首都高 諸橋雅之室長の「オリンピックをやろうというときに、建設反対なんてヤボだ」発言を検証してみる
「施工の神様」という建設業界向けのウェブサイトがある。https://sekokan-navi.jp/magazine/
そこに「50年前の青空を取り戻す―。事業費3200億円の「首都高地下化」で日本橋を再生する」という題名で、諸橋雅之氏(首都高速道路株式会社 日本橋区間更新事業推進室長)のインタビュー記事が載っていた。
https://sekokan-navi.jp/magazine/30901
3200億円、20年かけて1.8km区間を更新する工事#首都高 #首都高地下化 #日本橋 #景観 #東京五輪 #トンネル #渋滞 #再開発 #インフラ #建設 #建築 #土木 #施工の神様https://t.co/sf6PA9bBGD
— 施工の神様 (@seko_kamisama) October 15, 2019
その中で「オリンピックをやろうというときに、建設反対なんてヤボだ」という項がある。
https://sekokan-navi.jp/magazine/30901/2#anc-1
詳しく見ていこう。
「オリンピックをやろうというときに、建設反対なんてヤボだ」
――首都高は「渋滞の解消」が至上命題だったんですね。
諸橋室長 現在ある日本橋は1911年に完成しました。日本の道路元標があって、日本の道路網の始点になっており、大変土木にゆかりの深い場所です。1963年、この日本橋の上に首都高が架かりました。
この区間は、首都高ネットワークの中心でもあります。都心環状線は「都心部のロータリー」で、郊外からやってくる車を処理する出入り口の集合体なんです。日本橋はこの都心環状線にあるわけです。日本橋の区間は、東京オリンピックでも重要なルートでした。
日本橋の上に首都高を通すことに対しては、建設当時から新聞などである程度の反対はあったようです。ただ、地元の方々は「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」ということで、容認していただいていたようです。
当時はとにかく、「東京の渋滞を解消する」ことが至上命題だったので、施工スピードが求められたと聞いています。時間のかかる用地買収を伴うルートではなく、運河や幹線道路などの公共空間上のルートを利用しました。
銀座付近では、築地川を干上がらせて、河川の中に道をつくりました。現在の擁壁は当時の護岸なんです。日本橋に首都高を通す際、日本橋川を干上がらせて、日本橋の下を通す案もあったようです。
ただ、ここの日本橋川は神田川とつながっていて、治水上、日本橋川を干上がらせることはできなかったので、やむなく日本橋の上に架けることになりました。ところが、実際に橋が架かると、景色が激変してしまったので、反対する声が上がりました。
私が気になるのは「日本橋の上に首都高を通すことに対しては、建設当時から新聞などである程度の反対はあったようです。ただ、地元の方々は「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」ということで、容認していただいていたようです。」といいう諸橋室長の発言部分だ。
この辺は過去にブログで何回か取り上げているが、せっかくの機会なので、新資料も含めて整理してみよう。
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「地元の方々は「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」ということで、容認し」たのか?
果たして、「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」なんてことを「地元の方々」は言っていたのか?
以前、このブログで「名橋「日本橋」保存会副会長、細田安兵衛氏の「(首都高が日本橋の上に架かることへの反対は)全然、記憶にないね。」というのは本当か?」
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-d4c6.html
という記事を書いたことがある。そこから一部再掲していこう。
――建設前に、地元で議論とか反対とかなかったのですか。
「全然、記憶にないね。当時、私の父も含めて日本橋の旦那衆は、高速道路なんて見たことなかったんだ。私のじいさんなんて『なんだ、高速道路はもっと(背が)高いのかと思ったよ。随分低いんだな』と。そんな笑い話もあるくらい、よく知らなかった。むしろ便利になるからいいことだと。手塚治虫さんが描いた未来都市のイメージで、『羽田空港から日本橋まで15分で着いちゃうらしいぞ』『それは、すごいね』なんて気楽な話をしていた。『国策として大事な時に、お上のいうことに反対するなんてみっともねえじゃないか』という思いもあった。そんな時代だよ」
NIKKEI STYLE 2020年から見える未来
「日本橋に首都高いらない」 地元重鎮が地下化に異議
「栄太楼総本舗」6代目、細田安兵衛さんに聞く
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO20830810W7A900C1000000
(オリパラ編集長 高橋圭介)
首都高速道路の日本橋附近の地下化において、ネット上では大変多くRT等されている記事である。
『お上のいうことに反対するなんてみっともねえじゃないか』あたりが、なんとなく「いかにも江戸っ子らしい」イメージとも合致する。
ところが、この細田安兵衛氏は、身内の名橋「日本橋」保存会の本の中では違うことを言っているのだ。
名橋「日本橋」保存会が1992(平成4)年3月に発行した「日本橋架橋80周年記念誌」に掲載された対談「21世紀の日本橋を考える」において、細田安兵衛氏はこのように語っている。
細田■日本橋のほうは橋の上に高速道路を掛けるときもいま一つ反対の声が弱かったし、金融機関の進出にも何ら異議を唱えなかったし、そのあたりの意識からちょっと違うんですね。
まあ日本橋の旦那衆は大まかというか、人がよすぎるというか(笑)、仲良く遊ぶことは好きだが、この点は反省部分がありますね。
「日本橋架橋80周年記念誌」 名橋「日本橋」保存会・刊
対談「21世紀の日本橋を考える」103~104頁
反対してるじゃん。「今一つ反対の声が弱かったのは反省部分」だって自分で言ってるじゃん。
名橋「日本橋」保存会や地元関係者のいろんな言い分は、ブログにまとめているので併せてご覧いただきたい。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-d4c6.html
そこでは、「八木長本店 八木長兵衛会長によると、首都高建設に当地元は大反対だったが、オリンピックのためという雰囲気に気持ちを押し殺したという。」といった、諸橋室長の「地元の方々は「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」ということで、容認していただいていた」との発言と随分ニュアンスが違う記事も紹介させていただいている。
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では、実際の日本橋地区の対応はどうなっていたのだろうか?
あまりいつものネタを使いまわすのも芸がないので、今までのブログで使っていないネタをご紹介しよう。
ネタ元は、山田正男元首都高速道路公団理事長(当時は東京都建設局計画部長)の対談集「明日は今日より豊かか 都市よどこへ行く」政策時報社・刊 である。
オリンピック決定前の1958(昭和33)年12月に日本橋公会堂に呼び出されて、反対派の罵詈雑言を浴びたそうである。さすが日本橋の江戸っ子は小粋である。
ちなみに、灰皿を投げられてネクタイを掴まれたのは港区で、これは首都高2号線である。
先日、ブラタモリの白金の放送回で、「白金の住民が自然を守るために首都高に反対してルートを変更した」って言っていたじゃないすか。あれが港区の首都高2号線なのである。。
結果的に首都高2号線は東京オリンピックに間に合わなかった。本来は第二京浜(国道1号)の渋滞緩和のために真っ先(オリンピック決定前)に建設に着手した重要路線なのに。
当時首都高2号線を担当した現地所長さんの発言(首都高速道路公団の広報誌「首都高速」に掲載)がこれである。
「江戸っ子は、オリンピックに協力するために首都高には反対しなかった」というのは、印象操作かファンタジーなんすよ。「江戸しぐさ」と同類。もちろん八木長兵衛さんのように「オリンピックのためという雰囲気に気持ちを押し殺した」という方はいらっしゃったけども。
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参考までに補足すると、当時の報道でも、日本橋上への架橋について地元が反対している旨の記事が掲載されている。
1959(昭和34)年2月23日付毎日新聞
中央区は「区内全線地下化」を要望したとある。
これは、オリンピック決定直前の1960(昭和35)年4月13日付読売新聞に掲載された日本橋附近の「絶対反対」を報じる記事である。
私の調べた範囲では、日本橋がある中央区だけでなく、港区、品川区の議会が首都高反対の決議をしているようだ。都の事業に複数の区議会が反対決議をするとは異例の事態といえないだろうか?中央区や港区に住むような人はヤボだということだろうか?やはり江戸しぐさの人がいうように本物の江戸っ子は虐殺されてしまったのだろうか?
なお、首都高速道路公団においても「地元ではこの橋の下を隧道で通るように強く要望された」と記している。
「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。
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また、宮様が日本橋の上に首都高をかけることについて当時の首都高理事長に懸念を伝えていたという話もある。
これは首都高速道路公団の広報誌「首都高速」に掲載された対談「仁丹の広告塔も見ゆ橋も見ゆ」からの抜粋で、「神崎」は当時の首都高速道路公団理事長神崎丈二氏である。
高松宮が東京都を通して首都高理事長に「日本橋はどうにかならないものか」という「残念というか複雑な気持」を伝えていたというのである。
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諸橋雅之室長は、施工の神様の記事では、「ところが、実際に橋が架かると、景色が激変してしまったので、反対する声が上がりました。」と語っているのだが、橋が架かった後どころか、東京オリンピック決定前から地元に反対されていることがお分かりだろうか?
まあ、諸橋雅之室長も、「首都高速道路公団の歴代理事長が言っている話なんてみんなひっくりかえしてみせるぜ」というだけの物証を社内で押さえているのかもしれないのだが、その辺の判断は皆様にお任せする。
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建設当時新聞は反対したのか?
ところで、諸橋雅之氏は、「施工の神様」のインタビュー内で「日本橋の上に首都高を通すことに対しては、建設当時から新聞などである程度の反対はあったようです。」と語っている。これはどうなのか?
首都高が日本橋の上に架かることを報じる1962(昭和37)年12月24日付読売新聞
「橋脚や街燈は原型損なわない」という見出しに
「感傷も吹き飛ばすように工事が近づいてきた日本橋」「スマートになる完成予想図」というキャプションがついている。
当時の読売にとっては、日本橋なんかは感傷にすぎなかったと。
読売は、徹底していて、首都高完成後にもこんな記事を書いている。
1962(昭和37)年1月25日付読売新聞夕刊では
・「首都高の河川敷利用が少ないため用地買収等に必要以上の経費がかかっている」
・「河川が不要になったら干拓して掘割式の自動車道路を建設したり、河川を廃止できなくても高架の自動車道路を建設したりするのが世界各国の大都市における実情」
・「一日も早い道路整備が必要」
と主張しているのである。今はこんなことを社説で主張している読売新聞が。
東京オリンピック開催を間近に控えた1964(昭和39)年1月1日の朝日新聞の正月特集の一面で日本橋川を塞ぐ首都高の写真を国立競技場よりも大きな写真で紹介している。
「ビルの谷間に美しい曲線を描く江戸橋インターチェンジ」である。日本橋川は「ビルの谷間」で首都高は「美しい曲線」なのである。
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ということで整理すると
首都高 諸橋雅之室長「建設当時から新聞などである程度の反対はあったようです。」→新聞は建設後さえも反対していなさそう。
首都高 諸橋雅之室長「地元の方々は「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」ということで、容認していただいていたようです。」→日本橋公会堂に東京都局長を呼び出して罵詈雑言。中央区議会も反対決議。
名橋「日本橋」保存会副会長 細田安兵衛氏「(首都高が日本橋の上に架かることへの反対は)全然、記憶にないね。」→自分で「反対した」と言っている。地元の反対証言が複数あり。
という結果になってしまった。
最後に首都高速道路公団広報誌「首都高速」における神崎理事長(当時)との対談で語られた日本橋の地元の声を載せておこう。
まあ、橋本室長は、事業を進めるのが仕事であって、歴史の語り部が仕事ではないのだから、私のような窓際サラリーマンの言うこと等気にせず、業務に邁進していただきたい。
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