1957年国土開発縦貫自動車道建設法のルート思想とは? ~日本の戦後高速道路ネットワークの推移(1)~
これからシリーズもので、日本の戦後高速道路ネットワークの推移を追っていきたいと思う。
ざくっと流れを追うとこんな感じだ。
民間の田中清一等を中心にした「田中プラン」を元に議員立法した3,000キロの国土を縦貫する自動車道
●1966(昭和41)年 「国土開発幹線自動車道建設法」の制定
新たに7,600kmのネットワーク
●1969(昭和44)年 「新全国総合開発計画(いわゆる「新全総」)」
7,600kmに9,000kmを追加する構想
●1987(昭和62)年 「第4次全国総合開発計画(いわゆる「四全総」)」
14,000kmの「高規格幹線道路」
●1987(昭和62)年 「国土開発幹線自動車道建設法」の改正
14,000kmのうち、11,520kmを高速自動車国道に指定
(参考)
https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/hw_arikata/pdf9/3.pdf
これらを数回に分けて、どのような思想でどのような路線を形成していったかを整理していきたい。
「国土をひらく縦貫道路」小松崎茂 「こども家の光」1957(昭和32)年11月号
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(第1回)「国土開発縦貫自動車道建設法」の制定
早速だが、縦貫道法のネットワークは下記のとおりである。
後に北陸自動車道を追加。東名高速道路は「東海道幹線自動車国道建設法」として、別の法律で1960(昭和35)年に制定。
この縦貫道案を推進するために、「日本縦貫高速自動車道協会」が設立されていた。
ここでは、「縦貫道協会」が1956(昭和31)年に作成した「国土開発縦貫自動車道建設計画概要(改訂版)」を基にその思想等を紹介したい。
長くなるが、その思想を理解するために、「縦貫道法案」を国会に提案した際の「提案要旨」を抜粋する。
縦貫道法というと、中央道が南アルプスをぶち抜くルートが有名だが、そういったルートをとった趣旨が赤枠部分に書かれている。「外に失った領土を、内に求める」ために「未開後進の山岳高原地帯をも縦横断する」ことで「人の住むに値する領域」を拡大するためである。
この冊子には「農家の二男、三男対策」という言葉は出てこないが、戦前は農地を相続できない「農家の二男、三男」を海外植民地に送り込んできたのだが、敗戦によりそれができなくなったため、縦貫自動車道によって新たに「二男、三男」を送り込むべき土地を切り拓くという趣旨も含まれている。
そして「国民の完全雇用を期するための就労対策事業」である。
「ナチスドイツのアウトバーンが失業対策事業として行われた」と世界史の授業で習った人も多いかもしれないが、それは「ナチスのプロパガンダ」に過ぎないものとして、現在では経済効果としては否定する説も多い。
(例)https://www.express-highway.or.jp/info/document/rpt2017001.pdf の17~18頁
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また、その趣旨の1つとしての「国土の普遍的開発の促進」についても抜粋しておく。
「この国土の普遍的開発を促進することにより、各地方における適地産業の立地促進、新都市及び新農村の建設をはかり、国民生活の領域の拡大を期することができる」「国土開発縦貫自動車道が国土開発を冠する所以である」とある。
既存の幹線の飽和対策ではなく、あくまでも地方の新都市及び新農村の建設を図るための「開発道路」なのである。 なので東海道を外して敢えて山間部を通しているのだ。
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ここまでが「思想」の部分。これから「それを具体化するためのルートの考え方」をご紹介。
「中国自動車道が、なぜ山陽道筋ではなく、山間部を通るルートが先行したか」については②の「表日本及び裏日本の両方えの連絡を容易にし、できるだけ巾広い勢力圏をもたせ」というあたりを体現しているのだろうか。
また、③の「地形の許す限り、未開発後進の資源地帯、山地高原地帯をも貫通させ、高速自動車交通による国土開発の徹底をはかる」というのが先に述べた「国土開発を冠する所以」の具体化である。
④の「農耕地の潰廃を極力避け」「村落及び都市の中心を通すことを避け」というのは敗戦後10年しか経っておらず、食料供給にも不安があった時期を反映している。都市も戦災でせっかく焼け残ったのに、せっかく復興したのにそこを立ち退くのかという観点があるのではないか。(※首都高が河川や運河等の公有地の上を通すことを選択したのもこういった戦後の背景を考慮したものでないか。)
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これらの方針に沿って、縦貫道の予定路線が決まっている。
また、下記のように、「支線となるべき主要な一般道路又は一般自動車道の路線」についても提言されている。
これらをあわせてご紹介したい。
○中央自動車道
現在なお建設中である三遠南信自動車道や中部横断自動車道の前身というような路線が支線としてあげられている点が興味深い。
○東北自動車道
新潟への支線が磐越自動車道ルートである。当時の技術では現在の関越自動車道で関越トンネルをぶち抜くのは困難だったことのあらわれであろうか?
○北海道自動車道
「洞爺湖の西北方を通り最短距離で札幌市附近に至る」あたりが現在と大きく異なる。また、支線の表にはかいていないが地図には載っている浦河への支線は日高山脈を横断する難易度の極めて高いルートだ。北海道は本線支線含めて「安易な態度は棄てゝ思い切って自然を克服する」にもほどがあるチャレンジ精神極まるルートどりだ。
○中国自動車道
「中央部を行くことにより(山陽山陰の)両地域を勢力圏におさめる」「両地域の開発に同時に資するため多少地形上の不利を忍んで敢えて本路線を選んだ」を読めば、なぜ中国道が真ん中を通っているのかがお分かりであろう。
○四国自動車道
現在、ほぼその形を残していないのが四国自動車道である。比較路線の那賀川~物部川ルートも含めて「ヨサク」並みの酷道ルートだ。確かに四国の未開発の山地開発にはよいかもしれないが。
また、高松ではなく徳島が起点となっている背景には、「神戸~洲本~徳島」の支線による本四連絡が念頭にあったことが推測される。
○九州自動車道
九州道のルートの特色は「直方市附近を経て南下し、鳥栖市と日田市の中間」を通って「門司~鹿児島の最短路線」をとるところである。九州最大の都市である福岡市を経由するつもりはないのだ。
その後の建設省の資料では、犬鳴峠を経由する案等があったようだ。もし犬鳴峠を九州自動車道が通過していれば、怪談や肝試しも減ったかもしれない。
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以上が、「国土開発縦貫自動車道建設計画概要(改訂版)」による高速道路ネットワークの概要である。
同書では、この他に「自動車道」とは何か?、「高速道路」と何が違うのか?についても触れている。
ネット上でも、少なくない方が「自動車道と高速道路の違い」について定義づけようとチャレンジしていると思われるが、一応これが「公式回答?」である。
背景を解説するなら、当時の道路法では「自動車専用道路」といった規定はなかった。道路法第48条の2が追加されたのは1959(昭和34)年である。
「縦貫道協会」では、建設省が所管する道路法では自動車専用の道路はできないので、道路法に基づく「高速道路」では自動車以外を排除できない。運輸省と建設省が共管する道路運送法に基づく「自動車道」として整備すべきだとしているのだ。
素人からすると、「自動車道と高速道路の違いは、役所の管轄争い」とでもすべきところなのだろうか??
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このようなルートの「縦貫道」は技術的な困難を伴うこと等から、「国土開発幹線自動車道建設法」等でルート変更されていく。最も有名なのが、中央自動車道の諏訪回りへの変更であるが、建設省道路局長・事務次官等を歴任した高橋国一郎氏は、高速道路調査室長在職時を振りかえってこう語っている。
「土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義 : 高速道路に焦点をあてて 」高橋国一郎編101頁から引用。
九州道や東北道を山から都市に下ろすのに苦労したが、中国道は無理だったと。仙台宮城インターチェンジが仙台市内から離れた旧宮城町にあるのもその名残で、本当は仙台の東を通したかったと。現在の仙台東部道路、仙台北部道路が高橋氏が想定した変更ルートなどだろうか?
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こんな感じで手持の高速道路資料の虫干しをやっていく予定です。
宜しくお付き合いのほどを。
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