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2021年2月に作成された記事

2021年2月20日 (土)

「国鉄は独立採算で税金が入っていなかったのに、道路公団は税金じゃぶじゃぶで不公平だ」という公共交通マニアの方の言を検証してみる

 このニュースを切っ掛けに、また公共交通をこよなく愛する方々から「国鉄は独立採算で(原則的に)税金が入っていなかったのに、道路公団(高速道路)は税金じゃぶじゃぶで不公平だ!!けしからん!!」という声がツイッター等で流れてきた。

 そこでとても意地悪な革洋同さんは、実際にそれぞれ税金が幾ら入っているか調べてみた。

 結果はこちら、ドン!

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (2)

 実は、国鉄に入っている税金の方がはるかに巨額でしたというオチである。

 (※2021年9月に、日本鉄道建設公団のグラフを追記しました。)

 出典等は下記のとおり。 

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国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (4)  

  「昭和60年 国鉄監査報告書」からの引用である。

 1981(昭和56)年から1983(昭和58)年は、7,000億円/年を超えているが、これがどれくらいの額かというと、上越新幹線の新宿ルートを建設するのに約7,000億円かかる(そしてあまりに巨額なのでJR東日本では建設できない)のに匹敵するわけだ。 

 この他に「無利子貸付金」がある。 

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (5)  

 これは、利子を払わなくていい借金を国鉄が国から借りているということ。本来であれば、国に利子が入るところが入ってこないのだから、その分は収入欄には見えてこない税金からの補填である。 

 こういった具合に多額の税金からの補助が国から国鉄には入っていたのである。 

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (14)

 「財政再建利子補給金」という課目で毎年数千億円を国からもらっているわけだが、これは何かというと上記のとおり、過去債務の利子がそのままだとどんどんふくらんでいくので、そこを税金で補填してやって歯止めをかけるといったものであろう。「国鉄の赤字は税金で穴埋めしていない」という方がいらっしゃるが、少なくとも赤字の利息については税金で一部支払っていたわけだ。

 それでも多額の赤字の前には焼け石に水だったわけだが。 

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 一方、日本道路公団の方はこちら。 

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (3)  

 「平成15年 日本道路公団年報」 

https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/236639/www.jhnet.go.jp/format/index2_05.html からの引用である。

  日本道路公団に投入されていた国費=税金の性格は下記のようなものである。

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (1)  

そして、これらの出資金は、無料開放にあたって料金から返済されることになっている。

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (15)

「高速道路の債務返済に関する一考察」国土交通委員会調査室 山越 伸浩

https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/keizai_prism/backnumber/h22pdf/20108102.pdf

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/dai20/20siryou2.pdf 

 ただし、「小泉改革」で日本道路公団への国費支出はなくなった。グラフで2002年がゼロになっているのはこれを反映させたものだ。

新東名高速道路(第二東名)の暫定4車線から6車線化の経緯 (17)

2001(平成13)年11月9日付日本経済新聞

 尤も事業規模や国費の目的が異なるから単純な比較はできないのは承知のうえ。 

https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/236639/www.jhnet.go.jp/format/index2_05.html には、下記のような表もあるる。

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (6)

 有料道路事業のうち、10~20%くらいが国費=税金であるということだ。 

 では、日本鉄道建設公団ではどのくらいだったのか? 

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (7)  

「日本鉄道建設公団の事業概要」横山章・日本鉄道建設公団計画部計画課長 「建設の機械化」1975年6月号 

https://jcmanet.or.jp/bunken/wp-content/uploads/1975/jcma-1975_06.pdf 

 国鉄のローカル線や青函トンネル、上越新幹線等をガンガン作っていた1975(昭和50)年の予算では、3,647億円の事業費中政府出資金が549億円と約15%である。 この時点では額は日本道路公団の331億円よりも巨額であり道路関係4公団の国費率約10%よりも多い。

 制度等も違うだろうから単純比較はできないが、少なくともこの段階では鉄道建設公団と道路関係公団では、税金の入る額も国費率も鉄道建設公団の方が上である。 

 少なくとも鉄道建設公団が建設した新規路線については、高速道路に比べて税金が少ないとかいったことはないのではなかろうか?

(※2021年9月追記)

 「日本鉄道建設公団30年史」から政府出資金、国庫補助金及び補給金の額を合計した額をグラフに追記した。

 1986年から鉄道建設公団への国費助成額が激減しているが、これは上越新幹線や青函トンネルといったビッグプロジェクトの完成や国鉄民営化に伴う新規路線建設の凍結が影響しているのであろう。

(追記終了)

 なお、鉄道建設公団が建設した青函トンネルや本州四国連絡橋公団が建設した本四備讃線については、国鉄が利用料を払って建設費を償還するはずだったが、国鉄民営化にあたって国民負担(税金)となっている。

 道路公団民営化にあたっても。いわゆる「新直轄」とか本四連絡橋に対する国費投入等があった。

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 ところで、鉄道と道路については、上記のような有料道路に対する不平不満だけでなく、一般道路に対する不平不満も「公共交通をこよなく愛する方」からも聞こえてくるところである。 

 ただ、これは40年以上前に決着していると言っていいのではないか? 

 いわゆる「イコールフッティング」論争とでもいうやつだ。 

 国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (8)

現代自動車交通論」 今野源八郎・岡野行秀 編著 東京大学出版会・刊  217~218頁から引用

 今でも「鉄道は自前で整備しているのに、道路は税金で整備している。トラックやバスは不公平だ。」という御仁はいらっしゃるが、「この主張は誤解」で「有料道路料金や自動車関係税によってまかなわれている」で以上終わりである。 

 経済学者の主張だけでは不公平かもしれないので、当時この辺の政策を担当した運輸官僚の回顧についても紹介しておこう。 

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (9)  

「総合交通政策の登場」高橋寿夫 290~293頁から引用 「 証言・高度成長期の日本(上)」毎日新聞社・刊 所収

 「公共交通をこよなく愛する方」からは、「飛行機も飛行場を税金で整備していて鉄道に対して不公平だ」と言いがち(ただし、旧・運輸省の中の話なので、旧建設省所掌の道路に対してよりも声は小さい。)なのだが、高橋寿夫氏は、鉄道側の主張も紹介しつつ、実際には道路も飛行機もほぼ100%受益者負担なので不公平とまでは言えないと決着している。 

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 「総合交通政策論」が一段落した後に、運輸大臣が興味深い答弁をしている。 

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (16)  

「道路の場合あるいは空港の場合、これは非常に利用者負担が高いにもかかわらず、その利用者負担が目的税特定財源として構成されておりますから、何となく利用者負担率の小さい国鉄の方が利用者負担率が高いように見られて、そこに大きな錯覚が起こるわけでございます。」

1977(昭和52)年4月27日参議院決算委員会における田村元運輸大臣の答弁

 道路=83.4%、空港=99.6%、国鉄=58.7%というのだから興味深い。

 惜しむらくは、データの出元が分からない。運輸省系のどこかの統計にあるのか。当時の「運輸と経済」あたりを調べれば出てくるのだろうか。

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 話を鉄道と道路の財源争奪戦に戻そう。

 その代わりにゲットしたのが、自動車重量税からの鉄道への支出である。 

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (13)  

 同上 292頁から引用

 自動車ユーザーが支払う自動車重量税のうち1/4は鉄道整備に回されることとなった。

 ときどき「鉄道が整備されれば、道路の渋滞削減に寄与するから、その分は自動車・道路側に払わせばいいんじゃね!俺頭いい!」的なアイデアをご披露される方がいらっしゃるが、既にその理屈は消費済なんである。それも40年以上前に。

 で、それをやったのは田中角栄である。

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (11)

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義 : 高速道路に焦点をあてて・高橋国一郎編」149頁から引用

 昨今の鉄道ファンからは「道路族」としてしか認識されていないかもしれないが、「鉄道族」のドンとしての田中角栄が、道路から鉄道へ金をぶんどっていったのであった。

 

 実は、同様に政治の力で、鉄道整備費用をドライバーに負担させているものがあって、都市モノレール・新交通システムなんかがそうである。

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (10)

「インタビュー 都市モノレール建設時代の10年」熊谷次郎 38頁から引用「社団法人日本モノレール協会20年の歩み」所収

 ちなみに、この熊谷次郎氏は、八田嘉明一派で、モノレール協会(初代会長は八田)の前には日本縦貫高速道路協会(ここも八田が会長を務めた)にもいた。鉄道・道路の両方に顔が効くのである。

 都市モノレールのインフラ部分は道路そのものとして建設されるので、道路から鉄道への支出という形では見えてこない。

 都市モノレールや新交通システムが、鉄道事業法でなく、軌道法が適用されているのは、路面電車同様「道路の上を走っているので旧建設省と旧運輸省が共管」という形をとって道路から金を出しているからである。(おそらく廃止されたピーチライナーの軌道を撤去する金もドライバーが負担したことになっているのではないだろうか?)

 

 同じく、道路から鉄道への支出という形では見えてこないものの一つに道路占用料の支払いを地下鉄等が免除されていることがあげられる。

 本来道路が鉄道から徴収すべき金額を免除しているために、これも道路から鉄道への支払いとしては見えてこない。

 

 というわけで、「公共交通をこよなく愛する方」にはあまり知られていないが、道路・ドライバーは鉄道の金を結構負担していて(このほかには駅前広場の整備費用とか)、しかも数字には見えてこなかったりするわけだ。

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<関連文献>

公益社団法人日本交通政策研究会 「日本の交通政策を振り返る ―政策志向経済学研究者の視点から― 」レジュメ

http://www.nikkoken.or.jp/pdf/symposium/150925b.pdf 

 同上 結果報告

http://www.nikkoken.or.jp/pdf/symposium/150925c.pdf

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<余談>

 参考文献としてあげた「現代自動車交通論」 今野源八郎・岡野行秀 編著 東京大学出版会・刊 の209頁に下記のような文が載っていた。

国鉄と道路公団への税金助成額の比較 (12)

 東大出版から出ている学術書にしては異例なことに、合理的な交通の見解については、鉄道ファンといった交通の好き嫌いや酔いやすさといったことが判断に影響すると述べているのだ。

 わざわざ東大の教授が特記すべき重要なバイアスなんだろうw

 

 JR東海の須田寛氏が「私の鉄道人生“半世紀"」において、「・公私の判断がつかない・中途半端な知識はかえって業務の妨げになる・視野が狭くマクロ思考ができない・偏食的な趣味嗜好に陥りがち」といった理由をあげて延々4頁にわたって、「鉄道マニアはどうして鉄道人に不向きか」を書いているのだが、鉄道マニアというのはそこまで偏ったバイアスということで各種専門家に捉えられているということなのであろうか。

 

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<超余談> 

 https://jcmanet.or.jp/bunken/wp-content/uploads/1975/jcma-1975_06.pdfの22頁に載っている「国鉄新線線路図」。北陸新幹線が当初の「亀岡経由」だ。亀岡といえば、山田木材。ドドン!!

北陸新幹線が亀岡経由だった時代の路線図  

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2021年2月 2日 (火)

東北新幹線は、埼玉で反対されていたなら、上越新幹線新宿ルートを先取りして東北貨物線に建設すればよかったのではないか。何故やらなかったのか?そしてそこに見える国鉄幹部の発言の軽さ、無責任さ。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (1)

1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」から引用

 

 上越新幹線の新宿乗り入れは、上図のように、東北本線の在来線貨物線を活用して建設することとなっていた。当然国鉄としては自社用地内である。多少の追加買収は必要だろうが、今の東北新幹線のように丸々追加買収するよりは遥かに楽だろう。

 このルートは武蔵野線に在来の貨物が移転してからという条件がついていたが、工事の遅れから東北新幹線にこの土地を使うのも可能だったはずだ。

 しかしそうはなっていない。

 その辺の経緯を国鉄関係者が業界誌で述べている。そのものずばり「建設業界」という雑誌だ。

 


 (※(引用者注)東北新幹線建設にあたっては、福島の信夫山付近でも反対にあい、地下化要求をなんとかかわしたことに触れた後に、大宮以南のルート経緯について語る。)

 当初計画では、荒川から大宮までは、平面的には現ルート付近で地下で計画されていた。この計画について都区内は在来線沿いの高架ルートであるにもかかわらず、人口密度も小さい埼玉県南部が地下ルートであるという不自然さについての議論はあったが、在来線への併設は昭和四十三年に三複線化工事が完成し、都市計画等の完了したばかりの市街地に与える影響が多大である点や、当時盛んに宅地開発が進められていた地区であることから、在来線と別ルートで地下とされたものである。その後曲折を経て高架ルートで通勤線(埼京線)併設さらに両側に幅二十メートルの緩衝地帯を確保することに変更され開業することとなった。 

 当時、大宮以南の三複線のうち貨物線一複線を新幹線に転用する案も検討されたが、現在の国鉄貨物輸送の衰退は予想することも出来ず、お蔵入りとなった次第である。この貨物線は現在、片道十五本程度の貨物列車が走っているだけであり、今、東北新幹線を建設するとしたら間違いなく貨物線敷を転用することになるだろうと想像され、十年先の見通しの困難さを痛感しているところである。 

  

「東北新幹線のこと」日本鉄道建設公団計画部長 安原明・著 「建設業界」1986(昭和61)年1月号 48頁 

  

 「いやあ読み間違っちゃったよ。今のルートは間違いだった。将来予測は難しいねえ」と極めて率直な心象を吐露しているあたり、「建設業界」という、一般人やその読み誤った新幹線ルートのために引っ越しを余儀なくされた地権者は読まないだろうという安心感が背景にあるのだろうか? 

 https://iikou-d.jp/affiliate/tokyo/files/2011/10/kikoubun_yasuhara.pdfによると安原明氏は、「私は大学を卒業して日本国有鉄道に入社してから色々な立場で東北新幹線の建設に携わってきた」方なんだそうな。 

 この文が掲載された1986(昭和61)年1月というと、東北新幹線の上野~大宮間が開通してからまだ1年も経過していない時期である。安原氏は「十年先の見通しの困難さを痛感」するだけでもいいかもしれないが、沿線住民はこれからずーーーっと新幹線と隣合わせで生活し続けなければならないし、引っ越しをしたくなかった地権者だっているだろう。そういう人々がこの文を読んだらどういう気持ちになるか想像が及ばないのだろうか? 

 まあ国鉄の学士様はそういったことには忖度する必要はないのかもしれない。 

東北新幹線東京大宮間110キロ規制と線形 (1)  

 紛争中の1979(昭和54)年12月18日付読売新聞では、国鉄東京第三工事局の坂本真一次長は「大宮市から南はカーブや急こう配があって110キロのスピードでしか走れない」「とにかく国鉄を信用してほしい」と語っている。 

 しかし、開通すると業界誌には直ちにこんなことを書いてしまうのが国鉄職員なんである。 地元自治体や住民を騙し切って、さぞかし嬉しかったんだろうなあ。黙っていられないくらいに。


 また、住宅密集地を避けてルートを選定したため、半径600~2,000mの急カーブが多いため当面最高速度は110km/hとなっている。

 

「東北新幹線上野・大宮間建設の経緯」 国鉄電気局計画課 田辺昭治・著 「電気鉄道」1985(昭和60)年3月号 4頁

 

 「110キロのスピードでしか走れない」という国鉄を「信用」したら、開通と同時に「当面最高速度は110km/h」と業界誌には書いてしまうというのが国鉄クオリティなんである。いやせめてもうちょっと我慢しろよ。

 この正直な田辺昭治氏も、退職後はめでたく業界の社長になられたようである。 

 では、当該区間の建設を担当していた国鉄東京第三工事局の局長はどうだったのか?

東北新幹線建設にあたっての国鉄の考え方 (1)  

 「交通技術」1978(昭和53)年11月号に国鉄東京第三工事局長の岡部達郎氏がこのようなことを述べている。 

東北新幹線建設にあたっての国鉄の考え方 (4)  

 まあ当たり障りのないというか殊勝なことを述べている。 

 ただし、これは東北新幹線建設のためにまだ地元に頭を下げ続けなければならなかった頃のお話である。 

 これが東北新幹線開通後になると、岡部達郎氏はこう述べている。 

東北新幹線建設にあたっての国鉄の考え方 (2)  

東北新幹線建設にあたっての国鉄の考え方 (3)  

  「汎交通1992(平成4)年4月号

 いくら鉄道業界の身内しか読まない「汎交通」だからと言ってまあよくこんなことを書けるものだ。 

 新幹線建設予定地の住民は弁護士に依頼することも許されないのか?政治家に陳情することも許されないのか?自分たちは田中角栄とかの鉄道族議員はアテにするのにね。 

 これが代々引き継がれた国鉄技術マン魂なのだろう。 

  以前も記事にしたが、国鉄東京第三工事局はこんな舌禍事件を起こしている。

国鉄による東北新幹線反対派誹謗中傷ビラ事件  

1974(昭和49)年9月18日付朝日新聞 

 この新聞記事を読むと国鉄の一部の「はねっかえり」が起こしたトラブルのようだが、上記の岡部氏の「汎交通」の記事と照らし合わせると実際には東京第三工事局長の意図をしっかり反映していたことがよくわかる。東京第三工事局一丸となって岡部局長の意図を汲んで実行したわけだ。地元が反発して工事は遅れたけどな。 

  

 この他にも当時の国鉄は、「大宮に全列車を止める」という約束をしながら、上野開通後には早速大宮を通過する新幹線列車を設定して地元の反発をかっていたりする。 

 この経緯は、「JR東海が静岡のリニア水涸れ問題で約束を守るかどうかが話題ですが、国鉄須田寛常務(現JR東海相談役)が東北新幹線で埼玉県にどう対応したかを見てみましょう」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-0a9c65.htmlにまとめてある。 

 関心のある方はあわせて御覧いただきたい。 

 

 国鉄の学士様の発言はなんでこんなに軽いんですかね?

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ところで、国鉄幹部の口の軽さ、発言の無責任さは、沿線住民だけでなく、国鉄の部下にも向けられている。

東北新幹線建設にあたっての国鉄の考え方 (5)

東北新幹線建設にあたっての国鉄の考え方 (6)

「鉄道施設事務」1974(昭和49)年7月号

 こちらは東北新幹線の用地買収について「用地課の半数がノイローゼになったが幸い入院患者は2、3人ですみました」と国鉄幹部が業界誌に書いたものである。

 これに対し、国鉄の組合員諸君は下記のとおり反発したわけだ。

東北新幹線建設にあたっての国鉄の考え方 (7)

 今ならパワハラどころでは済まないと思うが、文系・理系ともに国鉄の幹部はこのような有様だったということで。

 

  この度、東北新幹線の大宮以南で最高速度が引き上げられると聞いているが、国鉄時代の諸先輩のようなことが起きないよう願いたいものである。

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【関係記事】 

●東北新幹線大宮以南の速度が遅いのは、「プロ市民」のせいなのか、線形のせいなのか検証してみる 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-0f2f22.html 

●東北新幹線よりも埼京線がうるさいのは正当なのか検証してみる 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-9924c0.html 

 →埼京線の方が新幹線よりうるさいことを揶揄する輩がいるが、建設時には国鉄は「通勤別線の騒音・振動は、新幹線と同程度のものになる」と説明しているにもかかわらず、それを実行できなかったというのが実際のところである。 

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2021年2月 1日 (月)

Wikipedia「中央自動車道」の項で怪しい記述があったので検証する

 Wikipedia「中央自動車道」の項で怪しい記述がある。

 


開通当初は東名高速や名神高速と同様に中央高速道路を名称として用いていたが、開通当初の暫定2車線対面通行でなおかつ中央にセンターポールも分離帯もないという状態であった上、追越しも許されている(中央線が破線)という有様であったにもかかわらず、「高速」という呼称によって速度超過が多発したことによる交通事故が頻発してしまったために[3]、当時の日本道路公団が1972年9月30日付の官報告示で中央高速道路を「高速道路」を用いない中央自動車道に改称すると発表した(ただし一部の情報板等の標識に「中央高速」の表記を使用しているものもある)[5]。また、この事故を受けて「自動車道」の名称使用が正式に決まるまでに開通した他の高速自動車国道は、政令による路線名を暫定的に道路名としてそのまま使用していた[注釈 3]。なお、その後開通した高速道路では、東名・名神のバイパスとなる新東名高速・新名神高速を除いては道路名称に「○○高速道路」が用いられることはなく「○○自動車道」に統一されている[5]。

 

[注釈 3]

^ 1970年に開通した中国自動車道や、1971年に開通した九州自動車道はそれぞれ中国縦貫自動車道、九州縦貫自動車道という道路名で供用開始している

2021年2月1日閲覧

 

 「この事故を受けて「自動車道」の名称使用が正式に決まるまでに開通した他の高速自動車国道は、政令による路線名を暫定的に道路名としてそのまま使用していた」とは、初耳である。 

 [注釈 3]では、「1970年に開通した中国自動車道や、1971年に開通した九州自動車道はそれぞれ中国縦貫自動車道、九州縦貫自動車道という道路名で供用開始している

 以下検証していきたい。 

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Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (9)  

 上記は、「国立国会図書館インターネット資料収集保存事業」に保存されている「日本道路公団 平成15年年報」https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/234260/www.jhnet.go.jp/publish/nenpou/H15/pdf/4-02.pdfから、高速道路の開通経緯を示すものである。 

 果たして、wikipediaのいうように「この事故を受けて「自動車道」の名称使用が正式に決まるまでに開通した他の高速自動車国道は、政令による路線名を暫定的に道路名としてそのまま使用していた」かどうか、順をおって確認していきたい。 

 右上の中央道(多治見~小牧JCT)までの間に開通した高速道路がどのような名称で開通していっただろうか?  

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近畿自動車道(門真~吹田) 1970(昭和45)年3月1日供用開始 

 <政令による路線名>高速自動車国道近畿自動車道

中国自動車道(中国吹田~中国豊中) 1970(昭和45)年3月1日供用開始 

中国自動車道(中国豊中~宝塚) 1970(昭和45)年7月23日供用開始

 <政令による路線名>高速自動車国道中国縦貫自動車道

 

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (13) 「高速道路と自動車」1970(昭和45)年4月号から引用

 1970(昭和45)年3月の供用開始時から「政令による路線名=中国縦貫自動車道」ではなく、「中国自動車道」となっていることが分かる。

 

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (6)  

 

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (8)

 上記「ヌ)供用予定」の項から、1970(昭和45)年春頃に出版されたものと推測される。

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (7)

 せっかくなので、万博中央駅に向かう北大阪急行電鉄の線路が新御堂筋から分岐して中国自動車道や大阪府道中央環状線とどんな位置関係で走っていたかが分かる図面も添付しておこう。

 勿論、「中国縦貫自動車道」ではなく、「中国自動車道」と記載されているのだが。

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九州自動車道(植木~熊本) 1971(昭和46)年6月30日供用開始

 <政令による路線名>高速自動車国道九州縦貫自動車道

 

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (3)  

 「日本道路公団30年史」から引用 

 開通式のアーチに「九州自動車道」と書かれている。

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (11)

「高速道路と自動車」1971(昭和46)年8月号から引用

 「(1)開通後の名称 九州自動車道」と書かれている。

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (14) 1971(昭和46)年6月30日付 読売新聞(夕刊)

 「略称」というビミョーな位置づけだが、一般メディアも「九州縦貫自動車道」と峻別した形で「九州自動車道」の名称を報じていることが分かる。

 

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新空港自動車道(宮野木JCT~富里) 1971(昭和46)年10月27日供用開始

 <政令による路線名>高速自動車国道東関東自動車道

 

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (4) 「日本道路公団 年報 昭和45年度」から引用

 

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (16)

「道路」1971(昭和46)年11月号から引用

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (17)

「道路」1971(昭和46)年11月号から引用

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (15) 「日本道路公団30年史」から引用

 当該区間は、現在は「東関東自動車道」の道路名称で営業しているが、供用当初は、京葉道路から分岐する宮野木JCTから「新空港自動車道」の道路名称で営業しており、高速道路の延伸に伴い、「新東京国際空港線」である成田~新空港を「新空港自動車道」に残したまま、その他の区間は「東関東自動車道」に名称変更している。

 

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道央自動車道(千歳~北広島) 1971(昭和46)年12月4日供用開始

  <政令による路線名>高速自動車国道北海道縦貫自動車道

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (5)

「日本道路公団 年報 昭和45年度」から引用

 「開通後の名称は道央自動車道」と書かれている。

 ちなみに標識は「HOKKAIDO EXPWY」だった。

 

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (12)

「道路」1972(昭和47)年1月号から引用

 キャプションは「北海道縦貫自動車道」だが、開通式のアーチには「道央自動車道」と書かれている。

 

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 交通統計ではどのように扱われているだろうか?

Wikipedia「中央自動車道」の変な記述を検証 (10)

「道路」1972(昭和47)年4月号から引用

 「高速道路と自動車」以外の業界誌での記載状況ということで、「中央自動車道への名称変更前の中央高速道路」と「政令による路線名ではない道路名」が併用されていることがよくわかる資料である。

 wikipediaに言うような「正式決定前の暫定使用」が行われていたのであれば、「新空港自動車道」や「道央自動車道」が使われるはずがない。

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 このように、wikipediaの言うような「この事故を受けて「自動車道」の名称使用が正式に決まるまでに開通した他の高速自動車国道は、政令による路線名を暫定的に道路名としてそのまま使用していた」「1970年に開通した中国自動車道や、1971年に開通した九州自動車道はそれぞれ中国縦貫自動車道、九州縦貫自動車道という道路名で供用開始している」は、全く該当しない。

 あえて言えば、近畿自動車道が「政令による路線名」だが、これは「暫定的」ではなく「恒久的」なものである。 

 一体、編者は何を根拠にこのような書き込みをしたのだろうか? 

 是非ともご開示願いたいものである。 

 

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 ところで、実際に高速道路の名称はどのように定められるのだろうか? 

 「高速道路のプランニング」 から、関係個所を引用してみる。

高速道路の名称はどうやって決定されるか (1)  

高速道路の名称はどうやって決定されるか (2)  

 ここでも中央高速道路から中央自動車道への名称変更について触れられている。この本は日本道路公団の職員によって執筆されたものであり、日本道路公団の公式見解的な位置づけとして受け止めて差し支えないのではないかと思われる。 

 

 実際には、「中央高速道路」から「中央自動車道」への道路名称の変更は下記のように案内されている。 

「中央高速道路」から「中央自動車道」へ路線名称を変更した証拠  

 wikipediaでは「当時の日本道路公団が1972年9月30日付の官報告示で中央高速道路を「高速道路」を用いない中央自動車道に改称すると発表した」 とあるが、それ以前の「高速道路と自動車」1972(昭和47)年6月号に掲載されている。

 これは推測にすぎないが、それ以前に日本道路公団が公表し、その結果を同誌に掲載しているのではないだろうか。 この記事が載ったコーナーは「国内ニュース」という表題であり、国内の高速道路関係記者発表等をクリッピングする役割だったと思われる。

  また、wikipediaでは「この事故を受けて「自動車道」の名称使用が正式に決まるまでに開通した他の高速自動車国道は、政令による路線名を暫定的に道路名としてそのまま使用していた」とあるが、もしこのように「暫定的」に使用していたのであれば、この記事での中央自動車道の道路名称決定にあわせて中国自動車道や九州自動車道の道路名称を「正式に」決定していなければならないと思われるが、そのような扱いにはなっていない。しかも同じ頁内の先の記事に「九州自動車道」「新空港自動車道」「道央自動車道」といった「政令による路線名」がそのまま扱われている。

  

中央高速道路から中央自動車道へ道路名称を変更  

 上記がWikipediaで言うところの「当時の日本道路公団が1972年9月30日付の官報告示で中央高速道路を「高速道路」を用いない中央自動車道に改称すると発表した」とする官報である。 

 ところで、ここの記事を編集した方がなんか勘違いされているようだが、官報は道路名称を「発表」するような広報紙でもなんでもない。法令上の「こういう項目は官報に載せて国民に知らせる手続きを取りなさい」という定めに従っているのであって、本件は当該官報公告( 「告示」じゃないよ)にも書いてあるように、当時の道路整備特別措置法第14条第1項の規定

 (料金の額及び徴収期間の公告又は公示)
第14条 公団は、料金を徴収しようとするときは、あらかじめ、その額及び徴収期間(第5条第1項の許可を受けて料金を徴収しようとするときは、徴収開始の日。以下この項において同じ。)を官報で公告しなければならない。当該料金の額又は徴収期間を変更しようとするときも、同様とする。

に基づいて、料金の額を公告したものであって、この公告において道路名称は法律上全く意味を持たない単なる早見表にすぎない。

 あくまでもこの後に続く「料金の額」が本体なのである。

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 長々と書いてしまったが、「嘘を書くより、嘘を証明する方が手間がかかる」のである。どうやらかなり長期に渡ってWikipediaに掲載されていたようでもあるので、しっかりと潰しておく必要があると考えた次第である。 

 この記事を編集した方が自発的に修正していただけると宜しいのではないか。

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