« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »

2017年8月に作成された記事

2017年8月27日 (日)

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

首都高研究家清水草一の日本橋関連の嘘

 日刊SPA!で「首都高研究家」を自称する清水草一氏が「世界初の都市高速・首都高は醜いのか? 首都高C1日本橋付近地下化のメリットとデメリットを考える」https://nikkan-spa.jp/1385796/2という記事を公開している。

 主義主張の部分は個人の好みなのでとりたててコメントするものではないが、大きな事実誤認若しくは嘘があるので指摘しておきたい。

 清水草一氏は「それは、運河や道路などの公共用地を可能な限り有効活用し、新規用地取得を約2割に抑えたことで実現した。当時それを批判する声はなかったし、この乱暴な作り方こそ、あの頃の日本の熱気そのものだった。」としている。

 いやいや、ちょっと真面目に調べたらなんぼでも反対運動は拾えるでしょーよ。

 ということで河川を活用した首都高速道路建設に対する地元の反応等を紹介していきたい。

 

清水草一が知らない首都高反対の動き4

 1958(昭和38)年7月8日付朝日新聞が、築地川を干拓して首都高速道路を計画していることに反発する地元の声を報じている。

 首都高速道路公団法が成立したのが1959(昭和34)年4月、東京オリンピック開催決定が1959(昭和34)年5月なので、随分前から前哨戦を戦っていたことになる。(このことからも、「東京オリンピックが決まって5年しかないから川の上に高速道路を造った」ということが嘘だということもお分かりになるであろう。)

 東京都都市計画部は、築地川の埋め立てに反対する中央区民に対して 「流れのきたない築地川を残すのは都市美化の上から無意味」と対応しているあたりも興味深い。

 「景観や都市美を無視したから首都高を川の上に作った」というのも間違いで、それなりに都市美の理論は起業者側にあったわけである。それが現在に至るまでどう評価されたかは別にして。

清水草一が知らない首都高反対の動き

 中央区、港区の反対運動を報じる1959(昭和34)年2月23日付毎日新聞。単に「プロ市民」が騒いでいるのではなく、中央区議会、港区議会、渋谷区議会、品川区議会が反対の決議をしている。

清水草一が知らない首都高反対の動き2

 首都高の都市計画決定を報じる1959(昭和34)年8月8日付毎日新聞。

 注目すべきは「地元民が猛反対、昨年12月の同審議会で流産したいわくつきのもの」というところ。

 「首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.htmlを書いたときに、2回に分けて都市計画決定を行っていることを知って、意外に思っていたのだが、地元の反発で流産していたとは。

 なお、この後に、都市計画に基づいて東京都道の認定手続きに入っているのだが、それに対しても複数の区から同意が得られなかったという異例の経緯をたどっている。

清水草一が知らない首都高反対の動き3

 1960(昭和35)年4月13日付読売新聞では、「高速道路をめぐる地元の要望 中央の5地区」ということで、中央区内から出た首都高速道路に対する地元要望について報じている。

 この中で注目すべきは「江戸川橋通り地区」から出ている「名橋「日本橋」の上をまたいで四号線が通るのは絶対反対」というところである。清水草一氏の言うように「当時それを批判する声はなかった」というのは事実と異なるのである。

 大事なところなので、他のソースからも。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (10)

 「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。

 言葉遣いは違うが、地元から日本橋附近を高架でとおることを反対されたということは首都高側としても公的に表明しているわけだ。

 ということで、清水草一氏は何を調べていたら「当時それを批判する声はなかった」と断言するほどの根拠を得たのであろうかと疑問に思うわけである。

------------------------------------------------------

 ところで港区からの反対も上記で紹介したところだがもうちょっと深堀してみたい。

 首都高速2号線は、ご存知の通り古川の上をまたいで都心環状線から分岐していく。

 ここは、首都高速道路公団設立前に、日本道路公団によって首都高速の中で真っ先に工事着手した区間である。

JHが首都高を建設開始した

 結論から言うと、2号線は一番最初に工事着手しながら東京オリンピックに間に合わなかったのである。

 なお、東京オリンピック関係でいくと、日本道路公団の第三京浜道路も間に合わなかった。(玉川―京浜川崎のみ暫定2車線で間に合った。)

------------------------------------------------------

 ところで、首都高速2号線と第三京浜の関係では、清水草一氏は、「第三京浜ってどうして安いの?玉川ICはなぜ中途半端なところにあるの?」http://autoc-one.jp/word/691238/において「首都高2号線は、昭和30年代までは第三京浜まで延長される構想でした。」なんて述べていたりするのだが、その辺も私のブログで考察しているので、あわせてお目通しいただくと幸甚である。

・第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-067b.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4c24.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(3)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4f1f.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(4)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4f1f-1.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(5)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-e59d.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(6)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-fb53.html

清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(7)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-dc79.html

 

------------------------------------------------------

【参考】過去に書いた首都高関係の記事

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

首都高と河川利用と景観

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

昭和63年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

昭和37年の首都高速道路将来計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

昭和28年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月20日 (日)

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

 産経新聞「産経抄」に首都高の日本橋地下化の話が出ていた。

http://www.sankei.com/column/news/170810/clm1708100003-n1.html

【産経抄】無粋な建造物は昭和の技術者の記念碑

 ▼ただ、山田さんには心残りがあった。日本橋の上を通り、周辺の景観を損なってきた道路である。山田さんらは、川の干拓をして橋の下に通そうとしたが、河川管理サイドが認めなかった。地下を掘って高速を通す時間的余裕もなかった(『首都高物語』)。

 

【産経抄】 無粋な建造物は昭和の技術者の記念碑 8月10日

 山田さんというのはこの人。

山田正男

 まあ「山田天皇」といった方が早い方である。

 で「あれ、山田天皇は「心残り」なんて言うような殊勝な人だったんだっけ(失礼!)」と思い、検証してみた。

------------------------------------------------------

 産経抄が引用していた「首都高物語」はこんな感じ。

首都高物語の山田正男コメント

 「本意ではなかった」とは書いてあるが「心残り」とは書いていない。なんていうか、事実関係として「当初の目論見どおりではなかった」とは読めても、「心残り」というほど残念な心情が入っているものかどうかわからない。

 また、その「心残り」が「周辺の景観を損なって」しまったことについての「心残り」かどうかもこの部分だけでは定かではない。

 「自分のやりたい工法ができなかった」とか「工費が余計にかかってしまった」という理由で「本意ではなかった」可能性もこの書き方では否定できない。

------------------------------------------------------

 「首都高物語」の「主要参考文献」に

『山田正男氏ヒアリング』(首都高速道路公団資料、1994年)

とあるので、ここで具体のやりとりをしているのであろう。

 ところがこの資料が都立図書館等にもない。あくまでも首都高速の内部資料なのであろう。

 一方、都立図書館には「東京の都市計画に携わって : 元東京都首都整備局長・山田正男氏に聞く」という同種の本がある。代わりにこちらから関係個所の生のやり取りを抜粋してみる。

首都高速日本橋山田正男1

首都高速日本橋山田正男2

首都高速日本橋山田正男3

首都高速日本橋山田正男4

 えー、皆様どうでしょう。

 産経新聞のいうような、「周辺の景観を損なって」しまったことについての「心残り」感はくみ取れましたでしょうか?

 そんな人が「高速道路の景観はそんなにおかしいか」「見るだけのために構造物を造っているんじゃないからな」なんて言うでしょうか?

 

 道路元標にしても「つっかえるのは道路の限界を侵しているからだろう」と言っている。

 また、産経抄が「首都高物語」から引用しているような「地下を掘って高速を通す時間的余裕もなかった」という点については、聞き手が「当時あれを地下でいくみたいな話はでてもこなかったし、またできもしなかった。」と言い切っている。

 実際には、地元からトンネル化の要望は出ているのだが、東京都の首脳部としては「でてこなかった」レベルの話としか受け止められていなかったということなのだろうか?

 他方、帝国製麻のような古い赤煉瓦の建物には「敬意を表して避けて」いる。周囲に配慮していないということではないことなのだろう。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋2

 「首都高速道路株式会社10年史」には、赤煉瓦の帝国製麻ビルを背景に桁を架設する当時の写真がおさめられている。

 ちなみに桁に「汽車會社」の名前が見える。本来は鉄道の機関車を造ったりするメーカーである。当時は高速道路の橋も造っていた。

 ※ 新幹線と二重になって東京駅へ向かう話が出てきているが、その辺は

「首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.htmlをご覧いただければ。。。

------------------------------------------------------

 ところで「地下を掘って高速を通す時間的余裕もなかった」とは確かに「首都高物語」にも書いてあるのだが、そもそも高架で通すことがオリンピック開催決定前に決まっていたという文献もある。

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった3

首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」古川公毅・著 45頁から引用。

 ここで気になるのは、狩野川台風の水害を踏まえて、日本橋川部分は高架構造としていることである。明示されていないが、1958(昭和33)年12月までにはそのような決定がなされているものと読める。つまり、日本橋川を高架としたのは、1959(昭和34)年5月の東京オリンピック開催決定前であり、「東京オリンピックに間に合わせるために日本橋川部分を高架にした」というのは嘘ということになるのではないか。

 であれば、「東京オリンピックまで時間がなかったから日本橋川部分を高架にした。」のではなく、「東京オリンピック開催決定前に、治水面から日本橋川部分を高架にした。」ということになる。

 こんなツイートもいただいているところだ。

------------------------------------------------------

 日本橋川以外の河川と首都高速道路については、山田正男氏はこんなことも述べているのでご参考まで。

首都高速日本橋山田正男6

 座談会「オリンピック準備態勢すべてO.K.」から「時の流れ・都市の流れ」524頁

 「世界中に都市内に高架道路が通っているなんて事例はない」などとおっしゃる方もいるが、山田正男は世界各国の紳士に自慢したいパリのような道路と思っているようだ。

首都高速日本橋山田正男5

 「東京の都市計画について」から「時の流れ・都市の流れ」514頁

 日本橋の上に高架橋を架けたことを「心残り」に思う人が、オリンピック後に神田川の上に高速道路造ろうと思うかなあ?

------------------------------------------------------

 50年を経過し、山田氏も鬼籍に入られているなかで、確認するすべもないが、産経抄の書くことは素直には受け止められないものである。

------------------------------------------------------

 ということで、「産経抄は嘘だ」とまでは言わないが、どうも怪しい。新聞の一面に載せるコラムを書くのだったら一次資料まで確認した方がよいのではないかということで。。。

 

(参考)

 関係文献を追えなかったので、ブログの記事には反映していないが、興味深い報文があるのでこちらも是非お目通しを。

「東京・日本橋川における首都高速道路の高架構造決定に至る背景について 」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshwr/28/0/28_100090/_pdf

「日本橋川における首都高速道路の上空占用に至る経緯」

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000021817.pdf

 著者は、東京都の職員の方のようだ。

 「平常時は高速道路として使用し,洪水時に道路封鎖して河道化する堀割案の導入を積極的に考えていたが,建設省河川局の反対に合い実現しなかった」などと魅力的なことを書いておられる。

------------------------------------------------------

【参考】過去に書いた首都高関係の記事

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

首都高と河川利用と景観

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

昭和63年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

昭和37年の首都高速道路将来計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

昭和28年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月19日 (土)

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

 前の記事で、2017(平成29)年7月30日付の読売新聞社説「首都高地下化 日本橋の景観を取り戻そう」を取り上げたところである。

 そこにこんな記事がある。

首都高日本橋 (1)

 「首都高の整備を翌年の東京五輪に間に合わせるため、用地取得の手間や費用を省ける河川上のルートが採用されたためだ。」とある。

オリンピックに関係なく首都高は川の上だった

 ところで、1957(昭和32)年9月29日付の読売新聞は、上記のように「都内に高架道路の網」「川の上や二階建」と報じている。

 ちなみに東京オリンピックが決定したのは、1959(昭和34)年5月26日である。

 あれれ?順番が違いませんかねえ?

 念のために読売以外の新聞も見てみよう。

オリンピックに関係なく首都高は川の上だった2

 1957(昭和32)年8月16日付朝日新聞も同様の趣旨の記事を掲載している。

 「できるだけ既設の幹線道路や河川等公有地の上に建設」とあるし、「東京高速度道路計画図」も現在の路線図と似ている(よく見ると違うところはあるが。)。

 つまりオリンピック決定の約2年前に河川上を活用した首都高の路線は概ね固まっていたということである。

 ええっ、まさか「日本のクオリティペーパー」、天下の読売新聞様が嘘、しかも自社が過去に報じたことと違うことを社説で書いているの??

------------------------------------------------------

ざくっと時系列を整理してみよう。

・1953(昭和28)年4月 首都建設委員会勧告「首都高速道路に関する計画」

→今とは全然違う路線網http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

 

・1956(昭和31)年11月 日本道路公団 東京調査事務所を設置

→都市高速道路の調査を開始

 

・1957(昭和32)年7月 建設省「東京都市計画都市高速道路に関する基本方針」

→河川や公有地の活用方針

 

・1957(昭和32)年8月 東京都市計画地方審議会「高速道路調査特別委員会」設置

→上記新聞記事 当初の路線の原型。

 

・1957(昭和32)年12月 東京都市計画地方審議会「高速道路調査特別委員会」東京都知事へ報告書提出

→当初の路線がほぼ固まる

 

・ 1958(昭和33)年4月 衆議院建設委員会「都内高速度道路整備計画に関する件」

→「経過地に当っては不利用地、治水、利水上の支障のない河川、または運河を使用して、やむを得ざる場合だけが幅員四十メートルの道路に設置する」と答弁http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/028/0120/02804100120023a.html

 

・1958(昭和33)年4月 日本道路公団が「東京高速道路」西戸越~銀座間(現在の2号線等の一部)を翌年度に着手との新聞記事

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

 

・1959(昭和34)年1月 首都高速道路公団法案 閣議決定

 

・1959(昭和34)年2月 日本道路公団が西戸越~銀座間の工事に着手

 

・1959(昭和34)年4月 首都高速道路公団法 成立

 

・1959(昭和34)年5月 東京オリンピック開催決定

 

・1959(昭和34)年6月 首都高速道路公団 発足

 

・1959(昭和34)年8月 首都高速道路公団 当初計画71km都市計画決定

 

・1964(昭和39)年10月 東京オリンピック開催

 

 とまあ、こんな感じである。オリンピック決定のはるか前に河川活用を決め、首都高速道路公団ができる前に日本道路公団が工事着手していたというのが実態であるのだ。

------------------------------------------------------

 ここから上記の時系列について詳細な資料を提示していきたい。

・1953(昭和28)年4月 首都建設委員会勧告「首都高速道路に関する計画」

→今とは全然違う路線網http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

昭和28年の首都高速道路網図

 

・1956(昭和31)年11月 日本道路公団 東京調査事務所を設置

→首都公団ではなく、日本道路公団が首都高速道路の調査を開始した。

http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/41-12/41-12-003.pdf の「土木学会誌」昭和31年12月号60頁を参照されたい。

 

・1957(昭和32)年7月 建設省「東京都市計画都市高速道路に関する基本方針」

→河川、運河や公有地を活用した路線の経過地の選定を行う方針が建設省により決定された。

首都高が河川を活用することはオリンピック決定よりずっと前に決定

「東京都市高速道路の建設について」から引用。詳細はhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

 

・1957(昭和32)年8月 東京都市計画地方審議会「高速道路調査特別委員会」設置

→1957(昭和32)年8月16日付朝日新聞に当初の路線の原型が掲載されている。

オリンピックに関係なく首都高は川の上だった2

 記事中にも「できるだけ既設の幹線道路や河川など公有地の上に建設」とある。

 

・1957(昭和32)年12月 東京都市計画地方審議会「高速道路調査特別委員会」東京都知事へ報告書提出

→当初の路線がほぼ固まる

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった

 「東京都市高速道路の建設について」から引用。4以降の附帯意見等、詳細はhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

 日本橋川附近については「神田川との治水上の関連を慎重に検討のうえ可能ならば河床を通すこととし、もし困難な場合は高架方式又はその他の方法を検討し採用する。」とされた。

 なお、この特別審査委員会の審議においては、下記のような経緯があった。

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった2

 「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」古川公毅・著 45頁から引用。

首都高速道路の初期計画路線網

 1958年(昭和33年)4月4日付読売新聞

 「4割は川上を走らせる」とある。

 

・ 1958(昭和33)年4月 衆議院建設委員会「都内高速度道路整備計画に関する件」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

○藤本参考人(藤本勝満露東京都建設局長) 経過地に当っては不利用地、治水、利水上の支障のない河川、または運河を使用して、やむを得ざる場合だけが幅員40mの道路に設置する、建前としては道路上には設置しないように(略)

物件移転費という欄の一番下の欄をごらんいただきますと、878という数字が出ております。これは移転棟数の合計でございます。これだけの事業をいたしますのに、移転棟数がともかく千棟以下であるという点については、やはりできるだけ民有地あるいは民家というような面において御迷惑を少くするという配慮をいたした一つの現われだと存ずるのであります。

  「五輪に間に合わせるために」ではなく、「民家への迷惑を少なくするために」水路等を活用していると言えるのではないか。当時の国会では「高速道路建設による耕地の潰れを最小限におさえよ」といった議論も多く見られた。敗戦後まもなく、食糧生産や国民の生活維持がまだまだ政策の中でも重要な位置を占めていた時代であり、ある意味「(景観よりも)人(の生活)にやさしい」道路だったのではないだろうか 。

 

1958(昭和33)年4月 日本道路公団が「東京高速道路」西戸越~銀座間(現在の2号線等の一部)を翌年度に着手との新聞記事

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

読売19580429

 1958年(昭和33年)4月29日付読売新聞

 

・1959(昭和34)年1月 首都高速道路公団法案 閣議決定

首都高速道路公団法閣議決定
 1959(昭和34)年1月30日付朝日新聞

 

・1959(昭和34)年2月 日本道路公団が西戸越~汐留間の工事に着手

JHが首都高を建設開始した

 官報から

 「首都高速は、東京オリンピックのために羽田と都心を結ぶ路線から建設された」というのは嘘なのである。

 (本区間については、首都高速道路公団発足後に、日本道路公団から引き継がれている。なお、オリンピックには間に合わんかった模様。)

 

・1959(昭和34)年4月 首都高速道路公団法 成立

 

・1959(昭和34)年5月 東京オリンピック開催決定

東京オリンピックと道路

1959(昭和34)年5月27日付読売新聞

 

・1959(昭和34)年6月 首都高速道路公団 発足

 

・1959(昭和34)年8月 首都高速道路公団 当初計画71km都市計画決定

 

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった3

 「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」古川公毅・著 45頁から引用。

 ここで気になるのは、狩野川台風の水害を踏まえて、日本橋川部分は高架構造としていることである。明示されていないが、1958(昭和33)年12月までにはそのような決定がなされているものと読める。つまり、日本橋川を高架としたのは、東京オリンピック開催決定前であり、「東京オリンピックに間に合わせるために日本橋川部分を高架にした」というのは嘘ということになるのではないか。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (10)

「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。

 「河積の確保のための高架」という意味では、こちらとも平仄があう。

------------------------------------------------------

 こんな感じで見ていくと、東京蘊蓄本にもいい加減なものが多いことが分かる。

三浦展ってアホか

 これは三浦展氏の「昭和「娯楽の殿堂」の時代」の107~108頁であるが、オリンピックに至る首都高の経緯はデタラメであることがお分かりになるであろう。

 また、数寄屋橋の高速道路は昭和20年代の石川栄耀局長のころに立案され、都政七不思議のひとつに数えられた東京高速道路株式会社線(KK線)であって、オリンピックとは一切関係ない。「東京人」御用達文化人だからといって東京の歴史等に詳しいとは限らないようだ。

------------------------------------------------------

 尤も、行政の計画の順番がオリンピック以前に決定したものであったとしても、それは役所の中だけの理屈であって、オリンピックまでに竣工するためには、関係者の理解を得る必要がある。

 そのために「空中作戦」といった広く社会に事業理解を得るためのストーリーはそれはそれとして必要であっただろうこととは想像に難くないし、それ自体を悪く言うつもりはない。

 ただ、歴史として把握する部分と行政を円滑に進めるためのストーリーは峻別しておさえる必要があるだろう。

------------------------------------------------------

 ところで、オリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというなら、オリンピック終了後の計画は河川上には作らない可能性が高い。なんせそう急がなくてもいいはずだから。

 ところが、実際にはオリンピック終了後も河川上に首都高速道路は計画されていた。

首都高速道路内環状線

 神田川の上に首都高速道路内環状線が計画されている。これが出来ていれば箱崎や竹橋の渋滞はもっと緩和されているはずだったのだ。これが実現できなかった理由は不勉強にして知らない。

※ この図面全体がご覧になりたい方はhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.htmlへ。

------------------------------------------------------

【参考】過去に書いた首都高関係の記事

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

首都高と河川利用と景観

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

昭和63年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

昭和37年の首都高速道路将来計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

昭和28年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

 首都高の日本橋川附近の地下化構想をめぐって、さも当然と言わんばかりに、多くのマスコミも論説を繰り広げた。

 その一例として2017(平成29)年7月30日付の読売新聞社説を抜粋してみる。

首都高日本橋 (2)

首都高日本橋 (1)

 なんかご高説なのだが、では建設時の読売新聞はどう言っているかというと、前の記事でも触れたが、1962(昭和37)年12月24日付読売新聞では、

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (13)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (12)

 首都高は「スマート」だ「モダン」だ、日本橋は「感傷」だと述べている。

 単発の記事だけだと、そのときの記者とデスクの一回限りのものかもしれない。

 1962(昭和37)年1月25日付読売新聞夕刊では

河川活用による高速道路建設

・「首都高の河川敷利用が少ないため用地買収等に必要以上の経費がかかっている」

・「河川が不要になったら干拓して掘割式の自動車道路を建設したり、河川を廃止できなくても高架の自動車道路を建設したりするのが世界各国の大都市における実情」

・「一日も早い道路整備が必要」

と主張しているのである。首都高建設当時の読売新聞は。

 で、こんなツイートをしたら

「50年前の主張を持ってくるのは流石に。。」とか「国鉄の分割民営化の際にブルートレインは廃止しないと言ったじゃないかというのと同レベルじゃないか。。」といったたしなめのお言葉を頂戴した。(ご心配ご迷惑をおかけして申し訳ございません。)

 最高裁の判例ですら時とともに変更されることはあるので、社会の価値観が変わればマスコミの主張が変わることもあるのは十分理解しているつもりである。

 ただ、一言「当社も昔はそう思っていたが、社会の価値観も変わり、当社も認識を新たにした」という趣旨のことを入れていれば問題ないと思うのだが、何も言わずに、さぞ首都高の建設当初から自分たちは景観を重視していたかのような論説には違和感を覚えるのである。

 なーにが「うなずける」だよ。

 これは個人の好き嫌いのレベルの話なので、別に賛同いただかなくても結構なのだが、便所の落書きと思ってご容赦いただければ幸甚である。

SONY ベータマックス

 ええ、ベータマックスがなくなっても、顧客がいなくなったんだからウソつきとは申しません。(まさか、ビデオデッキ自体がなくなるとは当時も想像つかなかっただろうなあ。)

------------------------------------------------------

 別に読売新聞だけを個別攻撃したいのではなく、当時のマスコミの主張はそんなものだったということで。

日本橋川をふさぐ首都高を「美しい曲線」とする朝日新聞 (1)

 東京オリンピック開催を間近に控えた1964(昭和39)年1月1日の朝日新聞の正月特集の一面で日本橋川を塞ぐ首都高の写真を国立競技場よりも大きな写真で紹介している。

日本橋川をふさぐ首都高を「美しい曲線」とする朝日新聞 (2)

 「ビルの谷間に美しい曲線を描く江戸橋インターチェンジ」である。日本橋川は「ビルの谷間」で首都高は「美しい曲線」なのである。

------------------------------------------------------

 こちらは、首都高速ではなくて、東京高速道路株式会社(KK線)が外濠川を埋め立ててしまったときの話なのだが、地元が埋め立て反対として外濠川にて水上デモを行った際の1954(昭和29)年10月2日付朝日新聞夕刊

数寄屋橋埋立につれない朝日新聞

 「何しろネコやネズミの死ガイをはじめ、ありとあらゆる都会のゴミ捨て場の”川”のこと、オールさばきのたびに悪臭プンプンとあって、数寄屋橋上の見物人は鼻をつまんでいた。」とある。当時朝日新聞本社は数寄屋橋にあったので、日々そのような目で外堀川を見ていたのであろう。

 読売新聞も、日本橋川のことを「ドブ川」と報じている。

日本橋川はドブ川と報じる読売新聞

 1966(昭和41)年4月7日付読売新聞から

 こういう汚くて臭い川を埋めてしまうことこそが当時求められていた都市美と考えていた人もいたということなのであろうか。

 築地川の干拓に反対する地元中央区住民に対して東京都は「流れの汚い築地川を残すのは都市美化の考え方から無意味」と対応していることが興味深い。

首都高と都市美

 1958(昭和33)年7月8日付朝日新聞から

数寄屋橋埋立につれない学識者

 多摩美大、金沢美工大等の学者も数寄屋橋取壊しを支持していたと報じる1956(昭和31)年4月5日付読売新聞。

 

 世論も変われば美的センスも時代によってうつろっているのである。そういう背景を整理したうえで物事を判断してもよいのではないか。

 単純に「経済効率最優先だった」と切って捨てるのは浅はかであろう。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋

 この写真は「首都高速道路株式会社10年史」から引用

------------------------------------------------------

【参考】過去に書いた首都高関係の記事

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

首都高と河川利用と景観

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

昭和63年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

昭和37年の首都高速道路将来計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

昭和28年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月17日 (木)

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

 細かく引用しなくても大丈夫だと思うが、最近首都高の日本橋周辺の地下化の話題がいろいろ出ている。

 で、首都高の日本橋附近が景観を無視しているとか無粋だとかなんとか言われたりもしているので、例の如く当時の資料から実際にはどのように進められてきたかを検証してみる。

 

 このブログでは何度も出しているネタだが一応おさらいで。

 もともと日本橋川は高架ではなく、1号線の都心区間のように川底を走ることを検討していた。

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった

 「東京都市高速道路の建設について」(1959年4月 東京都・刊)から抜粋。

 全体をご覧になりたい方は、http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.htmlをご参照されたい。

 ところが、神田川の治水上、日本橋川を干拓することはできず、現在のように高架を日本橋川上空に架けることとなった。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (10)

 「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。

 当時から地元の地下化要望はあったようだ。地下化については、工期や技術的な問題ではなく「日本橋川の河積を狭めることは殆ど不可能」なのでできなかったとしている。

 ところで、日本橋川附近の施工にあたってデザイン等はどのように考慮されていたのか?

 それを順次紹介したい。

 首都高速道路公団では線形が決定した1960年12月橋梁設計会社20社から「このインターチェンジ(※引用者注:当時の首都高速の「インターチェンジ」は、現在の「ジャンクション」を意味する。)を如何なる構造にすべきか?」広くアイデアを募り,構造型式選定の資料とした。

 

 「江戸橋インターチェンジについて」西野祐治郎・和田宏造・前田邦夫「道路」1964年7月号517頁から引用

 その募集に応じたアイデアのうちの幾つかが「日本橋及び江戸橋周辺の高速道路について」西野 祐治郎・前田 邦夫「道路」1961年6月号427頁以降に掲載されている。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (2)

 「地元の要望」がなければ道路元標等を「取壊し」していた可能性があったのか気になるところではある。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (3)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (5)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (4)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (6)

 この「写真-6」のアーチ橋は、「道路」1964年7月号517頁によると「好評を得た」とのことである。こんな風に豪快なアーチ橋も思い切っていてよいものだ。

 以下の案は、「道路」1961年6月号431頁によると「高架橋のファンタジー」として提出されたものということだ。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (7)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (8)

ガラスブロックで採光をよくするというアイデア。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (9)

 モノレール計画などなかったはずだが、モノレールとの合築案。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (14)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (13)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (12)

 首都高が日本橋の上に架かることを報じる1962(昭和37)年12月24日付読売新聞

 「橋脚や街燈は原型損なわない」という見出しに 「感傷も吹き飛ばすように工事が近づいてきた日本橋」「スマートになる完成予想図」というキャプションがついている。

 当時の読売にとっては、日本橋なんかは感傷にすぎなかったと。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (11)

 「首都高速 記念切手」の画像検索結果

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (1)

 首都高開通の記念切手と風景印(特殊通信日附印)は、首都高が日本橋を覆いかぶさっているところを採用している。

 そういう風景を前向きに捉えている時代の雰囲気があったことは間違いないと思うのだ。(当時から反対していた人がいたのは前述のとおりだが。)

 発足当時の首都公団の構造コンセプトは、東京に全く新しい景観を造る意気込みでスマートな構造となるよう桁や橋脚はできるだけスレンダーに設計することであった。(中略)筆者も担当した赤坂見附の高架橋などはそれ以前の橋梁とは全くことなる景観を構成している。

 

「首都高速道路の誕生と発展に参画して」横浜国立大学名誉教授 池田尚治 「東海道新幹線と首都高 1964東京オリンピックに始まる50年の軌跡」土木学会発行  169頁

 

 特に、河川内にスレンダーな丸い橋脚と首都を象徴する立体マルチ交差の高架橋で形成される江戸橋JCTは、土木技術の醍醐味と神秘的で魅力的な流線型を醸し出している。

 

「半世紀の土木技術財産を活かした次世代への舵の方向性首」琉球大学准教授 下里哲弘 「東海道新幹線と首都高 1964東京オリンピックに始まる50年の軌跡」土木学会発行  156頁

------------------------------------------------------

【参考】過去に書いた首都高関係の記事

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

首都高と河川利用と景観

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

昭和63年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

昭和37年の首都高速道路将来計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

昭和28年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月 5日 (土)

明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等

 これは本四高速の明石海峡大橋の車道の下の管理用通路の部分である。

 先日、ここの写真をTwitterにUPしたところ、「新幹線が通るはずだったところ」といった指摘をいただいたので、ちょっとその辺の経緯を調べてみた。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (8)

 まずは、調査の経緯から。国鉄→鉄道建設公団による鉄道の調査と建設省→日本道路公団による道路の調査が並行して行われている。これが本州四国連絡橋公団が設立されて一本化されたわけだ。

 明石海峡大橋部分の鉄道(本四淡路線)の調査は、1950(昭和30)年4月に開始されている。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (9)

 本四公団設立にあわせて鉄道と道路の基本計画(調査)指示がなされている。

 そして1972(昭和47)年に本四公団から調査報告書が出ているのだが、そのうち明石海峡大橋に係る部分を抜粋してみる。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (4)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (6)

 冒頭にUPした動画の管理用通路のところに複線の鉄道が予定されていたことが分かる。(当然構造は異なるが。)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (5)

 「図2」を見ると「鉄道(本四淡路線)」と「鉄道(新幹線)」の2種類のルートが引いてあるのが分かるが、当時は在来線か新幹線かどちらかになるかが決まっていなかったため両論併記となっていたということだろうか。

(新幹線が徳島市内に入らず、高徳本線吉成駅あたりに接続しているように見えるのも興味深い。世が世であればここが新幹線の「新徳島駅」だったのだろうか?)

※ ここまでの図面や文章の引用元は、「道路」1973年1月号「本州四国連絡橋の計画」本州四国連絡橋公団。

 ここまで見ると、今にでも明石海峡を新幹線が通りそうなものだが、実際には技術的なハードルは高かったようだ。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (2)

 「道路」1985年6月号「大鳴門橋の開通にあたって思う」村上永一・著によれば上記のように「明石海峡大橋の架橋の困難さは他の橋梁に較べて格段の差があった。」「早期に完成すべき道路鉄道併用ルートを選ぶとすれば,児島・坂出ルートなりと受け止めてもよい。」としている。

 そこにオイルショックによる工事中止や国鉄改革等が重なった。1981(昭和56)年には、社会経済情勢、国鉄の財政事情等を勘案し、関係省庁協議のうえ「道路単独橋の可能性等」を本四公団に検討させており、「道路単独橋は「技術的にも採算性の面からも可能」との報告が大鳴門橋開通の2か月前となる1985(昭和60)年4月に行われている。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (1)

 「道路」1985年6月号「最盛期を迎えた本州四国連絡橋」花市 頴悟(本州四国連絡橋公団企画開発部長)著

 ここで興味深いのは神戸・鳴門ルートに建設するはずだった鉄道利用客が道路に転換することで道路の利用客が増えて採算性が取れるようになるという点である。巷間言われるように「予算削減するために鉄道をやめた」のではなくて、「41%(11%は誤植と思われ)費用負担するはずだった鉄道が「撤退する」って言ってるけど、道路単独の費用負担でペイできるかどうか」の検討をしたのではないか?

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (7)

 「道路」1986年4月号「大規模プロジェクトの新たな展開」溝口忠(建設省道路局有料道路課建設専門官)著 によると、本四公団からの調査結果の報告を受けて、1985(昭和60)年8月に、国土庁長官、建設大臣、運輸大臣による道路単独橋として整備する方針が合意されている。

 

 これだけだと、政治的、経済的理由で鉄道の建設を取りやめたように見えるが、前述のとおり技術面でも厳しい部分があったようだ。

伊東 鉄道をやめたのはどんな理由なのですか。当初、三橋とも鉄道が併設されるという話でしたね。

井上 西は違っていたと思います、鉄道はなし。

伊東 真ん中と明石海峡。

井上 それで、真ん中ももうできましたし、鉄道もできていますが、東の明石海峡をやめたのは、やはりあれだけの長大吊り橋になると、 たわみが大きくて、吊り橋のジョイントというのか、あそこで非常に危険があるというようなのが最後の決め手になったみたいでやめましたけれども。

伊東 技術的な理由で。

井上 ええ。まあ、克服できないものではないと思いますがね。あそこしかないとなったらやるでしょうけれどもね。鉄道もあそこはあきらめるということで、割にすんなりといきました。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

井上孝氏(元建設省事務次官・元参議院議員・元国土庁長官)

 鉄道橋を明石海峡に架けるのが難しいのなら、鉄道単独でトンネルを掘ればよいと思う方もいらっしゃるかもしれないが、それもまた難しいようだ。

伊東 明石海峡大橋を鉄道は通さないことにして、あと別ルートを考えるとすれば、どんなことが今考えられているのですか。

山根 トンネルにする案では、水深一○○mの明石海峡の下をトンネルで通っても、明石海峡大橋に乗せても、鉄道の規格にもよりますが、 神戸の駅に取り付かないのですね。

伊東 そうなのですか。たわみがすごくなるということですか。

山根 そうではなくて。

伊東 取り付けの問題なのですか。

山根 そうです。方法としては紀淡海峡を抜ける案が考えられます。

伊東 経営上はどうですか。

山根 備讃線でもう精一杯ではないでしようか。備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

山根孟氏(元建設省道路局長・元本州四国連絡橋公団総裁)

 山根氏のいう「備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。」については、以前ブログで記事を書いたので参照されたい。

「JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/jr30-0cd3.html

 つまり、技術的にも採算的にも神戸・鳴門ルートの鉄道は困難だったということか。

瀬戸大橋 (2)

 「明石海峡大橋に鉄道を架設しなかったのはけしからん」、「大鳴門橋の鉄道投資が無駄になった」等との話をよく目にするが、実際には大鳴門橋建設中に「やっぱ鉄道やめよっかな」という話になっていた。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (3)

 これは「道路」1985年6月号に掲載された「大鳴門橋の建設を振り返って」という対談からの抜粋である。

 発言しているのは、布施洋一(建設省道路局高速道路課長)、遠藤武夫(本州四国連絡橋公団工務第一部長)、松崎彬麿(トピー工業(株)常任顧問)の各氏である。

 1977(昭和52)年の段階で、神戸・鳴門ルートの鉄道建設については「やめるかもしれない」ということになっていたというのだ。

 道路側の発言だけでなく、鉄道側の発言の裏もとってみよう。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった

 昭和54年交通年鑑の、昭和53年3月9日の項に、「大鳴門橋を鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方針を固めた」とある。いや鉄道さん全然やる気ないじゃないですか。

 そして、実際の施工にあたっては「単線載荷」にする等必要最小限の工事だけにしている。もうこの段階で明石海峡大橋への鉄道の施工は実体的にはほぼ可能性がなくなっていたのだろうな。

 前述のとおり、1981(昭和56)年に「道路単独橋の可能性等」を本四公団に検討させているのは、この大鳴門橋の問題を踏まえて、とどめを刺す(あるいは関係者に言い含める)ための手順だったということだろうか。

新全総新幹線

 ※ 参考 1967「(昭和44)年5月30日に新全総(新全国総合開発計画)が閣議決定されており、そこに記された新幹線計画の抜粋

「東京発成田経由仙台行常磐新幹線~未成新幹線を国立公文書館デジタルアーカイブからまとめてみる」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-855c.html

 ※ ときどき「阪神淡路大震災で予算が不足したから新幹線ができなくなった」とか「阪神淡路大震災で主塔がずれたから新幹線ができなくなった」という説を目にするのだが、取りやめたのは1985年なので、全くのデマである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »