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2017年9月10日 (日)

本四橋・大鳴門橋への四国新幹線架設は本来中止するはずが徳島の政治家が復活させた?

 先日読売新聞にこんな記事が報道された。

大鳴門橋の下部、観光活用へ…トロッコ列車案も

 

 兵庫県南あわじ市は、淡路島と四国を結ぶ大鳴門橋(1629メートル)に鉄道を敷設するため造られた橋の下部について、観光への活用の可能性を探る調査を始めた。

(中略)

 大鳴門橋は、上部が自動車専用道路、下部は新幹線規格の鉄道を通す計画で建設された2層構造の道路・鉄道併用橋。神戸淡路鳴門自動車道として1985年に開通したが、鉄道の敷設計画は具体化していない。

(中略)

 一方、紀淡海峡をまたいで本州と四国を結ぶ新幹線の整備構想があることを踏まえ、「四国の経済界は今も新幹線の実現に期待しており、下部の他用途転用はそれを遠ざけると受け取られないか。安全性の観点からも慎重な検討が必要だ」との声もある。(高田寛)

 2017年09月06日 20時50分 http://www.yomiuri.co.jp/economy/20170906-OYT1T50051.html

 本州四国連絡橋神戸・鳴門ルート関連の鉄道はこのように建設されるはずであった。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (4)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (6)

 「道路」1973年1月号「本州四国連絡橋の計画」本州四国連絡橋公団 から引用。

 明石海峡大橋に鉄道を架けるのをやめた話は、先日「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.htmlに書いたところである。

 ネットやTwitterでは、「明石海峡大橋を道路専用にしたため、大鳴門橋の鉄道施設が無駄になった。」「四国新幹線が建設できなくなったせいでJR四国の経営が悪化した。」といった書き込みが見られる。

 そもそも大鳴門橋だって新幹線設備は建設せずに道路専用橋とすることで政府の方針は固まっていたのだが、徳島の政治家(三木武夫元首相)がひっくり返したのである。当時四国新幹線のアテはほぼ無くなっていたにもかかわらず。

 昭和54年版「交通年鑑」の、昭和53年3月9日の項に、「大鳴門橋を鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方針を固めた」とある。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった

 当時の報道も確認してみよう。

本四橋⼤鳴門橋は鉄道はずし「道路単独橋」に――3省庁、建設促進で⽅針固める。

 

 建設、運輸、国土省庁は9日、本州四国連絡橋の神戸・鳴門ルートにかける大鳴門橋を当初計画の「道路鉄道併用橋」から「道路単独橋」に変更する方針を固めた。「国鉄財政が悪化しているのに、開通の見込みの立たない鉄道を併設するのはおかしい」との異論が以前から政府部内にあったが、政府は公共事業促進の一環として、道路単独橋にして完成を急ぐことになったもので、4月中に鉄道建設審議会に諮って正式決定する。

 

1978(昭和53)年3月10日付 ⽇本経済新聞

 この報道の後、国会質疑でも大鳴門橋への鉄道架設の件が取り上げられているので紹介したい。

○二宮文造君 ところで、やっとこのごろに到達したんですが、去る三月の七日に建設、運輸、国土、この三省庁の事務当局者の話し合いで、神戸-鳴門間のいわゆるAルートですね、これの大鳴門橋を、ずっと進んできた道路、鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方向で合意に達したというふうな報道がされておりますが、この件はどうでしょうか。

○政府委員(浅井新一郎君(建設省道路局長)) 御指摘の点でございますが、新聞情報でそういうようなことが流れております。事実、事務当局間で会ったことはございますが、これは大鳴門橋の建設に絡みまして、先ほどもございました、従来併用橋ということで工事がずっと進んでまいっておりまして、いよいよ塔の発注時期を迎えておるわけでございます。ただ、鉄道橋併用問題につきましては後ほど御説明あると思いますが、新幹線問題についていろいろな運輸当局の考え方もあるようでございます。そういうことを絡めまして情勢分析をするために集まったわけで、その席で方針が決められたというようなことはございません。

○二宮文造君 じゃ、新聞報道はうそですか。困りますか、答弁に。

○政府委員(浅井新一郎君) うそというわけでもないんですが、話し合いをしただけのことでございまして、結論を確認したわけでも何でもないわけでございますので、結論を出したというようなふうに報道されるのは、ちょっと大げさな報道ではないかというふうに考えます。

(中略)

○二宮文造君 新聞等を見ますと、国鉄さんいよいよ登場ですが、新聞報道を見ますと、国鉄の方、いわゆる運輸関係ですね、こちらの方が一おりたで、採算上の理由で、非常に強硬な御意見でこの会合をリードされて、それがいわゆる道路単独橋に踏み切ったと、こういうニュアンスになったと思うんですが、鉄道側の事情、いわゆる道路単独橋に至る鉄道側の事情を、ちょっとでなく詳しく説明いただきたい。

○政府委員(山地進君(運輸省鉄道監督局国有鉄道部長)) 国鉄が再三の財政援助を仰ぎながら毎年巨大な赤字を計上していることは先生方の御承知のとおりでございまして、昨年の運賃法定制度の緩和ということをやっていただいたのもその一連の助成の中の一つでございまして、五十年以降運賃を五〇%も値上げするというような非常にドラスチックなことをやったにもかかわらず年間九千億にも上る赤字を計上しておりまして、今回の運賃の法定制度を緩和したということを軸にする再建の基本方針というのは昨年の十二月の二十九日に政府で決定したわけでございますけれども、今後の国鉄再建については並み並みならぬ努力が必要だろう、これは政府の助成もさることながら国鉄自身の経営というものを立て直さなければならないという事態になったわけでございます。このような国鉄の再建というものを今後五十三年、五十四年にわたりまして五十年代中に何らかのめどをつけたいというような中でこの本四の架橋の併用部分を考えてみますと、四国新幹線、いまの大阪から大分に至る新幹線というのがいつできるかということについては非常に見通すことがむずかしい問題の一つになってきております。いま整備五線というすでに整備計画のできているものについても、一体これは財源問題も含めましてどういうことになっていくのかということで議論されているわけでございますが、その他の計画路線についてはさらに時間がかかる問題だろうと思うわけでございます。  こういうことを考えてみると、一体その併用部分の金というもの、まあ六百億ぐらいの負担を国鉄がせざるを得ないわけでございますが、これが四国新幹線ができない間、まさに何らの効果も生まないままに置くということは金利が毎年積み重なってまいりますので、これは国鉄、それから本四公団についても大変な圧迫要因になる。こういうことを考えまして、一体この併用橋というものについてもう一回見直すべきじゃないだろうかという議論をわれわれの方でいたしまして、今後も本四における鉄道部分というのは、新幹線で行くにしても併用橋であることが必要なのかどうかということで、とりあえず私どもとしては、単独橋の考え方というものは一体いままでの経緯から見て認められるものかどうか、かような観点で国土庁並びに建設省といろいろお話をしているというのが現状でございます。

(中略)

○二宮文造君 運輸省にお伺いしますが、結論は、鉄建審に諮問をして、その最終決定を得て方針が決まると、こういうことですが、鉄建審への諮問はいつと考えていますか。また、やっていますか。

○政府委員(山地進君) 鉄道建設審議会にかける部分と言いますのは、先ほど御説明いたしました本州四国連絡橋公団法に基づいて基本計画を決めた神戸-鳴門ルートについて併用橋ということが出ておりますので、それを直すための諮問を鉄建審にかけなければならない。それからもう一つ、新幹線鉄道網の整備に関する法律の基本計画というのはこれは何ら変更がないわけでございます。したがって、こちらの部分は鉄建審にはかけなくてもいいと、こういうのが事情でございます。私どもとしては、できるだけ早く鉄建審も開いていただいてこの問題の結論を得たいと、かように考えております。

 

1978(昭和53)年3月28日 参議院予算委員会

 ざくっというと、「四国新幹線なんかいつできるかアテもつかないのに大鳴門橋に鉄道施設を造っても600億+金利がかかるばかりなので道路単独橋にしたい。」ということであろう。

○森下委員 (略) 三月二十八日の参議院の建設委員会で運輸省の山地国鉄部長は、四国新幹線の問題でこういうふうに答弁をしております。要旨は「四国新幹線大阪-大分間の完成など見通しを立てるのも難しい。大鳴門橋の新幹線併用部分に対する国鉄の分担金は、金利だけでも国鉄を圧迫するので、併用を見直すべきだという議論を内部でしてきた。」それから「大鳴門橋の計画から新幹線併用を外すため、鉄建審にかけるよう、関係者間のコンセンサスを得る努力をしている。しかし新幹線整備法に基づく四国新幹線の基本計画はなんら変更するものではない。」こういうふうに答弁をされております。

 それから四月十四日に住田鉄監局長は、紀尾井町の赤坂プリンスホテルで開かれました高知県関係者との懇談会でこういうふうにおっしゃっておるようです。「大鳴門橋に新幹線を通すのは国民経済的にも問題があり計画を変更したい。その際四国新幹線はトンネルにすることになるので単独橋が正式決定されれば、明石-鳴門のトンネル調査を始めたい。」それから「計画変更を鉄道建設審議会に諮る際は徳島、高知など関係県の了解を得ることを前提にする」こういうふうに実はおっしゃっております。

 その内容を見ますと、現在の国鉄の財政内容を見ましても、併用橋の場合は六百億ばかりの巨額の金を運輸省が負担するわけでございますから、これも大変でございますし、大阪から淡路を通って四国それから大分県、これが四国新幹線のルートでございますけれども、これができ上がるには二十年も、遅ければ三十年も四十年もかかるのではなかろうか。残念ながらわれわれ自身もそういうふうに予想をされるわけです。そのために運輸省の持つべき六百億の負担金、これが金利等を考えますと、現在の貨幣価値でも二千億も三千億もかかる。効率的に非常によくない。われわれも、決算面から考えましても、併用橋ができて早く開通できればいいと思いますけれども、現実はそう簡単なものじゃないということを考えまして、最善よりもむしろ次善の策をとって、そして単独橋でもいいから早く橋をかけてもらいたい。いろいろ条件はあると思いますけれども、実はそういう方向で進んでもらいたいと私は思うのです。

 そこで、いろいろお聞きになっておると思いますけれども、運輸大臣に次のことをずばりお聞きしたいわけでございまして、ひとつ明快にお答え願いたい。  まず、大阪から四国を通りまして大分へ参ります四国新幹線、これはすでに豊後水道、大分と愛媛県の間ではトンネル調査をやっております。運輸省で予算を二億円ばかり毎年つけておりますから実績がございます。そういうことで、併用橋問題は別にして、四国新幹線は絶対に断念しないのだ、あくまでもやるのだ、これをまずお聞きしたい。

 それから、鉄建審、先ほど私が申し上げました鉄監局長や国鉄部長の発言の内容にも、鉄建審とか閣議でこれは前に併用橋ということで決めておりますから、これをおろすのはそう簡単にいかないと思うのです。その点やはり運輸大臣の決断によって早く決まる。しかも、不景気なときでございますから、早く公共事業をやらなくてはいけないし、下部構造は大鳴門の場合はできておりますから、上部構造にかかる場合に併用か単独かということが非常に問題になりますし、どうしても六月までに決めないとまた一年延ばされる。実は昨年も予算をそのまま使わずに置いてあるようなことでございまして、これも決算から見ましてもまことに効率の悪い問題でございますから、ひとつ大臣の方からお答え願いまして、また具体的な問題は鉄監局長の方から補足していただいても結構でございますから、大臣からよろしくお願いします。

○福永国務大臣 まず四国新幹線の件につきましては、お話にもありましたように、これの計画には変更は別にないわけでございます。率直な話、やりようにもよりますけれども、どっちが先になるか、これはなかなか、世に急がば回れというような言葉等もございますので、今後どうなるかと思います。そういうように私は思いますけれども、いずれにしてもその四国新幹線につきましては、考え方を変えるものではなく、推進していきたいと存じます。

 それから、鉄道建設審議会との話等につきましては、いま閣議で決めたかのようにお話がございましたが、これはどっちでも大した差はないと言えばそれまででございますが、閣議で決めたのではなくて運輸大臣が決めたことになっております。いずれにいたしましても、それについて変更する措置を講じなければならないことは、これはもう御指摘のとおりでございます。

 なかなかこの節、運輸省に振りかかってまいります問題が多い。一方においてはやれとおっしゃるし、一方においてはやるなと言う方が実は多いのでございます。気の弱い小生、いろいろ悩んでおりますが、いずれにいたしましても、お話のように決めるべきことは決めていかなければならない。せいぜい努力をいたしたいと存じます。

○住田政府委員(運輸省鉄道監督局長) 鳴門大橋と明石大橋の併用橋でございますが、これは閣議了解とか閣議決定ということではなくて、運輸大臣が鉄道建設審議会に諮問いたしまして、その答申を得て、本四公団に併用橋でやるように基本計画で指示をいたしたものでございます。

○森下委員 鉄道建設審議会ですね、四月の上旬ということでわれわれ非常に期待しておったのですが、いろいろな問題が起こったものですから延びておるし、いろいろ関係府県とも連絡を意欲的にやっておるようでございますけれども、私は、でき得ればこの四月中にぜひお願いしたい、またやるべきである、こういうふうに実は思っておるのですが、大臣の方で、非常にむずかしい問題がございます。一〇〇%了解を得るということは非常にむずかしいと思うのですけれども、少なくとも四月中にできなければ連休明けぐらいにはひとつ鉄道建設審議会を開いていただきまして、前向きでやるという私はお約束を得たいと思います。この点、どうでございますか。

 もう六月からこれやってもらわないと、また一年延びますからね。景気浮揚ということで公共事業で大型予算をつけておるわけでございますから、その点ひとつでき得れば四月の下旬でも、どうしてもぐあい悪いときには連休明け直ちに、ぜひ私は鉄建審ではっきりしてもらいたい。どうでございますか。

○福永国務大臣 森下さんお話しのように、私どもも実は四月、なるべく早くやりたいというような気持ちがあったことは事実でございます。正直に申します。いろいろございまして、そういうように運んでいっていないということを大変残念に思いますが、いま、いつ開くということを申し上げると、すぐこれまたいろいろなことになりますので、よく森下さんのお話を伺っておいて……というように存じます。いずれにしても、できるだけ早いことが望ましいと思っていることに変わりはございません。御了承いただきたいと存じます。

○森下委員 この併用橋か道路橋かという問題は、地元の国会議員もわれわれも含めまして十数年前から論議されておる問題でございまして、運輸省だけの責任じゃなしに私どもの責任も実はございます。しかし、政治家である以上、やはり決断すべきときには決断して、県民なり選挙民からの非難を受けることもあるだろうし、先見性がいかになかったかということの批判を受ける場合もあると思うのです。しかし、やはり決断すべきときには決断して、そして後の批判を受けていくのが、批判を避けて通れないのが政治家の一つの宿命でございますから、あえて私も申し上げるわけでございます。  そういうことで、はっきり言いにくい点もよくわかりますが、ひとつ意欲的にそういう方向でぜひお願いしたい。これは尖閣諸島の問題や成田の問題よりは、国内の問題でございますから簡単にいけるし、われわれ自身も、関係機関、また関係民に呼びかけて了解を得るように努力をしていきたいと思います。

 

1978(昭和53)年4月18日 衆議院決算委員会

 この森下元晴代議士は自民党で徳島県選出である。大鳴門橋の地元議員が、「さっさと鉄道建設審議会にかけて大鳴門橋に鉄道を架けないことを決めて道路単独橋でよいから早く造ってくれ」と政府に申し出ているのである。

 他方、運輸省も「本四架橋では新幹線はできなくても、別途本四間に新幹線用のトンネルを掘るからいいじゃないか」と高知県に申し出ていたことも分かる。

 1978(昭和53)年6月5日付毎日新聞は、その後の駆け引きを下記のとおり報じている。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった2

 先の国会答弁では、持って回った言い方だった運輸省だが、この記事ではもっとズバズバ発言している。

 方針転換の理由を運輸省の住田鉄道管理局長(※引用者注 後のJR東日本社長)は、「新幹線の併用橋を造るには、全部の新幹線計画が決まらなければならない。大鳴門橋はともかく世界最長のつり橋になる明石海峡大橋に新幹線を乗せることは、騒音対策も含め、技術的に極めて困難だ。それに新幹線はいつできるかわからない。21世紀までむずかしいという見方もある。併用橋にすると赤字の国鉄が約4割の費用を負担し、利子だけでも大変。21世紀まで通らないなら、そのときに別にトンネルを掘った方が安くつく」と説明する。

 この考え方で運輸省は建設省、国土庁、大蔵省と事務レベルの根回しを始めておおむねの了解を取り付け、関係県の国会議員も大部分が「道路だけなら早くできる」と単独橋に傾いた。

 ところが、ここで大きく「待った」をかけたのが地元徳島選出の三木前首相。

(中略)

 この動きを横目に見ながら運輸省は「三木さんは併用橋を造っておけば、将来、新幹線を引く”人質”になる、とお考えのようですが、たとえ併用橋になっても人質にはなりませんよ。本土―四国間の新幹線計画は神戸―鳴門ルートのほかに、岡山―坂出―高松―高知ルートの計画もあります」と冷ややかだ。

 

1978(昭和53)年6月5日付毎日新聞

 ネット世論では「なんで明石海峡大橋を道路単独にしたのだ。そのせいで新幹線ができなかったじゃないか」と言わんばかりだが、実際には大鳴門橋建設の段階で国は四国新幹線はできないから大鳴門橋だって鉄道施設は不要であるとしていたのである。

 そこをひっくり返しにかかったのは、地元徳島出身の三木武夫前首相(当時)である。記事にもあるが、この騒動の2年前である1976(昭和51)年に大鳴門橋を少々強引な形(それゆえに四国新幹線の神戸―鳴門ルートへの敷設については正式なオーソライズを得ていない形でもある。)で着工に持ち込んだのは首相在任中の三木である。その後いわゆる「三木おろし」で党内派閥争いに敗れ首相の座をひきずりおろされた後に、政敵の福田内閣が大鳴門橋への鉄道工事を中止させようとするのである。

 今の人は知らないかもしれないが、三木首相は「金権」田中角栄内閣が世論の批判をあびて倒れた後に「クリーン三木」として脆弱な党内基盤にもかかわらず登場時は国民から一定の人気を得ていた政治家である(いわゆる「バルカン政治家」でもあったが。)。そのクリーン三木が地元利益のためになりふり構わず動いたのである。

 この記事によると、淡路島を含む兵庫2区を地盤とし、明石海峡大橋建設に力を入れていた原健三郎(ハラケン)代議士が中曽根派であることもあり、中曽根康弘(当時鉄道建設審議会会長)の支援を受けたようだ。当時の自民党はいわゆる「三角大福中」の派閥争いの真っ最中であり、中曽根にとっては、福田の敵の三木は「敵の敵は味方」ということになるのだろうか。

 ところで、中曽根は首相在籍時には国鉄分割民営化を実施している。その際、本四架橋については、瀬戸大橋に架かる国鉄線「本四備讃線」の建設を中止しようとする動きすらあった。

 その動きは「JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/jr30-0cd3.htmlに書いてある。

 中曽根氏も国鉄改革の際には偉そうなことを言っていたが、自分もちょっと前には党利党略というかそれ以前の党内派閥利益の駆け引きために鉄道建設審議会会長の座を悪用?して国鉄の赤字を増やしていたのである。

 1978(昭和53)年7月31日付朝日新聞でも同様の動きが報じられている。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった3

 徳島県では当初、運輸省のこんな計画変更案に対し「やむをえない」との空気が支配的だった。武市恭信同県知事も3月の県議会で「早期完成が最優先」と弱気の答弁をしたほどだ。あまり新幹線にこだわって、橋そのものの完成が遅れたのではもとも子もなくなる、との心配も手伝って、橋の運命は「単独橋」に決まったかに見えた。

 

1978(昭和53)年7月31日付朝日新聞

 地元徳島県も四国新幹線をあきらめかけていたというわけだ。

 ここで当時の日経新聞の関連記事の見出しを追ってみよう。

大鳴門橋問題、道路単独への変更は流動的――武市徳島県知事語る。 1978/03/19  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋、道路単独なら条件付き、近く6団体で協議――徳島県知事示唆。 1978/03/23  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県、強まる大鳴門橋の「道路単独」に強く反発――架橋資金調達の縁故債拒否も。 1978/04/15  日本経済新聞 地方経済面 四国 

徳島県、議会で大鳴門橋の道路単独橋への変更受け入れを示唆、57年度完成変えず。 1978/04/20  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県と徳島県、大鳴門橋の新幹線併用橋実現で意見一致。 1978/05/10  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋の新幹線併用橋建設は厳しい情勢――徳島県議会特別委員長ら語る。 1978/05/27  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋の新幹線併用の見通しは明るい――運輸省などに陳情の徳島県会委員長ら語る。 1978/07/15  日本経済新聞 地方経済面 四国

徳島県、大鳴門橋建設問題で併用橋推進へ高知・兵庫両県知事と意見集約へ――知事談。 1978/07/18  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋は道路新幹線併用橋――自民党四国開発委が決定。 1978/07/21  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋、政治決着にメド、新幹線併用で前進――高知県知事語る。 1978/07/22  日本経済新聞 地方経済面 四国

本四架橋の大鳴門橋は道路・鉄道の「併用橋」に――建設相、経団連会長に意向表明。 1978/08/01  日本経済新聞

大鳴門橋は新幹線併用橋に――三木武夫前首相、徳島市で語る。 1978/09/05  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県、大鳴門橋鉄道併用問題で国の負担での早期着工を建設・運輸両省に強く要請へ。 1978/09/08  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋は基本方針通り併用橋――中曽根康弘自民党総務会長、徳島で語る。 1978/10/15  日本経済新聞 地方経済面 四国

本四架橋神戸―鳴門の「大鳴門橋」は道路だけの単独橋に――自民調査会が決議。 1978/12/13  日本経済新聞

大鳴門橋はあくまで併用橋で――国鉄基本問題調査会の単独橋決議で徳島県知事語る。 1978/12/14  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県、国鉄基本問題調査会の大鳴門橋「単独橋」決議で対応策迫られる。 1978/12/14  日本経済新聞 地方経済面 四国

 このように、自民党も揺れるし地方も揺れていたのである。徳島県は一時期弱気になるのだが、高知県が強気だったという。

 高知県はこれに猛反発した。鉄道併用橋は高知県民の願いであった。ルート争いでは神戸―鳴門ルートを支持してきたのに簡単にあきらめるのかと徳島県を厳しく非難した。

 

本州四国連絡橋神戸―鳴門ルートの計画史 羽田野剛士、近藤光男、近藤明子

https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00039/200411_no30/pdf/232.pdf

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった4

 上記の記事は、自民党の国鉄基本問題調査会が道路単独橋決議したことを報じる1978(昭和53)年12月13日付読売新聞記事である。

 この記事では2点興味深い点がある。

 一つ目は、厳しい国鉄財政を踏まえて、運輸省だけでなく国鉄も鉄道併用橋に反対しているという点である。

 二つ目は、道路橋を所掌する建設省は併用橋を主張しているという点である。日頃から「鉄道と違って道路はお金があってズルイズルイ」と言っている鉄道マニヤ諸氏には不思議であろう。そこには、本四架橋については、道路と鉄道が費用按分して事業を進めているという事情がある。つまり鉄道が撤退してしまうと全額道路が負担しなくてはならなくなる。また単純に道路だけの問題ではなく、本四公団に出資している国、関係地方公共団体の出資金の追加負担が出てくるのではないかという問題もある。そのために「国鉄が赤字だからといって、自分の都合だけで撤退しちゃいかんよ」と釘を刺しているのではなかろうか。この辺はあてずっぽうの推測にすぎないのだが。

 

 最終的には現在あるように大鳴門橋は鉄道併用橋で決着がついた。下記は、それを報じる1979(昭和54)年1月5日付読売新聞記事である。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった5

 この記事によると

・もともとは道路と鉄道は、(応力比率に基づき)59:41で、総工費1,527億円のうち、道路901億円、鉄道626億円を負担するはずだった。

・このときの見直し(経費削減)と負担比率の見直しで、総工費1,527億円を1,325億円に下げるとともに、89:11の負担比率とし、道路1,175億円、鉄道150億円の負担となった。

 結果的に増額となった道路分274億円については、その後、本四道路の料金で返済することになっていると思われる。

 また、このときの経費削減のなかで「新幹線は「単線載荷方式」をとることとし、複線にはするものの、上下線の電車がいっしょに通らないように配慮し、工事費を切り詰めることにした。」のである。

 

 wikipediaの「大鳴門橋」では

また、着工後に四国新幹線建設の見通しが不明確なことと建設費の圧縮を理由として、一度に1列車しか橋上を通過できない「単線載荷」への設計変更が1980年になされているため、仮に鉄道が敷設されても大鳴門橋の区間は実質的に単線運行となる。(参考:参議院建設委員会議事録1981年6月2日)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%B4%E9%96%80%E6%A9%8B 2017年9月10日閲覧

 とだけあるが、そこに至るまではこれだけ長い前振りがあったのである。

 それを知らない鉄道マニヤが「予算をけちったせいで単線運行しかできないものができた」等というのである。

 

 wikipediaついでに指摘しておくと

1978年(昭和53年)3月 - 関係大臣により大鳴門橋と明石海峡大橋の道路単独橋への変更が合意。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%B4%E9%96%80%E6%A9%8B 2017年9月10日閲覧

とあるが、実際の国会答弁では

○二宮文造君 ちょっと大臣にお伺いしますがね、この三省の事務当局者の会合というのは大臣御承知の上で行われたんでしょうか、知らないうちに事務当局で話し合いしたんでしょうか。簡単で結構です。

○国務大臣(櫻内義雄君) これは、私が指示をしたことのないことだけは事実でございますが、しかし、事務当局者間で必要があってそういう会合をしておる、それを私が不必要だということではございません。私が指示したんではないということは事実です。

○二宮文造君 じゃ、その事務当局の会合があった報告は大臣受けられましたか。非常に大事な問題でこういう三省の話し合いが行われたんですと、報告は受けられましたか。建設も国土も兼ねていらっしゃるんですから、どっちかから入るんじゃないかと思いますが。

○国務大臣(櫻内義雄君) 新聞報道をちょうど見た後に、ちょっとこの報道の真相は違いますと、三者が会いまして、いまの公共投資の、先行投資の必要があるので協議をいたしましたと、こういう報告を受けました。

 

1978(昭和53)年3月28日 参議院予算委員会

 と「大臣は知らずに事務方だけの会合だった」とされている。

 ということでwikipediaの当該箇所は嘘だと思われるので、どなたか直しておいてください。

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大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった6

 これは、1985(昭和60)年6月8日大鳴門橋開通を前にした、小学3年生1985(昭和60)年4月号の挿絵である。

 しかし、上記の経緯を踏まえ、1981(昭和56)年6月に建設省から本四公団に、明石海峡大橋の道路単独橋の可能性について検討するよう指示がなされ、大鳴門橋開通の2箇月前である1985(昭和60)年4月に「明石海峡大橋は道路単独橋で技術的にも採算的にも可能である」旨の調査報告がなされている。

 「新かん線も走る!大鳴門橋」とのキャプションはこの時点で実現可能性はかなり厳しくなっていたと言ってよいだろう。

 これを受けて同年8月27日、河本嘉久蔵国土庁長官、山下徳夫運輸大臣、木部佳昭建設大臣の間で、「明石海峡大橋は道路単独橋に変更し、本州・淡路島間の鉄道計画については、別途検討する」旨の合意がなされた。

 

本州四国連絡橋神戸―鳴門ルートの計画史 羽田野剛士、近藤光男、近藤明子

https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00039/200411_no30/pdf/232.pdf

 その後紀淡海峡経由のルートの検討等が行われたのはご存知のとおりである。

伊東 明石海峡大橋を鉄道は通さないことにして、あと別ルートを考えるとすれば、どんなことが今考えられているのですか。

山根 トンネルにする案では、水深一○○mの明石海峡の下をトンネルで通っても、明石海峡大橋に乗せても、鉄道の規格にもよりますが、 神戸の駅に取り付かないのですね。

伊東 そうなのですか。たわみがすごくなるということですか。

山根 そうではなくて。

伊東 取り付けの問題なのですか。

山根 そうです。方法としては紀淡海峡を抜ける案が考えられます。

伊東 経営上はどうですか。

山根 備讃線でもう精一杯ではないでしようか。備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

山根孟氏(元建設省道路局長・元本州四国連絡橋公団総裁)

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大鳴門橋の鉄道事業分のお金は結局誰が負担しているのだろうか?

 建設費については、本州四国連絡橋公団から道路公団民営化委員会に提出された資料http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/dai4/4siryou4-1.pdfによると「鉄道の事業費は平成13年度までに国鉄清算事業団(現鉄建公団)の負担により償還済。」とのこと。

 維持管理費については、http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/honsyu_a.htmによると

 本州四国連絡鉄道事業のうち、明石海峡大橋が道路単独橋とされたため(昭和60年8月)、本四淡路線の鉄道事業は凍結状態となっている。このため、これと一体をなすものとして先行して建設された大鳴門橋の鉄道部分(資産価額331億円)が未利用のままとなっている。

 この大鳴門橋の鉄道部分の維持管理費については、負担分を賄う収入の途がないため(本来は、鉄道開通の際に旧国鉄から得られる予定であった。)、一般会計からの補助金(昭和62年度から平成8年度の累計額1億9,100万円)により賄っている。今後、大鳴門橋が鉄道施設として利用される可能性は低いものとなっており、このままでは、公的資金の投入が累増することとなる。

としている。この後はどうなったのだろうか。

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2017年9月 3日 (日)

総武快速線は首都高速道路の未成線を避けて走っているのであんなに深い

 ※最後に追記があります。

 我々が子供の頃は、国鉄で一番深い駅と言えば、総武快速線の馬喰町駅であった。(その後青函トンネルが開通したりして変動したらしいが。)

 http://www.ecomo-rakuraku.jp/stationmap/22919.htmlに掲載された構内図などを見ると地下5階にホームがある。

 で、何故にこんなに深いのかを調べてみると、首都高速道路の未成線が関係していることが分かった。

総武快速線は首都高の未成線を避けて深く走っている

 「交通技術」1972年8月号「東京地下駅の防災体制について」山本卓朗・著 291頁から引用

 馬喰町駅から錦糸町側で神田川をくぐるあたりで「高速環状線」の杭の下を避けるように総武快速線が走っているのが分かる。

 これは首都高速道路の未成線「内環状線」のことである。

首都高速道路内環状線計画図

 この図面について詳しいことはこちら→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

 6号線の両国から隅田川を渡り、神田川に蓋をするように飯田橋で5号線に接続するような経路である。

 それが柳橋のあたりで総武快速線と交差する予定だったのだ。

首都高内環状線接続予定部分

 飯田橋附近の首都高5号線。赤丸部分が内環状線が接続する部分の準備工と思わしきもの。

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西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (2)

 また、上図には出てこないが、地下鉄有楽町線(8号線)も、当初は新木場へ向かわず、錦糸町へ向かうはずだった(10号線)ので、内環状線と同様に錦糸町駅~馬喰町駅の間で地下鉄10号線の下をくぐっている。

交通技術1968年7月号「東京周辺地下高速鉄道網の整備計画」から

 

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (14)

 地下鉄10号・8号線のあたりは、他に記事を書いているのでよろしければこちらも是非。

 「堤康次郎は、目白経由だった有楽町線のルートを池袋経由に曲げて、西武池袋線と新宿線を乗入れさせようとしていた?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-4e5b.html

 記事公開後、重要な指摘を頂戴したのでお許しを得て追記としたい。

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2017年8月 5日 (土)

明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等

 これは本四高速の明石海峡大橋の車道の下の管理用通路の部分である。

 先日、ここの写真をTwitterにUPしたところ、「新幹線が通るはずだったところ」といった指摘をいただいたので、ちょっとその辺の経緯を調べてみた。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (8)

 まずは、調査の経緯から。国鉄→鉄道建設公団による鉄道の調査と建設省→日本道路公団による道路の調査が並行して行われている。これが本州四国連絡橋公団が設立されて一本化されたわけだ。

 明石海峡大橋部分の鉄道(本四淡路線)の調査は、1950(昭和30)年4月に開始されている。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (9)

 本四公団設立にあわせて鉄道と道路の基本計画(調査)指示がなされている。

 そして1972(昭和47)年に本四公団から調査報告書が出ているのだが、そのうち明石海峡大橋に係る部分を抜粋してみる。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (4)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (6)

 冒頭にUPした動画の管理用通路のところに複線の鉄道が予定されていたことが分かる。(当然構造は異なるが。)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (5)

 「図2」を見ると「鉄道(本四淡路線)」と「鉄道(新幹線)」の2種類のルートが引いてあるのが分かるが、当時は在来線か新幹線かどちらかになるかが決まっていなかったため両論併記となっていたということだろうか。

(新幹線が徳島市内に入らず、高徳本線吉成駅あたりに接続しているように見えるのも興味深い。世が世であればここが新幹線の「新徳島駅」だったのだろうか?)

※ ここまでの図面や文章の引用元は、「道路」1973年1月号「本州四国連絡橋の計画」本州四国連絡橋公団。

 ここまで見ると、今にでも明石海峡を新幹線が通りそうなものだが、実際には技術的なハードルは高かったようだ。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (2)

 「道路」1985年6月号「大鳴門橋の開通にあたって思う」村上永一・著によれば上記のように「明石海峡大橋の架橋の困難さは他の橋梁に較べて格段の差があった。」「早期に完成すべき道路鉄道併用ルートを選ぶとすれば,児島・坂出ルートなりと受け止めてもよい。」としている。

 そこにオイルショックによる工事中止や国鉄改革等が重なった。1981(昭和56)年には、社会経済情勢、国鉄の財政事情等を勘案し、関係省庁協議のうえ「道路単独橋の可能性等」を本四公団に検討させており、「道路単独橋は「技術的にも採算性の面からも可能」との報告が大鳴門橋開通の2か月前となる1985(昭和60)年4月に行われている。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (1)

 「道路」1985年6月号「最盛期を迎えた本州四国連絡橋」花市 頴悟(本州四国連絡橋公団企画開発部長)著

 ここで興味深いのは神戸・鳴門ルートに建設するはずだった鉄道利用客が道路に転換することで道路の利用客が増えて採算性が取れるようになるという点である。巷間言われるように「予算削減するために鉄道をやめた」のではなくて、「41%(11%は誤植と思われ)費用負担するはずだった鉄道が「撤退する」って言ってるけど、道路単独の費用負担でペイできるかどうか」の検討をしたのではないか?

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (7)

 「道路」1986年4月号「大規模プロジェクトの新たな展開」溝口忠(建設省道路局有料道路課建設専門官)著 によると、本四公団からの調査結果の報告を受けて、1985(昭和60)年8月に、国土庁長官、建設大臣、運輸大臣による道路単独橋として整備する方針が合意されている。

 

 これだけだと、政治的、経済的理由で鉄道の建設を取りやめたように見えるが、前述のとおり技術面でも厳しい部分があったようだ。

伊東 鉄道をやめたのはどんな理由なのですか。当初、三橋とも鉄道が併設されるという話でしたね。

井上 西は違っていたと思います、鉄道はなし。

伊東 真ん中と明石海峡。

井上 それで、真ん中ももうできましたし、鉄道もできていますが、東の明石海峡をやめたのは、やはりあれだけの長大吊り橋になると、 たわみが大きくて、吊り橋のジョイントというのか、あそこで非常に危険があるというようなのが最後の決め手になったみたいでやめましたけれども。

伊東 技術的な理由で。

井上 ええ。まあ、克服できないものではないと思いますがね。あそこしかないとなったらやるでしょうけれどもね。鉄道もあそこはあきらめるということで、割にすんなりといきました。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

井上孝氏(元建設省事務次官・元参議院議員・元国土庁長官)

 鉄道橋を明石海峡に架けるのが難しいのなら、鉄道単独でトンネルを掘ればよいと思う方もいらっしゃるかもしれないが、それもまた難しいようだ。

伊東 明石海峡大橋を鉄道は通さないことにして、あと別ルートを考えるとすれば、どんなことが今考えられているのですか。

山根 トンネルにする案では、水深一○○mの明石海峡の下をトンネルで通っても、明石海峡大橋に乗せても、鉄道の規格にもよりますが、 神戸の駅に取り付かないのですね。

伊東 そうなのですか。たわみがすごくなるということですか。

山根 そうではなくて。

伊東 取り付けの問題なのですか。

山根 そうです。方法としては紀淡海峡を抜ける案が考えられます。

伊東 経営上はどうですか。

山根 備讃線でもう精一杯ではないでしようか。備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

山根孟氏(元建設省道路局長・元本州四国連絡橋公団総裁)

 山根氏のいう「備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。」については、以前ブログで記事を書いたので参照されたい。

「JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/jr30-0cd3.html

 つまり、技術的にも採算的にも神戸・鳴門ルートの鉄道は困難だったということか。

瀬戸大橋 (2)

 「明石海峡大橋に鉄道を架設しなかったのはけしからん」、「大鳴門橋の鉄道投資が無駄になった」等との話をよく目にするが、実際には大鳴門橋建設中に「やっぱ鉄道やめよっかな」という話になっていた。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (3)

 これは「道路」1985年6月号に掲載された「大鳴門橋の建設を振り返って」という対談からの抜粋である。

 発言しているのは、布施洋一(建設省道路局高速道路課長)、遠藤武夫(本州四国連絡橋公団工務第一部長)、松崎彬麿(トピー工業(株)常任顧問)の各氏である。

 1977(昭和52)年の段階で、神戸・鳴門ルートの鉄道建設については「やめるかもしれない」ということになっていたというのだ。

 道路側の発言だけでなく、鉄道側の発言の裏もとってみよう。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった

 昭和54年交通年鑑の、昭和53年3月9日の項に、「大鳴門橋を鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方針を固めた」とある。いや鉄道さん全然やる気ないじゃないですか。

 そして、実際の施工にあたっては「単線載荷」にする等必要最小限の工事だけにしている。もうこの段階で明石海峡大橋への鉄道の施工は実体的にはほぼ可能性がなくなっていたのだろうな。

 前述のとおり、1981(昭和56)年に「道路単独橋の可能性等」を本四公団に検討させているのは、この大鳴門橋の問題を踏まえて、とどめを刺す(あるいは関係者に言い含める)ための手順だったということだろうか。

新全総新幹線

 ※ 参考 1967「(昭和44)年5月30日に新全総(新全国総合開発計画)が閣議決定されており、そこに記された新幹線計画の抜粋

「東京発成田経由仙台行常磐新幹線~未成新幹線を国立公文書館デジタルアーカイブからまとめてみる」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-855c.html

 ※ ときどき「阪神淡路大震災で予算が不足したから新幹線ができなくなった」とか「阪神淡路大震災で主塔がずれたから新幹線ができなくなった」という説を目にするのだが、取りやめたのは1985年なので、全くのデマである。

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2017年7月15日 (土)

「東京 消えた! 鉄道計画」中村建治(著)が怪しい~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(番外編)

 西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れについては、以前ぎっちりとまとめたところではあるが、「東京 消えた! 鉄道計画」に掲載された新宿駅乗入れの記事がどうも怪しい。というかはっきり言って嘘。著者の中村健治氏は鉄道史学会会員ということらしいが困ったものだ。

「東京 消えた! 鉄道計画 」中村建治 の西武新宿線乗り入れに係る嘘 (2)

「東京 消えた! 鉄道計画 」中村建治 の西武新宿線乗り入れに係る嘘 (1)

 以前も「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-4221.htmlで怪しいやつをいくつか潰したつもりだが、ここまであからさまな嘘はアカンやろ。

 「建築界」1964年8月号「新宿東口民衆駅・新宿駅東口地下駐車場」に、新宿ステーションビル竣工時の図面が載っているので見てみよう。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (2)

 この1枚で西武駅(改札の右側にホームが設置されるはずだった)と吹き抜けの関係が全くないことが分かる。

 「狭い駅ビル内ではホームの長さが足りない」もなにも、駅ビル内にホームは乗り入れていないし、「高い天井」は「電車を待ち受け」たりしていないのである。

 現在のルミネ・エストのフロアマップhttp://www.lumine.ne.jp/est/map/#F2と比べてみると、「ローリーズファーム」や「イーハイフンワールドギャラリー」のあたりが、改札、ホーム事務室、出札室となっていることが分かる。「今でも同ビル内には、やや広めの駅スペースがあ」ったりはしないのである。

 参考までにホームと駅ビル、新宿駅全体との位置関係を示すと下記のとおりである。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (9)

(国鉄停車場技術講演会第14回資料「ターミナルビルの最近の傾向について」318頁から引用)

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (5)

(東工15巻4号「新宿駅改良工事の計画と施工について」21頁から引用)

 ところで改札はビルの2階だけではない。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (8)

 西武駅に係る部分を拡大してみる。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (7)

 どうやら東口のびゅうプラザがあるあたりに西武の改札口や出札室が予定されていたようだ。2階の改札はともかく、1階の改札を明らかにした事例は少ないのではないか。そして1階の方がメインのように見える。

 また、3階にも西武駅務室が予定されていた。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (6)

 フロアマップhttp://www.lumine.ne.jp/est/map/#F3によると、現在「スリーコインズ」があるあたりが駅務室だった。

 なお、鉄道ピクトリアル1964年7月号「近代化した民衆駅…新宿駅ビル誕生」に掲載された写真には、西武駅ホーム接続部分の仮覆い?的なものが見られる。この大きさでホームや電車そのものが乗り入れられるように見えるだろうか?

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (1)

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 やはり諸悪の根源は、河尻正氏の日経東京ふしぎ探検隊「西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画」の思わせぶりな書き方なのだろうか?

「東京ふしぎ探検隊」河尻正の西武新宿乗り入れ記事が怪しい

http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2103N_S2A121C1000000?channel=DF280120166608&page=2

 「新宿民衆駅ステーションビル」の2階部分の設計図。」は、上記で引用した「建築界」掲載の図面とは形状が異なり、完成形のものではないと思われる。

 また、「ルミネエストの建物は1階の天井が高く、2階はかなり低い。1階の吹き抜けもやたらと広い。かつての設計図を見ると、このフロアの形が西武線乗り入れ計画の名残だとわかる。」とするも、「建築界」掲載の図面と比べてみると、何を根拠に天井高や吹き抜けが「西武線乗り入れ計画の名残」としているのか訳が分からない。

 ちなみに「建築界」に掲載された断面図がこちら。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (10)

 1階の高さは5000mm、2階は4200mm、3階から上は概ね3800mmである。「2階はかなり低い」わけではない。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (11)

 拡大してみると、1階の出札や改札口の様子がわかる。

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 ところで地下1階はこんな感じ。西武ホームに沿って右斜め上に柱が入っていることが分かる。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (3)

 ベルクあたり拡大してみる。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (4)

 ベルク店内の柱が西武線ホームの名残であることがよくわかる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (81)

(「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 から引用)

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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京葉道路は陸軍の軍用鉄道跡地に、東北自動車道は武州鉄道跡地に

 鉄道敷地跡に高速道路をひいているという事例としては、名神高速道路の旧東海道本線敷地とか北陸自動車道の旧北陸本線敷地あたりが有名である。

 名神高速道路の山科バスストップは、旧山科駅でもある。

 

 この他にも事例はあって、京葉道路は陸軍の軍用鉄道跡地を利用している区間がある。

 京葉道路敷地の登記簿を調べたら「陸軍省」名義の土地があるかも。

 参考「廃線探索 鉄道連隊演習線習志野線(歩鉄の達人)」http://www.hotetu.net/haisen/kanto2/101106tetudourentainarashino.html

 また、東北自動車道は、武州鉄道跡地を利用している区間がある。

 参考「帝都を目指して武州鉄道は雑木林の向こうに消えた」https://togetter.com/li/857706

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 この他、旧信越本線の別線複線化により不要となった橋梁を日本道路公団が有料道路に魔改造した「越路橋」というものもある。

 参考「越路橋(旧鉄道橋)拡幅工事」土木学会誌http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/44-02/44-2-14338.pdf

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2017年6月25日 (日)

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅だったか検証してみる

 東海道新幹線が架線事故のため岐阜羽島駅等で立ち往生したことを受けて、「岐阜羽島駅が政治駅だ」とかそうじゃないとか新幹線の駅じゃないとかコンビニがあるとかないとかいう話がTwitter等で盛り上がった。

 これに関して、「乗りものニュース」がまたもや「いかにもタイミングを逃さずヤフーニュースで注目してもらうためだけに粗製しました」と言わんばかりのしょっぱい記事を書いたので、ちゃんと調べてやろうかと思った次第。

 羽島駅が東海道新幹線に追加されると分かった際の新聞記事がこちら。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (3)

1959(昭和34)年11月18日付朝日新聞

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (4)

1959(昭和34)年11月18日付読売新聞

 朝日は「政党幹部」とぼやかしているが、読売はいきなりしょっぱなから「伴睦老に寄切られる?」と大野伴睦代議士(当時は自民党副総裁)の名前を出している。

そして早速当日の国会で野党から追及されるわけである。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (2)

1959(昭和34)年11月18日付朝日新聞夕刊

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (5)

1959(昭和34)年11月18日付読売新聞夕刊

 では、ここで国会で追及された国鉄・運輸省側の言い分を聞いてみよう。

○十河信二説明員(国鉄総裁) ただいまお話のありましたように、私は国鉄の経営についてはガラス張りで仕事をやっていきたいという信念も変わりませんし、今日もそういうふうにやっておるつもりであります。東海道新幹線の経過地並びに停車駅につきましては、いろいろな検討をいたしまして、名古屋までは比較的順調に進んだのでありますが、名古屋から先、なるべく直線に行きたいと思って、鈴鹿の山脈の地質調査を長いことかかって検討いたしました。そうしていろいろなルートを調べてみたのでありますが、どうも地質がよろしくない。しかしながらできるだけ短距離で結びたいということで、名古屋から関ケ原の方へ直線で結ぶことにいたしました。そうなりますと豊橋から米原までの間は相当長い距離になりまして、豊橋、名古屋、米原という三つの駅を置くか、あるいはもう一つその間に駅を置くかということをいろいろ検討いたしまして三駅案、四駅案と、いろいろな案がありますが、御承知のように、新幹線はなるべく曲線をなくして直線にして、そうして踏み切りをなくして、経済的の最高のスピードで走るようにしたい、そういうことを考えまして、そうすれば特急は大体最高二百キロくらいの速力で走れば三時間で、非常に経済的にスピードアップができるということで三駅の方がよかろうかということを考えておりました。ところが特急だけではいけない、特急は東京、名古屋、大阪、この三駅へとまる計画でありますが、それだけではいけない、やはり地方の都市にもとまる必要があるということで、特急のほかに急行をどうしても走らさなければならぬ。そうなりますと、特急と急行との行き違いの関係もありまして、豊橋、名古屋、米原と行くよりか、その間に一つ駅を作ったらよかろうというふうなことが最終の案として決定いたしまして、それで運輸大臣に申請して認可になった次第であります。その間、そういうふうに長いことかかっていろいろ検討いたしておりましたので、それで世間で――いろいろその間を測量するとか調査をするということがありまして、事前にいろいろなことが漏れて、皆さんにいろいろな疑惑をおかけしたことは、はなはだ遺憾であります。事情は今申し上げた通りであります。さよう御了承を願いたいと存じます。

 (略)

○平井委員長 委員長からこの席で総裁に質問をいたします。

 新幹線の駅は初めからどうして十カ所にしなかったのですか。九カ所と発表してあと十カ所となったので、井岡君が非常に心配をして質問いたしておるのでありますが、その点をはっきりさしていただきたい。岐阜にできるのはけっこうでございますけれども……。

○十河説明員 東海道新幹線の駅は初めからおよそ十ほどということをわれわれは言っておったわけであります。きまったものとして、九つにきまったとか十になったとかいうことは今日まで発表しておりません。昨日発表したのが初めてであります。いろいろ調査をしておる過程で皆さんが想像して、新聞なんかでいろいろ書かれることはありますけれども、正式に発表したものではないのであります。その点は御了承を願いたいと思います。

 (略)

○山内公猷説明員(運輸省鉄道監督局長) 現在考えておる新しい岐阜県内の駅というものは、まだ始点がはっきりいたしておりません。それで的確にお答えできないわけでございますが、このところにどうして駅を置くかということでございますが、実はわれわれ審査をいたしました事務当局といたしましては、大臣が言われましたように、岐阜県内に一つも駅がないということも一つの理由であるし、かつまたこれは釈迦に説法のきらいがありますが、現在の線におきましても運転上の都合によりまして方々に信号所を置いている。運転の整理のためにはどちらかといえば駅がたくさんあった方が、運転の整理がつきやすい。しかし、これを全部とめれば非常に時間がかかるということでございまして、この駅にどういう列車をとめるかということは、やはり運転上の必要で十分考えまして、ダイヤを入れてから十分検討すべき問題である、かように考えております。とりあえずは特急線がとまるということはない。御承知のように特急と普通急行とを走らせるつもりでございますから、ある程度スピードの違う列車を走らせるので、行き違いにそういう施設があった方が国鉄としては便利であるという観点に立っておりますし、われわれの方はそれに加えて岐阜県の中で三十キロに新しい線の延びがある。そこに一駅も置かないということは県民の協力も得られないし、かつまた岐阜、大垣の方々の利用を得ることも必要であるということで、実は事務的には一つの駅を作る方がベターであるという結論に達したわけでございます。そうしますと、今度これができますのが今の計画では五年計画になっております。結局その場合の交通上の状態を考えて、いかにしてこの駅が利用されるかということは、われわれとしては今後見ていかなければならないわけでございます。現在の道路の状況でいいますと、はっきりはいたしておりませんが、大体考えられる駅の地点というものは、大よそ岐阜市から十五キロくらい、大垣市から十キロくらい、それから羽島市から八キロくらいという、岐阜、大垣の方々に利用していただこうというふうに考えておるわけであります。

 

昭和34年11月18日衆議院運輸委員会

 この国会論争を受けて、読売新聞は18日付夕刊で「退避駅」ではなく「政治家の圧力からの退避した結果」だと追及している。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (14)

 また、朝日新聞は翌朝の社説で「政治駅の設置はご免だ」との論説をはっている。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (1)

1959(昭和34)年11月19日付朝日新聞

 また、羽島市への新幹線駅の設置は駅誘致に動いていた周辺各地からも反発をかったようだ。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (8)

1960(昭和35)年1月12日付朝日新聞

 そもそも岐阜県自体が反対したまま正式決定されたというのも異例ではある。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (11)

1960(昭和35)年1月12日付朝日新聞

 この記事にあるように「国鉄原案」から「本決まりになった路線」が羽島市を通るように北へ移っているあたりも「政治駅」としての印象を強くさせているようだ。尤も後述のように国鉄によれば、この辺のルートどりは、大河川を渡ることによる制約が大きかったようであるが。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (7)

1960(昭和35)年1月15日付読売新聞

 このように国鉄や運輸省の弁解?にもかかわらず、マスコミは「政治駅だ」としたわけである。

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 実際のところはどうだったのか。国鉄新幹線総局で営業部長等を務めた角本良平氏は、「角本良平オーラル・ヒストリー」において、次のように語っている。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (9)

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新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (10)

 角本氏は、「岐阜市を外れることについて揉めない」ための国鉄の策において、「悪いくじを引き受けてくれたのが大野伴睦という政治家」「本来ならば、大野伴睦が非常に強く言えば、岐阜市に寄せざるを得なかっただろうということ。」「羽島を識別するためじゃなくて、岐阜県を象徴するための駅名にしたということで、大野伴睦の顔が立った。」という見方を示している。

 他方、角本氏は京都駅が当初予定から変更されたことについて、地元に苦言を呈している。リニアモーターカーの京都誘致に対してJR東海がつれないのもこの辺が国鉄からJRへと引き継がれているのかしらん。

新幹線京都駅の経緯

 なお、鈴鹿経由とならず、関ケ原経由となったことについては、以前、「新幹線が鈴鹿山脈越えをあきらめた理由を検証してみる」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-1c6b.htmlという記事を書いたので、併せて参照いただきたい。

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 とまあ、駆け足で当時の報道や関係者の言い分を振り返ってみた。この辺を踏まえて「岐阜羽島駅は政治駅だったか」をご判断いただければ宜しいのではないかと。

 ところで、マスコミはその後どう扱っているかというと

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (12)

1964(昭和39)年9月1日付朝日新聞夕刊

 というように「交渉に手を焼いた国鉄が大野伴睦老に頼み込んでこの人を引張り出し、岐阜県側の主張を押さえてもらって、そのお陰でやっと現在の線で話がついたのが真相だという」「駅の決定についても伴睦老は、国鉄の技術的な決定によるべきだと、全く干渉がましいことはいわなかった。」と、つい数年前に社説で「政治駅の設置はご免だ」と叩いたのをすっかり忘れたかのような書きぶりである。

 神田記者もこうツイートしている。

 他方、読売新聞はというと

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (6)

1989(昭和54)年7月19日付読売新聞

 と、少なくとも昭和末期においても「岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅」という認識を持っていたようである。今はどうか知らんが。

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 ところで、現在岐阜羽島駅には名鉄線が延伸されているが、当時岐阜市内からモノレールを建設する構想があったことを1961(昭和36)年2月8日付読売新聞夕刊が伝えている。

名鉄の岐阜羽島モノレール構想

 岐阜市内の路面電車が廃止となった際に、鉄道マニアが「無策だ」なんだと勝手なことを言っていたが、岐阜市内線のモノレール化計画は日本でも先頭をきって進められていたのである。

 その辺は「大阪モノレール南伸と都市モノレール死屍累々の調査路線」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-3d23.htmlにかつてのモノレール計画の一覧表を載せているのであわせてご参照いただきたい。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (13)

 新幹線開業直前の何もないっぷりを伝える1964(昭和39)年7月12日付読売新聞。

 その後の状況は「今昔マップ」でどうぞ。

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2017年5月21日 (日)

地下鉄銀座駅の階段がズレているのは、そこに旧数寄屋橋の橋脚が埋まっているから

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (4)

 東京メトロ銀座駅から日比谷方面に向かう階段が左右ずれている。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (5)

 現地で見てもごらんのとおり。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (3)

 なぜ、まっすぐ並べられないのか?左右の階段を繋げて広く使えばよいのではないか?

 それには、かつてここに何があったかを思い出す必要がある。

Sukiya_bashi_old

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sukiya_bashi_old.jpg

 そう、かつてここには外濠川が流れ、数寄屋橋がかかっていた。現在はそこに東京高速道路(KK線)が走っている。

東京高速道路

 実は、ここには、旧数寄屋橋の橋脚・橋台が埋まったままなのだ。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (12)

 日比谷線建設史394頁から引用

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (13)

 日比谷線建設史392頁から引用

 そして、旧数寄屋橋と地下鉄日比谷線が直交していないため、橋脚跡と階段が斜めにズレる形となっているのだ。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (15)

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (14)

 この地下通路の床に斜めにひかれている3本の線は、ここに数寄屋橋が架かっていた(外濠川が流れていた)ことを示すものなのだろうか?

 さて、日比谷線建設時には、既に外濠川、数寄屋橋は無くなっていたはずである。なぜこのようなものが地中に残っていたのか?

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (11)

 丸の内線建設史(下巻)104頁から引用

 丸ノ内線建設時に、東詰の橋台や上部工部分は撤去したようだが、丸ノ内線に支障ない真ん中の橋脚や西詰の橋台は地上に存置されたままだったようだ。

 では、日比谷線建設時にそんな不要な橋脚は撤去してしまえばよいのではないかと思うであろう。ところが撤去できないのである。

 上空を通る東京高速道路の橋脚が旧数寄屋橋橋脚の上に建設されたからである。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (16)

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (13)

 日比谷線建設史392頁から引用

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (10)

 日比谷線建設史391頁から引用

 使っていないからといって今更撤去するわけにはいかなかったのである。斯くて、銀座駅から日比谷方面へ向けて降りていく地下階段は、旧数寄屋橋橋脚を避けて、心なしか、気持ち急勾配で、ズレた階段で降りていくのである。

 

 旧数寄屋橋橋脚が影響しているのは、地下鉄通路だけではない。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (7)

 日比谷線建設史405頁から引用

 その上をかすめるようにして日比谷地下自動車道が通っているのである。

 日比谷地下自動車道については、以前

・東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html

・東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html

・日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b86d.html

といった記事も書いているので、ご関心のある方は、あわせてお目通しいただけると幸甚である。

三原橋地下街と地下鉄日比谷線と有楽町ガード下地下道の関係

 

※東京メトロの主要路線の建設史は、「メトロアーカイブアルバム」で見ることができる。

https://metroarchive.jp/history.html

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2017年4月 5日 (水)

JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?

 時流に乗って国鉄分割民営化ネタで書こうと思っていたら、すっかり遅くなってしまった。神宮球場に横浜大洋の開幕シリーズを2回応援に行って2回とも負けたりしていたからだ。

 

 というわけで超今更感があるのだが、一応準備していたので。

 お題は、表題の如く、瀬戸大橋線の建設中止勧告である。例の如く当時の新聞記事を引用してみる。

国鉄監理委、本四橋児島―坂出ルート「鉄道」中止提言へ。

 

 国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)は二十日、本州四国連絡橋三ルートのうち唯一の道路・鉄道併用橋である児島・坂出ルートの鉄道敷設工事をとりやめるよう中曽根首相に提言する方針を固めた。八月初めに打ち出す「緊急提言」に盛り込む。これは、財政が悪化している国鉄は年間五百億円にものぼる連絡橋利用料を負担する能力がないので、このまま敷設計画を進めれば、将来国鉄を分割・民営化する際の大きな障害になると判断したもの。首 相はこの提言を尊重する義務があるが、同ルートから鉄道がなくなれば、連絡橋の工費約七千六百億円はすべて道路部門でまかなわれ、地元自治体の負担が二倍近くに増えるだけに影響は大きい。

 国鉄再建監理委員会は現在、緊急提言をとりまとめている。提言のねらいは「六十二年以降、円滑に分割・民営化するための対策」を打ち出すこと。同監理委員会は五十七年度末で十八兆円に達した借入金をこれ以上増やさない施策が最も重要と判断、設備投資の抑制に重点を置いており、本四連絡橋児島・坂出ルートの鉄道敷設中止は緊急提言の目玉になる。

(中略)

 このため、同監理委員会は、このまま計画を進めれば、四国などの国鉄分割会社が 当初から膨大な赤字を背負うことになり、分割・民営化の大きな障害になるとして、敷設中止を求める方針を固めた。しかし、現在、地元自治体は連絡橋の道路部分の工事約四千二百億円のうち三分の一を負担しており、鉄道部分がなくなれば、この負担は二倍近くになる計算。また、五十八年度末までに同ルート連絡橋 (鉄道と道路)工事の契約率は六三%に達する見込みだったので、鉄道敷設工事が中止されると、関係業界は大きな影響を受けるため反発は必至である。

 

1983(昭和58)年7月21日付 日本経済新聞から引用

 国鉄再建監理委員会の「緊急提言」の目玉としてJRに負担を増やさないために中止を求める考えだったという。

瀬戸大橋「鉄道」中止の動き、地元に大きな衝撃。

 

 多額の赤字を抱えている国鉄の立て直し策を検討している国鉄再建監理委員会が、建設中の瀬戸大橋 (本四架橋児島―坂出ルート)の鉄道建設を中止する方針を固めたことについて、四国四県、岡山県など 関係行政機関や経済界の首脳は大きなショックを受けている。今のところまだ正式に決まったわけではな く、「あり得ないこと」という見方もあるが、関係筋に問い合わせる動きも。こうした方向が出たことに対して多く は「瀬戸大橋は道路・鉄道併用橋というのが既定路線。新幹線は将来の問題にしても万一、在来線までた な上げされては架橋の意味がない」と戸惑いをみせながら衝撃を受けている様子。今後同委員会の動向に 注目、関係機関一致して“巻き返し策”を進める動きも出ている。しかし青函トンネルの鉄道敷設計画中断 の動きが表面化しているだけに、四年後の完成を前にした瀬戸大橋計画変更を危ぶむ声も少なくない。

(略)

 

1983(昭和58)7月22日付 日本経済新聞から引用

 私の記憶には残っていないのだが、青函トンネルも建設中止が議論になっていたのか。

瀬戸大橋の行方、全住民が関心を――鉄道部間の中止問題に思う(四国の目)

 

 六十二年度完成をめざして順調に進んでいる瀬戸大橋(本四架橋児島―坂出ルート)の鉄道部門を中止 する問題がクローズアップされている。国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)が国鉄の財政立て直し策 を検討している中で出てきたものである。八月二日に予定される同委の“緊急提言”でどう取り扱われるの だろうか。

 瀬戸大橋は道路、鉄道併用橋で四国の離島性脱却の第一歩になる大事業。このうちの鉄道部門が宙に 浮くことは大変なこと。今のところ国鉄監理委の提言では「瀬戸大橋の鉄道建設中止」とはっきり明記しない が、“抑制”することを求めるニュアンスの表現になるといわれる。

 国鉄財政は膨大な赤字で“満身創痍(まんしんそうい)”。大半の路線が赤字で走ればそれだけ損する状 態だ。四国総局管内の年間赤字額も五百二十億円を超える。瀬戸大橋の鉄道も赤字路線になるのは確 実。それどころか年間約五百億円の連絡橋使用料を負担しなければならない。こういう事実を突きつけら れると、瀬戸大橋も国鉄にとっては“お荷物”。監理委は「いくら経営立て直しのために知恵を絞っても、新し く赤字を生み出す事業を見逃していては……」というわけだろう。

 ただ国鉄経営という立場からだけではなく、「日本の国づくりの一環」「地域整備の重要なプロジェクト」と いう位置づけで瀬戸大橋をとらえたい。前川香川県知事も「国鉄を救って四国を見殺しにするのか」と鉄道 部門切り捨て論に反対したのも当然である。山口・四国経済連合会会長も「第二次臨時行政調査会をクリ アーした事業で鉄道中止なんてあり得ないこと」と語っているし、まず鉄道部門がたな上げされることはない だろう。

 しかし国の財政も国鉄同様、厳しい状態が続いている。一度決まったことであってもどんな情勢の変化が 起こるかもしれない。四国約四百万人の住民すべてがこの問題の行方に鋭い目を向け続けたい。

 

1983(昭和58)7月31日付 日本経済新聞から引用

 

 実際には「緊急提言」には瀬戸大橋線の建設中止は明記されなかったようだ。

国鉄監理委の本四橋と東北新幹線東京乗り入れ投資抑制提言――戸惑いと反発と。

 

 国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)が今月初め中曽根首相に提出した緊急提言が各方面に波紋 を広げている。もっとも論議を呼んでいるのは「今後の設備投資は緊急度の高いものを除き原則停止」という “投資抑制命令”。「東北新幹線の東京駅乗り入れ工事は本当に中止されるのか」「本州四国連絡橋の工 事はこれからどうなるのか」――など関係の地方自治体に不安が広がっている。緊急提言の読み方をめぐ り、我田引水や“ひがみ”などが交錯し、これに政治家の動きもからんで、関係者は疑心暗鬼。「監理委員 会にわからないように、工事をこっそりやってしまえ……」という勇敢な逆提言? も飛び出す始末。今月末 には運輸省、国鉄が来年度予算の概算要求を大蔵省に提出するが、どの工事を継続してどの工事を中止 するか、国鉄“秋の陣”は政府、地元、国鉄の思惑がからんだ複雑な展開になりそうだ。

 「東北新幹線の東京駅乗り入れ工事がだめで、なぜ本四架橋は良いのか」。監理委員会が緊急提言を 提出した直後、ある東北出身の代議士は運輸省の幹部にこうかみついてきたという。

 東京駅乗り入れというのは東北新幹線上野駅―東京駅間四キロで進められている工事のことだが、実は この工事どころか本四架橋の工事も緊急提言の本文では直接的には一言も触れていない。にもかかわら ずこのふたつの大工事が問題になるというのは、緊急提言を読むと、このふたつの工事の先行きがどうして も気になってくるからだ。

 緊急提言は、国鉄の投資全般について「緊急度の高いものを除き原則として停止すべきである」とうたい、 続いて「なお書き」がある。それは「東北新幹線上野乗り入れ及びこれに関連する通勤別線についてはそ の特殊事情を考慮し、工事の継続もやむを得ないものとする」という文章だ。

 これをすなおに読めば、東北新幹線は上野駅乗り入れまでは工事を進めても良いが、上野駅から東京駅 間の工事は「原則停止」の対象というわけだ。

 一方、本四架橋については緊急提言の中にこういう文言がある。「国鉄以外の事業主体が行う国鉄関係 の設備投資についても徹底した見直しを行い、さらに工事規模の抑制及び工事費の節減に努めるべきで ある」。「国鉄以外の事業主体」というのは本州四国連絡橋公団(高橋弘篤総裁)と日本鉄道建設公団(仁 杉巌総裁)のことだが、両公団の工事についてははっきりダメとは言っておらず、「徹底した見直し」とか「抑 制」の意味をどう解釈するかで、工事続行を認めているようにも読める。

 緊急提言がこんなに含みのある文章になったのは、政治的な配慮からだ。国鉄大手術に挑む監理委員 会のメンバーにすれば、「これから新しい線路を敷くなどは論外」。東京駅乗り入れも、本四架橋の鉄道敷 設も、国鉄再建にメドがつくまではいずれも工事中止を命令したいのが本音。ところが、監理委員会でこの ふたつの大工事をめぐる論議が表面化するや、地元の自治体や関連業界から政治家などを通して猛烈な 陳情攻勢が続いた。このため監理委員会としては、緊急提言の文章は中曽根首相に政治的な判断をゆだ ねるため含みのある表現にせざるを得なかったわけだ。

 首相に裁量の余地を残しながらも、このふたつの工事の取り扱いに差ができたのは、本四架橋問題が東 北新幹線よりもはるかに難しい側面を持っているからだ。

 本四架橋の児島―坂出ルートの工費七千六百億円のうち四五%は鉄道部門が、五五%は道路部門が 負担することになっており、鉄道敷設の中止は架橋そのものの中止という大きな政治問題にまで発展しか ねない。そこでいきなり「中止」を提言するのではなく、国鉄にとって大問題のこの橋をどうするか、国民的な 合意を形成するために「まずは計画の見直しを」と慎重な提言をしたわけ。

(中略)

 しかし、“天下の国鉄”が政府や監理委員会の目を盗んで、こっそり工事をやるわけにもいくまい。国鉄の 設備投資について「原則停止」や「徹底した見直し」を迫られた政府は、年末にかけての来年度予算編成 の過程で、どの工事にストップやブレーキをかけ、どの工事を進めるかなどを決断せねばならない。東京駅 乗り入れ、本四架橋以外にも、鉄建公団が建設している青函トンネルの問題など、国鉄にからむ工事はた くさんある。そのなかで下手をすると大きな政治問題になりかねないのが東京駅乗り入れと本四架橋の工事 の行方だ。総選挙がらみの秋の政局を控え、中曽根首相は“行革内閣”の看板があせないようにこの工事 をどう処理すべきか頭の痛いところだろう。

 

1983(昭和58)年8月19日付 日本経済新聞から引用

 政治的配慮の玉虫色で生き残ったというわけか。

 

 ついでなので、明石海峡大橋に鉄道がかかるはずだったころのポンチ絵を貼っておく。

瀬戸大橋 (2)

 なお、明石海峡大橋への鉄道の架設については、井上孝氏が

明石海峡大橋をやめたのは、やはりあれだけの長大吊り橋になると、たわみが大きくて、吊り橋のジョイントというのか、あそこで非常に危険があるというようなのが最後の決め手になったみたいでやめました。

 

まあ、克服できないものではないと思いますがね。あそこしかないとなったらやるでしょうけれどもね。鉄道もあそこはあきらめるということで、割とすんなりといきました。

 

土木史研究におけるオーラル・ヒストリー手法の活用 -高速道路に焦点をあてて-

-実践編 井上孝氏- 191頁 から引用

と語っている。

 ところで、よく見ると、児島・坂出ルートのうち一部の橋が現在と形式は違う。

瀬戸大橋 (3)

瀬戸大橋 (1)

 櫃石島橋と岩黒島橋は、イギリスのフォース鉄道橋のような形式(正確にはちょっと違う)になるはずだったのだ。

 ※橋の科学館展示物から

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2017年2月25日 (土)

リニアモーターカー(第二東海道新幹線)と京葉線のターミナルとなるはずだった汐留駅

 「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.htmlにおいて、京葉線が当初は晴海、新橋、赤坂見附、新宿、浜田山、三鷹と経由して中央線に乗り入れる計画だったことを紹介した。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (2)

 「第27回停車場技術講演会記録」307頁(「総武開発線計画について」国鉄東京第一工事局調査課・林良一氏)から引用

 また、それに併せて、汐留駅を第二東海道新幹線と京葉線(総武開発線)のターミナルとする構想であったことも紹介した。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (1)

 「第27回停車場技術講演会記録」306頁から引用

 その構想図がこちらである。「新幹線ホーム(第2東海道)」という字が見える。

汐留駅は京葉線総武開発線とリニアモーターカーのターミナルとなるはずだった (2)

 「第27回停車場技術講演会記録」317頁から引用

 もう一つドン!

汐留駅は京葉線総武開発線とリニアモーターカーのターミナルとなるはずだった (1)

 「第27回停車場技術講演会記録」318頁から引用

 こちらにも「新幹線ホーム(第2東海道)」という字と車輌らしきものが見える。拡大してみよう。

汐留駅は京葉線総武開発線とリニアモーターカーのターミナルとなるはずだった (3)

 リニアモーターカーだ!それも大阪万博のやつ!

 若人達にはピンとこないかもしれないが、私のようなおっさん世代には、リニアモーターカーというとこいつなのである

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 「そもそもリニアモーターカーは中央新幹線のはずであって、第二東海道新幹線なんか知らんぞ」とおっしゃる方もいらっしゃるだろう。

 ところが、歴史をたどってみると、元々はリニアモーターカーと言えば第二東海道新幹線のことだったのである。

 いつもながらではあるが、国会の答弁を見てみよう。

○勝澤分科員 もう一問だけ、時間がありませんので。

 この運輸政策審議会の総合交通体系の答申によりますと、超高速の第二東海道新幹線の建設という構想が出されておりますけれども、最近新聞、雑誌などで、相当技術的な開発も進んで、具体的にいろいろと述べられておるのですが、この機会にぜひこの超高速の第二東海道新幹線についての構想をひとつ御説明願いたいと思います。

○山口政府委員(運輸省鉄道監督局長) 超高速鉄道による第二東海道新幹線の構想でございますが、これは先生御指摘のように、運輸政策審議会の答申の中に、需要のきわめて多い東京-大阪間においては、超高速第二東海道新幹線を建設する必要があるという趣旨のことがございます。そして一方、私ども運輸省の機関でございまする運輸技術審議会というのがございまして、この運輸技術審議会におきまして、超高速鉄道に関する技術的な問題を検討いたしまして答申をしております。その内容によりますと、東海道新幹線につきましては、その需要の予測を、航空機あるいは高速道路、そういう影響を考慮した上で検討いたしましても、昭和六十年度には大体四十年度に対して六倍半の需要があるであろう。そして現在の東海道新幹線の最大の輸送力というものは、昭和五十三年度ないし五十五年度にはもう限界に達してしまってどうにもならないということになるであろう。したがって、そこに新しい超高速鉄道が必要なわけでございます。

 東海道の新しい鉄道を、表定速度を別にいろいろ試算を行なって、どういうようにすれば一番輸送力が大きく経済的であるかということをやってまいりましたところ、浮上方式による表定速度三百キロメートル、時速三百キロメートル以上の超高速鉄道にすることが一番合理的である。そして、その超高速鉄道の技術的な可能性というものを運輸技術審議会でいろいろ各種の方式について検討をいたしまして、これがたとえば磁気浮上方式だとか空気浮上方式だとかあるいは車輪支持方式だとか、あるいはモーターにつきましてもリニアモーター方式だとか、その他現在の推進方式だとか、いろいろあるわけでございますが、そういった各種の方式を検討いたしました結果、浮上方式といたしましては磁気浮上方式、推進の方式としてはリニアモーターの推進方式ということが最も望ましい、こういう結論が出たわけでございます。それでこういう方向にのっとりまして、国有鉄道におきましていまその技術開発を進めておる、こういう段階でございます。

 

昭和47年03月24日 衆議院 予算委員会第五分科会

 この答弁が行われたのは1972(昭和47)年であり、 「第27回停車場技術講演会」が行われたのは1976(昭和51)年である。オイルショックを経て、第二東海道新幹線リニアモーターカーは汐留を起点とする計画が構築されていたのである。

 国立公文書館のデジタルアーカイブにも第二東海道新幹線が見て取れる。昭和45年3月11日に鉄道建設審議会が全国新幹線整備法案の検討を決議したものである。

新幹線鉄道整備法案要参考図

新幹線鉄道整備法案要綱別表

(※最終的には、全国新幹線鉄道整備法には別表という形で計画の一覧表を載せる方式はとられなかった。)

 結果的には、汐留貨物駅は国鉄の分割民営化の中で売却処分され、リニアモーターカーは中央新幹線において建設されることとされ、ターミナルは品川駅になったことは皆さんご存知のとおりである。

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京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。

 京葉線の新宿乗り入れについては、かつて「京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.htmlで記事にしたところである。

 ところで、京葉線の東京駅はかつての成田新幹線構想に基づく東京駅の空間を利用したものであった。  では、成田新幹線構想が生きていたころの京葉線の都心への延伸はどうなっていたのか?それが分かる資料が国鉄に残されていたので紹介したい。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (2)

 「第27回停車場技術講演会記録」307頁から引用

 まあ、上図をご覧のように新橋駅経由だったわけだが。

 出典は国鉄で1976(昭和51)年12月8日及び9日に開催された「第27回停車場技術講演会」における「総武開発線計画について」で、国鉄東京第一工事局調査課の林良一氏によるものである。

 この頃は、「京葉線」はあくまでも貨物線の名称であり、旅客線は「総武開発線」と呼び分けていたようだ。

 上図では駅をどこに設置するかはよく分からないが、別図では下記のとおりとなっている。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (3)

 「第27回停車場技術講演会記録」308頁から引用

内房線の蘇我駅から中央開発線の三鷹までの間に、新幕張、若松町、新浦安、新砂町、有明、新橋、赤坂見附、新宿、弥生町、新浜田山の駅が予定されていたようだ。蘇我-新橋間が総武開発線、新橋-三鷹間が中央開発線という区分である。

 若松町は、現在の南船橋駅のことか?

 新砂町は、現在の新木場駅のことか?

 弥生町は、下記のとおり中野区にある。

 新浜田山駅が設置されるということは、新宿-吉祥寺間は方南通り、井の頭通りの地下に設置する計画ということか。

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 ルートの考え方は下記のとおりである。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (1)

 「第27回停車場技術講演会記録」306頁から引用

 「汐留駅をターミナルとし、第二東海道新幹線」云々(でんでんじゃないよ)とあるが、これについてはおって詳細に紹介したい。→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-67ee.html

 蘇我から三鷹までの縦断図は下記のとおりである。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (5)

総武開発線の都心付近の拡大図はこちら

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (6)

中央開発線の都心付近の拡大図はこちら

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (7)

 それぞれ「第27回停車場技術講演会記録」311頁から引用

 新橋駅は、既に総武快速・横須賀線の地下駅を設置しているため、その下に設置するようで標高約35m(地下約43m)と大変深い位置に計画されていた。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (8)

 「第27回停車場技術講演会記録」312頁から引用

 なお、新橋駅の位置については、案3まで掲載されている。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (11)

 「第27回停車場技術講演会記録」321頁から引用

 また、中央開発線の縦断図では新宿駅で上越新幹線の下を通っていること等が分かる。

 新宿駅のホームや詳細な位置取りは、以前「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlで紹介しているので、併せてご覧いただきたい。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (4)

 「第27回停車場技術講演会記録」371頁から引用

 「横十字」が中央・総武開発線である。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 「第27回停車場技術講演会記録」377頁から引用

 左右に伸びる地下ホームが上越新幹線新宿駅であり、その下(地下5階)に上下に伸びるホームが、中央・総武開発線である。

 中央開発線の三鷹駅が地下に計画されていたことも分かる。

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 「京葉線は、貨物と旅客の複々線とする予定であった」と言われるが、その計画が分かる図面もある。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (10)

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (9)

 「第27回停車場技術講演会記録」320頁から引用

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■地下鉄有楽町線への乗り入れの検討

 昨今、京葉線とりんかい線の相互乗り入れによる新宿直通案の具体化が図られているが、当時営団地下鉄有楽町線(8号線)との相互乗り入れが検討されていたようだ。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (12)

 有楽町線乗り入れが実現されていれば、もっと早くに都心への直通が実現できていたと思われるが、特急、快速等が運行しづらいことや、ホームが10両しかないこと(快速は15両を想定していた)、何より、有楽町線が海浜ニュータウン方面(幕張、稲毛付近)への延伸が想定されていたことを排除するために?有楽町線乗り入れを排除していたようだ。

 

 次は「リニアモーターカー(第二東海道新幹線)と京葉線のターミナルとなるはずだった汐留駅」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-67ee.html

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