上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみる
「やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?」 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.htmlがえらいアクセスを頂戴した。ありがとうございます。変人窟さんにもリンクいただいたし。(何年ぶりかなあ)
ところで、新宿駅だけではなくて、新宿-大宮間ルートの経緯についても整理してみたい。
というのは、この件を調べていると、川島某とか川島冷蔵庫とかwikipediaとかyahoo!知恵袋とかのウソがはびこっていて、デタラメだし、ネットでも「用地はほとんど買収済です」「プロ市民の妨害で用地交渉が頓挫しています」とか矛盾する話がいっぱい出回っているので、「よっしゃここは俺が整理してやろうじゃないか」と頑張ってみたわけである。
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まずもって、基本的なところを
これは「上越新幹線工事誌(大宮新潟間)」日本鉄道建設公団東京新幹線建設局・編からの引用である。
「東京(新宿)・大宮間の線路の建設については、別途工事実施計画を提出することとした。」とある。つまり、当該区間は他の区間とは異なり、まだ工事実施計画が提出されていないということである。
では「工事実施計画」とはなんぞやということになるが、同書から同じく引用してみると下記のとおりである。
「線路の位置」「停車場の位置」「工事予算」等が工事実施計画で決められるということである。ということは、これが決められていない上越新幹線の東京(新宿)-大宮間は、「線路の位置」「停車場の位置」「工事予算」も何にも決まっていないのである。
(この辺は、行政法を勉強した方は、処分性のとこで出てくる必須判例である「成田新幹線工事実施計画認可取消請求訴訟を思い出すことであろう。http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/154/018154_hanrei.pdf)
私が以前UPした図面のように、当然事務方の腹案はあるだろうが、日本の法律上の手続きでオーソライズされたものは一切無いのである。よって「上越新幹線の東京(新宿)-大宮間は〇〇だ」と断言しているものは、(私のブログも含めてw)ことごとく眉唾で見る必要がある。ルートも予算も決まっていないので用地買収もできないし、反対派のせいで買収が頓挫することもありえない(他の工事の際に空けて待っておくくらいはできるだろうが)。もちろん川島本等は論外である。
ちなみに、本稿を書くにあたって「上越新幹線工事誌(大宮新潟間)」「上越新幹線工事誌(大宮水上間)」「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」に目をとおしたが、新宿-大宮間の具体的なルートに言及したものは一切なかった。冒頭でご紹介した一文が全てである。(ただし、部分的にそれらしいものがチラチラ見えたりするのでそれはおってご紹介したい。)
ということで、上越新幹線新宿-大宮間のルート経緯をたどるには、新聞や業界誌等に断片的に見え隠れするものをチマチマと積み上げていく(ないものはないと言う)のが誠実な方法であろう。よってその成果をひたすらダラダラとご紹介していきたい。
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1970(昭和45)年5月18日 全国新幹線鉄道整備法制定
1971(昭和46)年1月13日 鉄道建設審議会が東北、上越、成田新幹線を基本計画に定めることを答申
1971(昭和46)年1月18日 運輸大臣が基本計画を告示
「起点 東京都」と定められているのが分かる。「上越新幹線の法律上の起点は新宿だ」としったかぶりをする方が見られるが、「東京都」までしか定められていない。新宿までは言及していない。もっとも全国新幹線鉄道整備法では(別表で全国の高速道路の路線を定めた国土開発幹線自動車道建設法とは異なり)一切路線を法律のなかでは定めていないので、「法律上は何も決まっていない」というべきかもしれないが。
1971(昭和46)年1月19日 運輸大臣が国鉄及び日本鉄道建設公団に調査を指示
1971(昭和46)年1月30日 国鉄及び日本鉄道建設公団が調査報告書提出
上越新幹線の調査報告書が埼玉県立図書館にあるようなのでご関心のある方はどうぞ(私はそこまでやる気が起きないので他力本願・・・。)
1971(昭和46)年4月1日 運輸大臣が整備計画決定。国鉄と公団に対して建設を指示。
ここまで、私が調べた範囲では、新宿うんぬんということは出てこないようだ。
1971(昭和46)年6月15日 東京都知事から国鉄総裁へ協議「国鉄新幹線の東京乗り入れについて」
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.htmlでご紹介したもので、出典は国鉄の「新宿駅貨物敷活用基本構想」である。
1971(昭和46)年6月25日 読売新聞夕刊「東北-上越-成田 三新幹線 加熱、ターミナル誘致合戦」
「停車場の位置」は工事実施計画で定められると上述したとおりであるが、工事実施計画の策定を前に、東京都内では、東京、上野、新宿、池袋、田端等が候補地とされて、ターミナル誘致の陳情合戦が繰り広げられたようである。上記の読売新聞記事はそれを記録するひとつである。
1971(昭和46)年9月15日 読売新聞「新宿から「上越」新幹線 国鉄、鉄建公団の最終構想」
陳情合戦のなかからターミナルに東京と新宿が選ばれたとの記事である。尤も「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲」高松良晴・著 111頁では、基本計画の段階で新宿を想定していたかのような書きぶりではある。
問題は着工時期だが、現在、鉄建公団が建設中のいわゆる外環状線(武蔵野線、小金線、京葉線の一部をつなぎ東京外周をぐるり取り巻く新線)が、52年に全線開通すると、新宿を含め、いまの国電山手線に並行する山手貨物線はすべて外環状線経由となり、山手貨物線が不要となる。新幹線はそのあとを利用する計画で、国鉄、鉄建公団では当面、東京駅のホーム増設工事を先行させ新宿ターミナルは外環状線工事の進行状況とにらみ合わせて建設準備を進め東京駅より2、3年遅れの着工となりそうだ。
国鉄、鉄建公団では、51年の開通当初は東北、上越両線を東京駅から大宮駅付近まで併用とし、新宿駅完成後に東北新幹線は東京駅、上越新幹線は新宿駅に分離したい考え。東京駅を出た列車は、高架から秋葉原付近でいったん地下にもぐり、田端付近でカオを出すが、分離後の上越新幹線は、この田端を分岐点に、山手貨物線あとをたどり新宿駅と結ばれる。さらに新宿から山手貨物線あとを延長し大崎付近で東海道新幹線と直通させる計画も出ている。
読売新聞1971(昭和46)年9月15日朝刊
田端分岐で山手貨物線を使うとは書いてあるが、田端以北のルートについては言及していない。また、東海道新幹線への直通計画に言及していることも興味深い。
1971(昭和46)年9月20日 朝日新聞「将来、上越は新宿移転」
東京のターミナル構想には当初、上野、池袋などもあがり、盛んな誘致運動も行われたが、新幹線ホームをつくるスペースが不足などの理由から”脱落”した。
(略)
当初東京駅にはいる上越新幹線を将来新宿駅へ移すのは、武蔵野線など東京の外をとりまく貨物線が昭和52年に完成すると、いまの山手貨物線、新宿貨物駅の転用ができ、さらに田端から新宿まで東北新幹線と分かれて山手貨物線ルートで上越新幹線をいれることもできる、東北新幹線の新宿乗り入れや大崎付近から東海道新幹線との直結もできる、などの点からである。当面は上越新幹線の需要増が見込まれる段階で新宿ターミナル構想の具体化を検討する方針だが、こんどの認可申請のさい、口頭あるいは文書で運輸省にこの構想を説明する。
朝日新聞1971(昭和46)年9月20日朝刊
概ね、先行した読売の報道を裏付ける形となっている。
1971(昭和46)年10月12日 東北新幹線・上越新幹線工事実施計画その1認可申請
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.htmlでご紹介したもので、出典は国鉄の「新宿駅貨物敷活用基本構想」である。
上記の朝日新聞記事で「こんどの認可申請のさい、口頭あるいは文書で運輸省にこの構想を説明する。」とあるが、実施計画の参考別紙という形になったようだ。ちなみに冒頭の鉄道建設公団の上越新幹線工事誌と同じ文のようである。
1971(昭和46)年10月14日 東北新幹線・上越新幹線工事実施計画その1認可
東北新幹線 | 南埼玉トンネルで一部地下 |
上越新幹線 | 未公表(工事実施計画なし) |
通勤別線(埼京線) | なし(東北貨物線?) |
都市施設用地 (環境施設帯) |
なし(側道4mのみ) |
1971(昭和46)年11月13日 国鉄総裁から都知事へ回答「東京と新宿に設置」
鉄道建設公団が運輸省に説明した内容と同趣旨を国鉄が東京都に回答しているということか。
1972(昭和47)年3月 土木施工1972年3月号「上越新幹線の建設計画について」植月躋(日本鉄道建設公団新幹線部新幹線第一課長)
建設業界誌に鉄道建設公団の課長が工事概要の報文を執筆している。その中で
と、大宮駅で分岐する上越新幹線ルートを示している。また、「東京発新潟行と新宿発盛岡行に支障がないよう」と書いてあることから、東北新幹線の新宿始発も想定していたことが伺える。(東海道新幹線との東京駅でのホームの取り合いについてもわかる。)
1972(昭和47)年4月24日 参議院 予算委員会第三分科会
国鉄理事の長浜正雄氏が、「上越新幹線につきましては、新宿のターミナルを考え、将来は東海道とも接続できるようにしようという計画を進めている」と答弁している。新宿までのルートについては触れられていない。
1972(昭和47)年6月29日 北陸新幹線の基本計画告示
1972(昭和47)年6月9日 参議院 運輸委員会
国鉄理事の長浜正雄氏が、「将来新宿のほうに入れるということになりますると、この山手貨物線のあきました用地を活用していこう」と武蔵野線開通後の山手貨物線を活用して上越新幹線の新宿乗り入れを図りたいと答弁している。山手貨物線と大宮をどうつなぐかについては触れられていない。
1973(昭和48)年3月10日 佐藤運輸政務次官が、畑埼玉県知事と小林東京北区区長に対して、東北、上越、北陸の三新幹線の運輸省案路線計画を提示
当初、東北新幹線の埼玉県内は、南埼玉トンネルで一部地下化するものであった。それに対して、埼玉、東京の沿線自治体が全線地下化を要望にいったところ、逆に運輸省は、東北新幹線の全線高架化、通勤別線(埼京線)の併設、上越・北陸新幹線の東北貨物線敷地活用を提示した。これにより自治体、沿線住民は硬化し、更に反対が強まるきっかけとなったものである。
反対運動についてはここで詳細を述べる余裕はないが、本稿としては、上越新幹線の大宮以南のルートが初めて東北貨物線敷地として公表されたところが重要である。
通勤別線(埼京線)が上越新幹線の計画地を転用したというのは少なくとも表向きは事実ではない。
この時点まで上越新幹線の大宮以南ルートは公になっていない(はず。)。事務方では当然いろいろあっただろうが。
また、この段階では、環境施設帯(都市施設用地)は予定されていない。東北新幹線+通勤別線(埼京線)+4m幅の側道の計画である。環境施設帯(都市施設用地)はこの後昭和50年代に地元との交渉の中で着地点として出てきたものである。つまり、東北新幹線+上越新幹線+埼京線の3複線の用地幅の計画なんてものはハナから存在しないのである。
同様に、東北新幹線と並走して高架を走る上越新幹線の計画も存在しなかった(上越新幹線の初出が既に東北貨物線)なので、本来複々線で上越新幹線を作るはずの用地を譲って埼京線が出来たという話も極めて怪しい。
東北新幹線 | 全線高架 |
上越新幹線 | 東北貨物線(工事実施計画なし) |
通勤別線(埼京線) | 東北新幹線に並行 |
都市施設用地 (環境施設帯) |
なし(側道4mのみ) |
以下に関連する報道を紹介する。
1973(昭和48)年3月11日 朝日新聞 「上越・北陸新幹線 新宿乗入れに見通し」
上越・北陸両新幹線
新宿乗入れに見通し 運輸省
運輸省は10日、埼玉県の畑知事、東京都北区の小林区長が東北、上越、北陸各新幹線の建設について地元側の希望を陳情したのに対し①48年度中に着工ずる北陸新幹線の大宮以南は、原則として上越新幹線の線路と共用、新宿を始発駅とする②東北新幹線と並行して赤羽ー大営間に通勤新線を建設し、現在の赤羽線と結ぶ③赤羽駅はすべて高架にする、などの構想を明らかにした。
運輸省が上越、北陸新幹線の新宿乗り入れの可能性をはっきり述べたのは初めて。すでに発表されている東北、上越新幹線の工事計画によると、52年4月の開業後10年ほどは、どちらも東京駅を始発都市、東京-大宮間は複線の線路を共用し、大宮北方の埼玉県北足立郡伊奈町で分岐することになっていた。
その後、47年6月、北陸新幹線の基本計画が決り、48年度に着工、53年度松までに完成をめざして建設されることになったので、東京-大宮間は複線では無理なため、この区間の複々線化について検討していた。
その結果、48年4月、武蔵野線が開通するのを機会に東北線の貨物線、山手貨物線がいらなくなるので、その敷地を利用して大宮-赤羽-新宿間に上越、北陸新幹線を乗入れることができると考えた。(略)
この計画では上越新幹線ははじめ東京始発、その後新宿始発とする計画だったのが、開業時から新宿始発ができる見通しが強まった。
一方、東北、上越新幹線は46年11月着工、51年度中に完成し、52年4月から開業する方針。工事計画によると東京-秋葉原(高架)、秋葉原-日暮里(地下)、日暮里-戸田(高架)、戸田-浦和-与野(地下)、与野-大宮(高架)となっている。埼玉県と東京・北区の陳情は、これを全線地下にしてほしいというもの。
これに対して、運輸省は荒川両岸の地域は10年間に1メートルの地盤沈下があり、地下にするのは技術的に困難なので、工事計画を変更して日暮里-大宮間は全線高架にしたいと強調。さらに地元側でそれを了承してもらえれば、通勤用の電車新線を建設してもよい、との構想を明らかにした。
この計画は、大宮または伊奈-赤羽間の約18キロを東北新幹線と並行して現在線の西5キロのところを高架で走り、赤羽から池袋までの赤羽線とつなごうというもの。赤羽-池袋間は将来、複々線にすることも計画している。
(略)
朝日新聞1973(昭和48)年3月11日朝刊
1973(昭和48)年3月11日 読売新聞「東北上越新幹線 首都圏ルートで新提案」
記事の内容は上記の朝日と同様であるが、北陸・上越新幹線の新宿延伸に係る部分を紹介する。
地図の東北本線沿いに「上越・北陸新幹線」と明記してある。実は貴重品である。以前の記事と違い田端分岐ではなく、赤羽分岐で赤羽線沿いに見える。どこまで意図しているのか(よくわからないからたまたま既存の路線に沿って描いただけなのか、赤羽線沿いとする明確な意図があったのかはこの記事では分からない。)
1973(昭和48)年4月1日 武蔵野線 府中本町~新松戸開通
貨物関係の施設の完成はもう少し後になるのだが、東北貨物線及び山手貨物線の活用の前提条件はある程度整ったことになる。
1973(昭和48)年4月12日 衆議院交通安全特別委員会
3月10日の運輸省と地元自治体との折衝を受けての答弁がなされている。ここでは、「3月7日の国会答弁では、武蔵野線が出来たら空いた東北貨物線は通勤用の新線に使うとしているのに、3月10日には東北貨物線は上越新幹線に転用すると地元に回答したのは何故か」ということを問うているのだが明確な答弁はなされていない。
地質状況のあらましは当初から予測できたのではないか。では、どうして最初に地下ルートと決めたのか。また、どうしてすぐに通勤別線併設の話が出てきたのか。その経緯を示す資料は見当たらない。
「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲」高松良晴・著 128頁
1973(昭和48)年7月12日 参議院 運輸委員会
国鉄の内田理事の答弁では、「工事認可当時は相当開業が先と思われていた北陸新幹線の建設が具体化してきたことに伴い、1本では不足するのでもう1本を東北貨物線を通すこととした」とされている。
1973(昭和48)年9月4日 参議院 運輸委員会
(中略)
磯崎国鉄総裁がいわゆる「大新宿構想」に触れたものである。
かつての「大新宿構想」とはなんぞやというと、1972・73(昭和47・48)年に、建設省と運輸省において国土総合開発事業調整費による大規模プロジェクト推進のための調査として「新宿副都心総合整備計画調査」を実施した成果であり、上越新幹線、地下鉄12号線(大江戸線)、13号線(副都心線)等の新しい交通網や淀橋浄水場跡地の副都心開発等を織り込んだものと言ってよいだろう。
1974(昭和49)年4月8日 参議院 予算委員会第三分科会
運輸省の秋富鉄道監督局長が中央新幹線新宿駅について答弁している。
1975(昭和50)年5月 「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」
著者は、国鉄東京第三工事局調査課の市川政治氏と中山秀雄氏。
といった図面等は掲載されているが、大宮方面への具体的なルートは掲載されていない。
1975(昭和50)年4・5月 「交通技術」1975年4・5月号「新宿副都心総合整備計画の概要 その1・その2」
大新宿駅構想の解説文である。
このような断面図等は掲載されているが、大宮方面への具体的なルートは掲載されていない。
1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」
著者は、西田博氏(国鉄新幹線建設局企画課)及び草間一氏(日本鉄道建設公団新幹線部新幹線第一課)である。
ここには、東北新幹線単独のルートと、東北新幹線と上越新幹線が分離されたルートが比較できる図が掲載されている。
武蔵野線に東北貨物線が移行後、もう1ルートの新幹線に充当することを考えているとある。1973(昭和48)年3月に運輸省が地元自治体に提示したルートの考えに係る報道と同旨である。
「大宮以南のルート略図」では赤羽駅で分岐しているが、赤羽線とは微妙に離隔をとった矢印となっている。赤羽駅以南は未定(もしくは業界誌でも掲載できないレベル)ということであろうか。
大宮駅で上越新幹線が分岐している。これは土木施工1972年3月号「上越新幹線の建設計画について」に掲載されている配線図と同旨である。ところで、この配線図では上越新幹線は図面上方(西側)に分岐しているが、「大宮以南のルート略図」では東側に分岐しており、私の頭の中ではうまく整理できない。
1977(昭和52)年10月4日、5日 「第28回停車場技術講演会」「高崎、東北線」
「停車場技術講演会」というのは、国鉄の停車場関係者が集まった社内研究発表会のようなものだと推測しているのだがその中で「線区整備計画」というテーマがあり「高崎、東北線」について三行俊城氏(国鉄東京第三工事局調査課)が報告をしている。
テーマの本題は、輸送力が限界に達している東北・高崎線の将来整備計画であるが、そのなかで「東北貨物線を利用した在来線の輸送力増強を検討しているが、将来的には新幹線に転用するので、いつまでも貨物線をアテにできない」という経緯で新幹線の将来計画が掲載されている。
1973(昭和48)年段階では上越新幹線新宿-大宮間がいまにも工事が始まりそうな勢いだったが、オイルショック等を挟んで後退したのだろうか??
「通勤別線(埼京線)の複々線化の検討しておく必要がある」としてある。1973(昭和48)年3月11日の朝日新聞にも同旨の記事が書いてあるのは興味深い。国鉄は大宮~赤羽間の東北新幹線横に、上越新幹線用の複線の土地を考慮するのではなく、埼京線用の複々線化用の土地を検討していたわけだ。
ところで、この「図-12 新幹線ルート計画変更案」だが、「旧計画(昭和46年10月実施計画認可)」に「新幹線A」「新幹線B」が並走して南埼玉トンネルを走っているように見える。他方、「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」の「図-2 大宮以南のルート略図」の現計画では、新幹線Bに該当する路線は描かれていない。また「新計画」の赤羽以南の描きかたも「交通技術」1976年1月号とは違い、赤羽線に密着しているように見える。
世間への公表ベースでは、上越新幹線の大宮以南のルートは、1973(昭和48)年3月10日の、佐藤運輸政務次官が、畑埼玉県知事と小林東京北区区長に対して、東北、上越、北陸の三新幹線の運輸省案路線計画を提示した段階が初登場のはずなのだが、それ以前に国鉄内部では、新幹線Bルートとして上越新幹線ルートが内定していたというのだろうか??
他方、当初から上越新幹線は東北貨物線を想定していたとする資料もある。
基本計画策定時、大宮から東京都心へ、二つの新幹線ルートが考えられた。それを、当時、第一新幹線・第二新幹線ルート、もしくは、A幹線・B幹線ルートとも呼んだ。その一つが東京駅に向けてであり、もう一つが新宿駅に向けてであった。ともに「起点東京都」である。
当時在来線の東北・上越・京浜東北からの東京都心への通勤定期客の赤羽駅での流動は、上野方面3に対して池袋方面1であった。このような実績を踏まえ、まずは東京駅ルート(A幹線)が選択された。
輸送需要から、開業当初から当分の間は、さしあたり東京・大宮間を共有し、数年後に新宿ターミナルと新宿・大宮間の建設をすることにした、と言われている。
なお、当時から、大宮から赤羽、田端を経て、池袋、新宿さらに渋谷、大崎への山手貨物専用線のルートがあった。現在、湘南ライナーが走っている線路である。大宮から新宿への第2新幹線(B幹線)ルートは、このルートの活用が基本であった。
「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲」高松良晴・著 111頁
高松氏によると、上越新幹線(B幹線)は、基本計画当初から東北貨物線ルートであり、「第28回停車場技術講演会」「高崎、東北線」「図-12 新幹線ルート計画変更案」のような南埼玉トンネルを上越新幹線が通ることはなかったことになる。
このあたりの経緯が分かる一次資料があれば是非ご教示いただきたい。
1976(昭和51)年12月 「第27回停車場技術講演会」「新宿駅将来計画」
記事の内容から、あえて順番を逆にしてしまったが、この石倉勝美氏(国鉄東京第三工事局調査課補佐)の報文では、新宿駅の上越新幹線ホーム平面図が掲載されている。
詳細は、大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlをご覧いただきたいが、新宿-大宮間のルートについては触れられていない。
1979(昭和54)年12月7日 戸田、浦和、与野市の各市議会で条件付賛成を可決
20mの都市施設用地を国鉄が自治体の代わりに先行買収すること等を条件に地元自治体の議会が東北新幹線の受け入れを決定した。上越新幹線ルートについては触れられていない。
1980(昭和55)年1月12日 荒川-大宮間のルート変更に係る工事実施計画変更(その4)認可
東北新幹線 | 全線高架 |
上越新幹線 | 東北貨物線(工事実施計画なし) |
通勤別線(埼京線) | 東北新幹線に並行 |
都市施設用地 (環境施設帯) |
20m (自治体に売却前提で国鉄が買収) |
1982(昭和57)年10月21、22日 「第33回停車場技術講演会」「赤羽駅改良」
いろいろな国鉄内部資料を知ることができ停車場技術講演会記録に赤羽駅の報文が掲載されていると知って、「上越新幹線は赤羽分岐なのか田端分岐なのか」「B幹線は地下なのか地上なのか高架なのか」等が分かる図面が掲載されていることを期待して閲覧したのだが、東北新幹線に係る高架工事については触れていたものの、上越新幹線のB幹線に係る記載は一切無かった。
1983(昭和58)年4月 「新宿駅貨物敷活用基本構想研究委員会」を国鉄に設置
運輸白書に「国鉄用地活用のモデルプロジェクトとして,新宿駅貨物敷等4地区を対象地とする計画検討委員会及び基本構想研究委員会を国鉄に設置し,再開発計画及び開発整備構想の検討を鋭意進めている。」とされているものである。新宿貨物駅をタカシマヤタイムズスクエアやNTTドコモ代々木ビルに切り売りするための検討を開始したわけだ。
1984(昭和59年度)会計検査院決算報告「東北新幹線建設に伴い取得した都市施設用地について」
http://report.jbaudit.go.jp/org/s59/1984-s59-0234-0.htm
川島令三が「ここに上越新幹線の高架線が併設される。(「<図解>新説 全国未完成鉄道路線」141頁)」とする「環境緑道」は、実際には
「その取得に要する費用負担については、将来、関係4市と有償譲渡の協議を行うこととして、国鉄の費用で先行取得することとしたものである。」
「国鉄は、その後、埼京線が60年9月に開業の予定となったことから、同年7月に県南3市内8駅の暫定駅前広場の整備に係る都市施設用地の一部約8,200m2 (都市施設用地全体の3%に相当)について、全体から切り離して有償譲渡することとする協定を締結(価格は61年3月までに決定することとなっている。)しているものの、大部分の都市施設用地約266,800m2 については、その後においても何ら実質的な協議を行うことができない状況のままとなっている。」
上越新幹線用地であれば保有しておけばよいのだが、本来沿線自治体に有償で売却しなければならないので無駄遣いになっていると会計検査院に指摘されているわけだ。新幹線建設用地として手つかずのままにしているわけではないのである。
現在もJR東日本はこれらの土地の売却交渉を続けている。上越新幹線建設のために「荒地のまま放置されている(「<図解>新説 全国未完成鉄道路線」川島令三141頁)」のではなく、売りたくても買ってもらえていないのである。1998(平成10)年度の会計検査院の検査結果によると、売却すべき土地の帳簿価格は1220億4655万余円である。
そんな土地を川島令三が上越新幹線建設用地だと主張する根拠は、「これは、筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている(「<図解>新説 全国未完成鉄道路線」141頁)」という検証不可能なものである。
1985(昭和60)年3月 新宿駅貨物敷活用基本構想研究委員会「新宿駅貨物敷活用基本構想」
上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認するhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.htmlで紹介した図面を含む将来計画(ここから先は処分するよ、ここまでは国鉄(JR)が利用する予定があるよ)について一定の整理をしたものと思われる。最終版ではなさそうだ。
土地の切り売りが主目的であるためか、新宿-大宮間のルートについては触れられていない。
1993(平成5)年6月 JREA1993年6月号「北陸新幹線東京乗り入れに伴う東京駅改良の概要」
1973年頃の話では、北陸新幹線が開通すれば、現在のままでは輸送力が不足するので新宿-大宮間が必要ということだった。
では実際に北陸新幹線が開通する際にはどのように判断されたのか?
見づらくて恐縮だが「北陸新幹線の東京乗り入れは、現在の東北・上越新幹線の線路容量にまだ余裕があることから、高崎~東京駅間は現在の線路を利用することとした」とある。
著者は、池田尚氏(東日本旅客鉄道建設工事部工事課長)及び中井雅彦氏(東日本旅客鉄道東京工事事務所土木第九主任技師)である。JR東日本として、北陸新幹線(少なくとも長野開業までは)では線路容量が賄えるという判断をしているわけだ。
「東海道新幹線と首都高 1964東京オリンピックに始まる50年の軌跡」土木学会
元東京都建設局長の古川公毅氏が、「首都東京の視点から見た東海道新幹線と首都高速道路」を寄稿している。
「東京都はターミナルの分散配置をJR東日本に申し入れた」とある。1971(昭和46)年11月13に国鉄総裁から都知事へ回答した「東京と新宿に設置」の実現を申し入れたということだろうか?
それに対して「工期などから東京駅がターミナルになり」とある。上記JREA1993年6月号「北陸新幹線東京乗り入れに伴う東京駅改良の概要」では、線路容量に余裕があることを理由にしているが、東京都には「工期など」を理由にしていることになるのか。
いずれにせよ、この際のやりとりで東京都は古証文(新宿乗り入れ)の実行を要求し、JR東日本は拒否したことがうかがいしれるわけだ。
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(追記)
土木学会の「ドボ博」サイトに「学芸員の部屋008 幻の上越・北陸新幹線新宿起点構想について」 http://www.dobohaku.com/staffblog_008/ という大変興味深い記事が掲載された。ネタ元は鉄道総研の小野田滋氏である。
「この計画は、工事費が巨額となることから現実的でないと判断され打ち切られ」と大変興味深い記述があるが出典が明記されていない。
@JSCE_Library こんばんは。ドボ博は土木図書館の担当ということでこちらにツイートさせていただきます。https://t.co/nWgqx8KAbh
で新幹線新宿駅の構想は工事費が巨額なので打ち切られた旨書いておられますが根拠となる文献等をご教示いただけますと幸いです— 骨まで大洋ファン (@FanTaiyo) 2017年6月29日
ツイートを見てくださっていた小野田様から下記回答がありました。「『北陸新幹線工事誌 東京乗り入れ工事』東日本旅客鉄道東京工事事務所・平成11年3月、p.3「都心乗り入れ計画」で「総工費約7000億円の巨費を要するため現実には採用し得ない案」としています。」とのことです。
— 土木学会附属 土木図書館 (@JSCE_Library) 2017年6月30日
このご教示いただいた「北陸新幹線工事誌 東京乗り入れ工事」の該当部分が下記のものである。
東京駅へのホーム増設時点で、JR東日本が新宿駅乗入れと比較検討のうえ、新宿駅ルートは「巨額を要するため現実的には採用しえない」と明記するに至ったということか。そうであれば、バスタ新宿や駅ビルで稼ぐ方が現実的なわけだ。
なお、ここでは「約7,000億円」としているが、後述の日経新聞の記事(自民党案)では「概算で6,000億強」としており、1千億円減額となっているのも興味深い。この差は何であろうか。
(追記終わり)
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1995(平成7)年3月 日本鉄道建設公団三十年史
冒頭に、「新宿-大宮間は工事実施計画が出されていない」ことを記したが、鉄道建設公団の公式見解としては、1995年段階でも「現在に至っている」と、まだ仕掛途中という認識というようだ。少なくともこの段階では「中止された」とか「東京駅起点に変更された」ということではないのだろう。
2005(H17)年1月8日 日経新聞夕刊「新幹線 新宿ー大宮線が浮上 自民検討、地下に建設」
自民党は現行の整備新幹線計画とは別に、大宮(埼玉)―新宿駅間の地下新幹線ルート建設の検討に入る。北海道や北陸への新幹線の延伸が決まり、大宮―東京駅間の輸送力が将来、限界に近づくと判断。整備新幹線等鉄道基本問題調査会(小里貞利会長)を中心に、国土交通省やJR東日本などとの調整に着手する。
建設費は概算で六千億円強とみられ、同党は八戸―新青森など建設中の路線が完成する二〇一〇年度以降の着工を目指す。ただ、新宿駅の大幅改造や騒音、振動への対策などで膨らむ公算が大きく、予算確保が大きな課題となる。
現在の大宮―東京駅ルート(三十キロメートル)は、東北、上越、長野の三線が共用している。混雑時には一時間あたり片道十五本前後が運行し、輸送力は飽和状態に近い。住宅地を通るため速度は百十キロに規制され、区間通過に約二十六分かかる。
「新宿ルート」(二十七キロメートル)は大宮駅で東京駅に向かう既存ルートと分岐し、JR埼京線や山手線の地下を通って新宿駅の地下ホームに乗り入れる計画。地下路線のメリットを生かし最高速度二百六十キロを想定、所要時間は約十一分を見込む。
整備新幹線計画には費用対効果などの面から批判が根強いが、昨年末には「北海道」「北陸」「九州・長崎ルート」の三区間の着工が決定。新構想には都市部の交通対策を打ち出すことで、同計画への国民の理解を得る狙いもあるとみられる。
何年も表舞台に出てこなかった新宿-大宮間ルートであるが唐突に出てきた。地下を時速260キロで走るとなれば、今までの東北貨物線ルートとは全く異なるルートなのではないか?(記事には「埼京線や山手線の地下を通って」とある。)
ただし、現在の東北新幹線、埼京線ルートは、地元の地下化要望に対して、国鉄が「軟弱地盤で技術的に不可能に近い」と突っぱねた区間であるのだがどうなっているのだろうか?
「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」13頁から引用
これを受けて、北陸新幹線沿線にいろいろ動きが出たようだ。
2005(平成17)年6月5日 読売新聞「新宿―大宮間の新幹線整備、検討すべき」自民・久間総務会
自民党の久間総務会長は4日、福井市で開かれた北陸新幹線福井駅の着工記念県民大会であいさつし、今後の整備新幹線の建設の見通しに触れ、「大宮、上野、東京はものすごい(乗降客)人数になる。大宮から池袋を通って新宿までを併せて完成させないと、さばき切れるのか」と述べ、新宿―大宮間の整備を検討すべきだとの考えを示した。
2005(平成17)年7月10日朝日新聞「北陸新幹線の全線実現決議 小松市民会議が総会 /石川県」
北陸新幹線建設促進小松市民会議の総会が9日、小松市土居原町の県こまつ芸術劇場うららであった。会長の森喜朗・前首相や名誉会長の谷本正憲知事、副会長の西村徹小松市長らのほか、国会議員や県議、市議や市民ら約250人が参加し「北陸新幹線の全線フル規格による整備実現へ全力をつくす」などとした決議をした。
森氏は、構想が語られる大宮―新宿間の地下利用の新ルートに触れ、「新宿―東京間は早くて30分。北陸新幹線が仮に新宿につながると、東海道新幹線への乗り換えに30分余計にかかり、容認できない。東京への乗り入れを半分ぐらい確保しておきたい」と語った。
国会でも質疑があった。
2005(H17)年10月14日 衆議院 国土交通委員会
政府の答弁は一般論の域を出ないものにすぎない。少なくとも喫緊の課題ではないという認識のようだ。
小里議員は、平成22年3月1日にも同様の質問をしているが、具体的な中身のある答弁を引き出せていない。
2017(平成29)年1月12日 信濃毎日新聞「過密ダイヤ 改めて注目 新幹線 東京―大宮間」
北陸新幹線(長野経由)で未着工となっている福井・敦賀以西の延伸に向けて与党の検討が進む中、東京―大宮(30キロ)の新幹線ダイヤの過密問題が改めて注目を浴びている。同区間は北陸だけでなく、東北、上越の両新幹線も通っており、延伸に伴って増便させる場合にはJR東日本は大宮発着も想定しているからだ。
(中略)
「東京―大宮間がいっぱいだ。もう一本(線路を)引くのを計算しないと話は成り立たない」。麻生太郎財務相は昨年12月13日、記者会見でこう発言。北陸新幹線敦賀―新大阪の早期開業に関し、大宮以南の線路を増強し、運行本数を拡大する必要があると指摘した。10年ほど前に与党内で一時浮上した新宿と大宮を結ぶ新幹線構想にも言及した。
(中略)
一方、JR東日本は、巨額の投資が必要な大宮以南の線路増強について慎重だ。「現有の新幹線設備を有効活用することで、利用状況を踏まえた列車本数を確保できると考えている」(広報部)とする。今後、需要が増える場合には「大宮発着の列車の運行などを必要に応じて検討していくことになる」との立場だ。
(後略)
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170112/KT161230CUI090002000.php
既に記したように、北陸新幹線(長野新幹線)の東京駅乗り入れにあたって「現在の東北・上越新幹線の線路容量にまだ余裕がある」と判断したからこそ、わざわざ中央線を移設してまで東京駅にホームを作ったということなのだろうか。
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とりあえず、上越新幹線の過去の経緯について見つけた一次資料を目いっぱい載せてみた。出てきた路線図は下記のとおり。
1973(昭和48)年3月11日 読売新聞「東北上越新幹線 首都圏ルートで新提案」
1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」
1977(昭和52)年10月4日、5日 「第28回停車場技術講演会」「高崎、東北線」
ところでwikipediaの「新幹線」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A#.E6.9C.AA.E6.88.90.E7.B7.9Aの項に載っている
上越新幹線は新宿駅 - 大宮駅間の建設が中止となり、東北新幹線に乗り入れとなったが、一部区間では用地買収が済んでおり、新宿駅地下にもスペースが確保されている[注 3]。整備新幹線開業後の大宮 - 東京間および東京駅の容量逼迫に備えてこの区間の建設を再開すべきだという意見がある。ただし、埼京線高架沿いの空き地は「環境空間」と呼ばれる騒音問題を考慮して設けられた緩衝地帯であり、延伸のために確保された用地ではない。1987年の国鉄分割民営化に伴い、国鉄からJRに引き継がれた公文書でも「大宮側は二重高架とすること」が記されている。
2017年1月22日閲覧
「大宮側は二重高架とすること」って何が根拠なんですかね?
私が調べた範囲では、少なくとも公表された範囲では、上越新幹線を現在の東北新幹線に沿って走らせる計画は一切ないようであるが。
二重高架にして「新幹線鉄道騒音に係る環境基準について」http://www.env.go.jp/kijun/oto3.htmlを満足できるとも思えない。
今のルートにする際に「日照など沿線住民におよぼす影響を考慮」とあるのに、更に日照を悪化させるような二重高架が受け入れられるとも到底思えない。
また「上越新幹線は新宿駅 - 大宮駅間の建設が中止となり」についても、中止どころか始まっていない(工事実施計画を提出していない)ので正確とはいえない。どなたか中止の指示を正式にされたことがあるのだろうか?(1971(昭和46)年4月1日 運輸大臣の公団に対してなした建設指示が取り消されたのであれば間違いなく中止と言えるであろう。)
「一部区間では用地買収が済んでおり」というのも、工事実施計画の認可がおりていないため用地費を始めとした建設予算は一切ついていないことから、買収は不可能である。いったいどこを買ったのか明示できるのか?仮に東北新幹線の予算でうまいことやろうとしても、東北新幹線は国鉄事業、上越新幹線は鉄道建設公団事業と別れており、ハードルは高い。
大宮-荒川間は線路別複々線、荒川以南では東北新幹線と別れて地下線で新宿に達する予定だった。さらにこれら路線の両側に並行して緩衝緑地帯を設置することになり、そのため用地は東北新幹線、上越新幹線、通勤新線の3複線と、それにプラス緩衝緑地帯分という広大なものになった。
「全国鉄道事情大研究 東京北部・埼玉篇1」川島令三・著 13頁
これなんか真っ赤なウソである。
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次は「上越新幹線の池袋駅ってどうなってたの?」
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<上越新幹線新宿駅関係記事>
その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html
その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html
その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html
その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html
実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html
国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html
報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html
報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html
京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html
「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html
大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html
やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html
上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.html
上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html
大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1c4d.html
東北新幹線は浦和市営モノレールの導入空間を空けて今でも待ってるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-0765.html
上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.html
上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-3b1a.html
「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.html
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コメント
上越新幹線の新宿~大宮は整備新幹線ではなく基本計画線だから全額をJR東日本の自己負担で建設しない限り開業は2053年になってしまいます。
北海道新幹線札幌開業、
北陸新幹線新大阪開業(京阪間は松井山手ルートに決定)、
西九州新幹線全線開業
を実現しなければ着工すらできません
投稿: 徳井さん | 2017年4月18日 (火) 22時10分
>徳井様
JR東日本は、新宿~大宮はやる気ないと思いますので、そこから先の議論は進まないんないでしょうか?
投稿: 革洋同 | 2017年4月30日 (日) 16時48分
>上越新幹線の大宮以南のルートが初めて東北貨物線敷地として公表された
私は本文中に読売新聞の地図しか見つけることが出来ませんでした。
朝日新聞と読売新聞の記事では東北貨物線敷地を利用するとは書いてありますが、
利用方法が書かれていない為、敷地に上越新幹線を敷設するとは限らないと思います。
役所言葉は、嘘は言わないが余計なことも言わないと思うのです。
えちぜん鉄道の高架化で例えると、
「北陸新幹線の高架橋を利用してえちぜん鉄道の高架化を行う」
となりますが、新幹線の高架橋に造るわけではないですよね。
東北新幹線配線略図で上越新幹線が西側に分岐しているのと、
赤羽駅の構造を見ると埼京線沿いには上越新幹線、
東北貨物線沿いには東北新幹線ではないでしょうか?
お忙しいとは存じますがご確認いただけたら幸いです。
投稿: マンボウ | 2018年8月 1日 (水) 13時47分
マンボウ様
私が出している資料は手持ちいっぱいいっぱいで全部出していますので、そこから先は各自で妄想を膨らませていただければ結構かと思います。
大宮駅の分岐はずーっとひっかかっていますが、埼京線沿いに上越新幹線というのは
https://flic.kr/p/QcGiVc
にあるように、埼京線計画前には上越新幹線が東北新幹線と並走する案もあったように考える余地はありそうですが
埼京線と上越新幹線が並走することを実証する資料は見たことがありません。川島某のような妄想だけではないですか?
もし一次資料でそのような資料があることをご存知であれば是非ご教示ください。
投稿: 革洋同 | 2018年8月 4日 (土) 09時45分