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2021年4月 3日 (土)

船橋二和高校と日大グランドの間の空間は成田新幹線のために買収した土地の名残だと言われるが、不動産登記簿を閲覧したらそんな売買取引の記録はなかった。

 成田新幹線について調べていると、「あそこが未成だった土地だ」「成田新幹線用地として買収したが、事業中止となったために売却されて活用している土地に違いない」という話がでてくる。

 新京成電鉄の公式ツイッターもそんなことをつぶやいてる。

 

 実際にそのような事例はないわけではない。

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (2)

 上の広告の①と②は、そのような事例だった可能性はある。

 

 そういった中で有名な箇所の一つが、千葉県船橋市二和西一丁目にある千葉県立船橋二和高校と日大グランドの間の微妙な隙間である。

 以前、このブログでも「成田新幹線の詳細なルート図面をうpしてみる」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-cbaceb.htmlという記事を書いて、日本鉄道建設公団が作成した路線図をうpしているが、確かにこのあたりを通っているように見えなくもない。

成田新幹線計画図面 (2)

 


注釈 5

^ 途中、千葉県立船橋二和高等学校脇を通る。日本大学二和グラウンドとの境界(道路)が北東に伸びているのはその名残。

 

Wikipedia 「成田新幹線」 2021年4月1日閲覧

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A

 また、船橋二和高校の西隣にある船橋二和グリーンハイツの南側にある駐車場についても同様の話が出ている。


■千葉県船橋市二和地区・謎の細長い駐車場

(中略)

画像の駐車場は、用地買収したものの計画中止となって後に売却された土地と思われる。

 

「にょほほ電鉄」成田新幹線 2021年4月1日閲覧

https://www.nyohohodentetsu.com/railjnrnarita.html

 とは言っても、物証があるのか?というところである。

 それをやってみようというのが今回の記事である。そして成田空港反対運動における意外な事実が浮かび上がってきたのだった。

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 実は小生、不動産の登記簿等からある程度の証拠を集めて推測するくらいはできる。

 ネットで見る限り、それをやって確かめた人はいないようなので、やってみよう。

 

 「不動産登記簿?何やそれ?」という方は、こちらの不動産関係サイトでも見てほしい。

 

 先に結論を言うと、

 「船橋二和高校や船橋二和グリーンハイツと日大グランドの間の空間の土地において、日本鉄道建設公団が土地を売買した記録は見つけられなかった。」

ということである。すべての筆を確認したわけではないが、代表的なポイントの筆の全部事項証明書を閲覧した範囲では、「成田新幹線が事業中の間に普通の民間建設会社が土地を売買していた」のである。

  

  以下、それを説明していこう。

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 では、まず調べた土地を紹介していこう。 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (14)  

 船橋市地図情報システム いきいきふれあいマップ https://webgis.alandis.jp/funabashi12/portal/toshi/index.htmlに注記を入れたもの

  ここで、成田新幹線関係の土地(=日本鉄道建設公団が用地買収したものの計画中止となって後に売却された土地と思われている土地)は、②戸建て住宅、③細長い道路、④怪しい空き地、⑥怪しい小屋、⑦細長い駐車場であろう。

  

 まず、この辺の土地はもともと大蔵省(現・財務省)が所有していた畑が広がっていたようだ。 

 大蔵省が畑を持っているということについて違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれないが、森友事件でも話題になったように、国有財産の管理も大蔵省(財務省)の所轄である。

 


江戸時代、下総の台地には広大な幕府の馬牧が置かれていました。牧場の数は時期によって変りますが、江戸時代後期には小金五牧、佐倉七牧で計十二の牧場がありました。牧場は一つ一つが広大で、大人が一日かがりでも廻りきれないものもあったそうです。 二和地域がある船橋の中央台地は小金五牧のうちの「下野牧」で習志野市北部を経て千葉市西端まで至る細長い牧場でした。

 明治維新によって東京府下を中心に多くの失業者が生じ、政府と東京府により人々を下総台地の旧幕府牧へ移住させて開墾農村を作る計画が立てられました。

 

船橋市「二和の歴史」 2021年4月1日閲覧

https://www.city.funabashi.lg.jp/shisetsu/toshokankominkan/0002/0016/0002/p009555.html

 

 このあたりは上記のような由来があるそうなので、それで「国有の畑」が残っていたのかもしれない。

 余談だが、開墾した順に、初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実といった地名をつけていったということで、五つ子の女子高生に囲まれるハーレムラブコメマンガみたいですね。

 これを切り売りしていった記録が下記のとおりである。

①船橋二和高校

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (12)

 昭和51年1月7日分筆  昭和54年2月19日売買

 高校のウェブサイトによると「昭和54年4月14日 創立」とある。 

 売買自体は開校直前の日付だが、実際には昭和51年の分筆後に工事は着工していたものと思われる。

  

 ②戸建て住宅

 個人の所有地なのでプライバシー保護の関係から登記簿はUPしない。 

  昭和50年に、船橋二和グリーンハイツを建設したA建設が取得し、その後複数の建設会社等経て、平成になってから個人に売却されている。

  

③細長い道路 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (9)

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (18)

 上記②の土地と一緒に昭和50年に、A建設が取得し、道路を造成後、昭和60年に船橋市へ寄付している。 

 宅地開発業者が、団地、宅地等を造成し、完成後に道路を行政に寄付することは一般的に行われており、珍しいことではない。

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (3)

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (7)

 ↑「財産移管」云々とポップアップが出ているのがお分かりだろうか?開発業者から市に道路の財産が移管されたということである。 

 ストリートビューで見ると、左から「①船橋二和高校」「③細長い道路」「②戸建て住宅」「④怪しい空き地」である。

④怪しい空き地 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (8)

  今でも大蔵省(財務省)所有のままである。

 ただし、新幹線事業であれば、大蔵省名義のまま土地を貸し付ける形で処理することも想定される。

 

 

⑤日大グランド 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (11)

 昭和52年に日大が取得している。 

  

⑥怪しい小屋 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (15)

 今でも大蔵省(財務省)所有のままである。

 

⑦細長い駐車場 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (10)

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (4)

 昭和51年に、船橋二和グリーンハイツを建設したA建設が取得している。 

 ストリートビューで見ると、左から「⑥怪しい小屋」「⑦細長い駐車場」「A建設から市に寄付された道路」「船橋二和グリーンハイツ」である。

 おさらいすると下記のようなことになる。これらの取引が昭和50~52年ごろに立て続けに行われたことになる。

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する 2 (1)

 成田新幹線は、昭和47年に日本鉄道建設公団が工事実施計画の認可を受け、昭和58年に事業凍結、昭和61年に国鉄民営化にあわせて失効したとされている。 

 その間の通常に鉄建公団が用地買収を行っている時期に、「成田新幹線が通ったかもしれない土地」を建設業者が普通に買収して普通に開発しているのが実態であった。 

 繰り返しになるが、全ての筆を調べたわけではないのだが、代表的な筆に係る不動産登記簿の全部事項証明書を閲覧したところ、日本鉄道建設公団が船橋二和高校と日大グランドの間の空間の土地を売買した記録は見つからなかった。 

 言い換えると「ここに成田新幹線が通る計画があった可能性は相応に高いが、実際に日本鉄道建設公団が用地買収をしていたかというと可能性はかなり低い」ということだ。

 これで成田新幹線に係る「都市伝説」を一つ潰したと言って差し支えないのではないか? 

 異議のある方は、是非私が調べていない筆を虱潰しに調べ上げていただければよいかと思う。 

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 ところで、上記の「船橋市地図情報システム いきいきふれあいマップ」に二本の茶色いラインがあるのに気づいた方がいらっしゃると思う。 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (2)

 未成線マニアの方は「これこそ成田新幹線の計画を示すものではないか!」「やはり船橋二和高校と日大グランドの間の空間は成田新幹線じゃないか!」と小躍りしてしまうかもしれない。 

 しかし違うのである。 

 この茶色いラインは、千葉県/船橋市の都市計画道路「3.1.37馬込町古和釜町線」なのである。 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (1)

 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (17)

 https://www.pref.chiba.lg.jp/tokei/toshikeikaku/documents/kuiki_master_zu_funabashi.pdfから

 すると、未成線マニアの方は「成田新幹線計画跡地を転用して道路計画に再利用したのだ!」とまた小躍りしてしまうかもしれない。 

 しかし違うのである。 

 「3.1.37馬込町古和釜町線」が都市計画決定されたのは、昭和56年11月20日(千葉県告示)である。

船橋の都市計画2020~令和2年版~ 31頁に記載

 先ほど、成田新幹線の経緯として、昭和47年工事認可、昭和58年凍結、昭和61年失効という流れを述べた。 

 なんと、成田新幹線工事凍結前の「バリバリに工事中の期間に、道路を都市計画決定している」のである。 

 ちなみに日本鉄道建設公団が作成した成田新幹線の図面(上段)と、船橋の都市計画図面(下段)を並べてみたらこうなる。

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する 2 (6)

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 ここで船橋市議会の議事録を紹介したい。 


昭和五十六年第一回船橋市議会定例会会議録(第二号)

昭和五十六年三月十六日(月曜日)

◆三十六番(川崎忠治君) 二月十五日号、「広報ふなばし」で、国道二九六号線バイパス案について発表が行われました。これによりますると、中野木交差点を起点として、県道船橋─我孫子線、これを北上して馬込町で右折をし、神保町に至りましてからさらに右折をいたしまして、金堀町を通り八千代市に至るものだということが、船橋内の計画線として発表されたわけであります。その延長が市内で十一・七キロメーター、この間、四十メーターと三十メーターの幅員になるという構想であります。
 市の計画図を見てみますると、中野木から馬込町までは大部分が現在の道路が利用されますので、幅員の拡張のみで済まされる、こういう計画であります。馬込町から金堀町までは新しく宅地や農地、山林等が買収されることになります。この通過予定地は四つの農業振興指定地域があります。五十六年度もまた一カ所指定されようとされています。また、この地域には公共施設、医療施設もあり、住宅も追いついてきております。以上の地域環境の中で生活している住民が、広報を見て驚き、このバイパス反対の陳情が今議会にも提出されておるわけであります。こういう意味から、私はこのバイパス問題を取り上げまして、具体的に理事者にご質問申し上げたい、このように思うわけであります。
 私は、具体的に何点かの問題を提起いたしますので、この点について細かくご答弁くださるようお願いをいたしておきます。

(略)

四点では、成田新幹線との関係です。いま成田新幹線は各地で住民の大きな反対に遇い、計画が一時ストップになっております。しかし、この計画は完全に白紙撤回されたものではありません。いつまたこの事業決定がなされるかわからないというのが現状であります。現在、佐原線から成田空港に向けて工事が進められていると言われております。いわゆる在来線の延伸であります。これは、この間の新幹線の計画ルートをそのまま使っているということであります。これを考えてみると、この新幹線がまた浮かび上がってくるということは、住民としては非常に危惧として持つのは当然ではないかというふうに思います。仮に四十メーターから三十メーターのバイパスができるということになりますならば、幅員十一メーターあれば足りるところの軌道幅、これがこのバイパスの中にすっぽりとはめ込まれるということになるわけであります。住民はこの新幹線との関連でも非常に心配を持っております。この点についてどのようにお考えになるか、お答えを願います。
 

◎企画部長(成田知示君) 三十六番議員さんのご質問にお答えをいたします。

(略)

次に、成田新幹線との関連でございますけれども、ご存じのように成田新幹線につきましては、地元の公共団体がこぞって反対をいたしておるわけでございます。もちろん県につきましても反対をいたしております。そういう中で、私どもといたしましては、あくまでも新幹線については反対の立場を通していくということは、すでに決まっておるわけでございます。そういうことを承知の上で、私どもとしてはこのバイパスルートを選定したわけでございまして、新幹線が将来この路線と競合して取るんじゃないかというようなことでございますけれども、私どもとしては新幹線についてはあくまでも反対の立場を貫いていくということでございます。

 

 この議事録に出てくる「国道二九六号線バイパス案」が、船橋二和高校と日大グランドの間の空間に引かれた茶色い線=都市計画道路「3.1.37馬込町古和釜町線」である。 

 都市計画決定(昭和56年11月)の前に市民に路線の説明をしたことに係る質疑というわけだ。 

 この議員と船橋市の企画部長のやりとりを誤解を恐れずにざくっとまとめると 

議員「住民は成田新幹線に反対してきたが、R296BP(都計道)の幅が40mもあるのであれば、そこに成田新幹線が入ってくるのではにないかと危惧している」 

部長「成田新幹線は千葉県も県内自治体もこぞって反対している。そういうことを承知の上でR296BP(都計道)のルートを選定し、新幹線に反対を貫いていく」 

 つまり「千葉県と県内自治体は、成田新幹線反対を貫く前提で、成田新幹線のルートにバイパスのルートを設定した」ということではないだろうか?(違ったらごめんなさい。) 

 この都市計画道路「3.1.37馬込町古和釜町線」は、船橋市が「はねっかえり」で設定したルートではなく、このまま東側の八千代市に伸びて、現在八千代バイパスが施工されているところへ接続するものだ。 

 「バイパスの都市計画道路を成田新幹線にあてて都市計画決定することで、千葉県こぞっての新幹線反対の姿勢を確かなものにした」そう見ることもできるのかもしれない。

 単純に「昔からバイパスの検討はしてきたので、成田新幹線が来ようが来るまいが、千葉県としての事業は変わらずそのまま進めるよ」ということかもしれない。

 あまり知られていないが、船橋市も強硬な新幹線反対派だったのだ。 東北新幹線の戸田市や浦和市は地下化を求めたのだが、船橋市は地下化の検討のボーリングすら拒否したと報じられている。ある意味埼玉県南よりも強硬な反対自治体である。

 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (1)

1976年2月10日付朝日新聞から

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 「バイパスの都市計画決定を成田新幹線のルートに重複させたら、新幹線の都市計画と矛盾するのではないか?」と思う方もいらっしゃるかもしれない。 

 しかし、その心配はご無用である。 

 なぜなら、成田新幹線は都市計画決定は一切やっていないから。 

 逆に、地元自治体等と一切ルートの調整はせずにルートを公表し、「これが日本鉄道建設公団が考えた最良のルートです。一切変更しません。」という進め方をしたからこそ、東北新幹線も成田新幹線も地方自治体の長をトップとした異例の反対運動に直面したのである。 

 (例えば、江戸川区は、東西線沿いのルートを湾岸線側に変更できないかという交渉をしているが、突っぱねられている。) 

 その反省を踏まえてなのか、その後の整備新幹線では都市計画決定を行っているようだ。

  

 それにしても、新幹線ルートの上に「そういうことを承知の上で、このバイパスルートを選定」して都市計画決定してしまうというやり方は、初見である。

 大学時代に行政法第二部の講義で成田新幹線訴訟の話を聞いて以来、個人的に「公共事業への反対運動、法廷闘争」といったものに関心を持ってきたのだが、官製のこんなやり方は他にはないのではないか? 

 

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 ここで改めて経緯を整理してみよう。 


1971(昭和46)年 成田新幹線の基本計画告示 

1972(昭和47)年 成田新幹線の工事実施計画認可 →このとき、はじめてルートが公開される。

1975(昭和50)~1977(昭和52)年頃 船橋二和高校、船橋二和グリーンハイツ、日大グランド関係の土地が売却される。 

1977(昭和52)年9月 成田新幹線用地買収を中止(会計検査院参照

1979(昭和54)年 船橋二和高校開校 

1981(昭和56)年2月 船橋市議会「そういうことを承知の上で、このバイパスルートを選定」

1981(昭和56)年11月 都市計画道路「3.1.37馬込町古和釜町線」告示

1981(昭和56)年11月 船橋二和グリーンハイツ竣工 

1983(昭和58)年 成田新幹線凍結 

1986(昭和61)年 成田新幹線計画失効

平成XX年  ②の戸建て住宅竣工

  

 成田新幹線凍結後ではなく、成田新幹線凍結前に色んな興味深い動きがあったということである。 

 

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 ここで気になるのが、1975(昭和50)~1977(昭和52)年頃の分筆の意図である。

 

 船橋二和高校と日大グランドの間を斜めに切る必然性があるような地型ではない。 

 成田新幹線なのか都計道バイパスなのか、何等かの事業を考慮して土地を切り分けたのは間違いないだろう。 

 それが成田新幹線なのか都計道バイパスなのかを確定できる資料にはたどり着いていない。 

  

 あくまでも私個人の推測にすぎないのだが、「千葉県立」船橋二和高校と「千葉県」の都市計画道路ということで、双方千葉県の事業と同士が事前調整して今の土地の切り分けに繋がったのではないだろうか? 

 都市計画決定自体は1981(昭和56)年 と成田新幹線のルート公表の9年後であるが、都市計画道路のルート決定には10年くらいかかるのは珍しい話ではない。千葉県や船橋市は新幹線には反対していたので、それを考慮することなく、千葉県の学校と千葉県の道路で棲み分けをしたというのが私のヤマ勘である。如何だろうか?

 

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※ここからエビデンスのない妄想

 ここでちょっと脱線というか、裏付けは全く取れなかったのだけど、思いついたことがあるので、参考までに皆様にご披露してみる。

 もし、皆様が何か関連資料をお持ちであれば、ご一報を。

 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する 2 (2)

 都市計画道路は幅員40mで決定されている一方で、成田新幹線の高架だけなら11mしかいらない(側道等はこのさい無視)。

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する 2 (3)

 日大グランド側に、あまり有効に活用されていなさそうな大蔵省名義の土地が今でも残っていることが引っかかっている。

 「ひょっとしたら、これは11m幅の新幹線用地は大蔵省名義のままで、A建設に売却せずに残してあるんじゃね??」

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する 2 (4)

 しかし、すぐ気が付いた。

 「東側の宅地分譲しているところは、船橋二和高校から日大グランドまで一括してA建設に売却してるじゃんか。」

 はい、妄想終了。

 

 ところで、この「11m幅の新幹線用地は大蔵省名義のままで、A建設に売却せずに残してあるんじゃね??」という妄想がもし正当なものであったらこんなことが起きてしまう。

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する 2 (5)

 多くの未成線マニアの方が「ここは成田新幹線のために用地買収したものの計画中止となって後に売却された土地」に違いないと注目する、あの「細長い駐車場」が、成田新幹線の想定幅から外れてしまうのである。

 「成田新幹線のために用地買収した」ということは都市伝説にすぎなかったことは今回実証したが、この妄想が正当なら、「成田新幹線計画地」だったことも都市伝説確定してしまったかもしれない。

※エビデンスのない妄想 終わり

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 ちなみに、船橋二和高校南側の空間と同じように、「成田新幹線用地として買収したが、事業中止となったために売却されて活用している土地に違いない」と言われている道路が、ここから西側の船橋市立馬込霊園付近にもある。 

 

 

 

 実は、ここも都市計画道路3.3.7「南本町馬込線」(ここも国道296号バイパス想定で昭和56年に都市計画決定)のラインにあてはまる。 ここも「そういうことを承知の上で、私どもとしてはこのバイパスルートを選定した」のだろう。

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (5)

 流石にここの土地の登記簿を閲覧する気にはならないので、「ここが成田新幹線買収済用地の転用だ」と主張される方は是非ご自分で閲覧していただきたい。 

 一回334円の登記簿閲覧ガチャは高いんですよ。 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (13)

 この記事書くだけで二千円以上登記情報提供サービスに支払っているのだよ。とほほ。 

 

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<結論>

・船橋二和高校と日大グランドの間の土地は、成田新幹線の事業凍結前に千葉県が都市計画道路として決定した空間である。

・この空間を形づくる1975(昭和50)~1977(昭和52)年頃の土地の売買は、成田新幹線を踏まえたものなのか、都市計画道路を踏まえたものなのかを明らかにする資料は私は見つけられていない。

・この空間の土地は、成田新幹線買収の名残等と言われることがあるが、日本鉄道建設公団が土地を売買した記録は不動産登記簿からは見い出せない。一方成田新幹線凍結前に船橋二和グリーンハイツを開発した建設業者がここの土地を買って「細長い駐車場」等を作っている。

 

 実は、成田新幹線の用地買収は、JR成田線以東の、現在成田エクスプレス等が乗り入れている区間を除いてはほとんど進んでいない。 


 京成電鉄関係者にいわせると、「国鉄は成田新幹線を完成させるための努力を、ほとんどやっていない。空港地下駅に着手したのは、空港第一期工事がほぼ終り、反対派の妨害が下火になってからだった。また、東京寄りの区間で用地買収の努力をしたという話を聞いたことはない」とさんざんである。

(略)

 また、用地買収は、52年9月までに(それ以降中止)要取得面積約136万平方メートルのうち、空港ー土屋間の20万平方メートルを含めて約22万平方メートル(全体の16%)
しか行っていないが、その費用は約59億3千万円。

 

「話題追跡レポート 800億円のムダ「成田新幹線」の利用法」 実業界 1984年4月1日号

 

 成田線以東の買収済用地は、わずかに2万平方メートルである。(おそらく千葉ニュータウン付近の用地は、鉄道建設公団ではなく住宅公団あたりが取得することになっていて分母に含まれていないと思われる。) 

 2万平方メートルを高架橋の幅員11メートルで割ったら1818メートルだ。延長にして1.8km分の土地しか買えていないのだ。

 そうそう「成田新幹線買収済用地」があちこちに出てくるわけはないのだ。 

 

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 <ご注意>

 

 ※ここからは二和地区の新幹線の土地とは全く関係のない一般論です。

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 先ほど 

 そうそう「成田新幹線買収済用地」があちこちに出てくるわけはないのだ。

 

と書いたのだが、鉄道用地が買収されるまでを見てみよう。 

 ちょどJR東海が「環境影響評価から工事開始までの流れ」https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/efforts/briefing_materials/library/_pdf/H25lib17.pdfという資料を公開している。 

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (20)  

 上がざっくりとした全体の流れで、この後個別の作業の説明が出てくる。

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (21)  

 先ほど成田新幹線の高架部分の標準的な幅員が11mだという公団の資料をお示ししたが、じゃあまっすぐ11mの幅で買い進めていけばいいのかというと全くもってそうではない。

 新幹線が出来ることによって既存の道路や河川が支障となって付け替え工事が出てくる場合がある。大型車が出入りする工場があったりすれば引き続き出入り出来るような道路を再設置しなければならないし、耕作をしていれば水がきちんと流れる用排水路を再設置しなければならなない。

 また、地元住民には必要なくても新幹線建設工事用の重機が入れる道がなければ、それも作らなければならない。

 この辺もひっくるめてどれだけ用地買収をしなければいけないかが決まってくる。

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (19)  

https://www.city.iida.lg.jp/uploaded/attachment/32826.pdf 

 上記は、実際にリニア建設にあたって地元と「設計協議」している土地だ。リニアは高架だけど、「調整池」や「機器室」も買収することになっていることもわかる。アセスメントの際の図面には、こういったものまでは載っていないと思われる。

 この絵ズラについて、全ての関係者が了解して、初めてどの土地を買収するかが決まってくる。

 船橋市については、先にお示しした新聞記事にあるように、「成田新幹線の地下化を検討するためのボーリングすら許さない」姿勢だったと伝えられており、このように「新幹線が通ることを前提にした協議」が進んでいたとは思い難い。

 ということは、「高架橋の設計はある程度できていても付随する施設や支障移転する公共施設等は全く決められていない状況」だったのではないだろうか?

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (22)  

 そして、用地買収する箇所が図面上で決まったとしても、それが「誰の所有の土地に何平方メートルかかるのか」が確定しないと売買の契約書は作れない。

 そのために、関係する用地を一筆ずつ測量し、関係地権者の了解を求めていく。

 これが一筋縄ではいかないのだ。

 2ちゃんねるの家庭板やそのまとめサイトなどで、「隣の家が建てた塀がウチの敷地に入っている。文句を言いにいったら、向こうは自分の土地だと言っている→驚きの結果に!」みたいな話を読んだことがある方もいらっしゃるだろう。

 それが新幹線建設用地内で発生しない保証は一切ない。いや金がからんでくるから今まで我慢してきた不満がこの際爆発するかもしれない。

 また、登記簿の所有者の名義が亡くなった先代の爺様のままで、確認したら「兄弟の相続争いで何十年も揉めたままでいつまでたっても決まらない」といった場合もある。(まとまらないままブラジルに移民した兄弟が一人いる、なんてオプションがついたりもする。)

 こんなことになると、仮に新幹線の工事に伴って立ち退くことを了解していたとしても、土地の売買の契約書が作れない。

 そこを公団等の用地買収担当が説得してなんとかまとめていくのである。

 

 とまあこんな過程を経て公共事業の土地は買収されているのである。大筋は鉄道もダムも道路も変わらない。

 であれば、そうホイホイと「成田新幹線で買収済だった土地」が出てくるわけがないというのがお分かりになるだろうか?

 少なくとも

 ・関連する公共事業等の付け替えがあろうがなかろうが用地買収の範囲は影響ない。

 ・隣接地主との境界争いや相続争いがない。

 ・そして用地買収価格に不満がない。

 といった条件をクリアしないと進まないのだ。

 (ただし、「反対派の中に楔を打ち込む」といった意味で、多少の事務的な合理性は敢て目をつぶって契約しちゃう場合もないわけではない。 )

 ネットでは「用地買収に応じると過激派から攻撃されるから」といった言説も見られるが、三里塚はともかく、船橋等ではそれ以前の問題だったと思われる。

 

 なお、こういった公共事業の用地買収のお話がお好きな方はこちらもあわせてどうぞ

 →https://www.hosyoukikou.jp/cgi-bin/journal/login.cgi

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コメント

最近できた道路の土地買収はここ十数年くらい前からなので成田新幹線は関係ないですね。角度も若干違いますし。
ところで、二和高校の前の道路の延長上を見ると、市営馬込霊園の一番北側で斜めにスパッと切られたように使用されていない部分があり、そこも成田新幹線、都市計画道路予定地です。1975年1月撮影の航空写真ではそこを含む区画(Fブロック)全体が未使用なのでわかりませんが、1979年11月撮影の航空写真ではFブロックが墓地として使用開始される中、三角形の未使用区画があるのがわかりますから、遅くともその時点で船橋市としても動きがあったんでしょうね。ただ、霊園内の道路の形状を見ると昭和40年代に土地買収して霊園を広げた際には成田新幹線のことは考慮してなかったように思えます。

投稿: | 2021年4月11日 (日) 00時28分

コメントありがとうございます。

馬込霊園の件は、「そこだけ園地みたいになって墓石がないから都市計画道路を避けているんだろうなー」と思ってみていました。
やはりそうなのですね。
また「最近できた道路」の件の情報ありがとうございます。
ネットでは「成田新幹線跡地だ」という声がするので取り上げてはいましたが、都計道と図面を重ねていると怪しいなあとは思っていましたがやはり角度はずれているのですね。

投稿: 革洋同 | 2021年4月11日 (日) 14時14分

ご無沙汰しております。

この記事の結論が変わる話ではありませんが、関係する話題を提供させてください。

最近、この地域に「利根川放水路」という途中で中止になった事業があり、戦前に一部着工していたということを知りました。
我孫子市湖北から分岐し、利根町布佐~白井市~船橋市二和~金杉~東船橋~谷津干潟というルートだったそうです。
https://ameblo.jp/shiroi-kyoudo/entry-12807198502.html

地形を考えると、ちょうど今回話題の二和高校、日大グラウンド、馬込霊園あたりを通過するルートだったと予想できます。
そういう目で見てみると、日大グラウンドの場所は造成前から人工的な窪みとなっているので、一部掘削もされていたかもしれません。

この推測が正しければ、中止された放水路事業用地として、財務省が保有していたという経緯かもしれません。
そして、国有地であることを狙って成田新幹線や都市計画道路のルートとして選ばれた可能性もありそうです。

想像ばかりで裏付ける根拠は何もありませんが、もし利根川放水路用地として確保され放棄された土地が、その後成田新幹線用地として脚光を浴び、更に成田新幹線計画を断念させるために都市計画道路用地になったのだとしたら、大規模な公共事業用地として二転三転した珍しい土地なのかもしれません。

投稿: 研究学園の生活 | 2023年9月16日 (土) 00時30分

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