JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績及びその破綻処理
私の「夏休みの自由研究」ということでw
(※「春休みの自由研究」で追記しましたw 2023.4.2)
最近、四国新幹線の是非等がネット上を賑わせることがあり、「絶対赤字だ」とか「四国新幹線は地方創生の切り札だ」とか色んな声が出ているところ。
しかし、その中で具体の数字があまり出てこない。
本稿は、現行のJR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画上の輸送量と実際の輸送量のデータや建設の経緯等をご提示することで、皆様の実のある議論の一助になればという趣旨で作成したものである。
これは、国鉄の1972(昭和47)年の会議資料に登場する本州四国連絡橋公団(以下「本四公団」)作成の資料である。
1970(昭和45)年段階では、本州四国連絡鉄道の輸送量は、旅客・貨物とも宇高航路の航送量の7~8倍と想定されていた。
当初の瀬戸大橋線の計画輸送量は御覧のとおりである。
ただし、これはAルート(神戸鳴門ルート)にも鉄道が敷設され、Aルートに114千人/日が分担される前提の計画輸送量である。
実際には、Aルートには鉄道は敷設されなかった。
では、Dルート(児島坂出ルート)のみに鉄道が敷設される場合の計画輸送量は存在するのか?
これは建設省と運輸省が1970(昭和45)年に作成した「本州四国連絡橋の経済効果(中間報告)」に掲載されている、本四架橋全体の輸送量等の開通パターンごとの一覧表である。
元々は、Aルート(神戸・鳴門ルート)、Bルート(宇野・高松ルート)、Cルート(日比・高松ルート)、Dルート(児島・坂出ルート)及びEルート(尾道・今治ルート)の5ルートの調査が行われていたが、最終的に残ったのはA、D、Eの3ルートである。
鉄道がDルート(児島坂出ルート)しかない場合は、旅客12万人/日、貨物10万トン/日という予測データが遺されている。
では、計画と実績を比較してみよう。
実際の瀬戸大橋線の旅客輸送量はこの表のとおりだ。
計画上は、神戸鳴門ルートに鉄道がない場合の12万人/日、神戸鳴門ルートに鉄道がある場合の5万人/日の想定に対して、実際には2万3千人/日を輸送している。
こちらは宇高航路と瀬戸大橋線の旅客推移だ。
出典はhttps://www.carf.e.u-tokyo.ac.jp/admin/wp-content/uploads/2020/06/zaisei6-material.pdf
「瀬戸大橋線開業前後で比較すると、輸送量は約3倍になった」とも言えるし、「宇高航路のピークと瀬戸大橋線の現状はさほど変わらない」とも言える。
いずれにせよ「7~8倍」という当初の予想にはほど遠い実態である。
ちなみに、四国新幹線の輸送量はどういう予測になっているだろうか?
四国新幹線が24千人/日、在来線(マリンライナー)が6千人/日となっている。
新幹線を足しても瀬戸大橋線のピーク時とトントンにしかならない。
出典は、http://www.shikoku-shinkansen.jp/topics/Pressrelease201403.pdf
以上が、旅客輸送の計画と実績の差であるがもっと悲惨なのは貨物輸送である。
こちらは、国鉄時代の宇高航路とJR瀬戸大橋線の貨物輸送量の推移である。
宇高航路のピークに比べて、瀬戸大橋線は21%しか運んでいないことが分かる。
瀬戸大橋線の貨物輸送量は、公団計画の約9万トン/日に対して、実績は約80万トン/年(約2千トン/日)である。
「7~8倍」どころか、年間実績で計画の9日分しか運んでいないのが実態だ。
瀬戸大橋線輸送量の計画と実績の差をまとめると、こちらのとおり。
旅客は計画の20%、四国新幹線が出来ても計画の25%
貨物は計画の2%にすぎない。
「オイルショック前の計画と現状を比較するのは適切でない」というむきもあるだろう。実際に国鉄はオイルショック後に輸送量の見直しをしているが、その数字も達成できなかった。
どうしてこんなに計画と実績が違うのか?
オイルショック等の鉄道事業者の責任ではない情勢の変化もある。
一方で、オイルショック後も国鉄の輸送需要の想定と実績は大きな乖離を繰り返してきた。
この過大な予測に基づいた投資が焦げ付いたという面も否定できないのではないか。
少なくとも本四架橋においては、運輸省と建設省が合同で調査を行っていたので、建設省の予測する関連道路整備計画やその交通量の計画を承知したうえで鉄道の将来計画を策定していたはず。
なので、よく使われる「高速道路ガー」の言い訳は使えないはずで、むしろ当時の鉄道関係者は「本四架橋とそれに伴い道路整備計画を承知したうえで、それでも鉄道は7倍に伸びる。国鉄は高速道路に勝てる!」と強気の?計画をして大外れしたということなのだろうか?
もちろんオイルショックやその後の低成長による景気の影響はあるが、それでも「貨物輸送量は計画の2%」とは。。。
これだけしか運んでいない(=目論見通りの収入が上がっていない)のであれば、瀬戸大橋線の事業費の返済はどうなっていたのか?
本四架橋の当初費用負担スキームを確認しておく。
本州四国連絡橋公団→国や地方公共団体が出資。財投、縁故債等で借金して橋を建設。
道路→建設に係る借金返済及び維持管理に係る費用を本四公団の有料道路事業で賄う
鉄道→建設に係る借金返済及び維持管理に係る費用を国鉄からの利用料で賄う
国鉄が本四公団に利用料として支払うはずだった瀬戸大橋線建設費の鉄道負担分500億円超/年は返済不可能に
瀬戸大橋線の実際の収支にあてはめてみると
本当は、本四備讃線の「営業費」が27.8億円の他に約500億円増えるはずだったが、清算事業団による返済に。
本四備讃線=瀬戸大橋線の「営業係数」について、本来毎年本四公団→高速道路保有・債務返済機構へ支払うはずだった瀬戸大橋の本来の利用料500億円/年を加えてざっくりと試算したところ、「1647」と出た。
100円稼ぐのに1647円の営業費がかかるということで、JR四国最低の予土線の1159より遥かに下回る不採算路線となる。
瀬戸大橋線を「JR四国のドル箱路線」と見るむきもあるが、「国民の負担のおかげでJR四国の収支上は黒字路線だが、ドル箱かというと激しくビミョー」とでもいうべきだろうか。
「本四公団債務」は、国鉄長期債務の一環として国鉄清算事業団が負担することに
本来は国鉄の鉄道収入から本四公団に返済すべきであった約0.7兆円を国鉄清算事業団に引き継ぎ。
(大鳴門橋の鉄道負担分も含む)
これは、JR四国の経営安定基金約0.2兆円を大きく上回る額である。(JR四国への支援が足りないと主張する方でこの額に触れる人ってあまり見かけない。)
JRへの貸付線の貸付条件等について、他の路線と比較してみる。
国鉄の分割民営化にあたってすべての公団線等が建設費の返済を免除されたわけではない。
「G本四架橋線」は建設費を返済していないことの改めての確認ということで。
(整備新幹線は「受益を勘案した額」であり、建設費を返済するわけではないことも分かる。)
出典は「整備新幹線財源の持続可能性に関する法制的問題点の検討」楠木行雄・著
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tpsr/15/3/15_TPSR_15R_11/_pdf/-char/ja
一方、京葉線はJR東日本が400億円/年を返済中である。
京葉線ほど利用客があっても、公団へ毎年400億円払うと赤字路線だという。
出典は「京葉線東京地下駅建設」JR東日本 建設工事部土木工事課課長代理山崎隆司・著
都市と交通1989年11月号34頁 http://www.jtpa.or.jp/contents/pdf/toshi18.pdf
国鉄は、瀬戸大橋線には元々そんなに乗らないと知っていた。
国鉄では、1970(昭和45)年から新幹線建設委員会に「青函・本四連絡専門委員会」を設置し、本四架橋への鉄道の設置に係る諸課題を検討していた。
1972(昭和47)年7月14日の同専門委員会に提出された「本四連絡架橋について(報告)では、「輸送量の想定」として、Aルートに新幹線、Dルートに在来線を設置した場合の輸送量について「本四公団の想定輸送量と比較すると」「旅客合計では約40%、貨物では約70%となっている。」としている。
本四公団の鉄道担当者は鉄建公団や国鉄からの出向者によって構成されていたと思うのだが、どうしてこんなに違うのだろうか。。。
国鉄四国管理局OBも瀬戸大橋線が大赤字となることを建設中から指摘していた。
国鉄四国鉄道管理局輸送長、新幹線総局営業部長、国鉄監査委員、国鉄顧問等を歴任した角本良平氏は、瀬戸大橋線の建設中の段階から、次のように指摘していた。
なお、次頁にあげた講演は、運輸省(当時)関係団体でのものであり、聴衆も運輸行政・業界関係者が占めていると思われるが、この発言をとがめる問答は記録されていない。
「80年代で最後に怒る問題として本四架橋のレール問題があります。」
「一体こういうことをすべきなのかどうか。」
「これはまだやらないと言えば、それで400億円助かるのです。」
「自分は乗らないけれども、建設するというのが国鉄投資である。そうしますと納税者としては踏んだり蹴ったりではないだろうか。」
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ということで、ここからは国鉄の分割民営化にあわせて行われた瀬戸大橋線の破綻処理について説明していく。
第二次臨調(中曽根内閣)での指摘
1982(昭和57)年5月17日 臨調第四部会報告「三公社、特殊法人等の在り方について」では、
「進行中の大規模プロジェクト(青函トンネル、本州四国連絡鉄道)については、完成時点において、分割会社の経営を圧迫しないよう国は措置する」とされていた。
臨調の答申で国鉄の民営化の方向づけがされた後に、国鉄再建監理委員会によってその在り方が具体化されていくのだが、 国鉄再建監理委員会は、瀬戸大橋線の建設中止を要求した。
「国鉄監理委、本四橋児島―坂出ルート「鉄道」中⽌提⾔へ。」
国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)は二十日、本州四国連絡橋三ルートのうち唯一の道路・鉄道併用橋である児島・坂出ルートの鉄道敷設工事をとりやめるよう中曽根首相に提言する方針を固めた。八 月初めに打ち出す「緊急提言」に盛り込む。これは、財政が悪化している国鉄は年間五百億円にものぼる 連絡橋利用料を負担する能力がないので、このまま敷設計画を進めれば、将来国鉄を分割・民営化する際の大きな障害になると判断したもの。
1983(昭和58)年7年21日付 日本経済新聞
国鉄財政は膨大な赤字で“満身創痍(まんしんそうい)”。大半の路線が赤字で走ればそれだけ損する状態だ。四国総局管内の年間赤字額も五百二十億円を超える。瀬戸大橋の鉄道も赤字路線になるのは確実。それどころか年間約五百億円の連絡橋使用料を負担しなければならない。こういう事実を突きつけられると、瀬戸大橋も国鉄にとっては“お荷物”。監理委は「いくら経営立て直しのために知恵を絞っても、新しく赤字を生み出す事業を見逃していては……」というわけだ ろう。
1983(昭和58)年7年31日付 日本経済新聞(地域経済四国)
国鉄再建監理委員会「緊急提言」での瀬戸大橋線の扱いはどうなっていただろうか?
1983(昭和58)年8月2日付の「日本国有鉄道の経営する事業の運営の改善のために緊急に講ずべき措置の基本的実施方針について」では、
「緊急度の高いものを除き、設備投資は停止すべき」とした。
一方で、中止も取り沙汰された本四連絡鉄道については
「国鉄以外の事業主体が行う国鉄関係の設備投資」→「本四公団が行う瀬戸大橋線の設備投資」について、中止ではなく「規模の抑制及び工事費の節減」にとどまった。
緊急提言がこんなに含みのある文章になったのは、政治的な配慮からだ。国鉄大手術に挑む監理委員会のメンバーにすれば、「これから新しい線路を敷くなどは論外」。東京駅乗り入れも、本四架橋の鉄道敷設も、国鉄再建にメドがつくまではいずれも工事中止を命令したいのが本音。ところが、監理委員会でこのふたつの大工事をめぐる論議が表面化するや、地元の自治体や関連業界から政治家などを通して猛烈な陳情攻勢が続いた。このため監理委員会としては、緊急提言の文章は中曽根首相に政治的な判断をゆだねるため含みのある表現にせざるを得なかったわけだ。
1983年8年19日付 日本経済新聞
瀬戸大橋線の建設中止は何とか免れたが、議論の的となることを免れたわけではない。
上に示したのは、国鉄再建監理委員会での議論の様子を報じた新聞記事である。
再建監理委員会では、瀬戸大橋線の資本費(=建設費の返済等)については「分割民営移管後の新会社のどれにもこれだけ巨額の資本費を負担できる力はないと判断」し、「利用者に運賃の形式で負担を求める場合、現在の宇高連絡船の利用客実態からすると、本四架橋は1人1万円(片道)を徴収しなければまかなえないことが分かった」としている。
そのうえで、最終的には「国民の負担に」することで意見は一致したという。
ここでは、算出根拠として宇高連絡船の利用者を「年間500万人足らず」としている。
コロナ禍以前のJR瀬戸大橋線なら年間約800万人オーダーと思われるので、1万円ということにはならないが、ここでは便宜上「1万円」で統一したのでご了解いただきたい。気になる方は、ご自分で電卓をたたきながら読み進めていただきたい。
亀井委員長は「その運賃の差額は、だれがどういう形で負担するか」「非常に難しい問題でございます」と答弁している。
「誰がそういう形で負担するか」は、結局「国民が税金(本四公団から国鉄清算事業団へ債務が引き継がれ、その債務を税金で返済した)の形で負担する」こととなった。
結局、その差分は、瀬戸大橋線を乗客が乗る度に、国民の税金から補助金をもらっているようなものである。
これは、青函トンネルも同様である。
「AB線」ならそれでいいんだが、「海峡線」はそもそもそういうスキームじゃないだろうよ。
「そもそも本四の鉄道を事業化したときにはどういう判断をしていたのか?」については、後でまた触れてみたい。
話は、脇道にズレるが、並行して「凍結されている明石海峡大橋の鉄道併設をどうするのか?」ということについても動きがでている。
明石海峡大橋の鉄道部分については、(私が調べた範囲では)国鉄再建監理委員会では直接の議題にはなっていない(はず)が、「本四備讃線がこんな状況では、当時凍結されていた本四淡路線については望み薄だよなあ」という動きが出てもおかしくはない。
当時の報道では、上記の亀井委員長の国会答弁の翌月に、山下運輸相が「運輸省としても、国鉄の現状を考えて道路単独橋として凍結解除の方向で検討」と記者会見で述べている。
国鉄分割民営化の動きと明石海峡大橋の道路単独化については、同時期にパラレルに事態が進捗していたのだが、これについても後で触れてみたい。
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国鉄再建監理委員会「最終意見」こと
1985(昭和60)年7月26日付の「国鉄改革に関する意見 ―鉄道の未来を拓くために―」では、本四架橋の鉄道施設についてはどう処理されることになったか?
瀬戸大橋線(本四備讃線)の建設に係る資本費は、「今後とも経営主体となる旅客会社(=JR四国)に負担能力がない」ことから
「旧国鉄(=国鉄清算事業団)において処理する」
瀬戸大橋線の建設に係る国鉄から本四公団への支払いについては、能力がないJR四国(=瀬戸大橋線の利用客)が払うのではなく、国鉄清算事業団が払う(=所謂「国民負担」)こととなった。
これは青函トンネルとJR北海道の関係と同様であった。
ちなみにこれは国鉄再建監理委員会「最終意見」に添付された「処理すべき長期債務等の配分」である。
(6)本四公団建設施設に係る資本費負担 ①児島・坂出ルート 0.6兆円が、「新事業体(=JR各社)の負担するもの」ではなく「旧国鉄において処理されるもの」に分類されていることがお分かりだろう。
こちらは国鉄再建監理委員会「最終意見」に添付されたJR四国の民営化前(昭和58年度)と民営化後(昭和62年度見通し)の収支状況である。
瀬戸大橋線の資本費を負担する能力がないことがお分かりだろうか。
ここで、 〈北大立法過程研究会資料〉政府立法の制定過程ー国鉄改革関連法案を例にしてー
http://hdl.handle.net/2115/15596 から興味深い箇所を引用してみたい。
井山嗣夫氏は、国鉄改革法案を担当した元運輸省官僚である。
井山氏は「JR北海道の区分域を青函トンネルの北海道側で切るのか、青森側で切るのかが問題」→「1兆円ほどの青函トンネル建設費を誰が負担するのかという問題に絡んでいる」と述べている。
つまり、青函トンネルをJR北海道のエリアとするのかJR東日本のエリアにするのかという問題は、どちらが青函トンネルの建設費を負担するのかという問題だと。
先に述べたように、国鉄の分割民営化に伴って鉄道建設公団線の建設費は一律免除というわけではなく、JR東日本は京葉線の建設に係る資本費として年間400億円を鉄建公団に支払っている。
他方、監理委員会最終意見では、経営主体となるJR北海道に青函トンネルの資本費の負担能力がないことから、「旧国鉄=清算事業団」が債務を引き継ぐ こととしている。
本四公団が建設した鉄道施設の建設費用は国鉄が負担する(=清算事業団が負担する)ということを定めた「国鉄改革法」は、1986(昭和61)年11月28日に成立している。
ちなみに同法第25条第1項に定める「引き続き行う業務以外のもの」とは、本四公団が建設した本四淡路線をいい、「本四淡路線建設のための本四公団の債務は国鉄が負担する(=清算事業団が負担する)ということをここで定めている。
青函トンネルや瀬戸大橋建設費分も清算事業団(国民)負担とすることへの批判はあった。ここでは国会での議員による質問だけ載せておく。
ネットでは「青函トンネルはJR東日本が引き継ぐべきであった」といった声が聞かれることがあるが、JR東日本が引き継ぐと「経営主体に資本費の負担能力がないから清算事業団が債務を引き継ぐ」というストーリーが使えなかったということになるのだろう。
これは、瀬戸大橋線とJR四国/JR西日本との関係も同様であったのだろう。
JR四国が瀬戸大橋線を引き継ぐことと、「経営主体に資本費の負担能力がないから清算事業団が債務を引き継ぐ」というストーリーはセットであり、むしろ債務処理の観点からJR四国が瀬戸大橋線を引き継ぐこととなったとも読める。
JR四国のウェブサイトでも「瀬戸大橋線の加算運賃」の項で「建設費の回収を目的としたものではなく維持管理費を根拠にしている」と説明している。
https://www.jr-shikoku.co.jp/04_company/information/seto.htm
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そんな税金じゃぶじゃぶの瀬戸大橋線に近年、新たに税金が投入されることになった。
JR四国の経営支援策の拡充として、「本四連絡橋更新費用支援」が追加されたのである。
上記の国土交通省記者発表資料に「JR四国に代わって」と書いている。
本来はJR四国が負担すべき施設更新費用を、負担を見直して、鉄道・運輸機構(JRTT)が負担する=税金で負担するという新規支援策である。
https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001380813.pdf
委員御指摘のとおり、本四備讃線は、開業から30年以上が経過し、鉄道施設を含む連絡橋の老朽化が進んでおり、今後、鉄道関係部分などの大規模な改修工事として年間約20億円程度の費用が見込まれますが、経営状況が厳しいJR四国にとって非常に大きな負担となり、経営を圧迫することが懸念されております。
そこで、JR四国が負担することとなる本四連絡橋の鉄道関係部分の更新費用等につきましては、今後はJR四国に代わって鉄道・運輸機構が本四連絡橋の施設保有者である返済機構に支払うこととし、本法案においてそのための仕組みを設け、JR四国の負担軽減を図ることとしているところでございます。
2021(令和3)年3月25日参議院 国土交通委員会
瀬戸大橋線の実際の収支にあてはめてみると
本当は、本四備讃線の「営業費」が27.8億円の他に約20億円増えるはずだったが、JRTTによる負担(=税金)に。
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では、500億円/年若しくは総額0.6兆円分の効果はあったのか?
単独では計画する輸送量に満たなくても、500億円/年若しくは総額0.6兆円分の経済効果が瀬戸大橋線にあったのだろうか?
実は本四架橋全体の経済効果といった数字は調べると出てくるのだが、鉄道部分のみの経済効果を扱った指標を調べたものの、私の力不足故、見つけることができていない。
もしご存じであればご教示いただきたい。
道路を含めた本四架橋全体についてのものは、例えば下記のようなものがある。
https://www.jb-honshi.co.jp/corp_index/company/booklet_disclosure/pdf/2021_booklet_disclosure_15.pdf
ちなみに四国新幹線の経済効果は?
四国新幹線整備促進期成会の資料によると、169億円/年である。
http://www.shikoku-shinkansen.jp/index.html 本来国鉄が返済するはずだった瀬戸大橋線の建設費が500億円超/年なので、その1/3程度(もある?orしかない?)
「処理済みの500億円なんか埋没費用にすぎないのだから、今更四国新幹線の経済効果と比較するのはおかしい」とおっしゃる方もいらっしゃるかとは思うが、まあ規模間の比較の目安ということで。
なお、四国新幹線整備促進期成会の資料によると、四国新幹線を載せるためには、更に50億円/㎞の追加投資を見込む
http://www.shikoku-shinkansen.jp/topics/Pressrelease201403.pdf
(平成4年の単価が今でもあてはまるのかは、また別の問題として。。。)
こんな瀬戸大橋線について、建設にあたった本州四国連絡橋公団総裁だった山根孟氏は
「役に立っていますよ。役に立っているけれども、投資に比べてどうかという話になると、なかなか大変ではないでしょうか。」
と語っている。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-14350279/143502792005kenkyu_seika_hokoku_gaiyo/
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こんなことを書いていると、また「革洋同は、鉄道ばかり厳しいことを書く」と言われてしまうので、有料道路としての計画と実績の対比にも触れておこう。
さきほど、瀬戸大橋線の計画と実際の輸送量を比較した建設省・運輸省による計画交通量を実際の本四道路の交通量とを比較してみる。
鉄道に比べて随分マシではないかと。
https://www.jb-honshi.co.jp/corp_index/company/booklet_disclosure/pdf/2021_booklet_disclosure_12.pdf
参考までに、本四間輸送における鉄道と道路の比率(旅客)を貼っておく。
本四道路のシェアは約2/3、JR瀬戸大橋線は約1割だ。
仮に四国新幹線ができた場合にどのくらい取り返せるものなのか。
https://www.pref.ehime.jp/comment/030317_dourokensetsu/documents/vision_01-1_genjou.pdf
輸送人員の数字が欲しいかたはこちらを。
http://www.kanseto.jp/conference/pdf/20140911/01_doc1.pdf
本四間輸送における鉄道と道路の比率(貨物)もどうぞ。
本四道路のシェアは半分強、JR瀬戸大橋線のシェアは1%未満だ。
なお、瀬戸大橋線と異なり、本四道路は料金から建設費を返済中である。
2019(平成31/令和元)年度実績で料金収入の約2/3が、高速道路保有・債務返済機構へ「道路資産賃借料」として支払われ、本四道路の建設費、借入金の利息等の返済にあてられている。
https://www.jb-honshi.co.jp/corp_index/ir/zaimu/pdf/r1kessan-3.pdf
関心ないかもしれないけれど、道路公団民営化後の高速道路の債務返済の仕組みはこちら。
https://www.jehdra.go.jp/pdf/kikopdf/pamph_2021_03.pdf
とは言っても
ここでは詳しくは触れないが、本四道路も、過去に国等の巨額の支援策を受けている。
関心のある方は、例えば下記を御覧いただきたい。
「本州四国連絡道路の計画及び実績について」
https://report.jbaudit.go.jp/org/h10/1998-h10-0525-0.htm
「本州四国連絡道路に係る債務の返済等の状況及び本州四国連絡高速道路株式会社の経営状況について」
https://report.jbaudit.go.jp/org/h24/2012-h24-0887-0.htm
「本州四国連絡橋公団の債務の負担の軽減を図るために平成15年度において緊急に講ずべき特別措置に関する法律」
https://www.mlit.go.jp/road/4kou-minei/pdf/2003/0501/030501a.pdf
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https://www.jr-shikoku.co.jp/04_company/information/shikoku_trainnetwork/4-2.pdfにおいて、 JR四国はこんな主張をしている。
JR四国は、「鉄道とバス(道路運送)のコスト負担が不公平だ」と言いたいようだ。
ところで、先ほど、国鉄改革法における青函トンネル等の扱いと債務返済の関係において引用したhttp://hdl.handle.net/2115/16372において、国鉄改革法案を担当した元運輸省官僚である井山嗣夫氏は興味深い問答を残している。
JR四国の主張は、(運輸省としては)「既に廃れたもの」という認識であるというのだ。
井山嗣夫
イコールフッティング論を詳細に論ずる余裕はここではないが、
国鉄幹部だった谷田貝淑朗氏の「近代化の失敗―国鉄貨物輸送―」陸運経済新聞社発行
第1章第3節「イコールフッティング論」43~58頁に詳しく載っているので、ご参照あれ。
いずれにせよ、JR四国の言う「鉄道とバスのコストの違い」のポンチ絵は、財務省も国交省も交通経済学者も「とうに終わった話で、まだそんなこと言ってるの」扱いと思われ。
JR四国の主張する「ポンチ絵」に、井山嗣夫氏のいうような税金やら有料道路料金を落とし込んでみた。
JR四国は「所有」しか言っていないが、実際には税金や有料道路料金によって、バス会社は道路建設や維持管理にかかる費用を負担しているので問題ない(鉄道は不公平ではない)というのが、交通経済学者や上記井山氏のような官僚の見解である。
公共交通をこよなく愛する方々にとっては、ご不満かもしれないが、現状そうなっている。
JR四国では、自社で路線バスも運営しており、JR四国経営者の方々も、日々自社のバスが支払う税金や有料道路料金の存在をご存じのはずだが、それは一体何に使われているのかご存じないのだろうか?
(そんなことは知っていて、それでは格好がつかないので「所有」だけ書いたのかもしれないが。)
それを言うなら、JR瀬戸大橋線だって線路等の施設はJR四国は所有せずに、「車輛」のみを所有して「運行」しているんですけどね。
(なお、バスと違って、JR四国は瀬戸大橋線の建設費は負担していないので、バスよりJR四国の方が有利である。)
「保有しているので、所有しない費用負担に比べて、参入・撤退のハードルが高い」というのなら分かるのだが。
瀬戸大橋に係る道路と鉄道の費用負担はこんな感じである。
JR四国の資料にはこれは出てこない。
「瀬戸大橋線は、通常のJRより100円ちょっとしか余計に払わないのに、どうして本四道路はNEXCOの高速道路よりもこんなに高いの?」
という問いに対しては、端的には
「本四道路は料金に建設費の返済分が含まれているけれど、JR瀬戸大橋線は、国鉄民営化時に建設費は全部税金で返済することになったのでJRの料金に建設費の返済分が含まれていないから」
と言える。それだけ当初計画時よりも瀬戸大橋線の方が競争条件は本四道路に対して有利なはずなのだが、利用は伸びていないのが実態である。。
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■そもそも本四架橋を造ったのが間違い??
運輸省事務次官という運輸官僚のトップ経験者として、国鉄再建監理委員会の委員に就任して国鉄分割民営化の具体化に尽力し、JR東日本の会長等を努めた住田正二氏が、1997年になってから
「本来採算がとれない青函トンネルや本四連絡橋を財投で造ること自体が間違いであり、造るとすれば全額国費で建設すべきであった」
と発言している。
財投とは、財政投融資(郵便貯金等を特殊法人等に貸し付ける)であり、国費とは、国の税金である。
こう書くと、公共交通をこよなく愛する方々は「やはり鉄道財源が必要だった」とピーチクパーチク囀りそうだが、実際にはそんな財源は存在しないのだから、どうするのか?
なお、財投という借金で先に造ってから料金等で借金を後から返済するので、早く建設できるのだが、税金で建設するとなると、そうはいかない。税金のつく範囲のなかで、チビチビと造り続けるしかない。
(有料(=財投の借金)による高速道路と、無料(=税金)による街中のバイパスの建設スピードの差を想起されたし。)
ところで、本四架橋の事業化に先立って、運輸省と建設省は連名で、「本州四国連絡橋の経済効果」を公表している。
そこでは採算性について触れており、「30~40年以内に償還可能」としている。
「償還可能」というのは、ザクっというと、「財投等で借りた借金は返済可能」ということだ。
運輸官僚のトップだった住田氏が「本来採算がとれない本四連絡橋を財投で造るのが間違い」というなら、この運輸省の「償還可能」というのは何だったのか?
インチキ??
余談だが、住田氏によると、青函トンネルの採算性はこんな感じで処理されていたそうで。
最近、国防上の理由から北海道の鉄道を再国有化すべきと唱える方もいらっしゃるが、こういう経緯を共有していらっしゃるのだろうか?
国鉄最後の総裁となった元運輸官僚の杉浦喬也氏は、国会答弁において、本四鉄道施設に係る負債について
「なかなか大変な負債ではございますが、いずれ使用料を払って国鉄が使うことを覚悟の上での作業であったと思います」
と答弁している。
運輸省は償還可能とは公表していたが、実際の運輸官僚としての杉浦氏は、「なかなか大変な負債」を「覚悟の上の作業であった」というのだ。
ところで、「作業であった」とは、おもしろい答弁である。
杉浦氏は一体何を「作業」していたのだろうか?
先に紹介した運輸省の「本四架橋の経済効果」であるが、これを公表した際の運輸省鉄道監督局国鉄部財務課長が杉浦氏であった。
つまり、監督官庁側の国鉄財政に係る実務責任者だったのである。当然本四鉄道の採算性についてもガッツリ「作業」していたであろうと推測される。
そして、「本四経済効果」に先立つ1970(昭和45)年2月19日に決定された、所謂「国鉄再建10カ年計画」も担当していた。
「時の法令」という法律解説雑誌には、「国鉄再建10カ年計画」に係る杉浦財務課長自身の署名記事で「これにより国鉄は経営の危機を脱し、償却を含めてほぼ経営は安定するものと期待される」と記している。
しかし、その裏では本四の「大変な負債」について「覚悟の上での作業」していたというのだろうか?
なお、住田氏は当時運輸省官房文書課長であった。
文書課長というと、契約書等の「てにをは」を直したり、公印を管理したりという「庶務」的なお仕事をイメージするかもしれないが、中央官庁が管理する文書は「法律」である。法律の中身が分かるためにはそれぞれの政策を理解していなくてはならない。
実際には、形式的な「文書」事務に留まらない、各省内の筆頭課長が文書課長であり、同世代の事務次官レースのトップを走るエース中のエースが就くポストである。
実際に住田氏は運輸事務次官に就任することになるわけだ。
その住田氏が、官房文書課長時代に「本四経済効果」を公表しているのだから、運輸省全体の重要施策として相応に関与していることは容易に推測できる。
1970年当時の運輸省では、住田文書課長と杉浦国鉄部財務課長が
「東海道新幹線開業後国鉄は赤字になったが、今度開始する国鉄財政再建10カ年計画で経営は安定します」
「今後取り組む全国新幹線網も青函トンネルも本四架橋も採算性を確認しながら取り組みます」
と、大蔵省や関係政治家に説明して回ったはずである。
(それで納得しないと大蔵省は予算を出さない)
それが15~20年しかたってない時期に「採算が取れないので造ること自体が間違い」とか「大変な負担を覚悟の上の作業だった」とか公言するかなあ。
なんなのそれ?
先に角本良平氏(鉄道省=運輸省では住田氏や杉浦氏の先輩にあたる)が
「納税者は踏んだり蹴ったりではないだろうか」
と書いていることを紹介したが、運輸省の実務責任者にそんな裏話をされても、納税者としてはどうせよというのか?
住田氏はその時期に「そうとでも書かないと、JR東日本に国鉄債務の追加負担が回される」という危機感から露悪的に書いたのだろうが(「運輸と経済」の読者のうち相当の割合は、住田氏の味方だろうし)、ツケを回された納税者としては、「踏んだり蹴ったり」である。
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■瀬戸大橋線の破綻処理と明石海峡大橋の鉄道建設断念の関係
ところで、この観点から物を書いたりしているのはレアだと思うので、若干脱線気味だが、着工後に赤字が問題になった本四備讃線(瀬戸大橋線)と異なり、着工前に鉄道が断念された明石海峡大橋の本四淡路線とは当時どのように関連していたかを補足として説明しておきたい。
「なかなか大変な負債」と杉浦総裁が答弁した本四備讃線(Dルート)に対して、当時「凍結」中だった本四淡路線(Aルート)は、「本四架橋経済効果」公表直前の1970(昭和45)年3月段階の国鉄社内会議資料では、「鉄道側投資額(概算)」は、約2倍を要することとされていた。
なお、道路と鉄道の建設費の按分については、実際には「道路と鉄道の荷重比」とされたので、上記の表よりも、鉄道の負担割合は多くなっている。
オイルショックで全ルートの工事が凍結されたものの、優先的に凍結解除されてまがりなりにも工事が進んでいた瀬戸大橋に対して、国鉄分割民営化の議論の際には、明石海峡大橋は凍結されたままだった。
というか臨調で「凍結」のダメ押しをされていた状況ですらあった。
関係者は何とか「凍結」解除できないか動いていたわけだが、「膨大な赤字を抱えた国鉄の財政事情」において、瀬戸大橋(本四備讃線)の「なかなか大変な負債」に加え、明石海峡大橋(本四淡路線)の「その倍の大変さの負債」を背負い込ませるわけにもいかず、このままでは明石海峡大橋の「凍結」解除に向けて鉄道が「足かせ」になってしまうというのである。
先に、山下運輸大臣の「国鉄の現状からみて明石海峡大橋は道路単独になる」という発言を紹介したが、
上の表のうち、朱色で塗った部分が明石海峡大橋(本四淡路線)関係部分である。
臨調や国鉄再建監理委員会の議論と並行して、「明石海峡大橋の鉄道部分をどうするか」という議論が進められていたことが分かる。
鉄道オタクが言うような「予算不足で明石海峡大橋に鉄道ができなかった」「瀬戸大橋線で発揮される鉄道の効果を予期できないまま明石海峡大橋の鉄道を断念した」のではなく、「瀬戸大橋線(本四備讃線)が、どうしようもない赤字が予想されるので、そのケツを拭くのが大変だったから、その処理を見ながら同時並行的に明石海峡大橋の鉄道(本四淡路線)をやめた」のである。
「予算不足」なら、それこそ財投で借金して返すことだってできるのだが、住田氏のいうように「不採算路線を財投で造ることは間違い」なのであろう。
山下運輸相の「国鉄ギブアップ宣言」を受けて、 1985(昭和60)年7月に兵庫側から河本敏夫特命相(河本派の領袖)、徳島側から後藤田総務庁長官(田中派ながら、中曽根首相の懐刀。中曽根行革の実行部隊も担当)という実力者、そして木部建設相が会談し、「明石海峡大橋の道路単独化」が方向づけられたのだろう。
ネットでは「ハラケン(淡路島も地盤としていた原健三郎氏)のせいで鉄道ができなかったのが悔やまれる」という人もいらっしゃるが、ハラケンは所詮「陳情する側」の人であって、「政策決定する大物」ではない。
このときは、河本氏と後藤田氏に地元代表としての実権があったということなのだろう。
元々明石-鳴門ルートの徳島側実力者は三木元首相で、三木氏は「鉄道派」だったが、このときは、既に「行革派」の後藤田氏に実権が移っていたということだろうか?
三木氏と神戸-鳴門ルートの鉄道との関係が気になる方は
「本四橋・大鳴門橋への四国新幹線架設は本来中止するはずが徳島の政治家が復活させた?」
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-5277.html
もあわせてどうぞ。
また、ネット等では「ハラケンにもっと権力があれば淡路島にも鉄道ができたのに」と悔やむ人も見かけられるが、ハラケン個人としては元々「神戸-鳴門ルートに鉄道不用派」なので、「ハラケンにもっと権力があればもっと早く鉄道をやめて明石海峡大橋が早く開通できたのに」と悔やむのが正解ではないかと思う。
参考までに、明石海峡大橋の道路単独化が決定されたときの地元紙で紹介された「喜びに沸く関係者」の声から一つだけ添付しておこう。
明石海峡大橋が本題ではないので、まあこの辺で。
更にご関心があるかたは、私のブログの他の記事もご参考まで
「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.html
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