日本の初期高速道路7,600kmの路線網が定められた背景と裏話
法定の高速道路に成り損なった「未成高速道路構想」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-73aac0.html
日本の初期高速道路7,600kmの路線網はどのような基準で決定されたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-d76c1d.html
の2回に分けて、昭和40年代の日本で高速道路ネットワークがどのように形成されてきたかを紹介してきた。
ただし、数値的な理論とか割ときれいごとの部分である。
今回は、そもそもなんでそんなきれいごとで整理する必要があったのか?といった背景等の裏話を当時の建設省担当者の声を紹介してみたい。
https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/hw_arikata/pdf9/3.pdfから引用
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高橋国一郎氏(建設省道路局長、同事務次官、日本道路公団総裁等を歴任)は、「土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義 : 高速道路に焦点をあてて」で下記のように触れている。
高橋氏は「中国横断道は止めたが九州横断道は止められなかった」と述べているが、先に示した国交省資料のとおり、中国横断道も止められなかった。
(ちょっとページを飛ばします)
7,600kmの大枠は、財政当局との折衝の結果定められたが、本当は8,000kmくらいはやりたかったと。
高橋氏は「和歌山市まで」と語っているが、実際には海南市までである。また東九州道を組み込みたかったというのは井上孝氏と同旨である。
※後述の「道を拓く : 高速道路と私」から。肩書は同書が発行された1985年10月現在のもの
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当時建設省課長だった栗田武英氏は、「道を拓く : 高速道路と私」で、下記のように述べている。
「高知市が抜けている」は「高松市が抜けている」の誤りであろう。
四国の当初の「逆Z型路線」については、法改正前の下記の路線図を参照されたい。
「いずれ適当な時期に幹線網の追加補正をする」というのが、法定の高速道路に成り損なった「未成高速道路構想」で紹介した「今後追加するよう自民党が強く申し入れた」路線網である。
この原案通り通過するための背景に、先に紹介した井上氏の「黄色いマジック」の逸話が出てくるわけだ。
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