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2018年2月 4日 (日)

東京新聞福岡範行記者「首都高は『高速』にあらず?→『自動車専用道路』です」を検証する。

 前回の「佐々木俊尚氏の「高速道路は基本100kmh制限です」ツイートを整理してみる」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/100kmh-4ecd.htmlに続いて、高速道路の最高速度に関する記事である。

【TOKYO発】首都高は「高速」にあらず? 「自動車専用道路」です

 

「首都高速は『高速道路』ではありません」。警視庁が昨年末から、謎かけのような呼び掛けを道路上やネット上で続けている。名前は「高速」。料金もかかる。違反車を取り締まるのも「高速隊」。それなのに高速道ではないとは? 理由を探ってみた。

文・福岡範行

http://www.tokyo-np.co.jp/article/thatu/list/CK2018012202000159.html

 

 2018(平成30)年1月22日付東京新聞に上記のような記事が載っていた。

 東京新聞のウェブサイトでは全文は読めないが、なぜか販売店のウェブサイトでは読めるようになっている。http://seibuhanbai.com/column/1%E6%9C%8831%E6%97%A5%E3%80%80%E9%A6%96%E9%83%BD%E9%AB%98%E3%81%AF%E3%80%8C%E9%AB%98%E9%80%9F%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%9A%EF%BC%9F/

 一応魚拓もとっておく。 http://gyo.tc/1JXuj

ざっくりまとめると

・首都高速道路は「高速道路」なのに制限速度が50km/hの区間も多い。何故か?

・そもそも高速道は「高速自動車国道」と「自動車専用道路」に分けられ、首都高は後者。

・設計速度も高速自動車国道の大半は80~120km/hだが、首都高など大都市や山間部は60km/hと定められている。

・首都高の生い立ち(東京五輪のため完成を急ぎ川の上などにルートを設定した結果、カーブが多い)にも起因。

・あくまでも「高速」だが首都高は実体が伴わない。

といったところか?

 記事中紹介のあった「警視庁が最近配ったチラシにも「首都高は『高速道』ではない」と書いてあった。 」とは、下記のチラシのことか。

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotsu/jikoboshi/torikumi/kotsu_joho/sogo.files/20171127.pdf

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 まずは、基礎的なデータから。

 国土交通省のウェブサイトに掲載された資料http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/syutokou/06/02.pdfによると、首都高速道路の設計速度と規制速度は下記のとおりである。

(設計速度と規制速度の違いは、http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/100kmh-4ecd.htmlを参照のこと。)

首都高速の最高速度 (2)

首都高速の最高速度 (1)

 そして、「道路構造令の解説と運用」日本道路協会・刊126頁に掲載された高速自動車国道及び自動車専用道路の設計速度は下記のとおりである。

高速道路の速度9

 ここでいう「2種2級」が、首都高速道路の設計速度60km/hの区間の規格なのである。

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 ということであれば、「何もお前が東京新聞福岡範行記者の記事をとやかくいう必要はねえじゃねえか」ということであるが、ではこの60km/hの制限は首都高速道路の計画が立てられた際に「道路構造令」に定められていたのだろうか?

 旧道路構造令の制定当時(33年8月)、我が国で初めての高速道路である名神高速道路の計画が検討中であったが、高速道路に関する知識も乏しく、構造令の規定はもっぱら一般国道などに関する事項となっていた。

 

「首都高速道路公団20年史」63頁

 福岡範行記者は「首都高など大都市の都心部や交通量の少ない山間部は60キロと法令で定められている。」と記事に書いているが、首都高の当初計画時にはその「法令(道路構造令)」には都心部の自動車専用道路についての定めはそもそも無かったのである。それは理由にはならないのではなかろうか?

 というか、仮に「大都市の都心部や交通量の少ない山間部は60キロと法令で定められている。」というのが先に定められていたにせよ、「どうして道路構造令は都心部は高速自動国道と異なり60キロに定めたのか?」という理由・思想を書かないとダメなのではないか?「60キロに定めたから60キロなんだ」では、堂々巡りになるのではないか?

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 どういう経緯で60km/hになったのか整理してみる。

 東京都が1959(昭和34)年に発行した「東京都市高速道路の建設について」には下記のとおり書かれている。

首都高が河川を活用することはオリンピック決定よりずっと前に決定

 

 福岡範行記者は「1964年の東京五輪を目指し完成を急ぎ、用地買収の必要がない曲がりくねった川の上などにルートを設定した結果、カーブが多くなった。」と書くが、オリンピック開催決定(1959年)の前の1957年に既に「設計速度は1時間60キロを原則とする」とし、「つとめて不利用地、河川又は運河を使用する」と決めているのである。

オリンピックに関係なく首都高は川の上だった2

 1957(昭和32)年8月16日付朝日新聞に当初の路線の原型が掲載されている。

 なお、この辺の経緯は、以前「首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.htmlという記事にまとめているので、興味のある方はお目通しいただきたい。

 また、オリンピック後に建設された7号小松川線や、3号渋谷線の国道246号上の部分が60km/hとなっていることもこれでは説明できないのではなかろうか?

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 福岡範行記者が首都高速が「60キロ以下制限が大半」である理由とする

・60キロと法令で定められている

・東京五輪を目指し完成を急ぎ、用地買収の必要がない曲がりくねった川の上などにルートを設定した結果、カーブが多くなった。

について、このブログを見ていただいている皆様はどのようにお感じになるだろうか?

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 では、福岡範行記者が書いていない「どうして首都高速道路が60km/hとなったのか」についての思想について深堀してみよう。

二 東京都市高速道路の性格

 此の高速道路は主として東京都内の外周部一帯から発生して、都心部に流入する膨大な都市内交通量に短時間で、円滑に処理するために、一般の街路とは分離して設けられる平面交叉のない自動車専用の高速道路である。簡単に申せば、都市内交通のための高速道路であり、能率的な都市内の平面交差点のない立体道路である。それ故高速道路網の組み方も主要な放射幹線を各方面(八方向)に配置してあるのである。東京の高速道路も各都市間を連絡する、遠距離道路との連絡も一応考えてはいるが、あくまでもそれが主目的ではないのである。したがって諸外国において既に数多く建設されている所謂高速道路とは大分趣を異にしておるのである。

三 東京都市計画都市高速道路網計画

 東京の全般的交通処理方策にもとづき、この都市高速道路は環状六号線以内の平面の幹線道路の交通能力を補うのが目的であって、高速度そのものが直接の目的ではない。いわば交差点のない道路をつくろうということである。したがって、設計速度は60粁/時度とした。

 

東京の都市高速道路の其後」 新都市1959年1月号 岩出進(東京都建設局都市計画部技術課計画第二主査・当時)

※旧漢字は引用者が修正した。

 いかがであろうか?もういっちょいこう。

 都市高速道路という高速道路は、 これは名神高速道路とか東名高速道路とかいう高速道路とは違うのであります。 スピードをあげるための高速道路ではないのであります。先ほども申し上げましたように、平面の道路だけでは処理できないから、土地を空間的に使う,立体的に使うわけです。そのための道路です。また平面の道路は交通能率が非常に悪い。悪いのは交差点があるからだ。そこで交差点を立体化しよう。ところが都市内の交差点は連続しておりますから、一連の連続している交差点を立体化してみたところが、 これは高架の道路になった。あるいは掘割式の道路になったというのが都市高速道路であります。そこで私どもはこんな道路にスピードを期待する必要がないわけでございます。時間的スピードはもちろん期待はしておりますが、物理的な速度は期待する必要がない。そこで設計速度平均 60 km とこういうことにいたしておりますが、もう一つこの都市高速道路の特長となることは、これは長距離の高速道路と違いますから、長距離を短時間で結ぶのではなくて、その道路の流域から最能率的に交通をそこに吸収することが使命でございます。道路を作りましても、使わない道路を作っても能はないわけでございます。なるべく使い易くしてやる必要がある。首都高速道路の計画をごらんになりますと、曲りくねっている。これはまあ、まっすぐに作りにくい市街地がすでにできておることもございますが、曲った方がそれだけ流域面積がふえるわけでございます。道路の流域面積がふえるということは道路利用価値が上がるということです。そういう意味で もっとも曲がっていることをはずかしいとは思っていないわけでございます。曲がった方がいい場合が多々あるわけです。

 

「東京都の都市計画について」昭和38年トヨペットマネジメントスクールにおける講演要旨 「時の流れ・都市の流れ」 山田正男(東京都整備局長・当時)

 長いよ、読めねえよと怒られそうなのでシンプルなやつもいっとこう。

 市街地に於いては主要な交叉点を立体化しようとすれば、結局高架の道路となる。従ってこの都市高速道路は、名古屋-神戸間の高速自動車国道のような長距離的な道路とは根本的に違う。これは平面街路の交通能力の不足を補うものである。従ってスピードも100キロ、120キロを要求する必要はなく、60キロで結構だと思う。

 「都市高速道路を中心とした東京都の道路政策」昭和33年 「時の流れ・都市の流れ」 山田正男(東京都整備局長・当時)

 如何であろうか?福岡範行記者の記事を読んだときのモヤモヤ感は解消していただけただろうか?

 福岡範行記者は「あくまでも「高速」だが実態が伴わない首都高」と書くが、実際に計画を担当していた東京都の技術者にとっては、首都高に求める「実態」が、機能が「東名高速や中央道、東北道など」とはそもそも違っているということなのだ。

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 福岡範行記者は、「もうひとつ、首都高が「高速」と異なる点がある。道路の右側の出入り口が多いことだ。」とも書いている。

 しかし、「なぜ首都高は右側の出入り口が多いか?」には触れていない。

 日本道路協会が発行する「道路用語辞典」で調べてみた。

センターランプ

 どうやら高架道路が接続する街路の幅員、交差点との関係、交通状況によっては、道路の中央に設けなければならないということである。

 「東名や東北道などでは、出入り口は基本的に左側」なのは、接続する街路の幅員、交差点との関係、交通状況に制約されることが少ないからということであろうか。

 いや、事実を並べて違うというだけではなくて、こういう違う理由を調べて読者に伝えることが新聞記者にとって大事なんじゃないの?

 なお、上記の文献は、東京新聞のある日比谷から地下鉄日比谷線ですぐ行ける都立中央図書館にあることを申し添える。

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