カテゴリー「建築」の66件の記事

2017年3月15日 (水)

大阪・中津高架下訴訟の判決は2017年3月30日

中津高架下 (1)

 「高架下建築のエルドラド」こと大阪中津の高架下では、耐震補強工事を実施するため、占用許可の更新を行わず退去を進めているところ、反対する者が大阪市を相手取り、「占用許可義務付け訴訟」を大阪地方裁判所にて提起していることは、以前ご説明したところである。

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3ea3.html

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-44fe.html

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その3)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-8111.html

 その判決が、もうすぐ出るようだ。

中津高架下行政訴訟 平成26年2月17日提訴

 国道176号線の中津から淀川に続く中津高架橋の高架下は、戦前から、約700mにわたり、倉庫、工場、商店、劇場、飲食店等に利用されてきた日本でも最大規模の高架下です。その歴史は古く、昭和10年頃、関市長時代の大阪市が、広大な高架下空間の有効活用のため、民間事業者を招致して、高架下の使用と管理を委ね(道路法上の占用許可)、それ以来、占用者らは、約80年にわたって、占用使用料を収め、占用利用を継続してきました。ところが、大阪市は、橋下市長が就任した直後の平成24年1月、中津高架橋の耐震補強等工事を名目として、高架下の占用者らを立ち退かせる方針を内部で決め、平成25年5月、占用者らに対し、一方的に、1年後の翌26年3月末までに退去するよう要求しました。

 しかし、建築・土木の技術が進化した今日、鉄道の運行への支障が殆どないまま、鉄道の耐震補強等工事が行われていることからも分かるように、中津高架下の占用利用を継続したまま、もしくは、短期間の明渡しにより、工事を進めることは可能ですし、一旦明渡をさせた後に再度の占用利用を認めることに何の問題もありません。しかし、大阪市は、占用の継続は、工事の支障となり、かつ、工事後はスペースが小さくなるので、再占用は認められないという説明を繰り返し、強引に立ち退きを迫りましたので、丸甲倉庫株式会社等の一部の占用者らが立ち上がり、平成26年2月、占用許可の不許可処分の取消を求める訴訟を提起しました。原告らは、約3年の審理を経て、大阪市の言い分に正当性がないことを明らかにし、29年3月30日に判決が予定されています。

緑風法律事務所ウェブサイトから引用

http://www.ryokufuu-law.com/%e7%a4%be%e4%bc%9a%e7%9a%84%e5%bd%b1%e9%9f%bf%e3%81%8c%e3%81%82%e3%82%8b%e5%a4%a7%e5%9e%8b%e8%a8%b4%e8%a8%9f%e3%81%ae%e7%b4%b9%e4%bb%8b/

中津高架下 (8)

 担当する弁護士の事務所では「大阪市の言い分に正当性がないことを明らかにし」とは書いてあるが、道路法の占用許可には道路管理者の裁量が認められていることや、そもそも義務付け訴訟という無理ゲーな訴訟であることから、大阪市が負けることはありえないとは思うが。

 3月30日に判決言い渡しというのも如何にも年度内に手持ちの件数を減らしたい裁判官の気持ちが表れているな。

 

 また「国道176号線中津高架下(昭和レトロ街)占用存続を求める会」のfacebookhttps://www.facebook.com/pg/%E5%9B%BD%E9%81%93%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%96%E5%8F%B7%E7%B7%9A%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E9%AB%98%E6%9E%B6%E4%B8%8B%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AD%E8%A1%97%E5%8D%A0%E7%94%A8%E5%AD%98%E7%B6%9A%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B%E4%BC%9A-469317439858388/posts/には、

国道176号中津高架下「建物収去土地明渡等請求事件」及び「道路占用更新許可処分の義務付等請求事件」の期日が、大阪地方裁判所で下記の日時において判決の予定です。

・「建物収去土地明渡等請求事件」・・・・・・・・・・3月7日(火)13時10分~

・「道路占用更新許可処分の義務付等請求事件」・・・・3月30日(木)13時10~

とある。

 いつのまにか「建物収去土地明渡等請求事件」という訴訟も起きているのだな。大阪市は道路管理権限を行使して行政処分で撤去できるのにわざわざ民事訴訟で争っているのだろうか?解せない。3月7日に既に判決言い渡しがなされているようだが、ぐぐっても出てこない。大阪市が勝訴しているとは思うが。

 

※訴訟に係る法律的な説明については、http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3ea3.htmlの下の方に書いてあるので関心のある方は読んでちょ。

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2017年1月13日 (金)

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?

麻生太郎財務相、北陸新幹線のダイヤ改善に「新宿から引くとか」

 

 麻生氏は「確か北陸新幹線は1時間に2本しか通っていない。簡単な理由で東京-大宮間が混雑しているから」と問題点を指摘。その上で、「東京に関してはいっぱいなんだから、新宿から(大宮を結ぶ路線を)引くとかさ。そういったものも入れて計算しないと(いけない)。元の元が詰まっているのだから」と持論を展開した。

 

2016(平成28)年12月13日付産経ニュース http://www.sankei.com/economy/news/161213/ecn1612130015-n1.html から引用

というニュースが流れた際に「新宿駅は何十年と北陸新幹線用に空けてきたスペースを遂に諦めてバスタ新宿作っちゃったんじゃないのか?」なんて書き込みが見られたそうだ。

 言い出しっぺは俺だが。

「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 上記の記事でも紹介したのだが、バスタ新宿を施工した大林組のウェブサイト『「新宿駅南口地区基盤整備事業」と「新宿駅新南口ビル(仮称)新築工事」の施工エリア断面図』と題した工事のイラスト等からすると、上越新幹線新宿駅ホーム予定地を工事でいじっているようなのである。

 

 その際は、詳細な図面ではないので、多分ダメっぽいけど。。。くらいの気持ちであったが、今般詳細な図面を入手したのでご紹介したい。

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 まず、前提条件として、上越新幹線新宿駅のホームの位置を確定しなければならない。

 「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlで紹介した「新宿駅将来計画」国鉄東京第三工事局調査課補佐・石倉勝美・著 掲載の平面図。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 そして「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」市川政治・中山秀雄・著 社団法人鉄道建築協会・刊 掲載の断面図。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (17)

 以上が、貨物駅跡地を含めて全て国鉄の手で開発しようとしていた1975(昭和50)年前後の構想図面である。

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 「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.htmlで紹介した「新宿駅貨物敷活用基本構想」

上越・北陸新幹線新宿駅地下ホーム

上越新幹線新宿駅位置図

 以上が、貨物駅跡地を売却する前提で整理した1985(昭和60)年の構想図面である。

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 いずれの図面を見ても、「現・埼京線・湘南新宿ラインホーム下の地下3階」に上越新幹線のホームが想定されていることがお分かりになるだろう。

 そしてバスタ新宿がどのように線路上空にかかっているかというと、「日本鉄道施設協会誌」2008年1月号に「新宿駅南口地区基盤整備事業に伴う玉川上水用地処理」森重達美、佐藤英明、柴田勇・共著 に下記のような平面図がある。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水

 上越新幹線新宿駅ホーム=埼京線・湘南新宿ラインホームの上にがっつりバスタ新宿の人工地盤が覆いかぶさていることが分かる。

 前述の大林組のサイトを見てみるとバスタの建物の基礎が埼京線・湘南新宿ラインホームの地下に構築されている。問題はこの絵では、新幹線ホームの地下3階を塞いでしまっているのかどうかがよく分からなかったことである。そのため、「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.htmlでは結論をぼやかしていた。

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 その後、調査を続けてきたところ、当該箇所の細かい図面を入手したのでご紹介したい。そして、ブログ読者の皆様に「地下3階に上越新幹線新宿駅ホームが入る余地が現在も残されているのか?」をご判断いただきたい。

 それは、一般社団法人セメント協会http://www.jcassoc.or.jp/index.htmlが発行する月刊誌「セメント・コンクリート」http://www.jcassoc.or.jp/cement/1jpn/jj3a_archive.html2012(平成24)年9月号掲載の「 開発の進む新宿駅南口の基盤整備 《都市の悩みを技術が解決へ》 」で、著者は、JR東日本東京工事事務所工事管理室 網谷岳夫氏、JR東日本 建設工事部 構造技術センター 醍醐宏治氏、JR東日本 東京工事事務所 新宿ターミナル 星野正氏である。

 この報文は、「『新宿交通結節点整備』において山手貨物線(埼京線)直下で行った地下軀体の構築について報告するものでる。」(12頁)と目的にぴったりだ。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に1

 まずは、13頁に掲載された全体図を見てみよう。1番2番の埼京線・湘南新宿ラインの南行ホーム、3番4番の埼京線・湘南新宿ラインの北行ホーム、そして5番の中央線等の特急用ホームの下に構造物が見て取れる。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に3

 そして14頁に掲載された詳細な地下軀体断面図をご覧いただこう。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に2

 電気室や機械室が入る地下1階、地下2階の下にはガッツリと太い「本体基礎杭」が入っている。

 ここに3面6線の新幹線ホームが入るのか?

 参考に東北新幹線上野駅の断面図と比較してみよう。

 コンクリート工学1985(昭和60)年4月号小特集*東北新幹線上野~大宮間工事 「上野~大宮間建設工事の概要  」国鉄新幹線建設局工事課総括補佐 藤田 昌宏・著https://www.jstage.jst.go.jp/article/coj1975/23/4/23_28/_pdf

新幹線上野地下駅断面図

 上野駅は地下4階の2面4線だが、必要な地下空間のイメージはつかめるだろう。

 

 どうだろう、皆様は、バスタ新宿の地下基礎の7本の杭の中に新幹線ホームが収まるイメージは持てるだろうか??(どう考えても無理でしょ。これ。←私の心の声。)

 もっとも、バスタ新宿の計画にあわせて新幹線のホームの位置を変更した可能性もあるので一概には言えないが、昭和40年代以来新幹線ホームを想定してきた地下空間はもう無いと言って差し支えないのではないか?

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 奇しくも、この記事を書いている2017年1月12日に信濃毎日新聞に下記のような記事が掲載された。

過密ダイヤ 改めて注目 新幹線 東京―大宮間

 

 北陸新幹線(長野経由)で未着工となっている福井・敦賀以西の延伸に向けて与党の検討が進む中、東京―大宮(30キロ)の新幹線ダイヤの過密問題が改めて注目を浴びている。同区間は北陸だけでなく、東北、上越の両新幹線も通っており、延伸に伴って増便させる場合にはJR東日本は大宮発着も想定しているからだ。

(中略)

 「東京―大宮間がいっぱいだ。もう一本(線路を)引くのを計算しないと話は成り立たない」。麻生太郎財務相は昨年12月13日、記者会見でこう発言。北陸新幹線敦賀―新大阪の早期開業に関し、大宮以南の線路を増強し、運行本数を拡大する必要があると指摘した。10年ほど前に与党内で一時浮上した新宿と大宮を結ぶ新幹線構想にも言及した。

(中略)

 一方、JR東日本は、巨額の投資が必要な大宮以南の線路増強について慎重だ。「現有の新幹線設備を有効活用することで、利用状況を踏まえた列車本数を確保できると考えている」(広報部)とする。今後、需要が増える場合には「大宮発着の列車の運行などを必要に応じて検討していくことになる」との立場だ。

(後略)

 

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170112/KT161230CUI090002000.php

 

 「そりゃ、当初新幹線新宿駅ホームを想定していた場所はもう使っちゃったからねえ」というのが私がこの記事を読んだ感想である。

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 当該工事現場のレポを大山顕さんが書いているので、併せてご覧ください。

 「まさか埼京線の下があんなだったとは……!」

 http://www.k-mil.net/hensyu/ittemita/shinjuku1.html

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

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2016年11月21日 (月)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(15・終)エピローグ

 これをもって、連載15回。画像90枚を費やした連載を終了したいと思う。

 いろんな関係者が出てきたが、パワポのプレゼン風に関係者のチャートを作ってみた。

 少しは分かり易くなったかな。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (91)

 

 ところで、これを書いていて思ったんだけど

 俺、西武新宿線の西武新宿駅から電車乗ったこと無いわ。。。。

(追記)

 ベルクの井野店長から過分なお言葉を頂戴しました。ありがとうございます。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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2016年11月20日 (日)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

 冒頭にも述べたが、このブログをまとめるきっかけになったのが、togetter「幻の西武新宿線のマイシティ(現ルミネエスト)乗入れとベルクさん店内の三本の柱」http://togetter.com/li/984087 にもまとめてある、私の連続ツイートに対するベルク店長井野朋也氏からのリプライである。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (88)

 ベルクさん

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (87)

 確かに太い円柱が見えるがこのままではよく分からない。(店内から撮るのもはばかられるし)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (81)

(「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 から引用)

 この「BERG MAP」には2本しか見えないなあ。。。まあいいか。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (83)

(「建築界」1964年8月号「新宿東口民衆駅の設計計画」 80頁から引用)

 この図面の右上に伸びていくのが西武新宿線のホームに係る柱である。これのどれかにベルク店内の円柱が該当するのであろう。

 ちなみに、上図は完成形だが見ずらい。下図は1959(昭和34)年段階のものなので、詳細な場所は一致しないだろうが、イメージはしやすいのではないか?

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (35)

 「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-4b9a.htmlにおいて、西武百貨店(セゾングループ)堤清二氏による新宿ステーションビル乗っ取り工作には、井野家が持つ新宿ステーションビル株が大きな役割を果たしたと述べたところである。

 井野店長の祖父にあたる井野硯哉氏(元衆議院議員、元参議院議員、元法務大臣)は、高島屋が新宿民衆駅に進出しようとした際に、対抗馬となる地元からの計画としての「新宿ステーション・ミーティング・ホール・センター」の発起人の一人であり、その後高島屋、伊勢丹、西武の三つどもえ(国鉄=鉄道弘済会も入れれば四つどもえ)となった新宿ステーションビルの社長(後に会長)となった方である。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (5)

「いまでは制服の納入一つとってみてもセゾンとの取引は中止となっていますし、ほとんどお付き合いはなくなっています。うちの関連会社関係でもセゾンとの取引はほとんどやっていないんじゃないですか」(JR系OB役員)というほどの冷たい関係になっている。

 

「月刊経営塾」1991年6月号「完全に城を明け渡した新宿ステーションビル・・・・・・敗戦処理に入った堤・セゾン」 150頁から引用

 とあるから井野店長のJRと西武セゾンとの関係悪化に係るツイートも裏が取れる。

 (余談だが、三島由紀夫の盾の会の制服は西武百貨店謹製だそうだ。)

 もともと、駅ビルの実力者だった祖父が、公衆電話の並ぶコーナーを、脱サラした父のために店を出してくれたのです。

 その祖父もとっくに亡くなり、ビルの勢力地図もどんどん変わりますから、昔の関係者の店などかえってうとまれます。

 

「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 148~149頁から引用

 単なる「昔の関係者」どころか、保有株の名義変更が、西武セゾンによる乗っ取りのきっかけになったのだから、西武に対して「根にもっている」と同様な感情をJR東日本がベルク=井野家に抱いていても不思議ではない。

 新宿駅東口駅ビル「マイシティ」は、2006年の4月、突然「ルミネエスト」と名を改めました。

 名前が変わっただけでなく、家主だった新宿ステーションビルディング株式会社が、株式会社ルミネに吸収合併されました。その途端、「マイシティ」時代の店が次々と出ていきました。出ていきたくて出て行ったとは考えられません。私の知る限り、数店舗は、駅ビルから「出ていけ」といわれ、出ていきました。

 うちも、ビル幹部から営業部の一室に呼び出され、「出ていけ」といわれることになるのですが、呼び出しは一度でなく数度におよんでいます。

 

「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 148~149頁から引用

 高島屋単独出店阻止のための高島屋、伊勢丹、西武、国鉄、地元の共同出資体制としての新宿ステーションビル株式会社そしてその運用基準としての「3原則」に沿ってマイシティの運営はなされ、ベルクをはじめとしたテナントが営業してきた。その経緯は「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-0131.htmlに詳しく述べてきたところだ。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (50)

 それが国鉄民営化に乗じた西武セゾンによる乗っ取り失敗→JR東日本の反攻により、共同出資会社としての新宿ステーションビル株式会社は、JR東日本の子会社としての「ルミネエスト」になってしまった。そこには「3原則」の及ぶ余地はない。しかも、因縁の井野家である。

 その後、契約もなんとか更新され、今でもベルクは営業を継続しているのは皆さんご存知のとおりである。

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 閑話休題。関連のツイートの中で、新宿駅にモノレール乗り入れ構想があったとの話が出た。

 まだいろんな話が埋もれているのかもしれない。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

 「幻の西武新宿線のマイシティ(現ルミネエスト)乗入れとベルクさん店内の三本の柱」http://togetter.com/li/984087 にまとめた連続ツイートをした際に

 この画面をツイートすると

 という反応をいただいた。

 「西武新宿駅の乗り入れは、新宿ステーションビルの中にホームを作る」という説があるということのようなので、調べてみた。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (90)

 ここの吹き抜けスペースに

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (89)

 こんな風に乗り入れるイメージを持たれていたということか。(上記画像は、北九州モノレール小倉駅)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (38)

 1959(昭和34)年段階の計画でもちょっとは食い込んでいるが、ホームの殆どは駅の外側である。

 調べてみると、確かに新宿ステーションビルの吹き抜けにホームを予定していたかのような記述が見られる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (86)

(「西武沿線の不思議と謎」高嶋修一・監修 実業之日本社・刊 40頁から引用)

 ちょうど新宿駅の建て替えが計画されており、西武もその計画に参加。それまでは仮駅舎での営業が決まったが、それが現在の西武新宿駅の場所である。そこから新宿駅までわずかで、そもそもその区間はかつて西武電気軌道が持っていた都電杉並線の休止区間だったため、そのまま真っ直ぐ新宿駅に乗り入れればOKだったわけである。

 新しい駅ビル内の2階に西武線のホームが入る予定で、そこに改札や何やら建設時に用意されていたのである。ところがこの西武新宿駅、ホームの長さは電車6両分、線路は2本しかなかった。すでに乗降客が急速に増えていた西武新宿線はこの駅ではキャパ不足で、結局乗り入れは中止。現在に至るのである。

 ルミネエストの正面を入ると、みどりの窓口付近の天井に当時のホームの一部が残る。天井はアーチ形状になっており、2階両サイドには明らかに不自然な長い廊下がある。現在は休憩所になっているが、ここがホームだったのである。もしつながっていたら、間違いなく西武新宿線人気はアップしていたはずだ。

 

【vol.22-2】日本再発見ジムニー探検隊>>ビハインド・ザ・新宿 http://www.apio.jp/sp/jimnylife/rediscovery-022-2.html 山崎友貴・著 から引用

 ということで、高嶋修一氏や山崎友貴氏は、ここの吹き抜けに西武線ホームが作られるはずだったと主張している。

 私の手元には、「建築界」1964年8月号「新宿東口民衆駅の設計計画」山口裕(国鉄東京建築工事局)、目良純(鉄道会館技術部建築課)・著 という建築専門誌に当時の国鉄及び駅ビルの建築担当者が書いた報文がある。そこから関係個所を抜粋して検証してみたい。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (85)

(「新宿東口民衆駅の設計計画」 77頁から引用)

 そもそもこのスペースは、1階コンコースのスパンを拡げて旅客の混雑を避けるためのものだとしている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (84)

(「新宿東口民衆駅の設計計画」 79頁から引用)

 また、この「吹き抜け」は国鉄の「駅本屋」の機能としての「吹抜ホール」と位置付けられている。

 これを裏付けるように、「新宿ステーションビルディング30年の歩み」には「国鉄の駅機能として1階のほとんどと2階の吹き抜けを取られたので、商業ビルとしては使いづらい」といった趣旨の記述がある。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (80)

(「新宿東口民衆駅の設計計画」 80頁から引用)

 山崎友貴氏が「2階両サイドには明らかに不自然な長い廊下がある。現在は休憩所になっているが、ここがホームだったのである」と主張する部分も「回廊」と明記されている。

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 なぜ、このようなデマがはやることとなったのか?

 原因の一つに、日経の「東京ふしぎ探検隊 西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画 」が考えられる。

実はこのときの計画の痕跡が今も残っている。ルミネエストの建物は1階の天井が高く、2階はかなり低い。1階の吹き抜けもやたらと広い。かつての設計図を見ると、このフロアの形が西武線乗り入れ計画の名残だとわかる。

「東京ふしぎ探検隊 西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画 」http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2103N_S2A121C1000000?channel=DF280120166608&style=1&page=2から引用

 先に国鉄建築担当者の報文でも紹介したように「1階の吹き抜けもやたらと広い」のは、国鉄のコンコースとしての機能に起因するものである。

 ライターの河尻定氏は、設計図を見たうえで、このように述べているはずなのであるが、いったいどのように見たらこんな嘘っぱち(若しくは著しい誤読を誘うような文)が書けるのか?

 河尻定氏は、鉄道や街づくりについて「東京ふしぎ探検隊」に多く寄稿し、本も出版しているが、デマ発生器としての弊害も多い。是非「カボチャの上手な育て方」といった方面に転身していただきたいと思っている。

 ※私は、以前も河尻氏のウソを指摘している。→「日経新聞 「東京ふしぎ探検隊」河尻定氏記事「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ」に係る疑義」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-0de1.html

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 いわゆる「トリビア本」のウソについて、ついでなのでもう一つ。

 「西武鉄道のひみつ」PHP研究所編・刊の175頁に下記のような「マメ知識」的コーナーが載っている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (82)

 「オープン当初は新宿民衆駅を名乗り、すぐに新宿ステーションビルに改称された」ということであるが、では、このオープン前日の「新宿ステーションビル」を名乗る新聞広告はなんだということになる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (75)

 PHP研究所編集部は、新宿ステーションビルにいったいいつ改称されたのか明記していただきたいものである。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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2016年11月13日 (日)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

貨物駅跡地の再開発 新宿“デパート戦争” 高島屋進出で再燃へ

 

 東京都心に残された一等地、JR新宿駅南口前の旧国鉄貨物用地跡地に、デパートの高島屋がキーテナントとして出店することが六日、決まった。国鉄清算事業団が、同跡地の大規模再開発事業の“目玉”として招致した。新宿は、新都庁舎の移転に伴い、一段の商圏拡大が見込まれるため、そごう、西武百貨店など五社で競ってきた。高島屋は、五年後のオープン目指して意欲満々。新宿駅をはさんで六社目の大型店の進出は、地元ばかりか都内の百貨店競争を激化させそうだ。

 清算事業団によると、同跡地は、面積約二万二千平方メートル。再開発計画として、十三、十四階建てのインテリジェントビルを建設。高島屋は、そのキーテナントとして入る。売り場面積は六―七万平方メートルで、駐車場などを含めると十万平方メートルの巨艦店となる。工事着工は平成五年度、営業開始は八年度の予定。

 今回の決定に、高島屋は「新宿に出店を希望して三十年の念願がかなった。有望な場所」として、初年度売り上げは千六百億円を見込んでいる。

 

1991(平成3)年11月7日付読売新聞から引用

 1955(昭和30)年に新宿駅ビルへの進出計画が明らかになって以来36年目の新宿進出決定となったと同時に西武百貨店の新宿進出の希望は絶たれたこととなった。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (67)

(1955(昭和30)年8月27日付朝日新聞から引用)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (6)

(「財界」1959(昭和34)年9月号39頁から引用)

 苦難の展開であった新宿ステーションビルからようやく悲願の新宿出店となったわけである。(あんまり業績は宜しくないらしいが。。。)

 

タカシマヤタイムズスクエア

(「近代建築」51巻1号「作品 タイムズスクエアビル 設計監理 日建設計」から引用)

 なお、「新宿高島屋の地下に上越新幹線の駅のスペースが確保されている、ホームが造られている」という話がネット上に出回っているが、おそらくデマである。この辺をお知りになりたい方は、「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」をご覧いただきたい。

 

 かくして、堤康次郎が目論んだ西武鉄道及び西武百貨店の新宿駅進出は堤兄弟に託されたが、堤義明(コクド・西武鉄道)も堤清二(セゾングループ・西武百貨店)も画策の結果成果は得られず、現在は西武鉄道も西武百貨店も堤家の手を離れてしまったのである。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル」で述べたように、高島屋、伊勢丹、西武、地元資本の「三原則」と伊勢丹と西武の「不可侵条約」により、西武は新宿ステーションビルの建物そのものには手を出せないはずだった。ところが、堤清二率いるセゾングループが乗っ取りにかかったのである。

 

 新宿ステーションビル株式会社の株主構成は下記のとおりであった。

財団法人鉄道弘済会

高島屋

伊勢丹

西武鉄道(のちに西武百貨店)   各10万株(各16.7%)

丸正食品 飯塚正司 8万5千8百株(14.3%)

濱野茂(東京都議会議員) 8万株(13.3%)

井野硯哉(参議院議員・ステーションビル初代社長・ベルク井野店長の祖父) 2万株(3.3%)

内田道治(東京都議会議員) 1万株(1.7%)

その他 4千2百株(0.7%)

 そして国鉄関係4人と伊勢丹、高島屋、西武、丸正、濱野、井野から一人ずつの取締役を出していた。土地と建物は国鉄のものであるから国鉄主導の経営であった。

 ところで1987(昭和62)年の国鉄民営化にあたり、今までかかっていなかった固定資産税等がかかるようになり、それをテナントの家賃に反映させなければならない(4倍近い家賃値上げをJR側が迫ったといわれる。)ということで、JR側とテナント側に不協和音が響くようになった。

 そこをついて1988(昭和63)年に西武百貨店(セゾングループ)堤清二は上記のパワーバランスを崩しにかかったのである。濱野一郎ステーションビル社長(当時)を篭絡にかかり、井野が所有していた2万株も入手した(井野氏が選挙資金の応援を受けるカタに堤氏に株を預けたものだという。ベルクの井野店長はツイッターで「井野家と堤家は家族ぐるみの付き合いだった」旨ツイートしている。)。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (14)

(「月刊経営塾」1991年6月号「完全に城を明け渡した新宿ステーションビル・・・・・・敗戦処理に入った堤・セゾン」148頁から引用)

 西武は、JRと家賃値上げに抵抗するテナント側の紛糾に乗じ、株主構成のパワーバランスを崩し、新宿ステーションビルの実権を握ろうとしたのである。

 1989(平成元)年には、西武はJRにステーションビルの社長交代(反JR派への交代)や役員増員などを要求し、6月の臨時取締役会で西武百貨店からステーションビルへ人材を送り込み「マイシティは西武百貨店の植民地と化している」と言われた。しかしJR側も巻き返し、翌1990(平成2)年6月には西武系役員は退陣するに至った。

 1991(平成3)年3月には、第三者割当増資が行われ、JR東日本がステーションビルの株式の51%を抑え、筆頭株主となった。ここに20数年にわたる「三すくみ」は解消されたのである。

 「マイシティ」から「ルミネエスト」になったのは名称だけでなく、国鉄、3百貨店、地元の共同運営からJRの子会社へ経営体制が変わったということを意味する。

 時あたかも、同年1月には堤清二はセゾングループ代表等からの引退を表明したのである。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (8)

(この項は「月刊経営塾」1991年6月号「完全に城を明け渡した新宿ステーションビル・・・・・・敗戦処理に入った堤・セゾン」及び「月刊宝石」1991年9月号「仮面の経営者・堤清二<第7弾!>新宿ステーションビルから追放された日」林一仁・著 を参考にした。)

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

バブルの世の中になり、国鉄は民営化された。一方、西武新宿線の新宿駅乗り入れが地下複々線化構想によって戻ってきた。

1987(昭和62)年12月 特定都市鉄道整備事業の事業認定

1989(平成元)年3月 複々線化の事業基本計画の変更認可

1993(平成5)年3月 鉄道施設の変更認可

1993(平成5)年3月 環境影響評価書の告示

1993(平成5)年4月 都市計画の変更告示

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (73)

(1987(昭和62)年9月14日付朝日新聞から引用)

 新駅は靖国通りと新宿通りの間にできる計画だったようだ。

 「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡」で紹介した地下街計画のリベンジのようにも見える。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (74)

(1992(平成4)年5月9日付朝日新聞から引用)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (2)

(「JREA」1993年 Vol.6 No.6「西武鉄道新宿線複々線化工事計画」 林利喜朗(西武鉄道株式会社建設部部長)・著 21782頁から引用)

 今度は地下6階にホームを作るというのである。

 なぜこんなに深いのか?

 高田馬場駅を見ても地下2階を走る東西線を避けなければならないのは分かるが、それにしては深すぎやしないだろうか?

 上記引用元のJREA「西武鉄道新宿線複々線化工事計画」では、「縦断線形は当該区間に地下鉄12号線(※引用者注:都営大江戸線)や環七地下河川などの計画があり、また、上下水道管などの既存の施設が多く存在することから,平均40~60mと従来の地下鉄に比較して深い線形となっている」(21782頁)としているのだが、ひょっとしたら上越新幹線を避けているのではないか?

 以前「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その3)」でも書いたが、上越新幹線の新宿駅乗り入れ構想というものがあって、田端から山手貨物線の地下を通って新宿に至ることとなっている。新宿駅では、地下3階に上越新幹線が来ることになっているのである。

上越新幹線新宿駅位置図

 高田馬場駅の縦断面図を見ると地下2階・東西線~なぞの空間?~地下6階・西武新宿線となっており、なんとなく地下3階の上越新幹線の分を空けてあるような気がしないでもない。

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 この地下複々線化構想に対して、西武新宿駅周辺の歌舞伎町関係者は怒りの声をあげた。「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ」で紹介しているように、地元歌舞伎町とは「国鉄新宿駅へ延伸しても歌舞伎町駅は存続させる」と約束したからこそ、地元は区画整理中の土地の提供や都バス車庫の移転等の協力を行ったのである。急行線は素通りで各停しか歌舞伎町には停車しないのであればこれは約束違反だとの主張だ。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (7)

(「政界往来」1992年9月号50頁から引用)

 「それなのに」と今日、憤りを隠さないのは歌舞伎町商店街振興組合の下村理事長である。

「いくら各駅停車用に地上駅舎を残すと言っても、急行と準急用のホームは地下に潜るから今の西武新宿駅に本駅としての価値を存続してもらわなければ困る。これは実質的な駅の移転であり、駅の廃止なんです」。つまる、西武新宿駅の地下駅化計画は「駅の廃止は考えていない」とした40年前の約束違反であり、信義にもとる裏切り行為だというのが地元の言い分なのである。

 しかも、歌舞伎町商店街振興組合は88年末に西武の堤義明社長に宛てて「西武新宿線の終着駅は西武新宿駅ビルを主体とする現体制を維持されたい」という要望を行っているが、回答はなく無視されてしまっている。

 

「政界往来」1992年9月号「西武新宿駅「地下化計画」にみる義明・西武の”ゴリ押し”商法」54頁から引用

 

 「40年前の約束」を再掲しておこう。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (63)

 

 しかし、バブルははじけ、西武新宿線の地下複々線化構想はおじゃんになってしまった。上越新幹線の新宿駅延伸も音沙汰がない。

■企画され一部着工されたが中止されたもの

(略)

②新宿線地下化について

特々法ができたとき,それに併せて新宿線の直下地下線増工事(西武新宿-上石神井)に名乗りを上げ,都市計画決定もされ,特々運賃の加算も行われ,一部調査も行なったのですが地下水位の上昇や消防法による諸設備の設置費用増大などで,当初考えていた工費が倍増することとなってしまいました.一方輸送も減少しはじめたために結局中止することになりました.

 

「西武鉄道でのこと」 長谷部和夫(元・西武鉄道常務取締役) レイル51号 63頁から引用

西武新宿線 新宿―上石神井駅間複々線化計画 無期延期決定 費用の膨張理由に

 

 輸送力の増強を目指し、西武新宿―上石神井駅間の約十二・八キロの地下に、新たに急行線を走らせて複々線化する事業計画を進めていた西武鉄道は、建設費が当初見込み額を大幅に上回る見通しとなったことなどを理由に、事業の無期延期を決定し、十九日までに沿線自治体の中野区に伝えた。

 西武鉄道は八七年十二月、運輸省の特定都市鉄道整備事業計画の認定を受け、複々線化予定区間の運賃に十円上乗せし、工事費を積み立て。九三年に都の都市計画決定が下り、昨夏には建設省に工事施行許可を申請、手続きはほぼ整っていた。

 ところが、ラッシュ時の乗客数は九一年をピークに下降気味。当初は千六百億円と見込んでいた総事業費も、地下水の水位が予想より高かったことや、現在の西武新宿駅をJR新宿駅寄りに移動することにしたことなどから、約二千九百億円に膨れ上がることがわかった。

 このため、同社は複々線化を延期せざるを得ないとし、十九日には、特定都市鉄道整備事業計画の認定取り消しを運輸省に申請。これまで十円を上乗せしてきた区間では、乗客への還元を図るとしている。同社広報課は「計画を無理に進めれば、工事費の負担は運賃にはねかえり、逆にご迷惑をかける」としている。

 一方、中野区では、地下化により「ラッシュ時は一時間に通算五分しか踏切が開かない」(区都市計画部計画課)という状態が改善されるとして、事業着手に期待していただけに、神山好市区長は十九日、「(延期は)到底受け入れがたい」とのコメントを出した。区担当者も「遅れてもやるものと思っていた。公共交通機関として余りにも無責任」と批判、「都とも相談して、再開を迫っていく」と語った。

 

1995(平成7)年1月20日付読売新聞から引用

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(9)西武新宿駅の開発

 新宿線の乗り入れと地下道直結の両面作戦に出ていた西武だが、どちらも頓挫してしまった。かくなるうえは歌舞伎町をターミナルとして本格開発していく必要がある。

 早稲田大大学史資料センターには、下記のような資料が残されている。いずれも作成年代は不明であるが、現在のプリンスホテル等ができる前の開発構想ということだろうか?

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (56)

「西武新宿ビル(想像図)」 

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (55)

(「義明」のサインが記されている。)

 西武新宿駅ビル構想の最上階にアイススケート場がある。早稲田大大学史資料センターは東伏見にあるので、いつもダイドードリンコアイスアリーナを横目に行くのだが、「堤義明って本当にアイススケート好きなんだなあ」と思う次第。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

 国鉄新宿駅への乗り入れも地下街直結も駄目なら地下鉄への乗り入れという手があるのではないか。

 西武新宿線は、主要な在京私鉄で数少ない地下鉄に乗り入れていない路線である。かつて、西武は、新宿駅乗り入れに並行して、営団地下鉄東西線及び有楽町線への乗り入れにも動いていたが、いずれも成功に至っていない。

戦後、東京の私鉄各社は都心乗り入れを希望していましたが,西武は希望しませんでした.

 

 これは堤康次郎氏が宿敵としていた,五島慶太運輸大臣の下で,官僚主導で戦時中行なわれた交通統制そして戦後も続くその体制に対して,都心乗り入れを希望することは五島の軍門に下ることを意味し,堤としては耐えられないことでありました.

 

 この結果都市交通審議会では,西武池袋線のみ中村橋-目白の並行ルートを新設し,他社線については、それぞれ都心直通ルート(当時ターミナル駅の混雑に手を焼いていた国鉄の意向により渋谷,新宿,池袋を外した)が決定されました.このとき5号線で中央線の東西線への乗り入れが決まると,さすがに堤も乗り入れ反対とばかりいっていられず,急遽新宿線の下落合から高田馬場の乗り入れを申し入れましたが,当然のことながら拒否されてしまいました.この乗り入れ問題は,かたちを変えて現在まで尾を引いております.

 

「西武鉄道でのこと」 長谷部和夫(元・西武鉄道常務取締役) レイル51号 57頁から引用

 

 下図は、西武が新宿線と池袋線の両方を有楽町線に乗り入れしようとする「地下高速鉄道網改訂路線図」である。現在は、練馬から西武池袋線が有楽町線(副都心線)に乗り入れているが、西武は中村橋から池袋線を、野方から新宿線を乗り入れたいという要望を出したのである。

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (14)

 詳細は、「堤康次郎は、目白経由だった有楽町線のルートを池袋経由に曲げて、西武池袋線と新宿線を乗入れさせようとしていた?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-4e5b.htmlをご覧いただきたい。

 

 なお、現在も中野区は西武新宿線と東京メトロ東西線の相互直通運転についていろいろ構想を立てている。

例)http://kugikai-nakano.jp/shiryou/15316152129.pdf

http://www.jterc.or.jp/kenkyusyo/product/tpsr/bn/pdf/no39-10.pdf

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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