ブラタモリで沼田が出ると聞いて、関越自動車道が沼田ダムを避けているか検証してみる(その2)
「ブラタモリで沼田が出ると聞いて、関越自動車道が沼田ダムを避けているか検証してみる(その1)」をUPしたところまずまずのご好評をいただいたので、調子こいて(その2)を書いてみる。
左側の沼田ダムの図面は「産業計画会議」の第8次勧告「東京の水は利根川から~8億トンを貯水する沼田ダムを建設せよ~」(S34.7.29)からの抜粋である。
http://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom/recom_08.pdf
如何にも関越自動車道と上越新幹線が沼田ダムを避けているかのように見えるところをおってきたところであるが、(その1)では、高速道路と新幹線の計画は、沼田ダムの中止までの間に行われており、時系列的にはダムとの調整を考慮して路線選定していてもおかしくないことは分かった。
(その2)では、高速道路と新幹線のそれぞれの報文に何かヒントがないか探ってみる。
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まずは、関越自動車道である。
日本道路協会の「道路」1979(昭和54)年3月号に「関越自動車道沼田地区の計画」というそのものズバリの報文が掲載されている。執筆者は浅野頼夫氏(日本道路公団沼田工事事務所長)である。
1,地形的特徽
渋川〜水上間のうち、渋川〜昭和間は赤城山西麓の裾 野を通過する。赤城山は黒檜山(1,828m)を最高峰と し、山頂に大沼をいただくカルデラ火山であり、特に西麓は標高、約500〜600mの広大な火山地形の台地を形成している。この台地には放射線状に浸触されたV字谷が多く発達し、利根川へ向っている。特に路線通過付近は谷の巾が広く、深いのが大きな特徴となっている。
昭和村〜沼田市にかけては河岸段丘が発達し、高低差が非常に激しい地形となっており、特に沼田台地は片品川、薄根川また利根川の3河川に囲まれており、片品川に沿って見られる河岸段丘 (深さ約100m、3段丘) は 雄大で、見事な景観を呈している。沼田市以北、月夜野町にかけては利根川左岸側に発達 した段丘的地形を呈しているが、再び利根川を横過すると、谷川岳を前に山岳地特有の起伏に富んだ変化のある 地形が連続している。
3. エ事計画の特色
関越道は渋川市 (標高160m)と関越トンネル坑口 (標高630m)間に470mの標高差があり、また地形上, 利根川に沿い北上するとしても、国道17号線および対岸の県道がかなり急岐な路線を通っているため、渋川市 から赤城山々麓の裾野を通過する。 このため、その取付部分に縦断勾配3.5%の区間が約 8kmにわたり連続する結果となっている。 縦断線形計画上、①「標高差をかせぐこと、②土工(盛土・切土) のバランスを計かることを主として検討した が、広大な台地を侵触、形成されたV字谷は砂防指定地等の規制が多く、掘削土量の流用を考慮した盛土工事は 非常な困難が予想される。したがって余剰土の発生を出 来るだけ少なくするため、数多い各部の縦断線形は比較的高い位置で計画することとした。 特に渋川〜沼田間では、このV字谷あるいは河岸段丘による河川(谷) の横過は高さ50〜80mと非常に高い位置となっているところが多い。
路線選定理由に沼田ダムは一切出てこない。この報文が書かれたのは1979年であり、(その1)で紹介した木村武雄建設大臣の「沼田ダムはあまりにも犠牲が大きいのでこれはもうやめるんだ」という発言から7年後であるから当然であろう。
「沼田台地は片品川、薄根川また利根川の3河川に囲まれており、片品川に沿って見られる河岸段丘 (深さ約100m、3段丘) 」「利根川に沿い北上するとしても、国道17号線および対岸の県道がかなり急岐な路線を通っているため、渋川市 から赤城山々麓の裾野を通過する」というところが上記の縦断図及び下記の3D図から見て取れるだろうか。ダムはなくとも3本の河川による深さ100mの河岸段丘を通るためには回りこまむことが合理的だったということだろう。
・地理院地図3D機能で作成
グーグルアースの方が分かりやすいかな?
それでも片品川、永井川等、長大橋梁で多くの谷を越えていく必要がある。
代表的な橋梁としては片品川橋がある。
この形式を検討したものが下記のとおりである。
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一方、上越新幹線はどうか?「もう一つの坂の上の雲 鉄道ルート形成史」髙松良晴・著 日刊工業新聞社・刊>から該当箇所を引用してみる。
(2) 2度水没の中山トンネル
上越新幹線工事誌(日本鉄道建設公団東京新幹線建設局)に、高崎・越後湯沢間のルート選定について次の 記述がある。
「高崎・越後湯沢間において、三国山脈を長大トンネル(大清水トンネル)のルートについて、在来の清水 トンネル、新清水トンネルの実績をもとにしてルート選定を行った。この結果、高崎から大清水トンネルの坑口を最短ルートで結び、高崎・湯沢間の駅間距離、並びに長大トンネル連続による運転整理等を勘案して、月夜野町に駅(上毛高原駅)を設置することとした。」
在来線の上越線ルートは、渋川駅を出て利根川を渡ると、利根川左岸沿いにほとんど明かり区間で、沼田、後関を経て水上へといく。 一方、上越新幹線のルートは、上越線ルートの対岸、利根川右岸の山中を、榛名トンネル(15,300m)、中山トンネル(14,857m)、月夜野トンネル(7,295m)と連続する長大トンネルで抜くものである。
上越新幹線ルートのトンネル勾配は、上りはじめの榛名トンネルから1,000分の12のなだらかな上り坂となっている。結果論ではあるが、かようなルート選定が、トンネルが比較的に山すその滞水層を抜くこととなり、掘削中に大量の被圧通水に遭遇し、すべての土木工事完了するまで約10年の歳月を要する大きな原因となった。
「もう一つの坂の上の雲 鉄道ルート形成史」髙松良晴・著 171~172頁
(3) 幻の渋川ルート
上越新幹線が、高崎駅から大清水トンネル坑口へ向けての直線ルートを採ったことから、長大トンネルの間 に、上毛高原駅が設けられることとなった。なお、上毛高原駅の1日あたり平均乗車客数は、上越新幹線開業後25年目の平成19年度(2007年度)で、740人である。
ルート選定時、日本鉄道建設公団新幹線部長であった大平拓也氏によれば、高崎から上越線沿いに、渋川、水上に駅を設置して、大清水トンネル坑口へのルート案を検討されていた、という。
上越新幹線ルート案打ち合わせのため、建設担当の篠原武司日本鉄道建設公団総裁と運行を担う磯崎叡国鉄総裁との両トップが会談している。双方の事務方は、事前に打ち合わせのうえ、渋川ルートが本命であり、直線ルートはあて馬の思いであった。
だが、その場の結論は、直線ルートとなった。
ちょうどその頃、国鉄は東北新幹線で水沢駅、花巻駅などの中間駅設置の要望を受けていたが、新幹線の速達性確保などの視点から、中間駅設置に否定的であった。したがって、磯崎国鉄総裁は、上越新幹線で駅間距離の短い渋川、水上2駅の設置は、東北新幹線へ波及することを恐れた。一方、篠原鉄建公団総裁は、ことのほか直線ルートへの思いが強かった。このことから、両トップは、直ちに、直線ルート案で地元を説得し了解を取りつけようということになり、事務方から見れば、どちらかと言えばダミーであり、調査不十分であった上毛高原ルート案が、一転、決定ルートとなった瞬間であった。
歴史に、もしも、はない。
だが、筆者の私見ではあるが、高崎大都市圏の視点に立って、当時、直線ルートにこだわらず、吾妻線との分岐駅でもある渋川駅を設置して大清水トンネルへ至るルートを選択していたら、渋川市周辺は、今よりも、高崎市圏のもっと大きな街となっていた、と思う。そして、中山トンネル、榛名トンネルの難工事もなかっ たであろう。
惜しかった、と思う。
「もう一つの坂の上の雲 鉄道ルート形成史」髙松良晴・著 175~176頁
意外だが、新幹線については、中山トンネルルートは当て馬であり、本命は渋川~水上ルートだったという。(その1)で取り上げた国会答弁によると、「上越新幹線の基本計画公示は昭和四十六年一月十八日、調査指示が昭和四十六年一月十九日、建設指示が昭和四十六年四月一日、線路・駅位置の認可が昭和四十六年十月十四日である」ということから、このやりとりは、遅くとも1971(昭和46)年10月よりも前の話であり、沼田ダム計画が中止になる以前のものである。ダムと本命ルートの調整はどのようになっていたのだろうか?
また、土木施工13巻3号(1972(昭和47)年3月号)に「上越新幹線の建設計画について」という報文が掲載されている。執筆者は植月(足へんに斉?)日本鉄道建設公団新幹線第一課長)である。
(2) 駅および経過地の選定
(略)大宮~高崎~長岡~新潟間を結ぶ形の上越新幹線の骨格が想定されることになった。
その他の中間駅については、広範囲な地域の開発と利用客の利便および,260km/hという高速性を十分発揮できる駅間等を考慮し、在来鉄道および道路との連絡のよい地点が選ばれた。書く区間の路線選定の概要は次のとおりである。
(略)
ⅱ) 高崎~長岡間
高崎~長岡間は約140kmあり,この間,地域社会の利便および列車運転整理上,3駅程度設けることが望ましいと考えられ,種々検討の結果,上毛高原,越後湯沢,および浦佐の各駅が設置された.
上毛高原駅は,沼田,水上,猿ケ京からほぼ等距離にあり,これらの都市機能の開発,あるいは奥利根川全域の観光開発に効果を発揮すると思われる.なお,高崎~上毛高原は,市街地を避け,榛名山麓および子持山西部を,14km以上の2長大トンネルで抜ける直進ルートとした。
ところで、本稿とは別のネタになるが、上越新幹線新宿駅のネタについてはいくつか記事を書いてきたが、この報文には、将来の新宿方面への分岐についての考え方と配線図も載っている。
(4) 停車場および車両基地
ⅰ) 大宮駅
当分の間東京~大宮間は東北,上越両新幹線の共用であるが、上越新幹線大宮~新宿間が完成した場合の列車運行(東京発新潟行と新宿発盛岡行)に支障がないように、両新幹線の分岐点には,図-3に示すような立体交差を設ける.
実際には下記のとおりとなった。
最後に「ダム日本」1968(昭和43)年1月号」に掲載された「沼田ダム建設を実現しよう」を貼っておく。
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