1980年代に計画された東海道・山陽新幹線の夜行列車とは?~神戸新聞・小川晶記者の記事を読んで~
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— 神戸新聞 (@kobeshinbun) March 14, 2022
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幻の「夜行新幹線計画」、政治家の影響力…兵庫県内に4駅集中の謎を調べて分かったこと 山陽新幹線開業50年https://t.co/vyLnfEheZ2
神戸新聞 小川晶記者が「幻の「夜行新幹線計画」、政治家の影響力…兵庫県内に4駅集中の謎を調べて分かったこと 山陽新幹線開業50年」という記事を書いておられる。
私も夜行新幹線については、以前「夜行新幹線と兵庫県内の新幹線駅の関係が2頁読めばすぐ分かる国鉄課長の報文」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-38f110.htmlという記事を書いている。
ところで、小川晶記者の記事で、こんな興味深い指摘があったのだが、少なくとも私がネットで見た範囲ではあまり関心を呼んでいないようだ。
80年ごろには、午前0~6時は新大阪-岡山間で停車させ、時間待ちする代替案も出たが、国鉄改革が叫ばれる中でのアドバルーン的な要素が強かったという。
幻の「夜行新幹線計画」、政治家の影響力…兵庫県内に4駅集中の謎を調べて分かったこと 山陽新幹線開業50年
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202203/0015135737.shtml
神戸新聞 小川晶記者
「午前0~6時は新大阪-岡山間で停車させ、時間待ちする代替案」とは何か?
国鉄の当時の資料からご紹介したい。
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国鉄の大阪工事局が「だいこう」という記録を毎年発行していた。
それの1982年に発行された28巻?(号?)に「新幹線のモデルチェンジについて」(調査課・ 紫合幹男 ; 増田敏夫・共著)という報文が掲載されているのだが、ここにその「代替案」の経緯等が掲載されている。
まずは、その構想が出された経緯を紹介しよう。
又、将来を含めた長期的展望に立った輸送改善、イメージチェンジを計るため「新幹線輸送改善研究会」が設置され、昭和56年2月に中間報告された。
「新幹線のモデルチェンジについて」国鉄大阪工事局 調査課・ 紫合幹男 ; 増田敏夫・共著
この「新幹線輸送改善研究会」では、夜行新幹線計画以外に幾つかの「輸送改善」の項目があげられている。この報文では「大阪工事局に関連する施策について述べる」としているので、当該研究会では、他にも施策があったと思われるがここでは触れるだけの資料を有していない。
(1)6-4ダイヤ
ア.「ひかり」の需要
当時の東海道・山陽新幹線の基本ダイヤパターンは、1時間に「ひかり」5本、「こだま」5本だったものを、利用率等に鑑み、「ひかり」6本、「こだま」4本に変更しようとするものである。これは実施されている。
イ.停車駅パターンの多様化
「ひかり」の増発にあわせて、新横浜、静岡、浜松等への「ひかり」の停車駅を増やすものである。これも実施されている。
ウ.居住性の改善
新幹線の新型車両には、普通車5列固定リクライニング座席が投入され居住性がいくらか改善されたが、飛行機との競争等を踏まえて、より居住性が優れた4列座席を検討するというものである。これは実施されなかった。
なお、このためにも「ひかり」を毎時6本にする必要があったとしている。
(2)系統分割
輸送障害が発生した場合の復旧の迅速化を図るため、新大阪発着の列車を設定する。
(3)「こだま」編成の14両化
「こだま」の輸送力を適正化するために、編成長を縮小するもの。これは、実際には1985(昭和60)年に12両化されている。
(4)個室列車
ようやくおまちかねの夜行新幹線「代替案」の登場である。
(4)個室列車
新幹線のモデルチェンジの核の一つとして、新しい新幹線需要を創造するため夜行個室列車を設定する。
ア.現在の在来線利用の夜行列車の発着時間帯では、旅客のニーズに十分適合出来ないので、新幹線の高速性を生かし、航空機の最終便より遅く出発し、始発便より早く到着するダイヤとし、概ね24時から翌朝6時迄は、夜間の騒音、振動及び保守間合を考慮して途中駅(京都、新大阪、姫路の予定)で熟睡停車する。
イ.東京~博多間3往復の列車計画とし、新幹線個室列車の輸送力に見合った在来線夜行列車は廃止する。
「新幹線のモデルチェンジについて」国鉄大阪工事局 調査課・ 紫合幹男 ; 増田敏夫・共著
神戸新聞の小川晶記者は「新大阪-岡山間で停車させ」と書いているが、 「新幹線輸送改善研究会」であげられた施策では、「途中駅(京都、新大阪、姫路の予定)で熟睡停車する」としている。京都はどこへいった。
まあ、私が紹介している記事では「中間報告」とされているので、最終報告とは中身が違うかもしれないしな。
また、神戸新聞の小川晶記者は「国鉄改革が叫ばれる中でのアドバルーン的な要素が強かったという。」と書いているが、 「新幹線輸送改善研究会」であげられた施策(のうち大阪工事局関連のもの)は、普通車の4列化と個室夜行新幹線以外は実現している。
なぜこの個室夜行新幹線が実現できなかったのかという理由が分かる資料は、私はまだ見つけられていない。
夜行新幹線計画の前提だった東京-博多間は、75年3月に全線開通した。しかし、ある鉄道ジャーナリストは「この頃には既に、計画の実現が難しくなっていた」と指摘する。新幹線の設備にトラブルが続発し、国鉄は改善に追われる一方、ストライキや相次ぐ値上げによる客離れなどが進んだためだ。
新幹線の騒音も社会問題化。75年7月、環境庁(当時)が午前6時~深夜0時という運行時間を前提とした環境基準を定めたため、計画は事実上、不可能となる。80年ごろには、午前0~6時は新大阪-岡山間で停車させ、時間待ちする代替案も出たが、国鉄改革が叫ばれる中でのアドバルーン的な要素が強かったという。
幻の「夜行新幹線計画」、政治家の影響力…兵庫県内に4駅集中の謎を調べて分かったこと 山陽新幹線開業50年
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202203/0015135737.shtml
神戸新聞 小川晶記者
小川晶記者の「という」という伝聞調のネタの根拠が気になって調べてみると、小川晶記者は以前にこんな記事を書いている。
計画の前提だった東京‐博多間は75年3月に全線開通。しかし、鉄道ジャーナリストの梅原淳さん(46)は「計画は70年代半ばには難しくなっていた」と指摘する。新幹線の設備にトラブルが続発し、国鉄は改善に追われる一方、ストライキや相次ぐ値上げによる客離れなどが進んだためだ。
新幹線の騒音も社会問題化。75年7月、環境庁(当時)が午前6時~深夜0時という運行時間を前提とした環境基準を定めたため、計画は事実上、不可能となる。
80年ごろ、午前0~6時は新大阪‐岡山間で停車させ、時間待ちする代替案も出たが、梅原さんは「国鉄改革が叫ばれる中でのアドバルーン的な要素が強い」とする。
兵庫に4駅集中なぜ?幻の「夜行新幹線」計画
https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004886555.shtml
神戸新聞 小川晶記者
2012年に取材した記事では、ネタ元を梅原淳氏に取材した旨を明記しているのだが、今回は「ある鉄道ジャーナリスト」としか書いていない。何か理由があるのだろうか?
「国鉄改革が叫ばれる中でのアドバルーン(梅原淳=小川晶)」 なのか「将来を含めた長期的展望に立った輸送改善、イメージチェンジ(国鉄大阪工事局)」なのかは、読者諸氏のご判断にお任せしよう。
なお、やたらと国鉄の労使のせいにする論調が一部にあるのだが、これって本当にエビデンスがあって言っているのだろうか?
国労や動労のせいにしておけばとりあえずOKみたいな傾向ってないですかね?
2ちゃんねるならともかく、新聞記事としてのエビデンスは大丈夫なんですかね?
神戸新聞のデスクがOK出しているんでしょうけど。
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JR姫路駅の新幹線ホームに立つと、東京方面と博多方面で乗り場の数が違うことに気付く。東京方面は11番線だけだが、博多方面は12、13番線と二つある。大半の列車は12番線に発着し、13番線を使用するのはごくわずかしかない。
この13番線は、事故などの非常時に車両を留め置く待避場所として設けられたとされる。一方で、1972年3月の開業に合わせて国鉄が発行した工事誌には「夜行列車の待避線として設備された」と明記されている。
幻の「夜行新幹線計画」、政治家の影響力…兵庫県内に4駅集中の謎を調べて分かったこと 山陽新幹線開業50年
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202203/0015135737.shtml
神戸新聞 小川晶記者
小川晶記者は「この13番線は、事故などの非常時に車両を留め置く待避場所として設けられたとされる。一方で、1972年3月の開業に合わせて国鉄が発行した工事誌には「夜行列車の待避線として設備された」と明記されている。」としているが、私のイメージでは、「13番線は、事故などの非常時に車両を留め置く待避場所として設けられた」と主張しているのは、私のブログくらいで、メジャーな意見は「夜行列車の待避線として設備された」という方だと思ったのだが。。。
ちなみに小川晶記者が2012年に書いた記事では「この13番線は、事故などの非常時に車両を留め置く待避場所として設けられたとされる。」に該当する部分はない。この10年間に何かあったのだろうか?
参考までに、私が以前書いたブログで参考にした国鉄職員による記録を再掲しておく。
「山陽新幹線停車場関係資料集」77頁から
「なお、東海道新幹線の実績にもとづき、事故時における運転整理などのため、姫路駅には開業当初より下り待避2番線を設置することにしている。」
「山陽新幹線の計画について」佐藤康 「停車場技術講演会記録」第18回318頁から
「1.姫路駅が5線になっているのは下り退避2番線を事故時の留置線としているため。」
整理するならば、「姫路駅の下り13番線は、夜行新幹線運行の際の退避として計画されたが、それは姫路駅の上り線や相生駅にも同様の計画があった。姫路駅の13番線だけ完成しているのは、夜行新幹線の運行のためではなく、事故時における運転整理などのためである。」といったところか。
なお、上記の「だいこう」「新幹線のモデルチェンジについて」の報文において、姫路駅の上り退避線について触れられている。
5 大阪工事局のプロジェクト
(3)姫路駅着発番線増設
輸送障害対策として、異常時における中間駅列車抑止能力向上及び個室列車の夜間停車に対応するため、上り2番線を増設する。
「新幹線のモデルチェンジについて」国鉄大阪工事局 調査課・ 紫合幹男 ; 増田敏夫・共著
ご存じのように、この姫路駅着発番線増設も実施されていない。
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最後となるが、小川晶記者の記事の本題であろう「相生駅は河本敏夫の政治駅か?」というネタについて。
小川晶記者は、当時の「河本さんが『落とし前』をつけさせた結果」という話も踏まえつつも「夜行新幹線のために必要だった」ということで決着させようとしているように思える。
ところで、小川晶氏の2012年の記事にも出てくる「山陽新幹線技術基準調査委員会報告」は私も読んだことがある。
この中で、夜行新幹線のために検討を行った記録が残されている。
この昭和41年2月28日付の「営業運転分科会」の資料で夜行新幹線が離合するための条件を検討している。
そこでは四つの案が提出されている。
第1案
第2案
第3案
第4案
そこで当初の複数案の中から採用されたのが、この「第1案」なのだ。
下記に再掲した第1案の赤く囲った部分を見てほしい。
新大阪駅の次の「ニ」駅は新神戸駅であろう。そして「ホ」駅は西明石駅。「B」駅は姫路駅だ。
実は、当初の夜行新幹線の離合のために新大阪~岡山駅間の駅配置案では、「へ」駅の相生駅を含む案は採用されていなかったのである。
実際には、検討を進めていくと「新神戸駅には離合のための配線をする余地はなかったので相生駅を追加してその役割を果たさせよう」となったと考えるのが自然なような気がするが、「河本さんが『落とし前』をつけさせた結果」相生駅が入っている案に変更することにしたというストーリーも否定できなかったりして。。。(陰謀論終わり。)
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