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2020年2月 8日 (土)

新横浜駅の土地を買い占めた元国鉄職員の名前、顔写真は?国鉄時代の経歴も!どうやって新幹線が来るって分かったの?~「東海道新幹線沿線の不思議と謎」栗原景・著発刊記念


―買い占められた新幹線用地(抄)

 

 1959(昭和34)年頃、篠原地区に、大阪の不動産業者を名乗る男がやって来て、地権者から土地を買い取っていった。(略)

 実は、この人物は鉄道省の出身で、戦前の弾丸列車計画を詳細に知っていた。1958(昭和33)年に東海道新幹線計画が持ち上がると、そのルートは弾丸列車計画に沿ったものになるに違いないと読み、いち早く土地の買い占めに動いたのである。バックには、大手企業グループがついていたといわれる。

 

「東海道新幹線沿線の不思議と謎」栗原景・著 実業之日本社・刊 92・93頁から引用

 

 この「大手企業グループ」による新幹線新横浜駅周辺の土地の買い占めについては、諸説あって警察も捜査したりしているにも拘らず、真相は明らかになっていない。当該不動産業者も積極的に嘘を流したりしているもんだから余計に訳が分からない。

 今回、栗原景氏が新刊で迂闊にも触れてしまったので、改めて整理したい。

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 栗原景氏の記事の根拠になっているのは、当該鉄道省OBの不動産業者が朝日新聞に答えたインタビューと思われる。


新横浜駅周辺 最大地主は西武グループ 30年前、買い占めがあった

 

カギ握るブローカー 当時の状況を語る

 買い占めに当たった大阪のブローカーはいま76歳。このほど30年ぶりに初めてインタビューに応じた。(抄)

  

 --新横浜の土地買収の真相は。

 「私が先代の西武鉄道会長、堤康次郎氏に話を持ち込んだ。」

 --だれから情報を得たのですか。

 「だれからでもない。私は戦前、国鉄の前身の鉄道省大阪鉄道局にいて、新幹線の原型となった『弾丸列車計画に携わった。新幹線のルートや駅は弾丸列車と同じと確信していた」

  

 朝日新聞1992(平成4)年3月7日付夕刊 

 「いや、新聞のインタビューで本人がそう語ってるやん。お前は何を言いがかりつけてんのさ。」と言われるかもしれない。

 ところが件の不動産ブローカー氏はとんだ狸なのである。


 数年前横浜プリンスホテル開業前、朝日新聞横浜支局の佐藤という記者が私宅に来られ横浜プリンスホテル開業に至る横浜土地物語を書くので、協力して欲しい、色々とうわさを聞いているので協力して欲しいと云われましたが、全部私がやった事で国鉄等にも西武にも何の関係もない、勿論裏金で買った事等触れて居ません。又、近江鉄道に対する景色保障支払いの事等一切触れずに終わりました。その後も、度々私宅に電話せられ逢って呉れと云われたが、一切触れずに終わらせました。故に、朝日の記事でも西武さんに都合の悪いことは一切報道されていません。

 

「堤義明 闇の帝国」 七尾和晃・著、光文社・刊 128頁から引用

 ちーん。朝日のインタビューは西武との関係を隠すための嘘だってさ。

 ちなみに、朝日の記事は1992年3月で、光文社の本は2005年2月発行だ。朝日の記事は、「新横浜プリンスホテル」開業の半月ほど前に出された記事なので時系列的には同じもので間違いなかろう。

 じゃあ、「堤義明 闇の帝国」に書いてあることが正しいのかというと、実はそうでもない。こっちも負けずに矛盾点が出てくる。

 不動産ブローカー氏は、わざと言っているのか、ぼけてきたのかは別にして言うたびに話が違うのだ。裏取りせずには怖くて迂闊に使えないのだ。

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新横浜駅を買い占めた不動産ブローカー氏  

  件の不動産ブローカー氏は、中地新吾氏である。

  中地氏が取材等に対応しているものは、私が確認した範囲では、

  前述の朝日新聞インタビュー、「堤義明 闇の王国」に加え、疑惑当時の週刊新潮(7巻44号、1962(昭和37)年11月発行)くらいである。

  ここでは、週刊新潮の記事をもとに、中地氏はどんな人物なのか整理していく。


 警視庁捜査二課は、東海道新幹線の新横浜駅周辺の用地買収をめぐり、国鉄当局と土地会社の関係について内偵をすすめてきたが、さる9日朝、日本開発株式会社と、その東京出張所など数カ所を背任の疑いで一斉に捜査した。押収された証拠書類は、トラック2台分あったといわれているが、警視庁では、日本開発の中地新吾社長(42)が新横浜駅予定地を的確に知って土地を買い占め資金十数億円を担保なしで銀行が融資した点について疑惑をいだいているようで、「徹底的に追及する」といっている。

 

疑惑の人中地社長の立身出世譚 列車連結手から国鉄用地買い占めまでの舌三寸」週刊新潮7巻44号94頁から引用

 当該記事の掲載された中地氏の顔写真が上に掲載したものである。

  その記事に、中地氏の経歴が掲載されているので、栗原景氏が書くように「鉄道省の出身で、戦前の弾丸列車計画を詳細に知っていた」というにふさわしいものか見てみよう。


 ところで、中地氏がいかに敏腕だったにせよ、国鉄の出身者だけに、それだけで、正確な情報をより早く入手できると疑われやすい立場にある。

 もっとも、昭和10年、19歳で国鉄に入った中地青年は、兵庫駅の列車連結手にすぎなかった。高小卒の学歴(国鉄に現存の履歴書による)では、ふつうなら中地青年も一生、連結手かなにかで終わるはずだった。

 ところが、彼は4、5年連結手をやったあと、吹田の鉄道教習所にパスし、宮原電車区の運転手になったkと思うと、たちまち指導運転手になった。(中略)

 だが、運転手生活もわずか2、3年間のことだった。やがて大阪鉄道管理局の列車課勤務になり、1年間勤めた後、判任官試験に合格して、ついに事務職に転じた。このとき中地氏は29歳(20年7月)。古い人事課員にいわせれば、「無事故で皆勤、上役の心証がよいうえに、よほど根性がしっかりしてなければ出来ないこと」という。ともかくこうして配属されたのが、厚生課だった。(中略)

 だから、昭和22年でしたか、やめるといいだしたときは、みんな惜しんで引きとめたが、『この辺で商売をやってみたい』といって円満にやめて、水産会社のブローカーになった。なんでも、物資仕入係時代につけたコネを活用したということでした。

 

「疑惑の人中地社長の立身出世譚 列車連結手から国鉄用地買い占めまでの舌三寸」週刊新潮7巻44号97・98頁から引用

 いかがでしたか? 

 朝日新聞記事の「私は戦前、国鉄の前身の鉄道省大阪鉄道局にいて、新幹線の原型となった『弾丸列車計画に携わった。」や、栗原景氏の「実は、この人物は鉄道省の出身で、戦前の弾丸列車計画を詳細に知っていた。」とよく比べていただきたい。 

  なお、国鉄退社については、1962(昭和37)年10月10日付の読売新聞は「戦後国鉄の物資を横流ししてクビになった」と報じているのでご参考まで。

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  中地氏の経歴はともかく、「弾丸列車の計画がわかれば土地は買えるだろう」という方もいらっしゃるだろう。関係する資料等を見ても弾丸列車は新横浜附近を経由することとなっているのは間違いないようだ(起点は市ヶ谷や高井戸等当時も各種の案があったが)。

  ところが、話は新横浜駅だけではないのだ。


 日本開発も、その発足のタイミングから考えて、東海道新幹線の用地調達のための会社であろう。現に発足直後、新大阪駅の用地買収に乗り出し、これにもマンマと成功している。国鉄では新大阪駅を東淀川にひそかに決定したが、そのとき、日本開発はちゃんと東淀川一帯を手に入れていた。そのもうけは数億にのぼったとウワサされている。

 

「疑惑の人中地社長の立身出世譚 列車連結手から国鉄用地買い占めまでの舌三寸」週刊新潮7巻44号95頁から引用

 

  中地氏は、新横浜駅周辺だけでなく、新大阪駅周辺も買い占めに成功していたのである。これは週刊誌記事だけでなく当時の国会でも取り上げられている。

  そして、新横浜駅と新大阪駅の違いは、「新大阪駅は、弾丸列車の予定地と違うところに駅ができた」ということである。

 新幹線新大阪駅決定の経緯

鉄道土木シリーズ9「新幹線の計画と設計」山海堂・刊 35・36頁から引用 

 戦前の弾丸列車の駅は、まさに東淀川駅であったし、戦後は梅田の大阪駅への乗り入れも改めて検討された。そのうえで今の新大阪駅に決定したわけで、弾丸列車の計画を熟知しているだけでは、新大阪駅は先行して買い占めることはできないのだ。 

  中地氏は、弾丸列車の計画ではなく、東海道新幹線の計画を何等かのカタチで入手していたと推測される。

 ついでに、同書から新横浜駅のルート決定経緯もおまけに。 

 新幹線新横浜駅決定の経緯

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  では、中地氏は、どのようにして東海道新幹線のルートを入手したのか?


  こんどの事件にしても、公明正大やで。新横浜駅については、3つの候補地があがっていた。いまの横浜駅と岸壁の方と菊名の3つや。しかし考えてもみなはれ。いままでの東海道線は正直に海岸線に沿って走っておった。だが十河さんの夢は、大阪へできるだけ早く行きつくことでっしゃろ。なら菊名になるにきまっとりますわ。事実、わたしがあそこに乗り込んだときは、すでに、国鉄のハバ杭が打ってあり、地元の表情はホクホクしていました。

  新大阪駅についても、こんどと同じようなこといわれましたが、あれも真っすぐなプラットホームつくるとすれば、東淀川デルタ地しかあらへんから、あれを買ったまで、国鉄から情報とったなんて、いい加減にしてくだはれ。

 

「疑惑の人中地社長の立身出世譚 列車連結手から国鉄用地買い占めまでの舌三寸」週刊新潮7巻44号98頁から引用

 

  まあ、前述のように中地氏は言うことが変わる。朝日新聞のインタビューのような弾丸列車という言葉は一言も出てこない。


一通の手紙

 

 数年前、堤義明宛に送られた一通の手紙がある。送り主は「中地新樹」という。中地は現在、千葉県松戸にある牧の原団地に隠棲し、齢は八十三を超えている。埼玉、神奈川と住まいを転々としたが、一時期の生活ぶりは困窮を極めていた。

 約三千五百字にのぼるその手紙はこう始まっている。

〈東海道新幹線の新大阪駅、新横浜駅設置場所発表前に、貴殿の父上の堤康次郎先生にお目にかかり、駅付近の用地買収を提言した中地新樹です〉

 兵庫県出身の中地は、旧国鉄の大阪鉄道局に勤めていた。当時の局長は、後に首相となる佐藤栄作である。「手紙」にはその佐藤もかかわった西武グループの用地買収や裏金作り、小佐野賢治と京浜急行とのトラブルでの立ち回りなどが仔細に記されていた。

 なかでも康次郎が新横浜駅周辺の土地買収を依頼した様子は生々しい。佐藤栄作の息がかかった情報員として土地の値上がりや価値上昇が見込まれる駅建設場所の情報を康次郎に流した中地は、こう記している。

〈その際父上(康次郎・筆者注)は新横浜に第二の丸の内を作ろうと決断され、今池袋で土地を売却した裏金が十億ほどあるから、西武の名前と裏金と言う事を一切明かさず、君の金で、君の名前で契約して目的達成をしてくれと申されましたので、金は即日私の名義で住友銀行都立大学支店、富士銀行自由が丘支店に預け、順次引き出し用地買収資金として使わせて頂きました。 

 (中略)

〈新大阪駅付近五万五干平米、新横浜付近二十万二千平方米を買収しておさめました〉

 東海道新幹線の駅前という一等地に、コクド・西武グループがプリンスホテルをはじめとする商業施設を数多く持っているのはなぜなのか。一度気になりはじめれば果てることなく謎は深まる。しかし、鉄道省出身の政治家として与党内でも台頭していた佐藤栄作が、かつての部下である中地新樹をパイプ役として康次郎につながっていたと考えれば、それは一転、あからさまなほどに明快な答えをもたらす。

 もちろん佐藤栄作と堤康次郎をつなぐ「政府発表前情報」がタダなはずもない。佐藤の代理としてやはり中地自身が駅建設予定地の土地を買い、土地高騰後に売ったカネは佐藤にも大きな収益をもたらしたと、中地の手紙には記されている。 (略)

  

「堤義明 闇の帝国」 七尾和晃・著、光文社・刊 120~123頁から引用

 どないでっしゃろ。 

  前述のように、この本でも、怪しいことは幾つもあるので、佐藤栄作はともかくとして、「中地氏は、朝日とも新潮とも言うことが変わるんだね」ということだけが頭に入ればよろしいのではないか。

  

 ところで、栗原景氏は「バックには、大手企業グループがついていたといわれる。」とぼやかしている西武の名前が出てきた。

 ここで、西武鉄道の言い分も聞いてみよう。 


新横浜駅周辺の買収 

  

 東京オリンピックの前年のこと、東海道新幹線建設にまつわる土地の件では、厄介な問題が発生した。私はこれにも大いに働いた。この問題は、堤が東海道新幹線が通るであろう主要な土地の情報を得て、土地買収を手掛けたことから始まった。堤は、新横浜駅建設予定地を測量が始められる以前に知り、その周辺の地所を何万坪も買い占めていた。しかも、西武の名を出せば直ちに察知されると思い、関係する不動産会社を使って農家から買収していたのである。堤がどこから情報を得たかは、はなはだ微妙な問題ではあったが、国鉄筋からの情報には間違いないところであった。 

  

 「西武王国 その炎と影」中嶋忠三郎・著 サンデー社・刊 166頁から引用

  中嶋忠三郎氏は、堤康次郎の側近といわれた弁護士で、この本を当初出版する際には、西武が全部事前に買い占めて世間には出回らなかったといういわくつきの本である。(ここでも買い占めだ!)

  中地氏の言い分とは異なり、ここでは堤康次郎が国鉄のどこかしらから情報を入手し、西武が動くわけにはいかないので「関係する不動産会社(中地氏のことであろう)を使ったとしている。

 西武側の言い分としては、辻井喬こと堤清二氏も、自伝的小説「父の肖像」で触れているのであわせてご確認いただきたい。

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  「堤がどこから情報を得たかは、はなはだ微妙な問題ではあったが、国鉄筋からの情報には間違いないところであった。」

  では国鉄のどこなのだろうか?

  ここで冒頭の週刊新潮の記事を見ると、警視庁捜査二課が背任で捜査したとある。刑事ドラマ好きな方は「捜査二課」と聞いただけでピーンとくるのではないか?「汚職だ!」

新幹線土地買占めで用地部長ら召喚

 読売新聞1962(昭和37)年11月19日付によると、国鉄東京幹線工事局長の高坂繁朗氏や用地部長の赤木渉氏等が警察の任意聴取を受けている。

 そして、同日、中地氏は捜査陣に知られることなく海外へ旅立っていった。(「アメリカへ逃げた中地社長夫婦 国鉄用地買収事件の幕切れ」週刊新潮8巻5号88頁)

 アメリカ滞在中は、中嶋忠三郎が中地氏を訪ね、西武百貨店ロスアンゼルス店で用立てした滞在費を渡したという。(「堤義明 闇の帝国」 七尾和晃・著、光文社・刊 126頁)

  

  「新評」という雑誌の1970年9月号に大変興味深い記事が掲載されている。

 その名も「消された汚職△いまだから話せる真相 怪談・東海道新幹線 --国鉄より早いN社の新幹線用地買収--」 

  「N社」とは、当然中地氏の「日本開発」であろう。

  この記事の著者が「隼太郎(警視庁7社会記者)」である。警視庁記者クラブ所属の新聞記者が匿名で立件されなかった汚職事件の「いまだから話せる真相」を語るというていである。

 引用は省略するが、国鉄と中地氏との関係を捜査していた警視庁では、「情報を得るため、便宜を計ってもらうため、幹部連が暗躍するとしたら、国鉄側の新幹線担当の最高幹部ではないか」「最高幹部の周辺を洗え」と『国鉄の新幹線担当の最高幹部』周辺を捜査した。

 警視庁捜査二課は、中地氏との関係では「海外逃亡」もあってか、「最高幹部」を立件できなかったが、建設会社との贈収賄で「最高幹部」を書類送検した。

 国鉄大石重成新幹線局長汚職で書類送検 (2)

 毎日新聞1963(昭和48)年7月3日付夕刊

 国鉄大石重成新幹線局長汚職で書類送検 (1)

朝日新聞 1963(昭和48)年7月8日付夕刊  

  前・国鉄新幹線総局長大石重成氏である。

  大石重成氏は結局不起訴となり、その後、鉄建建設社長となり、土木学会第58代会長となった。

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  東海道新幹線の新横浜駅周辺の用地買い占めについては、後に梶山季之氏が「夢の超特急」という小説を書いている。

 そこには、下記のような相関図が掲載されている。 

 夢の超特急に掲載された新幹線土地買占めの系図

 結局、国鉄の誰が中地氏に新幹線のルートを教えたかは分かりませんでした。いかがでしたか?

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 <参考記事>

・ 新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?買収資金を貸したのは三和銀行?

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-0be2.html

 ・新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?(その2)

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-345c.html

 ・国鉄新幹線総局長大石重成は、新幹線工事発注に係る収賄事件で逮捕直前だった

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-d78b.html

 

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