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2020年3月 6日 (金)

成田新幹線の詳細なルート図面をうpしてみる

 最近、成田新幹線関係のルートの話がTL上を流れていったので、資料をうpしてみる。

 

 未成となった成田新幹線の経路って未だによく分からない扱いをされているようなのだが、それなりにあるところにはある。

 成田新幹線は、日本鉄道建設公団によって建設されることになっていた。

 その鉄建公団が1972(昭和47)年に発行した建設概要資料の抜粋でも。

成田新幹線計画日本鉄道建設公団 (1)

 成田新幹線の必要性を説いている部分でもどうぞ。

成田新幹線計画日本鉄道建設公団 (2)

 

成田新幹線計画日本鉄道建設公団 (3)

 「成田新幹線が来るから」と京成の成田空港駅を遠くに追いやっておいて、「京成は1キロ離れていてバスへの乗り継ぎが必要」だから、成田新幹線を建設しなければならないとする理屈はなんとも。。。

成田新幹線計画日本鉄道建設公団 (4)

道路に出てくる「第二京葉道路」については、「幻の「第二京葉道路」の痕跡を探る」https://togetter.com/li/1468959もあわせてどうぞ。

成田新幹線計画日本鉄道建設公団 (5)

 理屈としては、道路も鉄道も当時計画中のものも含めてマヒするから成田空港への輸送には約に立たないので、成田新幹線が必要という理屈だ。

 

 続いては、成田新幹線のルートである。

成田新幹線計画日本鉄道建設公団 (6)

 

成田新幹線計画日本鉄道建設公団 (7)

 もっと海岸の方へ持っていけと言われたことに対して一応反論しているようだ。実際には京葉線が建設できているので、今となってはあまり説得力がないようにも思える。

 

 標準的な断面がこちら。

成田新幹線計画日本鉄道建設公団 (8)

 よく「ここは成田新幹線の遺構では?」みたいな話があるが、幅が11mあるかどうかが真偽を判断する基準となりそうだ。

 

 この「成田新幹線工事の概要」に付いている路線図がこちら

 成田新幹線と上越新幹線新宿延伸ルート図面 (9)

 明確に上越新幹線の新宿延伸区間への接続を示しているところが興味深い。 

 上越新幹線の新宿-大宮間の経緯については、こちらもあわせてご参照いただきたい。

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.html

  とりあえず鉄建公団の「成田新幹線工事の概要」からの抜粋はおしまい。

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  成田新幹線のルートについては、上記資料よりも詳細なテキストがある。

  

 「電気車の科学」1972(昭和47)年4月号 に日本鉄道建設公団新幹線部の 延原陽氏が「成田新幹線の建設計画」という報文を載せている。

  そこから成田新幹線のルートについての説明部分を抜粋してみる。

 成田新幹線ルート図面 (1)

  長くてすまんな。

  しかしこれではイメージできない方も多かろう。

  

 ということで、決定版の成田新幹線の路線がよく分かる素面をUPしよう。 

  その名もずばり「成田新幹線東京・成田空港間線路平面図」である。

  日本鉄道建設公団が1974(昭和49)年に作成したものだ。

  なお、皆様は北総鉄道等と並走している部分は今更興味もないだろうから、東京駅から千葉ニュータウンの間の図面を公開しよう。

 成田新幹線ルート図面 (3)

 画面の関係から図面の縦横を逆にしてみた。 

  見づらいかもしれないので、切り出してみよう。

成田新幹線ルート図面 (2)  

 成田新幹線の東京都中央区、江東区附近の路線計画図面 

 成田新幹線ルート図面 (4)

 成田新幹線の東京都江東区、江戸川区附近の路線計画図面 

 成田新幹線ルート図面 (5)

 成田新幹線の東京都江戸川区、千葉県浦安町(浦安市)、市川市附近の路線計画図面 

成田新幹線ルート図面 (6)  

 成田新幹線の千葉県市川市、船橋市附近の路線計画図面  

 成田新幹線計画図面 (1)

 成田新幹線の千葉県市川市、船橋市附近の路線計画図面

 成田新幹線計画図面 (2)

 成田新幹線の千葉県船橋市、鎌ヶ谷市附近の路線計画図面

 成田新幹線ルート図面 (7)

 成田新幹線の千葉県船橋市、白井町(白井市)附近の路線計画図面

成田新幹線ルート図面 (8)  

 成田新幹線の千葉ニュータウン附近の路線計画図面

  

  とりあえずこんなところで。

  

  皆様、今まで想像していたルートとの相違等如何だろうか?

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ところで、成田新幹線が東京駅の地下に入っていた構想が生きている間、京葉線はどこに入るはずだったかというと新橋駅の地下である。 

 京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (2)

「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.html 

  

 その新橋への乗入れルートをうかがわせる線が載っている図面がある。

京葉線新橋乗入れルート図面

 新橋駅付近から浜離宮の西側を経由して湾岸方面へ向かう線と築地市場の下をくぐって湾岸方面へ向かう線が見える。

 これは1979(昭和54)年3月に運輸省が作成した「新東京国際空港関連交通計画調査 報告書」に掲載された図面である。

 本来は、成田新幹線が頓挫した後の鉄道ルートを検討する資料だが、新橋発着ルートも検討されたということだろうか?

 こういう机上プランは、既存の資料を積み上げて作ったりするので、既存の京葉線新橋ルート資料を参考に掲載されたのではないかと勝手に妄想している。

 図中の「湾岸・北千葉ルート」は後のA案と言われるルートのプロトタイプであると思われる。新木場駅への取り付けが現在の京葉線と少し違うのも興味深い。

 なお、本題の成田新幹線のルート図としても有用である。

 先に紹介した鉄道建設公団の図面は5万分の1で線も太いのに対して、こちらの報告書に添付されたものは2万5千分の1で線も細い。

成田新幹線ルート図面1 (1)

 残念ながら成田新幹線ルートが分かる図面は2枚しかないのだが。

成田新幹線ルート図面1 (2)

 こちらの図面を見ると、東西線妙典駅付近では、成田新幹線と50mほど距離をとっているのが分かる。

 昨今ネット等で「東西線の行徳付近の側道は成田新幹線の遺構」といったデマが流れているが、それを否定できる一枚でもある。

 

 そのあたりにご関心のある方は、こちらの記事も是非。

「東西線の行徳付近の側道は成田新幹線の遺構なのか検証してみる~幻の成田新幹線市川市内ルートはどこに~」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2021/07/post-da2474.html

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