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2021年4月11日 (日)

あまり知られていない成田空港関連の国鉄未成線

 また成田空港関連である。

 今度は成田空港関連で国鉄のあまり知られていない未成線構想があったというお話。

成田空港への国鉄未成線 (1)

1967(昭和42)年8月23日付毎日新聞から

 成田空港建設資材輸送用に、新東京国際空港公団が土地を買収し、成田線から分岐する鉄道を建設する。

 これを利用して国鉄が成田空港への旅客輸送を図る「空港線(仮称)」を新設する。

というもの。

 

 同様の報道は他にもある。

成田空港への国鉄未成線 (2)

1967(昭和42)年10月6日付朝日新聞から

 こちらには「成田市土屋」と具体の地名が出ているので、今の成田エクスプレス等が利用している線と同様なのかな?

 これが計画どおり実施されていれば成田空港開港から在来線経由の東京直行の鉄道ができたのになあ。

成田新幹線ルートと千葉ニュータウン (4)

1967(昭和42)年9月1日付読売新聞から

 時を同じくして、「首都圏高速鉄道=通勤新幹線」構想も動いていたので、両方を検討した結果、成田新幹線とすることになったのだろうか?

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 成田とは話が変わるが、工事資材用の運搬線路と国鉄、新幹線の他公団との協定にこんなものがある。

 

 埼玉県川口市にある日本住宅公団川口芝園団地の敷地は、元々は鉄道車両を製造していた「日本車輌」の工場であった。

 日本車輛が国鉄線まで引き込み線を持っていたのを転用したのか、公団住宅建設のために新設したのかは不明であるが、蕨駅から「日本住公団専用線」を分離させ、資材搬入に活用したようで、国鉄と住宅公団の間で締結した覚書が残されている。

 その中で興味深い条項があって

・新幹線建設工事着工のため専用線を使用できるのは昭和50年3月まで

・住宅公団は団地入居者の募集にあたり新幹線計画を周知させ、苦情があったら適切な措置をとる

・新幹線建設工事で移転する一般の者の入居に住宅公団は協力する

といったようになっている。

 蕨駅を新幹線が通る計画なんてあったんですね(すっとぼけ)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (1)

1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」から

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コメント

 僕にとって、成田空港と言うと、24年前(当時は20歳で現在は44歳)の10月に、かつてのホリデーパスの旅行として、横須賀線逗子から直通快速列車(当時はエアポート成田の愛称で親しまれていた)で向かった思い出がございます。
航空機の見物は勿論、館内の飲食店での昼食(サンドイッチ系とアイスコーヒーで当時はアルコール未摂取)で楽しんでました。
しかし最近は、直通列車の減便、コロナによる入場制限、空港への旅行は親からも反対された等の悪条件で、向かう事は自粛しております。
成田は、空港の他に成田山新勝寺が名所ですね。
こちらなら、降車駅が異なり、入場制限等が関係ないと言った良好な条件と考え、昨年12月に、休日おでかけパスで向かいました。
参拝の他、参道の飲食店でビールや冷酒も楽しめました。
最近の旅行では、昼呑みや呑み鉄が殆どです。
僕の場合、旅行中は、弊社の制服(工場の作業服)を着用しております。

投稿: Yoichiro-Honda | 2023年7月15日 (土) 19時53分

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