西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れ撤退の理由が書かれた公文書~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(24)
1964(昭和39)年5月18日に駅ビルが開業することになったが、そこには新宿線の新宿駅は設置されていなかった。実は計画段階の新宿線は最大6両編成だったが、同線の輸送量は年々増加し、8両編成の列車が運転されるようになっていた。悲願だった国鉄新宿駅への乗り入れは断念せざるを得ず、西武新宿駅を改良して使用することとなった。
「仮駅が本駅となった西武新宿駅」結解喜幸 「トラベルMOOK 新しい西武鉄道の世界」交通新聞社・刊 103頁から
西武新宿線が国鉄新宿駅に乗り入れを断念した理由としては、まあだいたいこんな感じで語られている。
ところで、国立公文書館には、実際に西武鉄道が新宿駅への乗り入れを断念する旨運輸省(当時:現・国土交通省)に提出した公文書が保存されている。
それが下記の文書だ。
その件名もズバリ「新宿駅乗入に関する申請書取下げ願書」だ。
運輸大臣に対して、1963(昭和38)年12月7日付で提出した「西武新宿線の新宿駅連絡区間工事施行認可申請書」を取り下げるというのである。
そして「別紙の理由」が下記のとおりである。
1.西武新宿線は国鉄新宿駅東口迄の延長を昭和23年3月29日附でご免許を受けたものでありまして、その全線建設は昭和27年3月25日開業の高田馬場―西武新宿仮駅間の工事と同時に実施する様希望して居つたのであります。しかるところ現国鉄新宿駅東口の民衆駅舎建築が当時既に企画されて居つたため、関係当局より同ビルの建設時迄、当社線の東口乗入れを待つ様にとの勧告を受け、その時期迄待つた次第であります。
2.国鉄新宿駅東口民衆駅の建築は待つこと久しく昭和36年頃より具体化されて参りましたので、同駅迄の乗入工事を実施するため、この件に関し国鉄との間に同年11月8日協定を締結し又それと略々同時期に東京都及び建設省より乗入れの線路及びホーム建設のため駅前広場及び道路の一部を使用する許可を得たのであります。
3.当時西武新宿線の旅客輸送は他の近郊電車と同様将来とても六輛編成で足るとされたものでありますが、その後輸送量 特に高田馬場以西に於ける増加は急上昇を来たし、近い将来八輛編成の運行は必至の事態となつたのであります。そのため新宿乗入ホームも八輛編成に応じて延伸する様企画を変更し、その先端付近を拡巾するため国鉄山手貨物線側の用地使用の増大及び反対側併行道路の車道部分の縮小乃至は上空使用の拡大等について長時日に亘り再三再四交渉を重ねて参つたのであります。これ等については関係各
当局に於ても出来る限りの便宜を与えられる様努力せられたのでありますが、諸種の事情によりホーム巾を充分拡大することが出来ない儘八輛用のホームとして工事施工認可を申請したのであります。
4.右様の次第で当社申請の新宿東口駅はそのホームは1本で而も先端附近は相当長い部分が狭小でありますため、監督局より八輛ホームとしては危険多く不適当なる旨指摘されたのであります。一方新宿線の輸送量は前記の通り八輛編成を絶対必要とし、又混雑時の運行間隔から見るとき高田馬場或は歌舞伎町駅(現西武新宿仮駅)での車輛分割は到底出来ませんので、以上のような経緯もあり、これまでの 先行投資も少なくありませんが遺憾ながら東口への乗入を断念せざるを得ない状態となったのであります。
以上の様な経緯及び理由によつて新宿駅東口乗入のための工事施工認可申請書と、これに関連する工事方法一部変更認可申請書の取下げを御願いする次第であります。
ちなみに、wikipedia様はどんな感じかというと、
しかし、島式ホーム1本の6両編成用発着線2線分(当時)というスペースしか確保できず、輸送量が急増していた西武新宿線のターミナルとするには狭過ぎた。そのため、乗り入れ計画は中止された[5]。
[5]新宿歴史博物館(編)『ステイション新宿』新宿歴史博物館、1993年、116頁。
2021年9月19日閲覧
実際には、西武鉄道は「新宿乗入ホームも八輛編成に応じて延伸する様企画を変更し」たが、「先端附近は相当長い部分が狭小でありますため、監督局より八輛ホームとしては危険多く不適当なる旨指摘されたので」「東口への乗入を断念せざるを得ない状態となった」というのである。
「8両編成のホームでは狭すぎたんだから、実質的には『6両編成用発着線2線分(当時)というスペースしか確保できず』と一緒やんけ、何をケチつけとんねん」
とおっしゃる方もいらっしゃるだろうが、西武は8両化対応の努力はしていたが、国に不適当と指摘されて断念したということは記録に残したいよねという気持ちはある。
「その先端付近を拡巾するため国鉄山手貨物線側の用地使用の増大及び反対側併行道路の車道部分の縮小乃至は上空使用の拡大等について長時日に亘り再三再四交渉を重ねて参つた」とあるが、「反対側併行道路の車道部分の縮小乃至は上空使用の拡大」というのは、東口側の駅前広場と靖国通りとの間の車道を狭くするか、東北新幹線の東京駅北側の区間のように道路の上空を占用して線路幅を広くしたいということであろう。
では「国鉄山手貨物線側の用地使用の増大」とはどういうことか。
上図は「東建工」1965年2月号「特集:新宿民衆駅」41及び107頁から。
元々、西武線の新宿ステーションビル(後のマイシティ、ルミネエスト)乗り入れにあたっては、山側については山手貨物線が支障になるので移設する予定であった。
それを8両編成用のホームにするために更に山側に移設できないかということであろうか。
「混雑時の運行間隔から見るとき高田馬場或は歌舞伎町駅(現西武新宿仮駅)での車輛分割は到底出来ません」というのは、新宿駅には6両しか入れられないので、高田馬場駅か歌舞伎町駅で2両を解結する案も一応検討したということか。
(西武は、新宿駅直通後は、西武新宿駅を歌舞伎町駅と改称するつもりだったことが分かるのも興味深い。
なお、交通新聞社のムックに掲載された結解喜幸氏の「8両編成の列車が運転されるようになっていた」と西武鉄道の公文書の「近い将来八輛編成の運行は必至の事態となつたのであります」の違いについても一応指摘しておこう。
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西武の申請取下げの公文書にいう「当社申請の新宿東口駅はそのホームは1本で而も先端附近は相当長い部分が狭小でありますため、監督局より入輛ホームとしては危険多く不適当なる旨指摘されたのであります。」について、裏取りをしてみる。
西武が提出した「西武新宿線の新宿駅連絡区間工事施行認可申請書」は、まず運輸省の現地機関である関東陸運局に提出され、そこから運輸省本省に上申されている。
それに対して、運輸省鉄道局土木課?が「照会」ということで注文をつけている。
土木課照会
新宿停車場における西武新宿寄りの乗降場の巾員は、当駅の乗降客数量からみて特に狭隘であり危険と認められるから拡巾するよう再調すること。
土木課備考
1.技術上の審査は上記照会に対する回答をまって処理したい。
2.照会を文書をもって会社に通知する場合は、事前に連絡されたい。
実際には、土木関係以外にも信号とか線路・ポイントとか各種の照会事項がこの文書には記載されているのだが、「技術上の審査は上記照会に対する回答をまって処理したい」とあるように、ホームが「特に狭隘であり危険と認められる」ことの「再調」の結果が出せないと他の課題の解決にも進ませないというほど強烈なハードルだったわけである。
当時の報道もみてみよう。1965(昭和40)年3月16日付の朝日新聞は下記のように乗り入れ断念を報道している。
(「新宿サブナード30年のあゆみ」 新宿地下駐車場株式会社・発行 37頁から引用)
両方の記事に見られるのは「運輸省側が建設計画に難色を示した」「運輸省関係の勧告もあり」という運輸省側からの働きかけであり、西武の提出した公文書との整合がとれている。
後年の鉄道趣味誌よりもよっぽど正確に撤退の事情を伝えているではないか。
鉄道趣味誌といえば、当時の鉄道ピクトリアルにこんな記述がある。
4.西武鉄道の新宿乗入れ
(略)
西武鉄道は,現在の西武新宿駅から国鉄線に平行して延伸し,青梅街道を架道橋で渡り,道路及び東口駅前広場の歩道上は高架構造とする.この上にホームを1面(8両編成)新設して民衆駅の2階のレベルとし,客扱はホームの終端部分にある民衆駅構内で扱う予定である。
「変貌する新宿駅」菅原操・今泉清一(国鉄本社停車場課)著 「鉄道ピクトリアル」1964(昭和39)年1月号22頁から
西武が苦し紛れに?「狭隘」と指摘されながらも8両編成のホームで「西武新宿線の新宿駅連絡区間工事施行認可申請書」を提出したのが、1963(昭和38)年12月7日付だから、時系列的には鉄道ピクトリアル1964(昭和39)年1月号に8両編成のホームと記されていても齟齬はない。
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ところで、西武の「新宿駅乗入に関する申請書取下げ願書」提出のあとはどうなったのか。
申請書は返付しましたよ。この区間の免許は失効しましたよ。ということである。
駅ビル内にあった改札や駅長室等についてはどのような扱いとなったのだろうか?
「 新宿ステーションビルディング30年の歩み」新宿ステーションビルディング社史編纂委員会・編 社史年表153頁から
新宿ステーションビル(マイシティ、ルミネエスト)が西武の持ち分を買い取って商業施設に改装したようである。
上図は、現在のルミネエストのフロアガイドの2階部分と「株式会社新宿ステーションビルディング事業案内」(1961(昭和36)年12月)の比較である。
この他にも1階の「びゅうプラザ」部分も西武鉄道の改札が設置される予定だった箇所だ。国鉄が西武から買い取ったのかもしれない。
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上記にもステーションビルによる西武駅機能部分の買い取りの話が出ているが、西武の「新宿駅乗入に関する申請書取下げ願書」に、「以上のような経緯もあり、これまでの 先行投資も少なくありませんが遺憾ながら東口への乗入を断念せざるを得ない状態となったのであります。」とある。
具体的にどの程度の「先行投資」があったのか。
国鉄の「東建工」1965年2月号「特集:新宿民衆駅」に具体の数字が書かれている。
新宿ステーションビルの、国鉄、会社(新宿ステーションビル)、西武の費用負担や財産帰属については、下記のとおり整理されている。
見てもさっぱり分からんかも。ご覧になる環境では字が小さくて見えないかも。枢要の考え方の部分を下記に拡大してみる。
ステーションビルの西武専用部分と公衆利用分の一定割合を西武が費用負担して国鉄の財産となっているようだ。
西武鉄道は約5600万円を負担しているようだ。 そして、この部分は乗り入れ断念に伴ってドブに捨てた形になったのだろうか?(上記の考え方によると西武が費用負担しても財産の帰属は国鉄にあるようなので。)
「西武が乗り入れるために2階の構造は補強されていた」といった説があるのだが、それならこの表の「く体」部分の費用負担割合の考え方にそれが反映されていてもよさそうなんだけど、そんな記載は見当たらない。実際にビル内には電車は入ってこないので大した補強は要らないのではないかなあ??
「東建工」1965年2月号「特集:新宿民衆駅」については、
西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(19)
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-f353a5.html
に詳しく紹介しているのであわせてごらんくださいませ。
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なお、wikipedia様には、こんな理由もあげられている。
西武新宿線が新宿駅まで乗り入れていないのは、新宿駅東口の駅ビル建設に西武グループが反対していたからだという説もある。当時、まだ小規模であった西武百貨店池袋本店のある池袋に、当時百貨店として強力な力をみせていた三越・伊勢丹が池袋進出を検討していた。このうち新宿に本店を擁していた伊勢丹では東口駅ビルへの髙島屋の新宿進出が取りざたされていて絶対阻止の構えであった。そこで伊勢丹が池袋出店計画をやめる代わりに西武が高島屋の新宿出店を反対するという取引が交わされ、駅ビル建設に反対する立場になった西武は新宿駅へ乗り入れられなくなった[4]。
[4] 広岡友紀『日本の私鉄 西武鉄道』毎日新聞社、2009年、198頁。ISBN 978-4-620-31938-4。
2021年9月19日閲覧
広岡友紀氏の言うように「駅ビル建設に反対する立場になった西武は新宿駅へ乗り入れられなくなった」のなら、ステーションビルに約5600万円を負担したり、駅ビル完成後の昭和40年まで8両編成のホームができないか粘ったりしませんやねえ。
伊勢丹、髙島屋と西武の関係については、当時こんな風に紹介されている。
第二条件として西武鉄道の乗り入れである。西武はかねて高田馬場から新宿歌舞伎町まで西武線を延長していたが、何とか新宿駅まで乗り入れたかった。それを牧野氏(引用者注:牧野良一元法務大臣。各百貨店と地元商店街等との仲介役だった。)を通じて申し入れたのである。これも国鉄の要望もあって三者の承認することになる。これが高島屋を更に不利にした。西武と伊勢丹の関係は意外に深い。一つの見方には相互の不可侵条約を云々するのもいる。伊勢丹が池袋に敷地を持っているがこれは建てない。そのかわり西武は新宿に手を出さないという平和条約である。その意味からか、西武は新宿に電車を乗り入れても建物そのものには手を出さない、という条件が附されている。伊勢丹―西武の同盟で、ますます高島屋のかげは薄くなった。
「怪談・新宿民衆駅 伊勢丹に敗れた髙島屋」針木康雄・著 「財界」1959(昭和34)年9月号41頁から
伊勢丹と西武の「同盟」と西武鉄道の新宿駅乗り入れの関係については、広尾友紀氏とは真逆の書き方である。
ここでは詳しく触れないが、先に上げた「 新宿ステーションビルディング30年の歩み」28~29頁にかけても、髙島屋、伊勢丹、西武、地元の合意後の西武鉄道の乗り入れ方針に係る合意事項も掲載されている。
個人的には広尾友紀氏の説は「両論併記」にすら値しない「独自の説」と考えるが如何であろうか?
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ところで、西武の乗り入れ断念の話とは時期が違ってくるのだが、とても興味深い話が書いてある。
「1.西武新宿線は国鉄新宿駅東口迄の延長を昭和23年3月29日附でご免許を受けたものでありまして、その全線建設は昭和27年3月25日開業の高田馬場―西武新宿仮駅間の工事と同時に実施する様希望して居つたのであります。しかるところ現国鉄新宿駅東口の民衆駅舎建築が当時既に企画されて居つたため、関係当局より同ビルの建設時迄、当社線の東口乗入れを待つ様にとの勧告を受け、その時期迄待つた次第であります。」
で、鉄道趣味誌の扱いはどうかというと
なぜ国鉄の新宿駅まで線路が伸びなかったといえば、当時の新宿駅東口は戦後の区画整理・整備復興が行われていたからだ。
「仮駅が本駅となった西武新宿駅」結解喜幸 「トラベルMOOK 新しい西武鉄道の世界」交通新聞社・刊 103頁から
もともと大ガードから東口駅前に伸びていた旧西武鉄道軌道線の軌道敷を利用して国鉄新宿駅の隣接地に乗り入れる計画だったのだが、東口一帯の区画整理がなかなか進まなかったため、仮設の駅が設けられたのである。
「そうだったのか、新宿駅」 西森聡・著 交通新聞社・刊 89頁から
と、交通新聞社の出版物は「区画整理」説である。
他の出版社も見てみよう。
昭和23(1948)年に高田馬場~新宿間の免許を取得。しかし、新宿駅の区画整理がつかず、そこで高田馬場駅から新宿形に線路を2キロメートル延伸し、西武新宿駅を昭和27年3月25日に暫定措置で開業した。
「知れば知るほど面白い 西武鉄道」辻良樹・編著(当該部分は牧野和人・著)洋泉社・刊 164頁から
ネットの鉄道記事も見てみよう。
終戦直後の新宿駅周辺は区画整理が進んでおらず、西武村山線の乗り入れ場所に関しては関係機関との調整が必要でした。そのため西武は「とりあえず建設できるところまで建設しよう」と考えたようで、新宿駅から北へ約400m離れたところに仮設の駅を設置。1952(昭和27)年に高田馬場駅と仮設駅を結ぶ区間が開業しました。
「「無印」新宿駅から約400m 西武新宿駅が離れている歴史事情」 草町義和・著 「 乗りものニュース」
ところで他の公文書ではどうなっているか?
当該区間の工期を度々延期しているため、そこについて西武鉄道と運輸省のやりとりが残っている。
西武側の延期理由は、
「目下國有鐵道にて改良御計画中の新宿駅と綜合的に考慮す可き特殊の事情が生じて居る関係であります。」
としている。
これに対して、運輸省側の整理では
「国有鉄道新宿駅改良工事設計未了のため事情已むを得ないと認む」
としている。
その後も何回か延期が繰り返されているが
運輸省としては
「新宿民衆駅(国鉄)との設計協議未了のため」
が基本線である。
ところで、私は以前
西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-65c5.html
において、戦前からある国鉄の旧新宿駅駅舎へ西武鉄道が乗り入れている、1956(昭和31)年時点の図面(早稲田大学が堤家から寄贈を受け所蔵)をアップしている。
当該図面は、リンク先をご覧いただくとして、西武の
「西武新宿線は国鉄新宿駅東口迄の延長を昭和23年3月29日附でご免許を受けたものでありまして、その全線建設は昭和27年3月25日開業の高田馬場―西武新宿仮駅間の工事と同時に実施する様希望して居つたのであります。しかるところ現国鉄新宿駅東口の民衆駅舎建築が当時既に企画されて居つたため、関係当局より同ビルの建設時迄、当社線の東口乗入れを待つ様にとの勧告を受け、その時期迄待つた次第であります。」
の当初目論見の段階の図面だったと思われる。
ただし、「西武って公文書に載っているからといって何が本当かよくわからん」ことが山積しているのも事実である。
例えば、上記の草町義和氏もこの公文書を読んだうえで(内容を見ているとこの公文書を踏まえていることが分かる)あえて区画整理が進んでおらず」「関係機関との調整が必要」と書いているし、「区画整理が進まないので国鉄の駅の改築計画が進まず関係機関との協議の結果工事が遅れた」という趣旨で草町氏が書いたのであればそれはそうだろうし。
とは言っても、公文書で「西武は最初から国鉄新宿駅に乗り入れるつもりだったのに、民衆駅との協議のせいで待たされた」旨書いている以上は、「区画整理未了」を理由とする方は、それなりの根拠をお示しいただく必要はあるのではないか。
新宿駅東口は闇市があったりしたので、駅前広場の造成等は区画整理が必要だったのは分かるが、西武の乗り入れにはさほど支障が無いように見えるんですがね。
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(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡
(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗
(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?
一旦終わった後に、その後ネタを追記
(番外編)「東京 消えた! 鉄道計画」中村建治(著)が怪しい
(16)西武新宿駅を大江戸線新宿西口駅に直結させる計画が1982年にあった
(17) 西武新宿駅は、元々地下鉄乗換えを考慮して地下に設置する構想だった
(18) 新宿ステーションビルの店舗募集資料から西武線のホームと吹き抜けの関係を確認してみる
(19)西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。
(20)西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。(その2)
(21)思いもつかないところから西武線新宿駅乗入れのカラー想像図が
(23)構想以来65年ぶりに西武新宿駅と新宿駅を結ぶ地下道が実現に向けて動き出した
(24)西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れ撤退の理由が書かれた公文書
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