カテゴリー「道路」の264件の記事

2020年2月18日 (火)

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか

 先週の日曜日は雨が降っていて外出する気にならなかったので、ちょいと前回の東京オリンピックとドボクのネタをまとめてみた。

 また、前々回の記事の際にTwitterでアンケートをとったところ、「レイアウトを工夫しない読みづらい」との声を結構いただいた。

 

 なので、今回はパワポ型式で作ってみたのでどうぞ。

 実際にこれでどこかプレゼンするという予定は一切ない。

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (1)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (2)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (3)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (4)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (5)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (6)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (7)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (8)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (9)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (10)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (11)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (12)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (13)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (14)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (15)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (16)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (17)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (18)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (19)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (20)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (21)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (22)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (23)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (24)

 

 東京都庁議の詳細はこちら→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/31228-d1e1.html

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (25)

  ここは読みづらいので、テキストを抜き出しておこう


 

首都整備局長(山田正男君) 

 

(略)

 最後に、三原橋─日比谷間の地下の自動車道路計画の問題について、経緯のご質問があったわけでございます。実はこの問題につきましては、都心部の道路交通を解決いたしますために、地下鉄の二号線を建設いたします際に同時に地下の一階に自動車道路を作る必要がある、こういう立案をいたしまして、数年来営団当局と協議を進めて参ったわけでございますが、営団当局がどうしても同意をいたしませんために、この計画については、建設・運輸両省並びに首都圏整備委員会が問題を取り上げまして、この三者の間で都の案について検討が行なわれたのでございます。そうしてその三者の間で技術委員会を作っていろいろ検討いたしたわけでございますが、東京都の主張にもかかわりませず地下の一階に道路を作ることを否定いたしまして、地下鉄のレベルと同じ地下の三階に自動車専用道路全作ることが適当であろう、こういう決定がされたわけでございます。その決定の理由は、地下の一階に道路を作る費用と地下の三階に作る費用とは、それほど費用の差がないということが主たる理由のようであったわけでございます。そこで、この決定を受けまして、都といたしましては、はたしてその決定の通りであろうかどうか、費用がその程度でできるかどうかということを検討して参ったのであります。特に地下鉄二号線の建設を急ぎますので、営団当局と鋭意協議を進めて参ったのでございます。当初十八億余で地下の三階に自動車道路ができるということであったのでございますが、いよいよ実際に協議してみますと、あるときは二十五億円といい、あるときは三十六億円といい、最近に至っては五十億円もかかるというような申し出があったわけであります。これでは都といたしましては自動車道路を作る投資効率、投資に対する効果が少ない、こういうことで建設省当局に、一応そういう決定がされたけれども投資効率が少ないんだ、さてどうするか、こういう協議をいたしておる際に、たまたま河野建設大臣からのご注意がありました。そういう決定がかって行なわれたけれども、実際にそういう投資効率が低いならば、最初想定されたよりも工事費が非常に高いならば、もっと再検討するべきである、こういうご発言かあった次第であります。現在建設運輸両省及び首都圏整備委員会と東京都の間で検討いたしておる途中でございますが、おそらく三階に地下自動車道路を作ることは、投資効率の点からいって必ずしも採用すべき性質のものでないと考えております。しかし、この都心部の道路交通能力をこのままで放置しておくことは適当でないのでございまして、これにかわる対策を目下関係者間で協議中でございます。いずれ遠からず決定を見るものと存ずるのでございます。

 

1962.09.29 : 昭和37年第3回定例会(第14号) 

 

 

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (26)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (27)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (28)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (29)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (30)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (31)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (32)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (33)

 

 

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (34)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (35)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (36)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (37)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (38)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で(39)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (40)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (41)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (42)  

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (43)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (44)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (45)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (46)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (47)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (48)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (49)

  パワポで作ったからといって、どこかで講演するつもりもないのだが、まあお試しということで。

 HTMLをいじるよりも、ベタベタパワポで切り貼りしちゃった方が楽ちんなのだが、SEOとしては弱いやね。 

  

 ---関係ブログ---

 アド街・日比谷特集記念/日比谷地下道はなぜ一方通行なのか?

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-f494.html

三原橋地下街に係る疑獄について(その1)

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat23477491/index.html

 三原橋地下街に係る疑獄について(その2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-554e.html 

三原橋地下街と銀座シネパトス さようなら 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-60c3.html 

三原橋地下街 銀座シネパトス最終日 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-f962.html 

日経新聞 「東京ふしぎ探検隊」河尻定氏記事「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ」に係る疑義 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-0de1.html 

 三原橋地下街や観光センターの経営者の新東京観光株式会社についてのメモ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-8445.html

三原橋地下街や橋上のビルに係る経緯の公式見解(都議会議事録)にたどり着いた 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-4930.html 

三原橋地下街等をめぐる経緯を年表にしてみた 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-2781.html 

三原橋地下街の当初占用許可に係る東京都庁議公文書 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-3f36.html 

昭和31年2月28日東京都庁議「三原橋」問題の処理について→関係局間においてなお検討すること 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/31228-d1e1.html 

 三原橋(6月15日時点)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/615-23dc.html 

三原橋の建物は、地元から撤去せよとの訴訟を起こされていたというお話 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-81bb.html 

東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html 

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その1) 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-7702.html 

 三原橋地下街 カレーコーナー三原最終営業日

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-8f73.html 

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その2) 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-30b7.html 

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その3) 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-7114.html 

 「安井都政の七不思議」と山田正男と三原橋地下街

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-740c.html

斉藤 理 山口県立大学准教授の「川がない橋が秘めた東京の履歴」を読んで 

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-924f.html

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2020年2月 9日 (日)

首都高横浜環状北西線開通記念「昭和45年横浜市高速道路計画案」~当時は横浜環状線ではなく第二外郭環状道路だった~

 間もなく首都高速道路横浜環状北西線が開通する。

 https://www.shutoko.jp/ss/hokusei-sen/about/gaiyo.html

 ということで、手持の横浜環状線ネタをご披露。

 

1970年の横浜周辺高速道路地図 (2)

 横浜市が昭和45(1970)年3月に作成した「横浜市高速道路計画網図」だ。

 この段階では、現在、首都高速道路、東日本高速道路及び国土交通省が分担して施工している横浜環状線は存在しない。

 横浜環状北線、北西線は、「第二外郭環状道路(第二外環)」となっている。

1970年の横浜周辺高速道路地図 (1)

 

1970年の横浜周辺高速道路地図 (3)

 国道246号の自動車専用道路のような「東京厚木道路」という計画線も見える。

1970年の横浜周辺高速道路地図 (4)

 一方、圏央道の一部をも構成する横浜環状南線と横浜横須賀道路金沢支線は「横浜小田原道路」と名乗っている。

 「横浜県央道路」は、現在の武相幹線か。

 「第二横浜新道」は、以前ブログで取り上げた日本道路公団の未成有料道路だ。

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-efa9.html

  「南横浜バイパス」は、現在横浜横須賀道路という名称だ。

 1970年の横浜周辺高速道路地図 (5)

 

  東京湾環状道路の高速部分は八景島を越えて横浜横須賀道路に接続する構想となっている。

  首都高神奈川3号線(磯子線)も健在だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020年2月 7日 (金)

福川裕一千葉大名誉教授監修の「ニッポンのまちのしくみ」が酷い

福川裕一監修「ニッポンのまちのしくみ」が酷い (6)

 こんな本をみかけた。

 お子様向けにまちづくりの仕組みを解説する本のようで、千葉大学工学部名誉教授の福川裕一氏が監修しているという。

 

 ただ、その中身がヒドイのだ。

 

 

 まずは、首都高。

福川裕一監修「ニッポンのまちのしくみ」が酷い (3)

福川裕一監修「ニッポンのまちのしくみ」が酷い (4)

 ここでも「オリンピックに合わせて急いで高速道路を通す必要があったから空いていたお濠の上を通した」「渋滞だらけの町を世界に見せるわけにはいかなかった」と書いている。

 へー、千葉大学工学部名誉教授様は流石言うことが違う。事実と。

 

 首都高を河川や道路等の公有地の上に通す方針を決めたのは、1957(昭和32)年7月。

 現在の河川の上を走るルートは、1957(昭和32)年12月だ。

 

 ちなみに、東京オリンピック準備委員会・設立準備委員会及び第1回総会開催は、1958(昭和33)年1月である。

 オリンピックの招致活動を開始する前からルートは決まっていたのである。

首都高と東京オリンピック  

 上記は、東京都技監等を歴任した鈴木信太郎氏の「私の都市計画生活 -喜寿を迎えて-」山海堂刊36頁からの引用である。

 首都高については「たまたまオリンピックが決定したので、始めからオリンピックの為ということは絶対なかったといえる。」と明言している。

 首都高のルートとオリンピックの関係については、以前にもブログにまとめているので、詳細はそちらを参照していただけると幸甚である。

・「首都高をオリンピックに間に合わせるためには『空中作戦だ』」のアンビリバボーを検証してみる 

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-f51a.html

 ・古市憲寿氏「東京五輪“負の遺産” 首都高とモノレール 五輪に間に合わせた急ごしらえの代償」を検証する。

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-97a48d.html

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 また、東京の暗渠を説明しているところも怪しい。

福川裕一監修「ニッポンのまちのしくみ」が酷い (1)

福川裕一監修「ニッポンのまちのしくみ」が酷い (2)

 東京の暗渠は、オリンピックがきっかけで、観光客が集まる大イベントに変なものがあったら恥ずかしいだからだそうですよ。

 

 

 東京の河川の暗渠化は、1961(昭和36)年の「36答申」がきっかけである。


 1960年代に入ると、高度経済成長期に突入した東京では人口1000万人を突破、さらなる人口集中と都市化が進む。市街地がさらに拡大し、森林や田畑、未舗装地が減少していくことで、各地の湧水は涵養源を失って涸れていく。用水路も灌漑の使命を終えて送水が停止される。こうして河川の水源は枯渇していった。

 一方で、急増する生活排水に下水道整備が追いつかず、自然の水と入れ替わるように川に流入する家庭や工場の排水量が増えていく。その結果、川の「主水源」が下水であるといったような事態が発生する。また、土地の貯水機能が消失したことで、降雨時の急激な増水も多発するようになった。

 このような状況を背景に、昭和36年(1961)、東京都市計画地方審議会河川下水道調査特別部会より「東京都市計画河川下水道調査特別委員会 委員長報告」、通称「下水道36答申」がまとめられ、中小河川の暗渠化・下水道転用が打ち出されることなる。

 暗渠化の理由としては、①河川を下水に転用することでコストや時間、技術面でのメリットを享受できること(河川の水路と自然勾配の転用)、②別途下水道を整備した場合、川は「水源」を失うことになってさらに環境が悪化すること、③流域住民からの苦情や強い要請、といったことがあげられている。

 

 「東京暗渠学」 本田創・著、洋泉社・刊 107-108頁から引用

 

 ひょっとしたら、著者は分かり易くするためにオリンピックをダシにしたのかもしれないが、暗渠マニアの方の本の方がよっぽど36答申の時代背景とあわせてきちんと分かり易く書けている。 

 オリンピックが推進力になった部分があるだろうが、オリンピックのために恥ずかしいものを隠すために「臭いものにふたをした」というのは短絡的にもほどがあるのではないか?

  

 ちゃんとした?学会の論文を読みたい方はこちらなどもどうぞ。

 「36答申における都市河川廃止までの経緯とその思想」中村晋一郎・沖大幹・著 水工学論文集,第53巻,2009年2月

 http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00028/2009/53-0095.pdf

 興味深いのは、この論文では「オリンピック」という言葉が一言もでてこないのだ。なんでもかんでもオリンピックのせいにする福川裕一氏と専門家の論文は対照的である。

 

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 東京オリンピック時に東京都で局長として大活躍した山田正男氏は下記のように語っている。 

首都高速道路と東京オリンピックと空中作戦


対談「東京都における都市計画の夢と現実」 「時の流れ都市の流れ」403頁
 「オリンピックのために道路をつくるとかそんなことは夢にも考えておりません。」「この際年度を一年くりあげるということはあり得るけれども、それはオリンピックのためではなく、当然の事業であると考えてやっております。」と。

 

 発行元の「淡交社」は、茶道の本で有名だが、歴史を大事にしないと千利休が泣いているぞ。

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2020年1月25日 (土)

第三京浜が首都高に繋がっていないのは「懲罰」だったと東大工学部名誉教授が語っている

 第三京浜道路の起点、東京側は玉川インターチェンジで途切れていて、首都高速道路等には接続していない。


 1960(昭和35)年8月18日付読売新聞に第三京浜道路の着工を報じる記事が掲載されているが、そこには「公団としては、将来玉川野毛町から渋谷までも同様の自動車専用道路を作って結ぶ考え」とある。


第三京浜道路は玉川から渋谷まで延伸する計画があった


 また、「東京都道路整備10ケ年計画について」( 「時の流れ・都市の流れ」山田正男・著) 560頁には下記のような路線図も掲載され、首都高速3号線が東名ではなく、第三京浜に接続することとされている。


第三京浜と首都高速道路3号線が直結している路線図


 このあたりについては、過去にもブログで調査結果を整理してきた(末尾参照)。


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 ところで、鈴木信太郎氏の「私の都市計画生活」に興味深い話が書いてあった。


 著者は、1948(昭和23)年に東京都に入庁し、山田正男氏の部下時代も含め東京都の都市計画畑を歩み、首都高速道路の計画、建設等にも深く携わった方である。


 その中で、鈴木氏の講演の聴衆とのやりとりが残されている。


第三京浜道路が首都高速に直結しない理由 (1)


 「私の都市計画生活」鈴木信太郎・著、山海堂(2003年)68-69頁


 「第三京浜は道路局が勝手に作った」「都市局と相談がない」「道路局との戦争」といった剣呑な言葉が並んでいる。


 道路利用者にとってはどうでもいいことだが、旧建設省において、日本道路公団と本州四国連絡橋公団は道路局が監督し、首都高速道路公団と阪神高速道路公団は都市局が監督していた。


 第三京浜はそのシマを荒らしたということなのか?それともルート選定にあたって都市計画の手続きを怠った?ため、都市局から勝手にやれと突き放されてしまったのだろうか?


 鈴木氏のやり取りの中で、青線で囲った部分がある。井上孝氏は、建設省、首都高速道路公団、東京大学教授等、都市計画の実務、理論双方の現場を担当された方であり、経歴等にご関心のあるむきはこちらを参照されたい。→https://www.cpij.or.jp/com/50+100/his/inoue.pdf


 その井上氏がこう語っている。


第三京浜道路が首都高速に直結しない理由 (2)


 「都市計画を担う君たちへ 」 井上孝 [述]、井上研究会 編 計量計画研究所(2002年)刊 63-64頁


 曰く「都市局に相談なく第三京浜を作り出したから」「環八へくっつけて中へ入れない」「いわば一つの懲罰」ということである。


 一般のユーザーからすれば、役所の中の仁義なのか縄張り争いなのか分からないのだが、ともかく、東大の名誉教授としても東京都の技監としても語り残さなければならない重大事だったようである。


 


 ところで、井上氏の文中、「外かく環状線で受ける」というのは、上記の山田正男氏の「道路構想図」にもあるように、東名と首都高が直結せず、一旦外環道を経由してから連絡するということである。


 高速自動車国道が時速100キロで郊外から走ってきて、時速60キロの首都高速道路に直結することの是非等が背景にあったようである。実際には井上氏が語るように、「直結させる派」が勝ってしまったようだが。


 第三京浜道路も、直接都心には入れなくても、外環経由で都心に入っていけばよいという発想があったのかもしれない。しかし現在も第三京浜と外環道は接続していないのだが。


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 その他、第三京浜道路と首都高速道路2号線の関係等は下記のような記事を書いているのであわせてお目通しいただければ幸いである。


第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~


http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html


清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(1)


http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-067b.html


 清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(2)


 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4c24.html


 清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(3)


 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4f1f.html


 清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(4)


http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4f1f-1.html 


 清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(5)


 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-e59d.html


 清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(6)


 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-fb53.html


 清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(7)


 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-dc79.html


 

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2020年1月18日 (土)

鈴木ケンイチ氏「首都高速道路や阪神高速道路が、高速道路ではないってどういうこと?」を検証してみた

Webモーターマガジンに、鈴木ケンイチ氏が「【クルマ豆知識】首都高速道路や阪神高速道路が、高速道路ではないってどういうこと?https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17268551という記事を書いていたので、ファクトチェックしてみた。

 


そもそも東京の首都高速道路と、東名高速道路をはじめとした都市と都市を結ぶ全国ネットワークの高速道路では、目的が異なっていた。

名称こそどちらも同じ1950年代に計画されたが、首都高速道路の建設はあくまでも都心部の渋滞緩和のためだった。直面する東京都心部の渋滞を緩和するために、なるべく早く作らなければならなかったのだが、終戦から10年の歳月で都心部はびっしりと建造物が立ち並んでいた。

建設用地を買収しようとすれば、時間も費用も莫大なものになる。そこで河川の上を走らせるアイデアが採用された。クネクネと曲がる河川の上を走るため、高い速度域での走行は無理ということで、最高速は60km/hに設定されたのだ。ちなみに計画は、戦前となる1930年代に発表された論文が土台となっていた。

 

【クルマ豆知識】首都高速道路や阪神高速道路が、高速道路ではないってどういうこと?(文:鈴木ケンイチ)

 

 「首都高の制限速度が60キロの区間が多いのは、河川の上を走るから」という俗説は、割と信じられているのだが、ダウトだ。

 鈴木ケンイチ氏が「1950年代に計画された」「ちなみに計画は、戦前となる1930年代に発表された論文が土台となっていた。」「首都高速道路の計画が決まったのは1959年のこと。」としているあたりを時系列でざくっと整理してみると下記のとおりである。

首都高速道路の速度が60キロの経緯 (2)

「都市計画を担う君たちへ 」井上孝 [述],井上研究会 編 86-87頁から引用

 鈴木ケンイチ氏が言うように「クネクネと曲がる河川の上を走るため、高い速度域での走行は無理ということで、最高速は60km/hに設定されたのだ。」となるのか、それぞれ当てはめてみたい。

 結果はこうだ。

首都高速道路の速度が60キロの経緯 (3)

 河川の上を走る今のルートが決まったのは1957(昭和32)年だが、時速60キロと決めたのは、1953(昭和28)年であり、その際のルートは河川の上を走るものではなかった。

 実際に資料を見てみよう。

首都高速道路の速度が60キロの経緯 (1)

「首都高速道路公団参考資料 」11頁から引用

 1953(昭和28)年の段階で、「最高60粁/時、最低60粁/時を標準とする速度を保持し得るよう設計すること」とあるのが分かるだろう。

 そして「尚首都高速道路は五本の路線よりなり総延長49粁である」とある。鈴木ケンイチ氏の言が正しいのなら、ここの段階で河川の上を走っていなければならない。

初期の首都高計画路線図

 現実は、残念でしたと申し上げるしかないのである。この段階ではまだ河川の上ではなく、市街地をまっすぐ走る構想であった。にもかかわらず「最高60粁/時」なのである。

 現在の河川の上を走る構想は、1957(昭和32)年の「東京都市計画高速道路調査特別委員会」だが、その際に示されたのが下記の図面である。

首都高と河川・運河の関係

 ちなみに、河川の上を走る割合は約41%とのことである。「首都高が遅いのは河川の上を走るせい」にされがちだが、実際は約6割は地上を走っている。

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 ということで、鈴木ケンイチ氏の記事がダウトということは皆様お分かりになったと思うが、では何故首都高速道路等の都市高速道路の最高時速は60km/hとされている区間が多いのだろうか?(実際には湾岸線等は80km/hだったりもするのだが)

 これについては、以前私は「東京新聞福岡範行記者「首都高は『高速』にあらず?→『自動車専用道路』です」を検証する。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-f8a8.htmlで整理しているので再掲してみよう。

 

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二 東京都市高速道路の性格

 此の高速道路は主として東京都内の外周部一帯から発生して、都心部に流入する膨大な都市内交通量に短時間で、円滑に処理するために、一般の街路とは分離して設けられる平面交叉のない自動車専用の高速道路である。簡単に申せば、都市内交通のための高速道路であり、能率的な都市内の平面交差点のない立体道路である。それ故高速道路網の組み方も主要な放射幹線を各方面(八方向)に配置してあるのである。東京の高速道路も各都市間を連絡する、遠距離道路との連絡も一応考えてはいるが、あくまでもそれが主目的ではないのである。したがって諸外国において既に数多く建設されている所謂高速道路とは大分趣を異にしておるのである。

三 東京都市計画都市高速道路網計画

 東京の全般的交通処理方策にもとづき、この都市高速道路は環状六号線以内の平面の幹線道路の交通能力を補うのが目的であって、高速度そのものが直接の目的ではない。いわば交差点のない道路をつくろうということである。したがって、設計速度は60粁/時度とした。

 

東京の都市高速道路の其後」 新都市1959年1月号 岩出進(東京都建設局都市計画部技術課計画第二主査・当時)

※旧漢字は引用者が修正した。

 


 都市高速道路という高速道路は、 これは名神高速道路とか東名高速道路とかいう高速道路とは違うのであります。 スピードをあげるための高速道路ではないのであります。先ほども申し上げましたように、平面の道路だけでは処理できないから、土地を空間的に使う,立体的に使うわけです。そのための道路です。また平面の道路は交通能率が非常に悪い。悪いのは交差点があるからだ。そこで交差点を立体化しよう。ところが都市内の交差点は連続しておりますから、一連の連続している交差点を立体化してみたところが、 これは高架の道路になった。あるいは掘割式の道路になったというのが都市高速道路であります。そこで私どもはこんな道路にスピードを期待する必要がないわけでございます。時間的スピードはもちろん期待はしておりますが、物理的な速度は期待する必要がない。そこで設計速度平均 60 km とこういうことにいたしておりますが、もう一つこの都市高速道路の特長となることは、これは長距離の高速道路と違いますから、長距離を短時間で結ぶのではなくて、その道路の流域から最能率的に交通をそこに吸収することが使命でございます。道路を作りましても、使わない道路を作っても能はないわけでございます。なるべく使い易くしてやる必要がある。首都高速道路の計画をごらんになりますと、曲りくねっている。これはまあ、まっすぐに作りにくい市街地がすでにできておることもございますが、曲った方がそれだけ流域面積がふえるわけでございます。道路の流域面積がふえるということは道路利用価値が上がるということです。そういう意味で もっとも曲がっていることをはずかしいとは思っていないわけでございます。曲がった方がいい場合が多々あるわけです。

 

「東京都の都市計画について」昭和38年トヨペットマネジメントスクールにおける講演要旨 「時の流れ・都市の流れ」 山田正男(東京都整備局長・当時)

 

 


 市街地に於いては主要な交叉点を立体化しようとすれば、結局高架の道路となる。従ってこの都市高速道路は、名古屋-神戸間の高速自動車国道のような長距離的な道路とは根本的に違う。これは平面街路の交通能力の不足を補うものである。従ってスピードも100キロ、120キロを要求する必要はなく、60キロで結構だと思う。

 「都市高速道路を中心とした東京都の道路政策」昭和33年 「時の流れ・都市の流れ」 山田正男(東京都整備局長・当時)

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 如何だろうか?

 鈴木ケンイチ氏は「そもそも東京の首都高速道路と、東名高速道路をはじめとした都市と都市を結ぶ全国ネットワークの高速道路では、目的が異なっていた。」と書いている。

 惜しい!そこをもう一歩踏み込めば鈴木ケンイチ氏もライターとして成長できたはずだ。

 目的が違うから最高速度も違うのであった。

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 ところで、このwebモーターマガジンの記事では、このようにも語っている。

 曰く「東京を中心とした「首都高速道路」や近畿地方の「阪神高速道路」、愛知県の「名古屋高速道路」など、名称に“高速道路”とついた有料道路は数多い。しかし、ここで挙げた3つを含む都市高速道路を正確に言うと“高速道路ではない”という。」

 

 ここで、法律を見てみよう。


高速道路株式会社法

 
(定義)

第二条 この法律において「道路」とは、道路法(昭和二十七年法律第百八十号)第二条第一項に規定する道路をいう。

2 この法律において「高速道路」とは、次に掲げる道路をいう。

一 高速自動車国道法(昭和三十二年法律第七十九号)第四条第一項に規定する高速自動車国道

二 道路法第四十八条の四に規定する自動車専用道路(同法第四十八条の二第二項の規定により道路の部分に指定を受けたものにあっては、当該指定を受けた道路の部分以外の道路の部分のうち国土交通省令で定めるものを含む。)並びにこれと同等の規格及び機能を有する道路(一般国道、都道府県道又は同法第七条第三項に規定する指定市の市道であるものに限る。以下「自動車専用道路等」と総称する。)

 

 高速道路株式会社法第2条第2項第2号の「自動車専用道路等」に、首都高速道路は該当する。

 そして、それは「高速道路」と定義されているのである。

 

 何をもって「正確に言うと」とするかは、いろいろ基準があると思うのだが、少なくとも現在の日本の法律では、首都高速道路は「高速道路」である。

 よっぽど調べてガチガチに定義付けするのならともかく、迂闊に「実は首都高速道路は高速道路じゃないんだよ」等と言うと恥をかきかねないのでご注意を。

 ※「首都高速道路は高速自動車国道じゃないんだよ」と言うのは正しい。

 ※高速自動車国道でも、中央道の高井戸~三鷹料金所間のように最高時速60km/hの区間もあるので、速度だけで定義するのはあまり簡単ではない。

 

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(参考記事)

「高速道路」と「自動車道」の違いについて(その1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-ffea.html

 

佐々木俊尚氏の「高速道路は基本100kmh制限です」ツイートを整理してみる

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/100kmh-4ecd.html

 

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2020年1月 9日 (木)

「有料道路踏切」と「有料道路前踏切」に行ってきた

 「有料道路踏切」と「有料道路前踏切」があると聞いて、道路マニアらしく現地を訪れてみた。

越路橋「有料道路踏切」  (1)

 JR東日本上越線「有料道路踏切」

真鶴道路「有料道路前踏切」 (3)

 JR東日本東海道本線「有料道路前踏切」

 

 「有料道路踏切」はここ

越路橋「有料道路踏切」  (2)

 

 「有料道路前踏切」はここだ。

真鶴道路「有料道路前踏切」 (4)

 

 どちらも、インターチェンジとかジャンクションとかがあるような雰囲気はない。

 実は、「有料道路踏切」は「越路橋」、「有料道路前踏切」は「真鶴道路(旧道)」といった既に無料開放された旧日本道路公団の有料道路だったところにあるのだ。

 

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「越路橋(こしじはし)」

越路橋「有料道路踏切」 (5)

 現在、有料道路だった越路橋は、架け替えられており、信越本線来迎寺駅付近の河川敷公園に一部分が保存されている。

越路橋「有料道路踏切」 (7)

越路橋「有料道路踏切」 (6)

 そして、ここには1897年イギリス「ハンディサイド社」の銘版も残されている。え、日本道路公団が1897年にイギリスからトラス橋を輸入して架橋していたのかって?

 実は、越路橋は、日本鉄道が架けた信越本線の橋を、戦後国鉄が複線化する際に不要となったトラスを再利用して日本道路公団が有料道路橋にしたものなのである。

越路橋「有料道路踏切」 (1)

 建設途中の写真(建設中は「十日町来迎寺道路」という仮称であった。)が残されている。

 橋がここにあるのなら有料道路踏切までは、随分遠いではないか?とお思いかもしれない。

越路橋「有料道路踏切」 (11)

 実は、「有料道路踏切」があった片田から来迎寺駅前までの全体が有料道路扱いだったのである。

越路橋「有料道路踏切」 (2)

 今はバイパスができて殆ど車の行き来がないが、この真っすぐの道が新潟県最初の有料道路越路橋であり、矢印板の前方が料金所があったと思われる箇所である。ここをずーっとまっすぐ東にいったところに「有料道路踏切」がある。

越路橋「有料道路踏切」 (3)

越路橋「有料道路踏切」 (4)

 信濃川の河川敷には「田中角栄先生のおかげで越路橋は早期に無料開放されました。ありがとう(意訳)」との石碑が立っている。そうここは新潟なのである。

越路橋「有料道路踏切」 (8)

 来迎寺側から信濃川方面を見てみる。この道の行き止まりのところにトラス橋が架かっていたのだ。

越路橋「有料道路踏切」 (10)

 開通当初の写真がこれ。

 ところで道路右側のガードレールは今も昔も変わらないように思える。

越路橋「有料道路踏切」 (9)

 この独特の形状のガードレール支柱は建設当時(昭和30年代前半)の物がそのまま残っているのではないだろうか?京大袖ビーム同好会あたりに解明してもらいたいものだ。

  

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 「真鶴道路(旧道)」

真鶴道路「有料道路前踏切」 (1)  

 真鶴道路の概要はこんなところ。その後「新道」が開通し、日本道路公団の民営化を経て、現在は神奈川県道路公社が「新道」のみを有料道路として管理しており、「旧道」は無料開放されている。 

 真鶴道路「有料道路前踏切」 (2)

 この道路が「有料道路」であったものであり、現在もキロポストは「日本道路公団の有料道路だったのだなあ」と思わせる緑の文字である。 

真鶴道路「有料道路前踏切」 (8)  

  左が東海道線で、右が真鶴道路(旧道)である。

真鶴道路「有料道路前踏切」 (7)  

 写真左側のガードレールに「3.7」kmの表示がついているのがお分かりだろうか? 

真鶴道路「有料道路前踏切」 (6)  

  「有料道路」跡地(手前)と「有料道路前踏切」

  

 真鶴道路「有料道路前踏切」 (5)

  ところで、「有料道路前踏切」の近くに「道路公団」と彫られた用地境界のコンクリート杭があった。

  下記は、数年前に無料開放された「八王子バイパス」の杭である。こちらには「日本道路公団」と彫ってある。

 八王子バイパス「日本道路公団」用地境界杭

 日本道路公団は1956(昭和31)年に設立されたのだが、その際には他には「道路公団」は存在しない。二番目に設立されたのは首都高速道路公団で、1959(昭和34)年である。 

  この杭は首都高設立前の「道路公団」といえば「日本道路公団」しかない頃に現地に設置された(若しくはその頃に作った杭の在庫)のであろう。

 ※有料道路の当時の写真、地図等は全て日本道路公団の出版物から引用。 

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2020年1月 2日 (木)

東京高速道路(KK線)が廃道になって、高架緑地になるとの報道を聞いて

 ブログの方の「骨まで大洋ファン」の最初の投稿が2010年なので、なんと10年経っちゃいましたよ。これも皆様のアクセスがモチベーションなので、感謝申し上げる次第です。

 

 ところで、新年早々こんな記事が。首都高の日本橋部分撤去・地下化にあわせてう回路をどうするのか注目されていた銀座附近につき、地下別線でう回路を新設するとともに、既存の東京高速道路株式会社線(KK線)は、高架公園にするというのである。

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 はあ、そうですか。ところで、あそこは道路にする目的で河川埋立の許可を取ったところのはずなんで、道路がなくなれば、コリドー街等の商店街はそのまま設置させてよいのだろうか??と疑問を抱いたので、改めてここの経緯等をおさらいしてみたい。

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(聞き手)あのKK線は、例の自動車運送法でしたか。

(山田)自動車運送法の自動車専用道路です。料金は無料という有料道路なんだな。

(聞き手)あれは石川栄耀氏が、いろいろと役割を果たされたんですか。

(山田)まあ、役所としてはそういうことになっているね。陰には秀島乾。あれが石川さんのところに入り浸っていたのだろう。東京都と東京高速道路株式会社との契約は全くいい加減だ。

 (中略) 

 

(聞き手)そもそも、あそこを埋め立てて、フードセンターにして、上を道路運送法でやろうと発想した本当の人は誰なんでしょうか・

(山田)発想したのは石川栄耀だ。秀島乾、塩沢弘もその一員だ。

 

「東京の都市計画に携わって-元東京都首都圏整備局長・山田正男氏に聞く-」70、71、73頁から

 で、その秀島乾によるスカイビル構想が残っている。

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (3)

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (1)

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (2)

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (4)

 日本橋の首都高が清々しく見えるほど、河川を埋めて街というか銀座・有楽町のど真ん中を分断しているんだけど、建築屋や都市計画屋は不思議とこれを批判しないんだよなー。

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 で、実際に事業を着手したのがこれ。

東京高速道路-07

東京高速道路-07-2

 樋口実は三菱地所、青木一男は戦前の大蔵官僚から大臣で公職追放(後に高速道路族の最有力者)、小林一三は阪急、藤山愛一郎もいれば、読売新聞社もいる。斯様に政財官マスコミの一大連合体がこの東京高速道路の母体だったのである。

東京高速道路-08

 当初目論見の図面がこれ。

東京高速道路-08-2

 外濠川は実は埋め立てずに、川を跨ぐ形で道路と建物を作るはずだった、とか、今のコリドー街のような店舗、飲食等ではなく高架下には車庫、倉庫を作るはずだったとか今とはいろいろ違うんすよ。

 

 そしてやっかいなのは、石川栄耀の立ち位置。

東京高速道路と石川栄耀 (2)

東京高速道路と石川栄耀 (1)

 上記で石川栄耀の後任の山田正男が、「発想したのは石川栄耀だ。」と述べているところ、実際には政財官コングロマリットにやらせておいて、自分が許可する立場に立っているのだ。裏を取れていない情報ではあるが、石川栄耀は東京都退職後にこの会社に天下ったという記述もある。

 そして更にややこしいのがこれ。

○中井(徳)委員 私は、残念ながら、今の黒金さんの答弁には全く反対であります。従って、これはきょうどうこう言うのではありませんが、私は慎重に研究してもらいたいと思います。こういうことになりますと、四年目に一度は一カ月か二カ月、全国の四千近い府県、市町村の長が、選挙期間中は空席になる。

 それでは具体的に申し上げます。これは賛否両論ですが、東京で今高速道路というのをやっていましょう。あの堀を埋めまして、数寄屋橋がなくなってしまった、それを四、五年前に、自民党、社会党両党の委員がこぞって――村瀬さんもいらっしゃいますが、当時の建設委員が大いに反対したのです。ああいうものは風致を害するということでもって、やりました。そのときにだれが判を押したか調べてみた。そうしたら、安井君が二期か三期目の選挙の途中に、もう死にました石川栄耀さんという人が判を押しています。安井さんは留守です。あの人は、局長さんか何かでおられた。そういうことがあるのですよ。ですから、これはたまたま一つの事実にすぎませんが、私は十分起り得ると思うのです。皆さんのお考えの方が人がよ過ぎるように思いますので、一つ強くこの点を要望いたしておきます。御研究をいただいて、必要があるならば、この選挙期間中は代理者の行政に対する幅に規制をされた方がいいのではなかろうか、こう思います。これは強く要望いたしておきます。

  昭和34年3月12日 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会

 要するに、東京高速道路の決裁は、安井知事が選挙のために不在の間に、当時建設局長だった石川栄耀が「判を押した」ということを中井代議士が国会で指摘しているということなんである。

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  当初許可後、下記のような理由で、現在のように外濠川を完全に埋め立てた形になっている。そして今もあそこは都有地だ。

東京高速道路-09  

  このように不明朗な形で建設された東京高速道路であるが、東京都政の汚職を指して言う「安井都政の七不思議」の一番手としてあげられることが多い。(二番目あたりに私の大好きな三原橋あたりがくるのだが)

 安井都政の七不思議と東京高速道路 (2)

安井都政の七不思議と東京高速道路 (1)  

 「東京都知事」日比野登・編著 日本経済評論社・刊 41・42頁から

  安井都政の七不思議と東京高速道路に言及している文献は多数あるが、とりあえずこれが簡便にまとまっているかと。

  また、東京高速道路は自民党議員からも「利権道路」と呼ばれていた。

 昭和33年4月10日衆議院建設委員会において久野忠治議員曰く
「一部経済人がこれに目をつけまして、御存じの通り新橋―京橋間に東京高速自動車道路の建設が計画をされ、目下この事業が進行中でございます」
「副知事はこう答えました。倉庫もしくはガレージに利用する、こう言ったのであります。万一その利用目的が変った場合にはどういう処置をとるかという質問に対して、撤去を命ずる、こう言いました。それからもう一つ、この都市計画全体からいって、下水あるいは雨水の排水のための重要な都市水路であるから、これは残しておくべきではないかという意見もそのときに出たのであります。その質問に対しては、地下はいわゆる水路として残しておくように設計をされておる、万一それを埋め立て等にする場合があれば、これまた当初の設計に反するものであるから撤去を命ずるということを、現に当委員会で言明をされたのであります。」
「ところが今日でき上りましたものを拝見いたしますると、堂々たるキャバレーができたり、あるいは飲食店ができたり、事務所ができたり、倉庫というのは名ばかりで、今ガレージなどというのは名目的に一、二カ所あるだけでございます。」
「地下の水路はすでに埋め立てをいたしてしまいまして、そうしてこれを地下の倉庫に利用しようといたしております。そうして莫大な利権を握って、東京都の交通難を緩和するという美名に隠れて利権のちまたにこれがなろうとしていることは、衆目の見るところであります。」

 当時の国会では与野党こぞっての「利権」集中砲火であった。下記は1954年11月11日付読売が報じる国会での追及の状況の一部である。

東京高速道路の疑惑

 また、1956(昭和31)年9月6日付読売新聞には、東京高速道路は「利権の長城」と呼ばれていたと書いてある。

  ところで、このような魑魅魍魎が蠢く利権の象徴である東京高速道路であるが、新国立競技場関連で国民には説明せず「建築家諸氏へ」というお笑い文書だけ出して世間の失笑を買った日本の代表的建築家である内藤廣氏は、建設業界誌「CE建設業界」2003年12月号に掲載された「フォトエッセイ構築物の風景」において下記のように語っている。

 東京高速道路と石川栄耀 (3)

  曰く「民活やPFIの先駆けだ」「その筋金入りの勇気と熱意」。かたや「都政七不思議」「利権の長城」。皆様はどうお感じであろうか。

 ところで内藤廣センセイも指摘した民活やPFIについては、始め方もともかく、終わり方や失敗したときのシメ方も重要であるのは、異論のないところであろう。 

  では、始め方でもいろいろあった東京高速道路について、〆方も見てみよう。

 東京高速道路と石川栄耀 (4)

1988年6月22日 付け朝日新聞から

東京高速道路

  東京都は、東京高速道路株式会社に当初許可する際に、償却した後は東京都に返還するよう求めていたが、会社がそれを履行しないため、都が会社を民事訴訟で訴えたというのである。

 訴訟は最高裁まで東京都が勝ち続けたのであるが、最後まで会社は返還を履行せず、都の財政難を理由に会社が有償で施設を買い取る形で決着した(2000年2月19日付の読売新聞によると売却額は約55億円とのことである。)。 

 

これが内藤廣大先生の絶賛する「民活やPFIの先駆け」の実態なんである。 

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 そんなドロドロの東京高速道路を道路を廃止した後は、ニューヨークのハイラインのような高架公園にするという。 

  実はハイラインは全線歩いたことがある。

 highline (2)

 highline (1)

  見た目簡単そうに見えるけど、この都心の人込みの中で、ごみも落ちてなく、落書きもなく、植樹も「イイ感じ」に維持していくのは並大抵のコストではできない、ちょっと手を抜くとすぐ雑草と落書きまみれになってしまうと感じた。

 highline (3)

 highline (4)

 実際には世界的な大企業がパトロンになって維持管理をしているようだ。今の銀座で簡単にそれができるかなー。 

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 ところで、以前から言っているのだけれども、東京高速道路(KK線)が道路としては不要となるのであれば、なぜ撤去して銀座の水辺空間を復旧させないのだろうか? 

  日本橋の首都高撤去にあたってソウルの清渓川を例にあげる人は多いのだけれども、ロケーション的には、むしろそれを言うなら東京高速道路の撤去じゃね?と思うわけですよ。

ソウル 清渓川路

 


○岡安参考人 ただいまの御質問でございますが、私らはあくまでもこれは交通緩和、こういうような大きな目的で、許可いたしました。会社の面におきましても、公共のためということを大きく銘を打つております。従いまして、今おつしやられましたような、もしもこの結果、会社側が非常に有利である、非常に利益がある、こういうことが考えられますれば、東京都としては、利益させるために許可したのではございませんので、この点は東京都と会社側と、さらにまだ契約を結ぶ面があると思います。その面につきましては、これは私らしろうとでございますのでおかりませんが、おそらくそんなに有利な条件で会社側がもうかるようなことは許可しませんということを申し上げたいと思うのであります。どういう方面でしますか、これは私らもつと検討いたしまして会社と交渉いたしますが、これは何としても公共施設としてやつておりますので、その点は私らは必ずやり通してみたいと考えております。御心配の点は重々よく考えまして、将来に悔いを残さないようにしたいと考えます。

 

○岡安参考人 樋口社長から冒頭に申しましたように、会社の計画としては、実は八階建をつくりたいということで始めたことは、事案でございます。しかし、それが知事としましては、そういうことはいかぬ、都市計画の関係あるいはその他の関係でいかぬ、こういうので道路ということになつた。それはその通りなんです。ただ会社としましては、東京都から、道路ならば許可する。東京都でもつてやれるかということでやりました際に、一応の計画を会社は、おそらく株式会社でございますので立てられた。これは私らも考えられる。ただ、先ほど只野さんから言われたように、会社がもうけはせぬか、こういう点があるだろうと思いますが、この点は、私は、もう会社が高速道路という名前に隠れてもうけるということば絶対にさせません。そういうことで、今樋口さんの言われたのは、会社が一応計画を立てて、どうやらとんとんに行くつもりでやつてみたら、今度は道路だけということになれば、相当苦しい。苦しいが、しかし東京都の道路の交通の緩和のためというなら、モデル・ケースでやつてみる、こういうふうに私らは了承しておるのであります。今の樋口さんのお話も、多分私はそういうふうに言われたと思うのでございます。決して会社がもうからぬけれども、いやいやながらやつてやるんだ、計画が違う、こんなことでは会社はおそらく成り立たぬと思うというような、もうけを主義にしてやるというのではないと思うのです。東京都としましても、でき上りまして会社がもうかるようにする、もうかるようにどういうふうにしてやる、損だからこんな計画を変更するという意思は全然ございません。必ず東京都としましては、あれが交通緩和のためになる、こういうことであくまでやつて行きますので、この点私から繰返して申し上げておきたいと思います。

 

第18回国会 衆議院 建設委員会 第2号 昭和28年12月7日

 

 上記は岡安東京都副知事(当時)の国会での答弁である。あそこは道路にして公共のために寄与するから許可したのだと。他では、許可の条件に違反したら、許可を取り消すとも答弁している。

 

 それならば、今般、東京高速道路が道路としての機能を失うのであれば、そこの許可を取り消して全て撤去し、河川に復旧すればよいのではないか?ハイライン風の公園にするのはゴマカシではないのか?今でもあそこの地主は東京都であるのだから。私には本来副次的な目的に過ぎなかった商店街を残す口実としてハイライン風高架公園を持ち出してきているようにしか思えない。

東京高速道路の疑惑2  

 1954年10月2日付の朝日が報じるように、地元は外濠川の埋め立てに反対していたのだ。道路が廃止されたのなら、地主の都は道路としての仕様許可を取り消せばよいのではないか。 

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 ところで余談になるが、先日土木学会の主催する「土木コレクション2019」内のイベント「どぼくカフェ」において、土屋 信行氏(リバーフロント研究所 技術参与)が「首都高速道路はなぜ日本橋の上空に架橋されたか!!」という題目で講演を行ったが、

・東京高速道路株式会社は、山田正男の発案である。(←石川栄耀が許可に関わった際には、山田氏はまだ神奈川県庁職員)

・東京高速道路株式会社は、東京都も出資していたが、いつの間にか都の出資分がなくなった。(←前述資料を見てわかるように当初から都の出資はない。)

・東京高速道路株式会社の地主が露店を収容した。(←東京高速道路株式会社線の底地は東京都のもの)

・東京都八重洲口の外濠も、東京高速道路株式会社線にあわせて埋め立てた。(←あそこはまた鉄鋼ビルとか国鉄のインチキとか別途ややこしいところだ。)
 

 といったトンデモ発言連発であったので付記しておく。なんなの土木学会って??

 土木コレクション2019内のイベント「どぼくカフェ」において、土屋 信行氏(リバーフロント研究所 技術参与)が「首都高速道路はなぜ日本橋の上空に架橋されたか」という題目で講演を行った

 土木学会「土木コレクション2019>」「どぼくカフェ」で講演する土屋 信行氏(リバーフロント研究所 技術参与)

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2019年12月15日 (日)

「いだてん」最終回記念~東海道新幹線東京駅乗入れと東京都、首都高との駆け引きをオーラルヒストリーから探る

 話題を呼んだNHKの大河ドラマ「いだてん」も今日で最終回だ。

 そこで、今回は

「東海道新幹線東京駅乗入れと東京都、首都高とがそれぞれ東京オリンピックに間に合わせるための駆け引きを関係者のオーラルヒストリーから探る」

 というやつをやってみよう。

 東海道新幹線が東京に乗り入れる際に、そのターミナルをどうするか?今の東京駅八重洲口に決まるまでに、皇居前とか新宿とかいろんな案があったのは、私のブログの読者様であればご存知だろう。

東海道新幹線東京駅乗入れに係る東京都や首都高との駆け引き (5)

 東海道新幹線建設を担当した国鉄東京工事局の横山浩雄氏は下記のとおり語っている。

東海道新幹線東京駅乗入れに係る東京都や首都高との駆け引き (3)

 当初は皇居前地下や新宿が有力だったが、営業の要望で東京駅八重洲口に決まった旨語っている。

 では、当時国鉄新幹線局で営業担当の調査役だった角本良平氏はどう語っているのか?

東海道新幹線東京駅乗入れに係る東京都や首都高との駆け引き (10)

 土木の技術屋が決めるのなら事業費の関係で品川だったかもしれないが、営業サイドは東京駅がよいと。

 ところで、角本良平氏はこんなことも語っている。

東海道新幹線東京駅乗入れに係る東京都や首都高との駆け引き (7)

 東京都から山田正男(当時東京都建設部長)が交渉に出てきたら、あと3年は余計にかかったのではないかと。

 いわゆる「山田天皇」である。なるほど難関であっただろう。

 では、当の山田正男氏はどう語っているのか?

東海道新幹線東京駅乗入れに係る東京都や首都高との駆け引き (6)

 実は、山田正男氏は、別口で国鉄と交渉していたのだ。相手は当時国鉄東京工事局長だった好井宏海氏。

 それもルートは、新宿から日本橋川を通って東京駅に入ると。そして日本橋川は首都高と新幹線の二階建てだというのだ。昨今、日本橋の景観を首都高が壊しているとして話題になっているし、「いだてん」でも触れられていたが、実際にはもっとどでかい構造物が日本橋川を覆う計画を立てていたのである。

 

 東海道新幹線も首都高速道路も、概ねの計画自体は、東京オリンピック決定前に決まっていたが、工事を実際にオリンピックに間に合わせることが厳守となるとまた現場の話は変わってくる。

 そんな国鉄と東京都・首都高との駆け引きを井上孝東大名誉教授(当時は首都高課長)が語っている。

東海道新幹線東京駅乗入れに係る東京都や首都高との駆け引き (1)

東海道新幹線東京駅乗入れに係る東京都や首都高との駆け引き (2)

 井上孝氏は、技術屋といっても「都市計画屋」さんなのだが、都市計画サイドからすると都心の一極集中を防ぐためには、東海道新幹線の東京駅乗入れは了解し難いと。国鉄の営業と土木のどっちの好みといった問題ではない。国鉄との「戦争」とまで言い切っている。

 一方、首都高が国鉄の営業中の線路をまたぐ場合は、「国鉄が首都高から工事を受託して、線路の上空部分だけは工事は国鉄が担当する」ことになっているが、国鉄は「年に1か所」くらいしかできないと主張するので、オリンピックに首都高の工事が間に合わない。

 で、都は「東海道新幹線の東京駅乗入れを認める」、国鉄は「頑張って首都高の受託工事をオリンピックに間に合わせる」という取引が成り立ったようだ。

 

 これで上手くいくかというとそれはそれで用地交渉の相手がいる話だ。前述の国鉄東京工事局の横山浩雄氏はこう語っている。

東海道新幹線東京駅乗入れに係る東京都や首都高との駆け引き (9)

 有楽町付近の用地取得は、東京都が区画整理によって捻出するはずだったが、到底間に合わないので、新幹線の高架橋を建設するのに支障となる「寿司屋横丁」の寿司屋の二階を切り取りながら新幹線の工事を進めたというのだ。

実際に国鉄で寿司屋横丁の交渉を担当した西川正典氏はこう語っている。

東海道新幹線東京駅乗入れに係る東京都や首都高との駆け引き (4)

 「寿司屋を見るのも嫌になった」と。

  

 そんな関係者の成果は、神奈川県公文書館のウェブサイトの「オリンピック東京大会会場案内地図」で見ることができる。

 https://archives.pref.kanagawa.jp/archives/detail?cls=09_collect_govtpubl&pkey=3199612281

 https://archives.pref.kanagawa.jp/archives/mediaDetail?cls=09_collect_govtpubl&pkey=3199612281&lCls=04_media_govtpubl&lPkey=G000004000&detaillnkIdx=0

 <出典>

  横山浩雄氏・西川正典氏 「東工90年のあゆみ」別冊

  角本良平氏 「角本良平 オーラル・ヒストリー」

 山田正男氏 「東京の都市計画に携わって : 元東京都首都整備局長・山田正男氏に聞く 」 

  井上孝氏 「都市計画を担う君たちへ」

  

<関連> 

  古市憲寿氏「東京五輪“負の遺産” 首都高とモノレール 五輪に間に合わせた急ごしらえの代償」を検証する。

  http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-97a48d.html

  前回の東京オリンピックの際の首都高速道路公団職員の声

  http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-422f.html

 

  なお、本当は日本道路公団もオリンピック関連事業として第三京浜道路を建設したが、多摩川を暫定二車線で渡る部分しかできなかった。

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2019年12月 5日 (木)

祝・渋谷東急プラザ新装開店 ~60年を経たバスターミナル設置と東急ターンパイク~

渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (5)


 2019年12月5日、渋谷の東急プラザがリニューアルオープンした。


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (6)


 そして、一階にはバスターミナルも設置された。


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (7)


 実は、東急の大総帥五島慶太翁は、もともとここにバスターミナルを作ることを目論んでいた。その野望から約60年を経て、遂にバスターミナルがこの地にできたのである。


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (2)


 このポンチ絵は、「汎交通」1959年9月号に掲載された「渋谷周辺の交通事情と東急の計画」に掲載されたものである。


 赤丸の部分の「バスターミナル」が、東急プラザである。


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (1)


 さて、単にバスターミナルだったら、そんなに大騒ぎすることはないんじゃないかとお思いかもしれない。この報文の中身をよく読んでみよう。


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (8)


 「渋谷から江の島に至る自動車専用道路」「長距離専用道路の起点にふさわしい」「バスターミナル」とある。そう、ここはバスタ新宿の大先輩である日本最初のハイウェイバスターミナルになるはずだったのだ。


 


 以前、このブログで「東京江之島間有料専用道路申請書が出て来た~東急ターンパイクの考察(その1)」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-57f6.htmlという記事を書いたのでおさらいしてみよう。


東急ターンパイク免許申請書 (1)


 下記のように、渋谷から江の島へ至る自動車専用道路を東急は計画していた。田園都市線構想はこの自動車専用道路構想がポシャった後である。


東急ターンパイク免許申請書 (13)


東急ターンパイク免許申請書 (17)


 路線バスの計画である。


 1 渋谷-玉川 80往復


 2 渋谷-野沢 40往復


 3 渋谷-梶ヶ谷 20往復


 4 渋谷-西横浜 60往復


 5 渋谷-江ノ島 6往復


 6 渋谷-小田原 10往復


 等の渋谷を起点にする路線バスが計画されていた他、区間路線も予定されていたようだ。


 


東急ターンパイク免許申請書 (19)


 交通経済1955年1月号から引用


 業界誌の新春対談の大見出しが「高速道路に邁進」なんである。この力の入れっぷり。


 


 しかし、残念ながら、東急ターンパイクは小田原~箱根間を除いて実現できなかったのはご存知のとおり。バスターミナルも、バス抜きの東急プラザになってしまった。


 それが、遂にバスターミナルができたのだよ。天国の五島翁もさぞお喜びであろう。


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 ところで、この「渋谷周辺の交通事情と東急の計画」だが、バスターミナル以外にも興味深い図面が満載である。


 渋谷川が、東急百貨店の地下をうねくりながら走っている様子とか


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (4)


 その上に建っていた東急百貨店東横店の「スパン割」は、渋谷川に依拠していたのだなあとか


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (3)

 第三軌条の東急新玉川線が銀座線渋谷駅に乗り入れている図面とか(赤く囲ったところに「二子玉川方」と書いてあるのが分かりますか?)


銀座線に新玉川線が乗り入れる想定だった渋谷駅 


 この他にも「石川栄耀が渋谷の露店を地下街に収容しようとしたけど上手くいかなくて、東急に頼んだところ、肝心の露店よりも東急の地下街の方がはるかにでかいものができあがったなあ」とか、「そこで東急が恩を売ったお陰もあって、東急プラザ周辺の区画整理は東急に有利に行われて疑獄の1つだったらしいぞ」とかまあいろいろ渋谷の魑魅魍魎があるのである。


  


 こちらのツイートもご参考まで 


 


 


 


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2019年10月20日 (日)

首都高 諸橋雅之室長の「オリンピックをやろうというときに、建設反対なんてヤボだ」発言を検証してみる

「施工の神様」という建設業界向けのウェブサイトがある。https://sekokan-navi.jp/magazine/

 

 そこに「50年前の青空を取り戻す―。事業費3200億円の「首都高地下化」で日本橋を再生する」という題名で、諸橋雅之氏(首都高速道路株式会社 日本橋区間更新事業推進室長)のインタビュー記事が載っていた。

 https://sekokan-navi.jp/magazine/30901

 

 その中で「オリンピックをやろうというときに、建設反対なんてヤボだ」という項がある。

 https://sekokan-navi.jp/magazine/30901/2#anc-1

 詳しく見ていこう。

 


「オリンピックをやろうというときに、建設反対なんてヤボだ」

――首都高は「渋滞の解消」が至上命題だったんですね。

 

 諸橋室長 現在ある日本橋は1911年に完成しました。日本の道路元標があって、日本の道路網の始点になっており、大変土木にゆかりの深い場所です。1963年、この日本橋の上に首都高が架かりました。

 

 この区間は、首都高ネットワークの中心でもあります。都心環状線は「都心部のロータリー」で、郊外からやってくる車を処理する出入り口の集合体なんです。日本橋はこの都心環状線にあるわけです。日本橋の区間は、東京オリンピックでも重要なルートでした。

 

 日本橋の上に首都高を通すことに対しては、建設当時から新聞などである程度の反対はあったようです。ただ、地元の方々は「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」ということで、容認していただいていたようです。

 

 当時はとにかく、「東京の渋滞を解消する」ことが至上命題だったので、施工スピードが求められたと聞いています。時間のかかる用地買収を伴うルートではなく、運河や幹線道路などの公共空間上のルートを利用しました。

 

 銀座付近では、築地川を干上がらせて、河川の中に道をつくりました。現在の擁壁は当時の護岸なんです。日本橋に首都高を通す際、日本橋川を干上がらせて、日本橋の下を通す案もあったようです。

 

 ただ、ここの日本橋川は神田川とつながっていて、治水上、日本橋川を干上がらせることはできなかったので、やむなく日本橋の上に架けることになりました。ところが、実際に橋が架かると、景色が激変してしまったので、反対する声が上がりました。

 

 https://sekokan-navi.jp/magazine/30901/2#anc-1

 

 

 私が気になるのは「日本橋の上に首都高を通すことに対しては、建設当時から新聞などである程度の反対はあったようです。ただ、地元の方々は「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」ということで、容認していただいていたようです。」といいう諸橋室長の発言部分だ。

 この辺は過去にブログで何回か取り上げているが、せっかくの機会なので、新資料も含めて整理してみよう。

 

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「地元の方々は「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」ということで、容認し」たのか?

 

 果たして、「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」なんてことを「地元の方々」は言っていたのか?

 

 以前、このブログで「名橋「日本橋」保存会副会長、細田安兵衛氏の「(首都高が日本橋の上に架かることへの反対は)全然、記憶にないね。」というのは本当か?」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-d4c6.html

 という記事を書いたことがある。そこから一部再掲していこう。


 

 ――建設前に、地元で議論とか反対とかなかったのですか。

 

 「全然、記憶にないね。当時、私の父も含めて日本橋の旦那衆は、高速道路なんて見たことなかったんだ。私のじいさんなんて『なんだ、高速道路はもっと(背が)高いのかと思ったよ。随分低いんだな』と。そんな笑い話もあるくらい、よく知らなかった。むしろ便利になるからいいことだと。手塚治虫さんが描いた未来都市のイメージで、『羽田空港から日本橋まで15分で着いちゃうらしいぞ』『それは、すごいね』なんて気楽な話をしていた。『国策として大事な時に、お上のいうことに反対するなんてみっともねえじゃないか』という思いもあった。そんな時代だよ」

 

NIKKEI STYLE 2020年から見える未来

「日本橋に首都高いらない」 地元重鎮が地下化に異議

「栄太楼総本舗」6代目、細田安兵衛さんに聞く

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO20830810W7A900C1000000

(オリパラ編集長 高橋圭介)

 

 

 首都高速道路の日本橋附近の地下化において、ネット上では大変多くRT等されている記事である。

 『お上のいうことに反対するなんてみっともねえじゃないか』あたりが、なんとなく「いかにも江戸っ子らしい」イメージとも合致する。

 

 ところが、この細田安兵衛氏は、身内の名橋「日本橋」保存会の本の中では違うことを言っているのだ。

 

 名橋「日本橋」保存会が1992(平成4)年3月に発行した「日本橋架橋80周年記念誌」に掲載された対談「21世紀の日本橋を考える」において、細田安兵衛氏はこのように語っている。

日本橋は首都高に反対していた (1)

 

日本橋は首都高に反対していた (2)

 

 


 細田■日本橋のほうは橋の上に高速道路を掛けるときもいま一つ反対の声が弱かったし、金融機関の進出にも何ら異議を唱えなかったし、そのあたりの意識からちょっと違うんですね。

 まあ日本橋の旦那衆は大まかというか、人がよすぎるというか(笑)、仲良く遊ぶことは好きだが、この点は反省部分がありますね。

 

「日本橋架橋80周年記念誌」 名橋「日本橋」保存会・刊

対談「21世紀の日本橋を考える」103~104頁

 

 

 反対してるじゃん。「今一つ反対の声が弱かったのは反省部分」だって自分で言ってるじゃん。

 

 名橋「日本橋」保存会や地元関係者のいろんな言い分は、ブログにまとめているので併せてご覧いただきたい。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-d4c6.html

 

 そこでは、「八木長本店 八木長兵衛会長によると、首都高建設に当地元は大反対だったが、オリンピックのためという雰囲気に気持ちを押し殺したという。」といった、諸橋室長の「地元の方々は「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」ということで、容認していただいていた」との発言と随分ニュアンスが違う記事も紹介させていただいている。

 

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では、実際の日本橋地区の対応はどうなっていたのだろうか?

 

 あまりいつものネタを使いまわすのも芸がないので、今までのブログで使っていないネタをご紹介しよう。

 

 ネタ元は、山田正男元首都高速道路公団理事長(当時は東京都建設局計画部長)の対談集「明日は今日より豊かか 都市よどこへ行く」政策時報社・刊 である。

 

首都高諸橋雅之氏の日本橋ヤボ発言を検証する1

 

首都高諸橋雅之氏の日本橋ヤボ発言を検証する2

 

 オリンピック決定前の1958(昭和33)年12月に日本橋公会堂に呼び出されて、反対派の罵詈雑言を浴びたそうである。さすが日本橋の江戸っ子は小粋である。

 

 ちなみに、灰皿を投げられてネクタイを掴まれたのは港区で、これは首都高2号線である。

 先日、ブラタモリの白金の放送回で、「白金の住民が自然を守るために首都高に反対してルートを変更した」って言っていたじゃないすか。あれが港区の首都高2号線なのである。。

 

 結果的に首都高2号線は東京オリンピックに間に合わなかった。本来は第二京浜(国道1号)の渋滞緩和のために真っ先(オリンピック決定前)に建設に着手した重要路線なのに。

 

首都高速と東京オリンピック (4)

 

 当時首都高2号線を担当した現地所長さんの発言(首都高速道路公団の広報誌「首都高速」に掲載)がこれである。

 

 

 「江戸っ子は、オリンピックに協力するために首都高には反対しなかった」というのは、印象操作かファンタジーなんすよ。「江戸しぐさ」と同類。もちろん八木長兵衛さんのように「オリンピックのためという雰囲気に気持ちを押し殺した」という方はいらっしゃったけども。

 

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 参考までに補足すると、当時の報道でも、日本橋上への架橋について地元が反対している旨の記事が掲載されている。

首都高諸橋雅之氏の日本橋ヤボ発言を検証する3

 1959(昭和34)年2月23日付毎日新聞

 

 中央区は「区内全線地下化」を要望したとある。

 

清水草一が知らない首都高反対の動き3

 

 これは、オリンピック決定直前の1960(昭和35)年4月13日付読売新聞に掲載された日本橋附近の「絶対反対」を報じる記事である。

 

 私の調べた範囲では、日本橋がある中央区だけでなく、港区、品川区の議会が首都高反対の決議をしているようだ。都の事業に複数の区議会が反対決議をするとは異例の事態といえないだろうか?中央区や港区に住むような人はヤボだということだろうか?やはり江戸しぐさの人がいうように本物の江戸っ子は虐殺されてしまったのだろうか?

 

 なお、首都高速道路公団においても「地元ではこの橋の下を隧道で通るように強く要望された」と記している。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (10)

 「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。

 

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 また、宮様が日本橋の上に首都高をかけることについて当時の首都高理事長に懸念を伝えていたという話もある。

首都高と日本橋 (3)

 これは首都高速道路公団の広報誌「首都高速」に掲載された対談「仁丹の広告塔も見ゆ橋も見ゆ」からの抜粋で、「神崎」は当時の首都高速道路公団理事長神崎丈二氏である。

 高松宮が東京都を通して首都高理事長に「日本橋はどうにかならないものか」という「残念というか複雑な気持」を伝えていたというのである。

 

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 諸橋雅之室長は、施工の神様の記事では、「ところが、実際に橋が架かると、景色が激変してしまったので、反対する声が上がりました。」と語っているのだが、橋が架かった後どころか、東京オリンピック決定前から地元に反対されていることがお分かりだろうか?

 まあ、諸橋雅之室長も、「首都高速道路公団の歴代理事長が言っている話なんてみんなひっくりかえしてみせるぜ」というだけの物証を社内で押さえているのかもしれないのだが、その辺の判断は皆様にお任せする。

 

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 建設当時新聞は反対したのか?

 ところで、諸橋雅之氏は、「施工の神様」のインタビュー内で「日本橋の上に首都高を通すことに対しては、建設当時から新聞などである程度の反対はあったようです。」と語っている。これはどうなのか?

 

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (14)

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (13)

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (12)

 首都高が日本橋の上に架かることを報じる1962(昭和37)年12月24日付読売新聞

 「橋脚や街燈は原型損なわない」という見出しに
「感傷も吹き飛ばすように工事が近づいてきた日本橋」「スマートになる完成予想図」というキャプションがついている。

 当時の読売にとっては、日本橋なんかは感傷にすぎなかったと。

 読売は、徹底していて、首都高完成後にもこんな記事を書いている。

 1962(昭和37)年1月25日付読売新聞夕刊では

河川活用による高速道路建設

・「首都高の河川敷利用が少ないため用地買収等に必要以上の経費がかかっている」

 

・「河川が不要になったら干拓して掘割式の自動車道路を建設したり、河川を廃止できなくても高架の自動車道路を建設したりするのが世界各国の大都市における実情」

 

・「一日も早い道路整備が必要」

 

と主張しているのである。今はこんなことを社説で主張している読売新聞が。

 

首都高日本橋 (2)

 東京オリンピック開催を間近に控えた1964(昭和39)年1月1日の朝日新聞の正月特集の一面で日本橋川を塞ぐ首都高の写真を国立競技場よりも大きな写真で紹介している。

日本橋川をふさぐ首都高を「美しい曲線」とする朝日新聞 (2)

 「ビルの谷間に美しい曲線を描く江戸橋インターチェンジ」である。日本橋川は「ビルの谷間」で首都高は「美しい曲線」なのである。

 

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 ということで整理すると

 首都高 諸橋雅之室長「建設当時から新聞などである程度の反対はあったようです。」→新聞は建設後さえも反対していなさそう。

 首都高 諸橋雅之室長「地元の方々は「国を挙げてオリンピックをやろうというときに、建設に反対するなんてヤボだ」ということで、容認していただいていたようです。」→日本橋公会堂に東京都局長を呼び出して罵詈雑言。中央区議会も反対決議。

 

 名橋「日本橋」保存会副会長 細田安兵衛氏「(首都高が日本橋の上に架かることへの反対は)全然、記憶にないね。」→自分で「反対した」と言っている。地元の反対証言が複数あり。

 という結果になってしまった。

 

 最後に首都高速道路公団広報誌「首都高速」における神崎理事長(当時)との対談で語られた日本橋の地元の声を載せておこう。

首都高諸橋雅之氏の日本橋ヤボ発言を検証する4

 

  まあ、橋本室長は、事業を進めるのが仕事であって、歴史の語り部が仕事ではないのだから、私のような窓際サラリーマンの言うこと等気にせず、業務に邁進していただきたい。

 

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