カテゴリー「建築」の73件の記事

2018年9月17日 (月)

団地内に高速道路の敷地を確保していても事前に説明しておかないとトラブルになる

 吹田市立博物館&パルテノン多摩歴史ミュージアムの連携展示「ニュータウン誕生」の図録を見ていたら、38頁にこんな記載があった。

団地と高速道路 (2)

 南多摩尾根幹線は、高速道路でも十分な幅員の空き地があいている未成道ということくらいは知っていたが、もともと道路予定地を確保していたが団地入居前に説明がされていなかったこと等を原因として、現在は生活道路の高規格版といった形で整備が進められている。

団地と高速道路 (3)

 詳細は、こちらをごらんいただきたい。http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kiban/minamitama/pdf/slide.pdf?1503

 

 そういえば、中央道の世田谷区内烏山北団地付近も似たようなトラブルがあった。ちょうどシェルターがある箇所である。

団地と高速道路 (1)

 出典「野村鋠一顧問 談話録」編集・発行 財団法人東京市政調査会 67頁

 こちらも「山田正男首都整備局長が団地のど真ん中を高速道路が通るように空けていたが入居前に住民にしらせていなかったようです」とある。

 野村氏は、この紛争解決の際に日本道路公団と団地住民の間を調整した東京都都民室長だったので情報の精度は相当なものと思われる。(ただし建て替えはあったはず)。

 

 烏山北団地については、山田正男氏の名前が出てきているが、多摩ニュータウンの計画に深く関与していることも旧知の事実である。

山田正男

 山田正男は「山田天皇」と呼ばれ、東京の都市計画に辣腕、剛腕をふるったものだが、時代とともに、住民への事前の根回しなしには事業は進まなくなっていたということであろうか。団地入居前に道路の説明をしておけば結果的に急がば回れになっていたのかもしれない。こういった背景を調べもしないで「プロ市民」呼ばわりすれば俺国士様カッコイーみたいな風潮があるがけしからんことだ。

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2018年6月 9日 (土)

アド街・日比谷特集記念/日比谷地下駐車場は日比谷公園をオープンカットで作られた

 今日は、アド街ック天国で日比谷特集らしいので、記念して、日比谷ネタをUPしてみる。の「しょのにーーーー」(谷岡ヤスジ先生風に)

 先ほどは、日比谷地下道について取り上げたが、同じ日比谷の地下ということで日比谷公園の地下にある日比谷地下駐車場について触れてみたい。

 日比谷地下駐車場は、1956(昭和31)年4月に都市計画決定され、日本道路公団(当時)により、1960(昭和35)年5月に竣工した最初期の日本の都市計画駐車場である。

 その辺の能書きは後で関係論文をご紹介するのでそちらで見ていただくとして、日比谷公園の帝国ホテル側に下記のような入口があるのをご存知の方もいらっしゃるであろう。

 私が今回ご紹介したいのはこの写真。

日比谷地下駐車場 (3)

 下にフランク・ロイド・ライトの帝国ホテル、左に日比谷図書館に日比谷公会堂が見えるだろう。

 このように日比谷公園をオープンカットすることによって日比谷駐車場は建設されたのである。

 せっかくなので建設当時の図面を見てみよう。下記の図面はいずれも土木学会誌 昭和35年7月号「日比谷公園地下自動車駐車場建設工事の概要について」 津田敬一(日本道路公団建築課長)著から引用したものである。

日比谷地下駐車場 (4)

 日比谷公園の数か所にあるこいつが、日比谷駐車場の避難口兼給気筒であることが分かるだろう。

日比谷地下駐車場 (2)

 地下鉄丸ノ内線に隣接していることが分かる。

 下記は地下1階の図面。

日比谷地下駐車場 (5)

 下記は地下2階の図面。

日比谷地下駐車場 (6)

 下記は、実際に工事したオープンカットの図面である。ただでさえ近い地下鉄丸ノ内線が更に近くなっているのがお分かりであろう。ご存知のように日比谷公園は江戸時代には海だったわけで、想定外の軟弱地盤に大変苦労したようだ。

日比谷地下駐車場 (7)

 下記は数年前に撮影した駐車場内の様子である。

日比谷地下駐車場 (1)

アイドルのMVが撮影されたこともある。

 最近は、自転車通勤用の駐輪場施設等も設置されているようだ。

http://hibiya-ride.jp/

 駐車場としての現在の営業案内は下記を参照のこと。現在はNEXCO東日本に引き継がれている。

https://www.driveplaza.com/hibiya_parking/

「日本最初の東京日比谷地下自動車駐車場都市計画決定及び建設経緯」 堀江 興

https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/17/0/17_0_57/_pdf/-char/ja

「日比谷公園地下自動車駐車場建設工事の概要について」 津田 敬一

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00034/45-07/45-7-14457.pdf

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アド街・日比谷特集記念/日比谷地下道はなぜ一方通行なのか?

 今日は、アド街ック天国で日比谷特集らしいので、記念して、日比谷ネタをUPしてみる。

日比谷地下道

 しつこいけど、また日比谷地下道の話。

 今回は「なぜ、日比谷地下道は片道だけになったのか?」ということを探ってみる。

 私は、かつて「もともと日比谷地下道は三原橋まで伸びる計画であったが東京オリンピックを前に営団地下鉄日比谷線と計画が競合し、結果日比谷線が勝って日比谷地下道が負け、地下3階を日比谷地下道が走ることとなった。そしてそのバーターで地下鉄三田線は営団地下鉄から都営地下鉄へ経営権が譲渡された。」という趣旨の記事をUPしてきた。

三原橋地下街を潰すはずだった銀座地下道計画

〇東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html

〇東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html

〇日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b86d.html

三原橋地下街と地下鉄日比谷線と有楽町ガード下地下道の関係

 ところが、1962年の計画(上記上段)でも日比谷地下道は地下3階を経由して三原橋交差点までは行っている。

 現状は三原橋どころか銀座四丁目交差点までも行っていない。何故なのか?

 これがずっと分からなかったのだが、東京都議会の議事録について過去分が遡って公開されていることに気づいた。で、検索すると答え(らしきもの)が書いてあったのである。

◯三十二番(田村徳次君)

(略)

 そこで私は首都整備局長にお聞きするんですが、私の聞いたことがもしあやまちであれば幸いでありますが、もしあやまちでなければ、これから私が申し上げる問題については、議員の皆さんも大いにご検討願いたいと考えるのであります。というのは、今日その地下鉄の主力的立場に立っているものは、何といっても帝都高速度交通営団であると思います。この交通営団の構想をお聞きいたしまずと、現在地下鉄の第二号線の建設に努力中でありまして、すでに南千住から仲御徒町までは開通済みであり来年はその二号線は北千住から人形町まで開通するという予定のもとに今日努力されておる。これが人形町から右折して築地に参りまして、築地から右折して銀座、日比谷を通って、桜田門から左折いたしまして中目黒に達する。いわゆる第二号線であります。そこで今三原橋の下あたりが、これもがっての都政のしわよせが来まして、橋下の住民の反対に会いまして、あそこでもそもそしているようでありますが、いずれにいたしましても、あの線を通ってくることは間違いありません。そこでその構想を承りますと、まず築地からこっちへ来たところにいわゆる東銀座の停車場がある。この二号線はまず三号線の下をくぐる。いわゆる渋谷、浅草間のあの銀座線の下をもぐる。そしてその次は四号線、いわゆる池袋、新宿の線の下をくぐることになっております。従ってそこにできるところの停車場の構想は、いわゆる数寄屋橋と銀座四丁目の間のところに駅をこしらえる。そして地下三際に乗降場ができるということです。その連絡のためには、まず幅員二十メートルの、いわゆる数寄屋橋と銀座の間に停留所をこしらえる。そしてそれが地下一階においてエスカレーターその他によって四号線並びに三号線に通ずるように連絡口ができるというのが、今日すでに決定したところの高速度交通営団の構想なんです。ところが私の不審に思うところは、今申し上げましだように、高速度交通営団、交通局を問わず、これを努力して、都の執行者は一日も早く完成すべきにもかかわらず、これに対して妨害を加えるような地下自動車道路の計画案というものがあるそうであります。ごのことを私は質間したいのでありますが、それは三原橋の西隅から警視庁前に至る一・三キロばかりのどころに自動車専用の地下道としてこれを通そう。先ほど私が申し上げましたように、東銀座の新しい銀座駅は一般のも開放されて地下道として使われ、将来は日比谷の交差点附近までもこれを延ばしていこうということであって、信号をたよって通るところの路上交通に対する援助にもなり、あるいは混雑するところの地上へ出てまたは連絡するということのない、いわゆる三号、四号線に連絡されるといういろいろの効果を持っているわけでございますが。これに対しても首都整備局を中心としてお考えになっている自動車道路は、その地下一階のいわゆる連絡囗へ持っていって自動車を桜田門から三原楊まで通そう。そうなってきますと、この高速度交通営団の考えている地下鉄網についての一頓挫を来たすということであって、このことについては非常に悲しむべき考えである。というのは、自動車は二人か三人とはいいませんけれども少なくとも十人も二十人も乗っては乗合以外にはありません。この間もある婦人の会合に行きましたところが、何で都心にそう自動車を入れなげればならないのだろうか、日比谷なら日比谷でおろして銀繿は歩てもらうようにしたらどうかというようなご意見のあつた婦人団もございますが、そこを私はお間きしたいのです。もしそういう計画があるとするならば、今喫緊の声のかかっている地下鉄完成に対する阻害をなすのは東京都みずからである。私はこういう考えを持つのでありまして、少数の人間が乗る自動車をこういうことまでして都心に入れなければならないかどうか。その理論的根拠は一体どうなんだ。これをわれわれが納得のできるようなと説明があるならしていただきたい、もし私の間いたことが誤りであり、訂正されておるのであったならば、その訂正のことについてのお考えを間かしていただきたい。

 それからこれと柤伴いまして、当然自動車地下道路をこしらえるということになりますと、排気ガスその他に対する抜け穴をこしらえなければならぬから、あの舗道の両側においては柱が立つか煙突が立つか知りませんが、排気口もできるでありましよう。それと同時に都電の徹去ということも当然副産物的に出てくる。というのは、自動車がもぐったり上がったりするというようなことから、この出入口をこしらえるということになりますと、都電は当然あそこは撤去になる。そうなってきますと、二、三人しか乗らない自動車を通すために、高速度交通営団に対する影響と、もう一つ都電そのものの大衆輸送機間を中断するということになる。交通機間というものは起点があって終点がある。これが起点から終点まで乗って初めて交通を意味するのであって、これを中断するならば、人間の胴中から首を切ったと同じ結果になるのだが、こういうことまでもして二人や三人の乗用自動車を通さなければならない、自動車道を保謾しなければならないという根拠がいずれにあるかをご説明願いたい。

(略)

首都整備局長(山田正男君) ただいまの地下鉄の二号線の問題につきましてご説明を申し上げます。実は首都整備局が営団の行なっております地下鉄工事を妨害でもしているかのごとき風説が流布されておることは私も承知いたしております。私実はこういうふうに考えておるのでございまして、地下鉄を含めまして都市高速鉄道というものは単なる法律上の地方鉄道であってはならない。なぜかと申しますと、これは都市の交通を構成いたします一つの施設でございますから、都市計画の総合設計のもとにこの都市高速鉄道というものは組み立てられ、また事業が行なわるべきものであろう、こういうふうに考えておるのでございます。実はご承知のように都心部を中心といたします道路交通事情、あるいは都市鉄道の事情が年々悪化いたしておるのでございまして、都心部の道路交通及び都市鉄道の打開につきまして、数年来都市計画審議会の中には道路の問題の特別委員会、あるいは地下鉄道の問題に関する特別委員会、こういうような機関を設けまして、いろいろ対策を講じて参ったのでございます。そこでそういう立場から、実は三年ほど前から今後都心部の道路の地下を都市高速鉄道に利用する場合には、将来道路が、たとえば首都高速道路のように全部高架の工事をする場合がある、二重の道路を作る場合がある、あるいは主要交差点を高架あるいは堀割式で立体交差の工事をする場合がある。そういうことになりますと、これは道路本来の使用の目的でありますから、道路を利用して作るこの地下鉄道の地面下の深さにつきましては、工事の実施設計をする以前に当局と十分協議をされたい、こういう旨を通牒いたしてあるのでございます。幸い都営の地下鉄道におきましては交通局と私どもと十分協議を行ないまして、昭和通りの道路交道需要を補足する意味におきまして、都営の地下鉄道の工事が実施される際に、同時に主要交差点の立体交差の工事を行ない、しかもその間に地下の自動車駐車場を設けるという工事が合併施行されまして、これによりまして昭和通りといたしましては未来永劫に掘り返しをする必要のない施設ができ上がる、こういうふうに考えておるのであります。そういう意味におきまして、地下鉄の二号線の三原橋から日比谷に至る区間、これにつきましても三年前から鋭意営団当局と事務的な協議を進めて参っだのでございますが、中途にいたしましてどういうものか協議に応じなくなりました。従いましてその後一年くらい協議がとだえておったのでございますが、これに対しまして地下鉄道というものはやはり都市計画の施設でございまして、私どもといたしましても、妨害どころか一刻も早く地下鉄道が完成することを望んでおるのでございますから、実は最近もその両者の協議を復活いたしまして、鋭意協議を進めている、こういうのが実情でございます。

 そこでどういう協議を進めておるかと申しますと、実は桜田門から三原橋を経まして勝閧橋に至る道路、これは実は都心部門の主要幹線街路の将来の交通需要を推定いたしまして、現在の道路施設では当然不足な道路の一つでございます。また都心部におきまして将来の交通需要に対しまして何とか改良をしなければいけない、こういう道路が先ほど申し上げました昭和通り、これは現在工事をいたしておりますから解決いたしますが、なお虎ノ門から汐留に至る区間、あるいは田村町から日比谷を経まして大手町に至る区間、あるいは勝閧橋を渡る道路の問題、こういう問題がございます。そこでこの三原橋から桜田門に至る区間につきましては、いろいろ都市計画寨議会内においても議論をいたしました結果、高架の自動車専用道路をかぶせるか、あるいは地下の道路を作るか、そのいずれかしかない、こういうことでございます。しかしこの区間に高架の道路を作りますと、国有鉄道とか既存の高速道路がございまして、地上三階以上を通ることになる。これは都市美上耐えられない。従ってこれは何とかして地下の自動車道にする必要がある、こういうことでございます。たまたま地下鉄の銀座線あるいは新宿線、これは地下の二階を通っておりまして、地下の一階に駅のコンコースがございます。そこで地下の自動車道といたしましては、この地下一階のコンコースを横断いたしますが、これ以上に方法はないから地下一階に自動車道を作ろう。そのかわり地下二階にコンコースを作ろう。従いまして地下鉄道のみを建設いたしますなぢぱ、地下一階にできるべかりしコンコースを地下二階に移しまして、そのかわり地下一階を自動車道にしよう、こういう考え方をいたしておるのでございます。特にこの銀座地区を中心にいたします都心部につきましては、ご承知のような道路交通事情でございますから、将来、ただいま申し上げましたような道路交通能力を補足する措置を講じましても、現在のような建築基準法のもとに工事いたしますと、九階建のビルディングが連続いたすわけでございます。これでは将来の都市施設とそれに対する需要がますますアンバランスするわけでございます。全般的にただいま申し上げましたような道路計画を含めまして市街地再開発を行なう。そこで再開発の結果できましたビルディングの地下室には大規模の自動車駐車場を設ける。ただいま申し上げましたような地下の自動車道路は、そのビルの駐車場に地下で直結をしてやる。そういたしますと、道路上に自動車が出ないで各ビルに相互に連絡できる。こういう考え方は、いわゆるディストリビューター、分配道路という思想でございまして、シカゴにおきましては自動車専用道路からおりた車を各地区に誘導いたしますために、このデベストリビューターという自動車専用道路、本来の高速道路よりも規格の低い道路を作りまして、そして平面道路の交通能力を補っておるというのが実情でございます。現に市街地再開発といたしましては、丸の内の赤れんが街の一帯は、すでに再開発中でございますが、この下には約二千六百台分の自動車駐車場を作る計画になっております。そういう際には、この地下の自動車道路ができますならば、地下においてこの駐車場と接続をする、こういうふうに考えております。他の場所におきましても市街地再開発計画の一環といたしまして、この自動車道路との連絡を考慮している、こういうような実情でございます。

 また換気の問題がございましたが、この換気は実は米国におきましてもこういう程度のディストリビューター式の地下自動車道略がございまして、きわめて簡易な、縋の方向の換気ではなくて横断式の換気装置によりまして簡単に換気ができる見込みを持っておるのでございます。もちろんこういう自動車遠路の建設は、直ちに賂面電車の撤去ということとは関連なく研究をいたしております。もっとも工事をいたします際には、この地下の自動車道路の工事をいたしますならば、土かぶりがゼロになります。そういう工事をいたします際には、やはり路面電車の運行を一時中止せざるを得ないという場合が考えられます。しかし地下の一階が自動車道路でございますが、地下の二階がコンコース、その一階と二階の間にさらに約二メートル余の空間がございまして、ここを共同溝にする。そこで埋設物は全部この共同溝に入れることにいたしたい。そういたしますと土かぶりがゼロでございますから、通常やっておりますように木の矢板をとりまして、そこへまた土を持ってきまして、埋設物をそっと納めまして、また自動車で自然転圧を長々とやりまして、簡易舗装の仮舗装をする、二年ほどたってからまた本舗装の工事をやる、こういうだらだらした工事でなくて、地下鉄の工事と同時に本舗装が完成する。将来永久に掘り返しがない。なおかつあわせまして共同溝ができる、こういう利便があるわけでございます。それにいたしましても、地下鉄の駅の現在のコンコースをちょん切るという問題がございます。また路面電車の運行を一時中止するということも問題である。あるいは施工方法の問題等々、いろいろの問題がございますので、目下関係各省を含めまして、交通営団当局と鋭意協議中でございます。この自動車道路が建設できるかいなかというその判定は、十月中にはいたしたい。いずれかを決定いたしまして、いやしくも地下鉄の工事を妨害するというような批判を受けることのないように努めたいと存じておるのであります。以上であります。

 

1961.09.29 : 昭和36年第3回定例会(第16号) 

 ここまでは、日比谷地下道の期待される効果について述べられている。比較案として高架で国鉄を跨ぐ案も考えられたが、「これは都市美上耐えられない」として地下道とされた。

 山田正男とオリンピック関係の道路といえば、首都高と日本橋との関係のように、山田正男は悪者になってきているのだが、実際には都市美を考慮して事業を進めているのである。

 あえて悪いことを書くと「銀座の都市美は考慮するけど、日本橋の都市美は考慮しなかった」ということなのかしらん?

 まあ、実際には日本橋については橋の下を日本橋川を干拓して首都高を通すのが本来の構想だったので「日本橋の上空」は守られるはずだったのだが。

 

 閑話休題。上記は東京都と営団地下鉄が協議中ということだったが、その後の協議結果が1年後の都議会で報告されている。

◯五十一番(竜年光君)

(略)

 なおこの都市計画が一たんきまっても、今までときどき耳にしていることは、いろんな抵抗や圧力があって、これが変更される。実情に応じて変更されることは一向差しつかえないともいえますけれども、ある部分においては変更され、ある部分では三年も五年も十年もがまんをしてきて、みすみすほかの方では有利に変更されているということが、やはり起きて参りますと、正直者がばかを見るというようなことで、都民はこういうことに対しては協力できなくなる。最近でも、二、三そういう事例があったそうでございますが、いずれにしてもこの都市計画と、実施という問題については、計画は計画だけだ、しかもそれが首都整備局の一部の人が知っているというだけの計画であっては、決してこれは都市計画が満足にいくはずがない。私が聞くところによりますと、区役所でもわからない。都庁の中でもだれに聞いてもわからない。ある部分のところにいかなければわからぬ。ところが外国の都市計画は三年でも五年でも一つの問題についてこじきに至るまでそれをよく周知させて、いざきまったら直ちにそこで実施をする。これが都市計画のいき方らしい。そこへいくと全然今の東京都は逆のことをやっているわけでございます。でははたして今かかえておる都市計画が実施できる計画か、今の都市計画をほんとうに実際に予算面から検討して実施するとするならば、一体何千億、何兆かかるかということをこの際私はできるならば発表してもらいたいと思うのです。できない計画ならばこの際はっきりどこに重点を置くかというふうに定めて、抜本的にこれを重点的にやる所だけの計画にしてもらいたい。そうしなければ、今の都市計画というものは、単なるこれは都民を泣かせるだけの計画に終わるということを私は申し上げたい。なおこれに関連してでございますが、最近新聞を通じて知ったのですが、三原橋と日比谷間の地下自動車道について、九月に河野建設大臣が現地を視察したときに、一体この都心部で四十尺も六十尺も掘り下げて地下鉄の下にしかも自動車道を通す、トラックも入らないような自動車道を通して、四十億も幾らもかける。そんなばかな話があるか、世界に類例をみない、おれの在職中は絶対そういう計画はやらせないということをいわれたそうでございますが、私は正確にそのことを聞いでおりませんので、そのときにいられた当面のおそらく首都整備局長かどなたかはっきりお聞きになったと思いますが、この際はっきり私どもの前でどういうことであったのかということを説明をしてもらいたい、私は要望いたします。東京都の都市計画というものは、これほどずさんなもので、いいかげんなものであるということであったのか、あるいは大臣のいうことが間違いであったのか、いずれにしてもはっきりしてもらいたいと思います。都市計画についてはいろいろございますけれども、かいつまんでその点だけにしておきます。

(略)

 

首都整備局長(山田正男君) 

(略)

 最後に、三原橋─日比谷間の地下の自動車道路計画の問題について、経緯のご質問があったわけでございます。実はこの問題につきましては、都心部の道路交通を解決いたしますために、地下鉄の二号線を建設いたします際に同時に地下の一階に自動車道路を作る必要がある、こういう立案をいたしまして、数年来営団当局と協議を進めて参ったわけでございますが、営団当局がどうしても同意をいたしませんために、この計画については、建設・運輸両省並びに首都圏整備委員会が問題を取り上げまして、この三者の間で都の案について検討が行なわれたのでございます。そうしてその三者の間で技術委員会を作っていろいろ検討いたしたわけでございますが、東京都の主張にもかかわりませず地下の一階に道路を作ることを否定いたしまして、地下鉄のレベルと同じ地下の三階に自動車専用道路全作ることが適当であろう、こういう決定がされたわけでございます。その決定の理由は、地下の一階に道路を作る費用と地下の三階に作る費用とは、それほど費用の差がないということが主たる理由のようであったわけでございます。そこで、この決定を受けまして、都といたしましては、はたしてその決定の通りであろうかどうか、費用がその程度でできるかどうかということを検討して参ったのであります。特に地下鉄二号線の建設を急ぎますので、営団当局と鋭意協議を進めて参ったのでございます。当初十八億余で地下の三階に自動車道路ができるということであったのでございますが、いよいよ実際に協議してみますと、あるときは二十五億円といい、あるときは三十六億円といい、最近に至っては五十億円もかかるというような申し出があったわけであります。これでは都といたしましては自動車道路を作る投資効率、投資に対する効果が少ない、こういうことで建設省当局に、一応そういう決定がされたけれども投資効率が少ないんだ、さてどうするか、こういう協議をいたしておる際に、たまたま河野建設大臣からのご注意がありました。そういう決定がかって行なわれたけれども、実際にそういう投資効率が低いならば、最初想定されたよりも工事費が非常に高いならば、もっと再検討するべきである、こういうご発言かあった次第であります。現在建設運輸両省及び首都圏整備委員会と東京都の間で検討いたしておる途中でございますが、おそらく三階に地下自動車道路を作ることは、投資効率の点からいって必ずしも採用すべき性質のものでないと考えております。しかし、この都心部の道路交通能力をこのままで放置しておくことは適当でないのでございまして、これにかわる対策を目下関係者間で協議中でございます。いずれ遠からず決定を見るものと存ずるのでございます。

 

1962.09.29 : 昭和37年第3回定例会(第14号) 

 東京都と営団地下鉄で、日比谷線の計画はそのまま、日比谷地下道は地下3階に決定したが、地下道の予算が想定よりもふくらんだため、事業を見直しせざるを得なくなり、地下3階案は放棄したということか。

 このあたり、山田正男氏の別の著書(対談)でも経緯が出てくる。

総反対くった都心の自動車専用トンネル

片岡(片岡護・読売新聞記者) こうして安井時代を経て、首都高速道路公団ができたのは昭和三十四年ですね。この首都高速のプランをつくったときに、私、さっき言った十年後の東京という取材であなたにいろいろ教えていただいたんですが、ほぼそうなっていますね。

山田 そうですな。

片岡 十年後にできなかったこともありますけどね。

山田 物価のズレぐらい遅れただけですね。全然できなかったというのは殆どないが、一つだけ、計画すら成立しなかったのがある。それは都心の東西方向の道路交通解決の最後の決め手と して桜田門と三原橋間に地下の自動車専用のトンネルをつくることです。地下鉄日比谷線はその 下を通してね。東京オリンピック大会の前にその計画を決めようと思ったところが、地下鉄営団の総反対をくった。総裁の鈴木清秀さん以下、副総裁の牛島辰弥さん、技師長の水谷当起さんとか、政官界の運輸族を総動員して反撃を受けましてね。それに対抗する都庁側は私一人だから、 四面楚歌、孤軍奮闘ですから、とても勝負になりません。向こうは大先輩が揃っている、カネはいくらでもある、国会のほうにも手を回す。こちらは孤軍奮闘で、徒手空拳だった

片岡 反対の理由はなんだったんですか。

山田 地下鉄銀座線の銀座駅のコンコースを自動車道でチョンぎることになるし、地下鉄日比谷線が下になるので、やりにくいから反対だというんだ。それで相互の友人が見るに見かねて仲裁に入りましてね。築地の某所で、仲裁人が入って会談をやったんですが、激論になりまして ね、私が机叩いて帰りかけたら、「まあ、まあ」と引き止められたりして。それで結局、営団がやる地下鉄の二号線がオリンピックに間に合わなくなるとかいいましてね。間に合わなくたってオリンピックに支障はないと私は思っていたけれども、連中にしてみれば、オリンピックに名をかりて造りたいもんだから。オリンピック関連事業と称するものの中に入ってるんですよ。きのうも新聞見ると、名古屋がオリンピックを招致するといって関連事業としていろんなものをたくさん盛りこんだ誇大広告をやっている。ああいう名を借りた便乗計画を流行させたハシリですね。それで結局、政治力に負けたといっては何ですが、私もあきらめて、いま数寄屋橋から日比谷公園までの片道だけの地下自動車道があるでしょう、あれだけで手を打ったんです。この計画だけは負けましたね。数に負けた。孤軍奮闘なんだもの、私は。もう少しこっちにもついてくれるものがいてもよさそうなもんだけど、ダメなんだなあ。

 

「明日は今日より豊かか 都市よどこへ行く」政策時報社・刊 山田正男・著 236~237頁

 

 東京都と営団地下鉄との協議は山田氏の孤軍奮闘で東京都が協議負けし、「数寄屋橋から日比谷公園までの片道だけの地下自動車道があるでしょう、あれだけで手を打ったんです」ということになった。

 なお、これによって日比谷地下道をぶつけることで力づくで撤去しようとしていた三原橋地下街が生き残ることになってしまった。

 山田は、後に自著において

 しかし今でも残念なのは、銀座界隈の最後の道路交通対策として計画した,祝田橋方面と三原橋方面とを結ぶ地下自動車道計画を地下鉄2号線(※引用者注:日比谷線のこと)の工事と同時に施工し、三原橋を撤去することによりついでに七不思議の一つを解消しようとしたが,オリンピック東京大会をひかえて工期の関係等もあって断念せざるを得なくなり、遂に中途半端な一方通行の地下道に終わってしまい,七不思議の一つも今だにその醜態をさらしていることである。

時の流れ・都市の流れ」都市研究所刊、山田正男著 25頁

と記し、「安井都政の七不思議」の一つである三原橋問題を地下道建設とあわせて解決しようとしたが達成できなかったことが分かる。

 これによって三原橋地下街は2014年まで生きながらえることとなった。

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2018年2月11日 (日)

浅草十二階 凌雲閣の赤レンガ遺構(とみられるもの)を見てきた

 明治から大正期にかけての日本で最も高い建築物で、関東大震災で半壊し解体された「凌雲閣(りょううんかく)」の基礎部分とみられるれんがと、八角形のコンクリートの土台の一部が、東京都台東区浅草二のビル工事現場で掘り起こされた。「話には聞いていたが、初めて見た」と街の話題になっており、工事の柵越しにスマートフォンで撮影する人もいる。

 

東京新聞 2018年2月10日 朝刊

浅草12階 凌雲閣 (19)

 開業を伝える1890(明治23)年11月9日付朝日新聞掲載の広告

 早速私も行ってきて写真をTwitterにあげたところ沢山のリアクションをいただいた。

 なんで調子にのって早速ブログにUPしてみる。

 場所は、浅草花やしきの西側、ひさご通り商店街の「すき焼き米久本店」さんのところの角を西に入ったところ。幸信ビル(1階はラーメン屋さん)の交差点の南東側角。

浅草12階 凌雲閣 (16)

http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002978781_o.html

東京市全圖 : 早見」1922(大正11)年・刊 国際日本文化研究センター・所蔵

浅草12階 凌雲閣 (17)

http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/004922845_o.html

東京市淺草區全圖 : 明治四十年一月調査」1907(明治40)年・刊 国際日本文化研究センター・所蔵

※上2つの国際日本文化研究センター所蔵の地図は右が北側。

浅草12階 凌雲閣 (6)

 ここが当該現場。写真を撮っている同好の士がいらっしゃる。

浅草12階 凌雲閣 (2)

 肉眼だと工事のフェンス越しとなってしまうので、カメラをフェンスの上からかざす形でみんな撮影している。

浅草12階 凌雲閣 (8)

 フェンスの上からだとこんな感じ。東京新聞の記事だと「基礎部分とみられるれんがと、八角形のコンクリートの土台の一部」とのことである。

浅草12階 凌雲閣 (12)

浅草12階 凌雲閣 (10)

浅草12階 凌雲閣 (11)

浅草12階 凌雲閣 (18)

 京都大学 デジタルアーカイブシステムhttp://das.rra.museum.kyoto-u.ac.jp/infolib/supsearch/defaultの「京都帝国大学工学部建築学教室35mmフィルム : 実写 関東地方大震災」の10分50秒過ぎに写った凌雲閣のレンガの壁と比べてどんなものだろうか?

浅草12階 凌雲閣 (13)

 この管は当時のものかな?違うかな?

浅草12階 凌雲閣 (4)

浅草12階 凌雲閣 (5)

 煉瓦のことはよく分からないので、お詳しい方でお気づきの点があればコメント欄にでも記入いただければ幸いです。

浅草12階 凌雲閣 (14)

浅草12階 凌雲閣 (15)

 ぼんやりしてよく分からないのだけれども、東京スカイツリーとも一緒に収めてみた。

浅草12階 凌雲閣 (1)

 南側のパチンコ屋さん(サンシャイン浅草店)の前に「浅草凌雲閣 記念碑」がある。

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(追記)

 新聞記事にも「「凌雲閣」の基礎部分とみられる」とあるように、断定するのは尚早ではないかとご指摘するツイートがあったので引用させていただく。(あわせて題名も修正した。)

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(追記その2)

 過去にも近くで発見されているようだ。そういう意味では、今回の発見は「世紀の大発見」というわけではなさそうだ。

浅草12階 凌雲閣 (20)

浅草12階 凌雲閣 (21)

1981(昭和56)年7月21日付読売新聞

 このときの発掘記録が「浅草六区 : 興行と街の移り変り 」台東区教育委員会 編 に掲載されている。

浅草12階 凌雲閣 (22)

浅草12階 凌雲閣 (24)

 また、「震災予防調査会報告. 第97号甲」には、凌雲閣の図面が掲載されている。

浅草12階 凌雲閣 (25)

 この辺を重ね合わせていくとこんな感じか。

浅草12階 凌雲閣 (23)

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※余談 杉並区南阿佐ケ谷駅付近に「阿佐ケ谷凌雲閣マンション」がある。

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2018年2月10日 (土)

TOKYO LITTLE HOUSE

TOKYO LITTLE HOUSE とは

東京・赤坂で築70年の民家を改修するプロジェクトです。

東京の喧騒の真ん中にあって、三世代にわたって家族の暮らしの場所として残されてきた赤坂の家。焦土の暗闇からネオンの光まで、文字通り歴史の明暗を見守ってきた家の記憶を、現在に開こうとするプロジェクトです。

https://www.facebook.com/TokyoLittleHouse/から引用

昨年12月にオープンした2階の宿泊施設に加え、いよいよ明後日より1階のカフェがオープンします。そこで、2/9(金)、10(土)、11(日)の3日間、約半年にも及んだ改修工事の完成を記念し、2階の内覧会を開催します!

カフェは東京のルーツをテーマにした小さな展示とライブラリーを併設、かつてこの都市に生きた人々が目にした風景をおさめた貴重書なども手にとってご覧いただくことができます。

そして最初の企画展は、第二次世界大戦後・占領期の東京や、米国立公文書館に収蔵されている写真の調査・研究を行ってきた佐藤洋一氏をキュレーターに招き、佐藤氏が近年進めている「東京零年」プロジェクトより、米軍によって撮影された敗戦直後の東京を題材とした写真の展示を行います。

コーヒーやビール、ソフトドリンク、焼き菓子を販売します。お時間のある方、ぜひこの機会に赤坂にお越しいただき、全館まるごとお楽しみください。

ということで、図々しく初日2月9日にお邪魔してきました。

tokyo little house (5)

tokyo little house (3)

tokyo little house (2)

 コーヒーやビールをいただけます。私はビールを。。。

tokyo little house (1)

 「東京零年」プロジェクトの写真の展示の様子です。

tokyo little house (17)

 本を展示している後ろの緑色の板は2階の雨戸だったとか。こんな感じで元の家の部材を活用しています。

tokyo little house (16)

 元の家の図面。

tokyo little house (4)

 2階の宿泊施設も見せていただきました。

tokyo little house (8)

tokyo little house (6)

tokyo little house (11)

tokyo little house (9)

tokyo little house (13)

 外交官ナンバーのBMWが停まっている赤坂の夜の風景と古民家のギャップが。。。

tokyo little house (10)

tokyo little house (14)

tokyo little house (7)

tokyo little house (12)

tokyo little house (15)

 階段を下りるのはちょっと怖い。

http://www.littlehouse.tokyo/

https://www.airbnb.jp/rooms/22035987

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2018年1月27日 (土)

首都高速の工事中に首相官邸から東条英機が作った防空壕が出てきた

 今回は秋庭大先生ぽい「帝都の地下」ネタである。それも大先生の大好きな「首相官邸の地下」である。

 まあ、題名のとおりでそれ以上でもそれ以下でもないのだが。

 首都高速道路公団の広報誌「首都高速」のバックナンバーを見ていたら「秘密のヴェールをぬいだ防空ごう」の題字が飛び込んできた。

場所は

である。

 首相官邸の南側が擁壁となってその下を首都高速道路都心環状線が走っている。ここを切り開く際に防空壕が発掘されたというのだ。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (2)

 この記事のキャプションを転記してみる。

  都心と渋谷を結ぶ高速3号線(延長6.30キロメートル)の建設工事は、その1部をオリンピックまでに完成するためいま急ピッチで工事を進めていますが、3月25日午後、永田町の首相官邸裏の工事現場にぽっかりと大穴があいた。

---縦1.8メートル、横2.26メートル、厚さ0.5メートルで固められた防空ごうはがんじょうそのもの。昭和17年に東条英機首相が空襲したの閣議用に建築した防空ごうあとだということ。

---官邸の食堂わきにある入口かららせん状の階段を下りて地下20メートルのところに閣議室(40平方メートル)が中央廊下をはさんで3室づつ6室、浄化装置、自家発電装置も完備されている。250キロ爆弾の直撃でも大丈夫だそうだが、これをこわすのがひと仕事。「東条さんも大変なものを残してくれたものです」と作業員はぼやいていた。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (3)

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (4)

 

 同じく首都高速道路公団の「首都高速」No47(1965年6月15日発行)において、公団の担当者が当時の工事を振り返っているのだがそこでも首相官邸の防空壕について触れられている。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (1)

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 同様の戦争遺構は他でも発見されている。皇居の北の丸を横断する箇所でも防空壕が工事の支障となっていた。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (5)

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 それなら参謀本部があった三宅坂インターチェンジ(ジャンクション)はもっとどでかいものが出てきそうである。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (6)

 しかしながら「首都高速」の別の号によると「図面が消失してしまい地下の埋設管が分からなかった」とだけある。地下に何が埋まっているかわからないまま東京オリンピック開催に間に合わせるためにあの巨大な地下ジャンクション工事を発注していたということだ。(なおこういう場合にありがちなことだが、用地買収もしていないうちに発注している。)

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(参考)

山田正男「宮城外苑地下道計画案に就いて」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-6c82.html

 以前の記事では、戦前の皇居前広場にいざというときには地下防空壕になる地下自動車道の計画があったことにも触れているのであわせてご覧いただければ幸甚である。

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(追記)

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2017年4月 9日 (日)

力道山が経営していた赤坂リキマンションの分譲パンフレット

赤坂リキマンション(力道山) (1)

 赤坂にリキマンションというマンションがある。言わずと知れたプロレスラー力道山が実業家として経営していた(竣工は没後)マンションである。

 ここを分譲するときに作成したと思われるパンフレットを早稲田大学が所蔵していたので、ご紹介したい。

赤坂リキマンション(力道山) (2)

 現在もマンションの屋上に描かれている「R」は当然「力道山」の「R」であろう。

赤坂リキマンション(力道山) (3)

赤坂リキマンション(力道山) (4)

 開発は、力道山と大和土地建物の共同事業ということだ。

赤坂リキマンション(力道山) (5)

 イメージパースでは屋上に「R」の文字は描かれていないのだな。

赤坂リキマンション(力道山) (6)

赤坂リキマンション(力道山) (7)

 都電が走っている。また「クラブリキ」という文字が見える。力道山が経営していたナイトクラブのようだ。クラブリキについては、このブログに詳しい。http://blog.goo.ne.jp/59ra9do/e/13bbdfe1c8c29ea10f5c0acf238cf5aa

赤坂リキマンション(力道山)リキアパート (8)

 隣接していたリキアパートは、現在は別のマンションになっているようだ。下記の「今昔マップ」では、プールが写った航空写真を見ることができる。

赤坂リキマンション(力道山) (9)

赤坂リキマンション(力道山) (10)

 玄関ホール

赤坂リキマンション(力道山) (11)

 ロビー

赤坂リキマンション(力道山) (12)

赤坂リキマンション(力道山) (13)

 エレベーターは三菱製だそうだ。

赤坂リキマンション(力道山) (14)

 間取りである。49坪とは大変広いものだ。高級マンションだったことがうかがえる。

赤坂リキマンション(力道山) (15)

赤坂リキマンション(力道山) (16)

赤坂リキマンション(力道山) (17)

赤坂リキマンション(力道山) (18)

赤坂リキマンション(力道山) (19)

赤坂リキマンション(力道山) (20)

赤坂リキマンション(力道山) (21)

赤坂リキマンション(力道山) (22)

 居間。ピンボケですまんの。

赤坂リキマンション(力道山) (23)

 和室。同じくピンボケ。鮮明なやつが必要な方は早大に申請すれば撮れますのでどうぞ。

赤坂リキマンション(力道山) (24)

 ページごとに色違いの「R」が描かれている。

赤坂リキマンション(力道山) (25)

 台所、食堂

赤坂リキマンション(力道山) (26)

 玄関、バルコニー、浴室、洗面所

赤坂リキマンション(力道山) (27)

赤坂リキマンション(力道山) (28)

 建築概要 施工は佐藤秀工務店(現・株式会社佐藤秀)

赤坂リキマンション(力道山) (29)

 部屋割り

赤坂リキマンション(力道山) (31)

赤坂リキマンション(力道山) (30)

赤坂リキマンション(力道山) (32)

 お値段。昭和37年当時の1500万円はどれくらいの価値があったのだろうか。お分かりの方はご教示ください。

 

 現在の様子は、不動産物件サイトに載っているので下記をご参照あれ。

http://www.tomo-real.co.jp/es/building/889f3c6c-e51a-431c-aed7-f0b6dec0a41b

https://www.ma-minatoku-chintai.com/rent_view/29933

http://zero-revo.com/archives/205667

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2017年3月15日 (水)

大阪・中津高架下訴訟の判決は2017年3月30日(追記あり)

中津高架下 (1)

 「高架下建築のエルドラド」こと大阪中津の高架下では、耐震補強工事を実施するため、占用許可の更新を行わず退去を進めているところ、反対する者が大阪市を相手取り、「占用許可義務付け訴訟」を大阪地方裁判所にて提起していることは、以前ご説明したところである。

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3ea3.html

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-44fe.html

大阪の中津高架下建築に係る現状のまとめ(その3)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-8111.html

 その判決が、もうすぐ出るようだ。

中津高架下行政訴訟 平成26年2月17日提訴

 国道176号線の中津から淀川に続く中津高架橋の高架下は、戦前から、約700mにわたり、倉庫、工場、商店、劇場、飲食店等に利用されてきた日本でも最大規模の高架下です。その歴史は古く、昭和10年頃、関市長時代の大阪市が、広大な高架下空間の有効活用のため、民間事業者を招致して、高架下の使用と管理を委ね(道路法上の占用許可)、それ以来、占用者らは、約80年にわたって、占用使用料を収め、占用利用を継続してきました。ところが、大阪市は、橋下市長が就任した直後の平成24年1月、中津高架橋の耐震補強等工事を名目として、高架下の占用者らを立ち退かせる方針を内部で決め、平成25年5月、占用者らに対し、一方的に、1年後の翌26年3月末までに退去するよう要求しました。

 しかし、建築・土木の技術が進化した今日、鉄道の運行への支障が殆どないまま、鉄道の耐震補強等工事が行われていることからも分かるように、中津高架下の占用利用を継続したまま、もしくは、短期間の明渡しにより、工事を進めることは可能ですし、一旦明渡をさせた後に再度の占用利用を認めることに何の問題もありません。しかし、大阪市は、占用の継続は、工事の支障となり、かつ、工事後はスペースが小さくなるので、再占用は認められないという説明を繰り返し、強引に立ち退きを迫りましたので、丸甲倉庫株式会社等の一部の占用者らが立ち上がり、平成26年2月、占用許可の不許可処分の取消を求める訴訟を提起しました。原告らは、約3年の審理を経て、大阪市の言い分に正当性がないことを明らかにし、29年3月30日に判決が予定されています。

緑風法律事務所ウェブサイトから引用

http://www.ryokufuu-law.com/%e7%a4%be%e4%bc%9a%e7%9a%84%e5%bd%b1%e9%9f%bf%e3%81%8c%e3%81%82%e3%82%8b%e5%a4%a7%e5%9e%8b%e8%a8%b4%e8%a8%9f%e3%81%ae%e7%b4%b9%e4%bb%8b/

中津高架下 (8)

 担当する弁護士の事務所では「大阪市の言い分に正当性がないことを明らかにし」とは書いてあるが、道路法の占用許可には道路管理者の裁量が認められていることや、そもそも義務付け訴訟という無理ゲーな訴訟であることから、大阪市が負けることはありえないとは思うが。

 3月30日に判決言い渡しというのも如何にも年度内に手持ちの件数を減らしたい裁判官の気持ちが表れているな。

 

 また「国道176号線中津高架下(昭和レトロ街)占用存続を求める会」のfacebookhttps://www.facebook.com/pg/%E5%9B%BD%E9%81%93%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%96%E5%8F%B7%E7%B7%9A%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E9%AB%98%E6%9E%B6%E4%B8%8B%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AD%E8%A1%97%E5%8D%A0%E7%94%A8%E5%AD%98%E7%B6%9A%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B%E4%BC%9A-469317439858388/posts/には、

国道176号中津高架下「建物収去土地明渡等請求事件」及び「道路占用更新許可処分の義務付等請求事件」の期日が、大阪地方裁判所で下記の日時において判決の予定です。

・「建物収去土地明渡等請求事件」・・・・・・・・・・3月7日(火)13時10分~

・「道路占用更新許可処分の義務付等請求事件」・・・・3月30日(木)13時10~

とある。

 いつのまにか「建物収去土地明渡等請求事件」という訴訟も起きているのだな。大阪市は道路管理権限を行使して行政処分で撤去できるのにわざわざ民事訴訟で争っているのだろうか?解せない。3月7日に既に判決言い渡しがなされているようだが、ぐぐっても出てこない。大阪市が勝訴しているとは思うが。

 

※訴訟に係る法律的な説明については、http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3ea3.htmlの下の方に書いてあるので関心のある方は読んでちょ。

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(追記)

判決関係の報道はこちら

http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170330/5016401.html

(魚拓)http://megalodon.jp/2017-0403-0129-04/www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170330/5016401.html

www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20170331-OYO1T50006.html

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170330-00000011-kantelev-l27

(魚拓)http://megalodon.jp/2017-0403-0131-42/https://headlines.yahoo.co.jp:443/hl?a=20170330-00000011-kantelev-l27

http://www.mbs.jp/news/kansai/20170330/00000069.shtml

(魚拓)http://megalodon.jp/2017-0403-0133-42/www.mbs.jp/news/kansai/20170330/00000069.shtml

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2017年1月13日 (金)

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?

麻生太郎財務相、北陸新幹線のダイヤ改善に「新宿から引くとか」

 

 麻生氏は「確か北陸新幹線は1時間に2本しか通っていない。簡単な理由で東京-大宮間が混雑しているから」と問題点を指摘。その上で、「東京に関してはいっぱいなんだから、新宿から(大宮を結ぶ路線を)引くとかさ。そういったものも入れて計算しないと(いけない)。元の元が詰まっているのだから」と持論を展開した。

 

2016(平成28)年12月13日付産経ニュース http://www.sankei.com/economy/news/161213/ecn1612130015-n1.html から引用

というニュースが流れた際に「新宿駅は何十年と北陸新幹線用に空けてきたスペースを遂に諦めてバスタ新宿作っちゃったんじゃないのか?」なんて書き込みが見られたそうだ。

 言い出しっぺは俺だが。

「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 上記の記事でも紹介したのだが、バスタ新宿を施工した大林組のウェブサイト『「新宿駅南口地区基盤整備事業」と「新宿駅新南口ビル(仮称)新築工事」の施工エリア断面図』と題した工事のイラスト等からすると、上越新幹線新宿駅ホーム予定地を工事でいじっているようなのである。

 

 その際は、詳細な図面ではないので、多分ダメっぽいけど。。。くらいの気持ちであったが、今般詳細な図面を入手したのでご紹介したい。

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 まず、前提条件として、上越新幹線新宿駅のホームの位置を確定しなければならない。

 「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlで紹介した「新宿駅将来計画」国鉄東京第三工事局調査課補佐・石倉勝美・著 掲載の平面図。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 そして「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」市川政治・中山秀雄・著 社団法人鉄道建築協会・刊 掲載の断面図。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (17)

 以上が、貨物駅跡地を含めて全て国鉄の手で開発しようとしていた1975(昭和50)年前後の構想図面である。

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 「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.htmlで紹介した「新宿駅貨物敷活用基本構想」

上越・北陸新幹線新宿駅地下ホーム

上越新幹線新宿駅位置図

 以上が、貨物駅跡地を売却する前提で整理した1985(昭和60)年の構想図面である。

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 いずれの図面を見ても、「現・埼京線・湘南新宿ラインホーム下の地下3階」に上越新幹線のホームが想定されていることがお分かりになるだろう。

 そしてバスタ新宿がどのように線路上空にかかっているかというと、「日本鉄道施設協会誌」2008年1月号に「新宿駅南口地区基盤整備事業に伴う玉川上水用地処理」森重達美、佐藤英明、柴田勇・共著 に下記のような平面図がある。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水

 上越新幹線新宿駅ホーム=埼京線・湘南新宿ラインホームの上にがっつりバスタ新宿の人工地盤が覆いかぶさていることが分かる。

 前述の大林組のサイトを見てみるとバスタの建物の基礎が埼京線・湘南新宿ラインホームの地下に構築されている。問題はこの絵では、新幹線ホームの地下3階を塞いでしまっているのかどうかがよく分からなかったことである。そのため、「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.htmlでは結論をぼやかしていた。

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 その後、調査を続けてきたところ、当該箇所の細かい図面を入手したのでご紹介したい。そして、ブログ読者の皆様に「地下3階に上越新幹線新宿駅ホームが入る余地が現在も残されているのか?」をご判断いただきたい。

 それは、一般社団法人セメント協会http://www.jcassoc.or.jp/index.htmlが発行する月刊誌「セメント・コンクリート」http://www.jcassoc.or.jp/cement/1jpn/jj3a_archive.html2012(平成24)年9月号掲載の「 開発の進む新宿駅南口の基盤整備 《都市の悩みを技術が解決へ》 」で、著者は、JR東日本東京工事事務所工事管理室 網谷岳夫氏、JR東日本 建設工事部 構造技術センター 醍醐宏治氏、JR東日本 東京工事事務所 新宿ターミナル 星野正氏である。

 この報文は、「『新宿交通結節点整備』において山手貨物線(埼京線)直下で行った地下軀体の構築について報告するものでる。」(12頁)と目的にぴったりだ。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に1

 まずは、13頁に掲載された全体図を見てみよう。1番2番の埼京線・湘南新宿ラインの南行ホーム、3番4番の埼京線・湘南新宿ラインの北行ホーム、そして5番の中央線等の特急用ホームの下に構造物が見て取れる。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に3

 そして14頁に掲載された詳細な地下軀体断面図をご覧いただこう。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に2

 電気室や機械室が入る地下1階、地下2階の下にはガッツリと太い「本体基礎杭」が入っている。

 ここに3面6線の新幹線ホームが入るのか?

 参考に東北新幹線上野駅の断面図と比較してみよう。

 コンクリート工学1985(昭和60)年4月号小特集*東北新幹線上野~大宮間工事 「上野~大宮間建設工事の概要  」国鉄新幹線建設局工事課総括補佐 藤田 昌宏・著https://www.jstage.jst.go.jp/article/coj1975/23/4/23_28/_pdf

新幹線上野地下駅断面図

 上野駅は地下4階の2面4線だが、必要な地下空間のイメージはつかめるだろう。

 

 どうだろう、皆様は、バスタ新宿の地下基礎の7本の杭の中に新幹線ホームが収まるイメージは持てるだろうか??(どう考えても無理でしょ。これ。←私の心の声。)

 もっとも、バスタ新宿の計画にあわせて新幹線のホームの位置を変更した可能性もあるので一概には言えないが、昭和40年代以来新幹線ホームを想定してきた地下空間はもう無いと言って差し支えないのではないか?

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 奇しくも、この記事を書いている2017年1月12日に信濃毎日新聞に下記のような記事が掲載された。

過密ダイヤ 改めて注目 新幹線 東京―大宮間

 

 北陸新幹線(長野経由)で未着工となっている福井・敦賀以西の延伸に向けて与党の検討が進む中、東京―大宮(30キロ)の新幹線ダイヤの過密問題が改めて注目を浴びている。同区間は北陸だけでなく、東北、上越の両新幹線も通っており、延伸に伴って増便させる場合にはJR東日本は大宮発着も想定しているからだ。

(中略)

 「東京―大宮間がいっぱいだ。もう一本(線路を)引くのを計算しないと話は成り立たない」。麻生太郎財務相は昨年12月13日、記者会見でこう発言。北陸新幹線敦賀―新大阪の早期開業に関し、大宮以南の線路を増強し、運行本数を拡大する必要があると指摘した。10年ほど前に与党内で一時浮上した新宿と大宮を結ぶ新幹線構想にも言及した。

(中略)

 一方、JR東日本は、巨額の投資が必要な大宮以南の線路増強について慎重だ。「現有の新幹線設備を有効活用することで、利用状況を踏まえた列車本数を確保できると考えている」(広報部)とする。今後、需要が増える場合には「大宮発着の列車の運行などを必要に応じて検討していくことになる」との立場だ。

(後略)

 

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170112/KT161230CUI090002000.php

 

 「そりゃ、当初新幹線新宿駅ホームを想定していた場所はもう使っちゃったからねえ」というのが私がこの記事を読んだ感想である。

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 当該工事現場のレポを大山顕さんが書いているので、併せてご覧ください。

 「まさか埼京線の下があんなだったとは……!」

 http://www.k-mil.net/hensyu/ittemita/shinjuku1.html

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html

上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.html

上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html

大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1c4d.html

東北新幹線は浦和市営モノレールの導入空間を空けて今でも待ってるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-0765.html

上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.html

上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-3b1a.html

「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.html

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2016年11月21日 (月)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(15・終)エピローグ

 これをもって、連載15回。画像90枚を費やした連載を終了したいと思う。

 いろんな関係者が出てきたが、パワポのプレゼン風に関係者のチャートを作ってみた。

 少しは分かり易くなったかな。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (91)

 

 ところで、これを書いていて思ったんだけど

 俺、西武新宿線の西武新宿駅から電車乗ったこと無いわ。。。。

(追記)

 ベルクの井野店長から過分なお言葉を頂戴しました。ありがとうございます。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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