東海道新幹線が予算オーバーした国鉄幹部は引責辞任したけど、東名・名神高速道路も予算オーバーしたのに道路関係者は辞めなかったのは、ズルイ??
また扇情的な題名をつけてしまった。
ただ、実際に国鉄関係者にはそう思っている方がいらっしゃるようなのだね。
「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲 」高松良晴・著 日刊工業新聞社・刊 84~85頁
引用した末尾には、「東京・神戸間の高速道路建設総事業費は、(略)、概算工事費の(略)ほぼ3倍であった。この東京・神戸間高速道路の建設費の増額は、十河が国鉄総裁が(ママ)辞めた昭和38年(1963年)当時、すでに明らかになっていた。だが、十河も島も、東海道新幹線の出発式に招かれることはなかった。」とある。
最後の「だが」が文章が繋がらないのだが、要するにこのブログの件名のようなことを敢えて??書かなかったから繋がらないのである。著者の高松良晴氏は、国鉄OBである。
鉄道(国鉄)ばかり予算オーバーの責任をとって、高速道路は予算オーバーの責任をとらずズルイズルイなのだろうか?
この東海道新幹線の予算騒動について、建設省の高速道路担当官がどう見ていたかについても残されているのであわせて見てみたい。
「道を拓く -高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 184・185頁
当該頁の執筆者は、小林元橡氏(元・建設省道路局高速道路課長)である。
「国鉄は黙っていたからあんなことになったけど、建設省は都度都度関係者に説明して了解を得ていたもんね」ということか。
新幹線の予算オーバーが国会で問題になったときに、当時の国鉄副総裁も予算オーバーについて知らなかったと答弁していたのだが、(実際に知っていたかどうかはともかく)関係者への根回しをちゃんとやっていた建設省と社内でも秘密になっていた国鉄との差である。
まあ国鉄もそうせざるをえない事情があったのかもしれないが、高松氏のように高速道路を逆恨み??するのはお門違いであろう。
1964(昭和39)年2月29日付毎日新聞に「企業の森(242) 批判と称賛 -「新幹線物語」-」という羽間乙彦氏の連載記事が掲載されている。
そこでも東海道新幹線と名神高速道路の予算問題を比較している。
大石重成新幹線総局長の気持ちも分からないではないが、そのような国鉄の体制に世間は納得しなかったという。
なお、ソースは公開できないのだが、当時の官僚が「新幹線の予算オーバーの責任をとって、世界銀行の担当者が更迭された」旨を語っているのを読んだことがある。
十河信二、島秀雄は自己責任だが、騙された世銀担当者はとんだトバッチリである。
その後、高速道路については、東名高速道路、首都高速道路及び阪神高速道路に対して世界銀行の融資が行われたが、国鉄は東海道新幹線が最初で最後の融資となっているのは単なる偶然だろうか?
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ところで、小林氏の話にも出てくる名神高速道路の予算だが、実際に予算管理に苦労し、当初計画から削減されたりした部分がある。
せっかくなので、そういった部分についても紹介したい。
「名古屋-神戸高速道路の構想」日本道路公団・刊
「本書は、昭和32年7月16日 大阪クラブにおける当公団 岸道三総裁の講演を要約し、さらに、その後、「整備計画の決定」等事態の推移にともない、若干の補訂を加えたものであります。」との説明がついている。
「名神高速道路は名古屋市も神戸市も通っていない」というのは、一部ではネタになっている。名古屋は東名高速道路が通っているが、神戸市には、中国自動車道の神戸三田ICができるまでは高速自動車国道のインターチェンジはなかった。
実は、名神高速道路の西宮~神戸間は、予算超過の帳尻をあわせるために、カットされていたのである。
これは、名神高速道路の初期の計画図の一部分である。
よく見ると、西宮~神戸間の路線が描かれている。
実際には、この区間は阪神高速道路として施行された。(この当時はまだ阪神高速道路の計画も阪神高速道路公団もなかった。)
また、岸総裁は「長いトンネルや橋は当面暫定2車線(片側1車線・往復2車線)とする」とも語っているが、これは予算の手当てがついたのか実際にはそのような区間はなかった。
もののついでに、「道を拓く」からも当該関係個所を引用してみよう。
当該部分は、斎藤義治氏(元・建設省道路局高速道路課長)である。先に引用した小林氏の文中に出てくる「斎藤氏」である。
実際に暫定2車線とする長大橋、トンネルの名前もあげられている。
国鉄の新幹線と同様に、「まずは当初計画を通すために削減したけど、そのうち復活させるつもりだった」という趣旨が共通するのは興味深い。
ちなみに、世界銀行も暫定2車線による施工を検討することを融資条件としていたようである。
これも「道を拓く」からの引用であり、大塚勝美氏(元・建設省→日本道路公団理事)の執筆部分である。
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名神高速道路の予算カット部分で随分寄り道をしたが、
昨今では、「自ら責任をかぶった悲運のリーダー」的に語られることが多い十河、島氏であるが、「当時の霞が関ではこんな風に見られていた」ということで。
国鉄に騙された世銀の担当者はかわいそうだが、語られることはほぼ無いようだ。
※この記事を書くにあたっては、同じベイスターズファンのけんちん氏のご協力をいただいている。末尾ではあるが感謝の意を表したい。
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コメント
「名神高速道路」という名前なのに、なぜ西宮止まりなのかが明確な根拠とともに知ることができて、大変興味深く拝見しました。
以前も借款についてコメントしたことがあるような気がしますが、貸す立場からするとスコープが変わらない(事業範囲がそのままの)追加借款や期間延長は極力避けたいので、増額や延長の可能性があるならばスコープ縮小(道路ならば、区間短縮や車線数削減)を提案していました。
名神高速道路でもそのような経緯だったとは興味深いですね。
新幹線の場合、完全に独立した新しい輸送システムだったので、スコープ縮小が困難だったという事情はあると思いますが、ずっと隠していて突然事業費増額となった過去があれば、その後山陽新幹線の借款が断られたというのも納得です。
投稿: 元借款担当者 | 2023年8月27日 (日) 18時35分