« 地下鉄の色(ラインカラー)はどうやって決まったのか( #ねるねちけい 便乗) | トップページ | 前回の東京オリンピックの際の首都高速道路公団職員の声 »

2018年8月15日 (水)

国道1号が「酷道」と呼ばれた時代

 整備状態が悪い国道を「酷道」、県道を「険道」と呼ぶことについては、かなり定着していると思われる。

 私も気になって調べてみたところ、「国道=酷道」と題するエッセイが1955(昭和30)年9月5日付毎日新聞に掲載されていた。「県道=険道」も文中に出てくる。

国道1号が酷道と呼ばれた時代 (2)

 今では、酷道といえば、ヨサクこと国道439号だったりするわけだが、1955年現在では東海道たる国道1号がロクに舗装もなくすれ違いも困難な酷道扱いだったわけだ。

 どんな状態か気になったところ、たまたま収集した資料に1954(昭和29)年の国道1号の写真が掲載されていたのでお目にかけよう。

国道1号が酷道と呼ばれた時代 (5)

国道1号が酷道と呼ばれた時代 (6)

国道1号が酷道と呼ばれた時代 (7)

国道1号が酷道と呼ばれた時代 (8)

国道1号が酷道と呼ばれた時代 (9)

 

 横浜附近はともかく、富士川や水口附近では、江戸時代の参勤交代のままなんじゃないかという幅員である。

 出典元はこちら。

国道1号が酷道と呼ばれた時代 (4)

 国道1号がすれ違いもできない区間があり、ほとんどが砂利道のころに、東京-神戸間に片側2車線の高速道路を作ろうという計画書に添付された現状の国道1号の写真というわけだ。

--------------------------------------------------

 この後も、主要国道が「酷道」扱いされている記事は出てくる。

 下記は、「38豪雪」の様を「白い酷道8号線」と伝える1963(昭和38)年2月5日付読売新聞である。

国道1号が酷道と呼ばれた時代 (3)

 昭和40年代になっても主要1桁国道が酷道扱いされている。下記は、脂肪事故が多発する国道4号を「酷道死号線」と呼ぶ1969(昭和44)年8月16日付毎日新聞である。

国道1号が酷道と呼ばれた時代 (1)

 ネットスラングどころか、ついこの前までひとケタ国道を走るのも命がけだったのだ。

|

« 地下鉄の色(ラインカラー)はどうやって決まったのか( #ねるねちけい 便乗) | トップページ | 前回の東京オリンピックの際の首都高速道路公団職員の声 »

道路」カテゴリの記事

コメント

FUJIKAWAMURAは、富士川(当時は既に町だった)ではなく、藤川村・・・現在の岡崎市東部ではないでしょうか。記事中の「すれ違い困難の箇所」がここでは?
現在でも、藤川の旧東海道=県道327号線はこの写真のような幅のままです。

投稿: hex-ai | 2018年9月18日 (火) 18時36分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/567511/67059508

この記事へのトラックバック一覧です: 国道1号が「酷道」と呼ばれた時代:

« 地下鉄の色(ラインカラー)はどうやって決まったのか( #ねるねちけい 便乗) | トップページ | 前回の東京オリンピックの際の首都高速道路公団職員の声 »