カテゴリー「新宿」の51件の記事

2021年5月 1日 (土)

新宿西口甲州街道交差点 なぜ南側の一角だけビルの背が低いのか等を登記簿から探る

 新宿駅東口の地下の話をしたので、ついでに新宿駅西口の地下の話も書いてみる。

 新宿駅西口といえば、高層の商業ビルが立ち並び高度な利用がなされている。

 その一角になぜか一か所だけ背が低く古いビルがあるのに気が付いた方もいらっしゃるだろう。

 そう、「スーパーミリオンヘア」の看板が建ってるあのビルである。

 都市計画図を見ても、甲州街道一体は容積率800%だ。しかも角地である。

新宿駅周辺土地 (1)

http://www2.wagmap.jp/shibuya/MAP?API=1&mid=1000&mps=2500&mpx=139.699326827324&mpy=35.6880186766642&gprj=3&mtp=shibuya_dm&siz=863,1377&mtl=39,40,24,25,26&itr=1

 なのに、なぜあの一角だけ有効利用されていないのか。

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 賃貸ビルサイトhttps://www.offisite.jp/buildings/9643/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8D%97%E5%8F%A3%E3%83%93%E3%83%ABを見てみると、あの「スーパーミリオンヘア」の看板のビルは、「新宿南口ビル」といい、1964年11月竣工の4階建地下1階鉄筋コンクリート造とのことである。

 既に60年近い建物である。普通なら周囲の建物と一体的に再開発するであろう。

 渋谷区の都市計画図には特に再開発に支障となるような規制はなさそうだ。

 

 では一体なぜ、古くて背が低いビルのままなのだろうか?

 

 成田新幹線買収済用地跡ではないかと未成線オタクが嬉しがっていた土地を、当該土地の登記簿を取得することで、オタクの妄想をぶち破ったという成功体験に基づき、この土地についても土地の登記簿を取得してみた。

 

 すると興味深い権利の登記がされていた。

 

 ここで一旦、土地の登記簿に載せられる権利等の話をしてみよう。

 土地の登記簿はザクっといって下記の3つに分けて表示されている。

 1)表題部・・・土地の表示に関する事項を表示 当該登記簿に係る土地の地番、地目、面積等が書かれている。

 2)権利部(甲区) ・・・土地の所有権に関する事項を表示 当該登記簿に係る土地を所有しているのは誰かが書かれている。

 下記が、千葉県立船橋二和高校敷地の登記簿である。

船橋二和高校南側の空間は成田新幹線買収済用地なのか検証する (12)

 そして、今回「スーパーミリオンヘアのビル」の土地に係る登記簿について注目すべきなのは3つ目の表示の乙区である。

 3)権利部(乙区) ・・・その他の権利に関する事項を表示 当該登記簿に係る土地に設定した抵当権、賃借権、小作権、地上権等の権利が書かれている。

 では見てみよう。

新宿駅周辺土地 (2)

 このビルの地下には、京王帝都電鉄による「地上権」が設定されていた。

民法(抄)

第4章 地上権

(地上権の内容)

第265条 地上権者は、他人の土地において工作物又は竹木を所有するため、その土地を使用する権利を有する。

(略)

(地下又は空間を目的とする地上権)

第269条の2 地下又は空間は、工作物を所有するため、上下の範囲を定めて地上権の目的とすることができる。この場合においては、設定行為で、地上権の行使のためにその土地の使用に制限を加えることができる。

(以下略)

 「他人の土地」=「スーパーミリオンヘアのビルのオーナー等の土地」において「工作物」=「京王線」を所有するため、「上下の範囲を定めて」=「東京湾中等潮位の上34メートル以下」に地上権を設定していたのだ。

 (※地下であっても「地上権」である。通常「地下権」とは言わないと思う。)

 

 そして「地上権の行使のためにその土地の使用に制限を加えることができる」とある。

 登記簿では具体の制限内容について触れていなかったが、「京王線を地下に設けるという権利を行使するために、スーパーミリオンヘアのビルのオーナー等に土地の使用の制限が加えられた」のであろう。

 私の推測にすぎないが、「京王線のトンネルに支障が出るような重さのビルを建てない」といった制限が加えられているのではないか。

 この近辺は容積率800%というとても高度な利用で収益が期待できる商業地域のところを現状地上4階建てのビルしか建てられていない。

 その減収分に見合った金額を京王側が地主に支払ったうえで、登記簿に京王の地上権が設定されたと思われる。

 なお、当該地上権が設定された「昭和38年4月1日」は、京王線が地上から地下に潜った日である。

 

 ※当該土地の甲区の所有権については、地上権設定当時は、ビルのオーナー会社等が共有していたが、順次京王電鉄がその持ち分を買収しており、現在では甲区の所有権も乙区の地上権も両方とも京王電鉄の名義となっている。

 

 地理院地図で見てみると、このビルは、京王線の地下トンネルに沿った形となっている。

 他の区画のように、周辺の土地を巻き込んだ形での大規模な再開発はハードルが高いのかもしれない。

 やってやれないことはないが、手間と収益増がバランスするかという問題。京王が一帯を買収して自社でトンネルと一体となったビルを作るには問題ないかもしれないが、都営新宿線の改札の奥になるので、地下街と一体化できないんだよなあ。。。

 

※上のマップを見ていて気が付いたのだが、都営新宿線の改札を通って左手の段差と、例のスーパーミリオンヘアーの看板のビルはツライチになっているんですな。京王線のトンネルの影響がそれぞれに出ているのだけれども、こういう経緯で繋がって見えてくるわけですな。

京王線新宿駅の秘密 

 ※ヤフーマップと都営新宿駅構内図に加筆 

 京王線が玉川上水敷地下から京王百貨店地下に入っていくにあたって、そのトンネル構造が、地上の「スーパーミリオンヘアの看板のビル」の形状に影響を与え、同じ流れで、都営新宿線新宿駅改札内の段差に繋がっていると言った方が分かりやすいか。

(参考)都営新宿駅構内図

https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/stations/shinjuku.html#solid 

京王線新宿駅 京王線新宿駅 京王線新宿駅

 昔撮った京王新宿駅の写真でもおまけに。多摩動物園行きはライオンの、府中競馬場行は蹄鉄のヘッドマークになっているのが分かりますか?

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 ついでに、もう一箇所あやしい土地の登記簿を取ってみた。

 東京南新宿ビルディング

 先ほどのスーパーミリオンヘアーの看板のビルからちょっとだけ南下したところだ。

 後ろを振り返ると、京王線が地下化されて埋め殺された玉川上水とそこに架かっていた葵橋のモニュメントが残されている。

 玉川上水があったころは、下記のように「東京南新宿ビルディング」があるところも含めて、新宿駅敷地まで玉川上水が走っていた(現在は暗渠化されて地下を走っている。)

 で、東京南新宿ビルディングが建っている土地の登記簿を見ると

玉川上水 (3)

 表題部の地目に注目してほしい。さきにあげた千葉県立船橋二和高校の登記簿では「学校用地」だった。

 それが、ここでは「水道用地」である。

 小平市の玉川上水では今でも下記のような「水道用地」の杭等が見られる。

玉川上水 (2)

玉川上水 (1)

 また、 表題部の「登記の日付」に注目していただきたい。

 「平成16年3月30日」である。 

  玉川上水自体は江戸時代からあるのに、この土地がそもそも一筆の土地として登記されたのがつい数年前である。

 しかも地番が5000番という如何にもとってつけたような番号だ。 

 なぜこんなことになったのだろうか? 

  東京南新宿ビルディングは平成16年よりもずっと前から建っているはずだが、そんな土地の名義の上でよく建築確認等の行政手続きが通ったものだ。

 私のブログの読者の方はこんな図面を覚えていただいている方もいらっしゃるかもしれない。 

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水 (2)  

 これは「日本鉄道施設協会誌」2008年1月号に「新宿駅南口地区基盤整備事業に伴う玉川上水用地処理」森重達美、佐藤英明、柴田勇・共著(いずれもJR東日本東京工事事務所契約用地課)に掲載された図面に私が加筆したものである。 

 ここにいう「新宿駅南口地区基盤整備事業」とは、新宿駅南口の甲州街道拡幅やバスタ新宿新設等のことを指している。 

 つまり、バスタ新宿等の工事を行うにあたって、新宿駅の鉄道施設下にあった玉川上水を移設した。それに伴い、用地の交換等を行ったのである。 

 そのために、平成16年頃に土地を登記する必要があったが、それまではおそらく青道扱いか何かで、玉川用水敷地としての地番の設定等は行われていなかったのであろう。そこで 「原因及びその日付」は「不明」(江戸時代だもんな)として「登記の日付」を「平成16年3月30日」としたのではないか?

 地番が「5000番」になっているのもその辺の理由がありそうだ。 

 

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 新宿駅、バスタ新宿等と玉川上水等の関係は、 

【暗渠】玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(その1) 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-7d6f.html 

【暗渠】玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(その2) 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-3a1f.html 

【暗渠】玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(その3) 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-72fc.html 

もあわせてごらんいただければ幸甚である。 

  

 また、新宿近辺の玉川上水については、暗渠マニアックス吉村生さんの 

「したたかに勝ちを増やす玉川上水(新宿駅上流側編)」 

http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2019/06/post-f053d3.html 

も参考になるので是非。 

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(追記) 

 ブログ公開後、ツイッターで貴重な指摘をいただいたのでご紹介。

 京王は、「スーパーミリオンヘアーの看板のビル」の周辺のビルを取得済だったり共同所有したりしているようだ。

 あの角地の再開発も遠くないのかも!?

 

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2021年4月29日 (木)

構想以来65年ぶりに西武新宿駅と新宿駅を結ぶ地下道が実現に向けて動き出した~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(23)

西武鉄道のプレスリリースにいきなりこんなのが出た。

https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2020/20210426_shinjyuku.pdf

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (96)

西武新宿駅の乗換利便性向上による新宿線のさらなる沿線価値向上のため、「西武新宿駅と東京メトロ丸ノ内線新宿駅をつなぐ地下通路」の整備に向けた検討・協議を進めます。

 私のブログでもしつこく記事にしているように、ここらあたりには、計画が二転三転というか頓挫した未成計画ばかり眠っている。

 ざっと経緯を整理するとこんな感じだ。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (97)

 ネットでは「マイシティ2階の計画がやっと形を変えて復活」みたいなことを書いている方もいらっしゃるが、実際には、その後の地下複々線化の亡霊の復活でもあるし、サブナード地下街の幻の「西武新宿駅-国鉄新宿駅直結2期計画」の復活である。 

  

 ざくっと過去の経緯をおさらいしていこう。 

  

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■ 西武新宿線 新宿駅への二度の乗り入れ断念  

 私のブログを読んでいただいている方なら十分ご存じかとは思うが、「新宿ステーションビル=マイシティ=ルミネエスト」の2階に西武新宿線が接続する計画があった。 

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (1)  

 現在の新宿駅東口の駅ビル「ルミネエスト新宿」の2階北側には、天井が高い吹き抜け部分があるが、この空間こそが西武新宿駅となるものだった。

 

「なるほど西武 仮駅が本駅となった西武新宿駅」結解義幸・著 トラベルムック「新しい西武鉄道の世界」交通新聞社・刊

 

 ときどきこんなデマをばらまく困ったライターや出版社がいるが、実際には

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (13)

 こんな感じでホームと吹き抜けは全く関係ないことが分かる。

「新宿ステーションビルの店舗募集資料から西武線のホームと吹き抜けの関係を確認してみる~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(18) 」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-66d29f.html 

 にこの辺は紹介してある。 

  

 なお、西武の社内報には 

「当初新宿への地下鉄乗入線を予想し地下での乗換えの便を考慮して、終点附近は地下に潜ぐる様考えたのであるが、(中略)これを断念」 

 との記載がある。 

 詳細は 

「西武新宿駅は、元々地下鉄乗換えを考慮して地下に設置する構想だった~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(17)」 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-98776e.html 

 を参照されたい。 

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 さて、西武のプレスリリースの末尾に 

【参考】

「新宿駅北東部地下通路線」について(新宿区)

https://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/toshikei01_000001_00016.html

「新宿の拠点再整備方針~新宿グランドターミナルの一体的な再編~」について(東京都都市整備局)

https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/topics/h29/topi063.html

 

 と参考リンク先があげられている。 

 ここに興味深い資料がある。 

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (94)  

「都市計画変更素案について 東京都市計画道路 特殊街路 新宿歩行者専用道第4号線 東京都市計画通路 新宿駅北東部地下通路線」 

https://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000309906.pdf 

 今回の地下道は「東京都市計画通路 新宿駅北東部地下通路線」として都計決定されるように手続きが進められているようなのだが、この資料の脚注に興味深い一文が添えられている。 

参考

西武新宿駅~東京メトロ丸ノ内線新宿駅間の地下歩行者ネットワークについては、西武鉄道新宿線複々線化計画(地下急行線)の改札外コンコースとして整備される予定であったが、現在、東京都において都市計画変更(廃止)に向けた手続き中。

 

 そして上記図面にも「西武鉄道新宿線複々線化計画(地下急行線)【都市計画廃止手続き中】」との記載があり、緑色で西武新宿線が「メトロプロムナード」まで伸びているのが分かる。

 これが二回目の西武新宿線延伸構想の跡地である。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (92)

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (93)

 上図は、「西武新宿線 西武新宿-上石神井間複々線化事業 環境影響評価案の概要」15~17頁から 

 新宿アルタ横あたりの地下6階に新宿線のホームが出来て、その上に西武新宿駅と新宿駅を結ぶ地下道が「改札外コンコースとして整備される予定」だったと。 


西武新宿線 新宿―上石神井駅間複々線化計画 無期延期決定 費用の膨張理由に

 

 輸送力の増強を目指し、西武新宿―上石神井駅間の約十二・八キロの地下に、新たに急行線を走らせて複々線化する事業計画を進めていた西武鉄道は、建設費が当初見込み額を大幅に上回る見通しとなったことなどを理由に、事業の無期延期を決定し、十九日までに沿線自治体の中野区に伝えた。

 西武鉄道は八七年十二月、運輸省の特定都市鉄道整備事業計画の認定を受け、複々線化予定区間の運賃に十円上乗せし、工事費を積み立て。九三年に都の都市計画決定が下り、昨夏には建設省に工事施行許可を申請、手続きはほぼ整っていた。

 ところが、ラッシュ時の乗客数は九一年をピークに下降気味。当初は千六百億円と見込んでいた総事業費も、地下水の水位が予想より高かったことや、現在の西武新宿駅をJR新宿駅寄りに移動することにしたことなどから、約二千九百億円に膨れ上がることがわかった。

 このため、同社は複々線化を延期せざるを得ないとし、十九日には、特定都市鉄道整備事業計画の認定取り消しを運輸省に申請。これまで十円を上乗せしてきた区間では、乗客への還元を図るとしている。同社広報課は「計画を無理に進めれば、工事費の負担は運賃にはねかえり、逆にご迷惑をかける」としている。

 

1995(平成7)年1月20日付読売新聞から

 

 といった理由で事業は中断された。 

西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-dd3c.html 

 西武鉄道新宿線(西武新宿駅~上石神井駅間)の複々線化計画の廃止にあたっての質疑で下記のような記載がある。 

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (98)

https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kiban/pamphlet/pdf/pamphlet_111.pdf

 「西武新宿駅とJR線や丸ノ内線との乗換経路の改善について(略)当社としても積極的に乗換改善に努めていきたい」

 地下複々線事業計画を廃止して、新たに地下道のみ新設する手続きが東京都や新宿区等による「新宿グランドターミナルの一体的な再編」の一環として行われることになったわけだ。 

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (95)  

https://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000309906.pdf 

  

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■ 幻となった新宿駅への地下道直結計画

 現在、西武新宿駅と東京メトロ・JR新宿駅はサブナード地下街とメトロプロムナードによって迂回する形で連絡されている。 

 今回、ここを直結する地下道が実現しようとしている。 

  

 ところで、西武では昭和30年代に、西武新宿線を新宿ステーションビルに乗り入れる計画と並行して、ここを直結する地下道の構想があった。 

 先日までヤマダ電器があった西武新宿駅のトイメンのビルを「西武フロントビル」として地下街と一体開発するものだった。 

 その資料が早稲田大に保存されており、 

「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡」 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-aa77.html 

 に紹介してある。 

 ザクっというと「国鉄新宿駅に西武新宿線を乗り入れても西武として今更東口に活用の余地はなく、地下街と西武フロントビル等で一体として開発する方が投資としては有効ではないか」というものであり、この計画が実現していえば、ヤマダ電器ではなく、西武百貨店新宿店がそこに建っていたかもしれない。 

  

 その後、サブナード地下街計画が具体化し、 

 「昭和37年2月20日には有志が会合」「まず最初は、西武プラス歌舞伎町振興会で動き出した」と「新宿サブナード30年のあゆみ」29~30頁にある。 

  西武は、「西武新宿線のステーションビル乗り入れ」と「サブナード地下街による西武新宿駅と新宿駅の直結」の二本立ての計画を推進していたのである。

 しかし、西武線乗り入れ断念後の1967(昭和42)年に西武百貨店社長だった堤清二は、「会社としては地下街会社に出資しない」旨を創立事務所に伝えている。(「新宿サブナード30年のあゆみ」から) 

  

 ご存じのように1965(昭和40)年に、西武新宿線は新宿ステーションビルへの乗り入れを断念している。 

 鉄道と地下街の二本立て計画の両方を止めたわけだ。なぜだろうか? 

 そのヒントとなるのが、1964(昭和39)年の堤康次郎の死去かもしれない。 

 堤康次郎亡き後の西武の事業について、このような記述がある。


 事業の世界では義明はまだ赤子同然で、このような巨大な組織を継ぐには未熟かつ経験不足であった。父親は彼に、10年間は何もするなという遺言を残した。

(略)

 義明はグループの事業内容を隅々まで掌握するまで、しっかりと満を持して学ぶべきである、というのが康次郎の意向だった。とりわけ、新規事業は固く禁じられた。10年経てば状況も変化する。その時こそきちんとどう動くかを決める時なのだ。

 

「血脈 西武王国・堤兄弟の真実」レズリー・ダウナー・著 常岡千恵子・訳 徳間書店・刊 242頁から

 

 ひょっとしたら、この一環で両事業がストップした可能性もあるんじゃないかなあなんて夢想している。

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 ところで、西武の資本参加はなくとも、サブナード地下街は、西武新宿駅と国鉄新宿駅を直結する構想を実現しようとしていた。1964(昭和39)年に策定された地下街の「基本構想」には第二期計画として盛り込まれている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (17)  

 しかしこの計画は実現しなかった。


「道路幅は全体で25m(国鉄寄り歩道4.4m、民地側歩道3.8mを含む)。16.80mのみが車線である。地下建物の地表への階段出入口(幅員3m)をとるためには、歩道を両側7mにしなければならない。すると残りの車道は11m幅になる。これだと、車線確保はギリギリであり、しかもS形にカーブしていて、車輌運行上の危険がある。しかもこれは地下駐車場から地表へのランプ設置場所が確保できない」。

 「協議会(※引用者注 新宿地下駐車場第2期計画国鉄寄り協議会)」はこの案を断念するしかなかった。ただし将来構想としては、残されているのである。

 

「新宿サブナード30年のあゆみ」 新宿地下駐車場株式会社・発行 55~56頁から引用

 このように1970(昭和45)年に、地下道による直結の道も閉ざされてしまった。

 

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 これは余り知られていないが、都営大江戸線と西武新宿駅を地下道で直結する構想もあった。

西武新宿駅地下鉄大江戸線直結計画 (3)  

新宿区「新宿駅周辺にかかわる諸問題について」答申付属資料 1982(昭和57)年 から 

 都営地下鉄12号線(大江戸線)のルートや駅の配置が現在とは異なるが、これは現在のリニアメトロが導入される前のルートである。 

  今や新宿西口駅の場所も変わっており、実現は不可能だったということか。

 ただし、上記答申附属資料には、今回の「東京都市計画通路 新宿駅北東部地下通路線」にあたるような地下道の構想も見られる。 

西武新宿駅地下鉄大江戸線直結計画 (5)  

 これが都市計画決定するまで40年かかった(途中地下急行線がらみの動きはあったが)ということか。 

(参考) 

「西武新宿駅を大江戸線新宿西口駅に直結させる計画が1982年にあった~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(16)」 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-727461.html 

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  鉄道マニヤ、未成線マニヤの一部には、今回の動きを受けて

「次は、西武新宿線の東京メトロ東西線への乗り入れだ!」

 と期待している方もいらっしゃるようだ。 

 しかし、地下急行線廃止計画手続きにおける質疑では下記のような回答が出ている。 

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (99)  

https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kiban/pamphlet/pdf/pamphlet_111.pdf 

 「交通政策審議会の答申に位置付けていない」「東京都としても具体的な計画はない」 

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 ところで、今回の記者発表を受けて、こんなツイートがあった。

 そう、今回記者発表あった4月26日は堤康次郎氏の命日なのである。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (98)  

 実に堤会長没後57年を経た命日でのプレスリリースであった。

 冒頭のプレスリリースにはこう書いてある。

この度、新宿区により「新宿駅北東部地下通路線」の都市計画手続きが開始されたことを受け、当社は本通路の事業予定者として、都市計画決定後の本通路の早期実現に向け、具体的な検討および関係者との協議を進めてまいります。

https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2020/20210426_shinjyuku.pdf

 西武グループの新宿駅東口進出は、まだ始まったばかりだぜ!!

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2020年4月20日 (月)

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う

 埼京線の横にある緑地が上越新幹線新宿ルートの用地だという話はネットではよく見かける。

 ただし、それは嘘、デマだ。

 なぜ、そのような嘘、デマが広がっているかというと、川島令三(及びそれを無批判に広めるやつ)のせいである。

 以前も「上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/--a64d.htmlという記事を書いたのだが、その後動きというか更なる珍説を川島が披露しているので、も~っと!徹底検証してみた次第である。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (1)

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (2)

 過去の記事でも、川島令三の上越新幹線新宿ルートの記事が、国鉄発表の資料や当時の報道資料とは全く異なることは指摘してきた。

 しかし、数年前に更に珍説を追加してきたので、過去の目ぼしい著書から、川島令三の主張の変遷やブレを整理してみんとす。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (3)  

  川島令三の著書で、上越新幹線の新宿延伸について触れているものは、私が確認できたところではこれが一番古い。

 新宿から上野に行くには、最低でも30分はみておかなければならない。さらに、新幹線は地下ホームだから、結局40分は必要だろう。もし、新幹線が新宿に乗り入れるならば、その40分が要らないわけだ。ということは、40分スピードアップしたのと同じである。いまさら大宮から新線を建設することはできないが、赤羽付近から分かれて在来線の真上を通って乗り入れることはできる。これなら用地買収はわずかですみ、あとは工法の問題だけである。

 最初は、「大宮から新線を建設することはできないが、赤羽付近から分かれて在来線の真上を通って乗り入れることはできる」と言っていたのだ。

 この頃は、まだ「埼京線の横の緑地は上越新幹線用地だ」なんて言っていないわけだ。

 ところで、川島令三信者以外でも「上越新幹線の新宿ルートの、赤羽~池袋間は旧・赤羽線(埼京線)の上若しくは地下に敷設する」とお考えの方がそれなりにいらっしゃるようだ。

 しかし、埼京線の北区内の連続立体交差事業が正式に決定してしまった(十条駅は高架となる)ので、まあ無理でしょうな。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (4)

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (5)

 上越新幹線は大宮―新潟間が開通しているが、もともとの計画は新宿―新潟間である。建設時に、当面の需要をかんがみると大宮で東北新幹線と接続して直通すれば充分、ということであったために着工はされなかったが、新宿まで延長するときのために、あらかじめ建設されている設備や用地がある。

 すぐわかるものがいくつかある。大宮の北側にある東北新幹線と上越新幹線との立体交差準備設備がそうだし、大宮以南の東北新幹線の西側に埼京線の戸田公園までずっと続く空地も上越新幹線用地である。

 また、都心部でもそれを想定しているところがある。都営地下鉄12号線は放射部と環状部が建設中だが、環状部の北新宿付近の縦断面図面を見ると新幹線の交差個所が書き込まれている。こ大宮駅の南部では、上越新幹線が外側を走る形の複々線で進むが、埼京線が合流する手前から 上越新幹線上り線は東北新幹線と立体交差して西側に移ることになり、そのための準備もなされ ている。

 ここからは埼京線・東北新幹線の西側に複線以上の用地がずっと戸田公園駅まで続いている。 これが上越新幹線の用地である。この土地は国鉄清算事業団には承継されず、JR東日本が承継している。現在はジェイアール東日本都市開発が管理して、一部は公共用地に払い下げられたが、ほとんどはそのまま残っている。

 上越新幹線の用地は戸田公園の手前あたりでなくなっている。この先のルートはいろいろ調べたけれどもわからずじまいだったが、推察すると戸田公園手前で地下に潜り、荒川を渡ってから 国道一七号線沿いにその地下を通る。途中から都営地下鉄三田線と並行して、板橋区役所前の先あたりで三田線と分かれ、東武東上線の近くを通り北池袋付近で赤羽線(の地下)と合流すると考えられる

ここからははっきりしている。赤羽線の東側の地下を走り、池袋からは山手貨物線の下を通って新宿に達するのである。新宿では中央新幹線(リニアではなくフル規格新幹線)と直交、東海道新幹線の分岐線と接続する予定であった。 しかし、これはすべて夢のまた夢となってしまった。

 

  ここで、初めて埼京線の横の緑地は上越新幹線用地だと言い出した。ただし、特に根拠はない。

  また、当該緑地は埼玉県内のみで、東京都内には無いのだが、ここで川島令三は「この先のルートはいろいろ調べたけれどもわからずじまいだったが、推察すると」「考えられる」と、エビデンス無しに、得意の妄想であることを告白している。

  ところが、この後「エビデンス無し」の注意書きが何の断りもなくとれていくのである。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (6)  

大宮以南に用地を確保

 東北新幹線が荒川を渡った付近から大宮まで両側に広い空き地が並行している。公式にはこれらの空き地は緩衝緑地帯としているが、それならば木々を植えるはずなのに、ただの空き地のまま残している。しかも、国鉄の不要用地の管理を継承している日本鉄道建設公団のものではなく、なぜか現在はJR東日本の関連会社が所有し管理している。

 ここに上越新幹線の複線を敷設しても、まだ緩衝緑地帯は充分残るほどの幅広さの空き地である。つまり、緩衝緑地帯および上越新幹線の鉄道用地というのが、本当のところである。

 荒川から大宮までは上越新幹線は延長できる。荒川から新宿までのルートはどうなるかというと、次のようになる。

 埼京線戸田公園の南側付近で東北新幹線と徐々に別れていき、荒川では国道17号バイパスと並行して西側を渡る。渡ると地下に潜り、国道17号の下を走るようになり、途中から都営三田線と並行する。

 その先で赤羽線(埼京線)の地下を走るようになって三田線とは別れる。池袋からは山手線の内側、すなわち山手貨物線の真下を通って新宿に達する。

 「公式にはこれらの空き地は緩衝緑地帯としているが、それならば木々を植えるはずなのに、ただの空き地のまま残している。」のは、後述するが、先行買収した国鉄と地元自治体との売買がうまくいかなかったからであって、現在は植樹などが整備された箇所はいくつかある。

東北新幹線の環境空間 (2)

 なお、管理は上記写真のようにJR東日本の子会社が行っているが、所有者はJR東日本のままである。(本記事の末尾参照)

 それよりも、1996年段階ではまだ正直に告白していた「この先のルートはいろいろ調べたけれどもわからずじまいだったが、推察すると」「考えられる」が、なんの断りもなく無くなってしまい、断定口調になってしまった。まあ、いつもの川島節である。そして後述の横見本のように、それを鵜呑みにする奴が出てくるのが難儀である。

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (7)

大新宿駅構想

 新宿は代々木駅を取り込んだ形で大新宿駅構想が昭和40年代後半に考えられていた。

 新幹線新宿駅は、甲州街道の南側に広がっている貨物ヤードの地下に置くことになっていた。ここはタイムズスクエアができてしまっているが、まだ地下には用地が空けられている。当初の計画では地下2階に新幹線コンコース、地下3階にホームを設置することになっていた。 現在でもその空間は確保され、京王新線・都営新宿線が地下4階にホームがあるのもこのためである。

 なお、新宿の新幹線ホームは上越新幹線だけではなく、中央新幹線(当時は在来形新幹線であった)と共用し、さらに新宿を貫通して東海道新幹線にも接続させる計画であった。

  「上越新幹線の用地」だなって勝手に書くなよw

  「大新宿駅構想」については

「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 をあわせてご覧いただきたい。

 

 なお、川島令三は「さらに新宿を貫通して東海道新幹線にも接続させる計画であった。」とするが、東海道新幹線に接続する構想自体は国鉄にはあったが、「大新宿駅構想」には、東海道新幹線までの延伸は明記されていない。 

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (8)  

  ところで、余談となるが、川島令三は、大新宿駅構想で、中央新幹線を現在の中央本線在来線に沿った形で北へ伸ばしている(上記右図)が、実際の「大新宿駅構想」では、中央新幹線は、南へ伸びている(上記左図)。(中央新幹線の絵は他にも存在するのだが、それも中央本線沿いではない。なんと中央総武開発線と地下を2階建てで走ることをイメージした構想もあったようだ。)

 また、川島令三は、都営地下鉄12号線(大江戸線)と地下鉄山手線が「新宿副都心」で相互乗り入れしているように書いている(上記右図)が、実際の「大新宿駅構想」ではそうはなっていない。 

 川島令三は、こうやって本物っぽいところにチョコチョコ偽造をぶち込んでくるのが常套手段である。 

  本物の大新宿駅構想は「1974(昭和49)年の大新宿駅構想の元となる運輸省調査報告書と上越新幹線新宿駅や国鉄東北・東海道開発線ホームなどなど」をご参照いただきたい。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-a24d9e.html 

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (9)

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (10)

 

大宮以南に用地を確保

 東北新幹線が荒川を渡った付近から大宮まで両側に広い空き地が並行している。公式にはこれらの空き地は緩衝緑地帯としているが、それならば木々を植えるはずなのに、ただの空き地のまま残している。しかも、国鉄の不要用地の管理を継承している日本鉄道建設公団のものではなく、なぜか分割民営化当初からJR東日本の関連会社が所有し管理している。

 ここに上越新幹線の複線を敷設しても、 まだ緩衝緑地帯は充分残るほどの幅広い空き地である。つまり、緩衝緑地帯および上越新幹線の鉄道用地というのが、本当のところである。

 荒川から大宮までは上越新幹線は延長できる。荒川から新宿までのルートはどうなるかというと、次のようになる。

 埼京線戸田公園の南側付近で東北新幹線と、徐々に別れていき、荒川では国道17号バ イパスと並行して西側を渡る。渡ると地下へ潜り、国道17号の下を走るようになり、途中から都営三田線と並行する。

 さらに赤羽線(埼京線)の地下を走るようになって三田線とは分かれる。その先は 山手線の内側、すなわち山手貨物線の真下を通って新宿に達する。

 新宿は代々木駅を取り込んだ形で大新宿駅構想が昭和40年代後半(1975年頃)に考 えられていた。

 いずれ東京―大宮間だけでは対応できなくなる。そのときには新宿-大宮間の上越新幹線が開通することになろうし、池袋にも新幹線駅ができる可能性はある。

 川島令三は「池袋にも新幹線駅ができる可能性はある。」と言い続けているのだけれども、これもあくまでもいつもの根拠なき妄想である。 

  そのあたりは、「上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのか」で検証済みだ。

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.html

  可能性を考えるのは勝手だが、国鉄の計画にはなかったと言える。

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (11)

 東北新幹線は東京赤羽間は東北線とほぼ並行して建設するとされたが、赤羽―大宮間は東北線の西側に、やや離れて建設することになった。しかし、予定ルートの沿線住民の反対運動は必至で用地買収がスムーズにいきそうもなかった。 また、東北線は貨客分離による複々線化を行なっていたが、それでも高崎線電車が大宮以南に直通するためにラッシュ時の増発がままならなくなってきており、高崎線電車を別線ルートで都心に直通させる必要性が出てきた。

 そこで東北新幹線用地の買収の見返りとして、大宮―赤羽間で東北新幹線に並行する新線を建設し、それを高崎線電車用線路とすることが検討された。この新線は、昭和47年当時は通勤新線あるいは通勤別線と呼ばれていた。

 新幹線と関連した通勤新線のルートや駅位置の策定作業が行われた結果、東北新幹線は荒川から大宮を経て上越新幹線が分岐する地点まで複々線で建設することとなった。複線の一方は上越新幹線のもので、大宮以北は東北新幹線と方向別複々線、大宮荒川間は線路別複々線、荒川以南では東北新幹線と分かれて地下線で新宿に達する予定だった。さらにこれら路線の両側に並行して緩衝緑地帯を設置することになり、そのため用地は東北新幹線、上越新幹線、通勤新線の3複線と、それにプラス緩衝緑地帯分という広大なものになった。

 「予定だった」もなにも、上越新幹線新宿ルートについては全部川島令三の妄想だ。 

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (12)  

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (13)  


新宿駅から高田馬場駅まで、上越新幹線が通る証拠があるのである。

 高田馬場駅から先は見出せない。東京メトロの副都心線(13号線)や有楽町線の池袋駅付近の 縦断面図には、新幹線が表示されたものはない。

 すなおに考えれば、山手線の内側の地下をずっと通って、池袋駅から赤羽線の地下ということになる。副都心線の池袋駅、現在の新線池袋駅はJR池袋駅の西側に設置され、山手線などと交差する手前から急勾配で下っている。新線池袋駅は地下四階にホームがあり、下りはじめたところの上には丸の内線があるが、丸の内線のホームは地下二階にあり、副都心線のトンネルを通すのに邪魔にはならない。それなのに下っているのは、丸の内線との間に新幹線が通ることになっていると考えざるをえない。そして、新幹線池袋駅の設置も考えられていると思える。 池袋駅からは赤羽線(埼京線)に沿って地下を走るルートが簡単だが、赤羽駅あたりで地上に出る必要がある。しかし、赤羽駅付近にその空間はないし、赤羽駅から荒川までの埼京線と東北新幹線並行区間にも、そのような空間はない。

 おそらくは、池袋駅から中山道(国道一七号)に向かい、中山道の地下を走って、荒川を渡る手前か、渡ってから地上に出て、東北新幹線・埼京線と並行して大宮駅に向かう。東北新幹線・埼京線の両側には環境緑道がある。新幹線の騒音を軽減するためにつくられたというが、大半は荒地のまま放置されている。しかも西側がやや広い。ここに上越新幹線の高架線が併設される。 これは筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている

 大宮駅の手前で、上越新幹線の上り線は東北新幹線を乗り越える。ここからは大宮駅以北と同様に、西側に東北・上越新幹線の下り線、東側に同上り線が並ぶ方向別複々線になる。

 

 今までエビデンスが無い無いと指摘してきたところであるが、今回初めて「これは筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている」ときた。 

 そして今回のもう一つの新デマが「しかも西側がやや広い」というものだ。後述のとおり東西ともに20m幅である。

 また、戸田公園~池袋間のルートについては、久々に「おそらくは」が復活した。前作は「予定」と言い切っていたのに、またエビデンスなしに戻ってしまった。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (14)  

  そして最新作である。なんと川島令三氏の長年に渡るシリーズものが打ち切り最終作となったのである。

 ここで、最後の最後で、上越新幹線ルートは大いなるちゃぶ台返しが待っていたのである。 

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (15)  

 

 昭和52年になると新宿一大宮以南のルートはほぼ確定し、新宿から荒川橋梁まではほぼ地下を通し、以北は東北新幹線と方向別複線にすることにした。

(中略)

 南側では予定していた上越新幹線と東北新幹線との方向別複々線の一方の複線分は埼京線に使用することにしたため別途、新たに上越新幹線の用地を確保することにした。その方法として現在、使われていない東北新幹線に並行して左右に置かれている環境緑道の一部を流用するとか、東北新幹線と 2重高架にする、あるいは東北貨物線を転用するなどといわれているが、定かではない。一番、実現しやすいのは2重高架だろうが、それに耐えられる橋脚にはなっていないようである。そうすると環境緑道の地下というのが現実的であろう。

  まず「昭和52年になると新宿一大宮以南のルートはほぼ確定し」という言葉が初めて飛び出した。

 昭和52(1977)年といえば、それまで反対姿勢だった沿線自治体が国鉄が提示した環境対策等を踏まえて、条件付き受け入れに転じた年であることは間違いない。しかし、それが上越新幹線新宿ルートに何らかの影響があったという資料を見たことは無い。 

 話はそれるが、埼玉県内の自治体では、「本来の東北貨物線を活用した上越新幹線新宿ルートを同時若しくは早期に開通させれば東北新幹線の環境問題の低減につながる」として、どうせ東北新幹線が建設されるならば、上越新幹線新宿ルートを促進するような動きがあったようだ。 

 下記のように「地元の反対で上越新幹線新宿ルートがお蔵入りした」というような言説をネットで見かけたりするが、そのような資料を見たことは無い。 

 そして、大物なのだが、今まで読んでいただいてお分かりのように、川島令三氏は初期の著作を除き、一環として「緩衝緑地帯は上越新幹線が建設される」としてきた。エビデンスとしては「担当職員に聞いた」というのが唐突に一回だけ出てくるのみだが。 

  それがシリーズ最終作において大どんでん返しで「現在、使われていない東北新幹線に並行して左右に置かれている環境緑道の一部を流用するとか、東北新幹線と 2重高架にする、あるいは東北貨物線を転用するなどといわれているが、定かではない。一番、実現しやすいのは2重高架だろうが、それに耐えられる橋脚にはなっていないようである。そうすると環境緑道の地下というのが現実的であろう。」等と総論併記のうえ「定かではない」と言い出した。

  じゃあ前作での「これは筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている」は何だったのか?嘘を教えたのか?

 「2重高架」というのは以前wikipediaに載っていた案のことか? 

 「環境緑道の地下というのが現実的であろう」というのも、「地下」に言及したのはこれが初めてだ。 2007年の前作では「高架」と明言していたのにかかわらずである。

 なお、東北新幹線の埼玉県内区間がこれほど揉めたのは、一旦大宮~戸田間はトンネルにすると公表した後に、地下は技術的に困難として高架に変更したことに一因がある。 

 その経緯を知っていれば「地下が現実的」とはとても言えないと思うのだが如何であろうか? 

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (16)

 どちらにせよ、列記されたものの当否についてはスルーされた「東北貨物線を転用」しか正解はないのだが。

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 と、ここまで支離滅裂な川島令三氏の主張の変遷をおってきた。 

 一読しただけではゴチャゴチャになるだろうから、簡単におさらいしてみよう。 

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (17)

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (18)

  赤字がエビデンスでふらふらするあたりである。

  青字は「荒川をどう渡るか」である。こちらも地味にふらふらしている。地下なんか橋なんかはっきりせい。どっちにしろエビデンスはないのだけども。

 ちなみに国鉄OBの高松良晴氏は、東北新幹線のルートどりについて「赤羽から先は、荒川の下をトンネルで抜くことに危惧があったことから、架橋可能地点の舟渡まで新河岸川沿いに高架橋でルートを選定したのだった」(「新幹線ネットワークはこうつくられた」交通新聞社・刊 90頁)と語っている 

  もともとの南埼玉トンネル案のときも、高架になる戸田市からトンネル要望が出たときに「荒川の下を潜るのを避けるために戸田以南は高架になる」と国鉄が返していたような記憶があるが、文献が出てこない。

 いずれにせよ、本を書くたびに川島令三の主張は二転三転しているのだ。 

 では、他の鉄道ライターはどうなのだろうか? 以前は、ライターには正式ルートは開示されていなかった可能性はどうだろうか?

 川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (19)

  レイルウェイライターの種村直樹氏は、鉄道ジャーナルの東北新幹線建設工事の特集号の中で「現在の東北本線と並行して」「貨物線跡利用」と書いている。

 鉄道趣味誌においてもちゃんと「正解」が共有されていたわけだ。 

 では、最近の鉄道趣味誌ではどうか? 

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (20)  

 横見浩彦氏は、川島令三派ということですかね。 「タイムズスクエア直下に幻の新幹線駅が」と言い出すあたりもアレだが。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (21)  

 因みに、JR東日本は「東北貨物線の地下」としている。 

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 川島令三氏が上越新幹線用地だと主張してやまない緩衝緑地帯であるが、ざくっといくと下記のような経緯である。 

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (22)  

  川島令三の「しかも西側がやや広い」と、国鉄OBの高松氏の「外側に、それぞれ20m幅の用地」とどちらを信じるかは読者様次第である。

  で、「公式にはこれらの空き地は緩衝緑地帯としているが、それならば木々を植えるはずなのに、ただの空き地のまま残している。」のは下記の記事のように、国鉄が先行買収したあとの取り扱いが沿線自治体と調整がとれなかったせいで整備が進まなかったためである。

 なお、この新聞記事の右下のイラストでも、両方とも幅は20mとされていることが分かる。

川島令三の上越新幹線新宿ルートの変遷を追う (23)  

  下記は、埼京線与野本町駅付近の「下落合環境空間緑道」である。きちんと整備すればこのような形となり、川島令三の妄想もつけ入る余地がなくなるはずだ。

 

参考:「環境空間整備計画(戸田 華かいどう21)」

https://www.city.toda.saitama.jp/soshiki/213/koen-kasen-hanakaido21.html

  また、未整備の「環境空間」についても、下記のような暫定活用がなされている。

 https://www.jreast.co.jp/press/2001_2/20020114/index.html

東北新幹線の環境空間 (1)

 「上越新幹線建設用地が民間に売却されて店舗が建ってしまった!」と嘆く方がいらっしゃるが、上記写真を見ていただいて分かるように、店舗の所有者はJR東日本の子会社だし、「暫定活用」にふさわしく?10年間の定期借地であるから地元自治体と協議が整えば売却できるわけだ。

 

 

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2020年4月12日 (日)

1974(昭和49)年の大新宿駅構想の元となる運輸省調査報告書と上越新幹線新宿駅や国鉄東北・東海道開発線ホームなどなど

 上越新幹線の新宿駅乗入れについては、過去多くの記事を書いてきて、まあ部外者によるネット記事では第一人者であろうと自任しているのであるが、またまた新ネタ(旧ネタ??)を見つけてきた。

 過去には、大きく分けて二つの時代の図面をご紹介してきた。

「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

  

 今度は、カラーによる上越新幹線新宿駅+代々木駅だ。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (31)

 新宿駅南口の甲州街道附近 右下に新幹線ホームが見える。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (32)

 そしてこれは代々木駅の地下を走る新幹線だ。大新宿駅構想は地下の上越新幹線コンコースで新宿駅と代々木駅を直結するものだが、中央総武開発線(左下)や東京メトロ副都心線もホームを持つ一大ターミナルとなっている。

 いままではモノクロの新宿駅構想図しか見たことがなかったが、今度はカラーだ。それも最古のものである。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (1)

  以前ご紹介したものは、

「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」⇒1976(昭和51)年

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html

「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)」⇒1985(昭和60)年

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

  なので、把握している限り最古の上越新幹線新宿駅の図面となる。

  尤も、上越新幹線の新宿駅乗入れの話は、1971(昭和46)年頃から報道されているので、そちらが気になる方は

「新宿駅への上越新幹線・成田新幹線の乗入れについて報道をまとめてみた(その1)」 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html 

  を、併せてご覧いただきたい。

  で、運輸省の「新宿副都心総合整備計画調査報告書」の中身を紹介していこう。

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (2)

 前書きはこんな感じで。 

  別に上越新幹線新宿駅の構想を作ろうというものではなくて、それも含めて新宿副都心の開発等色々構想があるから、運輸省として総合的なターミナルの計画を建てておこうということか。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (3)  

 検討メンバーはこんな感じ。八十島、井上と学会の重鎮が勢ぞろいだ。東京都からは鈴木信太郎とか岡本堯生等が顔を出している。(敬称略) 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (4)  

 このブログの記事を読みに来る人の多くは鉄道マニアだと思うので説明は不要かもしれないが、鉄道網整備計画としては、上越新幹線の乗り入れの他、地下鉄10号線(都営新宿線)、12号線(都営大江戸線)、13号線(営団・メトロ副都心線)その他について考慮した新宿副都心のターミナル計画や淀橋浄水場跡地の副都心等を踏まえた総合整備計画を作成すると。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (5)

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (6)

  ちょいと飛ばして、読者のニーズであろう、「鉄道施設の現況と問題点でも。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (8)  

  そして「対象地域に関する諸計画」である。道路計画や鉄道計画に触れている。

 「まえがき」にもあるように、前年度にもこの調査は行われており、これらについては下記には概略しか掲載されていないというと。前年度の報告書についてご存知の方は是非ご教示ください。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (7)

 10号線(新宿線)は、千葉県営鉄道乗り入れで千葉ニュータウンまで、13号線(副都心線)は、渋谷から羽田空港を目指す往時の計画ですな。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (9)  

  読者の皆様が一番気にしそうな国鉄の計画はこちら。

  上越新幹線、北陸新幹線、成田新幹線だけでなく、中央新幹線、第二東海道新幹線、常磐新幹線についても新宿への乗り入れが検討されているとしている。リニアモーターカーは、この段階では中央新幹線ではなく、第二東海道新幹線の方だったはず。常磐新幹線は、成田新幹線と合流して東京駅方面から新宿に来るという絵を他で見たことがある。

  また、在来線では、東海道・東北方面開発線(現在の湘南新宿ライン)及び中央・総武開発線(現在の京葉線新宿延伸構想)に触れている。そのホームをどこに設置するかについては後に出てくる。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (10)  

  「国鉄山手線と環状6号線の中間に地下鉄新宿線の計画がある」とするが、これは10号線のことではなく、所謂「地下鉄山手線」のことか。後に出てくる「図8-1」では「地下鉄山手線」と書いてある。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (11)  

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (13)

 「昭和65年における需要予測」という言葉があるが、もし関心があれば、こちらもご覧いただきたい。地下鉄山手線のルートも出ている。 

「約50年前に計画された首都圏鉄道網を網羅した「昭和65年鉄道網配分交通量図」が面白い」

 https://togetter.com/li/1404375

 「東北・上越・北陸の第2ターミナル」という言い方が興味深いが、国鉄の文書でも東北新幹線も新宿駅へ乗り入れると書いてあったのでその構想を裏付けるものと言えよう。

 また、成田新幹線の新宿乗り入れは考慮しないが、中央新幹線は考慮するというのも興味深い。

 「成田新幹線の東京駅が鍛冶橋下にあるのは、新宿駅乗入れのため」という説があるが、どうやら「成田新幹線の新宿乗り入れとは関係なく鍛冶橋下に決まって、その後に新宿乗り入れが決まった」ようなのだね。

 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (38)  

 ところで、国鉄の開発線とは、このような構想である。

国鉄開発線の構想

インフラ整備70年 講演会(第6回)〜戦後の代表的な100プロジェクト〜「五方面作戦 〜今日の首都圏都市鉄道の基盤を築いた国鉄による空前絶後の通勤鉄道改善プロジェクト〜」から引用 https://www.jcca.or.jp/infra70/wp-content/uploads/2019/11/PJ-No06.pdf

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (15)

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (37)  

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (14)  

  「中央新幹線」の字が原宿駅の南側に見える。川島令三の著書には、中央新幹線は、中央本線に沿って中野方面に伸びるように書いているが、この計画では新宿から原宿を経て山梨方面に伸びるようだ。どちらを信じるかはご自由に。

  在来線については、「東北・東海道開発線」が13号線(副都心線)と一緒に明治通りを走っている。この頃は、副都心線の下に東北・東海道開発線を建設する予定だったようだ。現在では、山手貨物線を湘南新宿ラインとして走っているが。

  また、「中央・総武開発線」はこの頃は代々木経由である。この辺の経緯についてご関心のある方は下記をどうぞ。

  http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.html

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (17)  

 「新宿周辺鉄道網平面図≪構想,検討路線も含む≫」である。そしてそれぞれの「地下断面図」が下記のとおり。 

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (18)

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (19)

 この「地下断面図」が、凡例もないし、色もついていないし全く分からんちんですよ。ひょっとしたら前年の調査結果を見れば分かるのかもしれない。 

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (16)

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (20)

 文中「三光町」は、現在の新宿三丁目駅である。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (21)  

 で、やっとお待たせの各駅の図面にたどり着くので、しばしお待ちを。。 

 「新交通システム」の文字が気になる人もいるかもしれないが、これは気が向けば別稿で。とりあえずここではあまり触れない。 

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (23)

 「階層別計画概念図」は、先ほどの「地下断面図」よりはるかに分かり易い。 

 12号線(大江戸線)は、この図では、現在と違い、地下4階となっている。 

 また、京王プラザホテルの更に西側の地下5階に「地下鉄山手線ホーム」がある。 

  明治通りの下には、地下3階に13号線(副都心線)が走り、地下5階に国鉄東北・東海道開発線が走っている。

  なお、これは私の根拠なき妄想だが、池袋以北については、明治通りの下を上越新幹線と東北・東海道開発線が同様の地下2階建てで王子へ進むのではないかと睨んでいる。(東北・東海道開発線の王子以北は、現在は地下鉄南北線である。)

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (22)  

 「各ターミナルの計画」がこちら。

 そして、新宿地区の各ターミナルを一枚にして、各地下階層毎の図面が展開される。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (25)  

 </p>「GL」は、多分、グランドレベル=地表のことだ。

 「NTS」 は、前述の新交通システムのことであろう。新宿の東西南北を結ぶ歩行者支援のためのシステムが検討されていたようである。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (24)  

地下1階 

  現在工事中の東西自由通路は、この頃から構想があったことがうかがえる。

  また、新宿駅から代々木駅を結ぶ新幹線コンコースが計画されている。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (26)  

地下2階 

 これだけ見せられても位置関係が分からないが、「4」とあるのは、地下鉄4号線(丸ノ内線)の新宿駅と新宿3丁目駅であろう。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (27)  

 地下3階 

 JNRのホームが二つある。東(右)側が東北・東海道開発線で、西(左)側が上越新幹線だ。 

 「13」は、副都心線の新宿3丁目駅と代々木駅だ。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (28)  

 地下4階 

  「10」は新宿線の新宿3丁目駅と新宿駅。「12」は大江戸線の代々木駅。この頃は大江戸線は新宿駅はなく、代々木駅から都庁前駅に直行していた。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (29)  

 地下5階 

  「JNR」は、中央・総武開発線の代々木駅だ。この頃は新宿駅は経由しないことになっていたようだ。

  

  そしてやっとやっと駅の構想図である。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (30)  

 「中央ターミナル鳥観図」だ。じゃーん。 

  オレンジが道路で、青が線路のようだ。

  右が渋谷方面、左が池袋方面、上が東口、下が西口だ。

 バスタ新宿と新宿ミライナタワーっぽいビルがある。 

  ミライナタワーと線路の間を左右に走る細い高架橋が「新交通システム」だろうか?

 昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (31)

 「中央ターミナル構成図」 

 JNRはもちろん国鉄のこと。地下に新幹線ぽい車輌と2面4線のホームが見える。右下を逸れていくのは東北・東海道開発線、左下を逸れていくのは中央・総武開発線だろう。 

  西(左)側の「KTR」は、京王帝都電鉄、「OER」は、小田急電鉄だ。

  新幹線の真上に「新交通システム」らしき白いチューブが走る。トラムといった軽車輌ではなく、動く歩道的な歩行支援システムであることがうかがえる。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (32)  

 「代々木・ターミナル構成図」 

  地下を東(右)側から、「13」=副都心線代々木駅、「JNR」=東北・東海道開発線、中央新幹線、西(右)側には、「JNR」=中央・総武開発線代々木駅、「12」=大江戸線代々木駅だろう。

  地上には、新交通システムの高架橋が代々木駅から新宿駅東口のマイシティまで続いている。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (33)  

 「副都心・ターミナル構成図」 

  大江戸線の都庁前駅。現在と違って上下にクロスしている。

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (17)  

 もう一度この路線図を見ればイメージが湧くであろう。 

昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想 (34)  

  「三光町ターミナル構成図」

  新宿三丁目駅である。緑色は歩行者天国を塗り分けているのだろうか?

  「4」の丸ノ内線、「10」の新宿線、「13」の副都心線の実現した地下鉄路線の下に「JNR」東北・東海道開発線のホームも見える。

  

 ※写真、図面の名づけに「昭和48年の上越新幹線新宿駅ホーム構想」としておりますが、「48年度」とすべきところ、写真をUPしてから間違いに気が付きました。お許しくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020年1月25日 (土)

都庁幹部が語る西武乗り入れ中止の背景~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(22)

 西武新宿線が国鉄新宿駅ビルへの乗り入れを中止した背景としては、「6両編成しか入らなかったから」とされている。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (71)

1965(昭和40)年3月16日付の朝日新聞

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (19)

「新宿サブナード30年のあゆみ」 新宿地下駐車場株式会社・発行 37頁から引用

 しかし、下記のとおり西武も少なからぬ額を投資している。簡単に撤退するものだろうか?

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (35)

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 「私の都市計画生活」鈴木信太郎・著、山海堂(2003年)刊という本がある。

 著者は、1948(昭和23)年に東京都に入庁し、山田正男氏の部下時代も含め東京都の都市計画畑を歩み1980(昭和55)年に技監で退庁された方である。この本は鈴木氏の喜寿を記念した講演会の記録である。

 そこに、下記のように西武新宿線の新宿駅乗り入れ断念の経緯が聴衆とのやりとりとして残されている。

東京都職員が語る西武新宿線の国鉄新宿駅乗入れ断念経緯 (1)

 

東京都職員が語る西武新宿線の国鉄新宿駅乗入れ断念経緯 (2)

  東京都の都市計画部局としては、西武乗り入れのために必要な行政手続きを順調に進めていたところ突然西武側からキャンセルされたという認識である。

  ただし、その理由は噂話レベルのことしか語られていなく、明確ではない。

 「例の西武のワンマンの言い分」と述べられているが、乗り入れ断念を公表した1965(昭和40)年の前年に、堤康次郎は亡くなっているあたりからもどうも腑に落ちない。

  「必要な行政手続きをとっている都庁の窓口ですら、理由はよく分からない」ということが分かった程度か。。。

 

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思いもつかないところから西武線新宿駅乗入れのカラー想像図が~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(21)

 西武新宿線が国鉄新宿駅ビル2階に乗り入れている絵と言えば、

 ステーションビルの事業案内か

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (1)

 国鉄の「東建工」に掲載されたパースくらい

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (38)

 しか見たことがなかった。

 (実施段階では、アルミ製のルーバーが外周に設置されたので、見た目は少し違っている。)

 

 ところが、Twitterで、また違った乗り入れ予想イラストを発掘・公開している方がいらっしゃった。

 ほうとうひろし氏によると、「幼稚園」1962年3月号に掲載されたものだという。

 

 更に、ほうとうひろし氏によると「新宿ステーションビル開業直前の1964年5月1日ごろに発行された「幼稚園」1964年6月号の口絵は、新宿西口側から俯瞰した新宿駅の全体像です」とのことである。

 実は、西口側からのイラスト等はここでご教示いただいたものが初めて目にしたものなのだ。

 ということで、あらためて国会図書館で確認してきた。

 西武新宿線が国鉄新宿ステーションビルに乗り入れ (2)

 小学館の幼稚園1962年3月号だ。「これは昭和39年完成予定の東京・新宿駅の想像図です。中央線・山手線・郊外電車・地下鉄が見えます。」とのキャプションがついている。

 西武新宿線が国鉄新宿ステーションビルに乗り入れ (2)-2

  西武新宿線のホームがステーションビル北側の外にあるのがお分かりだろうか。

  そしてもういっちょ。

西武新宿線が国鉄新宿ステーションビルに乗り入れ (1)  

 小学館の幼稚園1963年6月号 だ。「東京の新宿駅は、いま改装工事が行われていますが、この絵は改装後を資料をもとにしてかいたものです。なお、建物の一部は、お子さまが興味をもつように変えてあります。」とのキャプションがついている。

 西武新宿線が国鉄新宿ステーションビルに乗り入れ (3)

  頁を開くと営団地下鉄、小田急、京王の地下ホームも見える。中央線(列車)は、山スカとキハ55、山手線はカナリア色、小田急線は青黄のツートン、京王線は緑色と当時の列車の色がうかがえる。

 西武新宿線が国鉄新宿ステーションビルに乗り入れ (3)-2

 西武新宿線もしっかり新宿ステーションビルに乗り入れている。残念ながらホームとビルの取り付き方の様子はよく分からない。

 いずれにせよ、貴重な(現存する唯一無二?)「新宿駅西口側から見た西武新宿線の国鉄新宿駅乗入れの様子」を描いたイラストである。

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西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。(その2)~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(20)

 「西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(19)」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-f353a5.htmlに載せられなかった図面等を(その2)として載せていく。


 出典は引き続き「東建工」の「新宿東口民衆駅」特集号から。


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (1)


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 実施段階では、西武新宿線の改札は2階と1階に設けることとされたが、検討段階では、地下1階に国鉄と西武新宿線の乗り換え改札を設置する考えもあったことが分かる。


 


 まずは当初案


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (11)


 地下1階の埒内(ラチ内ってこういう漢字なのか。。)で国鉄と西武新宿線の乗り換え改札が設置されている。


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (12)


 1階の西武新宿線改札は、高架下の歌舞伎町方に設置されているようだ。


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (13)


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 次いでB案 


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (14)


  ここでも当初案同様に、地下1階に西武新宿線と国鉄の乗り換え改札が設置され、1階の西武新宿線改札は高架下の歌舞伎町方だ。また、吹き抜けは地下1階と1階をつなぐものとなっている。


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (15)


  


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (16)

 


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 C案


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (17)

 


  地下1階での西武新宿線と国鉄の乗り換え改札はなくなり、1階の西武新宿線改札は実施形と類似のものとなった。


  


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (18)


  


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (19)


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 D案


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (42) 


  地下1階と1階をつなぐ吹き抜けが無くなった。


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (43)


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (44)

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E案


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (20)

 


  設計上申案ということである。


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (21)

 


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (22)


 


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 実施案


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (23)


  ベルクさんのところが、案内所から現在の形の店舗になっている。


西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (24)

 


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (25)


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  上記が、新宿ステーションビルの地下1階及び1階の施設配置等の変遷である。


  


  ところで、この段階では、いわゆる「アルプス広場」がまだ無い。この待ち合わせ場所の比較検討図面も掲載されている。


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (26)


  この案は、改札の位置をホーム側に下げて、ラチ外にアルプス広場(団体待合ホール)を設けるものだ。


 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (27)


  一方、こちらは、改札の位置はそのままで、ラチ内にアルプス広場を設けるものだ。こちらが採用されたということか。ただし、図面左側の改札の配置が現在とは異なる。


  


 「東建工」からの図面等の紹介はこのへんでお終い。 

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西武新宿線の新宿駅ビル乗り入れの図面を国鉄の内部資料から確認してみる。~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(19)

「東建工」という書籍がある。日本国有鉄道東京建築工事局が 定期刊行しており、国鉄の建築屋さんの報文が載っている。ここに新宿民衆駅特集号があり、西武新宿線の新宿ステーションビル/マイシティ/ルミネエストへの乗り入れの痕跡を探ってみることにした。

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (1)  

  目次は上記のとおりであるが、ここから西武新宿線がどのように乗り入れるのかを拾っていこう。

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (2)  

  建築関係のスペックは上記のとおり。

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  西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (38)

 パースはこのとおり。新宿ステーションビルの左側(北側)に西武新宿線のホームが見える。 

  パースだけでなく、建築模型もいろいろな方向から撮った写真が掲載されている。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (5)

 図面と対比して如何だろうか。 

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (40)  

 大ガード方向に西武新宿線の高架橋が伸びる様子が分かる。 

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (34)

 上空から見たもの。この角度は初見。貴重なものだ。イメージしづらかった西武線ホームが新宿ステーションビルにどのような形で取り付いていたのかがはっきり分かる。 

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 私のブログでも、高島屋、伊勢丹、西武百貨店、地元商店街の魑魅魍魎の争いについて触れてきたところであるが、国鉄での整理は下記のとおりとなっている。 

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (41)

  

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (33)

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 実施設計の図面は下記のとおり 

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (28)

  

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (29)  

 1階の西武鉄道改札付近を拡大すると下記のとおり。 

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (30)  

  

  2階から上はこんな感じ。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (31)

 3階にも西武鉄道の駅務室がある。

 なお、鉄道ジャーナル2018年3月号 特集:山手線と新宿駅「新宿 膨張を続けるコングロマリットステーション」岩成政和
には
「新宿東口駅ビルの地下1階から2階に西武の駅施設が準備されていた」

旨書いているが、実際には、西武の駅施設は地下1階には無く、3階にある。

 2階の西武鉄道の改札、ホーム、ビルの吹き抜け付近を拡大すると下記のとおり。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (32)

  「2階の吹き抜けは西武鉄道が乗り入れるはずだった名残」という俗説があるが、下記の立面図を見ると電車が収まる高さも無い。

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (39)  

 また「回廊部分は、西武鉄道のホームとなるはずだった名残」という俗説もあるが、回廊ができた経緯は下記のようになっている。 

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (4)  

 6階から上の図面もあるけど、記事が冗長になるので省略。リクエストがあればお応えしますが。 

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  新宿ステーションビルの、国鉄、会社(新宿ステーションビル)、西武の費用負担や財産帰属については、下記のとおり整理されている。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (36)

  見てもさっぱり分からんかも。ご覧になる環境では字が小さくて見えないかも。枢要の考え方の部分を下記に拡大してみる。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (37)

  ステーションビルの西武専用部分と公衆利用分の一定割合を西武が費用負担して国鉄の財産となっているようだ。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (35)

 西武鉄道は約5600万円を負担しているようだ。 そして、この部分は乗り入れ断念に伴ってドブに捨てた形になったのだろうか?(上記の考え方によると西武が費用負担しても財産の帰属は国鉄にあるようなので。)

  「西武が乗り入れるために2階の構造は補強されていた」といった説があるのだが、それならこの表の「く体」部分の費用負担割合の考え方にそれが反映されていてもよさそうなんだけど、そんな記載は見当たらない。実際にビル内には電車は入ってこないので大した補強は要らないのではないかなあ??

  私は建築のプロではないので、お詳しい方ご教示いただけますと助かります。

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 西武新宿線の国鉄新宿駅乗入れ等に伴う乗降客の増減は下記のように想定されていたようだ。 

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (7)  

  また、2階の改札と1階の改札に係る動線等は下記のとおり。(肝心の西武線に係る動線が薄くてコピーに写っていない。。。)

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (9)  

  

西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (10)  

  西武線の新宿乗り入れについて述べるメディアには、2階の改札にだけ触れて、1階の改札には触れないものが多いのだが、実際には1階の改札の利用者の方が多いものと想定されている。そりゃ乗換え等を考えたらそうなるやね。

 西武新宿線のマイシティ乗り入れ図面 (6)

  乗降客数の推移については、上記の表も載っているのだが、さっぱり読み方が分かりません。お詳しい方是非ご教示を。。。

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  東建工「新宿東口民衆駅特集号」には、最終案に至るまでの比較検討の図面も掲載されており、そこでは、地下1階の改札で国鉄と西武新宿線の乗り換えを図ろうとしたこともうかがえるのであるが、頁のボリュームの都合から、次の記事へ回すこととしたのでご了解をば。

 

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2020年1月21日 (火)

新宿ステーションビルの店舗募集資料から西武線のホームと吹き抜けの関係を確認してみる~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(18)

 ルミネエスト(旧・マイシティ)の吹き抜けを、西武新宿線乗り入れの名残とするインチキ本は相変わらず多い。

 最近では、交通新聞社の「新しい西武鉄道の世界」がそのインチキに新たに名を連ねたところである。

交通新聞社「新しい西武鉄道の世界」結解喜幸氏の嘘  

 

 先日、「株式会社新宿ステーションビルディング事業案内」を閲覧する機会に恵まれたので、しっかりと検証してみよう。

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (1)

 カラーで西武新宿線が乗り入れている公式イラストというのは初見である。

 西武線のホームと屋根がビルの左側(北側)に伸びているのがお分かりであろうか?

 西武鉄道新宿線が国鉄新宿駅ビルに乗り入れるイラスト

  

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (2)

 裏表紙がこんな感じで上空から見た位置関係を示している。

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (16)

 

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (3)

  

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (4)

 地下2階図面右側上部の広がっていく部分の黒丸は、西武線ホームを支える柱を兼ねているのだろう。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (5)

  地下1階は、ラチ内のアルプス広場がまだ無く、図面左側の改札が現在と異なる。

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (6)  

  1階の右側、びゅうプラザの辺りに、西武新宿線の改札が見える。

 よく「2階に西武新宿線の改札が予定されていた」と言われるが、実際には1階もある。国鉄の資料を読んでいると1階改札の利用者の方を多く見込んでいたようだ。

 また、構想段階では地下1階の国鉄改札の横に西武新宿線の改札を設置する案もあったようだ。これは改めて紹介したい。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (7)

  西武新宿線1階改札付近の拡大図。オレンジの線は、旧駅舎だ。

 改札の前の利用者が滞留するであろう部分とビルとアルタ側から出入りする人の流れが交錯し、とっても使い勝手が悪そうだ。おちおち待ち合わせもできない。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (8)

  そして、お待ちかねの2階である。

 西武新宿線ホームがビルの右側(北側)に飛び出しており、吹き抜けは全くホームと独立していることがよく分かるだろう。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (13)

 西武新宿線ホームと吹き抜けがよく分かるように拡大してみよう。

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (15)

 

 下の図面は、国鉄が作成した図面である。西武新宿線は、ビルの左側に飛び出していることが分かる。

 また、ビルの吹き抜けの中には、西武線の建築限界と支障し、必要な高さが確保できていないことが分かるだろう。

 なぜこういった図面も確認せずに、交通新聞社は恥知らずなムックを出版できるのだろうか?

 「吹き抜けのアーチは、ホームの名残」という人もいるようだが、ホームとアーチは何の関係もないことも分かるだろう。

マイシティの吹き抜けと西武新宿線ホームの図面  

  ルミネエストのフロアマップと当初の図面を並べてみた。

 「ローリーズファーム」や「ニコロン」は、本来は西武新宿線のホームとなるはずだった箇所にあることが分かる。

 ルミネエストの吹き抜けと西武線ホームの位置関係

  西武新宿線の改札付近も拡大してみよう。

 「ホームを設置するために、2階は補強されている」という話も目にするが、図面を見る限りではよく分からない。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (14)

  4階から上は流していきますかね。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (9)

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (10)  

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (11)

  役員部分を拡大してみよう。

 濱野会長は地元新宿の実力者、井野社長は地下1階ベルクのオーナーの祖父、飯田氏は高島屋、小島取締役は西武鉄道社長、小菅取締役は伊勢丹社長だ。

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (12)

  

 この資料には、表裏で一枚紙の資料もある。こちらは各区割りの面積や賃貸条件も詳細に書いてある。 

 

西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (18)  

  

 西武鉄道が乗り入れるはずだった新宿ステーションビル (17)  

  主要なテキストを拡大してみよう。

 新宿ステーションビル(マイシティ)入居条件 (1)

  

 新宿ステーションビル(マイシティ)入居条件 (2)  

 

 

 

 

 

 

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2020年1月18日 (土)

西武新宿駅は、元々地下鉄乗換えを考慮して地下に設置する構想だった~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(17)

 相変わらず、西武新宿線の新宿駅乗入れを追っかけている。

 芝の三康文化研究所で西武の社内報を調べていたら、初見の話が出てきたのでご案内する次第。

 表題にあるように、西武新宿駅は現在盛土となっているが、当初は地下に設置する計画となっていたこと、またその盛土は旧日本軍の戸山射撃場跡地の土手を活用したものであること等が新たに分かったのである。

 


復興社の事ども(7) 事業部長 加藤 肇

 

 

 此の線は戦前古くから免許があつたものゝ田(ママ)であるが、一時これが取消されてあつたものを昭和二十三年新に免許を取つたもので、免許線の延長は二.四粁でその終点は現在の西武新宿駅より更に約五百米延長し、国鉄新宿駅東口に達するものである。高jは昭和二十五年に完成されたものであるが、当初新宿への地下鉄乗入線を予想し地下での乗換えの便を考慮して、終点附近は地下に潜ぐる様考えたのであるが、その附近での線路に直行する道路が多くこれを新線で中断することも出来ず、又新線の勾配限度と国鉄山手線の架道橋の関係から、どうしても地上より地下へ潜入する手段がとれずこれを断念し、現在の様に略々国鉄山手線と同一レベルで路線を建設したのである。

 この建設工事の特徴は、前にも触れた架道橋が多く特に新大久保の交通頻繁な箇所に於ける架橋工事と、殆ど全線が比較的高い盛土線で大量の土砂を必要としていたことである。この大量の土砂は幸い旧軍戸山射撃場の高い土手が不用に帰して居ったものを払下げを受けることが出来て、市街地にしては比較的遠距離を運搬することなく用が足りたのである。更にこれにもまして幸であつたことは、国鉄山手線の東側に沿うこの線の計画用地に属するところが、高田馬場の方から云つて社用地、国鉄用地(前記射撃場跡)続いて戦時中の強制疎開地で建物に懸るものが殆どなく、不法占拠の朝鮮家屋が二軒と国鉄倉庫の軒が少し触れる程度であつたことで、環状線内二粁の乗入れとしてはこの上ない幸運であつたと云えよう。但し国鉄が前期の射撃場跡に貨物駅の計画があつたとかで、山手貨物線に併行するこの線の計画に承諾を受ける迄の紆余曲折は相当のものであつたことを附記して置く。

 尚この線の国鉄東口駅舎迄の延長線は当然高架線となり、終点のホームは将来の本駅舎の二階に連なる格好となるが、その大凡の設計も国鉄と都の大体の了解を得て現在新宿で工事中の地下鉄の上部に交差して、近い将来施工することが出来るよう地下鉄の構造物も増強して設計され、唯今その工事中である。

 

 西武社内報 昭和33年9月15日号3頁から引用

 

 この記事を書いた「復興社」とは、現在の西武建設である。

 

 「当初新宿への地下鉄乗入線を予想し地下での乗換えの便を考慮して、終点附近は地下に潜ぐる様考えたのであるが、その附近での線路に直行する道路が多くこれを新線で中断することも出来ず、又新線の勾配限度と国鉄山手線の架道橋の関係から、どうしても地上より地下へ潜入する手段がとれずこれを断念」とあるのが最大の発見か?

 この地下鉄乗り入れとは営団丸ノ内線のことであろう。当時はオープンカットで地下鉄の工事をしていたことから靖国通り等を横断する地下化工事が困難であったということだろうか?

 また、その地下で西武新宿線が営団地下鉄丸ノ内線へ接続した場合には、国鉄新宿駅への西武新宿線への直接の乗り入れはなかったのだろうか?そこについての言及はない。

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 文中の大久保射撃場については、下記のサイトにまとめられているので参照されたい。

〇「大久保射撃場の設計図を入手した。」落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)

 https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2011-02-22

〇「陸軍射撃場―西早稲田(旧大久保)キャンパス」大学史資料センター 助手 伊東 久智 早稲田ウィークリー

 https://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2011b/1265/265j.html

〇「陸軍射撃場跡」新宿歴史博物館データベース

 https://www.regasu-shinjuku.or.jp/photodb/det.html?data_id=3625

 

 興味深いのは、戸山射撃場跡地の米軍接収解除が1955(昭和30)年、払い下げが1958(昭和33)年というのに、西武新宿線は1952(昭和27)年には、射撃場の土を使って西武新宿駅までの延伸工事を完成させているところである。堤康次郎の政治力あってのことであろうか?

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 「国鉄が前期の射撃場跡に貨物駅の計画があつたとかで、山手貨物線に併行するこの線の計画に承諾を受ける迄の紆余曲折は相当のものであつた」については、草町義和氏が「西武「大久保駅」構想は、なぜ幻となったのか」https://toyokeizai.net/articles/-/85651?page=3に記している「国鉄「戸山原貨物駅」の計画」に関係するのであろう。

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  「現在新宿で工事中の地下鉄の上部に交差して、近い将来施工することが出来るよう地下鉄の構造物も増強して設計」については、「丸ノ内線建設史」下巻https://metroarchive.jp/content/ebook_marunouchi.html/図85も併せて参照されたい。

 西武新宿駅と丸ノ内線

  

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  西武新宿駅といえば、歌舞伎町とも深いかかわりがあるが、西武の社内報にはこんな記事も掲載されている。


復興社の事ども(9) 事業部長 加藤 肇

不動産関係事業その二

区劃整理という事業

 

 堤会長の区劃整理に対する全面的協力は単に池袋東口に対してのみではない。新宿歌舞伎町の第二次区劃整理に対してもそうであり現に北所沢で施工中のものに対しても同様である。(中略)

 そのころ西武電車が高田馬場から今の西武新宿駅まで延長され、会社が新宿に特別密接な関係ができるに及んで、堤会長は歌舞伎町区劃整理組合長鈴木喜兵衛氏その他地元の要請を入れて第二次の区劃整理の事業計画を立て、思い切つた構想のもとに事業の推進を図られたのであるが、その際歌舞伎町発展のもつとも癌とされて居つた都バス車庫の移転先を社有地である淀橋の井伊亭跡として、これを提供するとともに莫大な事業費をも投入してこの区劃整理を遂行せしめ、全く見違えるような今日の歌舞伎町、延いては新宿の繁栄を来たさしめる原動力となつたことは、単に地元新宿区民はもとよりのこと東京都知事以下、心ある都民の斉しく熟知しているところである。

 

 西武社内報 昭和33年11月15日号3頁から引用

 

 

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