何故に東急ターンパイクの免許は認可されなかったのか~東急ターンパイクの考察(その3)
「東京急行電鉄50年史」626頁から引用
皆さんご存知のとおり、東急が申請した東急ターンパイク(渋谷~江ノ島)、湘南ターンパイク(~小田原)、箱根ターンパイク(~箱根)の3つのターンパイクのうち、認可されたのは箱根ターンパイクのみである。
自動車評論家MJブロンディこと清水草一氏は下記のように述べている。
続いて、玉川ICがなぜあんなところにあるのか、という質問ですが、もともと第三京浜は、東急グループが渋谷-江の島間に「東急ターンパイク」という名前で高速道路を建設しようとしたのが始まりです。
時は昭和29年。東急グループは、宅地・観光開発のために、非常に積極的に動いていました。箱根ターンパイクも、東急グループが観光のために建設した有料道路です。
東急ターンパイク構想は、その後建設省に横取りされてしまい、それが第三京浜となりました(仕方なく東急は田園都市線を造りました)。
清水草一氏はその「横取り」の根拠は示していない。
(その2)で引用したはまれぽの記事「1950年代に渋谷から二子玉川を経て江の島まで延びる「東急ターンパイク」という高速道路計画があったそうです。何かその痕跡が残っている場所があるかどうか気になります」では、やはり(その2)で紹介した近藤謙三郎氏の著書「一里塚」を引用している。
その該当部分がこちらだ。
「一里塚」472頁から引用
「東急ターンパイクを横取りして第三京浜道路にした」としているものは、多くがここを引用しているか、読みもせずに孫引きしているものと思われる。
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■第三京浜道路のルートはどのようにして決められたのか?
近藤氏の言い分だけでなく、日本道路公団側の言い分も聞いておく必要はないのだろうか?
「第三京浜道路工事報告」によると下記のようになっている。
第三京浜道路工事報告1-5頁から引用
第三京浜道路工事報告2-6頁から引用
第三京浜道路はもともと中原街道の渋滞緩和のための日吉から横浜バイパス(現在の横浜新道)起点までのバイパス計画から始まっているとされている。
それが、「京浜間の交通渋滞を一挙に解決すべく」東京都内を起点としたものとされている。
なお、文中の「東京、小田原を結ぶ東京周辺道路」について報じる新聞記事を参考にあげておく。
第三京浜道路のルート選定については、第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~ にも書いているのでそちらもあわせてお目通しいただけると幸いである。(下記は、「第三京浜道路調査報告書」から引用。)
※臨海高速道路とは、現在の首都高速横羽線のことである。内陸部の通過交通は第三京浜、臨海部分は横羽線とで分担する計画だったのである。
いずれにせよ、日本道路公団としては「もともと短距離のバイパスだったものが、その後玉川まで延伸された」という記録を残している。
もし「公団が横取りした」と主張するならば、この点も紹介したうえで、自分がどちらが正しいと思ったかという根拠を述べる必要があるのではないか?(清水草一氏のように根拠も何も示さないのは論外であろう。)
私の私見を述べるとすれば、「建設省:道路公団サイドとしては、東急ターンパイクはもともとありえないので眼中になく、既存のネットワーク等との整合を考えて自然体でルート検討を行ったらたまたま東急ターンパイクと似たようになった」ということではないだろうか?
※近藤氏は「東急路線とほとんど全く重複する路線を選んで横浜バイパスと名付けた」とするが、「横浜バイパス」は「横浜新道」の建設中の名称であり、第三京浜とは異なる。近藤氏が取り違えたのではないか?
「日本道路公団5年の歩み」から引用
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■東京都も東急ターンパイクにはもろ手を上げての賛成ではなかった
一般的に「建設省が反対した」「道路公団が横取りした」とばかり言われているのだが、地元自治体である東京都はどのような態度だったのか?
これについては、以前、東急ターンパイクに係る東京都庁議書類 で紹介している。
東急ターンパイクの免許申請前となる昭和28年に、4月28日に、首都建設委員会は「首都高速道路に関する計画」の勧告を発表した。
その路線図が下記のものである。
渋谷~玉川間については、東急ターンパイクの先に「2号玉川線」が公表され、競合していたのである。
そのため、この免許申請については「将来高速道路網を一元的に経営する必要がある場合買収に応ずること」という条件がつけられているのだ。
東急にとっては一番交通量が多く、東急王国の集客目的地となる渋谷に直結する区間をみすみす東京都(首都高速)に売り渡すこととなる。また、(その1)で指摘した「路下室賃貸料」も都内区間から発生するのであるから、残された区間からはほとんど賃貸収入は見込めなくなってしまう。
斯様に、仮に建設省(日本道路公団)が東急ターンパイクを認めたとしても、東京都から召し上げられてしまう可能性が高かったと言えるのだ。
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この他にも「世田谷区の地元が反対した」とか「そもそもターンパイクの規格は十分なものではなく、技術的な観点からも認可すべきではなかった」という記事を読んだような記憶もあるが元ネタが出てこない。また見つかれば追記したい。
(追記)
「自動車と建築<」(堀田典裕・著)82頁に「残念ながら、地主による自動車道建設反対運動によって、東急田園都市線に取り換えられ、渋谷-玉川間は高架でなく地下に埋設されることになった。」とあった。なんか違和感があるなあ。ちなみに堀田氏はその論拠を示していない。
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■東京江之島間有料専用道路申請書が出て来た~東急ターンパイクの考察(その1)
■東急五島慶太の自動車道計画の全貌~東急ターンパイクの考察(その2)
■何故に東急ターンパイクの免許は認可されなかったのか~東急ターンパイクの考察(その3)
(参考)
■箱根ターンパイクがNEXCO中日本に買収されて子会社になっていた
■東急プラザは東急ターンパイクのバスターミナルになるはずだった
■第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~
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