国道1号が「酷道」と呼ばれた時代
整備状態が悪い国道を「酷道」、県道を「険道」と呼ぶことについては、かなり定着していると思われる。
「国道」に対する「酷道」なんかもネットスラングではあるものの、相当歴史が古い
— IKEDA,Yuriko@8/25京都ゆき予定 (@lilyfanjp) 2009年12月6日
「険道」「酷道」という言い方はネットスラングなのかと思いきや、昭和40年代にはすでにあった言葉なのですね。 pic.twitter.com/Zc087w02Cy
— もりさけてん (@morisaketen) 2018年8月11日
nagajisさんの2008年の調べで「酷道」「腐険道」は昭和7年の使用例がありますね。そしてその筋の方のカンとして「探せばもっと古いのがありそうだ」。https://t.co/SaYNbI5h8q https://t.co/w1jSBb5ZDY
— 磯部祥行 (@tenereisobe) 2018年8月12日
私も気になって調べてみたところ、「国道=酷道」と題するエッセイが1955(昭和30)年9月5日付毎日新聞に掲載されていた。「県道=険道」も文中に出てくる。
今では、酷道といえば、ヨサクこと国道439号だったりするわけだが、1955年現在では東海道たる国道1号がロクに舗装もなくすれ違いも困難な酷道扱いだったわけだ。
どんな状態か気になったところ、たまたま収集した資料に1954(昭和29)年の国道1号の写真が掲載されていたのでお目にかけよう。
横浜附近はともかく、富士川や水口附近では、江戸時代の参勤交代のままなんじゃないかという幅員である。
出典元はこちら。
国道1号がすれ違いもできない区間があり、ほとんどが砂利道のころに、東京-神戸間に片側2車線の高速道路を作ろうという計画書に添付された現状の国道1号の写真というわけだ。
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この後も、主要国道が「酷道」扱いされている記事は出てくる。
下記は、「38豪雪」の様を「白い酷道8号線」と伝える1963(昭和38)年2月5日付読売新聞である。
昭和40年代になっても主要1桁国道が酷道扱いされている。下記は、脂肪事故が多発する国道4号を「酷道死号線」と呼ぶ1969(昭和44)年8月16日付毎日新聞である。
ネットスラングどころか、ついこの前までひとケタ国道を走るのも命がけだったのだ。
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コメント
FUJIKAWAMURAは、富士川(当時は既に町だった)ではなく、藤川村・・・現在の岡崎市東部ではないでしょうか。記事中の「すれ違い困難の箇所」がここでは?
現在でも、藤川の旧東海道=県道327号線はこの写真のような幅のままです。
投稿: hex-ai | 2018年9月18日 (火) 18時36分
情報ありがとうございます。私も調べてみたら確かに旧藤川村が岡崎市に合併されていましたね。
投稿: 革洋同 | 2018年11月 6日 (火) 22時42分