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2019年2月に作成された記事

2019年2月25日 (月)

神田上水や渋谷川(キャットストリート)の上空に首都高速道路が計画されていた

 東京オリンピックに向けて建設の槌音が響く1962(昭和37)年1月20日の毎日新聞に、オリンピック後の東京の交通をにらんだ首都高速道路の延伸計画が掲載された。

 なんと渋谷川(現在のキャットストリート)等に首都高速道路を通そうというものである。

 

都心を包む環状高速道路

川から川へ30キロ 高架式 都が40年完成めざす

 ひどくなる一方の東京都の交通マヒを打開する対策の1つとして都は都心部を包む環状高速道路計画を練っていたが、19日、具体案がまとまった。路線は、ほとんどが川の上を走る高架式なので、補償費の心配がなく、総工費は480億。陸上を走らせる場合の6分の1ですみ、昭和40年完成を目標にしている。

神田上水や渋谷川の上空を走る首都高速道路計画があった

 

 都は都内の交通マヒを打開するため、放射四号線をはじめオリンピック関連道路23路線、首都高速道路8路線の建設を進めているが、いたるところで用地買収とこれに伴う補償問題につき当たって工事は進まない。そこで都内を流れる中小河川を利用してその上に道路をつくることになり、目黒川、神田川、江戸川を結んで高速道路を走らせる計画をたてた。

 道路幅は現在建設中の高速道路より2倍以上も広い40メートル(片側を自動車が4台並んで走れる)と予定されており、途中交差する各高速道路とはインターチェンジ(立体交差による方向転換)で接続させる。

 37年度中に1千万円の予算で調査を終わり、38年度から測量、ボーリングをはじめる。民家の立退きなど補償費を必要とする部分は世田谷区代田から杉並区和泉町までの2キロと分岐線の千代田区市谷-新宿区信濃町の1キロの計3キロだけ、あとは工事費だけですむ。現在建設中の高速道路はいずれも都心部から副都心部に向かう放射線なので、こんど決まった高速道路は都ではじめての環状線になる。

神田上水や渋谷川の上空を走る首都高速道路計画があった2

 ※新聞記事に掲載されたルートに私が着色してみた。

本線 現在建設中の高速1号線(羽田―上野)の経由地点、品川区東品川を起点に目黒川の上を高架で西北に走り、東急目蒲線、同玉川線をまたいだあと世田谷区代田付近から北上、小田急線、京王線を越え、杉並区和泉町付近で神田上水に乗って下流に進む。さらに国鉄中央線、山手線と交差して走り、飯田橋、お茶の水を通って東に向かい墨田区の両国橋に出る。そこから隅田川東岸を江東区深川清澄町まで下り、小名木川の上を荒川放水路西岸に達する。全長は約30キロ。

分岐線 (1)千代田区飯田橋から外ぼり川(ママ)に乗って同区市谷、新宿区四谷、信濃町を通り、渋谷川上を南下、港区麻布新広尾町で高速2号線と合する延長7キロ(2)江東区深川白河町から運河に乗って7号埋立地へ出る延長4キロ

 記事では「道路幅は現在建設中の高速道路より2倍以上も広い40メートル(片側を自動車が4台並んで走れる)と予定」とあるが、神田川にしろ渋谷川にしろ、そんな幅員の道路を追加の用地買収なしに、河川の範囲内に収められるとは到底思えないのだが。。。

 それでも原宿から渋谷にかけて現在のキャットストリートを片側4車線の高速道路が高架で走っているところはなかなか想像がつかない。

 気になるのは、いわゆる「36答申」つまり「東京都市計画河川下水道調査特別委員会 委員長報告」(昭和36年10月17日付)との関連である。

 例えば、36答申では、渋谷川は渋谷駅付近(宮益橋)から上流は暗渠化して都市下水とされることとなっていたが、その数か月後に、更に広い範囲で渋谷川の上に高速道路を架けようという新聞記事が出たわけである。

 36答申が出たから心置きなく河川の上に高速道路計画をたてたのか、開渠のまま残す部分との調整がつかなかったから、結局この分岐線(1)は実現しなかったのか、明らかではないが興味はつきないところである。

 また、当時ドブ川だった日本橋川ならともかく、神田上水のように水道局が管理する水路の上に高速道路を架けていいものなのだろうか?

 以前、東京都公文書館にネタ漁りに行った際に、「玉川上水はもう上水道の役割を果たさなくなったので、所管部署を水道局から建設局に移管するよ」といった文書を見た記憶があるがコピーはとっていない。

 「普通河川の維持管理について(玉川上水路を含めて)」だとしたら、1971(昭和46)年なので、まだ水道局所管のままだ。

 また、首都高が河川の上を通るのは「オリンピックに間に合わせるため」という俗説(嘘)があるが、オリンピック以降を見通してもなお、積極的に河川上の空間を高速道路に活用しようという意思が明確に示されている点も興味深い。(※江戸橋~両国間は、オリンピック後に、地元の意向を受けて、地上を通るルートから日本橋川い上を通るルートに変更されていたりする。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-0d26.html

 

早く正式決定へ

山田首都整備局長の話

 都心の交通マヒの打開は都の都市計画の上でも重要な問題だ。幸い民有地を通る部分がきわめて少ないので、なるべく早く都市計画審議会で正式に決めるようにしたい。

 なかなか、にわかに信じがたいルートではあるが、山田正男”天皇”のインタビューも掲載されているので、それなりにオーソライズされていた計画(プロトタイプではあったが)だったのだろう。

 首都高速道路の最初のネットワークは下記のとおりである。

首都高速と東京オリンピック (7)

 

 また、オリンピック後を見据えて、1962(昭和37)年9月に策定された延伸構想は下記のとおりである。

昭和36年の首都高速道路構想(未成道が山盛り)

 今回取り上げた新聞記事はこの間をつなぐ段階の構想を示していると位置付けられ、大変興味深い。

 「本線」は、現在の中央環状線(目黒川沿い)、未成となった内環状線(神田川沿い)等の原型と言える。

 また、分岐線(2)は、現在の9号線の原型とも思われるが、1962年9月の段階でもまだ現在のルートにはなっていない。

 当時は、江戸橋以東が日本橋川箱崎川経由ではなく、箱崎インターチェンジ(後にジャンクション)自体の計画が無かったため、これはやむを得ないところか。

 なお、実務家が首都高の経緯を整理した「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」古川公毅 [著] にもこの新聞記事のルートは載っていないので、ひょっとしたら貴重かも(ジュルジュルー)。

 

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(参考地図)

・東京都第二建設事務所管内図・・・神田川等の確認に

 http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000039191.pdf

・東京都第三建設事務所管内図・・・渋谷川、目黒川等の確認に

 http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000028318.pdf

・『渋谷川って、どんな川だったの?』

 https://www.city.shibuya.tokyo.jp/assets/detail/files/kurashi_machi_pdf_spub03_09.pdf

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2019年2月24日 (日)

首都高の景観は当時は会心の自信作だったようだ-マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ(その2)-首都高日本橋附近の地下化関連(7)

 随分さぼっていました。またボチボチ書きはじめます。

 

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

 で、首都高の日本橋附近等の景観について建設当時はどう触れられていたかを検証してみたところである。

 例えば、下記の 東洋経済の一井純氏は「そこに景観や都市計画という視点はなかった」と言い切っていることに対して、いや実際はどうだったのよというところをネチネチとエビデンスを探してきたわけである。

首都高と日本橋 (7)

 

 で、新年の一発目のブログ更新にあたり、その新ネタを追加したい。

 

 東京都が「都史資料集成II 都制施行から昭和30年代までを対象にした東京都の歴史に関する資料集」という素敵な本を出版しているのだが、その第2巻で「図録東京都政2 「文化スライド」でみる東京~昭和30年代」というものがある。

http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0602t_syusei2_z2.htm

 「東京都が都政広報のために作製・発行した「東京都文化スライド」を素材に、昭和30年代の東京の様子を紹介したものです。

 

急激な人口集中や経済発展、それに伴う公害の顕在化等、オリンピック開催を迎えて変ぼうを遂げていく東京の姿をご覧ください。」

 ということで、当時の首都高速道路がどのように扱われてるかが気になって調べてみた。

 「第四 都市整備とオリンピック 4-大東京(昭和41年2月)」に完成した首都高速道路が出てくる。

首都高速道路と都市景観 (1)

 日本橋川上空を跨ぐ江戸橋インターチェンジ(現ジャンクション)についての解説がそれにしてもすばらしい光景ですね。」ときた。

 

首都高速道路と都市景観 (2)

 そしてもう一か所首都高速道路と都市景観の関係に触れているのが赤坂見附附近である。「みごとな都市美を見せています。」ときた。

 

 私は、従前から「高度成長期、もしくはオリンピックのための突貫工事のため、都市美・景観を顧みずに首都高速道路が作られた」という説に対して「いやそうとちゃうんちゃうのん?」と当時の言説を拾い集めているのだが、むしろ施主である東京都にとっては景観無視どころか、自信満々の会心作くらいの気持ちで広報していることが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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