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2018年9月18日 (火)

JR東海リニア担当副社長はかつて「リニアができると新幹線は大赤字で、公的資金が必要」と書いていた

 日経ビジネス2018年8月20日号が「「陸のコンコルド」、リニア新幹線の真実」という特集を組み、一つの論点が、「リニアは公的資金抜きで採算が取れるのか?(採算が取れないからこそ第三のモリカケ案件として財投が投入されたのではないのか?)」ということであったかと思う。

 

 (葛西は)88年、常務に昇格し、その秋に関西経済連合会の会合で講演に立ち、こう話している。

 「東海道新幹線とリニアは一元的に経営されなければならない」

 「(リニア計画の)全額を民間資金で行うことは難しい。3分の2は民間資金で行ってもよいが、残る3分の1は国のカネが必要ではないか。つまりナショナルプロジェクトとして推進しなくてはなりません」

日経ビジネス2018年8月20日号が「「陸のコンコルド」、リニア新幹線の真実」

 ところで、この講演については、東京新聞はもうちょっと踏み込んで書いている。

 国鉄民営化から日も浅い1988年10月。JR東海のリニア対策本部長だった葛西敬之名誉会長は、「中央リニアエクスプレスの実現に向けて」と題した大阪市内の財界の講演会で、こう訴えた。

 「リニアができると東海道新幹線は赤字になる。リニアの建設費の3分の1は国の金が必要ではないか。つまりナショナルプロジェクトとして推進しなくてはならない」

 まだ実用化のめどすら立っていなかった時代。国鉄民営化に尽力した葛西氏の頭には、既に国の支援によるリニア建設と言う構想が描かれていた。

(略)

 JR東海の元労組幹部は「自前でスタートを切って、それを呼び水に途中から国策に転換するというのが葛西の口癖だった。葛西の戦略通り、リニアは国策となった」と振り返る。

 

2018(平成30)年3月7日付東京新聞「四強時代 リニア談合の底流 2」

 

 私が気になったのは、この葛西リニア対策本部長が講演したベースがどこかにないかということである。

 で、調べてみるとこのような報文がでてきた。

JR東海副社長のリニア採算性報文 (1)

 JREA(社団法人日本鉄道技術協会)1988年11月号に掲載された「中央リニアの概略と採算性検討」。執筆者は東海旅客鉄道リニア対策本部の宇野護氏である。

 まさに葛西リニア対策本部長が講演した1988年10月と時期は合っているし、部署も同じリニア対策本部である。

 そして宇野護氏は現在、JR東海のリニア担当副社長である。

 報文の要約ベースの箇所に「新幹線の赤字が大きく公的資金の導入等が必要となる。」とあり、葛西リニア対策本部長の講演内容(東京新聞による)の 「リニアができると東海道新幹線は赤字になる。リニアの建設費の3分の1は国の金が必要ではないか。つまりナショナルプロジェクトとして推進しなくてはならない」と平仄があうではないか。

 つまり、この宇野護氏の報文は、葛西氏の講演の(全て一致しているかどうかはともかく)バックデータとしての位置づけを担っているのではないか。

 

 全部をコピペするわけにもいかないのでポイントだけ紹介しよう。全部読みたい方は国会図書館等へどうぞ。

JR東海副社長のリニア採算性報文 (2)

 リニアの東京-大阪間全通時には、東海道新幹線の旅客の55%がリニアに転換するという。(リニアの運賃水準は東京~大阪の航空機往復割引の片道分の9割と設定。)

 この結果、「東海道新幹線単独で見た場合、見掛け上△2.5兆円の大きな赤字を生じることになるともいえ、とても存続できる状況にはない」と宇野護氏は述べる。

 ということは、葛西リニア対策本部長の講演での「東海道新幹線とリニアは一元的に経営されなければならない」という発言は、宇野護氏の「東海道新幹線は単独ではとても存続できる状況にはない」という報文の裏腹であると言えるのではないか。

 

 では、「東海道新幹線とリニアは一元的に経営」された場合の見通しはどうなるのか。

JR東海副社長のリニア採算性報文 (4)

JR東海副社長のリニア採算性報文 (3)

 左側のグラフにあるように、リニア単独であれば初期投資額を現在価値が上回り、採算が見込めるが、右側のグラフによると、大きな赤字を生じる東海道新幹線を加味すると、資本コスト7%はおろか、3%でも現在価値が下回り、不採算となる。

 この資本コストの差を埋めて採算性を確保するために一定の公的資金等が必要というわけだ。

 葛西リニア対策本部長の 「リニアができると東海道新幹線は赤字になる。リニアの建設費の3分の1は国の金が必要ではないか。」というのはこういうことであろうか。もっとも、宇野護氏の報文には「資本コストが相当小さくならないと採算が取れない」とはあるが「3分の1」を明示したものはない。そこは経営判断レベルということなのだろうか。

 

JR東海副社長のリニア採算性報文 (5)

 

 宇野護氏の報文の結論は、

 (1) 中央リニアと東海道新幹線を別々に運営することは困難である。

 (2) 金利7%の資金をすべて使っての実施は困難であり、一定の公的資金、利子負担の軽減、運賃の値上げ等の施策を組み合わせることが必要といえる。

ということとなっている。

 日経ビジネスの記事へのSNSでの読者の感想には「JR東海は自力で資金を調達できるのだから、そもそも財投等の公的資金はいらないのだ」というものがあったが、金利まで考えると、資金を調達できるだけではダメなのだということか。

 

 尤も、この報文は、30年前に執筆されたもので、現在では金利も旅客需要の想定も大きく異なるし、当時は新幹線はリースのままだ。3~4兆円を見込んでいた建設費は東京~名古屋間で5兆5千億円、東京~大阪で9兆円とも言われる。この段階でのざっくりとした想定の試算をもって直ちに現在のリニアが不採算であると結論づけることは誤りであろう。

 だからこそ、日経ビジネスの金田信一郎記者には、宇野護リニア担当副社長にこの30年前の報文を持っていって「あなたが昔書いたこのペーパーを赤ペンで時点修正してくれ」と要求してほしかったなーなんて思ったりする。それで採算が大丈夫というデータが分かるのならそれはそれでいいことではないか。

 「のぞみプラス1000円という破格の料金で大丈夫なのか?」という聞き方よりも「あなたは30年前に運賃の値上げ等の施策の組み合わせが必要と書いていたではないか?」と聞けばもっと掘り下げられたんじゃないかなあとかね。

 

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 鉄道をこよなく愛する方からは、「JR東海が公的支援を受けるのは、当初の計画よりも前倒しで大阪延伸するためであって、おかしいことではない」という声もあったような気がする。

 それに対して「当初の名古屋までの計画の自己資金だって口だけで、担保がなかったんじゃね?」と指摘するのが「ZAITEN」2017年4月号 「特集:わが国の大動脈に居座る「安倍政権の後見人」の正体とは― JR東海「葛西敬之名誉会長」の研究」である。

 

 加えて、関係者が「27年開通は無理」と推定していたのは、名古屋までの5兆5000億円という建設費が調達できないのではと見ていたからだ。

(略)

 国交省鉄道局は、5兆5000億円のうち2兆5000億円は、東海道新幹線の収益で充てることができると説明する。それでも3兆円足りない。これをどう工面するのか。

 同社の純資産額は2兆2199億円しかない(16年3月期決算、単体)。3兆円分の担保がない以上、市中銀行は貸し渋るから、社債の大量発行で乗り切るのかと予想する関係者もいた。

 ところが驚いたことに、昨年6月1日、安倍晋三首相が「リニアや整備新幹線などに財政投融資を活用する」と表明したのだ。

 

「ZAITEN」2017年4月号 31~32頁

 「所詮財界誌じゃねえか」と言われると身も蓋もないのだが、この特集には財界誌らしく、葛西氏の「女性スキャンダル」が写真週刊誌に掲載された顛末等も載っているのでそういうゲスな方面がお好きな方は是非。

 

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 日経ビジネス2018年8月20日号「「陸のコンコルド」、リニア新幹線の真実」では、用地買収に係る地元とのトラブルを取材して、「第二の成田」なんて書き方もしていた。

 静岡県等の地元自治体ともめつつも土地収用法の手続きは進めたいようである。

 個人的には「地元自治体とうまく足並みがそろっていないと、横浜貨物線のときもそうだったけど、土地収用はうまくいきませんぜ」等とも思ってしまう。

 

 日経ビジネスの記事では市役所への用地交渉委託を何か「自治体を金で買った」ように書いているように見えるが、公共事業で地方自治体に用地交渉を委託すること自体は決して珍しくない。

 ただし、リニアでは興味深い委託がなされている。

 

リニア新幹線/JR東海、大深度地下使用で近く認可申請へ/用地取得業務支援体制構築  [2016年6月16日4面]

 

 用地取得の取り組みについて、後藤部長は「土地の取得面積は350万平方メートル、土地所有者数は約5000人に上り、ノウハウを持つ方々の支援・協力を得ながら事業を進める体制を構築した」と説明。ほとんどの区間の用地取得事務を自治体(相模原市、神奈川県、山梨県、長野県、同県飯田市、岐阜県、愛知県、名古屋市)に委託し、補償説明などを進めている。

 自治体とは別に、用地取得支援・補助業務を首都高速、中日本高速、阪神高速の3高速道路会社のほか、土木工事の一部発注業務を担当する鉄道建設・運輸施設整備支援機構に委託している。

 

日刊建設工業新聞

https://www.decn.co.jp/?p=70372

 

 首都高速道路、阪神高速道路、NEXCO中日本に「用地取得支援・補助業務」という業務を委託しているという報道だ。自治体と違って阪神高速は土地勘もない仕事だ。NEXCO中日本はライバルだ。支援・補助って何をやっているのかこの記事では分からないが。

 

 SNSでは、「JR東海は民営化した後に大規模な新線建設工事をやっていないから委託したんじゃないか」との声もあったような記憶がある。

 用地買収経験がないからトラブルを起こして、ゼネコンから「道路会社ではこんなことは。。」なんてことを言われてしまうのだろうか?

 

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(余談)

JR東海副社長のリニア採算性報文 (7)

 これは、同じ日経BP社でも日経ビジネスではなく、日経コンストラクションという建設業界向けの専門誌で2018年2月26日号「特集 リニア談合 悪いのは誰か」の冒頭の記事に掲載された建設業界アンケートの回答である。

 SNSの鉄道マニアの書き込みでは「リニア談合ではJR東海は被害者なのに。。。」という声が多く見られたが、業界向けアンケートでは、JR東海は「加害者 48%」「被害者 26%」とダブルスコア近くのポイントでJR東海が加害者と思われているとのデータである。

 アンケートのコメントには「JR東海の調達行為は不透明で、官製談合のような加害者側にあると言える。」「発注・入札に限らずJR東海は全体的に説明が足りない。」といったことが太字で載っている。

 他の発注者と比べてみないとこれだけでは何とも言えないが。

 まあ、日経BP社とJR東海はこの辺から既にチャンバラやっていて、今回は第2弾ということになるんですかね。

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2018年9月 2日 (日)

貨物新幹線の詳細な計画を国鉄新幹線総局OBが残していた

 「東海道貨物新幹線は世界銀行向けのダミー、ポーズだった」説に執拗に反論している私であるが、貴重な資料を収集したのでご披露申し上げる次第。

第13話=世銀借款

 

 この貨物問題に関しては、当初から国鉄側も頭を悩ませていた。技師長・島の頭には、のっけから貨物新幹線構想の「貨」の字もない。速度の違う旅客と貨物が同じ路線に混在するからこそ、東海道の輸送力がますます逼迫するのだ。(略)ハイウェイのように速度によって棲み分けさせることが新幹線の大前提である。しかし、国鉄内部にも根強い貨物新幹線論者が存在したし、なにより当時のアメリカでは、旅客輸送は「5%ビジネス」であった。鉄道輸送の95%は貨物であり、旅客はもっぱら自動車と航空機に移っていたのである。

 そこで、世銀への説明資料には、貨物新幹線の青写真も挟み込むことになった。将来は貨物新幹線も走らせたい・・・・・・という世銀向けの苦しいポーズである。当時のパンフレットや世銀向けの説明資料をみると、貨物新幹線のポンチ絵、つまり簡単な設計図が入っている。

 

新幹線をつくった男 島秀雄物語」髙橋団吉・著 小学館 193~194頁から引用

 この高橋団吉のような一面的な見方をする方は割と多くいらっしゃるのだが、その根拠としては島秀雄氏の「D51から新幹線まで」だったりするのだろう。島秀雄氏はこの中で下記のように語っている。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (13)

 

 ところが、私が以前からブログにUPしているように貨物新幹線の実現に向けての現場の動きは着々と行われている。

 これについて実際に貨物新幹線を担当していた角本良平氏は、「角本良平オーラル・ヒストリー」において、下記のとおり述べている。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (14)

 この辺の経緯は、かつて「貨物新幹線の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その1)」にまとめたところだ。 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-6d9d.html

 

 ところで、この角本版の貨物計画について、詳細に記している国鉄職員の手記があった。

 当時、国鉄新幹線総局に勤務していた高橋正衛氏による「新幹線ノート」である。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (1)

 ここに出てくる「開業準備委員会」は、

東海道新幹線開業準備委員会

 東海道新幹線開業後の運営に関する基本的事項及び工事過程における重要事項について総合的に調査審議するため、(昭和)37年10月設置した。

 

「昭和39年 交通年鑑」から

 ここで高橋氏が記述している場面は、十河総裁らが新幹線工事費不足等を原因に更迭されたことを受けて開業に必要(最小限)な範囲の工事範囲を議論しているものだ。新幹線の編成を6両編成にするような予算削減策も検討されたことがうかがえる。

 ここで「三、 旅客営業の開業に必要な主要設備とする。」という記載がある。つまり、「貨物は昭和39年10月の開業には含めない。」ということがここでオーソライズされたということではないか。

 よく「予算不足のため貨物新幹線は完成しなかった」と言われるが、その具体的な経緯がここに示されていると言えるのではないか?

 この後「新幹線ノート」の158頁にも「新幹線工事費の(略)最終予算額のなかに貨物輸送計画の予算は、一部貨物駅用地等の取得を除き含まれていない。」とある。

 例えば鳥飼貨物駅の用地買収費と、開通後に工事を行うことが困難な本線上空通過部分の構造物のみといった予算配分がなされたのではないだろうか?

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 ところで、東海道新幹線の建設誌(建設史)は、国鉄としての全体版がなく、各工事局毎にバラバラと出版されているのだが、これについても高橋氏は、全10巻(各500ページ)の東海道新幹線建設史の出版が部長会で承認されていたが、予算超過問題の中で無駄な出資を押さえるべきとの理由で中止され、後日各工事局で個々に発刊されることとなったとその背景に触れている。

 予算不足でできなかったのは、貨物新幹線だけではなかったのである。

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 閑話休題。貨物新幹線計画に戻ろう。

 高橋氏は角本氏から貨物輸送計画について聞き取りをしたり、資料を借りて書き写したりしている。それが「新幹線ノート」に掲載されているのである。

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (2)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (3)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (4)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (5)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (6)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (7)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (8)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (9)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (10)

 静岡の「抽木」は「柚木」の誤りであろう。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (11)

 名古屋貨物駅の「日比津」は現在の車両基地である。当時の国鉄広報誌ではここも「貨物線用の工事」として紹介している。貨物新幹線用工事の名残は鳥飼だけではないのである。

 また、貨物新幹線は在来線とは直通できないわけだが、市中に「デポ(貨物取扱所)」を設けることでカバーしようとしていたということだろうか?

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (12)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (15)

 「M補佐」は、「角本良平オーラルヒストリー」に出てくる「貨物輸送設備・制度」担当の「森繁」氏のことであろうか。

新幹線総局

 島秀雄氏や高橋団吉氏のいうように貨物新幹線が世銀融資を獲得するための見せかけの方便にすぎないものであればこのような沈滞感は醸し出されないことであろう。

 世銀のためのダミーであれば、嘘をついた十河や島もいないし、何もせずに適当に世銀向けの言い訳だけ作っておけばよいはずである。

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 高橋氏が触れている貨物輸送計画であるが、運輸界1959年6月号「東海道広軌新幹線について」矢田貝淑郎(国鉄幹線調査室総務課) ・著 10頁にでてくるA案、B案、C案とは整合がとれていることを付言しておく。

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (1)

 

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (2)

 

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (3)

 

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (4)

 

 なお、高橋氏の「新幹線ノート」によれば、佐藤大蔵大臣がIMF年次総会に出席の際に世銀の意向を打診したのが1959(昭和34)年9月、島氏も触れる世銀ローゼン氏が来日したのが1959(昭和34)年10月であるから、この矢田貝氏が執筆した貨物新幹線の計画は「世銀に言われてでっち上げた」にしては時空を遡りすぎであることを申し添える。

 

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(関連記事)

阪神高速道路が直結するはずだった新幹線大阪貨物駅

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-d2af.html

東海道新幹線開通後の貨物新幹線に係る国鉄の取り組み等(貨物新幹線は世銀向けのポーズなのか)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-a11f.html

貨物新幹線の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-6d9d.html

新幹線予算超過の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-6bd1.html

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2018年8月15日 (水)

地下鉄の色(ラインカラー)はどうやって決まったのか( #ねるねちけい 便乗)

 NHKの「ねるねちけいONLINE!」という番組で「東京の地下鉄のラインカラーがどうやって決まったのか」が話題として取り上げられたそうな。(番組は見ていません。)

 これについては、土木学会誌1988年6月号に三好迪男氏が「地下鉄のラインカラー」と題したそのものずばりの報文を執筆しているので紹介したい。

 

東京地下鉄のラインカラー(色) (2)

 

 この報文によると、「色彩的なバランスを考えた」ということであり、NHKの「ねるねちけいONLINE!」でいうような、「古い路線ははっきりした色」「新しい路線はぼんやりした色」という説明は違和感があるな。

 

東京地下鉄のラインカラー(色) (1)

 

 番組では、色の名前しか言及されなかったが(この表-1と同じ呼称でしたな。)、色を決めたときには、例えば銀座線を「オレンジライン」という路線のニックネームとしても使おうとしたということである。

 実は、この色を使ったニックネームというのはそれなりに便利で、先日渋谷駅で外国人旅行者に地下鉄の乗り換えを説明する際に、路線図を指さしながら「このパープルラインに乗って永田町ステーションでゴールドラインに乗り換えたらええねん」と説明すると、私の稚拙な英語でもバシッと通じたのである。

 

 なお、この色彩の決定には財団法人日本色彩研究所の児玉晃氏の協力によるものということだ。

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2018年6月 9日 (土)

アド街・日比谷特集記念/日比谷地下道はなぜ一方通行なのか?

 今日は、アド街ック天国で日比谷特集らしいので、記念して、日比谷ネタをUPしてみる。

日比谷地下道

 しつこいけど、また日比谷地下道の話。

 今回は「なぜ、日比谷地下道は片道だけになったのか?」ということを探ってみる。

 私は、かつて「もともと日比谷地下道は三原橋まで伸びる計画であったが東京オリンピックを前に営団地下鉄日比谷線と計画が競合し、結果日比谷線が勝って日比谷地下道が負け、地下3階を日比谷地下道が走ることとなった。そしてそのバーターで地下鉄三田線は営団地下鉄から都営地下鉄へ経営権が譲渡された。」という趣旨の記事をUPしてきた。

三原橋地下街を潰すはずだった銀座地下道計画

〇東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html

〇東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html

〇日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b86d.html

三原橋地下街と地下鉄日比谷線と有楽町ガード下地下道の関係

 ところが、1962年の計画(上記上段)でも日比谷地下道は地下3階を経由して三原橋交差点までは行っている。

 現状は三原橋どころか銀座四丁目交差点までも行っていない。何故なのか?

 これがずっと分からなかったのだが、東京都議会の議事録について過去分が遡って公開されていることに気づいた。で、検索すると答え(らしきもの)が書いてあったのである。

◯三十二番(田村徳次君)

(略)

 そこで私は首都整備局長にお聞きするんですが、私の聞いたことがもしあやまちであれば幸いでありますが、もしあやまちでなければ、これから私が申し上げる問題については、議員の皆さんも大いにご検討願いたいと考えるのであります。というのは、今日その地下鉄の主力的立場に立っているものは、何といっても帝都高速度交通営団であると思います。この交通営団の構想をお聞きいたしまずと、現在地下鉄の第二号線の建設に努力中でありまして、すでに南千住から仲御徒町までは開通済みであり来年はその二号線は北千住から人形町まで開通するという予定のもとに今日努力されておる。これが人形町から右折して築地に参りまして、築地から右折して銀座、日比谷を通って、桜田門から左折いたしまして中目黒に達する。いわゆる第二号線であります。そこで今三原橋の下あたりが、これもがっての都政のしわよせが来まして、橋下の住民の反対に会いまして、あそこでもそもそしているようでありますが、いずれにいたしましても、あの線を通ってくることは間違いありません。そこでその構想を承りますと、まず築地からこっちへ来たところにいわゆる東銀座の停車場がある。この二号線はまず三号線の下をくぐる。いわゆる渋谷、浅草間のあの銀座線の下をもぐる。そしてその次は四号線、いわゆる池袋、新宿の線の下をくぐることになっております。従ってそこにできるところの停車場の構想は、いわゆる数寄屋橋と銀座四丁目の間のところに駅をこしらえる。そして地下三際に乗降場ができるということです。その連絡のためには、まず幅員二十メートルの、いわゆる数寄屋橋と銀座の間に停留所をこしらえる。そしてそれが地下一階においてエスカレーターその他によって四号線並びに三号線に通ずるように連絡口ができるというのが、今日すでに決定したところの高速度交通営団の構想なんです。ところが私の不審に思うところは、今申し上げましだように、高速度交通営団、交通局を問わず、これを努力して、都の執行者は一日も早く完成すべきにもかかわらず、これに対して妨害を加えるような地下自動車道路の計画案というものがあるそうであります。ごのことを私は質間したいのでありますが、それは三原橋の西隅から警視庁前に至る一・三キロばかりのどころに自動車専用の地下道としてこれを通そう。先ほど私が申し上げましたように、東銀座の新しい銀座駅は一般のも開放されて地下道として使われ、将来は日比谷の交差点附近までもこれを延ばしていこうということであって、信号をたよって通るところの路上交通に対する援助にもなり、あるいは混雑するところの地上へ出てまたは連絡するということのない、いわゆる三号、四号線に連絡されるといういろいろの効果を持っているわけでございますが。これに対しても首都整備局を中心としてお考えになっている自動車道路は、その地下一階のいわゆる連絡囗へ持っていって自動車を桜田門から三原楊まで通そう。そうなってきますと、この高速度交通営団の考えている地下鉄網についての一頓挫を来たすということであって、このことについては非常に悲しむべき考えである。というのは、自動車は二人か三人とはいいませんけれども少なくとも十人も二十人も乗っては乗合以外にはありません。この間もある婦人の会合に行きましたところが、何で都心にそう自動車を入れなげればならないのだろうか、日比谷なら日比谷でおろして銀繿は歩てもらうようにしたらどうかというようなご意見のあつた婦人団もございますが、そこを私はお間きしたいのです。もしそういう計画があるとするならば、今喫緊の声のかかっている地下鉄完成に対する阻害をなすのは東京都みずからである。私はこういう考えを持つのでありまして、少数の人間が乗る自動車をこういうことまでして都心に入れなければならないかどうか。その理論的根拠は一体どうなんだ。これをわれわれが納得のできるようなと説明があるならしていただきたい、もし私の間いたことが誤りであり、訂正されておるのであったならば、その訂正のことについてのお考えを間かしていただきたい。

 それからこれと柤伴いまして、当然自動車地下道路をこしらえるということになりますと、排気ガスその他に対する抜け穴をこしらえなければならぬから、あの舗道の両側においては柱が立つか煙突が立つか知りませんが、排気口もできるでありましよう。それと同時に都電の徹去ということも当然副産物的に出てくる。というのは、自動車がもぐったり上がったりするというようなことから、この出入口をこしらえるということになりますと、都電は当然あそこは撤去になる。そうなってきますと、二、三人しか乗らない自動車を通すために、高速度交通営団に対する影響と、もう一つ都電そのものの大衆輸送機間を中断するということになる。交通機間というものは起点があって終点がある。これが起点から終点まで乗って初めて交通を意味するのであって、これを中断するならば、人間の胴中から首を切ったと同じ結果になるのだが、こういうことまでもして二人や三人の乗用自動車を通さなければならない、自動車道を保謾しなければならないという根拠がいずれにあるかをご説明願いたい。

(略)

首都整備局長(山田正男君) ただいまの地下鉄の二号線の問題につきましてご説明を申し上げます。実は首都整備局が営団の行なっております地下鉄工事を妨害でもしているかのごとき風説が流布されておることは私も承知いたしております。私実はこういうふうに考えておるのでございまして、地下鉄を含めまして都市高速鉄道というものは単なる法律上の地方鉄道であってはならない。なぜかと申しますと、これは都市の交通を構成いたします一つの施設でございますから、都市計画の総合設計のもとにこの都市高速鉄道というものは組み立てられ、また事業が行なわるべきものであろう、こういうふうに考えておるのでございます。実はご承知のように都心部を中心といたします道路交通事情、あるいは都市鉄道の事情が年々悪化いたしておるのでございまして、都心部の道路交通及び都市鉄道の打開につきまして、数年来都市計画審議会の中には道路の問題の特別委員会、あるいは地下鉄道の問題に関する特別委員会、こういうような機関を設けまして、いろいろ対策を講じて参ったのでございます。そこでそういう立場から、実は三年ほど前から今後都心部の道路の地下を都市高速鉄道に利用する場合には、将来道路が、たとえば首都高速道路のように全部高架の工事をする場合がある、二重の道路を作る場合がある、あるいは主要交差点を高架あるいは堀割式で立体交差の工事をする場合がある。そういうことになりますと、これは道路本来の使用の目的でありますから、道路を利用して作るこの地下鉄道の地面下の深さにつきましては、工事の実施設計をする以前に当局と十分協議をされたい、こういう旨を通牒いたしてあるのでございます。幸い都営の地下鉄道におきましては交通局と私どもと十分協議を行ないまして、昭和通りの道路交道需要を補足する意味におきまして、都営の地下鉄道の工事が実施される際に、同時に主要交差点の立体交差の工事を行ない、しかもその間に地下の自動車駐車場を設けるという工事が合併施行されまして、これによりまして昭和通りといたしましては未来永劫に掘り返しをする必要のない施設ができ上がる、こういうふうに考えておるのであります。そういう意味におきまして、地下鉄の二号線の三原橋から日比谷に至る区間、これにつきましても三年前から鋭意営団当局と事務的な協議を進めて参っだのでございますが、中途にいたしましてどういうものか協議に応じなくなりました。従いましてその後一年くらい協議がとだえておったのでございますが、これに対しまして地下鉄道というものはやはり都市計画の施設でございまして、私どもといたしましても、妨害どころか一刻も早く地下鉄道が完成することを望んでおるのでございますから、実は最近もその両者の協議を復活いたしまして、鋭意協議を進めている、こういうのが実情でございます。

 そこでどういう協議を進めておるかと申しますと、実は桜田門から三原橋を経まして勝閧橋に至る道路、これは実は都心部門の主要幹線街路の将来の交通需要を推定いたしまして、現在の道路施設では当然不足な道路の一つでございます。また都心部におきまして将来の交通需要に対しまして何とか改良をしなければいけない、こういう道路が先ほど申し上げました昭和通り、これは現在工事をいたしておりますから解決いたしますが、なお虎ノ門から汐留に至る区間、あるいは田村町から日比谷を経まして大手町に至る区間、あるいは勝閧橋を渡る道路の問題、こういう問題がございます。そこでこの三原橋から桜田門に至る区間につきましては、いろいろ都市計画寨議会内においても議論をいたしました結果、高架の自動車専用道路をかぶせるか、あるいは地下の道路を作るか、そのいずれかしかない、こういうことでございます。しかしこの区間に高架の道路を作りますと、国有鉄道とか既存の高速道路がございまして、地上三階以上を通ることになる。これは都市美上耐えられない。従ってこれは何とかして地下の自動車道にする必要がある、こういうことでございます。たまたま地下鉄の銀座線あるいは新宿線、これは地下の二階を通っておりまして、地下の一階に駅のコンコースがございます。そこで地下の自動車道といたしましては、この地下一階のコンコースを横断いたしますが、これ以上に方法はないから地下一階に自動車道を作ろう。そのかわり地下二階にコンコースを作ろう。従いまして地下鉄道のみを建設いたしますなぢぱ、地下一階にできるべかりしコンコースを地下二階に移しまして、そのかわり地下一階を自動車道にしよう、こういう考え方をいたしておるのでございます。特にこの銀座地区を中心にいたします都心部につきましては、ご承知のような道路交通事情でございますから、将来、ただいま申し上げましたような道路交通能力を補足する措置を講じましても、現在のような建築基準法のもとに工事いたしますと、九階建のビルディングが連続いたすわけでございます。これでは将来の都市施設とそれに対する需要がますますアンバランスするわけでございます。全般的にただいま申し上げましたような道路計画を含めまして市街地再開発を行なう。そこで再開発の結果できましたビルディングの地下室には大規模の自動車駐車場を設ける。ただいま申し上げましたような地下の自動車道路は、そのビルの駐車場に地下で直結をしてやる。そういたしますと、道路上に自動車が出ないで各ビルに相互に連絡できる。こういう考え方は、いわゆるディストリビューター、分配道路という思想でございまして、シカゴにおきましては自動車専用道路からおりた車を各地区に誘導いたしますために、このデベストリビューターという自動車専用道路、本来の高速道路よりも規格の低い道路を作りまして、そして平面道路の交通能力を補っておるというのが実情でございます。現に市街地再開発といたしましては、丸の内の赤れんが街の一帯は、すでに再開発中でございますが、この下には約二千六百台分の自動車駐車場を作る計画になっております。そういう際には、この地下の自動車道路ができますならば、地下においてこの駐車場と接続をする、こういうふうに考えております。他の場所におきましても市街地再開発計画の一環といたしまして、この自動車道路との連絡を考慮している、こういうような実情でございます。

 また換気の問題がございましたが、この換気は実は米国におきましてもこういう程度のディストリビューター式の地下自動車道略がございまして、きわめて簡易な、縋の方向の換気ではなくて横断式の換気装置によりまして簡単に換気ができる見込みを持っておるのでございます。もちろんこういう自動車遠路の建設は、直ちに賂面電車の撤去ということとは関連なく研究をいたしております。もっとも工事をいたします際には、この地下の自動車道路の工事をいたしますならば、土かぶりがゼロになります。そういう工事をいたします際には、やはり路面電車の運行を一時中止せざるを得ないという場合が考えられます。しかし地下の一階が自動車道路でございますが、地下の二階がコンコース、その一階と二階の間にさらに約二メートル余の空間がございまして、ここを共同溝にする。そこで埋設物は全部この共同溝に入れることにいたしたい。そういたしますと土かぶりがゼロでございますから、通常やっておりますように木の矢板をとりまして、そこへまた土を持ってきまして、埋設物をそっと納めまして、また自動車で自然転圧を長々とやりまして、簡易舗装の仮舗装をする、二年ほどたってからまた本舗装の工事をやる、こういうだらだらした工事でなくて、地下鉄の工事と同時に本舗装が完成する。将来永久に掘り返しがない。なおかつあわせまして共同溝ができる、こういう利便があるわけでございます。それにいたしましても、地下鉄の駅の現在のコンコースをちょん切るという問題がございます。また路面電車の運行を一時中止するということも問題である。あるいは施工方法の問題等々、いろいろの問題がございますので、目下関係各省を含めまして、交通営団当局と鋭意協議中でございます。この自動車道路が建設できるかいなかというその判定は、十月中にはいたしたい。いずれかを決定いたしまして、いやしくも地下鉄の工事を妨害するというような批判を受けることのないように努めたいと存じておるのであります。以上であります。

 

1961.09.29 : 昭和36年第3回定例会(第16号) 

 ここまでは、日比谷地下道の期待される効果について述べられている。比較案として高架で国鉄を跨ぐ案も考えられたが、「これは都市美上耐えられない」として地下道とされた。

 山田正男とオリンピック関係の道路といえば、首都高と日本橋との関係のように、山田正男は悪者になってきているのだが、実際には都市美を考慮して事業を進めているのである。

 あえて悪いことを書くと「銀座の都市美は考慮するけど、日本橋の都市美は考慮しなかった」ということなのかしらん?

 まあ、実際には日本橋については橋の下を日本橋川を干拓して首都高を通すのが本来の構想だったので「日本橋の上空」は守られるはずだったのだが。

 

 閑話休題。上記は東京都と営団地下鉄が協議中ということだったが、その後の協議結果が1年後の都議会で報告されている。

◯五十一番(竜年光君)

(略)

 なおこの都市計画が一たんきまっても、今までときどき耳にしていることは、いろんな抵抗や圧力があって、これが変更される。実情に応じて変更されることは一向差しつかえないともいえますけれども、ある部分においては変更され、ある部分では三年も五年も十年もがまんをしてきて、みすみすほかの方では有利に変更されているということが、やはり起きて参りますと、正直者がばかを見るというようなことで、都民はこういうことに対しては協力できなくなる。最近でも、二、三そういう事例があったそうでございますが、いずれにしてもこの都市計画と、実施という問題については、計画は計画だけだ、しかもそれが首都整備局の一部の人が知っているというだけの計画であっては、決してこれは都市計画が満足にいくはずがない。私が聞くところによりますと、区役所でもわからない。都庁の中でもだれに聞いてもわからない。ある部分のところにいかなければわからぬ。ところが外国の都市計画は三年でも五年でも一つの問題についてこじきに至るまでそれをよく周知させて、いざきまったら直ちにそこで実施をする。これが都市計画のいき方らしい。そこへいくと全然今の東京都は逆のことをやっているわけでございます。でははたして今かかえておる都市計画が実施できる計画か、今の都市計画をほんとうに実際に予算面から検討して実施するとするならば、一体何千億、何兆かかるかということをこの際私はできるならば発表してもらいたいと思うのです。できない計画ならばこの際はっきりどこに重点を置くかというふうに定めて、抜本的にこれを重点的にやる所だけの計画にしてもらいたい。そうしなければ、今の都市計画というものは、単なるこれは都民を泣かせるだけの計画に終わるということを私は申し上げたい。なおこれに関連してでございますが、最近新聞を通じて知ったのですが、三原橋と日比谷間の地下自動車道について、九月に河野建設大臣が現地を視察したときに、一体この都心部で四十尺も六十尺も掘り下げて地下鉄の下にしかも自動車道を通す、トラックも入らないような自動車道を通して、四十億も幾らもかける。そんなばかな話があるか、世界に類例をみない、おれの在職中は絶対そういう計画はやらせないということをいわれたそうでございますが、私は正確にそのことを聞いでおりませんので、そのときにいられた当面のおそらく首都整備局長かどなたかはっきりお聞きになったと思いますが、この際はっきり私どもの前でどういうことであったのかということを説明をしてもらいたい、私は要望いたします。東京都の都市計画というものは、これほどずさんなもので、いいかげんなものであるということであったのか、あるいは大臣のいうことが間違いであったのか、いずれにしてもはっきりしてもらいたいと思います。都市計画についてはいろいろございますけれども、かいつまんでその点だけにしておきます。

(略)

 

首都整備局長(山田正男君) 

(略)

 最後に、三原橋─日比谷間の地下の自動車道路計画の問題について、経緯のご質問があったわけでございます。実はこの問題につきましては、都心部の道路交通を解決いたしますために、地下鉄の二号線を建設いたします際に同時に地下の一階に自動車道路を作る必要がある、こういう立案をいたしまして、数年来営団当局と協議を進めて参ったわけでございますが、営団当局がどうしても同意をいたしませんために、この計画については、建設・運輸両省並びに首都圏整備委員会が問題を取り上げまして、この三者の間で都の案について検討が行なわれたのでございます。そうしてその三者の間で技術委員会を作っていろいろ検討いたしたわけでございますが、東京都の主張にもかかわりませず地下の一階に道路を作ることを否定いたしまして、地下鉄のレベルと同じ地下の三階に自動車専用道路全作ることが適当であろう、こういう決定がされたわけでございます。その決定の理由は、地下の一階に道路を作る費用と地下の三階に作る費用とは、それほど費用の差がないということが主たる理由のようであったわけでございます。そこで、この決定を受けまして、都といたしましては、はたしてその決定の通りであろうかどうか、費用がその程度でできるかどうかということを検討して参ったのであります。特に地下鉄二号線の建設を急ぎますので、営団当局と鋭意協議を進めて参ったのでございます。当初十八億余で地下の三階に自動車道路ができるということであったのでございますが、いよいよ実際に協議してみますと、あるときは二十五億円といい、あるときは三十六億円といい、最近に至っては五十億円もかかるというような申し出があったわけであります。これでは都といたしましては自動車道路を作る投資効率、投資に対する効果が少ない、こういうことで建設省当局に、一応そういう決定がされたけれども投資効率が少ないんだ、さてどうするか、こういう協議をいたしておる際に、たまたま河野建設大臣からのご注意がありました。そういう決定がかって行なわれたけれども、実際にそういう投資効率が低いならば、最初想定されたよりも工事費が非常に高いならば、もっと再検討するべきである、こういうご発言かあった次第であります。現在建設運輸両省及び首都圏整備委員会と東京都の間で検討いたしておる途中でございますが、おそらく三階に地下自動車道路を作ることは、投資効率の点からいって必ずしも採用すべき性質のものでないと考えております。しかし、この都心部の道路交通能力をこのままで放置しておくことは適当でないのでございまして、これにかわる対策を目下関係者間で協議中でございます。いずれ遠からず決定を見るものと存ずるのでございます。

 

1962.09.29 : 昭和37年第3回定例会(第14号) 

 東京都と営団地下鉄で、日比谷線の計画はそのまま、日比谷地下道は地下3階に決定したが、地下道の予算が想定よりもふくらんだため、事業を見直しせざるを得なくなり、地下3階案は放棄したということか。

 このあたり、山田正男氏の別の著書(対談)でも経緯が出てくる。

総反対くった都心の自動車専用トンネル

片岡(片岡護・読売新聞記者) こうして安井時代を経て、首都高速道路公団ができたのは昭和三十四年ですね。この首都高速のプランをつくったときに、私、さっき言った十年後の東京という取材であなたにいろいろ教えていただいたんですが、ほぼそうなっていますね。

山田 そうですな。

片岡 十年後にできなかったこともありますけどね。

山田 物価のズレぐらい遅れただけですね。全然できなかったというのは殆どないが、一つだけ、計画すら成立しなかったのがある。それは都心の東西方向の道路交通解決の最後の決め手と して桜田門と三原橋間に地下の自動車専用のトンネルをつくることです。地下鉄日比谷線はその 下を通してね。東京オリンピック大会の前にその計画を決めようと思ったところが、地下鉄営団の総反対をくった。総裁の鈴木清秀さん以下、副総裁の牛島辰弥さん、技師長の水谷当起さんとか、政官界の運輸族を総動員して反撃を受けましてね。それに対抗する都庁側は私一人だから、 四面楚歌、孤軍奮闘ですから、とても勝負になりません。向こうは大先輩が揃っている、カネはいくらでもある、国会のほうにも手を回す。こちらは孤軍奮闘で、徒手空拳だった

片岡 反対の理由はなんだったんですか。

山田 地下鉄銀座線の銀座駅のコンコースを自動車道でチョンぎることになるし、地下鉄日比谷線が下になるので、やりにくいから反対だというんだ。それで相互の友人が見るに見かねて仲裁に入りましてね。築地の某所で、仲裁人が入って会談をやったんですが、激論になりまして ね、私が机叩いて帰りかけたら、「まあ、まあ」と引き止められたりして。それで結局、営団がやる地下鉄の二号線がオリンピックに間に合わなくなるとかいいましてね。間に合わなくたってオリンピックに支障はないと私は思っていたけれども、連中にしてみれば、オリンピックに名をかりて造りたいもんだから。オリンピック関連事業と称するものの中に入ってるんですよ。きのうも新聞見ると、名古屋がオリンピックを招致するといって関連事業としていろんなものをたくさん盛りこんだ誇大広告をやっている。ああいう名を借りた便乗計画を流行させたハシリですね。それで結局、政治力に負けたといっては何ですが、私もあきらめて、いま数寄屋橋から日比谷公園までの片道だけの地下自動車道があるでしょう、あれだけで手を打ったんです。この計画だけは負けましたね。数に負けた。孤軍奮闘なんだもの、私は。もう少しこっちにもついてくれるものがいてもよさそうなもんだけど、ダメなんだなあ。

 

「明日は今日より豊かか 都市よどこへ行く」政策時報社・刊 山田正男・著 236~237頁

 

 東京都と営団地下鉄との協議は山田氏の孤軍奮闘で東京都が協議負けし、「数寄屋橋から日比谷公園までの片道だけの地下自動車道があるでしょう、あれだけで手を打ったんです」ということになった。

 なお、これによって日比谷地下道をぶつけることで力づくで撤去しようとしていた三原橋地下街が生き残ることになってしまった。

 山田は、後に自著において

 しかし今でも残念なのは、銀座界隈の最後の道路交通対策として計画した,祝田橋方面と三原橋方面とを結ぶ地下自動車道計画を地下鉄2号線(※引用者注:日比谷線のこと)の工事と同時に施工し、三原橋を撤去することによりついでに七不思議の一つを解消しようとしたが,オリンピック東京大会をひかえて工期の関係等もあって断念せざるを得なくなり、遂に中途半端な一方通行の地下道に終わってしまい,七不思議の一つも今だにその醜態をさらしていることである。

時の流れ・都市の流れ」都市研究所刊、山田正男著 25頁

と記し、「安井都政の七不思議」の一つである三原橋問題を地下道建設とあわせて解決しようとしたが達成できなかったことが分かる。

 これによって三原橋地下街は2014年まで生きながらえることとなった。

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2018年5月20日 (日)

チコちゃんを叱ってみる「お年寄りをシルバーで呼ぶのは国鉄のシルバーシート由来なのか?」

 「骨まで大洋ファン」なので、大洋ファンつながりのチコちゃんは応援している。

 ところで、「チコちゃんに叱られる! #6」で

人生経験が豊富な岡村にチコちゃんが「なぜ高齢者のことをシルバーという?」と質問。「白髪が出てくるから」と答え、不正解だったので叱られた。正解は、「たまたま銀の布が残っていたから」。

国語辞典編纂者の飯間さんが解説。1974年発行の三省堂国語辞典にはシルバーに高齢・老人の意味はない。1973年に国鉄に登場した優先席「シルバーシート」が由来。実際に名付けた相談役の須田さんは当時のJR東海の社長。須田さんは名前について、必然的、ケガの巧妙と語る。

シルバーシート誕生について映像で紹介。1973年7月、国鉄では私鉄に逃れた私鉄から客を取り戻す策を考えていた。須田さんは、お年寄りの為のシートについて話題性がほしいと考え敬老の日から導入することを決定。約2ヵ月の期間で議論を開始するも赤字財政が続いており新しい座席は作れなかった。当時の新幹線に使われた銀の生地が残っており、座る部分だけを銀にしてシルバーシートとした。その後、私鉄・バスにも広がりシルバーが高齢者を表す代名詞となった。他の色が残っていればその色の名前になっただろうと須田さんがコメント。

https://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/72821/1164188/

 参考までに「国有鉄道」1973年10月号によると下記のとおりとなっている。

チコちゃんに叱られるで、高齢者のことをシルバーというのはシルバーシート由来と言っていたが果たして (4)

 ところで、同じく国鉄が発行している「国鉄線」1973年3月号に気になる表現が載っている。

チコちゃんに叱られるで、高齢者のことをシルバーというのはシルバーシート由来と言っていたが果たして (3)

 これは、国鉄新潟鉄道管理局営業部販売センターの田辺恵三氏が書いた「5つの需要層に向け商品づくり ヨンナナからヨンパーへ売る営業の発展」という記事で、昭和48年度の国鉄の旅行商品の売り上げ促進策を報告しているものである。そこに「シルバーエイジ」という言葉が出てくるのである。内容としては明らかにお年寄りを指していると言えるのではないか?

 まあ同じ国鉄社内とはいっても当時の国鉄はそこんじょそこらの大企業よりもデカイ図体の組織なので、須田寛旅客局営業課長(当時)は、「国鉄線」なんて読んでいなかったかもしれない。

チコちゃんに叱られるで、高齢者のことをシルバーというのはシルバーシート由来と言っていたが果たして (1)

「交通年鑑 昭和48年」に掲載された国鉄職員名簿

 ところで、「国鉄線」の編集はどこでやってたかなんてえのを調べてみますと。。。

チコちゃんに叱られるで、高齢者のことをシルバーというのはシルバーシート由来と言っていたが果たして (2)

 営業課と同じ局内の国鉄旅客局総務課じゃないですか。

 「国鉄線企画編集委員会委員長」は、名簿では須田営業課長の二つ上に掲載されている八田総務課長じゃないですか。

 なら須田営業課長も読んでいるでしょうよ。シルバーシートを世に出す半年前に。

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 ということで、新幹線の座席の生地が余っていたかはともかくとして、

「シルバーシート以前に国鉄社内ではシルバーエイジという言葉を使っていたし、須田営業課長はそれを知っていた可能性は極めて高い」

ということは言えるのではなかろうか。

 国語学者であれば、この「シルバーエイジ」という言葉の由来等を当時の新聞や雑誌での用例あたりから調べるのだろうが、そこは専門家にお任せしますが。。。とりあえず言ってみたいので。。。

ボーっと生きてんじゃねえよ!

(参考)

https://togetter.com/li/1228829

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 せっかくなので、須田つながりで、ベイスターズの須田投手が昨年サヨナラ満塁ホームランを打たれたところでも貼っておきますかね。

須田ァ baystars (1)

須田ァ baystars (2)

須田ァ baystars (3)

ボーっと生きてんじゃねえよ!

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2018年1月10日 (水)

「夢の超特急」は、国鉄社内からの「新幹線なんかできっこない」とバカにする気持ちを込めた蔑称だった

 講談社の「現代ビジネス」というウェブサイトに、川口 マーン 惠美氏が「ドイツ版新幹線がお披露目した「夢」のようなポンコツっぷり」という記事を寄稿した。

 私はドイツの新幹線には関心がないのでスルーするとして、文中「東海道新幹線の構想が公にされたのは1957年。しかし当時は、鉄道は過去の交通機関で、これからは飛行機と自動車の時代という風潮が強く、「できないもの、無用のもの」という揶揄を込めて、「夢」の超特急と呼ばれていたという。」という記載に対して、鉄道趣味者の方から「初耳だ」「ソースを出せ」「どうせマスコミが(ry」といったリアクションが見受けられた。

 

 私は天邪鬼なので、「じゃあソースを探してみるか」とちょいと探したら、すぐ出てきた。

 

 国鉄幹線調査室調査役から新幹線局営業部長等を歴任した角本良平氏はこう語っている。角本氏は、中公新書「東海道新幹線」等の著書もある。

高嶋 「夢の超特急」という言い方はいつごろ出てきたんですか。

角本 最初だと思います。誰がつけたか、私は知らない。だけど、最初のころでしょう。これは2つ意味があって、「夢の」というのは「どうせできっこない」ということです。営業局の人たち、彼らは「どうせできっこない」と思っていた。実際に予算がついて、建設が始まってからも、非常に多くの営業局マンは、そう思っていた。ということは、我々、期限を切っているでしょう。「そんな期限でできるはずはない」と。実際は半年期限延びたわけですから。

二階堂 「新幹線自体が永久にできるわけない」ということではなくて、「そんなに早くできるわけがないということ。

角本 そうそう、そういう意味。それからそんなに速い速度のものができるわけがない」と、そんな意味もあったと思います。ですから、篠原研究所長、それから海軍出身の技術屋、皆それを実際にやったことがないから、「そんなのできるだろうか」という疑問でしょうね。営業から言えば。

二階堂 「できっこない」と思っていたのは営業局、という認識が、角本さんのなかで強いわけですね。

角本 私は、そう思っています。

 

角本良平オーラル・ヒストリー」交通協力会・刊

 「できないもの」と揶揄して夢の超特急と呼んでいたのは、マスゴミではなくて最初から国鉄社内だったということだ。

 角本良平氏一人のコメントだけでは不十分かもしれない、角本氏と同時期に幹線調査室の総括補佐を務めていた矢田貝淑朗氏のコメントも見てみよう。

幹線調査室

中村 幹線調査室が発足した段階では、もちろん予算もついていなければ、計画も雲を掴むようなものであった、と。

矢田貝 もう何もなかったはずです。私が行ったときですら、ほとんど何もありませんでしたから。「弾丸列車、夢の超特急、速度が凄いらしいが、矢田貝さん、そんなことできるの?」とどこへ行ってもそうだったのです

中村 その段階ではもう、時速200キロという数字は出ていましたか。

矢田貝 出ておったんです。だから「夢の超特急」という言葉があったんです。これはそんなことできるわけがない」という意味の「夢」で、部内でバカにされるときの言葉なんです。そろそろ幹線調査室から幹線局になる頃にも、有名な作家で「万里の長城、戦艦ヤマトと並ぶ大バカだ」と言ったのがおったじゃないですか。

二階堂 阿川弘之です。

矢田貝 そうだ。そうやって笑い物にされたり、バカにされたり、「普通の鉄道なら地方に利益もあるだろうが、田んぼに万里の長城を造られたって困る」という雰囲気だったんですよ。そういうときですから。

矢田貝淑朗オーラル・ヒストリー」交通協力会・刊

 角本氏は「国鉄営業局が」と語っているが、矢田貝氏は「どこへ行ってもそうだった」「部内でバカにされる」と語っている。

 川口 マーン 惠美氏の肩を持つつもりもないし、余計な詮索をするつもりもないが、ジャンピング土下座を自主的にやった方がよい方もいらっしゃるのではないか。

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(追記)

須田寛は夢の超特急について嘘をついているのではなか

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4184?page=2

 JR東海の須田寛氏は「「夢の超特急」は、マスコミの方などが使われたものですね。国鉄(当時)自身では、1度も使っていません。」と語っているようだ。

 当時幹線調査室に居た二人と須田氏のどちらを信用するかが問われているな??

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2017年9月10日 (日)

本四橋・大鳴門橋への四国新幹線架設は本来中止するはずが徳島の政治家が復活させた?

 先日読売新聞にこんな記事が報道された。

大鳴門橋の下部、観光活用へ…トロッコ列車案も

 

 兵庫県南あわじ市は、淡路島と四国を結ぶ大鳴門橋(1629メートル)に鉄道を敷設するため造られた橋の下部について、観光への活用の可能性を探る調査を始めた。

(中略)

 大鳴門橋は、上部が自動車専用道路、下部は新幹線規格の鉄道を通す計画で建設された2層構造の道路・鉄道併用橋。神戸淡路鳴門自動車道として1985年に開通したが、鉄道の敷設計画は具体化していない。

(中略)

 一方、紀淡海峡をまたいで本州と四国を結ぶ新幹線の整備構想があることを踏まえ、「四国の経済界は今も新幹線の実現に期待しており、下部の他用途転用はそれを遠ざけると受け取られないか。安全性の観点からも慎重な検討が必要だ」との声もある。(高田寛)

 2017年09月06日 20時50分 http://www.yomiuri.co.jp/economy/20170906-OYT1T50051.html

 本州四国連絡橋神戸・鳴門ルート関連の鉄道はこのように建設されるはずであった。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (4)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (6)

 「道路」1973年1月号「本州四国連絡橋の計画」本州四国連絡橋公団 から引用。

 明石海峡大橋に鉄道を架けるのをやめた話は、先日「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.htmlに書いたところである。

 ネットやTwitterでは、「明石海峡大橋を道路専用にしたため、大鳴門橋の鉄道施設が無駄になった。」「四国新幹線が建設できなくなったせいでJR四国の経営が悪化した。」といった書き込みが見られる。

 そもそも大鳴門橋だって新幹線設備は建設せずに道路専用橋とすることで政府の方針は固まっていたのだが、徳島の政治家(三木武夫元首相)がひっくり返したのである。当時四国新幹線のアテはほぼ無くなっていたにもかかわらず。

 昭和54年版「交通年鑑」の、昭和53年3月9日の項に、「大鳴門橋を鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方針を固めた」とある。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった

 当時の報道も確認してみよう。

本四橋⼤鳴門橋は鉄道はずし「道路単独橋」に――3省庁、建設促進で⽅針固める。

 

 建設、運輸、国土省庁は9日、本州四国連絡橋の神戸・鳴門ルートにかける大鳴門橋を当初計画の「道路鉄道併用橋」から「道路単独橋」に変更する方針を固めた。「国鉄財政が悪化しているのに、開通の見込みの立たない鉄道を併設するのはおかしい」との異論が以前から政府部内にあったが、政府は公共事業促進の一環として、道路単独橋にして完成を急ぐことになったもので、4月中に鉄道建設審議会に諮って正式決定する。

 

1978(昭和53)年3月10日付 ⽇本経済新聞

 この報道の後、国会質疑でも大鳴門橋への鉄道架設の件が取り上げられているので紹介したい。

○二宮文造君 ところで、やっとこのごろに到達したんですが、去る三月の七日に建設、運輸、国土、この三省庁の事務当局者の話し合いで、神戸-鳴門間のいわゆるAルートですね、これの大鳴門橋を、ずっと進んできた道路、鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方向で合意に達したというふうな報道がされておりますが、この件はどうでしょうか。

○政府委員(浅井新一郎君(建設省道路局長)) 御指摘の点でございますが、新聞情報でそういうようなことが流れております。事実、事務当局間で会ったことはございますが、これは大鳴門橋の建設に絡みまして、先ほどもございました、従来併用橋ということで工事がずっと進んでまいっておりまして、いよいよ塔の発注時期を迎えておるわけでございます。ただ、鉄道橋併用問題につきましては後ほど御説明あると思いますが、新幹線問題についていろいろな運輸当局の考え方もあるようでございます。そういうことを絡めまして情勢分析をするために集まったわけで、その席で方針が決められたというようなことはございません。

○二宮文造君 じゃ、新聞報道はうそですか。困りますか、答弁に。

○政府委員(浅井新一郎君) うそというわけでもないんですが、話し合いをしただけのことでございまして、結論を確認したわけでも何でもないわけでございますので、結論を出したというようなふうに報道されるのは、ちょっと大げさな報道ではないかというふうに考えます。

(中略)

○二宮文造君 新聞等を見ますと、国鉄さんいよいよ登場ですが、新聞報道を見ますと、国鉄の方、いわゆる運輸関係ですね、こちらの方が一おりたで、採算上の理由で、非常に強硬な御意見でこの会合をリードされて、それがいわゆる道路単独橋に踏み切ったと、こういうニュアンスになったと思うんですが、鉄道側の事情、いわゆる道路単独橋に至る鉄道側の事情を、ちょっとでなく詳しく説明いただきたい。

○政府委員(山地進君(運輸省鉄道監督局国有鉄道部長)) 国鉄が再三の財政援助を仰ぎながら毎年巨大な赤字を計上していることは先生方の御承知のとおりでございまして、昨年の運賃法定制度の緩和ということをやっていただいたのもその一連の助成の中の一つでございまして、五十年以降運賃を五〇%も値上げするというような非常にドラスチックなことをやったにもかかわらず年間九千億にも上る赤字を計上しておりまして、今回の運賃の法定制度を緩和したということを軸にする再建の基本方針というのは昨年の十二月の二十九日に政府で決定したわけでございますけれども、今後の国鉄再建については並み並みならぬ努力が必要だろう、これは政府の助成もさることながら国鉄自身の経営というものを立て直さなければならないという事態になったわけでございます。このような国鉄の再建というものを今後五十三年、五十四年にわたりまして五十年代中に何らかのめどをつけたいというような中でこの本四の架橋の併用部分を考えてみますと、四国新幹線、いまの大阪から大分に至る新幹線というのがいつできるかということについては非常に見通すことがむずかしい問題の一つになってきております。いま整備五線というすでに整備計画のできているものについても、一体これは財源問題も含めましてどういうことになっていくのかということで議論されているわけでございますが、その他の計画路線についてはさらに時間がかかる問題だろうと思うわけでございます。  こういうことを考えてみると、一体その併用部分の金というもの、まあ六百億ぐらいの負担を国鉄がせざるを得ないわけでございますが、これが四国新幹線ができない間、まさに何らの効果も生まないままに置くということは金利が毎年積み重なってまいりますので、これは国鉄、それから本四公団についても大変な圧迫要因になる。こういうことを考えまして、一体この併用橋というものについてもう一回見直すべきじゃないだろうかという議論をわれわれの方でいたしまして、今後も本四における鉄道部分というのは、新幹線で行くにしても併用橋であることが必要なのかどうかということで、とりあえず私どもとしては、単独橋の考え方というものは一体いままでの経緯から見て認められるものかどうか、かような観点で国土庁並びに建設省といろいろお話をしているというのが現状でございます。

(中略)

○二宮文造君 運輸省にお伺いしますが、結論は、鉄建審に諮問をして、その最終決定を得て方針が決まると、こういうことですが、鉄建審への諮問はいつと考えていますか。また、やっていますか。

○政府委員(山地進君) 鉄道建設審議会にかける部分と言いますのは、先ほど御説明いたしました本州四国連絡橋公団法に基づいて基本計画を決めた神戸-鳴門ルートについて併用橋ということが出ておりますので、それを直すための諮問を鉄建審にかけなければならない。それからもう一つ、新幹線鉄道網の整備に関する法律の基本計画というのはこれは何ら変更がないわけでございます。したがって、こちらの部分は鉄建審にはかけなくてもいいと、こういうのが事情でございます。私どもとしては、できるだけ早く鉄建審も開いていただいてこの問題の結論を得たいと、かように考えております。

 

1978(昭和53)年3月28日 参議院予算委員会

 ざくっというと、「四国新幹線なんかいつできるかアテもつかないのに大鳴門橋に鉄道施設を造っても600億+金利がかかるばかりなので道路単独橋にしたい。」ということであろう。

○森下委員 (略) 三月二十八日の参議院の建設委員会で運輸省の山地国鉄部長は、四国新幹線の問題でこういうふうに答弁をしております。要旨は「四国新幹線大阪-大分間の完成など見通しを立てるのも難しい。大鳴門橋の新幹線併用部分に対する国鉄の分担金は、金利だけでも国鉄を圧迫するので、併用を見直すべきだという議論を内部でしてきた。」それから「大鳴門橋の計画から新幹線併用を外すため、鉄建審にかけるよう、関係者間のコンセンサスを得る努力をしている。しかし新幹線整備法に基づく四国新幹線の基本計画はなんら変更するものではない。」こういうふうに答弁をされております。

 それから四月十四日に住田鉄監局長は、紀尾井町の赤坂プリンスホテルで開かれました高知県関係者との懇談会でこういうふうにおっしゃっておるようです。「大鳴門橋に新幹線を通すのは国民経済的にも問題があり計画を変更したい。その際四国新幹線はトンネルにすることになるので単独橋が正式決定されれば、明石-鳴門のトンネル調査を始めたい。」それから「計画変更を鉄道建設審議会に諮る際は徳島、高知など関係県の了解を得ることを前提にする」こういうふうに実はおっしゃっております。

 その内容を見ますと、現在の国鉄の財政内容を見ましても、併用橋の場合は六百億ばかりの巨額の金を運輸省が負担するわけでございますから、これも大変でございますし、大阪から淡路を通って四国それから大分県、これが四国新幹線のルートでございますけれども、これができ上がるには二十年も、遅ければ三十年も四十年もかかるのではなかろうか。残念ながらわれわれ自身もそういうふうに予想をされるわけです。そのために運輸省の持つべき六百億の負担金、これが金利等を考えますと、現在の貨幣価値でも二千億も三千億もかかる。効率的に非常によくない。われわれも、決算面から考えましても、併用橋ができて早く開通できればいいと思いますけれども、現実はそう簡単なものじゃないということを考えまして、最善よりもむしろ次善の策をとって、そして単独橋でもいいから早く橋をかけてもらいたい。いろいろ条件はあると思いますけれども、実はそういう方向で進んでもらいたいと私は思うのです。

 そこで、いろいろお聞きになっておると思いますけれども、運輸大臣に次のことをずばりお聞きしたいわけでございまして、ひとつ明快にお答え願いたい。  まず、大阪から四国を通りまして大分へ参ります四国新幹線、これはすでに豊後水道、大分と愛媛県の間ではトンネル調査をやっております。運輸省で予算を二億円ばかり毎年つけておりますから実績がございます。そういうことで、併用橋問題は別にして、四国新幹線は絶対に断念しないのだ、あくまでもやるのだ、これをまずお聞きしたい。

 それから、鉄建審、先ほど私が申し上げました鉄監局長や国鉄部長の発言の内容にも、鉄建審とか閣議でこれは前に併用橋ということで決めておりますから、これをおろすのはそう簡単にいかないと思うのです。その点やはり運輸大臣の決断によって早く決まる。しかも、不景気なときでございますから、早く公共事業をやらなくてはいけないし、下部構造は大鳴門の場合はできておりますから、上部構造にかかる場合に併用か単独かということが非常に問題になりますし、どうしても六月までに決めないとまた一年延ばされる。実は昨年も予算をそのまま使わずに置いてあるようなことでございまして、これも決算から見ましてもまことに効率の悪い問題でございますから、ひとつ大臣の方からお答え願いまして、また具体的な問題は鉄監局長の方から補足していただいても結構でございますから、大臣からよろしくお願いします。

○福永国務大臣 まず四国新幹線の件につきましては、お話にもありましたように、これの計画には変更は別にないわけでございます。率直な話、やりようにもよりますけれども、どっちが先になるか、これはなかなか、世に急がば回れというような言葉等もございますので、今後どうなるかと思います。そういうように私は思いますけれども、いずれにしてもその四国新幹線につきましては、考え方を変えるものではなく、推進していきたいと存じます。

 それから、鉄道建設審議会との話等につきましては、いま閣議で決めたかのようにお話がございましたが、これはどっちでも大した差はないと言えばそれまででございますが、閣議で決めたのではなくて運輸大臣が決めたことになっております。いずれにいたしましても、それについて変更する措置を講じなければならないことは、これはもう御指摘のとおりでございます。

 なかなかこの節、運輸省に振りかかってまいります問題が多い。一方においてはやれとおっしゃるし、一方においてはやるなと言う方が実は多いのでございます。気の弱い小生、いろいろ悩んでおりますが、いずれにいたしましても、お話のように決めるべきことは決めていかなければならない。せいぜい努力をいたしたいと存じます。

○住田政府委員(運輸省鉄道監督局長) 鳴門大橋と明石大橋の併用橋でございますが、これは閣議了解とか閣議決定ということではなくて、運輸大臣が鉄道建設審議会に諮問いたしまして、その答申を得て、本四公団に併用橋でやるように基本計画で指示をいたしたものでございます。

○森下委員 鉄道建設審議会ですね、四月の上旬ということでわれわれ非常に期待しておったのですが、いろいろな問題が起こったものですから延びておるし、いろいろ関係府県とも連絡を意欲的にやっておるようでございますけれども、私は、でき得ればこの四月中にぜひお願いしたい、またやるべきである、こういうふうに実は思っておるのですが、大臣の方で、非常にむずかしい問題がございます。一〇〇%了解を得るということは非常にむずかしいと思うのですけれども、少なくとも四月中にできなければ連休明けぐらいにはひとつ鉄道建設審議会を開いていただきまして、前向きでやるという私はお約束を得たいと思います。この点、どうでございますか。

 もう六月からこれやってもらわないと、また一年延びますからね。景気浮揚ということで公共事業で大型予算をつけておるわけでございますから、その点ひとつでき得れば四月の下旬でも、どうしてもぐあい悪いときには連休明け直ちに、ぜひ私は鉄建審ではっきりしてもらいたい。どうでございますか。

○福永国務大臣 森下さんお話しのように、私どもも実は四月、なるべく早くやりたいというような気持ちがあったことは事実でございます。正直に申します。いろいろございまして、そういうように運んでいっていないということを大変残念に思いますが、いま、いつ開くということを申し上げると、すぐこれまたいろいろなことになりますので、よく森下さんのお話を伺っておいて……というように存じます。いずれにしても、できるだけ早いことが望ましいと思っていることに変わりはございません。御了承いただきたいと存じます。

○森下委員 この併用橋か道路橋かという問題は、地元の国会議員もわれわれも含めまして十数年前から論議されておる問題でございまして、運輸省だけの責任じゃなしに私どもの責任も実はございます。しかし、政治家である以上、やはり決断すべきときには決断して、県民なり選挙民からの非難を受けることもあるだろうし、先見性がいかになかったかということの批判を受ける場合もあると思うのです。しかし、やはり決断すべきときには決断して、そして後の批判を受けていくのが、批判を避けて通れないのが政治家の一つの宿命でございますから、あえて私も申し上げるわけでございます。  そういうことで、はっきり言いにくい点もよくわかりますが、ひとつ意欲的にそういう方向でぜひお願いしたい。これは尖閣諸島の問題や成田の問題よりは、国内の問題でございますから簡単にいけるし、われわれ自身も、関係機関、また関係民に呼びかけて了解を得るように努力をしていきたいと思います。

 

1978(昭和53)年4月18日 衆議院決算委員会

 この森下元晴代議士は自民党で徳島県選出である。大鳴門橋の地元議員が、「さっさと鉄道建設審議会にかけて大鳴門橋に鉄道を架けないことを決めて道路単独橋でよいから早く造ってくれ」と政府に申し出ているのである。

 他方、運輸省も「本四架橋では新幹線はできなくても、別途本四間に新幹線用のトンネルを掘るからいいじゃないか」と高知県に申し出ていたことも分かる。

 1978(昭和53)年6月5日付毎日新聞は、その後の駆け引きを下記のとおり報じている。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった2

 先の国会答弁では、持って回った言い方だった運輸省だが、この記事ではもっとズバズバ発言している。

 方針転換の理由を運輸省の住田鉄道管理局長(※引用者注 後のJR東日本社長)は、「新幹線の併用橋を造るには、全部の新幹線計画が決まらなければならない。大鳴門橋はともかく世界最長のつり橋になる明石海峡大橋に新幹線を乗せることは、騒音対策も含め、技術的に極めて困難だ。それに新幹線はいつできるかわからない。21世紀までむずかしいという見方もある。併用橋にすると赤字の国鉄が約4割の費用を負担し、利子だけでも大変。21世紀まで通らないなら、そのときに別にトンネルを掘った方が安くつく」と説明する。

 この考え方で運輸省は建設省、国土庁、大蔵省と事務レベルの根回しを始めておおむねの了解を取り付け、関係県の国会議員も大部分が「道路だけなら早くできる」と単独橋に傾いた。

 ところが、ここで大きく「待った」をかけたのが地元徳島選出の三木前首相。

(中略)

 この動きを横目に見ながら運輸省は「三木さんは併用橋を造っておけば、将来、新幹線を引く”人質”になる、とお考えのようですが、たとえ併用橋になっても人質にはなりませんよ。本土―四国間の新幹線計画は神戸―鳴門ルートのほかに、岡山―坂出―高松―高知ルートの計画もあります」と冷ややかだ。

 

1978(昭和53)年6月5日付毎日新聞

 ネット世論では「なんで明石海峡大橋を道路単独にしたのだ。そのせいで新幹線ができなかったじゃないか」と言わんばかりだが、実際には大鳴門橋建設の段階で国は四国新幹線はできないから大鳴門橋だって鉄道施設は不要であるとしていたのである。

 そこをひっくり返しにかかったのは、地元徳島出身の三木武夫前首相(当時)である。記事にもあるが、この騒動の2年前である1976(昭和51)年に大鳴門橋を少々強引な形(それゆえに四国新幹線の神戸―鳴門ルートへの敷設については正式なオーソライズを得ていない形でもある。)で着工に持ち込んだのは首相在任中の三木である。その後いわゆる「三木おろし」で党内派閥争いに敗れ首相の座をひきずりおろされた後に、政敵の福田内閣が大鳴門橋への鉄道工事を中止させようとするのである。

 今の人は知らないかもしれないが、三木首相は「金権」田中角栄内閣が世論の批判をあびて倒れた後に「クリーン三木」として脆弱な党内基盤にもかかわらず登場時は国民から一定の人気を得ていた政治家である(いわゆる「バルカン政治家」でもあったが。)。そのクリーン三木が地元利益のためになりふり構わず動いたのである。

 この記事によると、淡路島を含む兵庫2区を地盤とし、明石海峡大橋建設に力を入れていた原健三郎(ハラケン)代議士が中曽根派であることもあり、中曽根康弘(当時鉄道建設審議会会長)の支援を受けたようだ。当時の自民党はいわゆる「三角大福中」の派閥争いの真っ最中であり、中曽根にとっては、福田の敵の三木は「敵の敵は味方」ということになるのだろうか。

 ところで、中曽根は首相在籍時には国鉄分割民営化を実施している。その際、本四架橋については、瀬戸大橋に架かる国鉄線「本四備讃線」の建設を中止しようとする動きすらあった。

 その動きは「JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/jr30-0cd3.htmlに書いてある。

 中曽根氏も国鉄改革の際には偉そうなことを言っていたが、自分もちょっと前には党利党略というかそれ以前の党内派閥利益の駆け引きために鉄道建設審議会会長の座を悪用?して国鉄の赤字を増やしていたのである。

 1978(昭和53)年7月31日付朝日新聞でも同様の動きが報じられている。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった3

 徳島県では当初、運輸省のこんな計画変更案に対し「やむをえない」との空気が支配的だった。武市恭信同県知事も3月の県議会で「早期完成が最優先」と弱気の答弁をしたほどだ。あまり新幹線にこだわって、橋そのものの完成が遅れたのではもとも子もなくなる、との心配も手伝って、橋の運命は「単独橋」に決まったかに見えた。

 

1978(昭和53)年7月31日付朝日新聞

 地元徳島県も四国新幹線をあきらめかけていたというわけだ。

 ここで当時の日経新聞の関連記事の見出しを追ってみよう。

大鳴門橋問題、道路単独への変更は流動的――武市徳島県知事語る。 1978/03/19  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋、道路単独なら条件付き、近く6団体で協議――徳島県知事示唆。 1978/03/23  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県、強まる大鳴門橋の「道路単独」に強く反発――架橋資金調達の縁故債拒否も。 1978/04/15  日本経済新聞 地方経済面 四国 

徳島県、議会で大鳴門橋の道路単独橋への変更受け入れを示唆、57年度完成変えず。 1978/04/20  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県と徳島県、大鳴門橋の新幹線併用橋実現で意見一致。 1978/05/10  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋の新幹線併用橋建設は厳しい情勢――徳島県議会特別委員長ら語る。 1978/05/27  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋の新幹線併用の見通しは明るい――運輸省などに陳情の徳島県会委員長ら語る。 1978/07/15  日本経済新聞 地方経済面 四国

徳島県、大鳴門橋建設問題で併用橋推進へ高知・兵庫両県知事と意見集約へ――知事談。 1978/07/18  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋は道路新幹線併用橋――自民党四国開発委が決定。 1978/07/21  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋、政治決着にメド、新幹線併用で前進――高知県知事語る。 1978/07/22  日本経済新聞 地方経済面 四国

本四架橋の大鳴門橋は道路・鉄道の「併用橋」に――建設相、経団連会長に意向表明。 1978/08/01  日本経済新聞

大鳴門橋は新幹線併用橋に――三木武夫前首相、徳島市で語る。 1978/09/05  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県、大鳴門橋鉄道併用問題で国の負担での早期着工を建設・運輸両省に強く要請へ。 1978/09/08  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋は基本方針通り併用橋――中曽根康弘自民党総務会長、徳島で語る。 1978/10/15  日本経済新聞 地方経済面 四国

本四架橋神戸―鳴門の「大鳴門橋」は道路だけの単独橋に――自民調査会が決議。 1978/12/13  日本経済新聞

大鳴門橋はあくまで併用橋で――国鉄基本問題調査会の単独橋決議で徳島県知事語る。 1978/12/14  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県、国鉄基本問題調査会の大鳴門橋「単独橋」決議で対応策迫られる。 1978/12/14  日本経済新聞 地方経済面 四国

 このように、自民党も揺れるし地方も揺れていたのである。徳島県は一時期弱気になるのだが、高知県が強気だったという。

 高知県はこれに猛反発した。鉄道併用橋は高知県民の願いであった。ルート争いでは神戸―鳴門ルートを支持してきたのに簡単にあきらめるのかと徳島県を厳しく非難した。

 

本州四国連絡橋神戸―鳴門ルートの計画史 羽田野剛士、近藤光男、近藤明子

https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00039/200411_no30/pdf/232.pdf

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった4

 上記の記事は、自民党の国鉄基本問題調査会が道路単独橋決議したことを報じる1978(昭和53)年12月13日付読売新聞記事である。

 この記事では2点興味深い点がある。

 一つ目は、厳しい国鉄財政を踏まえて、運輸省だけでなく国鉄も鉄道併用橋に反対しているという点である。

 二つ目は、道路橋を所掌する建設省は併用橋を主張しているという点である。日頃から「鉄道と違って道路はお金があってズルイズルイ」と言っている鉄道マニヤ諸氏には不思議であろう。そこには、本四架橋については、道路と鉄道が費用按分して事業を進めているという事情がある。つまり鉄道が撤退してしまうと全額道路が負担しなくてはならなくなる。また単純に道路だけの問題ではなく、本四公団に出資している国、関係地方公共団体の出資金の追加負担が出てくるのではないかという問題もある。そのために「国鉄が赤字だからといって、自分の都合だけで撤退しちゃいかんよ」と釘を刺しているのではなかろうか。この辺はあてずっぽうの推測にすぎないのだが。

 

 最終的には現在あるように大鳴門橋は鉄道併用橋で決着がついた。下記は、それを報じる1979(昭和54)年1月5日付読売新聞記事である。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった5

 この記事によると

・もともとは道路と鉄道は、(応力比率に基づき)59:41で、総工費1,527億円のうち、道路901億円、鉄道626億円を負担するはずだった。

・このときの見直し(経費削減)と負担比率の見直しで、総工費1,527億円を1,325億円に下げるとともに、89:11の負担比率とし、道路1,175億円、鉄道150億円の負担となった。

 結果的に増額となった道路分274億円については、その後、本四道路の料金で返済することになっていると思われる。

 また、このときの経費削減のなかで「新幹線は「単線載荷方式」をとることとし、複線にはするものの、上下線の電車がいっしょに通らないように配慮し、工事費を切り詰めることにした。」のである。

 

 wikipediaの「大鳴門橋」では

また、着工後に四国新幹線建設の見通しが不明確なことと建設費の圧縮を理由として、一度に1列車しか橋上を通過できない「単線載荷」への設計変更が1980年になされているため、仮に鉄道が敷設されても大鳴門橋の区間は実質的に単線運行となる。(参考:参議院建設委員会議事録1981年6月2日)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%B4%E9%96%80%E6%A9%8B 2017年9月10日閲覧

 とだけあるが、そこに至るまではこれだけ長い前振りがあったのである。

 それを知らない鉄道マニヤが「予算をけちったせいで単線運行しかできないものができた」等というのである。

 

 wikipediaついでに指摘しておくと

1978年(昭和53年)3月 - 関係大臣により大鳴門橋と明石海峡大橋の道路単独橋への変更が合意。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%B4%E9%96%80%E6%A9%8B 2017年9月10日閲覧

とあるが、実際の国会答弁では

○二宮文造君 ちょっと大臣にお伺いしますがね、この三省の事務当局者の会合というのは大臣御承知の上で行われたんでしょうか、知らないうちに事務当局で話し合いしたんでしょうか。簡単で結構です。

○国務大臣(櫻内義雄君) これは、私が指示をしたことのないことだけは事実でございますが、しかし、事務当局者間で必要があってそういう会合をしておる、それを私が不必要だということではございません。私が指示したんではないということは事実です。

○二宮文造君 じゃ、その事務当局の会合があった報告は大臣受けられましたか。非常に大事な問題でこういう三省の話し合いが行われたんですと、報告は受けられましたか。建設も国土も兼ねていらっしゃるんですから、どっちかから入るんじゃないかと思いますが。

○国務大臣(櫻内義雄君) 新聞報道をちょうど見た後に、ちょっとこの報道の真相は違いますと、三者が会いまして、いまの公共投資の、先行投資の必要があるので協議をいたしましたと、こういう報告を受けました。

 

1978(昭和53)年3月28日 参議院予算委員会

 と「大臣は知らずに事務方だけの会合だった」とされている。

 ということでwikipediaの当該箇所は嘘だと思われるので、どなたか直しておいてください。

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大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった6

 これは、1985(昭和60)年6月8日大鳴門橋開通を前にした、小学3年生1985(昭和60)年4月号の挿絵である。

 しかし、上記の経緯を踏まえ、1981(昭和56)年6月に建設省から本四公団に、明石海峡大橋の道路単独橋の可能性について検討するよう指示がなされ、大鳴門橋開通の2箇月前である1985(昭和60)年4月に「明石海峡大橋は道路単独橋で技術的にも採算的にも可能である」旨の調査報告がなされている。

 「新かん線も走る!大鳴門橋」とのキャプションはこの時点で実現可能性はかなり厳しくなっていたと言ってよいだろう。

 これを受けて同年8月27日、河本嘉久蔵国土庁長官、山下徳夫運輸大臣、木部佳昭建設大臣の間で、「明石海峡大橋は道路単独橋に変更し、本州・淡路島間の鉄道計画については、別途検討する」旨の合意がなされた。

 

本州四国連絡橋神戸―鳴門ルートの計画史 羽田野剛士、近藤光男、近藤明子

https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00039/200411_no30/pdf/232.pdf

 その後紀淡海峡経由のルートの検討等が行われたのはご存知のとおりである。

伊東 明石海峡大橋を鉄道は通さないことにして、あと別ルートを考えるとすれば、どんなことが今考えられているのですか。

山根 トンネルにする案では、水深一○○mの明石海峡の下をトンネルで通っても、明石海峡大橋に乗せても、鉄道の規格にもよりますが、 神戸の駅に取り付かないのですね。

伊東 そうなのですか。たわみがすごくなるということですか。

山根 そうではなくて。

伊東 取り付けの問題なのですか。

山根 そうです。方法としては紀淡海峡を抜ける案が考えられます。

伊東 経営上はどうですか。

山根 備讃線でもう精一杯ではないでしようか。備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

山根孟氏(元建設省道路局長・元本州四国連絡橋公団総裁)

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大鳴門橋の鉄道事業分のお金は結局誰が負担しているのだろうか?

 建設費については、本州四国連絡橋公団から道路公団民営化委員会に提出された資料http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/dai4/4siryou4-1.pdfによると「鉄道の事業費は平成13年度までに国鉄清算事業団(現鉄建公団)の負担により償還済。」とのこと。

 維持管理費については、http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/honsyu_a.htmによると

 本州四国連絡鉄道事業のうち、明石海峡大橋が道路単独橋とされたため(昭和60年8月)、本四淡路線の鉄道事業は凍結状態となっている。このため、これと一体をなすものとして先行して建設された大鳴門橋の鉄道部分(資産価額331億円)が未利用のままとなっている。

 この大鳴門橋の鉄道部分の維持管理費については、負担分を賄う収入の途がないため(本来は、鉄道開通の際に旧国鉄から得られる予定であった。)、一般会計からの補助金(昭和62年度から平成8年度の累計額1億9,100万円)により賄っている。今後、大鳴門橋が鉄道施設として利用される可能性は低いものとなっており、このままでは、公的資金の投入が累増することとなる。

としている。この後はどうなったのだろうか。

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2017年9月 3日 (日)

総武快速線は首都高速道路の未成線を避けて走っているのであんなに深い

 ※最後に追記があります。

 我々が子供の頃は、国鉄で一番深い駅と言えば、総武快速線の馬喰町駅であった。(その後青函トンネルが開通したりして変動したらしいが。)

 http://www.ecomo-rakuraku.jp/stationmap/22919.htmlに掲載された構内図などを見ると地下5階にホームがある。

 で、何故にこんなに深いのかを調べてみると、首都高速道路の未成線が関係していることが分かった。

総武快速線は首都高の未成線を避けて深く走っている

 「交通技術」1972年8月号「東京地下駅の防災体制について」山本卓朗・著 291頁から引用

 馬喰町駅から錦糸町側で神田川をくぐるあたりで「高速環状線」の杭の下を避けるように総武快速線が走っているのが分かる。

 これは首都高速道路の未成線「内環状線」のことである。

首都高速道路内環状線計画図

 この図面について詳しいことはこちら→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

 6号線の両国から隅田川を渡り、神田川に蓋をするように飯田橋で5号線に接続するような経路である。

 それが柳橋のあたりで総武快速線と交差する予定だったのだ。

首都高内環状線接続予定部分

 飯田橋附近の首都高5号線。赤丸部分が内環状線が接続する部分の準備工と思わしきもの。

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西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (2)

 また、上図には出てこないが、地下鉄有楽町線(8号線)も、当初は新木場へ向かわず、錦糸町へ向かうはずだった(10号線)ので、内環状線と同様に錦糸町駅~馬喰町駅の間で地下鉄10号線の下をくぐっている。

交通技術1968年7月号「東京周辺地下高速鉄道網の整備計画」から

 

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (14)

 地下鉄10号・8号線のあたりは、他に記事を書いているのでよろしければこちらも是非。

 「堤康次郎は、目白経由だった有楽町線のルートを池袋経由に曲げて、西武池袋線と新宿線を乗入れさせようとしていた?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-4e5b.html

 記事公開後、重要な指摘を頂戴したのでお許しを得て追記としたい。

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2017年8月 5日 (土)

明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等

 これは本四高速の明石海峡大橋の車道の下の管理用通路の部分である。

 先日、ここの写真をTwitterにUPしたところ、「新幹線が通るはずだったところ」といった指摘をいただいたので、ちょっとその辺の経緯を調べてみた。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (8)

 まずは、調査の経緯から。国鉄→鉄道建設公団による鉄道の調査と建設省→日本道路公団による道路の調査が並行して行われている。これが本州四国連絡橋公団が設立されて一本化されたわけだ。

 明石海峡大橋部分の鉄道(本四淡路線)の調査は、1950(昭和30)年4月に開始されている。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (9)

 本四公団設立にあわせて鉄道と道路の基本計画(調査)指示がなされている。

 そして1972(昭和47)年に本四公団から調査報告書が出ているのだが、そのうち明石海峡大橋に係る部分を抜粋してみる。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (4)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (6)

 冒頭にUPした動画の管理用通路のところに複線の鉄道が予定されていたことが分かる。(当然構造は異なるが。)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (5)

 「図2」を見ると「鉄道(本四淡路線)」と「鉄道(新幹線)」の2種類のルートが引いてあるのが分かるが、当時は在来線か新幹線かどちらかになるかが決まっていなかったため両論併記となっていたということだろうか。

(新幹線が徳島市内に入らず、高徳本線吉成駅あたりに接続しているように見えるのも興味深い。世が世であればここが新幹線の「新徳島駅」だったのだろうか?)

※ ここまでの図面や文章の引用元は、「道路」1973年1月号「本州四国連絡橋の計画」本州四国連絡橋公団。

 ここまで見ると、今にでも明石海峡を新幹線が通りそうなものだが、実際には技術的なハードルは高かったようだ。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (2)

 「道路」1985年6月号「大鳴門橋の開通にあたって思う」村上永一・著によれば上記のように「明石海峡大橋の架橋の困難さは他の橋梁に較べて格段の差があった。」「早期に完成すべき道路鉄道併用ルートを選ぶとすれば,児島・坂出ルートなりと受け止めてもよい。」としている。

 そこにオイルショックによる工事中止や国鉄改革等が重なった。1981(昭和56)年には、社会経済情勢、国鉄の財政事情等を勘案し、関係省庁協議のうえ「道路単独橋の可能性等」を本四公団に検討させており、「道路単独橋は「技術的にも採算性の面からも可能」との報告が大鳴門橋開通の2か月前となる1985(昭和60)年4月に行われている。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (1)

 「道路」1985年6月号「最盛期を迎えた本州四国連絡橋」花市 頴悟(本州四国連絡橋公団企画開発部長)著

 ここで興味深いのは神戸・鳴門ルートに建設するはずだった鉄道利用客が道路に転換することで道路の利用客が増えて採算性が取れるようになるという点である。巷間言われるように「予算削減するために鉄道をやめた」のではなくて、「41%(11%は誤植と思われ)費用負担するはずだった鉄道が「撤退する」って言ってるけど、道路単独の費用負担でペイできるかどうか」の検討をしたのではないか?

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (7)

 「道路」1986年4月号「大規模プロジェクトの新たな展開」溝口忠(建設省道路局有料道路課建設専門官)著 によると、本四公団からの調査結果の報告を受けて、1985(昭和60)年8月に、国土庁長官、建設大臣、運輸大臣による道路単独橋として整備する方針が合意されている。

 

 これだけだと、政治的、経済的理由で鉄道の建設を取りやめたように見えるが、前述のとおり技術面でも厳しい部分があったようだ。

伊東 鉄道をやめたのはどんな理由なのですか。当初、三橋とも鉄道が併設されるという話でしたね。

井上 西は違っていたと思います、鉄道はなし。

伊東 真ん中と明石海峡。

井上 それで、真ん中ももうできましたし、鉄道もできていますが、東の明石海峡をやめたのは、やはりあれだけの長大吊り橋になると、 たわみが大きくて、吊り橋のジョイントというのか、あそこで非常に危険があるというようなのが最後の決め手になったみたいでやめましたけれども。

伊東 技術的な理由で。

井上 ええ。まあ、克服できないものではないと思いますがね。あそこしかないとなったらやるでしょうけれどもね。鉄道もあそこはあきらめるということで、割にすんなりといきました。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

井上孝氏(元建設省事務次官・元参議院議員・元国土庁長官)

 鉄道橋を明石海峡に架けるのが難しいのなら、鉄道単独でトンネルを掘ればよいと思う方もいらっしゃるかもしれないが、それもまた難しいようだ。

伊東 明石海峡大橋を鉄道は通さないことにして、あと別ルートを考えるとすれば、どんなことが今考えられているのですか。

山根 トンネルにする案では、水深一○○mの明石海峡の下をトンネルで通っても、明石海峡大橋に乗せても、鉄道の規格にもよりますが、 神戸の駅に取り付かないのですね。

伊東 そうなのですか。たわみがすごくなるということですか。

山根 そうではなくて。

伊東 取り付けの問題なのですか。

山根 そうです。方法としては紀淡海峡を抜ける案が考えられます。

伊東 経営上はどうですか。

山根 備讃線でもう精一杯ではないでしようか。備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

山根孟氏(元建設省道路局長・元本州四国連絡橋公団総裁)

 山根氏のいう「備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。」については、以前ブログで記事を書いたので参照されたい。

「JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/jr30-0cd3.html

 つまり、技術的にも採算的にも神戸・鳴門ルートの鉄道は困難だったということか。

瀬戸大橋 (2)

 「明石海峡大橋に鉄道を架設しなかったのはけしからん」、「大鳴門橋の鉄道投資が無駄になった」等との話をよく目にするが、実際には大鳴門橋建設中に「やっぱ鉄道やめよっかな」という話になっていた。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (3)

 これは「道路」1985年6月号に掲載された「大鳴門橋の建設を振り返って」という対談からの抜粋である。

 発言しているのは、布施洋一(建設省道路局高速道路課長)、遠藤武夫(本州四国連絡橋公団工務第一部長)、松崎彬麿(トピー工業(株)常任顧問)の各氏である。

 1977(昭和52)年の段階で、神戸・鳴門ルートの鉄道建設については「やめるかもしれない」ということになっていたというのだ。

 道路側の発言だけでなく、鉄道側の発言の裏もとってみよう。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった

 昭和54年交通年鑑の、昭和53年3月9日の項に、「大鳴門橋を鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方針を固めた」とある。いや鉄道さん全然やる気ないじゃないですか。

 そして、実際の施工にあたっては「単線載荷」にする等必要最小限の工事だけにしている。もうこの段階で明石海峡大橋への鉄道の施工は実体的にはほぼ可能性がなくなっていたのだろうな。

 前述のとおり、1981(昭和56)年に「道路単独橋の可能性等」を本四公団に検討させているのは、この大鳴門橋の問題を踏まえて、とどめを刺す(あるいは関係者に言い含める)ための手順だったということだろうか。

新全総新幹線

 ※ 参考 1967「(昭和44)年5月30日に新全総(新全国総合開発計画)が閣議決定されており、そこに記された新幹線計画の抜粋

「東京発成田経由仙台行常磐新幹線~未成新幹線を国立公文書館デジタルアーカイブからまとめてみる」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-855c.html

 ※ ときどき「阪神淡路大震災で予算が不足したから新幹線ができなくなった」とか「阪神淡路大震災で主塔がずれたから新幹線ができなくなった」という説を目にするのだが、取りやめたのは1985年なので、全くのデマである。

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2017年7月15日 (土)

「東京 消えた! 鉄道計画」中村建治(著)が怪しい~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(番外編)

 西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れについては、以前ぎっちりとまとめたところではあるが、「東京 消えた! 鉄道計画」に掲載された新宿駅乗入れの記事がどうも怪しい。というかはっきり言って嘘。著者の中村健治氏は鉄道史学会会員ということらしいが困ったものだ。

「東京 消えた! 鉄道計画 」中村建治 の西武新宿線乗り入れに係る嘘 (2)

「東京 消えた! 鉄道計画 」中村建治 の西武新宿線乗り入れに係る嘘 (1)

 以前も「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-4221.htmlで怪しいやつをいくつか潰したつもりだが、ここまであからさまな嘘はアカンやろ。

 「建築界」1964年8月号「新宿東口民衆駅・新宿駅東口地下駐車場」に、新宿ステーションビル竣工時の図面が載っているので見てみよう。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (2)

 この1枚で西武駅(改札の右側にホームが設置されるはずだった)と吹き抜けの関係が全くないことが分かる。

 「狭い駅ビル内ではホームの長さが足りない」もなにも、駅ビル内にホームは乗り入れていないし、「高い天井」は「電車を待ち受け」たりしていないのである。

 現在のルミネ・エストのフロアマップhttp://www.lumine.ne.jp/est/map/#F2と比べてみると、「ローリーズファーム」や「イーハイフンワールドギャラリー」のあたりが、改札、ホーム事務室、出札室となっていることが分かる。「今でも同ビル内には、やや広めの駅スペースがあ」ったりはしないのである。

 参考までにホームと駅ビル、新宿駅全体との位置関係を示すと下記のとおりである。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (9)

(国鉄停車場技術講演会第14回資料「ターミナルビルの最近の傾向について」318頁から引用)

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (5)

(東工15巻4号「新宿駅改良工事の計画と施工について」21頁から引用)

 ところで改札はビルの2階だけではない。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (8)

 西武駅に係る部分を拡大してみる。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (7)

 どうやら東口のびゅうプラザがあるあたりに西武の改札口や出札室が予定されていたようだ。2階の改札はともかく、1階の改札を明らかにした事例は少ないのではないか。そして1階の方がメインのように見える。

 また、3階にも西武駅務室が予定されていた。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (6)

 フロアマップhttp://www.lumine.ne.jp/est/map/#F3によると、現在「スリーコインズ」があるあたりが駅務室だった。

 なお、鉄道ピクトリアル1964年7月号「近代化した民衆駅…新宿駅ビル誕生」に掲載された写真には、西武駅ホーム接続部分の仮覆い?的なものが見られる。この大きさでホームや電車そのものが乗り入れられるように見えるだろうか?

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (1)

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 やはり諸悪の根源は、河尻正氏の日経東京ふしぎ探検隊「西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画」の思わせぶりな書き方なのだろうか?

「東京ふしぎ探検隊」河尻正の西武新宿乗り入れ記事が怪しい

http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2103N_S2A121C1000000?channel=DF280120166608&page=2

 「新宿民衆駅ステーションビル」の2階部分の設計図。」は、上記で引用した「建築界」掲載の図面とは形状が異なり、完成形のものではないと思われる。

 また、「ルミネエストの建物は1階の天井が高く、2階はかなり低い。1階の吹き抜けもやたらと広い。かつての設計図を見ると、このフロアの形が西武線乗り入れ計画の名残だとわかる。」とするも、「建築界」掲載の図面と比べてみると、何を根拠に天井高や吹き抜けが「西武線乗り入れ計画の名残」としているのか訳が分からない。

 ちなみに「建築界」に掲載された断面図がこちら。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (10)

 1階の高さは5000mm、2階は4200mm、3階から上は概ね3800mmである。「2階はかなり低い」わけではない。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (11)

 拡大してみると、1階の出札や改札口の様子がわかる。

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 ところで地下1階はこんな感じ。西武ホームに沿って右斜め上に柱が入っていることが分かる。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (3)

 ベルクあたり拡大してみる。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (4)

 ベルク店内の柱が西武線ホームの名残であることがよくわかる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (81)

(「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 から引用)

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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