カテゴリー「鉄道」の188件の記事

2020年5月17日 (日)

安比奈、是政、河辺 西武鉄道の砂利事業の往時を社内報から掘り上げてみる

 元来、2.5次元とか擬人化には興味がないのだが、故あって西武鉄道ネタにはまって堤康次郎所有の安比奈砂利採取場の図面等をアップしたりしていると、そういう方面のお姐さま方からリアクションをいただくことが増えた。

 また「乱脈の帝都電鉄界」などという見出しだけでご飯がすすむ層もいらっしゃることに気づかされた。

乱脈の帝都電鉄界  

(1936(昭和11)年10月15日付東京朝日新聞) 

 そういったなか、安比奈砂利採取場の実態も明らかでない部分があるようにお見受けしたので、西武の社内報から砂利事業の関係部分をコピペしてみた。 

 まずは、西武社内報1961(昭和36)年4月15日号4面から安比奈砂利採取場の紹介記事を

事業場めぐり(13)

復興社初の砂利事業

素人ばかりで創業の苦心

安比奈砂利

 当採取所は川越市の北を流れる入間川流域を砿区として、砂利・砕石などを生産しています。

位置

 西武新宿線南大塚駅より西へ約四粁、安比奈線の終端、入間川の河岸にあります。

沿革

 当所は復興社が最初に建設した砂利採取工場で、創設のいきさつは次のとおりです。

 入間川の砂利採取はその歴史も古く、大正十二年ごろ埼玉県直営事業として始まり、一時は県費の大きな財源であったといわれ、現在の引込線は大正十五年ごろ敷設されたものと聞いています。旧西武鉄道東村山、高田馬場間建設工事が開始されるや道床砂利を出荷 するため、引込線を河川敷内に敷いたが、当時のこととて昼夜兼行で人力によって採取し、その大半をまかなったと土地の古老たちが語っています。
当所の創立は昭和二十一年で、同年建設に着手し、二十二年生産に入りました。当時現場の幹部は工場建設も砂利採取も経験皆無で発足したときのいろいろな失敗や貴重な教訓は、堤会長の著書「人を生かす事業」にも書いてあるとおりです。

 発足当初は木造船二隻で始めましたが、この船はもともと砂船を解体し組み立てた老朽船で、作業の不馴れもあり修理に要する時間が非常に多く、暴風、水害等の場合は船が分解するのではないかと心配するほどで、従って生産能力も上らないため、改造に改造を加えて努力してまいりました。しかし、大きな成果がないままついに昭和二十五年、会長の大英断により日本最初の鉄鋼大型の利採取船を建造し、始めて面目を一新した次第です。

 一方貨車輸送の面でも、当初は蒸気機関車によって南大塚駅までの引き上げをしていましたが、けん引重量が少ないため、途中で貨車を切り離したり、入換中に作業不能になって川越機関庫まで給水に戻るという笑話のようなこともありました。しかし、それも鉄鋼船建造と同時に引込線電化が完成し、二十五年下期より本格的な生産に入り、二十七、八年の最盛期には採取船も五隻となり、月産三万トンの関東第一の工場に発展しました。

 その間西武デパートの第一・二期工用砂利の大半を納入したほか、池袋線、新宿線の道床砂利も毎日一こ列車ずつ運行し、一日の貨車入換が五回におよぶほどに事業も伸びたのですが、三十二年ごろから砿区の荒廃、縮少により、逐次採取船を他事業所に移勘しました。

現況

 三十五年四月開設以来十四年間、主として砂利の生産だけであったところへ反発式四型砕石機を新設して、砕石工場を併設するように変貌いたしました。 新たに「バックフオー」で切り込みを採取の上、水洗選別機により砂利、砂、砕石原料を分類するようになり、砂利、砕石の工場として再出発した次第です。

 初めは砕石の生産出荷も不順でしたが、近ごろは埼玉県西南部でも住宅団地を始め大工場の建設が活発で、砂利、砕石の需要が目立って多くなり、また、大宮、浦和方面へも道路用砕石を自動車によって発送しています。

 今月に入ってから最高一日一千トンを出荷する日もありますが、さらに、近く埼玉県朝霞にオリンピック村が建設される見込みなのでますます発展を予想される状態です。

 当所としては、この間狭山市鵜木に三万坪の公園建設に伴なう砂利採取を始め、安比奈工場付近に約六千坪の砿区をすでに確保し、大型可搬式砂利採取機によって増産をはかるつもりです。

将来への抱負

 今後私どもは当社最初の開設採取所という誇りをもって、ますます増産に努力し、月産二万五千トンの目標を達成の上、古い歴史のある引込線その他の各設備を十分に活用し、過去の最盛期に近い成績を早急に上げるよう、従業員一同、一致協力して邁進する所存です。

(小山記)

 

 ついで、西武社内報1960(昭和35)年10月15日号4面から是政砂利採取場の紹介記事を

事業場めぐり(10)

砂利部門の草分け

 深堀採取船で増産進む

 是政砂利

砂利部門草分けの地

 中央線武蔵境駅で西武多摩川線に乗り換え終点の是政駅で下りると、東方に二十五万平方メートルの砿区 (今は大部分水面)と事務所、倉庫等の諸備をもつ是政砂利採取所が広がっています。

 戦後荒廃した国土の復興に寄与しようとの考えから始まった復興社の砂利部門が最初に木造採取船一隻で生産を開始したのがこの採取所で、言わば当社砂利部門草分けの地であり、砿区も採取船も逐次増加され、採取の方法も幾度か改変されはしても、常に東京周辺に於ける砂利採取の重要事業所と して「良質の多摩川産砂利」の名のもとに都内各地に輸送された総量は実に数百万トンに及び、建物に道路に、国土の復興に大いに役立って来たと自負している。

類のない深掘採取船

 年々需要に追われ、増産につぐ 増産は普通型砂利採取船二隻による砂利の採取で、七年間に十五万平方メートルの砿区もついに人造池に化してしまった。

 普通ならばこゝで砂利採取の事業は終止符を打つところであるがボーリングの結果、深さ十メートルまではまだ砂利層であることが確認されたので、何等かの方法によって全部が採取できないかということが問題となり、加藤事業部長の発案で関係者が種々検討を加えた結果、他に例をみない深掘採取船が建造されて昭和二十九年四月に進水した。

 これは偏えに、日頃からの会長殿の指導にもとずく遊休施設の活用が形を変えたものであって、当社技術陣の研究と現場の努力で更に磨き上げられた他に類をみないすばらしい着想であると考える。

 この採取船の就役によって、一旦は水面と化した十万平方メートルの砿区も再び生産の場を得て、従業員も安心して増産に励むことができ今日に至っている。この間において、砂利を採取しつゝ競艇場の建設に従事したことも忘れられない思い出である。

設備と作業の概要

 当初は採取船によって八分砂利だけを採取していたのが、新小金井の旧関東石産(現当社小金井砕石工場)に原料玉石を供給するようになり、年をおってその生産量は増加し砿区の拡大ならびに製品の多種需要に伴なって、陸上選別機を逐次設置し、貨車積の合理化を計って今日に及んでいる。元来本採取所は堤防の外側の平地から採取しているので、洪水等による流入砂利は望むべくもなく、採取すれば池となってしまうので前記の深堀船が考案されたものである

 深掘船は船体の主モーターは五十馬力で、バケットコンベアーによって深度十メートルまで掘さくし、受船と操舟機により水上曳航して着船場につく。ここからガソリンカ ーによって原料ビンに投入され、水洗装置で各種のサイズに選別さ れ、玉石は直接貨車に積み込まれ小金井砕石工場へ送って砕石の原料となる。砂利、砂は先年までは貨車輸送であったものが、近内自動車輸送の発達によりほとんどがダンブトラックに依存するようになった。現在では西武運輸の出張所が是政にあって大半を都内所の需要地に送っている。

 この是政本工場に隣接している常久採取所では、採取船ならびにドラグラインにより直接にダンプトラックへ原料を積み込み、更に下流の調布採取所では、ドラグラインにより採掘したものを同様の方法によって、是政の三基ある水 洗機に輸送し前記同様製品化している。

 以上の設備を次に列記すれば

 水洗機 三基

 深堀採取船 三隻

 普通採取船 二隻

 ドラグライン 二基

 受船 十隻

 操舟機 四台

 ダンプカー 二十台

 ショベルローダー 一台

という大きな規模の綜合工場を形成している。

結び

 是政及び常久の献区は前記のように砂利をほとんどとりつくしたので、先に中河原の埋立によって紙上に紹介されたとおり、国土計画の手によって埋立工事が開始され、是政二万五千平方メートル、常久三万平方メートルがすでに埋立を完了して引き続き継続中で、毎日延千五百台のダンプトラックが、多摩川対岸の稲城山より山の切取土砂を運んで埋め立てているので、近い将来実に三千万平方メートルに達する一大住宅地が造成されるであろう。今更ながらわれわれの従事している事業の東大なことと、会長殿の事業の偉大さに驚くとともに、この作業に従事できることに誇りをもつものである。

 いままた第三水洗機の完成を見この事業の更に飛躍する時期にあたり、月産四万トンを六万トンに引き上げ御期待に答えるよう最善の努力をつくしたい。 (細田記)

 

 最後に、西武社内報1961(昭和36)年8月15日号4面から河辺(かべ)砂利採取場の紹介記事を

事業場めぐり(15)

砿区広げ増産に拍車

良質安山岩の砂利生産

河辺工場

 

位置と現況

 中央線立川駅で青梅線に乗りかえ約三十分、河辺駅で降りると正面に見えるのが萩島石材工業(株) 河辺工場である。(徒歩七分)
工場の南側には二本の貨車積込線があり、専用側線で河辺駅と結ばれている。工場には選別及洗条プラントとクラッシャー(破砕する機械)プラントがあり、二つの櫓を中心にそれぞれベルトコンベアーとバケットエレベーターで結ばれている。

トラックで河原から進んでくる原石はプラントに間断なく送りこまれ、クラッシャーが原石を喰む音が威勢よく響いている。製品は品種別に貯えられ、トラックでひんぱんに運び出されている。

沿革

 当工場は大正十四年河辺砂利合資会社として発足、河辺駅から約一キロの専用側線を敷設し、多摩川でとれる良質安山岩の砂利類を生産していた。(この地域の砂利は元宮内省御用のもので富士火山系に属する。)

 昭和三年に昭和石材社と改名、二十二年株式会社に組織替えし、三十一年九月堤会長の傘下に入り西武鉄道・復興社から資金援助をうけ財政的に安定した。三十五年六月本社の設計指導で工場を大改造して、現在のような近代的設備となった。その結果、生産は急速にのびて、三十四年度、月産五〇〇〇トンだったものが三十五年度は一三、〇〇〇トンと増加した。

 三十五年九月不動産課の尽力により、いままでの砿区の上流に約二倍に相当する広大な新砿区を入手することができ、ようやく赤字工場の汚名を返上して黒字経営に出発する機会を得た。同年十一月萩島石材工業(株)と合併し、同社河辺工場として、今日に至っている。

工場のあらまし

工場敷地 一万三千平米

多摩川砂利砿区 五万五千平米

設備

選別洗条プラント=砂利類用、砕石用各一棟。ホッパーベルトコンベア附帯設備=原石用、砕石用各1式。インペラーブレーカー=一基、パワーショベル=一台、ブルドーザー=一台、ショベルローダー=一台、専用側線=1キロ

私たちの信条

 従業員一同は、昭和三十一年堤会長のけいがいに接してから、心機一転して業績向上に励んできました。幸い会長はじめ関係各位の一方ならぬ御指導により、今日のような立派な工場に生れ変ることができました。 私たちはこれに報いるよう感謝と奉仕の信念を身につけ、今後ますます増産に励む覚悟であります。

(石井)

 

  

 詳細な社史が無い西武鉄道関連では、西武の社内報が、貴重な一次資料である。 

 私は、

■公益財団法人三康文化研究所附属三康図書館http://sanko-bunka-kenkyujo.or.jp/sanko_tosyo.html 

■早稲田大学大学史資料センターhttps://www.waseda.jp/culture/archives/ 

を利用させていただいております。 

 

 皆様の妄想の「深堀掘削」にお役に立ちましたら幸いであります。

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2020年5月 9日 (土)

東海道新幹線が予算オーバーした国鉄幹部は引責辞任したけど、東名・名神高速道路も予算オーバーしたのに道路関係者は辞めなかったのは、ズルイ??

 また扇情的な題名をつけてしまった。

 ただ、実際に国鉄関係者にはそう思っている方がいらっしゃるようなのだね。

新幹線の予算と高速道路の予算 (1)

新幹線の予算と高速道路の予算 (2)

「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲 」高松良晴・著 日刊工業新聞社・刊 84~85頁

 引用した末尾には、「東京・神戸間の高速道路建設総事業費は、(略)、概算工事費の(略)ほぼ3倍であった。この東京・神戸間高速道路の建設費の増額は、十河が国鉄総裁が(ママ)辞めた昭和38年(1963年)当時、すでに明らかになっていた。だが、十河も島も、東海道新幹線の出発式に招かれることはなかった。」とある。

 最後の「だが」が文章が繋がらないのだが、要するにこのブログの件名のようなことを敢えて??書かなかったから繋がらないのである。著者の高松良晴氏は、国鉄OBである。

 鉄道(国鉄)ばかり予算オーバーの責任をとって、高速道路は予算オーバーの責任をとらずズルイズルイなのだろうか?

 この東海道新幹線の予算騒動について、建設省の高速道路担当官がどう見ていたかについても残されているのであわせて見てみたい。

新幹線の予算と高速道路の予算 (3)

「道を拓く -高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 184・185頁

 当該頁の執筆者は、小林元橡氏(元・建設省道路局高速道路課長)である。

 「国鉄は黙っていたからあんなことになったけど、建設省は都度都度関係者に説明して了解を得ていたもんね」ということか。

 新幹線の予算オーバーが国会で問題になったときに、当時の国鉄副総裁も予算オーバーについて知らなかったと答弁していたのだが、(実際に知っていたかどうかはともかく)関係者への根回しをちゃんとやっていた建設省と社内でも秘密になっていた国鉄との差である。

 まあ国鉄もそうせざるをえない事情があったのかもしれないが、高松氏のように高速道路を逆恨み??するのはお門違いであろう。

 

 1964(昭和39)年2月29日付毎日新聞に「企業の森(242) 批判と称賛 -「新幹線物語」-」という羽間乙彦氏の連載記事が掲載されている。

 そこでも東海道新幹線と名神高速道路の予算問題を比較している。

 新幹線の予算と高速道路の予算 (4)

新幹線の予算と高速道路の予算 (5)  大石重成新幹線総局長の気持ちも分からないではないが、そのような国鉄の体制に世間は納得しなかったという。

 

 なお、ソースは公開できないのだが、当時の官僚が「新幹線の予算オーバーの責任をとって、世界銀行の担当者が更迭された」旨を語っているのを読んだことがある。

 十河信二、島秀雄は自己責任だが、騙された世銀担当者はとんだトバッチリである

 その後、高速道路については、東名高速道路、首都高速道路及び阪神高速道路に対して世界銀行の融資が行われたが、国鉄は東海道新幹線が最初で最後の融資となっているのは単なる偶然だろうか?

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  ところで、小林氏の話にも出てくる名神高速道路の予算だが、実際に予算管理に苦労し、当初計画から削減されたりした部分がある。

 せっかくなので、そういった部分についても紹介したい。 

名神高速道路は神戸まで行かないのはなぜ (4)  

「名古屋-神戸高速道路の構想」日本道路公団・刊 

 「本書は、昭和32年7月16日 大阪クラブにおける当公団 岸道三総裁の講演を要約し、さらに、その後、「整備計画の決定」等事態の推移にともない、若干の補訂を加えたものであります。」との説明がついている。 

 「名神高速道路は名古屋市も神戸市も通っていない」というのは、一部ではネタになっている。名古屋は東名高速道路が通っているが、神戸市には、中国自動車道の神戸三田ICができるまでは高速自動車国道のインターチェンジはなかった。 

 実は、名神高速道路の西宮~神戸間は、予算超過の帳尻をあわせるために、カットされていたのである。 

 名神高速道路は神戸まで行かないのはなぜ (5)

 これは、名神高速道路の初期の計画図の一部分である。 

名神高速道路は神戸まで行かないのはなぜ (2)  

 よく見ると、西宮~神戸間の路線が描かれている。 

 実際には、この区間は阪神高速道路として施行された。(この当時はまだ阪神高速道路の計画も阪神高速道路公団もなかった。)

 また、岸総裁は「長いトンネルや橋は当面暫定2車線(片側1車線・往復2車線)とする」とも語っているが、これは予算の手当てがついたのか実際にはそのような区間はなかった。

 もののついでに、「道を拓く」からも当該関係個所を引用してみよう。

名神高速道路は神戸まで行かないのはなぜ (3)  

  当該部分は、斎藤義治氏(元・建設省道路局高速道路課長)である。先に引用した小林氏の文中に出てくる「斎藤氏」である。

 実際に暫定2車線とする長大橋、トンネルの名前もあげられている。 

 国鉄の新幹線と同様に、「まずは当初計画を通すために削減したけど、そのうち復活させるつもりだった」という趣旨が共通するのは興味深い。

 ちなみに、世界銀行も暫定2車線による施工を検討することを融資条件としていたようである。 

名神高速道路は神戸まで行かないのはなぜ (1)  

  これも「道を拓く」からの引用であり、大塚勝美氏(元・建設省→日本道路公団理事)の執筆部分である。

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 名神高速道路の予算カット部分で随分寄り道をしたが、 

 昨今では、「自ら責任をかぶった悲運のリーダー」的に語られることが多い十河、島氏であるが、「当時の霞が関ではこんな風に見られていた」ということで。 

 国鉄に騙された世銀の担当者はかわいそうだが、語られることはほぼ無いようだ。 

 

※この記事を書くにあたっては、同じベイスターズファンのけんちん氏のご協力をいただいている。末尾ではあるが感謝の意を表したい。

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2020年5月 2日 (土)

ブルートレイン瀬戸を3分割して高松、松山、高知へ直通させる構想があった

 先日、サンライズ瀬戸の四国内分割構想がtwitterに流れていたが、ブルートレイン時代の瀬戸でも高松、松山、高知への三分割の運行構想が世間に出ていた。


ブルートレイン瀬戸


1987(昭和62)年3月7日付毎日新聞から


 新聞記事を貼るだけではアレなので、往時の写真でも。


ブルートレイン瀬戸


 1970年代末の国鉄横浜駅で撮影したもの。


ブルートレイン瀬戸


 まだ、客車の方にはマークが入っていないころ。


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2020年4月30日 (木)

明石海峡大橋を四国まで新快速が走り、鳴門線が複線電化されるなんてどこから出てくるの?~本四架橋神戸-鳴門ルートに四国新幹線が決まった経緯~

 「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.htmlは、私のブログでも、多くのアクセスをいただいている人気記事なのだが、これはあくまでも「やめた理由」である。

 そこで、この記事では「神戸ー鳴門ルートに新幹線を載せることになった理由」「在来線は載せなかった理由」「瀬戸大橋よりも建設が後になった理由」等を整理してお披露目したい。 

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (1)

 若干、扇動的な題名であるが、「前の記事との対比で、SEO上、喰い合いにならないようにした方がいいかなー」なんて思ったりした次第である。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (2)

 ということで、いつもどおり?過去の文献から切り貼りしていきたい。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (3)

 ご覧のとおり、神戸ー鳴門ルート(本四淡路線)は、児島ー坂出ルート(本四備讃線)と異なり、新幹線一択なのだが、何故か「在来線が走るはずだった」という声が聞こえる。

 「妄想鉄」を自覚している人はいいんですよ。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (4)

 実際には、神戸ー鳴門ルート、児島ー坂出ルート共に、四国新幹線と在来線の両方が検討はされている。上記は、その対比が分かる図面である。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (5)

 で、検討の結果、神戸ー鳴門ルートには、四国新幹線しか載せないということになった。その理由が上記に書かれている。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (6)

 まあ、ネット世論の諸兄の期待を裏切る理由で、新幹線一択となっていたのである。

 ところで、「在来線では、高松、松山への時間短縮が見込めない」というのは、後に出てくるが、当時は瀬戸大橋には新幹線を載せるつもりはあまりなくて、「瀬戸大橋は、将来新幹線も載せられるように場所はあけておくけど、基本的には貨物輸送用」、「神戸鳴門ルートは、貨物を載せられないので新幹線の旅客用」と住み分けをしていたため、新幹線による時間短縮が望まれていたためである。

 淡路島の通勤を考慮したという資料は見たことが無い。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (7)

 「鳴門駅が古いままなのは、四国新幹線ができるときに改築するはずだったので」という声も聴いたことがあるが、残念ながら四国新幹線は鳴門駅を通らない。

 本四淡路線を在来線が走るときには、鳴門駅接続も検討されていたようではあるが、それは最終的には消えているので。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (8)  

  では、起点側はどうなっているか?

 同様にネット上では「新神戸駅だ」とか「トンネルが続くので西明石駅から戻ってくる」とかいろいろあるが、公式資料上はこうなっている。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (9)  

 白川峠とはこのあたりだろうか? 

 

 ちょうど山陽新幹線にも明かり部分がある。 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (10)  実際に明石海峡大橋の計画、建設に従事された島田喜十郎氏の「[新版]明石海峡大橋」には、鉄道ルートの図面が小さく載っていて大変興味をそそられるのであるが、本当に小さいんですよ。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (11)  

 新幹線は、舞子から高架橋で北上する予定で、環境上の問題となっていたと、それが新幹線をやめたことでトンネル構造が可能となったと。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (12)  

 新聞では「三田コース」という計画が報道されたこともある。

 三田??さすがにこれは三木の誤植だと思いたいのだが。三木なら、山陽道から神戸淡路鳴門自動車道が分岐していくルートと合致するので、それなりに整合性はある。 

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (13)  

 先にも触れたが、神戸ー鳴門ルートは新幹線、児島ー坂出ルートは貨物中心の在来線という住み分けがされていた。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (14)  

 明石海峡大橋の径間が長いので複々線ができないから新幹線単独と書いているのも注目すべき点かと。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (15)  

 「児島ー坂出ルートは、当面貨物専用路線」と。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (16)  

 四国新幹線が神戸―明石ルート一択だったのは、上記のように第二国土軸的な発想の「西日本縦断新幹線」があったというのも注視すべきであろう。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (17)  

 その「西日本縦断新幹線」のルートが「新宿ー甲府ー高山ー小牧ー奈良ー大阪ー明石ー鳴門ー高松ー松山ー佐多岬ー大分」という気宇壮大なルートである。高山!!??名古屋をとばして高山??こりゃまた壮大な「名古屋飛ばし」である。

 記事中、田中は田中角栄首相(当時)、鈴木は鈴木善幸自民党総務会長、鉄道建設審議会会長(当時:のちに首相)である。

 角栄の上越新幹線のみならず、東北新幹線も鈴木善幸の政治路線と言われたものである。(採算的には仙台までが妥当とされたが、岩手を地盤とする鈴木善幸が盛岡まで伸ばしたともいわれる。)

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (18)  

 新幹線の基本計画を定める際に、当初は四国新幹線は神戸ー鳴門ルートのみだった。

 前述の住み分けでいけば首肯できる。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (19)  

 ところが、最後の最後にもうちょっと路線を追加できそうだというところで、紀勢新幹線や中国横断新幹線(松江ー広島)、常磐新幹線等との争いの中で、松江―岡山ー高知の路線が追加されたのである。

 どういう政治力学が働いたのかは不勉強ながらたどりつけていないが、ここで最後の一押しがなければ、今の四国新幹線誘致の姿も随分変わっていたことであろう。

 なお、この辺のお話が好きな方は、「全国新幹線鉄道網の形成過程角一典・著 https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34003/1/105_PL105-134.pdfをご覧いただくと大層具合がよい。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (20)  

 ここからは、どうして神戸ー明石ルートは児島ー坂出ルートよりも建設が後になったのかを整理してみる。

 ネット世論では「四国と関西を最短で短絡する神戸―明石ルートに先に鉄道が開通していれば、JR四国の採算も改善されていたはずだったのに」という声も聞かれるところである。

 

この辺は、「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.htmlのおさらいにもなるのだが、工事上の難易度の違いがある。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (21)  

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (22)  

 明石海峡大橋には重量貨物を載せられないことから、神戸ー鳴門ルートを先行すると「神戸ー鳴門ルートの新幹線」と、「貨物輸送の宇高航路」を並存させる必要が出てくる。

 また、現行の貨物輸送体系が宇高航路を中心に構築されているので、瀬戸大橋に貨物輸送を託すことで、既存の貨物インフラをそのまま活用できるメリットもあるわけだ。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (23)  

 そんなわけで、鉄道側は「真ん中のルートを強く希望した」のであろう。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (24)  

 ところで、今の若い子は知らないかもしれないが、本四架橋についてはこんな流れがある。

 いろんな「大人の事情」で、3ルート同時着工
  ↓
 オイルショックに伴う需要抑制で3ルートとも工事中止
  ↓
 「1ルート4橋」のみ工事再開で、本州と四国を結ぶルートとしては、児島ー坂出ルートのみを建設。
 上記記事の「他ルートは部分橋」ということで、神戸ー鳴門ルートは大鳴門橋のみ工事再開。
  ↓
 中曽根臨調で、整備新幹線や残りの本四架橋は凍結。
 瀬戸大橋線(本四備讃線)の工事中止も検討されるが、建設債務をJRに引き継がないことで工事続行。

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (25)  

 その中で、児島ー坂出ルートのみが選ばれた理由は、こちらの記事にある。

 記事中の「金丸長官」は、田中派の金丸信国土庁長官(当時)である。田中派ですらこれが精一杯だったのである。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (26)  

 で、最後に「明石海峡に鉄道が通っていれば、ドル箱路線になって、JR四国の採算は改善されたはずだったのに」という点を整理してみる。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (27)  

 今となっては、1路線を除いて大赤字で、いつ黒字転換するかメドがつかないという計画を通してしまう「鉄道建設審議会」とは。。。という思いが強い。

 それだけ田中角栄首相をはじめとした自民党の鉄道族(運輸族)の力は強大だったのだろう。田中角栄-鈴木善幸ラインの賜物である。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (28)  

 しかし、本四架橋の鉄道建設費は、本四公団の借金で作って、国鉄が利用料を払って返済するというスキームである。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (29)  

 当時、瀬戸大橋の建設費返済だけでも、国鉄四国総局の収入の倍以上だったことが問題視されている。ここに神戸ー鳴門ルートの鉄道施設建設費の返済がオンされたらいったいどうなるのか?

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (30)  

 瀬戸大橋と大鳴門橋の場合は、他のローカル線建設費と同様に国鉄長期債務にぶちこんで、JR負担をなくしたのだが、民営化後に開通する明石海峡大橋の場合はそうはいかない。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (31)  

 山根孟・元本州四国連絡橋公団総裁も「役に立っているけど投資に比べてどうか」「備讃線でもういっぱい」と語っている。

 明石海峡大橋の鉄道はまさに「役にたつけど投資に比べてどうか」の典型であると言えるのではないか。

 なお、ここから先は、お遊びなのでスルーしてもらって結構です。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (32)  

 ということで、算数遊びをしてみる。遊びなのでマジレスはご勘弁を。。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (33)  

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (34)  

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (35)  

 ということで、超雑な結論。。。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (36)  

 

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2020年4月20日 (月)

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う

 埼京線の横にある緑地が上越新幹線新宿ルートの用地だという話はネットではよく見かける。

 ただし、それは嘘、デマだ。

 なぜ、そのような嘘、デマが広がっているかというと、川島令三(及びそれを無批判に広めるやつ)のせいである。

 以前も「上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.htmlという記事を書いたのだが、その後動きというか更なる珍説を川島が披露しているので、も~っと!徹底検証してみた次第である。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (1)

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (2)

 過去の記事でも、川島令三の上越新幹線新宿ルートの記事が、国鉄発表の資料や当時の報道資料とは全く異なることは指摘してきた。

 しかし、数年前に更に珍説を追加してきたので、過去の目ぼしい著書から、川島令三の主張の変遷やブレを整理してみんとす。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (3)  

  川島令三の著書で、上越新幹線の新宿延伸について触れているものは、私が確認できたところではこれが一番古い。

 新宿から上野に行くには、最低でも30分はみておかなければならない。さらに、新幹線は地下ホームだから、結局40分は必要だろう。もし、新幹線が新宿に乗り入れるならば、その40分が要らないわけだ。ということは、40分スピードアップしたのと同じである。いまさら大宮から新線を建設することはできないが、赤羽付近から分かれて在来線の真上を通って乗り入れることはできる。これなら用地買収はわずかですみ、あとは工法の問題だけである。

 最初は、「大宮から新線を建設することはできないが、赤羽付近から分かれて在来線の真上を通って乗り入れることはできる」と言っていたのだ。

 この頃は、まだ「埼京線の横の緑地は上越新幹線用地だ」なんて言っていないわけだ。

 ところで、川島令三信者以外でも「上越新幹線の新宿ルートの、赤羽~池袋間は旧・赤羽線(埼京線)の上若しくは地下に敷設する」とお考えの方がそれなりにいらっしゃるようだ。

 しかし、埼京線の北区内の連続立体交差事業が正式に決定してしまった(十条駅は高架となる)ので、まあ無理でしょうな。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (4)

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (5)

 上越新幹線は大宮―新潟間が開通しているが、もともとの計画は新宿―新潟間である。建設時に、当面の需要をかんがみると大宮で東北新幹線と接続して直通すれば充分、ということであったために着工はされなかったが、新宿まで延長するときのために、あらかじめ建設されている設備や用地がある。

 すぐわかるものがいくつかある。大宮の北側にある東北新幹線と上越新幹線との立体交差準備設備がそうだし、大宮以南の東北新幹線の西側に埼京線の戸田公園までずっと続く空地も上越新幹線用地である。

 また、都心部でもそれを想定しているところがある。都営地下鉄12号線は放射部と環状部が建設中だが、環状部の北新宿付近の縦断面図面を見ると新幹線の交差個所が書き込まれている。こ大宮駅の南部では、上越新幹線が外側を走る形の複々線で進むが、埼京線が合流する手前から 上越新幹線上り線は東北新幹線と立体交差して西側に移ることになり、そのための準備もなされ ている。

 ここからは埼京線・東北新幹線の西側に複線以上の用地がずっと戸田公園駅まで続いている。 これが上越新幹線の用地である。この土地は国鉄清算事業団には承継されず、JR東日本が承継している。現在はジェイアール東日本都市開発が管理して、一部は公共用地に払い下げられたが、ほとんどはそのまま残っている。

 上越新幹線の用地は戸田公園の手前あたりでなくなっている。この先のルートはいろいろ調べたけれどもわからずじまいだったが、推察すると戸田公園手前で地下に潜り、荒川を渡ってから 国道一七号線沿いにその地下を通る。途中から都営地下鉄三田線と並行して、板橋区役所前の先あたりで三田線と分かれ、東武東上線の近くを通り北池袋付近で赤羽線(の地下)と合流すると考えられる

ここからははっきりしている。赤羽線の東側の地下を走り、池袋からは山手貨物線の下を通って新宿に達するのである。新宿では中央新幹線(リニアではなくフル規格新幹線)と直交、東海道新幹線の分岐線と接続する予定であった。 しかし、これはすべて夢のまた夢となってしまった。

 

  ここで、初めて埼京線の横の緑地は上越新幹線用地だと言い出した。ただし、特に根拠はない。

  また、当該緑地は埼玉県内のみで、東京都内には無いのだが、ここで川島令三は「この先のルートはいろいろ調べたけれどもわからずじまいだったが、推察すると」「考えられる」と、エビデンス無しに、得意の妄想であることを告白している。

  ところが、この後「エビデンス無し」の注意書きが何の断りもなくとれていくのである。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (6)  

大宮以南に用地を確保

 東北新幹線が荒川を渡った付近から大宮まで両側に広い空き地が並行している。公式にはこれらの空き地は緩衝緑地帯としているが、それならば木々を植えるはずなのに、ただの空き地のまま残している。しかも、国鉄の不要用地の管理を継承している日本鉄道建設公団のものではなく、なぜか現在はJR東日本の関連会社が所有し管理している。

 ここに上越新幹線の複線を敷設しても、まだ緩衝緑地帯は充分残るほどの幅広さの空き地である。つまり、緩衝緑地帯および上越新幹線の鉄道用地というのが、本当のところである。

 荒川から大宮までは上越新幹線は延長できる。荒川から新宿までのルートはどうなるかというと、次のようになる。

 埼京線戸田公園の南側付近で東北新幹線と徐々に別れていき、荒川では国道17号バイパスと並行して西側を渡る。渡ると地下に潜り、国道17号の下を走るようになり、途中から都営三田線と並行する。

 その先で赤羽線(埼京線)の地下を走るようになって三田線とは別れる。池袋からは山手線の内側、すなわち山手貨物線の真下を通って新宿に達する。

 「公式にはこれらの空き地は緩衝緑地帯としているが、それならば木々を植えるはずなのに、ただの空き地のまま残している。」のは、後述するが、先行買収した国鉄と地元自治体との売買がうまくいかなかったからであって、現在は植樹などが整備された箇所はいくつかある。

東北新幹線の環境空間 (2)

 なお、管理は上記写真のようにJR東日本の子会社が行っているが、所有者はJR東日本のままである。(本記事の末尾参照)

 それよりも、1996年段階ではまだ正直に告白していた「この先のルートはいろいろ調べたけれどもわからずじまいだったが、推察すると」「考えられる」が、なんの断りもなく無くなってしまい、断定口調になってしまった。まあ、いつもの川島節である。そして後述の横見本のように、それを鵜呑みにする奴が出てくるのが難儀である。

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (7)

大新宿駅構想

 新宿は代々木駅を取り込んだ形で大新宿駅構想が昭和40年代後半に考えられていた。

 新幹線新宿駅は、甲州街道の南側に広がっている貨物ヤードの地下に置くことになっていた。ここはタイムズスクエアができてしまっているが、まだ地下には用地が空けられている。当初の計画では地下2階に新幹線コンコース、地下3階にホームを設置することになっていた。 現在でもその空間は確保され、京王新線・都営新宿線が地下4階にホームがあるのもこのためである。

 なお、新宿の新幹線ホームは上越新幹線だけではなく、中央新幹線(当時は在来形新幹線であった)と共用し、さらに新宿を貫通して東海道新幹線にも接続させる計画であった。

  「上越新幹線の用地」だなって勝手に書くなよw

  「大新宿駅構想」については

「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 をあわせてご覧いただきたい。

 

 なお、川島令三は「さらに新宿を貫通して東海道新幹線にも接続させる計画であった。」とするが、東海道新幹線に接続する構想自体は国鉄にはあったが、「大新宿駅構想」には、東海道新幹線までの延伸は明記されていない。 

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (8)  

  ところで、余談となるが、川島令三は、大新宿駅構想で、中央新幹線を現在の中央本線在来線に沿った形で北へ伸ばしている(上記右図)が、実際の「大新宿駅構想」では、中央新幹線は、南へ伸びている(上記左図)。(中央新幹線の絵は他にも存在するのだが、それも中央本線沿いではない。なんと中央総武開発線と地下を2階建てで走ることをイメージした構想もあったようだ。)

 また、川島令三は、都営地下鉄12号線(大江戸線)と地下鉄山手線が「新宿副都心」で相互乗り入れしているように書いている(上記右図)が、実際の「大新宿駅構想」ではそうはなっていない。 

 川島令三は、こうやって本物っぽいところにチョコチョコ偽造をぶち込んでくるのが常套手段である。 

  本物の大新宿駅構想は「1974(昭和49)年の大新宿駅構想の元となる運輸省調査報告書と上越新幹線新宿駅や国鉄東北・東海道開発線ホームなどなど」をご参照いただきたい。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-a24d9e.html 

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (9)

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (10)

 

大宮以南に用地を確保

 東北新幹線が荒川を渡った付近から大宮まで両側に広い空き地が並行している。公式にはこれらの空き地は緩衝緑地帯としているが、それならば木々を植えるはずなのに、ただの空き地のまま残している。しかも、国鉄の不要用地の管理を継承している日本鉄道建設公団のものではなく、なぜか分割民営化当初からJR東日本の関連会社が所有し管理している。

 ここに上越新幹線の複線を敷設しても、 まだ緩衝緑地帯は充分残るほどの幅広い空き地である。つまり、緩衝緑地帯および上越新幹線の鉄道用地というのが、本当のところである。

 荒川から大宮までは上越新幹線は延長できる。荒川から新宿までのルートはどうなるかというと、次のようになる。

 埼京線戸田公園の南側付近で東北新幹線と、徐々に別れていき、荒川では国道17号バ イパスと並行して西側を渡る。渡ると地下へ潜り、国道17号の下を走るようになり、途中から都営三田線と並行する。

 さらに赤羽線(埼京線)の地下を走るようになって三田線とは分かれる。その先は 山手線の内側、すなわち山手貨物線の真下を通って新宿に達する。

 新宿は代々木駅を取り込んだ形で大新宿駅構想が昭和40年代後半(1975年頃)に考 えられていた。

 いずれ東京―大宮間だけでは対応できなくなる。そのときには新宿-大宮間の上越新幹線が開通することになろうし、池袋にも新幹線駅ができる可能性はある。

 川島令三は「池袋にも新幹線駅ができる可能性はある。」と言い続けているのだけれども、これもあくまでもいつもの根拠なき妄想である。 

  そのあたりは、「上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのか」で検証済みだ。

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html

  可能性を考えるのは勝手だが、国鉄の計画にはなかったと言える。

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (11)

 東北新幹線は東京赤羽間は東北線とほぼ並行して建設するとされたが、赤羽―大宮間は東北線の西側に、やや離れて建設することになった。しかし、予定ルートの沿線住民の反対運動は必至で用地買収がスムーズにいきそうもなかった。 また、東北線は貨客分離による複々線化を行なっていたが、それでも高崎線電車が大宮以南に直通するためにラッシュ時の増発がままならなくなってきており、高崎線電車を別線ルートで都心に直通させる必要性が出てきた。

 そこで東北新幹線用地の買収の見返りとして、大宮―赤羽間で東北新幹線に並行する新線を建設し、それを高崎線電車用線路とすることが検討された。この新線は、昭和47年当時は通勤新線あるいは通勤別線と呼ばれていた。

 新幹線と関連した通勤新線のルートや駅位置の策定作業が行われた結果、東北新幹線は荒川から大宮を経て上越新幹線が分岐する地点まで複々線で建設することとなった。複線の一方は上越新幹線のもので、大宮以北は東北新幹線と方向別複々線、大宮荒川間は線路別複々線、荒川以南では東北新幹線と分かれて地下線で新宿に達する予定だった。さらにこれら路線の両側に並行して緩衝緑地帯を設置することになり、そのため用地は東北新幹線、上越新幹線、通勤新線の3複線と、それにプラス緩衝緑地帯分という広大なものになった。

 「予定だった」もなにも、上越新幹線新宿ルートについては全部川島令三の妄想だ。 

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (12)  

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (13)  


新宿駅から高田馬場駅まで、上越新幹線が通る証拠があるのである。

 高田馬場駅から先は見出せない。東京メトロの副都心線(13号線)や有楽町線の池袋駅付近の 縦断面図には、新幹線が表示されたものはない。

 すなおに考えれば、山手線の内側の地下をずっと通って、池袋駅から赤羽線の地下ということになる。副都心線の池袋駅、現在の新線池袋駅はJR池袋駅の西側に設置され、山手線などと交差する手前から急勾配で下っている。新線池袋駅は地下四階にホームがあり、下りはじめたところの上には丸の内線があるが、丸の内線のホームは地下二階にあり、副都心線のトンネルを通すのに邪魔にはならない。それなのに下っているのは、丸の内線との間に新幹線が通ることになっていると考えざるをえない。そして、新幹線池袋駅の設置も考えられていると思える。 池袋駅からは赤羽線(埼京線)に沿って地下を走るルートが簡単だが、赤羽駅あたりで地上に出る必要がある。しかし、赤羽駅付近にその空間はないし、赤羽駅から荒川までの埼京線と東北新幹線並行区間にも、そのような空間はない。

 おそらくは、池袋駅から中山道(国道一七号)に向かい、中山道の地下を走って、荒川を渡る手前か、渡ってから地上に出て、東北新幹線・埼京線と並行して大宮駅に向かう。東北新幹線・埼京線の両側には環境緑道がある。新幹線の騒音を軽減するためにつくられたというが、大半は荒地のまま放置されている。しかも西側がやや広い。ここに上越新幹線の高架線が併設される。 これは筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている

 大宮駅の手前で、上越新幹線の上り線は東北新幹線を乗り越える。ここからは大宮駅以北と同様に、西側に東北・上越新幹線の下り線、東側に同上り線が並ぶ方向別複々線になる。

 

 今までエビデンスが無い無いと指摘してきたところであるが、今回初めて「これは筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている」ときた。 

 そして今回のもう一つの新デマが「しかも西側がやや広い」というものだ。後述のとおり東西ともに20m幅である。

 また、戸田公園~池袋間のルートについては、久々に「おそらくは」が復活した。前作は「予定」と言い切っていたのに、またエビデンスなしに戻ってしまった。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (14)  

  そして最新作である。なんと川島令三氏の長年に渡るシリーズものが打ち切り最終作となったのである。

 ここで、最後の最後で、上越新幹線ルートは大いなるちゃぶ台返しが待っていたのである。 

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (15)  

 

 昭和52年になると新宿一大宮以南のルートはほぼ確定し、新宿から荒川橋梁まではほぼ地下を通し、以北は東北新幹線と方向別複線にすることにした。

(中略)

 南側では予定していた上越新幹線と東北新幹線との方向別複々線の一方の複線分は埼京線に使用することにしたため別途、新たに上越新幹線の用地を確保することにした。その方法として現在、使われていない東北新幹線に並行して左右に置かれている環境緑道の一部を流用するとか、東北新幹線と 2重高架にする、あるいは東北貨物線を転用するなどといわれているが、定かではない。一番、実現しやすいのは2重高架だろうが、それに耐えられる橋脚にはなっていないようである。そうすると環境緑道の地下というのが現実的であろう。

  まず「昭和52年になると新宿一大宮以南のルートはほぼ確定し」という言葉が初めて飛び出した。

 昭和52(1977)年といえば、それまで反対姿勢だった沿線自治体が国鉄が提示した環境対策等を踏まえて、条件付き受け入れに転じた年であることは間違いない。しかし、それが上越新幹線新宿ルートに何らかの影響があったという資料を見たことは無い。 

 話はそれるが、埼玉県内の自治体では、「本来の東北貨物線を活用した上越新幹線新宿ルートを同時若しくは早期に開通させれば東北新幹線の環境問題の低減につながる」として、どうせ東北新幹線が建設されるならば、上越新幹線新宿ルートを促進するような動きがあったようだ。 

 下記のように「地元の反対で上越新幹線新宿ルートがお蔵入りした」というような言説をネットで見かけたりするが、そのような資料を見たことは無い。 

 そして、大物なのだが、今まで読んでいただいてお分かりのように、川島令三氏は初期の著作を除き、一環として「緩衝緑地帯は上越新幹線が建設される」としてきた。エビデンスとしては「担当職員に聞いた」というのが唐突に一回だけ出てくるのみだが。 

  それがシリーズ最終作において大どんでん返しで「現在、使われていない東北新幹線に並行して左右に置かれている環境緑道の一部を流用するとか、東北新幹線と 2重高架にする、あるいは東北貨物線を転用するなどといわれているが、定かではない。一番、実現しやすいのは2重高架だろうが、それに耐えられる橋脚にはなっていないようである。そうすると環境緑道の地下というのが現実的であろう。」等と総論併記のうえ「定かではない」と言い出した。

  じゃあ前作での「これは筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている」は何だったのか?嘘を教えたのか?

 「2重高架」というのは以前wikipediaに載っていた案のことか? 

 「環境緑道の地下というのが現実的であろう」というのも、「地下」に言及したのはこれが初めてだ。 2007年の前作では「高架」と明言していたのにかかわらずである。

 なお、東北新幹線の埼玉県内区間がこれほど揉めたのは、一旦大宮~戸田間はトンネルにすると公表した後に、地下は技術的に困難として高架に変更したことに一因がある。 

 その経緯を知っていれば「地下が現実的」とはとても言えないと思うのだが如何であろうか? 

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (16)

 どちらにせよ、列記されたものの当否についてはスルーされた「東北貨物線を転用」しか正解はないのだが。

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 と、ここまで支離滅裂な川島令三氏の主張の変遷をおってきた。 

 一読しただけではゴチャゴチャになるだろうから、簡単におさらいしてみよう。 

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (17)

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (18)

  赤字がエビデンスでふらふらするあたりである。

  青字は「荒川をどう渡るか」である。こちらも地味にふらふらしている。地下なんか橋なんかはっきりせい。どっちにしろエビデンスはないのだけども。

 ちなみに国鉄OBの高松良晴氏は、東北新幹線のルートどりについて「赤羽から先は、荒川の下をトンネルで抜くことに危惧があったことから、架橋可能地点の舟渡まで新河岸川沿いに高架橋でルートを選定したのだった」(「新幹線ネットワークはこうつくられた」交通新聞社・刊 90頁)と語っている 

  もともとの南埼玉トンネル案のときも、高架になる戸田市からトンネル要望が出たときに「荒川の下を潜るのを避けるために戸田以南は高架になる」と国鉄が返していたような記憶があるが、文献が出てこない。

 いずれにせよ、本を書くたびに川島令三の主張は二転三転しているのだ。 

 では、他の鉄道ライターはどうなのだろうか? 以前は、ライターには正式ルートは開示されていなかった可能性はどうだろうか?

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (19)

  レイルウェイライターの種村直樹氏は、鉄道ジャーナルの東北新幹線建設工事の特集号の中で「現在の東北本線と並行して」「貨物線跡利用」と書いている。

 鉄道趣味誌においてもちゃんと「正解」が共有されていたわけだ。 

 では、最近の鉄道趣味誌ではどうか? 

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (20)  

 横見浩彦氏は、川島令三派ということですかね。 「タイムズスクエア直下に幻の新幹線駅が」と言い出すあたりもアレだが。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (21)  

 因みに、JR東日本は「東北貨物線の地下」としている。 

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 川島令三氏が上越新幹線用地だと主張してやまない緩衝緑地帯であるが、ざくっといくと下記のような経緯である。 

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (22)  

  川島令三の「しかも西側がやや広い」と、国鉄OBの高松氏の「外側に、それぞれ20m幅の用地」とどちらを信じるかは読者様次第である。

  で、「公式にはこれらの空き地は緩衝緑地帯としているが、それならば木々を植えるはずなのに、ただの空き地のまま残している。」のは下記の記事のように、国鉄が先行買収したあとの取り扱いが沿線自治体と調整がとれなかったせいで整備が進まなかったためである。

 なお、この新聞記事の右下のイラストでも、両方とも幅は20mとされていることが分かる。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (23)  

  下記は、埼京線与野本町駅付近の「下落合環境空間緑道」である。きちんと整備すればこのような形となり、川島令三の妄想もつけ入る余地がなくなるはずだ。

 

参考:「環境空間整備計画(戸田 華かいどう21)」

https://www.city.toda.saitama.jp/soshiki/213/koen-kasen-hanakaido21.html

  また、未整備の「環境空間」についても、下記のような暫定活用がなされている。

 https://www.jreast.co.jp/press/2001_2/20020114/index.html

東北新幹線の環境空間 (1)

 「上越新幹線建設用地が民間に売却されて店舗が建ってしまった!」と嘆く方がいらっしゃるが、上記写真を見ていただいて分かるように、店舗の所有者はJR東日本の子会社だし、「暫定活用」にふさわしく?10年間の定期借地であるから地元自治体と協議が整えば売却できるわけだ。

 

 

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2020年4月12日 (日)

1974(昭和49)年の大新宿駅構想の元となる運輸省調査報告書と上越新幹線新宿駅や国鉄東北・東海道開発線ホームなどなど

 上越新幹線の新宿駅乗入れについては、過去多くの記事を書いてきて、まあ部外者によるネット記事では第一人者であろうと自任しているのであるが、またまた新ネタ(旧ネタ??)を見つけてきた。

 過去には、大きく分けて二つの時代の図面をご紹介してきた。

「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

  

 今度は、カラーによる上越新幹線新宿駅+代々木駅だ。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (31)

 新宿駅南口の甲州街道附近 右下に新幹線ホームが見える。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (32)

 そしてこれは代々木駅の地下を走る新幹線だ。大新宿駅構想は地下の上越新幹線コンコースで新宿駅と代々木駅を直結するものだが、中央総武開発線(左下)や東京メトロ副都心線もホームを持つ一大ターミナルとなっている。

 いままではモノクロの新宿駅構想図しか見たことがなかったが、今度はカラーだ。それも最古のものである。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (1)

  以前ご紹介したものは、

「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」⇒1976(昭和51)年

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)」⇒1985(昭和60)年

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

  なので、把握している限り最古の上越新幹線新宿駅の図面となる。

  尤も、上越新幹線の新宿駅乗入れの話は、1971(昭和46)年頃から報道されているので、そちらが気になる方は

「新宿駅への上越新幹線・成田新幹線の乗入れについて報道をまとめてみた(その1)」 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html 

  を、併せてご覧いただきたい。

  で、運輸省の「新宿副都心総合整備計画調査報告書」の中身を紹介していこう。

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (2)

 前書きはこんな感じで。 

  別に上越新幹線新宿駅の構想を作ろうというものではなくて、それも含めて新宿副都心の開発等色々構想があるから、運輸省として総合的なターミナルの計画を建てておこうということか。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (3)  

 検討メンバーはこんな感じ。八十島、井上と学会の重鎮が勢ぞろいだ。東京都からは鈴木信太郎とか岡本堯生等が顔を出している。(敬称略) 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (4)  

 このブログの記事を読みに来る人の多くは鉄道マニアだと思うので説明は不要かもしれないが、鉄道網整備計画としては、上越新幹線の乗り入れの他、地下鉄10号線(都営新宿線)、12号線(都営大江戸線)、13号線(営団・メトロ副都心線)その他について考慮した新宿副都心のターミナル計画や淀橋浄水場跡地の副都心等を踏まえた総合整備計画を作成すると。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (5)

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (6)

  ちょいと飛ばして、読者のニーズであろう、「鉄道施設の現況と問題点でも。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (8)  

  そして「対象地域に関する諸計画」である。道路計画や鉄道計画に触れている。

 「まえがき」にもあるように、前年度にもこの調査は行われており、これらについては下記には概略しか掲載されていないというと。前年度の報告書についてご存知の方は是非ご教示ください。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (7)

 10号線(新宿線)は、千葉県営鉄道乗り入れで千葉ニュータウンまで、13号線(副都心線)は、渋谷から羽田空港を目指す往時の計画ですな。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (9)  

  読者の皆様が一番気にしそうな国鉄の計画はこちら。

  上越新幹線、北陸新幹線、成田新幹線だけでなく、中央新幹線、第二東海道新幹線、常磐新幹線についても新宿への乗り入れが検討されているとしている。リニアモーターカーは、この段階では中央新幹線ではなく、第二東海道新幹線の方だったはず。常磐新幹線は、成田新幹線と合流して東京駅方面から新宿に来るという絵を他で見たことがある。

  また、在来線では、東海道・東北方面開発線(現在の湘南新宿ライン)及び中央・総武開発線(現在の京葉線新宿延伸構想)に触れている。そのホームをどこに設置するかについては後に出てくる。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (10)  

  「国鉄山手線と環状6号線の中間に地下鉄新宿線の計画がある」とするが、これは10号線のことではなく、所謂「地下鉄山手線」のことか。後に出てくる「図8-1」では「地下鉄山手線」と書いてある。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (11)  

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (13)

 「昭和65年における需要予測」という言葉があるが、もし関心があれば、こちらもご覧いただきたい。地下鉄山手線のルートも出ている。 

「約50年前に計画された首都圏鉄道網を網羅した「昭和65年鉄道網配分交通量図」が面白い」

 https://togetter.com/li/1404375

 「東北・上越・北陸の第2ターミナル」という言い方が興味深いが、国鉄の文書でも東北新幹線も新宿駅へ乗り入れると書いてあったのでその構想を裏付けるものと言えよう。

 また、成田新幹線の新宿乗り入れは考慮しないが、中央新幹線は考慮するというのも興味深い。

 「成田新幹線の東京駅が鍛冶橋下にあるのは、新宿駅乗入れのため」という説があるが、どうやら「成田新幹線の新宿乗り入れとは関係なく鍛冶橋下に決まって、その後に新宿乗り入れが決まった」ようなのだね。

 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (38)  

 ところで、国鉄の開発線とは、このような構想である。

国鉄開発線の構想

インフラ整備70年 講演会(第6回)〜戦後の代表的な100プロジェクト〜「五方面作戦 〜今日の首都圏都市鉄道の基盤を築いた国鉄による空前絶後の通勤鉄道改善プロジェクト〜」から引用 https://www.jcca.or.jp/infra70/wp-content/uploads/2019/11/PJ-No06.pdf

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (15)

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (37)  

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (14)  

  「中央新幹線」の字が原宿駅の南側に見える。川島令三の著書には、中央新幹線は、中央本線に沿って中野方面に伸びるように書いているが、この計画では新宿から原宿を経て山梨方面に伸びるようだ。どちらを信じるかはご自由に。

  在来線については、「東北・東海道開発線」が13号線(副都心線)と一緒に明治通りを走っている。この頃は、副都心線の下に東北・東海道開発線を建設する予定だったようだ。現在では、山手貨物線を湘南新宿ラインとして走っているが。

  また、「中央・総武開発線」はこの頃は代々木経由である。この辺の経緯についてご関心のある方は下記をどうぞ。

  http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (17)  

 「新宿周辺鉄道網平面図≪構想,検討路線も含む≫」である。そしてそれぞれの「地下断面図」が下記のとおり。 

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (18)

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (19)

 この「地下断面図」が、凡例もないし、色もついていないし全く分からんちんですよ。ひょっとしたら前年の調査結果を見れば分かるのかもしれない。 

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (16)

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (20)

 文中「三光町」は、現在の新宿三丁目駅である。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (21)  

 で、やっとお待たせの各駅の図面にたどり着くので、しばしお待ちを。。 

 「新交通システム」の文字が気になる人もいるかもしれないが、これは気が向けば別稿で。とりあえずここではあまり触れない。 

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (23)

 「階層別計画概念図」は、先ほどの「地下断面図」よりはるかに分かり易い。 

 12号線(大江戸線)は、この図では、現在と違い、地下4階となっている。 

 また、京王プラザホテルの更に西側の地下5階に「地下鉄山手線ホーム」がある。 

  明治通りの下には、地下3階に13号線(副都心線)が走り、地下5階に国鉄東北・東海道開発線が走っている。

  なお、これは私の根拠なき妄想だが、池袋以北については、明治通りの下を上越新幹線と東北・東海道開発線が同様の地下2階建てで王子へ進むのではないかと睨んでいる。(東北・東海道開発線の王子以北は、現在は地下鉄南北線である。)

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (22)  

 「各ターミナルの計画」がこちら。

 そして、新宿地区の各ターミナルを一枚にして、各地下階層毎の図面が展開される。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (25)  

 </p>「GL」は、多分、グランドレベル=地表のことだ。

 「NTS」 は、前述の新交通システムのことであろう。新宿の東西南北を結ぶ歩行者支援のためのシステムが検討されていたようである。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (24)  

地下1階 

  現在工事中の東西自由通路は、この頃から構想があったことがうかがえる。

  また、新宿駅から代々木駅を結ぶ新幹線コンコースが計画されている。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (26)  

地下2階 

 これだけ見せられても位置関係が分からないが、「4」とあるのは、地下鉄4号線(丸ノ内線)の新宿駅と新宿3丁目駅であろう。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (27)  

 地下3階 

 JNRのホームが二つある。東(右)側が東北・東海道開発線で、西(左)側が上越新幹線だ。 

 「13」は、副都心線の新宿3丁目駅と代々木駅だ。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (28)  

 地下4階 

  「10」は新宿線の新宿3丁目駅と新宿駅。「12」は大江戸線の代々木駅。この頃は大江戸線は新宿駅はなく、代々木駅から都庁前駅に直行していた。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (29)  

 地下5階 

  「JNR」は、中央・総武開発線の代々木駅だ。この頃は新宿駅は経由しないことになっていたようだ。

  

  そしてやっとやっと駅の構想図である。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (30)  

 「中央ターミナル鳥観図」だ。じゃーん。 

  オレンジが道路で、青が線路のようだ。

  右が渋谷方面、左が池袋方面、上が東口、下が西口だ。

 バスタ新宿と新宿ミライナタワーっぽいビルがある。 

  ミライナタワーと線路の間を左右に走る細い高架橋が「新交通システム」だろうか?

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (31)

 「中央ターミナル構成図」 

 JNRはもちろん国鉄のこと。地下に新幹線ぽい車輌と2面4線のホームが見える。右下を逸れていくのは東北・東海道開発線、左下を逸れていくのは中央・総武開発線だろう。 

  西(左)側の「KTR」は、京王帝都電鉄、「OER」は、小田急電鉄だ。

  新幹線の真上に「新交通システム」らしき白いチューブが走る。トラムといった軽車輌ではなく、動く歩道的な歩行支援システムであることがうかがえる。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (32)  

 「代々木・ターミナル構成図」 

  地下を東(右)側から、「13」=副都心線代々木駅、「JNR」=東北・東海道開発線、中央新幹線、西(右)側には、「JNR」=中央・総武開発線代々木駅、「12」=大江戸線代々木駅だろう。

  地上には、新交通システムの高架橋が代々木駅から新宿駅東口のマイシティまで続いている。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (33)  

 「副都心・ターミナル構成図」 

  大江戸線の都庁前駅。現在と違って上下にクロスしている。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (17)  

 もう一度この路線図を見ればイメージが湧くであろう。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (34)  

  「三光町ターミナル構成図」

  新宿三丁目駅である。緑色は歩行者天国を塗り分けているのだろうか?

  「4」の丸ノ内線、「10」の新宿線、「13」の副都心線の実現した地下鉄路線の下に「JNR」東北・東海道開発線のホームも見える。

  

 ※写真、図面の名づけに「昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想」としておりますが、「48年度」とすべきところ、写真をUPしてから間違いに気が付きました。お許しくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020年4月 6日 (月)

大鳴門橋の四国新幹線関係鉄道資産の簿価は1円だった。

 「減損」ってご存知だろうか?

 最近経済記事で「買収した会社が予想通りの業績をあげないので、のれんを減損した」というような記事がDeNAとかソフトバンクとかで流れたりするが、鉄道資産も減産したりするというお話。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった6

小学3年生1985(昭和60)年4月号から

 きっかけは以下のツイートである。

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JR瀬戸大橋線は、国鉄民営化の際には、工事中止が議論されたくらいなのに、どうして今は黒字なのか?

 ああ、またクドイ、長い題名をつけてしまった。

 

 先日の国土交通省からJR四国への経営改善の指導をきっかけに、JR四国の経営について、ネットでも議論が飛び交っているところだ。

 その際に、「JR四国の唯一の黒字路線は瀬戸大橋だ。」というのがよく引き合いに出されている。

 ところで、私の過去の記事で「JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?」というものがある。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/jr30-0cd3.html

 行政改革、国鉄民営化の議論の際には、「瀬戸大橋線は作っても赤字だから建設を中止せよ」という議論がなされていたのだ。

  

 瀬戸大橋線は赤字か黒字か

「瀬戸大橋にかける夢」石合六郎(山陽新聞社記者)・著 国際交通安全学会誌 14巻1号9頁から引用 

 https://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/14-1-02.pdf

  

  上記の記事を一読して理解できた方は、これから下の部分は読まなくても大丈夫。

  これから私なりに「瀬戸大橋線は黒字なのか赤字なのか」を整理してみたい。

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (1)

  そもそも、本四公団とJR四国と国鉄はどのような関係なのか、ざくっとパワポ一枚にぶちこんでみた。

JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (2)  

  そして、これが本四架橋における道路と鉄道の費用負担の考え方だ。

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (3)

 JR四国は、橋を所有する本四公団(今は高速道路保有・債務返済機構)に対して利用料を払って鉄道施設を利用するのだが、もともとその利用料が、四国の鉄道に対して莫大なものだったのだ。 

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (4)

  本来は現在のJR四国の鉄道売り上げの倍の利用料を払う必要があったのだ。こんな事業が民営化された一般企業で成り立つわけがない。だから建設中止が臨調で議論された。

JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (5)  

  結局その利用料相当額はJR四国ではなく、国民が負担することとなった。

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (6)

 左下に「本四公団債務」とあるのがそれだ。 

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (7)

 本四公団が民営化されるまではこのような仕組みでお金が動いていた。大鳴門橋で先行して建設された鉄道部分は、JRのような収入が発生しないので、維持費用も含めて税金で対応している。 

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (8)

 実際には、国鉄清算事業団を通して金が動いている。 

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (9)

  国民負担になった金額はこちら。 「四国の人が払った税金も使って他の地方では整備新幹線を作ったのだから、今度は四国に全国の人の税金を使って四国新幹線を作る順番ですね」といった主張を目にすることがあるが、実は、大鳴門橋の新幹線施設部分と瀬戸大橋の新幹線施設部分には、国鉄が支払うはずだった利用料の代わりに、既に全国の国民の税金が使われているのである。

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (10)

  今度は、JR四国のサイトから。「瀬戸大橋線の加算運賃100円は、建設費の回収ではなく維持管理費」と明記してある。結構ここを知らない人が多い。100円で建設費も回収していると誤解しているのだ。

JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (11)  

  では、建設費も含めた加算運賃は幾らになるか、ザックリ試算してみよう。

 「こんな加算運賃では、他の交通機関に対してJRが勝負にならないじゃないか?鉄道のことを重視すべき」と考える方もいらっしゃるかもしれない。逆に言うと、他の交通機関に対して、JRが税金でこれだけゲタをはかせてもらっているのだ。 

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (12)

 一応、裏取りも兼ねて、JR四国のサイトからも利用料関係の頁をご紹介。 

JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (13)  

 現在の鉄道施設利用料の根拠はこちら。 

  「JR四国の経営が苦しいから、利用料を減免してもらうべき」という声もあるようだが、ご覧いただいて分かるように、現在の利用料の内訳は、瀬戸大橋のメンテナンスに係る費用や公租公課といった実費の道路と鉄道の費用分担の自己負担分なのである。じゃあ、誰が肩代わりするのか?

 なお、冒頭の「瀬戸大橋にかける夢」では、利用料の分は三島基金に上積みされているとある。それであれば、減免の要望が仮にあったとしても、よほどその額が乖離していない限りは難しいのではないか? 

 

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2020年3月31日 (火)

国鉄が東北新幹線反対派を誹謗中傷するビラを社内配布し、謝罪したが、地元との交渉のパイプが切れてしまった件

 「東北・上越新幹線の大宮駅以南の開業が遅れたのはプロ市民が反対したからだ」

と憤るネット正義民の方がいらっしゃる。

 中には「活動家」と呼ぶ方もいる。

 

 ところで、工事が遅れたのは住民側だけではなく、国鉄側にも責任がある大失策もあったという件のご紹介でも。

 それも、ネットなんちゃらの如く、国鉄の中の人が、沿線住民の方を「活動家」呼ばわりしたせいで。

国鉄による東北新幹線反対派誹謗中傷ビラ事件

 1974(昭和49)年9月18日付朝日新聞によると、東北新幹線工事を担当する国鉄東京第三工事局内で、反対派住民に対して「反対派は、革命、金、売名、選挙が目的だ」というビラを作成して社内で供覧していたというもの。

 なんで、そんな一文の得にもならんことをしたのか理解に苦しむが、国鉄の内田隆常務理事が住民側に陳謝して、「一応ケリがついた」と報じている。

 

 ところが「ケリ」はついていなかったようである。

国鉄による東北新幹線反対派誹謗中傷ビラ事件2

「運輸関連施設の円滑な実施のための条件分析調査」 財団法人・運輸経済研究センター・刊 43頁から引用

 折あしく「新提案(当初の南埼玉トンネル案を変更して高架にするもの)」を地元に提示して、事態が膠着している時期にわざわざ追加の炎上ネタを提供したわけだ。

 内田常務理事が陳謝したまではいいものの、「その折りになされた説明に出向く旨の約束が結果的に食言化し、国鉄と住民のパイプが切れてしまうこととなった。」とある。

 

 国鉄幹部が現地に説明に行くという約束を実行できないものだから、現場の担当も「それより、いったいいつになったら局長さんは説明に来るのだ?」と問われたりして地元に出入りしづらくなって、結果として交渉パイプが切れてしまったということか。

 こういう国鉄の失策による工期の延期みたいなのは、国鉄の工事誌には載らないもんな。

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 ところで、ネット上では「左翼プロ市民」といった用語を安易につかうアンポンタンが見受けられるが、例えば戸田市の反対運動の構成はこんな感じだったらしい。

新幹線反対運動はプロ市民か

「運輸関連施設の円滑な実施のための条件分析調査」 財団法人・運輸経済研究センター・刊 35頁から引用

 

 「古くから住む地付きの保守派」、代々の地主層ということか。

 「あんなところは埼京線が走る前はたいして家もなかったくせに何が住民運動だ」という見方は誤りで、宅地開発される前の地主層を怒らせたということなのだろうか。

 

 これは、成田新幹線の反対運動も同様だ。東京都江戸川区の成田新幹線反対運動を評した記事がこう語っている。


 広い土地を持つ元農家など、反対運動に参加している「住民代表」は、ほとんど地元の有力者。「役所と有力者の組合せでは、ほんとうの住民運動とはいえない」と疑問を投げかける人もあり、下町特有の土地柄に根ざした住民パワーといえる。

 

「広がる不信感”新幹線公害”」溝部忠増・著 地方自治職員研修第5巻第7号 特集「新幹線その建設の問題点を衝く」 35頁から引用 

「ほんとうの住民運動とはいえない」と言われても、地主層からすれば、「俺らこそが本当の江戸川の住人だ」ということだろう。

 「プロ市民」による住民運動というと、都市部のリベラル(サヨク?)系の新住民が起こしそうなイメージがあるが、戸田市や江戸川区はそうではなく、地付きの保守層旧住民の利害に不用意に触れた故の「住民運動」ということか。

 成田新幹線は、せっかく保守地主層が長年作り上げてきた江戸川区の区画整理事業地に事前調整をつけずにいきなりぶち込んできたのだから。

 江戸川区の成田新幹線反対運動

「国は重大な誤りを犯している」中里喜一・著 地方自治職員研修第5巻第7号 特集「新幹線その建設の問題点を衝く」 27頁から引用 

 この江戸川区葛西に建つ成田新幹線反対の立て看板も後ろは無人で反対する者は「葛西土地区画整理組合」であることが象徴的だ。 

 反対運動の先頭に立った江戸川区の中里区長(当時)も、そのような人の利益を代表するような「地付き保守政治家」だ。上記の「広がる不信感”新幹線公害”」の記事には「区を思う名主さま。下町の政治家に多い、よくも悪くも古いタイプ」とある。

 

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東北新幹線よりも埼京線がうるさいのは正当なのか検証してみる

 例えば、Twitterで「埼京線、新幹線、騒音」と検索してみると、下記のようなツイートが上位に出てくる。

 この辺りの経緯はどうなっているか検証してみる。

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 埼京線(通勤新線)が、東北・上越新幹線を受け入れる代償とされていることについては、私のブログの読者には説明不用であろう。(尤も、国鉄は東北貨物線の旅客化等の増強策は検討していたし、埼玉県は都営地下鉄三田線の北進を検討していたので、埼京線が突然代償として湧いてきたわけではない。)

 しかし、埼京線の騒音が東北・上越新幹線よりもうるさいことについて上記のように揶揄するものが多い。

 実際にはどうなのか?試しに東京都の測定結果を見てみよう。

埼京線と東北新幹線の騒音 (7)

埼京線と東北新幹線の騒音 (8)

 都内での埼京線の騒音の測定結果は上記のとおりである。ちなみに当時の電車は後掲のように205系であり、開通当初の103系の頃は更にうるさかったものと推測される。

 では東北新幹線との比較ではどうか?

 東京都が同一の場所で測定した結果を比較してみよう。

埼京線と東北新幹線の騒音 (9)

埼京線と東北新幹線の騒音 (10)

埼京線と東北新幹線の騒音 (1)

 なるほど、東北新幹線よりも埼京線(205系)の方がうるさかったことがデータで確認できる。

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 では、建設当時に国鉄は地元自治体へどのように説明したかを見てみよう。

 ここでは、東京都へ国鉄東京第三工事局が公文書で申し入れたものを見ていく。

東北新幹線東京大宮間110キロ規制と線形 (14)

東北新幹線東京大宮間110キロ規制と線形 (3)

東北新幹線東京大宮間110キロ規制と線形 (5)

埼京線と東北新幹線の騒音 (6)

 国鉄は、東京都に対して「通勤別線の騒音・振動は、新幹線と同程度のものになる」と説明している。だから環境を守れるので工事させてくださいという位置づけの文書である。

 

 埼玉県ではどうか?

埼京線と東北新幹線の騒音

「東北・上越新幹線問題関連年表」畠中宗一・編 沖縄コレギア研究会・刊 33頁から引用

 

 戸田市には「通勤新線との複合騒音公害は基準以下を保つ

 浦和市議会には「通勤新線との併設で公害(騒音)はどうなのか」という質問に対して「両線とも70ホンづつで、併設すると3ホンのアップになる。しかし110kmなら70ホンでいける

 とそれぞれ説明している。

 

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 東北新幹線の騒音については、東京都民が提起した訴訟の和解で時速110キロと定められているが、埼京線についてはどうか?

埼京線と東北新幹線の騒音 (12)

「東北新幹線 上野・大宮間工事誌」から引用

 新幹線とは異なり、在来線については具体の数字は入っていない。

 これについて、東京都民側は下記のように説明している。

埼京線と東北新幹線の騒音 (4)

 「被害を未然に防いで」北区新幹線対策連合協議会・編 29頁から引用

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  浦和市議会に説明した「70ホン」は、とうてい遵守できていなかったとみられる。

  では、沿線住民は抗議しなかったのか?

埼京線と東北新幹線の騒音 (2)  

 「新幹線を「ノー」といった人たち-与野市における新幹線反対運動の足跡-」与野市新幹線対策住民委員会・編 148-149頁から引用

 埼玉県与野市(現・さいたま市中央区)では、国鉄に抗議し、国鉄は「誤算であったこと」を認め、車両整備等の対応をさせたという。 

  

埼京線と東北新幹線の騒音 (5)  

  「被害を未然に防いで」北区新幹線対策連合協議会・編 30頁から引用 

  また、東京都北区での交渉経緯について興味深いのは、国鉄民営化に伴い、環境問題について約束した当事者である国鉄東京第三工事局が交渉する当事者能力を失い、うやむやにされてしまったという点である。

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 このような流れからすると、埼京線が東北新幹線よりうるさいのは、当初の国鉄の約束をやぶってorなあなあにしていることが問題であろう。

 

埼京線と東北新幹線の騒音 (11)

1979(昭和54)年12月18日付読売新聞から

 建設当時に、東京都北区の住民が「国鉄は”環境は守るから”とだまし、開通させてしまえば”多少のオーバーは我慢しろ”という」と危惧したとおりになったわけである。

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 ところで、埼京線の地元東京都北区議会で興味深い問答が行われているのでご紹介したい。 


平成14年  6月 定例会(第2回) 06月19日-07号 

 

◆三十七番(中川大一君) 

 私は、大きく分けて二点について質問いたします。

 その第一は、新幹線及び在来線の環境問題等についてであります。 そもそも、東北・上越新幹線問題は、一九七一年に工事実施計画が許可され、翌年の一九七二年九月八日には、区民、区議会、北区の三者が一体となり、新幹線現在計画反対区民協議会を結成し、北区の総力をあげた、公害に反対し生活環境を守る大運動がスタートいたしました。


 その後、幾つかの曲折はありましたが、当時の国鉄が、住民や北区、北区議会に多くの約束をしたことによって、通勤別線、つまり、埼京線と併設で供用が開始されました。


 特に、環境問題について言いますと、北区新幹線対策連合協議会が、六年に及ぶ工事差止訴訟の中で、一九八四年十月三日に、東京地裁において、六項目の和解として成立したのであります。


 その主な内容は、一つに、騒音については七十ホン以下、振動については七十デシベル以下、北区内における列車速度は時速百十キロメートル以下とする。二つには、在来線の騒音振動対策としてロングレール化、レールの重量化、枕木のコンクリート化、ゴムパットの使用及び鉄桁対策等に努力するとともに、各種発生源対策の技術開発に努めるなどとなっております。


 この和解は、新幹線及び在来線鉄道について、住民と国鉄との間で取り交わされた全国初の公害防止協定であり、事実上、裁判の判決と同じ重みをもつものであります。


 その後、経営体がJR東日本に変わりましたが、和解内容を守る義務は継続しており、協定を一方的に破ることは絶対に許されないことは明瞭であります。


 これらの経過を踏まえ、今、北区政に求められているのは、新幹線の騒音、振動、速度など、その約束が全面的に守られてきたのか。科学的な検証が必要であります。特に在来線の騒音、振動対策は、その発生源対策の技術開発にも立ち入って到達点を検証することが重要であります。

(略)

 

 

 

◎生活環境部長(谷川勝基君)

(略)

 次に、在来線の速度、騒音、振動測定と、対策の検証につきましては、新設線や大規模改良線の指針を除きまして、在来線につきましては、環境基準等が設定されておりません。この点につきましては、特別区長会として、国に対し、これまでも、在来線の騒音対策として、環境基準等を設けて、新幹線に準ずる防止対策を行うよう適切な措置を講じられたいとの要望をしてきているところでございます。

 

 「在来線については、一部を除いて環境基準等が設定されていない。しかし、東京都の特別区長会は、在来線の騒音について新幹線同様の基準を設けるよう、国に要望している。」ということである。 

  これが当初からできていれば、「埼京線の方が東北新幹線よりもうるさい」という事象は起きなかった可能性があるのではないか。

  

  何かで「東京都北区住民と国鉄の和解で、新幹線は規制の数字を書き込めて、在来線は書けなかったのは、国の環境基準の違い(新幹線はあるけれど、在来線はない)によるもの」という趣旨のことを読んだような気がするけれども、はっきり思い出せない。

 

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 ところで、下記のようなことを本当に国鉄関係者が言ったのだろうか? 

 

  もし実際に記載されている書籍等が分かれば是非ご教示いただきたい。

 

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