前回の東京オリンピックの際の首都高速道路公団職員の声
これは、前回の東京オリンピックを直後に控え、首都高速道路の開通を告知するポスターである。
首都高速道路公団は、急ピッチで道路建設を進めていた。
※当初は、都心環状線や2号目黒線もオリンピックに間に合わせるはず(黄色で着色)だったが間に合わなかった。
※江戸橋~両国間や羽田空港周辺のルートが現在と異なる
当然関係職員のご苦労も相当なものだったと思われる。
「首都高速道路公団20年史」には下記のような回顧コラムが掲載されている。
「職員全員が寝食を忘れ火の玉のように一丸となって」 「多忙のなかにも和気あいあいとして業務に邁進できた」とある。
しかし、これは相当時間が経過した後に公団の正史となった部分である。
リアルタイムの職員の声が、当時の公団の広報誌「首都高速」に掲載されているのでピックアップしてみる。
「オリンピックまでに完成させよ---この命令は私を、蟻地獄に追い込まれた哀れな虫の心境にさせた。」
「仕事がどんどん重なって身動きができなくなり、せっぱ詰まった気持から大声で喧嘩を始めることも度々であった。」「今、その当時を振りかえってみて、楽しかった思い出は一つもなく、ただただ、苦しかった思いでだけが、かたく頭に残っているに過ぎない。」
これ、担当者がブーたれているのではなく、役職者(現場責任者)の声であり、なおかつ当時の公団本社のチェックが入った結果でもこんな感じだった。
発注者の役職者がこうなら、実際に現場で働く職人さんも大変なご苦労であったようだ。
汐留駐車場というのは、首都高速1号線の建設にあわせて首都高速道路公団によって作られた有料自動車駐車場である。
「2晩徹夜しましてね、3日目にふらふらになっているところを、機械の下敷きになって亡くなったんです。」「停電されたら前の日から徹夜でやってるんですから、左官屋に逃げられちゃう(笑)」「お金はいらないから家に帰してくれ」
最後に、「首都高速」に載った詩?で本稿を〆ることとしよう。
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