カテゴリー「鉄道」の149件の記事

2017年6月25日 (日)

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅だったか検証してみる

 東海道新幹線が架線事故のため岐阜羽島駅等で立ち往生したことを受けて、「岐阜羽島駅が政治駅だ」とかそうじゃないとか新幹線の駅じゃないとかコンビニがあるとかないとかいう話がTwitter等で盛り上がった。

 これに関して、「乗りものニュース」がまたもや「いかにもタイミングを逃さずヤフーニュースで注目してもらうためだけに粗製しました」と言わんばかりのしょっぱい記事を書いたので、ちゃんと調べてやろうかと思った次第。

 羽島駅が東海道新幹線に追加されると分かった際の新聞記事がこちら。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (3)

1959(昭和34)年11月18日付朝日新聞

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (4)

1959(昭和34)年11月18日付読売新聞

 朝日は「政党幹部」とぼやかしているが、読売はいきなりしょっぱなから「伴睦老に寄切られる?」と大野伴睦代議士(当時は自民党副総裁)の名前を出している。

そして早速当日の国会で野党から追及されるわけである。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (2)

1959(昭和34)年11月18日付朝日新聞夕刊

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (5)

1959(昭和34)年11月18日付読売新聞夕刊

 では、ここで国会で追及された国鉄・運輸省側の言い分を聞いてみよう。

○十河信二説明員(国鉄総裁) ただいまお話のありましたように、私は国鉄の経営についてはガラス張りで仕事をやっていきたいという信念も変わりませんし、今日もそういうふうにやっておるつもりであります。東海道新幹線の経過地並びに停車駅につきましては、いろいろな検討をいたしまして、名古屋までは比較的順調に進んだのでありますが、名古屋から先、なるべく直線に行きたいと思って、鈴鹿の山脈の地質調査を長いことかかって検討いたしました。そうしていろいろなルートを調べてみたのでありますが、どうも地質がよろしくない。しかしながらできるだけ短距離で結びたいということで、名古屋から関ケ原の方へ直線で結ぶことにいたしました。そうなりますと豊橋から米原までの間は相当長い距離になりまして、豊橋、名古屋、米原という三つの駅を置くか、あるいはもう一つその間に駅を置くかということをいろいろ検討いたしまして三駅案、四駅案と、いろいろな案がありますが、御承知のように、新幹線はなるべく曲線をなくして直線にして、そうして踏み切りをなくして、経済的の最高のスピードで走るようにしたい、そういうことを考えまして、そうすれば特急は大体最高二百キロくらいの速力で走れば三時間で、非常に経済的にスピードアップができるということで三駅の方がよかろうかということを考えておりました。ところが特急だけではいけない、特急は東京、名古屋、大阪、この三駅へとまる計画でありますが、それだけではいけない、やはり地方の都市にもとまる必要があるということで、特急のほかに急行をどうしても走らさなければならぬ。そうなりますと、特急と急行との行き違いの関係もありまして、豊橋、名古屋、米原と行くよりか、その間に一つ駅を作ったらよかろうというふうなことが最終の案として決定いたしまして、それで運輸大臣に申請して認可になった次第であります。その間、そういうふうに長いことかかっていろいろ検討いたしておりましたので、それで世間で――いろいろその間を測量するとか調査をするということがありまして、事前にいろいろなことが漏れて、皆さんにいろいろな疑惑をおかけしたことは、はなはだ遺憾であります。事情は今申し上げた通りであります。さよう御了承を願いたいと存じます。

 (略)

○平井委員長 委員長からこの席で総裁に質問をいたします。

 新幹線の駅は初めからどうして十カ所にしなかったのですか。九カ所と発表してあと十カ所となったので、井岡君が非常に心配をして質問いたしておるのでありますが、その点をはっきりさしていただきたい。岐阜にできるのはけっこうでございますけれども……。

○十河説明員 東海道新幹線の駅は初めからおよそ十ほどということをわれわれは言っておったわけであります。きまったものとして、九つにきまったとか十になったとかいうことは今日まで発表しておりません。昨日発表したのが初めてであります。いろいろ調査をしておる過程で皆さんが想像して、新聞なんかでいろいろ書かれることはありますけれども、正式に発表したものではないのであります。その点は御了承を願いたいと思います。

 (略)

○山内公猷説明員(運輸省鉄道監督局長) 現在考えておる新しい岐阜県内の駅というものは、まだ始点がはっきりいたしておりません。それで的確にお答えできないわけでございますが、このところにどうして駅を置くかということでございますが、実はわれわれ審査をいたしました事務当局といたしましては、大臣が言われましたように、岐阜県内に一つも駅がないということも一つの理由であるし、かつまたこれは釈迦に説法のきらいがありますが、現在の線におきましても運転上の都合によりまして方々に信号所を置いている。運転の整理のためにはどちらかといえば駅がたくさんあった方が、運転の整理がつきやすい。しかし、これを全部とめれば非常に時間がかかるということでございまして、この駅にどういう列車をとめるかということは、やはり運転上の必要で十分考えまして、ダイヤを入れてから十分検討すべき問題である、かように考えております。とりあえずは特急線がとまるということはない。御承知のように特急と普通急行とを走らせるつもりでございますから、ある程度スピードの違う列車を走らせるので、行き違いにそういう施設があった方が国鉄としては便利であるという観点に立っておりますし、われわれの方はそれに加えて岐阜県の中で三十キロに新しい線の延びがある。そこに一駅も置かないということは県民の協力も得られないし、かつまた岐阜、大垣の方々の利用を得ることも必要であるということで、実は事務的には一つの駅を作る方がベターであるという結論に達したわけでございます。そうしますと、今度これができますのが今の計画では五年計画になっております。結局その場合の交通上の状態を考えて、いかにしてこの駅が利用されるかということは、われわれとしては今後見ていかなければならないわけでございます。現在の道路の状況でいいますと、はっきりはいたしておりませんが、大体考えられる駅の地点というものは、大よそ岐阜市から十五キロくらい、大垣市から十キロくらい、それから羽島市から八キロくらいという、岐阜、大垣の方々に利用していただこうというふうに考えておるわけであります。

 

昭和34年11月18日衆議院運輸委員会

 この国会論争を受けて、読売新聞は18日付夕刊で「退避駅」ではなく「政治家の圧力からの退避した結果」だと追及している。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (14)

 また、朝日新聞は翌朝の社説で「政治駅の設置はご免だ」との論説をはっている。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (1)

1959(昭和34)年11月19日付朝日新聞

 また、羽島市への新幹線駅の設置は駅誘致に動いていた周辺各地からも反発をかったようだ。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (8)

1960(昭和35)年1月12日付朝日新聞

 そもそも岐阜県自体が反対したまま正式決定されたというのも異例ではある。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (11)

1960(昭和35)年1月12日付朝日新聞

 この記事にあるように「国鉄原案」から「本決まりになった路線」が羽島市を通るように北へ移っているあたりも「政治駅」としての印象を強くさせているようだ。尤も後述のように国鉄によれば、この辺のルートどりは、大河川を渡ることによる制約が大きかったようであるが。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (7)

1960(昭和35)年1月15日付読売新聞

 このように国鉄や運輸省の弁解?にもかかわらず、マスコミは「政治駅だ」としたわけである。

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 実際のところはどうだったのか。国鉄新幹線総局で営業部長等を務めた角本良平氏は、「角本良平オーラル・ヒストリー」において、次のように語っている。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (9)

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新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (10)

 角本氏は、「岐阜市を外れることについて揉めない」ための国鉄の策において、「悪いくじを引き受けてくれたのが大野伴睦という政治家」「本来ならば、大野伴睦が非常に強く言えば、岐阜市に寄せざるを得なかっただろうということ。」「羽島を識別するためじゃなくて、岐阜県を象徴するための駅名にしたということで、大野伴睦の顔が立った。」という見方を示している。

 他方、角本氏は京都駅が当初予定から変更されたことについて、地元に苦言を呈している。リニアモーターカーの京都誘致に対してJR東海がつれないのもこの辺が国鉄からJRへと引き継がれているのかしらん。

新幹線京都駅の経緯

 なお、鈴鹿経由とならず、関ケ原経由となったことについては、以前、「新幹線が鈴鹿山脈越えをあきらめた理由を検証してみる」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-1c6b.htmlという記事を書いたので、併せて参照いただきたい。

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 とまあ、駆け足で当時の報道や関係者の言い分を振り返ってみた。この辺を踏まえて「岐阜羽島駅は政治駅だったか」をご判断いただければ宜しいのではないかと。

 ところで、マスコミはその後どう扱っているかというと

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (12)

1964(昭和39)年9月1日付朝日新聞夕刊

 というように「交渉に手を焼いた国鉄が大野伴睦老に頼み込んでこの人を引張り出し、岐阜県側の主張を押さえてもらって、そのお陰でやっと現在の線で話がついたのが真相だという」「駅の決定についても伴睦老は、国鉄の技術的な決定によるべきだと、全く干渉がましいことはいわなかった。」と、つい数年前に社説で「政治駅の設置はご免だ」と叩いたのをすっかり忘れたかのような書きぶりである。

 神田記者もこうツイートしている。

 他方、読売新聞はというと

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (6)

1989(昭和54)年7月19日付読売新聞

 と、少なくとも昭和末期においても「岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅」という認識を持っていたようである。今はどうか知らんが。

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 ところで、現在岐阜羽島駅には名鉄線が延伸されているが、当時岐阜市内からモノレールを建設する構想があったことを1961(昭和36)年2月8日付読売新聞夕刊が伝えている。

名鉄の岐阜羽島モノレール構想

 岐阜市内の路面電車が廃止となった際に、鉄道マニアが「無策だ」なんだと勝手なことを言っていたが、岐阜市内線のモノレール化計画は日本でも先頭をきって進められていたのである。

 その辺は「大阪モノレール南伸と都市モノレール死屍累々の調査路線」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-3d23.htmlにかつてのモノレール計画の一覧表を載せているのであわせてご参照いただきたい。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (13)

 新幹線開業直前の何もないっぷりを伝える1964(昭和39)年7月12日付読売新聞。

 その後の状況は「今昔マップ」でどうぞ。

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2017年5月21日 (日)

地下鉄銀座駅の階段がズレているのは、そこに旧数寄屋橋の橋脚が埋まっているから

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (4)

 東京メトロ銀座駅から日比谷方面に向かう階段が左右ずれている。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (5)

 現地で見てもごらんのとおり。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (3)

 なぜ、まっすぐ並べられないのか?左右の階段を繋げて広く使えばよいのではないか?

 それには、かつてここに何があったかを思い出す必要がある。

Sukiya_bashi_old

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sukiya_bashi_old.jpg

 そう、かつてここには外濠川が流れ、数寄屋橋がかかっていた。現在はそこに東京高速道路(KK線)が走っている。

東京高速道路

 実は、ここには、旧数寄屋橋の橋脚・橋台が埋まったままなのだ。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (12)

 日比谷線建設史394頁から引用

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (13)

 日比谷線建設史392頁から引用

 そして、旧数寄屋橋と地下鉄日比谷線が直交していないため、橋脚跡と階段が斜めにズレる形となっているのだ。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (15)

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (14)

 この地下通路の床に斜めにひかれている3本の線は、ここに数寄屋橋が架かっていた(外濠川が流れていた)ことを示すものなのだろうか?

 さて、日比谷線建設時には、既に外濠川、数寄屋橋は無くなっていたはずである。なぜこのようなものが地中に残っていたのか?

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (11)

 丸の内線建設史(下巻)104頁から引用

 丸ノ内線建設時に、東詰の橋台や上部工部分は撤去したようだが、丸ノ内線に支障ない真ん中の橋脚や西詰の橋台は地上に存置されたままだったようだ。

 では、日比谷線建設時にそんな不要な橋脚は撤去してしまえばよいのではないかと思うであろう。ところが撤去できないのである。

 上空を通る東京高速道路の橋脚が旧数寄屋橋橋脚の上に建設されたからである。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (16)

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (13)

 日比谷線建設史392頁から引用

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (10)

 日比谷線建設史391頁から引用

 使っていないからといって今更撤去するわけにはいかなかったのである。斯くて、銀座駅から日比谷方面へ向けて降りていく地下階段は、旧数寄屋橋橋脚を避けて、心なしか、気持ち急勾配で、ズレた階段で降りていくのである。

 

 旧数寄屋橋橋脚が影響しているのは、地下鉄通路だけではない。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (7)

 日比谷線建設史405頁から引用

 その上をかすめるようにして日比谷地下自動車道が通っているのである。

 日比谷地下自動車道については、以前

・東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html

・東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html

・日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b86d.html

といった記事も書いているので、ご関心のある方は、あわせてお目通しいただけると幸甚である。

三原橋地下街と地下鉄日比谷線と有楽町ガード下地下道の関係

 

※東京メトロの主要路線の建設史は、「メトロアーカイブアルバム」で見ることができる。

https://metroarchive.jp/history.html

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2017年4月 5日 (水)

JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?

 時流に乗って国鉄分割民営化ネタで書こうと思っていたら、すっかり遅くなってしまった。神宮球場に横浜大洋の開幕シリーズを2回応援に行って2回とも負けたりしていたからだ。

 

 というわけで超今更感があるのだが、一応準備していたので。

 お題は、表題の如く、瀬戸大橋線の建設中止勧告である。例の如く当時の新聞記事を引用してみる。

国鉄監理委、本四橋児島―坂出ルート「鉄道」中止提言へ。

 

 国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)は二十日、本州四国連絡橋三ルートのうち唯一の道路・鉄道併用橋である児島・坂出ルートの鉄道敷設工事をとりやめるよう中曽根首相に提言する方針を固めた。八月初めに打ち出す「緊急提言」に盛り込む。これは、財政が悪化している国鉄は年間五百億円にものぼる連絡橋利用料を負担する能力がないので、このまま敷設計画を進めれば、将来国鉄を分割・民営化する際の大きな障害になると判断したもの。首 相はこの提言を尊重する義務があるが、同ルートから鉄道がなくなれば、連絡橋の工費約七千六百億円はすべて道路部門でまかなわれ、地元自治体の負担が二倍近くに増えるだけに影響は大きい。

 国鉄再建監理委員会は現在、緊急提言をとりまとめている。提言のねらいは「六十二年以降、円滑に分割・民営化するための対策」を打ち出すこと。同監理委員会は五十七年度末で十八兆円に達した借入金をこれ以上増やさない施策が最も重要と判断、設備投資の抑制に重点を置いており、本四連絡橋児島・坂出ルートの鉄道敷設中止は緊急提言の目玉になる。

(中略)

 このため、同監理委員会は、このまま計画を進めれば、四国などの国鉄分割会社が 当初から膨大な赤字を背負うことになり、分割・民営化の大きな障害になるとして、敷設中止を求める方針を固めた。しかし、現在、地元自治体は連絡橋の道路部分の工事約四千二百億円のうち三分の一を負担しており、鉄道部分がなくなれば、この負担は二倍近くになる計算。また、五十八年度末までに同ルート連絡橋 (鉄道と道路)工事の契約率は六三%に達する見込みだったので、鉄道敷設工事が中止されると、関係業界は大きな影響を受けるため反発は必至である。

 

1983(昭和58)年7月21日付 日本経済新聞から引用

 国鉄再建監理委員会の「緊急提言」の目玉としてJRに負担を増やさないために中止を求める考えだったという。

瀬戸大橋「鉄道」中止の動き、地元に大きな衝撃。

 

 多額の赤字を抱えている国鉄の立て直し策を検討している国鉄再建監理委員会が、建設中の瀬戸大橋 (本四架橋児島―坂出ルート)の鉄道建設を中止する方針を固めたことについて、四国四県、岡山県など 関係行政機関や経済界の首脳は大きなショックを受けている。今のところまだ正式に決まったわけではな く、「あり得ないこと」という見方もあるが、関係筋に問い合わせる動きも。こうした方向が出たことに対して多く は「瀬戸大橋は道路・鉄道併用橋というのが既定路線。新幹線は将来の問題にしても万一、在来線までた な上げされては架橋の意味がない」と戸惑いをみせながら衝撃を受けている様子。今後同委員会の動向に 注目、関係機関一致して“巻き返し策”を進める動きも出ている。しかし青函トンネルの鉄道敷設計画中断 の動きが表面化しているだけに、四年後の完成を前にした瀬戸大橋計画変更を危ぶむ声も少なくない。

(略)

 

1983(昭和58)7月22日付 日本経済新聞から引用

 私の記憶には残っていないのだが、青函トンネルも建設中止が議論になっていたのか。

瀬戸大橋の行方、全住民が関心を――鉄道部間の中止問題に思う(四国の目)

 

 六十二年度完成をめざして順調に進んでいる瀬戸大橋(本四架橋児島―坂出ルート)の鉄道部門を中止 する問題がクローズアップされている。国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)が国鉄の財政立て直し策 を検討している中で出てきたものである。八月二日に予定される同委の“緊急提言”でどう取り扱われるの だろうか。

 瀬戸大橋は道路、鉄道併用橋で四国の離島性脱却の第一歩になる大事業。このうちの鉄道部門が宙に 浮くことは大変なこと。今のところ国鉄監理委の提言では「瀬戸大橋の鉄道建設中止」とはっきり明記しない が、“抑制”することを求めるニュアンスの表現になるといわれる。

 国鉄財政は膨大な赤字で“満身創痍(まんしんそうい)”。大半の路線が赤字で走ればそれだけ損する状 態だ。四国総局管内の年間赤字額も五百二十億円を超える。瀬戸大橋の鉄道も赤字路線になるのは確 実。それどころか年間約五百億円の連絡橋使用料を負担しなければならない。こういう事実を突きつけら れると、瀬戸大橋も国鉄にとっては“お荷物”。監理委は「いくら経営立て直しのために知恵を絞っても、新し く赤字を生み出す事業を見逃していては……」というわけだろう。

 ただ国鉄経営という立場からだけではなく、「日本の国づくりの一環」「地域整備の重要なプロジェクト」と いう位置づけで瀬戸大橋をとらえたい。前川香川県知事も「国鉄を救って四国を見殺しにするのか」と鉄道 部門切り捨て論に反対したのも当然である。山口・四国経済連合会会長も「第二次臨時行政調査会をクリ アーした事業で鉄道中止なんてあり得ないこと」と語っているし、まず鉄道部門がたな上げされることはない だろう。

 しかし国の財政も国鉄同様、厳しい状態が続いている。一度決まったことであってもどんな情勢の変化が 起こるかもしれない。四国約四百万人の住民すべてがこの問題の行方に鋭い目を向け続けたい。

 

1983(昭和58)7月31日付 日本経済新聞から引用

 

 実際には「緊急提言」には瀬戸大橋線の建設中止は明記されなかったようだ。

国鉄監理委の本四橋と東北新幹線東京乗り入れ投資抑制提言――戸惑いと反発と。

 

 国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)が今月初め中曽根首相に提出した緊急提言が各方面に波紋 を広げている。もっとも論議を呼んでいるのは「今後の設備投資は緊急度の高いものを除き原則停止」という “投資抑制命令”。「東北新幹線の東京駅乗り入れ工事は本当に中止されるのか」「本州四国連絡橋の工 事はこれからどうなるのか」――など関係の地方自治体に不安が広がっている。緊急提言の読み方をめぐ り、我田引水や“ひがみ”などが交錯し、これに政治家の動きもからんで、関係者は疑心暗鬼。「監理委員 会にわからないように、工事をこっそりやってしまえ……」という勇敢な逆提言? も飛び出す始末。今月末 には運輸省、国鉄が来年度予算の概算要求を大蔵省に提出するが、どの工事を継続してどの工事を中止 するか、国鉄“秋の陣”は政府、地元、国鉄の思惑がからんだ複雑な展開になりそうだ。

 「東北新幹線の東京駅乗り入れ工事がだめで、なぜ本四架橋は良いのか」。監理委員会が緊急提言を 提出した直後、ある東北出身の代議士は運輸省の幹部にこうかみついてきたという。

 東京駅乗り入れというのは東北新幹線上野駅―東京駅間四キロで進められている工事のことだが、実は この工事どころか本四架橋の工事も緊急提言の本文では直接的には一言も触れていない。にもかかわら ずこのふたつの大工事が問題になるというのは、緊急提言を読むと、このふたつの工事の先行きがどうして も気になってくるからだ。

 緊急提言は、国鉄の投資全般について「緊急度の高いものを除き原則として停止すべきである」とうたい、 続いて「なお書き」がある。それは「東北新幹線上野乗り入れ及びこれに関連する通勤別線についてはそ の特殊事情を考慮し、工事の継続もやむを得ないものとする」という文章だ。

 これをすなおに読めば、東北新幹線は上野駅乗り入れまでは工事を進めても良いが、上野駅から東京駅 間の工事は「原則停止」の対象というわけだ。

 一方、本四架橋については緊急提言の中にこういう文言がある。「国鉄以外の事業主体が行う国鉄関係 の設備投資についても徹底した見直しを行い、さらに工事規模の抑制及び工事費の節減に努めるべきで ある」。「国鉄以外の事業主体」というのは本州四国連絡橋公団(高橋弘篤総裁)と日本鉄道建設公団(仁 杉巌総裁)のことだが、両公団の工事についてははっきりダメとは言っておらず、「徹底した見直し」とか「抑 制」の意味をどう解釈するかで、工事続行を認めているようにも読める。

 緊急提言がこんなに含みのある文章になったのは、政治的な配慮からだ。国鉄大手術に挑む監理委員 会のメンバーにすれば、「これから新しい線路を敷くなどは論外」。東京駅乗り入れも、本四架橋の鉄道敷 設も、国鉄再建にメドがつくまではいずれも工事中止を命令したいのが本音。ところが、監理委員会でこの ふたつの大工事をめぐる論議が表面化するや、地元の自治体や関連業界から政治家などを通して猛烈な 陳情攻勢が続いた。このため監理委員会としては、緊急提言の文章は中曽根首相に政治的な判断をゆだ ねるため含みのある表現にせざるを得なかったわけだ。

 首相に裁量の余地を残しながらも、このふたつの工事の取り扱いに差ができたのは、本四架橋問題が東 北新幹線よりもはるかに難しい側面を持っているからだ。

 本四架橋の児島―坂出ルートの工費七千六百億円のうち四五%は鉄道部門が、五五%は道路部門が 負担することになっており、鉄道敷設の中止は架橋そのものの中止という大きな政治問題にまで発展しか ねない。そこでいきなり「中止」を提言するのではなく、国鉄にとって大問題のこの橋をどうするか、国民的な 合意を形成するために「まずは計画の見直しを」と慎重な提言をしたわけ。

(中略)

 しかし、“天下の国鉄”が政府や監理委員会の目を盗んで、こっそり工事をやるわけにもいくまい。国鉄の 設備投資について「原則停止」や「徹底した見直し」を迫られた政府は、年末にかけての来年度予算編成 の過程で、どの工事にストップやブレーキをかけ、どの工事を進めるかなどを決断せねばならない。東京駅 乗り入れ、本四架橋以外にも、鉄建公団が建設している青函トンネルの問題など、国鉄にからむ工事はた くさんある。そのなかで下手をすると大きな政治問題になりかねないのが東京駅乗り入れと本四架橋の工事 の行方だ。総選挙がらみの秋の政局を控え、中曽根首相は“行革内閣”の看板があせないようにこの工事 をどう処理すべきか頭の痛いところだろう。

 

1983(昭和58)年8月19日付 日本経済新聞から引用

 政治的配慮の玉虫色で生き残ったというわけか。

 

 ついでなので、明石海峡大橋に鉄道がかかるはずだったころのポンチ絵を貼っておく。

瀬戸大橋 (2)

 なお、明石海峡大橋への鉄道の架設については、井上孝氏が

明石海峡大橋をやめたのは、やはりあれだけの長大吊り橋になると、たわみが大きくて、吊り橋のジョイントというのか、あそこで非常に危険があるというようなのが最後の決め手になったみたいでやめました。

 

まあ、克服できないものではないと思いますがね。あそこしかないとなったらやるでしょうけれどもね。鉄道もあそこはあきらめるということで、割とすんなりといきました。

 

土木史研究におけるオーラル・ヒストリー手法の活用 -高速道路に焦点をあてて-

-実践編 井上孝氏- 191頁 から引用

と語っている。

 ところで、よく見ると、児島・坂出ルートのうち一部の橋が現在と形式は違う。

瀬戸大橋 (3)

瀬戸大橋 (1)

 櫃石島橋と岩黒島橋は、イギリスのフォース鉄道橋のような形式(正確にはちょっと違う)になるはずだったのだ。

 ※橋の科学館展示物から

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2017年2月25日 (土)

リニアモーターカー(第二東海道新幹線)と京葉線のターミナルとなるはずだった汐留駅

 「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.htmlにおいて、京葉線が当初は晴海、新橋、赤坂見附、新宿、浜田山、三鷹と経由して中央線に乗り入れる計画だったことを紹介した。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (2)

 「第27回停車場技術講演会記録」307頁(「総武開発線計画について」国鉄東京第一工事局調査課・林良一氏)から引用

 また、それに併せて、汐留駅を第二東海道新幹線と京葉線(総武開発線)のターミナルとする構想であったことも紹介した。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (1)

 「第27回停車場技術講演会記録」306頁から引用

 その構想図がこちらである。「新幹線ホーム(第2東海道)」という字が見える。

汐留駅は京葉線総武開発線とリニアモーターカーのターミナルとなるはずだった (2)

 「第27回停車場技術講演会記録」317頁から引用

 もう一つドン!

汐留駅は京葉線総武開発線とリニアモーターカーのターミナルとなるはずだった (1)

 「第27回停車場技術講演会記録」318頁から引用

 こちらにも「新幹線ホーム(第2東海道)」という字と車輌らしきものが見える。拡大してみよう。

汐留駅は京葉線総武開発線とリニアモーターカーのターミナルとなるはずだった (3)

 リニアモーターカーだ!それも大阪万博のやつ!

 若人達にはピンとこないかもしれないが、私のようなおっさん世代には、リニアモーターカーというとこいつなのである

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 「そもそもリニアモーターカーは中央新幹線のはずであって、第二東海道新幹線なんか知らんぞ」とおっしゃる方もいらっしゃるだろう。

 ところが、歴史をたどってみると、元々はリニアモーターカーと言えば第二東海道新幹線のことだったのである。

 いつもながらではあるが、国会の答弁を見てみよう。

○勝澤分科員 もう一問だけ、時間がありませんので。

 この運輸政策審議会の総合交通体系の答申によりますと、超高速の第二東海道新幹線の建設という構想が出されておりますけれども、最近新聞、雑誌などで、相当技術的な開発も進んで、具体的にいろいろと述べられておるのですが、この機会にぜひこの超高速の第二東海道新幹線についての構想をひとつ御説明願いたいと思います。

○山口政府委員(運輸省鉄道監督局長) 超高速鉄道による第二東海道新幹線の構想でございますが、これは先生御指摘のように、運輸政策審議会の答申の中に、需要のきわめて多い東京-大阪間においては、超高速第二東海道新幹線を建設する必要があるという趣旨のことがございます。そして一方、私ども運輸省の機関でございまする運輸技術審議会というのがございまして、この運輸技術審議会におきまして、超高速鉄道に関する技術的な問題を検討いたしまして答申をしております。その内容によりますと、東海道新幹線につきましては、その需要の予測を、航空機あるいは高速道路、そういう影響を考慮した上で検討いたしましても、昭和六十年度には大体四十年度に対して六倍半の需要があるであろう。そして現在の東海道新幹線の最大の輸送力というものは、昭和五十三年度ないし五十五年度にはもう限界に達してしまってどうにもならないということになるであろう。したがって、そこに新しい超高速鉄道が必要なわけでございます。

 東海道の新しい鉄道を、表定速度を別にいろいろ試算を行なって、どういうようにすれば一番輸送力が大きく経済的であるかということをやってまいりましたところ、浮上方式による表定速度三百キロメートル、時速三百キロメートル以上の超高速鉄道にすることが一番合理的である。そして、その超高速鉄道の技術的な可能性というものを運輸技術審議会でいろいろ各種の方式について検討をいたしまして、これがたとえば磁気浮上方式だとか空気浮上方式だとかあるいは車輪支持方式だとか、あるいはモーターにつきましてもリニアモーター方式だとか、その他現在の推進方式だとか、いろいろあるわけでございますが、そういった各種の方式を検討いたしました結果、浮上方式といたしましては磁気浮上方式、推進の方式としてはリニアモーターの推進方式ということが最も望ましい、こういう結論が出たわけでございます。それでこういう方向にのっとりまして、国有鉄道におきましていまその技術開発を進めておる、こういう段階でございます。

 

昭和47年03月24日 衆議院 予算委員会第五分科会

 この答弁が行われたのは1972(昭和47)年であり、 「第27回停車場技術講演会」が行われたのは1976(昭和51)年である。オイルショックを経て、第二東海道新幹線リニアモーターカーは汐留を起点とする計画が構築されていたのである。

 国立公文書館のデジタルアーカイブにも第二東海道新幹線が見て取れる。昭和45年3月11日に鉄道建設審議会が全国新幹線整備法案の検討を決議したものである。

新幹線鉄道整備法案要参考図

新幹線鉄道整備法案要綱別表

(※最終的には、全国新幹線鉄道整備法には別表という形で計画の一覧表を載せる方式はとられなかった。)

 結果的には、汐留貨物駅は国鉄の分割民営化の中で売却処分され、リニアモーターカーは中央新幹線において建設されることとされ、ターミナルは品川駅になったことは皆さんご存知のとおりである。

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京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。

 京葉線の新宿乗り入れについては、かつて「京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.htmlで記事にしたところである。

 ところで、京葉線の東京駅はかつての成田新幹線構想に基づく東京駅の空間を利用したものであった。  では、成田新幹線構想が生きていたころの京葉線の都心への延伸はどうなっていたのか?それが分かる資料が国鉄に残されていたので紹介したい。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (2)

 「第27回停車場技術講演会記録」307頁から引用

 まあ、上図をご覧のように新橋駅経由だったわけだが。

 出典は国鉄で1976(昭和51)年12月8日及び9日に開催された「第27回停車場技術講演会」における「総武開発線計画について」で、国鉄東京第一工事局調査課の林良一氏によるものである。

 この頃は、「京葉線」はあくまでも貨物線の名称であり、旅客線は「総武開発線」と呼び分けていたようだ。

 上図では駅をどこに設置するかはよく分からないが、別図では下記のとおりとなっている。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (3)

 「第27回停車場技術講演会記録」308頁から引用

内房線の蘇我駅から中央開発線の三鷹までの間に、新幕張、若松町、新浦安、新砂町、有明、新橋、赤坂見附、新宿、弥生町、新浜田山の駅が予定されていたようだ。蘇我-新橋間が総武開発線、新橋-三鷹間が中央開発線という区分である。

 若松町は、現在の南船橋駅のことか?

 新砂町は、現在の新木場駅のことか?

 弥生町は、下記のとおり中野区にある。

 新浜田山駅が設置されるということは、新宿-吉祥寺間は方南通り、井の頭通りの地下に設置する計画ということか。

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 ルートの考え方は下記のとおりである。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (1)

 「第27回停車場技術講演会記録」306頁から引用

 「汐留駅をターミナルとし、第二東海道新幹線」云々(でんでんじゃないよ)とあるが、これについてはおって詳細に紹介したい。→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-67ee.html

 蘇我から三鷹までの縦断図は下記のとおりである。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (5)

総武開発線の都心付近の拡大図はこちら

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (6)

中央開発線の都心付近の拡大図はこちら

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (7)

 それぞれ「第27回停車場技術講演会記録」311頁から引用

 新橋駅は、既に総武快速・横須賀線の地下駅を設置しているため、その下に設置するようで標高約35m(地下約43m)と大変深い位置に計画されていた。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (8)

 「第27回停車場技術講演会記録」312頁から引用

 なお、新橋駅の位置については、案3まで掲載されている。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (11)

 「第27回停車場技術講演会記録」321頁から引用

 また、中央開発線の縦断図では新宿駅で上越新幹線の下を通っていること等が分かる。

 新宿駅のホームや詳細な位置取りは、以前「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlで紹介しているので、併せてご覧いただきたい。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (4)

 「第27回停車場技術講演会記録」371頁から引用

 「横十字」が中央・総武開発線である。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 「第27回停車場技術講演会記録」377頁から引用

 左右に伸びる地下ホームが上越新幹線新宿駅であり、その下(地下5階)に上下に伸びるホームが、中央・総武開発線である。

 中央開発線の三鷹駅が地下に計画されていたことも分かる。

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 「京葉線は、貨物と旅客の複々線とする予定であった」と言われるが、その計画が分かる図面もある。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (10)

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (9)

 「第27回停車場技術講演会記録」320頁から引用

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■地下鉄有楽町線への乗り入れの検討

 昨今、京葉線とりんかい線の相互乗り入れによる新宿直通案の具体化が図られているが、当時営団地下鉄有楽町線(8号線)との相互乗り入れが検討されていたようだ。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (12)

 有楽町線乗り入れが実現されていれば、もっと早くに都心への直通が実現できていたと思われるが、特急、快速等が運行しづらいことや、ホームが10両しかないこと(快速は15両を想定していた)、何より、有楽町線が海浜ニュータウン方面(幕張、稲毛付近)への延伸が想定されていたことを排除するために?有楽町線乗り入れを排除していたようだ。

 

 次は「リニアモーターカー(第二東海道新幹線)と京葉線のターミナルとなるはずだった汐留駅」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-67ee.html

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2017年2月18日 (土)

583系引退と聞いて、俺の583系フォルダが火を噴くぜ(駄

583系引退と聞いて、俺の583系フォルダが火を噴くぜ

というか単なる便乗お蔵出しで身も蓋もない

583系みちのく (5)

583系みちのく

583系はくつる (3)

583系はくつる

583系ゆうづる (2)

583系ゆうづる

583系 ひたち(4)

ゆうづるのヒルネ 583系ひたち

583系はつかり (1)

583系はつかり

583系みちのく (6)

583系みちのく

581系なは (9)

581系なは と50系レッドトレイン

581系 明星(7)

581系 明星

581系有明 (8)

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2017年2月13日 (月)

上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみる

 ここまでグダグダと上越新幹線新宿駅延伸に関して記事を書いてきたが、小ネタをちょこちょこと出して整理しておく。

 「都営新宿線や都営大江戸線があんなに深いのは上越新幹線を避けているため」と言われることがあるがそれは事実なのか?

 文献によって確認してみた。

 まずは都営地下鉄新宿線である。「トンネルと地下」1978年3月号に「新宿駅線群の下を抜く 地下鉄10号線シールド」という記事が掲載されている。著者は、日本国有鉄道東京第三工事局新宿工事区の田中逸男区長と吉永則雄助役である。都営地下鉄なのになぜ国鉄の人が報文を書いているかというと、国鉄線の地下部分を通る箇所は東京都から国鉄に工事が委託されているからである。(同様に、小田急線の地下は小田急が受託している。)

 さて、「新幹線」というキーワードは出てくるのか?

上越新幹線新宿駅と都営新宿線の位置関係 (1)

 「新幹線の新宿乗り入れなどの将来構想を考慮して」と書いてある。

上越新幹線新宿駅と都営新宿線の位置関係 (2)

 ただし図面上は新幹線の絵は出てこない。ヒントとなるのが、先述の箇所で「「新幹線の新宿乗り入れなどの将来構想を考慮して32/1,000の急勾配で下り、貨物線の下に至る.これよりさらに2/1,000で下ってから民有地の発進立坑に到達する.」とある。

 勾配が32/1,000と2/1,000に切り替わる箇所がキーポイントのようだ。図面を見てみると山手貨物線の地下あたりで切り替わっている。

 これは、「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html等で紹介してきた上越新幹線新宿駅ホームの構想箇所と合致すると言ってよいだろう。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 「第27回停車場技術講演会」「新宿駅将来計画」国鉄東京第三工事局調査課補佐・石倉勝美・著から引用。

 また、「新宿駅線群の下を抜く 地下鉄10号線シールド」には「薬液注入計画」の図面が掲載されている。

上越新幹線新宿駅と都営新宿線の位置関係 (3)

 これが、「勾配が32/1,000と2/1,000に切り替わる箇所」から笹塚寄りのワンスパン分に薬液注入工が行われていないことを表している。将来新幹線ホーム掘削工事を行う際に薬液注入していると妨げになるという判断があったのだろうか???

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 次いで、都営地下鉄大江戸線(12号線)である。実は、これについては適当な文献を見つけられていない。

上越新幹線新宿駅構想 (6)

 「新宿駅貨物敷活用基本構想」国鉄新宿駅貨物敷活用基本構想研究委員会 から引用。

 今まで多くの図面を活用してきた「新宿駅貨物敷活用基本構想」によると、都営12号線は地下3階で京王線の下・京王新線(都営新宿線)の上の「B3Fレベル」を通っている。しかし現在は地下7階だ。この違いはなにか?

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (15)

 「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」34頁から引用

 都営大江戸線は、現在とは違って当初は新宿駅に停車することなく、代々木駅から直接都庁前に向かっていた。このときは地下3階でよかったのが、新宿駅に停車することとなって地下7階になったということか?その辺の経緯はよく調べきれていない。

 京王線と京王新線の間にある微妙な空間は、本来都営大江戸線が入る空間だったということでよいのか?(この空間をして、「京王線と京王新線の間に上越新幹線ホームが計画されている」説を述べる人がでてきたということだろうか?)

 いずれにせよ、地下3階はともかく、地下7階まで下がるのは上越新幹線のせいではなさそうだ。

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html

上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.html

上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html

大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1c4d.html

東北新幹線は浦和市営モノレールの導入空間を空けて今でも待ってるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-0765.html

上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.html

上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-3b1a.html

「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.html

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2017年2月 5日 (日)

上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみた

 もうずいぶん長い間、上越新幹線新宿延伸ネタを引っ張っている。まだ終わらないのか。もう俺は飽きてきて他のネタを(他人に先に書かれないうちに)早く書きたいのに。

 それならやめとけばよいのに、まだ書くのは、川島冷蔵庫の妄想が大変深く根を張っているようなのでしっかり潰しておく必要があると思ったからである。

上越新幹線大宮駅-新宿駅延伸ルートの川島令三案と国鉄・鉄道建設公団案の比較

 個人ブログや、鉄道トリビア本等で左側の「川島妄想ルート」はよく見かけるが、真ん中の国鉄が公表しているルートはあまり見かけないだろう。

 例えば、「完全版 新宿駅大解剖 」 横見浩彦・監修の105頁にも「上越新幹線の経路だが、荒川付近から地下を通り、池袋駅付近では地下鉄有楽町線と副都心線のトンネルの間に新幹線トンネルがあるようだ。」とすっかり川島一派である。横見浩彦氏の本は当時の新聞すらも調べずに書いたレベルと言えばそれまでなのかもしれないが。

 上記の絵ヅラで、川島ルートが妄想であろうことは概ね分かるが、しっかり理詰めと時系列で潰しておこう。

上越新幹線大宮駅-新宿駅延伸ルートの川島令三案と報道の比較

 ルート図と同じく、左側が川島妄想で右側が当時の新聞である。

 川島妄想の概要は、

・大宮駅-荒川間は、東北・上越新幹線と埼京線の3複線で、上越新幹線用地は「緩衝緑地」を使う。

・荒川-池袋駅間は、地下に潜り「おそらくは」国道17号(中山道)の地下を走る。

 というものである。

 ここで、上記の新聞報道あるいは私のブログの以前の記事「上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみる」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.htmlをご覧いただきたい。

1971(昭和46)年10月14日 東北新幹線・上越新幹線工事実施計画その1認可

東北新幹線 南埼玉トンネルで一部地下
上越新幹線 未公表(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) なし(東北貨物線?)
都市施設用地
(環境施設帯)
なし(側道4mのみ)

 

1973(昭和48)年3月10日 佐藤運輸政務次官が、畑埼玉県知事と小林東京北区区長に対して、東北、上越、北陸の三新幹線の運輸省案路線計画を提示 

東北新幹線 全線高架
上越新幹線 東北貨物線(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) 東北新幹線に並行
都市施設用地
(環境施設帯)
なし(側道4mのみ)

 この経緯で見ていただいて分かるように、当初案は、「埼京線なしの東北新幹線のみ地下」で、1973年に「埼京線+東北新幹線の高架及び東北貨物線活用の上越新幹線」という公表経緯であり、川島令三の言うような「東北・上越新幹線と埼京線の3複線」が世間に出たことは歴史的に存在しないのである。(国鉄内部での構想段階ではいろんな案があったかもしれないが。)

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 そして、川島令三が<図解>新説 全国未完成鉄道路線でここに上越新幹線の高架橋が併設される。」と述べる「環境緑道」であるが、当初は存在しなかったのである。もし川島令三の言うように上越新幹線を東北新幹線に併設させるつもりだったら当初から「環境緑道」が存在していなくてはならない。

 上記右側毎日新聞記事の末尾に埼玉県知事が「幅6.5mの側道設置」を要求している。現在の「環境緑道」は幅員20mだが、当初は新幹線は4mの側道しか計画していなかったのである。それをせめて6.5mに広げて2.5mだけでも新幹線と民地を離してくれというのが埼京線と東北新幹線の高架併設案が地元提示された段階の計画であったのだ。

埼玉県内の新幹線の緑地帯は上越新幹線用地ではない

 1975(昭和50)年11月8日付朝日新聞にも当初計画では「側道は幅4m」だが、騒音対策で20mに広げると書いてある。川島令三はいったいどこに上越新幹線を作るつもりだったのか。

 下記は、昭和56年2月4日付の国鉄東京第三工事局長から国鉄総裁への上申文「東北新幹線・通勤別線建設に伴う都市施設用地の取得について」の抜粋である。(「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」112頁)

埼玉県内の新幹線の緑地帯は上越新幹線用地ではない2

 国鉄として幅20mの「都市施設用地」の取得に正式に動き出したのはこの段階である。

 「国鉄は、地元の環境対策に理解を示したふりをして、したたかに将来の上越新幹線用地を確保したのだ。」等と考える方もいるかもしれない。

 ただし、上記東三工局長文をよく読むと、地元自治体へ譲渡することが前提であることが分かる。

○岩橋説明員(日本国有鉄道建設局審議役) お尋ねの環境空間ということでございますが、御指摘のとおり、埼玉県下の大宮以南の新幹線を建設するに当たりまして、地方公共団体との間で、両側に二十メーターばかりの環境空間をとってほしい、こういうような御要望がありまして、私ども、これは地方公共団体がお使いになる用地の先行買収というふうに理解をいたしまして買収を進めてきたところでございます。したがいまして、この土地を戸田、浦和、与野の三市に買っていただきたいとずっと申し上げてきたわけでございます(略)

 

1985(昭和60)年6月7日 衆議院環境委員会

 と国会でも明確に国鉄側が答弁している。上越新幹線を作るのであれば「戸田、浦和、与野の三市に買っていただきたいとずっと申し上げ」たりしてはいけないはずだ。

 なお、実際には自治体への有償譲渡は難航しており、会計検査院に再三指摘されている。(上記の国会答弁も会計検査院の指摘を受けてのもの。)

埼玉県内の新幹線の緑地帯は上越新幹線用地ではない3

 1984(昭和59)年11月6日読売新聞にも報道されている。右下のイラストを見ても、譲渡予定の20mの幅の他に上越新幹線用地があるとは思えない。しかも川島令三の「西側がやや広い」というのも否定されてしまう東西等間隔ぶりである。

 (余談だが、新聞の左下の「投資ジャーナル 中江滋樹」に時代を感じますな。平成生まれのゆとり世代は置いてきぼりですまんな。昭和時代には下記のような番組がゴールデンで流れていたのだよ。)

 

・昭和59年度決算検査報告 東北新幹線建設に伴い取得した都市施設用地について http://report.jbaudit.go.jp/org/s59/1984-s59-0234-0.htm

・平成10年度決算検査報告 東北新幹線の建設に伴い取得された都市施設用地について http://report.jbaudit.go.jp/org/h10/1998-h10-0540-0.htm

 この2つの報告を読めば、川島令三の「ここに上越新幹線の高架線が併設される。これは筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている。」という記述が如何に馬鹿げたものかが分かるであろう。

 なお、ノート:上越新幹線https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%B8%8A%E8%B6%8A%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9Aの「新宿駅への延伸計画における緩衝地帯について」には「ネットで調べたところ、この緩衝地帯は、国鉄がJRになる時に、国鉄清算事業団に払い下げられたのではなく、JRの関連会社に払い下げられたそうです。」なんて書いてあるが、上記会計検査院報告には「都市施設用地は国鉄から保有機構に承継され、その後、保有機構からJR東日本に260,579m2 が譲渡されている」とある。いったいネットのどこを調べたのか。これだから「嘘ペディア」は困る。

 

 ああ疲れた。「おそらくは、池袋駅から中山道に向かい、中山道の地下を走って、荒川を渡る」なんて部分は、川島令三本人が「おそらく」にすぎないと言っているのだから検証の必要もないよね。

 なお、「新幹線池袋駅の設置も考えられていると思える。」(<図解>新説 全国未完成鉄道路線(140頁)については、「上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのか」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.htmlにおいて、下記のとおり否定されているので改めてご紹介を。

上越新幹線と池袋駅 (5)

「複合機能としての旅客駅計画 池袋駅」国鉄東京第三工事局調査課 荒井良明・著

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html

上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.html

上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html

大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1c4d.html

東北新幹線は浦和市営モノレールの導入空間を空けて今でも待ってるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-0765.html

上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.html

上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-3b1a.html

「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.html

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2017年1月30日 (月)

東北新幹線は浦和市営モノレールの導入空間を空けて今でも待ってる

 「浦和市営モノレール」でぐぐっても1件もヒットしない。「なんじゃあこりゃああ!(ジーパン刑事)」な人がほとんどであろう。

都市モノレール・新交通システム 未成線及び事業化路線一覧

 これは、「公共事業ガイドシリーズ 都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社編集部 編 に掲載された1973(昭和48)年から1983(昭和58)年までの「都市モノレール等調査実施箇所と事業化状況」という一覧表である。

 この54年度に「川口・浦和線」が載っているのが分かるだろう。

 東北新幹線は、このモノレールとの交差に関して浦和市と設計協議を行い、東北新幹線の高架下に浦和市営モノレールが通れるよう導入空間を空けたのである。

 

浦和市営モノレール計画線と東北新幹線の交差

 「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」432頁に掲載された当該箇所に係る部分である。

 「事業主体である浦和市とモノレール交差の技術的検討に加え、(略)昭和56年12月12日の3者会議(モノレール委員会、浦和市、東三工)の席において(略)交差断面スケルトンが決定した。

 

 ここで、「浦和市営モノレールなんて聞いたこともないし、グーグルで検索しても出てこないぞ」とおっしゃる方がいるかもしれない。

 ところが私は、モノレールと聞くと社団法人モノレール協会の機関誌「モノレール」を探せばいいと勘づくぐらいには鍛えられているので、さっそく国会図書館で探索すると、下記のような図面がでてきた。

浦和市営モノレール計画線

 「モノレール」42号(1980(昭和55)年11月)「今年度部市モノレール等調査都市の交通事情--浦和市の都市交通の現状と課題 / 井上竹明(浦和市企画部交通対策室副参事) ・著」から引用

 ついでに川口市営モノレールについては、下記のような図面がでてきた。

川口市営モノレール計画線

 「モノレール」41号(1980(昭和55)年7月)「今年度都市モノレール計画調査都市の交通事情--川口市の都市モノレール等予備調査 / 大野順四郎(埼玉県川口市企画審議室理事) ・著」から引用

 浦和市と川口市で連携して環状モノレールのようなものを計画していたようだ。

 

 このモノレールが通る空間を準備して待ち続けていた場所を探してみるとどうやらここのようだ。

 前後に比べるとスパンが長い。

浦和市営モノレールが東北新幹線の下をくぐるはずだった道場三室線

 モノレールもできるはずだった都市計画道路にしては随分寂しい光景だと思ったら、まだ東北新幹線に届いてすらいないのね。。。

http://www.city.saitama.jp/001/010/018/007/005/p007073_d/fil/h22_doujou.pdfから引用。

 これができていれば南与野駅は埼京線と浦和市営モノレールの乗換駅として賑わっていたのだろうか。

※追記

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2017年1月29日 (日)

大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡

 今まで、上越新幹線新宿駅-大宮駅間のルートについて述べてきたところ、新宿駅池袋駅ときたので、大宮駅についても紹介していきたい。

 上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.htmlにおいて、

上越新幹線の東京(新宿)-大宮間は、「線路の位置」「停車場の位置」「工事予算」も何にも決まっていないのである。

本稿を書くにあたって「上越新幹線工事誌(大宮新潟間)」「上越新幹線工事誌(大宮水上間)」「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」に目をとおしたが、新宿-大宮間の具体的なルートに言及したものは一切なかった。冒頭でご紹介した一文が全てである。(ただし、部分的にそれらしいものがチラチラ見えたりするのでそれはおってご紹介したい。)

 と述べてきた。

 その「部分的にそれらしいもの」をチラチラ紹介していきたい。

 1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」において

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (24)

「東北新幹線配線略図」が掲載されており、新宿方面への分岐線らしきものが見える。

 今の大宮駅は6面のホームがあるが、上図では4面だ。この間の経緯を説明しているのが、1981(昭和56)年10月20・21日に開催された「第32回停車場技術講演会」における国鉄東京第三工事局停車場第一課補佐の金子彦隆氏による「大宮駅」の報告である。

 そこでは下記のような東北・上越新幹線配線略図を示すとともに

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (2)

 その見直しの経緯を述べている。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (1)

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 まず注目したのは、盛岡・新潟方面の破線である。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (4)

 「土木施工」1972年3月号「上越新幹線の建設計画について」植月躋(日本鉄道建設公団新幹線部新幹線第一課長)には、

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (8)

「東京発新潟行と新宿発盛岡行に支障がないよう」と書いてあるのだが、この破線部分ができれば、そのあたりがうまく運用できるのだろうか?(「図-3はこちらhttps://flic.kr/p/QcGiQx

 また、2017(平成29)年1月12日 信濃毎日新聞「過密ダイヤ 改めて注目 新幹線 東京―大宮間」http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170112/KT161230CUI090002000.phpでは、「JR東日本は、巨額の投資が必要な大宮以南の線路増強について慎重だ。「現有の新幹線設備を有効活用することで、利用状況を踏まえた列車本数を確保できると考えている」(広報部)とする。今後、需要が増える場合には「大宮発着の列車の運行などを必要に応じて検討していくことになる」との立場だ。」という記事が掲載されてたが、これで大宮発着分もうまく折り返せるのだろうか?

 私は配線等には全く知識がないので教えて偉い人!(ウゴウゴルーガ)。

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 次に注目したのは、東京方の破線である。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (3)

 「上越上・下」という線が東北新幹線の下をくぐるような配線が見て取れる。

 新宿-大宮間ルートを探っている身にとっては大変気になるのだが、これ以上の手がかりがない。

 

 一方、「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」に、当該箇所についての手がかりらしきものがあった。407頁の図面に、破線の将来施工の複線と思われる箇所がある。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (7)

 上図の右端はもう大宮駅のホームである。

 断面図の右端「P11」は、現在の大宮駅ホームの手前の配線で3複線の線路が敷設されており、真ん中の「P6]では3線、左端の「P1」では現在は複線だが、破線で将来的には複々線とすることを想定していると思われる。

 この地理院地図に当該橋脚を落としてみるとこんな感じであろうか。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (9)

 

 更にその南側の「与野線路橋」にも「2期施工」と書いた破線が出てくる。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (6)

 「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」398頁

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (5)

 「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」394頁

 この「2期施工」分が上越新幹線新宿―大宮ルートなのだろうか。この区間では、現在の東北上りが上越上りに、東北下りが東北上りに切り替わり、2期施工区間が東北下り、上越下りになるということだろうか。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (8)

 こちらも地理院地図に落としてみた。

 

 さて、ここから東北貨物線に沿って赤羽方向へ向かうはずだ。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (1)

  「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」から

 下図は、「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」18頁に掲載された荒川―大宮間線路平面図である。破線が当初計画の「埼玉南トンネル」のルートで、実線が現在のルートである。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (10)

 大宮駅付近を拡大してみる。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (11)

 先に紹介した「与野線路橋」の南側で上越新幹線は東北貨物線に沿って赤羽方向に向かうものと思われる。この図面では大宮操車場の西端を走って貨物線に合流すればよさそうに思われる。

 だが、しかし

 今はそこにさいたまスーパーアリーナができちゃったんだよなあ。。。

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 <追記>

 記事をUPした後のフォロワーさんとのツイートから。

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wikipedia にいうような「二重高架」とか、川島令三のいうような「線路別複々線」が事実であれば、これより南側の図面にも「2期施工」という文字が出てきてよさそうなものだが、私が見た範囲ではそのような記載はない。つまり、wikipediaや川島令三は根拠がないことを言っているということでよいのではないか?

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html

上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.html

上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html

大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1c4d.html

東北新幹線は浦和市営モノレールの導入空間を空けて今でも待ってるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-0765.html

上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.html

上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-3b1a.html

「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.html

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