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2018年6月 2日 (土)

祝!外環道 三郷南~高谷開通!東京外環道って法令上の名称じゃないけどどうなってんの?

 外環の三郷南IC~高谷JCTが目出度く開通した。

 ところで、日本の法律上は東京外環自動車道という路線はない。放射状に東京から各地へ散らばっていく高速道路の一部分が環状になっていてそれの貼り合わせのような形になっている。

東京外環自動車道と法令上の道路名称jpg (3)

 高速自動車国道の路線を指定する政令http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=332CO0000000275&openerCode=1によるとこうなっている。

 

東京外環自動車道と法令上の道路名称jpg (4)

※スペースの関係から中央自動車道長野線は割愛している。

 例えば、東京都練馬区(大泉JCT)から川口市(川口JCT)の間は、東関東自動車道と常磐自動車道と東北縦貫自動車道の3路線が政令上は重複しているが、高速自動車国道の整備計画は、東北縦貫自動車道にしか出ていない。

 当初の図で路線の色に濃淡をつけているのは、「政令上は路線指定されているが整備計画が出ていない区間」を薄い色で、「実際に整備計画が出ている区間」を濃い色で着色してみたもので私のオリジナルである。

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 ということで、よく見てみると、三郷南と三郷JCTの間は、濃い色が二種類塗ってある。これは間違いではない。順当にいくと当該区間は東関東自動車道として整備計画が出るべき区間である。

 ところが、その前に、三郷南ICは常磐自動車道の追加ICとして整備計画が出ているのである。

東京外環自動車道と法令上の道路名称jpg (1)

 上記は「道路」1997年2月号に掲載された「第30回国土開発幹線自動車道建設審議会について」(近藤清久 建設省高速自動車国道課長補佐・著)から抜粋したものである。

東京外環自動車道と法令上の道路名称jpg (2)

 また、上記は「平成12年版 日本道路公団(JH)年報」の常磐自動車道の項である。三郷南ICが常磐道のICとして位置づけられているのが分かるだろうか?

 だから何だ?と言われると困っちゃうのだが、「これマメな!」としか言いようがない。

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このリゲインのCMの高速道路がまさに外環の三郷JCT~三郷南ICで撮影したものらしい。

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 ところで、外環道を構成する各高速道路の起点で一つだけ異なるものがあるのにお気づきだろうか?

 それは、中央自動車道である。

 例えば、外環の大泉JCT以南が事業化された際に、関越自動車道は従来の起点が「東京都練馬区(練馬IC)」だったものを「三鷹市(中央JCT)」に変更し、重要な経過地に「杉並区、武蔵野市」を追加している。

東京外環自動車道と法令上の道路名称jpg (5)

「道路行政セミナー」2008年3月号「高速自動車国道の路線を指定する政令の一部を改正する政令について」http://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/2007_data/seminar0803.pdfから抜粋。

 しかし、中央自動車道は、起点が「東京都杉並区(高井戸IC)」のままである。これはどうしたことか?

 実は、この理由についても上記「道路行政セミナー」2008年3月号「高速自動車国道の路線を指定する政令の一部を改正する政令について」http://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/2007_data/seminar0803.pdfに記されている。

東京外環自動車道と法令上の道路名称jpg (6)

 外環道のうち、中央自動車道として事業化される区間は、中央JCT(三鷹市)~東名JCT(世田谷区)の間である。

 当該報文の※2に「中央自動車道の基本計画の区間については、同政令中の起点、終点、重要な経過地に変更はないため、この部分についての変更はありません。」と書いてある。

 ざっくり言うと「外環延伸部分の地名(三鷹市、世田谷区)は、従来の中央自動車道の起終点、経過地に既に含まれているので、今更高速自動車国道の路線を指定する政令の中央道部分を改正する必要はありませんよ」ということなのである。納得がいかないかもしれないが、地名を何回も書くものではなく、1回出てくれば必要十分ということらしい。

 「あれ?高井戸ICは杉並区だけど、世田谷区なんか中央道が通っていたっけ?」という方もいらっしゃるかもしれない。

 実は杉並区はちょっとしか通過していなくて、例えば烏山のシェルターがあるあたりが世田谷区である。「杉並のプロ市民のせいで~」などという方もいらっしゃるが、本当は世田谷区内の中央道反対運動が元祖である。

中央自動車道烏山シェルター

ここがまさに世田谷区である。

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 ところで、どうして「高速自動車国道の路線を指定する政令」等に「東京外環自動車道」は独立した路線として位置づけられていないのだろうか?

 「環状道路は、法律上高速道路にはなりえない」という仮説がある。

道路法第5条第1項第1号

(一般国道の意義及びその路線の指定)

第5条 第3条第2号の一般国道(以下「国道」という。)とは、高速自動車国道と併せて全国的な幹線道路網を構成し、かつ、次の各号のいずれかに該当する道路で、政令でその路線を指定したものをいう。

一 国土を縦断し、横断し、又は循環して、都道府県庁所在地(北海道の支庁所在地を含む。)その他政治上、経済上又は文化上特に重要な都市(以下「重要都市」という。)を連絡する道路

 

国土開発幹線自動車道建設法第1条

(目的)

第1条 この法律は、国土の普遍的開発をはかり、画期的な産業の立地振興及び国民生活領域の拡大を期するとともに、産業発展の不可欠の基盤たる全国的な高速自動車交通網を新たに形成させるため、国土を縦貫し、又は横断する高速幹線自動車道を開設し、及びこれと関連して新都市及び新農村の建設等を促進することを目的とする。

 上記の条文の違いを理由に、一般国道は「国土を縦断し、横断し、又は循環」することができるが、高速道路(国土開発幹線自動車道)は、「国土を縦貫し、又は横断する」だけで、循環することはできないのではないかという仮説である。

 そういわれてみると、圏央道も東海環状自動車道も京奈和自動車道も環状道路は一般国道の自動車専用道路である。

 それゆえに、「外環道は、環状道路としては高速道路たりえず、東北縦貫自動車道等の部分部分を継ぎ足して構成しているのではなかろうか??」というものである。

 「道路の日本史」http://www.chuko.co.jp/shinsho/2015/05/102321.html等の著作がある武部健一氏が、建設省道路局在籍時に実際に路線設定を担当した井上孝氏(建設事務次官から参議院議員、国土庁長官)にそこを問うている。

鈴木(伸) もう一つ、尾之内さん(※引用者注 尾之内由紀夫・元建設事務次官)が路線をパッパッパッと名前を言ったということは、それは独自のビジョンなのか、それともまた別に何か検討されておられたのか......。

井上 結局、御本人に聞くのが一番早いのですけれども、私がびっく りしたのは、七六○○キロのルートが決まったときにパッともう名前が 出てきているのですね。ほとんどは縦貫自動車道で決まっていましたけれども、例えば、磐越などというがそうではなかったかな。それから、常磐自動車道というもの、あれは茨城県からずっと行っているで しょう、あの辺は常磐とは言わないはずですよね。

津田 手前の方ですね。

井上 手前でしょう。あれを「常磐自動車道」と言ったと思うのですよ。はぁと思ってね。それから一番感心したのは東京外環、これは抜けているではないかというと、いやそうではない。あれはみんな終末が東京で、全部反時計回り、今そうなっているのですね。

津田 ええ。

武部 ただ、私はなぜそういうふうにしなければいけなかったかというのを逆に疑問に思っているのです。なぜ環状の一本の道路にしなかったかという。

井上 それはそうですね。ただ、あのころはともかく縦貫道というのが先行しているわけですよね。

武部 何か、国土開発幹線自動車道の中には「国土を横断し、縦断し」 とあるけれども、「循環し」と書いていないからだめだという、そういう話もあったようなことを聞いたのですが。

井上 環状線という物の考え方が、環状が一つの使命を持っているという考え方もあるよ。あるけれども、全部よそへ行くための道路だ、 ここからこっちへ行くためにはこう通ってこう行くとね。そういう意識が尾之内さんにあったのではないかね。

津田 先にそういう何かがあったからですか、後の苦肉の策ではなくて。

井上 ええ。

津田 今、東北道がこう来て川口でこっちまで回っていて、常磐道が三郷でこっち回りでこう、ここからここが高速道路になっているわけ ですね。ただ、そういう呼び方をしたのはここの二区間だけですか。

井上 まだそれしかできていなかったからね。だから、その辺で尾之内さんはいろいろ、毎日眺めていたのかな(笑い)。考え方があったのだなと思ったね。

津田 そうすればいいということだったのですか。

井上 ええ。

津田 でも、きちっと「外環」という格好で位置付けられていたら、 もっと早く整備されたのではないかと。

井上 そうそう。それが、要するにおくれているのは美濃部都知事のせいですよ。美濃部都知事がそういうことで説得できたかというと、 どうかなあという気がしますね。

 

「土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて」https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-14350279/

 井上氏は武部氏の問いには直接回答していないのだが、法律上のロジックにはめこんだのではなく、事業としての「意識」があったのではないかと述べている。

 掲載順序としては逆になるが、下記のようにも述べている。

津田 では、もう少しお伺いしたいのですが、七六○○キロの案の最大の功労者というのはやはり尾之内さんになるのでしょうか。

井上 尾之内さんね。私はびっくりしたのは、これはまだ話していないから、七六○○キロが決まったでしょう。決まったらその場だと思う けれども、「井上君、この道路は何々道」と、名前がみんな決まっているのですよ。もっとも大半は議員立法で決まっていましたけれどもね。決まっていなかったのが大分あるでしょう。これは何々道、何々道と、 それと今でもみんなが、ここにも出ている東京外環、あれが入っていないでしょう。

津田 入っていないのですね。

井上 あれは全部端末を環状線の中に入れ込む。

津田 ああ、当時からもうそういう。

井上 当時からそう。

津田 確かに、その方が効率的に.........。

井上 それを尾之内さんがズバッと言うのだから。しかも、私は時計回りだと思ったら、山根君(※引用者注 山根孟・元建設省道路局長)に、「それは違いますよ、反時計回りですよ」 と言われた。

津田 ああ、その当時からもうそういうふうに。

井上 あれは何だ、常磐道は三郷......。

津田 東北道が川口.........。

井上 それで中央道の方へ行くのですね。

津田 はい。

井上 それで外郭環状道路が全部、全部そうなっているのですってね、 今でも。

津田 なっていますね。

井上 ねえ、名前が出てこないな、外環がだからところどころに、ここは東北道とか、ここは常磐道とか書いてあるのですか、あれは。

津田 法律名はそうなりますが、道路名は「東京外環自動車道」です。 その当時、外環は一本で高速道路でという案はなかったのでしょうか。

井上 いやいや、あったのですよ。外郭環状道路と我々は調査も取って一生懸命やって、美濃部、絶対にやらないと。要するに、橋の理論というのがあったでしょう、あのころ。

津田 ええ、一人でも.........。

井上 一人でも反対すればやらないという、あれでもう.........。

津田 ちょうど美濃部さんのときだったのですか。

井上 ええ、都市計画決定ができなかったわけですよ。何とその隣の埼玉県は社会党知事ですよ、あの畑さんというのは。畑さんは道路が 好きで、どんどん、どんどん道路を認定して、「ああ、やってください、 やってください」と陳情に来てね。それで外環は埼玉県部分だけはできているでしょう。全部そういうのに関連している。

 

「土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて」https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-14350279/

 先に紹介したところと違い、同じ本のなかで、外環道を一本にしなかった理由が異なっている。先に紹介した方では「苦肉の策ではなく当初からそういう思想があった」と。後に紹介した方では、「美濃部都知事対策で一本にしなかった」というものである。

 確かに美濃部都知事は外環道の事業遂行にあたっては建設省と対立したことがあるのは間違いない。しかし時系列的におかしい。

 文中「7600キロ」というのは、国土開発幹線自動車道建設法(国土開発縦貫自動車道建設法の一部を改正する法律)http://www.houko.com/00/01/S41/107.HTMによって1966(昭和41)年7月に定められたものである。

昭和41年高速道路網図

 ところが、美濃部亮吉氏が東京都知事に就任したのは1967(昭和42)年4月である。

 ちなみに井上氏は「都市計画決定ができなかったわけですよ」とも述べているが、国交省東京外かく環状国道事務所のウェブサイトhttp://www.ktr.mlit.go.jp/gaikan/gaiyo/keii.htmlによると、都内の都市計画決定は1966(昭和41)年7月になされている。その頃の都知事は保守の東龍太郎氏である。いずれにせよ、美濃部都知事が外環道の路線の在り方に影響を及ぼした可能性は極めて低いと言わざるを得ない。

 伊東孝教授をはじめ、土木脳の方は「革新自治体が反対したから」と言えば納得したのかもしれないが、きちんと裏取りをしていれば真実に迫れたかもしれないと思うと大変残念である。井上氏も尾之内氏も武部氏も鬼籍に入られてしまった。もう真実には迫れないかもしれない。せめてデマ発生源にならないよう関係者の方にはフォローをお願いしたいところだ。

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 ということでせっかく科研費を使ったオーラルヒストリーがこの辺ではあてにならないので国立公文書館で探してみるとこのような想定問答があった。まさに7600キロの高速道路のネットワークを決めた1966(昭和41)年の法律改正に伴う想定問答集である。

想定問答

 ここにまさにピンズドのQ&Aがあるではないか。

東京外環自動車道と法令上の道路名称jpg (7)

問「東京外かく環状は別表にはないが、どうするか」

答 東京都のような大都市においては、幹線自動車道を都心部に乗り入れることは交通処理上好ましくないので、別途首都高速道路等により都心部への連絡を保つようにしているが、これらの交通の流れを円滑にするには幹線自動車道の起点を環状線で形成するのがもっとも合理的である。 したがって、東京を起点とする幹線自動車についての法案の別表の扱いは起点を東京都と表示し概念上、各路線が東京外かく環状線を重複して起点としてい るというような取扱いとしたものである。

 分かったようでよく分からないのだが、いずれにせよ、美濃部都知事とは関係ない時代に、建設省では外環を独自の路線とせずに「東京を起点とする幹線自動車についての法案の別表の扱いは起点を東京都と表示し概念上、各路線が東京外かく環状線を重複して起点としているというような取扱いとしたもの」とすることが道路の機能面からも合理的と整理されていたということのようだ。

 なお、外環と縦貫道の関係については、当初環状6号線のなかだけであった首都高速道路の延伸計画と、当初は渋谷区が起点であった東名高速道路及び中央高速道路との調整が東京都の山田正男氏と建設省の尾之内由紀夫氏との間で行われたと山田氏が語っており、このあたりも絡めたいのだが、あまりに冗長にすぎると誰も読んでくれなくなるのでとりあえずこの辺で第一部終了としておこう。

昭和36年の首都高速道路構想(未成道が山盛り)

 1962(昭和37)年段階での外環の計画が分かる図面。

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