東北新幹線は、埼玉で反対されていたなら、上越新幹線新宿ルートを先取りして東北貨物線に建設すればよかったのではないか。何故やらなかったのか?そしてそこに見える国鉄幹部の発言の軽さ、無責任さ。
1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」から引用
上越新幹線の新宿乗り入れは、上図のように、東北本線の在来線貨物線を活用して建設することとなっていた。当然国鉄としては自社用地内である。多少の追加買収は必要だろうが、今の東北新幹線のように丸々追加買収するよりは遥かに楽だろう。
このルートは武蔵野線に在来の貨物が移転してからという条件がついていたが、工事の遅れから東北新幹線にこの土地を使うのも可能だったはずだ。
しかしそうはなっていない。
その辺の経緯を国鉄関係者が業界誌で述べている。そのものずばり「建設業界」という雑誌だ。
(※(引用者注)東北新幹線建設にあたっては、福島の信夫山付近でも反対にあい、地下化要求をなんとかかわしたことに触れた後に、大宮以南のルート経緯について語る。)
当初計画では、荒川から大宮までは、平面的には現ルート付近で地下で計画されていた。この計画について都区内は在来線沿いの高架ルートであるにもかかわらず、人口密度も小さい埼玉県南部が地下ルートであるという不自然さについての議論はあったが、在来線への併設は昭和四十三年に三複線化工事が完成し、都市計画等の完了したばかりの市街地に与える影響が多大である点や、当時盛んに宅地開発が進められていた地区であることから、在来線と別ルートで地下とされたものである。その後曲折を経て高架ルートで通勤線(埼京線)併設さらに両側に幅二十メートルの緩衝地帯を確保することに変更され開業することとなった。
当時、大宮以南の三複線のうち貨物線一複線を新幹線に転用する案も検討されたが、現在の国鉄貨物輸送の衰退は予想することも出来ず、お蔵入りとなった次第である。この貨物線は現在、片道十五本程度の貨物列車が走っているだけであり、今、東北新幹線を建設するとしたら間違いなく貨物線敷を転用することになるだろうと想像され、十年先の見通しの困難さを痛感しているところである。
「東北新幹線のこと」日本鉄道建設公団計画部長 安原明・著 「建設業界」1986(昭和61)年1月号 48頁
「いやあ読み間違っちゃったよ。今のルートは間違いだった。将来予測は難しいねえ」と極めて率直な心象を吐露しているあたり、「建設業界」という、一般人やその読み誤った新幹線ルートのために引っ越しを余儀なくされた地権者は読まないだろうという安心感が背景にあるのだろうか?
https://iikou-d.jp/affiliate/tokyo/files/2011/10/kikoubun_yasuhara.pdfによると安原明氏は、「私は大学を卒業して日本国有鉄道に入社してから色々な立場で東北新幹線の建設に携わってきた」方なんだそうな。
この文が掲載された1986(昭和61)年1月というと、東北新幹線の上野~大宮間が開通してからまだ1年も経過していない時期である。安原氏は「十年先の見通しの困難さを痛感」するだけでもいいかもしれないが、沿線住民はこれからずーーーっと新幹線と隣合わせで生活し続けなければならないし、引っ越しをしたくなかった地権者だっているだろう。そういう人々がこの文を読んだらどういう気持ちになるか想像が及ばないのだろうか?
まあ国鉄の学士様はそういったことには忖度する必要はないのかもしれない。
紛争中の1979(昭和54)年12月18日付読売新聞では、国鉄東京第三工事局の坂本真一次長は「大宮市から南はカーブや急こう配があって110キロのスピードでしか走れない」「とにかく国鉄を信用してほしい」と語っている。
しかし、開通すると業界誌には直ちにこんなことを書いてしまうのが国鉄職員なんである。 地元自治体や住民を騙し切って、さぞかし嬉しかったんだろうなあ。黙っていられないくらいに。
また、住宅密集地を避けてルートを選定したため、半径600~2,000mの急カーブが多いため当面最高速度は110km/hとなっている。
「東北新幹線上野・大宮間建設の経緯」 国鉄電気局計画課 田辺昭治・著 「電気鉄道」1985(昭和60)年3月号 4頁
「110キロのスピードでしか走れない」という国鉄を「信用」したら、開通と同時に「当面最高速度は110km/h」と業界誌には書いてしまうというのが国鉄クオリティなんである。いやせめてもうちょっと我慢しろよ。
この正直な田辺昭治氏も、退職後はめでたく業界の社長になられたようである。
では、当該区間の建設を担当していた国鉄東京第三工事局の局長はどうだったのか?
「交通技術」1978(昭和53)年11月号に国鉄東京第三工事局長の岡部達郎氏がこのようなことを述べている。
まあ当たり障りのないというか殊勝なことを述べている。
ただし、これは東北新幹線建設のためにまだ地元に頭を下げ続けなければならなかった頃のお話である。
これが東北新幹線開通後になると、岡部達郎氏はこう述べている。
「汎交通1992(平成4)年4月号
いくら鉄道業界の身内しか読まない「汎交通」だからと言ってまあよくこんなことを書けるものだ。
新幹線建設予定地の住民は弁護士に依頼することも許されないのか?政治家に陳情することも許されないのか?自分たちは田中角栄とかの鉄道族議員はアテにするのにね。
これが代々引き継がれた国鉄技術マン魂なのだろう。
以前も記事にしたが、国鉄東京第三工事局はこんな舌禍事件を起こしている。
1974(昭和49)年9月18日付朝日新聞
この新聞記事を読むと国鉄の一部の「はねっかえり」が起こしたトラブルのようだが、上記の岡部氏の「汎交通」の記事と照らし合わせると実際には東京第三工事局長の意図をしっかり反映していたことがよくわかる。東京第三工事局一丸となって岡部局長の意図を汲んで実行したわけだ。地元が反発して工事は遅れたけどな。
この他にも当時の国鉄は、「大宮に全列車を止める」という約束をしながら、上野開通後には早速大宮を通過する新幹線列車を設定して地元の反発をかっていたりする。
この経緯は、「JR東海が静岡のリニア水涸れ問題で約束を守るかどうかが話題ですが、国鉄須田寛常務(現JR東海相談役)が東北新幹線で埼玉県にどう対応したかを見てみましょう」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-0a9c65.htmlにまとめてある。
関心のある方はあわせて御覧いただきたい。
国鉄の学士様の発言はなんでこんなに軽いんですかね?
--------------------------------------------------------------------
ところで、国鉄幹部の口の軽さ、発言の無責任さは、沿線住民だけでなく、国鉄の部下にも向けられている。
「鉄道施設事務」1974(昭和49)年7月号
こちらは東北新幹線の用地買収について「用地課の半数がノイローゼになったが幸い入院患者は2、3人ですみました」と国鉄幹部が業界誌に書いたものである。
これに対し、国鉄の組合員諸君は下記のとおり反発したわけだ。
今ならパワハラどころでは済まないと思うが、文系・理系ともに国鉄の幹部はこのような有様だったということで。
この度、東北新幹線の大宮以南で最高速度が引き上げられると聞いているが、国鉄時代の諸先輩のようなことが起きないよう願いたいものである。
--------------------------------------------------------------------
【関係記事】
●東北新幹線大宮以南の速度が遅いのは、「プロ市民」のせいなのか、線形のせいなのか検証してみる
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-0f2f22.html
●東北新幹線よりも埼京線がうるさいのは正当なのか検証してみる
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-9924c0.html
→埼京線の方が新幹線よりうるさいことを揶揄する輩がいるが、建設時には国鉄は「通勤別線の騒音・振動は、新幹線と同程度のものになる」と説明しているにもかかわらず、それを実行できなかったというのが実際のところである。
| 固定リンク | 1
« Wikipedia「中央自動車道」の項で怪しい記述があったので検証する | トップページ | 「国鉄は独立採算で税金が入っていなかったのに、道路公団は税金じゃぶじゃぶで不公平だ」という公共交通マニアの方の言を検証してみる »
「鉄道」カテゴリの記事
- 上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(2023.06.24)
- JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績及びその破綻処理(2022.08.28)
- 1980年代に計画された東海道・山陽新幹線の夜行列車とは?~神戸新聞・小川晶記者の記事を読んで~(2022.03.27)
- 交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(26)(2021.09.24)
- 「ステイション新宿」をそのまま一次資料として丸呑みしては危険~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(25)(2021.09.24)
「未成道・未成線」カテゴリの記事
- 1980年代に計画された東海道・山陽新幹線の夜行列車とは?~神戸新聞・小川晶記者の記事を読んで~(2022.03.27)
- 川島令三が「奥羽新幹線用地と確信する」と述べる福島市の森合緑地の登記簿を取ってみた。(2021.09.26)
- 交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(26)(2021.09.24)
- 「ステイション新宿」をそのまま一次資料として丸呑みしては危険~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(25)(2021.09.24)
- 西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れ撤退の理由が書かれた公文書~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(24)(2021.09.20)
「上越新幹線新宿駅乗入れ」カテゴリの記事
- あまり知られていない成田空港関連の国鉄未成線(2021.04.11)
- 東北新幹線は、埼玉で反対されていたなら、上越新幹線新宿ルートを先取りして東北貨物線に建設すればよかったのではないか。何故やらなかったのか?そしてそこに見える国鉄幹部の発言の軽さ、無責任さ。(2021.02.02)
- 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う(2020.04.20)
- 1974(昭和49)年の大新宿駅構想の元となる運輸省調査報告書と上越新幹線新宿駅や国鉄東北・東海道開発線ホームなどなど(2020.04.12)
- 成田新幹線の詳細なルート図面をうpしてみる(2020.03.06)
コメント