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2020年4月12日 (日)

1974(昭和49)年の大新宿駅構想の元となる運輸省調査報告書と上越新幹線新宿駅や国鉄東北・東海道開発線ホームなどなど

 上越新幹線の新宿駅乗入れについては、過去多くの記事を書いてきて、まあ部外者によるネット記事では第一人者であろうと自任しているのであるが、またまた新ネタ(旧ネタ??)を見つけてきた。

 過去には、大きく分けて二つの時代の図面をご紹介してきた。

「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

  

 今度は、カラーによる上越新幹線新宿駅+代々木駅だ。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (31)

 新宿駅南口の甲州街道附近 右下に新幹線ホームが見える。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (32)

 そしてこれは代々木駅の地下を走る新幹線だ。大新宿駅構想は地下の上越新幹線コンコースで新宿駅と代々木駅を直結するものだが、中央総武開発線(左下)や東京メトロ副都心線もホームを持つ一大ターミナルとなっている。

 いままではモノクロの新宿駅構想図しか見たことがなかったが、今度はカラーだ。それも最古のものである。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (1)

  以前ご紹介したものは、

「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」⇒1976(昭和51)年

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)」⇒1985(昭和60)年

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

  なので、把握している限り最古の上越新幹線新宿駅の図面となる。

  尤も、上越新幹線の新宿駅乗入れの話は、1971(昭和46)年頃から報道されているので、そちらが気になる方は

「新宿駅への上越新幹線・成田新幹線の乗入れについて報道をまとめてみた(その1)」 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html 

  を、併せてご覧いただきたい。

  で、運輸省の「新宿副都心総合整備計画調査報告書」の中身を紹介していこう。

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (2)

 前書きはこんな感じで。 

  別に上越新幹線新宿駅の構想を作ろうというものではなくて、それも含めて新宿副都心の開発等色々構想があるから、運輸省として総合的なターミナルの計画を建てておこうということか。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (3)  

 検討メンバーはこんな感じ。八十島、井上と学会の重鎮が勢ぞろいだ。東京都からは鈴木信太郎とか岡本堯生等が顔を出している。(敬称略) 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (4)  

 このブログの記事を読みに来る人の多くは鉄道マニアだと思うので説明は不要かもしれないが、鉄道網整備計画としては、上越新幹線の乗り入れの他、地下鉄10号線(都営新宿線)、12号線(都営大江戸線)、13号線(営団・メトロ副都心線)その他について考慮した新宿副都心のターミナル計画や淀橋浄水場跡地の副都心等を踏まえた総合整備計画を作成すると。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (5)

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (6)

  ちょいと飛ばして、読者のニーズであろう、「鉄道施設の現況と問題点でも。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (8)  

  そして「対象地域に関する諸計画」である。道路計画や鉄道計画に触れている。

 「まえがき」にもあるように、前年度にもこの調査は行われており、これらについては下記には概略しか掲載されていないというと。前年度の報告書についてご存知の方は是非ご教示ください。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (7)

 10号線(新宿線)は、千葉県営鉄道乗り入れで千葉ニュータウンまで、13号線(副都心線)は、渋谷から羽田空港を目指す往時の計画ですな。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (9)  

  読者の皆様が一番気にしそうな国鉄の計画はこちら。

  上越新幹線、北陸新幹線、成田新幹線だけでなく、中央新幹線、第二東海道新幹線、常磐新幹線についても新宿への乗り入れが検討されているとしている。リニアモーターカーは、この段階では中央新幹線ではなく、第二東海道新幹線の方だったはず。常磐新幹線は、成田新幹線と合流して東京駅方面から新宿に来るという絵を他で見たことがある。

  また、在来線では、東海道・東北方面開発線(現在の湘南新宿ライン)及び中央・総武開発線(現在の京葉線新宿延伸構想)に触れている。そのホームをどこに設置するかについては後に出てくる。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (10)  

  「国鉄山手線と環状6号線の中間に地下鉄新宿線の計画がある」とするが、これは10号線のことではなく、所謂「地下鉄山手線」のことか。後に出てくる「図8-1」では「地下鉄山手線」と書いてある。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (11)  

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (13)

 「昭和65年における需要予測」という言葉があるが、もし関心があれば、こちらもご覧いただきたい。地下鉄山手線のルートも出ている。 

「約50年前に計画された首都圏鉄道網を網羅した「昭和65年鉄道網配分交通量図」が面白い」

 https://togetter.com/li/1404375

 「東北・上越・北陸の第2ターミナル」という言い方が興味深いが、国鉄の文書でも東北新幹線も新宿駅へ乗り入れると書いてあったのでその構想を裏付けるものと言えよう。

 また、成田新幹線の新宿乗り入れは考慮しないが、中央新幹線は考慮するというのも興味深い。

 「成田新幹線の東京駅が鍛冶橋下にあるのは、新宿駅乗入れのため」という説があるが、どうやら「成田新幹線の新宿乗り入れとは関係なく鍛冶橋下に決まって、その後に新宿乗り入れが決まった」ようなのだね。

 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (38)  

 ところで、国鉄の開発線とは、このような構想である。

国鉄開発線の構想

インフラ整備70年 講演会(第6回)〜戦後の代表的な100プロジェクト〜「五方面作戦 〜今日の首都圏都市鉄道の基盤を築いた国鉄による空前絶後の通勤鉄道改善プロジェクト〜」から引用 https://www.jcca.or.jp/infra70/wp-content/uploads/2019/11/PJ-No06.pdf

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (15)

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (37)  

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (14)  

  「中央新幹線」の字が原宿駅の南側に見える。川島令三の著書には、中央新幹線は、中央本線に沿って中野方面に伸びるように書いているが、この計画では新宿から原宿を経て山梨方面に伸びるようだ。どちらを信じるかはご自由に。

  在来線については、「東北・東海道開発線」が13号線(副都心線)と一緒に明治通りを走っている。この頃は、副都心線の下に東北・東海道開発線を建設する予定だったようだ。現在では、山手貨物線を湘南新宿ラインとして走っているが。

  また、「中央・総武開発線」はこの頃は代々木経由である。この辺の経緯についてご関心のある方は下記をどうぞ。

  http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (17)  

 「新宿周辺鉄道網平面図≪構想,検討路線も含む≫」である。そしてそれぞれの「地下断面図」が下記のとおり。 

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (18)

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (19)

 この「地下断面図」が、凡例もないし、色もついていないし全く分からんちんですよ。ひょっとしたら前年の調査結果を見れば分かるのかもしれない。 

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (16)

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (20)

 文中「三光町」は、現在の新宿三丁目駅である。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (21)  

 で、やっとお待たせの各駅の図面にたどり着くので、しばしお待ちを。。 

 「新交通システム」の文字が気になる人もいるかもしれないが、これは気が向けば別稿で。とりあえずここではあまり触れない。 

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (23)

 「階層別計画概念図」は、先ほどの「地下断面図」よりはるかに分かり易い。 

 12号線(大江戸線)は、この図では、現在と違い、地下4階となっている。 

 また、京王プラザホテルの更に西側の地下5階に「地下鉄山手線ホーム」がある。 

  明治通りの下には、地下3階に13号線(副都心線)が走り、地下5階に国鉄東北・東海道開発線が走っている。

  なお、これは私の根拠なき妄想だが、池袋以北については、明治通りの下を上越新幹線と東北・東海道開発線が同様の地下2階建てで王子へ進むのではないかと睨んでいる。(東北・東海道開発線の王子以北は、現在は地下鉄南北線である。)

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (22)  

 「各ターミナルの計画」がこちら。

 そして、新宿地区の各ターミナルを一枚にして、各地下階層毎の図面が展開される。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (25)  

 </p>「GL」は、多分、グランドレベル=地表のことだ。

 「NTS」 は、前述の新交通システムのことであろう。新宿の東西南北を結ぶ歩行者支援のためのシステムが検討されていたようである。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (24)  

地下1階 

  現在工事中の東西自由通路は、この頃から構想があったことがうかがえる。

  また、新宿駅から代々木駅を結ぶ新幹線コンコースが計画されている。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (26)  

地下2階 

 これだけ見せられても位置関係が分からないが、「4」とあるのは、地下鉄4号線(丸ノ内線)の新宿駅と新宿3丁目駅であろう。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (27)  

 地下3階 

 JNRのホームが二つある。東(右)側が東北・東海道開発線で、西(左)側が上越新幹線だ。 

 「13」は、副都心線の新宿3丁目駅と代々木駅だ。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (28)  

 地下4階 

  「10」は新宿線の新宿3丁目駅と新宿駅。「12」は大江戸線の代々木駅。この頃は大江戸線は新宿駅はなく、代々木駅から都庁前駅に直行していた。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (29)  

 地下5階 

  「JNR」は、中央・総武開発線の代々木駅だ。この頃は新宿駅は経由しないことになっていたようだ。

  

  そしてやっとやっと駅の構想図である。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (30)  

 「中央ターミナル鳥観図」だ。じゃーん。 

  オレンジが道路で、青が線路のようだ。

  右が渋谷方面、左が池袋方面、上が東口、下が西口だ。

 バスタ新宿と新宿ミライナタワーっぽいビルがある。 

  ミライナタワーと線路の間を左右に走る細い高架橋が「新交通システム」だろうか?

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (31)

 「中央ターミナル構成図」 

 JNRはもちろん国鉄のこと。地下に新幹線ぽい車輌と2面4線のホームが見える。右下を逸れていくのは東北・東海道開発線、左下を逸れていくのは中央・総武開発線だろう。 

  西(左)側の「KTR」は、京王帝都電鉄、「OER」は、小田急電鉄だ。

  新幹線の真上に「新交通システム」らしき白いチューブが走る。トラムといった軽車輌ではなく、動く歩道的な歩行支援システムであることがうかがえる。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (32)  

 「代々木・ターミナル構成図」 

  地下を東(右)側から、「13」=副都心線代々木駅、「JNR」=東北・東海道開発線、中央新幹線、西(右)側には、「JNR」=中央・総武開発線代々木駅、「12」=大江戸線代々木駅だろう。

  地上には、新交通システムの高架橋が代々木駅から新宿駅東口のマイシティまで続いている。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (33)  

 「副都心・ターミナル構成図」 

  大江戸線の都庁前駅。現在と違って上下にクロスしている。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (17)  

 もう一度この路線図を見ればイメージが湧くであろう。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (34)  

  「三光町ターミナル構成図」

  新宿三丁目駅である。緑色は歩行者天国を塗り分けているのだろうか?

  「4」の丸ノ内線、「10」の新宿線、「13」の副都心線の実現した地下鉄路線の下に「JNR」東北・東海道開発線のホームも見える。

  

 ※写真、図面の名づけに「昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想」としておりますが、「48年度」とすべきところ、写真をUPしてから間違いに気が付きました。お許しくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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