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2016年11月12日 (土)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

 西武新宿駅開業を知らせる1952(昭和27)年3月8日付読売新聞には「2年後に予定されている国電新宿駅の大改造を見越して当分新宿終点は仮駅とし将来は国電駅と直結する」とある。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (64)

 実際に新宿駅東口の「大改造」(新宿ステーションビル(後にマイシティ→ルミネエスト)の開業)が果たされたのは、2年後どころか12年後の1964(昭和39)年なのである。

 なぜこんなに時間がかかったのか?そこには高島屋、伊勢丹、西武に地元商店がからんだ利権ドロドロの争いがあったためである。1955(昭和30)年8月27日付朝日新聞に高島屋の新宿駅進出が報じられている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (67)

 現在、新宿高島屋といえば、新宿駅新南口の貨物駅跡地のタイムズスクエアにあるが、戦後直後には、新宿駅東口駅ビルへの進出を企んだのである。

 当時の国鉄は戦災復興や需要の急増に対応するための駅舎の改築が急務であったが資金が不足しているため「民衆駅」という形で民間資金を導入して駅舎の増改築を行っていたものであり、その制度を使って高島屋の資本を入れて新宿駅東口駅舎を改築して駅ビルにしようとしたものだ。

 これに対して地元商店が反対運動を起こした。1955(昭和30)年9月12日付朝日新聞は下記のように報じている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (69)

 ここに、地元新宿の伊勢丹や新宿進出を狙う西武がからんできたのである。ここの紆余曲折は非常にややこしく、それだけでも本が書けるくらいなのであるが、ここでは結果だけを書いておこう。

 1959(昭和34)年11月24日付の「新宿ステーションビル役員会社長挨拶」にステーションビル設立の経緯が述べられている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (46)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (47)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (48)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (49)

 発起人は以下にも続いているが省略した。

 なお、ここで出てくる「井野硯哉」氏は、ルミネエスト地下1階の「ベルク」の井野朋也店長の祖父にあたる。大資本に対抗する地元中小商店の代表としての位置づけである。ベルクが大資本のJR東日本からの追い出しに抵抗したところも踏まえると興味深い。

 決議事項1の赤線部分にもあるが、高島屋、伊勢丹、西武、地元資本等が「均等」に出資することになったところがミソである。

 また、決議事項4の「資本の異動についてはあらかじめ日本国有鉄道に協議すること。」とあるがこれを守らなかった者がいる。西武である。後に新宿ステーションビル乗っ取りを画策した堤清二は水面下に「均等を分かつ」ことを破ろうとしたのだ。

 早大にある別の資料でも経緯を追うことができるので見てみよう。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (52)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (53)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (50)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (51)

 高島屋を排除し、地元商店街の権益を守るため、新宿ステーションビルは百貨店形式をとらず、地元中小企業を圧迫しないこととなった。マイシティ時代の店舗が駅ビルにしては小規模な地元名店街の集合体の域を越えなかったのは、当時の「三原則」に沿ったためである。

 ベルクの井野店長はこのように、今でも新宿ステーションビルの「三原則」を引用している。(残念ながら、新宿駅が日本最初の駅ビルではないのだが。)

 

 ところで「日本の私鉄 西武鉄道」広岡友紀・著(毎日新聞社・刊)に以下のような記述がある。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (13)

 「西武は、伊勢丹の池袋出店との引き換えに高島屋の駅ビル建設に反対したため、西武線の新宿駅ビルへの乗り入れができなくなった。」という主張である。

 しかし、これは事実に反する。確かに高島屋の駅ビル建設には反対したが、上記資料のように最終的には高島屋、伊勢丹、西武が均等に駅ビルに出資し、駅ビル会社の副社長には西武鉄道の小島正治郎社長を送り込んでいるのである。

 当時の記事(「財界」1959(昭和34)年9月号)を見てみよう。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (6)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (15)

 西武と伊勢丹が「不可侵条約」を結んだことは書いてあるが「西武は新宿に電車を乗り入れても建物そのものに手を出さない」とある。広岡友紀氏は、西武関係ではいわく有り気な発言を度々しているが、西武線乗り入れに係る主張は失当であると言えるのではないか。

 また、上記のようにベルクの店長が西武駅施設着工のための準備工事が地下で行われていたことをツイートしていることからも広岡友紀氏の主張が失当であることをうかがわせるものである。

 他方、広岡友紀氏の言うように、百貨店同士の「不可侵条約」が主眼となっているのであれば、西武からの出資は「西武鉄道」ではなく、「西武百貨店」でなければならない。しかし実際に新宿ステーションビルに出資したのは「西武鉄道」であり、西武鉄道社長の小島正治郎氏が新宿ステーションビルの副社長に就任しているのである。これは西武鉄道乗り入れを主眼とした出資ということと考えられるのではないか?(西武鉄道の新宿ステーションビル乗り入れ後に西武百貨店に名義が変わっている点もそれを裏付けると思われる。)

 なお、「財界」にあるように西武は建物そのものに手を出さないはずだったのだが、実際には新宿ステーションビルの共有株主である国鉄の民営化のゴタゴタに乗じて堤清二氏が「建物そのものに手を出した」のであるがそれはおって紹介したい。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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