カテゴリー「建築」の70件の記事

2018年2月11日 (日)

浅草十二階 凌雲閣の赤レンガ遺構(とみられるもの)を見てきた

 明治から大正期にかけての日本で最も高い建築物で、関東大震災で半壊し解体された「凌雲閣(りょううんかく)」の基礎部分とみられるれんがと、八角形のコンクリートの土台の一部が、東京都台東区浅草二のビル工事現場で掘り起こされた。「話には聞いていたが、初めて見た」と街の話題になっており、工事の柵越しにスマートフォンで撮影する人もいる。

 

東京新聞 2018年2月10日 朝刊

浅草12階 凌雲閣 (19)

 開業を伝える1890(明治23)年11月9日付朝日新聞掲載の広告

 早速私も行ってきて写真をTwitterにあげたところ沢山のリアクションをいただいた。

 なんで調子にのって早速ブログにUPしてみる。

 場所は、浅草花やしきの西側、ひさご通り商店街の「すき焼き米久本店」さんのところの角を西に入ったところ。幸信ビル(1階はラーメン屋さん)の交差点の南東側角。

浅草12階 凌雲閣 (16)

http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002978781_o.html

東京市全圖 : 早見」1922(大正11)年・刊 国際日本文化研究センター・所蔵

浅草12階 凌雲閣 (17)

http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/004922845_o.html

東京市淺草區全圖 : 明治四十年一月調査」1907(明治40)年・刊 国際日本文化研究センター・所蔵

※上2つの国際日本文化研究センター所蔵の地図は右が北側。

浅草12階 凌雲閣 (6)

 ここが当該現場。写真を撮っている同好の士がいらっしゃる。

浅草12階 凌雲閣 (2)

 肉眼だと工事のフェンス越しとなってしまうので、カメラをフェンスの上からかざす形でみんな撮影している。

浅草12階 凌雲閣 (8)

 フェンスの上からだとこんな感じ。東京新聞の記事だと「基礎部分とみられるれんがと、八角形のコンクリートの土台の一部」とのことである。

浅草12階 凌雲閣 (12)

浅草12階 凌雲閣 (10)

浅草12階 凌雲閣 (11)

浅草12階 凌雲閣 (18)

 京都大学 デジタルアーカイブシステムhttp://das.rra.museum.kyoto-u.ac.jp/infolib/supsearch/defaultの「京都帝国大学工学部建築学教室35mmフィルム : 実写 関東地方大震災」の10分50秒過ぎに写った凌雲閣のレンガの壁と比べてどんなものだろうか?

浅草12階 凌雲閣 (13)

 この管は当時のものかな?違うかな?

浅草12階 凌雲閣 (4)

浅草12階 凌雲閣 (5)

 煉瓦のことはよく分からないので、お詳しい方でお気づきの点があればコメント欄にでも記入いただければ幸いです。

浅草12階 凌雲閣 (14)

浅草12階 凌雲閣 (15)

 ぼんやりしてよく分からないのだけれども、東京スカイツリーとも一緒に収めてみた。

浅草12階 凌雲閣 (1)

 南側のパチンコ屋さん(サンシャイン浅草店)の前に「浅草凌雲閣 記念碑」がある。

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(追記)

 新聞記事にも「「凌雲閣」の基礎部分とみられる」とあるように、断定するのは尚早ではないかとご指摘するツイートがあったので引用させていただく。(あわせて題名も修正した。)

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(追記その2)

 過去にも近くで発見されているようだ。そういう意味では、今回の発見は「世紀の大発見」というわけではなさそうだ。

浅草12階 凌雲閣 (20)

浅草12階 凌雲閣 (21)

1981(昭和56)年7月21日付読売新聞

 このときの発掘記録が「浅草六区 : 興行と街の移り変り 」台東区教育委員会 編 に掲載されている。

浅草12階 凌雲閣 (22)

浅草12階 凌雲閣 (24)

 また、「震災予防調査会報告. 第97号甲」には、凌雲閣の図面が掲載されている。

浅草12階 凌雲閣 (25)

 この辺を重ね合わせていくとこんな感じか。

浅草12階 凌雲閣 (23)

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※余談 杉並区南阿佐ケ谷駅付近に「阿佐ケ谷凌雲閣マンション」がある。

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2018年2月10日 (土)

TOKYO LITTLE HOUSE

TOKYO LITTLE HOUSE とは

東京・赤坂で築70年の民家を改修するプロジェクトです。

東京の喧騒の真ん中にあって、三世代にわたって家族の暮らしの場所として残されてきた赤坂の家。焦土の暗闇からネオンの光まで、文字通り歴史の明暗を見守ってきた家の記憶を、現在に開こうとするプロジェクトです。

https://www.facebook.com/TokyoLittleHouse/から引用

昨年12月にオープンした2階の宿泊施設に加え、いよいよ明後日より1階のカフェがオープンします。そこで、2/9(金)、10(土)、11(日)の3日間、約半年にも及んだ改修工事の完成を記念し、2階の内覧会を開催します!

カフェは東京のルーツをテーマにした小さな展示とライブラリーを併設、かつてこの都市に生きた人々が目にした風景をおさめた貴重書なども手にとってご覧いただくことができます。

そして最初の企画展は、第二次世界大戦後・占領期の東京や、米国立公文書館に収蔵されている写真の調査・研究を行ってきた佐藤洋一氏をキュレーターに招き、佐藤氏が近年進めている「東京零年」プロジェクトより、米軍によって撮影された敗戦直後の東京を題材とした写真の展示を行います。

コーヒーやビール、ソフトドリンク、焼き菓子を販売します。お時間のある方、ぜひこの機会に赤坂にお越しいただき、全館まるごとお楽しみください。

ということで、図々しく初日2月9日にお邪魔してきました。

tokyo little house (5)

tokyo little house (3)

tokyo little house (2)

 コーヒーやビールをいただけます。私はビールを。。。

tokyo little house (1)

 「東京零年」プロジェクトの写真の展示の様子です。

tokyo little house (17)

 本を展示している後ろの緑色の板は2階の雨戸だったとか。こんな感じで元の家の部材を活用しています。

tokyo little house (16)

 元の家の図面。

tokyo little house (4)

 2階の宿泊施設も見せていただきました。

tokyo little house (8)

tokyo little house (6)

tokyo little house (11)

tokyo little house (9)

tokyo little house (13)

 外交官ナンバーのBMWが停まっている赤坂の夜の風景と古民家のギャップが。。。

tokyo little house (10)

tokyo little house (14)

tokyo little house (7)

tokyo little house (12)

tokyo little house (15)

 階段を下りるのはちょっと怖い。

http://www.littlehouse.tokyo/

https://www.airbnb.jp/rooms/22035987

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2018年1月27日 (土)

首都高速の工事中に首相官邸から東条英機が作った防空壕が出てきた

 今回は秋庭大先生ぽい「帝都の地下」ネタである。それも大先生の大好きな「首相官邸の地下」である。

 まあ、題名のとおりでそれ以上でもそれ以下でもないのだが。

 首都高速道路公団の広報誌「首都高速」のバックナンバーを見ていたら「秘密のヴェールをぬいだ防空ごう」の題字が飛び込んできた。

場所は

である。

 首相官邸の南側が擁壁となってその下を首都高速道路都心環状線が走っている。ここを切り開く際に防空壕が発掘されたというのだ。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (2)

 この記事のキャプションを転記してみる。

  都心と渋谷を結ぶ高速3号線(延長6.30キロメートル)の建設工事は、その1部をオリンピックまでに完成するためいま急ピッチで工事を進めていますが、3月25日午後、永田町の首相官邸裏の工事現場にぽっかりと大穴があいた。

---縦1.8メートル、横2.26メートル、厚さ0.5メートルで固められた防空ごうはがんじょうそのもの。昭和17年に東条英機首相が空襲したの閣議用に建築した防空ごうあとだということ。

---官邸の食堂わきにある入口かららせん状の階段を下りて地下20メートルのところに閣議室(40平方メートル)が中央廊下をはさんで3室づつ6室、浄化装置、自家発電装置も完備されている。250キロ爆弾の直撃でも大丈夫だそうだが、これをこわすのがひと仕事。「東条さんも大変なものを残してくれたものです」と作業員はぼやいていた。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (3)

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (4)

 

 同じく首都高速道路公団の「首都高速」No47(1965年6月15日発行)において、公団の担当者が当時の工事を振り返っているのだがそこでも首相官邸の防空壕について触れられている。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (1)

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 同様の戦争遺構は他でも発見されている。皇居の北の丸を横断する箇所でも防空壕が工事の支障となっていた。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (5)

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 それなら参謀本部があった三宅坂インターチェンジ(ジャンクション)はもっとどでかいものが出てきそうである。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (6)

 しかしながら「首都高速」の別の号によると「図面が消失してしまい地下の埋設管が分からなかった」とだけある。地下に何が埋まっているかわからないまま東京オリンピック開催に間に合わせるためにあの巨大な地下ジャンクション工事を発注していたということだ。(なおこういう場合にありがちなことだが、用地買収もしていないうちに発注している。)

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(参考)

山田正男「宮城外苑地下道計画案に就いて」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-6c82.html

 以前の記事では、戦前の皇居前広場にいざというときには地下防空壕になる地下自動車道の計画があったことにも触れているのであわせてご覧いただければ幸甚である。

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(追記)

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2017年4月 9日 (日)

力道山が経営していた赤坂リキマンションの分譲パンフレット

赤坂リキマンション(力道山) (1)

 赤坂にリキマンションというマンションがある。言わずと知れたプロレスラー力道山が実業家として経営していた(竣工は没後)マンションである。

 ここを分譲するときに作成したと思われるパンフレットを早稲田大学が所蔵していたので、ご紹介したい。

赤坂リキマンション(力道山) (2)

 現在もマンションの屋上に描かれている「R」は当然「力道山」の「R」であろう。

赤坂リキマンション(力道山) (3)

赤坂リキマンション(力道山) (4)

 開発は、力道山と大和土地建物の共同事業ということだ。

赤坂リキマンション(力道山) (5)

 イメージパースでは屋上に「R」の文字は描かれていないのだな。

赤坂リキマンション(力道山) (6)

赤坂リキマンション(力道山) (7)

 都電が走っている。また「クラブリキ」という文字が見える。力道山が経営していたナイトクラブのようだ。クラブリキについては、このブログに詳しい。http://blog.goo.ne.jp/59ra9do/e/13bbdfe1c8c29ea10f5c0acf238cf5aa

赤坂リキマンション(力道山)リキアパート (8)

 隣接していたリキアパートは、現在は別のマンションになっているようだ。下記の「今昔マップ」では、プールが写った航空写真を見ることができる。

赤坂リキマンション(力道山) (9)

赤坂リキマンション(力道山) (10)

 玄関ホール

赤坂リキマンション(力道山) (11)

 ロビー

赤坂リキマンション(力道山) (12)

赤坂リキマンション(力道山) (13)

 エレベーターは三菱製だそうだ。

赤坂リキマンション(力道山) (14)

 間取りである。49坪とは大変広いものだ。高級マンションだったことがうかがえる。

赤坂リキマンション(力道山) (15)

赤坂リキマンション(力道山) (16)

赤坂リキマンション(力道山) (17)

赤坂リキマンション(力道山) (18)

赤坂リキマンション(力道山) (19)

赤坂リキマンション(力道山) (20)

赤坂リキマンション(力道山) (21)

赤坂リキマンション(力道山) (22)

 居間。ピンボケですまんの。

赤坂リキマンション(力道山) (23)

 和室。同じくピンボケ。鮮明なやつが必要な方は早大に申請すれば撮れますのでどうぞ。

赤坂リキマンション(力道山) (24)

 ページごとに色違いの「R」が描かれている。

赤坂リキマンション(力道山) (25)

 台所、食堂

赤坂リキマンション(力道山) (26)

 玄関、バルコニー、浴室、洗面所

赤坂リキマンション(力道山) (27)

赤坂リキマンション(力道山) (28)

 建築概要 施工は佐藤秀工務店(現・株式会社佐藤秀)

赤坂リキマンション(力道山) (29)

 部屋割り

赤坂リキマンション(力道山) (31)

赤坂リキマンション(力道山) (30)

赤坂リキマンション(力道山) (32)

 お値段。昭和37年当時の1500万円はどれくらいの価値があったのだろうか。お分かりの方はご教示ください。

 

 現在の様子は、不動産物件サイトに載っているので下記をご参照あれ。

http://www.tomo-real.co.jp/es/building/889f3c6c-e51a-431c-aed7-f0b6dec0a41b

https://www.ma-minatoku-chintai.com/rent_view/29933

http://zero-revo.com/archives/205667

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2017年3月15日 (水)

大阪・中津高架下訴訟の判決は2017年3月30日(追記あり)

中津高架下 (1)

 「高架下建築のエルドラド」こと大阪中津の高架下では、耐震補強工事を実施するため、占用許可の更新を行わず退去を進めているところ、反対する者が大阪市を相手取り、「占用許可義務付け訴訟」を大阪地方裁判所にて提起していることは、以前ご説明したところである。

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3ea3.html

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-44fe.html

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その3)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-8111.html

 その判決が、もうすぐ出るようだ。

中津高架下行政訴訟 平成26年2月17日提訴

 国道176号線の中津から淀川に続く中津高架橋の高架下は、戦前から、約700mにわたり、倉庫、工場、商店、劇場、飲食店等に利用されてきた日本でも最大規模の高架下です。その歴史は古く、昭和10年頃、関市長時代の大阪市が、広大な高架下空間の有効活用のため、民間事業者を招致して、高架下の使用と管理を委ね(道路法上の占用許可)、それ以来、占用者らは、約80年にわたって、占用使用料を収め、占用利用を継続してきました。ところが、大阪市は、橋下市長が就任した直後の平成24年1月、中津高架橋の耐震補強等工事を名目として、高架下の占用者らを立ち退かせる方針を内部で決め、平成25年5月、占用者らに対し、一方的に、1年後の翌26年3月末までに退去するよう要求しました。

 しかし、建築・土木の技術が進化した今日、鉄道の運行への支障が殆どないまま、鉄道の耐震補強等工事が行われていることからも分かるように、中津高架下の占用利用を継続したまま、もしくは、短期間の明渡しにより、工事を進めることは可能ですし、一旦明渡をさせた後に再度の占用利用を認めることに何の問題もありません。しかし、大阪市は、占用の継続は、工事の支障となり、かつ、工事後はスペースが小さくなるので、再占用は認められないという説明を繰り返し、強引に立ち退きを迫りましたので、丸甲倉庫株式会社等の一部の占用者らが立ち上がり、平成26年2月、占用許可の不許可処分の取消を求める訴訟を提起しました。原告らは、約3年の審理を経て、大阪市の言い分に正当性がないことを明らかにし、29年3月30日に判決が予定されています。

緑風法律事務所ウェブサイトから引用

http://www.ryokufuu-law.com/%e7%a4%be%e4%bc%9a%e7%9a%84%e5%bd%b1%e9%9f%bf%e3%81%8c%e3%81%82%e3%82%8b%e5%a4%a7%e5%9e%8b%e8%a8%b4%e8%a8%9f%e3%81%ae%e7%b4%b9%e4%bb%8b/

中津高架下 (8)

 担当する弁護士の事務所では「大阪市の言い分に正当性がないことを明らかにし」とは書いてあるが、道路法の占用許可には道路管理者の裁量が認められていることや、そもそも義務付け訴訟という無理ゲーな訴訟であることから、大阪市が負けることはありえないとは思うが。

 3月30日に判決言い渡しというのも如何にも年度内に手持ちの件数を減らしたい裁判官の気持ちが表れているな。

 

 また「国道176号線中津高架下(昭和レトロ街)占用存続を求める会」のfacebookhttps://www.facebook.com/pg/%E5%9B%BD%E9%81%93%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%96%E5%8F%B7%E7%B7%9A%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E9%AB%98%E6%9E%B6%E4%B8%8B%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AD%E8%A1%97%E5%8D%A0%E7%94%A8%E5%AD%98%E7%B6%9A%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B%E4%BC%9A-469317439858388/posts/には、

国道176号中津高架下「建物収去土地明渡等請求事件」及び「道路占用更新許可処分の義務付等請求事件」の期日が、大阪地方裁判所で下記の日時において判決の予定です。

・「建物収去土地明渡等請求事件」・・・・・・・・・・3月7日(火)13時10分~

・「道路占用更新許可処分の義務付等請求事件」・・・・3月30日(木)13時10~

とある。

 いつのまにか「建物収去土地明渡等請求事件」という訴訟も起きているのだな。大阪市は道路管理権限を行使して行政処分で撤去できるのにわざわざ民事訴訟で争っているのだろうか?解せない。3月7日に既に判決言い渡しがなされているようだが、ぐぐっても出てこない。大阪市が勝訴しているとは思うが。

 

※訴訟に係る法律的な説明については、http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3ea3.htmlの下の方に書いてあるので関心のある方は読んでちょ。

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(追記)

判決関係の報道はこちら

http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170330/5016401.html

(魚拓)http://megalodon.jp/2017-0403-0129-04/www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170330/5016401.html

www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20170331-OYO1T50006.html

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170330-00000011-kantelev-l27

(魚拓)http://megalodon.jp/2017-0403-0131-42/https://headlines.yahoo.co.jp:443/hl?a=20170330-00000011-kantelev-l27

http://www.mbs.jp/news/kansai/20170330/00000069.shtml

(魚拓)http://megalodon.jp/2017-0403-0133-42/www.mbs.jp/news/kansai/20170330/00000069.shtml

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2017年1月13日 (金)

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?

麻生太郎財務相、北陸新幹線のダイヤ改善に「新宿から引くとか」

 

 麻生氏は「確か北陸新幹線は1時間に2本しか通っていない。簡単な理由で東京-大宮間が混雑しているから」と問題点を指摘。その上で、「東京に関してはいっぱいなんだから、新宿から(大宮を結ぶ路線を)引くとかさ。そういったものも入れて計算しないと(いけない)。元の元が詰まっているのだから」と持論を展開した。

 

2016(平成28)年12月13日付産経ニュース http://www.sankei.com/economy/news/161213/ecn1612130015-n1.html から引用

というニュースが流れた際に「新宿駅は何十年と北陸新幹線用に空けてきたスペースを遂に諦めてバスタ新宿作っちゃったんじゃないのか?」なんて書き込みが見られたそうだ。

 言い出しっぺは俺だが。

「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 上記の記事でも紹介したのだが、バスタ新宿を施工した大林組のウェブサイト『「新宿駅南口地区基盤整備事業」と「新宿駅新南口ビル(仮称)新築工事」の施工エリア断面図』と題した工事のイラスト等からすると、上越新幹線新宿駅ホーム予定地を工事でいじっているようなのである。

 

 その際は、詳細な図面ではないので、多分ダメっぽいけど。。。くらいの気持ちであったが、今般詳細な図面を入手したのでご紹介したい。

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 まず、前提条件として、上越新幹線新宿駅のホームの位置を確定しなければならない。

 「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlで紹介した「新宿駅将来計画」国鉄東京第三工事局調査課補佐・石倉勝美・著 掲載の平面図。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 そして「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」市川政治・中山秀雄・著 社団法人鉄道建築協会・刊 掲載の断面図。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (17)

 以上が、貨物駅跡地を含めて全て国鉄の手で開発しようとしていた1975(昭和50)年前後の構想図面である。

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 「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.htmlで紹介した「新宿駅貨物敷活用基本構想」

上越・北陸新幹線新宿駅地下ホーム

上越新幹線新宿駅位置図

 以上が、貨物駅跡地を売却する前提で整理した1985(昭和60)年の構想図面である。

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 いずれの図面を見ても、「現・埼京線・湘南新宿ラインホーム下の地下3階」に上越新幹線のホームが想定されていることがお分かりになるだろう。

 そしてバスタ新宿がどのように線路上空にかかっているかというと、「日本鉄道施設協会誌」2008年1月号に「新宿駅南口地区基盤整備事業に伴う玉川上水用地処理」森重達美、佐藤英明、柴田勇・共著 に下記のような平面図がある。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水

 上越新幹線新宿駅ホーム=埼京線・湘南新宿ラインホームの上にがっつりバスタ新宿の人工地盤が覆いかぶさていることが分かる。

 前述の大林組のサイトを見てみるとバスタの建物の基礎が埼京線・湘南新宿ラインホームの地下に構築されている。問題はこの絵では、新幹線ホームの地下3階を塞いでしまっているのかどうかがよく分からなかったことである。そのため、「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.htmlでは結論をぼやかしていた。

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 その後、調査を続けてきたところ、当該箇所の細かい図面を入手したのでご紹介したい。そして、ブログ読者の皆様に「地下3階に上越新幹線新宿駅ホームが入る余地が現在も残されているのか?」をご判断いただきたい。

 それは、一般社団法人セメント協会http://www.jcassoc.or.jp/index.htmlが発行する月刊誌「セメント・コンクリート」http://www.jcassoc.or.jp/cement/1jpn/jj3a_archive.html2012(平成24)年9月号掲載の「 開発の進む新宿駅南口の基盤整備 《都市の悩みを技術が解決へ》 」で、著者は、JR東日本東京工事事務所工事管理室 網谷岳夫氏、JR東日本 建設工事部 構造技術センター 醍醐宏治氏、JR東日本 東京工事事務所 新宿ターミナル 星野正氏である。

 この報文は、「『新宿交通結節点整備』において山手貨物線(埼京線)直下で行った地下軀体の構築について報告するものでる。」(12頁)と目的にぴったりだ。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に1

 まずは、13頁に掲載された全体図を見てみよう。1番2番の埼京線・湘南新宿ラインの南行ホーム、3番4番の埼京線・湘南新宿ラインの北行ホーム、そして5番の中央線等の特急用ホームの下に構造物が見て取れる。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に3

 そして14頁に掲載された詳細な地下軀体断面図をご覧いただこう。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に2

 電気室や機械室が入る地下1階、地下2階の下にはガッツリと太い「本体基礎杭」が入っている。

 ここに3面6線の新幹線ホームが入るのか?

 参考に東北新幹線上野駅の断面図と比較してみよう。

 コンクリート工学1985(昭和60)年4月号小特集*東北新幹線上野~大宮間工事 「上野~大宮間建設工事の概要  」国鉄新幹線建設局工事課総括補佐 藤田 昌宏・著https://www.jstage.jst.go.jp/article/coj1975/23/4/23_28/_pdf

新幹線上野地下駅断面図

 上野駅は地下4階の2面4線だが、必要な地下空間のイメージはつかめるだろう。

 

 どうだろう、皆様は、バスタ新宿の地下基礎の7本の杭の中に新幹線ホームが収まるイメージは持てるだろうか??(どう考えても無理でしょ。これ。←私の心の声。)

 もっとも、バスタ新宿の計画にあわせて新幹線のホームの位置を変更した可能性もあるので一概には言えないが、昭和40年代以来新幹線ホームを想定してきた地下空間はもう無いと言って差し支えないのではないか?

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 奇しくも、この記事を書いている2017年1月12日に信濃毎日新聞に下記のような記事が掲載された。

過密ダイヤ 改めて注目 新幹線 東京―大宮間

 

 北陸新幹線(長野経由)で未着工となっている福井・敦賀以西の延伸に向けて与党の検討が進む中、東京―大宮(30キロ)の新幹線ダイヤの過密問題が改めて注目を浴びている。同区間は北陸だけでなく、東北、上越の両新幹線も通っており、延伸に伴って増便させる場合にはJR東日本は大宮発着も想定しているからだ。

(中略)

 「東京―大宮間がいっぱいだ。もう一本(線路を)引くのを計算しないと話は成り立たない」。麻生太郎財務相は昨年12月13日、記者会見でこう発言。北陸新幹線敦賀―新大阪の早期開業に関し、大宮以南の線路を増強し、運行本数を拡大する必要があると指摘した。10年ほど前に与党内で一時浮上した新宿と大宮を結ぶ新幹線構想にも言及した。

(中略)

 一方、JR東日本は、巨額の投資が必要な大宮以南の線路増強について慎重だ。「現有の新幹線設備を有効活用することで、利用状況を踏まえた列車本数を確保できると考えている」(広報部)とする。今後、需要が増える場合には「大宮発着の列車の運行などを必要に応じて検討していくことになる」との立場だ。

(後略)

 

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170112/KT161230CUI090002000.php

 

 「そりゃ、当初新幹線新宿駅ホームを想定していた場所はもう使っちゃったからねえ」というのが私がこの記事を読んだ感想である。

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 当該工事現場のレポを大山顕さんが書いているので、併せてご覧ください。

 「まさか埼京線の下があんなだったとは……!」

 http://www.k-mil.net/hensyu/ittemita/shinjuku1.html

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html

上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.html

上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html

大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1c4d.html

東北新幹線は浦和市営モノレールの導入空間を空けて今でも待ってるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-0765.html

上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.html

上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-3b1a.html

「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.html

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2016年11月21日 (月)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(15・終)エピローグ

 これをもって、連載15回。画像90枚を費やした連載を終了したいと思う。

 いろんな関係者が出てきたが、パワポのプレゼン風に関係者のチャートを作ってみた。

 少しは分かり易くなったかな。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (91)

 

 ところで、これを書いていて思ったんだけど

 俺、西武新宿線の西武新宿駅から電車乗ったこと無いわ。。。。

(追記)

 ベルクの井野店長から過分なお言葉を頂戴しました。ありがとうございます。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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2016年11月20日 (日)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

 冒頭にも述べたが、このブログをまとめるきっかけになったのが、togetter「幻の西武新宿線のマイシティ(現ルミネエスト)乗入れとベルクさん店内の三本の柱」http://togetter.com/li/984087 にもまとめてある、私の連続ツイートに対するベルク店長井野朋也氏からのリプライである。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (88)

 ベルクさん

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (87)

 確かに太い円柱が見えるがこのままではよく分からない。(店内から撮るのもはばかられるし)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (81)

(「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 から引用)

 この「BERG MAP」には2本しか見えないなあ。。。まあいいか。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (83)

(「建築界」1964年8月号「新宿東口民衆駅の設計計画」 80頁から引用)

 この図面の右上に伸びていくのが西武新宿線のホームに係る柱である。これのどれかにベルク店内の円柱が該当するのであろう。

 ちなみに、上図は完成形だが見ずらい。下図は1959(昭和34)年段階のものなので、詳細な場所は一致しないだろうが、イメージはしやすいのではないか?

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (35)

 「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-4b9a.htmlにおいて、西武百貨店(セゾングループ)堤清二氏による新宿ステーションビル乗っ取り工作には、井野家が持つ新宿ステーションビル株が大きな役割を果たしたと述べたところである。

 井野店長の祖父にあたる井野硯哉氏(元衆議院議員、元参議院議員、元法務大臣)は、高島屋が新宿民衆駅に進出しようとした際に、対抗馬となる地元からの計画としての「新宿ステーション・ミーティング・ホール・センター」の発起人の一人であり、その後高島屋、伊勢丹、西武の三つどもえ(国鉄=鉄道弘済会も入れれば四つどもえ)となった新宿ステーションビルの社長(後に会長)となった方である。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (5)

「いまでは制服の納入一つとってみてもセゾンとの取引は中止となっていますし、ほとんどお付き合いはなくなっています。うちの関連会社関係でもセゾンとの取引はほとんどやっていないんじゃないですか」(JR系OB役員)というほどの冷たい関係になっている。

 

「月刊経営塾」1991年6月号「完全に城を明け渡した新宿ステーションビル・・・・・・敗戦処理に入った堤・セゾン」 150頁から引用

 とあるから井野店長のJRと西武セゾンとの関係悪化に係るツイートも裏が取れる。

 (余談だが、三島由紀夫の盾の会の制服は西武百貨店謹製だそうだ。)

 もともと、駅ビルの実力者だった祖父が、公衆電話の並ぶコーナーを、脱サラした父のために店を出してくれたのです。

 その祖父もとっくに亡くなり、ビルの勢力地図もどんどん変わりますから、昔の関係者の店などかえってうとまれます。

 

「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 148~149頁から引用

 単なる「昔の関係者」どころか、保有株の名義変更が、西武セゾンによる乗っ取りのきっかけになったのだから、西武に対して「根にもっている」と同様な感情をJR東日本がベルク=井野家に抱いていても不思議ではない。

 新宿駅東口駅ビル「マイシティ」は、2006年の4月、突然「ルミネエスト」と名を改めました。

 名前が変わっただけでなく、家主だった新宿ステーションビルディング株式会社が、株式会社ルミネに吸収合併されました。その途端、「マイシティ」時代の店が次々と出ていきました。出ていきたくて出て行ったとは考えられません。私の知る限り、数店舗は、駅ビルから「出ていけ」といわれ、出ていきました。

 うちも、ビル幹部から営業部の一室に呼び出され、「出ていけ」といわれることになるのですが、呼び出しは一度でなく数度におよんでいます。

 

「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 148~149頁から引用

 高島屋単独出店阻止のための高島屋、伊勢丹、西武、国鉄、地元の共同出資体制としての新宿ステーションビル株式会社そしてその運用基準としての「3原則」に沿ってマイシティの運営はなされ、ベルクをはじめとしたテナントが営業してきた。その経緯は「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-0131.htmlに詳しく述べてきたところだ。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (50)

 それが国鉄民営化に乗じた西武セゾンによる乗っ取り失敗→JR東日本の反攻により、共同出資会社としての新宿ステーションビル株式会社は、JR東日本の子会社としての「ルミネエスト」になってしまった。そこには「3原則」の及ぶ余地はない。しかも、因縁の井野家である。

 その後、契約もなんとか更新され、今でもベルクは営業を継続しているのは皆さんご存知のとおりである。

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 閑話休題。関連のツイートの中で、新宿駅にモノレール乗り入れ構想があったとの話が出た。

 まだいろんな話が埋もれているのかもしれない。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

 「幻の西武新宿線のマイシティ(現ルミネエスト)乗入れとベルクさん店内の三本の柱」http://togetter.com/li/984087 にまとめた連続ツイートをした際に

 この画面をツイートすると

 という反応をいただいた。

 「西武新宿駅の乗り入れは、新宿ステーションビルの中にホームを作る」という説があるということのようなので、調べてみた。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (90)

 ここの吹き抜けスペースに

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (89)

 こんな風に乗り入れるイメージを持たれていたということか。(上記画像は、北九州モノレール小倉駅)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (38)

 1959(昭和34)年段階の計画でもちょっとは食い込んでいるが、ホームの殆どは駅の外側である。

 調べてみると、確かに新宿ステーションビルの吹き抜けにホームを予定していたかのような記述が見られる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (86)

(「西武沿線の不思議と謎」高嶋修一・監修 実業之日本社・刊 40頁から引用)

 ちょうど新宿駅の建て替えが計画されており、西武もその計画に参加。それまでは仮駅舎での営業が決まったが、それが現在の西武新宿駅の場所である。そこから新宿駅までわずかで、そもそもその区間はかつて西武電気軌道が持っていた都電杉並線の休止区間だったため、そのまま真っ直ぐ新宿駅に乗り入れればOKだったわけである。

 新しい駅ビル内の2階に西武線のホームが入る予定で、そこに改札や何やら建設時に用意されていたのである。ところがこの西武新宿駅、ホームの長さは電車6両分、線路は2本しかなかった。すでに乗降客が急速に増えていた西武新宿線はこの駅ではキャパ不足で、結局乗り入れは中止。現在に至るのである。

 ルミネエストの正面を入ると、みどりの窓口付近の天井に当時のホームの一部が残る。天井はアーチ形状になっており、2階両サイドには明らかに不自然な長い廊下がある。現在は休憩所になっているが、ここがホームだったのである。もしつながっていたら、間違いなく西武新宿線人気はアップしていたはずだ。

 

【vol.22-2】日本再発見ジムニー探検隊>>ビハインド・ザ・新宿 http://www.apio.jp/sp/jimnylife/rediscovery-022-2.html 山崎友貴・著 から引用

 ということで、高嶋修一氏や山崎友貴氏は、ここの吹き抜けに西武線ホームが作られるはずだったと主張している。

 私の手元には、「建築界」1964年8月号「新宿東口民衆駅の設計計画」山口裕(国鉄東京建築工事局)、目良純(鉄道会館技術部建築課)・著 という建築専門誌に当時の国鉄及び駅ビルの建築担当者が書いた報文がある。そこから関係個所を抜粋して検証してみたい。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (85)

(「新宿東口民衆駅の設計計画」 77頁から引用)

 そもそもこのスペースは、1階コンコースのスパンを拡げて旅客の混雑を避けるためのものだとしている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (84)

(「新宿東口民衆駅の設計計画」 79頁から引用)

 また、この「吹き抜け」は国鉄の「駅本屋」の機能としての「吹抜ホール」と位置付けられている。

 これを裏付けるように、「新宿ステーションビルディング30年の歩み」には「国鉄の駅機能として1階のほとんどと2階の吹き抜けを取られたので、商業ビルとしては使いづらい」といった趣旨の記述がある。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (80)

(「新宿東口民衆駅の設計計画」 80頁から引用)

 山崎友貴氏が「2階両サイドには明らかに不自然な長い廊下がある。現在は休憩所になっているが、ここがホームだったのである」と主張する部分も「回廊」と明記されている。

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 なぜ、このようなデマがはやることとなったのか?

 原因の一つに、日経の「東京ふしぎ探検隊 西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画 」が考えられる。

実はこのときの計画の痕跡が今も残っている。ルミネエストの建物は1階の天井が高く、2階はかなり低い。1階の吹き抜けもやたらと広い。かつての設計図を見ると、このフロアの形が西武線乗り入れ計画の名残だとわかる。

「東京ふしぎ探検隊 西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画 」http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2103N_S2A121C1000000?channel=DF280120166608&style=1&page=2から引用

 先に国鉄建築担当者の報文でも紹介したように「1階の吹き抜けもやたらと広い」のは、国鉄のコンコースとしての機能に起因するものである。

 ライターの河尻定氏は、設計図を見たうえで、このように述べているはずなのであるが、いったいどのように見たらこんな嘘っぱち(若しくは著しい誤読を誘うような文)が書けるのか?

 河尻定氏は、鉄道や街づくりについて「東京ふしぎ探検隊」に多く寄稿し、本も出版しているが、デマ発生器としての弊害も多い。是非「カボチャの上手な育て方」といった方面に転身していただきたいと思っている。

 ※私は、以前も河尻氏のウソを指摘している。→「日経新聞 「東京ふしぎ探検隊」河尻定氏記事「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ」に係る疑義」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-0de1.html

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 いわゆる「トリビア本」のウソについて、ついでなのでもう一つ。

 「西武鉄道のひみつ」PHP研究所編・刊の175頁に下記のような「マメ知識」的コーナーが載っている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (82)

 「オープン当初は新宿民衆駅を名乗り、すぐに新宿ステーションビルに改称された」ということであるが、では、このオープン前日の「新宿ステーションビル」を名乗る新聞広告はなんだということになる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (75)

 PHP研究所編集部は、新宿ステーションビルにいったいいつ改称されたのか明記していただきたいものである。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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2016年11月13日 (日)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

貨物駅跡地の再開発 新宿“デパート戦争” 高島屋進出で再燃へ

 

 東京都心に残された一等地、JR新宿駅南口前の旧国鉄貨物用地跡地に、デパートの高島屋がキーテナントとして出店することが六日、決まった。国鉄清算事業団が、同跡地の大規模再開発事業の“目玉”として招致した。新宿は、新都庁舎の移転に伴い、一段の商圏拡大が見込まれるため、そごう、西武百貨店など五社で競ってきた。高島屋は、五年後のオープン目指して意欲満々。新宿駅をはさんで六社目の大型店の進出は、地元ばかりか都内の百貨店競争を激化させそうだ。

 清算事業団によると、同跡地は、面積約二万二千平方メートル。再開発計画として、十三、十四階建てのインテリジェントビルを建設。高島屋は、そのキーテナントとして入る。売り場面積は六―七万平方メートルで、駐車場などを含めると十万平方メートルの巨艦店となる。工事着工は平成五年度、営業開始は八年度の予定。

 今回の決定に、高島屋は「新宿に出店を希望して三十年の念願がかなった。有望な場所」として、初年度売り上げは千六百億円を見込んでいる。

 

1991(平成3)年11月7日付読売新聞から引用

 1955(昭和30)年に新宿駅ビルへの進出計画が明らかになって以来36年目の新宿進出決定となったと同時に西武百貨店の新宿進出の希望は絶たれたこととなった。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (67)

(1955(昭和30)年8月27日付朝日新聞から引用)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (6)

(「財界」1959(昭和34)年9月号39頁から引用)

 苦難の展開であった新宿ステーションビルからようやく悲願の新宿出店となったわけである。(あんまり業績は宜しくないらしいが。。。)

 

タカシマヤタイムズスクエア

(「近代建築」51巻1号「作品 タイムズスクエアビル 設計監理 日建設計」から引用)

 なお、「新宿高島屋の地下に上越新幹線の駅のスペースが確保されている、ホームが造られている」という話がネット上に出回っているが、おそらくデマである。この辺をお知りになりたい方は、「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」をご覧いただきたい。

 

 かくして、堤康次郎が目論んだ西武鉄道及び西武百貨店の新宿駅進出は堤兄弟に託されたが、堤義明(コクド・西武鉄道)も堤清二(セゾングループ・西武百貨店)も画策の結果成果は得られず、現在は西武鉄道も西武百貨店も堤家の手を離れてしまったのである。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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