カテゴリー「暗渠・水路」の17件の記事

2017年8月27日 (日)

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

首都高研究家清水草一の日本橋関連の嘘

 日刊SPA!で「首都高研究家」を自称する清水草一氏が「世界初の都市高速・首都高は醜いのか? 首都高C1日本橋付近地下化のメリットとデメリットを考える」https://nikkan-spa.jp/1385796/2という記事を公開している。

 主義主張の部分は個人の好みなのでとりたててコメントするものではないが、大きな事実誤認若しくは嘘があるので指摘しておきたい。

 清水草一氏は「それは、運河や道路などの公共用地を可能な限り有効活用し、新規用地取得を約2割に抑えたことで実現した。当時それを批判する声はなかったし、この乱暴な作り方こそ、あの頃の日本の熱気そのものだった。」としている。

 いやいや、ちょっと真面目に調べたらなんぼでも反対運動は拾えるでしょーよ。

 ということで河川を活用した首都高速道路建設に対する地元の反応等を紹介していきたい。

 

清水草一が知らない首都高反対の動き4

 1958(昭和38)年7月8日付朝日新聞が、築地川を干拓して首都高速道路を計画していることに反発する地元の声を報じている。

 首都高速道路公団法が成立したのが1959(昭和34)年4月、東京オリンピック開催決定が1959(昭和34)年5月なので、随分前から前哨戦を戦っていたことになる。(このことからも、「東京オリンピックが決まって5年しかないから川の上に高速道路を造った」ということが嘘だということもお分かりになるであろう。)

 東京都都市計画部は、築地川の埋め立てに反対する中央区民に対して 「流れのきたない築地川を残すのは都市美化の上から無意味」と対応しているあたりも興味深い。

 「景観や都市美を無視したから首都高を川の上に作った」というのも間違いで、それなりに都市美の理論は起業者側にあったわけである。それが現在に至るまでどう評価されたかは別にして。

清水草一が知らない首都高反対の動き

 中央区、港区の反対運動を報じる1959(昭和34)年2月23日付毎日新聞。単に「プロ市民」が騒いでいるのではなく、中央区議会、港区議会、渋谷区議会、品川区議会が反対の決議をしている。

清水草一が知らない首都高反対の動き2

 首都高の都市計画決定を報じる1959(昭和34)年8月8日付毎日新聞。

 注目すべきは「地元民が猛反対、昨年12月の同審議会で流産したいわくつきのもの」というところ。

 「首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.htmlを書いたときに、2回に分けて都市計画決定を行っていることを知って、意外に思っていたのだが、地元の反発で流産していたとは。

 なお、この後に、都市計画に基づいて東京都道の認定手続きに入っているのだが、それに対しても複数の区から同意が得られなかったという異例の経緯をたどっている。

清水草一が知らない首都高反対の動き3

 1960(昭和35)年4月13日付読売新聞では、「高速道路をめぐる地元の要望 中央の5地区」ということで、中央区内から出た首都高速道路に対する地元要望について報じている。

 この中で注目すべきは「江戸川橋通り地区」から出ている「名橋「日本橋」の上をまたいで四号線が通るのは絶対反対」というところである。清水草一氏の言うように「当時それを批判する声はなかった」というのは事実と異なるのである。

 大事なところなので、他のソースからも。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (10)

 「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。

 言葉遣いは違うが、地元から日本橋附近を高架でとおることを反対されたということは首都高側としても公的に表明しているわけだ。

 ということで、清水草一氏は何を調べていたら「当時それを批判する声はなかった」と断言するほどの根拠を得たのであろうかと疑問に思うわけである。

------------------------------------------------------

 ところで港区からの反対も上記で紹介したところだがもうちょっと深堀してみたい。

 首都高速2号線は、ご存知の通り古川の上をまたいで都心環状線から分岐していく。

 ここは、首都高速道路公団設立前に、日本道路公団によって首都高速の中で真っ先に工事着手した区間である。

JHが首都高を建設開始した

 結論から言うと、2号線は一番最初に工事着手しながら東京オリンピックに間に合わなかったのである。

 なお、東京オリンピック関係でいくと、日本道路公団の第三京浜道路も間に合わなかった。(玉川―京浜川崎のみ暫定2車線で間に合った。)

------------------------------------------------------

 ところで、首都高速2号線と第三京浜の関係では、清水草一氏は、「第三京浜ってどうして安いの?玉川ICはなぜ中途半端なところにあるの?」http://autoc-one.jp/word/691238/において「首都高2号線は、昭和30年代までは第三京浜まで延長される構想でした。」なんて述べていたりするのだが、その辺も私のブログで考察しているので、あわせてお目通しいただくと幸甚である。

・第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-067b.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4c24.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(3)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4f1f.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(4)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4f1f-1.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(5)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-e59d.html

・清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(6)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-fb53.html

清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(7)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-dc79.html

 

------------------------------------------------------

【参考】過去に書いた首都高関係の記事

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

首都高と河川利用と景観

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

昭和63年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

昭和37年の首都高速道路将来計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

昭和28年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月20日 (日)

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

 産経新聞「産経抄」に首都高の日本橋地下化の話が出ていた。

http://www.sankei.com/column/news/170810/clm1708100003-n1.html

【産経抄】無粋な建造物は昭和の技術者の記念碑

 ▼ただ、山田さんには心残りがあった。日本橋の上を通り、周辺の景観を損なってきた道路である。山田さんらは、川の干拓をして橋の下に通そうとしたが、河川管理サイドが認めなかった。地下を掘って高速を通す時間的余裕もなかった(『首都高物語』)。

 

【産経抄】 無粋な建造物は昭和の技術者の記念碑 8月10日

 山田さんというのはこの人。

山田正男

 まあ「山田天皇」といった方が早い方である。

 で「あれ、山田天皇は「心残り」なんて言うような殊勝な人だったんだっけ(失礼!)」と思い、検証してみた。

------------------------------------------------------

 産経抄が引用していた「首都高物語」はこんな感じ。

首都高物語の山田正男コメント

 「本意ではなかった」とは書いてあるが「心残り」とは書いていない。なんていうか、事実関係として「当初の目論見どおりではなかった」とは読めても、「心残り」というほど残念な心情が入っているものかどうかわからない。

 また、その「心残り」が「周辺の景観を損なって」しまったことについての「心残り」かどうかもこの部分だけでは定かではない。

 「自分のやりたい工法ができなかった」とか「工費が余計にかかってしまった」という理由で「本意ではなかった」可能性もこの書き方では否定できない。

------------------------------------------------------

 「首都高物語」の「主要参考文献」に

『山田正男氏ヒアリング』(首都高速道路公団資料、1994年)

とあるので、ここで具体のやりとりをしているのであろう。

 ところがこの資料が都立図書館等にもない。あくまでも首都高速の内部資料なのであろう。

 一方、都立図書館には「東京の都市計画に携わって : 元東京都首都整備局長・山田正男氏に聞く」という同種の本がある。代わりにこちらから関係個所の生のやり取りを抜粋してみる。

首都高速日本橋山田正男1

首都高速日本橋山田正男2

首都高速日本橋山田正男3

首都高速日本橋山田正男4

 えー、皆様どうでしょう。

 産経新聞のいうような、「周辺の景観を損なって」しまったことについての「心残り」感はくみ取れましたでしょうか?

 そんな人が「高速道路の景観はそんなにおかしいか」「見るだけのために構造物を造っているんじゃないからな」なんて言うでしょうか?

 

 道路元標にしても「つっかえるのは道路の限界を侵しているからだろう」と言っている。

 また、産経抄が「首都高物語」から引用しているような「地下を掘って高速を通す時間的余裕もなかった」という点については、聞き手が「当時あれを地下でいくみたいな話はでてもこなかったし、またできもしなかった。」と言い切っている。

 実際には、地元からトンネル化の要望は出ているのだが、東京都の首脳部としては「でてこなかった」レベルの話としか受け止められていなかったということなのだろうか?

 他方、帝国製麻のような古い赤煉瓦の建物には「敬意を表して避けて」いる。周囲に配慮していないということではないことなのだろう。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋2

 「首都高速道路株式会社10年史」には、赤煉瓦の帝国製麻ビルを背景に桁を架設する当時の写真がおさめられている。

 ちなみに桁に「汽車會社」の名前が見える。本来は鉄道の機関車を造ったりするメーカーである。当時は高速道路の橋も造っていた。

 ※ 新幹線と二重になって東京駅へ向かう話が出てきているが、その辺は

「首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.htmlをご覧いただければ。。。

------------------------------------------------------

 ところで「地下を掘って高速を通す時間的余裕もなかった」とは確かに「首都高物語」にも書いてあるのだが、そもそも高架で通すことがオリンピック開催決定前に決まっていたという文献もある。

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった3

首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」古川公毅・著 45頁から引用。

 ここで気になるのは、狩野川台風の水害を踏まえて、日本橋川部分は高架構造としていることである。明示されていないが、1958(昭和33)年12月までにはそのような決定がなされているものと読める。つまり、日本橋川を高架としたのは、1959(昭和34)年5月の東京オリンピック開催決定前であり、「東京オリンピックに間に合わせるために日本橋川部分を高架にした」というのは嘘ということになるのではないか。

 であれば、「東京オリンピックまで時間がなかったから日本橋川部分を高架にした。」のではなく、「東京オリンピック開催決定前に、治水面から日本橋川部分を高架にした。」ということになる。

 こんなツイートもいただいているところだ。

------------------------------------------------------

 日本橋川以外の河川と首都高速道路については、山田正男氏はこんなことも述べているのでご参考まで。

首都高速日本橋山田正男6

 座談会「オリンピック準備態勢すべてO.K.」から「時の流れ・都市の流れ」524頁

 「世界中に都市内に高架道路が通っているなんて事例はない」などとおっしゃる方もいるが、山田正男は世界各国の紳士に自慢したいパリのような道路と思っているようだ。

首都高速日本橋山田正男5

 「東京の都市計画について」から「時の流れ・都市の流れ」514頁

 日本橋の上に高架橋を架けたことを「心残り」に思う人が、オリンピック後に神田川の上に高速道路造ろうと思うかなあ?

------------------------------------------------------

 50年を経過し、山田氏も鬼籍に入られているなかで、確認するすべもないが、産経抄の書くことは素直には受け止められないものである。

------------------------------------------------------

 ということで、「産経抄は嘘だ」とまでは言わないが、どうも怪しい。新聞の一面に載せるコラムを書くのだったら一次資料まで確認した方がよいのではないかということで。。。

 

(参考)

 関係文献を追えなかったので、ブログの記事には反映していないが、興味深い報文があるのでこちらも是非お目通しを。

「東京・日本橋川における首都高速道路の高架構造決定に至る背景について 」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshwr/28/0/28_100090/_pdf

「日本橋川における首都高速道路の上空占用に至る経緯」

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000021817.pdf

 著者は、東京都の職員の方のようだ。

 「平常時は高速道路として使用し,洪水時に道路封鎖して河道化する堀割案の導入を積極的に考えていたが,建設省河川局の反対に合い実現しなかった」などと魅力的なことを書いておられる。

------------------------------------------------------

【参考】過去に書いた首都高関係の記事

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

首都高と河川利用と景観

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

昭和63年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

昭和37年の首都高速道路将来計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

昭和28年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月19日 (土)

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

 前の記事で、2017(平成29)年7月30日付の読売新聞社説「首都高地下化 日本橋の景観を取り戻そう」を取り上げたところである。

 そこにこんな記事がある。

首都高日本橋 (1)

 「首都高の整備を翌年の東京五輪に間に合わせるため、用地取得の手間や費用を省ける河川上のルートが採用されたためだ。」とある。

オリンピックに関係なく首都高は川の上だった

 ところで、1957(昭和32)年9月29日付の読売新聞は、上記のように「都内に高架道路の網」「川の上や二階建」と報じている。

 ちなみに東京オリンピックが決定したのは、1959(昭和34)年5月26日である。

 あれれ?順番が違いませんかねえ?

 念のために読売以外の新聞も見てみよう。

オリンピックに関係なく首都高は川の上だった2

 1957(昭和32)年8月16日付朝日新聞も同様の趣旨の記事を掲載している。

 「できるだけ既設の幹線道路や河川等公有地の上に建設」とあるし、「東京高速度道路計画図」も現在の路線図と似ている(よく見ると違うところはあるが。)。

 つまりオリンピック決定の約2年前に河川上を活用した首都高の路線は概ね固まっていたということである。

 ええっ、まさか「日本のクオリティペーパー」、天下の読売新聞様が嘘、しかも自社が過去に報じたことと違うことを社説で書いているの??

------------------------------------------------------

ざくっと時系列を整理してみよう。

・1953(昭和28)年4月 首都建設委員会勧告「首都高速道路に関する計画」

→今とは全然違う路線網http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

 

・1956(昭和31)年11月 日本道路公団 東京調査事務所を設置

→都市高速道路の調査を開始

 

・1957(昭和32)年7月 建設省「東京都市計画都市高速道路に関する基本方針」

→河川や公有地の活用方針

 

・1957(昭和32)年8月 東京都市計画地方審議会「高速道路調査特別委員会」設置

→上記新聞記事 当初の路線の原型。

 

・1957(昭和32)年12月 東京都市計画地方審議会「高速道路調査特別委員会」東京都知事へ報告書提出

→当初の路線がほぼ固まる

 

・ 1958(昭和33)年4月 衆議院建設委員会「都内高速度道路整備計画に関する件」

→「経過地に当っては不利用地、治水、利水上の支障のない河川、または運河を使用して、やむを得ざる場合だけが幅員四十メートルの道路に設置する」と答弁http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/028/0120/02804100120023a.html

 

・1958(昭和33)年4月 日本道路公団が「東京高速道路」西戸越~銀座間(現在の2号線等の一部)を翌年度に着手との新聞記事

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

 

・1959(昭和34)年1月 首都高速道路公団法案 閣議決定

 

・1959(昭和34)年2月 日本道路公団が西戸越~銀座間の工事に着手

 

・1959(昭和34)年4月 首都高速道路公団法 成立

 

・1959(昭和34)年5月 東京オリンピック開催決定

 

・1959(昭和34)年6月 首都高速道路公団 発足

 

・1959(昭和34)年8月 首都高速道路公団 当初計画71km都市計画決定

 

・1964(昭和39)年10月 東京オリンピック開催

 

 とまあ、こんな感じである。オリンピック決定のはるか前に河川活用を決め、首都高速道路公団ができる前に日本道路公団が工事着手していたというのが実態であるのだ。

------------------------------------------------------

 ここから上記の時系列について詳細な資料を提示していきたい。

・1953(昭和28)年4月 首都建設委員会勧告「首都高速道路に関する計画」

→今とは全然違う路線網http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

昭和28年の首都高速道路網図

 

・1956(昭和31)年11月 日本道路公団 東京調査事務所を設置

→首都公団ではなく、日本道路公団が首都高速道路の調査を開始した。

http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/41-12/41-12-003.pdf の「土木学会誌」昭和31年12月号60頁を参照されたい。

 

・1957(昭和32)年7月 建設省「東京都市計画都市高速道路に関する基本方針」

→河川、運河や公有地を活用した路線の経過地の選定を行う方針が建設省により決定された。

首都高が河川を活用することはオリンピック決定よりずっと前に決定

「東京都市高速道路の建設について」から引用。詳細はhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

 

・1957(昭和32)年8月 東京都市計画地方審議会「高速道路調査特別委員会」設置

→1957(昭和32)年8月16日付朝日新聞に当初の路線の原型が掲載されている。

オリンピックに関係なく首都高は川の上だった2

 記事中にも「できるだけ既設の幹線道路や河川など公有地の上に建設」とある。

 

・1957(昭和32)年12月 東京都市計画地方審議会「高速道路調査特別委員会」東京都知事へ報告書提出

→当初の路線がほぼ固まる

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった

 「東京都市高速道路の建設について」から引用。4以降の附帯意見等、詳細はhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

 日本橋川附近については「神田川との治水上の関連を慎重に検討のうえ可能ならば河床を通すこととし、もし困難な場合は高架方式又はその他の方法を検討し採用する。」とされた。

 なお、この特別審査委員会の審議においては、下記のような経緯があった。

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった2

 「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」古川公毅・著 45頁から引用。

首都高速道路の初期計画路線網

 1958年(昭和33年)4月4日付読売新聞

 「4割は川上を走らせる」とある。

 

・ 1958(昭和33)年4月 衆議院建設委員会「都内高速度道路整備計画に関する件」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

○藤本参考人(藤本勝満露東京都建設局長) 経過地に当っては不利用地、治水、利水上の支障のない河川、または運河を使用して、やむを得ざる場合だけが幅員40mの道路に設置する、建前としては道路上には設置しないように(略)

物件移転費という欄の一番下の欄をごらんいただきますと、878という数字が出ております。これは移転棟数の合計でございます。これだけの事業をいたしますのに、移転棟数がともかく千棟以下であるという点については、やはりできるだけ民有地あるいは民家というような面において御迷惑を少くするという配慮をいたした一つの現われだと存ずるのであります。

  「五輪に間に合わせるために」ではなく、「民家への迷惑を少なくするために」水路等を活用していると言えるのではないか。当時の国会では「高速道路建設による耕地の潰れを最小限におさえよ」といった議論も多く見られた。敗戦後まもなく、食糧生産や国民の生活維持がまだまだ政策の中でも重要な位置を占めていた時代であり、ある意味「(景観よりも)人(の生活)にやさしい」道路だったのではないだろうか 。

 

1958(昭和33)年4月 日本道路公団が「東京高速道路」西戸越~銀座間(現在の2号線等の一部)を翌年度に着手との新聞記事

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

読売19580429

 1958年(昭和33年)4月29日付読売新聞

 

・1959(昭和34)年1月 首都高速道路公団法案 閣議決定

首都高速道路公団法閣議決定
 1959(昭和34)年1月30日付朝日新聞

 

・1959(昭和34)年2月 日本道路公団が西戸越~汐留間の工事に着手

JHが首都高を建設開始した

 官報から

 「首都高速は、東京オリンピックのために羽田と都心を結ぶ路線から建設された」というのは嘘なのである。

 (本区間については、首都高速道路公団発足後に、日本道路公団から引き継がれている。なお、オリンピックには間に合わんかった模様。)

 

・1959(昭和34)年4月 首都高速道路公団法 成立

 

・1959(昭和34)年5月 東京オリンピック開催決定

東京オリンピックと道路

1959(昭和34)年5月27日付読売新聞

 

・1959(昭和34)年6月 首都高速道路公団 発足

 

・1959(昭和34)年8月 首都高速道路公団 当初計画71km都市計画決定

 

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった3

 「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」古川公毅・著 45頁から引用。

 ここで気になるのは、狩野川台風の水害を踏まえて、日本橋川部分は高架構造としていることである。明示されていないが、1958(昭和33)年12月までにはそのような決定がなされているものと読める。つまり、日本橋川を高架としたのは、東京オリンピック開催決定前であり、「東京オリンピックに間に合わせるために日本橋川部分を高架にした」というのは嘘ということになるのではないか。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (10)

「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。

 「河積の確保のための高架」という意味では、こちらとも平仄があう。

------------------------------------------------------

 こんな感じで見ていくと、東京蘊蓄本にもいい加減なものが多いことが分かる。

三浦展ってアホか

 これは三浦展氏の「昭和「娯楽の殿堂」の時代」の107~108頁であるが、オリンピックに至る首都高の経緯はデタラメであることがお分かりになるであろう。

 また、数寄屋橋の高速道路は昭和20年代の石川栄耀局長のころに立案され、都政七不思議のひとつに数えられた東京高速道路株式会社線(KK線)であって、オリンピックとは一切関係ない。「東京人」御用達文化人だからといって東京の歴史等に詳しいとは限らないようだ。

------------------------------------------------------

 尤も、行政の計画の順番がオリンピック以前に決定したものであったとしても、それは役所の中だけの理屈であって、オリンピックまでに竣工するためには、関係者の理解を得る必要がある。

 そのために「空中作戦」といった広く社会に事業理解を得るためのストーリーはそれはそれとして必要であっただろうこととは想像に難くないし、それ自体を悪く言うつもりはない。

 ただ、歴史として把握する部分と行政を円滑に進めるためのストーリーは峻別しておさえる必要があるだろう。

------------------------------------------------------

 ところで、オリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというなら、オリンピック終了後の計画は河川上には作らない可能性が高い。なんせそう急がなくてもいいはずだから。

 ところが、実際にはオリンピック終了後も河川上に首都高速道路は計画されていた。

首都高速道路内環状線

 神田川の上に首都高速道路内環状線が計画されている。これが出来ていれば箱崎や竹橋の渋滞はもっと緩和されているはずだったのだ。これが実現できなかった理由は不勉強にして知らない。

※ この図面全体がご覧になりたい方はhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.htmlへ。

------------------------------------------------------

【参考】過去に書いた首都高関係の記事

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

首都高と河川利用と景観

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

昭和63年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

昭和37年の首都高速道路将来計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

昭和28年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

 首都高の日本橋川附近の地下化構想をめぐって、さも当然と言わんばかりに、多くのマスコミも論説を繰り広げた。

 その一例として2017(平成29)年7月30日付の読売新聞社説を抜粋してみる。

首都高日本橋 (2)

首都高日本橋 (1)

 なんかご高説なのだが、では建設時の読売新聞はどう言っているかというと、前の記事でも触れたが、1962(昭和37)年12月24日付読売新聞では、

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (13)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (12)

 首都高は「スマート」だ「モダン」だ、日本橋は「感傷」だと述べている。

 単発の記事だけだと、そのときの記者とデスクの一回限りのものかもしれない。

 1962(昭和37)年1月25日付読売新聞夕刊では

河川活用による高速道路建設

・「首都高の河川敷利用が少ないため用地買収等に必要以上の経費がかかっている」

・「河川が不要になったら干拓して掘割式の自動車道路を建設したり、河川を廃止できなくても高架の自動車道路を建設したりするのが世界各国の大都市における実情」

・「一日も早い道路整備が必要」

と主張しているのである。首都高建設当時の読売新聞は。

 で、こんなツイートをしたら

「50年前の主張を持ってくるのは流石に。。」とか「国鉄の分割民営化の際にブルートレインは廃止しないと言ったじゃないかというのと同レベルじゃないか。。」といったたしなめのお言葉を頂戴した。(ご心配ご迷惑をおかけして申し訳ございません。)

 最高裁の判例ですら時とともに変更されることはあるので、社会の価値観が変わればマスコミの主張が変わることもあるのは十分理解しているつもりである。

 ただ、一言「当社も昔はそう思っていたが、社会の価値観も変わり、当社も認識を新たにした」という趣旨のことを入れていれば問題ないと思うのだが、何も言わずに、さぞ首都高の建設当初から自分たちは景観を重視していたかのような論説には違和感を覚えるのである。

 なーにが「うなずける」だよ。

 これは個人の好き嫌いのレベルの話なので、別に賛同いただかなくても結構なのだが、便所の落書きと思ってご容赦いただければ幸甚である。

SONY ベータマックス

 ええ、ベータマックスがなくなっても、顧客がいなくなったんだからウソつきとは申しません。(まさか、ビデオデッキ自体がなくなるとは当時も想像つかなかっただろうなあ。)

------------------------------------------------------

 別に読売新聞だけを個別攻撃したいのではなく、当時のマスコミの主張はそんなものだったということで。

日本橋川をふさぐ首都高を「美しい曲線」とする朝日新聞 (1)

 東京オリンピック開催を間近に控えた1964(昭和39)年1月1日の朝日新聞の正月特集の一面で日本橋川を塞ぐ首都高の写真を国立競技場よりも大きな写真で紹介している。

日本橋川をふさぐ首都高を「美しい曲線」とする朝日新聞 (2)

 「ビルの谷間に美しい曲線を描く江戸橋インターチェンジ」である。日本橋川は「ビルの谷間」で首都高は「美しい曲線」なのである。

------------------------------------------------------

 こちらは、首都高速ではなくて、東京高速道路株式会社(KK線)が外濠川を埋め立ててしまったときの話なのだが、地元が埋め立て反対として外濠川にて水上デモを行った際の1954(昭和29)年10月2日付朝日新聞夕刊

数寄屋橋埋立につれない朝日新聞

 「何しろネコやネズミの死ガイをはじめ、ありとあらゆる都会のゴミ捨て場の”川”のこと、オールさばきのたびに悪臭プンプンとあって、数寄屋橋上の見物人は鼻をつまんでいた。」とある。当時朝日新聞本社は数寄屋橋にあったので、日々そのような目で外堀川を見ていたのであろう。

 読売新聞も、日本橋川のことを「ドブ川」と報じている。

日本橋川はドブ川と報じる読売新聞

 1966(昭和41)年4月7日付読売新聞から

 こういう汚くて臭い川を埋めてしまうことこそが当時求められていた都市美と考えていた人もいたということなのであろうか。

 築地川の干拓に反対する地元中央区住民に対して東京都は「流れの汚い築地川を残すのは都市美化の考え方から無意味」と対応していることが興味深い。

首都高と都市美

 1958(昭和33)年7月8日付朝日新聞から

数寄屋橋埋立につれない学識者

 多摩美大、金沢美工大等の学者も数寄屋橋取壊しを支持していたと報じる1956(昭和31)年4月5日付読売新聞。

 

 世論も変われば美的センスも時代によってうつろっているのである。そういう背景を整理したうえで物事を判断してもよいのではないか。

 単純に「経済効率最優先だった」と切って捨てるのは浅はかであろう。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋

 この写真は「首都高速道路株式会社10年史」から引用

------------------------------------------------------

【参考】過去に書いた首都高関係の記事

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--5ca7.html

マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--d6b7.html

首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか-首都高日本橋附近の地下化関連(3)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

産経抄が言うほど、山田正男は首都高を日本橋の下にできなかったことを心残りに思っていないんじゃないの-首都高日本橋附近の地下化関連(4)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--f613.html

清水草一氏は「当時それを批判する声はなかった」というがそれは明白な嘘-首都高日本橋附近の地下化関連(5)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--8d24.html

首都高と河川利用と景観

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-0a1e.html

首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-8798.html

首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-2f3b.html

「東京道路奇景」(川辺謙一・著)を読んでいて「東京都市高速道路の建設について」に関心を持った方に全部見せちゃう。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.html

森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/kk-9f0e.html

首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

東京五輪決定前の首都高速道路計画に係る考察~昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録を読む~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/33410-1e35.html

昭和63年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a2cf.html

昭和37年の首都高速道路将来計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

昭和28年の首都高速道路計画

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/28-7e37.html

首都高大橋JCTと玉電

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/jct-3c08.html

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-79c0.html

首都高速 大橋JCTの地下に潜ってきた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c87a.html

首都高速の料金所ブースの中はどうなっているのか

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1667.html

首都高速道路高架下建物入居者募集中・大家さんは首都高?

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0786.html

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee49.html

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a9d4.html

第3新東京市には首都高速が乗り入れているようだ

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat22398228/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月21日 (日)

地下鉄銀座駅の階段がズレているのは、そこに旧数寄屋橋の橋脚が埋まっているから

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (4)

 東京メトロ銀座駅から日比谷方面に向かう階段が左右ずれている。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (5)

 現地で見てもごらんのとおり。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (3)

 なぜ、まっすぐ並べられないのか?左右の階段を繋げて広く使えばよいのではないか?

 それには、かつてここに何があったかを思い出す必要がある。

Sukiya_bashi_old

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sukiya_bashi_old.jpg

 そう、かつてここには外濠川が流れ、数寄屋橋がかかっていた。現在はそこに東京高速道路(KK線)が走っている。

東京高速道路

 実は、ここには、旧数寄屋橋の橋脚・橋台が埋まったままなのだ。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (12)

 日比谷線建設史394頁から引用

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (13)

 日比谷線建設史392頁から引用

 そして、旧数寄屋橋と地下鉄日比谷線が直交していないため、橋脚跡と階段が斜めにズレる形となっているのだ。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (15)

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (14)

 この地下通路の床に斜めにひかれている3本の線は、ここに数寄屋橋が架かっていた(外濠川が流れていた)ことを示すものなのだろうか?

 さて、日比谷線建設時には、既に外濠川、数寄屋橋は無くなっていたはずである。なぜこのようなものが地中に残っていたのか?

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (11)

 丸の内線建設史(下巻)104頁から引用

 丸ノ内線建設時に、東詰の橋台や上部工部分は撤去したようだが、丸ノ内線に支障ない真ん中の橋脚や西詰の橋台は地上に存置されたままだったようだ。

 では、日比谷線建設時にそんな不要な橋脚は撤去してしまえばよいのではないかと思うであろう。ところが撤去できないのである。

 上空を通る東京高速道路の橋脚が旧数寄屋橋橋脚の上に建設されたからである。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (16)

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (13)

 日比谷線建設史392頁から引用

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (10)

 日比谷線建設史391頁から引用

 使っていないからといって今更撤去するわけにはいかなかったのである。斯くて、銀座駅から日比谷方面へ向けて降りていく地下階段は、旧数寄屋橋橋脚を避けて、心なしか、気持ち急勾配で、ズレた階段で降りていくのである。

 

 旧数寄屋橋橋脚が影響しているのは、地下鉄通路だけではない。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (7)

 日比谷線建設史405頁から引用

 その上をかすめるようにして日比谷地下自動車道が通っているのである。

 日比谷地下自動車道については、以前

・東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html

・東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html

・日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b86d.html

といった記事も書いているので、ご関心のある方は、あわせてお目通しいただけると幸甚である。

三原橋地下街と地下鉄日比谷線と有楽町ガード下地下道の関係

 

※東京メトロの主要路線の建設史は、「メトロアーカイブアルバム」で見ることができる。

https://metroarchive.jp/history.html

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年11月15日 (日)

上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その4)

 上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その3)では、各種図面を紹介してきたところである。

 今度は、新宿高島屋、紀伊国屋書店新宿南店(タイムズスクエアビル)と新幹線新宿駅の関係を見てみたい。

(※  「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)を見て検索してきた方は、こちらに整理したのでお手数ですが移動を推奨いたします。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

 

 元々は日本国有鉄道(国鉄)山手貨物線(のちに埼京線・湘南新宿ラインの一部として旅客営業も実施)沿いにあった新宿貨物駅(→貨物駅)の跡地を日本国有鉄道清算事業団の子会社(後述)が再開発して竣工した。現代的なデザインの建物が2棟並ぶ。

 ちなみに1970年代に上越新幹線の東京側のターミナル候補地として新宿駅の名前が浮上し、この建物の地下にそのためのスペースが残っている

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) タカシマヤタイムズスクエア

 また、naverまとめにも「新宿高島屋の地下には、謎の新幹線のホームが存在しているという。上越新幹線の新宿への乗り入れが見送られたが、なぜかホームは完成しており、そのホームに侵入した廃墟マニアもいるという。」とある。

 果たしてどんなもんか?

 「新宿駅貨物敷活用基本構想」によると新宿駅の地下はこんな感じで開発されることになっていた。

上越新幹線新宿駅構想 (4)

 新宿高島屋や紀伊国屋書店新宿南店と新幹線駅は重複していないように見える。

 次に「新宿駅貨物敷活用可能範囲」を見てみる。

上越新幹線新宿駅構想 (29)

 山手貨物線(埼京線、湘南新宿ライン)の東側に「地下の活用等に制約が加わる用地」の斜線がかかっている。

 それが、この線路と高島屋との間の道路とデッキからなる空間なのではなかろうか??(新幹線が地下にくるため、荷重をかけられないのではないか?)と邪推している。

 下の図面と上記ストリートビューを見比べてほしい。

上越新幹線新宿駅構想 (6)

 タイムズスクエアほどの建物になれば建築雑誌に報文が載っているはずなので、また探してみようと思う。

 西武渋谷店A館とB館の間の地下通路があるということが分かったときのような成果が得られへんかなあ。。。

(追記)

 「近代建築」1997年1月号に「タイムズスクエアビル」の報文が載っていた

 それによるとこのビルは地下4階まであり、地下1階の食料品売り場から下は地下4階まで全部駐車場だ。

 「B3レベル」に設定されている上越新幹線のスペースはどこに残っているのか??

 なお、地下駐車場は新幹線が来たら撤去できるような生易しいものではない模様。

 NISSAN CARWINGS「新宿高島屋の地下にハイテクな駐車場があった!」も参照されたし。地下30m分の高さ(低さ?)の機械式立体駐車場になっているとのこと。

 

 尤も、上記「新宿駅貨物敷活用可能範囲」の中央新線の荷重制限なんかは結局考慮されていないようだし、あくまでも基本構想なので実施段階に詰めていく過程でナンボでも変更されるだろうからねえ。

(最初、この荷重制限の絵を見たとき「おおー、高島屋と紀伊国屋の間の空間は中央新線のために空いてるのかーーー」と糠喜びしたがよく見ると合わない。)

上越新幹線新宿駅構想 (28)

 ↑喜んじゃうよね。

 実は、下記の新幹線ホームが入った計画図とグーグルマップを重ねてみたりしたのだが、明確には分からなかった。是非みなさんやってみて上手くいったらご教示ください。

上越新幹線新宿駅構想 (25)

--------------------------------------------------------

 

 以前、【暗渠】玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(その1)で「JRの新しいビル(JR新宿ミライナタワー)を見ていると、地下の使い方が随分もったいないような気がする。東北・上越新幹線(成田・中央新幹線も来るはずだったけど)の新宿地下駅構想のために空けてあるのではなかろうか??」

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水(7)

 と書いた。

 上記の「新宿駅貨物敷活用可能範囲」を見ると、JR新宿ミライナタワーは、上越新幹線ではなく、都営新宿線の上にあり「地表・地下共に制約が加わる用地」となっているようだ。都営新宿線は地下5階相当なのでこのくらいは大丈夫ということなのだろうか?

 実際には、都営地下鉄が国鉄(当時)にお金を払って土地を使わせてもらっていたようであるが。

(お詫びと訂正)

「JR新宿ミライナタワーは、上越新幹線ではなく、都営新宿線の上にあり「地表・地下共に制約が加わる用地」となっているようだ。都営新宿線は地下5階相当なのでこのくらいは大丈夫ということなのだろうか?」

と書きましたが、よく見ると、都営新宿線は、今般の新宿駅南口地区基盤整備事業による甲州街道の拡幅の下にその多くが含まれ、更にミライナタワーが若干南側に下がることで、ミライナタワー自体は「地上地下共に活用可能な用地」に建っているものと思われますので訂正いたします。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水

 

「日本鉄道施設協会誌」2008年1月号「新宿駅南口地区基盤整備事業に伴う玉川上水用地処理」森重達美、佐藤英明、柴田勇・共著(いずれもJR東日本東京工事事務所契約用地課)から引用

上越新幹線新宿駅構想 (8)

上越新幹線新宿駅構想 (10)

 そういう意味では、J-CASTニュースの記事で「京王がルミネの下に区分地上権を設定していると思って調べたらそうじゃなかった!!」と言っていたが、都と国鉄の間でも区分地上権ではないことが分かるので合点が行くところだ。

 

 当初は、上記の図のような玉川上水の資料を探していたのだが、思いもかけないネタが釣れたので当初の予定を変えてホイホイと新幹線の話を書いた次第である。

 

 次回で終わると思うが、最後に「もっと思いがけないネタが釣れた」ので(その5)までいってみよう。

-----------------------------------------------------

 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html

上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.html

上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html

大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1c4d.html

東北新幹線は浦和市営モノレールの導入空間を空けて今でも待ってるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-0765.html

上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.html

上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-3b1a.html

「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)

 玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(番外編その2)を書くためにいろいろネタ集めをしていたら、本来京王新宿駅のネタの2発目を書くはずが、なんか凄いネタが釣れたので、こっちを先に書くことにした。

 

 そのネタは

 上越新幹線新宿駅

 

 新宿高島屋の地下にホームがあるとかないとかいう都市伝説があるらしいのだが、私が掘り当てたのはズバリこれ。

上越新幹線新宿駅構想 (25)

 地下3階に新幹線ホームが計画されていた!?

 

--------------------------------------------------------

 

 今回の元ネタはこれである。

上越新幹線新宿駅構想 (1)

  その名も「新宿駅貨物敷活用基本構想」である。

 新宿高島屋、紀伊国屋書店新宿南店、NTTドコモ代々木ビル等がある敷地は、もともと国鉄の貨物駅敷地だった。それを民営化時に処分したわけであるが、この「基本構想」は、これらの再開発の前段として鉄道、道路といった関連する施設の開発計画の整理とそれに伴う貨物駅敷地の再開発に係る与件を整理しようというもののようだ。

3 国鉄の経営改善を推進する上での主要な課題

(5) 収入の確保

 (関連事業,資産処分による増収策)

 一方,資産処分についても,57年9月24日の緊急対策の閣議決定等を受けて,58年1月1日現在で未利用地及び未利用地へ移行する予定の宿舎等を含む事業用地の総点検を実施したが,この結果国鉄として将来利用計画のない用地を約1,600万平方メートル生み出すことが可能であることが明らかとなり,この点検結果を踏まえて,売却による増収に努めることとしている。今後,貨物輸送システムの転換に伴って発生する跡地等についてもその処分・活用方策を早急に検討し,資産処分の促進を図る必要がある。

 なお,国鉄用地の有効活用については,58年4月の経済対策閣僚会議決定「今後の経済対策について」をうけて,5月内閣官房副長官を座長とする「国鉄用地の有効活用に関する連絡協議会」が設置された。次いで6月には,国鉄用地活用のモデルプロジェクトとして,新宿駅貨物敷等4地区を対象地とする計画検討委員会及び基本構想研究委員会を国鉄に設置し,再開発計画及び開発整備構想の検討を鋭意進めている。

 

「昭和58年度 運輸白書」 から引用

http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa58/ind020103/003.html

 下記のような再開発計画の構想を立てるというのが本来の目的である。

上越新幹線新宿駅構想 (2)

 

 今回、ご紹介するものは、「上越新幹線新宿駅を実際に建設するための計画」ではなく、「貨物駅敷地を再開発するにあたってどこまで土地を再開発用地にあてられるか、またその際の制約条件は何かを出すための仮想の計画」であると言える。

 そういう意味では採算性等をギリギリ勘案したものではなく、将来本当に新幹線等を建設することになった場合のために導入空間をキープしておくための根拠づくりだろうか。

 ここでは、その中で新幹線新宿駅がどのように考えられていたかをご紹介していきたい。

 なお、上記の「総合整備構想図」では、新幹線は「都交審等で答申がされているなど、概ね計画がかたまっている事柄」という扱いになっている。

 また、「通勤別線」は現在の埼京線・湘南新宿ライン、「地下鉄12号線」は都営大江戸線、「地下鉄13号線」は東京メトロ副都心線である。

 (その2)では「新宿駅貨物敷活用基本構想」において前提とされた鉄道計画をまずご紹介したい。

------------------------------------

 末尾ではありますが、今般パリで亡くなられた方々に哀悼の意を表します。

 

-----------------------------------------------------

 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html

上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.html

上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html

大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1c4d.html

東北新幹線は浦和市営モノレールの導入空間を空けて今でも待ってるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-0765.html

上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.html

上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみるhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-3b1a.html

「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月 8日 (日)

【暗渠】玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(その3)

 【暗渠】玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(その2)に続いてその3である。

 (その2)は、東口だったので、今度は西口だ。

 (その2)で見て分かるように、玉川上水は随分土被りが薄い所を走っている。鉄道もそこをこわごわ縫っていくように走っている。

 ところで、西口の小田急はどうなっているのか?こわごわどころか地上と地下の2階建てである。(下記リンクは小田急公式の新宿駅構内図)

http://www.odakyu.jp/station/shinjuku/station_map_3d.html

小田急新宿駅と玉川上水の関係 1

 

 「交通技術」1960年6月号に「小田急電鉄新宿駅改良工事」という報文が掲載されている。地上のみだった小田急線新宿駅を地上と地下の2階建て構造にするにあたっての事前の計画についての報文である。

 そこに

小田急新宿駅と玉川上水2

 玉川上水路のサイフォン化とある。

 縦断図で見ると地下ホームの更に下に玉川上水を潜らせている。

小田急新宿駅と玉川上水4

 例によってコメントを付けてみる。

小田急新宿駅と玉川上水5

 平面図で見ると

小田急新宿駅と玉川上水1

 コメントしてみると

小田急新宿駅と玉川上水3

 国土地理院の空中写真に被せてみると

小田急新宿駅と玉川上水6

 (その1)で大活躍した「日本鉄道施設協会誌」2008年1月号「新宿駅南口地区基盤整備事業に伴う玉川上水用地処理」の案内図に被せてみると

小田急新宿駅と玉川上水7

 この頁最上の絵の正解はこういうことだったのだ。

小田急新宿駅と玉川上水の関係 2

(ポンプ室は、サイフォンのためのものなのか、地下ホームのためのものなのかは不明)

 

※「水面を同じ高さに戻すだけなら、ポンプアップは不要ですね(それが逆サイフォンなので…)。」とのご指摘をいただき、修正いたしました。

------------------------------------------------------------------------

 ところで玉川上水サイフォンの西側には葵橋跡地がある。

玉川上水と葵橋

 このプレートがあるビルは地上階しかない・・・ということは玉川上水暗渠が支障となって地階が作れないんでしょうかね。

玉川上水と葵橋2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年11月 3日 (火)

【暗渠】玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(その2)

  【暗渠】玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(その1)が予想以上に好評だったようなので、調子こいて(その2)を書いてみる。

 (その1)でご紹介した「JR新宿駅南口地区基盤整備事業」は、甲州街道の架け替えやJRビルの新築だけではなくて、東京メトロ副都心線新宿三丁目駅への地下歩道の整備も含まれている。

新宿三丁目駅と地下歩道と玉川上水 (10)

 このピンクのやつだ。(その1)を見ていただいた方には、これは玉川上水が絡んでいるだろうと思うであろう。

 この歩道の施工に係る報文がある。

副都心線新宿三丁目駅出入口地下歩道工事における函体推進について 」大石  敬司、 岡田  龍二、西村 聡、 藤内 邦彦・共著(東京地下鉄)

新宿四丁目交差点直下に地下歩道を築造」小山 浩史(大林組 新宿三丁目JV工事事務所 所長)

 単刀直入にいくとズバリこうです。

新宿三丁目駅と玉川上水

「新宿四丁目交差点直下に地下歩道を築造」から引用

 ちょいとコメントを入れてみる。

新宿三丁目駅と玉川上水3

「新宿四丁目交差点直下に地下歩道を築造」から引用加筆
(上下の地図と図面は縮尺を合わせていません。見取り図ということでご了承ください)

 横断図は下記のような感じで

新宿駅と玉川上水4

「副都心線新宿三丁目駅出入口地下歩道工事における函体推進について」から引用加筆

 パイプルーフとか函体推進について気になる方は是非報文をご一読ください。ざっくり言うと、トンネルの上部に玉川上水や重交通量の明治通りがあるので地盤沈下しないようにトンネル本体の工事より先に、パイプで屋根を作っておく。その後、75cmの厚さで輪切りにしたトンネル本体を後ろから(新宿駅側から)ぐいぐい押し込んでいくというようなところかなー。

 こちらもコメントを入れてみる。

新宿三丁目駅と玉川上水4

 こうして見ると、土被りが非常に薄い。玉川上水から地表面まで1メートルもないのではなかろうか?路上工事で何かチョンボしちゃうとすぐ玉川上水に当ってしまいそうだ。

 また、ここでの玉川上水の形状を見ると、(その1)で引用した、暗渠の中のレポートが思い出される。

 明治通りからここ(引用者注:大木戸)まで、新宿御苑北側の道が堀の跡です。地下は人が立てるほどのトンネルの水路になっています。三年前にこのトンネルのなかを、はき水門から上流に向かって歩かせてもらったことがあります。10センチくらいの深さで水が流れていました。

 まっくらなトンネルのところどころが明るくなります。そこはマンホールのふたの穴から光がさしこんでいるのです。「このマンホールは甲州街道陸橋下の植えこみのところですよ」、といわれてからしばらく、あじけないコンクリートのかべが、とつぜん煉瓦にかわりました。かべからてんじょうまでレンガを積んだアーチ形をしています。かいちゅう電灯の光にうかんだ曲線はとてもやわらかで、美しいという感じがしました。この上は新宿駅で、明治時代のおわりごろに線路の下をあんきょにしたそうです。

「玉川上水 親と子の歴史散歩」たましん地域文化財団・刊 伊藤好一・監修 比留間博・著242~243頁から引用

 明治時代に国鉄の下を暗渠にしたところは煉瓦アーチで、その後に暗渠にしたところは、「あじけないコンクリートのかべ」ということが確認できたように思える。

新宿三丁目駅と地下歩道と玉川上水 (3)

新宿三丁目駅と地下歩道と玉川上水 (1)

写真左側に写る「駅漏れ」は、上部空間を走る玉川上水から漏れているんじゃないだろうか??という妄想も楽しい。

------------------------------------------------------

 暗渠とは直接関係ないが、上記図面の「シールド区間」については、下記リンク先を参照されたい。

鴻池組「浅い土被りで都心国道下を掘進する開放型矩形シールド

鴻池組「国道20号新宿地下歩道工事

新宿三丁目駅と地下歩道と玉川上水 (7)

 この地下道入り口は、施工時はシールドマシンの発進基地だったのだ。玉川上水は、右側に見える橋脚の右側地下を走るのか?それとも左側地下なのか?

------------------------------------------------------

次いで(その3)へ。今度は西口に移ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月 2日 (月)

【暗渠】玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(その1)

 下記イベントを見て来た。

高円寺フェス2015 すぎなみ「道草のススメ」トークイベント ~下も向いて歩こう~

ゲスト:はな

出演:白浜公平、吉村生、小林政能、荻窪圭

コーディネーター:高山英男(自称中級暗渠ハンター)

 なので、私も暗渠と境界ネタを書いてみようと思う。

 現在、JR新宿駅南口地区基盤整備事業が進められている。ちょっと時点は古いが大山顕さんの写真レポ「 まさか埼京線の下があんなだったとは……!」を見ていただければ「ああ、アレね」とお分かりいただけると思う。

 ところで、あの辺りには、玉川上水が暗渠で走っているはずだ。手元の「玉川上水 親と子の歴史散歩」によると

 明治通りからここ(引用者注:大木戸)まで、新宿御苑北側の道が堀の跡です。地下は人が立てるほどのトンネルの水路になっています。三年前にこのトンネルのなかを、はき水門から上流に向かって歩かせてもらったことがあります。10センチくらいの深さで水が流れていました。

 まっくらなトンネルのところどころが明るくなります。そこはマンホールのふたの穴から光がさしこんでいるのです。「このマンホールは甲州街道陸橋下の植えこみのところですよ」、といわれてからしばらく、あじけないコンクリートのかべが、とつぜん煉瓦にかわりました。かべからてんじょうまでレンガを積んだアーチ形をしています。かいちゅう電灯の光にうかんだ曲線はとてもやわらかで、美しいという感じがしました。この上は新宿駅で、明治時代のおわりごろに線路の下をあんきょにしたそうです。

「玉川上水 親と子の歴史散歩」たましん地域文化財団・刊 伊藤好一・監修 比留間博・著242~243頁から引用

 ということである。(この頁には新宿駅下を走る煉瓦造りの暗渠の内部の写真も掲載されているので是非ご覧ください。)

1919(大正8)年の様子を国際日本文化研究センターの地図データベースで見てみるとこんな感じだ。http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1303.html

新宿駅と玉川上水

 甲州街道の陸橋を架け替え、新しいビルをJRの線路上に建築しているというところで、地下の玉川上水はどうなっているのだろうか?

 

 それが分かる資料を入手したのでご案内したい。

 「日本鉄道施設協会」の機関誌「日本鉄道施設協会誌」2008年1月号に「新宿駅南口地区基盤整備事業に伴う玉川上水用地処理」森重達美、佐藤英明、柴田勇・共著(いずれもJR東日本東京工事事務所契約用地課)が掲載されている。

「当該敷地の中には当社用地のほかに東京都所有の玉川上水敷地も約560㎡存在しているため、当該用地の取り扱いについて国土交通省、東京都及び当社の三者で協議を重ね、その処理方針について合意に至ったことから、当該用地の処理内容について紹介するものである。」とのこと。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水

 ざくっとコメントを付けてみると、今バスターミナルを作っている西側の低いビルのあたりの地下に走る玉川上水が支障となるので、甲州街道を拡幅する際にそっちに移設したということのようだ。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水 (2)

 国土交通省東京国道事務所のウェブサイトによると、下図のような感じで甲州街道拡幅部の基礎の中に玉川上水の暗渠を抱き込んでいる。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水 (3)

この辺を玉川上水が潜ってるわけでしょうか。。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水(8)

--------------------------------------------------------

 

 ところで、この玉川上水の線が渋谷区と新宿区の境界になっているようだ。

(下図下段は、「ワイドミリオン 全東京10,000市街道路地図帖」(東京地図出版 1992年発行)から引用)

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水 (5)

 そして渋谷区と新宿区の境界は、明治時代の千駄ヶ谷村と角筈村が玉川上水と甲州街道を挟んで対峙しているその境界を踏襲しているように思えるのだ。

(下図下段は、「江戸から東京へ 明治の東京」人文社刊のうち「明治11年実測東京全圖」から引用)

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水 (6)

 ちょうど線路の中の折れ点が同じように折れているように思えないだろうか?

 他の境界線については、町の開発に伴い新しい地型にあわせて変わっていったが、鉄道線路下の暗渠となった玉川上水に基づく境界線だけは、今まで触られなかったのでそのまま現在も区界になっていると言えるのではないだろうか?

この辺は「境界協会」の小林政能さんにご判断いただきたいところだ。

--------------------------------------------------------

(余談)

 JRの新しいビル(JR新宿ミライナタワー)を見ていると、地下の使い方が随分もったいないような気がする。新宿高島屋にしたって地下をいきなり駐車場にはせず、食料品売り場等に使っているはず。。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水(7)

https://www.jebl.co.jp/admin/news/pdf/20120904.pdf から引用。

 玉川上水が支障になるならともかく、玉川上水は甲州街道の下に移設したので問題ないはずだ。何か地下に展開できない理由があるのだろうか。

 

 

まさか、アレでは??

 

新幹線新宿駅1

「交通技術」1975年4月号10頁から引用

東北・上越新幹線新宿駅

「交通技術」1975年5月号9頁から引用

新幹線新宿駅2

「交通技術」1975年5月号11頁から引用

 そう、東北・上越新幹線(成田・中央新幹線も来るはずだったけど)の新宿地下駅構想のために空けてあるのではなかろうか??

いや、実際には基礎杭があるわけでそんな空間を取っておく余地は無いと思うけどね。

(その2)へ続く

(新幹線ネタは続きません)

-----------------------------------

(追記)

(新幹線ネタは続きません)と書いたが、その後新幹線ネタのデカイやつを見つけましたので続いてしまいましたとさ。

上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)