明石海峡大橋・大鳴門橋よりも瀬戸大橋への鉄道建設が先行した理由を、国鉄の検討資料から探る
Twitter等のネットで鉄道を愛する方の意見を拝見すると
・明石海峡大橋・大鳴門橋の方が旅客が多いはずなのに、瀬戸大橋の鉄道敷設を優先したのは何故だ!おかしい!
・明石海峡大橋・大鳴門橋への鉄道建設がなされていればJR四国の経営はもっと楽になっていたはずだった!
といった声が見受けられるところだ。
それについては、従前から
「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.html
「明石海峡大橋を四国まで新快速が走り、鳴門線が複線電化されるなんてどこから出てくるの?~本四架橋神戸-鳴門ルートに四国新幹線が決まった経緯~」
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-7c7516.html
といった記事を書いてきた。
また、そこでは、下記のような関係者の声も紹介してきた。
しかし、「なぜ鉄道が非常に強く瀬戸大橋への鉄道建設を希望したのか?」を明確に示したものではなく間接的なものにすぎなかった。
しかし、今回国鉄の昭和40年代後半における検討資料によってその一端が明らかになったので皆様にご紹介したい。
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それは「新幹線建設委員会」に係る審議資料である。
そもそも「新幹線建設委員会」とは何か?
「全国新幹線鉄道整備法成立をめぐって」西田正之・著 「交通技術」1970年8月号13頁
ここにおける「青函本四連絡専門委員会(青本専)」の資料において、本州四国連絡橋における鉄道建設がどのように考えられていたかを追ってみよう。
「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 203頁
上記が、本四架橋における鉄道建設の経緯である。
私のブログをお読みいただくような方は皆様ご存じだとは思うが
国鉄が調査に着手
↓
日本鉄道建設公団へ移管
↓
本州四国連絡橋公団へ移管(道路部分の調査は日本道路公団から本四公団へ移管)
といった経緯である。
それにしてもオイルショック前の見積もりとは言え「客貨ともに7~8倍」というのは、現在の状況を見ても過大予測にすぎやしませんか。「甘い見積もりに基づく不採算な巨大公共事業」はこうやってスタートするんですねーという典型のようである。
「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 208頁
以下、「Aルート」「Dルート」といった用語が頻繁に出てくるので上記の路線図でよく確認しておいてほしい。
「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 205頁
上記の「本四連絡A、Dルートの比較」において私は次の2点に注目した。
1)本四淡路線の鉄道側投資額が、本四備讃線(瀬戸大橋線)に比べて倍かかっている。
なお、ここでは「併用橋と道路単独橋の工事費の差額を鉄道橋の増額分として計上した」とされている。
本四淡路線でいけば、「併用橋工事費 2452億円」-「道路単独橋工事費1884億円」=「鉄道側投資額 568億円」と試算している。
しかし、実際には上記のような「増額分」ではなく、「道路と鉄道のそれぞれの荷重比による負担」とされ、「道路:鉄道」=「59:41」の比率で按分することとなった。
そうなるとこの段階で568億円と見込んでいた併用橋部分の鉄道側投資額は1005億円にほぼ倍増する。それに鉄道単独部分となる「取付部分工事費 668億円」が加算される。
四国新幹線の検討に着手した段階から、採算が悪化する方向へ大きく前提条件が変わってしまったのである。これは本四備讃線についても同様だが。
2)本四備讃線の「その他の経営改善効果」において、宇高連絡船の廃止により年間10億円の赤字(昭和42年度の損金の実績)解消が見込まれる。
他方、私の過去のブログでも触れているが、明石海峡大橋では、「重すぎて貨物列車を載せられない」ため、本四淡路線を先に開通させても、貨物列車用に宇高航路を残さないといけないのである。
需要はともかく、投資額と波及効果の段階で既に瀬戸大橋(本四備讃線)が優位に立っているとみられる。あと工期も。
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そして、本四公団での調査結果がまとまって国鉄に意見照会があったので国鉄として見解をまとめて返したいといった位置づけであろうか。
「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 289頁
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先に上げた部分では需要予測等は記されていなかったが、この段階ではまず本四公団による検討結果が示されている。
「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 290頁
輸送量については、Aルート(本四淡路線)が新幹線で114千人/日、Dルート(本四備讃線)が在来線で50千人/日と、本四淡路線が2倍の旅客数を見込んでいる。
他方、「鉄道分の償還についての考え方」では、Aルート(本四淡路線)が新幹線で307億円、Dルート(本四備讃線)が189億円である。これは〔〕内にもあるように、国鉄が毎年本四公団に支払う「償還金(利用料)」である。(本四公団が借金で橋を作り、国鉄が毎年利用料を払って借金を「償還」する計画だった。)
これに充てるために「特別利用料」としてAルート(本四淡路線)が350円、Dルート(本四備讃線)が200円設定されている。
ちなみに、JR四国の2019年度の「運輸業売上高」は297億円、不動産業等を足しても489億円である。
これに対して、本四淡路線と本四備讃線の昭和47年というオイルショック前の段階での利用料が496億円である。なんかこの段階でもう本四架橋の鉄道事業は破綻しているような気もしないではない。それに、この496億円の利用料は、前述のように「道路と鉄道の負担比率」が甘甘だったころの試算である
そして、オイルショック等による物価上昇や工期延長に伴う利息負担等により、実際に本四備讃線の支払うはずだった利用料は年間500億円を超えるものとされていた。
しかし、国鉄分割民営化の際に、本来国鉄が支払うべき瀬戸大橋や大鳴門橋の建設費に係る鉄道負担部分は全て国民負担となり、JR四国は支払わなくて済むようになったのだ。これに伴い「特別利用料」も200円から100円に値下げされたものと推測される。
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「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 291頁
上記は、「それぞれのルートに新幹線と在来線をどう載せるか」の検討パターンである。
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そして、この後が国鉄による「輸送量の想定」(需要の試算)である。
「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 291~292頁
国鉄は、ケース8<Aルート(本四淡路線)が新幹線、Dルート(本四備讃線)が新幹線+在来線>及びケース9<Aルート(本四淡路線)、Dルート(本四備讃線)(本四備讃線)共に新幹線+在来線>の二つの案を検討している。
注目すべきは、Aルート(本四淡路線)の輸送量である。
新幹線にあっては、本四公団の昭和65年予想114千人/日の約20%にすぎず、昭和60年段階で16千人/日、昭和70年段階で26千人/日で、Dルート(本四備讃線)の56%に過ぎない。
また併設する在来線も4千人/日で、Dルート(本四備讃線)の34%に過ぎない。
輸送量は半分なのに、建設費は2倍かかる。これが国鉄が精査したAルート(本四淡路線)の予測だったのだ。
「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 292頁
需要予測を反映して、Aルート(本四淡路線)の新幹線は片道17本と、Dルート(本四備讃線)の56%に過ぎない。
ネット上では、鉄道マニアが
・明石海峡大橋に鉄道が架かっていれば、アーバンネットワークに取り込まれて、淡路島や徳島が関西の通勤圏になるはずだった。
・明石海峡大橋に鉄道が架かっていれば、JR四国の経営は改善されていたはずだった。
と呟いているが、国鉄の予測では全くそうではなかったのである。
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「なぜ、本四公団の予測と国鉄の予測でこんなに差が開いたのか」は、この資料には載っていないので、検証ができないのは残念である。本四公団の予測とは言え、実際には鉄道部分については鉄建公団から引き続き国鉄・運輸省系の人が担当していたと思うのだが。
しかし、国鉄がDルート(本四備讃線)を優先することとした経緯は追えたと思う。
その後、オイルショックを経て、狂乱物価や高度経済成長の終焉があり、収支見込については更に悪化することとなる。
昭和54年交通年鑑の、1978(昭和53)年3月9日の項に、「大鳴門橋を鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方針を固めた」とある。
1978(昭和53)年12月13日付読売新聞では、運輸省だけでなく国鉄もAルート(本四淡路線)の鉄道併用橋に反対していると報じている。
この背景には、上述のような輸送予測が反映されているのかもしれない。
なお、建設省が「道路単独」に反対していることに奇異を感じる方もいらっしゃるかもしれないが、前述のように「荷重比」での割り勘相手がいなくなると、道路事業の負担が増える=本四公団の有料道路の返済すべき借金が増えるからであろう。
1981年11月9日、第四部会は「国鉄分割民営化」を臨調全体のコンセンサスにしようと、土光たち9名の委員で構成される臨時行政調査会の会議に論客を送り込む。その論客は角本良平。戦中に鉄道省に入り、東京、四国、門司などの鉄道管理局に勤務後、運輸官僚として東海道新幹線の建設計画に参加。退官後は交通評論家として活動する、国鉄の表も裏も知り尽くした人物だった。角本は、土光たちの前で国鉄の末期的症状を解説した。
(中略)
「四国については鉄道を全部外したほうがよいと思う。四国の国鉄財産を全部売って高速道路をつくったほうが四国のためになる。とくに本四連絡橋の上にレールを乗せるのは何事かと思う。それだけで、四国の管理局で生じているのと同額の300億~400億円の赤字が出る。この際、岡山からバスで高知へ行くというような体制を作ったほうがよい」
「土光敏夫―「改革と共生」の精神を歩く」山岡淳一郎・著
上記のように、中曽根行革における国鉄分割・民営化論議の中で本四架橋に係る鉄道建設も議論の対象となった。
国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)は二十日、本州四国連絡橋三ルートのうち唯一の道路・鉄道併用橋である児島・坂出ルートの鉄道敷設工事をとりやめるよう中曽根首相に提言する方針を固めた。八月初めに打ち出す「緊急提言」に盛り込む。これは、財政が悪化している国鉄は年間五百億円にものぼる連絡橋利用料を負担する能力がないので、このまま敷設計画を進めれば、将来国鉄を分割・民営化する際の大きな障害になると判断したもの。首 相はこの提言を尊重する義務があるが、同ルートから鉄道がなくなれば、連絡橋の工費約七千六百億円はすべて道路部門でまかなわれ、地元自治体の負担が二倍近くに増えるだけに影響は大きい。
国鉄再建監理委員会は現在、緊急提言をとりまとめている。提言のねらいは「六十二年以降、円滑に分割・民営化するための対策」を打ち出すこと。同監理委員会は五十七年度末で十八兆円に達した借入金をこれ以上増やさない施策が最も重要と判断、設備投資の抑制に重点を置いており、本四連絡橋児島・坂出ルートの鉄道敷設中止は緊急提言の目玉になる。
(中略)
このため、同監理委員会は、このまま計画を進めれば、四国などの国鉄分割会社が 当初から膨大な赤字を背負うことになり、分割・民営化の大きな障害になるとして、敷設中止を求める方針を固めた。しかし、現在、地元自治体は連絡橋の道路部分の工事約四千二百億円のうち三分の一を負担しており、鉄道部分がなくなれば、この負担は二倍近くになる計算。また、五十八年度末までに同ルート連絡橋 (鉄道と道路)工事の契約率は六三%に達する見込みだったので、鉄道敷設工事が中止されると、関係業界は大きな影響を受けるため反発は必至である。
1983(昭和58)年7月21日付 日本経済新聞から引用
国鉄再建監理委員会の「緊急提言」の目玉として、JRに負担を増やさないためにDルート(本四備讃線)中止を求める考えだったという。
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