタンクである。

 現在その提言がウェブ上で公開されている。

http://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom_list.html

 そこに、第8次勧告「東京の水は利根川から~8億トンを貯水する沼田ダムを建設せよ~」(S34.7.29)という勧告がある。

沼田ダム

http://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom/recom_08.pdf

 「現在の水不足に加え、15年後には東京の水の図用は3倍になると予測。多摩川では需要に耐えきれなくなるとし流域面積・流量ともに豊富な利根川にダムを建設することを提案。東京の上下水道や工業用水が賄えるほか、利根川流域の洪水水害を治め農業用水の不足補填にもなると、沼田ダムの建設を主張した。」ということである。

 図面も添付されている。紫色の線は水没する国鉄上越線の迂回ルートである。

沼田ダムと関越自動車道 (7)

 国会では「世界のダム史上かってなかった水没家屋」と言われ、「沼田ダムで水没家屋というものは幾らあるのだ、これ聞いてみたのですよ。そうすると、一番最初は二千六百と、こう言っておったのですが、あとから聞きましたときには、四千戸以上ある、こういう話なんです。」という大きな犠牲を伴うものであることもあり、田中内閣時に検討が中止されたものである。

 ところで、関越自動車道と上越新幹線がうまい具合に?ダム予定地を東西に避けて走っている。ネットでも「これは沼田ダムを避けたからじゃないか?」と言われているところであるので検証してみたい。

 産業計画会議勧告添付図面と地理院地図を並べてみると下記のような感じだ。

沼田ダムと関越自動車道 (3)

 重ねてみるとこんな感じ。

沼田ダムと関越自動車道 (2)

 なるほど、うまい具合に関越道は沼田ダムを避けているようだ。

 ただし、片品川流域のところはダム湖をまたいでいる。そこは橋長:1033.85mと「トラス橋の道路橋としては日本一」という片品川橋で跨いでいるのである。

 大きい図面で重ねてみるとこんな感じだ。

沼田ダムと関越自動車道 (4)

 未成ダムの検証というと欠かせないのが、タモリ倶楽部にも出演したたかねさんの「どこでもダム」である。 自分でも作ってみたが、沼田城跡にヒタヒタと近づくあたりが上手くできない。ということで先達の成果を引用させていただいた↓。

 この辺は誰でも「ダムを避けてるんだろうなー」と見えてしまうところであり、国会でも取り上げられている。

- 衆議院 - 予算委員会第五分科会 - 2号 昭和47年03月21日

○田邊分科員 そこで大臣、いま大臣からこの問題は非常に重要だということでお話がありました。西村さんには実はこの前の大臣のときにもお聞きをして、かなり慎重な御発言があって、地元はやや安堵しておったのですが、その後大臣がかわりましていろいろと御発言がございます。ここにも前大臣がおりますけれども、昨年私がお伺いしたところでは、北関東に百万都市をつくる、これもいまの大臣のお話と大体似ているわけです、都市の分散という点で。そういった点も含めて水の供給を考えたらどうか。それで沼田ダムなんかについても、東京ばかりに水をやるというのではなしに、地元でも都市を開発して、そこに水を供給するということであれば納得がいくのではないか、こういう御発言もあったわけでありまして、いろいろな御発言がございますが、われわれとしては、実はそういったことで非常に地元は不安感を持っておるわけであります。

 確かにいま私が質問してまいりましたように、首都圏の水は不足をしてくる。いろいろな方法をとるけれども、その大部分はやはりダムの建設によって開発しなければならない。利根川が主体である。水資源開発水系に指定されているわけですから、利根川が主体。それ以外の水系はそれに準じてやるというかっこうにならざるを得ない。その中でかっこうのダム地点といわれるところの岩本ダムなんか、いつも話題になっているということでありまして、つい最近、上越新幹線のルートがきまりましたけれども、これもいみじくも実はダムの水没地点が避けられている。これはかなりトンネルでもってやるわけですから、そういうことになると思うのですが、これがダムの水没地点、これが上越新幹線という形でありまして、それから近くルート決定になるであろう関越自動車道路、渋川まで大体ルートがきまろうとしているわけですが、これから先のことをにらんでみますと、これも沼田ダムの水没地点、開発地点というものが避けられているのではないかといわれております。これは資源を避けるという意味でこれらの上越新幹線なり関越自動車道も当然避けるということになってきたのではないかと思いますけれども、地元はそれによって至るところ不安がますます大きくなっているわけであります。しかも、理論的に突き詰めていきますと、いろいろな要素をわれわれは切って捨てながら見ましても、なおかっこの水不足に対応する対策として利根川の上流がその対象になり、そしてまた沼田というものが常に話題になってくるという形でありまして、この際、あれだけの都市を持っている地域でありますし、そしてまた上越新幹線もその近くに駅が設けられるわけでありますけれども、群馬県ばかりでなくて、新潟や栃木や長野を含めた一つの開発の、いわば扇のかなめというような地域でございまして、当然いろいろの面で開発さるべきものでありますが、このダム問題があるために開発がおくれ、たとえば工場誘致等も当然渋られるという状態であります。この際、そういった問題についてひとつ政治的な決断をしてもらわなければならぬのじゃないかというふうに思っておるわけでありますが、いま言った水の資源の開発の今後の展望と、有力地点といわれながらまぼろしのダムといわれてきた沼田ダムというものに対して、西村さん、あなたはもう何回も主要な地位につかれて、大臣も二度目でありますから、そういった点で建設大臣としてこの問題に対処するお考え方を明らかにしていただきたい、こう思っているのですが、どうでしょう。

○西村国務大臣 上越新幹線のルートあるいは高速道路のルートを利根川の流域に沿うてつくらないように――これはいまの上越線があまり川に接近し過ぎている。あのルートはよくないのです。それであんなに大事故をいつも起こすのです。これは沼田ダムを考えなくても、やはりもっと川から引くのがあたりまえです。だから、新幹線及び高速道路が渋川から、ずっと見てあの辺の位置になるのは私は当然だと思うのです。それはしいてよけたのじゃありません

(略)

 ということで、西村建設大臣(当時)の国会答弁としては、「新幹線及び高速道路が渋川から、ずっと見てあの辺の位置になるのは私は当然だと思うのです。それはしいてよけたのじゃありません」ということになっている。

 確かに地形からいうと、利根川と片品川が沼田市の旧市街地(沼田城址周辺)を挟んで大きくえぐりとっている箇所を避けて標高450m前後を大きな勾配なしに走らせようとするとこのようなルートになる。

 沼田ダムがあろうがなかろうがこのルートになったような気もする。

沼田ダムと関越自動車道 (1)

 (地理院地図の3D作画機能を活用したもの
 右上の凹んでいるところに片品川橋がかかっている。

 「昭和ICから月夜野ICの間は東側に大回りせずにまっすぐ走ればええやん」と思うかもしれないが、東側にカーブしているのは地形上理由があって上記を御覧のように、120m以上の段差がある河岸段丘があるのだ。これを利用してダムの水を貯めようとしたのだろうけど、まっすぐ高速道路を走らせるのも無理な話なのである。

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(追記) 早川由紀夫(@HayakawaYukio)さんのツイートを使わせていただきます。  

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 ところで、この周辺の関越自動車道の計画はいつごろ行われたのだろうか?

 関越自動車道建設法が制定されたのは1963(昭和38年)であり、産業計画会議の「東京の水は利根川から~8億トンを貯水する沼田ダムを建設せよ~」 の4年後である。

 当該区間を含む渋川~六日町間の基本計画策定が1970(昭和45)年、渋川~月夜野間の整備計画及び施行命令が1971(昭和46)年である。いずれも沼田ダムの検討が中止される前である。

 なお、昭和村のウェブサイトによると「関越自動車道渋川・月夜野間路線発表」は1974(昭和49)年である。

これで高速道路とダムの計画を調整しないわけはないだろう。ダムの中止が決まる前に高速道路の施行命令が出ているのだからダムを避けて高速道路が建設開始されることは当然であろう。

 

 また、上越新幹線のルート選定については、「もう一つの坂の上の雲 鉄道ルート形成史」髙松良晴・著 日刊工業新聞社・刊 に詳しいので是非お目通しを。

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(追記)

ブラタモリで沼田が出ると聞いて、関越自動車道が沼田ダムを避けているか検証してみる(その2)において

「関越自動車道沼田地区の計画」、「もう一つの坂の上の雲 鉄道ルート形成史」、「上越新幹線の建設計画について」の関係部分を抜粋したのであわせてご覧ください、→ GO!

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 国会では一応、下記のようなことになっている。

- 衆議院- 懲罰委員会 - 6号 昭和48年06月13日

○早稻田委員長 次に、本委員会は一昨十一日、群馬県利根郡月夜野町に委員を派遣し、現地調査を行なったのでありますが、この際、派遣委員を代表して、便宜私から、経過の概略を御報告申し上げます。

 派遣委員は、私のほかに、自由民主党から稲村利幸君、粕谷茂君、木部佳昭君、日本社会党から中村茂君、日本共産党・革新共同から東中光雄君、公明党から坂井弘一君、民社党から玉置一徳君、また現地において自由民主党の小渕恵三君、日本社会党の田邊誠君が参加されました。

 一行は、同日正午過ぎ水上駅に到着、群馬県庁のバスで月夜野町奈女沢に直行、同所にて昼食の後、地元並びに日本鉄道建設公団当局より説明を聴取いたしました。

 その概略を申し上げますと、西山月夜野町長より、上牧荘の沿革並びに同荘所有地の概略についての説明がありました。

 西山町長の説明を要約いたしますと、現在の上牧荘は、昭和初期には大室温泉として発足し旅館業を営んできたが、昭和二十五年に現在の上牧荘に改名、その間数人の手を経て、昭和四十三年に現在の入内島氏に受け継がれた。その所有地については、登記簿上岩竹日影地区の山林と原野が合計四千六百九十四平米あり、また石倉地区の駒沢というところには、上牧荘の敷地を含めて所有地が一万七千三百十九平米あるとのことでありました。

 なお、登記件数、年月日等について説明がありましたが、正確を期するため登記簿の写しを取り寄せましたので、詳細はその資料によって御承知を願いたいと存じます。

 次に日本鉄道建設公団の大平新幹線部長から、上越新幹線計画について概要説明を聴取いたしました。

 大平新幹線部長の説明を要約いたしますと、上毛高原駅の位置決定の経緯については、上越新幹線は中央部に大山脈があるため、高崎からどんどん上り勾配となり、二十二キロ三百という世界最長の大清水トンネルを通って、日本列島のまん中を貫くという、他の新幹線に類を見ないものであり、その頂点は五百メートル以上に達し、上り勾配はトンネルの空気抵抗を考慮に入れた限度一杯の千分の十二という技術的な要素に加えて、利根川と山脈という天然の地形の制限、並びに高崎から四十二キロ、湯沢トンネルに三十一・七キロという距離的問題等、いろいろの条件が重なって、渋川、沼田、後閑、水上等各地から新駅誘致の運動もあったが、技術的に検討を重ね、最終的に選び抜かれて現在の上毛高原駅予定地となった

 ちなみに上越新幹線の基本計画公示は昭和四十六年一月十八日、調査指示が昭和四十六年一月十九日、建設指示が昭和四十六年四月一日、線路・駅位置の認可が昭和四十六年十月十四日であるとのことでありました。

 以上、地元及び日本鉄道建設公団から説明聴取後、午後二時より現地調査に入り、道順に従って、岩竹日影地区の山林をはじめとして、利根川をはさんだ対岸より石倉地区を視察、さらに利根川を渡り国道二百九十一号線を南下して上毛高原駅予定地付近を視察の上、再び国道二百九十一号線を北上、石倉地区上牧荘の西側山間部を迂回して、午後四時過ぎ水上駅に到着、予定された全行程の視察を終了した次第であります。  本現地調査を通じて地元群馬県及び月夜野町並びに日本鉄道建設公団当局の御協力を賜わりましたことに感謝申し上げるとともに、派遣委員諸君の熱心な調査に経緯を表しまして、簡単でありますが、報告を終わります。

 朝日新聞1971(昭和46)年9月20日朝刊によると。東北新幹線はほぼ全駅が確定しているのだが、上越新幹線は高崎、長岡以外の途中駅は確定しておらず、「難航している」と報道されている。下の「東北・上越新幹線のルートと駅」でも東北新幹線はきちんと駅が示されているのに対して、上越新幹線は高崎、長岡以外は「?」だ。

上越新幹線新宿駅乗入れ (3)

上越新幹線停車駅問題

 ※「将来、上越は新宿移転」の文字が気になった方は、下記の記事もあわせてご覧ください。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

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 ものはついでなので、関係する国会答弁を貼っておく。http://kokkai.ndl.go.jp/ で「沼田ダム」で検索するといろいろ出てくる。

- 参議院- 予算委員会第三分科会 - 3号 昭和41年03月31日

○委員以外の議員(田中一君) その問題、けっこうです。おやめなさい、そういうものは。それから、そうなると、今度は東京の水の問題になってくるのですがね。沼田ダム、やるんですか、ほんとに。

○国務大臣(瀬戸山三男君) 率直に申し上げまして、沼田ダムはやりたいと思っております。これはいろいろ議論がありますけれども、まだまだ利根川の水系は、これは治水上万全だとは考えておりません。まあよしあしは別問題といたしまして、まだまだ関東地域は相当に開発をされ、いやおうなしにこれは開発をしなきゃならぬところだ。水の需要というのは、国民生活が高くなればなりますほど、工業のみならず必要である。また、その開発が進みますと、水の流れがいろいろ変わってまいります。最近の都市の水害というのはそこにあると思いますが、したがって、利根川のいまの一万七千トンの流量計画でよろしいかどうか、これは専門家がいま検討しておりますが、これで安心とは考えられない。そういう意味において、まだまだ利根川の水は七つ、八つのダムを計画しておりますけれども、やはり沼田地域の水の利用、治水上の問題、これは解決すべき問題だ、ただ、しかし、これは簡単なことでありませんから、金もかかりますが、その前に、地元の皆さんの納得を得るほどのあの地帯のまず開発を考えなきゃならない。それがどれくらいかかるんだ、地質がどうだ、こういう調査に数年かかると思いますから、よく調べて、地元の皆さんとよく協議をして、ただダムをつくって水を利用する、あるいは治水をするということだけでなしに、あの群馬県の奥地帯を、いろんな諸条件がありますから、開発する計画があるかないか、こういうことを考えていきたい、こういうことでございます。

 

- 参議院- 建設委員会 - 閉3号 昭和47年10月09日

○茜ケ久保重光君 私は、木村建設大臣に具体的な問題でお尋ねをしたいと思います。  木村建設大臣は先月二回にわたって群馬県を訪問され、二回記者会見をしておられます。その記者会見の内容について少しお伺いしたいのでありますが、記者会見のお話がそのまま政府の方針であり田中内閣の具体的な施策でありますならば、たいへんけっこうなことだと実は思うわけであります。しかし、どうもそのいきさつをつぶさに検討してまいりますと、何か木村個人の発言と申しましょうか、思いつきの発表と申しましょうか、そういった感じを持ちますので、ひとつこの委員会の席上でやはり政府を代表する建設省の主管大臣としての答弁をお願いしたい、こう思うわけであります。

 先月二十四日に小渕政務次官の就任祝賀会と申しましょうか、小渕君の応援にいらっしゃって記者会見されたときには、沼田ダムはあまりにも犠牲が大きいのでこれはもうやめるんだ、端的に申し上げてこういった発言をしておられます。沼田ダムと申しますのは、御承知のようにこれは大正の初年から問題にされまして、当時は発電関係の重要なダムとしてかなり検討されたようであります。しかし、何せああいう場所でありますから実現はかなりむずかしいということで、まぼろしのダムということばが冠せられたのであります。しかし昭和の時代になりまして、発電ダムとしてはもちろんでありますけれども、東京都を中心としたいわゆる京浜、京葉の工場地帯がさらに大きくなってきました時点と軌を一にして工場用水の不足が非常に目立ってまいりました。この工場用水を確保するため、もちろん上水道の確保もこれはありますけれども、工場用水を何としても確保するためには、もうすでに今日沼田ダムの建設以外にはないといったような観点でさらに大きくなってまいりました

 私はかつて衆議院の建設委員会で、佐藤内閣の中期でございますが、瀬戸山三男君が建設大臣になった当時でありますが、このことについていろいろと問いただしたところ、それまでは建設大臣は、つくりたいけれども決していまつくろうと思っていないといった答弁でございましたが、瀬戸山君が初めて、沼田ダムをつくるんだ、どうしてもつくらなくちゃならない、しかも瀬戸山君の言うことには、私が大臣就任当時佐藤内閣総理大臣からわざわざ、ひとつ瀬戸山君沼田ダムを頼むぞ、こういうことまであったのだという答弁がございまして、いわゆる自民党政権は、もちろんいろんな困難はあるけれども沼田ダムを建設する意図があるし、またやらなくちゃならぬということが、一応政治的な具体的な問題として提起されたわけであります。それ以来いろいろといきさつはありましたが、私がまた当参議院に回りまして、当委員会でも河川局長ないしは主務大臣に聞きますと、これは、困難はあるけれども何とかひとつ地元の了解を得てやりたいのだという答弁が返ってまいりました。そういうときに木村さんが大臣になられて、そういう地元の群馬県にいらっしゃって、去る二十四日の、そして重ねて三十日の記者会見ではっきりとやめるんだと、こうおっしゃっている。このことは、非常に地元にとっては朗報であります。ただ、しかし先ほど申しますように、私が、木村個人の発言であり、あるいは思いつきの発言じゃないかと申しましたのは、かなり歴史的に根強い問題でありますし、いわゆる昭和六十年、東京都を中心としたこの首都圏の水はかなり不足してまいります。いろんな対策がなされておりますけれども、要するにこれは、もうこれを確保するためには沼田ダム以外にないのだという建設当局のお考えもありますので、こういったことを踏まえて、大臣はいわゆる建設省担当の大臣としてこういう御発言をなさったのか、この辺の真偽のほどをまずお伺いしたいと思うわけです。

○国務大臣(木村武雄君) 最初に参りましてそして発言したのは、個人的発言です。それは、この京浜地区で非常に水不足に苦しんでおる。将来を考えると、ますます不安がつのってくる。だから、どうしても水資源を確保する場所がほしいのだと、そういう点で、沼田ダムというものは垂涎おくあたわざるものであったことだけは間違いなかったと思います。しかし、私は群馬県に参りまして、沼田ダムで水没家屋というものは幾らあるのだ、これ聞いてみたのですよ。そうすると、一番最初は二千六百と、こう言っておったのですが、あとから聞きましたときには、四千戸以上ある、こういう話なんです。私は、二千六百戸の水没家屋というものを対象にして、そして、その沼田ダムをつくるということは不可能じゃないか。それは二千六百ですよ、家屋分が。それらの人々を納得さして、そしてその地域から他の地域に移すなどということは、どのような、たとえばヒットラーのようなやり方をすれば別ですけれども、そうでなくて、話し合いでものを解決しようという現在の政治情勢のもとにおいては不可能じゃないか、こういうように自分が判断をしたのですよ。それで不可能なことはやはりあきらめたほうがよろしいと、こういう考えで、私は、沼田ダムというものを建設することはむずかしい、こういう話をしたのですよ。そうですから、これは角度を変えて考えたほうがいいんじゃないか、こういうように発言いたしまして、こっちに参りまして、建設当局にその二千六百戸の水没家屋を対象にしてダムをつくるということは、もう一ぺん考え直したほうがいいのじゃないか、こういう話を事務当局にはしておいたのですよ。しかし、事務当局は、長らくの懸案なものですから、即座にやめるとは言わない、それは放棄するとは言っておりません。  それから、今度は二度目に参りましたときには二千六百戸じゃないと、もう四千戸以上出ておるのだと、こういう話なんです。ますます不可能の度合いを強くしたのですよ。とてもそんなことは無理でしょう。どっから考えても無理ですよ。どのように垂涎おくあたわざるような場所であっても、四千戸以上の人々が住んでいる場所に、それを全部立ちのきさして、そして必要だからといって、そこに私はダムをつくるということは、政治的判断ではとても不可能だ、こういうように考えておるのでありまして、それはあきらめたほうがいいぞ、いつまでもそんな場所に固執しておったって不可能なものは不可能なんだ、だめなものはだめなんだ、きちっとあきらめたほうがいいぞ、そしてそれだけのものは他で発見するようなことを考えてみないと、その水資源を確保するという根本的問題も失われる危険があるぞというのが私の考えなんでありまして、それは事務当局には現在でもたびごと言っておりまするが、事務当局も長らくの懸案であるものですから、私から言われたからといってあきらめましたなんて即座に言い切れないのじゃないかと、こう見ておるのですよ。しかし、私は、政治判断から不可能だと、こういうように判断いたしております。そうして無理なことはさせないつもりなんであります。

(略)

○茜ケ久保重光君 これは、いわゆる世界のダム史上かってなかった水没家屋だと思います。とにかく、四、五千程度の、人と市があらかた、半分くらい沈むというのでございますから、ほんとうにおそらく今後もこういうダムが起ころうとは考えられない。したがってこれは、場所は群馬県の一部でありますけれども、私は日本列島改造と関連してきまして日本的な問題だと思うのです。したがって、ここでこれ以上論議をする意思はありませんが、少なくとも大臣のおっしゃったことを政治的に踏まえて私はこれはこのダムをつくるということが別に閣議決定されたわけじゃございませんけれども、しかし、一面いろいろな問題がありますが、田中総理の日本列島改造なども大きく喧伝されている中でございますから、ひとつ、できますならばこれは閣議あたりで、いま局長も言われたように、五カ年計画に入ってないけれども、しかし依然として局長の答弁で見ますと、これはいつかはやりたいという願望は捨て切っていないわけです。そうしますと、群馬県ないし地元の人たちがこれはもう永久に沼田ダムによって脅かされ、かなりの精神的な苦痛を味わうわけですから、できますならば、閣議の席上において木村大臣から発言をされて沼田ダムを問題にしないのだというくらいのひとつ発表がなされますれば、たいへん地元としてもありがたいし、また、この問題は一応ほんとうに消える、木村建設大臣が群馬にいらっしゃって二度も発言されておるのですから政治的な裏づけができると、こう思うのですが、そういったひとつ御努力をされる意思はないかどうか。

○国務大臣(木村武雄君) 建設省としては、率直に言うと十年間もほれてきた女がですね、そうですからそれを即座にあきらめろと言ったってなかなかあきらめ切れないからいまみたいな何だかことばの中で濁したような話をしているのじゃないかと私は思っておるのですよ。しかし、こんなことをやるとこれは政治じゃない、暴政ですよ、ほんとうの暴政ですよ。五千戸近くの人をそこから追い出すなんということはたいへんな暴政だと、東京都が、こっちのほうから見ましたならば、水資源を確保して云々なんて言って善政みたいに見えますけれども、これをやったならばほんとうの善意ではあるけれども悪政になってしまうと自分は政治家として判断しておるものですからこれはやらしたくないし、やらせないという考え方で取り組んでおるのです。ただ、閣議でそういうようなことを発言して云々というところまで必要はないのじゃないだろうか、そういう点については、私は、私よりも建設行政はいまの内閣総理大臣が十分知っておりますからね、一対一で話し合いをしておきたいとこう思っておりまするが、日本列島改造をやるにあたって無理なことしたならばたいへんなことになってしまうと、決して日本列島改造は無理してやるものじゃないと、その基本線を私持っておるものですから、それで沼田ダムなどというものはやらせない、こういう腹で自分も取り組んでおります。そして建設省でもいま一生懸命になってその水量に見合うものは、一つじゃありませんよ、五つとか何ぼか集めたならばなるのじゃないだろうかと思って、それからは真剣にいろいろな場所を発見するように努力いたしておりまするから、そのうちに私は無理な政治はやらないように、権力でものをやるということじゃないように私は改まると、こういうように確信を持っておりますから、どうかそういう点ではこれからのやり方についてはどうかおまかせくださるようにお願いを申し上げます、暴政は決してやりませんです。

 「ヒットラーのようなやり方はしない」「暴政は決してやらない」というあたりは、今の自民党・公明党諸氏も先輩を見習っていただきたいものだ。

- 参議院- 建設委員会 - 8号 昭和48年05月08日

○田中一君  じゃ、あもう一つ聞きます。沼田ダムは、これは実行しようとするつもりですか、建設大臣。

○国務大臣(金丸信君) このダムにつきましては実地調査もいたしておるわけでございますが、水没家屋等が非常に多いということで、地域に及ぼす影響も重大でありますので、これは断念しよう、こういう考え方でございます。

 

- 衆議院 - 懲罰委員会 - 4号 昭和48年05月31日

○小林(政)議員 私の一身上の弁明は、去る十日本会議において述べましたとおりですが、その要旨を申し述べます。

 去る四月二十六日、私が物価問題特別委員会で行なった田中総理に対する質問の趣旨は、上越新幹線上毛高原駅の決定並びにその周辺の土地買収をめぐって起きている疑惑を取り上げ、このような疑惑を持たれていては商社の不当な投機の規制をすることができないのではないかと、田中総理の政治姿勢を国民の前に明らかにするよう求めたものであります。

 自民党の動議提出者は、その趣旨説明で、この私の質問が推測に基づいた事実に反するものだとし、個人の名誉、院の品位を傷つけたなどの理由をあげています。

 私の質問は推測によって行なったものではなく、まして総理を誹謗し中傷するために行なったものでもありません。

 国会議員が事実を調査し、調査した事実に基づいて、国民の疑惑を国会で総理に質問し、その政治姿勢を問うことは、国会議員としての当然の責務であり権利であると確信しています。私の質問のどこが院の品位をそこなうと言われるのか、何をさして個人の名誉を傷つけたと言われるのですか。疑惑をただすのがなぜ懲罰に値するのかとうてい理解することができません。

 私のこの質問が懲罰に値するというのならば、国会はもはや国民が抱いているさまざまな疑問や不満を発言することさえできなくなるでありましょう。私の発言は絶対に懲罰に付されるようなものではありません。気に食わない発言であるからといって、多数の力で懲罰にかけ、議員の言論を封殺しようとすることは、みずから言論の府を否定するものであり、絶対に容認することはできません。

 上毛高原駅の決定と同駅予定地周辺における土地買収には、幾つかの疑惑がからんでおります。

 私は、以下その要点を指摘したいと思います。

 上越新幹線の上毛高原駅は、昭和四十六年十月決定されました。それは、群馬県利根郡月夜野町であります。当時、渋川、沼田、水上など誘致運動が起きていましたが、月夜野町長、町議会議長及び副議長も新幹線新沼田駅設置促進運動に参加していたほどで、上毛高原駅が決定されることは、地元の予想もしないところでありました。地域住民のおおかたの予想を裏切って、人口もまばらな山峡の地、近くに温泉旅館はおもなもの二軒しかないという、かつて田中総理が取締役をしていたことのある、そして現在総理が刎頸の友と言っている入内島氏が経営している株式会社上牧荘の近くに駅が決定されたのであります。当然ながら、政治的疑惑は周辺住民の中に広がってきたのであります。

 また、上毛高原駅発表前後から、その周辺地域、従来はほとんど不動産の移動がなかったこの地域で、山林原野を中心に相当広範な土地の買収、買占め工作が不動産業者によって始められ、地価が高騰しています。こうしたときに、総理がかつて役員であった株式会社上牧荘が事業を拡大し、土地を買収していることについても、周辺住民の疑惑が生まれてきているのであります。

 上牧荘は、昭和三十五年に現在の田中総理が当時の経営陣に加わって後、急速に増資を重ね、前経営者当時と比較して、昭和三十九年までわずか数年の間に、資本金は四十八倍に増資されました。昭和四十二年五月には、入内島夫人が取締役に就任するとともに、六月には定款を変更して、新しく営業目的にも「土地建物の売買並びに斡旋」「ビルの経営並びに管理」が追加されたのであります。そして七月には、資本金はさらに二倍半にふやされているのであります。この地域では土地の売買などあまり行なわれない時期であり、また、この山峡の地に一体ビルが建つのか、土地建物の売買あっせんができるのかという疑問が起こるのは当然のことであります。  ところが、定款変更が行なわれてから二カ月後の四十二年八月末、国鉄当局が上越新幹線を含む全国新幹線網構想を新聞発表したのであります。そして昭和四十三年から四十六年にかけて、上牧荘が登記簿上明白なものだけでも、山林原野等合計六千五百八十四平米を買収しております

 こうした中で、昭和四十六年十月、上毛高原駅の決定が正式に発表されたのであります。

 また、御承知のように、昭和四十七年一月、当時の衆議院副議長であった荒舩清十郎氏の発言の問題であります。

 荒舩氏は、上越新幹線をつくる問題については、通産大臣をやっている田中角榮氏、外務大臣の福田赳夫氏と副議長の荒舩清十郎氏のこの三氏が、どこにとめるのか、どう通していくのかというようなこともきめたのだと発言をされているのであります。

 上牧荘の定款変更や、この地域でのあれこれの土地買収、そして上毛高原駅の決定、これらについて疑惑が持たれるのは当然の成り行きではないでしょうか。

 ところで、提案理由説明では、上毛高原駅から一・五キロ以内には上牧荘の土地買収の事実はない、私の質問は事実無根だと言っています。しかし、私が指摘したのは、石倉地区という地域の土地の買収であります。一・五里を一・五キロと言い違えましたけれども、石倉地域における土地買収の事実はあるのであります。  私は、この言い違えを訂正するにやぶさかではありません。しかし、買収土地が駅周辺地域であることに何ら変わりはないのであります。

 また、駅予定地に接し、上牧荘の横を通って北上する従来のいなか道が、上毛高原駅決定の発表に先立ち、昭和四十五年に国道二百九十一号線に昇格をされ、今日ではその大半が舗装されております。この国道によって、買収地と新駅との距離は、車では時間的に大いに短縮をされております。

 したがって、買収地が駅周辺地域であることに何ら変わりはないのであります。

 また、提案理由で、買収地の一部は従業員の福利厚生施設の建設用地だと言われています。しかし、上牧荘の買ったこの土地は、上牧温泉から奈女沢温泉に通ずる道路の入り口の要所に位置し、高さ約十メートル近くの滝に接する土地であります。  また、すでに上牧荘は昭和四十年、二階建て寄宿舎を新築しており、さらにその上、従業員の福利厚生施設用地として四千六百平米以上もの広大な土地を必要とすることは、常識ではとうてい考えられないのであります。しかし、この問題についても、質疑の中で解明すれば済むことであります。

 私は、以上述べましたように、事実に基づいて、上越新幹線上毛高原駅の決定と上牧荘の土地買収問題をめぐる疑惑に関連して、田中総理の政治姿勢をただしたのであります。

 提案理由説明で大村議員は、私の質問が、総理の政治的地位を利用して「土地の買占めに加担しているがごとく事実を歪曲し」たと言われていますが、私は、事実を歪曲したことは全くありません。いままで述べてきた事実から見ても明らかなように、国民の疑惑をただしたものであって、国会議員として当然のことだと確信をいたしております。

 私は、以上述べましたように、事実に基づいて、上越新幹線上毛高原駅の決定と上牧荘の土地買収問題をめぐる疑惑と関連して、田中総理の政治姿勢をただしたのであります。事実に基づいて国民の中にある疑惑をただすことが、なぜ懲罰に値するのでしょうか。

 もし、田中総理がみずからの政治姿勢にいささかの疑点もないならば、堂々と答弁し、国民の疑惑を晴らすべきであります。これこそ、主権者たる国民に対する総理のとるべき当然の態度だと私は思うのであります。

 ところが、動議提出者は筋違いにも、質問をした私を懲罰に付せと要求し、しかも、その趣旨説明は事実に基づかず、かってな推測や仮定の事実を想定し、また故意に私の発言を歪曲して不当な理由をつくり上げて、私の当然の質問、国会における言論を懲罰をもって抑圧しようとしているのであります。

 たとえば趣旨説明は、私の発言を、上毛高原駅から一・五キロメートル以内で大規模の土地を買いあさっているかのごとき発言をしたものだときめつけ、事実に反するものと断ぜざるを得ないとしています。しかしながら、私の質問にはこのような発言はどこにもありません。かってに事実を歪曲して、事実に反するものだと断定するというやり方は、一種のトリックを用いて言論を抑圧する卑劣な発言だといわざるを得ません。

 「月夜野町長、町議会議長及び副議長も新幹線新沼田駅設置促進運動に参加していたほどで、上毛高原駅が決定されることは、地元の予想もしないところでありました。」という、その駅の所在地の町長も知らなかったというのは凄いね。

 江戸川区長が成田新幹線の自区内の工事計画の説明を鉄建公団から聞いたのは記者発表の2日前で激怒した(それも反対運動の一因となった。)というのだから、鉄建公団の仕事のやり方というのはそういうものだったのだろうな。

 ※ ご関心のある方は小久保 晴行・著「地方行政の達人」にお目通しいただきたい。 成田新幹線については31頁以降に書いてある。

 ところで、以前、「新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?買収資金を貸したのは三和銀行?」
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-0be2.html
という記事を書いたが、時代が変わっても似たようなことをやってるものだね。

(その2)に続く。

 

(参考)

「沼田ダム(未成)の建設計画が道路・鉄道に及ぼした影響について」

http://togetter.com/li/323232

 

※河岸段丘と高速道路の関係については、こんな記事も書いておりますので、こちらも是非ご覧ください。

「圏央道の青梅市内を歩いてみる(その2)」
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-e799.html

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