カテゴリー「建築」の82件の記事

2020年2月18日 (火)

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか

 先週の日曜日は雨が降っていて外出する気にならなかったので、ちょいと前回の東京オリンピックとドボクのネタをまとめてみた。

 また、前々回の記事の際にTwitterでアンケートをとったところ、「レイアウトを工夫しない読みづらい」との声を結構いただいた。

 

 なので、今回はパワポ型式で作ってみたのでどうぞ。

 実際にこれでどこかプレゼンするという予定は一切ない。

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (1)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (2)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (3)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (4)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (5)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (6)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (7)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (8)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (9)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (10)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (11)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (12)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (13)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (14)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (15)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (16)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (17)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (18)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (19)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (20)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (21)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (22)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (23)

 

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (24)

 

 東京都庁議の詳細はこちら→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/31228-d1e1.html

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (25)

  ここは読みづらいので、テキストを抜き出しておこう


 

首都整備局長(山田正男君) 

 

(略)

 最後に、三原橋─日比谷間の地下の自動車道路計画の問題について、経緯のご質問があったわけでございます。実はこの問題につきましては、都心部の道路交通を解決いたしますために、地下鉄の二号線を建設いたします際に同時に地下の一階に自動車道路を作る必要がある、こういう立案をいたしまして、数年来営団当局と協議を進めて参ったわけでございますが、営団当局がどうしても同意をいたしませんために、この計画については、建設・運輸両省並びに首都圏整備委員会が問題を取り上げまして、この三者の間で都の案について検討が行なわれたのでございます。そうしてその三者の間で技術委員会を作っていろいろ検討いたしたわけでございますが、東京都の主張にもかかわりませず地下の一階に道路を作ることを否定いたしまして、地下鉄のレベルと同じ地下の三階に自動車専用道路全作ることが適当であろう、こういう決定がされたわけでございます。その決定の理由は、地下の一階に道路を作る費用と地下の三階に作る費用とは、それほど費用の差がないということが主たる理由のようであったわけでございます。そこで、この決定を受けまして、都といたしましては、はたしてその決定の通りであろうかどうか、費用がその程度でできるかどうかということを検討して参ったのであります。特に地下鉄二号線の建設を急ぎますので、営団当局と鋭意協議を進めて参ったのでございます。当初十八億余で地下の三階に自動車道路ができるということであったのでございますが、いよいよ実際に協議してみますと、あるときは二十五億円といい、あるときは三十六億円といい、最近に至っては五十億円もかかるというような申し出があったわけであります。これでは都といたしましては自動車道路を作る投資効率、投資に対する効果が少ない、こういうことで建設省当局に、一応そういう決定がされたけれども投資効率が少ないんだ、さてどうするか、こういう協議をいたしておる際に、たまたま河野建設大臣からのご注意がありました。そういう決定がかって行なわれたけれども、実際にそういう投資効率が低いならば、最初想定されたよりも工事費が非常に高いならば、もっと再検討するべきである、こういうご発言かあった次第であります。現在建設運輸両省及び首都圏整備委員会と東京都の間で検討いたしておる途中でございますが、おそらく三階に地下自動車道路を作ることは、投資効率の点からいって必ずしも採用すべき性質のものでないと考えております。しかし、この都心部の道路交通能力をこのままで放置しておくことは適当でないのでございまして、これにかわる対策を目下関係者間で協議中でございます。いずれ遠からず決定を見るものと存ずるのでございます。

 

1962.09.29 : 昭和37年第3回定例会(第14号) 

 

 

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (26)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (27)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (28)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (29)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (30)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (31)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (32)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (33)

 

 

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (34)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (35)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (36)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (37)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (38)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で(39)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (40)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (41)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (42)  

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (43)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (44)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (45)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (46)

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (47)

  

東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (48)  

  

 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか (49)

  パワポで作ったからといって、どこかで講演するつもりもないのだが、まあお試しということで。

 HTMLをいじるよりも、ベタベタパワポで切り貼りしちゃった方が楽ちんなのだが、SEOとしては弱いやね。 

  

 ---関係ブログ---

 アド街・日比谷特集記念/日比谷地下道はなぜ一方通行なのか?

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-f494.html

三原橋地下街に係る疑獄について(その1)

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat23477491/index.html

 三原橋地下街に係る疑獄について(その2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-554e.html 

三原橋地下街と銀座シネパトス さようなら 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-60c3.html 

三原橋地下街 銀座シネパトス最終日 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-f962.html 

日経新聞 「東京ふしぎ探検隊」河尻定氏記事「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ」に係る疑義 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-0de1.html 

 三原橋地下街や観光センターの経営者の新東京観光株式会社についてのメモ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-8445.html

三原橋地下街や橋上のビルに係る経緯の公式見解(都議会議事録)にたどり着いた 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-4930.html 

三原橋地下街等をめぐる経緯を年表にしてみた 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-2781.html 

三原橋地下街の当初占用許可に係る東京都庁議公文書 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-3f36.html 

昭和31年2月28日東京都庁議「三原橋」問題の処理について→関係局間においてなお検討すること 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/31228-d1e1.html 

 三原橋(6月15日時点)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/615-23dc.html 

三原橋の建物は、地元から撤去せよとの訴訟を起こされていたというお話 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-81bb.html 

東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html 

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その1) 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-7702.html 

 三原橋地下街 カレーコーナー三原最終営業日

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-8f73.html 

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その2) 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-30b7.html 

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その3) 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-7114.html 

 「安井都政の七不思議」と山田正男と三原橋地下街

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-740c.html

斉藤 理 山口県立大学准教授の「川がない橋が秘めた東京の履歴」を読んで 

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-924f.html

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2020年1月25日 (土)

都庁幹部が語る西武乗り入れ中止の背景~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(22)

 西武新宿線が国鉄新宿駅ビルへの乗り入れを中止した背景としては、「6両編成しか入らなかったから」とされている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (71)

1965(昭和40)年3月16日付の朝日新聞

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (19)

「新宿サブナード30年のあゆみ」 新宿地下駐車場株式会社・発行 37頁から引用

 しかし、下記のとおり西武も少なからぬ額を投資している。簡単に撤退するものだろうか?

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (35)

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 「私の都市計画生活」鈴木信太郎・著、山海堂(2003年)刊という本がある。

 著者は、1948(昭和23)年に東京都に入庁し、山田正男氏の部下時代も含め東京都の都市計画畑を歩み1980(昭和55)年に技監で退庁された方である。この本は鈴木氏の喜寿を記念した講演会の記録である。

 そこに、下記のように西武新宿線の新宿駅乗り入れ断念の経緯が聴衆とのやりとりとして残されている。

東京都職員が語る西武新宿線の国鉄新宿駅乗入れ断念経緯 (1)

 

東京都職員が語る西武新宿線の国鉄新宿駅乗入れ断念経緯 (2)

  東京都の都市計画部局としては、西武乗り入れのために必要な行政手続きを順調に進めていたところ突然西武側からキャンセルされたという認識である。

  ただし、その理由は噂話レベルのことしか語られていなく、明確ではない。

 「例の西武のワンマンの言い分」と述べられているが、乗り入れ断念を公表した1965(昭和40)年の前年に、堤康次郎は亡くなっているあたりからもどうも腑に落ちない。

  「必要な行政手続きをとっている都庁の窓口ですら、理由はよく分からない」ということが分かった程度か。。。

 

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思いもつかないところから西武線新宿駅乗入れのカラー想像図が~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(21)

 西武新宿線が国鉄新宿駅ビル2階に乗り入れている絵と言えば、

 ステーションビルの事業案内か

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (1)

 国鉄の「東建工」に掲載されたパースくらい

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (38)

 しか見たことがなかった。

 (実施段階では、アルミ製のルーバーが外周に設置されたので、見た目は少し違っている。)

 

 ところが、Twitterで、また違った乗り入れ予想イラストを発掘・公開している方がいらっしゃった。

 ほうとうひろし氏によると、「幼稚園」1962年3月号に掲載されたものだという。

 

 更に、ほうとうひろし氏によると「新宿ステーションビル開業直前の1964年5月1日ごろに発行された「幼稚園」1964年6月号の口絵は、新宿西口側から俯瞰した新宿駅の全体像です」とのことである。

 実は、西口側からのイラスト等はここでご教示いただいたものが初めて目にしたものなのだ。

 ということで、あらためて国会図書館で確認してきた。

 西武新宿線が国鉄新宿ステーションビルに乗り入れ (2)

 小学館の幼稚園1962年3月号だ。「これは昭和39年完成予定の東京・新宿駅の想像図です。中央線・山手線・郊外電車・地下鉄が見えます。」とのキャプションがついている。

 西武新宿線が国鉄新宿ステーションビルに乗り入れ (2)-2

  西武新宿線のホームがステーションビル北側の外にあるのがお分かりだろうか。

  そしてもういっちょ。

西武新宿線が国鉄新宿ステーションビルに乗り入れ (1)  

 小学館の幼稚園1963年6月号 だ。「東京の新宿駅は、いま改装工事が行われていますが、この絵は改装後を資料をもとにしてかいたものです。なお、建物の一部は、お子さまが興味をもつように変えてあります。」とのキャプションがついている。

 西武新宿線が国鉄新宿ステーションビルに乗り入れ (3)

  頁を開くと営団地下鉄、小田急、京王の地下ホームも見える。中央線(列車)は、山スカとキハ55、山手線はカナリア色、小田急線は青黄のツートン、京王線は緑色と当時の列車の色がうかがえる。

 西武新宿線が国鉄新宿ステーションビルに乗り入れ (3)-2

 西武新宿線もしっかり新宿ステーションビルに乗り入れている。残念ながらホームとビルの取り付き方の様子はよく分からない。

 いずれにせよ、貴重な(現存する唯一無二?)「新宿駅西口側から見た西武新宿線の国鉄新宿駅乗入れの様子」を描いたイラストである。

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西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。(その2)~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(20)

 「西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(19)」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-f353a5.htmlに載せられなかった図面等を(その2)として載せていく。


 出典は引き続き「東建工」の「新宿東口民衆駅」特集号から。


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (1)


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 実施段階では、西武新宿線の改札は2階と1階に設けることとされたが、検討段階では、地下1階に国鉄と西武新宿線の乗り換え改札を設置する考えもあったことが分かる。


 


 まずは当初案


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (11)


 地下1階の埒内(ラチ内ってこういう漢字なのか。。)で国鉄と西武新宿線の乗り換え改札が設置されている。


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (12)


 1階の西武新宿線改札は、高架下の歌舞伎町方に設置されているようだ。


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (13)


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 次いでB案 


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (14)


  ここでも当初案同様に、地下1階に西武新宿線と国鉄の乗り換え改札が設置され、1階の西武新宿線改札は高架下の歌舞伎町方だ。また、吹き抜けは地下1階と1階をつなぐものとなっている。


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (15)


  


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (16)

 


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 C案


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (17)

 


  地下1階での西武新宿線と国鉄の乗り換え改札はなくなり、1階の西武新宿線改札は実施形と類似のものとなった。


  


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (18)


  


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (19)


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 D案


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (42) 


  地下1階と1階をつなぐ吹き抜けが無くなった。


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (43)


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (44)

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E案


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (20)

 


  設計上申案ということである。


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (21)

 


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (22)


 


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 実施案


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (23)


  ベルクさんのところが、案内所から現在の形の店舗になっている。


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (24)

 


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (25)


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  上記が、新宿ステーションビルの地下1階及び1階の施設配置等の変遷である。


  


  ところで、この段階では、いわゆる「アルプス広場」がまだ無い。この待ち合わせ場所の比較検討図面も掲載されている。


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (26)


  この案は、改札の位置をホーム側に下げて、ラチ外にアルプス広場(団体待合ホール)を設けるものだ。


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (27)


  一方、こちらは、改札の位置はそのままで、ラチ内にアルプス広場を設けるものだ。こちらが採用されたということか。ただし、図面左側の改札の配置が現在とは異なる。


  


 「東建工」からの図面等の紹介はこのへんでお終い。 

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西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(19)

「東建工」という書籍がある。日本国有鉄道東京建築工事局が 定期刊行しており、国鉄の建築屋さんの報文が載っている。ここに新宿民衆駅特集号があり、西武新宿線の新宿ステーションビル/マイシティ/ルミネエストへの乗り入れの痕跡を探ってみることにした。

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (1)  

  目次は上記のとおりであるが、ここから西武新宿線がどのように乗り入れるのかを拾っていこう。

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (2)  

  建築関係のスペックは上記のとおり。

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  西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (38)

 パースはこのとおり。新宿ステーションビルの左側(北側)に西武新宿線のホームが見える。 

  パースだけでなく、建築模型もいろいろな方向から撮った写真が掲載されている。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (5)

 図面と対比して如何だろうか。 

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (40)  

 大ガード方向に西武新宿線の高架橋が伸びる様子が分かる。 

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (34)

 上空から見たもの。この角度は初見。貴重なものだ。イメージしづらかった西武線ホームが新宿ステーションビルにどのような形で取り付いていたのかがはっきり分かる。 

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 私のブログでも、高島屋、伊勢丹、西武百貨店、地元商店街の魑魅魍魎の争いについて触れてきたところであるが、国鉄での整理は下記のとおりとなっている。 

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (41)

  

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (33)

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 実施設計の図面は下記のとおり 

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (28)

  

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (29)  

 1階の西武鉄道改札付近を拡大すると下記のとおり。 

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (30)  

  

  2階から上はこんな感じ。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (31)

 3階にも西武鉄道の駅務室がある。

 なお、鉄道ジャーナル2018年3月号 特集:山手線と新宿駅「新宿 膨張を続けるコングロマリットステーション」岩成政和
には
「新宿東口駅ビルの地下1階から2階に西武の駅施設が準備されていた」

旨書いているが、実際には、西武の駅施設は地下1階には無く、3階にある。

 2階の西武鉄道の改札、ホーム、ビルの吹き抜け付近を拡大すると下記のとおり。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (32)

  「2階の吹き抜けは西武鉄道が乗り入れるはずだった名残」という俗説があるが、下記の立面図を見ると電車が収まる高さも無い。

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (39)  

 また「回廊部分は、西武鉄道のホームとなるはずだった名残」という俗説もあるが、回廊ができた経緯は下記のようになっている。 

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (4)  

 6階から上の図面もあるけど、記事が冗長になるので省略。リクエストがあればお応えしますが。 

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  新宿ステーションビルの、国鉄、会社(新宿ステーションビル)、西武の費用負担や財産帰属については、下記のとおり整理されている。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (36)

  見てもさっぱり分からんかも。ご覧になる環境では字が小さくて見えないかも。枢要の考え方の部分を下記に拡大してみる。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (37)

  ステーションビルの西武専用部分と公衆利用分の一定割合を西武が費用負担して国鉄の財産となっているようだ。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (35)

 西武鉄道は約5600万円を負担しているようだ。 そして、この部分は乗り入れ断念に伴ってドブに捨てた形になったのだろうか?(上記の考え方によると西武が費用負担しても財産の帰属は国鉄にあるようなので。)

  「西武が乗り入れるために2階の構造は補強されていた」といった説があるのだが、それならこの表の「く体」部分の費用負担割合の考え方にそれが反映されていてもよさそうなんだけど、そんな記載は見当たらない。実際にビル内には電車は入ってこないので大した補強は要らないのではないかなあ??

  私は建築のプロではないので、お詳しい方ご教示いただけますと助かります。

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 西武新宿線の国鉄新宿駅乗入れ等に伴う乗降客の増減は下記のように想定されていたようだ。 

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (7)  

  また、2階の改札と1階の改札に係る動線等は下記のとおり。(肝心の西武線に係る動線が薄くてコピーに写っていない。。。)

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (9)  

  

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (10)  

  西武線の新宿乗り入れについて述べるメディアには、2階の改札にだけ触れて、1階の改札には触れないものが多いのだが、実際には1階の改札の利用者の方が多いものと想定されている。そりゃ乗換え等を考えたらそうなるやね。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (6)

  乗降客数の推移については、上記の表も載っているのだが、さっぱり読み方が分かりません。お詳しい方是非ご教示を。。。

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  東建工「新宿東口民衆駅特集号」には、最終案に至るまでの比較検討の図面も掲載されており、そこでは、地下1階の改札で国鉄と西武新宿線の乗り換えを図ろうとしたこともうかがえるのであるが、頁のボリュームの都合から、次の記事へ回すこととしたのでご了解をば。

 

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2020年1月21日 (火)

新宿ステーションビルの店舗募集資料から西武線のホームと吹き抜けの関係を確認してみる~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(18)

 ルミネエスト(旧・マイシティ)の吹き抜けを、西武新宿線乗り入れの名残とするインチキ本は相変わらず多い。

 最近では、交通新聞社の「新しい西武鉄道の世界」がそのインチキに新たに名を連ねたところである。

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の嘘  

 

 先日、「株式会社新宿ステーションビルディング事業案内」を閲覧する機会に恵まれたので、しっかりと検証してみよう。

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (1)

 カラーで西武新宿線が乗り入れている公式イラストというのは初見である。

 西武線のホームと屋根がビルの左側(北側)に伸びているのがお分かりであろうか?

 西武鉄道新宿線が国鉄新宿駅ビルに乗り入れるイラスト

  

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (2)

 裏表紙がこんな感じで上空から見た位置関係を示している。

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (16)

 

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (3)

  

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (4)

 地下2階図面右側上部の広がっていく部分の黒丸は、西武線ホームを支える柱を兼ねているのだろう。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (5)

  地下1階は、ラチ内のアルプス広場がまだ無く、図面左側の改札が現在と異なる。

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (6)  

  1階の右側、びゅうプラザの辺りに、西武新宿線の改札が見える。

 よく「2階に西武新宿線の改札が予定されていた」と言われるが、実際には1階もある。国鉄の資料を読んでいると1階改札の利用者の方を多く見込んでいたようだ。

 また、構想段階では地下1階の国鉄改札の横に西武新宿線の改札を設置する案もあったようだ。これは改めて紹介したい。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (7)

  西武新宿線1階改札付近の拡大図。オレンジの線は、旧駅舎だ。

 改札の前の利用者が滞留するであろう部分とビルとアルタ側から出入りする人の流れが交錯し、とっても使い勝手が悪そうだ。おちおち待ち合わせもできない。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (8)

  そして、お待ちかねの2階である。

 西武新宿線ホームがビルの右側(北側)に飛び出しており、吹き抜けは全くホームと独立していることがよく分かるだろう。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (13)

 西武新宿線ホームと吹き抜けがよく分かるように拡大してみよう。

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (15)

 

 下の図面は、国鉄が作成した図面である。西武新宿線は、ビルの左側に飛び出していることが分かる。

 また、ビルの吹き抜けの中には、西武線の建築限界と支障し、必要な高さが確保できていないことが分かるだろう。

 なぜこういった図面も確認せずに、交通新聞社は恥知らずなムックを出版できるのだろうか?

 「吹き抜けのアーチは、ホームの名残」という人もいるようだが、ホームとアーチは何の関係もないことも分かるだろう。

マイシティの吹き抜けと西武新宿線ホームの図面  

  ルミネエストのフロアマップと当初の図面を並べてみた。

 「ローリーズファーム」や「ニコロン」は、本来は西武新宿線のホームとなるはずだった箇所にあることが分かる。

 ルミネエストの吹き抜けと西武線ホームの位置関係

  西武新宿線の改札付近も拡大してみよう。

 「ホームを設置するために、2階は補強されている」という話も目にするが、図面を見る限りではよく分からない。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (14)

  4階から上は流していきますかね。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (9)

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (10)  

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (11)

  役員部分を拡大してみよう。

 濱野会長は地元新宿の実力者、井野社長は地下1階ベルクのオーナーの祖父、飯田氏は高島屋、小島取締役は西武鉄道社長、小菅取締役は伊勢丹社長だ。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (12)

  

 この資料には、表裏で一枚紙の資料もある。こちらは各区割りの面積や賃貸条件も詳細に書いてある。 

 

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (18)  

  

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (17)  

  主要なテキストを拡大してみよう。

 新宿ステーションビル(マイシティ)入居条件 (1)

  

 新宿ステーションビル(マイシティ)入居条件 (2)  

 

 

 

 

 

 

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2020年1月 3日 (金)

西武新宿駅を大江戸線新宿西口駅に直結させる計画が1982年にあった~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(16)

 ネット等では、西武新宿駅が他の鉄道に乗り入れ、直結していない、また地下道でも直結していないことを嘆く声が聞かれるところである。

 私も過去の計画等を「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。」シリーズでアップしてきたところだ。

 で、最近調べたネタを幾つか追加してみよう。

 

 こんな図面がある。

西武新宿駅地下鉄大江戸線直結計画 (3)

 西武新宿線新宿駅と都営12号線(大江戸線)新宿西口駅がJRの築堤を挟んで「北ターミナル」として直結している。

 そして、地下道も。

西武新宿駅地下鉄大江戸線直結計画 (5)

 西武新宿駅からJR(国鉄)新宿駅まで、サブナードから直進した地下道の絵があるではないか。

 

 この二つの絵が載っているのは、新宿区が1982年に作成した「新宿駅周辺にかかわる諸問題について」の答申付属資料である。

 西武新宿駅地下鉄大江戸線直結計画 (1)

  読んで字のとおり、新宿駅周辺の諸問題について、地元行政である新宿区がいろいろと検討しているなかに、将来的なターミナルの整備等のプランが掲載されているものだ。

  当時は、まだ地下鉄12号線(都営大江戸線)、地下鉄13号線(東京メトロ副都心線)が構想中であり、その受け皿等を検討するための資料なのだろう。

 西武新宿駅地下鉄大江戸線直結計画 (2)

 なお、当時は地下鉄12号線(都営大江戸線)は、今のルートと異なり、国鉄新宿駅には直結せず、国鉄とは代々木駅で接続することとなっている。そのため、現在の新宿西口駅も小滝橋通りを今よりも北に上がったところにあり、そこで西武新宿駅と直結することを考えていたようだ。 

  西武新宿線沿線民からは、「地下鉄直結を求めてたけど、それじゃないよ!」といった声があがってきそうだが、まあ贅沢はいうものではない。

 

 西武新宿駅地下鉄大江戸線直結計画 (4)

 地下の歩行者ネットワーク網では、現在まさに工事中の「東西自由通路」計画が見て取れる。 

 サブナードは、青梅街道、明治通り、国鉄新宿駅直結と三方いn延伸する構想だ。 

  

  以前、「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-aa77.htmlで、過去のサブナードの延伸計画等を取り上げている。その中でサブナードの当初計画も紹介している。

1964(昭和39)年には、サブナード地下街の「基本構想」が策定された。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (17)

 西武新宿駅と地下鉄・国鉄新宿駅を直結する地下道が、第2期計画に盛り込まれていることが分かるだろう。

  これは、地上の道路の幅員不足が原因で実現しなかったものだ。

  しかし、新宿区の計画では、少し位置が違う。どうやら、西武新宿線が新宿ステーションビルに延伸するための敷地に地下道を設置しようとしているのではないか?

  

 しかし、これらの計画は実現しなかった。 

  都営大江戸線はリニアの採用とあわせて新宿駅に直結するルートに変更されてしまった。

  でも、地下道くらいはできてもよかったのではないか?

  

  これは、私の推測(エビデンスなし)なのだが、この新宿区の計画の後に、西武新宿線の複々線化及び新宿地下乗り入れ計画が具体化したためではないだろうか?

  

1987(昭和62)年12月 特定都市鉄道整備事業の事業認定

1989(平成元)年3月 複々線化の事業基本計画の変更認可

1993(平成5)年3月 鉄道施設の変更認可

1993(平成5)年3月 環境影響評価書の告示

1993(平成5)年4月 都市計画の変更告示

 

 

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (74)

(1992(平成4)年5月9日付朝日新聞から引用)

 

  しかし、この地下乗り入れも実現しなかったわけだが。。

 

※ なお、この新宿区の計画に、「上越新幹線の新宿駅乗入れ」は、一言テキストで出てくるだけで具体の中身は一切ありませんでした、この頃にはもう実現性は無かったんですかねえ。。。

 

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2020年1月 2日 (木)

東京高速道路(KK線)が廃道になって、高架緑地になるとの報道を聞いて

 ブログの方の「骨まで大洋ファン」の最初の投稿が2010年なので、なんと10年経っちゃいましたよ。これも皆様のアクセスがモチベーションなので、感謝申し上げる次第です。

 

 ところで、新年早々こんな記事が。首都高の日本橋部分撤去・地下化にあわせてう回路をどうするのか注目されていた銀座附近につき、地下別線でう回路を新設するとともに、既存の東京高速道路株式会社線(KK線)は、高架公園にするというのである。

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 はあ、そうですか。ところで、あそこは道路にする目的で河川埋立の許可を取ったところのはずなんで、道路がなくなれば、コリドー街等の商店街はそのまま設置させてよいのだろうか??と疑問を抱いたので、改めてここの経緯等をおさらいしてみたい。

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(聞き手)あのKK線は、例の自動車運送法でしたか。

(山田)自動車運送法の自動車専用道路です。料金は無料という有料道路なんだな。

(聞き手)あれは石川栄耀氏が、いろいろと役割を果たされたんですか。

(山田)まあ、役所としてはそういうことになっているね。陰には秀島乾。あれが石川さんのところに入り浸っていたのだろう。東京都と東京高速道路株式会社との契約は全くいい加減だ。

 (中略) 

 

(聞き手)そもそも、あそこを埋め立てて、フードセンターにして、上を道路運送法でやろうと発想した本当の人は誰なんでしょうか・

(山田)発想したのは石川栄耀だ。秀島乾、塩沢弘もその一員だ。

 

「東京の都市計画に携わって-元東京都首都圏整備局長・山田正男氏に聞く-」70、71、73頁から

 で、その秀島乾によるスカイビル構想が残っている。

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (3)

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (1)

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (2)

秀島乾・石川栄耀のスカイビル・スカイウェイ (4)

 日本橋の首都高が清々しく見えるほど、河川を埋めて街というか銀座・有楽町のど真ん中を分断しているんだけど、建築屋や都市計画屋は不思議とこれを批判しないんだよなー。

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 で、実際に事業を着手したのがこれ。

東京高速道路-07

東京高速道路-07-2

 樋口実は三菱地所、青木一男は戦前の大蔵官僚から大臣で公職追放(後に高速道路族の最有力者)、小林一三は阪急、藤山愛一郎もいれば、読売新聞社もいる。斯様に政財官マスコミの一大連合体がこの東京高速道路の母体だったのである。

東京高速道路-08

 当初目論見の図面がこれ。

東京高速道路-08-2

 外濠川は実は埋め立てずに、川を跨ぐ形で道路と建物を作るはずだった、とか、今のコリドー街のような店舗、飲食等ではなく高架下には車庫、倉庫を作るはずだったとか今とはいろいろ違うんすよ。

 

 そしてやっかいなのは、石川栄耀の立ち位置。

東京高速道路と石川栄耀 (2)

東京高速道路と石川栄耀 (1)

 上記で石川栄耀の後任の山田正男が、「発想したのは石川栄耀だ。」と述べているところ、実際には政財官コングロマリットにやらせておいて、自分が許可する立場に立っているのだ。裏を取れていない情報ではあるが、石川栄耀は東京都退職後にこの会社に天下ったという記述もある。

 そして更にややこしいのがこれ。

○中井(徳)委員 私は、残念ながら、今の黒金さんの答弁には全く反対であります。従って、これはきょうどうこう言うのではありませんが、私は慎重に研究してもらいたいと思います。こういうことになりますと、四年目に一度は一カ月か二カ月、全国の四千近い府県、市町村の長が、選挙期間中は空席になる。

 それでは具体的に申し上げます。これは賛否両論ですが、東京で今高速道路というのをやっていましょう。あの堀を埋めまして、数寄屋橋がなくなってしまった、それを四、五年前に、自民党、社会党両党の委員がこぞって――村瀬さんもいらっしゃいますが、当時の建設委員が大いに反対したのです。ああいうものは風致を害するということでもって、やりました。そのときにだれが判を押したか調べてみた。そうしたら、安井君が二期か三期目の選挙の途中に、もう死にました石川栄耀さんという人が判を押しています。安井さんは留守です。あの人は、局長さんか何かでおられた。そういうことがあるのですよ。ですから、これはたまたま一つの事実にすぎませんが、私は十分起り得ると思うのです。皆さんのお考えの方が人がよ過ぎるように思いますので、一つ強くこの点を要望いたしておきます。御研究をいただいて、必要があるならば、この選挙期間中は代理者の行政に対する幅に規制をされた方がいいのではなかろうか、こう思います。これは強く要望いたしておきます。

  昭和34年3月12日 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会

 要するに、東京高速道路の決裁は、安井知事が選挙のために不在の間に、当時建設局長だった石川栄耀が「判を押した」ということを中井代議士が国会で指摘しているということなんである。

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  当初許可後、下記のような理由で、現在のように外濠川を完全に埋め立てた形になっている。そして今もあそこは都有地だ。

東京高速道路-09  

  このように不明朗な形で建設された東京高速道路であるが、東京都政の汚職を指して言う「安井都政の七不思議」の一番手としてあげられることが多い。(二番目あたりに私の大好きな三原橋あたりがくるのだが)

 安井都政の七不思議と東京高速道路 (2)

安井都政の七不思議と東京高速道路 (1)  

 「東京都知事」日比野登・編著 日本経済評論社・刊 41・42頁から

  安井都政の七不思議と東京高速道路に言及している文献は多数あるが、とりあえずこれが簡便にまとまっているかと。

  また、東京高速道路は自民党議員からも「利権道路」と呼ばれていた。

 昭和33年4月10日衆議院建設委員会において久野忠治議員曰く
「一部経済人がこれに目をつけまして、御存じの通り新橋―京橋間に東京高速自動車道路の建設が計画をされ、目下この事業が進行中でございます」
「副知事はこう答えました。倉庫もしくはガレージに利用する、こう言ったのであります。万一その利用目的が変った場合にはどういう処置をとるかという質問に対して、撤去を命ずる、こう言いました。それからもう一つ、この都市計画全体からいって、下水あるいは雨水の排水のための重要な都市水路であるから、これは残しておくべきではないかという意見もそのときに出たのであります。その質問に対しては、地下はいわゆる水路として残しておくように設計をされておる、万一それを埋め立て等にする場合があれば、これまた当初の設計に反するものであるから撤去を命ずるということを、現に当委員会で言明をされたのであります。」
「ところが今日でき上りましたものを拝見いたしますると、堂々たるキャバレーができたり、あるいは飲食店ができたり、事務所ができたり、倉庫というのは名ばかりで、今ガレージなどというのは名目的に一、二カ所あるだけでございます。」
「地下の水路はすでに埋め立てをいたしてしまいまして、そうしてこれを地下の倉庫に利用しようといたしております。そうして莫大な利権を握って、東京都の交通難を緩和するという美名に隠れて利権のちまたにこれがなろうとしていることは、衆目の見るところであります。」

 当時の国会では与野党こぞっての「利権」集中砲火であった。下記は1954年11月11日付読売が報じる国会での追及の状況の一部である。

東京高速道路の疑惑

 また、1956(昭和31)年9月6日付読売新聞には、東京高速道路は「利権の長城」と呼ばれていたと書いてある。

  ところで、このような魑魅魍魎が蠢く利権の象徴である東京高速道路であるが、新国立競技場関連で国民には説明せず「建築家諸氏へ」というお笑い文書だけ出して世間の失笑を買った日本の代表的建築家である内藤廣氏は、建設業界誌「CE建設業界」2003年12月号に掲載された「フォトエッセイ構築物の風景」において下記のように語っている。

 東京高速道路と石川栄耀 (3)

  曰く「民活やPFIの先駆けだ」「その筋金入りの勇気と熱意」。かたや「都政七不思議」「利権の長城」。皆様はどうお感じであろうか。

 ところで内藤廣センセイも指摘した民活やPFIについては、始め方もともかく、終わり方や失敗したときのシメ方も重要であるのは、異論のないところであろう。 

  では、始め方でもいろいろあった東京高速道路について、〆方も見てみよう。

 東京高速道路と石川栄耀 (4)

1988年6月22日 付け朝日新聞から

東京高速道路

  東京都は、東京高速道路株式会社に当初許可する際に、償却した後は東京都に返還するよう求めていたが、会社がそれを履行しないため、都が会社を民事訴訟で訴えたというのである。

 訴訟は最高裁まで東京都が勝ち続けたのであるが、最後まで会社は返還を履行せず、都の財政難を理由に会社が有償で施設を買い取る形で決着した(2000年2月19日付の読売新聞によると売却額は約55億円とのことである。)。 

 

これが内藤廣大先生の絶賛する「民活やPFIの先駆け」の実態なんである。 

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 そんなドロドロの東京高速道路を道路を廃止した後は、ニューヨークのハイラインのような高架公園にするという。 

  実はハイラインは全線歩いたことがある。

 highline (2)

 highline (1)

  見た目簡単そうに見えるけど、この都心の人込みの中で、ごみも落ちてなく、落書きもなく、植樹も「イイ感じ」に維持していくのは並大抵のコストではできない、ちょっと手を抜くとすぐ雑草と落書きまみれになってしまうと感じた。

 highline (3)

 highline (4)

 実際には世界的な大企業がパトロンになって維持管理をしているようだ。今の銀座で簡単にそれができるかなー。 

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 ところで、以前から言っているのだけれども、東京高速道路(KK線)が道路としては不要となるのであれば、なぜ撤去して銀座の水辺空間を復旧させないのだろうか? 

  日本橋の首都高撤去にあたってソウルの清渓川を例にあげる人は多いのだけれども、ロケーション的には、むしろそれを言うなら東京高速道路の撤去じゃね?と思うわけですよ。

ソウル 清渓川路

 


○岡安参考人 ただいまの御質問でございますが、私らはあくまでもこれは交通緩和、こういうような大きな目的で、許可いたしました。会社の面におきましても、公共のためということを大きく銘を打つております。従いまして、今おつしやられましたような、もしもこの結果、会社側が非常に有利である、非常に利益がある、こういうことが考えられますれば、東京都としては、利益させるために許可したのではございませんので、この点は東京都と会社側と、さらにまだ契約を結ぶ面があると思います。その面につきましては、これは私らしろうとでございますのでおかりませんが、おそらくそんなに有利な条件で会社側がもうかるようなことは許可しませんということを申し上げたいと思うのであります。どういう方面でしますか、これは私らもつと検討いたしまして会社と交渉いたしますが、これは何としても公共施設としてやつておりますので、その点は私らは必ずやり通してみたいと考えております。御心配の点は重々よく考えまして、将来に悔いを残さないようにしたいと考えます。

 

○岡安参考人 樋口社長から冒頭に申しましたように、会社の計画としては、実は八階建をつくりたいということで始めたことは、事案でございます。しかし、それが知事としましては、そういうことはいかぬ、都市計画の関係あるいはその他の関係でいかぬ、こういうので道路ということになつた。それはその通りなんです。ただ会社としましては、東京都から、道路ならば許可する。東京都でもつてやれるかということでやりました際に、一応の計画を会社は、おそらく株式会社でございますので立てられた。これは私らも考えられる。ただ、先ほど只野さんから言われたように、会社がもうけはせぬか、こういう点があるだろうと思いますが、この点は、私は、もう会社が高速道路という名前に隠れてもうけるということば絶対にさせません。そういうことで、今樋口さんの言われたのは、会社が一応計画を立てて、どうやらとんとんに行くつもりでやつてみたら、今度は道路だけということになれば、相当苦しい。苦しいが、しかし東京都の道路の交通の緩和のためというなら、モデル・ケースでやつてみる、こういうふうに私らは了承しておるのであります。今の樋口さんのお話も、多分私はそういうふうに言われたと思うのでございます。決して会社がもうからぬけれども、いやいやながらやつてやるんだ、計画が違う、こんなことでは会社はおそらく成り立たぬと思うというような、もうけを主義にしてやるというのではないと思うのです。東京都としましても、でき上りまして会社がもうかるようにする、もうかるようにどういうふうにしてやる、損だからこんな計画を変更するという意思は全然ございません。必ず東京都としましては、あれが交通緩和のためになる、こういうことであくまでやつて行きますので、この点私から繰返して申し上げておきたいと思います。

 

第18回国会 衆議院 建設委員会 第2号 昭和28年12月7日

 

 上記は岡安東京都副知事(当時)の国会での答弁である。あそこは道路にして公共のために寄与するから許可したのだと。他では、許可の条件に違反したら、許可を取り消すとも答弁している。

 

 それならば、今般、東京高速道路が道路としての機能を失うのであれば、そこの許可を取り消して全て撤去し、河川に復旧すればよいのではないか?ハイライン風の公園にするのはゴマカシではないのか?今でもあそこの地主は東京都であるのだから。私には本来副次的な目的に過ぎなかった商店街を残す口実としてハイライン風高架公園を持ち出してきているようにしか思えない。

東京高速道路の疑惑2  

 1954年10月2日付の朝日が報じるように、地元は外濠川の埋め立てに反対していたのだ。道路が廃止されたのなら、地主の都は道路としての仕様許可を取り消せばよいのではないか。 

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 ところで余談になるが、先日土木学会の主催する「土木コレクション2019」内のイベント「どぼくカフェ」において、土屋 信行氏(リバーフロント研究所 技術参与)が「首都高速道路はなぜ日本橋の上空に架橋されたか!!」という題目で講演を行ったが、

・東京高速道路株式会社は、山田正男の発案である。(←石川栄耀が許可に関わった際には、山田氏はまだ神奈川県庁職員)

・東京高速道路株式会社は、東京都も出資していたが、いつの間にか都の出資分がなくなった。(←前述資料を見てわかるように当初から都の出資はない。)

・東京高速道路株式会社の地主が露店を収容した。(←東京高速道路株式会社線の底地は東京都のもの)

・東京都八重洲口の外濠も、東京高速道路株式会社線にあわせて埋め立てた。(←あそこはまた鉄鋼ビルとか国鉄のインチキとか別途ややこしいところだ。)
 

 といったトンデモ発言連発であったので付記しておく。なんなの土木学会って??

 土木コレクション2019内のイベント「どぼくカフェ」において、土屋 信行氏(リバーフロント研究所 技術参与)が「首都高速道路はなぜ日本橋の上空に架橋されたか」という題目で講演を行った

 土木学会「土木コレクション2019>」「どぼくカフェ」で講演する土屋 信行氏(リバーフロント研究所 技術参与)

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2019年12月 5日 (木)

祝・渋谷東急プラザ新装開店 ~60年を経たバスターミナル設置と東急ターンパイク~

渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (5)


 2019年12月5日、渋谷の東急プラザがリニューアルオープンした。


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (6)


 そして、一階にはバスターミナルも設置された。


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (7)


 実は、東急の大総帥五島慶太翁は、もともとここにバスターミナルを作ることを目論んでいた。その野望から約60年を経て、遂にバスターミナルがこの地にできたのである。


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (2)


 このポンチ絵は、「汎交通」1959年9月号に掲載された「渋谷周辺の交通事情と東急の計画」に掲載されたものである。


 赤丸の部分の「バスターミナル」が、東急プラザである。


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (1)


 さて、単にバスターミナルだったら、そんなに大騒ぎすることはないんじゃないかとお思いかもしれない。この報文の中身をよく読んでみよう。


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (8)


 「渋谷から江の島に至る自動車専用道路」「長距離専用道路の起点にふさわしい」「バスターミナル」とある。そう、ここはバスタ新宿の大先輩である日本最初のハイウェイバスターミナルになるはずだったのだ。


 


 以前、このブログで「東京江之島間有料専用道路申請書が出て来た~東急ターンパイクの考察(その1)」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-57f6.htmlという記事を書いたのでおさらいしてみよう。


東急ターンパイク免許申請書 (1)


 下記のように、渋谷から江の島へ至る自動車専用道路を東急は計画していた。田園都市線構想はこの自動車専用道路構想がポシャった後である。


東急ターンパイク免許申請書 (13)


東急ターンパイク免許申請書 (17)


 路線バスの計画である。


 1 渋谷-玉川 80往復


 2 渋谷-野沢 40往復


 3 渋谷-梶ヶ谷 20往復


 4 渋谷-西横浜 60往復


 5 渋谷-江ノ島 6往復


 6 渋谷-小田原 10往復


 等の渋谷を起点にする路線バスが計画されていた他、区間路線も予定されていたようだ。


 


東急ターンパイク免許申請書 (19)


 交通経済1955年1月号から引用


 業界誌の新春対談の大見出しが「高速道路に邁進」なんである。この力の入れっぷり。


 


 しかし、残念ながら、東急ターンパイクは小田原~箱根間を除いて実現できなかったのはご存知のとおり。バスターミナルも、バス抜きの東急プラザになってしまった。


 それが、遂にバスターミナルができたのだよ。天国の五島翁もさぞお喜びであろう。


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 ところで、この「渋谷周辺の交通事情と東急の計画」だが、バスターミナル以外にも興味深い図面が満載である。


 渋谷川が、東急百貨店の地下をうねくりながら走っている様子とか


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (4)


 その上に建っていた東急百貨店東横店の「スパン割」は、渋谷川に依拠していたのだなあとか


渋谷東急プラザとバスターミナルと東急ターンパイク (3)

 第三軌条の東急新玉川線が銀座線渋谷駅に乗り入れている図面とか(赤く囲ったところに「二子玉川方」と書いてあるのが分かりますか?)


銀座線に新玉川線が乗り入れる想定だった渋谷駅 


 この他にも「石川栄耀が渋谷の露店を地下街に収容しようとしたけど上手くいかなくて、東急に頼んだところ、肝心の露店よりも東急の地下街の方がはるかにでかいものができあがったなあ」とか、「そこで東急が恩を売ったお陰もあって、東急プラザ周辺の区画整理は東急に有利に行われて疑獄の1つだったらしいぞ」とかまあいろいろ渋谷の魑魅魍魎があるのである。


  


 こちらのツイートもご参考まで 


 


 


 


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2018年9月17日 (月)

団地内に高速道路の敷地を確保していても事前に説明しておかないとトラブルになる

 吹田市立博物館&パルテノン多摩歴史ミュージアムの連携展示「ニュータウン誕生」の図録を見ていたら、38頁にこんな記載があった。

団地と高速道路 (2)

 南多摩尾根幹線は、高速道路でも十分な幅員の空き地があいている未成道ということくらいは知っていたが、もともと道路予定地を確保していたが団地入居前に説明がされていなかったこと等を原因として、現在は生活道路の高規格版といった形で整備が進められている。

団地と高速道路 (3)

 詳細は、こちらをごらんいただきたい。http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kiban/minamitama/pdf/slide.pdf?1503

 

 そういえば、中央道の世田谷区内烏山北団地付近も似たようなトラブルがあった。ちょうどシェルターがある箇所である。

団地と高速道路 (1)

 出典「野村鋠一顧問 談話録」編集・発行 財団法人東京市政調査会 67頁

 こちらも「山田正男首都整備局長が団地のど真ん中を高速道路が通るように空けていたが入居前に住民にしらせていなかったようです」とある。

 野村氏は、この紛争解決の際に日本道路公団と団地住民の間を調整した東京都都民室長だったので情報の精度は相当なものと思われる。(ただし建て替えはあったはず)。

 

 烏山北団地については、山田正男氏の名前が出てきているが、多摩ニュータウンの計画に深く関与していることも旧知の事実である。

山田正男

 山田正男は「山田天皇」と呼ばれ、東京の都市計画に辣腕、剛腕をふるったものだが、時代とともに、住民への事前の根回しなしには事業は進まなくなっていたということであろうか。団地入居前に道路の説明をしておけば結果的に急がば回れになっていたのかもしれない。こういった背景を調べもしないで「プロ市民」呼ばわりすれば俺国士様カッコイーみたいな風潮があるがけしからんことだ。

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