« 産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4) | トップページ | 昭和15年 東京帝国大学 行幸奉迎次第書 »

2017年8月27日 (日)

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

首都高研究家清水草一の日本橋関連の嘘

 日刊SPA!で「首都高研究家」を自称する清水草一氏が「世界初の都市高速・首都高は醜いのか? 首都高C1日本橋付近地下化のメリットとデメリットを考える」https://nikkan-spa.jp/1385796/2という記事を公開している。

 主義主張の部分は個人の好みなのでとりたててコメントするものではないが、大きな事実誤認若しくは嘘があるので指摘しておきたい。

 清水草一氏は「それは、運河や道路などの公共用地を可能な限り有効活用し、新規用地取得を約2割に抑えたことで実現した。当時それを批判する声はなかったし、この乱暴な作り方こそ、あの頃の日本の熱気そのものだった。」としている。

 いやいや、ちょっと真面目に調べたらなんぼでも反対運動は拾えるでしょーよ。

 ということで河川を活用した首都高速道路建設に対する地元の反応等を紹介していきたい。

 

清水草一が知らない首都高反対の動き4

 1958(昭和38)年7月8日付朝日新聞が、築地川を干拓して首都高速道路を計画していることに反発する地元の声を報じている。

 首都高速道路公団法が成立したのが1959(昭和34)年4月、東京オリンピック開催決定が1959(昭和34)年5月なので、随分前から前哨戦を戦っていたことになる。(このことからも、「東京オリンピックが決まって5年しかないから川の上に高速道路を造った」ということが嘘だということもお分かりになるであろう。)

 

 東京都都市計画部は、築地川の埋め立てに反対する中央区民に対して 「流れのきたない築地川を残すのは都市美化の上から無意味」と対応しているあたりも興味深い。

 「景観や都市美を無視したから首都高を川の上に作った」というのも間違いで、それなりに都市美の理論は起業者側にあったわけである。それが現在に至るまでどう評価されたかは別にして。

清水草一が知らない首都高反対の動き

 中央区、港区の反対運動を報じる1959(昭和34)年2月23日付毎日新聞。単に「プロ市民」が騒いでいるのではなく、中央区議会、港区議会、渋谷区議会、品川区議会が反対の決議をしている。

清水草一が知らない首都高反対の動き2

 首都高の都市計画決定を報じる1959(昭和34)年8月8日付毎日新聞。

 

 注目すべきは「地元民が猛反対、昨年12月の同審議会で流産したいわくつきのもの」というところ。

 「首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.htmlを書いたときに、2回に分けて都市計画決定を行っていることを知って、意外に思っていたのだが、地元の反発で流産していたとは。

 なお、この後に、都市計画に基づいて東京都道の認定手続きに入っているのだが、それに対しても複数の区から同意が得られなかったという異例の経緯をたどっている。

清水草一が知らない首都高反対の動き3

 1960(昭和35)年4月13日付読売新聞では、「高速道路をめぐる地元の要望 中央の5地区」ということで、中央区内から出た首都高速道路に対する地元要望について報じている。

 この中で注目すべきは「江戸川橋通り地区」から出ている「名橋「日本橋」の上をまたいで四号線が通るのは絶対反対」というところである。清水草一氏の言うように「当時それを批判する声はなかった」というのは事実と異なるのである。

 大事なところなので、他のソースからも。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (10)

 「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。

 言葉遣いは違うが、地元から日本橋附近を高架でとおることを反対されたということは首都高側としても公的に表明しているわけだ。

 ということで、清水草一氏は何を調べていたら「当時それを批判する声はなかった」と断言するほどの根拠を得たのであろうかと疑問に思うわけである。

------------------------------------------------------

 ところで港区からの反対も上記で紹介したところだがもうちょっと深堀してみたい。

 首都高速2号線は、ご存知の通り古川の上をまたいで都心環状線から分岐していく。

 ここは、首都高速道路公団設立前に、日本道路公団によって首都高速の中で真っ先に工事着手した区間である。

JHが首都高を建設開始した

 結論から言うと、2号線は一番最初に工事着手しながら東京オリンピックに間に合わなかったのである。

 なお、東京オリンピック関係でいくと、日本道路公団の第三京浜道路も間に合わなかった。(玉川―京浜川崎のみ暫定2車線で間に合った。)

 

------------------------------------------------------

 ところで、首都高速2号線と第三京浜の関係では、清水草一氏は、「第三京浜ってどうして安いの?玉川ICはなぜ中途半端なところにあるの?」http://autoc-one.jp/word/691238/において「首都高2号線は、昭和30年代までは第三京浜まで延長される構想でした。」なんて述べていたりするのだが、その辺も私のブログで考察しているので、あわせてお目通しいただくと幸甚である。

・第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-067b.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4c24.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(3)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4f1f.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(4)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4f1f-1.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(5)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-e59d.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(6)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-fb53.html

清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(7)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-dc79.html

 

------------------------------------------------------

 

【参考】過去に書いた首都高関係の記事

 

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

 

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

 

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

 

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

 

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

 

首都高と河川利用と景観

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

 

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

 

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

 

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

 

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

 

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

 

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

 

昭和63年の首都高速道路計画

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

 

昭和37年の首都高速道路将来計画

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

 

昭和28年の首都高速道路計画

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

 

 

| |

« 産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4) | トップページ | 昭和15年 東京帝国大学 行幸奉迎次第書 »

道路」カテゴリの記事

暗渠・水路」カテゴリの記事

首都高速道路」カテゴリの記事

東京オリンピック」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5):

« 産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4) | トップページ | 昭和15年 東京帝国大学 行幸奉迎次第書 »