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2018年9月に作成された記事

2018年9月19日 (水)

WEB CARTOP 「軽自動車のナンバープレートが黄色いワケ」が嘘くさい

料金所の係員が目で簡単に判断できるため

 

(略)

 そうしたなか、軽自動車の黄色のナンバープレートが目立ちすぎるというか、ボディカラーと合わせにくいというか、ちょっと気になる……。

 そこでなぜ軽自動車のナンバープレートが黄色なのかを調べてみた。歴史的にみると、軽自動車枠が360㏄だった最後の年の1975年1月から、この黄色いナンバープレートが導入されている。

 それまでは、2輪車と同じ小さなサイズのナンバーで、白地に緑文字という組み合わせだった。しかし、1975年から軽自動車のナンバーサイズも普通車と同じ大きさになり、普通車と見分けるために、軽自動車はもっとも視認性のいい黄色に黒の文字(事業用は黒に黄色の文字)が選ばれることになった。

 ではなぜ軽自動車のナンバーに視認性の良さが求められたかというと、高速道路料金が普通車と軽自動車では違ったため(軽自動車は2割安い)。ETCが普及するまでは、高速道路の料金所で係員が一台一台精算をしていたため、ゲートの係員がひと目で判別できるようにということだ。昼・夜を問わず認識しやすい黄色いナンバープレートが採用されたというわけだ。

(略)

 

軽自動車のナンバープレートが黄色いワケ 投稿日: 2018年7月21日 TEXT: 藤田竜太

https://megalodon.jp/2018-0919-2230-52/https://www.webcartop.jp:443/2018/07/258600

 なんか納得しちゃうかもしれない。yahoo!知恵袋でもそんな回答だ。

 しかし、下記の表をよく見てほしい。

高速道路料金車種区分

 https://www.express-highway.or.jp/info/document/rpt_e_007a1.pdf

 日本道路公団の高速道路料金は、1989(平成元)年までは、3車種区分しかない。普通車と大型車Ⅰと大型車Ⅱ(特大車)である。軽自動車単独の料金が普通車から分かれて設定されたのは1989(平成元)年6月1日以降である。

 首都高速道路に至っては、長く普通車と大型車の2車種区分であり、軽自動車等の区分ができたのはついこの前の2016(平成28)年4月1日である。

  WEB CARTOPの藤田竜太氏の記事では、軽自動車のナンバープレートが黄色くなったのは1975年1月ということだから、1975年の段階では、軽自動車は「普通車」の料金の枠の中で同額であり、「ゲートの係員がひと目で判別できるように」する必要は全くないのではないか?

 

web car top

 問い合わせを入れておいたので、答えがくれば皆様にお知らせします。

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2018年9月18日 (火)

JR東海リニア担当副社長はかつて「リニアができると新幹線は大赤字で、公的資金が必要」と書いていた

 日経ビジネス2018年8月20日号が「「陸のコンコルド」、リニア新幹線の真実」という特集を組み、一つの論点が、「リニアは公的資金抜きで採算が取れるのか?(採算が取れないからこそ第三のモリカケ案件として財投が投入されたのではないのか?)」ということであったかと思う。

 

 (葛西は)88年、常務に昇格し、その秋に関西経済連合会の会合で講演に立ち、こう話している。

 「東海道新幹線とリニアは一元的に経営されなければならない」

 「(リニア計画の)全額を民間資金で行うことは難しい。3分の2は民間資金で行ってもよいが、残る3分の1は国のカネが必要ではないか。つまりナショナルプロジェクトとして推進しなくてはなりません」

日経ビジネス2018年8月20日号が「「陸のコンコルド」、リニア新幹線の真実」

 ところで、この講演については、東京新聞はもうちょっと踏み込んで書いている。

 国鉄民営化から日も浅い1988年10月。JR東海のリニア対策本部長だった葛西敬之名誉会長は、「中央リニアエクスプレスの実現に向けて」と題した大阪市内の財界の講演会で、こう訴えた。

 「リニアができると東海道新幹線は赤字になる。リニアの建設費の3分の1は国の金が必要ではないか。つまりナショナルプロジェクトとして推進しなくてはならない」

 まだ実用化のめどすら立っていなかった時代。国鉄民営化に尽力した葛西氏の頭には、既に国の支援によるリニア建設と言う構想が描かれていた。

(略)

 JR東海の元労組幹部は「自前でスタートを切って、それを呼び水に途中から国策に転換するというのが葛西の口癖だった。葛西の戦略通り、リニアは国策となった」と振り返る。

 

2018(平成30)年3月7日付東京新聞「四強時代 リニア談合の底流 2」

 

 私が気になったのは、この葛西リニア対策本部長が講演したベースがどこかにないかということである。

 で、調べてみるとこのような報文がでてきた。

JR東海副社長のリニア採算性報文 (1)

 JREA(社団法人日本鉄道技術協会)1988年11月号に掲載された「中央リニアの概略と採算性検討」。執筆者は東海旅客鉄道リニア対策本部の宇野護氏である。

 まさに葛西リニア対策本部長が講演した1988年10月と時期は合っているし、部署も同じリニア対策本部である。

 そして宇野護氏は現在、JR東海のリニア担当副社長である。

 報文の要約ベースの箇所に「新幹線の赤字が大きく公的資金の導入等が必要となる。」とあり、葛西リニア対策本部長の講演内容(東京新聞による)の 「リニアができると東海道新幹線は赤字になる。リニアの建設費の3分の1は国の金が必要ではないか。つまりナショナルプロジェクトとして推進しなくてはならない」と平仄があうではないか。

 つまり、この宇野護氏の報文は、葛西氏の講演の(全て一致しているかどうかはともかく)バックデータとしての位置づけを担っているのではないか。

 

 全部をコピペするわけにもいかないのでポイントだけ紹介しよう。全部読みたい方は国会図書館等へどうぞ。

JR東海副社長のリニア採算性報文 (2)

 リニアの東京-大阪間全通時には、東海道新幹線の旅客の55%がリニアに転換するという。(リニアの運賃水準は東京~大阪の航空機往復割引の片道分の9割と設定。)

 この結果、「東海道新幹線単独で見た場合、見掛け上△2.5兆円の大きな赤字を生じることになるともいえ、とても存続できる状況にはない」と宇野護氏は述べる。

 ということは、葛西リニア対策本部長の講演での「東海道新幹線とリニアは一元的に経営されなければならない」という発言は、宇野護氏の「東海道新幹線は単独ではとても存続できる状況にはない」という報文の裏腹であると言えるのではないか。

 

 では、「東海道新幹線とリニアは一元的に経営」された場合の見通しはどうなるのか。

JR東海副社長のリニア採算性報文 (4)

JR東海副社長のリニア採算性報文 (3)

 左側のグラフにあるように、リニア単独であれば初期投資額を現在価値が上回り、採算が見込めるが、右側のグラフによると、大きな赤字を生じる東海道新幹線を加味すると、資本コスト7%はおろか、3%でも現在価値が下回り、不採算となる。

 この資本コストの差を埋めて採算性を確保するために一定の公的資金等が必要というわけだ。

 葛西リニア対策本部長の 「リニアができると東海道新幹線は赤字になる。リニアの建設費の3分の1は国の金が必要ではないか。」というのはこういうことであろうか。もっとも、宇野護氏の報文には「資本コストが相当小さくならないと採算が取れない」とはあるが「3分の1」を明示したものはない。そこは経営判断レベルということなのだろうか。

 

JR東海副社長のリニア採算性報文 (5)

 

 宇野護氏の報文の結論は、

 (1) 中央リニアと東海道新幹線を別々に運営することは困難である。

 (2) 金利7%の資金をすべて使っての実施は困難であり、一定の公的資金、利子負担の軽減、運賃の値上げ等の施策を組み合わせることが必要といえる。

ということとなっている。

 日経ビジネスの記事へのSNSでの読者の感想には「JR東海は自力で資金を調達できるのだから、そもそも財投等の公的資金はいらないのだ」というものがあったが、金利まで考えると、資金を調達できるだけではダメなのだということか。

 

 尤も、この報文は、30年前に執筆されたもので、現在では金利も旅客需要の想定も大きく異なるし、当時は新幹線はリースのままだ。3~4兆円を見込んでいた建設費は東京~名古屋間で5兆5千億円、東京~大阪で9兆円とも言われる。この段階でのざっくりとした想定の試算をもって直ちに現在のリニアが不採算であると結論づけることは誤りであろう。

 だからこそ、日経ビジネスの金田信一郎記者には、宇野護リニア担当副社長にこの30年前の報文を持っていって「あなたが昔書いたこのペーパーを赤ペンで時点修正してくれ」と要求してほしかったなーなんて思ったりする。それで採算が大丈夫というデータが分かるのならそれはそれでいいことではないか。

 「のぞみプラス1000円という破格の料金で大丈夫なのか?」という聞き方よりも「あなたは30年前に運賃の値上げ等の施策の組み合わせが必要と書いていたではないか?」と聞けばもっと掘り下げられたんじゃないかなあとかね。

 

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 鉄道をこよなく愛する方からは、「JR東海が公的支援を受けるのは、当初の計画よりも前倒しで大阪延伸するためであって、おかしいことではない」という声もあったような気がする。

 それに対して「当初の名古屋までの計画の自己資金だって口だけで、担保がなかったんじゃね?」と指摘するのが「ZAITEN」2017年4月号 「特集:わが国の大動脈に居座る「安倍政権の後見人」の正体とは― JR東海「葛西敬之名誉会長」の研究」である。

 

 加えて、関係者が「27年開通は無理」と推定していたのは、名古屋までの5兆5000億円という建設費が調達できないのではと見ていたからだ。

(略)

 国交省鉄道局は、5兆5000億円のうち2兆5000億円は、東海道新幹線の収益で充てることができると説明する。それでも3兆円足りない。これをどう工面するのか。

 同社の純資産額は2兆2199億円しかない(16年3月期決算、単体)。3兆円分の担保がない以上、市中銀行は貸し渋るから、社債の大量発行で乗り切るのかと予想する関係者もいた。

 ところが驚いたことに、昨年6月1日、安倍晋三首相が「リニアや整備新幹線などに財政投融資を活用する」と表明したのだ。

 

「ZAITEN」2017年4月号 31~32頁

 「所詮財界誌じゃねえか」と言われると身も蓋もないのだが、この特集には財界誌らしく、葛西氏の「女性スキャンダル」が写真週刊誌に掲載された顛末等も載っているのでそういうゲスな方面がお好きな方は是非。

 

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 日経ビジネス2018年8月20日号「「陸のコンコルド」、リニア新幹線の真実」では、用地買収に係る地元とのトラブルを取材して、「第二の成田」なんて書き方もしていた。

 静岡県等の地元自治体ともめつつも土地収用法の手続きは進めたいようである。

 個人的には「地元自治体とうまく足並みがそろっていないと、横浜貨物線のときもそうだったけど、土地収用はうまくいきませんぜ」等とも思ってしまう。

 

 日経ビジネスの記事では市役所への用地交渉委託を何か「自治体を金で買った」ように書いているように見えるが、公共事業で地方自治体に用地交渉を委託すること自体は決して珍しくない。

 ただし、リニアでは興味深い委託がなされている。

 

リニア新幹線/JR東海、大深度地下使用で近く認可申請へ/用地取得業務支援体制構築  [2016年6月16日4面]

 

 用地取得の取り組みについて、後藤部長は「土地の取得面積は350万平方メートル、土地所有者数は約5000人に上り、ノウハウを持つ方々の支援・協力を得ながら事業を進める体制を構築した」と説明。ほとんどの区間の用地取得事務を自治体(相模原市、神奈川県、山梨県、長野県、同県飯田市、岐阜県、愛知県、名古屋市)に委託し、補償説明などを進めている。

 自治体とは別に、用地取得支援・補助業務を首都高速、中日本高速、阪神高速の3高速道路会社のほか、土木工事の一部発注業務を担当する鉄道建設・運輸施設整備支援機構に委託している。

 

日刊建設工業新聞

https://www.decn.co.jp/?p=70372

 

 首都高速道路、阪神高速道路、NEXCO中日本に「用地取得支援・補助業務」という業務を委託しているという報道だ。自治体と違って阪神高速は土地勘もない仕事だ。NEXCO中日本はライバルだ。支援・補助って何をやっているのかこの記事では分からないが。

 

 SNSでは、「JR東海は民営化した後に大規模な新線建設工事をやっていないから委託したんじゃないか」との声もあったような記憶がある。

 用地買収経験がないからトラブルを起こして、ゼネコンから「道路会社ではこんなことは。。」なんてことを言われてしまうのだろうか?

 

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(余談)

JR東海副社長のリニア採算性報文 (7)

 これは、同じ日経BP社でも日経ビジネスではなく、日経コンストラクションという建設業界向けの専門誌で2018年2月26日号「特集 リニア談合 悪いのは誰か」の冒頭の記事に掲載された建設業界アンケートの回答である。

 SNSの鉄道マニアの書き込みでは「リニア談合ではJR東海は被害者なのに。。。」という声が多く見られたが、業界向けアンケートでは、JR東海は「加害者 48%」「被害者 26%」とダブルスコア近くのポイントでJR東海が加害者と思われているとのデータである。

 アンケートのコメントには「JR東海の調達行為は不透明で、官製談合のような加害者側にあると言える。」「発注・入札に限らずJR東海は全体的に説明が足りない。」といったことが太字で載っている。

 他の発注者と比べてみないとこれだけでは何とも言えないが。

 まあ、日経BP社とJR東海はこの辺から既にチャンバラやっていて、今回は第2弾ということになるんですかね。

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2018年9月17日 (月)

首都高速の路線変更から秋庭大先生の嘘をあばく

 秋庭大先生といえば、まあアレである。

 ところで、先日書いた「首都高に高松宮が「日本橋はどうにかならないものか」と申し入れし、オリンピック後に地元からの要望で日本橋川の上に首都高のルートを変更していた」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-0d26.htmlを書いていると、秋庭大先生の嘘が一つ分かった。

 

 「帝都東京・隠された地下網の秘密<2>」という著作があり、まあいつものとおりなのだが、こんな記載がある。

秋庭大先生

 「帝都東京・隠された地下網の秘密<2>」秋庭俊・著 122~123頁から引用

 「中央区浜町附近に首都高速と異なる妙な街路計画がある」と秋庭大先生は指摘し、またいつものようなアレな妄想を膨らませている。

 しかし、私のブログの読者ならお分かりのように、これは首都高が江戸橋から両国に向かう(箱崎を通らない)当初の都市計画決定ルートにすぎない。

秋庭大先生2

 別に地下に秘密の施設があるわけでもなんでもない。

 この路線が東京オリンピック後の地元要望等により、江戸橋から日本橋川、箱崎を経て両国へ向かうように変更されたのが現在の首都高速道路6号線である。

首都高と日本橋 (1)

 首都高速道路公団広報誌「首都高速」から引用。

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団地内に高速道路の敷地を確保していても事前に説明しておかないとトラブルになる

 吹田市立博物館&パルテノン多摩歴史ミュージアムの連携展示「ニュータウン誕生」の図録を見ていたら、38頁にこんな記載があった。

団地と高速道路 (2)

 南多摩尾根幹線は、高速道路でも十分な幅員の空き地があいている未成道ということくらいは知っていたが、もともと道路予定地を確保していたが団地入居前に説明がされていなかったこと等を原因として、現在は生活道路の高規格版といった形で整備が進められている。

団地と高速道路 (3)

 詳細は、こちらをごらんいただきたい。http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kiban/minamitama/pdf/slide.pdf?1503

 

 そういえば、中央道の世田谷区内烏山北団地付近も似たようなトラブルがあった。ちょうどシェルターがある箇所である。

団地と高速道路 (1)

 出典「野村鋠一顧問 談話録」編集・発行 財団法人東京市政調査会 67頁

 こちらも「山田正男首都整備局長が団地のど真ん中を高速道路が通るように空けていたが入居前に住民にしらせていなかったようです」とある。

 野村氏は、この紛争解決の際に日本道路公団と団地住民の間を調整した東京都都民室長だったので情報の精度は相当なものと思われる。(ただし建て替えはあったはず)。

 

 烏山北団地については、山田正男氏の名前が出てきているが、多摩ニュータウンの計画に深く関与していることも旧知の事実である。

山田正男

 山田正男は「山田天皇」と呼ばれ、東京の都市計画に辣腕、剛腕をふるったものだが、時代とともに、住民への事前の根回しなしには事業は進まなくなっていたということであろうか。団地入居前に道路の説明をしておけば結果的に急がば回れになっていたのかもしれない。こういった背景を調べもしないで「プロ市民」呼ばわりすれば俺国士様カッコイーみたいな風潮があるがけしからんことだ。

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2018年9月16日 (日)

南海ホークスはダイエーではなく、九州のスーパー「ユニード」へ売却されるはずだった

 今から30年前の夏、福岡の高校から関西の大学へ進学していた私は、下宿の近くの新聞スタンドに積んであったスポーツ新聞(大阪版)の見出しに噴いた。

 「新球団ユニード」だと!?

南海ホークスの身売り先はダイエーではなくユニード (2)

 ユニードといえば、福岡でその辺にある地場のスーパーにすぎない。全国級の知名度なんてあるわけない。

 スクープしたスポーツ新聞にもわざわざユニードとはなんぞやとの解説記事が載っている。

ユニード

 当時の私は、ダイエーが九州進出のために地場のスーパーをその勢力下に入れていたことは知らなかった(だってダイエーはダイエーで福岡にあったやんか)。

 

 スクープした1988年8月29日付の報知新聞(大阪版)一面はこちら。

南海ホークスの身売り先はダイエーではなくユニード (1)

 そして翌日の報知新聞はこちら。

南海ホークスの身売り先はダイエーではなくユニード (3)

 やはり「新球団ユニード」が一面トップだ。

南海ホークスの身売り先はダイエーではなくユニード (4)

 2面では当時巨人の監督だった王貞治氏のコメントが載っている。まさかこの後に自分がホークスの監督になるとは思ってもいなかっただろう。

 

南海ホークス対阪急ブレーブスちけっと

 私もお別れを言いに大阪球場に行ってきた。このときのメガホンと球団旗はまだ持っている。

 相手は奇しくも同じ年に身売りした阪急ブレーブス。有名なダミ声の阪急応援団長が「なんか~い!はよ~やめ~!」とやじっていたのを今でも覚えている。

 阪急ブレーブスがオリエントリースへの身売りを発表する約1カ月前であった。

小倉球場

<おまけ>

読売ジャイアンツVS横浜大洋ホエールズ@小倉球場

バッティング練習をする田代富雄選手を見守る土井監督

 

※自分の昔の記憶を国会図書館のマイクロフィルムで掘り出すのが楽しかったという「自己満足」記事です。「そんなの常識やん」というツッコミはご容赦いただきたければ幸いです。。。

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2018年9月 9日 (日)

首都高に高松宮が「日本橋はどうにかならないものか」と申し入れし、オリンピック後に地元からの要望で日本橋川の上に首都高のルートを変更していた

 相変わらず、なんでも詰め込もうとして頭の悪い題名になってしまったことだよ。

 

 首都高の日本橋附近の話はいろいろ記事にしてきたが、また小ネタを追加。


――建設前に、地元で議論とか反対とかなかったのですか。

 

「全然、記憶にないね。当時、私の父も含めて日本橋の旦那衆は、高速道路なんて見たことなかったんだ。私のじいさんなんて『なんだ、高速道路はもっと(背が)高いのかと思ったよ。随分低いんだな』と。そんな笑い話もあるくらい、よく知らなかった。むしろ便利になるからいいことだと。手塚治虫さんが描いた未来都市のイメージで、『羽田空港から日本橋まで15分で着いちゃうらしいぞ』『それは、すごいね』なんて気楽な話をしていた。『国策として大事な時に、お上のいうことに反対するなんてみっともねえじゃないか』という思いもあった。そんな時代だよ」

 

「日本橋に首都高いらない」 地元重鎮が地下化に異議 「栄太楼総本舗」6代目、細田安兵衛さんに聞く

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO20830810W7A900C1000000

 

 地元の「重鎮」がそうおっしゃっている。

首都高研究家清水草一の日本橋関連の嘘

 自称「首都高研究家」の清水草一氏も「当時それを批判する声はなかった」とおっしゃっている。(まあ嘘なんだけど)

 「栄太楼総本舗」6代目、細田安兵衛氏の記憶に反して、日本橋の地元が首都高に反対していた記録は残されている。

清水草一が知らない首都高反対の動き3

1960(昭和35)年4月13日付読売新聞

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (10)

 「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。

 

 『国策として大事な時に、お上のいうことに反対するなんてみっともねえ』ことを当時の日本橋地区の方は実際にはやっていたのである。当然の権利だからそれを批判するつもりはないが。

 この辺までは、今までのブログに書いてきたことのおさらい。これからが新規のネタである。

 

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 斯様に今では「オリンピックのための協力もあるし、高速道路のこともよく分からなかったし、日本橋の上に首都高をかけることの影響の度合いもわからないなか、反対はなかった」的な印象が今の世間を覆っているのだが、宮様が日本橋の上に首都高をかけることについて懸念を伝えていたとはあまり知られていないだろう。

首都高と日本橋 (3)

 これは首都高速道路公団の広報誌「首都高速」に掲載された対談「仁丹の広告塔も見ゆ橋も見ゆ」からの抜粋で、「神崎」は当時の首都高速道路公団理事長神崎丈二氏である。

 なんと高松宮が東京都を通して首都高に「日本橋はどうにかならないものか」という「残念というか複雑な気持」を伝えていたというのである。

 

首都高と日本橋 (5)

 この対談では、上記のように日本橋ゆかりの文化人が口々に「残念な気持」を表している。それが首都高の広報誌に載るというのが当時の社会の認知度を図るモノサシだったのではないか。

 

 これに対して首都高の神崎理事長は、首都高なりに審美についても検討したのだがなかなか。。。といったことを返している。

首都高と日本橋 (4)

 

首都高と日本橋 (7)

 東洋経済の一井純氏は「そこに景観や都市計画という視点はなかった」と言い切っているが、「当時なりに審美は考えたんだけどなかなか上手くいかなかったよね」というのが正確なところだろう。

 

 まあ地元の重鎮とかに取材するのはいいのだろうけど、50年以上昔の話でもあるし、裏取りは必須じゃないですかねということで、ライターさん達は今後ご留意いただければ宜しいのではないかと。広報誌「首都高速」は都立中央図書館に行けば閲覧できますしね。

 

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 ところで、「日本橋川の上に首都高を架けたのは、オリンピックを前にして急ぐためにやむを得ず施工したもので、地元も後から残念に思っている」というのが通説っぽくなっているのだが、「オリンピック後に、地元の要望を受けて日本橋川の上に架けるように首都高の計画を変更している」というと意外に思われる方も多いのではないか?

 首都高が日本橋川の上に架かっている区間については、江戸橋ジャンクション以西は東京オリンピックに間に合わせて建設した部分だが、江戸橋ジャンクション以東箱崎までの区間は東京オリンピック後に建設された部分だ。

 よく見るとまっすぐ両国ジャンクションまで進めばよかろうものをわざわざ箱崎に迂回していることが分かるだろう。

 実はここは人形町、浜町を両国まで直進するルートが当初の計画だったのである。

首都高と日本橋 (1)

 これも首都高速道路公団の広報誌「首都高速」に掲載されていた記事からの引用であるが、図中破線の「6号廃止路線」が人形町、浜町を通る当初のルートで、「変更決定路線」が日本橋川の上に架かる現在のルートである。

 その変更理由がこちら。

首都高と日本橋 (2)

 「大きな犠牲を極力回避するよう地元関係権利者の人達より叫ばれ」「日本橋川、箱崎川等にルートを変更した。」とある。

 オリンピック後に、実際に首都高の高架が川の上に架かるとどうなるか分かったうえで、地元の要望に基づいて日本橋川の上にルートを変更しているのである。

 

 ということでこの辺りもライター諸兄には心の片隅に留めておいていただきたく。

 

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 日本橋ついでに、詩人の谷川俊太郎氏が日本橋の上に首都高が架かったことについて詩を書いている。私には、図書館から資料をコピーする能力はあっても、芸術を解釈する能力がなくて分からないので、これがどういう気持ちを歌ったものなのか解説いただけますと幸甚です。

 

首都高と日本橋 (6)

 下から5行目の「老人は京都に向かって歩き始めた」は、最後の行も考えると京橋の誤植ではないかと思われる。(東海道を歩くのであれば京都でよいのではないかとのご指摘をいただいたので修正します。ご指摘に感謝します。)

 「造ったのは汽車会社ですよ」というのは、下記の広告にもあるように、SL等を製造していた「汽車製造株式會社(通称「汽車会社」)」が、首都高速道路の日本橋上空の橋の建設を担当していたのである。

首都高と日本橋 (8)

 

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2018年9月 2日 (日)

貨物新幹線の詳細な計画を国鉄新幹線総局OBが残していた

 「東海道貨物新幹線は世界銀行向けのダミー、ポーズだった」説に執拗に反論している私であるが、貴重な資料を収集したのでご披露申し上げる次第。

第13話=世銀借款

 

 この貨物問題に関しては、当初から国鉄側も頭を悩ませていた。技師長・島の頭には、のっけから貨物新幹線構想の「貨」の字もない。速度の違う旅客と貨物が同じ路線に混在するからこそ、東海道の輸送力がますます逼迫するのだ。(略)ハイウェイのように速度によって棲み分けさせることが新幹線の大前提である。しかし、国鉄内部にも根強い貨物新幹線論者が存在したし、なにより当時のアメリカでは、旅客輸送は「5%ビジネス」であった。鉄道輸送の95%は貨物であり、旅客はもっぱら自動車と航空機に移っていたのである。

 そこで、世銀への説明資料には、貨物新幹線の青写真も挟み込むことになった。将来は貨物新幹線も走らせたい・・・・・・という世銀向けの苦しいポーズである。当時のパンフレットや世銀向けの説明資料をみると、貨物新幹線のポンチ絵、つまり簡単な設計図が入っている。

 

新幹線をつくった男 島秀雄物語」髙橋団吉・著 小学館 193~194頁から引用

 この高橋団吉のような一面的な見方をする方は割と多くいらっしゃるのだが、その根拠としては島秀雄氏の「D51から新幹線まで」だったりするのだろう。島秀雄氏はこの中で下記のように語っている。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (13)

 

 ところが、私が以前からブログにUPしているように貨物新幹線の実現に向けての現場の動きは着々と行われている。

 これについて実際に貨物新幹線を担当していた角本良平氏は、「角本良平オーラル・ヒストリー」において、下記のとおり述べている。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (14)

 この辺の経緯は、かつて「貨物新幹線の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その1)」にまとめたところだ。 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-6d9d.html

 

 ところで、この角本版の貨物計画について、詳細に記している国鉄職員の手記があった。

 当時、国鉄新幹線総局に勤務していた高橋正衛氏による「新幹線ノート」である。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (1)

 ここに出てくる「開業準備委員会」は、

東海道新幹線開業準備委員会

 東海道新幹線開業後の運営に関する基本的事項及び工事過程における重要事項について総合的に調査審議するため、(昭和)37年10月設置した。

 

「昭和39年 交通年鑑」から

 ここで高橋氏が記述している場面は、十河総裁らが新幹線工事費不足等を原因に更迭されたことを受けて開業に必要(最小限)な範囲の工事範囲を議論しているものだ。新幹線の編成を6両編成にするような予算削減策も検討されたことがうかがえる。

 ここで「三、 旅客営業の開業に必要な主要設備とする。」という記載がある。つまり、「貨物は昭和39年10月の開業には含めない。」ということがここでオーソライズされたということではないか。

 よく「予算不足のため貨物新幹線は完成しなかった」と言われるが、その具体的な経緯がここに示されていると言えるのではないか?

 この後「新幹線ノート」の158頁にも「新幹線工事費の(略)最終予算額のなかに貨物輸送計画の予算は、一部貨物駅用地等の取得を除き含まれていない。」とある。

 例えば鳥飼貨物駅の用地買収費と、開通後に工事を行うことが困難な本線上空通過部分の構造物のみといった予算配分がなされたのではないだろうか?

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 ところで、東海道新幹線の建設誌(建設史)は、国鉄としての全体版がなく、各工事局毎にバラバラと出版されているのだが、これについても高橋氏は、全10巻(各500ページ)の東海道新幹線建設史の出版が部長会で承認されていたが、予算超過問題の中で無駄な出資を押さえるべきとの理由で中止され、後日各工事局で個々に発刊されることとなったとその背景に触れている。

 予算不足でできなかったのは、貨物新幹線だけではなかったのである。

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 閑話休題。貨物新幹線計画に戻ろう。

 高橋氏は角本氏から貨物輸送計画について聞き取りをしたり、資料を借りて書き写したりしている。それが「新幹線ノート」に掲載されているのである。

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (2)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (3)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (4)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (5)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (6)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (7)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (8)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (9)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (10)

 静岡の「抽木」は「柚木」の誤りであろう。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (11)

 名古屋貨物駅の「日比津」は現在の車両基地である。当時の国鉄広報誌ではここも「貨物線用の工事」として紹介している。貨物新幹線用工事の名残は鳥飼だけではないのである。

 また、貨物新幹線は在来線とは直通できないわけだが、市中に「デポ(貨物取扱所)」を設けることでカバーしようとしていたということだろうか?

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (12)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (15)

 「M補佐」は、「角本良平オーラルヒストリー」に出てくる「貨物輸送設備・制度」担当の「森繁」氏のことであろうか。

新幹線総局

 島秀雄氏や高橋団吉氏のいうように貨物新幹線が世銀融資を獲得するための見せかけの方便にすぎないものであればこのような沈滞感は醸し出されないことであろう。

 世銀のためのダミーであれば、嘘をついた十河や島もいないし、何もせずに適当に世銀向けの言い訳だけ作っておけばよいはずである。

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 高橋氏が触れている貨物輸送計画であるが、運輸界1959年6月号「東海道広軌新幹線について」矢田貝淑郎(国鉄幹線調査室総務課) ・著 10頁にでてくるA案、B案、C案とは整合がとれていることを付言しておく。

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (1)

 

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (2)

 

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (3)

 

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (4)

 

 なお、高橋氏の「新幹線ノート」によれば、佐藤大蔵大臣がIMF年次総会に出席の際に世銀の意向を打診したのが1959(昭和34)年9月、島氏も触れる世銀ローゼン氏が来日したのが1959(昭和34)年10月であるから、この矢田貝氏が執筆した貨物新幹線の計画は「世銀に言われてでっち上げた」にしては時空を遡りすぎであることを申し添える。

 

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