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2016年5月 5日 (木)

伊東温泉球場(伊東スタジアム)と東急

 東急ついでに、東急が持っていたプロ野球チーム「東急フライヤーズ」と伊東温泉球場(伊東球場、伊東スタジアム)と東急の関係について書いておく。

 wikipediaの「伊東スタジアム」の頁を見てもその由来については大したことは書いていないが、先の東急ターンパイクの記事で都度都度引用した「東急建設の二十五年」に伊東温泉球場の由来が書いてあったので引用したい。

 そうした中で、追放中の五島慶太が関与して、東京建設工業(※引用者注:東急建設の前身)が昭和二十五年春に受注した伊東温泉野球場新設工事は、「当社の機械施工の本格的試験場」(安藤芳雄)として記憶 に留めるべきものであろう。

 同球場は、静岡県伊東市と東京急行電鉄が施主となり、伊東市の市民球場、並びに東京急行電鉄の関連会社が所有する東急フライヤーズのフランチャイズ球場として建設された。同球団は、昭和二十一年、「社員の慰安と士気の鼓舞を目的として」旧東京セネターズを買収、改名したもので、青パットの大下弘選手などを擁して球界に新風を吹込んだが、その後の成績は必ずしも芳しくなく、同球団強化のための球場設置が検討されていた。これがたまたま伊東市の野球場設置のニーズとマッチしたのである。

 建設場所は、伊東市西側の岡区広野地区。両サイド九十メートル、センター百三十メー トル、内外野席収容人員約五千名という規模である。着工は二十五年四月、途中、中断もあって竣工は二十六年九月となった。

「この工事では、当社ブル二台を持って行ったが、これは、牽引力はあるが押す力は弱い。そこで、もう一台、三島にあった建設省の土木技術員養成所から、進駐軍の払下げのD7というキャタピラーを借りて、造成にかかった。工事は順調に行ったが、途中で一度、施主の方から金がこなくなった。ちょうど球場の周囲のフェンスをコンクリート打ちしているところだったが、鈴木寅吉専務がやってきて、『金をくれないなら、現場を放棄 しろ』と言う。技術者としては、あとでコンクリートを打ち継ぐと、仕上がりが汚くなるので、どうしても打ち終わってしまいたい。私はとにかくやってしまったが、専務から は、『おれの命令に違反したから昇給停止だ』とひどく怒られた。造成中に、フライヤーズの安藤監督や大下選手などがやって来て大変喜んでくれた記憶もある。また、工事を視察に来られた五島慶太さんから金一封をもらったが、これが何と、みんなで一晩ドンチャン騒ぎをしても、まだ残りがあった」(安藤芳雄)。

 しかし、こうして完成した伊東温泉野球場も、東急フライヤーズのフランチャイズ球場としては十分な規模のものではなく、東急側では現在の世田谷区駒沢公園の位置する場所に別個の新たな野球場の建設を計画した。東京都ではこの地域を総合グラウンドとする計画を立てていたので、東急側では、「当社が公式野球場を建設して東京都に寄付する」という条件で、都と折衝した結果、両者間に協定が締結され、臨時建設部の事業の一環とし て、駒沢野球場を建設することが決まり、二十八年四月に工事が着工され、同年九月に竣工した。

 

「東急建設の二十五年」から引用

 例によって「今昔マップ」で確認してみると左図の空中写真に野球場が見える。現在は病院になっているようだ。

 電鉄会社の所有する球団が球場を作るのは、その沿線と相場が決まっている。近鉄バファローズなら藤井寺、南海ホークスならなんば、阪急ブレーブスなら西宮、西武ライオンズなら所沢である。東急フライヤーズも後には駒沢に作ったが、なぜ伊東なのか?

 東急ターンパイク伊豆へ でも書いたが、東急は戦後伊豆の開発に大変力を入れていた。その一環としての伊東への投資ということではないだろうか?

 球場わきを通る電車も東急系の伊豆急行である。

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 伊東スタジアムといえば、世間的には、東急フライヤーズのキャンプ地というよりは、ジャイアンツの長嶋監督時代の伊東キャンプが有名なんだろう。

 私は大洋ファンだから、関根監督の時代に始まった伊東秋季キャンプが印象深い。高木豊や屋鋪等のスーパーカートリオは、近藤監督時代に花開く前に関根監督時代に伊東で鍛えられていたのだ。月刊ホエールズで「地獄の秋季キャンプ」の様子を何度も見たものだ。

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 東急フライヤーズの本格フランチャイズとなった駒沢球場と、東京都の関係は上記ではあっさりと書かれているが、実際には東京都と東急のいくつもの癒着(渋谷地下街、砧ゴルフ場等)とあわせて物議をかもしたものである。

 「安井都政の七不思議」って結局どの七つなのか調べてみた。

 

 また、東急フライヤーズ(後に東映フライヤーズに。現:北海道日本ハムファイターズ)のオーナーは、東急五島慶太の自動車道計画の全貌~東急ターンパイクの考察(その2) において、「追放解除後間もなく五島慶太は、大川博東京急行電鉄専務ほか数名を欧米に派遣し、交通事情の視察を行わせた。」と出てくる「大川博」その人である。

 

(参考サイト)

BALLPARK 野球場研究所(カイリューズ様) 伊東スタジアムの頁

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Darts/7539/yakyujosi/chubu/itou.htm

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