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2016年11月13日 (日)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル」で述べたように、高島屋、伊勢丹、西武、地元資本の「三原則」と伊勢丹と西武の「不可侵条約」により、西武は新宿ステーションビルの建物そのものには手を出せないはずだった。ところが、堤清二率いるセゾングループが乗っ取りにかかったのである。

 

 新宿ステーションビル株式会社の株主構成は下記のとおりであった。

財団法人鉄道弘済会

高島屋

伊勢丹

西武鉄道(のちに西武百貨店)   各10万株(各16.7%)

丸正食品 飯塚正司 8万5千8百株(14.3%)

濱野茂(東京都議会議員) 8万株(13.3%)

井野硯哉(参議院議員・ステーションビル初代社長・ベルク井野店長の祖父) 2万株(3.3%)

内田道治(東京都議会議員) 1万株(1.7%)

その他 4千2百株(0.7%)

 そして国鉄関係4人と伊勢丹、高島屋、西武、丸正、濱野、井野から一人ずつの取締役を出していた。土地と建物は国鉄のものであるから国鉄主導の経営であった。

 ところで1987(昭和62)年の国鉄民営化にあたり、今までかかっていなかった固定資産税等がかかるようになり、それをテナントの家賃に反映させなければならない(4倍近い家賃値上げをJR側が迫ったといわれる。)ということで、JR側とテナント側に不協和音が響くようになった。

 そこをついて1988(昭和63)年に西武百貨店(セゾングループ)堤清二は上記のパワーバランスを崩しにかかったのである。濱野一郎ステーションビル社長(当時)を篭絡にかかり、井野が所有していた2万株も入手した(井野氏が選挙資金の応援を受けるカタに堤氏に株を預けたものだという。ベルクの井野店長はツイッターで「井野家と堤家は家族ぐるみの付き合いだった」旨ツイートしている。)。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (14)

(「月刊経営塾」1991年6月号「完全に城を明け渡した新宿ステーションビル・・・・・・敗戦処理に入った堤・セゾン」148頁から引用)

 西武は、JRと家賃値上げに抵抗するテナント側の紛糾に乗じ、株主構成のパワーバランスを崩し、新宿ステーションビルの実権を握ろうとしたのである。

 1989(平成元)年には、西武はJRにステーションビルの社長交代(反JR派への交代)や役員増員などを要求し、6月の臨時取締役会で西武百貨店からステーションビルへ人材を送り込み「マイシティは西武百貨店の植民地と化している」と言われた。しかしJR側も巻き返し、翌1990(平成2)年6月には西武系役員は退陣するに至った。

 1991(平成3)年3月には、第三者割当増資が行われ、JR東日本がステーションビルの株式の51%を抑え、筆頭株主となった。ここに20数年にわたる「三すくみ」は解消されたのである。

 「マイシティ」から「ルミネエスト」になったのは名称だけでなく、国鉄、3百貨店、地元の共同運営からJRの子会社へ経営体制が変わったということを意味する。

 時あたかも、同年1月には堤清二はセゾングループ代表等からの引退を表明したのである。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (8)

(この項は「月刊経営塾」1991年6月号「完全に城を明け渡した新宿ステーションビル・・・・・・敗戦処理に入った堤・セゾン」及び「月刊宝石」1991年9月号「仮面の経営者・堤清二<第7弾!>新宿ステーションビルから追放された日」林一仁・著 を参考にした。)

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

 一旦終わった後に、その後ネタを追記

(番外編)「東京 消えた! 鉄道計画」中村建治(著)が怪しい

(16)西武新宿駅を大江戸線新宿西口駅に直結させる計画が1982年にあった

(17) 西武新宿駅は、元々地下鉄乗換えを考慮して地下に設置する構想だった

(18) 新宿ステーションビルの店舗募集資料から西武線のホームと吹き抜けの関係を確認してみる

(19)西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。

(20)西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。(その2)

(21)思いもつかないところから西武線新宿駅乗入れのカラー想像図が

(22)都庁幹部が語る西武乗り入れ中止の背景

(23)構想以来65年ぶりに西武新宿駅と新宿駅を結ぶ地下道が実現に向けて動き出した

(24)西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れ撤退の理由が書かれた公文書

(25)「ステイション新宿」をそのまま一次資料として丸呑みしては危険

(26)交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい

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コメント

いくら西武に乗っ取られそうになったからと言っても、ルミネに伊勢丹が株をあっさり渡してしまうことはあるのだろうか。何かしらの条件があったような気がする。新南口に出来たNEWoManだが、既にJRが立ち上げていたグランデュオでも良かったはず。近年のJR東日本が駅ビルブランドを絞る方針から見るに、その流れに逆行することをわざわざしている。としたら、JRが新宿周辺に百貨店を出店しないことを条件に株を渡したのではないだろうか。ジェイアール名古屋タカシマヤやJR京都伊勢丹、JR大阪三越伊勢丹のように、新宿高島屋にJR東日本が参加しなかったことにも説明がつく(大丸東京店の例もあるが、JR誕生以前から大丸があったことから、JRが資本参加しないのは自然)。

投稿: イーストボイド | 2023年3月 7日 (火) 10時49分

イーストボイド様

返信遅れてすいません。

ご指摘のとおり、伊勢丹があっさり株を返上したのは不思議ですね。西武の動きばかり気にしていて伊勢丹の動きはノーマークでした。
また気にして資料を漁ってみたいと思います。

投稿: 革洋同 | 2023年4月23日 (日) 09時43分

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