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2023年6月24日 (土)

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する

※この記事は、当初2023年6月に公開しましたが、2024年4月に大幅追記修正しております。

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (1)

 TBS系列の「がっちりマンデー」が、「燕三条市」と放送して、ネット上が盛り上がってしまった。

 

 

 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (2)

ネットニュース等では、命名の由来が紹介されたりした。 

https://smart-flash.jp/entame/235318/1/1/ 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (3)

 この記事では、ネットユーザーからTBS「がっちりマンデー」に対して突っ込まれた、「燕三条駅に関する調べればわかる有名な話」が、本当なのか検証してみたい。 

 主な検証課題はこちら。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (4)

 今回、ネットユーザー(特に鉄道オタク)が突っ込んだ「調べればわかる有名な話」って「上越新幹線の燕三条駅が先に出来て、後から北陸自動車道の三条燕ICができる」という時系列を前提にしたものが多いのだが、実際の開通の順序は逆で、高速道路の方が4年以上先に開通している。  

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (5)

 ということで、新幹線と高速道路、それぞれの建設経緯を整理してみよう。 

https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/236639/www.jhnet.go.jp/format/index2_05.html 

https://www.jreast.co.jp/niigata/joetsu40th/ 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (6)

 新幹線の建設手続きはこちら。 

 新幹線の「停車場の位置」は、全国新幹線鉄道整備法に基づき、鉄道建設公団が工事実施計画を作成し、運輸大臣(国土交通大臣)が認可する。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(7)

 上越新幹線建設の経緯はこちらの手続きのとおり。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (8)

 高速道路の建設手続きはこちら。  

 高速道路のインターチェンジの「連結位置」は、高速自動車国道法に基づき、建設大臣(国土交通大臣)が整備計画で決める。 

https://www.mlit.go.jp/road/singi/sgtrp1/ref1-2-5.html 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (9)

 北陸自動車道(長岡~新潟)建設の経緯はこちらの手続きのとおり。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(10)

 上越新幹線(燕三条駅)と北陸自動車道(三条燕IC)の建設に係る時系列を抜粋して並べてみたよ。 

 

 こういったツイートと当時の報道や建設関係資料と突き合せてみよう。 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (1)

果たして、上記のような鉄道ヲタクの「常識」は、どこまで本当だろうか? ねえ、企画の栗原景さん。

 ここから、燕三条駅/三条燕ICの命名の経緯を更に追っていくこととしたい。 

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 まずは、上越新幹線燕三条駅命名の経緯を深堀してみよう。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(12)

 1971年10月に、鉄建公団が工事実施計画を認可申請した。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(13)

 1971年10月に、三条市に「燕三条駅(仮称)」を設置することが決定した。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (14)

 「新幹線の駅名で揉めたので、燕三条駅とする代わりに、駅長室を三条市域に設置することで、駅の住所を三条市としてバランスをとった」という説がある。

  しかし、この当初の工事実施計画の段階で、「燕三条駅(仮称)」は、「三条市大字下須頃」に置くことが、法律上の手続きによって、申請→認可されていたということには触れていないのではないか? もうちょっと大事なポイントだとは思うんだけどなあ。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(15)

 こちらは、1971(昭和46)年10月の上越新幹線工事実施計画認可申請を報道する地元紙「新潟日報」である。「燕三条」と出ている。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (16)

 「燕三条(仮称)」か「燕・三条(仮称)」か 

 鉄建公団の工事誌は「燕三条(仮称)」と「ナカポツなし」で、新潟日報は「燕・三条(仮称)」と「ナカポツあり」だ。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (17)

 工事実施計画を認可した運輸省では「燕三条(仮称)」で「ナカポツなし」である。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (18)

 しかし、地元では「燕・三条(仮称)」と「ナカポツ(マルポチ)あり」前提で議論が進むのである。 

 それも、「マルポチの付いた駅名は全国どこにも例をみないという」などと随分こだわりが見られる。

 単なる誤植等では割り切れないものがあるようだが、その理由までは追えていない。 

 そのため、当ブログでも「表記のゆれ」が整理しきれていないがご容赦いただきたい。 

 鉄建公団や国の資料では「ナカポツなし」なのに、どうして地元は「ナカポツ(マルポチ)あり」を前提に駅名の議論が進められていたのか、理由をご存じの方がいらっしゃれば、是非ご教示ください。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(19)

 実は、工事実施計画認可申請前に、上越新幹線の駅名案について「お漏らし」報道があった。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (20)

 1971(昭和46)年9月26日付読売新聞は、三条付近(東三条と燕の中間)と報道。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (21)

 読売の4日後の1971(昭和46)年9月30日付朝日新聞は、仮称「新三条」駅と報道。
 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (22)

 「汎交通」1971(昭和46)年12月号に、国鉄新幹線総合計画部長の富井義郎氏の講演が掲載されている。

 その文末に「編集部註」として、「内定」された東北・上越新幹線の駅(仮称)のうち新三条駅も挙げている。

 朝日の誤報ではなく、鉄道業界誌でも「新三条駅」だったということで。
 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (23)

 「新三条駅」案は、単なる瞬間風速で消え去った一時的な案ではなく、国鉄-鉄建公団内部ではそれなりに浸透した駅名案だったのではないかと思料される。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (24)

 半月ほどの中で幾つかの駅名案が出たり消えたりしており、「この間に、何かの力が動いたんやろなあ。。。」と思わせる。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (25)

 当初は「新三条駅」だったのが、工事実施計画申請・認可の段階では「燕・三条駅」となったことで、駅名争いに火が付いた旨地元紙は報道している。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(w)  

 駅設置決定直後の1971(昭和46)年10月20日付新潟日報が、駅名争いを報じた最初の記事ではないか。

 
 燕市は「燕という文字がはいっていればよい」としている。


 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (26)

 三条市鈴木春義助役(当時)のインタビュー記事からも、前述の『当初は「新三条駅」だったのが、工事実施計画申請・認可の段階では「燕・三条駅」となったことで、駅名争いに火が付いた』と同様の趣旨が読み取れる。 

 

 尤も、鈴木助役の言う仮称「三条燕駅」は、私は確認できていない。

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (27)

 鉄建公団の現場事務所も「燕三条鉄道建設所」等であり、「現場事務所までもが、市境に建ってるわけでもあるまいし、素直に所在地名をつけとけばええやん」と思うのだが、鉄建公団は相当気を遣っていることが推測できる
 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (28)

 1982(昭和57)年2月3日に「燕三条駅」に駅名が正式決定した。 

 1982(昭和57)年2月4日付読売新聞は、「北陸道のICが「三条燕」になったことから、新幹線については「燕」上位で合意」と報道している。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (29)

 鉄道業界誌「電気車の科学」1982(昭和57)年3月号14頁掲載のコラム「電気車界展望」は、「北陸道のICが“三条燕”なので駅名の方は逆にバランスをとったかたち.国鉄さんの生活の知恵をしぼった決定ぶり」と報道している。 

 個人的な「感想」にすぎないが、こういう業界誌のコラムというのは「中の人」が匿名で書くことがあったりするので、「中の人」の本音がうかがい知れる場合がある。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (30)

 現在の鉄道オタクの主張と当時の報道は順序が逆転していることがお分かりであろう。 

 当時の報道は、鉄道業界誌も含めて「高速道路が「三条燕IC」だったので、バランスをとって上越新幹線の駅名は「燕三条駅」にした」というものであった。 

 これが、何故か現在では逆転して認識されて「有名な話」になってしまったのである。 

 

 

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上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (31)

 次に高速道路の三条燕ICの命名経緯を深堀したい。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (32)

 1967(昭和42)年に決定された北陸道の基本計画では、「道路等との連結地」として「燕市附近」と定められている。 

 この段階では、あくまでも「附近」にすぎないので、燕市外にICを設置することとなっても「附近」であれば差し支えない。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (33)

 1969(昭和44)年に決定された北陸道の整備計画では、「連結位置」として「三条市」、「連結予定施設」として「一般国道289号」と定められている。 

 前述のように、この「整備計画」は、高速自動車国道法に定められた法的に位置付けられるものであって、建設省や道路公団が単なる事務的に内部手続きで決めたものではない。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (34)

 燕市との図面上の面積の大小等は関係なく、高速自動車国道法上の位置付けとしては、「三条燕ICは、三条市で国道289号に連結するIC」なのである。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (35)

 日本道路公団時代のIC名称決定基準として、副総裁通達「供用開始後の道路等の名称について」がある。 

 前述のように、三条燕ICは、「法律上は三条市にあるIC」なので(3)(ロ)に基づいて「その存在する市町村名を用いる」ということで、「三条」を優先していても、基準を逸脱していないと思われる。(※私見であり、道路公団の正式見解ではありません。)
 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (36)

 (3)高速自動車国道等のインターチェンジ等の名称 (ロ)インターチェンジ において「その存する市町村名を用いる」とある。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (37)

 「燕市内にあるICは三条燕ICにしてバランスをとった」と言われることが多いが、日本道路公団での扱いは「三条市に所在する三条燕IC」なのである。 

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (3)

 「でも、料金所は燕市内にあるじゃないか」と言う方もいらっしゃるかもしれない。

 鉄道の駅と違って、高速道路の料金所なんかは、極言すれば、本線と一般道の間のどこかに適当にあればいいんですよ。

 「東名の東京料金所が川崎市内にあるから、東京ICは川崎市にある」といいますか?

 東名高速道路の東京ICの場合、世田谷区内に料金所を置くのに適当な広い場所が取れなければ、隣の川崎市内に東京料金所を置くのは別に不自然でも何でもないので。

 鉄道ヲタクは、「何でも鉄道を中心に考えてしまう病気」にかかっている人がいるから、高速道路も鉄道にあてはめすぎじゃないですか?

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (4)

 ブラタモリの三条・燕の回で出てきた燕市産業史料館の名物学芸員・齋藤優介氏は

「三条燕ICは燕市にあるけど、名前は三条燕」

といったことを言っていたような記憶があるが、こういう公文書を踏まえずに、地図だけ見ていったようなことを、学芸員が放送で流すとは全く遺憾なわけです。

 燕市役所には、道路法令総覧はありませんか?

(※ 昔は「道路六法」で、今は「道路法令総覧」という。)

 

 

 

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (5)

 

 おさらいになりますが、

 昭和40年代当初の法令上の計画段階から、新幹線駅も高速道路ICも三条市に設置するのが正式な手続き上の位置付けだった。

 ということは、本件を理解するために必要な法的経緯であります。

 ここを踏まえない鉄道オタク向け蘊蓄本が如何に多いことか。

 そしてそれにひっかかるピュアな鉄道オタクや鉄道ユーチューバーが如何に多いことか。

  

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (6)  

 稲村稔夫・三条市長(当時)の「社会主義」誌上における発言もご参考までに紹介しておこう。

 なんで「社会主義」誌に三条市長が登場するかというと、一時期、三条市は新潟三区にも拘わらず所謂「革新市長」だったのだ。

 (※それが、三条燕駅命名に影響したという説を後に紹介するので、覚えておいてほしい)

 

https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/236639/www.jhnet.go.jp/format/index2_05.html 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (38)

 高速バスの「三条燕バスストップ」は、単体で見れば燕市内にあるが、同基準の「2以上の施設が同一地点に併設されている場合には同一の市町村名等を用い」とあるので、「三条燕ICと同一地点に併設されたバスストップ」ということであれば、基準を逸脱していないと思われる。
(※私見であり、道路公団の正式見解ではありません。) 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (39)

 三条燕ICという名称はいつから使われていたか?を調べてみた。 

 遅くとも、「レジャー産業・資料」1971年8月号「北陸自動車道工事中間報告」日本道路公団工務第二課長 下荒磯茂・著には、「三条・燕IC」が出てくる。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (40)

 高速道路のIC名は、燕市と三条市は揉めなかったのか? 

 燕市史889頁によると「高速道路のインターチェンジ名は、二つ以上の市町村名や地名を重ねる例は多くあり、すんなり決まった」とある。 

 鉄道オタクが主張するような、新幹線駅名と高速道路IC名をめぐって両市が激しく争ったわけではなく、駅名だけ争ったようである。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(41)

 燕三条駅/三条燕ICの命名に係る時系列を抜粋してみた。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(42)

 今回調べ始める前は、「高速道路の方が先に開通しているとは言っても、昭和40年代の建設中の仮称の段階で、「三条燕ICと燕三条駅」で事前調整しているんやろうなあ」と思っていた。 

 ところが、遅くとも、1971年8月には高速道路は「三条・燕IC」となっているのに、1971年9月段階で、新幹線は一旦先に「新三条駅」が報道されて、10月に「燕三条駅(仮称)」と認可されている。 

 事前調整がついていたのであれば、こんな動きはありえないのではないか? 

 よって「高速道路IC名は、新幹線駅名と調整していなかったのではないか」と私は考えるが、如何だろうか?
 

 まあ、ここはエビデンスなしの私個人の推測にすぎないものも含んでいるのだが。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (43)

 とは言っても、相応に気を遣って「三条・燕IC」という仮称をつけたのではないか? 

 北陸道開通時には、「新潟」→「新潟黒埼」、「巻」→「巻潟東」、「見附」→「中之島見附」となったが、「三条燕」だけは、建設時から複合名称になっていたので、相応に気を遣っていたのではないだろうか?
 

 なお、「新潟黒埼IC」は新潟市内にはかすってもいないのに新潟が先に来ているし、「中之島見附IC」も見附市内にはない。「三条燕IC」は、それに比べればよっぽどまともではないだろうか? 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(施設協会地図)  

 これは「新潟黒埼IC」と呼ばれていたころの道路施設協会発行の北陸自動車道マップだ。懐かしい方もいらっしゃるのでは? 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (44)

 ということで、主な検証課題の(途中経過1) 

 「新幹線を燕三条駅にした代わりに、高速道路を三条燕ICにしたのか?」と「三条市にある新幹線の駅を燕を先にし、燕市にある高速道路のICを三条を先にすることでバランスをとったのか?」の2つは、否定されたということでよかろう。 

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上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (45)

 次いで、「上越新幹線の駅の設置を巡って、三条市と燕市が激しく争った」というテーマを検証してみたい。 

 まずは、上越新幹線のルート、駅の決定経緯を確認していきたい。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (46)

 鉄建公団公式の上越新幹線ルート選定経緯は、上越新幹線工事誌に掲載されている。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (47)

 また、鉄建公団公式の燕三条駅選定経緯も同様に上越新幹線工事誌に掲載されている。 

 燕市及び三条市両地域の利用客の便を考え、弥彦線との連絡が可能で、支障家屋が少なく将来開発余地が見込める「三条市上須頃地区」に決めたとされる。 

 ただし、弥彦線の駅設置は当初は見込まれていなかった模様であり、その後駅設置要望が地元から出て、決定されている。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (48)

 燕市史では駅誘致に激しく活動する三条市を尻目に「これに比べてもともと幹線を持たなかった燕市民はこれという目立った動きを見せなかった。両市の置かれた交通上の位置関係から、それぞれの考えは異なったものと思われる」と他人事のようである。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (49)

 上越新幹線工事実施計画が認可され、燕三条駅の設置が決まったことを報道する当時の新聞では「新幹線駅誘致に懸命だった三条市や、これを支援してきた燕市」としている。 

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (7)

 一方、当時の週刊文春には、渡辺常世・三条市長(当時)が、「燕市は立候補もしていなかったのに、駅名が仮であっても燕・三条いうのはおかしい。三条・燕ならまだしも、燕・三条とはねえ」と「燕市は立候補もしていなかった」旨述べている。

 なお、上記の記事に出てくる「三条商工会議所・加藤重利氏」は、おって本件の重要なキーマンとして再登場してくるので、覚えておいてほしい。

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (8)

 また、「実録・越山会」小林吉弥・著 でも、三条市の越山会会員が

「仮称にしても燕・三条というのはオカシイ、三条・燕ならハナシはわかる。第一、燕市は立候補もしておらんかったし、人口も三条市がグンと多いですけ。そのうえ、あとで燕市の奴っこさんたち、“新ツバメ駅というのはどうか”などと提案してくる。とんでもねェハナシで、ホントは新三条駅が断然正しい!」

 と嘆くやら、怒るやら。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(b)

 駅設置決定直後の1971(昭和46)年10月20日付新潟日報では、「県央広域市町村圏内に停車すれば文句はない」との記事がある。

 県央広域市町村圏内とは、この記事によると、「三条・燕・加茂の三市を中心とした」ものとのこと。

 「燕市と三条市が激しく駅の誘致を争った」という鉄道オタクの常識はなんだったのか? 

 TBSに対して「燕市と三条市が激しく駅の誘致を争った経緯を知らないのか。調べたら分かるだろう。」と罵倒した鉄道オタクの皆様は、読売新聞や燕市に対しても「我々の”常識”と違う」と非難しては如何か? 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (50)

 燕三条に駅名内定時にも「三条側の業界は、駅を誘致したのは我々なのにと怒り心頭に」とする報道もある。 

 少なくとも、燕三条駅と内定した頃までは「燕市と三条市が激しく駅の誘致を争った」のではなく「三条が駅を誘致した」ことでは争いはないようである。その後に鉄道オタクの常識を書き換えるような出来事があったのだろうか? 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (10)

 「燕市と三条市が激しく新幹線駅誘致を争った」というリアルタイムのナマ情報は私が調べた範囲では見当たらなかったのだが。(後日出版された鉄道、地名関係蘊蓄本は除く) 

 もし、「燕市が市史に反して新幹線駅誘致に激しく運動していた」という当時の一次情報をお持ちの方がいらっしゃれば、是非ともご教示ください。

 「激しく誘致を争った」と書く鉄道ライター諸氏も証拠を出してくださいw 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (52)

 となると、「田中角栄が裁定して燕市と三条市の境界に駅を設けた」という逸話はなんだったのかということになる。とはいえ、田中角栄の力は別のところで及んでいた模様 

 元々は中之口村に出来るはずだった新幹線駅を、三条市長(当時市議)が、目白詣でをして、三条市内にもってきた旨の報道はあった。急行「天の川」の寝台券をもらってかけつけたというくだりにリアリティを感じる鉄道オタクの方もいらっしゃるのではないか? 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (53)

 新潟一区内の「中之口村」にできるはずだった新幹線駅を、新潟三区内の三条市に「田中角栄の赤エンピツ」で動かしつつ、最後は(こちらも田中派議員地盤の)新潟一区内の燕市にも配慮したということかもしれないが、これは私個人の推測にすぎない。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (54)

 中之口から三条に駅をもって来たことによる弊害もでている。 

 「長岡-燕三条間は、わずか24キロしかなく、鉄建公団が基本として打ち出している、駅間隔は30キロ以上ないと新幹線としての機能を発揮できないという事項にも反することになる。」との批判もでていた。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (55)

 篠原武司氏は、日本道路協会の「道路」に、燕三条駅位置の選定理由を記している。 

 「高速道路のランプ近くで自動車の乗り入れを便利にし,なるべく広大な駅前広場をつくって,バスや自家用車の乗り付けを便利にした。」「道路計画との有機的な結合をつねづね考えておかなければならない」というものだ。
 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(c)

 「篠原武司って誰だよ。高速道路IC近くに燕三条駅を設置することでパークアンドライドの便を図ったなんて珍説は初耳だよ。」「道路業界誌なんて鉄道の敵なんだから相手にする必要はない」なんて思う方もいらっしゃるかもしれないが、篠原氏は上越新幹線建設当時の日本鉄道建設公団総裁なんである。
 

 上越新幹線建設の当事者である公団総裁が「両市の激しい誘致合戦の末に、両市の境界に駅を設置した」説を否定しているのは大変興味深いものがある。「両市猛烈な誘致結果案」を主張する鉄道オタクは、まず公団総裁の論を潰すネタを揃える必要があるわけだ。 

 せめて「鉄建公団の篠原とかいうやつが鉄道業界の常識に反することを道路業界誌に書いているが、そんなものは相手にする必要はない」「篠原は角栄の腰巾着なので、角栄の裁定を後からもっともらしく正当化しているだけだ」くらいは宣言してほしいものだ。少なくとも、燕三条駅ネタで原稿料をもらったことがある鉄道ライター諸氏におかれては、この篠原説を検証する記事くらい書いてもよいのではないか? 

(篠原総裁が政治に負けた悔しまぎれに、後付けで、屁理屈を書いてこじつけた可能性も、一般論としてはありうるとは思うが) 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(d)

 なお、1971(昭和46)年9月30日付朝日新聞は、「仮称「新三条」駅は幹線道路とのつながりをどうするかの課題がからみ最終的な位置決定は数日中に行う」と報道している。

 朝日新聞記事と篠原総裁の発言とは整合がとれるため、篠原総裁のいう高速道路との連携が燕三条駅の位置決定の決め手だったという論は信憑性を増すのではないか。

 

 

 

 消極的に「どちらにも偏らないよう」なのか、積極的に「高速道路にあてに行って駅を設置したのか」リアルタイムの生情報がもっとほしいところだ。 

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (11)

 「燕市と三条市が争った」とする鉄道オタク本の事例としては、

 「新幹線全駅旅図鑑」 (旅鉄ガイド003)「旅と鉄道」編集部 ・編 ‎ 天夢人・刊 

 とか

 「レールウェイマップル 全国鉄道地図帳」昭文社・刊

 があるようだ。

  

 それぞれの担当者に、篠原記事等をどのように受け止めているか聞いてみたいものだ。

 タビテツはともかく、レールウェイマップルの次回版には是非修正していただきたい。

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (9) 

〇燕市史 (駅誘致に熱心な三条と比べて)「燕市民はこれという目立った動きを見せなかった」 

〇三条市長「燕市は立候補もしていなかったのに」

〇三条の越山会「燕市は立候補もしておらんかった」

〇読売新聞「新幹線駅誘致に懸命だった三条市や、これを支援してきた燕市」

〇週刊読売「三条側の業界は「駅を誘致したのは我々なのに」と怒り心頭」

〇鉄道建設公団総裁「高速道路のランプ近くで自動車の乗り入れを便利にし,なるべく広大な駅前広場をつくって,バスや自家用車の乗り付けを便利にした。」 

 ⇒これで、何故「燕と三条が駅設置を激しく争った」となるのか

 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(57)

 なお、鉄道オタクは、「新幹線の後に高速道路がきた」という時系列で考える方が多いようだが、実際には燕三条駅計画前に三条燕ICの位置は決まっていたので、これ以上燕市側には駅は設置できないだろうとは思われる 。

 

 

 

 時系列をちゃんと確認するとこんな妄言を好きになることはないんですが。 

 

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上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (58)

 鉄建公団公式の燕三条駅選定経緯に「弥彦線との連絡」が あるが、実際には当初は在来線駅計画は無かったようである。

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (13)

 同じ「上越新幹線工事誌(水上・新潟間)」の746頁には、国鉄新潟鉄道管理局の要請を受けて、1982(昭和57)年に弥彦線との連絡施設建設が決定された旨書かれているのだ。

 当初計画では、燕三条駅は弥彦線との連絡駅ではなかったのである。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (59)

 工事実施計画認可時の認可した立場の運輸省による報文には「以上9駅の中、上毛高原(仮称)燕三条(仮称)を除きすべて在来線と接続させている。」とある。
 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (60)

 こちらも運輸省の広報誌「トランスポート」に運輸省鉄道監督局国有鉄道部施設課の澤田氏が書いた報文だが「上毛高原(仮称),燕三条(仮称)両駅を除いてすべて在来線と併設されており」と書かれている。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (61)

 後から地元要望によって弥彦線の燕三条駅が追加された旨の地元紙の報道がある。 

 なお、これらの新聞記事とあわせて、先に紹介した「上越新幹線工事誌(水上・新潟間)」746頁の経緯を、参照されたい。 

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上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(62)

 ここからは、燕三条駅命名に係る駅名正式決定前の動きを深堀りしてみる。 

 田中角栄による「裁定」があったと言われる時期だ。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (63)

 北陸道燕三条IC開通後に、新幹線駅名を巡る興味深い記事が掲載されている。 

 なお、1978年の高速道路開通2年後の1980年ににまだ駅名は揉めている旨の記事が掲載されていることから「駅名を燕三条にした代わりに、高速道路を三条燕にしてバランスをとった」との説はガセ確定となる。 

 

 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (64)

 この記事で注目すべき点は、弥彦村が「越後一の宮駅」案で乱入していることだ。 

 「三条、燕どちらが先になってもしこりが残るだろうとの配慮もあっての提案だが、結果は逆。駅名論争を浮上させるきっかけになった。」という。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (65)

 それまで、燕市・三条市は「紳士協定」で陳情合戦を自粛してきたが「第三の駅名候補の登場で、鳴りをひそめていた駅名争いがまたまたにぎやかになりそうだ。」とのこと。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (66)

 燕市助役は「ICは三条燕に決まったので、駅名だけは譲れない」と。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (67)

 三条市長は「すぐ隣のICと別な呼び方じゃ利用者が混乱する」と。 

 なお、記事中に 「駅の玄関がどっちを向いているかを見ても当然の名前だろう。」とあるが、後述のように駅の造りは、三条も燕も敢て同じになるように作ったはずなのだが。

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (68)

 鉄道オタクの「真実」とは逆に、「既に決まった高速道路のIC名を基準に、燕、三条の両市が新幹線駅名について論戦を交わしている」という点を地元紙が報じているところが大変興味深い
 

 また、弥彦村の乱入に触れていない鉄道・地名蘊蓄本は、一次資料にあたっていない可能性がある。
 

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (14)

 なお、ウィキペディアには「両市名を付けた駅名にすると国鉄が決定した際」なんてことが書いてあるのだが、私が調べた範囲では、国鉄がそんな「決定」をしたなんていう元ネタは見当たらないのですが、この記事を書いた方は、出典を明記してくださいね。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (69)

 

 燕市史には「信濃川駅」案という「けんか両成敗的な声」もあったと記されている。 

 「信濃川駅」案と同様に、広域地名で関係自治体の対立を結着させた事例としては、北陸新幹線の「佐久平駅」がある。 

 

  

 なお、当初

「新燕駅」案の元ネタをご存じの方は、是非ご教示ください。 

 と書いたところ、読者の方から、新燕駅に触れた記事があった旨のコメントをいただき、資料も確認できたので、「新燕駅の主張はあった」ということで、その旨追記させていただきます。 

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上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (71)

 決まらないのは、駅名だけではなくて 

 1980年9月3日付新潟日報によると、水道は燕市水道局が工事が始まった1979年から供給しているものの、電話番号、郵便番号、ごみ収集、し尿(浄化槽の放流先)、ガス、派出所等が決められないという。
 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (72)

 燕市史888頁によると、三条市に所在することになっている燕三条駅だが、水道とガスは燕市から供給しているとのことだ。
 

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上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (73)

 1980年10月17日付新潟日報は、国鉄による新幹線駅名決定の報道の2年ほど前に「仮称通り「燕・三条駅」に」と報じている。 

 両市が地元選挙区の代議士を通じて陳情合戦を重ねたが、「仮称の通りに内定」したとのこと。 

 代議士の名前は書いていないが、まあなんとなく想像はつくところではある。 

 なお、ここでは「・」は生きているところも気になるのだが。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (74)

 燕市史888頁によると、「高度な政治判断が働いたとか最初からの予定だとかいろいろな話題も呼んだが、真相はどこにあるのか分からない」とされている。 

 燕市史は「高度な政治判断が働いた」という部分ばかり引用されがちだが、「最初からの予定だ」の部分とか、先に述べた「一の宮駅」案とか「信濃川駅」案は引用されないところを見ると、実際には読まずに孫引きでしか書いていないんじゃないかと勘ぐってしまう。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (75)

 週刊読売1980年11月23日号「上越新幹線「駅名争奪」の感情的しこり」 は具体の代議士名を出している。 

 三条市側は、三区選出の角栄に頭を下げた。 

 燕市側も地盤が一区とあって、田中派大番頭の小沢辰男に「燕をよろしく」。 

 角栄は「燕が上でもいいじゃないか」と漏らしていたとされ、10月20日に国鉄新潟管理局が「燕三条駅」を提示した。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (76)

 朝日新聞新潟支局にちょうど1980年から1986年に勤務していた早野透記者が、著書「田中角栄と「戦後」の精神」において、角栄の「裁定」を詳しく記している。
 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (77)

 ウィキペディアで「大岡裁き」とか書いていたけど、実際は意外にもグダグダな「裁定」だったようだ。 

 1980年9月に、三条市の角栄支持団体会長である加藤重利氏(このブログで当初名前が出てきましたね)が、角栄に裁定を求める。 

 ↓ 

 角栄は「燕三条」で加藤氏をなだめようとするが、譲らない。角栄は「それほどいうなら」と「三条燕」を引き受ける。 

 ↓ 

 二日後に、田中事務所から加藤氏に電話。「駅名は燕三条で決めた」 

 加藤氏は小沢辰男(燕市は新潟一区で小沢氏の地盤)にやられたと思った。 

  

「田中派の一の子分の小沢の頼みをどうして田中が断れよう。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (78)

 なお、ウィキペディアの燕三条駅の項で文献とされる「新幹線100%ガイド」には、「大岡裁き」という表現はない。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(f)

 1982(昭和57)年2月4日付新潟日報は「燕三条駅大岡裁き」と題した記事を書いているが、中身は、「誰がどう大岡裁きしたか」という具体的な話は書いていないし、スカっとするような話も書いていない。
 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(g)

 この新潟日報記事の「後にくる名が“本名”ということなので、こちらもそう理解している」と、前述の朝日新聞早野記者「田中角栄と「戦後」の精神」の「東三条とか北三条とかいうんだから、下につく名前が本物で、上が飾りなのではないか」という屁理屈は整合がとれている。

 ただし、発言したのは、新潟日報は国鉄で、朝日新聞は田中角栄というところが気になるが。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (79)

 燕と三条を「大岡裁き」したというより、田中派同士の利益分配との報道もあった。 

「週刊ポスト」1982年11月26日号「摘出!日本型政治土壌を抉る 「上越新幹線」と「角栄利権」を激写! 」では、 

「三条市は田中角栄、燕市は角栄直系・小沢辰男の選挙区だ。そこで角栄は自分の利権を確保すると同時に、小沢にもそれを分け与えるために、真ん中に駅をつくった」(燕市商工会議所幹部)

 燕三条駅をめぐるドタバタ劇は、いわばその利権分与の副産物という指摘だ。 

と報じている。 

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (16)

 最近の新潟日報に、田中角栄の「裁定」についての記事が掲載されていた。

 この記事は、仲が悪いとされている燕市と三条市が、この度の衆議院小選挙区の見直しにより、初めて同じ選挙区になるということについて歴史を含めて取材した記事である。

 その中で

「当時を知る自民党県議OBは中選挙区時代に三条市を含む旧3区を地盤とした田中角栄元首相が論争に終止符を打ったと耳にしたことを明かした。「(角栄氏の仲裁は)真実だと思うが関係者の間に『田中先生の名前を出せば調整がつく』という思いもあっただろう」と推測する。」

というコメントを紹介している。

 まあ、ご参考までに。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (80)

 ウィキペディアの元ネタとされる海老原美宜男・著 「100%新幹線ガイド」だが 

「燕三条は、両市街地の中間に位置するため、どちらを上にするかでもめたが、北陸自動車道のインターチェンジを「三条燕」とすることで引き分けとなった」 

 と時系列が逆転している鉄道オタク本の典型であると言えよう。 

 著者紹介に「オリジナルな発想が武器」としているので、これも事実と反した「オリジナルな著述」ということか。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (81)

 田中角栄や小沢辰男が属した自民党の「月刊自由民主」では「地方独特のバランス感覚をうかがわせて面白い」と他人事のようだ。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (82)

 「三条市長が革新系だったから、角栄に意地悪された」との説もある模様だ。 

 「三条市史」下巻917頁によると稲村稔夫市長(任期1972~1976年)が「本市初の革新系市長」とのことだ。 

 このブログで「社会主義」に登場する三条市長として紹介した方である。

 この記事でも「眉ツバ」と書いてあるが、角栄の「裁定」は1980年とされているので、「時すでに遅く」には違和感が残る。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(83)

 ということで、 燕三条駅名決定経緯詳細を時系列で。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (84)

 以上で、主な検証課題の(途中経過2)  

 「三条市にある新幹線の駅を燕を先にし、燕市にある高速道路のICを三条を先にすることでバランスをとったのか?」は、否定されたということでよかろう。 

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (17)

 「地図神」「今尾神」も木から落ちる

 といったところか…

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (18)

 しかも

「過去にいくつも出た『駅名事典』の類の「駅名の由来」の誤りは多いが、その多くが駅名そのものに「地名学的なアプローチ」で取り組んでしまったものである。」

「いずれにせよ、駅名を解釈するには、設置当時の「地名状況」を調べなければならない。」

なーんて、他の駅名事典を批判しておいて、その直後に、燕三条/三条燕の鉄道ヲタクの俗説に見事にひっかかるあたり、痛恨である。

 

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (15)

 「東京人」の特集「新幹線と東京」において、原口隆行氏が「決着したのは、関越自動車道のインターチェンジの名前を三条燕にすることに両社が合意したことからだった」と記しているのも、ダウトとなる。

 

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燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (19)

 最後の検証テーマは、 

「新幹線の駅名を燕を先にする代わりに、駅長室を燕市から三条市に移したのか?」である。また、これも「角栄の裁定」によるものだとする本もある。

 その一例が、「いまこそたのしみたい新幹線の旅」(PHPビジュアル実用BOOKS) 梅原淳・著 である。

 

 「これ、実話なんです。」なんだかどうやら。

 

 

 「鉄道オタクの間で有名なのと真実なのは別だ」というのは、今まで見てきたとおりであるのだが。 

 

燕三条駅は計画の当初から三条市に設置することになっていた

 再掲となるが、日本鉄道建設公団の当初の計画から燕三条駅(仮称)が、三条市上須頃に設置されることになっていた。

 「駅長室争い」を偉そうに知ったかぶるオタクに、このような計画との整合性に触れた人は残念ながら見たことは無い。

 私が知らないところではいらっしゃるのかもしれないけれども。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (86)

 燕市史889頁では「 最初の予定では肝心の駅長室は燕側に設置されることになっていたという。」「こうしたことが公団側の耳に響いたのだろうか。駅長室がいつの間にか現在の所に変わったとされている。」としている。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (87)

 1982年10月25日付毎日新聞「政治新幹線は走る 11・15上越開業<1>二市またぐ燕三条駅」では、 

 「その駅長室の場所も駅名が「燕三条」と内定したところ、当初計画の燕市側から移し替えられた。」とし、燕三条駅長にぶつけるも 

「そんなこと聞いていません」と否定されている。 

  しかし駅長室の壁のコンクリート柱が不自然にでっぱっているのを指して「大あわての駅長室移転の証拠は歴然だ」としている。

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (88)

 一方、こちらは鉄建公団の「上越新幹線工事誌(水上・新潟)」869頁に掲載された燕三条駅の竣工図面だ。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (89)

 駅構内をジグザグに走る「行政境界線」がお分かりになるだろうか? 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (90)

 このジグザグは、農地整備を行う際に、地型にあわせて行政境界線を定めたのかな? 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (91)

 今の駅長室を工事誌掲載図面で確認すると、確かに三条市域内にある。 

 では、燕市史のいうような「 最初の予定では肝心の駅長室は燕側に設置されることになっていたという。」という論を補強できる図面はあるのか? 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (92)

 「上越新幹線工事誌(水上・新潟間)」870頁 には、燕三条駅の施設配置の「計画」と「実施」が掲載されている。

 現在、燕三条Wingがある場所が、計画段階では駅長室等ができるはずだったのだ。

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (93)

 また、「上越新幹線工事誌(水上・新潟間)」871頁には、変更された理由が記されている。 

 変更の理由は、省力化のための「国鉄側からの強い要請」だった と書いてある。

 当時国鉄が大赤字なのにもかかわらず採算の見込めない政治新幹線建設にまい進することを批判する声は強く、駅員の配置を省力化する必要があったのだろう。 

 今の駅長室への位置の変更理由は、田中角栄の裁定ではなく、国鉄から鉄建公団への要請だった。まあ、「政治家の裁定の結果とは大きな声では言えないので、国鉄からの要請だったことにした」可能性がないわけではないが、公式には「国鉄の要請」である。「角栄の裁定」説を取る方も「国鉄は否定しているが、こういう物証を踏まえると自分は田中角栄の裁定説を支持する」といった決意表明が必要であろう。 

 ただ、どちらにしても、三条市域から三条市域への変更にすぎない。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (94)

 更にその前の案もあった。 

  鉄建公団「第12回技術研究会記録」が1976年10月に発行されている。

 鉄建公団の社内発表会記録集といったところか。 

 そこに「上越新幹線燕三条(仮称)駅の計画について」という報文が掲載されている。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (95)

 そこには「A案」「B案」の二つの案が掲載されている。 

 しかし、両案共に三条市域内に所在している。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (96)

 A案からB案への変更理由は、弥彦線と新幹線の連絡方法の変更によるものだとされている。

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (97)

 鉄建公団の資料で追える範囲では、駅長室の場所は2回変更されたが、全て三条市域内であり、「燕市域から三条市域への変更」を示す資料は見当たらない。 

 

 

 

 「在来線は改札口がなくてワンマン列車では無人駅扱い」なのは「歴史的な確執」は関係ないんだなあ。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (98)

 原因が田中角栄の裁定なのか国鉄の要請なのかには関係なく、時系列としては、田中角栄の「裁定」の前後でも、駅長室は三条市内での変更に留まっている。 

 鉄建公団「第12回技術研究会記録」は1976年10月の発行である。 

 一方、田中角栄の「裁定」は、早野透・著「田中角栄と「戦後」の精神」165頁によると、1980年9月だ。 

 田中角栄の「裁定」の前後で、「燕市域内に駅務室が計画された記録」は、少なくとも鉄建公団の公式記録には無く、2回の変更が認められるが、一貫して駅努室は、三条市域内にあったと言える。 

 「第12回技術研究会」より前には、燕市域内に駅長室を置く案があったかもしれないが、そんな時期であれば、「駅名で揉めた代わり」にも「角栄の裁定」にも関係ない。 

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (20)

 そもそも、 田中角栄の「裁定」の詳細を報じているのは朝日新聞新潟支局に勤務していた早野透記者のこの著書なのだが、角栄の「裁定」が駅長室に及んだとは書いていない。

 他にご存じの方は是非情報を。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (99)

 ということで、田中角栄の「裁定」で駅長室を燕市域から三条市域に移したというのはガセではないか? 

 「田中角栄の裁定により、駅長室が燕市域から三条市域に移された」と主張する方は、「燕市域に駅長室が存在する段階の計画図」を是非お見せいただければ。そしてその位置変更が「角栄の裁定」によるものだという時期の整合性等の裏付けも是非。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (100)

 とはいっても、燕市史にも採用されるくらいの「説」である。何か背景があるに違いない。 

 ということで、私が探してきた『背景らしきもの』がこちら。 

 燕三条駅の「開業準備駅」の電話番号は、燕局だったが、これが開業にあたって三条局に変更されている。 

 単に駅務室(三条市域)の造作が完成して、仮設の開業準備駅(燕市域)から本設置されただけのことが、「角栄の裁定」による変更と呼ばれるようになったのでは? というのが、私の「推測」である。

 如何であろうか? 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (101)

 報道を紹介したとおり、ガセっぽいものの、当時「駅長室を移した」という話が地元に出回っていたことは確認できた。 

 しかし、当時は「駅長室の移転が田中角栄の裁定によるもの」とまでは言い切った報道はないように思う。 

 駅名について田中角栄が裁定に動いたことはほぼ間違いないのだが、「駅名のバーターで駅長室の移転を田中角栄が裁定した」という話は、後から出てきた(後乗せされた)ストーリーではないだろうか? 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (102)

 上りホームは2線あるので、三条側の方が広い(下り線ホーム下の燕側には今の駅長室の巾は収まらない)という構造的な違いもある。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (103)

 これは余談だが、燕三条駅の上り線が二線ある理由として、ネットでは「将来の羽越新幹線対応だ」とする声もあるようだ。

 これについて、鉄建公団の工事誌では「輸送の弾力性の確保および新潟車両基地からの試運転列車の折返しに対応して上り副本線を1線(上り第2副本線)増設した。」とされている。

 あまり夢のある話ではなさそうだ。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (104)

ところで、燕市側と三条市側がほぼ対称となっている特徴的なレイアウトの燕三条駅だが、「それぞれの側に市の玄関を持ちたいと切望して協議を重ねた結果」なんだそうだ。 

 また、この段階では「三条口」「燕口」ではなく「東口」「西口」となっている点も興味深い。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (105)

 そして「既設の新幹線では例をみないこと」で「1階コンコースは,駅前広場の延長となり,広場的色彩の濃いもの」なんだそうで。 

 「国鉄末期に開業した新幹線の駅の特徴」なのか「例をみない駅前広場配置」に伴うものなのか、「どっちなんだい!」  

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (106)

 ということで、主な検証課題の(結論)  

 「新幹線の駅名を燕を先にする代わりに、駅長室を燕市から三条市に移したのか?」は、否定されたということでよかろう。 

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 まあ「燕三条駅にまつわる、鉄道オタクには有名な真実」はたいてい嘘だったと言っていいのではないか。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(107)

 となると、ロクに裏取りもしない鉄道系YouTube動画とかはどうなってるんですかねえとしか。 

 

 

 

【上越新幹線】燕三条駅ってどんな駅? まあ 

 

 

 

【驚愕】新幹線が停車する駅に行ってみたら、駅構内に市境界があった。その理由とは?(後編)/紛糾の新幹線駅誘致の跡が今も残る上越新幹線燕三条駅。 とちまる

 

 

駅名をめぐる争い【前編】「燕三条駅」の誕生物語 太郎の部屋

 

【これで良かったのか?】対立する両市のメンツを立てた燕三条駅【現在のまちづくりの阻害になっていないか?】鐵坊主

 

 

【激しいPR合戦】構内を市境がぶった切る新幹線駅がありました… 泊静蓮 交通 / Pakuseiren Traffic

 

 

 

 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (108)

 そーゆー目で見ると、浅井建爾氏の「日本全国因縁のライバル対決44」もかなりトンデモ本ではないかと。 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (109)

 嗚呼。。。 

 

 燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (22)

 浅井建爾氏は、「日本の駅名 おもしろ雑学」でも、ドイヒーな記事を書いている。

 同様な低レベルな記事なので、中身を紹介する手間ももったいない。

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (23)

 新潟郷土史研究会もドイヒーだ。

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (24)

 鉄道ライターとか鉄道考察youtuberとかなら、仕方ないが、高校の歴史の先生や新潟県史編纂室の方がこれでは如何なものか?

 せめてご存命中の駅とICの開通の順番くらいは。。。

 これでは『新潟「地理・地名・地図」の謎』の謎を解くはめになってしまう。

 伊藤善充先生、菅瀬亮司先生、高橋邦比古先生、山上卓夫先生、伊藤雅一先生、宜しくお願いしますよ。。。

 

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燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (25)

 ところで、鉄道オタク諸氏は、すぐ「駅の登記ガー」って言うけどさー

 実際に、燕三条駅の登記簿見たことある?

 法人の「支店」といった位置づけで、「駅」とその「住所」が法人登記されるのではなくて、不動産登記の一環として、建物が登記されるだけなんだけど。

燕三条駅登記

 

 構造が「鉄骨・鉄筋コンクリート造コンクリート板葺3階建」で、種類が「駅舎・乗降場・事務所」の建物が登記されるという仕組みなんである。

 「所在」も三条市と燕市の多くの筆のうえに駅舎が建っていることを示している。

 なお、上記のなかで、「所在」は御覧のとおり、三条市と燕市の多くの筆に跨っていることを示しているが、不動産登記上、何市の何町字何にあることになっているかは、分かるようになっているので、よく見てみてくださいね。

 

ところで、工事実施計画上の駅の位置(自治体)と駅長室の位置(自治体)が、仮に違う自治体となった場合はどちらの自治体が「所在地」になるんですかね?

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上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (110)

 竹内正浩氏の「妙な線路大研究 東北・北海道・上越・北陸新幹線編」における燕三条駅に係る記述を検証してみると、このとおりで。 

 

燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (26)

 なお、私がこのブログを書いた2023年5月からわずか3個月あまり後に、竹内正浩氏が、新著「新幹線全史 「政治」と「地形」で解き明かす」を発刊されたのだが、参考文献に私のこのブログが紹介されている。

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (111)

 竹内正浩氏から、ソースにしたのは、JR東日本元会長の山之内秀一郎氏の著書であることをご教示いただいた。 

 なるほど「上越新幹線の「燕三条」駅は燕と三条をどちらの名前を先に入れるかの論争となり、高速道路のインターチェンジを「三条燕」とすることで落ち着いたという」とある。 

 会長御自ら自社商品のデマを撒いてまわるのがJR東日本と。。。 

 本に書くのなら、高速道路と新幹線がどちらが先に開通したかくらいは調べてほしいものである。 

 鉄道オタクも「調べればわかるだろ」とTBSを叩くなら、山之内氏にも同様にどうぞ。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(112)

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(余談)デマじゃないけど、燕三条駅とは関係ないのだが、本書の山之内氏の記述で気になる点がある。 

 それは、上野東京ライン(東北縦貫線)に係る地元千代田区との関係についてである。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (113)

 山之内氏が、自慢げに「東北新幹線工事の際に、将来上野東京ライン(東北縦貫線)を建設できるように基礎を強くしていた」旨書いている当時は、地元千代田区民とJR東日本は、上野東京ライン建設を巡って激しく係争中であった。

 その争点の一つが新幹線建設時に地元と国鉄が締結した「確認書」である。そこには「縦貫線については、廃止することが提示され、(略)これを前提として今後新幹線工事推進に伴う諸問題については、前向きに合意するよう相互に協力する」との記載がある。
 

 そんな紛争の最中に「確認書なんか知らんぜ」とばかり著書で自慢しちゃうのが山之内氏なんである。
 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (114)

 東大卒の国鉄学士様でいらっしゃる山之内氏にとっては、東京都民との「確認書」や東北縦貫線建設のトラブルなんか、自著の自慢ネタを増やすことの重要性に比べれば屁でもないのかもしれないが、「なんだかなー」
 

 東大卒の国鉄学士様でいらっしゃる山之内氏にとっては、高速道路の後に新幹線が決まることなんかとうてい許せないのかなあ? 

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上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (115)

 そんな上越新幹線も、「新幹線レジェンド」からは辛口評価を受けている。 

 島秀雄氏は、太閤さんの「聚楽第」と 

 もちろん「太閤さん」とは「今太閤」とも呼ばれた田中角栄のことを指す。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (116)

 兼松学氏は、東海道新幹線の世銀借款をまとめあげた立役者だ。 

 

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上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (117)

 閑話休題。まとめに入ろう。 

☆高速道路「三条燕IC」命名経緯まとめ 

◆高速道路の方が新幹線より先に計画が立てられた。

◆法律上のICの位置は「三条市」。 

◆法律上「三条市にある三条燕IC」であって、「燕市にある三条燕IC」ではない。 

◆上越新幹線の計画が発表される前から、仮称「三条燕IC」。 

◆燕市史「IC名は、すんなり決まった」 

◆高速道路の方が新幹線より先に開通したので、「新幹線を燕三条にした代わりに高速道路を三条燕にしてバランスをとった」は、時系列的に嘘。 

◆田中角栄の「燕三条駅裁定」よりも先に開通しているので「田中角栄が裁定して新幹線と高速道路でバランスをとった」は、疑問的。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(118)

☆新幹線「燕三条駅」命名経緯まとめ 

◆燕市史や当時の報道では「燕市と三条市が駅設置を争った」という趣旨の記載はない。 

◆日本鉄道建設公団の篠原総裁は「高速道路のランプ近くに駅を設置して自動車の乗り入れを便利にした」旨記している。

◆高速道路の「三条燕IC」が開通した後もまだ新幹線の駅名は揉めていた。(両社のバランスをとって「裁定」したのなら、高速道路開通後に駅名が揉めることはないのではないか) 

◆燕市と三条市の他に弥彦町が「越後一の宮駅」を主張。しかし「新燕駅」案を扱った当時の報道は見当たらず。 

◆朝日新聞記者によると、田中角栄の「裁定」は、当初「三条燕駅」だったが、後で「燕三条駅」にひっくり返した。これは燕市を地盤とする田中派の大物議員に配慮したのではないかと考察。 

◆駅名決定時には「高速道路が三条燕なので駅名を逆にしてバランスをとった」との報道。(現在の「有名な説」とは逆) 

 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する (119)

☆「燕三条駅」駅長室移転経緯まとめ 

◆1971年の新幹線工事実施計画認可の段階で燕三条駅は三条市に位置するものとされていた。 

◆ 鉄建公団の工事誌等に現在の駅長室位置以前に2箇所の案が掲載されているが、いずれも三条市域内で、燕市域の駅長室案はない。

◆田中角栄の「燕三条駅名裁定」の前後でも三条市域内に駅長室があることは変わらない。 

◆鉄建公団の工事誌では、駅長室が移転(ただし三条市域から三条市域への移動)したのは国鉄から公団への要請によるもの。 

◆駅長室を燕市域から三条市域に移転させたことは、当時国鉄燕三条駅長が否定。 

 

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燕三条駅名と三条燕インターチェンジ名争いの追記 (27)

 地元のFM放送局である燕三条エフエム放送「ラヂオは~と」は、どういう経緯なんだろうと思って同社のウェブサイトを見たら、燕三条駅の1階が出発地とのことで、「燕三条エフエム」と名乗るのもなんとなく納得感はありますな。 

 それでも放送区域は「三条市・燕市・弥彦村のほぼ全域、加茂市・新潟市の一部」と三条が先に来ているあたり、バランスを取っておられる様子です。 

上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する  

 

 ケンオー・ドットコムさんの記事は参考になりました。 

 

 

 まあ、こういうことでいいんじゃないかな 

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<燕三条駅/三条燕駅 関連年表> 

1964(S39)年5月  国土開発縦貫自動車道建設法に北陸道(新潟~大津)追加 

  

1967(S42)年11月22日 北陸道(新潟~長岡)基本計画決定 

 (「燕市付近」へIC設置) 

  

1969(S44)年1月20日  北陸道(黒埼~長岡)整備計画決定 

(三条市へIC設置が決定) 

1969(S44)年4月1日  北陸道(黒埼~長岡)建設大臣から施行命令 

  

1970(S45)年5月  全国新幹線鉄道整備法公布 

1970(S45)年11月11日 北陸道(新潟~長岡)路線発表 

(具体の路線やIC位置等が決定) 

  

1971(S46)年1月  上越新幹線基本計画決定 

1971(S46)年4月  上越新幹線整備計画決定

「レジャー産業・資料」1971年8月号「北陸自動車道工事中間報告」に、「三条・燕IC」が出てくる。 

1971(昭和46)年秋の段階では中之口村に出来るはずだった新幹線駅を、三条市長(当時市議)が、目白詣でをして、三条市内にもってきた旨1982(S57)年10月25日付毎日新聞が報道。

1971(昭和46)年9月26日付読売新聞は、「三条付近(東三条と燕の中間)」と報道。

1971(昭和46)年9月30日付朝日新聞は、「仮称「新三条」駅」「幹線道路とのつながりをどうするかの課題がからみ最終的な位置決定は数日中に行う」と報道。

1971(S46)年10月12日 上越新幹線工事実施計画認可申請

1971(S46)年10月14日 上越新幹線工事実施計画認可

(燕三条駅(仮称)を三条市大字下須頃に設置することが決定。この段階では、新幹線単独駅で弥彦線には接続しない計画。)

1971(S46)年10月20日付新潟日報は、「県央広域市町村圏内に停車すれば文句はない」、燕市が「燕という文字がはいっていればよい」と報道。

 

 

「道路」1973(S48)年11月号に、篠原武司日本鉄道建設公団総裁が、燕三条駅について「高速道路のランプ近くで自動車の乗り入れを便利にし,なるべく広大な駅前広場をつくって,バスや自家用車の乗り付けを便利にした。」と寄稿。

 

1976(S51)年10月 鉄道建設公団「第12回技術研究会」にて「上越新幹線燕三条(仮称)駅の計画について」が報告される。

(当時から駅長室は三条市側。現在の燕三条Wingを駅長室等とする当時の計画図面が報告されている。)

 

1978(S53)年4月15日付新潟日報が、地元が燕三条駅への弥彦線乗り継ぎ駅の設置を要望している旨報道。

1978(S53)年6月23日付新潟日報が、新幹線と弥彦線連絡駅が設置されるようになった旨報道。

1978(S53)年9月21日 北陸道長岡~新潟黒埼開通

(燕市史「IC名はすんなり決まった」)

 

1980(S60)年5月10日付新潟日報は、「“駅名結着”へ熱い切符争い 「弥彦参戦」負けじの両市」と報道。

(弥彦村は、三条、燕どちらが先になってもしこりが残るだろうとの配慮もあって「越後一の宮駅」を提案。)

(燕市は、北陸道が三条燕ICと決まったため、「駅名だけは譲れない」。)

(三条市は、「すぐ隣のインターと別な呼び方じゃ利用者が混乱する」と三条燕駅を主張。)

1980(S60)年9月に、三条市の田中角栄支持団体会長である加藤重利氏が、角栄に裁定を求める。角栄は「燕三条」で加藤氏をなだめようとするが、譲らない。角栄は「それほどいうなら」と「三条燕」を引き受ける。二日後に、田中事務所から加藤氏に「駅名は燕三条で決めた」と電話があった。(早野透・著「田中角栄と「戦後」の精神」)

1980(S60)年10月17日付新潟日報は、「仮称通り「燕・三条駅」に」と報道。

「週刊読売」1980(S60)年11月23日号は、10月20日に国鉄新潟管理局が「燕三条駅」を提示した。三条側の業界は「市名が下になるのはイメージダウンだ。駅を誘致したのは我々なのに」と怒り心頭と報道。

 

 

1982(S57)年2月3日  東北新幹線・上越新幹線駅名正式決定

1982(S57)年2月4日付新潟日報は、「燕三条駅大岡裁き」、三条市長が「後にくる名が“本名”ということなので、こちらもそう理解している」と報道。

1982(S57)年2月4日付読売新聞は、「北陸道のICが「三条燕」になったことから、新幹線については「燕」上位で合意」と報道。

「電気車の科学」1982(S57)年3月号は、「北陸道のICが“三条燕”なので駅名の方は逆にバランスをとったかたち.国鉄さんの生活の知恵をしぼった決定ぶり」と報道。

 

1982(S57)年11月15日 上越新幹線大宮~新潟開通

 

「週刊ポスト」1982(S57)年11月26日号は、「三条市は田中角栄、燕市は角栄直系・小沢辰男の選挙区だ。そこで角栄は自分の利権を確保すると同時に、小沢にもそれを分け与えるために、真ん中に駅をつくった」と報道。

 

1982(S57)年10月25日付毎日新聞は、駅長室が燕市側から三条市側に移し替えられたのではないかと燕三条駅長に質問するが、駅長は「そんなこと聞いていません」と回答。

 

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コメント

鉄オタらしい柔軟な発想と調査力に感服!

投稿: | 2023年8月11日 (金) 20時15分

それと、週刊文春1971年11月8日号に本ページの説を一部覆す新燕駅案について掲載されています。
駅名決定にはやはり田中の影があった。

投稿: | 2023年8月11日 (金) 20時21分

>鉄オタらしい柔軟な発想と調査力に感服!
感服いただき恐縮です。私は、大洋ホエールズオタと道路オタで、鉄道は、まあ合間をぬった暇つぶしですw

>週刊文春1971年11月8日号に本ページの説を一部覆す新燕駅案について掲載されています。

情報ありがとうございます。今度国会図書館に行ったときに確認してみます。
「ない」のを証明するのは難しいですね。。。

投稿: 革洋同 | 2023年8月17日 (木) 21時32分

革洋同さん、こんにちは。Xやブログの方をちょくちょく覗いている者です。
何か年末は、おかしな連中に粘着されていたようで災難でしたね。
電車界隈は沸点が異常に低い集団のようですから炎上してるのをたまにトレンドで見かけます。
気にしちゃだめですよ(笑) 数で押し寄せて意見を変えさせる集団とかとんでもないですから^^
また、今年も一年よろしくお願いいたします。

投稿: Xのアカウントがない人 | 2024年1月 4日 (木) 13時37分

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