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2017年4月に作成された記事

2017年4月 9日 (日)

力道山が経営していた赤坂リキマンションの分譲パンフレット

赤坂リキマンション(力道山) (1)

 赤坂にリキマンションというマンションがある。言わずと知れたプロレスラー力道山が実業家として経営していた(竣工は没後)マンションである。

赤坂リキマンション(力道山) (33)

  1963(昭和38)年7月4日付読売新聞に掲載された広告

 ここを分譲するときに作成したと思われるパンフレットを早稲田大学が所蔵していたので、ご紹介したい。

赤坂リキマンション(力道山) (2)

 現在もマンションの屋上に描かれている「R」は当然「力道山」の「R」であろう。

赤坂リキマンション(力道山) (3)

赤坂リキマンション(力道山) (4)

 開発は、力道山と大和土地建物の共同事業ということだ。

赤坂リキマンション(力道山) (5)

 イメージパースでは屋上に「R」の文字は描かれていないのだな。

赤坂リキマンション(力道山) (6)

赤坂リキマンション(力道山) (7)

 都電が走っている。また「クラブリキ」という文字が見える。力道山が経営していたナイトクラブのようだ。クラブリキについては、このブログに詳しい。http://blog.goo.ne.jp/59ra9do/e/13bbdfe1c8c29ea10f5c0acf238cf5aa

赤坂リキマンション(力道山)リキアパート (8)

 隣接していたリキアパートは、現在は別のマンションになっているようだ。下記の「今昔マップ」では、プールが写った航空写真を見ることができる。

 

赤坂リキマンション(力道山) (9)

赤坂リキマンション(力道山) (10)

 玄関ホール

赤坂リキマンション(力道山) (11)

 ロビー

赤坂リキマンション(力道山) (12)

赤坂リキマンション(力道山) (13)

 エレベーターは三菱製だそうだ。

赤坂リキマンション(力道山) (14)

 間取りである。49坪とは大変広いものだ。高級マンションだったことがうかがえる。

赤坂リキマンション(力道山) (15)

赤坂リキマンション(力道山) (16)

赤坂リキマンション(力道山) (17)

赤坂リキマンション(力道山) (18)

赤坂リキマンション(力道山) (19)

赤坂リキマンション(力道山) (20)

赤坂リキマンション(力道山) (21)

赤坂リキマンション(力道山) (22)

 居間。ピンボケですまんの。

赤坂リキマンション(力道山) (23)

 和室。同じくピンボケ。鮮明なやつが必要な方は早大に申請すれば撮れますのでどうぞ。

赤坂リキマンション(力道山) (24)

 ページごとに色違いの「R」が描かれている。

赤坂リキマンション(力道山) (25)

 台所、食堂

赤坂リキマンション(力道山) (26)

 玄関、バルコニー、浴室、洗面所

赤坂リキマンション(力道山) (27)

赤坂リキマンション(力道山) (28)

 建築概要 施工は佐藤秀工務店(現・株式会社佐藤秀)

赤坂リキマンション(力道山) (29)

 部屋割り

赤坂リキマンション(力道山) (31)

赤坂リキマンション(力道山) (30)

赤坂リキマンション(力道山) (32)

 お値段。昭和37年当時の1500万円はどれくらいの価値があったのだろうか。お分かりの方はご教示ください。

 

 現在の様子は、不動産物件サイトに載っているので下記をご参照あれ。

http://www.tomo-real.co.jp/es/building/889f3c6c-e51a-431c-aed7-f0b6dec0a41b

https://www.ma-minatoku-chintai.com/rent_view/29933

http://zero-revo.com/archives/205667

 

 

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2017年4月 8日 (土)

三原橋地下街絶賛解体中

 三原橋のことを書くのは久しぶりだ。見た目があまり動いていないから。ただし、現場では新たな工事が発注されて確実に動いているのでご紹介したい。

三原橋地下街解体中 (1)

 いつもの某老舗百貨店からの写真。南側(画面では右側)に現場事務所らしきものが建ち上がっている。

三原橋地下街解体中 (2)

 三原橋地下街へ降りる階段は健在のようだが、建物が立っていたあたりは、鉄板に置き換えられたかな?

三原橋地下街解体中 (4)

三原橋地下街解体中 (8)

三原橋地下街解体中 (3)

 工期は、平成32年2月23日までとなっている。東京オリンピック・パラリンピックまでには間に合わせるということか。

 「道路整備工事」なのに、発注者は「東京地下鉄株式会社(東京メトロ)」となっている。以前は、東京都建設局が関連工事を発注していたのに。

三原橋地下街解体中 (7)

 工事件名は、「三原橋周辺の再整備計画に伴う三原橋撤去及び地下歩道改良土木工事」である。

 銀座街づくり会議NEWS LETTER97http://www.ginza-machidukuri.jp/activity/pdf/NL97.pdfによると、

(1)太鼓状の橋を撤去し、晴海通りを平らにする。

(2)地下街空間はコンクリートで埋め、空間をなくす。

(3)銀座駅⇔東銀座駅間の地下歩道の階段・2本のうち1本をスロープにし、バリアフリー化を行う

ということである。

 この「銀座駅⇔東銀座駅間のバリアフリー化」とは

IMG_4509

 この階段を撤去するということか。

日比谷線-三原橋付近縦断図

 営団地下鉄の日比谷線建設史https://metroarchive.jp/hibiya.htmlによると、この付近は地下鉄の躯体と一体化しているため、道路管理者である東京都から東京メトロに工事を委託した方が進めやすいということなのだろうか。

 メトロ開発株式会社のウェブサイトhttp://www.metro-dev.co.jp/history.htmlによると、「主な業務実績」に

「平成27年 東京都建設局:三原橋周辺再整備計画に伴う三原橋撤去及び地下歩道改良土木工事価格調査業務」とある。設計の段階から東京都はメトロの子会社に業務を発注していたのだな。

三原橋地下街解体中 (6)

 3月現在の作業は「三原橋上部工下受け工」ということなので、既存の三原橋の基礎を新しいものに取り換えているということか。

三原橋地下街解体中 (5)

 「コンクリート造構造物解体中」である。

三原橋地下街解体中 (8)

三原橋地下街解体中 (13)

 南側には、工事請負人の鉄建建設の旗がひらめいている。

三原橋地下街解体中 (11)

三原橋地下街解体中 (9)

三原橋地下街解体中 (10)

 東側は牛だったが、西側は猫と犬だ。

三原橋地下街解体中 (12)

 銀座街づくり会議NEWS LETTERは、100号でも、三原橋の再開発について触れているのであわせてご覧いただきたい。http://www.ginza-machidukuri.jp/activity/pdf/NL100.pdf

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■ 過去の三原橋関係記事

三原橋地下街に係る疑獄について(その1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-d614.html

三原橋地下街に係る疑獄について(その2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-554e.html

三原橋地下街と銀座シネパトス さようならhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-60c3.html

三原橋地下街 銀座シネパトス最終日http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-f962.html

日経新聞 「東京ふしぎ探検隊」河尻定氏記事「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ」に係る疑義http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-0de1.html

三原橋地下街や観光センターの経営者の新東京観光株式会社についてのメモhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-8445.html

三原橋地下街や橋上のビルに係る経緯の公式見解(都議会議事録)にたどり着いたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-4930.html

三原橋地下街等をめぐる経緯を年表にしてみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-2781.html

三原橋地下街の当初占用許可に係る東京都庁議公文書http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-3f36.html

昭和31年2月28日東京都庁議「三原橋」問題の処理について→関係局間においてなお検討することhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/31228-d1e1.html

三原橋(6月15日時点)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/615-23dc.html

三原橋の建物は、地元から撤去せよとの訴訟を起こされていたというお話http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-81bb.html

「銀座地下街ラジオくん 声のアーカイブ展」~三原橋地下街の一件から、これからの街づくりを考える~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-1c0a.html

東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-7702.html

三原橋地下街 カレーコーナー三原最終営業日http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-8f73.html

三原橋の解体・撤去は、平成25年度内に決定済。コンサルにも発注済。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/25-b992.html

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-30b7.html

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その3)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-7114.html

三原橋の既設橋は撤去することで詳細設計を発注済http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-27a4.html

「安井都政の七不思議」と山田正男と三原橋地下街http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-740c.html

斉藤 理 山口県立大学准教授の「川がない橋が秘めた東京の履歴」を読んでhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-924f.html

三原橋と「銀座の幻の地下街」に係る最近の東京都の動きhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-c5c2.html

東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かったhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html

工学部の学者「石川栄耀は有名建築家を呼び込んだ!」商業実務者「都庁が呼んだ有名建築家の建物は使えねえ」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-fe0f.html

三原橋ビル(三原橋観光館)解体済(その4)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-60e0.html

1962年の三原橋http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/1962-dad9.html

「安井都政の七不思議」って結局どの七つなのか調べてみた。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-c0c2.html

日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b86d.html

東銀座 幻の地下街について東京都の公式コメント(議会答弁)があった。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-8d34.html

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2017年4月 5日 (水)

JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?

 時流に乗って国鉄分割民営化ネタで書こうと思っていたら、すっかり遅くなってしまった。神宮球場に横浜大洋の開幕シリーズを2回応援に行って2回とも負けたりしていたからだ。

 

 というわけで超今更感があるのだが、一応準備していたので。

 お題は、表題の如く、瀬戸大橋線の建設中止勧告である。例の如く当時の新聞記事を引用してみる。

国鉄監理委、本四橋児島―坂出ルート「鉄道」中止提言へ。

 国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)は二十日、本州四国連絡橋三ルートのうち唯一の道路・鉄道併用橋である児島・坂出ルートの鉄道敷設工事をとりやめるよう中曽根首相に提言する方針を固めた。八月初めに打ち出す「緊急提言」に盛り込む。これは、財政が悪化している国鉄は年間五百億円にものぼる連絡橋利用料を負担する能力がないので、このまま敷設計画を進めれば、将来国鉄を分割・民営化する際の大きな障害になると判断したもの。首 相はこの提言を尊重する義務があるが、同ルートから鉄道がなくなれば、連絡橋の工費約七千六百億円はすべて道路部門でまかなわれ、地元自治体の負担が二倍近くに増えるだけに影響は大きい。

 国鉄再建監理委員会は現在、緊急提言をとりまとめている。提言のねらいは「六十二年以降、円滑に分割・民営化するための対策」を打ち出すこと。同監理委員会は五十七年度末で十八兆円に達した借入金をこれ以上増やさない施策が最も重要と判断、設備投資の抑制に重点を置いており、本四連絡橋児島・坂出ルートの鉄道敷設中止は緊急提言の目玉になる。

(中略)

 このため、同監理委員会は、このまま計画を進めれば、四国などの国鉄分割会社が 当初から膨大な赤字を背負うことになり、分割・民営化の大きな障害になるとして、敷設中止を求める方針を固めた。しかし、現在、地元自治体は連絡橋の道路部分の工事約四千二百億円のうち三分の一を負担しており、鉄道部分がなくなれば、この負担は二倍近くになる計算。また、五十八年度末までに同ルート連絡橋 (鉄道と道路)工事の契約率は六三%に達する見込みだったので、鉄道敷設工事が中止されると、関係業界は大きな影響を受けるため反発は必至である。

 

1983(昭和58)年7月21日付 日本経済新聞から引用

 国鉄再建監理委員会の「緊急提言」の目玉としてJRに負担を増やさないために中止を求める考えだったという。

 

瀬戸大橋「鉄道」中止の動き、地元に大きな衝撃。

 

 多額の赤字を抱えている国鉄の立て直し策を検討している国鉄再建監理委員会が、建設中の瀬戸大橋(本四架橋児島―坂出ルート)の鉄道建設を中止する方針を固めたことについて、四国四県、岡山県など関係行政機関や経済界の首脳は大きなショックを受けている。今のところまだ正式に決まったわけではなく、「あり得ないこと」という見方もあるが、関係筋に問い合わせる動きも。こうした方向が出たことに対して多く
は「瀬戸大橋は道路・鉄道併用橋というのが既定路線。新幹線は将来の問題にしても万一、在来線までたな上げされては架橋の意味がない」と戸惑いをみせながら衝撃を受けている様子。今後同委員会の動向に注目、関係機関一致して“巻き返し策”を進める動きも出ている。しかし青函トンネルの鉄道敷設計画中断の動きが表面化しているだけに、四年後の完成を前にした瀬戸大橋計画変更を危ぶむ声も少なくない。

(略)

 

1983(昭和58)7月22日付 日本経済新聞から引用

 私の記憶には残っていないのだが、青函トンネルも建設中止が議論になっていたのか。

 

瀬戸大橋の行方、全住民が関心を――鉄道部間の中止問題に思う(四国の目)

 六十二年度完成をめざして順調に進んでいる瀬戸大橋(本四架橋児島―坂出ルート)の鉄道部門を中止する問題がクローズアップされている。国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)が国鉄の財政立て直し策を検討している中で出てきたものである。八月二日に予定される同委の“緊急提言”でどう取り扱われるのだろうか。

 瀬戸大橋は道路、鉄道併用橋で四国の離島性脱却の第一歩になる大事業。このうちの鉄道部門が宙に浮くことは大変なこと。今のところ国鉄監理委の提言では「瀬戸大橋の鉄道建設中止」とはっきり明記しないが、“抑制”することを求めるニュアンスの表現になるといわれる。

 国鉄財政は膨大な赤字で“満身創痍(まんしんそうい)”。大半の路線が赤字で走ればそれだけ損する状態だ。四国総局管内の年間赤字額も五百二十億円を超える。瀬戸大橋の鉄道も赤字路線になるのは確実。それどころか年間約五百億円の連絡橋使用料を負担しなければならない。こういう事実を突きつけられると、瀬戸大橋も国鉄にとっては“お荷物”。監理委は「いくら経営立て直しのために知恵を絞っても、新しく赤字を生み出す事業を見逃していては……」というわけだろう。

 ただ国鉄経営という立場からだけではなく、「日本の国づくりの一環」「地域整備の重要なプロジェクト」という位置づけで瀬戸大橋をとらえたい。前川香川県知事も「国鉄を救って四国を見殺しにするのか」と鉄道部門切り捨て論に反対したのも当然である。山口・四国経済連合会会長も「第二次臨時行政調査会をクリアーした事業で鉄道中止なんてあり得ないこと」と語っているし、まず鉄道部門がたな上げされることはないだろう。

 しかし国の財政も国鉄同様、厳しい状態が続いている。一度決まったことであってもどんな情勢の変化が起こるかもしれない。四国約四百万人の住民すべてがこの問題の行方に鋭い目を向け続けたい。

 

1983(昭和58)7月31日付 日本経済新聞から引用

 実際には「緊急提言」には瀬戸大橋線の建設中止は明記されなかったようだ。

 

国鉄監理委の本四橋と東北新幹線東京乗り入れ投資抑制提言――戸惑いと反発と。

 国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)が今月初め中曽根首相に提出した緊急提言が各方面に波紋を広げている。もっとも論議を呼んでいるのは「今後の設備投資は緊急度の高いものを除き原則停止」という“投資抑制命令”。「東北新幹線の東京駅乗り入れ工事は本当に中止されるのか」「本州四国連絡橋の工事はこれからどうなるのか」――など関係の地方自治体に不安が広がっている。緊急提言の読み方をめぐり、我田引水や“ひがみ”などが交錯し、これに政治家の動きもからんで、関係者は疑心暗鬼。「監理委員会にわからないように、工事をこっそりやってしまえ……」という勇敢な逆提言? も飛び出す始末。今月末には運輸省、国鉄が来年度予算の概算要求を大蔵省に提出するが、どの工事を継続してどの工事を中止するか、国鉄“秋の陣”は政府、地元、国鉄の思惑がからんだ複雑な展開になりそうだ。

 「東北新幹線の東京駅乗り入れ工事がだめで、なぜ本四架橋は良いのか」。監理委員会が緊急提言を提出した直後、ある東北出身の代議士は運輸省の幹部にこうかみついてきたという。

 東京駅乗り入れというのは東北新幹線上野駅―東京駅間四キロで進められている工事のことだが、実はこの工事どころか本四架橋の工事も緊急提言の本文では直接的には一言も触れていない。にもかかわらずこのふたつの大工事が問題になるというのは、緊急提言を読むと、このふたつの工事の先行きがどうしても気になってくるからだ。

 緊急提言は、国鉄の投資全般について「緊急度の高いものを除き原則として停止すべきである」とうたい、続いて「なお書き」がある。それは「東北新幹線上野乗り入れ及びこれに関連する通勤別線についてはその特殊事情を考慮し、工事の継続もやむを得ないものとする」という文章だ。

 これをすなおに読めば、東北新幹線は上野駅乗り入れまでは工事を進めても良いが、上野駅から東京駅間の工事は「原則停止」の対象というわけだ。

 一方、本四架橋については緊急提言の中にこういう文言がある。「国鉄以外の事業主体が行う国鉄関係の設備投資についても徹底した見直しを行い、さらに工事規模の抑制及び工事費の節減に努めるべきである」。「国鉄以外の事業主体」というのは本州四国連絡橋公団(高橋弘篤総裁)と日本鉄道建設公団(仁杉巌総裁)のことだが、両公団の工事についてははっきりダメとは言っておらず、「徹底した見直し」とか「抑制」の意味をどう解釈するかで、工事続行を認めているようにも読める。

 緊急提言がこんなに含みのある文章になったのは、政治的な配慮からだ。国鉄大手術に挑む監理委員会のメンバーにすれば、「これから新しい線路を敷くなどは論外」。東京駅乗り入れも、本四架橋の鉄道敷設も、国鉄再建にメドがつくまではいずれも工事中止を命令したいのが本音。ところが、監理委員会でこのふたつの大工事をめぐる論議が表面化するや、地元の自治体や関連業界から政治家などを通して猛烈な陳情攻勢が続いた。このため監理委員会としては、緊急提言の文章は中曽根首相に政治的な判断をゆだねるため含みのある表現にせざるを得なかったわけだ。

 首相に裁量の余地を残しながらも、このふたつの工事の取り扱いに差ができたのは、本四架橋問題が東北新幹線よりもはるかに難しい側面を持っているからだ。

 本四架橋の児島―坂出ルートの工費七千六百億円のうち四五%は鉄道部門が、五五%は道路部門が負担することになっており、鉄道敷設の中止は架橋そのものの中止という大きな政治問題にまで発展しかねない。そこでいきなり「中止」を提言するのではなく、国鉄にとって大問題のこの橋をどうするか、国民的な合意を形成するために「まずは計画の見直しを」と慎重な提言をしたわけ。

(中略)

 しかし、“天下の国鉄”が政府や監理委員会の目を盗んで、こっそり工事をやるわけにもいくまい。国鉄の設備投資について「原則停止」や「徹底した見直し」を迫られた政府は、年末にかけての来年度予算編成の過程で、どの工事にストップやブレーキをかけ、どの工事を進めるかなどを決断せねばならない。東京駅乗り入れ、本四架橋以外にも、鉄建公団が建設している青函トンネルの問題など、国鉄にからむ工事はたくさんある。そのなかで下手をすると大きな政治問題になりかねないのが東京駅乗り入れと本四架橋の工事の行方だ。総選挙がらみの秋の政局を控え、中曽根首相は“行革内閣”の看板があせないようにこの工事をどう処理すべきか頭の痛いところだろう。

 

1983(昭和58)年8月19日付 日本経済新聞から引用


 政治的配慮の玉虫色で生き残ったというわけか。その辺のかけひきは、下記の記事でも読み取ることができるのでこちらも是非。

http://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/14-1-02.pdf

 ついでなので、明石海峡大橋に鉄道がかかるはずだったころのポンチ絵を貼っておく。

瀬戸大橋 (2)

 なお、明石海峡大橋への鉄道の架設については、井上孝氏が

明石海峡大橋をやめたのは、やはりあれだけの長大吊り橋になると、たわみが大きくて、吊り橋のジョイントというのか、あそこで非常に危険があるというようなのが最後の決め手になったみたいでやめました。

まあ、克服できないものではないと思いますがね。あそこしかないとなったらやるでしょうけれどもね。鉄道もあそこはあきらめるということで、割とすんなりといきました。

 

土木史研究におけるオーラル・ヒストリー手法の活用 -高速道路に焦点をあてて--実践編 井上孝氏- 191頁 から引用

と語っている。

 

 ところで、よく見ると、児島・坂出ルートのうち一部の橋が現在と形式は違う。

瀬戸大橋 (3)

瀬戸大橋 (1)

 櫃石島橋と岩黒島橋は、イギリスのフォース鉄道橋のような形式(正確にはちょっと違う)になるはずだったのだ。

 

 ※橋の科学館展示物から

 

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