カテゴリー「貨物新幹線」の4件の記事

2018年9月 2日 (日)

貨物新幹線の詳細な計画を国鉄新幹線総局OBが残していた

 「東海道貨物新幹線は世界銀行向けのダミー、ポーズだった」説に執拗に反論している私であるが、貴重な資料を収集したのでご披露申し上げる次第。

第13話=世銀借款

 

 この貨物問題に関しては、当初から国鉄側も頭を悩ませていた。技師長・島の頭には、のっけから貨物新幹線構想の「貨」の字もない。速度の違う旅客と貨物が同じ路線に混在するからこそ、東海道の輸送力がますます逼迫するのだ。(略)ハイウェイのように速度によって棲み分けさせることが新幹線の大前提である。しかし、国鉄内部にも根強い貨物新幹線論者が存在したし、なにより当時のアメリカでは、旅客輸送は「5%ビジネス」であった。鉄道輸送の95%は貨物であり、旅客はもっぱら自動車と航空機に移っていたのである。

 そこで、世銀への説明資料には、貨物新幹線の青写真も挟み込むことになった。将来は貨物新幹線も走らせたい・・・・・・という世銀向けの苦しいポーズである。当時のパンフレットや世銀向けの説明資料をみると、貨物新幹線のポンチ絵、つまり簡単な設計図が入っている。

 

新幹線をつくった男 島秀雄物語」髙橋団吉・著 小学館 193~194頁から引用

 この高橋団吉のような一面的な見方をする方は割と多くいらっしゃるのだが、その根拠としては島秀雄氏の「D51から新幹線まで」だったりするのだろう。島秀雄氏はこの中で下記のように語っている。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (13)

 

 ところが、私が以前からブログにUPしているように貨物新幹線の実現に向けての現場の動きは着々と行われている。

 これについて実際に貨物新幹線を担当していた角本良平氏は、「角本良平オーラル・ヒストリー」において、下記のとおり述べている。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (14)

 この辺の経緯は、かつて「貨物新幹線の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その1)」にまとめたところだ。 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-6d9d.html

 

 ところで、この角本版の貨物計画について、詳細に記している国鉄職員の手記があった。

 当時、国鉄新幹線総局に勤務していた高橋正衛氏による「新幹線ノート」である。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (1)

 ここに出てくる「開業準備委員会」は、

東海道新幹線開業準備委員会

 東海道新幹線開業後の運営に関する基本的事項及び工事過程における重要事項について総合的に調査審議するため、(昭和)37年10月設置した。

 

「昭和39年 交通年鑑」から

 ここで高橋氏が記述している場面は、十河総裁らが新幹線工事費不足等を原因に更迭されたことを受けて開業に必要(最小限)な範囲の工事範囲を議論しているものだ。新幹線の編成を6両編成にするような予算削減策も検討されたことがうかがえる。

 ここで「三、 旅客営業の開業に必要な主要設備とする。」という記載がある。つまり、「貨物は昭和39年10月の開業には含めない。」ということがここでオーソライズされたということではないか。

 よく「予算不足のため貨物新幹線は完成しなかった」と言われるが、その具体的な経緯がここに示されていると言えるのではないか?

 この後「新幹線ノート」の158頁にも「新幹線工事費の(略)最終予算額のなかに貨物輸送計画の予算は、一部貨物駅用地等の取得を除き含まれていない。」とある。

 例えば鳥飼貨物駅の用地買収費と、開通後に工事を行うことが困難な本線上空通過部分の構造物のみといった予算配分がなされたのではないだろうか?

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 ところで、東海道新幹線の建設誌(建設史)は、国鉄としての全体版がなく、各工事局毎にバラバラと出版されているのだが、これについても高橋氏は、全10巻(各500ページ)の東海道新幹線建設史の出版が部長会で承認されていたが、予算超過問題の中で無駄な出資を押さえるべきとの理由で中止され、後日各工事局で個々に発刊されることとなったとその背景に触れている。

 予算不足でできなかったのは、貨物新幹線だけではなかったのである。

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 閑話休題。貨物新幹線計画に戻ろう。

 高橋氏は角本氏から貨物輸送計画について聞き取りをしたり、資料を借りて書き写したりしている。それが「新幹線ノート」に掲載されているのである。

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (2)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (3)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (4)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (5)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (6)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (7)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (8)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (9)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (10)

 静岡の「抽木」は「柚木」の誤りであろう。

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (11)

 名古屋貨物駅の「日比津」は現在の車両基地である。当時の国鉄広報誌ではここも「貨物線用の工事」として紹介している。貨物新幹線用工事の名残は鳥飼だけではないのである。

 また、貨物新幹線は在来線とは直通できないわけだが、市中に「デポ(貨物取扱所)」を設けることでカバーしようとしていたということだろうか?

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (12)

 

貨物新幹線は世界銀行向けのダミーというのは嘘 (15)

 「M補佐」は、「角本良平オーラルヒストリー」に出てくる「貨物輸送設備・制度」担当の「森繁」氏のことであろうか。

新幹線総局

 島秀雄氏や高橋団吉氏のいうように貨物新幹線が世銀融資を獲得するための見せかけの方便にすぎないものであればこのような沈滞感は醸し出されないことであろう。

 世銀のためのダミーであれば、嘘をついた十河や島もいないし、何もせずに適当に世銀向けの言い訳だけ作っておけばよいはずである。

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 高橋氏が触れている貨物輸送計画であるが、運輸界1959年6月号「東海道広軌新幹線について」矢田貝淑郎(国鉄幹線調査室総務課) ・著 10頁にでてくるA案、B案、C案とは整合がとれていることを付言しておく。

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (1)

 

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (2)

 

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (3)

 

昭和34年5月現在の貨物新幹線計画 (4)

 

 なお、高橋氏の「新幹線ノート」によれば、佐藤大蔵大臣がIMF年次総会に出席の際に世銀の意向を打診したのが1959(昭和34)年9月、島氏も触れる世銀ローゼン氏が来日したのが1959(昭和34)年10月であるから、この矢田貝氏が執筆した貨物新幹線の計画は「世銀に言われてでっち上げた」にしては時空を遡りすぎであることを申し添える。

 

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(関連記事)

阪神高速道路が直結するはずだった新幹線大阪貨物駅

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東海道新幹線開通後の貨物新幹線に係る国鉄の取り組み等(貨物新幹線は世銀向けのポーズなのか)

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貨物新幹線の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その1)

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2016年5月14日 (土)

貨物新幹線の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その1)

 「貨物新幹線は世界銀行向けの見せかけのものだ」という論がある。

第13話=世銀借款

 

 この貨物問題に関しては、当初から国鉄側も頭を悩ませていた。技師長・島の頭には、のっけから貨物新幹線構想の「貨」の字もない。速度の違う旅客と貨物が同じ路線に混在するからこそ、東海道の輸送力がますます逼迫するのだ。(略)ハイウェイのように速度によって棲み分けさせることが新幹線の大前提である。しかし、国鉄内部にも根強い貨物新幹線論者が存在したし、なにより当時のアメリカでは、旅客輸送は「5%ビジネス」であった。鉄道輸送の95%は貨物であり、旅客はもっぱら自動車と航空機に移っていたのである。

 そこで、世銀への説明資料には、貨物新幹線の青写真も挟み込むことになった。将来は貨物新幹線も走らせたい・・・・・・という世銀向けの苦しいポーズである。当時のパンフレットや世銀向けの説明資料をみると、貨物新幹線のポンチ絵、つまり簡単な設計図が入っている。

 

新幹線をつくった男 島秀雄物語」髙橋団吉・著 小学館 193~194頁から引用

 他方、ご自身が国鉄の技術者として新幹線建設に従事した長・元信州大教授はこう述べる。

 東海道新幹線の計画から開業後の暫くまで、国鉄の責任者・関係者は貨物輸送を真剣に考えていたことは、次のような幾つかの事実から間違いない

*東海道新幹線の建設基準にある活荷重(列車荷重)は、N標準活荷重(貨物列車荷重)とP標準活荷重(旅客列車荷重)とからなっていて、平成14(2002)年に改正されるまで、この基準は生きていた。

*貨物駅のための用地買収が各地でなされていた。

*貨物列車を引き込むための本線を跨ぐ施設が造られていた。しかも大阪鳥飼の車両基地への貨物引き込み用の構造物は世銀からの借款の調印の昭和36年5月2日から一年後に着工している。もし世銀から融資を受けるためであるならば、予算膨張に悩んでいたので、前項の用地買収を含めてこんなに見え見えの無駄なことはしなかったはずである。

*東海道新幹線開業後の昭和40年3月15日の国会の法務委員会で、国鉄常務理事が「国鉄といたしましては、新幹線を利用いたしまして高速の貨物輸送を行なうということが、国鉄の営業上どうしても必要なことでございまして、またその需要につきましても十分の採算を持っておりますので、なるべく早く新幹線による貨物輸送を行ないたい、こういうふうに考えて計画を進めております」と答弁している。

 確かに、当時の技師長の島秀雄氏は開業後に「世界銀行に対しても一応本心は伏せて、新線でも貨物輸送をしないわけではないという態度でのぞむことにした」と語っているので、作者の高橋氏もそれに基づいて書いたのであろう。個人的に島氏がそのように考えていたかもしれないが、事実は上記したように、国鉄として旅客だけとする意思統一はまったくされていない 。そればかりか、開業後も暫くは貨物輸送を真剣に考えていたことは間違いない。島氏は車両設計が専門で、新幹線建設工事や建設費などについては詳しくなく、基本的にこの問題には関わっていなかったはずである。

 

高橋団吉著「新幹線を走らせた男 国鉄総裁十河信二物語」について 長 尚のホームページ

 私も貨物新幹線についてはいくつかの記事を書いてきたところである。

阪神高速道路が直結するはずだった新幹線大阪貨物駅

東海道新幹線開通後の貨物新幹線に係る国鉄の取り組み等(貨物新幹線は世銀向けのポーズなのか)

 島の思いはどうあれ、貨物新幹線が実際に取り組まれていたのは間違いない。しかし、島の気持ちと現場の進み方のギャップがどうも腑に落ちない。

 そこに国鉄新幹線局営業部長等を歴任し、実際に新幹線の貨物計画に携わり、「新幹線開発物語」等の著書でも貨物新幹線に触れていた角本良平氏のオーラルヒストリーに出会ったので、貨物新幹線に関係する箇所を紹介していきたい。

 菅 世銀に対しては、少なくともこの時点では「貨物輸送もやる」という前提でお話されているわけですね。

角本 「徹底してやる」と。

菅 そのあたりのことも、角本さんがご担当されたんですか。

菅 そうです。私は旅客、貨物と両方やっていまして、前後を正確に言えませんけれども、1960年の秋にアメリカの貨物輸送を見てからは、世銀との関係も随分やりやすくなった

 ただ、世銀の相手もあまり馬鹿じゃないから、貨物輸送をやるかやらないかということについては、島さんはやるそぶりはみせていたけれども「これは本当かうそかわからないな」ということは、最後の段階で気がついていたと思いますね。

二階堂 角本さんが実際に貨物輸送を説明された感触として、そうじゃないかと。

角本 そう。

二階堂 ということは、角本さんの説明もある意味、旅客を重点にされていたということなんですか。

角本 いやいや、そうじゃない。私は、貨物駅の用地まで買っているわけだし、大井埠頭の海の上を買っているわけですから。その段階では、私はやるつもりでいます

二階堂 では、世銀の人がそう気づいたというのはどういう節で。

角本 島さんがあまりのり気じゃない様子がわかってきたんじゃないか。私は最後までやりたかったんです。

 

「角本良平オーラル・ヒストリー」226頁~227頁から引用

「1960年の秋にアメリカの貨物輸送を見てからは」というのはどういうことなのか。

二階堂 1960年の11月、アメリカに視察に行かれたときの話をちょっと伺いたいと思うんですが、これというのは生産性本部の視察団ですね。その報告書が出ていまして、メンバーを見ると貨物関係の方々がたくさんおられて、貨物の近代化の現状也をアメリカに見に行くという視察だったと思います、角本さんがこれに加わることになったきっかけというのは何だったんですか。

角本 私は個人的なつながりだと思います。この事務局をなさったのが、鉄道貨物協会の事務局長をしていた宮野武雄さんで、私の中学の7年ぐらい上の先輩で、昔、私が金沢管理部で見習いをしていたときの業務課長です。その人が私のことを知っていて、誘いがかかった。ただ名目から言えば「新幹線に貨物輸送をやる」というのが理由なんです。

(中略)

二階堂 では、そういう個人的なつながりで呼んでいただいて、角本さんはそのなかで、例えばピギーバックとか、大型コンテナとか、そういうのを・・・・・・。

角本 そう。「新幹線に応用できる技術がないか」ということで一生懸命見て歩いたということです。

(中略)

二階堂 これを見て、日本の新幹線計画にどういう見通しを持たれたか、そこをお聞きしたいんです。

角本 10何トンのピギーバックの大型コンテナはとても無理でした。日本の道路では動けません。ですから、「これを5トンコンテナの我々の計画に直して、同じアイデアで方式を決めればよい」と考えました。大きさを見にサイズ、大体3分の1にするという感じです。「新幹線について考えていた計画は変える必要はありません」と。

二階堂 コンテナやピギーバックというのは、トラック業界との「共同輸送」が盛んにできるという名目で計画されていたと思うんですが、日本だと通運業者との協力が必要ということになるわけです。その見通しというのは、当時どう思っていらっしゃったんですか。

角本 これは日本通運が既に5トンコンテナを試しで使っていましたし、当然やる気になると思っていました。(後略)

 

「角本良平オーラル・ヒストリー」232頁から引用

 世銀借款が締結されたのは、1961(昭和36)年である。

 島隆が研修期間を経て本社に戻ってきたのは昭和33年である。(中略)隆は新幹線設計グループの1期生。(中略)

「貨物新幹線用のラフスケッチをもっともらしく描いてくれ」

 ある日、隆は幹線調査室の調査役から、こんなふうに頼まれた。(後略)

 

「新幹線をつくった男 島秀雄物語」髙橋団吉・著 小学館 194頁から引用

 これは、冒頭に引用した「貨物は世銀向けのポーズ」という文脈で髙橋氏が記載しているのだが、これで見ると「もっともらしく描いて」というところが「ポーズ」らしく読めるのだが、この「幹線調査室の調査役」は貨物も含めた営業担当調査役の角本氏ではなかろうか?車両担当の加藤一郎氏という可能性もあるが。後にアメリカに貨物新幹線のために視察に行った担当調査役が命じたとなれば意味合いは全く逆になってくるのではないか?そういう意味では髙橋氏はミスリードしている可能性がある。「島秀雄物語」では角本氏にも取材しているのに。。。

幹線調査室

 当時の幹線調査室はこのような体制だった。

 また、世界銀行融資決定後に国鉄法を改正して貨物新幹線に必要な通運体制を確立しようとしている。ダミーならこんなことしませんぜ。

○關谷委員 次に、今後対象となりますもの、これが業界あたりで非常に疑心暗鬼と申しますか、大へん心配をいたしておるところでありますので、一つお尋ねをいたしたいと存じます。(中略)

 第三は東海道新幹線荷役会社というふうなもの、東海道新幹線関係の荷役は、全部直営にするというふうにいわれておるのでありますが、それがどういうふうになるのか、その点もあわせて伺いたいと思います。第四はピギーバック会社、これはどういうふうなことになりますか、この点を業界あたりが間違えないようにはっきりとお答えを願いたいと思います。

○磯崎説明員 ただいま御列挙されました各事業につきましては、内容のはっきりしないものもございますが、一応今私どもの考えておる立場からだけ御回答申し上げます(中略)

 それから、三番目と四番目の、東海道の新幹線関係の貨物輸送でございますが、東海道新幹線関係の貨物輸送を私どもの方が直営する意向は全くございません。しかしながら、東海道新幹線の貨物輸送は、原則として、先ほど四番目のピギーバック、すなわち自動車の足のついたまま貨車に載せるという案よりも、むしろ足をとりまして、現在町中でごらんになるコンテナの輸送を考えておりますので、コンテナ輸送につきましては、通運業者と国鉄と合体した会社を作る必要があるのではないかということを今研究いたしております。

 

昭和37年3月16日衆議院 運輸委員会議事録から引用

 ピギーバックの扱いが角本氏の訪米視察の結果どおりとなっている点も興味深い。

二階堂 貨物営業のことについてちょっと伺いたいんですけども、貨物営業の計画というのは、この時期かなり具体的に進んでいますよね。例えばターミナルの用地の買い上げなどです。

角本 それが島さんと兼松さんはまことにずるい人で、私に対しては「貨物輸送は最後までやるよ」というような顔していた。私は、大まじめで大井ふ頭の土地を買いました。それから、静岡も名古屋も大阪も貨物駅の用地、みんな買ったんですよ。

二階堂 名古屋は日比津、静岡は柚木ですね。

角本 そう、柚木です。大阪は鳥飼。

二階堂 あとは、コンテナの規格を決めて、在来線は縦で新幹線は横にするとか、そういう具体的なことまで・・・・・・。

角本 そうそう。その寸法を決めて、在来線のコンテナ規格を決めるときに、「直角に曲げれば新幹線貨車に5個載せる」ということまで決めました。具体計画の直前まで決めて、担当者も私も大真面目でやっていた。世界銀行に対しても、「やらない、うそだ」ということは一言も言わなかった。

 ところが、島さんと兼松さんは、「それはうそである」ということを承知でやっていた。そこのところにギャップがあったということです。

二階堂 実際のところ、本当にやる気がなかったのか、あるいは旅客の二の次にしていたということでしょうか。

角本 いや、そうじゃない。彼らはずるいですから、本当にやる気がなかった。それでいて、私に大井埠頭の海の上を買わせたということです。

二階堂 では、完全に無駄な・・・・・・。

角本 それが無駄じゃない。あの大井埠頭の土地があったんで、今どれだけ助かっているか。あそこがなかったら、今は電車置く場所ないでしょう。それは、新幹線の旅客電車を置く場所でもあり、貨物のヤードでもあったということで、大きな土地を買った。そのうち新幹線旅客用は、今、そのまま生きていて、貨物用地のなかへ進入していったし、膨らませていった。だから今でもびくともしないということだと思います。

鈴木 当時、大井埠頭は将来のことまで考えて買ったんですか。貨物のために買ったはずなんだけれども、そのままだったら、本当に無駄になりかねなかったのではないでしようか。

角本 東京都にしてみれば、海の上ですから買い手がない。できるだけたくさん買ってくれるお客は大歓迎。こちらは、できるだけ広く買っておけば、 東京が伸びるから無駄にならない。両方の思惑が一 致した。だから海の上をでっかく買ったんです。そういう意味では、貨物のことだけではなく、将来のことを考えて買ったわけです。 ただし、「羽田のそばはやかましい」ということで、北のほうへずらして買った。そのとき、たしか南は 京浜二区という埋立地だった。「京浜二区では嫌だ、もうちょっと北のほうがいい」と言ったときに、東京都は何も言わなかった。ですから、品川からすぐ電車を入れられるという場所が確保できたわけです。これは、私がしたうちの一番いい仕事のうちの一つでしょうね。

渡邉 鳥飼基地というのは、もともと貨物営業用を想定して・・・・・・。

角本 貨物用として買ったと思います。

鈴木 あそこは、もともと何だったんですか。

角本 おそらく淀川の湿地帯じゃないでしようか。ほかの利用があまり進んでいなかったから買えたと思います。その意味では、名古屋の西のほうもそうだった。庄内川の西側でしょう。

菅 結局、新幹線の貨物ターミナルにはならなかったけど、みんな生きていますよ。名古屋は新幹線の車両の置き場になったし、静岡は在来線の旅客車を置いているのかな。

角本 静岡、柚木のところね。そうでしよう。

菅 大井は、お話があったとおり、新幹線の車両基地と東京貨物ターミナルになっているしね。それでも土地が余ったから、東京貨物ターミナルの一部は、一時ベトナム難民の収容キャンプみたいに使われたことがありましたね。

角本 ああ、そうですか。

渡邉 用地を買われたときに、車両基地だったら全く周囲と孤立した島みたいなものですけども、貨物駅になると、そこに通運の店が来たり、地域との関係も出てくるわけですね。ですから、土地を買うときにも、単なる車両置き場になるのか、それとも、そこに貨物駅ができて、周辺との物流との起点になるのかというのは大きな違いがあるように思うんで すが。

角本 買うときには、そこまで言わなかったと思います。ですから、貨物の場所、旅客電車の場所、 それぐらいの大まかな話だけをして、東京都と話がついたんじゃないでしようか。東京都としては売りたい一心ですから、私たちはお客様だったんです。 海だった、水の上を買ったわけですから。

渡邉 鳥飼についても、貨物だから売ったとか。

角本 いや、そういうことはないと思う。

菅 それは逆に、新幹線の車両基地が先にできて、隣接地はずっと長い間使われていなかったんですけれども、大阪に在来線の貨物ターミナルをつくることになりまして、実際につくって、今、稼働しているんですが、それについては結構反対運動があったんです。特に吹田操車場から持ってくる鉄道をこしらえなければいけませんね。これなんかはすごい反対運動を受けて、菅原操さんが大阪工事局長 として話をおさめるのに随分苦労されていますよね。

 

「角本良平オーラル・ヒストリー」244頁~246頁から引用

大井貨物駅跡

柚木貨物駅跡

日比津貨物駅跡

鳥飼貨物駅跡

 次に、島の「トリック」について引用してみる。

二階堂 貨物担当の補佐だった森繁さんが書かれた資料をちょっと拝見したことがあるんですが、1963年7月、要するに大石さんたちが辞めてすぐ、角本さんは貨物営業のことに関して石原常務に説明されているんですね。 そのときには、角本さんは「貨物をやるべきだ」 と言われているんですが、石原さんは「採算は多分 とれないだろう」というようなことを言われて、「それでもやる意義があるのか」と尋ねられて、角本さんは「トラックへ対抗するという意味、それから通運業者に対して国鉄の態度を示すという意味で、 貨物はやったほうがいい。将来性もあるんだ」というようなことを言われて、旅客営業から1年おくれ の1965年10月に貨物営業開始ということで、石原さんも合意された。そういう記録があります。 それに加えて、1964年の座談会なんかを拝見し ますと、当時の今村営業局長も「新幹線を使って貨物営業が早くできないか」ということを模索されていたようです。こういうことから考えると、先ほどのトリックというのは、ごく一部の方しか知らなかったということでしょうか

角本 大石さんがどうか知らないけど、島さんと 兼松さん、そこらでしょう

二階堂 遠藤鐵二さんはどうだったんでしょう

角本 中立でしよう。どちらでもつくと。

二階堂 角本さんは、営業部長退任のときまで、トリックということは全く気づかなかったわけですよね。

角本 気づかなかったし、たとえトリックであっ ても、逆に突破しようと思っていた

二階堂 「トリックなんじゃないかな」というようなことは、薄々は・・・・・・。

角本 思わなかった。私は突破できると思っていた。

二階堂 石原さんも、こうやって論破しているということで、それが「実際にはやる気がなかったんだな」ということがわかったのはいつだったんですか

角本 十河、島が辞めたときです。

二階堂 それは1963年になるわけですが、そのときも角本さん、大まじめに貨物のことをなさっているわけです。

角本 はい。私は自分で突破できると思っていた

二階堂 島さんの真の意思を知ったのは、どういう きっかけだったんですか。

角本 島さんが辞めるころ「島さんはやる気がなかったんだな、ごまかしだったな。兼松さんもごまかしだったな」ということは、私にはわかった。しかし私は「これはやるべきだ」と思っていました。 だから、中公新書の「東海道新幹線」に「貨物をこうやります」ということを書いたということです。 これは1964年の2月に出した本です。

二階堂 「突破できる」というのは、石原さんへの 説明にもあるように、「トラック対抗」ということ と「通運対策」ということなんですが、将来的に新幹線貨物をやればトラックに対抗できる根拠という のは、どういうことだと考えていらっしやいました か。

角本 時間です。ということは「夜遅く集めて、 朝早くに着く」という何本かの列車をつくっておけ ば、その分は貨物を確保できる。そう信じていた。 これは、トラックより断然速いし、しかも確実ですから、「これはやれる」と。

二階堂 「通運対策」というのは、具体的にはどう いうことですか。

角本 通運業者は、利益があればよいわけですから。自分のトラックであろうと、国鉄利用であろう と、彼らは利益があればやってくれる。

二階堂 では、「その利益を彼らに充分与えられる」と。

角本 そうです。「そうすれば、彼らもまた鉄道 に戻ってくるだろう」と。ですから、東京・大阪という地区について、雑貨がそれぞれに動くということで、大部分はトラックであっても、国鉄利用の部分も残ると考えていた。

二階堂 通運業者を通さず、国鉄がコンテナを直営するということは考えておられましたか。

角本 いや、直営というのは手足についてはでき ません。やはり荷主との直接接触は通運業者でない とできない。

二階堂 「貨物営業が経理の上では赤字になる」という石原さんの指摘についてはどうですか。

角本 私は赤字になるとは思わなかった。ということは、線路が既に存在するわけですから。それから、貨物用地も既に押さえてあるということですから。列車本数は限られている。だから、限られた列車本数を満たすだけの貨物は充分集められると考えていた。

二階堂 「途中のヤードでつないで、離して」ということではなく・・・・・・。

角本 「それでないから成功する」ということです。しかも、「ダイヤどおりにあなたの貨物は動きます」ということですから。

渡邉 その意味では、貨物列車は1日に1本でも2本でもよかったわけですね。

角本 そうです。

菅 貨物に関して、実際に需要の想定とか、運賃の試算といいますか、そういうことも当時なさいましたか。

角本 はい。ですから、貨物の担当で森さんはじめ3人か4人来ていたと思いますし、実際に貨物駅の用地は4駅とも買ったわけですから、それをそのまま利用して、しかも夜明けに列車を入れるという ことで充分できると思っていました

二階堂 九州方面や東北方面と、どうつなぐかとい うことは・・・・・・。

角本 そこまでは考えなかったと思います。九州まで考える余力はなかったし、山陽新幹線がいつできるかも当時はわからなかった。

二階堂 いえ、そうではなくて、大阪で在来線に積みかえてやるという形です。森さんの資料では、そういう内容も出てくるので・・・・・・。

角本 それはやっていたでしよう。我々は「貨物営業はやるものだ」と信じていて、それで上の人が 「やめろ」と言った。しかしこちらは「突破できるんだ」と思っていたということです。

 

「角本良平オーラル・ヒストリー」246頁~248頁から引用

 このあたりの経緯は、私の知る限りでは今まで明らかにされていないと思う。

 「島は貨物やる気ない」「現場は土地も買ったし準備工もやってる」「国鉄だけではなく通運業者も動いている」「開業後も暫くは貨物輸送を真剣に考えていた」という矛盾が今まで繋がらなかったのだが、ここで繋がるわけだ。

 「島は貨物やる気ない」
 ↓
しかし、島は在任中は内外に「やる気ない」とは言わなかった(むしろ社内にも「最後まで貨物はやる」という姿勢を示していた(角本氏のいう「トリック」))
 ↓
現場は当然貨物の準備をする
 ↓
「現場は土地も買ったし準備工もやってる」
 ↓
角本営業部長(貨物担当)は、島が辞める頃にやる気がないと気づく
 ↓
それでも突破できる(すべき)と考え、島辞任後も貨物実現に向けて動く
 ↓
「開業後も暫くは貨物輸送を真剣に考えていた」
山陽、東北、上越新幹線も貨物走行可能な規格で建設
 ↓
島は国鉄を辞めた後に「貨物やる気なかった」と公言

という流れで宜しいんじゃないかと思う。

新幹線総局

 こちらは新幹線総局の組織図。ちゃんと「貨物担当の補佐だった森繁さん」がいらっしゃる。

 

 (その2)では、長氏の指摘する「*貨物列車を引き込むための本線を跨ぐ施設が造られていた。しかも大阪鳥飼の車両基地への貨物引き込み用の構造物は世銀からの借款の調印の昭和36年5月2日から一年後に着工している。もし世銀から融資を受けるためであるならば、予算膨張に悩んでいたので、前項の用地買収を含めてこんなに見え見えの無駄なことはしなかったはずである。」つまり予算超過問題について角本良平オーラル・ヒストリーから紹介してみたい。

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2015年1月31日 (土)

東海道新幹線開通後の貨物新幹線に係る国鉄の取り組み等(貨物新幹線は世銀向けのポーズなのか)

阪神高速道路が直結するはずだった新幹線大阪貨物駅 において、「新幹線の貨物輸送は世界銀行の融資を受けるためのダミー(フェイク)」説について、主に建設時の国会議事録等を中心に検証してきたが、この項では、東海道新幹線開業後の貨物新幹線に係る国鉄の取り組み等を検証してみたい。

 この提案を受けて国鉄はさっそく世銀との接触を開始する。(中略)また、当時の世界では、鉄道は「経済動脈」として旅客と貨物をあつかうことが常識だった(世銀の本部が置かれるアメリカでは当時、鉄道輸送のじつに95%が貨物であった)ため、東海道新幹線による貨物輸送のプランも示す必要に迫られた。

 とはいえ、技師長である島の頭にははなから貨物新幹線構想などなかった。世銀への説明資料には貨物輸送の青写真も加えたものの、それはあくまでもポーズだった。このプランでは、新幹線における貨物輸送は、コンテナとピギーパック方式(トラックを直接貨車に積み込む方式)により、夜間輸送、東京~大阪を時速150キロ、5時間半程度で結ぶことが示されていた。

新幹線と日本の半世紀」交通新聞社刊、近藤正高著 76~77頁

 このように「世銀への説明資料には貨物輸送の青写真も加えたものの、それはあくまでもポーズだった」との趣旨で記す本は多い。また、当の島秀雄氏も下記のように語っている。

島はしみじみと回想する。

「私たちの新幹線に対する基本的な考え方は、東海道在来線の貨物を含む総輸送力を最も合理的に強化する方法として、新線を旅客中心にしてしまうということだった。つまり新線建設によって在来線には以前よりはるかに大きな貨物輸送力を確保することができるという、総合的な見地から決めたものであり、東海道輸送力増強の方策としてはわれわれの新幹線原案こそが最良最高のものであると考えていた。

  ところがこの考えを国鉄内部でも理解することなく、新線にも貨物輸送をすべきだと単純に発言する者もあり、まして世界銀行に理解してもらうには時間がかかりすぎるおそれがあった。

  したがって世界銀行に対しても一応本心は伏せて、新線でも貨物輸送をしないわけではないという態度でのぞむことにした。しかし、話し合っている最中にもつい本心が出てしまいそうで、はらはらしながらの交渉だった。日本語で日本人に話してさえなかなか理解してもらえないのに、外国人に外国諾で話すのではとても無理だろうな、と何度も思った。

  ところが私たちの話を聞いたローゼンさんのほうが、『そういうことであれば、在来の東海道線は貨物輸送を中心とし、新線は旅客中心でやることにしたほうが新線建設の意味も大きいのではないか』といってくれたので、ホッとした。(以下略)

超高速に挑む 新幹線に賭けた男たち」文芸春秋刊、碇義朗著 181~182頁

 また、JR東海元会長の須田寛氏は、下記のように述べている。

須田 (中略)しかし大きな課題は、新幹線の建設資金は世界銀行から約1億ドル借りることでした。

- 世界銀行というのは国際復興開発銀行(IBRD)のことですね。

須田 IBRDは開発途上国や戦災復興の援助を目的に設立された機構です。したがって貨物をやらないような鉄道には援助はできない、貨物も旅客もやってはじめて日本の開発になるのだから、Developmentになるのだから、旅客だけでは協力しにくいと言われたので、貨物をやりますと言わざるを得なくなってしまったのです。それでいずれは貨物もやることになって、鳥飼貨物駅を新幹線基地の横に造ったりしましたが、新幹線開通のころになると、貨物をすぐやる気持ちはほとんどなくなっていましたね。今のように新幹線と在来線で使い分けて東海道の線増効果を出そうとしたのが経緯でしょうね。

- 結果論ですが、東海道新幹線で夜行貨物列車を運転していたら、貨物の輸送シェアも変わっていたのかと思ったりします。

須田 輸送シェアはともかく、新幹線で郵便と新聞の輸送をやることは強く要請されました。これは貨車ではなくて電車でいいからと。しかしいざ実施となると、新幹線で輸送時間の厳しい新聞輸送をやるとダイヤが構成できないだろうということになってお断りしましたが、民営化の頃までこの要請はありました。一時期「RAIL GOサービス」をやっていましたが、あれはそのような要望の一部に応えたのです。(以下略)

須田寛の鉄道ばなし」JTBパブリッシング刊 68頁

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 しかしながら、上記の「定説」と異なり、東海道新幹線開業後も貨物新幹線の実施について検討した証拠は残っている。

 元日本国有鉄道総裁の仁杉巌氏は、東海道新幹線開業後の昭和43年に下記のように述べている。

貨物輸送

 新幹線は、いま貨物輸送をおこなっていませんが、将来それをおこなう考えは十分にあり、そのために最初からいろいろ研究していましたし、貨物駅の用地もすでに買入れてあります。

 はじめから貨物輸送をおこなわなかったのは、一つは、旅客輸送のための工事だけで資金がいっぱいだったことと、もう一つは、新幹線で大急ぎに荷物を運びたいという要望がまだそれほど高くなかったからです

 (中略)

 そこで、いずれ新幹線による貨物輸送をもとめる声も高くなってくるだろうと思いますが、そのときは、おそらく新幹線が関西よりももっとさきへのびたときではないかと考えられます。つまり、現在建設中の山陽新幹線が下関までのびたときとか、博多までのびたときとかです

 (中略)

 新幹線が日本を縦貫するようになったそのときこそ、新幹線は、直接、産業開発の一與もにない、日本の発展のために、もっともっと大活躍することになるのだろうと思います。

世界一の新幹線」鹿島研究所出版会刊、仁杉巌・石川光男共著 157頁

 この本は、子供向けに出版されたものなので、口調が子供向けに平易になっている。

 なお、この本が出版されたのは、昭和43年であり、新幹線が世界銀行からの融資獲得のためのポーズなら、わざわざリップサービスをする必要もないにもかかわらず、ポーズ説を否定し、貨物新幹線の将来構想について述べているのである。

 ちなみに、仁杉氏は、東海道新幹線建設にあたっては、名古屋幹線工事局長及び東京幹線工事局長を歴任しており、須田氏などよりも新幹線建設の実情を熟知していると思われる。

 同様に「山陽新幹線博多延伸時には貨物営業したい」旨のことは、昭和41年に出版された「国鉄は変わる」至誠堂刊、一条幸夫(国鉄審議室長)・石川達二郎(国鉄経理局主計課長) 著においても述べられている。

 このへんの面子が島氏のいう「この考えを国鉄内部でも理解することなく、新線にも貨物輸送をすべきだと単純に発言する者」なのだろうか?いずれにせよ、わざわざ島氏も言及するほど、国鉄社内における貨物新幹線に係るスタンスは一枚岩ではなかったということなのだろう。島氏の言い分だけ聞いて「貨物新幹線は世銀向けのポーズ」と断言してしまうのも一面的な取材にすぎないというわけだ。

 なお、東京大学名誉教授の曽根悟氏は、

幻の貨物新幹線

「十河総裁と「島技師長」対「その他国鉄首脳」との戦いはかろうじて総裁・技師長組の勝ちになったのだが,実現までにはさまざまな困難があった。

 まず,新幹線への最大の反対理由は,貨物輸送がネックになっているのに,貨車が直通できないことだった。これに対しては,今のコンテナ電車のような高速貨物列車を新幹線にも走らせることにした。こうして高速貨物電車の絵や図面は作られたのだが,どこまで本気でやる気だったのかは今となってはよく判らない。実際には,新幹線は開業直後から大人気で,旅客輸送だけで手一杯になり,開業後に貨物輸送の議論は全く立ち消えになった。

新幹線50年の技術史」講談社ブルーバックス 曽根悟著 24頁

と述べており、「国鉄内部での新幹線実施に向けた路線対立の収束のために貨物新幹線が検討された」との見解を示している。実際のところ、世銀との交渉以前に新幹線の諸規格が貨物新幹線ありきで決定されていることとも整合が取れるものである。

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 国鉄が発行した「新幹線十年史」には、山陽新幹線の建設にあたって下記の記述がある。

路線の有効長は、将来の貨物運行を考慮して500mとしている。

新幹線十年史」313頁

 世銀向けのポーズなら対応しなくてもよいと思われる山陽新幹線にも貨物用の規格が盛り込まれているというわけだ。ただ、この本には、貨物輸送についてはそれ以上のことは触れられていない。

 いろいろと調べていると、「旬刊通運」という交通出版社が発行していた運送業界誌の17巻33号(昭和39年11月発行)に「どうなるか新幹線の貨物輸送問題」という記事が掲載されており、ここに、東海道新幹線開業後の国鉄内部での検討状況が非常に詳しく記載されているので、紹介したい。

どうなるか新幹線の貨物輸送

-牛歩ながら検討は続行中-

旅客営業は順調にスタートしたが

 スピード時代に対応した鉄道の花形として、去る十月一日華々しくスタートを切つた東海道新幹線も、ようやく一ケ月を経過した。開業当初はパンタグラフの故障をはじめ、信号、ドアなどいろいろな故障が続発して、一時は前途に暗い影を投げかける一コマもあつたが、最近はこれら開業当初特有の部分故障も殆んど影をひそめるに至り国鉄当局もようやく焦眉を開いたというのが実情で、あとは悪質な妨害を防ぐことか当面の課題になつているようである。そんなわけで国鉄公約の「一年以内に東京-大阪間三時間運転の実現」は、見通しが明るくなつたとみられている。

 こうして東海道新幹緑は、未開の大地にようやく根を下した感があるが、これは旅客輸送の場合であつて、貨物輸送については未だに実施時期さえメドがついていない実情である。

 当初の計画では、先づ旅客輸送から営業を開始して、追つかけ一年後に貨物輸送を開始するということであつたし、事実そのような段収りで貨物輸送に関する検討も同時に進められてきたものだが、既に旅客営業は開始された現在に至るも、貨物輸送は何時、どのような形で実施するか、今もつてそれらの基本的方針さえ決まつていないというのが実情である

貨物輸送に対する消極論

 これには、新幹線の工事半ばで完成所要資金に対し八百数十億の不足を生じ、国会の問題にまでなつて、国鉄総予算中から優先充当等特別の資金手当をもつてやつと穴埋めをしたという過去のイキサツやら、開業期限に制約された事情(聞業予定の十月はオリンピツクの開催を控えていたので、面子のうえからも開業延期は許されないと、国鉄当局は背水の陣で臨んでいた〉から、資金面は勿論のこと、あらゆる点で当面は旅客輸送の開業体制確立一本ヤリで臨まざるを得なかつたものと思われる。

 つまり、これまでの状況から判断して貨物輸送の営業準備にまで手が廻わらなかつたのではないか、とする見方である。それに国鉄内部には、以前から新幹線で貨物輸送を行つてもあまり意義はないのではないか、とする消極論もある。これは、現在線から旅客の優等列車が新幹線へ移行すれば、現在線はそれだけユトリができるわけだから、その分を貨物輸送に充当するだけでも、輸送力はかなり増強できる、との観点に立つた考え方だが、その消極論というのは、東海道新幹線のような短い区間では、東京-大阪間に貨物の夜間運行をして早朝の三時、四時に着駅に着いても、即時引取りの受入体制を整えようがない実情なので、新幹線の一枚看板ともいうべきスピード化の効果が生かせないというのてある。

 そこから、強いて新幹線に貨物輸送を行うまでのことはなく、更らに輪送力増強の必要があるなら、現在線から 準急程度の旅客便も新幹線へ移し、線路容量に一層余裕をつくつて貨物輪送に振り向けた方が一挙両得だ、との議論も出ているのである。

 客貨分離の思想に通ずるもので、近年相次いで発生した重大事故を契機として、過密ダイヤの解消が大きくクローズアップするに至つた実情に微しても、その一環として客貨分離は必然の方向とも云えるわけで、考え方としては時宜を得たものと云える。

 しかし、これには日本の国情からみてゼイタクだとする反論のあることも事実で、理想的な鉄道経営のあり方と しては確かにそうあるべきだし、鉄道輪送をサービス本位に考え、事故の絶減を期そうとするには、少くとも幹線 ぐらいは客貨分離を図らねばムリなことはわかつているが、伝統的に客貨混合の過密ダイヤを基調として成り立つている国鉄の現行体制はそう簡単に改められるものではなく、又資金面でも厖大な投資を要することでもあるので国の強力なバックアップなくしては不可能なことだ。というわけである。

 それに、当初の計画では貨物列車は夜間だけ運転することになつている(但し、夜間一週に一回運転を休止して、保線作業の時間に充当する)が、開業後の実情はどうかというと、毎週一夜の予定の保線作業が毎夜行われているため、現状ではたとえ夜間であつても貨物列車を運転するユトリがなく、この面でも大きなカベに突当つている。勿論、線路の保守が軌道に栗れば毎夜保線作業を行う必要はなく、開業初期とあつて大事をとつた過渡的ソチには違いないのだが、何時常態になるか見通しがつかない現状だけに、問題点の一つになつていることは否めない。

 当初の基本構想

 しかし、だからと云つて貨物輸送の検討が全くなおざりにされているわけではない。囚みに三十七年当時まとめ られた一応の構想を掲げてみると次のとおりである。

(略)

白紙に戻して再検討に着手

 三十七年当時まとめた東海道新幹線の貨物輸送に関する基本構想は、概ね以上のようなもので、このうち停車場(取扱駅)の設置個所とか車両形式、輸送方法等の所謂基本事項は殆んどコンクリートしているようなものゝ、輸送計画に関する事項、即ち列車計画(運転計画)などは、概ね従来の基礎資料から試算したものに過ぎないので、新らたなデーターがまとまればそれに伴つて逐次修正することになつていると云われていた。

 そして、制度や施設等に関する具体的細目についても、新幹線総局(本年四月、新幹線支社に改組、貨物関係の担当者は営業局配車課へ配置換えをした)を中心に営業、運転等の関係各局担当者の間で逐次研究、協議することになつていた。

 ところが、前述のようにその後新幹線の建設それ自体に資金不足等の不測の事態が生じたことから、この際新幹線で貨物輸送を行うべきか否かという基本的問題に戻して、いわば白紙の状態で問題を検討すべきだとの意見が出され、それを契機として企面的に再検討することになつた。このため新幹線の貨物輸送に関する検討は一時中断も同然の状熊になつていたが、全線試運転の成功から旅客営業の予定期日開業の目鼻がつくに至つて、貨物輸送についても四十一年度乃至四十二年度の開業を目途に、輸送計画の具体的検討を再開することになつたもので、新幹線支社営業準備委員会、本社営業局配車課、貨物課などの担当者が逐次打合わせを行つている

コンテナ方式が有力

 現在検討されている新幹線の貨物輸送方式は、(一)フラットカーを使用する方式と(二)その他大型貨車による力式の二案があり、(一)案の中にも(イ)コンテナ方式、(ロ)フレキシバンを乗せる方式、(ハ)ピギーパツク方式(トレーラーを乗せる方式とトラックそのものを乗せる方式がある)などがあるが、このうち予算駅設備等の点で最も問題が少なく、現行のものと共用がでぎるという経済性の面からも五トンコンテナ方式が有力視されており、概ねこの方式を重点に検討を推進することにしているようである。

 コンテナ方式では電機牽引方式と電車貨車方式があるが.前者の場合は貨車一両当り六個積載、一列単二五両編成とし、後者なら五個積載の三〇両編成にすることが考えられている。

 とはいうものゝ、これらのコンテナ方式でも全く問題がないわけではない。一例をあげると、電気機関車牽引方式にしろ電車貨車方式にしても、積卸線に架線があつては積卸作業に著しく支障を来たすので、これをどう解決するかという問題がある。この点についてば、(一)積卸線にぱ架緑を設げず、列車が構内に入つたら積卸場所までデイゼル機関車に牽引して入、出線する。(二)コンテナの貨車積卸には従来のようにフオークリフトを用いず、コンベヤ方式で積卸しができるようにする……等の考え方があるが、具体的にば未だ何らの結論も出ていない。

 又、前述のように貨物輸送の予定時間帯となつている夜間は、毎夜線路の保守に当てられている現状では、貨物列車の運転のしようがないわけで、いずれは一週一夜程度の保守で間に合うようになるとしても、その時期は目下見当がつかないということだから、この点も大きな問題点に違いない。

 そこで、これらの問題点も含め、東海道新幹線の貨物輸送計画はどうなつているかについて、担当の営業局配車課堀本補佐に聞いてみた

 昼間運転も考慮

問 東海道新幹線の貨物輸送計画については、巷間消極論をはじめいろいろな説が流布されているが、当局の方針はとうなのか。

答 一応、実施することを前提にいろいろな角度から検討は続けているが決定した事柄は一つもない。

問 実施時期のメドはどうか。

答 四十年度の予算にはボカして一部を組入れて要求してあるので、そのまゝ大蔵省の承認が得られば四十一年度から営業を開始することもできるわけだ。予算ソチが整つても、開業までに二年かゝるというのが常識になつている。

問 貨物関係の所要資金としてどの位を見込んているか。

答 当面考えているように、電車によるコンテナ方式で開業当初は一日往復四列車でも間に合うという見通しが ハッキリすれば、取敢えずは東京(品川)と大阪(鳥飼)の二駅を設置するだけで用が足りるわけだから、既略九 〇億円ほど投貸すれば開業できる筈だ。しかし、取扱予想数量がこの程度の輸送計画では間に合わないとすれば東京の場合、品川では相応の施設をする用地のユトリがないので、設置場所を大井臨埠頭当りにかえなければならなくなるわけだから、この埋立費用だけでも相当な額に達するばかりでなく、途中静岡と名古屋にも駅を設ける必要があるので、一日往復二六列車を運行する規模に見積つて、所要経費はざつと六〇〇億門ほどかゝる計算になつている。

問 予定通り十月一日から旅客営業を開始してからかれこれ一月になるが大事をとる意味からか、夜間は毎夜保線作業が行なわれているという。このまゝでは夜間運転を予定している貨物輸送は不可能になると思うが

答 実はそれで弱つているわけだ。開業当初ではあり、安全運転のため過渡的ソチとしては止むを得ないことゝ 思うが、では、何時になつたら保守の手がゆるめられるかとなると、目下のところ皆同見当がつかない実情なのでこの点も一つの問題点になつているわけだ。消極論云々の話しがあつたが、資金などの問題もさることながら、幹部が貨物輸送に明確な基本方針を打出しかねているのも、こんなところにも理由があると思われる。

貨車の客車並み高速化を研究中

問 仮りに夜間の運行は先行きとも不可能になった場合には昼間運行に計画変更をせざるか得まいが、貨物の昼間運行を考慮されたことはないか

答 勿論、そういう考え方もあるがそうするにはスピードの問題から解決する必要がある。と、いうのはこれまでの観念によれば電車貨車方式では時速一三〇キロが限度なので、このような低速の貨車を新幹線に昼間運転するとなれば高速の旅客列車と時間調整をするため、要所々々に待避所を設置する必要があるが、新幹線には用地の面でそのようなユトリはないので不可能の実情にある。

 そこで、この解決策としては旅客列車並みに貨物列車のスピードアップを図る以外に方法はないわげだから、さき頃貨車を旅客列車並みにスピードアップすることができないものかどうか、技術陣に早急研究方を依頼したわけである。

問 旅客列車並みのスビードアップというと、時速二〇〇キロということか。

答 貨車の場合もこんな高速で運転している国は何処にもなく、全く未開の分野なので、技術的に果して可能性 があるかどうか、今後の研究に待たねばならないわけだ。しかし、これが完成すると、東海道新幹線では距離的に切角の高速も十分に生かし切れない憾もあるかも知れないが、将来山陽新幹線ができて東海道新幹線と直通運転するようになると、現在の「たから号」並みに夕方東京から発送するコンテナ貨物は、翌朝九州に到着してその日のタ方迄には荷受人に配達できるようになるから、驚異的な効果を発揮するものと思う。

問 最後に、新幹線の貨物輸送に関連して、通運体制をどうすべきかについて検討しているか。かつて、磯崎副総裁が常務理事当時(三十七年)、国会でこの点の質問を受けた際「新幹線の貨物輸送は、原則的にコンテナ輸送方式を採用するつもりなので、国鉄と通運会社の共同出資による新会社に任せることは考えられる」という意味の答弁をしたいきさつがあるが、こんなことがあつてから、業界内部には「国鉄はこの点についても内々研究しているのではないか」とみている向きも少なくないようだが。

答 新会社去々の問題は、当時磯崎副総裁が一つの考え方として述べたに過ぎないと思う。幹部はどう考えてい るか知らないが、われわれはその問題について検討したことは一度もない。しかし、新幹線でのコンテナ輸送と もなれば、その特殊性から云つても何らかの新方策を考えることは必要だろうから、いずればそう云つた間題とも 取組むようになるかも知れない。

 「貨物新幹線ポーズ論」の根拠の一つとして「夜間は保守を行っているのだから貨物輸送を行う余地はもともとなかった」というものがあるようだが、この記事を読むと、「当初は夜間の保守は週一日で、その日は貨物新幹線は運休する予定であった。しかしながら開業後想定外に毎夜保守を行うこととなってしまい、それが貨物運行の妨げになっている」旨の記載となっている。「夜間は保守を行っているのだから貨物輸送を行う余地はもともとなかった」という論は後付にすぎないもののようだ。なにより、昼間に旅客電車並のスピードで走行できる貨物電車の開発を検討しているのだから!

(※ 新幹線の開業後の保守体制等は上述の曽根悟氏「新幹線50年の技術史」に詳しい。)

 また、昭和39年11月時点でのこの記事では

「問 実施時期のメドはどうか。

答 四十年度の予算にはボカして一部を組入れて要求してあるので、そのまゝ大蔵省の承認が得られば四十一年度から営業を開始することもできるわけだ。予算ソチが整つても、開業までに二年かゝるというのが常識になつている。」

とのやりとりがなされているが、昭和40年3月の国会では、

国鉄が新幹線を開業いたしますまでには、先生も御承知のとおりに予算不足の問題がございまして、昨三十九年の十月に旅客の輸送開始をいたすまでの間に、いろいろとやむを得ない予算上の事情から、計画の変更と申しますか、一部をおくらせざるを得なかったということがございまして、その結果として、貨物輸送は、できれば一番最初は三十九年の十月、昨年の十月同時に開業するという計画でございましたけれども、ただいま申しましたような事情でおくれざるを得ない、ただいまの予定では四十三年の秋、これはどうしてもその時期になるという事情がございます

との答弁をおこなっている。

 国鉄幹線局調査役、新幹線総局調査役を歴任し、新幹線の企画から開業までを手掛けた角本良平氏は、中央公論新社のインタビューで下記のように答えている。

――本書にあるように、当初は新幹線も貨物輸送を想定していた?

 開業当時は、高速道路がまったく発達していなかった。東京から名古屋、大阪まで、トラックを動かすことは考えられなかった。その後、全国に高速道路網が張り巡らされた。結果的に、新幹線は貨物輸送をせずに正解だった。無駄な競争に参入しなくてよかった。

御年94歳、『新幹線開発物語』の著者・角本良平氏にきく。

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 ところで、山陽新幹線博多延伸時に実施されるはずだった貨物新幹線はどうなったのか?

 「国鉄線」昭和47年3月号(財団法人交通協力会発行)に「新幹線鉄道時代を迎えて - 21世紀の鉄道を目指して -」という国鉄局長級の座談会が掲載されている。ここで、泉幸夫貨物局長が、貨物新幹線の検討結果について下記のように述べている。

司会 さて、新幹線建設と関連して、貨物輸送をどうするかということも、国鉄としては非常に大きな問題だと思います。

泉 その前に、東海道新幹線を作りましたときに、将来は貨物もコンテナ輸送をやるという前提がありました。昭和34年に登場した5トンコンテナも、今縦積みにすれば、新幹線で使えるようにできているわけです。しかし、その後、100キロ貨車が開発され、東京~大阪間は、8時間で走るようになりましたから新幹線の貨物輸送は将来博多まで延びたときに、検討するという感じだったのです。

 その博多開業時期も大体きまってきたわけですが、貨物局を中心に勉強しまして、100キロ程度を出せるコキ車を使うと、博多から東京までといっても、そう時間に大きな差があるわけでもないことと、新幹線で5トンコンテナを運んでみたところでフリークェンシーに富んだ輸送は必ずしも期待できないこと等から、現時点では新幹線による貨物輸送は原則として考えていないのです。

 むしろ航空機が運んでいる-主として1トン以下の少量物品-あるいは現在旅客列車で輸送されている小荷物等を対象に、新幹線のもつ高速性が荷主さんに認められ、しかもフリークェントサービスが保てるならば、附随車を使って小型コンテナで迅速に積卸しのできる形態でやるぐらいのことが、新幹線での貨物輸送の範囲だと考えています。

 いざ検討してみたら、在来線の貨物に対しての貨物新幹線のメリットはなかったということですかね。いずれにせよ、島氏のいう「この考えを国鉄内部でも理解することなく、新線にも貨物輸送をすべきだと単純に発言する者」は相応の勢力があったということでしょうな。

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 以上、国鉄における東海道新幹線開業後の貨物新幹線に係る動きを整理してみた。近藤正高氏の述べるような単純なものではないことはお分かりいただけたかと思う。

 この他に、運輸省(当時)側の動きもあったようだ。運輸省系のシンクタンクともいえる「財団法人運輸調査局」において昭和40年3月に「東海道新幹線における貨物輸送方式」という調査報告がなされている。貨物新幹線がポーズであれば、こんな時期に運輸省が検討を行う必要はないはずだ。

 ちなみにその検討結果はというと

〔8〕結論

(略)

 現状においては、新幹線に直ちに全面的にコンテナ輸送を実施するためにはコンテナ輸送を応用するのは疑問とする要素が多い。この場合、新幹線において貨物輸送を実施するためにはコンテナ方式と電車貨車方式で行うことが方法としては最もふさわしいといえるが,これに要する莫大な投資に見合う利用財源,運賃問題,経済効果に疑問が多いばかりではなく,現在線の輸送力逼迫緩和にどれ程役立つか,また保守間合いをいかに生み出すか,フォークリフトなどの荷扱機械を如何にするか,通運業との関連をいかにするか,輸送速度をいかに調節するか,列車編成の問題をいかに処理するか等幾多の懸案が残されるので本格的に貨物輸送を開始するのは時期尚早であるというほかない。

 いずれにしても新幹線貨物輸送は一応採算を度外視して試行錯誤によつてやつてみることもよいが,これを本格的に実施することは余程慎重を期するというべきであろう。

調査資料第616号「東海道新幹線における貨物輸送方式 - 流通技術を中心として - 」財団法人運輸調査局 93頁

 となかなか辛辣である。

 同時期の昭和40年3月の国会における

国鉄といたしましては、新幹線を利用いたしまして高速の貨物輸送を行なうということが、国鉄の営業上どうしても必要なことでございまして、またその需要につきましても十分の採算を持っておりますので、なるべく早く新幹線による貨物輸送を行ないたい、こういうふうに考えて計画を進めております。

との国鉄側答弁と大きく異なっている。

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 ところで、東北・上越新幹線での貨物の取り扱いはどのようになっていたのか?

1.新幹線

【東北・上越新幹線】

1.17技術的諸課題解決に一歩前進

 全国新幹線鉄道ネットワークには、技術的に幾多の諸問題がある。つまり、ⅰ)東海道新幹線との建設基準の相違(標準活荷重・最高速度)、ⅱ)ネットワークとしての直通・分割・併合問題、ⅲ)豪雪・寒冷地域の高速運行、ⅳ)全国的な営業施策としての夜行運転・貨物輸送、などがそれである。これらの技術的課題については、新幹線整備の進捗に先立つて解決してゆくことが必要であるが、ネットワークの総合技術の第1段階として、東北および上越新幹線などを対象として、次項以下の方針を打ち出している。

(中略)

1.23 検討すすむ営業対策(夜行運転など)

(中略)

 一方、貨物輸送については、全国ネットを想定して、規格としては、東海道新幹線と同様N標準活荷重を採用することとなつているが、貨物輸送の要求する諸条件・新幹線的な高速度の必要性・航空貨物輸送との競合などの問題について検討した結果、数10年先の輸送構造の変化は予知し難いことなどから、線路設備としては対応できるものとしておくこととなった。

 

「交通技術」1972年10月増刊号、財団法人交通協力会発行 410・411頁から引用

 つまり、貨物を運ぶ具体的な見込みは当面ないけれど、未来永劫絶対ないとは言い切れないのでとりあえず貨物輸送には使えるように作っておく ということか。

 「世界銀行のためのダミー」であればここまでやる必要があるのだろうか??

4-2 車両限界と建築限界

車両限界

 車両限界とは、車両の断面寸法を一定の大きさに納める範囲の限界のことです。通常、在来鉄道の車両は肩部は丸い形状ですが、新幹線の肩部は四角い特別な形状となっており、しかもすべて直線からなる極めて単純な形状をしています。

 これは、新幹線の開発当初、旅客電車のほかに貨物輸送を考慮して、新幹線の車両限界が決定されたからです。後年、この大きな車両限界が生かされ、2階建て新幹線の誕生につながりました。

「図解入門よくわかる最新新幹線の基本と仕組み」秀和システム・刊、秋山芳弘・著 146頁から引用

 2階建て新幹線は貨物新幹線規格故に出来たということのようだ。

 

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 なお、元・信州大学教授で国鉄勤務時代に東海道新幹線建設工事に従事した長尚氏のウェブサイトによると、新幹線の建設基準にある活荷重(列車荷重)のうち、N標準活荷重(貨物列車荷重)は、2002年(平成14年)に改正されるまで、生きていた。つまり、それまでは貨物新幹線が走れるような構造で建設が続けられてきたのである。

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2014年10月11日 (土)

阪神高速道路が直結するはずだった新幹線大阪貨物駅

産経新聞の「半世紀残った“謎の高架橋” ひっそりと消える「幻の貨物新幹線」の残骸」の記事で一躍脚光をあびた新幹線大阪貨物駅関連の「遺構」について今更ながら書いてみる。

日本鉄道施設協会第28回総合技術講演会演題によると「三島貨物線高架橋の撤去」ということになるようだ。

撤去工事についてはJR東海職員による論文もあるようなので、ご関心のある方は是非深堀されたし。

「東海道新幹線工事誌」から該当部分の図面を引用してみると下記の赤丸部分の橋の準備工事だったことが推測される。

新幹線大阪貨物駅

今昔マップで見てみると、貨物駅相当の箇所が未利用状態だったころの写真等が見れる。

新幹線大阪貨物駅2

新幹線大阪貨物駅3

なお、東海道新幹線工事誌の「東京電車基地」の項では下記のように記してある。

東海道新幹線品川貨物駅

ところで、「新幹線の貨物輸送は世界銀行の融資を受けるためのフェイク」説があるようだが、上記の東海道新幹線工事誌では「貨物輸送は、開業当初には行わないことになった」としか書いていない。

 で、今までの「貨物フェイク」論争に一石を投じてみたいのだが、実は阪神高速道路の当初計画路線には、名神高速道路茨木IC~新幹線貨物駅~大阪市内を結ぶ計画があったのである。これは「貨物はフェイクじゃなかった」説の補強になるのではなかろうか?

(フェイク論を逐一検証して「フェイク論を論破」と言いたいわけではなくて、あくまでも一石を投じただけなのでご注意を)

昭和38年6月25日の官報資料版 [政府関係機関のあらまし ─公社・公団・公庫・事業団の目的と事業─] に下記のような記載がある。

阪神高速道路公団

〈目的〉 阪神高速道路公団は、昭和三十七年五月一日、大阪市において発足したもので、現在の行き詰った阪神地区の自動車の交通事情を緩和し、自動車交通の能率化、高速化を図るために、大阪市の区域および神戸市の区域ならびにそれらの区域の間および周辺の地域において有料の自動車専用道路を建設し、管理することになったのである。
 この公団の事業の推進のためには国のみならず阪神地区の地方公共団体が一体となり、あらゆる面で協力することが必要であり、この意味から計画、工事、財政等について、国と地方公共団体の助力のもとに公団が設立され、事業が推進されている。公団は、政府の財政投融資、地方公共団体(大阪府、兵庫県、大阪市および神戸市)の出資金、交付金を受け有料の自動車専用道路を建設し、通行料金により建設費を償還するものである。
〈業務〉 阪神高速道路公団法の建前からは、公団は公団の行なう事業の大綱である基本計画の指示を受け、その計画に従って事業を進めることになっている。この基本計画は昭和三十七年十月八日に公団に対して指示された。この基本計画によれば、阪神高速道路公団は、昭和三十七年度から昭和四十五年度までの間に大阪市内に四路線、神戸市内に一路線、総延長約五十三キロの高速道路を九百八十二億円の工費で完成させることになっている。
 この計画の大綱は次の通りである。
大阪市道高速道路一号線─東横堀川、西横堀川など大阪中心部の河川を利用する環状線とこの環状線から下り、東海道線に沿って北西に伸び、名神高速道路と都心部を結ぶ延長約十七・三キロの路線。
大阪市道高速道路二号線─大阪都心部の都市計画街路上に設けられ一号線と接続して、その機能を高めるとともに大阪東部の工業地域と都心および大阪港を結ぶ延長約二・三キロの路線。
大阪市道高速道路三号線─国道一号線、大阪、四日市線から都心に流入する交通に寄与し、名神高速道路の茨木インターチェンジ、国鉄新幹線三島貨物駅と都心部を連絡する延長約六・五キロの路線。
大阪市道高速道路四号線─大阪南部の臨海工業地帯の造成、国道二十六号線の交通量の増大に対処し、大阪の南の地区から都心部に指向する交通をさばく延長約九・三キロの路線。
神戸市道高速道路一号線─神戸市内の東西にわたる交通を円滑にし、国際港と連絡することにより陸上輸送の確保を図る延長約十七キロの路線。
 この計画のうち既定の道路整備五カ年計画によれば、公団は昭和三十七年度から昭和四十年度までの間に特に交通障害の著るしい大阪都心部および神戸都心部において大阪一号線および神戸一号線の一部の工事を約百八十八億円の工事費をもって行なうことになっている。昭和三十七年度においては、工事費十一億四千万円をもって大阪一号線のうち大阪の都心部を南北に貫ぬく西横堀川部分の工事に着手し、昭和三十八年度には工事費五十八億をもって、さらに大阪駅に至る部分、難波地区などに工事を拡げ、さらに神戸地区においては神戸一号線京橋~柳原間の工事を実施することになっており、昭和三十九年度には大阪一号線の難波~梅田間、昭和四十一年度には神戸一号線の京橋~柳原間の供用が開始され、自動車交通難の解決の一助となる予定である。
 阪神高速道路公団の事業の実施は建設大臣より指示を受けた以上の基本計画に基づいて行なうのであるが、将来の阪神地区の交通量の伸びに応ずる将来計画を新しい見地から策定している。すなわち、都市間交通として名神、東名等の全国的幹線道路網が計画されているので、これと直結する都市内交通網の整備か一層図られねばならない。
 その計画は、大阪市の周辺に環状の自動車専用道路を設け、都心部の通過交通を減らす環状線、大阪一号線を延長して名神高速道路の豊中インターチェンジ、大阪空港を結ぶ一号線の延伸線、大阪二号線を東西に延長する路線、大阪三号線を北に延長し、茨木インターチェンジを結ぶ路線、大阪四号線を延伸し南大阪の工業地帯と阪神を結ぶ路線、都心部と新東海道線の大阪駅を結ぶ御堂筋線、大阪、神戸を直結する文字通りの阪神高速道路、神戸の山沿いを走る阪姫線といった路線について検討をすすめている。

現在の守口線が、そのまま中央環状線を北上して鳥飼から茨木ICへ向かっていたと思われる。

阪神高速道路公団史からも関連部分を引用してみる。

阪神高速道路当初建設予定路線

国鉄や運輸省の中だけならともかく建設省所管の法人や大阪地元政財界まで巻き込んだフェイクというのはにわかに信じがたいものがある。

 

なお、元・信州大学教授で国鉄勤務時代に東海道新幹線建設工事に従事した長尚氏のウェブサイトによると

筆者のように、東海道新幹線の建設に関係した者には、貨物輸送も念頭にあったことは常識であった。“新幹線建設に世界銀行(世銀、本部ワシントン)の融資を受ける目的での「見せかけの構想」だったとの指摘も出ていた”ということは今まで知らなかった。
 1959年(昭和34年)4月20日に、東海道新幹線の起工式が新丹那トンネルの熱海側入口で行われた。その 東海道新幹線の建設基準にある活荷重(列車荷重)は、N標準活荷重(貨物列車荷重)とP標準活荷重(旅客列車荷重)からなっていて、2002年(平成14年)に改正されるまで、この基準は生きていた。

N活荷重については下記も参照されたい。

http://transport.or.jp/tetsudoujiten/pages/leaves/1966_%E9%89%84%E9%81%93%E8%BE%9E%E5%85%B8_%E8%A3%9C%E9%81%BA%E7%89%88_P0032.pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscej1984/1984/344/1984_344_27/_pdf

貨物駅の用地買収だけならともかく、荷重の考え方が変わると全線にわたって橋梁等の構造物の設計が全部変わってくる=貨物を考慮した分だけ余計にお金がかかるわけで、そのあたりも世銀対策のフェイクとは思い難い。

世銀からの借入を計る前から貨物を想定した荷重を検討しているのは前の記事にも記したとおりだ。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-ddca.html

長尚氏のウェブサイトでは「東海道新幹線開業50周年を迎えて -建設参加一土木技術者の回想-」もあわせてお目通しいただくことをお勧めする。
http://www.avis.ne.jp/~cho/tomu.html 

また、国鉄新幹線総局営業部長等を歴任した角本良平氏は「新幹線開発物語」の中で下記のように述べている。

新幹線が開通しても、当分のあいだは旅客列車だけで、貨物列車の運転はしばらくのちになったけれども、それは主として資金事情のためである。貨物輸送の準備も最初からおこなわれ、すでに駅用地も購入されている。

以下文庫本にして4頁にわたって貨物輸送について解説している。例えば貨物のコンテナの規格は狭軌広軌の両方で共通で使えるようにした、夜間保守のため週1回は貨物列車の運転を止める等。この本がもともと書かれたのは1964(昭和39)年であり、フェイクし続ける必要もないはず。世銀融資についても言及しており、「貨物フェイク論」の真偽に関心がある方は是非お読みいただきたい。(実際には、いろんな立場の人がいろんなことを思っていて、「いつまでもフェイクのつもりの人」「最初から本気の人」「最初はフェイクで取り組んだけどここまで来た以上は実際にもやっちゃうぜの人」等いろんな人が国鉄内部にいたんじゃないかな。「島がこういっているんだから他にはありえない」というのはナンセンスじゃないかなあ。)

角本の記述を裏付けるような問答が国会でなされている。

第043回国会 運輸委員会 第25号 昭和38年5月22日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0016/04305220016025a.html

○山田説明員(日本国有鉄道常務理事) きょうお配りいたしました資料で東海道新幹線の設備及び資金計画についてという資料がございまして、これに一応説明を述べてあるのでございますが、これには「二千九百二十六億円に加えてさらに千五十億円余の設備投資を必要とする見込であります。」と述べてございます。これと、先ほど申しました八百七十四億との食い違いはどうかということの御質問かと存じますが、現在の八百七十四億にさらに百七十億円程度のものは開業後必要と認められる改良費的な性格の工事に充当されるものでございまして、開業までにこぎつけるために必要なものは八百七十四億、それから開業いたしますとこれは当然あらゆる現在線と同じように一応標準的な改良費が要るわけでございます。それにいまから予見される程度のものを加えますと総額で千五十億円になる。千五十億円を投資すれは一応開業後の予見できる将来にわたる改良費的なものを含めた総額の数字になる。そういう趣旨でこの資料をつくったのでございまして、したがってその場合には、この資料にもございますように、貨物も一応営業の逆転をいたすという姿になるわけでございます。

○久保委員 そこでお尋ねするわけでありますが、この資料によりますれば、当初の東海道新幹線のあるべき姿というか、それから見れば多少変更があると思うのであります。たとえば運転方式にしても、ATCを今回はこれだけでやっていく。当初の計画は列車集中制御装置ということであるようであります。さらにもう一つは、これはこまかい点かもしれませんが、乗降場の上屋にしても、列車の編成十二両分は全駅につけなくて半分にする、あるいは駅本屋の設備、駅前広場、こういうものも最小限度にしていこうということでありますが、ただいま御説明があった百七十億ですか、こういうものは改良費的なものだとおっしゃいましたが、実は当初計画に合わせるための資金計画ではないかと思うのであります。決して改良費的なものではなくて、当初約束したところの東海道新幹線をつくるには千五十億以上要る、こういうことになると思うのであります。そう理解してよろしいか。

○山田説明員 当初いろいろ御説明をしましたときには、貨物もやりますということを申しておりますし、それから大体三時間の特急を相当走らせたいということを御説明しておったわけでございます。私が先ほど申しました八百七十四億円程度をさらに追加していただければ、貨物営業は見送りになりますけれども、当初考えておった大体の姿ががこれで実現できるということを考えて、八百七十四億の積算をしたわけでございまして、いま御指摘がございました駅前広場の金は当初考えていたんではないかということでございますが、これは非常にこまかくなりますけれども、都市計画の完成と見合ってどうしても開業前までにはやりたくてもできないという金でございまして、したがってそういうものはどうしても開業後の支出になるわけでございます。

(中略)

○井手委員 それではかつての約束について申し上げたいと思いますが、国鉄が私ども国会や国民に声明されたのは、旅客列車は東京-大阪間を超特急は三時間、特急は四時間で結びます。超特急は一時間おきに、特急は二、三十分おきに運転いたします、こういうふうに約束をなさっております。さらに荷主に対しては、貸物はすべて夜間に電車で運ばれます、東京-大阪間を五時間三十分で、夜東京から出荷すれば翌朝大阪に届くようになります。これを同時に行ないますという約束をなさっておりますが、いま予定どおりおやりになりますとおっしゃいましたが、そのとおり間違いありませんか。念を押しておきたいと思います。

○石田説明員 この問題は、運転技術の問題その他に関しますので、私としてどうするかという確信はありませんが、できるだけその予定どおりやりたいということにつきましては、何ら変わらないのであります。

○井手委員 御就任早々でございますから詳しくおわかりにならぬかもしれませんが、ただいま申し上げました貨物の輸送については、旅客と同時に東京-大阪間を五時間半で輸送いたしますという約束は、これは来年の十月には間違いないわけでございますか。今までの答弁では、これは後日に譲ってあるように承っておりますが、これは約束と違うと思います。

○石田説明員 ただいまの御質問でございますが、すでに私がお答えいたしましたとおり、これはひとつ私がさらに検討いたしまして、どうするかということについては追って御返事いたしたいと存じます。

○井手委員 そうしますと、約束を守るためには貨物のほうも同時に営業を開始したいというお考えでございますか。

○石田説明員 その問題につきましては、私としては就任いかにも浅いのでありまして、ひとつ、かすに相当の時をいただきたいと存じます。

○井手委員 御研究になりますことはけっこうでございますし、直ちに具体的なものをお聞きするわけではございません。基本方針だけを承っておきたいと思います。
 最近の国鉄の説明によりますと、旅客列車は何とか走らせますが、貸物は財源の関係からこれを後日に譲らなければならぬようになりましたということでございます。だから私はお伺いをいたしておるのであります。約束は守りたい、予定どおりにいたしたい。そうなりますと、貨物を輪送するようになりますと、新たな財源が必要になってまいります。一千五十億円にさらに予算が必要になってまいりますが、その努力をなさるというお考えでございますか

○石田説明員 繰り返し申し上げましたとおり、私はその問題についてはまだ全然研究しておりません。御質問の趣旨を体して十分に研究いたしまして、適当のときにお答えいたしたいと存じます。

○井手委員 それでは問題を変えまして、旅客へのサービスは東京――大阪間三十往復になっております。私が読み上げました超特急は一時間おきに、特急は二、三十分おきにという約束を果たすためには、この車両は三百六十両を必要とするのであります。ところが、いま注文なさっておりますのは百八十両分でございまして、その百八十両分についてもなお予算が足りないというので、補正を予定されておるのであります。そうなりますと、約束どおり、予定どおり実行するということになりますと、車両分をさらに百三十億円追加しなくてはならぬようになりますが、その点は約束どおりおやりになるということでございますか。この資料によりますと百八十両分だけしか予算に組んでございません。ところが超特急一時間おき、二、三十分おきに特急を運転するという約束どおりにいたしますと、三百六十両発注しなくてはなりませんし、百八十両分を新たに追加しなくてはならぬことになりますが、それはどういうふうに総裁はお考えでございますか。総裁からお伺いしたい。

○石田説明員 繰り返し申し上げますとおり、私は総裁になりましたのはつい二、三日前でございまして、全く赤子なんです。そういう知識については何らありませんので、これは一つ山田理事をして御答弁申し上げたほうが適当と存じますので、私の責任において、どうぞひとつ山田理事からの御答弁をお聞き願いたいと思います。

○山田説明員 それでは私からお答えさせていただきます。

 まず車両費の点でございますけれども、事実ただいま発注済みのものは百八十両でございまして、それは当初から百億円の予算を組んでおるわけでございます。それから、開業時には御指摘のように三百六十両で開業いたしたいと考えておりまして、その差の百七十両はどうするかということでございますが、そもそも先ほども申しましたように、この新幹線というものは現在の東海道線の複々線工事である、広い意味では改良費であるという見解にスタートしておりますので、残りの百八十両は、もし現在線に線路容量があれば当然増車をして増発をすべき車を新幹線用としてつくって新幹線に動かせる、そういう意味で性格的には改良費から支弁すべき性質のものであると考えまして、したがって、ことし、三十八年度の成立予算の債務負担額のうちの車両費も例年よりも非常にふえまして、三百五十億円の債務負担額をお認め願っておるわけでございまして、それでもって開業までには残りの百八十両を手当てする考えでおるわけなのでございます。
 それから、私から御答弁するのは筋違いかもしれませんけれども、貨物輸送の点でございますが、これは当初旅客と同時に貨物も開業した方がいいという考えで、そのようにいままでお答えを申し、また考え方を御説明しておったわけでございますが、これも先ほど申しましたように、現在線と合わせて最大の輸送能率が発揮できるような運転方式を考えるべきではないか、最も端的に言いますと、東京――大阪間の広軌幹線だけにかかる貨物輸送量がどれくらいで、それから東海道の現在線自体を利用しなければならない貨物輸送量がどれくらいかということからいろいろ検討いたしまして、少なくとも来年の十月一日に新幹線を開業さして、現在線の主要な旅客列車を先ほど申しました本数程度転移すれば、残りの線路容量で相当程度の貨物輸送力の増強ができる、したがって開業と同時に貨物輸送もそろえてやることは、むしろ端的に言いまして一時的な過剰投資になるのではないかというような考えで、ただいま事務的には貨物輸送は開業後引き続いて計画はいたしておりますが、開業の日に耳をそろえてということは、ただいまの時点では実は考えを改めたわけであります。その点、新総裁にはまだその御説明をいたしておりませんが、先ほど私が御説明いたしました八百七十四億程度あと追加していただきたいという考え方の中には、ただいまのような考え方を骨子にして数字をつくっておる次第でございます。

○井手委員 山田さん、答えは簡単に願います。そうしますと、最初予定された三百六十両をつくるならばさらに百三十億が必要だということになりますな。

○山田説明員 金額的にはそのようになります。

○井手委員 それから山田常務にさらにお伺いいたしますが、あなたのほうから出されたこの資料、これは国会で説明になりました。さらにこの資料についても説明になりました。御存じでしょう。これに約束されたサービスは、いわゆる大阪駅では貨物の場合には高架線にするという約束、それを約束どおりに実行するとすれば、改良とかなんとかいうあなた方の逃げ道は別にして、幾らかかりそうですか。あなたの責任じゃないのですから、遠慮なくおっしゃってください。最初のこういう約束どおりにおやりになるとすれば、今回の千五十億にさらにさらにどのくらいかかりますか。車両の百二十億はわかりました。そのほかに引き込み線の関係や駅舎の関係そういったものを含めますと、さらにどのくらいかかりますか。

○山田説明員 千五十億円、つまり現在考えております開業までの八百七十四億に約百七十億円程度加えた約千五十億円、これがいままで御説明をいたしておりました、その当時一応おぼろげに考えておりました開業の姿プラス若干改良的な姿になる数字であります。したがって貨物輸送の内容も千五十億の中には入っておるわけであります。

○井手委員 聞き違いのないように願いたいと思うのです。こういう、大阪駅では貨物はこう取り扱いますという約束をなさっておるでしょう。あなたのほうの出された資料によりますと、これも最小限度、上屋はないようにという最小限度に切り詰められておるのですよ。だから千五十億円必要だとおっしゃいますが、そのほかにさらに百三十億円も百八十両の車両費が必要になるわけでしょう。そのように約束どおりにやればどのくらいかかりますかと聞いているのです。千五十億円にさらに三百億円くらい必要ですか、どのくらい必要ですかと聞いているのですよ。だから百三十億円を加えてどのくらい必要ですか。

○山田説明員 最初という言葉がございましたので、最初、そもそものスタートが千九百七十二億円でお願いしたわけであります。その当時考えておりましたときすでに、車両については百八十両は新幹線の増設費でまかなうそしてその残余は改良費でまかなうということを考えておったわけでございます。それから貨物設備、貨物輸送につきましては、その当時は開業と同時にやろうという考えでおったことはただいまも申し上げたとおりでございますが、それが昨日最終的に計数を詰めたその基本的な考え方で、貨物輸送は必ずしも十月一日同時にやらなくてもしのげるということで、八百七十……

○井手委員 ちょっと中間ですが、私はそんなことを聞いておるのではございませんよ。あなたのほうは計画を縮められた。それはわかっていますよ。しかし国民に約束されたとおりにやれば、どのくらいかかりますかと聞いている。簡単な話ですよ。三百六十両の新しい車両で、そして超特急は一時間おきに連転する、貨物も同時に営業する、上屋はどうする、駅舎は拡張する、そういう約束どおりにすれば、千五十億のほかにどのくらい要りますかということを聞いている。あなたの責任を問うているわけじゃない。遠慮せぬで、そんなに気を回さぬでいいんですよ。

○山田説明員 決して私そういろいろなそんたくをしてお答えしているわけではございませんが、総額千五十億円程度になれば、最初にお約束いたしました千九百七十二億円のときの姿プラス改良的なものができるということをお答えしておるのでございます。それに車両費を加えて表現すべきではないか、こういう御意見でございますれば、最初から考えておりました改良費的な車両費が百三十億円ございますということになるわけであります。

○井手委員 それでは聞き直します。具体的にこう聞きましょう。改良とか建設とかいうあなたのほうの考え方は別にして、あなたのほうの計画は、改良にあってもかまいませんが、最初に国民に約束されたものをそのとおり実行するとすれば一千五十億のほかにどのくらいかかりますか。駅舎を非常に縮小されておる、車両も縮められておる、貨物もあと回しになっておる、そういったようたものを約束どおりにされた場合に、改良費でもかまいません、それを実行すればどのくらいそのほかにかかりますかということを聞いているんですよ。

○山田説明員 千五十億という全投資額では、いまおっしゃいましたような駅舎を縮みるとか、そういう事態は全然起こりません。新幹線全体で幾らかかるかと言えば千五十億円プラス車両費である、こういう表現が正当かと思います。

○井手委員 じゃ、百三十億円というのは千五十億円のほかに必要である、そうすると、大阪駅におけるターミナルの貨物設備あるいは東京の始発駅の貨物設備なり、中間の名古屋であるとか静岡であるとかいうようなところの設備も約束どおりできるわけですか。約束どおりですよ。山田さん、この地図にあるとおりそれでできますか

○山田説明員 貨物設備につきましては、東京と大阪、具体的には品川と鳥飼の設備ができるのでございますが、中間の静岡等の設備はいまの千五十億の中には入っておりません。

○井手委員 だから、ここに書いてありますように、貨物駅は四駅で、東京、静岡、名古屋及び大阪の各地に設けますと約束されておりますよ。その約束どおりにやった場合にどのくらいかかるかということを聞いているんですよ。あなたのほうは改良費として今後逐次おやりになるおつもりでしょう。その分は幾らになりますかと聞いているのです。

○山田説明員 その問題は、静岡、名古屋等に本格的な貨物設備をする際には、東京、大阪の両ターミナルの能力が及ばなくなるであろう、したがいまして現在線の貨物改良計画とあわせまして、これはいろいろうわさに出ておりますたとえば大井埠頭の埋立地を利用して汐留まで移転してやったらどうかとか、あるいは第二汐留という意味で品川先に大貨物駅をつくったらどうかというように、その段階になりますと、現在線の貨物輸送改良計画とあわせて考えなければならない問題でございますので、それは将来の問題としてまだ具体化はいたしておりませんが、かりに第三次五カ年計画を立てる必要があるとすれば、その中へ織り込まなければならぬものだなということで、いま研究しておる道程でございます

○井手委員 山田さん、あなたは改良費、改良費とおっしゃるが、建設当時に約束されたものは新幹線増費の中に含むべきものじゃございませんか。財源の点から、予算が不足したからやむを得ず最小限度にとどめるような事業の縮小をなさっておるのですから、あなたのほうは改良で将来やりたいとおっしゃいますけれども、本来は改良で見るべき問題じゃございませんよ。建設費の中に初めから入っておるじゃございませんか。やむを得ないから後日、改良、改良で何とか約束どおりに何年かかかってやろうというお考えでございましょう。改良で逃げられるものじゃございませんよ。本来は建設費の中に入るべきものです。それは幾つかは聞いている。これはわかっているでしょう。なるほど名古屋であるとか静岡であるとかについては、いろいろ今後の計画も出てまいりますから一がいに申せませんが、あなた方が約束されたものを実行する場合には、車両費の百八十両分を含めてどれくらいかと聞いておるのです。それもわからぬですか。三百億は下らぬはずですよ。

○山田説明員 これはおしかりを受けましたけれども、実は十月一日の開業には一応貨物はやらないという考えでございましたので、本日御説明しましたと同じ精度、同じ確かさの検討を加えた数字ではございませんけれども、大井埠頭を加えまして約二百四、五十億円程度の金が要るのではないかという程度の試算はいたしております。なお私先ほどから改良的、改良的と申しましたのは、これは井出先生のほうはむしろ御専門家でございますけれども、新幹線増設費というのは一応建設仮定的な性格の予算でございまして、これが開業いたしますと即日、この量は非常に大きな金額でございますけれども、性格的には現在線と同じ性格の予算になるわけでございます。したがいまして私改良費、改良費と申しましたのは、開業後に新幹線増設費という項もなくなるであろう、そういうことを実は考えて申し上げたわけでございます。

○井手委員 それじゃいまあなたの御答弁にあったように、約束どおりにすれば二百四、五十億円かかろうというわけでございますね。そうでしたね、いまの答口弁は。

○山田説明員 それがまことにあいまいな答弁で申しわけございませんが、当時大井埠頭をどうするか、それを含めた現在線の大改良計画は当時トピックにあがった程度でございます。たとえば東京の終点を皇居前の広場に持っていこうとかいう程度の精度で話があった話でございまして、その程度のことがいままで持ち越されておりまして、その程度の精度をもって一応試算すると二百四、五十億になろうかということを申し上げておるわけでございます。

○井手委員 いまの御答弁はこの前吾孫子副総裁からも大体そういう数字が出てまいっております。だからこれは新総裁も開いておいてもらいたいのです。今度補正が必要だと国鉄でお考えになっておりますのは千五十億円、それに約束どおりに貨物も同時に運転するし、三百六十両のきれいな約束された車両で旅客を運行するということになりますと、少なくとも千三百億円は必要であるという結論になっているのであります。
 そこで総裁にお伺いしたいのは、昨年すでに貨物は後日に譲るという決定があったようでありますが、これは国民に対する約束が変更されたことになるのであります。この点については総裁は、それはしようがない、貨物だけは後日に譲るというお考えでございますか、約束は約束であるから、それは新総裁になって第一の仕事として公約を守って、サービス第一であるから貨物も同時にやるように研究をしたいというお考えでございますか、その点をお伺いいたします。

○石田説明員 繰り返し同じことを申すようでまことに相すみませんが、私は全く小学校の一年生のずぶの初めなんで、何にもわかっておらぬ。いまの御質問の点はよく研究いたしまして、ひとつ後日しかるべきときにお答えいたしたいと思います。どうぞお許し願いたい。

第043回国会 運輸委員会 第38号 昭和38年7月6日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0016/04307060016038a.html

○井手委員 そこに私は見込み違いがあったと思うのです。この東海道新幹線の計画が見込み違いであったと同様に、監査委員会の受け取りに私は違いがあったと思うのです。

 そこで続いてお伺いいたしますが、八百七十四億円が妥当であるとおっしゃる。しかし、私どもがここで一番聞きたいことは、これは昭和三十三年から三十四年にかけて、東京-大阪間、超特急三時間で走らせまして、一時間おきに走らせます、貨物は五時間半で走らせますという約束で発足したこの新幹線の工事ですから、この八百七十四億円、これでは計画どおり、公約どおり開通するものではないのです。あなたのほうの報告書によりますと、別紙三にいろいろな計画が圧縮されておる。駅舎関係、貨物関係、そういうものはずっと圧縮されておりますが、八百七十四億円で一応開通はできるが、こういう圧縮されたものを計画どおり、国民に対する約束どおり実行するとすれば、あと幾ら必要でございますか。あと四百億円必要ですか、五百億円必要ですか、それを聞きたい。それはわかっておるはずです。あなたのほうはこれがわからぬでは大へんです。これこそ監査委員会の無能と言わねばなりません。八百七十四億円はともかく超特急を走らせるだけの最小限度の費用なんです。三十三年から三十四年にかけて国会で約束された公約どおり実行するにはあと幾らかかりますか、それをお伺いいたします。

○岡野説明員 今度の命ぜられた内容は、貨物列車は抜きにする、それでその他こういう第三表のように工事を進めていくについて、はたして八百七十四億円が妥当なりやいなや、こういうように私は解釈しておる次第であります。したがいまして今後、一番初めの計画をそのまま貨物輸送まで加えて幾らかかるかということは、新たにこれは調査し、計画をしていかなければわからないことと思います。それはどういう監査委員長が参りましたとしても、この席でそれが、あるいは調査をして短期間にその点までわかるという人は……(「神様じゃなければわからない」と呼ぶ者あり)神様じゃないか。ここに国鉄の関係者がたくさんおりますが、監査委員長ばかりでなしに、それに直接関係をしておる人でも、的確にこの数字を言い得る人は何人あるかといって、おそらくないのじゃないかと思います。

○井手委員 私は監査委員長のその人柄をかねがね多くの人から承りました。円満な人であり、手腕家であると承りまして、私も非常に敬意を表しておりましたが、ただいまの答弁は、いかにあなたの世論がよくても、これは受け取れません。ちゃんとこの中に数字はあるのですよ。私も持っています。あなたはここにおる者はだれも知らないとおっしゃるけれども、私自身が持っているのです。そんな答弁はすべきものじゃございません。それじゃ監査委員会じゃないですよ。監査委員会というのは、私が申し上げるまでもございません、昭和三十三年に答申され、三十四年から発足したこの新幹線の工事、国民に対する約束を私は重ねて申し上げます。東京-大阪間超特急一時間おきに三時間で走らせます、二、三十分おきに特急を走らせます、貨物は東京-大阪間五時間半、晩に出した荷物は朝に配達できますというのが国会に対する約束じゃございませんか。この約束のものをいかに円滑に、適正な予算の執行によってこの工事を進めていくかという、その業務を監査するのがあなたのほうの任務でしょう。そうでしょう。しかるに大事な一本は、貨物のほうはあと回しになった。あと回しになったものは数字は幾らかわかりませんということでは、これじゃ監査委員会の任務じゃありませんよ。世間で通りますか。それが貨物関係は二百億円ちょっとこえる。車両や駅舎関係で二百五十億かかる。八百七十四億円のほかに。委員長よく聞いてください。八百七十四億円が妥当であるとおっしゃったその金額の、その上になお百七十四億円の金がなくては来年十月の開通には支障が起こりますよ。百七十四億円必要である。こうこの間国鉄から報告が出ております。これはあとでお伺いいたします。そういう数字までわかっておるのに、何で監査委員長がわからぬのですか。国民への公約を実現されるかどうかを監査するのがあなたの任務でございましょう。何ならその辺で聞いてください。

つまり、874億円の予算不足が問題になった際に、更に貨物に必要な予算が200億円あるが、それは圧縮(カット)されたということか。

ちなみに、新幹線による貨物輸送のイメージについては下記のように述べられている。

第038回国会 運輸委員会 第12号 昭和三十六年三月十六日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/038/0016/03803160016012a.html

○磯崎説明員(日本国有鉄道常務理事) お答え申し上げます。

 ただいまの御質問、新幹線ができた際の新幹線と現東海道線の使い方をどうするか、ことにその両者の間に輸送力のアンバランスがあってはいけないという御指摘だと存じますが、その点は確かに非常に大きな問題でございまして、東海道新幹線自身が、現在の東海道線の隘路を打開するということに主力を置いております以上、ただいま御指摘になったように、現在の東海道線の隘路がそのまま残ったのでは意味がないということにもなります。私どもの今の計画の数量の推定によりますと、旅客につきましては、現在線全体の約七割三分程度のもの、貨物につきましては、二割三分程度のものが新幹線に移るというふうに考えております。しかしながら、もちろん新幹線の方はその駅数老少のうございますし、ローカル輸送にはこれは使えませんので、新幹線は主として大都市・あるいは今きまっておる駅相互間を直接結ぶ場合、それから現在線から出発して一たん乗りかえていただきますが、新幹線を利用していただく、こういうお客様を合わせますと、現在の約七三%移るというふうに考えられます。新幹線の運転の計画は、大体今ダイヤを引いておりますが、二十分ないし三十分に一ぺんずつ特急なり急行を走らせるということをいたしますれば、今までのように、切符を買うために時間をロスするというようなことでなしに、待たないでとにかく特急でも急行でも乗れるという制度にいたしたいと思っております。それと同時に、現在線があきますので、その分につきましては、ちょうど東京付近で電車を利用される方が、あまり待たないでお乗りになれると同じような格好で、東海道線の現在線については、十分ないし十五分でもって等時隔のダイヤを作るということによりまして、非常に近距離輸送が便利になるというふうに考えております。

 貨物につきましては、旅客に比較して転化率が非常に低いというふうに御指摘になると思いますが、これは御承知の通り、現在の東海道線で送っております貨物は、東京、大阪発だけのものでなしに、主として東北から関西へ、あるいは西の方から東の方へという、日本のメイン・ラインになっておりますために、東海道線から出ます貨物だけでないものが大部分でございます。従いまして、約二三%程度の転化を見ておりますが、将来、新幹線につきましては、今試験的にやっておりますコンテナーの輸送、あるいはパレットの輸送という新しい輸送方式を考えまして、それによって、たとえば東京から発車いたしますコンテナー、あるいはパレットにつきましても、なるべく集荷の範囲を広くいたしまして、関東一円から関西一円に発着する貨物は極力新幹線で送る。そういたしますと、夕方発送した貨物が翌日の朝着くという速達にもなるし、また国家経済的に見ても非常に輸送コストが下がるというようなことも考えられまして、貨物輸送につきましては、夜間の新幹線のあきます時間帯を利用して、極力転化さすように、輸送方式の転換の方面からも努力して参りたいというふうに考えております。

 それからもう一つ、簡単なことでございますが、今まだそこまではっきりきまっておりませんけれども、新幹線ができましても逆に、たとえば東京から大阪までいらっしゃる夜行のお客さんがどうしてもあるわけでございます。また九州方面にいらっしゃるお客さんは、やはり大阪で乗りかえるのはいやだ、ぜひ直通で行きたいとおっしゃる方もたくさんあることは当然と存じますので、これらの方々のためには、ある程度の夜行列車なり、ある程度の九州直通の列車というものは、当然現在線に残さなくてはならないということも考えております。何本残すか、何本九州行きの特急などを新幹線に置くかということについては、今後の旅客の伸びなどを検討して、今具体的な案を作成中でございます。いずれにいたしましても、御指摘の通り現在線と新幹線との輸送のアンバランスがないように、十分計数的にも検討をいたして、間違いのない案を作りたいというふうに存じております。

また、新幹線開業後、名古屋市内の日比津貨物駅予定地に係る質疑がなされ、貨物新幹線の実施見込みについて「昭和43年秋に開業したい」旨の答弁をしている。

第048回国会 法務委員会 第10号 昭和四十年三月五日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/048/0488/04803050488010a.html

○赤松委員 国鉄当局にお尋ねをしたいと思いますが、名古屋市の中村区の日比津というところにございます農地の問題ですが、これが国鉄において所有されたのは太平洋戦争のとき、すなわち昭和十八年、当時戦時輸送力増強のため軍部の圧力によって、事のいかんを問わず、いわゆる国策と称して強制買収されたのであります。ところが、この戦時中における農地の強制買収につきましては、昭和三十三年三月十四日、最高裁の第十一小法廷で判決破棄、差し戻しになっております。それで、この事件は神戸で起きた事件でございますが、これにつきまして、上告人は兵庫県知事、被上告人は日本国有鉄道、原審は大阪高等裁判所で行なわれました。そして国鉄は、農地を農地法第六条によって保有することができないので、耕作者に国が買い上げて売り渡しをすべきである、こういう判決が下っておるのであります。したがって、この判決に基づきまして、農民は直ちに中村区農業委員会に手続をいたしまして、昭和三十二年七月十二口これを議決をして書類を愛知県知事に出したのでございます。ところが国鉄当局は、東海道新幹線の建設計画にあたって、この土地を貨物駅にするという計画であることが知事に対して回答がありました。そこで当時、すなわち昭和三十三年五月に、関係耕作者が協議会を結成しました。三十三年八月に、この協議会によって、この農地を耕作者に返すべきである、すなわち、農地法で解放されるよう国鉄当局に陳情を続けました。これは当時私が立ち会いまして、国鉄の当時の用地課長赤木さん、それから橋本さん、こういう人と、本社で前後四回にわたりまして、いろいろ折衝を重ねたわけであります。その際、国鉄当局のほうでは、この農地買収について、すみやかに返すべきではあるけれとも――農林省もわれわれの意見を支持しまして、即時返すべきである、こういう意見を国鉄当局に申しておりましたけれども、国鉄当局は、新幹線建設という国策の線に沿って協力してくれということで、具体的に坪当たり幾らという金額を明示されてきたのであります。

 そうこうするうちに、さらに県当局にその解放を実施されるよう陳情して、そうして県議会は、自民党、社会党を問わず、これを支持しまして、さらに昭和三十四年二月には、農林省の農地課の中島課長、それから三上技官などに陳情して、そうして、農林省も、先ほど申し上げましたように、これら農民の意見を支持して、国鉄と交渉を行なってまいりました。

 そこで、三十五年の五月に、私が勧告しまして、これは国策の線に沿って、農地を国鉄に買収してもらうべきだ、これは必然の大勢であるから、どうしても国鉄は貨物駅をつくりたいというのであるから、この際、土地に対する執着はよくわかるけれども国鉄に協力したらどうかということを勧告しまして、そこで交渉委員十一名を選びました。それから国鉄側から赤木用地部長が名古屋に参りまして、そして用地の変更ができない旨を説明いたしました。越えて三十五年七月、新幹線名古屋工事局の用地第三課長より、貨物駅の計画のため離作、すなわち耕作をやめるようとの交渉を受けました。交渉委員十一名で強く、この農地が戦争遂行上、強制的に軍部の強権で買収されたものであるから、われわれはあくまでも解放してもらいたいという要求をした。その後十回にわたって用地課長、係長らと交渉したが、いずれも用地を貨物駅として使用したいということで、この解放の要求を今日まで、ぜひ解決をしたいということで交渉が続けられてきたのであります。ところが、最近聞くところによれば、これは私は電話で新幹線の局長に聞いたのでありますが、あの用地は、戦争中軍部が強権を発動して強制的に買収した、ところが最高裁の判決もこのようにあり、すみやかに農民に返すべきである、しかし新幹線という国策を遂行する上で協力をするように、私は一貫して指導してきた。ところが採算がとれないのでもう貨物駅をつくることはやめた、そういう計画変更が今度行なわれる。そうすると、貨物駅をつくらないということになるならば、当然農民に湿してやるべきだ。すでに農業委員会の議決もとっているわけです。ところが、どうもこれを用途変更して他に使うというようなうわさが流れている、もしこれが他に使われるということになるならば、私は農民を説得して国鉄に協力してきた、そういう協力の努力が水のあわになるばかりじゃなしに、これは農民から土地を強権で奪い取って、なお戦争中のそういう強権発動の行為が戦後も続いておるということになるならば、しかも貨物駅に使わないで用途変更して他のものに使うということになるならば、私は重大な問題であると思うのでありますが、この際、国鉄当局の責任ある態度を明らかにしてもらいたいと思います。

○柴田説明員(日本国有鉄道常務理事 柴田 元良) ただいま先生から日比津の用地のいままでの経過につきまして御説明がありましたが、国鉄といたしましては、新幹線を利用いたしまして高速の貨物輸送を行なうということが、国鉄の営業上どうしても必要なことでございまして、またその需要につきましても十分の採算を持っておりますので、なるべく早く新幹線による貨物輸送を行ないたい、こういうふうに考えて計画を進めております。したがいまして、日比津の用地を国鉄において貨物輸送のために使うということは、何ら変更する気持ちもございませんし、なるべく早くお話をまとめていただきまして、貨物駅として、またあそこに計画しております電車の誘致線を設けるという計画も含めまして、すみやかに使うようにいたしたい、こういうふうに考えて、目下計画を進めておる次第でございます。

○赤松委員 そうすると、貨物駅は、着工もしくは完成はいつごろになりますか。

○柴田説明員 ただいま貨物駅に入ります地点までの名古屋からの路線につきましては、約三キロでございますうち二キロはすでに完成をいたして高架線もできております。したがいまして、あと約九百メートルが新たにこれは買収をいたす必要がございますので、ただいまその買収と、先生のお話しの場所におきます問題の解決をできるだけ早く急ぎたい。したがって、工事に着工できますのは、その問題の解決しました早い時点でございまして、いまのところ四十年からでも着工いたしたい、このように考えております。

○赤松委員 四十年着工ですね。国鉄の柴田さん、よく聞いておいていただきたいんですが、農民は返してくれと言ってるんです。国鉄の貨物駅をつくることは、反対だ、つくってもいいからほかでおつくりなさい、農地を買収するのは反対だ、こう言っているんです。それをこれから説得しなければいけない。すでに最高裁の決定によれば、これは農業委員会の議決を経て当然農地を返すべきだ。――農林省の石田管理部長、大河原農地課長、よく聞いておいていただきたい。あなた方来るのおくれたからもう一ぺん説明しますと、私も農林省に参りまして、昭和三十四年二月に、当時の農地課の中島、課長、これは大河原課長もよく御存じだろうと思いますが、その中島課長にもよく事情を話しまして、中島課長も当時私どもの主張を支持してくれた。この農地は戦争中強制的に軍部が強権を発動して買収したのであるから、当然これは最高裁の判決に従って返すべきである。こういう意見なんですが、その後国鉄のほうからはぜひひとつ協力してくれ、私もそういう観点で実は農民を指導してきた。新幹線という国策に沿ってひとつ協力しようじゃないかということでやってきたんですが、なかなか農民は納得しないわけです。ところが、最近貨物駅に使わないということが新聞に発表された。私も局長に電話して確認したら、いや貨物駅は採算がとれませんからもう計画はやめました、こういうことなんですね。いま国鉄の柴田理事にお尋ねすると、いや残った分については四十年に着工する、こういうお話なんですね。この辺のところがどうもあいまいで、当時新幹線局長は廃止の方針であったけれども、その後事情が変更したのかどうか、もし事情が変更してないということになると、局長は私にうそをついたということになるし、あるいは柴田さんはそんな人じゃないけれども、ここでうまくごまかして、そしてずるずる延ばして用途変更をやろうというようなこともうかがわれるわけです。万々そういうことはないと思いましても私もあなたの御答弁を信頼しますけれども、その辺のいきさつはどうなんですか。

○柴田説明員 国鉄が新幹線を開業いたしますまでには、先生も御承知のとおりに予算不足の問題がございまして、昨三十九年の十月に旅客の輸送開始をいたすまでの間に、いろいろとやむを得ない予算上の事情から、計画の変更と申しますか、一部をおくらせざるを得なかったということがございまして、その結果として、貨物輸送は、できれば一番最初は三十九年の十月、昨年の十月同時に開業するという計画でございましたけれども、ただいま申しましたような事情でおくれざるを得ない、ただいまの予定では四十三年の秋、これはどうしてもその時期になるという事情がございますために、とりあえず旅客輸送の増強にただいま力が入っておりますために、先生が多少不明確であるとおっしゃった点があるいは間違って伝えられたかと私は解釈いたしております。

○赤松委員 一月二十九日の朝日新聞が、「超特急貨物を断念、新幹線経済的に引き合わず」という見出しで、結局内容はこまごま申しませんけれども、「河村勝営業担当常務理事も二十八日「貨物の超特急は経済的に引合わない」と断念をほのめかした。」さらに最後に、「貨物列車用基地は、旅客基地として活用することになり、世銀に対しては改めて事業計画の変更を説明し、承認を求めることが必要になる。」、こういうふうに報道している。この報道は誤りですか、どうですか。

○柴田説明員 河村前理事が記者会見のときに新幹線の貨物輸送について触れましたそのときの空気は、私は直接立ち会っておりませんからわかりません。また新聞の報道も、受け取り方によりましていろいろのニュアンスで報道されたように私も考えております。ただ国鉄といたしましては、貨物輸送を実施いたします時期が当初よりおくれておりますことも事実でございますし、またこれをいたしますのに今後相当の投資も必要でございますので、その辺の空気の中で彼個人として御発言になったというふうに私は考えます。

おって、http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/H1530a00870000/024704398137.pdf では下記のような想定問答も含まれている。

貨物新幹線

(追記) 貨物新幹線については、下記のような記事もその後かいておりますので是非あわせてご覧ください。

東海道新幹線開通後の貨物新幹線に係る国鉄の取り組み等(貨物新幹線は世銀向けのポーズなのか)

貨物新幹線の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その1)

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