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2021年9月24日 (金)

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(26)

 

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (1)

 交通新聞社から2019(令和元)年に発行されたトラベルMOOK「新しい 西武鉄道の世界」に、結解喜幸氏が「なるほど西武 仮駅が本駅となった西武新宿駅」というコラムを書いている。

 以前から怪しいなあと思っていたのだが、じっくり腰を据えてチェックしたらえらいことになってしまった。

 上図のように、コラムの面積(分量)のうち、半分くらいが怪しい。 

 以下、気づいた点を検証していく。 

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (2)  

 「駅名の上の四角い広告スペースに線路が敷かれる計画だった」ということは、上図写真に私が赤枠でかこった辺に西武新宿線が乗り入れると結解喜幸氏は言いたいのだろうか?

 なお、国鉄の「東建工」1965(昭和40)年2月号38頁では、下図のとおり、向かって右隅である。

 また、「広告スペース」だと、2階ではなく、3階に乗り入れることになってしまう。
 

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (3)  

 右側の国鉄の「東建工」1965(昭和40)年2月号41頁に掲載された模型でも、向かって右隅に西武新宿線のホームが取りついている。


 結解喜幸氏の「駅名の上の四角い広告スペースに線路が敷かれる計画だった」との記述と比較して、如何だろうか?
 

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (4)  

https://www.regasu-shinjuku.or.jp/photodb/det.html?data_id=7245  

に掲載されたビル竣工間もないころの写真でも、ビルの向かって右側に仮囲いが設置されていることが分かる。
 

 

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交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (5)  

なぜ国鉄の新宿駅まで線路が伸びなかったのか?


→結解喜幸氏「当時の新宿駅東口は戦後の区画整理・整備復興が行われていたから


→西武鉄道公文書「国鉄新宿駅東口の民衆駅企画中だったため、当局からビルの建設時迄乗入れを待つ様勧告を受けたから
 

 なお、西武の上記公文書については、こちらもあわせてご参照いただきたい。 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2021/09/post-bbae59.html 

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (6)  

 結解喜幸氏は、「駅ビル“新宿民衆駅ステーションビル”として建設されることとなり」と書いているが、国鉄の「東建工」1965(昭和40)年2月号41頁に掲載された「出願経緯」には、そのようなビル名は出てこない。

 では、結解喜幸氏は、一体どこから「新宿民衆駅ステーションビル」という用語を持ってきたのだろうか?
 

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (7)  

 結解喜幸氏は、「新宿民衆駅ステーションビル」という珍語を使っているが、これは日経の河尻定氏の記事が、元ネタの新宿歴史博物館が発行した「ステイション新宿」を不正確に引用(本来は「百貨名店街ビル」)しているものを、結解喜幸氏が元資料にあたらずにそのままコピペしたのではないか?
 

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (8)  

 大元も資料から河尻定氏経由で結解喜幸氏に繋がる「負の連鎖」はこうなってるのではないだろうか? 

 (関係者の方から違うというご指摘があれば、是非ご教示ください。)

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (9)  

 仮に結解喜幸氏が、元ネタと思しき、「百貨(店)名店街ビル」として記事を書いたとしても、「百貨名店街ビル」は競合案の一つに過ぎないので「駅ビル“新宿東口民衆駅百貨店名店街ビル”として建設されること」にもならないのでご留意を。
  

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (10)  

 結解喜幸氏は、「当時木造駅舎だった新宿駅」と書いているが、国鉄の「東建工」1965(昭和40)年2月号9頁には「鉄筋コンクリート造」と書いてある。

 上図下段右の写真は、同号8頁に掲載された新宿駅東口の駅舎である。

 
 これが木造ねえ。。。 

 

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交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (11)

 結解喜幸氏は、「新宿線は(略)8両編成の列車が運転されるようになっていた」と書いているが、西武鉄道の社内報の104号(1966(昭和41)年8月号21頁に「西武新宿 各ホームを八両用に延ばす」と題した記事があり、この中で「こんど輸送力増強に伴い新宿線にも八両編成電車運転の必要が生じた」と書かれている。

 つまり、駅ビル開業時点では、 「新宿線は8両編成の列車が運転されるようになっていなかった」と解さざるをえない。

 なお、西武が乗り入れを取り下げたのは、ビル開業翌年の1965(昭和40)年で、それまでの間は当局と協議中だったので、駅ビル開業時にホームが設置されていないことと断念は直接は関係ない。
 

 

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交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (12)  

 結解喜幸氏だけでなく、「天井が高い吹き抜け部分があるが、この空間こそが西武新宿駅となるものだった」という趣旨を語る鉄道系ライターは後を絶たない。

 以前も 

「東京 消えた! 鉄道計画」中村建治(著)が怪しい~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(番外編)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/jr-286b.html

という記事を書いた。
 一体、なぜなのだろうか?
 

※参考 下段右の写真は、JRの駅舎の吹き抜けの中に都市モノレールホームが入ってきている小倉駅の様子である。  

 こんな感じに、ルミネエストの吹き抜けに西武新宿線のホームができることを妄想しているのだろうか? 

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (13)  

 国鉄の「東建工」1965(昭和40)年2月号107頁に掲載された図面では、「西武高架」が駅ビルと山手貨物線の間に設けられているとともに、電車の建築限界が、駅ビルの吹き抜けよりも高いことが分かる。


 つまり、あの吹き抜けの高さでは、物理的に電車が収まらないのである。


 結解喜幸氏だけでなく、「天井が高い吹き抜け部分があるが、この空間こそが西武新宿駅となるものだった」という趣旨を語る鉄道系ライターの皆さんはこの図面を見ていないのだろうなあ。
 

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (14)  

 再掲となるが、国鉄の「東建工」1965(昭和40)年2月号38頁に掲載された図面では、中央の「吹抜」と右上の西武鉄道改札が完全に独立していることが分かる。

  結解喜幸氏だけでなく、「天井が高い吹き抜け部分があるが、この空間こそが西武新宿駅となるものだった」という趣旨を語る鉄道系ライターの皆さんはこの図面を見ていないのだろうなあ。
 

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (15)  

 ちなみに国鉄公式の図面ではないが、駅ビル会社が1961(昭和36)年12月に発行した「株式会社新宿ステーションビル事業案内」に掲載された図面が、駅ビルの吹き抜けと西武線ホームとの関係を一番よく表している。

 (時点が違うので、「東建工」の竣工図面とは細部が異なる。)

 この図面の現物を閲覧ご希望の方は下記ツイートを参照のこと。
 

 

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交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい (16)  

 この記事を作っていて気が付いたのだが、表紙の「西武鉄道の世界」の題名で、「の世界」の字に合わせて、水色のククリがある。で、「鉄道」の字にも水色の線が突き抜けている。

 なんだこりゃと思ったが、「の世界」の部分だけフォントの大きさを変えてレイヤーを張り付けたときに、そのククリを残したまま統合しちゃったのかな?

 担当編集の野坂隆仁さん、いろいろ頑張れ。
 

 

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

 

 一旦終わった後に、その後ネタを追記 

(番外編)「東京 消えた! 鉄道計画」中村建治(著)が怪しい

(16)西武新宿駅を大江戸線新宿西口駅に直結させる計画が1982年にあった 

(17) 西武新宿駅は、元々地下鉄乗換えを考慮して地下に設置する構想だった

(18) 新宿ステーションビルの店舗募集資料から西武線のホームと吹き抜けの関係を確認してみる

(19)西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。 

(20)西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。(その2) 

(21)思いもつかないところから西武線新宿駅乗入れのカラー想像図が 

(22)都庁幹部が語る西武乗り入れ中止の背景 

(23)構想以来65年ぶりに西武新宿駅と新宿駅を結ぶ地下道が実現に向けて動き出した 

(24)西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れ撤退の理由が書かれた公文書 

(25)「ステイション新宿」をそのまま一次資料として丸呑みしては危険 

(26)交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の新宿駅乗り入れ記事がひどい 

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