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2016年5月14日 (土)

新幹線予算超過の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その2)

 貨物新幹線の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その1)で触れたのだが、元国鉄技術者の長・信州大元教授のウェブサイトから再度引用したい。

 東海道新幹線の計画から開業後の暫くまで、国鉄の責任者・関係者は貨物輸送を真剣に考えていたことは、次のような幾つかの事実から間違いない

(中略)

*貨物列車を引き込むための本線を跨ぐ施設が造られていた。しかも大阪鳥飼の車両基地への貨物引き込み用の構造物は世銀からの借款の調印の昭和36年5月2日から一年後に着工している。もし世銀から融資を受けるためであるならば、予算膨張に悩んでいたので、前項の用地買収を含めてこんなに見え見えの無駄なことはしなかったはずである。

(中略)

 

高橋団吉著「新幹線を走らせた男 国鉄総裁十河信二物語」について 長 尚のホームページ

 総裁の首が飛ぶほど予算が足りないにもかかわらず、「世銀への見せかけ」にすぎない(?)貨物輸送への投資(単に貨物駅の用地買収だけでなく、橋脚全体が貨物の荷重に耐えられる規格なのである。)ができるというこの矛盾。一体、新幹線の予算はどうなっていたのか?

 予算の積み上げの実態から不足に伴う予算改訂の状況についても角本氏は語っている。

二階堂 角本さんが担当されていた営業の資料というのは、この時期に新たにつくられたのか、それとも過去のものを踏襲したんでしようか。

角本 これは、過去のものをそのまま使わなきゃいけなかった。ということは、非常におかしい話ですけ ど、国内は建設開始以前の資料で理解しているわけです。そうすると、1900億円でできると了解している。 実際は、そのときもうインフレがかなり進んでいる。 しかし、過去の数字を変えると国内の信用を失う。それから、国外に対しても過去の数字を変えるわけにいかない。そのために、非常に苦しい説明を島さんと大石さんがしていたと思います。我々は、言われる数字をそのまま説明するということです。

二階堂 世銀に対しては、「こういう計画でやって、 お金がいくらかかって、いくらぐらいあなたのところから借りたい」というような建前にすると思うん ですが、それというのは、今までの計画の数字のなかから算出したわけですね。

角本 1900億あまりでできると言い切っていたわけです。

二階堂 この時点で新たに経理の方と打合せされたりとか、そういうことではなかったわけですね。

角本 この段階では全くありません。ということは、大変おかしい、詐欺行為ですよね。

 

角本良平オーラル・ヒストリー」224頁~225頁から引用

 

 たしかに昭和37年ごろまでは、世銀融資を受けている関係もあり、国際信用上、大幅な予算オーバーを公言しにくいという事情もあった。しかしこのころになると、新幹線建設が膨大な予算不足を抱えていることは、国鉄全体、政府・国会関係者の誰もが知る既成事実であった。

 だから、38年2月、国会の予算審議の場で、経理局経由の最終報告を受けて、十河はこう啖呵を切った。

「全部で2926億円で完成できる。これ以上は要求しない」

 ところが、この39年度予算が成立して間もない4月末日に、「計算し直してみたら、さらに874億円足りない」という情報が新聞にリークされ、国鉄周辺が騒然となる。事実、さらなる工事費不足874億円という報告が十河にも届いた。この十河引責の実弾を届けたのは、新幹線総局長の大石重成であった。

 

新幹線をつくった男 島秀雄物語」髙橋団吉・著 233頁から引用

 この「島秀雄物語」だと、「世銀融資の額に引っ張られて、予算不足がなかなか公言できなかった」という趣旨の書き方だが、角本氏の話によると、既に世銀融資の段階で「もうインフレがかなり進んで」おり、予算オーバーすることは必定で、「1900億でできる」と世銀に説明したこと自体が「詐欺行為」だったと。

 また、予算修正の「計算し直したら再度不足」というのも、そもそも十河信二、島秀雄、大石重成、兼松學の三味線だったのではないかというのである。

 大石氏が「十河引責の実弾を届けた」もなにも、「4人で「小出しで行こう」 と判断したということ」と角本氏は語る。

二階堂 建設の予算の話に移りたいと思うんですが、1962年から63年に工事が本格化して、「当初の1900億では足りないな」ということが、内々にはおそらく気がつかれていたのではないかと思うんです。

角本 内々もない(笑)。みんながわかっていた。 だって、1957年価格で計算したものが、5年たって通用するなんてだれも思わないでしょう。ただし、世界銀行の手前があるという妙なことから、だれもそれを修正しようとはしなかった。それだけのこと です。

二階堂 なるほど。それで、来るところまで来て、まず1962年度の年度末に、まず2900億円に増やすと。 それから、数カ月後にまた1000億円ぐらい増えているんです。これ、「何で一気に3800億にしなかっ たのかな」と思うんですが、どうなんでしようか。

角本 それは、私にもわかりません。ということは、十河信二と島秀雄と大石重成、この3人でしょう。 それで横に兼松さんがいた。これで4人ですか。そういうことでしょう。

二階堂 彼らが何らかの判断を・・・・・・。

角本 何らかの判断をしたと。「小出しで行こう」 と判断したということでしょう。「小出しに行って、 最初乗り切れなかったら、次にもう一つ加える」と、そう彼らは判断していたんだと思います。

二階堂 やはり予算を1000億円ずつ増やすというのは、それなりに大変な作業を伴うものなんでしょうか。

角本 作業としては大したことない。「政治的に説明するのが骨が折れるかどうか」ということで判断したと思います。

二階堂 国会で予算を通すとか、それはかなり面倒なことは面倒なわけですよね。

角本 大蔵省の担当官の能力じやないんでしょう か。おそらく大蔵省が積極的な人で、理解力があれば一気にやれたはずです。 1900億で足りるわけがないどころか、5年前の単価で決めていることを、当時の物価上昇を考えたら 足りるわけないですよ。だから、だれが考えても足りるわけがない計算を、表向きもっともらしくやっ ていると。大変不思議なんですよ。

二階堂 遠藤さんがなさった最初の計算は、調査会に短期間のうちに出さなければいけなかった。それは、その当時できることとしてはかなり最大限のところまでやって、ある意味、それはそれで正確だったと、こういうようなお話を前回同いました。

角本 非常に正確です。ということは、最初は57年価格でしよう。当時の人件費と物価の上昇を考えてそれを掛ければ、最後は当然倍になるわけですよ。実際3800億ですから、ちょうど倍になっていますでしよう。逆に言いますと、57年の遠藤鐵二・大石重成の計算は非常に正しかった。恐るべ く正しかった

二階堂 物価の上昇なり、人件費の上昇以外にも、 土地が高くなったりとかもあったようですし、線路を高架にしたり、そういう要求が続出して、その分予想外の事態、不可抗力もあったと角本さんの著書に書かれているわけですね。

角本 それは、当然、加えなければいけません。 不可抗力でしよう。それから、私が東京駅に入れたということもあります。それは大きいと思います。

二階堂 そういうものは、当初から予想はできないわけですね。

角本 大計画を立てますとき、それをやるとできないと思います。だから、大計画というのは思い切って線を引く。黒板に白墨で大きな線を引く、そういうものだと思います。

二階堂  その線を、当初は2000億というところで 切ったわけですね。

角本 そう。それから、当初は「これ以内でやる」 ということにしておかないと、これはまた無限な要求が始まる。地元から次々物を言われたら、収拾がつかなくなると思います。

二階堂 「足りないんじゃないか」ということで、62年ころから建設のほうでも予算を色々節約しようという動きがあったと聞いています。

角本 それは、随分節約してくれたと思いますし、 逆に言うと頭を決めておいたことが節約効果になった。その意味では、大石重成というのは非常に偉い人だったと思います。大ざっぱに言いますが、彼ははじめ、1957年価格で3800億円と出たのを、半分に切ったんです。当時の土木の計算から言うと、「積み上げ計算を半分に切って、大体工事ができる」と いうのが常識だったと思います。積み上げ計算をする担当者は、それぞれ膨らませて持ってきます。査定するほうは半分に切る。それで大体できる。もちろん物価上昇は別ですよ。これが彼らの常識であって、もしも賃金と物価の上昇がなければ、1900億円でできていたはずなんです。 ところが、どうしたわけか、国鉄当局は十河さんを援護しなかった。大石重成を援護しなかった。島さんも援護しなかった。ですから、私が申し上げたような説明を私自身がすればよかったんだけど、それは越権行為になりますから、私もできなかった。 非常に残念なことです。

二階堂 このとき、建設費がどんどん増えて問題になって、1963年の5月に十河さん、島さん、大石さんが辞任されますよね。そのときの報告書、正式な名前は『東海道新幹線工事費不足問題特別監查報告書」というものが出ています。

角本 その責任者はだれだったですか。

二階堂  事務局は監察局になっているわけです。それをちょっと読んで私が驚いたのは、大石さんへの個人攻撃がかなり露骨に書いてあるんです。

角本 そうなんです。ですから、そのときの監査を目のある人がやっていたら、「上がったほうが正しかった、査定したほうも正しかった」となるはずです。物価の上昇というのは責任の外でしょう。ですから、「地価と物価の上昇を除けば、当初の査定が正しかったと」いう答えを出すべきだったんです。 それをなぜ出さなかったか。査定したほうに意地悪があったか、能力不足があったか、どちらかでしょう

二階堂 そこまで激しく大石さんの独断専行ぶりを批判する理由は、新幹線総局という体制に問題があって、彼が理事として全権を持っていたことが諸悪の根源だと、このような論法になっているわけです。

角本 諸悪ではないんです。当たり前に査定して、当たり前に物価並みに工事費が上がっただけなんで す。ですから、何も諸悪はなかった。そう言うべきだった。あの監査報告書は、 大石さんを目のかたきにした。あるいは「十河憎し」 という人たちがいた。そして、この監査報告書を認め たのが石田禮助であるかどうかなんです。

二階堂  この調査をはじめるときの監査委員長は石田さんのはずですよね。

角本 でしょう。そうすると、石田禮助というのはいかに悪者か、ということです。後世、石田禮助を褒める本ばかりが出ている。大変おかしいと思いますよ。

二階堂 このあと、吾孫子豊さんに代わって、副総裁には磯崎さんがなっているわけですが・・・・・・。

角本 磯崎さんは、「アンチ十河」の代表です。 計画決定前、自分は東海道新幹線に反対しているわけでしょう。それで、東海道新幹線という国鉄の功績が自分の枠外で出てしまっている。それに対する恨みというのは最後まであった。それで自分は、今度は山陽新幹線をつくるわけでしょう。それで大赤字の原因をつくっているということ。

二階堂 磯崎さんが新幹線にあまりいい思いをされていないというのは、角本さんは具体的にどういうところで感じられたんですか。

角本 どういうところというよりも、磯崎さんが 新幹線に反対であって、あるいは磯崎さん個人より も、当時の営業局が反対であったということは、57年の段階からはっきりしていたわけです。だから、 遠藤鐵二は非常に微妙な立場だったと思います。遠藤と磯崎は2年違いで仲が良かったということです けど、仕事上は意見が対立したという格好になっているわけです。

二階堂 このとき、瀧山さんも理事におられるわけです。

角本 これは一言で言うと、「どうにもならない人だった」ということです。

二階堂 瀧山さんは、新幹線計画についてどう思っていたんでしようか。

角本 絶対反対。瀧山さんがなぜ在来線増強にこだわったかというと、瀧山さんは審議室にいて1957年からたしか審議室長になったでしよう。それで在来線増強計画を立てていた。そこへ降って湧いたように新幹線がかぶさってきた。そのとき、磯崎さんと瀧山さんは転進できないんですよ。これは石頭と言うしかしょうがない。国鉄で石頭でない人は、菅さんだけ。ほかは皆、石頭 (笑)。

二階堂 では、瀧山さんは、十河さんに対してもある意味・・・・・・。

角本  絶対反対。だから、瀧山・磯崎は「アンチ十河」の2人ですよ。

 

「角本良平オーラル・ヒストリー」240頁~242頁から引用

 ここで冒頭の元国鉄技術者の長・信州大元教授の問いかけを振り返りたい。

 「貨物が見せかけならば、ただでさえ資金不足なのに貨物駅に投資するわけないだろう」という長氏の問いかけに対して「予算不足は最初からわかっていたことで、予算改定も小出しにして行けると思っていたからこそ貨物への投資もできたということなのではないだろうか?

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