明石海峡大橋を四国まで新快速が走り、鳴門線が複線電化されるなんてどこから出てくるの?~本四架橋神戸-鳴門ルートに四国新幹線が決まった経緯~
「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.htmlは、私のブログでも、多くのアクセスをいただいている人気記事なのだが、これはあくまでも「やめた理由」である。
そこで、この記事では「神戸ー鳴門ルートに新幹線を載せることになった理由」「在来線は載せなかった理由」「瀬戸大橋よりも建設が後になった理由」等を整理してお披露目したい。
若干、扇動的な題名であるが、「前の記事との対比で、SEO上、喰い合いにならないようにした方がいいかなー」なんて思ったりした次第である。
ということで、いつもどおり?過去の文献から切り貼りしていきたい。
ご覧のとおり、神戸ー鳴門ルート(本四淡路線)は、児島ー坂出ルート(本四備讃線)と異なり、新幹線一択なのだが、何故か「在来線が走るはずだった」という声が聞こえる。
「妄想鉄」を自覚している人はいいんですよ。
実際には、神戸ー鳴門ルート、児島ー坂出ルート共に、四国新幹線と在来線の両方が検討はされている。上記は、その対比が分かる図面である。
で、検討の結果、神戸ー鳴門ルートには、四国新幹線しか載せないということになった。その理由が上記に書かれている。
まあ、ネット世論の諸兄の期待を裏切る理由で、新幹線一択となっていたのである。
ところで、「在来線では、高松、松山への時間短縮が見込めない」というのは、後に出てくるが、当時は瀬戸大橋には新幹線を載せるつもりはあまりなくて、「瀬戸大橋は、将来新幹線も載せられるように場所はあけておくけど、基本的には貨物輸送用」、「神戸鳴門ルートは、貨物を載せられないので新幹線の旅客用」と住み分けをしていたため、新幹線による時間短縮が望まれていたためである。
淡路島の通勤を考慮したという資料は見たことが無い。
「鳴門駅が古いままなのは、四国新幹線ができるときに改築するはずだったので」という声も聴いたことがあるが、残念ながら四国新幹線は鳴門駅を通らない。
本四淡路線を在来線が走るときには、鳴門駅接続も検討されていたようではあるが、それは最終的には消えているので。
では、起点側はどうなっているか?
同様にネット上では「新神戸駅だ」とか「トンネルが続くので西明石駅から戻ってくる」とかいろいろあるが、公式資料上はこうなっている。
白川峠とはこのあたりだろうか?
ちょうど山陽新幹線にも明かり部分がある。
実際に明石海峡大橋の計画、建設に従事された島田喜十郎氏の「[新版]明石海峡大橋」には、鉄道ルートの図面が小さく載っていて大変興味をそそられるのであるが、本当に小さいんですよ。
新幹線は、舞子から高架橋で北上する予定で、環境上の問題となっていたと、それが新幹線をやめたことでトンネル構造が可能となったと。
新聞では「三田コース」という計画が報道されたこともある。
三田??さすがにこれは三木の誤植だと思いたいのだが。三木なら、山陽道から神戸淡路鳴門自動車道が分岐していくルートと合致するので、それなりに整合性はある。
先にも触れたが、神戸ー鳴門ルートは新幹線、児島ー坂出ルートは貨物中心の在来線という住み分けがされていた。
明石海峡大橋の径間が長いので複々線ができないから新幹線単独と書いているのも注目すべき点かと。
「児島ー坂出ルートは、当面貨物専用路線」と。
四国新幹線が神戸―明石ルート一択だったのは、上記のように第二国土軸的な発想の「西日本縦断新幹線」があったというのも注視すべきであろう。
その「西日本縦断新幹線」のルートが「新宿ー甲府ー高山ー小牧ー奈良ー大阪ー明石ー鳴門ー高松ー松山ー佐多岬ー大分」という気宇壮大なルートである。高山!!??名古屋をとばして高山??こりゃまた壮大な「名古屋飛ばし」である。
記事中、田中は田中角栄首相(当時)、鈴木は鈴木善幸自民党総務会長、鉄道建設審議会会長(当時:のちに首相)である。
角栄の上越新幹線のみならず、東北新幹線も鈴木善幸の政治路線と言われたものである。(採算的には仙台までが妥当とされたが、岩手を地盤とする鈴木善幸が盛岡まで伸ばしたともいわれる。)
新幹線の基本計画を定める際に、当初は四国新幹線は神戸ー鳴門ルートのみだった。
前述の住み分けでいけば首肯できる。
ところが、最後の最後にもうちょっと路線を追加できそうだというところで、紀勢新幹線や中国横断新幹線(松江ー広島)、常磐新幹線等との争いの中で、松江―岡山ー高知の路線が追加されたのである。
二日後の10月19日、閣議の前に田中は新谷を呼んだ。新谷は会談後、記者団に言った。
「現在までの新幹線計画は、整理すると6700キロメートルで、300キロメートルほどゆとりがあるので、10新幹線に合わせ、追加諮問したい。現在追加してほしいという路線は10線近くあるが、全部入れるわけにはいかず、鈴木会長らと来週前半までには追加の路線を決めたい」
基本計画の7000キロメートルという数字にこだわり、さらに路線を追加しようというのだった。当時、候補として、松江ー高知間、東京ー水戸ー仙台間、大阪ー新宮ー名古屋間、旭川ー稚内間などが名のりをあげていた。
(中略)
10月26日、閣議後に、田中は新谷運輸大臣と会談し、鉄道建設審議会に12新幹線を試問することを決定する。先の10路線に、中国横断(松江ー岡山)と、四国横断(岡山ー高知)が加わった。あくまで1985年度までに残りの3500キロメートルを完成させ、総延長7000キロメートルをめざそうとしたのだった。
「列島改造 田中角栄の挑戦と挫折」「NHKスペシャル 戦後50年その時日本は」369~370頁 日本放送出版協会・刊
ここで田中角栄の最後の一押しがなければ、今の四国新幹線誘致の姿も随分変わっていたことであろう。
余談だが、つくばエクスプレスのつくば駅は、当初常磐新幹線の駅として用意されていた土地を転用したものである。常磐新幹線がこのとき破れていなければ、また風景が変わっていたかもしれない。
なお、この辺のお話が好きな方は、「全国新幹線鉄道網の形成過程 」角一典・著 https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34003/1/105_PL105-134.pdfをご覧いただくと大層具合がよい。
ここからは、どうして神戸ー明石ルートは児島ー坂出ルートよりも建設が後になったのかを整理してみる。
ネット世論では「四国と関西を最短で短絡する神戸―明石ルートに先に鉄道が開通していれば、JR四国の採算も改善されていたはずだったのに」という声も聞かれるところである。
この辺は、「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.htmlのおさらいにもなるのだが、工事上の難易度の違いがある。
明石海峡大橋には重量貨物を載せられないことから、神戸ー鳴門ルートを先行すると「神戸ー鳴門ルートの新幹線」と、「貨物輸送の宇高航路」を並存させる必要が出てくる。
また、現行の貨物輸送体系が宇高航路を中心に構築されているので、瀬戸大橋に貨物輸送を託すことで、既存の貨物インフラをそのまま活用できるメリットもあるわけだ。
そんなわけで、鉄道側は「真ん中のルートを強く希望した」のであろう。
ところで、今の若い子は知らないかもしれないが、本四架橋についてはこんな流れがある。
いろんな「大人の事情」で、3ルート同時着工
↓
オイルショックに伴う需要抑制で3ルートとも工事中止
↓
「1ルート4橋」のみ工事再開で、本州と四国を結ぶルートとしては、児島ー坂出ルートのみを建設。
上記記事の「他ルートは部分橋」ということで、神戸ー鳴門ルートは大鳴門橋のみ工事再開。
↓
中曽根臨調で、整備新幹線や残りの本四架橋は凍結。
瀬戸大橋線(本四備讃線)の工事中止も検討されるが、建設債務をJRに引き継がないことで工事続行。
その中で、児島ー坂出ルートのみが選ばれた理由は、こちらの記事にある。
記事中の「金丸長官」は、田中派の金丸信国土庁長官(当時)である。田中派ですらこれが精一杯だったのである。
で、最後に「明石海峡に鉄道が通っていれば、ドル箱路線になって、JR四国の採算は改善されたはずだったのに」という点を整理してみる。
今となっては、1路線を除いて大赤字で、いつ黒字転換するかメドがつかないという計画を通してしまう「鉄道建設審議会」とは。。。という思いが強い。
それだけ田中角栄首相をはじめとした自民党の鉄道族(運輸族)の力は強大だったのだろう。田中角栄-鈴木善幸ラインの賜物である。
しかし、本四架橋の鉄道建設費は、本四公団の借金で作って、国鉄が利用料を払って返済するというスキームである。
当時、瀬戸大橋の建設費返済だけでも、国鉄四国総局の収入の倍以上だったことが問題視されている。ここに神戸ー鳴門ルートの鉄道施設建設費の返済がオンされたらいったいどうなるのか?
瀬戸大橋と大鳴門橋の場合は、他のローカル線建設費と同様に国鉄長期債務にぶちこんで、JR負担をなくしたのだが、民営化後に開通する明石海峡大橋の場合はそうはいかない。
山根孟・元本州四国連絡橋公団総裁も「役に立っているけど投資に比べてどうか」「備讃線でもういっぱい」と語っている。
明石海峡大橋の鉄道はまさに「役にたつけど投資に比べてどうか」の典型であると言えるのではないか。
なお、ここから先は、お遊びなのでスルーしてもらって結構です。
ということで、算数遊びをしてみる。遊びなのでマジレスはご勘弁を。。
ということで、超雑な結論。。。
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コメント
明石海峡大橋の車道の下の空間は新幹線を通そうとした名残だそうだがかなり広いからここにリニアの単線を通せないかね、浮上走行だから車体の重さは関係ないしリニアの設備は新幹線より格段に軽いと聞く。心配なら橋脚の補強をしてもいい。神戸鳴門ルートが最も採算いいから何とか既存設備を使えないか思いついた。陸に着いたらまた複線に戻ればいいし陸は大深度で新大阪まで掘れば三ノ宮に駅が作れて大いに便利。これが可能なら大鳴門橋も通れるし豊予海峡も単線トンネルにして大分で終わりにせずに博多まで通せば品川博多が2時間ちょいになって羽田福岡便の客を根こそぎもってこれる。
投稿: 李英 | 2024年1月17日 (水) 19時47分