カテゴリー「高架下」の28件の記事

2020年1月 2日 (木)

東京高速道路(KK線)が廃道になって、高架緑地になるとの報道を聞いて

 ブログの方の「骨まで大洋ファン」の最初の投稿が2010年なので、なんと10年経っちゃいましたよ。これも皆様のアクセスがモチベーションなので、感謝申し上げる次第です。

 

 ところで、新年早々こんな記事が。首都高の日本橋部分撤去・地下化にあわせてう回路をどうするのか注目されていた銀座附近につき、地下別線でう回路を新設するとともに、既存の東京高速道路株式会社線(KK線)は、高架公園にするというのである。

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 はあ、そうですか。ところで、あそこは道路にする目的で河川埋立の許可を取ったところのはずなんで、道路がなくなれば、コリドー街等の商店街はそのまま設置させてよいのだろうか??と疑問を抱いたので、改めてここの経緯等をおさらいしてみたい。

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(聞き手)あのKK線は、例の自動車運送法でしたか。

(山田)自動車運送法の自動車専用道路です。料金は無料という有料道路なんだな。

(聞き手)あれは石川栄耀氏が、いろいろと役割を果たされたんですか。

(山田)まあ、役所としてはそういうことになっているね。陰には秀島乾。あれが石川さんのところに入り浸っていたのだろう。東京都と東京高速道路株式会社との契約は全くいい加減だ。

 (中略) 

 

(聞き手)そもそも、あそこを埋め立てて、フードセンターにして、上を道路運送法でやろうと発想した本当の人は誰なんでしょうか・

(山田)発想したのは石川栄耀だ。秀島乾、塩沢弘もその一員だ。

 

「東京の都市計画に携わって-元東京都首都圏整備局長・山田正男氏に聞く-」70、71、73頁から

 で、その秀島乾によるスカイビル構想が残っている。

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (3)

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (1)

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (2)

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (4)

 日本橋の首都高が清々しく見えるほど、河川を埋めて街というか銀座・有楽町のど真ん中を分断しているんだけど、建築屋や都市計画屋は不思議とこれを批判しないんだよなー。

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 で、実際に事業を着手したのがこれ。

東京高速道路-07

東京高速道路-07-2

 樋口実は三菱地所、青木一男は戦前の大蔵官僚から大臣で公職追放(後に高速道路族の最有力者)、小林一三は阪急、藤山愛一郎もいれば、読売新聞社もいる。斯様に政財官マスコミの一大連合体がこの東京高速道路の母体だったのである。

東京高速道路-08

 当初目論見の図面がこれ。

東京高速道路-08-2

 外濠川は実は埋め立てずに、川を跨ぐ形で道路と建物を作るはずだった、とか、今のコリドー街のような店舗、飲食等ではなく高架下には車庫、倉庫を作るはずだったとか今とはいろいろ違うんすよ。

 

 そしてやっかいなのは、石川栄耀の立ち位置。

東京高速道路と石川栄耀 (2)

東京高速道路と石川栄耀 (1)

 上記で石川栄耀の後任の山田正男が、「発想したのは石川栄耀だ。」と述べているところ、実際には政財官コングロマリットにやらせておいて、自分が許可する立場に立っているのだ。裏を取れていない情報ではあるが、石川栄耀は東京都退職後にこの会社に天下ったという記述もある。

 そして更にややこしいのがこれ。

○中井(徳)委員 私は、残念ながら、今の黒金さんの答弁には全く反対であります。従って、これはきょうどうこう言うのではありませんが、私は慎重に研究してもらいたいと思います。こういうことになりますと、四年目に一度は一カ月か二カ月、全国の四千近い府県、市町村の長が、選挙期間中は空席になる。

 それでは具体的に申し上げます。これは賛否両論ですが、東京で今高速道路というのをやっていましょう。あの堀を埋めまして、数寄屋橋がなくなってしまった、それを四、五年前に、自民党、社会党両党の委員がこぞって――村瀬さんもいらっしゃいますが、当時の建設委員が大いに反対したのです。ああいうものは風致を害するということでもって、やりました。そのときにだれが判を押したか調べてみた。そうしたら、安井君が二期か三期目の選挙の途中に、もう死にました石川栄耀さんという人が判を押しています。安井さんは留守です。あの人は、局長さんか何かでおられた。そういうことがあるのですよ。ですから、これはたまたま一つの事実にすぎませんが、私は十分起り得ると思うのです。皆さんのお考えの方が人がよ過ぎるように思いますので、一つ強くこの点を要望いたしておきます。御研究をいただいて、必要があるならば、この選挙期間中は代理者の行政に対する幅に規制をされた方がいいのではなかろうか、こう思います。これは強く要望いたしておきます。

  昭和34年3月12日 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会

 要するに、東京高速道路の決裁は、安井知事が選挙のために不在の間に、当時建設局長だった石川栄耀が「判を押した」ということを中井代議士が国会で指摘しているということなんである。

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  当初許可後、下記のような理由で、現在のように外濠川を完全に埋め立てた形になっている。そして今もあそこは都有地だ。

東京高速道路-09  

  このように不明朗な形で建設された東京高速道路であるが、東京都政の汚職を指して言う「安井都政の七不思議」の一番手としてあげられることが多い。(二番目あたりに私の大好きな三原橋あたりがくるのだが)

 安井都政の七不思議と東京高速道路 (2)

安井都政の七不思議と東京高速道路 (1)  

 「東京都知事」日比野登・編著 日本経済評論社・刊 41・42頁から

  安井都政の七不思議と東京高速道路に言及している文献は多数あるが、とりあえずこれが簡便にまとまっているかと。

  また、東京高速道路は自民党議員からも「利権道路」と呼ばれていた。

 昭和33年4月10日衆議院建設委員会において久野忠治議員曰く
「一部経済人がこれに目をつけまして、御存じの通り新橋―京橋間に東京高速自動車道路の建設が計画をされ、目下この事業が進行中でございます」
「副知事はこう答えました。倉庫もしくはガレージに利用する、こう言ったのであります。万一その利用目的が変った場合にはどういう処置をとるかという質問に対して、撤去を命ずる、こう言いました。それからもう一つ、この都市計画全体からいって、下水あるいは雨水の排水のための重要な都市水路であるから、これは残しておくべきではないかという意見もそのときに出たのであります。その質問に対しては、地下はいわゆる水路として残しておくように設計をされておる、万一それを埋め立て等にする場合があれば、これまた当初の設計に反するものであるから撤去を命ずるということを、現に当委員会で言明をされたのであります。」
「ところが今日でき上りましたものを拝見いたしますると、堂々たるキャバレーができたり、あるいは飲食店ができたり、事務所ができたり、倉庫というのは名ばかりで、今ガレージなどというのは名目的に一、二カ所あるだけでございます。」
「地下の水路はすでに埋め立てをいたしてしまいまして、そうしてこれを地下の倉庫に利用しようといたしております。そうして莫大な利権を握って、東京都の交通難を緩和するという美名に隠れて利権のちまたにこれがなろうとしていることは、衆目の見るところであります。」

 当時の国会では与野党こぞっての「利権」集中砲火であった。下記は1954年11月11日付読売が報じる国会での追及の状況の一部である。

東京高速道路の疑惑

 また、1956(昭和31)年9月6日付読売新聞には、東京高速道路は「利権の長城」と呼ばれていたと書いてある。

  ところで、このような魑魅魍魎が蠢く利権の象徴である東京高速道路であるが、新国立競技場関連で国民には説明せず「建築家諸氏へ」というお笑い文書だけ出して世間の失笑を買った日本の代表的建築家である内藤廣氏は、建設業界誌「CE建設業界」2003年12月号に掲載された「フォトエッセイ構築物の風景」において下記のように語っている。

 東京高速道路と石川栄耀 (3)

  曰く「民活やPFIの先駆けだ」「その筋金入りの勇気と熱意」。かたや「都政七不思議」「利権の長城」。皆様はどうお感じであろうか。

 ところで内藤廣センセイも指摘した民活やPFIについては、始め方もともかく、終わり方や失敗したときのシメ方も重要であるのは、異論のないところであろう。 

  では、始め方でもいろいろあった東京高速道路について、〆方も見てみよう。

 東京高速道路と石川栄耀 (4)

1988年6月22日 付け朝日新聞から

東京高速道路

  東京都は、東京高速道路株式会社に当初許可する際に、償却した後は東京都に返還するよう求めていたが、会社がそれを履行しないため、都が会社を民事訴訟で訴えたというのである。

 訴訟は最高裁まで東京都が勝ち続けたのであるが、最後まで会社は返還を履行せず、都の財政難を理由に会社が有償で施設を買い取る形で決着した(2000年2月19日付の読売新聞によると売却額は約55億円とのことである。)。 

 

これが内藤廣大先生の絶賛する「民活やPFIの先駆け」の実態なんである。 

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 そんなドロドロの東京高速道路を道路を廃止した後は、ニューヨークのハイラインのような高架公園にするという。 

  実はハイラインは全線歩いたことがある。

 highline (2)

 highline (1)

  見た目簡単そうに見えるけど、この都心の人込みの中で、ごみも落ちてなく、落書きもなく、植樹も「イイ感じ」に維持していくのは並大抵のコストではできない、ちょっと手を抜くとすぐ雑草と落書きまみれになってしまうと感じた。

 highline (3)

 highline (4)

 実際には世界的な大企業がパトロンになって維持管理をしているようだ。今の銀座で簡単にそれができるかなー。 

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 ところで、以前から言っているのだけれども、東京高速道路(KK線)が道路としては不要となるのであれば、なぜ撤去して銀座の水辺空間を復旧させないのだろうか? 

  日本橋の首都高撤去にあたってソウルの清渓川を例にあげる人は多いのだけれども、ロケーション的には、むしろそれを言うなら東京高速道路の撤去じゃね?と思うわけですよ。

ソウル 清渓川路

 


○岡安参考人 ただいまの御質問でございますが、私らはあくまでもこれは交通緩和、こういうような大きな目的で、許可いたしました。会社の面におきましても、公共のためということを大きく銘を打つております。従いまして、今おつしやられましたような、もしもこの結果、会社側が非常に有利である、非常に利益がある、こういうことが考えられますれば、東京都としては、利益させるために許可したのではございませんので、この点は東京都と会社側と、さらにまだ契約を結ぶ面があると思います。その面につきましては、これは私らしろうとでございますのでおかりませんが、おそらくそんなに有利な条件で会社側がもうかるようなことは許可しませんということを申し上げたいと思うのであります。どういう方面でしますか、これは私らもつと検討いたしまして会社と交渉いたしますが、これは何としても公共施設としてやつておりますので、その点は私らは必ずやり通してみたいと考えております。御心配の点は重々よく考えまして、将来に悔いを残さないようにしたいと考えます。

 

○岡安参考人 樋口社長から冒頭に申しましたように、会社の計画としては、実は八階建をつくりたいということで始めたことは、事案でございます。しかし、それが知事としましては、そういうことはいかぬ、都市計画の関係あるいはその他の関係でいかぬ、こういうので道路ということになつた。それはその通りなんです。ただ会社としましては、東京都から、道路ならば許可する。東京都でもつてやれるかということでやりました際に、一応の計画を会社は、おそらく株式会社でございますので立てられた。これは私らも考えられる。ただ、先ほど只野さんから言われたように、会社がもうけはせぬか、こういう点があるだろうと思いますが、この点は、私は、もう会社が高速道路という名前に隠れてもうけるということば絶対にさせません。そういうことで、今樋口さんの言われたのは、会社が一応計画を立てて、どうやらとんとんに行くつもりでやつてみたら、今度は道路だけということになれば、相当苦しい。苦しいが、しかし東京都の道路の交通の緩和のためというなら、モデル・ケースでやつてみる、こういうふうに私らは了承しておるのであります。今の樋口さんのお話も、多分私はそういうふうに言われたと思うのでございます。決して会社がもうからぬけれども、いやいやながらやつてやるんだ、計画が違う、こんなことでは会社はおそらく成り立たぬと思うというような、もうけを主義にしてやるというのではないと思うのです。東京都としましても、でき上りまして会社がもうかるようにする、もうかるようにどういうふうにしてやる、損だからこんな計画を変更するという意思は全然ございません。必ず東京都としましては、あれが交通緩和のためになる、こういうことであくまでやつて行きますので、この点私から繰返して申し上げておきたいと思います。

 

第18回国会 衆議院 建設委員会 第2号 昭和28年12月7日

 

 上記は岡安東京都副知事(当時)の国会での答弁である。あそこは道路にして公共のために寄与するから許可したのだと。他では、許可の条件に違反したら、許可を取り消すとも答弁している。

 

 それならば、今般、東京高速道路が道路としての機能を失うのであれば、そこの許可を取り消して全て撤去し、河川に復旧すればよいのではないか?ハイライン風の公園にするのはゴマカシではないのか?今でもあそこの地主は東京都であるのだから。私には本来副次的な目的に過ぎなかった商店街を残す口実としてハイライン風高架公園を持ち出してきているようにしか思えない。

東京高速道路の疑惑2  

 1954年10月2日付の朝日が報じるように、地元は外濠川の埋め立てに反対していたのだ。道路が廃止されたのなら、地主の都は道路としての仕様許可を取り消せばよいのではないか。 

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 ところで余談になるが、先日土木学会の主催する「土木コレクション2019」内のイベント「どぼくカフェ」において、土屋 信行氏(リバーフロント研究所 技術参与)が「首都高速道路はなぜ日本橋の上空に架橋されたか!!」という題目で講演を行ったが、

・東京高速道路株式会社は、山田正男の発案である。(←石川栄耀が許可に関わった際には、山田氏はまだ神奈川県庁職員)

・東京高速道路株式会社は、東京都も出資していたが、いつの間にか都の出資分がなくなった。(←前述資料を見てわかるように当初から都の出資はない。)

・東京高速道路株式会社の地主が露店を収容した。(←東京高速道路株式会社線の底地は東京都のもの)

・東京都八重洲口の外濠も、東京高速道路株式会社線にあわせて埋め立てた。(←あそこはまた鉄鋼ビルとか国鉄のインチキとか別途ややこしいところだ。)
 

 といったトンデモ発言連発であったので付記しておく。なんなの土木学会って??

 土木コレクション2019内のイベント「どぼくカフェ」において、土屋 信行氏(リバーフロント研究所 技術参与)が「首都高速道路はなぜ日本橋の上空に架橋されたか」という題目で講演を行った

 土木学会「土木コレクション2019>」「どぼくカフェ」で講演する土屋 信行氏(リバーフロント研究所 技術参与)

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2017年8月19日 (土)

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

 首都高の日本橋川附近の地下化構想をめぐって、さも当然と言わんばかりに、多くのマスコミも論説を繰り広げた。

 その一例として2017(平成29)年7月30日付の読売新聞社説を抜粋してみる。

首都高日本橋 (2)

首都高日本橋 (1)

 なんかご高説なのだが、では建設時の読売新聞はどう言っているかというと、前の記事でも触れたが、1962(昭和37)年12月24日付読売新聞では、

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (13)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (12)

 首都高は「スマート」だ「モダン」だ、日本橋は「感傷」だと述べている。

 単発の記事だけだと、そのときの記者とデスクの一回限りのものかもしれない。

 

 1962(昭和37)年1月25日付読売新聞夕刊では

河川活用による高速道路建設

・「首都高の河川敷利用が少ないため用地買収等に必要以上の経費がかかっている」

 

・「河川が不要になったら干拓して掘割式の自動車道路を建設したり、河川を廃止できなくても高架の自動車道路を建設したりするのが世界各国の大都市における実情」

 

・「一日も早い道路整備が必要」

 

と主張しているのである。首都高建設当時の読売新聞は。

 

 

 

 で、こんなツイートをしたら

「50年前の主張を持ってくるのは流石に。。」とか「国鉄の分割民営化の際にブルートレインは廃止しないと言ったじゃないかというのと同レベルじゃないか。。」といったたしなめのお言葉を頂戴した。(ご心配ご迷惑をおかけして申し訳ございません。)

 最高裁の判例ですら時とともに変更されることはあるので、社会の価値観が変わればマスコミの主張が変わることもあるのは十分理解しているつもりである。

 ただ、一言「当社も昔はそう思っていたが、社会の価値観も変わり、当社も認識を新たにした」という趣旨のことを入れていれば問題ないと思うのだが、何も言わずに、さぞ首都高の建設当初から自分たちは景観を重視していたかのような論説には違和感を覚えるのである。

 

 なーにが「うなずける」だよ。

 

 これは個人の好き嫌いのレベルの話なので、別に賛同いただかなくても結構なのだが、便所の落書きと思ってご容赦いただければ幸甚である。

SONY ベータマックス

 ええ、ベータマックスがなくなっても、顧客がいなくなったんだからウソつきとは申しません。(まさか、ビデオデッキ自体がなくなるとは当時も想像つかなかっただろうなあ。)

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 別に読売新聞だけを個別攻撃したいのではなく、当時のマスコミの主張はそんなものだったということで。

日本橋川をふさぐ首都高を「美しい曲線」とする朝日新聞 (1)

 東京オリンピック開催を間近に控えた1964(昭和39)年1月1日の朝日新聞の正月特集の一面で日本橋川を塞ぐ首都高の写真を国立競技場よりも大きな写真で紹介している。

日本橋川をふさぐ首都高を「美しい曲線」とする朝日新聞 (2)

 「ビルの谷間に美しい曲線を描く江戸橋インターチェンジ」である。日本橋川は「ビルの谷間」で首都高は「美しい曲線」なのである。

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 こちらは、首都高速ではなくて、東京高速道路株式会社(KK線)が外濠川を埋め立ててしまったときの話なのだが、地元が埋め立て反対として外濠川にて水上デモを行った際の1954(昭和29)年10月2日付朝日新聞夕刊

数寄屋橋埋立につれない朝日新聞

 「何しろネコやネズミの死ガイをはじめ、ありとあらゆる都会のゴミ捨て場の”川”のこと、オールさばきのたびに悪臭プンプンとあって、数寄屋橋上の見物人は鼻をつまんでいた。」とある。当時朝日新聞本社は数寄屋橋にあったので、日々そのような目で外堀川を見ていたのであろう。

 

 読売新聞も、日本橋川のことを「ドブ川」と報じている。

 

日本橋川はドブ川と報じる読売新聞

 

 1966(昭和41)年4月7日付読売新聞から

 

 こういう汚くて臭い川を埋めてしまうことこそが当時求められていた都市美と考えていた人もいたということなのであろうか。

 

 築地川の干拓に反対する地元中央区住民に対して東京都は「流れの汚い築地川を残すのは都市美化の考え方から無意味」と対応していることが興味深い。

首都高と都市美

 1958(昭和33)年7月8日付朝日新聞から

 

 

数寄屋橋埋立につれない学識者

 多摩美大、金沢美工大等の学者も数寄屋橋取壊しを支持していたと報じる1956(昭和31)年4月5日付読売新聞。

 

 世論も変われば美的センスも時代によってうつろっているのである。そういう背景を整理したうえで物事を判断してもよいのではないか。

 

 単純に「経済効率最優先だった」と切って捨てるのは浅はかであろう。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋

 この写真は「首都高速道路株式会社10年史」から引用

 

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【参考】過去に書いた首都高関係の記事

 

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

 

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

 

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

 

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

 

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

 

首都高と河川利用と景観

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

 

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

 

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

 

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

 

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

 

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

 

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

 

昭和63年の首都高速道路計画

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

 

昭和37年の首都高速道路将来計画

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

 

昭和28年の首都高速道路計画

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

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2017年8月17日 (木)

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

 細かく引用しなくても大丈夫だと思うが、最近首都高の日本橋周辺の地下化の話題がいろいろ出ている。

 で、首都高の日本橋附近が景観を無視しているとか無粋だとかなんとか言われたりもしているので、例の如く当時の資料から実際にはどのように進められてきたかを検証してみる。

 

 このブログでは何度も出しているネタだが一応おさらいで。

 もともと日本橋川は高架ではなく、1号線の都心区間のように川底を走ることを検討していた。

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった

 

 「東京都市高速道路の建設について」(1959年4月 東京都・刊)から抜粋。

 全体をご覧になりたい方は、http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.htmlをご参照されたい。

 ところが、神田川の治水上、日本橋川を干拓することはできず、現在のように高架を日本橋川上空に架けることとなった。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (10)

 

 「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。

 当時から地元の地下化要望はあったようだ。地下化については、工期や技術的な問題ではなく「日本橋川の河積を狭めることは殆ど不可能」なのでできなかったとしている。

 ところで、日本橋川附近の施工にあたってデザイン等はどのように考慮されていたのか?

 それを順次紹介したい。


 

 首都高速道路公団では線形が決定した1960年12月橋梁設計会社20社から「このインターチェンジ(※引用者注:当時の首都高速の「インターチェンジ」は、現在の「ジャンクション」を意味する。)を如何なる構造にすべきか?」広くアイデアを募り,構造型式選定の資料とした。

 

 「江戸橋インターチェンジについて」西野祐治郎・和田宏造・前田邦夫「道路」1964年7月号517頁から引用

 

 その募集に応じたアイデアのうちの幾つかが「日本橋及び江戸橋周辺の高速道路について」西野 祐治郎・前田 邦夫「道路」1961年6月号427頁以降に掲載されている。

 

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (2)

 「地元の要望」がなければ道路元標等を「取壊し」していた可能性があったのか気になるところではある。

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (3)

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (5)

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (4)

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (6)

 

 この「写真-6」のアーチ橋は、「道路」1964年7月号517頁によると「好評を得た」とのことである。こんな風に豪快なアーチ橋も思い切っていてよいものだ。

 以下の案は、「道路」1961年6月号431頁によると「高架橋のファンタジー」として提出されたものということだ。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (7)

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (8)

 

ガラスブロックで採光をよくするというアイデア。

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (9)

 

 モノレール計画などなかったはずだが、モノレールとの合築案。

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (14)

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (13)

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (12)

 首都高が日本橋の上に架かることを報じる1962(昭和37)年12月24日付読売新聞

 「橋脚や街燈は原型損なわない」という見出しに
「感傷も吹き飛ばすように工事が近づいてきた日本橋」「スマートになる完成予想図」というキャプションがついている。

 当時の読売にとっては、日本橋なんかは感傷にすぎなかったと。

 

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (11)

 「首都高速 記念切手」の画像検索結果

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (1)

 首都高開通の記念切手と風景印(特殊通信日附印)は、首都高が日本橋を覆いかぶさっているところを採用している。

 そういう風景を前向きに捉えている時代の雰囲気があったことは間違いないと思うのだ。(当時から反対していた人がいたのは前述のとおりだが。)


 発足当時の首都公団の構造コンセプトは、東京に全く新しい景観を造る意気込みでスマートな構造となるよう桁や橋脚はできるだけスレンダーに設計することであった。(中略)筆者も担当した赤坂見附の高架橋などはそれ以前の橋梁とは全くことなる景観を構成している。

 

「首都高速道路の誕生と発展に参画して」横浜国立大学名誉教授 池田尚治 「東海道新幹線と首都高 1964東京オリンピックに始まる50年の軌跡」土木学会発行  169頁

 

 

 


 特に、河川内にスレンダーな丸い橋脚と首都を象徴する立体マルチ交差の高架橋で形成される江戸橋JCTは、土木技術の醍醐味と神秘的で魅力的な流線型を醸し出している。

 

「半世紀の土木技術財産を活かした次世代への舵の方向性首」琉球大学准教授 下里哲弘 「東海道新幹線と首都高 1964東京オリンピックに始まる50年の軌跡」土木学会発行  156頁

 

 

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【参考】過去に書いた首都高関係の記事

 

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

 

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

 

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

 

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

 

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

 

首都高と河川利用と景観

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

 

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

 

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

 

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

 

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

 

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

 

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

 

昭和63年の首都高速道路計画

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

 

昭和37年の首都高速道路将来計画

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

 

昭和28年の首都高速道路計画

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

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2017年3月15日 (水)

大阪・中津高架下訴訟の判決は2017年3月30日(追記あり)

中津高架下 (1)

 「高架下建築のエルドラド」こと大阪中津の高架下では、耐震補強工事を実施するため、占用許可の更新を行わず退去を進めているところ、反対する者が大阪市を相手取り、「占用許可義務付け訴訟」を大阪地方裁判所にて提起していることは、以前ご説明したところである。

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3ea3.html

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-44fe.html

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その3)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-8111.html

 その判決が、もうすぐ出るようだ。

中津高架下行政訴訟 平成26年2月17日提訴

 国道176号線の中津から淀川に続く中津高架橋の高架下は、戦前から、約700mにわたり、倉庫、工場、商店、劇場、飲食店等に利用されてきた日本でも最大規模の高架下です。その歴史は古く、昭和10年頃、関市長時代の大阪市が、広大な高架下空間の有効活用のため、民間事業者を招致して、高架下の使用と管理を委ね(道路法上の占用許可)、それ以来、占用者らは、約80年にわたって、占用使用料を収め、占用利用を継続してきました。ところが、大阪市は、橋下市長が就任した直後の平成24年1月、中津高架橋の耐震補強等工事を名目として、高架下の占用者らを立ち退かせる方針を内部で決め、平成25年5月、占用者らに対し、一方的に、1年後の翌26年3月末までに退去するよう要求しました。

 しかし、建築・土木の技術が進化した今日、鉄道の運行への支障が殆どないまま、鉄道の耐震補強等工事が行われていることからも分かるように、中津高架下の占用利用を継続したまま、もしくは、短期間の明渡しにより、工事を進めることは可能ですし、一旦明渡をさせた後に再度の占用利用を認めることに何の問題もありません。しかし、大阪市は、占用の継続は、工事の支障となり、かつ、工事後はスペースが小さくなるので、再占用は認められないという説明を繰り返し、強引に立ち退きを迫りましたので、丸甲倉庫株式会社等の一部の占用者らが立ち上がり、平成26年2月、占用許可の不許可処分の取消を求める訴訟を提起しました。原告らは、約3年の審理を経て、大阪市の言い分に正当性がないことを明らかにし、29年3月30日に判決が予定されています。

緑風法律事務所ウェブサイトから引用

http://www.ryokufuu-law.com/%e7%a4%be%e4%bc%9a%e7%9a%84%e5%bd%b1%e9%9f%bf%e3%81%8c%e3%81%82%e3%82%8b%e5%a4%a7%e5%9e%8b%e8%a8%b4%e8%a8%9f%e3%81%ae%e7%b4%b9%e4%bb%8b/

中津高架下 (8)

 担当する弁護士の事務所では「大阪市の言い分に正当性がないことを明らかにし」とは書いてあるが、道路法の占用許可には道路管理者の裁量が認められていることや、そもそも義務付け訴訟という無理ゲーな訴訟であることから、大阪市が負けることはありえないとは思うが。

 3月30日に判決言い渡しというのも如何にも年度内に手持ちの件数を減らしたい裁判官の気持ちが表れているな。

 

 また「国道176号線中津高架下(昭和レトロ街)占用存続を求める会」のfacebookhttps://www.facebook.com/pg/%E5%9B%BD%E9%81%93%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%96%E5%8F%B7%E7%B7%9A%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E9%AB%98%E6%9E%B6%E4%B8%8B%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AD%E8%A1%97%E5%8D%A0%E7%94%A8%E5%AD%98%E7%B6%9A%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B%E4%BC%9A-469317439858388/posts/には、

国道176号中津高架下「建物収去土地明渡等請求事件」及び「道路占用更新許可処分の義務付等請求事件」の期日が、大阪地方裁判所で下記の日時において判決の予定です。

・「建物収去土地明渡等請求事件」・・・・・・・・・・3月7日(火)13時10分~

・「道路占用更新許可処分の義務付等請求事件」・・・・3月30日(木)13時10~

とある。

 いつのまにか「建物収去土地明渡等請求事件」という訴訟も起きているのだな。大阪市は道路管理権限を行使して行政処分で撤去できるのにわざわざ民事訴訟で争っているのだろうか?解せない。3月7日に既に判決言い渡しがなされているようだが、ぐぐっても出てこない。大阪市が勝訴しているとは思うが。

 

※訴訟に係る法律的な説明については、http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3ea3.htmlの下の方に書いてあるので関心のある方は読んでちょ。

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(追記)

判決関係の報道はこちら

http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170330/5016401.html

(魚拓)http://megalodon.jp/2017-0403-0129-04/www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170330/5016401.html

www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20170331-OYO1T50006.html

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170330-00000011-kantelev-l27

(魚拓)http://megalodon.jp/2017-0403-0131-42/https://headlines.yahoo.co.jp:443/hl?a=20170330-00000011-kantelev-l27

http://www.mbs.jp/news/kansai/20170330/00000069.shtml

(魚拓)http://megalodon.jp/2017-0403-0133-42/www.mbs.jp/news/kansai/20170330/00000069.shtml

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2016年11月 4日 (金)

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

 森口将之氏が「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由http://getnavi.jp/vehicles/80733/という一文をGetNaviwebという媒体で発表しているのがひっかかった。

 ざっくりまとめると「東京高速道路株式会社線(KK線)は、ビルの賃貸料収入で運営しているので無料だ。首都高も一部でも導入していれば高速料金が安くなったのに」ということらしい。

 どうも、ツッコミどころ満載である。

東京高速道路

■ 無料ならなんでもいいのか?

 森口将之氏はこう記す。

銀座でKK線の脇を歩いたことがある人なら、下に飲食店などが入っていることを知っているはず。実はこれらのお店からの賃貸料収入で運営しているのだ。KK線が部分開業したのは1959年で、首都高速より早いのだが、そうとは思えないほど先進的な思想にあふれた道なのである。

 東京高速道路のなりたちを全く知らないような素朴な書きぶりだ。

 では、私お得意の国会議事録から東京高速道路が建設された当時にどのような扱いになっていたかを紹介してみよう。

■ 東京高速道路(KK線)は自民党議員からも「利権道路」と呼ばれていた

○久野(忠治)委員 今日交通需要が限界に達しておることは衆目の見るところでございます。こうした点から一部経済人がこれに目をつけまして、御存じの通り新橋―京橋間に東京高速自動車道路の建設が計画をされ、目下この事業が進行中でございまするが、数年前に計画されたこの事業が今もって完成をしないのであります。しかも当建設委員会におきましては、この高速自動車道路の建設については多分な疑惑の目をもって見ておりまして、そうしてこの内容についても幾多の質疑が発せられました。そのとき――この問題には関係ありませんけれども、重要でありますから一つお尋ねをいたしたいと思うのであります。その際私が質問をいたしましたことはこういうことでありました。その下部の利用は一体何にするかという質問に対して、当時の東京都の副知事――名前はちょっと忘れましたが、副知事はこう答えました。倉庫もしくはガレージに利用する、こう言ったのであります。万一その利用目的が変った場合にはどういう処置をとるかという質問に対して、撤去を命ずる、こう言いました。それからもう一つ、この都市計画全体からいって、下水あるいは雨水の排水のための重要な都市水路であるから、これは残しておくべきではないかという意見もそのときに出たのであります。その質問に対しては、地下はいわゆる水路として残しておくように設計をされておる、万一それを埋め立て等にする場合があれば、これまた当初の設計に反するものであるから撤去を命ずるということを、現に当委員会で言明をされたのであります。それは当時の建設委員会の速記録をお調べになればよくわかることでございます。ところが今日でき上りましたものを拝見いたしますると、堂々たるキャバレーができたり、あるいは飲食店ができたり、事務所ができたり、倉庫というのは名ばかりで、今ガレージなどというのは名目的に一、二カ所あるだけでございます。それから私たちが指摘をいたしましたように、地下の水路はすでに埋め立てをいたしてしまいまして、そうしてこれを地下の倉庫に利用しようといたしております。そうして莫大な利権を握って、東京都の交通難を緩和するという美名に隠れて利権のちまたにこれがなろうとしていることは、衆目の見るところであります。

○西村委員長 それからこれは今日私風評で聞いておるのでありますが、設計変更の認可もないうちに高速自動車の私営のやつが行われている。しかもこれは世間では利権道路と言っているということ、そういうことからくる都の機構、あるいはその行政の運営に対しての疑惑というものも世間に伝えられている

 この久野委員も西村委員長も自民党である。野党が政府を追及しているわけではない。

 「テナント料で費用を賄っているので高速道路料金はタダ!民間の知恵だ!PFIの先駆けだ!」と持て囃されているKK線であるが、当時の国会では与野党こぞっての「利権」集中砲火であった。

 なお、今のコリドー街やGINZA9等を考えると上記で「倉庫、ガレージ」と議論しているのは違和感を感じるが、「もともと倉庫、ガレージにしか使わせない」という目的で許可を得ておきながら後で知らぬ間に飲食、店舗等に使わせることになっていたというのも世間から指弾された点である。

 こんなことは、国会議事録で検索すればすぐ分かる話だ。

 ちなみに、当時の新聞記事ではこんな扱いである。

疑惑の東京高速道路KK線 (1) 

1956(昭和31)年9月6日付読売新聞から引用

 東京高速道路は「利権の長城」と呼ばれていたと書いてある。

 書籍ではどのように扱われているかも見てみよう。

 とくに革新系の庁内誌「都政新報」社がつくったパンフレット「東京の七不思議-裏から見た都政」は、都内の一般書店でも販売されて都民の反響が大きく、安井都政の汚職批判はかなり都民に浸透した。

 この「七不思議」のうち、もっとも有名なのはすでにのべた数寄屋橋の下の濠を埋め立て、いま京橋から新橋へかけて高速道路が走っているが、この高速道路建設の名目でその下につくれらた(ママ)貸ビルの問題である。安井知事は、このためにできた「東京高速道路株式会社」なる民間会社に、この外濠の埋立権を与え、六千坪の土地に地上二階地下一階の貸ビルをつくって営業してもよいことにしてしまった。(一九五七年七月、フードセンター、数寄屋橋ショッピングセンターなど開業。)埋め立ての費用は都が負担し、この会社からとる地代は月坪四百円。当時この辺は坪当たり地価五万円といわれていたから、会社は店子から莫大な家賃や権利をとれるはずだ

東京都知事」日比野登著 41~42頁から引用

 都民の公共資産である外堀の埋め立て地を特定の企業が安価に都から手に入れて高額なテナント料を手に入れる・・・そのおこぼれとしての料金無料なのである。

 東京高速道路は、35年たてば東京都に寄付されるはずだったが、それを拒んだため東京都が東京高速道路を相手取り、訴訟を提起した。結果は第一審から最高裁まですべて都が勝訴。結果的に東京高速道路が都から買収する形で現在に至っている。このズブズブが森口将之氏のいうところの「先進的な思想にあふれた道」なのである。

疑惑の東京高速道路KK線 (2)

1988(昭和63)年6月22日付読売新聞から引用

 コンプライアンス的に言えば、東京高速道路株式会社は、超ブラック企業である。森口将之氏はブラックだろうが利権だろうがタダになれさえすれば「先進的」と言うのだろうか。なんとも貧しいおこぼれ頂戴根性であろうか。

 

■ 首都高速は一部でもKK線のような高架下建築を導入していないのだろうか?

 森口将之氏はこう記す。

なぜ首都高速はKK線のようなビジネススタイルを取り入れなかったのだろうか。一部でも導入していれば高いと言われる料金が少しは安くなったのではないだろうか。

 首都高速も高架下への建築は「一部」くらいは導入している。

 箱崎の東京シティエアターミナル(T-CAT)等がその例だ。首都高の高架下に道路法に基づく占用許可によって設置されており、道路側に占用料収入が入っているはずである。

TCATと首都高速道路

 また、数は少ないものの高架下に建物を首都高が作り、テナントを入れている。

IMG_8117

 赤羽橋のあたりを走っていると上記のような高架下建築が見える。

東京都の「平成15年度財政援助団体等監査報告書」には下記のとおり記されている。
http://www.kansa.metro.tokyo.jp/PDF/03zaien/15zaien/15zaien362.PDF

 本事業は、2号目黒線高架下において、移転困難な地権者に対し、昭和43年から公団が施設(事務所・店舗用、駐車施設等)を設置し賃貸しているものであり、平成14年度の総収益は6,208万余円で、前年度に比べ232万余円(3.6%)減少している。一方、総費用は4,576万余円で、311万余円(7.3%)増加したため、当期利益金は1,631万余円となり前年度と比較して543万余円(25.0%)減少している。

■ 首都高速は、実はやる気マンマンであった

 下記は、1959(昭和34)年に東京都が作成した「東京都市高速道路の建設について」という冊子からの引用である。首都高設立に向けての東京都のPR資料と思われる。

首都高速道路当初の高架下建築計画

 このように現在と異なり、首都高速は東京高速道路株式会社と同様に高架下建物の建設に積極的だったように見える。これが実際にはT-CATと「移転困難な地権者向け」等に縮小してしまった(もっとも駐車場や公園としての活用はされているが。)。

 なぜ、そうなったのだろうか?

 冒頭に引用した国会議事録は首都高速道路計画の審議の際の発言である。それだけ都市内高速道路の建設にあたっては、「利権道路」東京高速道路がトラウマになっており、「KK線の再現は許さない」空気があったのではないか。事実、首都高速道路公団法案の国会審議には何度となくKK線についての質疑がなされ、東京高速道路社長まで参考人で呼び出されている。

 また、タイミングの悪いことに、国鉄でも「ガード下疑惑」のようなものが持ち上がっていた。鉄道会館事件や京急デパート事件のように身内に便宜を図ったり、ガード下にテナントが入れるように便宜を図ることで国鉄職員が収賄で逮捕されるといった疑惑・汚職を招く一方、アメ横のガード下等は転貸に転貸を重ね、地主である国鉄も管理できないありさまであった。別の記事でも触れているが国会の場で当時の総裁が何度も陳謝している状況である。

国鉄ガード下汚職

1954(昭和29)年10月9日付朝日新聞から引用

(参考)「小林一郎著「ガード下」の誕生-鉄道と都市の近代史(祥伝社新書)が糞だった(その2)」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/--c177.html

 このように世間は「高架下(ガード下)利権許すまじ」の情勢があったのは間違いない。そこに運悪く首都高が巻き込まれて高架下の積極的な利活用に制限がかかってしまったのではないか

 そして、建設省は「高架道路の路面下の占用許可について」(昭和40年8月25日付け建設省道発第367号建設省道路局長通達。平成17年廃止)を発出し、道路の高架下利用を非常に限定的に行うこととした。鉄道のバラエティあふれる高架下の利用に対して、道路の高架下の利用が公園、駐車場等が主であり、商業用施設が極めて限定されてきたのはこの通達によるものである。

(この直前に、新幹線の高架下利用が問題となっており、その影響があったのかもしれない。)

新幹線ガード下不当利用

1964(昭和39)年5月4日付朝日新聞から引用

高架下利用は抑制

(「建設のうごき」No.109号11頁から引用。)

 直接的な証拠が見つけられておらず、個人的な感想にとどまるのであるが、「KK線が高架下の活用ができているのに首都高はできない」のではなくて、「KK線や国鉄がやりすぎたので、そのあおりをくらって首都高は大した高架下の活用ができなくなった」のではないかと思っている。

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 ところでKK線は役に立っているのだろうか?

 「山田天皇」と呼ばれた東京都元首都圏整備局長の山田正男氏は下記のように述べている。

疑惑の東京高速道路KK線

(「時の流れ・都市の流れ」24頁から引用)

 「1km余で取付道路がどちらも並木通りではどうにもならないが」「遅まきながら」後付けで首都高のネットワークに取り込んでやって解決したということだ。

 商業利用が期待できる箇所だけのおいしいところどりの1km余ではどうにもならなかったのを都が救済してやったということである。

 森口将之氏は何を書いている人なのか実はよく知らないのだが、交通機関やその社会的背景等を真面目に勉強してから、書いてみた方が宜しいのではないか?

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2016年9月28日 (水)

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(振り返り)

 最後に簡単に権利関係をまとめてみた。

(1)船場センタービル

船場センタービル 阪神高速道路 (7)

道路の権原 所有権
建物の権原 道路法の占用許可
土地所有者 大阪市、阪神高速(高速道路保有債務返済機構)

(2)朝日新聞社ビル

阪神高速道路と朝日新聞社ビル (8)

道路の権原 物権的なものは無い。前所有者である大阪市と朝日新聞社との売買条件
建物の権原 所有権
土地所有者 建物所有者

(3)梅田出口

阪神高速梅田出口立体道路 (2)

道路の権原 区分地上権(道路法の立体道路)
建物の権原 所有権
土地所有者 建物所有者

(4)OCAT(大阪シティエアターミナル)

OCATと阪神高速道路 (4)

道路の権原 所有権(共有)(道路法の立体道路)
建物の権原 所有権(共有)
土地所有者 道路側と建物側の共有

(5)りんくうタウン

りんくうタウン と高速道路 (5)

道路の権原 所有権(共有)(道路法の立体道路)
建物の権原 所有権(共有)
土地所有者 道路側と建物側の共有

(6)ホテルきららリゾート関空

阪神高速湾岸線泉大津PAとホテルきららリゾート関空 (13)

道路の権原 所有権(共有)(道路法の立体道路)
建物の権原 所有権(共有)
土地所有者 道路側と建物側の共有

<余談>

 今まで阪神高速道路と建物の権利関係をつらつらとみてきたところであるが、斯様に、「区分地上権」というのは例外的に使われているのである。

 ところで、TACという資格試験学校で宅建の講師が、土地の権原の講義の中で区分地上権の例として首都高を上げてきた。いや、区分地上権を使っていないとは言わないが、それは例外的なものであって、資格試験勉強用の例示としては不適切だと思うのだ。

 TACの講師なんてその程度だから目くじらたてる話ではないといえばそれまでなのだが、どうしても目くじらたてちゃう。

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阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(6)りんくうタウン

りんくうタウン と高速道路 (5)

佐藤 りんくうタウンの道路一体建物、これもちょっと教えていただきましょうか。

小川 これは船場センタービルと一緒のやり方ですね。

福元 当該地は例の埋め立て地でして、公法上は商業地というかっこうになっておりますが、先ほど申し上げましたように、平成2年12月12日に都市計画地区計画りんくうタウン北地区地区計画ということで立体道路制度を活用することになっております。
 道路一体建物はほとんどが商業業務ゾーンの中央部に位置しまして、その上にJRと南海電鉄の駅もできます。その横に高速道路等ができるわけですが、それにつきましても同じく1〜3階部分に道路と鉄道が一体整備されることになっています。
 りんくうタウンは空港機能をサポートする役割を担うとともに活気に満ちた都市活動を通して空港と地域と共存共栄をめざしていますので、道路については特に橋脚の位置に留意し建物の雰囲気を損なわないよう気をつけるとともに道路建物ともに機能を向上させるように配慮した設計になっています。

佐藤 さっきの船場センタービルの場合は道路の占用許可に基づくものですが、こちらは区分地上権か土地の共有ということで権利を持って屋上に交通ターミナルを造るということになるのですね。形態はよく似ていますが、権利関係は違うということになってくるんでしょうね。

小川 土地所有が違うんでしょうね。船場センタービルの場合は市なり阪神高速道路公団が持っている土地の上に建物を立てさせてやっていると。今度は逆ですよね、地権者が持っているところを通らせて頂くと、そういうことですね。 

佐藤 りんくうタウンの完成は...。

岡山 平成5年度くらいじゃないですかね、全部新空港関連で、いつになるか分かりません。(笑い)

 実際には、道路が区分地上権を取得し、立体道路制度を活用した道路一体建物として整備されている。

りんくうタウン と高速道路 (3)

 今となっては「りんくうタウン」は空地だらけで荒涼としており、わざわざ立体道路制度を利用して土地の高度利用を図る必要もないように感じてしまう。

関空バブル

 しかし、関西空港建設中の1990年頃は「関空バブル」絶頂で上記のように関西を代表する企業のビルが林立するはずだったのだ。

りんくうタウン と高速道路 (2)

 ゲートタワービルも高速道路と鉄道を挟んで南北両側に立つはずが北側だけになってしまった。

佐藤 ここに柱が見えますが、この柱で支えているんですか。この建物が仮りになくなっても耐え得る構造になっているのですね。

岡山 道路はビルみたいに軽いものが載っているのではなく、ものすごく重い車が通るから荷重には絶対強くしなければいけない、そのために縦の柱は非常に丈夫なものを造っておく。その柱を造るのは道路一体建物の場合でも道路管理者が負担する。柱は減法強く、そこに建物が林を張って一緒になっていると、こういう具合です。

加藤 これは建設省の方が書かれていますが、道路一体建物といっている意義は「道路を支持するものとしての道路と一体構造となっているものを言い、建物を取り壊してしまうと道路も壊れてしまうような建物」そういうものだけをいっているような感じですね。

岡山 そうそう、建物が壊れると道路が壊れる、そこで言う建物は縦の柱も全部とってしまうと道路も壊れる。だけど縦の柱はそれほど強くしないと道路は保たない。確かに建物ですから、いくら縦柱が太くても建物をのけると道路が駄目になるものが道路一体建物と、こういう表現になっているようですね。

加藤 そうすると道路一体建物というのは湊町の例だけですかね、あとは皆分離できるような気がするんですが、そうではないですか。

岡山 いや船場センタービルでも建物をのけると道路が落ちてしまう。というのは道路は所有権と上の道路だけ持っていて、真ん中は建物ですから、そういう物的にいうと建物をのけると道路が落ちてしまうということになっていますが、構造上道路は荷重がものすごく重いので、その荷重を持たそうとすると建物が柱になる、ものすごく太い柱を通す・・・。

佐藤 でもそれも建物の一部ですよね。

岡山 まさにそれが建物なんですよ。

小川 そこが複雑なとこなんですね。

佐藤 建物自体は道路の荷重に耐えうるような柱を入れているということになりますね。おさらいすると建物の側壁部分がつぶれてきたとしても柱部分さえ残しておけば崩れることはない。しかし、建物全体がつぶれたということになればこれを支えている部分もつぶれるわけですから、それは駄目よという話になるんでしょうかね。西梅田は道路の負荷がかかっていないですから、ブリッジで渡っているようなものですね。あれも道路一体建物になるんですかね。

岡山 あれは分離構造型です。

木内 道路のメンテナンスもビルのメンテナンスも協同でやることになるんですか。

岡山 それは実際難しい、どうするかね。その辺は管理協定で決めなさいと、こうなっている。どこまで協同でしていいものか、どうしていいのかよく分かりません。だから管理協定でしっかり決めていかなくてはならない。

木内 一体構築物なんでしょうが、太い柱に関しては共有しているんですね。

岡山 実際は道路側も建物の方にお金を払って、特に柱を丈夫にしてもらっているわけですね、だけど柱の一部をここだけは道路ですよというわけにはいきませんから、これは建物ですよと、こうなる。

加藤 所有権はどうなっているんですか。

岡山 所有権は建物です。だけど建物所有者はそんな太い柱はいらないから、道路はピアに相当する柱を丈夫にするためのお金は出しますよということです。

佐藤 建物に対して権利は特に何もないんですね。

岡山 何もありません。補強費だけを出している。

りんくうタウン と高速道路 (1)

改訂版 立体道路事例集」から引用

 (南海特急こうや号の車両が関空線を走ってるな。。。)

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阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(1)イントロ

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(2)船場センタービル

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(3)朝日新聞社ビル

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(4)梅田出口

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(5)OCAT(大阪シティエアターミナル)

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(6)りんくうタウン

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(番外編)ホテルきららリゾート関空

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阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(5)OCAT(大阪シティエアターミナル)

OCATと阪神高速道路 (4)

OCATと阪神高速道路 (5)

 よく見るとビルの入口に「ETC」のマークとアンテナが。

佐藤 次に湊町のプロジェクト、これはまだ未着手ですが、現場は見せていただきました。高速道路等が錯綜してますが、この場所にランプ、交通センタービルを造る予定をされているわけですね。このプロジェクトの構想、その他権利関係がいったいどうなるのかを説明いただけますか。

岡山 ここはJR関西本線終着駅の湊町駅で、面積は約17.5haあるんですが、17.5haのところを新都市拠点整備事業で、新都市拠点整備事業というのはヤードを整備していく時の事業らしいんですが、平成元年2月に大臣承認を取っております。その新都市拠点整備事業で阪神高速のオフランプと交通ターミナルセンタービルですか、それとを繋いで、2階部分にバスの駐車場、そしてシティエアターミナルにしたいということで、新空港ビルが難波にいるだろう、それが一番の基になっております。東京でいいますと箱崎ですね、箱崎によく似たものをあそこに造ろうという構想の基にやられているものです。
 高速道路のランプは堺線の下り方向で、現在の環状線の方から分岐してきまして、そのシティエアターミナルビルの2階部分に入って、そこからまたスロープで降りて平面街路に出る。2階部分はバスターミナルです

OCATと阪神高速道路 (10)

 再開発前の湊町地区。駅が関西本線のJRなんば駅(旧湊町駅)である。

OCATと阪神高速道路 (9)

佐藤 2階にバスターミナルと阪神高速道路も入るわけですか。

岡山 ビルは真四角で、この一番西端が阪神高速道路になっており、ここから2階部分はバスターミナルと、断面でいきますとランプが下がってくるわけですね。それで建物の2階と一緒の高さのところがありますね、ここでバスターミナルとジョイントしている。阪神高速道路はここからビルの中を降りていく、こういう構想なんです。

OCATと阪神高速道路 (11)

OCATと阪神高速道路 (2)

OCATと阪神高速道路 (1)

改訂版 立体道路事例集」から引用

 ピンク色の部分が、前頁で触れた道路の立体的区域、すなわち建物の中であっても道路法上の道路となる部分である。

佐藤 このビルで新空港の通関手続ができるんですか。

岡山 箱崎みたいにそこまでやるのか、どこまでやるのかは分からないんです。

佐藤 チェックインとか手荷物手続きとかフライトに関する情報提供など都市における空港の出先機関としての機能を始め云々とパンフレットに書いてありますよ。

小川 パンフレットからいけばそういうことをやる感じですね。

 チェックイン機能は結局できなかったはず。関空バブルを感じますな。箱崎も今やチェックイン機能は無くなってしまったことだし。。。

佐藤 これは阪神高速を経て湾岸線と結んでいるわけですか、湾岸には行かない...。

小葉竹 直接には行かないですね。

佐藤 でも新空港へはここから行けるんでしょう。

岡山 そこでバスに乗って、そのバスが平面道路を走って湾岸線に抜けるとか、堺線に抜けるとか、そういうことですね。

佐藤 阪神高速道路とこの湾岸線はこの近所では繋がらないのですか。

岡山 繋がらないんです。

佐藤 それでは一旦一般道路へ降りて、湾岸線に乗っていくとか...。

岡山 堺線を走るとか、そういうことですね。

OCATと阪神高速道路 (7)

 ビルの裏側(南側)にバスターミナルからのバスの出口(右側)と高速道路の出口(左側)が並んでいる。

加藤 箱崎シティターミナルと同じと考えてよろしいんでしょうか。

岡山 まああれによく似たものだと、同じではないですね。

加藤 あれが出来たのは道路法の改正前ですね。同じではないんですね。

岡山 そのパンフレットを見る限り、シティエアターミナルとまるっきり同じ機能を持たそうということですよね。箱崎の場合は乗ったらそのまま首都高速道路で行けますが、ここの場合は阪神高速道路でそのまま行けないので、一部区間平面を走るか、ここで乗り換えて鉄道を利用することになります。

TCATと首都高速道路

 首都高速の箱崎ジャンクションとTCAT(東京シティエアターミナル)は上記のような関係である。「道路法の改正前ですね」とあるように立体道路制度ではなく、船場センタービルと同様に道路法の占用許可を得て作られている。ではTCATの登記はどうなっているのだろうか。

 ところが、成田空港(新東京国際空港)のダウンタウンエアターミナルである箱崎の東京シティエアターミナルについては、首都高速道路6号線と主要な骨組みについて一体構造物として建設されたビルであり、柱等は道路の管理者(首都公団)の所有であるにもかかわらず、ビルの建物登記がなされている。

 箱崎シティエアターミナルの事例の詳細については、誌面の都合上省くが、要点のみを言えば、違いとして、箱崎シティエアターミナルはすべての柱を道路の橋脚と共有しているものではなく、独自の柱もあるということが一点。もう一点、成田空港開港が遅れたため、船場センタービル等と違って、建物を建ててからどっこいしょと道路をのせたのではなく、始めに道路ができて、その橋脚を利用して建物が作られたということである。つまり、国電のガード下建物のように、既にある柱、壁等を一部利用して建てられた形となっている。鉄道ガード下建物の登記は、大審院の判例によって昔から認められているところである。

 

「道路敷地の空間利用 -代表的事例の紹介と分析-」 道路セミナー86年5月号10頁 建設省道路局路政課長補佐 倉林 公夫

 あまり納得がいかない部分もあるが、箱崎はすんなり建物登記ができたようだ。

木内 現在 予定されている敷地の所有権者は、コンテナヤードの跡地ですからJR清算事業団ですか。

岡山 交通ターミナルのこの部分は大阪市が既に収得済みです。株式会社湊町開発センターになっていると思うんですが、それは大阪市の外郭団体で、ここを整備するために生まれた組織で、実際は大阪市が持っています。

佐藤 スロープも含まれてくるんですが、この区分地上権はどの範囲で、どの部分を持っているのですか

岡山 公団はまだ区分地上権を設定しておりません。

佐藤 でも設定するんでしょう。傾斜がついているんでしょうがどんな具合に

岡山 出来ます。区分地上権というのは上下の範囲を区切ったらいいんですね。上下の範囲ですから、真っ直ぐで区切らなければいけないので、階段型で区分地上権を設定していくのです。

佐藤 JRの湊町駅も区分地上権を所有するんですか。

岡山 JRさんはどうされるのか分かりません。

佐藤 でも大阪市にいったん売っているんですね。

岡山 そうです。売る時に駅が入りますよという条件付きで売っているのか、その辺は僕らにはよく分からないんです。

加藤 これは道路が建物と一体構造になっているものではないんですね

岡山 なっています

加藤 大阪へ来る新幹線の中で、「NBL(No.430)」の“道路法の一部を改正する法律の概要について”を読んで来たんですが、立体道路の場合二つのケースがあり、一つは道路と建築物が構造上分離しているケースと、道路と建築物がまさに一体的な構造となっている道路一体建物のケースの二つがある。区分地上権が権原となるのは分離のケースだけで、道路一体建物については不動産登記等の問題があり、道路側の権原は敷地の共有持分になることを付記しておくと、こう書いてあるんですね。これが実態だったら敷地については共有持分でやることになるのかなと考えたんですが、区分地上権ではなく、そういう意味合いでここに書かれているんですが。

佐藤 やはり区分地上権でやるんですか。

岡山 多分区分地上権でやることになると思います。だけど最終的に法務局とその辺調整した結果、共有持ち分にせいと言われたら共有持ち分にならざるを得ないでしょうけれども。

小川 そうですね、不動産登記法というのはそのへん硬直的なんですよね。定義に合わなければ出来ないというところがあるんですね。

木内 この湊町プロジェクトの場合は建物の所有者はどちらになるんですか。

岡山 湊町開発センターです。

佐藤 何年の建築予定ですか。

岡山 これは新空港関連で現在も建築していますが、新空港自体が延びているから何時になるか。平成5年か6年になるか、新空港ができた時には建物もできているでしょう。

木内 これができると新空港までどのくらい時間がかかるんですか。

小葉竹 40〜50分というところでしょうか。

木内 東京は確か1時間ぐらいでしたかね、箱崎から。

佐藤 ここから新空港まで40kmくらいあるのと違いますか。

小川 40kmぐらいですね。

木内 さっき西梅田でお訪ねしましたけれども、立体道路を造る場合は都市計画法とか都市再開発法の地域地区計画のようなスペシャルゾーニングによる都市再開発事業としてやられるんですか。

岡山 最低限高度地区にかかっていればいいんです西梅田の場合は高度地区です。湊町は再開発地区計画ですね、りんくうは地区計画。

福元 りんくうにつきましては平成2年12月に地区計画が降りていて、ただし湊町はまだ未定で、確認されたところでは再開発の方で指定されたということです。

木内 西梅田はどうですか。

岡山 高度地区です。朝日新聞社も高度地区です。

 道路部分は区分地上権で権原を設定したようだ。

佐藤 北と南にビルが二つできる予定とおっしゃいましたね。

岡山 交通ターミナルビルの南側ですね。

南がこれで、北の方は今のところはっきりとは決まってません。

佐藤 やはりビルにはなるんですか。

岡山 多分道路一体建物になるのではないでしょうか。

 「北の方」は、現在は「湊町リバープレイス」になっている。上記の地図を見ていただいてわかるように、建物をグルグルと高速道路のランプが取り巻く形となっており、見事な道路一体建物である。

湊町リバープレイスの建設地である湊町地区は,戦災復興土地区画整理事業の減歩により生じた都心の貴重な区画整理公園予定地だった。当公園予定地に昭和37年に阪神高速道路のランプが都市計画決定され,当初の計画通りに整備したのでは公園機能の確保,地域の活性化に繋がらないと懸念され,平成元年に創設された立体道路制度を活用しながら,道路一体建物を建設することにより問題解決を図った。

 

大阪市都市工学情報2次情報集 [論文情報] 「湊町リバープレイスの建設と運営」

湊町リバープレイスと阪神高速の立体道路 (1)

 リバープレイスと一体的になっている阪神高速道路の湊町出口

湊町リバープレイスと阪神高速の立体道路 (2)

 自動車専用道路のマークと「」の看板が。

湊町リバープレイスと阪神高速の立体道路 (7)

 東側には湊町入口が。

湊町リバープレイスと阪神高速の立体道路 (6)

湊町リバープレイスと阪神高速の立体道路 (3)

 建物には阪神高速のランプがぐるぐると取り巻いている。

湊町リバープレイスと阪神高速の立体道路 (8)

改訂版 立体道路事例集」から引用

 模型で上から見るとこんな感じ。

湊町リバープレイスと阪神高速の立体道路 (4)

 施工中の写真からは建物と道路の関係がよく分かる。

湊町リバープレイスと阪神高速の立体道路 (5)

 リバープレイスからOCAT方面を望む。ランプが入り組んでいてスバゲッティ状態だ。

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阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(1)イントロ

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(2)船場センタービル

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(3)朝日新聞社ビル

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(4)梅田出口

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(5)OCAT(大阪シティエアターミナル)

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(6)りんくうタウン

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(番外編)ホテルきららリゾート関空

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阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(4)梅田出口

阪神高速梅田出口立体道路 (1)

佐藤 今度は西梅田のビルなんですが、今の道路法改正後認可されたんですか。

岡山 そうです。

木内 そこはJRのコンテナ用地ですか、引き込み線跡地の西梅田再開発の・・・。

岡山 となりです。

木内 その再開発に関連してランプを作り替えたんじゃなかったですかね。それに関連してそういう問題が出てきたんじゃないかなと思ったんですが。

岡山 そういうことです。あそこは福島区になります。ビルの前の道路で北区と福島区に分れているんです。西梅田の再開発地区というのは10.6haあります。今日現場を見ていただいたときに毎日新聞社ビルがかなり出来ておりましたが、そのとなりはもともとオートガススタンドがあったんです。オートガススタンドとか自動車の整備工場とか、住宅とか社長さんの家とかそういうものがガチャガチャとありまして、そこに阪神高速のランプを架けると。どうしても阪神高速の高架下に建物を入れないことには移転ができないという事情があり、高速道路の下に建物を入れて下さいという補償を行ったんですが、高速道路の下に建物を入れるなら上までやりたいという話になりまして、ああいうビルになったというのが経緯です。
 あのビルはもともとランプで交通量が少ないということもあり、上にもってきても安全だろうということです。

佐藤 道路法がどのように改正されて、ビルを立てるのにどういう便益を得られるようになったかということをご説明して頂けますか。

福元 道路区域は上下全体をやっておりましたが、道路法の部分的な改正に伴い、47条の5なんですが、立体的に道路区域を設定できるということになりました。

佐藤 これは平成元年ですか。その道路法は、道路を立体的に造ってもいいということですが、基本的にビルの中を通ってもいいとか、上を通っていいとか、その辺の具体的なことはあるんですか。

福元 道路法で、四つの法律が一体的に改正されまして、道路法では道路の上下空間に建築物を一体的に整備するようにすると、これは道路法の改正です。道路の上下空間に建築物を一体的に整備することができる、これが一つ。それから都市計画法と都市再開発法ですね、こちらの方で道路整備と併せた良好な市街地形成を図るために地区計画及び再開発地区計画の拡充及び市街地再開発事業に関する措置、これが片一方。それから建築基準法の改正がございまして、道路と一体的に整備される建築物の道路内建築物の制限が立体道路制度でやられた四法の関係です。

佐藤 道路法、都市計画法と建築基準法ともう一法は・・・。

福元 道路法と、都市計画法と都市再開発法、それと建築基準法の、この四法が改正され、それによって道路区域を立体的に定めることができる。道路を立体的に定めると危ないことがございますね、上から物が落ちてくるとか。そういうことは道路保全立体区域ということで、窓はこうしなさいとか、それと道路一体建物に関する協定、道路管理者と建物所有者との間で協定を結ぶ。そういうことによって確保していく、こういうことです。

 福元氏が道路法第47条の5と述べているようになっているが、実際には第47条の7である。

 (道路の立体的区域の決定等)

第47条の7  道路管理者は、道路の存する地域の状況を勘案し、適正かつ合理的な土地利用の促進を図るため必要があると認めるときは、第18条第1項の規定により決定し又は変更する道路の区域を空間又は地下について上下の範囲を定めたもの(以下「立体的区域」という。)とすることができる。

立体道路制度2

立体道路制度

http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/ppp/kenkyu/pdf04/6.pdf

佐藤 では、この西梅田は具体的にどういう経過を経たのでしよう、阪神高速道路の下を使ったらどうですかという阪神高速道路公団の申し出に対して、下だけでなく上も使うよということで、ああいうビルになったということですかね。

岡山 そうですね。この法律ができる時期でしたので、どういう形の法律ができるかということはあらかた分かっており、建設省の指導もいただいて、ビルの中に建物を通すと、立体的区域でいくということです。あのビルは幅が11mから約14mですかね、それが幅、高さはTPの15.4から25.25と、これが区分地上権の設定範囲です。階数にすると5〜7階です。

佐藤 あのビルは全体で何階だったんですか。

岡山 全体で16階、ただこれは16階と勘定していいのか13階としたらいいのか難しいんです。道路が通っている部分は床がないので、登記法上の表示は地上13階になるんです。1階というのは床がないと駄目ですからね。高さは地上16階地下2階、ただしビルそのものは地上13階地下2階ということになります。

阪神高速梅田出口立体道路 (3)

入口の看板には16階建てと表示されているが、登記上は阪神高速道路分の5~7階は勘定に入れないこととなり13階建てということなんだそうだ。

佐藤 道路の両側に部屋があったんじゃないですか。

岡山 コアです。エレベーターとか階段とか、道路部分が事務所になっているんです。

阪神高速道路梅田出口の立体道路区域 (2)

改訂版 立体道路事例集」から引用

加藤 補償はどうなっているんですか。

岡山 あのビルは補償はしておりません。高架下にビルを入れるというシンプルな補償で考えております。 佐藤 区分地上権は取得されたのですか。

岡山 区分地上権は取得しております。

佐藤 今おっしゃった部分についての区分地上権の設定を、これは有償取得されたのですね。区分地上権の補償の考え万はあまり具体的には言えないかも知れませんが、どの様にされましたか。

岡山 立体道路関係の区分地上権というのは概ね25%〜33%くらいですかね、その辺が大体オーダー数字ですね。

佐藤 更地価格のでしょうね。これを区分地上権の補償費として地主に払ったということですね。

岡山 建設省の方で、立体道路制度が出たときにどう補償金を払うかを研究しまして、それは通達で出ているんですが、大体譲渡所得と不動産所得ですか、あの線引きは25%になっていますね。あれよりはちょっと上と、だからこれは対価補償にあたると、ただし率はいろいろあって難しいけれども、確かに対価補償だと、それなら25%よりちょっと上だと、まあ30%くらいかなと、税金なんかも考え併せて。立体利用阻害率を考えてそういうものから区分地上権は3分の1とか3割とか、それが一応の目安みたいですね。

佐藤 あの建物は容積一杯に立っているんですかね。

岡山 容積は一杯です。

佐藤 その区分地上権部分は容積に入っていないんですよね。

岡山 入っていません。

佐藤 そうするとドテッ腹を突きやぶられて若干不倫快ではあるが、容積は100%使えて補償額として3分の1ほどもらっていることになりますね。道路が真ん中を通っている弊害としては、騒音とか振動があるかも知れませんが。

岡山 ビルに荷はかかっていないから振動はないです。両方とも独立しているんです。

佐藤 少なくとも不快感はあるわけだけれども、経済ベースでいうと約3分の1程度の補償額をもらって容積満配のビルを立てることができるというのは得ですかね。まあ建築費が高くついたのかな。

岡山 建築費がものすごく高い。道路と一体となった建物というのは僕らもよく分からないんですが、うまく利用すると非常にメリットがある。あのビルも最初は四角いビルを考えていたらしいんですが、四角いビルではコア部分が作れない。丸型ビルであれより大きくしてもコアが増えるだけで事務所は増えないということです。だから道路と建物を合体させるのは敷地の位置形状、ビルの利用等が複雑に絡みあい、どちらがいいのかは非常に難しいと思います。

佐藤 さっき建物と一体になった支柱の話しをされてましたが、これは建物に全然荷がかかっていないんですね。」言い換えると建物の真ん中に大きな穴を開けておいて、高速道路を通しているということですね。

岡山 そうです。

阪神高速道路梅田出口の立体道路区域 (1)

改訂版 立体道路事例集」から引用

梅田の阪神高速立体道路 (1)

「これは建物に全然荷がかかっていないんですね。」言い換えると建物の真ん中に大きな穴を開けておいて、高速道路を通しているということですね。」という状況がよく分かる。

 以前「阪神高速道路 梅田出口:ゲートタワービルの立体道路について」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-2128.html

という記事も書いているのであわせてご覧いただければ幸いである。

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阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(1)イントロ

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(2)船場センタービル

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(3)朝日新聞社ビル

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(4)梅田出口

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(5)OCAT(大阪シティエアターミナル)

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(6)りんくうタウン

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(番外編)ホテルきららリゾート関空

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阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(3)朝日新聞社ビル

阪神高速道路と朝日新聞社ビル (8)

佐藤 後でまた全体についてお聞きしますが、さっき見てきました朝日ビルに話を移したいと思います。これは朝日新聞社の社屋の4〜5階部分の一部を高速道路が通過しているわけですが、どういう経過でこういうことになったのでしょうか。

小葉竹 阪神高速道路の供用の最初の頃でして、当時は出入橋〜湊町間の部分供用の時期で昭和39年11月ですね。立地条件の制約があり、朝日新聞社ビルの敷地をうまく使わせてもらわないと道路の線形を描くことができなかったという事情がございました。昭和39年でしたから道路法は道路の路下の占用すらも、当時は高架下の利用も街並みの全体の景観を保持する趣旨から非常に厳しく制限されており、当然上空部についても使用制限されていました。そういった中で実際に線型ルートがその敷地を通らないと都市計画できないという事情があり、地権者にも協力いただいて、一体構造で出来上がったということです。

佐藤 高速道路を通そうと思って、その予定地で買収がうまくいかないという場合、収用によって収得するといった方法もあるわけですが、本件は地権者との妥協の産物ということになるのですか。

小葉竹 うまく協力が得られたということです。私どもの高速道路に対してもご理解いただかないとうまくいきませんので、そういった産物であると言っていいんじゃないでしょうか。

小川 法的には区分地上権が設定されているんですか。土地は朝日新聞社のものですか。

岡山 この土地はもともと大阪市の所有地で、朝日新聞社が狭いからビルを立てたいと、その土地を売って下さいと大阪市に、言ったわけです。大阪市も利用計画がない土地なので朝日さんに売ります、ただし先程小葉竹課長が言いましたようにそこは阪神高速のルートを入れなければ駄目だという事情があり、ビルを立てるときに高速道路を入れるのが条件だと、そういう条件付きの土地を朝日新聞社が買ったその条件によって朝日新聞社は道路部分を空け、うちは無償で通ったということなんです。

木内 そのときにはもう都市計画決定はされていたんですか。

岡山 都市計画決定まではいってないんですが、基本計画の指示というものがあり、建設省の方でここにルートを造りますよと、最初に阪神高速の道路網をこうやりますよと、こういうものがあるわけですね。都市計画決定があり、建設省から基本計画の指示を受け阪神高速道路になっていくんですが、そこまではいっていなかったんだと思います。

佐藤 朝日新聞社と阪神高速の権利関係はどうなっているんですか。高速の方は区分地上権ですか。

岡山 何もないんです

小川 払い下げの条件として4〜5階部分の使用は制限されますよという条件付きで売られているんですね

佐藤 登記上何もない

岡山 ないんです。

小川 当然払い下げ価格もその部分が使えないということを考慮された上で出されているわけですね。

岡山 そういうことです。

加藤 その分が安くなっているんですね。

小川 完全な所有権ではないということですね。

佐藤 朝日新聞社の土地は登記簿で見ると完全な所有権を所有しているように見えることになるわけですね。契約書はあるんですか。

岡山 大阪市と朝日新聞の契約に基づいて阪神高速がそこに入っているということです。阪神高速が入るにあたり柱の補強を行い、補強費はうちから出したということです。

 通常、何らかの物を土地に設置する際には所有権が基本で、そうでなくとも区分地上権なり借地権なりの物権的な権利を土地に設定して登記するのであるが、ここではそのような権利設定はなく、阪神高速が通る前に、大阪市と朝日新聞社が土地の売買をする際に付した条件という債権のみに依って阪神高速が無償使用しているという珍しい事例である。第三者への対抗力を有しないことになる。

阪神高速道路と朝日新聞社ビル (9)

佐藤 あの道路もビルには荷がかかっていないのですか。

岡山 補強した柱に荷がかかっています。

佐藤 それはビルの中に柱が入っているわけですか

岡山 そういうことです。ふつう柱は何センチか知りませんが、それをうんと太くして、これが高速道路を支えているんです

阪神高速道路と朝日新聞社ビル (7)

 また、船場センタービルでは、道路法の占用許可をしているが、朝日新聞社ビルは占用許可をしていないというのである。

佐藤 ビルの一角にもなっているということですか。これは権利関係で問題はないんですかね、公的なものだからいいようなものの。

岡山 いや、建物ができますと、道路の上を使うにしても下を使うにしても建物は占用しかないんですね。道路の供用時に、占用許可申請を出しなさいと朝日新聞社に言いにいったんです。「阿呆か!」と怒られましてね、(笑い)「おまえのところに使わせてやってんのに占用許可申請を出せとは何ごとか」とこっびどく叱られ、そのままになっています。占用許可も何もなし、うちの権利が分からんのに相手に占用許可を出せとは言えません。

佐藤 道路用地そのものには賃料も買収費も何もかけていないということですか。

岡山 何もかけておりません。

小川 所有形態として、もともと朝日新聞社が持っておられた土地へ高速道路を貫くというのであれば区分地上権の対価が当然必要になってくるんでしょうがね。

佐藤 だけど大阪市はその分を負担したことになりますかね。大阪市は朝日新聞社と、阪神高速道路を前提として、その部分を除いたところを利用するなら売ってやるといったときに値は安くなっているわけでしょうね。その部分は結局大阪市が自分の所有地を通さすために若干犠牲を払って、値段を安くして、利用制限のある土地を朝日新聞に譲ったことになり、おかげで阪神高速はただで通れることができたと、言うことになりますね。

岡山 その通りですが、あそこに取付けるカープ、Sカーブといいまして、あの工事がものすごく難しいんですよ。朝日新聞社のビルが立っており空間がありますね。そこに道路をスポッと入れなければならない。しかも道路が斜めにカーブしているので、Sにしないと取付かない。用地費はかかっておりませんが、工事費の方がだいぶかかっております。

阪神高速道路と朝日新聞社ビル (1)

 Sカーブ

阪神高速道路と朝日新聞社ビル (2)

佐藤 道路の下は何階あるんですか。地上3階ですか。

小葉竹 道路はビル本体の西側ビルの4〜5階を通っています。

佐藤 そうするとその下に3階部分があるんですね。4〜5階の部分が体育館ですか。

岡山 ビル自身は地上9階の地下5階です。

佐藤 ビルの本体が高いんですね。

阪神高速道路と朝日新聞社ビル (10)

改訂版 立体道路事例集」から引用

 朝日新聞社ビルの改築に伴い、道路の上にあった「体育館」は撤去されたようだ。

阪神高速道路と朝日新聞社ビル (4)

阪神高速道路と朝日新聞社ビル (5)

 ↑体育館撤去前

 ↓体育館撤去後

阪神高速と朝日新聞社ビル

(参考)

https://www.facebook.com/yoshikazu.takahashi.526/posts/589016181220715

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阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(1)イントロ

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(2)船場センタービル

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(3)朝日新聞社ビル

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(4)梅田出口

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(5)OCAT(大阪シティエアターミナル)

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(6)りんくうタウン

阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(番外編)ホテルきららリゾート関空

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