カテゴリー「新宿」の39件の記事

2017年2月25日 (土)

京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。

 京葉線の新宿乗り入れについては、かつて「京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.htmlで記事にしたところである。

 ところで、京葉線の東京駅はかつての成田新幹線構想に基づく東京駅の空間を利用したものであった。  では、成田新幹線構想が生きていたころの京葉線の都心への延伸はどうなっていたのか?それが分かる資料が国鉄に残されていたので紹介したい。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (2)

 「第27回停車場技術講演会記録」307頁から引用

 まあ、上図をご覧のように新橋駅経由だったわけだが。

 出典は国鉄で1976(昭和51)年12月8日及び9日に開催された「第27回停車場技術講演会」における「総武開発線計画について」で、国鉄東京第一工事局調査課の林良一氏によるものである。

 この頃は、「京葉線」はあくまでも貨物線の名称であり、旅客線は「総武開発線」と呼び分けていたようだ。

 上図では駅をどこに設置するかはよく分からないが、別図では下記のとおりとなっている。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (3)

 「第27回停車場技術講演会記録」308頁から引用

内房線の蘇我駅から中央開発線の三鷹までの間に、新幕張、若松町、新浦安、新砂町、有明、新橋、赤坂見附、新宿、弥生町、新浜田山の駅が予定されていたようだ。蘇我-新橋間が総武開発線、新橋-三鷹間が中央開発線という区分である。

 若松町は、現在の南船橋駅のことか?

 新砂町は、現在の新木場駅のことか?

 弥生町は、下記のとおり中野区にある。

 新浜田山駅が設置されるということは、新宿-吉祥寺間は方南通り、井の頭通りの地下に設置する計画ということか。

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 ルートの考え方は下記のとおりである。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (1)

 「第27回停車場技術講演会記録」306頁から引用

 「汐留駅をターミナルとし、第二東海道新幹線」云々(でんでんじゃないよ)とあるが、これについてはおって詳細に紹介したい。→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-67ee.html

 蘇我から三鷹までの縦断図は下記のとおりである。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (5)

総武開発線の都心付近の拡大図はこちら

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (6)

中央開発線の都心付近の拡大図はこちら

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (7)

 それぞれ「第27回停車場技術講演会記録」311頁から引用

 新橋駅は、既に総武快速・横須賀線の地下駅を設置しているため、その下に設置するようで標高約35m(地下約43m)と大変深い位置に計画されていた。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (8)

 「第27回停車場技術講演会記録」312頁から引用

 なお、新橋駅の位置については、案3まで掲載されている。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (11)

 「第27回停車場技術講演会記録」321頁から引用

 また、中央開発線の縦断図では新宿駅で上越新幹線の下を通っていること等が分かる。

 新宿駅のホームや詳細な位置取りは、以前「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlで紹介しているので、併せてご覧いただきたい。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (4)

 「第27回停車場技術講演会記録」371頁から引用

 「横十字」が中央・総武開発線である。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 「第27回停車場技術講演会記録」377頁から引用

 左右に伸びる地下ホームが上越新幹線新宿駅であり、その下(地下5階)に上下に伸びるホームが、中央・総武開発線である。

 中央開発線の三鷹駅が地下に計画されていたことも分かる。

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 「京葉線は、貨物と旅客の複々線とする予定であった」と言われるが、その計画が分かる図面もある。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (10)

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (9)

 「第27回停車場技術講演会記録」320頁から引用

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■地下鉄有楽町線への乗り入れの検討

 昨今、京葉線とりんかい線の相互乗り入れによる新宿直通案の具体化が図られているが、当時営団地下鉄有楽町線(8号線)との相互乗り入れが検討されていたようだ。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (12)

 有楽町線乗り入れが実現されていれば、もっと早くに都心への直通が実現できていたと思われるが、特急、快速等が運行しづらいことや、ホームが10両しかないこと(快速は15両を想定していた)、何より、有楽町線が海浜ニュータウン方面(幕張、稲毛付近)への延伸が想定されていたことを排除するために?有楽町線乗り入れを排除していたようだ。

 

 次は「リニアモーターカー(第二東海道新幹線)と京葉線のターミナルとなるはずだった汐留駅」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-67ee.html

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2017年2月13日 (月)

上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみる

 ここまでグダグダと上越新幹線新宿駅延伸に関して記事を書いてきたが、小ネタをちょこちょこと出して整理しておく。

 「都営新宿線や都営大江戸線があんなに深いのは上越新幹線を避けているため」と言われることがあるがそれは事実なのか?

 文献によって確認してみた。

 まずは都営地下鉄新宿線である。「トンネルと地下」1978年3月号に「新宿駅線群の下を抜く 地下鉄10号線シールド」という記事が掲載されている。著者は、日本国有鉄道東京第三工事局新宿工事区の田中逸男区長と吉永則雄助役である。都営地下鉄なのになぜ国鉄の人が報文を書いているかというと、国鉄線の地下部分を通る箇所は東京都から国鉄に工事が委託されているからである。(同様に、小田急線の地下は小田急が受託している。)

 さて、「新幹線」というキーワードは出てくるのか?

上越新幹線新宿駅と都営新宿線の位置関係 (1)

 「新幹線の新宿乗り入れなどの将来構想を考慮して」と書いてある。

上越新幹線新宿駅と都営新宿線の位置関係 (2)

 ただし図面上は新幹線の絵は出てこない。ヒントとなるのが、先述の箇所で「「新幹線の新宿乗り入れなどの将来構想を考慮して32/1,000の急勾配で下り、貨物線の下に至る.これよりさらに2/1,000で下ってから民有地の発進立坑に到達する.」とある。

 勾配が32/1,000と2/1,000に切り替わる箇所がキーポイントのようだ。図面を見てみると山手貨物線の地下あたりで切り替わっている。

 これは、「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html等で紹介してきた上越新幹線新宿駅ホームの構想箇所と合致すると言ってよいだろう。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 「第27回停車場技術講演会」「新宿駅将来計画」国鉄東京第三工事局調査課補佐・石倉勝美・著から引用。

 また、「新宿駅線群の下を抜く 地下鉄10号線シールド」には「薬液注入計画」の図面が掲載されている。

上越新幹線新宿駅と都営新宿線の位置関係 (3)

 これが、「勾配が32/1,000と2/1,000に切り替わる箇所」から笹塚寄りのワンスパン分に薬液注入工が行われていないことを表している。将来新幹線ホーム掘削工事を行う際に薬液注入していると妨げになるという判断があったのだろうか???

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 次いで、都営地下鉄大江戸線(12号線)である。実は、これについては適当な文献を見つけられていない。

上越新幹線新宿駅構想 (6)

 「新宿駅貨物敷活用基本構想」国鉄新宿駅貨物敷活用基本構想研究委員会 から引用。

 今まで多くの図面を活用してきた「新宿駅貨物敷活用基本構想」によると、都営12号線は地下3階で京王線の下・京王新線(都営新宿線)の上の「B3Fレベル」を通っている。しかし現在は地下7階だ。この違いはなにか?

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (15)

 「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」34頁から引用

 都営大江戸線は、現在とは違って当初は新宿駅に停車することなく、代々木駅から直接都庁前に向かっていた。このときは地下3階でよかったのが、新宿駅に停車することとなって地下7階になったということか?その辺の経緯はよく調べきれていない。

 京王線と京王新線の間にある微妙な空間は、本来都営大江戸線が入る空間だったということでよいのか?(この空間をして、「京王線と京王新線の間に上越新幹線ホームが計画されている」説を述べる人がでてきたということだろうか?)

 いずれにせよ、地下3階はともかく、地下7階まで下がるのは上越新幹線のせいではなさそうだ。

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2017年2月 5日 (日)

上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみた

 もうずいぶん長い間、上越新幹線新宿延伸ネタを引っ張っている。まだ終わらないのか。もう俺は飽きてきて他のネタを(他人に先に書かれないうちに)早く書きたいのに。

 それならやめとけばよいのに、まだ書くのは、川島冷蔵庫の妄想が大変深く根を張っているようなのでしっかり潰しておく必要があると思ったからである。

上越新幹線大宮駅-新宿駅延伸ルートの川島令三案と国鉄・鉄道建設公団案の比較

 個人ブログや、鉄道トリビア本等で左側の「川島妄想ルート」はよく見かけるが、真ん中の国鉄が公表しているルートはあまり見かけないだろう。

 例えば、「完全版 新宿駅大解剖 」 横見浩彦・監修の105頁にも「上越新幹線の経路だが、荒川付近から地下を通り、池袋駅付近では地下鉄有楽町線と副都心線のトンネルの間に新幹線トンネルがあるようだ。」とすっかり川島一派である。横見浩彦氏の本は当時の新聞すらも調べずに書いたレベルと言えばそれまでなのかもしれないが。

 上記の絵ヅラで、川島ルートが妄想であろうことは概ね分かるが、しっかり理詰めと時系列で潰しておこう。

上越新幹線大宮駅-新宿駅延伸ルートの川島令三案と報道の比較

 ルート図と同じく、左側が川島妄想で右側が当時の新聞である。

 川島妄想の概要は、

・大宮駅-荒川間は、東北・上越新幹線と埼京線の3複線で、上越新幹線用地は「緩衝緑地」を使う。

・荒川-池袋駅間は、地下に潜り「おそらくは」国道17号(中山道)の地下を走る。

 というものである。

 ここで、上記の新聞報道あるいは私のブログの以前の記事「上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみる」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.htmlをご覧いただきたい。

1971(昭和46)年10月14日 東北新幹線・上越新幹線工事実施計画その1認可

東北新幹線 南埼玉トンネルで一部地下
上越新幹線 未公表(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) なし(東北貨物線?)
都市施設用地
(環境施設帯)
なし(側道4mのみ)

 

1973(昭和48)年3月10日 佐藤運輸政務次官が、畑埼玉県知事と小林東京北区区長に対して、東北、上越、北陸の三新幹線の運輸省案路線計画を提示 

東北新幹線 全線高架
上越新幹線 東北貨物線(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) 東北新幹線に並行
都市施設用地
(環境施設帯)
なし(側道4mのみ)

 この経緯で見ていただいて分かるように、当初案は、「埼京線なしの東北新幹線のみ地下」で、1973年に「埼京線+東北新幹線の高架及び東北貨物線活用の上越新幹線」という公表経緯であり、川島令三の言うような「東北・上越新幹線と埼京線の3複線」が世間に出たことは歴史的に存在しないのである。(国鉄内部での構想段階ではいろんな案があったかもしれないが。)

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 そして、川島令三が<図解>新説 全国未完成鉄道路線でここに上越新幹線の高架橋が併設される。」と述べる「環境緑道」であるが、当初は存在しなかったのである。もし川島令三の言うように上越新幹線を東北新幹線に併設させるつもりだったら当初から「環境緑道」が存在していなくてはならない。

 上記右側毎日新聞記事の末尾に埼玉県知事が「幅6.5mの側道設置」を要求している。現在の「環境緑道」は幅員20mだが、当初は新幹線は4mの側道しか計画していなかったのである。それをせめて6.5mに広げて2.5mだけでも新幹線と民地を離してくれというのが埼京線と東北新幹線の高架併設案が地元提示された段階の計画であったのだ。

埼玉県内の新幹線の緑地帯は上越新幹線用地ではない

 1975(昭和50)年11月8日付朝日新聞にも当初計画では「側道は幅4m」だが、騒音対策で20mに広げると書いてある。川島令三はいったいどこに上越新幹線を作るつもりだったのか。

 下記は、昭和56年2月4日付の国鉄東京第三工事局長から国鉄総裁への上申文「東北新幹線・通勤別線建設に伴う都市施設用地の取得について」の抜粋である。(「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」112頁)

埼玉県内の新幹線の緑地帯は上越新幹線用地ではない2

 国鉄として幅20mの「都市施設用地」の取得に正式に動き出したのはこの段階である。

 「国鉄は、地元の環境対策に理解を示したふりをして、したたかに将来の上越新幹線用地を確保したのだ。」等と考える方もいるかもしれない。

 ただし、上記東三工局長文をよく読むと、地元自治体へ譲渡することが前提であることが分かる。

○岩橋説明員(日本国有鉄道建設局審議役) お尋ねの環境空間ということでございますが、御指摘のとおり、埼玉県下の大宮以南の新幹線を建設するに当たりまして、地方公共団体との間で、両側に二十メーターばかりの環境空間をとってほしい、こういうような御要望がありまして、私ども、これは地方公共団体がお使いになる用地の先行買収というふうに理解をいたしまして買収を進めてきたところでございます。したがいまして、この土地を戸田、浦和、与野の三市に買っていただきたいとずっと申し上げてきたわけでございます(略)

 

1985(昭和60)年6月7日 衆議院環境委員会

 と国会でも明確に国鉄側が答弁している。上越新幹線を作るのであれば「戸田、浦和、与野の三市に買っていただきたいとずっと申し上げ」たりしてはいけないはずだ。

 なお、実際には自治体への有償譲渡は難航しており、会計検査院に再三指摘されている。(上記の国会答弁も会計検査院の指摘を受けてのもの。)

埼玉県内の新幹線の緑地帯は上越新幹線用地ではない3

 1984(昭和59)年11月6日読売新聞にも報道されている。右下のイラストを見ても、譲渡予定の20mの幅の他に上越新幹線用地があるとは思えない。しかも川島令三の「西側がやや広い」というのも否定されてしまう東西等間隔ぶりである。

 (余談だが、新聞の左下の「投資ジャーナル 中江滋樹」に時代を感じますな。平成生まれのゆとり世代は置いてきぼりですまんな。昭和時代には下記のような番組がゴールデンで流れていたのだよ。)

 

・昭和59年度決算検査報告 東北新幹線建設に伴い取得した都市施設用地について http://report.jbaudit.go.jp/org/s59/1984-s59-0234-0.htm

・平成10年度決算検査報告 東北新幹線の建設に伴い取得された都市施設用地について http://report.jbaudit.go.jp/org/h10/1998-h10-0540-0.htm

 この2つの報告を読めば、川島令三の「ここに上越新幹線の高架線が併設される。これは筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている。」という記述が如何に馬鹿げたものかが分かるであろう。

 なお、ノート:上越新幹線https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%B8%8A%E8%B6%8A%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9Aの「新宿駅への延伸計画における緩衝地帯について」には「ネットで調べたところ、この緩衝地帯は、国鉄がJRになる時に、国鉄清算事業団に払い下げられたのではなく、JRの関連会社に払い下げられたそうです。」なんて書いてあるが、上記会計検査院報告には「都市施設用地は国鉄から保有機構に承継され、その後、保有機構からJR東日本に260,579m2 が譲渡されている」とある。いったいネットのどこを調べたのか。これだから「嘘ペディア」は困る。

 

 ああ疲れた。「おそらくは、池袋駅から中山道に向かい、中山道の地下を走って、荒川を渡る」なんて部分は、川島令三本人が「おそらく」にすぎないと言っているのだから検証の必要もないよね。

 なお、「新幹線池袋駅の設置も考えられていると思える。」(<図解>新説 全国未完成鉄道路線(140頁)については、「上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのか」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.htmlにおいて、下記のとおり否定されているので改めてご紹介を。

上越新幹線と池袋駅 (5)

「複合機能としての旅客駅計画 池袋駅」国鉄東京第三工事局調査課 荒井良明・著

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2017年1月22日 (日)

上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみる

 「やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?」 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.htmlがえらいアクセスを頂戴した。ありがとうございます。変人窟さんにもリンクいただいたし。(何年ぶりかなあ)

 ところで、新宿駅だけではなくて、新宿-大宮間ルートの経緯についても整理してみたい。

 というのは、この件を調べていると、川島某とか川島冷蔵庫とかwikipediaとかyahoo!知恵袋とかのウソがはびこっていて、デタラメだし、ネットでも「用地はほとんど買収済です」「プロ市民の妨害で用地交渉が頓挫しています」とか矛盾する話がいっぱい出回っているので、「よっしゃここは俺が整理してやろうじゃないか」と頑張ってみたわけである。

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 まずもって、基本的なところを

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (4)

 これは「上越新幹線工事誌(大宮新潟間)」日本鉄道建設公団東京新幹線建設局・編からの引用である。

 「東京(新宿)・大宮間の線路の建設については、別途工事実施計画を提出することとした。」とある。つまり、当該区間は他の区間とは異なり、まだ工事実施計画が提出されていないということである。

 では「工事実施計画」とはなんぞやということになるが、同書から同じく引用してみると下記のとおりである。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (3)

 「線路の位置」「停車場の位置」「工事予算」等が工事実施計画で決められるということである。ということは、これが決められていない上越新幹線の東京(新宿)-大宮間は、「線路の位置」「停車場の位置」「工事予算」も何にも決まっていないのである

 (この辺は、行政法を勉強した方は、処分性のとこで出てくる必須判例である「成田新幹線工事実施計画認可取消請求訴訟を思い出すことであろう。http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/154/018154_hanrei.pdf

 私が以前UPした図面のように、当然事務方の腹案はあるだろうが、日本の法律上の手続きでオーソライズされたものは一切無いのである。よって「上越新幹線の東京(新宿)-大宮間は〇〇だ」と断言しているものは、(私のブログも含めてw)ことごとく眉唾で見る必要がある。ルートも予算も決まっていないので用地買収もできないし、反対派のせいで買収が頓挫することもありえない(他の工事の際に空けて待っておくくらいはできるだろうが)。もちろん川島本等は論外である。

 ちなみに、本稿を書くにあたって「上越新幹線工事誌(大宮新潟間)」「上越新幹線工事誌(大宮水上間)」「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」に目をとおしたが、新宿-大宮間の具体的なルートに言及したものは一切なかった。冒頭でご紹介した一文が全てである。(ただし、部分的にそれらしいものがチラチラ見えたりするのでそれはおってご紹介したい。)

 ということで、上越新幹線新宿-大宮間のルート経緯をたどるには、新聞や業界誌等に断片的に見え隠れするものをチマチマと積み上げていく(ないものはないと言う)のが誠実な方法であろう。よってその成果をひたすらダラダラとご紹介していきたい。

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1970(昭和45)年5月18日 全国新幹線鉄道整備法制定

 

1971(昭和46)年1月13日 鉄道建設審議会が東北、上越、成田新幹線を基本計画に定めることを答申

 

1971(昭和46)年1月18日 運輸大臣が基本計画を告示

 上越新幹線 新宿-大宮間ルート (11)

 「起点 東京都」と定められているのが分かる。「上越新幹線の法律上の起点は新宿だ」としったかぶりをする方が見られるが、「東京都」までしか定められていない。新宿までは言及していない。もっとも全国新幹線鉄道整備法では(別表で全国の高速道路の路線を定めた国土開発幹線自動車道建設法とは異なり)一切路線を法律のなかでは定めていないので、「法律上は何も決まっていない」というべきかもしれないが。

 

1971(昭和46)年1月19日 運輸大臣が国鉄及び日本鉄道建設公団に調査を指示

 

1971(昭和46)年1月30日 国鉄及び日本鉄道建設公団が調査報告書提出

 上越新幹線の調査報告書が埼玉県立図書館にあるようなのでご関心のある方はどうぞ(私はそこまでやる気が起きないので他力本願・・・。)

 

1971(昭和46)年4月1日 運輸大臣が整備計画決定。国鉄と公団に対して建設を指示。

 ここまで、私が調べた範囲では、新宿うんぬんということは出てこないようだ。

 

1971(昭和46)年6月15日 東京都知事から国鉄総裁へ協議「国鉄新幹線の東京乗り入れについて」

上越新幹線新宿駅構想 (19)

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.htmlでご紹介したもので、出典は国鉄の「新宿駅貨物敷活用基本構想」である。

 

1971(昭和46)年6月25日 読売新聞夕刊「東北-上越-成田 三新幹線 加熱、ターミナル誘致合戦」

 「停車場の位置」は工事実施計画で定められると上述したとおりであるが、工事実施計画の策定を前に、東京都内では、東京、上野、新宿、池袋、田端等が候補地とされて、ターミナル誘致の陳情合戦が繰り広げられたようである。上記の読売新聞記事はそれを記録するひとつである。

 

1971(昭和46)年9月15日 読売新聞「新宿から「上越」新幹線 国鉄、鉄建公団の最終構想」

上越新幹線新宿駅乗入れ (1)

 陳情合戦のなかからターミナルに東京と新宿が選ばれたとの記事である。尤も「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲」高松良晴・著 111頁では、基本計画の段階で新宿を想定していたかのような書きぶりではある。

 問題は着工時期だが、現在、鉄建公団が建設中のいわゆる外環状線(武蔵野線、小金線、京葉線の一部をつなぎ東京外周をぐるり取り巻く新線)が、52年に全線開通すると、新宿を含め、いまの国電山手線に並行する山手貨物線はすべて外環状線経由となり、山手貨物線が不要となる。新幹線はそのあとを利用する計画で、国鉄、鉄建公団では当面、東京駅のホーム増設工事を先行させ新宿ターミナルは外環状線工事の進行状況とにらみ合わせて建設準備を進め東京駅より2、3年遅れの着工となりそうだ。

 国鉄、鉄建公団では、51年の開通当初は東北、上越両線を東京駅から大宮駅付近まで併用とし、新宿駅完成後に東北新幹線は東京駅、上越新幹線は新宿駅に分離したい考え。東京駅を出た列車は、高架から秋葉原付近でいったん地下にもぐり、田端付近でカオを出すが、分離後の上越新幹線は、この田端を分岐点に、山手貨物線あとをたどり新宿駅と結ばれる。さらに新宿から山手貨物線あとを延長し大崎付近で東海道新幹線と直通させる計画も出ている。

読売新聞1971(昭和46)年9月15日朝刊

 田端分岐で山手貨物線を使うとは書いてあるが、田端以北のルートについては言及していない。また、東海道新幹線への直通計画に言及していることも興味深い。

 

1971(昭和46)年9月20日 朝日新聞「将来、上越は新宿移転」

上越新幹線新宿駅乗入れ (3)

 東京のターミナル構想には当初、上野、池袋などもあがり、盛んな誘致運動も行われたが、新幹線ホームをつくるスペースが不足などの理由から”脱落”した。

 (略)

 当初東京駅にはいる上越新幹線を将来新宿駅へ移すのは、武蔵野線など東京の外をとりまく貨物線が昭和52年に完成すると、いまの山手貨物線、新宿貨物駅の転用ができ、さらに田端から新宿まで東北新幹線と分かれて山手貨物線ルートで上越新幹線をいれることもできる、東北新幹線の新宿乗り入れや大崎付近から東海道新幹線との直結もできる、などの点からである。当面は上越新幹線の需要増が見込まれる段階で新宿ターミナル構想の具体化を検討する方針だが、こんどの認可申請のさい、口頭あるいは文書で運輸省にこの構想を説明する。

朝日新聞1971(昭和46)年9月20日朝刊

 概ね、先行した読売の報道を裏付ける形となっている。

 

1971(昭和46)年10月12日   東北新幹線・上越新幹線工事実施計画その1認可申請

上越新幹線新宿駅構想 (17)

上越新幹線新宿駅構想 (18)

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.htmlでご紹介したもので、出典は国鉄の「新宿駅貨物敷活用基本構想」である。

 上記の朝日新聞記事で「こんどの認可申請のさい、口頭あるいは文書で運輸省にこの構想を説明する。」とあるが、実施計画の参考別紙という形になったようだ。ちなみに冒頭の鉄道建設公団の上越新幹線工事誌と同じ文のようである。

 

1971(昭和46)年10月14日 東北新幹線・上越新幹線工事実施計画その1認可

東北新幹線 南埼玉トンネルで一部地下
上越新幹線 未公表(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) なし(東北貨物線?)
都市施設用地
(環境施設帯)
なし(側道4mのみ)

 

1971(昭和46)年11月13日 国鉄総裁から都知事へ回答「東京と新宿に設置」

上越新幹線新宿駅構想 (20)

 鉄道建設公団が運輸省に説明した内容と同趣旨を国鉄が東京都に回答しているということか。

 

1972(昭和47)年3月 土木施工1972年3月号「上越新幹線の建設計画について」植月躋(日本鉄道建設公団新幹線部新幹線第一課長)

 建設業界誌に鉄道建設公団の課長が工事概要の報文を執筆している。その中で

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (8)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (7)

と、大宮駅で分岐する上越新幹線ルートを示している。また、「東京発新潟行と新宿発盛岡行に支障がないよう」と書いてあることから、東北新幹線の新宿始発も想定していたことが伺える。(東海道新幹線との東京駅でのホームの取り合いについてもわかる。)

 

1972(昭和47)年4月24日 参議院 予算委員会第三分科会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (12)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (13)

 国鉄理事の長浜正雄氏が、「上越新幹線につきましては、新宿のターミナルを考え、将来は東海道とも接続できるようにしようという計画を進めている」と答弁している。新宿までのルートについては触れられていない。

 

1972(昭和47)年6月29日 北陸新幹線の基本計画告示

 

1972(昭和47)年6月9日 参議院 運輸委員会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (15)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (14)

 国鉄理事の長浜正雄氏が、「将来新宿のほうに入れるということになりますると、この山手貨物線のあきました用地を活用していこう」と武蔵野線開通後の山手貨物線を活用して上越新幹線の新宿乗り入れを図りたいと答弁している。山手貨物線と大宮をどうつなぐかについては触れられていない。

 

1973(昭和48)年3月10日 佐藤運輸政務次官が、畑埼玉県知事と小林東京北区区長に対して、東北、上越、北陸の三新幹線の運輸省案路線計画を提示

 当初、東北新幹線の埼玉県内は、南埼玉トンネルで一部地下化するものであった。それに対して、埼玉、東京の沿線自治体が全線地下化を要望にいったところ、逆に運輸省は、東北新幹線の全線高架化、通勤別線(埼京線)の併設、上越・北陸新幹線の東北貨物線敷地活用を提示した。これにより自治体、沿線住民は硬化し、更に反対が強まるきっかけとなったものである。

 反対運動についてはここで詳細を述べる余裕はないが、本稿としては、上越新幹線の大宮以南のルートが初めて東北貨物線敷地として公表されたところが重要である。

 通勤別線(埼京線)が上越新幹線の計画地を転用したというのは少なくとも表向きは事実ではない。

 この時点まで上越新幹線の大宮以南ルートは公になっていない(はず。)。事務方では当然いろいろあっただろうが。

 また、この段階では、環境施設帯(都市施設用地)は予定されていない。東北新幹線+通勤別線(埼京線)+4m幅の側道の計画である。環境施設帯(都市施設用地)はこの後昭和50年代に地元との交渉の中で着地点として出てきたものである。つまり、東北新幹線+上越新幹線+埼京線の3複線の用地幅の計画なんてものはハナから存在しないのである。

 同様に、東北新幹線と並走して高架を走る上越新幹線の計画も存在しなかった(上越新幹線の初出が既に東北貨物線)なので、本来複々線で上越新幹線を作るはずの用地を譲って埼京線が出来たという話も極めて怪しい

東北新幹線 全線高架
上越新幹線 東北貨物線(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) 東北新幹線に並行
都市施設用地
(環境施設帯)
なし(側道4mのみ)

 以下に関連する報道を紹介する。

 

1973(昭和48)年3月11日 朝日新聞 「上越・北陸新幹線 新宿乗入れに見通し」

上越新幹線新宿駅乗入れ (4)

上越・北陸両新幹線

新宿乗入れに見通し 運輸省

 運輸省は10日、埼玉県の畑知事、東京都北区の小林区長が東北、上越、北陸各新幹線の建設について地元側の希望を陳情したのに対し①48年度中に着工ずる北陸新幹線の大宮以南は、原則として上越新幹線の線路と共用、新宿を始発駅とする②東北新幹線と並行して赤羽ー大営間に通勤新線を建設し、現在の赤羽線と結ぶ③赤羽駅はすべて高架にする、などの構想を明らかにした。

 運輸省が上越、北陸新幹線の新宿乗り入れの可能性をはっきり述べたのは初めて。すでに発表されている東北、上越新幹線の工事計画によると、52年4月の開業後10年ほどは、どちらも東京駅を始発都市、東京-大宮間は複線の線路を共用し、大宮北方の埼玉県北足立郡伊奈町で分岐することになっていた。

 その後、47年6月、北陸新幹線の基本計画が決り、48年度に着工、53年度松までに完成をめざして建設されることになったので、東京-大宮間は複線では無理なため、この区間の複々線化について検討していた。

 その結果、48年4月、武蔵野線が開通するのを機会に東北線の貨物線、山手貨物線がいらなくなるので、その敷地を利用して大宮-赤羽-新宿間に上越、北陸新幹線を乗入れることができると考えた。(略)

 この計画では上越新幹線ははじめ東京始発、その後新宿始発とする計画だったのが、開業時から新宿始発ができる見通しが強まった。

 一方、東北、上越新幹線は46年11月着工、51年度中に完成し、52年4月から開業する方針。工事計画によると東京-秋葉原(高架)、秋葉原-日暮里(地下)、日暮里-戸田(高架)、戸田-浦和-与野(地下)、与野-大宮(高架)となっている。埼玉県と東京・北区の陳情は、これを全線地下にしてほしいというもの。

 これに対して、運輸省は荒川両岸の地域は10年間に1メートルの地盤沈下があり、地下にするのは技術的に困難なので、工事計画を変更して日暮里-大宮間は全線高架にしたいと強調。さらに地元側でそれを了承してもらえれば、通勤用の電車新線を建設してもよい、との構想を明らかにした。

 この計画は、大宮または伊奈-赤羽間の約18キロを東北新幹線と並行して現在線の西5キロのところを高架で走り、赤羽から池袋までの赤羽線とつなごうというもの。赤羽-池袋間は将来、複々線にすることも計画している。

(略)

朝日新聞1973(昭和48)年3月11日朝刊

 

1973(昭和48)年3月11日 読売新聞「東北上越新幹線 首都圏ルートで新提案」

 記事の内容は上記の朝日と同様であるが、北陸・上越新幹線の新宿延伸に係る部分を紹介する。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (9)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (16)

 地図の東北本線沿いに「上越・北陸新幹線」と明記してある。実は貴重品である。以前の記事と違い田端分岐ではなく、赤羽分岐で赤羽線沿いに見える。どこまで意図しているのか(よくわからないからたまたま既存の路線に沿って描いただけなのか、赤羽線沿いとする明確な意図があったのかはこの記事では分からない。)

 

1973(昭和48)年4月1日 武蔵野線 府中本町~新松戸開通

 貨物関係の施設の完成はもう少し後になるのだが、東北貨物線及び山手貨物線の活用の前提条件はある程度整ったことになる。

 

1973(昭和48)年4月12日 衆議院交通安全特別委員会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (17)

 3月10日の運輸省と地元自治体との折衝を受けての答弁がなされている。ここでは、「3月7日の国会答弁では、武蔵野線が出来たら空いた東北貨物線は通勤用の新線に使うとしているのに、3月10日には東北貨物線は上越新幹線に転用すると地元に回答したのは何故か」ということを問うているのだが明確な答弁はなされていない。

 地質状況のあらましは当初から予測できたのではないか。では、どうして最初に地下ルートと決めたのか。また、どうしてすぐに通勤別線併設の話が出てきたのか。その経緯を示す資料は見当たらない

 

「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲」高松良晴・著 128頁

 

1973(昭和48)年7月12日 参議院 運輸委員会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (18)

 国鉄の内田理事の答弁では、「工事認可当時は相当開業が先と思われていた北陸新幹線の建設が具体化してきたことに伴い、1本では不足するのでもう1本を東北貨物線を通すこととした」とされている。

 

1973(昭和48)年9月4日 参議院 運輸委員会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (19)

(中略)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (20)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (21)

 磯崎国鉄総裁がいわゆる「大新宿構想」に触れたものである。

 かつての「大新宿構想」とはなんぞやというと、1972・73(昭和47・48)年に、建設省と運輸省において国土総合開発事業調整費による大規模プロジェクト推進のための調査として「新宿副都心総合整備計画調査」を実施した成果であり、上越新幹線、地下鉄12号線(大江戸線)、13号線(副都心線)等の新しい交通網や淀橋浄水場跡地の副都心開発等を織り込んだものと言ってよいだろう。

 

1974(昭和49)年4月8日 参議院 予算委員会第三分科会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (22)

 運輸省の秋富鉄道監督局長が中央新幹線新宿駅について答弁している。

 

1975(昭和50)年5月 「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」

 著者は、国鉄東京第三工事局調査課の市川政治氏と中山秀雄氏。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (15)

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (17)

 といった図面等は掲載されているが、大宮方面への具体的なルートは掲載されていない。

 

1975(昭和50)年4・5月 「交通技術」1975年4・5月号「新宿副都心総合整備計画の概要 その1・その2」

 大新宿駅構想の解説文である。

新幹線新宿駅2

 このような断面図等は掲載されているが、大宮方面への具体的なルートは掲載されていない。

 

1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」

 著者は、西田博氏(国鉄新幹線建設局企画課)及び草間一氏(日本鉄道建設公団新幹線部新幹線第一課)である。

 ここには、東北新幹線単独のルートと、東北新幹線と上越新幹線が分離されたルートが比較できる図が掲載されている。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (1)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (23)

 武蔵野線に東北貨物線が移行後、もう1ルートの新幹線に充当することを考えているとある。1973(昭和48)年3月に運輸省が地元自治体に提示したルートの考えに係る報道と同旨である。

 「大宮以南のルート略図」では赤羽駅で分岐しているが、赤羽線とは微妙に離隔をとった矢印となっている。赤羽駅以南は未定(もしくは業界誌でも掲載できないレベル)ということであろうか。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (24)

 大宮駅で上越新幹線が分岐している。これは土木施工1972年3月号「上越新幹線の建設計画について」に掲載されている配線図と同旨である。ところで、この配線図では上越新幹線は図面上方(西側)に分岐しているが、「大宮以南のルート略図」では東側に分岐しており、私の頭の中ではうまく整理できない。

 

1977(昭和52)年10月4日、5日 「第28回停車場技術講演会」「高崎、東北線」

  「停車場技術講演会」というのは、国鉄の停車場関係者が集まった社内研究発表会のようなものだと推測しているのだがその中で「線区整備計画」というテーマがあり「高崎、東北線」について三行俊城氏(国鉄東京第三工事局調査課)が報告をしている。

 テーマの本題は、輸送力が限界に達している東北・高崎線の将来整備計画であるが、そのなかで「東北貨物線を利用した在来線の輸送力増強を検討しているが、将来的には新幹線に転用するので、いつまでも貨物線をアテにできない」という経緯で新幹線の将来計画が掲載されている。

 1973(昭和48)年段階では上越新幹線新宿-大宮間がいまにも工事が始まりそうな勢いだったが、オイルショック等を挟んで後退したのだろうか??

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (25)

  「通勤別線(埼京線)の複々線化の検討しておく必要がある」としてある。1973(昭和48)年3月11日の朝日新聞にも同旨の記事が書いてあるのは興味深い。国鉄は大宮~赤羽間の東北新幹線横に、上越新幹線用の複線の土地を考慮するのではなく、埼京線用の複々線化用の土地を検討していたわけだ。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (2)

 ところで、この「図-12 新幹線ルート計画変更案」だが、「旧計画(昭和46年10月実施計画認可)」に「新幹線A」「新幹線B」が並走して南埼玉トンネルを走っているように見える。他方、「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」の「図-2 大宮以南のルート略図」の現計画では、新幹線Bに該当する路線は描かれていない。また「新計画」の赤羽以南の描きかたも「交通技術」1976年1月号とは違い、赤羽線に密着しているように見える。

 世間への公表ベースでは、上越新幹線の大宮以南のルートは、1973(昭和48)年3月10日の、佐藤運輸政務次官が、畑埼玉県知事と小林東京北区区長に対して、東北、上越、北陸の三新幹線の運輸省案路線計画を提示した段階が初登場のはずなのだが、それ以前に国鉄内部では、新幹線Bルートとして上越新幹線ルートが内定していたというのだろうか??

 他方、当初から上越新幹線は東北貨物線を想定していたとする資料もある。

 基本計画策定時、大宮から東京都心へ、二つの新幹線ルートが考えられた。それを、当時、第一新幹線・第二新幹線ルート、もしくは、A幹線・B幹線ルートとも呼んだ。その一つが東京駅に向けてであり、もう一つが新宿駅に向けてであった。ともに「起点東京都」である。

 当時在来線の東北・上越・京浜東北からの東京都心への通勤定期客の赤羽駅での流動は、上野方面3に対して池袋方面1であった。このような実績を踏まえ、まずは東京駅ルート(A幹線)が選択された。

 輸送需要から、開業当初から当分の間は、さしあたり東京・大宮間を共有し、数年後に新宿ターミナルと新宿・大宮間の建設をすることにした、と言われている。

 なお、当時から、大宮から赤羽、田端を経て、池袋、新宿さらに渋谷、大崎への山手貨物専用線のルートがあった。現在、湘南ライナーが走っている線路である。大宮から新宿への第2新幹線(B幹線)ルートは、このルートの活用が基本であった。

 

「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲」高松良晴・著 111頁

 高松氏によると、上越新幹線(B幹線)は、基本計画当初から東北貨物線ルートであり、「第28回停車場技術講演会」「高崎、東北線」「図-12 新幹線ルート計画変更案」のような南埼玉トンネルを上越新幹線が通ることはなかったことになる。

 このあたりの経緯が分かる一次資料があれば是非ご教示いただきたい。

 

1976(昭和51)年12月 「第27回停車場技術講演会」「新宿駅将来計画」

 記事の内容から、あえて順番を逆にしてしまったが、この石倉勝美氏(国鉄東京第三工事局調査課補佐)の報文では、新宿駅の上越新幹線ホーム平面図が掲載されている。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 詳細は、大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlをご覧いただきたいが、新宿-大宮間のルートについては触れられていない。

 

1979(昭和54)年12月7日  戸田、浦和、与野市の各市議会で条件付賛成を可決

 20mの都市施設用地を国鉄が自治体の代わりに先行買収すること等を条件に地元自治体の議会が東北新幹線の受け入れを決定した。上越新幹線ルートについては触れられていない。

 

1980(昭和55)年1月12日 荒川-大宮間のルート変更に係る工事実施計画変更(その4)認可

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (26)

東北新幹線 全線高架
上越新幹線 東北貨物線(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) 東北新幹線に並行
都市施設用地
(環境施設帯)
20m
(自治体に売却前提で国鉄が買収)

 

1982(昭和57)年10月21、22日 「第33回停車場技術講演会」「赤羽駅改良」

 いろいろな国鉄内部資料を知ることができ停車場技術講演会記録に赤羽駅の報文が掲載されていると知って、「上越新幹線は赤羽分岐なのか田端分岐なのか」「B幹線は地下なのか地上なのか高架なのか」等が分かる図面が掲載されていることを期待して閲覧したのだが、東北新幹線に係る高架工事については触れていたものの、上越新幹線のB幹線に係る記載は一切無かった。

 

1983(昭和58)年4月 「新宿駅貨物敷活用基本構想研究委員会」を国鉄に設置

 運輸白書に「国鉄用地活用のモデルプロジェクトとして,新宿駅貨物敷等4地区を対象地とする計画検討委員会及び基本構想研究委員会を国鉄に設置し,再開発計画及び開発整備構想の検討を鋭意進めている。」とされているものである。新宿貨物駅をタカシマヤタイムズスクエアやNTTドコモ代々木ビルに切り売りするための検討を開始したわけだ。

 

1984(昭和59年度)会計検査院決算報告「東北新幹線建設に伴い取得した都市施設用地について」

http://report.jbaudit.go.jp/org/s59/1984-s59-0234-0.htm

 川島令三が「ここに上越新幹線の高架線が併設される。(「<図解>新説 全国未完成鉄道路線」141頁)」とする「環境緑道」は、実際には

「東北新幹線の建設に伴い、本線用地及び工事用道路用地のほかに沿線の大宮、与野、浦和及び戸田の各市の要望に基づき、各市が将来、道路、公園等として利用したいとしている用地」であり、

「その取得に要する費用負担については、将来、関係4市と有償譲渡の協議を行うこととして、国鉄の費用で先行取得することとしたものである。」

「国鉄は、その後、埼京線が60年9月に開業の予定となったことから、同年7月に県南3市内8駅の暫定駅前広場の整備に係る都市施設用地の一部約8,200m2 (都市施設用地全体の3%に相当)について、全体から切り離して有償譲渡することとする協定を締結(価格は61年3月までに決定することとなっている。)しているものの、大部分の都市施設用地約266,800m2 については、その後においても何ら実質的な協議を行うことができない状況のままとなっている。」

 上越新幹線用地であれば保有しておけばよいのだが、本来沿線自治体に有償で売却しなければならないので無駄遣いになっていると会計検査院に指摘されているわけだ。新幹線建設用地として手つかずのままにしているわけではないのである。

 現在もJR東日本はこれらの土地の売却交渉を続けている。上越新幹線建設のために「荒地のまま放置されている(「<図解>新説 全国未完成鉄道路線」川島令三141頁)」のではなく、売りたくても買ってもらえていないのである。1998(平成10)年度の会計検査院の検査結果によると、売却すべき土地の帳簿価格は1220億4655万余円である。

 そんな土地を川島令三が上越新幹線建設用地だと主張する根拠は、「これは、筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている(「<図解>新説 全国未完成鉄道路線」141頁)」という検証不可能なものである。

 

1985(昭和60)年3月 新宿駅貨物敷活用基本構想研究委員会「新宿駅貨物敷活用基本構想」

上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認するhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.htmlで紹介した図面を含む将来計画(ここから先は処分するよ、ここまでは国鉄(JR)が利用する予定があるよ)について一定の整理をしたものと思われる。最終版ではなさそうだ。

上越新幹線新宿駅構想 (25)

 土地の切り売りが主目的であるためか、新宿-大宮間のルートについては触れられていない。

 

1993(平成5)年6月 JREA1993年6月号「北陸新幹線東京乗り入れに伴う東京駅改良の概要」

 1973年頃の話では、北陸新幹線が開通すれば、現在のままでは輸送力が不足するので新宿-大宮間が必要ということだった。

 では実際に北陸新幹線が開通する際にはどのように判断されたのか?

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (6)

 見づらくて恐縮だが「北陸新幹線の東京乗り入れは、現在の東北・上越新幹線の線路容量にまだ余裕があることから、高崎~東京駅間は現在の線路を利用することとした」とある。

 著者は、池田尚氏(東日本旅客鉄道建設工事部工事課長)及び中井雅彦氏(東日本旅客鉄道東京工事事務所土木第九主任技師)である。JR東日本として、北陸新幹線(少なくとも長野開業までは)では線路容量が賄えるという判断をしているわけだ。

 

1995(平成7)年3月 日本鉄道建設公団三十年史

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (5)

 冒頭に、「新宿-大宮間は工事実施計画が出されていない」ことを記したが、鉄道建設公団の公式見解としては、1995年段階でも「現在に至っている」と、まだ仕掛途中という認識というようだ。少なくともこの段階では「中止された」とか「東京駅起点に変更された」ということではないのだろう。

 

2005(H17)年1月8日 日経新聞夕刊「新幹線 新宿ー大宮線が浮上 自民検討、地下に建設」

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (10)

 自民党は現行の整備新幹線計画とは別に、大宮(埼玉)―新宿駅間の地下新幹線ルート建設の検討に入る。北海道や北陸への新幹線の延伸が決まり、大宮―東京駅間の輸送力が将来、限界に近づくと判断。整備新幹線等鉄道基本問題調査会(小里貞利会長)を中心に、国土交通省やJR東日本などとの調整に着手する。

 建設費は概算で六千億円強とみられ、同党は八戸―新青森など建設中の路線が完成する二〇一〇年度以降の着工を目指す。ただ、新宿駅の大幅改造や騒音、振動への対策などで膨らむ公算が大きく、予算確保が大きな課題となる。

 現在の大宮―東京駅ルート(三十キロメートル)は、東北、上越、長野の三線が共用している。混雑時には一時間あたり片道十五本前後が運行し、輸送力は飽和状態に近い。住宅地を通るため速度は百十キロに規制され、区間通過に約二十六分かかる。

 「新宿ルート」(二十七キロメートル)は大宮駅で東京駅に向かう既存ルートと分岐し、JR埼京線や山手線の地下を通って新宿駅の地下ホームに乗り入れる計画。地下路線のメリットを生かし最高速度二百六十キロを想定、所要時間は約十一分を見込む。

 整備新幹線計画には費用対効果などの面から批判が根強いが、昨年末には「北海道」「北陸」「九州・長崎ルート」の三区間の着工が決定。新構想には都市部の交通対策を打ち出すことで、同計画への国民の理解を得る狙いもあるとみられる。

 何年も表舞台に出てこなかった新宿-大宮間ルートであるが唐突に出てきた。地下を時速260キロで走るとなれば、今までの東北貨物線ルートとは全く異なるルートなのではないか?(記事には「埼京線や山手線の地下を通って」とある。)

 ただし、現在の東北新幹線、埼京線ルートは、地元の地下化要望に対して、国鉄が「軟弱地盤で技術的に不可能に近い」と突っぱねた区間であるのだがどうなっているのだろうか?

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (28)

「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」13頁から引用

 

 これを受けて、北陸新幹線沿線にいろいろ動きが出たようだ。

 

2005(平成17)年6月5日 読売新聞「新宿―大宮間の新幹線整備、検討すべき」自民・久間総務会

 自民党の久間総務会長は4日、福井市で開かれた北陸新幹線福井駅の着工記念県民大会であいさつし、今後の整備新幹線の建設の見通しに触れ、「大宮、上野、東京はものすごい(乗降客)人数になる。大宮から池袋を通って新宿までを併せて完成させないと、さばき切れるのか」と述べ、新宿―大宮間の整備を検討すべきだとの考えを示した。

 

2005(平成17)年7月10日朝日新聞「北陸新幹線の全線実現決議 小松市民会議が総会 /石川県」

 北陸新幹線建設促進小松市民会議の総会が9日、小松市土居原町の県こまつ芸術劇場うららであった。会長の森喜朗・前首相や名誉会長の谷本正憲知事、副会長の西村徹小松市長らのほか、国会議員や県議、市議や市民ら約250人が参加し「北陸新幹線の全線フル規格による整備実現へ全力をつくす」などとした決議をした。

 森氏は、構想が語られる大宮―新宿間の地下利用の新ルートに触れ、「新宿―東京間は早くて30分。北陸新幹線が仮に新宿につながると、東海道新幹線への乗り換えに30分余計にかかり、容認できない。東京への乗り入れを半分ぐらい確保しておきたい」と語った。

 

 国会でも質疑があった。

2005(H17)年10月14日 衆議院 国土交通委員会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (27)

 政府の答弁は一般論の域を出ないものにすぎない。少なくとも喫緊の課題ではないという認識のようだ。

 小里議員は、平成22年3月1日にも同様の質問をしているが、具体的な中身のある答弁を引き出せていない。

 

2017(平成29)年1月12日 信濃毎日新聞「過密ダイヤ 改めて注目 新幹線 東京―大宮間」

 北陸新幹線(長野経由)で未着工となっている福井・敦賀以西の延伸に向けて与党の検討が進む中、東京―大宮(30キロ)の新幹線ダイヤの過密問題が改めて注目を浴びている。同区間は北陸だけでなく、東北、上越の両新幹線も通っており、延伸に伴って増便させる場合にはJR東日本は大宮発着も想定しているからだ。

(中略)

 「東京―大宮間がいっぱいだ。もう一本(線路を)引くのを計算しないと話は成り立たない」。麻生太郎財務相は昨年12月13日、記者会見でこう発言。北陸新幹線敦賀―新大阪の早期開業に関し、大宮以南の線路を増強し、運行本数を拡大する必要があると指摘した。10年ほど前に与党内で一時浮上した新宿と大宮を結ぶ新幹線構想にも言及した。

(中略)

 一方、JR東日本は、巨額の投資が必要な大宮以南の線路増強について慎重だ。「現有の新幹線設備を有効活用することで、利用状況を踏まえた列車本数を確保できると考えている」(広報部)とする。今後、需要が増える場合には「大宮発着の列車の運行などを必要に応じて検討していくことになる」との立場だ。

(後略)

 

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170112/KT161230CUI090002000.php

 既に記したように、北陸新幹線(長野新幹線)の東京駅乗り入れにあたって「現在の東北・上越新幹線の線路容量にまだ余裕がある」と判断したからこそ、わざわざ中央線を移設してまで東京駅にホームを作ったということなのだろうか。

 

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 とりあえず、上越新幹線の過去の経緯について見つけた一次資料を目いっぱい載せてみた。出てきた路線図は下記のとおり。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (9)

1973(昭和48)年3月11日 読売新聞「東北上越新幹線 首都圏ルートで新提案」

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (1)

1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (2)

1977(昭和52)年10月4日、5日 「第28回停車場技術講演会」「高崎、東北線」

 

 ところでwikipediaの「新幹線」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A#.E6.9C.AA.E6.88.90.E7.B7.9Aの項に載っている

上越新幹線は新宿駅 - 大宮駅間の建設が中止となり、東北新幹線に乗り入れとなったが、一部区間では用地買収が済んでおり、新宿駅地下にもスペースが確保されている[注 3]。整備新幹線開業後の大宮 - 東京間および東京駅の容量逼迫に備えてこの区間の建設を再開すべきだという意見がある。ただし、埼京線高架沿いの空き地は「環境空間」と呼ばれる騒音問題を考慮して設けられた緩衝地帯であり、延伸のために確保された用地ではない。1987年の国鉄分割民営化に伴い、国鉄からJRに引き継がれた公文書でも「大宮側は二重高架とすること」が記されている

2017年1月22日閲覧

「大宮側は二重高架とすること」って何が根拠なんですかね?

 私が調べた範囲では、少なくとも公表された範囲では、上越新幹線を現在の東北新幹線に沿って走らせる計画は一切ないようであるが。

 二重高架にして「新幹線鉄道騒音に係る環境基準について」http://www.env.go.jp/kijun/oto3.htmlを満足できるとも思えない。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (26)

今のルートにする際に「日照など沿線住民におよぼす影響を考慮」とあるのに、更に日照を悪化させるような二重高架が受け入れられるとも到底思えない。

 また「上越新幹線は新宿駅 - 大宮駅間の建設が中止となり」についても、中止どころか始まっていない(工事実施計画を提出していない)ので正確とはいえない。どなたか中止の指示を正式にされたことがあるのだろうか?(1971(昭和46)年4月1日 運輸大臣の公団に対してなした建設指示が取り消されたのであれば間違いなく中止と言えるであろう。)

 「一部区間では用地買収が済んでおり」というのも、工事実施計画の認可がおりていないため用地費を始めとした建設予算は一切ついていないことから、買収は不可能である。いったいどこを買ったのか明示できるのか?仮に東北新幹線の予算でうまいことやろうとしても、東北新幹線は国鉄事業、上越新幹線は鉄道建設公団事業と別れており、ハードルは高い。

 

 大宮-荒川間は線路別複々線、荒川以南では東北新幹線と別れて地下線で新宿に達する予定だった。さらにこれら路線の両側に並行して緩衝緑地帯を設置することになり、そのため用地は東北新幹線、上越新幹線、通勤新線の3複線と、それにプラス緩衝緑地帯分という広大なものになった。

 

「全国鉄道事情大研究 東京北部・埼玉篇1」川島令三・著 13頁

 これなんか真っ赤なウソである。

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 次は「上越新幹線の池袋駅ってどうなってたの?」

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2017年1月13日 (金)

やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?

麻生太郎財務相、北陸新幹線のダイヤ改善に「新宿から引くとか」

 

 麻生氏は「確か北陸新幹線は1時間に2本しか通っていない。簡単な理由で東京-大宮間が混雑しているから」と問題点を指摘。その上で、「東京に関してはいっぱいなんだから、新宿から(大宮を結ぶ路線を)引くとかさ。そういったものも入れて計算しないと(いけない)。元の元が詰まっているのだから」と持論を展開した。

 

2016(平成28)年12月13日付産経ニュース http://www.sankei.com/economy/news/161213/ecn1612130015-n1.html から引用

というニュースが流れた際に「新宿駅は何十年と北陸新幹線用に空けてきたスペースを遂に諦めてバスタ新宿作っちゃったんじゃないのか?」なんて書き込みが見られたそうだ。

 言い出しっぺは俺だが。

「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 上記の記事でも紹介したのだが、バスタ新宿を施工した大林組のウェブサイト『「新宿駅南口地区基盤整備事業」と「新宿駅新南口ビル(仮称)新築工事」の施工エリア断面図』と題した工事のイラスト等からすると、上越新幹線新宿駅ホーム予定地を工事でいじっているようなのである。

 

 その際は、詳細な図面ではないので、多分ダメっぽいけど。。。くらいの気持ちであったが、今般詳細な図面を入手したのでご紹介したい。

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 まず、前提条件として、上越新幹線新宿駅のホームの位置を確定しなければならない。

 「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlで紹介した「新宿駅将来計画」国鉄東京第三工事局調査課補佐・石倉勝美・著 掲載の平面図。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 そして「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」市川政治・中山秀雄・著 社団法人鉄道建築協会・刊 掲載の断面図。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (17)

 以上が、貨物駅跡地を含めて全て国鉄の手で開発しようとしていた1975(昭和50)年前後の構想図面である。

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 「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.htmlで紹介した「新宿駅貨物敷活用基本構想」

上越・北陸新幹線新宿駅地下ホーム

上越新幹線新宿駅位置図

 以上が、貨物駅跡地を売却する前提で整理した1985(昭和60)年の構想図面である。

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 いずれの図面を見ても、「現・埼京線・湘南新宿ラインホーム下の地下3階」に上越新幹線のホームが想定されていることがお分かりになるだろう。

 そしてバスタ新宿がどのように線路上空にかかっているかというと、「日本鉄道施設協会誌」2008年1月号に「新宿駅南口地区基盤整備事業に伴う玉川上水用地処理」森重達美、佐藤英明、柴田勇・共著 に下記のような平面図がある。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水

 上越新幹線新宿駅ホーム=埼京線・湘南新宿ラインホームの上にがっつりバスタ新宿の人工地盤が覆いかぶさていることが分かる。

 前述の大林組のサイトを見てみるとバスタの建物の基礎が埼京線・湘南新宿ラインホームの地下に構築されている。問題はこの絵では、新幹線ホームの地下3階を塞いでしまっているのかどうかがよく分からなかったことである。そのため、「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.htmlでは結論をぼやかしていた。

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 その後、調査を続けてきたところ、当該箇所の細かい図面を入手したのでご紹介したい。そして、ブログ読者の皆様に「地下3階に上越新幹線新宿駅ホームが入る余地が現在も残されているのか?」をご判断いただきたい。

 それは、一般社団法人セメント協会http://www.jcassoc.or.jp/index.htmlが発行する月刊誌「セメント・コンクリート」http://www.jcassoc.or.jp/cement/1jpn/jj3a_archive.html2012(平成24)年9月号掲載の「 開発の進む新宿駅南口の基盤整備 《都市の悩みを技術が解決へ》 」で、著者は、JR東日本東京工事事務所工事管理室 網谷岳夫氏、JR東日本 建設工事部 構造技術センター 醍醐宏治氏、JR東日本 東京工事事務所 新宿ターミナル 星野正氏である。

 この報文は、「『新宿交通結節点整備』において山手貨物線(埼京線)直下で行った地下軀体の構築について報告するものでる。」(12頁)と目的にぴったりだ。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に1

 まずは、13頁に掲載された全体図を見てみよう。1番2番の埼京線・湘南新宿ラインの南行ホーム、3番4番の埼京線・湘南新宿ラインの北行ホーム、そして5番の中央線等の特急用ホームの下に構造物が見て取れる。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に3

 そして14頁に掲載された詳細な地下軀体断面図をご覧いただこう。

バスタ新宿の基礎が上越新幹線ホームの支障に2

 電気室や機械室が入る地下1階、地下2階の下にはガッツリと太い「本体基礎杭」が入っている。

 ここに3面6線の新幹線ホームが入るのか?

 参考に東北新幹線上野駅の断面図と比較してみよう。

 コンクリート工学1985(昭和60)年4月号小特集*東北新幹線上野~大宮間工事 「上野~大宮間建設工事の概要  」国鉄新幹線建設局工事課総括補佐 藤田 昌宏・著https://www.jstage.jst.go.jp/article/coj1975/23/4/23_28/_pdf

新幹線上野地下駅断面図

 上野駅は地下4階の2面4線だが、必要な地下空間のイメージはつかめるだろう。

 

 どうだろう、皆様は、バスタ新宿の地下基礎の7本の杭の中に新幹線ホームが収まるイメージは持てるだろうか??(どう考えても無理でしょ。これ。←私の心の声。)

 もっとも、バスタ新宿の計画にあわせて新幹線のホームの位置を変更した可能性もあるので一概には言えないが、昭和40年代以来新幹線ホームを想定してきた地下空間はもう無いと言って差し支えないのではないか?

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 奇しくも、この記事を書いている2017年1月12日に信濃毎日新聞に下記のような記事が掲載された。

過密ダイヤ 改めて注目 新幹線 東京―大宮間

 

 北陸新幹線(長野経由)で未着工となっている福井・敦賀以西の延伸に向けて与党の検討が進む中、東京―大宮(30キロ)の新幹線ダイヤの過密問題が改めて注目を浴びている。同区間は北陸だけでなく、東北、上越の両新幹線も通っており、延伸に伴って増便させる場合にはJR東日本は大宮発着も想定しているからだ。

(中略)

 「東京―大宮間がいっぱいだ。もう一本(線路を)引くのを計算しないと話は成り立たない」。麻生太郎財務相は昨年12月13日、記者会見でこう発言。北陸新幹線敦賀―新大阪の早期開業に関し、大宮以南の線路を増強し、運行本数を拡大する必要があると指摘した。10年ほど前に与党内で一時浮上した新宿と大宮を結ぶ新幹線構想にも言及した。

(中略)

 一方、JR東日本は、巨額の投資が必要な大宮以南の線路増強について慎重だ。「現有の新幹線設備を有効活用することで、利用状況を踏まえた列車本数を確保できると考えている」(広報部)とする。今後、需要が増える場合には「大宮発着の列車の運行などを必要に応じて検討していくことになる」との立場だ。

(後略)

 

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170112/KT161230CUI090002000.php

 

 「そりゃ、当初新幹線新宿駅ホームを想定していた場所はもう使っちゃったからねえ」というのが私がこの記事を読んだ感想である。

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 当該工事現場のレポを大山顕さんが書いているので、併せてご覧ください。

 「まさか埼京線の下があんなだったとは……!」

 http://www.k-mil.net/hensyu/ittemita/shinjuku1.html

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

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2017年1月12日 (木)

大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面

 国鉄の「新宿駅貨物敷活用基本構想」から、上越新幹線地下ホーム等の図面をブログに公開してから約1年がたった。

 その後出版された、「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)や「東京 消えた! 鉄道計画」 (中村建治 ・著 イカロス出版・刊)においても「新宿駅貨物敷活用基本構想」が引用されており、私のチンケな自己承認欲求も満たされてご同慶の至りである。「完全版 新宿駅大解剖」はインチキだけどね。

 とは言っても、「新宿駅貨物敷活用基本構想」は、あくまでもタカシマヤタイムズスクエア等の土地を切り売りするために、「どこまでは国鉄として持っておく必要があるのか」を決めるための仮想設計にすぎないものであると思われるため、あれが国鉄の本音ベースとはとても思えなかった。

 そこで引き続き調査していたところ、更に古い図面を発掘したのである。じゃーん。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 結果的には、「新宿駅貨物敷活用基本構想」のもの(下図参照:先に掲載した図面と方向を合わせるために上下を逆にした。)とは大きく変わらないものであったが、現物で確認できたことはそれなりに価値があると言えよう。

上越・北陸新幹線新宿駅地下ホーム

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 かつての「大新宿構想」とはなんぞやというと、1972・73(昭和47・48)年に、建設省と運輸省において国土総合開発事業調整費による大規模プロジェクト推進のための調査として「新宿副都心総合整備計画調査」を実施した成果であり、上越新幹線、地下鉄12号線(大江戸線)、13号線(副都心線)等の新しい交通網や淀橋浄水場跡地の副都心開発等を織り込んだものと言ってよいだろう。

 

 その根拠としてよく引用されるのが、「交通技術」1975年4・5月号「新宿副都心総合整備計画の概要 その1・その2」か「鉄道ピクトリアル」1975年11月号「将来の”大”新宿駅の構想」である。

 しかし、そこには

バスタ新宿とJR新宿ミライナタワーの前身?

のような地上の想像図(「交通技術」1975年4月号101頁)や

新幹線新宿駅2

上図のような断面図(「交通技術」1975年5月号11頁)はあっても地下のホームの平面は掲載されていない。

 「地下3階に上越新幹線のホームがある」としている根拠は

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (14)

こういったテキスト(上記表は「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」市川政治・中山秀雄・著 社団法人鉄道建築協会・刊 35頁から引用)にもっぱら依存している。

 日経「東京ふしぎ探検隊」の川尻定等がいろいろ知ったかぶりしたことを書いているが平面図を見て書いているわけではないのである。

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 今回私がご紹介するのは1976(昭和51)年12月に国鉄社内で行われた「第27回停車場技術講演会」の記録に掲載された「新宿駅将来計画」国鉄東京第三工事局調査課補佐・石倉勝美・著である。

 そこでは、下記のような鉄道整備計画を見込んだ新宿駅の将来構想が描かれている。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (6)

(「第27回停車場技術講演会記録」370頁から引用)

 これだけでは分かりずらいので補足すると下図のようなネットワークである。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (15)

(「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」34頁から引用)

 現在であれば、山手貨物線の旅客利用は埼京線・湘南新宿ラインであるが、この段階では「裏山手利用線」は常磐開発線である。

 湘南・新宿ラインは山手貨物線ではなく、明治通りの地下を通って池袋・王子に出て現在の地下鉄南北線に似たような線で埼玉スタジアムどころか白岡まで抜けている。

 現在も京葉線の新宿・三鷹乗り入れが取りざたされているが、中央・総武開発線が新宿駅を通っている。東京駅はまだ成田新幹線がおさえているので、京葉線とは異なり湾岸地区からは新橋経由で都心に向かっている。

 これらの開発線のホームと上越(北陸)新幹線のホームを盛り込んでいるわけだ。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (13)

(「東三工十年史」国鉄東京第三工事局・編集発行 136頁から引用)

 こういった新線計画を1970年代の新宿駅に組み込んでいったのである。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (4)

 「第27回停車場技術講演会記録」371頁に新宿駅周辺の地図に構想路線が落とし込んである。「縦十字」が東北・東海道開発線、「横十字」が中央・総武開発線、「裏山手利用線」が常磐開発線である。

 「第27回停車場技術講演会記録」に平面図が掲載されているので見ていこう。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (5)

 まずは、当時の現況平面図である。京王新宿駅がまだ4線あったりする。

 

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (8)

 次いで2階である。甲州街道の南側の現在のバスタ新宿あたりは、駅前広場と駐車場になっている。人工地盤の作り方は現在のバスタ新宿を彷彿させる。

 

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (9)

 1階である。裏山手利用線(常磐開発線)のホームが現在の埼京線ホームに比べて代々木寄りとなっている。また現在のJR東日本本社の西側にも駅前広場を造成する計画だったことが分かる。

 

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (10)

 地下1階である。

 代々木駅まで完全にコンコースがつながっているが、運賃はどうなってしまうのだろうか。JR東日本本社の地下にも改札ができている。また、現在の新宿駅の地下が大胆に掘り拡げられている。ベルク等の店舗は撤去してしまうつもりだったのだろうか。

 

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (11)

 地下2階である。

 新幹線用のコンコースがメインであるが、京王新宿駅付近への連絡口もあるようだ。

 

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 地下3階である。

 3面6線の新幹線ホームが現在の埼京線ホーム下に位置する。

 「新宿駅貨物敷活用基本構想」と大きく違うのは、新幹線の東側(図面の下側に)東海道・東北開発線(縦十字)ホームが設けられていることだ。

 新幹線ホームの下には、南(図面左)から、地下鉄12号線(大江戸線)、中央・総武開発線(京葉線)、地下鉄10号線(新宿線)がそれぞれ東西に走っているのが分かる。

 

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (12)

 その断面図がこちらである。

 平面図では分からないが、中央・総武開発線(京葉線)のコンコースが地下4階、ホームが地下5階となっている。

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 「第27回停車場技術講演会記録」以外にも当時の大新宿駅構想のイメージが分かる図面がある。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (16)

 「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」市川政治・中山秀雄・著 社団法人鉄道建築協会・刊 37頁から引用

 2階レベルがかなり大胆に甲州街道上空を占用して跨いでいることが分かる。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (17) 

 

 「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」市川政治・中山秀雄・著 社団法人鉄道建築協会・刊 38頁から引用

 新幹線ホームは、貨物駅を再開発したビルの直下ではないことも分かる。

 「タカシマヤタイムズスクエアの直下には上越新幹線ホームはない」ことを立証してきたところであるが、「ひょっとしたら大新宿構想のころにはビルの下にあったらどうしよう」という心配があったのだが杞憂に終わったようだ。

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 また、「東三工十年史」国鉄東京第三工事局編集・発行(1977(昭和52)年11月刊)の138頁から139頁には新宿駅の開発構想が掲載されており、

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (1)

 このようなカラーパースや

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (2)

 断面図が掲載されている。

※この「東三工十年史」にたどり着くには、@editsector氏の下記ツイートによるところが大きかった。この場を借りて感謝申し上げます。

https://twitter.com/editsector/status/716555171875061761

※川辺 謙一氏も「東京道路奇景」62頁で、大新宿構想の絵を載せるのであれば、これくらいのカラーパースを載せりゃあいいのにねえ。

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 「上越新幹線新宿駅は国会でどのように答弁されてきたのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.htmlの再掲になるが、大新宿構想のころの国会における国鉄磯崎総裁の関連答弁を抜粋しておこう。

昭和48年09月04日-参議院- 運輸委員会 - 27号

 

○説明員(磯崎叡君) 具体的な問題は後ほど担当から申し上げますけれども、いま先生のおっしゃった問題でございますが、私どもといたしましては、やはり新幹線と関連して考えなければいけないというふうに考えております。現在の新宿駅は、一応私のほうの工事としては一段落いたしておりますが、問題は甲州街道のガードの代々木寄りの貨物駅でございます。これは非常に現在、都市交通の問題もございますし、また場所として、はたして適当かどうかというふうなものもございます。一方、東北、上越あるいは北陸を東京都内に入れる際に、東京都から、東京駅に集中しないでほしいという強い御要請がございました。その際に、私どももそれを受けまして、東北、上越の認可を大臣からいただきます際には、将来そのターミナルを東京駅以外のところに持っていきたいということをつけ加えて大臣の御承諾を得ております。その際に、やはりその第一候補となるのは新宿でございます。相当広い土地も持っておりますし、あの新宿に、いまの計画中の上越新幹線あるいは北陸新幹線を入れることが、それ以外に方法がないんじゃないかというふうに思っておりますが、その際には相当根本的に、現在の電車駅も改良しなければいけないし、先ほど申し上げました貨物駅も、いずれ移転しなければいけないということが考えられます。その際に、それらを包括いたしまして、大新宿駅と申しますか、が、いずれできることになりますし、また先ほど先生の御質問の、いわゆる中央新幹線との接続地点と申しますか、あるいは新宿を通り抜けてそのまま行くということも考えられないことはないかと存じますが、それら、いずれ新宿は、私のほうから見ましても相当大きな東京における新幹線交通のセンターであり、また在来線交通のセンターである。しかし、またあまりあすこへ過密に集めてもいけないということで、貨物をどけるということが一つの方法と、その行く先等はいまいろいろ考えておりますが、新幹線の建設状態あるいは副都心の今後の進捗状況等を見まして、やはり新宿につきましては、たぶんこの十年ぐらいの間に相当また根本的な改良をせざるを得ないというふうに考えておりますし、やはりその起動力となるのは、東京都からのかねがねの御要請の、東京における新幹線のターミナルを東京駅だけにしないで分散してほしいという、その強い東京都の御要請を含んだ上で、私のほうも、幸い新宿に土地を相当持っておりますから、それらを利用して根本的な計画をつくり直すのは、たぶん十年から十二、三年ぐらい先のことだと思いますが、いまそういったことを頭に置きまして青写真をかいているところでございますが、また現実の今日の問題につきましては、後ほど担当から申し上げます。大体ビジョンとしてはそういうビジョンを一応持っております。

○説明員(磯崎叡君) 広さはちょっとあとで申し上げますけれども、一応私どもの構想といたしましては、いま小田急が十両編成の工事をやっております。例のホームを延ばす仕事をやっております。甲州街道の先のほうへずっといま工事をいたしておりますが、それとは全く関係なしに、私のほうのいまの考えはそれの逆なほうでございます、市内側のほうでございます、内側のほうでございます、新宿御苑に近いほう、あそこに貨物駅の私どもの事務室あるいはいまコンテナの置き場になっているところがございますが、あの辺と、先ほど原岡が申しました貨物の仕分け線がございます。いまの先生の御指摘の旅客ホームと駅ビルの間に十数本の貨物の仕分け線がございます。それがいずれ山手貨物線がかりにもし要らなくなるとすれば、その用地があくわけでございます。したがって、いまの大体のビジョンといたしましては、甲州街道のガードの上に置きまして、その下にいまの貨物駅のコンテナを置いてあるところからいまの仕分け線のホームというところには、相当広大な土地がございますので、山手貨物線を相当程度武蔵野線に移すことができますれば、結局いまの山手貨物線のあとが大体要らなくなるということになります。したがって、先生の御指摘の小田急でないほうの、市内側のほうに大体新幹線のホームを、あるいはある程度の――あそこは幸い立体的に使えるところでございますから、甲州街道のガードが高こうございますから、それをうまく使えば相当平面的にも立体的にも広大な土地があく。それにはやはり何と申しましても山手貨物線を武蔵野線に移すということが前提になりますが、これが大体計画は、多少おくれておりますが、進んでおりますので、それができれば一応いまの問題と関係なしに考えてよろしい。まあ小田急、京王はいろいろやっておりますが、これは全部そういうことを踏まえた上でやっているわけでございます。
 用地の広さは約十六万平米だそうでございますが、その大体半分ぐらいが貨物ではないかと。ただ一つだけ申し上げておきますと、かりにあそこに新宿の新幹線の大ターミナルをつくるといたしますと、相当駅前広場が要るわけでございます。その場所がはたしてとれるかどうかということは相当問題でございます。私どもの土地がございますが、私どもの土地を相当程度駅前広場に提供するということは、またなかなかできませんし、問題はあそこに――いまの新宿でも非常に駅前が狭くて困っておりますが、あそこに新幹線を入れますときに、はたして駅前がいまのままでいいかどうか、相当広大な駅前広場が御苑との間にとれるかどうか、あるいは新宿の繁華街との間に問題がございますし、西口のほうも大体いま形がきまってきておりますので、その辺にひとつ問題がございます。一応いずれにしても新宿を将来の東京の交通の中心にしたいという考え方には変わりございません。

 上記の答弁と図面は整合が取れるのではないか。

 

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 ネット上では「上越新幹線新宿駅は京王新線と京王線の間に予定されている」との説が見受けられるが、1971(昭和46)年の新聞報道、1973(昭和48)年の国会答弁、1975(昭和50)年の「第27回停車場技術講演会記録」、1977(昭和52)年の「東三工十年史」そして1985(昭和60)年の「新宿駅貨物敷活用基本構想」と一貫して貨物駅下(現埼京線ホーム地下付近)に上越新幹線ホーム設置を構想してきたことが分かる。

 よって「京王新線と京王線の間」説は根拠に乏しいと言い切って差し支えないのではないか。

 

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 河尻定氏は、「鉄道ピクトリアル」1975年11月号「将来の”大”新宿駅の構想」を根拠に

貨物駅の跡地にはタカシマヤタイムズスクエアができた。新幹線の新宿乗り入れは幻となった

 

東京ふしぎ探検隊 「新宿南口、線路上に巨大ターミナル 「大新宿駅」が実現」http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2402R_V21C12A0000000?channel=DF280120166608&style=1&page=4 から抜粋

とあるが、何度も書いているように、上記鉄道ピクトリアル記事には、この頁に引用しているような大新宿駅の平面図は掲載されていない。図面も見ずにあてずっぽうで「新幹線の新宿乗り入れは幻となった」と述べているにすぎないと言えよう。

 タカシマヤタイムズスクエアができたところで、最初から新幹線に支障がないように切り分けて土地を売却したのだから。スペースがなお残っていたのである。

 「残っている」のではなく「残っていた」との過去形なのだが、それは次の記事で説明したい。→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.html

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

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2016年12月11日 (日)

「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)という本が先月出版された。http://tkj.jp/book/?cd=02599701

 表紙にデカデカと「タカシマヤ タイムズスクエア直下に幻の新幹線駅が!?」とある。

 また、第2章に「上越新幹線の新宿駅乗り入れ計画とは?」という項が、第7章に「輸送量の頭打ちとタカシマヤ タイムズスクエアの開業」という項があり、「タカシマヤ タイムズスクエア直下に幻の新幹線駅が」あるというようなことを書いている。

 果たしてそうなのか検証してみたい。

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■タカシマヤタイムズスクエアの地下はどうなっているのか?

タカシマヤタイムズスクエア

 上記断面図は、「近代建築」51巻1号に掲載された「作品 タイムズスクエアビル 設計監理 日建設計」から引用したものである。

 新宿高島屋は地下1階までしか営業していないので、「地下3階に新幹線ホーム、地下2階に上越新幹線のコンコースがある」という考えを呼びやすいのではないかと思っているのだが、ご覧のように地下4階まで機械式駐車場がビッチリと設置されている。

 その様子は日産自動車のウェブサイト内の記事「新宿高島屋の地下にハイテクな駐車場があった!」http://www.nissan.co.jp/CARWINGS/kuruma_aruki/par_01_02.htmで紹介されている。

 このどこに新幹線駅用のスペースがあるというのだろうか?

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■タイムズスクエアの駐車場の更に下に新幹線のホーム用のスペースがある可能性はあるのか?

 「地下4階まで駐車場だからといってその下にスペースが確保されている可能性だってあるじゃないか」という向きもいらっしゃるかもしれない。

上越新幹線新宿駅構想 (5)

 上図は、「完全版 新宿駅大解剖」でも紹介されている国鉄の「新宿駅貨物敷活用基本構想」に掲載されている図面であるが、上越新幹線が地下3階、その下の地下4階に中央新線(現在、京葉線の延伸部と言われている路線と思われる。)、更にその下の地下5階に都営新宿線が走っている。「貨物敷開発ビル」が現在のタイムズスクエアであろう。

 この絵でも新幹線は「貨物敷開発ビル」の西側に位置しているのが分かるがそれはひとまず置いておいて、タイムズスクエアの地下駐車場の下の深さにホームを作ると上越新幹線は都営新宿線の上を通れないのである。

 細かいところは以前http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.htmlに書いたのでお目通しいただければ幸甚である。

 ということで「タイムズスクエアの駐車場の更に下に新幹線のホーム用のスペースがある可能性はない」と言って差し支えないのではないか?

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■「新宿駅貨物敷活用基本構想」では、どこに上越新幹線ホームがあることになっているのか?

 「完全版 新宿駅大解剖」の「上越新幹線の新宿駅乗り入れ計画とは?」という項では、「新宿駅貨物敷活用基本構想」には地下に3面6線のホームが載っている旨書いてある。

上越新幹線新宿駅構想 (1)

 私のブログでさんざんネタにしたものである。

上越新幹線新宿駅構想 (25)

 平面図では地下3階の上越新幹線ホームはこのように位置している。図面の上部にある「貨物敷開発ビル」とは切り離されている(=「タカシマヤ タイムズスクエア直下に幻の新幹線駅が」ない)ように見えるのではないか?

上越新幹線新宿駅位置図

 このイメージ図でも「貨物敷開発ビル」の地下には自動車駐車場らしきものが見て取れ、上越新幹線のホームは、現在の埼京線・湘南新宿ラインのホームの直下にあるように見える。

上越新幹線新宿駅構想 (29)

 タカシマヤ タイムズスクエアの敷地は「地上・地下ともに活用可能な用地」とされている。上越新幹線のホームが設置されるなら、左端の都営新宿線や中央の中央新線上部箇所のように「地下の活用」には制約が加わるはずだ。

 「新宿駅貨物敷活用基本構想」に絶対従わないとダメとまで言うつもりはない(この「基本構想」も「貨物駅敷地を処分するにあたりどこまでは鉄道事業用地としてキープして、どこからは処分をしてもよいかを決めるための仮想設計」にすぎないと思われる。また、「中央新線ホーム」のように実際には考慮されていないと思われる部分もあり、その意味ではあくまでも「基本構想」にすぎず最終決定事項でもない。)のだが、表紙にまで「タカシマヤ タイムズスクエア直下に幻の新幹線駅が!?」と書いておきながら、本文中にはさらりと矛盾する資料をつまみぐいのように紹介するのは、編集方針として如何なものだろうか?

 監修者の横見浩彦氏の考えを聞いてみたいものである。(「そこは監修者の仕事じゃないよ。」ということであればそれまでなのであるが。)

 しかも「完全版 新宿駅大解剖」には上記のような図面は引用されていないのであるから、私のブログを見ない読者はその矛盾に気が付くことはないだろう。

 他方、「タイムズスクエアの直下にホームが計画されている。」という根拠は、私の読解力の範囲では、「完全版 新宿駅大解剖」には載っていないように思われる。

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■そもそもタイムズスクエアの下に新幹線ホームがあるってどこにソースがあるの?

 以前のブログ記事http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/index.htmlでも探してみたのだが、この明確な根拠にたどりつけていない。

 yahoo!知恵袋では「新宿駅の地下空間(高島屋、タイムズスクウェア下)が新幹線用に確保されているというのは有名な話です」となっているのだが。

 「新宿駅はなぜ1日364万人をさばけるのか」の著者・田村圭介氏もこうツイートしているのだからどこかに根拠がありそうなものだが。

 やっと見つけたのが草町義和氏の「鉄道計画は変わる」第1章 東京~大宮間鉄道計画の変転 「最後に残った上越新幹線新宿乗り入れはどうなる?」 掲載の下記の一文である。

新宿駅南東側のタカシマヤタイムズスクエアの真下に、新幹線ホームの建設スペースが確保されているといわれているが、実現する日は来るのだろうか

 

「鉄道計画は変わる」草町義和・著 交通新聞社・刊から引用

 ただ、これも「いわれる」とあるだけでその根拠は示されていないように見受けられる。

 「完全版 新宿駅大解剖」担当者にはこれで十分なのかもしれないが、国鉄の図面として「最終的にはタイムズスクエアの下にホームを確保することとなった」というようなものがあったりはしないのだろうか?

 もしご存知の方がいらっしゃれば是非ご教示ください。

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■(独り言)そもそも俺のブログと構成が似ているんですが

 

 (※ここから下は雑談なので、読まなくてもいいです。独り言ですので。)

 「完全版 新宿駅大解剖」の「上越新幹線の新宿駅乗り入れ計画とは?」では

・東京都と国鉄の間での駅設置位置の協議

・新宿までのルートが決定した当時の報道

・「新宿駅貨物敷活用基本構想」

てな具合で話が進んでいくのであるが、

・東京都と国鉄の間での駅設置位置の協議

  ↓

 俺のブログで出ているなあ。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

上越新幹線新宿駅構想 (19)

・新宿までのルートが決定した当時の報道

  ↓

 俺のブログで出ているなあ。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

上越新幹線新宿駅乗入れ (1)

・「新宿駅貨物敷活用基本構想」

  ↓

 俺のブログで出ているなあ。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

上越新幹線新宿駅構想 (1)

 「完全版 新宿駅大解剖」には「新宿駅貨物敷活用基本構想」は運輸省のものと書いているが実際には国鉄のものですよね。そこは見なかったんですかね。(http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa58/ind020103/003.htmlの(5) 収入の確保) 中(関連事業,資産処分による増収策)を参照されたし。

 とまあ、被害妄想にすぎないのだろうがモヤモヤしてしまうのである。全部公開されている資料だし誰でもちゃんと調べれば書けるはずではあるのは分かっているのだけれどもね。

 だが「新宿駅貨物敷活用基本構想は一体どこから探してきたんですか?」とは聞いてみたいものだ。この資料を上げている人は私と、(なぜか掲載している新聞記事まで私のブログと同じ部分になっている)このブログhttp://ameblo.jp/milkyht2/entry-12156318050.htmlくらいのものではないか。自力で調べたのであればどこにあったか答えられるはずだ。

 

 最近DeNAの「キュレーションサイト」等が問題となっていて、ライターや「キュレーター」が書いた(「リライト」した)記事について「専門家の監修が必要」とも言われている。

 ライターが「リライト」して、「専門家」の「監修」でお墨付きを与えたような本の作りになっていないことを願うばかりである。

 なお、下記のような指摘もでていることも付言しておきたい。

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 <追記>

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)105頁に「上越新幹線の経路だが、荒川付近から地下を通り、池袋駅付近では地下鉄有楽町線と副都心線のトンネルの間に新幹線トンネルがあるようだ。」とあるが、これは川島令三の妄想をコピペしただけのインチキ記述にすぎず、当時の新聞も調べていないようだ。

 詳しくは、「上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみた」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.htmlをご覧ください。

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 宜しければ過去に書いた上越新幹線新宿駅関係の記事にお目通しください。「新宿駅貨物敷活用基本構想」等関係資料をいろいろ探索しております。それらの生資料をお読みの上、「完全版 新宿駅大解剖」と突き合わせてみては如何でしょうか?

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

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2016年11月21日 (月)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(15・終)エピローグ

 これをもって、連載15回。画像90枚を費やした連載を終了したいと思う。

 いろんな関係者が出てきたが、パワポのプレゼン風に関係者のチャートを作ってみた。

 少しは分かり易くなったかな。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (91)

 

 ところで、これを書いていて思ったんだけど

 俺、西武新宿線の西武新宿駅から電車乗ったこと無いわ。。。。

(追記)

 ベルクの井野店長から過分なお言葉を頂戴しました。ありがとうございます。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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2016年11月20日 (日)

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

 冒頭にも述べたが、このブログをまとめるきっかけになったのが、togetter「幻の西武新宿線のマイシティ(現ルミネエスト)乗入れとベルクさん店内の三本の柱」http://togetter.com/li/984087 にもまとめてある、私の連続ツイートに対するベルク店長井野朋也氏からのリプライである。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (88)

 ベルクさん

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (87)

 確かに太い円柱が見えるがこのままではよく分からない。(店内から撮るのもはばかられるし)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (81)

(「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 から引用)

 この「BERG MAP」には2本しか見えないなあ。。。まあいいか。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (83)

(「建築界」1964年8月号「新宿東口民衆駅の設計計画」 80頁から引用)

 この図面の右上に伸びていくのが西武新宿線のホームに係る柱である。これのどれかにベルク店内の円柱が該当するのであろう。

 ちなみに、上図は完成形だが見ずらい。下図は1959(昭和34)年段階のものなので、詳細な場所は一致しないだろうが、イメージはしやすいのではないか?

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (35)

 「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-4b9a.htmlにおいて、西武百貨店(セゾングループ)堤清二氏による新宿ステーションビル乗っ取り工作には、井野家が持つ新宿ステーションビル株が大きな役割を果たしたと述べたところである。

 井野店長の祖父にあたる井野硯哉氏(元衆議院議員、元参議院議員、元法務大臣)は、高島屋が新宿民衆駅に進出しようとした際に、対抗馬となる地元からの計画としての「新宿ステーション・ミーティング・ホール・センター」の発起人の一人であり、その後高島屋、伊勢丹、西武の三つどもえ(国鉄=鉄道弘済会も入れれば四つどもえ)となった新宿ステーションビルの社長(後に会長)となった方である。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (5)

「いまでは制服の納入一つとってみてもセゾンとの取引は中止となっていますし、ほとんどお付き合いはなくなっています。うちの関連会社関係でもセゾンとの取引はほとんどやっていないんじゃないですか」(JR系OB役員)というほどの冷たい関係になっている。

 

「月刊経営塾」1991年6月号「完全に城を明け渡した新宿ステーションビル・・・・・・敗戦処理に入った堤・セゾン」 150頁から引用

 とあるから井野店長のJRと西武セゾンとの関係悪化に係るツイートも裏が取れる。

 (余談だが、三島由紀夫の盾の会の制服は西武百貨店謹製だそうだ。)

 もともと、駅ビルの実力者だった祖父が、公衆電話の並ぶコーナーを、脱サラした父のために店を出してくれたのです。

 その祖父もとっくに亡くなり、ビルの勢力地図もどんどん変わりますから、昔の関係者の店などかえってうとまれます。

 

「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 148~149頁から引用

 単なる「昔の関係者」どころか、保有株の名義変更が、西武セゾンによる乗っ取りのきっかけになったのだから、西武に対して「根にもっている」と同様な感情をJR東日本がベルク=井野家に抱いていても不思議ではない。

 新宿駅東口駅ビル「マイシティ」は、2006年の4月、突然「ルミネエスト」と名を改めました。

 名前が変わっただけでなく、家主だった新宿ステーションビルディング株式会社が、株式会社ルミネに吸収合併されました。その途端、「マイシティ」時代の店が次々と出ていきました。出ていきたくて出て行ったとは考えられません。私の知る限り、数店舗は、駅ビルから「出ていけ」といわれ、出ていきました。

 うちも、ビル幹部から営業部の一室に呼び出され、「出ていけ」といわれることになるのですが、呼び出しは一度でなく数度におよんでいます。

 

「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 148~149頁から引用

 高島屋単独出店阻止のための高島屋、伊勢丹、西武、国鉄、地元の共同出資体制としての新宿ステーションビル株式会社そしてその運用基準としての「3原則」に沿ってマイシティの運営はなされ、ベルクをはじめとしたテナントが営業してきた。その経緯は「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-0131.htmlに詳しく述べてきたところだ。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (50)

 それが国鉄民営化に乗じた西武セゾンによる乗っ取り失敗→JR東日本の反攻により、共同出資会社としての新宿ステーションビル株式会社は、JR東日本の子会社としての「ルミネエスト」になってしまった。そこには「3原則」の及ぶ余地はない。しかも、因縁の井野家である。

 その後、契約もなんとか更新され、今でもベルクは営業を継続しているのは皆さんご存知のとおりである。

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 閑話休題。関連のツイートの中で、新宿駅にモノレール乗り入れ構想があったとの話が出た。

 まだいろんな話が埋もれているのかもしれない。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

 「幻の西武新宿線のマイシティ(現ルミネエスト)乗入れとベルクさん店内の三本の柱」http://togetter.com/li/984087 にまとめた連続ツイートをした際に

 この画面をツイートすると

 という反応をいただいた。

 「西武新宿駅の乗り入れは、新宿ステーションビルの中にホームを作る」という説があるということのようなので、調べてみた。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (90)

 ここの吹き抜けスペースに

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (89)

 こんな風に乗り入れるイメージを持たれていたということか。(上記画像は、北九州モノレール小倉駅)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (38)

 1959(昭和34)年段階の計画でもちょっとは食い込んでいるが、ホームの殆どは駅の外側である。

 調べてみると、確かに新宿ステーションビルの吹き抜けにホームを予定していたかのような記述が見られる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (86)

(「西武沿線の不思議と謎」高嶋修一・監修 実業之日本社・刊 40頁から引用)

 ちょうど新宿駅の建て替えが計画されており、西武もその計画に参加。それまでは仮駅舎での営業が決まったが、それが現在の西武新宿駅の場所である。そこから新宿駅までわずかで、そもそもその区間はかつて西武電気軌道が持っていた都電杉並線の休止区間だったため、そのまま真っ直ぐ新宿駅に乗り入れればOKだったわけである。

 新しい駅ビル内の2階に西武線のホームが入る予定で、そこに改札や何やら建設時に用意されていたのである。ところがこの西武新宿駅、ホームの長さは電車6両分、線路は2本しかなかった。すでに乗降客が急速に増えていた西武新宿線はこの駅ではキャパ不足で、結局乗り入れは中止。現在に至るのである。

 ルミネエストの正面を入ると、みどりの窓口付近の天井に当時のホームの一部が残る。天井はアーチ形状になっており、2階両サイドには明らかに不自然な長い廊下がある。現在は休憩所になっているが、ここがホームだったのである。もしつながっていたら、間違いなく西武新宿線人気はアップしていたはずだ。

 

【vol.22-2】日本再発見ジムニー探検隊>>ビハインド・ザ・新宿 http://www.apio.jp/sp/jimnylife/rediscovery-022-2.html 山崎友貴・著 から引用

 ということで、高嶋修一氏や山崎友貴氏は、ここの吹き抜けに西武線ホームが作られるはずだったと主張している。

 私の手元には、「建築界」1964年8月号「新宿東口民衆駅の設計計画」山口裕(国鉄東京建築工事局)、目良純(鉄道会館技術部建築課)・著 という建築専門誌に当時の国鉄及び駅ビルの建築担当者が書いた報文がある。そこから関係個所を抜粋して検証してみたい。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (85)

(「新宿東口民衆駅の設計計画」 77頁から引用)

 そもそもこのスペースは、1階コンコースのスパンを拡げて旅客の混雑を避けるためのものだとしている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (84)

(「新宿東口民衆駅の設計計画」 79頁から引用)

 また、この「吹き抜け」は国鉄の「駅本屋」の機能としての「吹抜ホール」と位置付けられている。

 これを裏付けるように、「新宿ステーションビルディング30年の歩み」には「国鉄の駅機能として1階のほとんどと2階の吹き抜けを取られたので、商業ビルとしては使いづらい」といった趣旨の記述がある。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (80)

(「新宿東口民衆駅の設計計画」 80頁から引用)

 山崎友貴氏が「2階両サイドには明らかに不自然な長い廊下がある。現在は休憩所になっているが、ここがホームだったのである」と主張する部分も「回廊」と明記されている。

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 なぜ、このようなデマがはやることとなったのか?

 原因の一つに、日経の「東京ふしぎ探検隊 西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画 」が考えられる。

実はこのときの計画の痕跡が今も残っている。ルミネエストの建物は1階の天井が高く、2階はかなり低い。1階の吹き抜けもやたらと広い。かつての設計図を見ると、このフロアの形が西武線乗り入れ計画の名残だとわかる。

「東京ふしぎ探検隊 西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画 」http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2103N_S2A121C1000000?channel=DF280120166608&style=1&page=2から引用

 先に国鉄建築担当者の報文でも紹介したように「1階の吹き抜けもやたらと広い」のは、国鉄のコンコースとしての機能に起因するものである。

 ライターの河尻定氏は、設計図を見たうえで、このように述べているはずなのであるが、いったいどのように見たらこんな嘘っぱち(若しくは著しい誤読を誘うような文)が書けるのか?

 河尻定氏は、鉄道や街づくりについて「東京ふしぎ探検隊」に多く寄稿し、本も出版しているが、デマ発生器としての弊害も多い。是非「カボチャの上手な育て方」といった方面に転身していただきたいと思っている。

 ※私は、以前も河尻氏のウソを指摘している。→「日経新聞 「東京ふしぎ探検隊」河尻定氏記事「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ」に係る疑義」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-0de1.html

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 いわゆる「トリビア本」のウソについて、ついでなのでもう一つ。

 「西武鉄道のひみつ」PHP研究所編・刊の175頁に下記のような「マメ知識」的コーナーが載っている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (82)

 「オープン当初は新宿民衆駅を名乗り、すぐに新宿ステーションビルに改称された」ということであるが、では、このオープン前日の「新宿ステーションビル」を名乗る新聞広告はなんだということになる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (75)

 PHP研究所編集部は、新宿ステーションビルにいったいいつ改称されたのか明記していただきたいものである。

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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