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2018年1月に作成された記事

2018年1月27日 (土)

首都高速の工事中に首相官邸から東条英機が作った防空壕が出てきた

 今回は秋庭大先生ぽい「帝都の地下」ネタである。それも大先生の大好きな「首相官邸の地下」である。

 まあ、題名のとおりでそれ以上でもそれ以下でもないのだが。

 首都高速道路公団の広報誌「首都高速」のバックナンバーを見ていたら「秘密のヴェールをぬいだ防空ごう」の題字が飛び込んできた。

場所は

である。

 首相官邸の南側が擁壁となってその下を首都高速道路都心環状線が走っている。ここを切り開く際に防空壕が発掘されたというのだ。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (2)

 この記事のキャプションを転記してみる。

 

 


  都心と渋谷を結ぶ高速3号線(延長6.30キロメートル)の建設工事は、その1部をオリンピックまでに完成するためいま急ピッチで工事を進めていますが、3月25日午後、永田町の首相官邸裏の工事現場にぽっかりと大穴があいた。

---縦1.8メートル、横2.26メートル、厚さ0.5メートルで固められた防空ごうはがんじょうそのもの。昭和17年に東条英機首相が空襲したの閣議用に建築した防空ごうあとだということ。

---官邸の食堂わきにある入口かららせん状の階段を下りて地下20メートルのところに閣議室(40平方メートル)が中央廊下をはさんで3室づつ6室、浄化装置、自家発電装置も完備されている。250キロ爆弾の直撃でも大丈夫だそうだが、これをこわすのがひと仕事。「東条さんも大変なものを残してくれたものです」と作業員はぼやいていた。

 

 

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (3)

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (4)

 

 同じく首都高速道路公団の「首都高速」No47(1965年6月15日発行)において、公団の担当者が当時の工事を振り返っているのだがそこでも首相官邸の防空壕について触れられている。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (1)

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 同様の戦争遺構は他でも発見されている。皇居の北の丸を横断する箇所でも防空壕が工事の支障となっていた。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (5)

 

 

 

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 それなら参謀本部があった三宅坂インターチェンジ(ジャンクション)はもっとどでかいものが出てきそうである。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (6)

 しかしながら「首都高速」の別の号によると「図面が消失してしまい地下の埋設管が分からなかった」とだけある。地下に何が埋まっているかわからないまま東京オリンピック開催に間に合わせるためにあの巨大な地下ジャンクション工事を発注していたということだ。(なおこういう場合にありがちなことだが、用地買収もしていないうちに発注している。)

 

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(参考)

山田正男「宮城外苑地下道計画案に就いて」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-6c82.html

 以前の記事では、戦前の皇居前広場にいざというときには地下防空壕になる地下自動車道の計画があったことにも触れているのであわせてご覧いただければ幸甚である。

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(追記)

 

 

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2018年1月10日 (水)

「夢の超特急」は、国鉄社内からの「新幹線なんかできっこない」とバカにする気持ちを込めた蔑称だった

 講談社の「現代ビジネス」というウェブサイトに、川口 マーン 惠美氏が「ドイツ版新幹線がお披露目した「夢」のようなポンコツっぷり」という記事を寄稿した。

 私はドイツの新幹線には関心がないのでスルーするとして、文中「東海道新幹線の構想が公にされたのは1957年。しかし当時は、鉄道は過去の交通機関で、これからは飛行機と自動車の時代という風潮が強く、「できないもの、無用のもの」という揶揄を込めて、「夢」の超特急と呼ばれていたという。」という記載に対して、鉄道趣味者の方から「初耳だ」「ソースを出せ」「どうせマスコミが(ry」といったリアクションが見受けられた。

 

 私は天邪鬼なので、「じゃあソースを探してみるか」とちょいと探したら、すぐ出てきた。

 

 国鉄幹線調査室調査役から新幹線局営業部長等を歴任した角本良平氏はこう語っている。角本氏は、中公新書「東海道新幹線」等の著書もある。

高嶋 「夢の超特急」という言い方はいつごろ出てきたんですか。

角本 最初だと思います。誰がつけたか、私は知らない。だけど、最初のころでしょう。これは2つ意味があって、「夢の」というのは「どうせできっこない」ということです。営業局の人たち、彼らは「どうせできっこない」と思っていた。実際に予算がついて、建設が始まってからも、非常に多くの営業局マンは、そう思っていた。ということは、我々、期限を切っているでしょう。「そんな期限でできるはずはない」と。実際は半年期限延びたわけですから。

二階堂 「新幹線自体が永久にできるわけない」ということではなくて、「そんなに早くできるわけがないということ。

角本 そうそう、そういう意味。それからそんなに速い速度のものができるわけがない」と、そんな意味もあったと思います。ですから、篠原研究所長、それから海軍出身の技術屋、皆それを実際にやったことがないから、「そんなのできるだろうか」という疑問でしょうね。営業から言えば。

二階堂 「できっこない」と思っていたのは営業局、という認識が、角本さんのなかで強いわけですね。

角本 私は、そう思っています。

 

角本良平オーラル・ヒストリー」交通協力会・刊

 「できないもの」と揶揄して夢の超特急と呼んでいたのは、マスゴミではなくて最初から国鉄社内だったということだ。

 角本良平氏一人のコメントだけでは不十分かもしれない、角本氏と同時期に幹線調査室の総括補佐を務めていた矢田貝淑朗氏のコメントも見てみよう。

幹線調査室

中村 幹線調査室が発足した段階では、もちろん予算もついていなければ、計画も雲を掴むようなものであった、と。

矢田貝 もう何もなかったはずです。私が行ったときですら、ほとんど何もありませんでしたから。「弾丸列車、夢の超特急、速度が凄いらしいが、矢田貝さん、そんなことできるの?」とどこへ行ってもそうだったのです

中村 その段階ではもう、時速200キロという数字は出ていましたか。

矢田貝 出ておったんです。だから「夢の超特急」という言葉があったんです。これはそんなことできるわけがない」という意味の「夢」で、部内でバカにされるときの言葉なんです。そろそろ幹線調査室から幹線局になる頃にも、有名な作家で「万里の長城、戦艦ヤマトと並ぶ大バカだ」と言ったのがおったじゃないですか。

二階堂 阿川弘之です。

矢田貝 そうだ。そうやって笑い物にされたり、バカにされたり、「普通の鉄道なら地方に利益もあるだろうが、田んぼに万里の長城を造られたって困る」という雰囲気だったんですよ。そういうときですから。

矢田貝淑朗オーラル・ヒストリー」交通協力会・刊

 角本氏は「国鉄営業局が」と語っているが、矢田貝氏は「どこへ行ってもそうだった」「部内でバカにされる」と語っている。

 川口 マーン 惠美氏の肩を持つつもりもないし、余計な詮索をするつもりもないが、ジャンピング土下座を自主的にやった方がよい方もいらっしゃるのではないか。

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(追記)

須田寛は夢の超特急について嘘をついているのではなか

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4184?page=2

 JR東海の須田寛氏は「「夢の超特急」は、マスコミの方などが使われたものですね。国鉄(当時)自身では、1度も使っていません。」と語っているようだ。

 当時幹線調査室に居た二人と須田氏のどちらを信用するかが問われているな??

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2018年1月 8日 (月)

シン・ゴジラと条文の書き方

 今更「シン・ゴジラ」ネタでもないかもしれないのだが、一点野暮なネタでも。

シン・ゴジラと条文の書き方 (1)

 ゴジラに対して自衛隊をどういう理屈で出動できるのかを関係各省の官僚が議論するシーンがあり、そこに自衛隊法の条文がだーっと出てくる

 私は法律をちょこっと齧ったことがあるので、この字面のレイアウトが気になった。

シン・ゴジラと条文の書き方 (2)

 正確に書くならこうである。

 シン・ゴジラの出来には満足しており、ケチをつけるつもりは毛頭ないのだが、「せっかくならこの辺も気合入れてくれると約1名が喜びましたよー」というだけである。

 あ、でもそれを分かっていたうえで、「例のフォントで画面いっぱいに文字を埋め尽くすことの様式美」を追求した可能性もあるな。それならそれで美しいかもしれない。

 

 ちなみに、読み方はこうなる。

シン・ゴジラと条文の書き方 (3)

 時々、「76条の一」とか「76条の2」といった書き方・読み方をする方が見受けられるが、「アラビア数字の2」は「第2項」であり、「漢数字の二」は「第二号」という決めである。

 「第1項のアラビア数字の1は無いのか?」という方もいるかもしれないが、「日本の法令の書き方では、通常、第1項の1は書かないが、私企業の社内文や契約書では書いてもいいんじゃないの?」ということになる。

 この際覚えていただけるとおじさんは嬉しい。

 

 ついでに書くと、マイクロソフトワードで「項」、「号」の条文を書くときにスペースを入れて調整する人がいるが、それをやると修正するときに一字ずつずらさなければならなくなるので大変うっとおしいし、ミスを誘発する可能性もある。

シン・ゴジラと条文の書き方 (5)

 「行間のオプション」を選択し、

シン・ゴジラと条文の書き方 (4)

 「インデント」を設定するとうまくいくぞ。

 ゴジラとは全く関係なくなってしまった。

 ちなみに私は、郵研社の「公文書作成の手引」を愛用しています。

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2018年1月 6日 (土)

京葉道路と首都高7号小松川線の境界はどこだ?

 ≪2020東京オリンピックに係る首都高の1000円値上げの関係で、京葉道路と首都高7号小松川線の料金の境を調べるために、当サイトへお見えになった方へ。≫

 

 千葉方面から都心方面に京葉道路に乗ってきた際に、首都高の料金を課金されないためには、「篠崎」で降りてください。

 下記のグーグルストリートビューにあるように、篠崎から西は「別料金」=「首都高への課金」です。

  京葉道路と首都高の物理的な管理境界自体は、篠崎よりもうちょっと西側にありますが、そこでは車は乗り降りできませんので強制的に首都高課金となります。

 また、理由は分かりませんが、地図サイトによってこの辺りの京葉道路と首都高の境界はバラバラです。 

 例えば、google mapでは、篠崎~市川間に「首都高7号小松川線」の表示が出ますが、実際には江戸川を渡る橋は、NEXCOの京葉道路であり、google mapが間違いです。

 

 

 ここから下は、道路マニア兼地図マニアである管理人がマニアックに道路地図毎の違いについて重箱の隅をほじくるだけですのでご留意を。 

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 今年は、ガンガンと道路ネタで攻めていきたいと思いますので宜しくお願いします。

 

 さて、表題のようにNEXCO東日本のE14京葉道路と首都高速道路7号小松川線は接続しているのだが、そこの境界はいったいどこでしょうか?というチビネタが今回の話題。

京葉道路と首都高小松川線

 上記は、NEXCO東日本のドラぷらから引用してきた路線図だが、ICやJCTといった施設で明確に区切られているわけではない。

 で、各種地図サイトを見るとこれがバラバラなのだ。

 ※著作権的には、地図サイトの画面をキャプチャしてUPすることはアウトですが、各地図の内容を検証し、よりよいものにするための提言を行うための最小限の作業ということでお許しください。

 

 まずは、googleである。

googlemap

 首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て京葉道路という扱いであり、更に一之江から都心側にも京葉道路の表記がある。

※2021年7月段階で確認したところ、google mapでは、更にまずい形で改悪されていますが、この記事では当初書いた段階のものを載せています。

 次いで、ヤフー!である。

Yahoo

 ヤフー!も、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て京葉道路という扱いである。

 そして、ゼンリンのいつもNAVIである。

itsumonavi

 ゼンリンもgoogle、ヤフー!と同様に、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て京葉道路という扱いである。尤も、google、ヤフー!ともに、地図のベースはゼンリンなので同じ結果であってもおかしくはない。

 

 

 

 こちらもゼンリンをベースにしているNVITIMEである。

navitime

 やはり同様の結果である。

 ではMapionはどうか。

 

Mapion

 Mapionも、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て京葉道路という扱いである。ゼンリンの地図をベースにしているとみんな同じなのだな。当然か。

 次は、カーナビベースのMapfanである。

mapfan

 今までと違って、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て首都高速という扱いである。

 衆知を集めて作られているはずのOpenstreetmapはどうか?

openstreetmap


大きな地図を表示

 こちらも、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て首都高速という扱いである。ルートマーカーの「7」が篠崎をこえて江戸川まで入っているのが気になるが。

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 というわけで、地図会社には大きく2つの表記があるようだ。

 では、本家首都高速道路株式会社の地図ではどうなっているのか?

 「首都高ナビマップ(路線概略図)」http://www.shutoko.jp/use/network/navimap/の頁からダウンロードできる地図を見てみよう。

syutoko

 こちらも、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て首都高速という扱いである。

 ということで、取りまとめてみるとこんな感じ。

keiyou_syutoko1

 ということで、「正解はMapfanとopenstreetmapでした!」パフパフパフ~  

 

とならないのが俺の性格である。こんな簡単なことなら記事にはしないのだ。

 

 首都高速道路株式会社のサイトには、「首都高最終出口のご案内」http://www.shutoko.jp/use/network/jct/exit/という頁がある。「首都高の終点に一般道路への出口がない(他の高速道路のみに接続している)場所をご案内します。」という趣旨だ。

 そして、この頁の真っ先に登場するのが「【谷河内】(7号小松川線下り→京葉道路接続)」である。

yagouti

 一之江出入口と篠崎ICの間に出入口のない「谷河内」が接続点だということである。

 NEXCO東日本のサイトではどうか?「首都高速7号小松川線 一之江 ~ 京葉道路 原木IC間
夜間通行止めのお知らせ」http://www.e-nexco.co.jp/pressroom/press_release/kanto/h26/1219b/には、下記のような図面が掲載されている。

01

 数字が若干違うけど、中間地点にて区分が違うようになっていることが分かる。

 つまり、こういうこと。

keiyou_syutoko2

 大丈夫か、首都高ナビマップ。

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 現地にそれらしい標識等はないのか?

 まずは、上り線都心方面に向かう区間に、「ここから首都高速道路」の標識と「0キロポスト」がある。

 逆に、下り線都心から千葉方面へ向かう区間には「ここから京葉道路」の標識と「0キロポスト」がある。

 よく見ると中央分離帯のガードレールや遮音壁の形態もその前後で異なっている。

京葉道路起点

 場所は、ここ。ここが江戸川区谷河内なんである。ここが首都高速道路7号小松川線とE14京葉道路との本当の境界なのである。首都高ナビマップと違って。

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 なぜ、こんな中途半端なところが境界なのか?

 ここからは、私の推測である。

 そこには、京葉道路の成り立ちが関係あると思われる。

京葉道路当初路線図

 これは「道路公団年報」(1958年刊行)に掲載された京葉道路の路線図である。

 

 京葉道路は、もともと、日本道路公団による、江戸川区一之江から船橋までの一般有料道路として1960年に開通し、途中に一つ料金所があるだけだった。現在の無料区間はその名残であろう。

 一之江橋のたもとには、今でも「京葉道路終点」の標識と「0キロポスト」がある。

 先ほども紹介したNEXCO東日本のサイトに掲載された路線図で「首都高区間1.5km」とされた赤い部分の上部にある緑の線が京葉道路の現在は無料で一般道路とは違いが分からないのだけれども、現在もNEXCO東日本によって管理されている区間である。参考→http://www.jehdra.go.jp/pdf/hoyu/h027.pdf

 

01

 

 この京葉道路の後に、首都高速小松川線が建設された(1971年開通)。そこで、もともと日本道路公団の京葉道路の敷地であった部分(谷河内から篠崎まで)はそのまま京葉道路として日本道路公団が建設・管理することとなったのではないか?

 

 その結果、江戸川区谷河内という出入口も何もないところに京葉道路と首都高7号小松川線の境界ができたのではなかろうか?

 

 以上、推測終わり。

 

 ということで、地図会社各位におかれましては、表記方法をご検討いただければ宜しいのではないかと。。

 

 特に自動運転等の技術においては、デジタルマップの役割は大きいので。

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(追記)

 

 「こんなのは一般道路利用者には関係なくて、オタクだけしか気にしないんじゃないの?」という趣旨のレスポンスを頂戴しました。

 

 細かいことを言い出しますとですね、首都高速は、ETC車に従前の均一料金から対距離制の料金制度を導入した際に、従来は無料というか料金に変動はなかった「一之江~京葉道路接続部(谷河内)」にもその距離分の料金を設定したのである。

首都高7号線の距離

 

http://www.jehdra.go.jp/pdf/kyoutei/k1004_8.pdfから抜粋。2.1km分料金が違うのだ。

 

 そういった意味でも、料金トラブルを防ぐために、正確に表示することで一般道路利用者に寄与する部分もあるのではないかと思う。

 

(追記終わり)

 

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 他の道路でも同様の問題は多発している。

 

 ※中央自動車道と首都高速道路4号新宿線の境界は環状八号線だが、googlemapの表記は実際とは異なっている。

 

首都高と中央道の位置が違う地図

 

 現地に行くとこんな誤った地図が表示されていたりする。(まさにここで中央道反対運動を展開していたにもかかわらず!)

 データの持たせ方がうまくいっていないんだろうなあ。ICやJCTの分岐点にしか代表点を持たせられない仕組みになっていて、本線の途中で切り替える現実に対応できていないのかなあ。

 

 

 

 

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