大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面
国鉄の「新宿駅貨物敷活用基本構想」から、上越新幹線地下ホーム等の図面をブログに公開してから約1年がたった。
その後出版された、「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)や「東京 消えた! 鉄道計画」 (中村建治 ・著 イカロス出版・刊)においても「新宿駅貨物敷活用基本構想」が引用されており、私のチンケな自己承認欲求も満たされてご同慶の至りである。「完全版 新宿駅大解剖」はインチキだけどね。
とは言っても、「新宿駅貨物敷活用基本構想」は、あくまでもタカシマヤタイムズスクエア等の土地を切り売りするために、「どこまでは国鉄として持っておく必要があるのか」を決めるための仮想設計にすぎないものであると思われるため、あれが国鉄の本音ベースとはとても思えなかった。
そこで引き続き調査していたところ、更に古い図面を発掘したのである。じゃーん。
結果的には、「新宿駅貨物敷活用基本構想」のもの(下図参照:先に掲載した図面と方向を合わせるために上下を逆にした。)とは大きく変わらないものであったが、現物で確認できたことはそれなりに価値があると言えよう。
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かつての「大新宿構想」とはなんぞやというと、1972・73(昭和47・48)年に、建設省と運輸省において国土総合開発事業調整費による大規模プロジェクト推進のための調査として「新宿副都心総合整備計画調査」を実施した成果であり、上越新幹線、地下鉄12号線(大江戸線)、13号線(副都心線)等の新しい交通網や淀橋浄水場跡地の副都心開発等を織り込んだものと言ってよいだろう。
その根拠としてよく引用されるのが、「交通技術」1975年4・5月号「新宿副都心総合整備計画の概要 その1・その2」か「鉄道ピクトリアル」1975年11月号「将来の”大”新宿駅の構想」である。
しかし、そこには
のような地上の想像図(「交通技術」1975年4月号101頁)や
上図のような断面図(「交通技術」1975年5月号11頁)はあっても地下のホームの平面は掲載されていない。
「地下3階に上越新幹線のホームがある」としている根拠は
こういったテキスト(上記表は「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」市川政治・中山秀雄・著 社団法人鉄道建築協会・刊 35頁から引用)にもっぱら依存している。
日経「東京ふしぎ探検隊」の川尻定等がいろいろ知ったかぶりしたことを書いているが平面図を見て書いているわけではないのである。
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今回私がご紹介するのは1976(昭和51)年12月に国鉄社内で行われた「第27回停車場技術講演会」の記録に掲載された「新宿駅将来計画」国鉄東京第三工事局調査課補佐・石倉勝美・著である。
そこでは、下記のような鉄道整備計画を見込んだ新宿駅の将来構想が描かれている。
(「第27回停車場技術講演会記録」370頁から引用)
これだけでは分かりずらいので補足すると下図のようなネットワークである。
(「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」34頁から引用)
現在であれば、山手貨物線の旅客利用は埼京線・湘南新宿ラインであるが、この段階では「裏山手利用線」は常磐開発線である。
湘南・新宿ラインは山手貨物線ではなく、明治通りの地下を通って池袋・王子に出て現在の地下鉄南北線に似たような線で埼玉スタジアムどころか白岡まで抜けている。
現在も京葉線の新宿・三鷹乗り入れが取りざたされているが、中央・総武開発線が新宿駅を通っている。東京駅はまだ成田新幹線がおさえているので、京葉線とは異なり湾岸地区からは新橋経由で都心に向かっている。
これらの開発線のホームと上越(北陸)新幹線のホームを盛り込んでいるわけだ。
(「東三工十年史」国鉄東京第三工事局・編集発行 136頁から引用)
こういった新線計画を1970年代の新宿駅に組み込んでいったのである。
「第27回停車場技術講演会記録」371頁に新宿駅周辺の地図に構想路線が落とし込んである。「縦十字」が東北・東海道開発線、「横十字」が中央・総武開発線、「裏山手利用線」が常磐開発線である。
「第27回停車場技術講演会記録」に平面図が掲載されているので見ていこう。
まずは、当時の現況平面図である。京王新宿駅がまだ4線あったりする。
次いで2階である。甲州街道の南側の現在のバスタ新宿あたりは、駅前広場と駐車場になっている。人工地盤の作り方は現在のバスタ新宿を彷彿させる。
1階である。裏山手利用線(常磐開発線)のホームが現在の埼京線ホームに比べて代々木寄りとなっている。また現在のJR東日本本社の西側にも駅前広場を造成する計画だったことが分かる。
地下1階である。
代々木駅まで完全にコンコースがつながっているが、運賃はどうなってしまうのだろうか。JR東日本本社の地下にも改札ができている。また、現在の新宿駅の地下が大胆に掘り拡げられている。ベルク等の店舗は撤去してしまうつもりだったのだろうか。
地下2階である。
新幹線用のコンコースがメインであるが、京王新宿駅付近への連絡口もあるようだ。
地下3階である。
3面6線の新幹線ホームが現在の埼京線ホーム下に位置する。
「新宿駅貨物敷活用基本構想」と大きく違うのは、新幹線の東側(図面の下側に)東海道・東北開発線(縦十字)ホームが設けられていることだ。
新幹線ホームの下には、南(図面左)から、地下鉄12号線(大江戸線)、中央・総武開発線(京葉線)、地下鉄10号線(新宿線)がそれぞれ東西に走っているのが分かる。
その断面図がこちらである。
平面図では分からないが、中央・総武開発線(京葉線)のコンコースが地下4階、ホームが地下5階となっている。
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「第27回停車場技術講演会記録」以外にも当時の大新宿駅構想のイメージが分かる図面がある。
「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」市川政治・中山秀雄・著 社団法人鉄道建築協会・刊 37頁から引用
2階レベルがかなり大胆に甲州街道上空を占用して跨いでいることが分かる。
「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」市川政治・中山秀雄・著 社団法人鉄道建築協会・刊 38頁から引用
新幹線ホームは、貨物駅を再開発したビルの直下ではないことも分かる。
「タカシマヤタイムズスクエアの直下には上越新幹線ホームはない」ことを立証してきたところであるが、「ひょっとしたら大新宿構想のころにはビルの下にあったらどうしよう」という心配があったのだが杞憂に終わったようだ。
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また、「東三工十年史」国鉄東京第三工事局編集・発行(1977(昭和52)年11月刊)の138頁から139頁には新宿駅の開発構想が掲載されており、
このようなカラーパースや
断面図が掲載されている。
※この「東三工十年史」にたどり着くには、@editsector氏の下記ツイートによるところが大きかった。この場を借りて感謝申し上げます。
https://twitter.com/editsector/status/716555171875061761
※川辺 謙一氏も「東京道路奇景」62頁で、大新宿構想の絵を載せるのであれば、これくらいのカラーパースを載せりゃあいいのにねえ。
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「上越新幹線新宿駅は国会でどのように答弁されてきたのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.htmlの再掲になるが、大新宿構想のころの国会における国鉄磯崎総裁の関連答弁を抜粋しておこう。
昭和48年09月04日-参議院- 運輸委員会 - 27号
○説明員(磯崎叡君) 具体的な問題は後ほど担当から申し上げますけれども、いま先生のおっしゃった問題でございますが、私どもといたしましては、やはり新幹線と関連して考えなければいけないというふうに考えております。現在の新宿駅は、一応私のほうの工事としては一段落いたしておりますが、問題は甲州街道のガードの代々木寄りの貨物駅でございます。これは非常に現在、都市交通の問題もございますし、また場所として、はたして適当かどうかというふうなものもございます。一方、東北、上越あるいは北陸を東京都内に入れる際に、東京都から、東京駅に集中しないでほしいという強い御要請がございました。その際に、私どももそれを受けまして、東北、上越の認可を大臣からいただきます際には、将来そのターミナルを東京駅以外のところに持っていきたいということをつけ加えて大臣の御承諾を得ております。その際に、やはりその第一候補となるのは新宿でございます。相当広い土地も持っておりますし、あの新宿に、いまの計画中の上越新幹線あるいは北陸新幹線を入れることが、それ以外に方法がないんじゃないかというふうに思っておりますが、その際には相当根本的に、現在の電車駅も改良しなければいけないし、先ほど申し上げました貨物駅も、いずれ移転しなければいけないということが考えられます。その際に、それらを包括いたしまして、大新宿駅と申しますか、が、いずれできることになりますし、また先ほど先生の御質問の、いわゆる中央新幹線との接続地点と申しますか、あるいは新宿を通り抜けてそのまま行くということも考えられないことはないかと存じますが、それら、いずれ新宿は、私のほうから見ましても相当大きな東京における新幹線交通のセンターであり、また在来線交通のセンターである。しかし、またあまりあすこへ過密に集めてもいけないということで、貨物をどけるということが一つの方法と、その行く先等はいまいろいろ考えておりますが、新幹線の建設状態あるいは副都心の今後の進捗状況等を見まして、やはり新宿につきましては、たぶんこの十年ぐらいの間に相当また根本的な改良をせざるを得ないというふうに考えておりますし、やはりその起動力となるのは、東京都からのかねがねの御要請の、東京における新幹線のターミナルを東京駅だけにしないで分散してほしいという、その強い東京都の御要請を含んだ上で、私のほうも、幸い新宿に土地を相当持っておりますから、それらを利用して根本的な計画をつくり直すのは、たぶん十年から十二、三年ぐらい先のことだと思いますが、いまそういったことを頭に置きまして青写真をかいているところでございますが、また現実の今日の問題につきましては、後ほど担当から申し上げます。大体ビジョンとしてはそういうビジョンを一応持っております。
○説明員(磯崎叡君) 広さはちょっとあとで申し上げますけれども、一応私どもの構想といたしましては、いま小田急が十両編成の工事をやっております。例のホームを延ばす仕事をやっております。甲州街道の先のほうへずっといま工事をいたしておりますが、それとは全く関係なしに、私のほうのいまの考えはそれの逆なほうでございます、市内側のほうでございます、内側のほうでございます、新宿御苑に近いほう、あそこに貨物駅の私どもの事務室あるいはいまコンテナの置き場になっているところがございますが、あの辺と、先ほど原岡が申しました貨物の仕分け線がございます。いまの先生の御指摘の旅客ホームと駅ビルの間に十数本の貨物の仕分け線がございます。それがいずれ山手貨物線がかりにもし要らなくなるとすれば、その用地があくわけでございます。したがって、いまの大体のビジョンといたしましては、甲州街道のガードの上に置きまして、その下にいまの貨物駅のコンテナを置いてあるところからいまの仕分け線のホームというところには、相当広大な土地がございますので、山手貨物線を相当程度武蔵野線に移すことができますれば、結局いまの山手貨物線のあとが大体要らなくなるということになります。したがって、先生の御指摘の小田急でないほうの、市内側のほうに大体新幹線のホームを、あるいはある程度の――あそこは幸い立体的に使えるところでございますから、甲州街道のガードが高こうございますから、それをうまく使えば相当平面的にも立体的にも広大な土地があく。それにはやはり何と申しましても山手貨物線を武蔵野線に移すということが前提になりますが、これが大体計画は、多少おくれておりますが、進んでおりますので、それができれば一応いまの問題と関係なしに考えてよろしい。まあ小田急、京王はいろいろやっておりますが、これは全部そういうことを踏まえた上でやっているわけでございます。
用地の広さは約十六万平米だそうでございますが、その大体半分ぐらいが貨物ではないかと。ただ一つだけ申し上げておきますと、かりにあそこに新宿の新幹線の大ターミナルをつくるといたしますと、相当駅前広場が要るわけでございます。その場所がはたしてとれるかどうかということは相当問題でございます。私どもの土地がございますが、私どもの土地を相当程度駅前広場に提供するということは、またなかなかできませんし、問題はあそこに――いまの新宿でも非常に駅前が狭くて困っておりますが、あそこに新幹線を入れますときに、はたして駅前がいまのままでいいかどうか、相当広大な駅前広場が御苑との間にとれるかどうか、あるいは新宿の繁華街との間に問題がございますし、西口のほうも大体いま形がきまってきておりますので、その辺にひとつ問題がございます。一応いずれにしても新宿を将来の東京の交通の中心にしたいという考え方には変わりございません。
上記の答弁と図面は整合が取れるのではないか。
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ネット上では「上越新幹線新宿駅は京王新線と京王線の間に予定されている」との説が見受けられるが、1971(昭和46)年の新聞報道、1973(昭和48)年の国会答弁、1975(昭和50)年の「第27回停車場技術講演会記録」、1977(昭和52)年の「東三工十年史」そして1985(昭和60)年の「新宿駅貨物敷活用基本構想」と一貫して貨物駅下(現埼京線ホーム地下付近)に上越新幹線ホーム設置を構想してきたことが分かる。
よって「京王新線と京王線の間」説は根拠に乏しいと言い切って差し支えないのではないか。
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河尻定氏は、「鉄道ピクトリアル」1975年11月号「将来の”大”新宿駅の構想」を根拠に
貨物駅の跡地にはタカシマヤタイムズスクエアができた。新幹線の新宿乗り入れは幻となった
東京ふしぎ探検隊 「新宿南口、線路上に巨大ターミナル 「大新宿駅」が実現」http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2402R_V21C12A0000000?channel=DF280120166608&style=1&page=4 から抜粋
とあるが、何度も書いているように、上記鉄道ピクトリアル記事には、この頁に引用しているような大新宿駅の平面図は掲載されていない。図面も見ずにあてずっぽうで「新幹線の新宿乗り入れは幻となった」と述べているにすぎないと言えよう。
タカシマヤタイムズスクエアができたところで、最初から新幹線に支障がないように切り分けて土地を売却したのだから。スペースがなお残っていたのである。
「残っている」のではなく「残っていた」との過去形なのだが、それは次の記事で説明したい。→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html
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<上越新幹線新宿駅関係記事>
その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html
その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html
その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html
その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html
実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html
国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html
報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html
報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html
京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html
「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html
大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html
やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html
上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.html
上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html
大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1c4d.html
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上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-3b1a.html
「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.html
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