カテゴリー「土浦ニューウェイ・筑波学研都市新交通システム」の10件の記事

2016年5月 8日 (日)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

 自分が都市と交通の問題に関心を持つようになったきっかけは、約30年前に出会った岡並木氏の「都市と交通」、田村明氏の「都市ヨコハマをつくる」ともう一冊、これが書名も出版社名も全部忘れており探しあぐねていた。

 ところがあっさりと歩いていける図書館にあったのだ。おお懐かしい。

地域交通を歩く

 大西隆氏の「地域交通をあるく」。大西氏が東大教員になる前にODみたいな形で開銀にいたころの著作だ。全国の様々な交通問題を抱える街を歩いてトヨタ系の雑誌に連載していたものをまとめたものだという。

札幌-地下鉄とバス、マイカーの結合を

沢内・湯田-集落移転と山村生活の改善

仙台-地下鉄は切札たりうるか

郡山-拠点性を高める交通都市

筑波-デュアル・モード・バスの社会実験

高崎・前橋-競い合う双子都市の将来

長岡-ビッグプロジェクトが集中して

金沢-非戦災都市という「災褐」

長野-成功するか「セル方式」

岐阜-計画の自立性と推進力をどう確立するか

掛川-地方の時代の郷土づくり

矢作川-水がとりもつ「共同体」

和歌山-恵まれた交通環境の将来展望

鳥取-過疎の足バスの運命は

岡山・香川(その一)-「本四架橋悲願」の彼方に

岡山・香川(その二)-本四架橋の陰影にも光を

高知-三○万都市への飛躍

北九州-都市の足、モノレール第一号

長崎-突端の町を行く路面電車

宮崎-試練の秋か、パーク・アンド・ライド方式

那覇-ナナサンマルを越えて新しい交通体系を

 おお、「筑波-デュアル・モード・バスの社会実験」があったではないか。ということで、いつまでも終わらない『終わる終わる詐欺』「土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)」をいってみよう。

筑波に新交通は本当に必要なのか

 今回のテーマである筑波での新交通システム-デュ アル・モード・バスシステム-の実用化の問題もまた概成期以後の筑波の進むべき道と密接に関連してくる。 すなわち、新交通システムは筑波に本当に必要な都市施設として建設されるのか、それとも研究都市にふさわしい社会実験として試みられるのかである。

 筑波研究学園都市は、職住近接の街である。東京への通勤交通は街の生命線ではない。総事業費一兆円を超えるプロジェクトだけあって、道路の整備状態はよく、九〇%を越す保有率のマイカー交通を支えている。これに路線バス、ハイヤー、自転車、徒歩が加わり、筑波の交通体系が構成されている。「地区内交通の現在の課題 は、自転車専用道網の整備」(石黒氏)といわれるように比較的恵まれた交通環境にある。土浦方面への交通に しても、道路(土浦学園線)にまだ余裕があり、公共交通もバスの増便で対応できそうである。

 つまり、現状は少なくとも都市交通の必須の手段として新交通システムが他の諸都市に先駆けて優先的に敷設されなければならないという状態ではない。しかし、現状はそうであるにしても将来はどうなのか。そこで概成期以後の筑波の将来が、新交通システムをめぐって重要となってくるのである。

東京のベッドタウンにすれば七万人の不足分ぐらいすぐに埋められる、といった乱暴な声もある。筑波の理想を真っ向から否定するため、さすがに大きな声になり難いが、もしこうなれば、たちまち新交通システムは住宅 地と国鉄ターミナルを結ぶ通勤幹線となる。

「地域交通をあるく」50頁から引用

 いきなりであるが、「筑波に新交通は本当に必要なのか」ときた。本来職住接近型の学園研究都市だし道路もしっかりしているので新たな公共交通はいらないのではないかというもの。確かに下図の都市名を見ても多くは既存市街地の路面電車置き換えやニュータウン等のバス・自動車では飽和してしまうような箇所が多そうだ。

都市モノレール・新交通システム 未成線及び事業化路線一覧

公共事業ガイドシリーズ 都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社編集部 編から引用。

しかも「七万人の不足」である。これはどういうことかというと、学園研究都市の計画人口約10万人に対して、当時は約3万人に止まっているということである。

 一旦事業化されながら、採算性が合わなくて事業中止になったのはここにポイントがあるのかもしれない。10万人を見込んで事業化したが実際にはその3分の1しか住民がいないので採算がとれないと。。。

デュアル・モード・バスシステムの特性

 こうした中での新交通システムの登場である。計画は研究学園地区の中心部から、常磐線土浦駅まで約一五キロメートル。このうち、研究学園地区内の大学病院-ターミナル間一・五キロメートルが事業決定され、総工費四二億円をかけて着工されようとしている

 筑波の新交通システムは、デュアル・モード・バスシステムと呼ばれ、専用軌道(ガイドウェイ)と一般道路 を同一車両が走り分ける。ガイドウェイ上ではコンピュータのコントロールで無人走行し、一般道路では通常のバスと同様の有人走行となる。ガイドウェイを走行する新交通システムの試みは大阪の南港や神戸のポートアイ ランド等で工事が進められているから、筑波での試みは、デュアル・モード・システムとして初めてのものとなる。

 実は、このデュアル・モード・バスシステムと研究学園都市とはとりわけ縁が深い。学園都市内に移転した建設省土木研究所で、実験コースが設けられ、技術開発が進められてきたからである。「昭和五十三年度末で必要な研究はすべて終わり、あとは実用の段階に入った」(神崎紋郎·建設省土木研究所新交通研究室長)。

 その第一弾が、研究学園都市となったというわけである。

 しかし、建て前は研究学園都市のデュアル・モード・バスシステムが実用化第一号であっても、内実は土木研究所内での実験から、一般市街地での社会実験という性格を持つことは否定できない。「無人運転のガイドウェイ上での客扱いがどうなるか」 (神崎室長)など、研究開発陣も社会実験に強い関心を寄せている。

 事業決定された筑波でのデュアル・モード・バスシステムが、実験的性格を持つといわれるのは技術的領域についてだけではない。デュアル・モード・バスシステム は、どのような都市にどのような目的で適用されるべきか、というソフトウェアの核心に、何らかの解答を引き出すことも社会実験の重要なねらいに違いない。実際今度事業決定された一・五キロメートルは広幅員の街路や歩行車専用道が既設され、ガイドウェイを敷設する必要性は最も少ない地区である。また土浦駅までの延伸計画にしても、職住近接、低密度の研究学園都市を前提とすれば、交通計画的にどれほどの緊張性があるか疑問であろう。そこでの事業化はあくまでも今後の全国的適用のためのパイロット事業的性格を持つのは当然であろう。

 

「地域交通をあるく」51~53頁から引用

 既存の交通手段では飽和していないにもかかわらず、新交通システムを事業化した理由は、筑波にある建設省機関が従前から研究していた「デュアル・モード・バス」が使い物になるかどうかの「パイロット事業的性格を持つ」のだという。

 ところで、筑波での「社会実験」を前にしたデュアル・モード・バスシステムは、どのような特性を持っているのだろうか。

 第一に、電車の定時性とバスの利便性を兼ねる点で画期的なシステムである。ガイドウェイ上は専用軌道であるから最小ヘッド間隔一○秒間で、時速四○キロメート ルの定速走行が可能である。一般路上では、通常のバスとほぼ同じ機能を発揮。ダイヤ走行やデマンド走行で、住宅地や業務地できめ細かいサービスが可能である。

 第二に、地下鉄に比べ三分の一か四分の一のコストで建設できる。しかも、インフラ部分-つまりガイドウェイと支柱-は街路事業とされ、高率の国庫補助制度が適用されるため、施設者、利用者の負担軽減が図れ る。

 第三に、省力化である。ガイドウェイ上の完全無人走行システムが開発されている。運転者はモードインターチェンジと呼ばれる一般道路とガイドウェイの接合点までバスを入れればよい。あとはコンピュータに管理されながら誘導装置に従ってガイドウェイ上を無人走行す る。

 第四に、電気バス方式による無公害化である。バスはガイドウェイ上で送電のほか、バッテリーへの充電を受け、一般道路ではバッテリー走行する。

 こうした特性のデュアル・モード・バスシステム。その適用地として、土木研究所では、①住宅団地と鉄道駅 ②空港や港湾と都心、③鉄道駅とレクリエーション地域などをあげている。つまり、二地点間にある程度まとまった量の交通需要があり、かつ各端末では最終目的地が分散しているケースである。

 

「地域交通をあるく」53~55頁から引用

 「デュアルモードの導入促進に関する調査業務報告書」によると、 「2001年 3 月 23 日、国内初の実用路線として名古屋ガイドウェイバス志段味線(ゆとりーとライン)が開業。」

デュアルモードバス1

デュアルモードバス2

 こんな感じのものが筑波にできる目論みだったということだ。

 「地下鉄に比べ三分の一か四分の一のコストで建設できる。しかも、インフラ部分-つまりガイドウェイと支柱-は街路事業とされ、高率の国庫補助制度が適用されるため、施設者、利用者の負担軽減が図れ る。」というメリットがあるものの、これは建設に係るコストが削減されるだけである。日々の運用の赤字を補填してくれるわけではない。そもそも「筑波に新交通は本当に必要なのか」というような情勢のなかで、新交通システムを運用するに値する需要が疑問視されるような状態では「収支見通しがつかない」として事業中止になるのもむべなるかなといったところだ。

 なにせ、10万人住む計画が3万人しかいなかったのだから。

 そうなると、土浦ニューウェイが想定している「4両編成分の新交通システム」というのは遥かにオーバースペックのような気がする。バス1台でも採算が取れなかったのに。

土浦ニューウェイ (5)

日本交通計画協会機関誌「都市と交通」1985年6号「土浦高架街路」(茨城県土木部都市施設課長 田沢 大・著)から引用。

 そして、筑波でのデュアル・モード・バスシステムの実用化の最も大きな役割は、こうした既存の、あるいは開発途上にある他のシステムや対策との比較に十分耐えられるような生きたデータを社会実験の中から得ることである。将来の適用を考えてデュアル・モード・システムに関心を寄せる人々が欲するデータは、例えば次のような事項であろう。

 道路上に高架建設されるガイドウェイの景観への影響。ガイドウェイの設置可能な道路幅員の目安。ガイド ウェイ上の走行システムの維持管理の容易さ。デュアル・モード・バスの普及によるガイドウェイへの自由乗入れ方式の可能性。片端末、両端末で一般道路走行する場合での運転者の必要数、等々・・・・・・。

 

「地域交通をあるく」56頁から引用

 

 ところで、都市形成の点からも、新交通システムの点からも、概成期という転機を迎えている筑波研究学園都市には、いま科学技術博覧会待望論が起こっている。昭和六十年に科学技術博(万国博)を誘致し、五、〇〇〇億円とも一兆円ともいわれる関連公共投資により、懸案を一気に片付けようというわけである。そうなれば土浦駅から会場までの足として新交通システムも整備されようし、周辺の開発ピッチが上がる。確かに研究学園都市 を中心とする茨城県南部に大きな変化をもたらすだろう。しかし、科学技術博待望論から生まれる帰結は、東京への時間距離の短縮によるベッドタウン化ではないのか。もしそうであるならば、かつては東京一〇〇キロメートル圏を断念し、五○キロメートル圏の筑波に立地決定したとき、当時のプランナーたちの胸をかすめた「過密助長につながりはしないか」という危惧は、はからずも適中することになる。この道は避けなければならない。

 

「地域交通をあるく」56~57頁から引用

 ネット上では「科学万博の足として新交通システムの導入が検討された」という話が散見されるが、この部分を見ても「新交通システムの事業化が先、万博の誘致が後」ということが分かる。

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

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2016年1月24日 (日)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

 土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7) で「やめたいのに?やめられない土浦ニューウェイのネタであるが、多分これが本当に最後。(でもね、多分、きっと。) 」と書いたが、またネタが出てきました。というかこんなにネタがあるのに、なんで調べもせずにデタラメばっかり書く人が多いのん?

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (3)

 『東工』90年のあゆみ (日本国有鉄道東京第一工事局)から引用

 なぜ国鉄の工事局の記念誌に載っているのかよく分からないのだが、今までいろいろ探した中で完成予想図はこれしか見たことが無い。

 

 ところで、「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊http://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-26638-2/の23章が土浦高架街路を紹介している。

■1 時代背景と事業の意義・評価のポイント

1.1 土浦市と筑波学園都市の一体化

 茨城県土浦市は、首都東京より北東60km、筑波研究学園都市から南東10kmに位置し、人口12万人を擁する県南地域の経済・教育・文化の中心都市として発展してきた。首都改造構想(素案、1983)において、土浦市と筑波研究学園都市は、東京を取り巻く自立都市圏の核となる業務核都市に位置づけられており、両市が適切に機能分担しながら一体化する構想であった。土浦市は国鉄常磐線の特急停車駅を擁し、筑波研究学園都市の表玄関口として、都市再開発事業、駅前広場整備等が計画されていた。一方、研究学園都市における大学、国の研究機関等の移転は相当に進歩していたが、都心部の熟成が進んでおらず、全体として都市的な魅力に乏しい状況にあった。筑波における国際科学技術博覧会 (科学万博:1985年3〜9月) は、研究学園都市の今一段の充実を期して誘致したものであった。

1.2 筑波新交通システムの段階整備構想

 筑波研究学園都市の新開発地区は縦長で、北端に位置する筑波大学と中央に位置するセンター地区とを結ぶ、新交通システムの導入が1972年頃から構想され、 将来的には土浦駅まで延伸、結節させる構想 (図1) が示されていた。筑波新交通システムは、1978年には国庫補助による都市モノレール等整備事業(筑波研究学園線、延長1.5km)として採択され、事業化に向けた導入システム、採算性の検討ならびに詳細設計が開始され た。

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (4)

 また、筑波研究学園都市建設法に基づき、1980年に策定された「筑波研究学園地区建設計画」において 「新交通システム筑波研究学園線を整備する」ことが謳われた。しかしながら事業化区間である研究学園都市の都心部の熟成が未だしの状況にあること、延伸構想区間である土浦・研究学園都市間の都市開発の見通しも立たないことから、当初はバス又は簡易ガイドウェイバスを走らせ、需要が高まってきた段階で新交通システムに転換する段階的な整備が必要とされ、1982年に至り国庫補助に基づく都市モノレール等整備事業そのものは休止の扱いとなった。 なお、広く県南地域についてみると、首都圏の他の方面と比べ放射方向の鉄道網の密度が低く、国鉄常磐線に集中する交通需要を分散させるとともに、沿線地域の開発を促進することを企図して、常磐新線が構想されていた。しかしながら、当時の国鉄財政は破滅的な状況であり、国鉄を事業主体と想定した構想は暗礁に乗り上げていた。

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 そして、上記の「国庫補助による都市モノレール等整備事業(筑波研究学園線、延長1.5km)として採択され」た路線は下図のとおりである。

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (2)

公共事業ガイドシリーズ 都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社編集部 編 から引用

 ここでも「収支見通しがつかない」とされている。

 また、その断面図は下記のとおりである。

筑波新交通システムの標準幅員

(自動車技術1979年4月号「筑波研究学園都市の新交通システム」大川勝敏・著から引用)

 

1.3 プロジェクトの意義・目的

 本プロジェクトは、土浦市街部区間において、複断面(高架・平面) 構造の街路を計画・建設したもので、 その意義・目的は次の4つである。

(1)中心市街地の交通混雑解消と商業の活性化

 土浦駅東口駅前広場整備とあわせて、都市計画街路の一部を高架構造で整備することにより、一般平面街路上の通過交通を削減し、平面街路の交通混雑を緩和し、あわせて都心部商業地域へのアクセス性を向上させ商業活動の活性化を図る。

(2) 筑波研究学園都市と土浦市を結ぶ交通軸の形成

 当面、土浦駅東口と筑波研究学園都市を結ぶバスのサービスレベルの向上を図る。将来は新交通システムをこの交通軸上に導入し得るよう、高架街路は新交通システムの下部構造として転用し得るよう必要な設計諸元をもたせる。

(3) 国際科学技術博覧会開催時の観客輸送

 科学万博の開催時、土浦駅東口から万博会場へスムーズにバス輸送するため、高架街路は科学万博の開催までに開通させる。

(4) ショッピングモールの設置

 高架街路のうち土浦駅に近い区間は、旧来からの沿道商店街を縦断する形で計画するため、立ち退きを迫られる商店街の移転と中心市街地の活性化を視野に入れたより積極的な対策として、商店街を収容する建物整備と周辺の歩行者空間整備を実施する。

1.4 プロジェクトの評価

 本プロジェクトは、計画及び事業の両面から当時高く評価された。まず計画面では、本プロジェクトは新交通システムの段階的整備の考え方の先行事例であって、高架橋は交通混雑緩和対策 としての単なる高架橋ではなく、将来新交通システムのインフラとして転用し得るよう、計画・建設された点であった。新交通システムの経営には沿線の交通需要が十分に高まる必要が不可欠であるが、需要の低いうちは高架街路上のバスサービスで対応し、需要の高まりを見極めてから、高架街路上に新交通システムの走行路、電力線、通信線等を付加し、従来のバス停を新交通システムの駅へと改造することが段階整備の眼目である。この考え方は、交通需要の相対的に小さい地方中核都市および大都市圏内の周辺都市において、現在も適用可能な考え方である。 次に事業面での第一は、土浦市が実施したショッピングモール事業 (川口ショッピングモール、通称モール505) は、移転を迫られる店舗を一括して高架橋の沿道残地に新築した商業ビルに収容したばかりでなく、高架橋の足下周りに造成された歩行者空間と相侯って、中心市街地に新しい賑わいの都市空間を創出した点である。高架街路上のバス停から直接モールにエスカレーターで連絡したことも併せ、本プロジェクトの計画に反対していた住民からも評価を受けた。 事業面の第二は、高架橋のユニークな設計で、小手先のお化粧の美しさではなく、基本構造型式の根本から景観に配慮して設計した点にあった。完成した高架橋は圧迫感があるのではないかとの事前の予想を超えて軽やかであったし、高欄のデザイン、橋梁の色彩などのデイテールまでの配慮は、その後の各都市における市街地の高架橋設計の手本の一つと目された。

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 ネットで検索してみると、「土浦ニューウェイは、土浦の商店街を衰退においやった元凶」という評価が見られるが、その一方で都市計画の世界では高く評価されているのである。

 この事業は、日本都市計画学会の1985(昭和60)年度石川奨励賞を受賞している。

http://www.cpij.or.jp/com/prize/award/list.html

 この「石川奨励賞」とは「都市計画に関する独創的または啓発的な業績により、今後の都市計画の進歩、発展に寄与しうる貢献をした個人または団体を対象とする(会員に限らない)。」ものだそうだ。石川とは私のブログでは三原橋とか都政七不思議で取り上げている「石川栄耀」氏である。

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (5)

http://www.cpij.or.jp/com/prize/upload/file/1985.pdf

 学者の評価と市民の評価が正反対であるというのもなかなか興味深いものだ。

 下記の写真はかつての土浦市中心街(「新しい日本」国際情報社刊から引用)

土浦市中心街

■2 プロジェクトの特長

2.1 新交通システムを考慮した高架街路

 本事業は、都市計画道路土浦駅東学園線の土浦駅東口駅前広場 (8,500m2) から市外縁部の桜川に架かる 学園大橋手前までの延長約3km区間を整備したものである。標準断面構成は、平面街路部2~4車線 (幅 25~30m)、高架部2車線(幅7.5m)で、途中高架橋上3箇所にバス停留所を設置している。

 事業の区分は、市道区間である土浦駅東口から桜町4丁目交差点までの延長約1.3km区間が土浦市施行、 県道である同交差点から学園大橋までの延長約1.7 kmが茨城県施行であった。なお、県施工区間、市施工区間とも国庫補助の街路事業として実施されたが 国庫補助金以外の地元負担分は、住宅・都市整備公団が負担した。

 土浦高架街路に係る都市計画決定は、1983年4月に行われたが、その後当該計画に反対する住民による公害調停および都市計画事業認可取り消し訴訟が出された。これらの対応を終え工事着手からわずか約420日で工事を終え、1985年3月科学万博開催前の供用にこぎつけたものである。

 なお、将来の新交通システムとしては、1編成4両(1両当たり75人)、満車時重量18tのものであれば、高架街路をそのまま新交通システムのインフラとして転用することが可能なよう、平面線形および橋梁構造を検討した上で設計した。また、将来の転用に備えて新交通システムの走行路等の設置に必要な鉄筋の受け口を舗装面下に設置済みである。

2.2 移転店舗のためのショッピングモール事業

 高架街路と併せてモール事業を行った区間は、土浦市の中心街の東側の道路の沿線に、旧来からの商店が雑然と並び、それら商店街の裏側は、昼間でも薄暗い一団の街並みを形成していた。高架街路建設を契機として、それら商店街の面目を一新する方向で市と商店街の間に話合いがまとまった。その結果、商業用建物 59棟(RC構造物33戸、鉄骨構造8戸、木造18戸)を高架街路脇に新設した3階建ての線状ビルへ一括移転することが短期間に実現した。また、中心市街地の狭い道路に接して設置されていた市営駐車場を土浦駅 東の霞ケ浦ドック埋立地に移転し、その跡地に高架街路と一体となった線状の歩行者広場整備を行った。多数の樹木、水路・池等を配置するほか、市民が集い 催し物ができるようイベント広場やお祭り広場を設置した。歩行者広場の上を通っている高架橋上には、バスで中心商店街へ来る人達のためにバス停留所が設けられ、停留所から広場へスムーズに乗降できるようエスカレーター2基が取り付けられている。

2.3 都市景観に配慮した軽やかな高架橋

 高架橋の設計にあたっては、施工性や工事の簡易さよりも景観を優先した。

①上部工は、T桁等により底版面の暗さを無くするため、主桁とスラブが一体となったPCホーロースラブ橋とした。また下部工形状との一体感と合わせて柔らかさを出すため、曲線ハンチの入れた逆台形型とした。

②下部工は、コンクリートの固いイメージを取り除き スマートに見せるよう、三味線のバチを立てたような形状とした。 ③また橋面排水のためのドレーンの設置については、橋脚面に10cmの凹みを付け、そこにコンクリートと調和す る亜鉛メッキを施した排水パイプを収納した。

④高欄は、壁高欄とし、外側の水平方向に2本の目地ラインを入れ、視線を横方向に誘導することにより、高 欄の幅広さを感じさせないようにした。

⑤主要道路との交差点、曲線部となる箇所に使用した鋼橋の塗装の色彩決定にあたっては、 シミュレーションを実施したり、模型を作ったりして、明るいソフトな色調で塗装した。

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 反対運動を報じる当時のものとして下記のものがある。

土浦高架街路 反対派が阻止行動/ 筑波學生新聞 (19) 1983-12-10筑波大学学生新聞会

https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=19620&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (1)

■3 プロジェクトのその後

3.1 学園都市における立体街路と新交通システム

 科学万博終了後、筑波研究学園都市は概成し熟成の秋を迎え、1991年度に研究学園都市における新住宅市街地開発事業等を終了することになった。これを契機として、1991年に筑波研究学園地区において立体街路が計画・整備され、1995年に供用された。この立体街路は土浦高架街路の対として位置づけられ、当面は従来型のバスが通行するが、将来は土浦と研究学園都市を結ぶ新交通システムの学園地区におけるインフラ部として転用しうるよう設計された。

 立体街路は、都市計画道路土浦学園線の竹園高校付近から同学園中央通り線の交通ターミナル付近までの延長約1km区間に堀割・地下トンネル形式の2車線街路(幅7.5m) を整備するもので、途中にバス停を 1箇所設置している。また、この立体街路を受け入れるため、都市計画街路学園中央通り線を約1kmにわたって40mに拡幅する事業が行われた。事業主体は茨城県であった。この立体街路の完成により、将来両都市を結ぶ新交通システムの受け入れ体制が両中心市街地においてできあがったこととなった。

 しかしながら未だに新交通システムの導入は実現に至っておらず、2010年末現在、土浦高架街路上には高速バスを中心として5路線、1日12〜13往復のバスが運行されるにとどまっている。

つくば花室トンネルと新交通システム、土浦ニューウェイの関係

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 つくば花室トンネルの経緯も書いてある。ここも土浦ニューウェイと同様に「当面は従来型のバスが通行するが、将来は土浦と研究学園都市を結ぶ新交通システムの学園地区におけるインフラ部として転用しうるよう設計された」ものであるとされている。

 巷間で言われるような「新交通システムの作りかけ」ではないことが分かる。

 花室トンネルの様子は、こちらのブログに詳しいので是非ご覧いただきたい。

研究学園の生活 【幻の新交通システム(1)】花室トンネルにある謎のバス停!

http://sciencecity.tsukuba.ch/e240810.html

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

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2015年7月27日 (月)

大阪モノレール南伸と都市モノレール死屍累々の調査路線

大阪モノレール9キロ延伸計画、府と東大阪市合意へ

 大阪モノレール(大阪空港―大阪府門真市)の延伸計画で、府と東大阪市が負担額について大筋で合意し、今年度内にも事業化を決めることになった。東大阪市は府との協議で、66億円を市で負担する案を検討。今後、70億円程度を上限に、最終調整を進める。松井一郎府知事と野田義和東大阪市長が22日午後に会談し、正式に発表する。

 大阪モノレールは府の第三セクター「大阪高速鉄道」(OKT)が運行する。延伸計画は、現在の終点の門真市駅から、東大阪市瓜生堂(うりゅうどう)まで南に約9キロ。大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線やJR学研都市線、近鉄奈良線などと接続させるために4駅を新設する。

2015年7月22日12時55分

http://www.asahi.com/articles/ASH7Q36T8H7QPTIL007.html

http://megalodon.jp/2015-0727-2218-46/www.asahi.com/articles/ASH7Q36T8H7QPTIL007.html

 「東大阪市瓜生堂」ってどこや?なんで近鉄の駅の真ん中に作るんや?って考えたら、中央環状線と近鉄奈良線の交点なのだな。

大阪モノレール延伸計画

「道路セミナー」から引用(何年何月号かメモが行方不明。。。前後の記事の文脈から1977(昭和52)年頃と思われる。)

 もともと、大阪モノレールは、中央環状線に沿って、近鉄大阪線久宝寺口駅までの計画なのだ。大阪空港は廃港しようとしていたからか当初計画にはなかった模様。

 そのため地図を見ると近畿自動車道と中央環状線の間に、導入空間らしきものが久宝寺口駅まで準備されているのが分かる。(言い方を変えると、久宝寺口駅から美原ロータリーの間は、近畿道と中央環状線の間に導入空間は無い。モノレールの堺延伸を言うのは簡単かもしれないが、現状では設置する場所が無いのではないか。)

 ところで、モノレールについては、

成田山のモノレール未成線 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-b50b.html

東京都の未成モノレール計画(環5、環6、環7、環8、江東) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-62f0.html

東京湾横断道路併用モノレール(未成線) 新横浜~アクアライン~かずさアカデミアパーク http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-cece.html

と未成線について記事を書いてきたし、未成新交通システム関連の「土浦ニューウェイ」については飽きるほど書いてきたところである。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-85e8.html

 

 先日、「公共事業ガイドシリーズ 都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社編集部 編 という本にたまたま出合った。

 そこに1973(昭和48)年から1983(昭和58)年までの「都市モノレール等調査実施箇所と事業化状況」という一覧表が載っているので引用させていただく。

都市モノレール・新交通システム 未成線及び事業化路線一覧

 36都市について建設省(当時)の補助金を使って都市モノレール又は新交通システムの導入調査をしたところ、事業化にこぎつけたのはわずかに?8都市でそのうち1都市は着手せずに事業中止されている(筑波学園都市線については、別頁に「収支見通しがつかないため再検討中。」と書かれている。)。

 また、岐阜市、熊本市、岡山市、鹿児島市といった路面電車を持つ都市がモノレールやガイドウェイの調査を行っていたことも興味深い。

 川崎市の「多摩連環線」とは、前述の「道路セミナー」の記事によると下記のようなもののようだ。

川崎モノレール未成線

 建設省の補助事業となる都市モノレール以前のモノレール構想としてはこちらが興味深い。広報ひめじ昭和39年2月15日号

日本のモノレール一覧

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2015年6月14日 (日)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

 やめたいのに?やめられない土浦ニューウェイのネタであるが、多分これが本当に最後。(でもね、多分、きっと。)

 土木学会関東支部茨城会さんのサイトに「いばらきの建設文化を語る懇談会」という冊子が掲載されている。

 その「第1部 基調講演「茨城の道路づくり」講師:立原信永(元土木部総括技監)」に、ニューウェイのことが書いてあったのでご紹介したい。

 

 次に、土浦高架道路である。西大通の事業手続きを順調に進めていたが、これだけでは不安もあったのか、建設省街路課から仮設駅(臨時駅)から立体街路を造る気があれば協力してもよい旨の話があった

 ① 仮設駅はあくまで臨時のものであり博覧会後は撤去するものである。

 ② 平面道路でも対応できるよう計画している。

として立体街路を造るなら県南の核となっている商業業務都市土浦市と筑波学園都市との連携を強化するため、土浦駅東口広場から市街地を抜けるまでの間(3km)に造りたいと申し入れた。この土浦にできる高架街路で博覧会会場へのバス輸送に使用すれば、サブシステムとしても有効であった。建設省も快く理解していただいた

 立体街路の約半分は土浦市の事業であり、市も是非やりたいということで早速取り掛かったのである。しかし博覧会の始まりまで3年を切っていた。用地買収、補併(※補償の誤植か?)交渉など市区間の方が多かったのである。市は全庁を挙げてこれにあたった。設計にあたっては市街地のため、東京にある首都高速のような構造でなく美観を重視し橋脚を鉄筋コンクリート製のY字型のスレンダーなものとした。上部構造もこれと一体感をもたせたプレストレスト・コンクリート構造とした。一部鋼構造としたがコンクリート色に塗装し一体感をもたせた。実質的工期は1年3ケ月余りで完成した。

 事業の執行にあったては、県土木部の出先である国際博関連公共事業建設事務所(初代所長石崎瑛男、二代目小沼寛)が関連事業の一切を実施していたが、既に実施中の事業で手一杯なので、土浦土木事務所(当時岩間昌平所長)がこの執行機関となり事務所を挙げてあたった。

 博覧会時には東口広場から立体街路を使って、県内のバス会社が50人乗りの普通バスで輸送にあたったのである。

 この街路の意義は、とかく中心市街地の交通混雑解消のため外部にバイパスを造ることばかりでなくこの様に高架あるいは地下トンネルという事もあることを立証したのではないか。間もなく開通する水戸市街地の水戸トンネル、これから造る常陸太田市の市街地のトンネルも同じような役割を果たすものと期待できる。

 

「茨城の道路づくり」立原信永 11頁から引用

 建設省が、科学万博にあわせて万博中央駅から会場へ高架道路の建設を検討したところ、地元としては、一旦は採算性の問題から断念していた新交通の想定ルートにおいて建設を要望したという経緯のようだ。

 なお、この報文には花室トンネルについても触れている箇所がある。

 その後広い幹線道賂も年々交通量が増大し、土浦方面から東大通りの交差点での右折も多くなり、トンネルの道路などもできた。このトンネルは将来土浦学園間に新交通やライトレールを導入する場合にその軌道として転用する事も可能であろう。公共交通機関であるバスやタクシーの優先道路としても活用できるであろう

 

「茨城の道路づくり」立原信永 8頁から引用

 

 この「茨城の道路づくり」は、常磐道や北関東道、東関東道の茨城県内ルート決定の経緯等も紹介されているので、ニューウェイに関心がない方も一読されては如何だろうか?

http://www.jsce-ibaraki.com/publication/h14conference.pdf

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

 土浦ネタはもうやめようと思ったのだが、ついググったらまた出てきちゃった。ググれば出てくるやん。なんで今まで皆さんちゃんと見やんとwikioediaに嘘ばかり書いとんねん。

 

 土浦市議会の議事録を検索したらいろいろ答弁されている。

【 平成15年 第2回 定例会-06月09日-02号 】

◆26番(川口玉留君)

 それでは,本題に入ります。土浦駅東学園線高架街路事業についてでございます。一つは,高架道が開通して20年,その役割と総括についてご質問をいたします。高架道は,1982年12月10日,立体事業として建設省から80億円の予算の内示と,それに伴う総事業費132億円を明らかにしたのが,1982年12月14日の市議会全員協議会で明らかにされました。これを受けまして,土浦市商工会議所,あるいは商店街連合会,川口地区地権者に対し高架道の計画概要が説明をされました。市民が初めてこの計画を示されたのが,ご案内のとおり12月14日でございました。同時に,新交通システムの導入の布石であると箱根市長が当時強調されました。高架道の建設の目的は,その一つは立ちおくれた土浦市を,この商店街の活性化を図ることが第一の目的でございました。二つ目の目的は,交通体系の整備及び交通の緩和,すなわち新交通システム導入でございました。三つは,筑波研究学園都市との一体化が主な建設計画の骨子でありました。この計画について,即高架道建設に反対する市民の会が結成されましたのが1983年2月1日でございました。この高架道建設反対市民の会には,同時に11町内会の市高架道建設路線変更協議会というものも結成をされました。市長,市議会に対し,陳情,請願,抗議文,あるいは市役所へ抗議のデモ,全戸チラシによる抗議,高架道が抱える問題点を明らかに指摘をしたのでございます。多くの高架道建設に反対する市民の声を無視をして,当時の市長は土浦市活性化のため,そして百年の大計であるとしながら,この高架道建設を強行いたしました。もともと箱根元市長は中国歴史に深い関心を持たれた方でございまして,好きな万里の長城,今も市内に横たわる万里の長城に足が出てきて嫌がるムカデと悪評が言われているのがあの高架道でございます。そこで,お伺いをいたしますが,一つ,高架道は中心市街地活性化のためにお役に立ったでしょうか。二つ,高架道は立ちおくれた土浦市を救ってくれたでしょうか,お伺いをいたします。三つ,学園都市との一体化でございますが,学園都市と一体化されたでしょうか,お伺いいたします。それから,高架道周辺では雨が降ると黒い雨が降るというふうに言われております。この黒い雨は,一体どこから降ってくるのでしょうか,これもお伺いをいたします。また,低周波による環境破壊と公害に悩まされている住民も多くございます。これらについての対応はどのようにされますか,お伺いをいたします。

 2番,新交通システムはやっぱり幻だったのか。高架道の開通が1985年,科学万博開催時期でございましたから,開催後3年以内に新交通システムを開通させると言っておられました。本来であれば,1988年には既に新交通システムが事業化されていなければなりません。しかし,いまだに第6次総合計画,あるいは第5次総合計画,第4次総合計画を見ると,少しばかりちょろっと将来的には新交通システムをと書いてある。たった五つぐらいです。これでこの問題をごまかしているわけでございまして,したがいまして当時から現在にわたって執行部は新交通システムが幻とわかりながら市民をミスリードしたのではないか,この点について指摘をいたしたいと思っておりますので,お答えをいただきたいと思います。

◎都市整備部長(神戸信洋君)

 まず,大きい1番の土浦駅東学園線高架街路事業についてでございますが,この中で1点目,「高架道開通20年,その役割と総括は」,(2),「新交通システムはやっぱり幻だったのか」につきましてお答えをいたします。ご質問の高架道,これは都市計画道路土浦駅東学園線ですが,土浦駅東口から学園大橋まで延長約3キロメートルが昭和60年2月に開通し,ことしで18年が経過いたしました。この間,高架道の利用状況でございますが,開通1年後の昭和61年には1日当たりの交通量は約6,000台前後でありましたが,その後約1万台以上に増加しました。昨年10月現在の調査におきましても同様の交通量となっており,本市の都市基盤を支える極めて重要な都市交通施設として利用が図られているものであります。また,毎年春,秋に開催され,多くの来訪者でにぎわいます,かすみがうらマラソン大会や全国花火競技大会時のシャトルバスの運行路となるなど,本市のまちづくりには欠かせない重要な路線であることはご理解いただけるものと考えております。さらに,高架道を利用する通過交通が生活道路を含む中心市街地に入り込まないことによりまして,市民の安全,安心な生活を確保するとともに,西口周辺の円滑な交通の確保や,物流,情報の伝達にも貢献するなど,中心市街地の活性化に寄与してきたものと考えております。こうしたことからも,高架道の果たしてきた役割や効果は極めて大きなものがあると考えております。まちづくりの基盤施設として地域にも定着した,そういうふうに認識してございます。また,土浦駅周辺地区のまちづくりを考える上では,広域的な位置づけが期待できる発展要素を備えているなど,この高架道は今後も県南の中心都市としてのまちづくりに活用が期待される資産として生かしていきたいというふうに考えております。

 先ほどのご質問の中に,高架道の沿線で雨が降ると黒い雨が降る,あるいは低周波問題が起こっているというご質問がございました。これにつきましては,実はそのお話を聞いたのは初めてでございまして,実情がどうかということについては把握してございませんし,またそういうようなことがあるのかどうかということについて調査はしてみたいというふうに思っております。

 次に,2点目の新交通システムのご質問でございますが,常磐線土浦駅とつくばエクスプレスつくば駅とを結ぶ新交通の導入につきましては,本市の第6次総合計画はもとより,つくば市の総合計画においても位置づけがなされておりまして,将来の両市の発展にとって必要な都市交通施設であると共通の理解をされているということでございます。さらに,新交通システムを利用したまちづくりは,人と環境に優しいまちを将来像とする本市にとりまして,高齢社会にも対応した,自家用車に頼らない良好な都市環境を守っていくためにも欠かせない交通施設であると考えております。しかしながら,現在の経済情勢におきまして具体的な取り組みを行うということは極めて難しいというふうに考えておりまして,土浦駅東学園線の沿線開発の進捗状況など,事業採算性などを見きわめながら,導入につきましてはこれからも研究,検討をしてまいりたいというふうに考えておりますので,よろしくご理解をお願いします。

【 平成17年 第1回 定例会-03月15日-03号 】

◆ 8番(入江勇起夫君)

 土浦市でも,過去に県南の雄都としての土浦市の飛躍的な発展に強力な指導力と熱意で,また人生をかけた市長さんがおられたことを母から聞いたことがございます。その人は,第11,14,15代市長を務められました箱根宏氏でございます。彼の業績の1つに土浦の高架道路があります。この高架道路は,新交通システム計画が目的で建設された道路でございます。目的は,学園都市と土浦市がともに繁栄していくための架け橋であり,両地域の将来のため,昭和56年再選を果たした氏が,当時の竹内知事をはじめに建設省関係者に積極的に働きかけたそうであります。その理由は,1つ,土浦市の活性化をすること。昭和51年には,土浦市の商業力指数が県内1位でしたが,徐々に低下し,昭和57年にはその沈滞傾向が一層強い状態に陥った。2つ,土浦の中心市街地の交通混雑を緩和させ,モール化政策により商店街の魅力を回復させること。3つ,学園都市との人的交流を図り,ともに繁栄するための交通軸とすること。4つ,新交通システムを導入して周辺開発をすること。昭和57年時点では,新交通システム計画は消えた状態でしたが,氏の復活の熱意が建設省に通じ,土浦駅から学園に向けて,将来新交通に切り替え可能な構造を持つ高架橋道路の計画案を県を通して打診されたそうでした。県に対する回答について,市役所内で検討が進められたそうでした。最大の課題は,次の3点でございました。1つ,路線ルートに市街地の中心部が選定されること。2つ,60年の科学万博に使うには2年2カ月しかないこと。3つ,短期間のため,幾多の障害が出た場合,対応に困難が予想されることであったそうでございます。これに対し,氏は,「都市計画部長さん,私についてきてください」と言ったそうであります。

これについては対応する答弁なし

 

【 平成19年 第3回 定例会-09月11日-03号 】

◆21番(竹内裕君)

 次に,新交通システムと高架道ですが,最近は意識的に高架道を走るようにしております。大変すばらしい道路ですよ。もうつくばから守谷,阿見,牛久の方に行くには最高の道路です。まして阿見の方からつくばに行くのも最高の道路です。人は歩いていませんし,渋滞はありませんし,すばらしい道路だなといつも思っております。夜の夜景など,バス停のところに止まって見ますと,本当にたばこを1本2本吸いたいぐらいなきれいな道路です。

 しかし,すばらしい道路で通過道路だけでは大変困るんですね。本当は土浦市のために何ぼか貢献する高架道でなければならないと思うんですが,私は,たしか60年の万博の頃ですから,市の方に当時の高架道に関する何か資料はあるのかと聞いたらば,もうほとんどありません。57年から始まっていますので,ほぼ25年前のことですからほとんどなくて,こんなのがありました。ここには総事業費が当時で約132億円となっておりますが,132億円の内訳の中で,土浦市分と茨城県分とわかると思いますので,それから,いつも気にはなっていますが,高架道の残債はまだあるのだろうか。まだ借金は返しているのだろうか。この辺についてもお述べいただきたいと思うんですが,もうそろそろ返し終わってもいい頃だなと思うんですが,私,最初の当選した頃,当時,砂田市長公室長の頃に聞いたのは随分前ですけれども,その辺について,あと残債と償還年度はどの辺なのか,お答えいただきたいと思います。

 それから,1日約1万台の車両が高架道を通過していると,前神戸部長はいつもここで答弁していましたが,それはエクスプレスが開通する前ですので,エクスプレスが開通した以降は,高架道は1日平均何台の車両が通過しているのか。それから,エクスプレスが開通をした後,私の耳には一番もろに影響をこうむったのが東口立体駐車場と聞いております。定期のお客ががたんと減って,1日の利用者もがたんと減ったと聞いておりますけれども,エクスプレス開通後の東口立体駐車場の状況について,同時に,西口の立体駐車場の動向について。それから,JRの通勤通学の推移ですね。そして,駅前商店街への影響についても,わかる範囲でお答えください。

 本題に入りますが,私が一番問題にしているのは,この613万2,000円で平成17年3月,株式会社アルメックが検討をして,報告をした土浦・つくば間公共交通連携方策検討調査の報告書です。中身は前も本会議でやったことがあるんですけれども,何しろ613万円もの税金を使って作った報告書ですから,私は,これを十分に活かさなければ意味がないだろうと思っております。ここに書かれている内容は,もちろん執行部は御承知だと思います。第六次総ではどういうふうにこれは総括をされて,第七次総ではどういうふうにこれを活かそうとしているのか,御見解をいただきたいと思います。

(中略)

 それから,「新交通システム」という活字は随分昔から出ているんですけれども,第六次総までは,きっちりと新交通システムというのは軌道型の中期輸送力であると書いてありますが,第七次総にいきますと,どこを探しても「新交通システム」という活字はありません。そして,「都市軸の形成」という項目の中に「新たな交通システム」というふうな表現があります。「新交通システム」と「新たな交通システム」の違いについてお話をお願いしたいんですが,どこが違うのかわからないんですけれども,ずっと新交通システムで箱根元市長の頃から来ていたんですが,これがなくなりまして「新たな」になったんですが,これはただ単なる活字の間違いなのか。それとも,新交通システムではない違う形の本当に新たな交通システムを模索するのか。それによってはこの検討調査報告書も大分狂ってきますので,よろしくお願いしたいと思います。

 いずれにしても,あの高架道を有効に活用して,土浦市のために何らかと活かす方策を真剣に考える時期が来たかと思います。(「ないよ,そんなの」と呼ぶ者あり)高架道を有効に活用する方策はないというようなお話も議場から少しありますが,私は,あれだけの巨費を投じて,そしてあれだけの道路が土浦市を縦断して,商店街からさまざまなところの上をただ素通りしていくというのは,いかにも財産を活用していないと思うんです。そういう意味で,あの高架道を有効に活用する方策をみんなで考えていくような,そういう機運を作っていかなければもったいないと思っております。交通体系調査委員会でも愛知県に行かれて,高架道を利用した何とかというのを見てきたそうですが,赤字のところもあるでしょう。しかし,千葉のモノレールだとか,そういうところは黒字のところもありますし,そういうようなことも含めまして,みんなであの高架道を正しくうまく使っていける方策を検討する時期が来たと思いますが,その辺,中川市長はどういうようなお考えなのかと思っております。

◎市長(中川清君)

 最後に,土浦,つくばを結ぶ新交通システムの現状と土浦駅東学園線(高架道)の活用についての中で,土浦・つくば間公共交通連携方策検討調査結果の総合計画への位置付けと新交通システムの第六次総合計画と第七次総合計画の違い,並びに西部地区のまちづくりについて,私の方からお答えをしたいと思います。

 御案内のように,都市計画道路土浦駅東学園線の高架道は,市内の交通混雑の緩和,土浦市中心市街地と周辺部及びつくば市を結ぶ交通体系の強化を目的に,総事業費132億円で,総延長が約3.0キロメートル,そのうち市施行約1.3キロメートルと県施行約1.7キロメートルで整備した高架街路でございます。昭和58年から2カ年で整備して,将来的には新交通システムの導入も視野に入れて施行をしておりまして,昭和60年開催のつくば万博にも輸送路として活用されたところでございます。

 土浦駅・つくば駅間のバスの運行につきましては,現在,往復では1日約170本のバスが運行をされております。高架道利用のバスは57本,内訳は高速バス53本,路線バス4本でございます。つくばエクスプレス,いわゆるTXですけれども,開通前後でほとんど変わりはありません。TXの開通前後の土浦駅とつくばセンター間のバス利用者数は,1日当たりの乗車人員を比較いたしますと,開通前が1,936人,開通後が2,087人と,151人の約8%の増加となっております。また高架道は,春のかすみがうらマラソン大会,秋の花火大会では土浦駅東口と会場の往復を約700本で,約3万7,000人の輸送の実績がございます。このように,催事の際などにシャトルバスの輸送ルートとして活用されるとともに,最近では,土浦駅の東口から成田空港や大宮方面への高速バス路線として利用が図られております。

 さて,御質問の土浦・つくば間公共交通連携方策検討調査についてでございますが,この調査はTX開通の影響や交通対策を検討するため,平成16年度に茨城県やつくば市,バス業者,学識経験者等から成る,「土浦・つくば間公共交通連携方策検討委員会」を設置し,検討を行いました。その結果,土浦駅とつくば駅を結ぶ新交通システム導入につきましては,土浦市とつくば市の連携したまちづくりの進展や,土浦駅東学園線沿線の拠点開発状況,交通需要の増加,事業採算性等を見極めての導入が望ましいとしており,短期的にはシャトルバスシステムの提案が出されております

 現在,土浦駅・つくば駅間のバスの乗降客は,8%程度の増加はあるものの,大きな需要の拡大は難しい状況にありますことから,TX会社,県,つくば市等の関係機関との話し合いはただ今行っておりませんが,土浦市とつくば市の連携強化は大変重要であり,将来,50万都市構想を目指す上からも,その一方策として新交通システムの導入も大きな役割でありますので,第七次総合計画へその位置付けを盛り込んだものでございます。

 次の御質問の第六次総合計画の「新交通システム」と第七次総合計画の「新たな交通システム」の違いでございますが,近年の交通システムの技術進歩により,モノレールばかりではなく,高性能の路面電車,LRTというらしいですが,路面電車,そして線路と道路を走れる車両,DMVというらしいんですが,その開発等が進んでおりますことから,幅広い交通システムということで,新たな交通システムとしたものでございまして,新交通システム導入につきましては第七次総合計画へ引き継いでおります。

 なお,JR常磐線とTXを結ぶ土浦・つくば間の交通体系の強化は,茨城県南を始め,県内全体の公共交通ネットワーク上からも大変重要であります。また,TX利用者が年々増加していることから,このTX利用者を本市へ呼び込むためにも,土浦とつくばを結ぶ交通体系強化の必要性は十分認識しております。今後も,土浦駅東学園線の沿線開発の進捗状況,交通需要の増加,事業採算性などを見極めながら,国や県,関係機関に積極的に働きかけをしてまいりたいと考えております。

 

【 平成20年 第4回 定例会-12月09日-03号 】

◆24番(川口玉留君)

 2番目が,もったいないです。もったいないねと書いたんですけれども,事務局のほうで「ね」は外してくれと言うんです。何でと聞いたら,どうもそれは文章に合わない,こういうことでございます。私の文章には「もったいないね」と入っているんです。もったいないね。高架道川口町に設置されたエスカレーターについて。

 日本にしかない「もったいないね」という言葉ですが,日本ほど使い捨ての国はないと言われております。昔から,「もったいないね。残さんと食べなさい。もったいない」,「まだ使えるのに捨ててしまう。もったいないね」。食べ物やまだ使えるものを容赦なく捨てるのである。今,地球環境は温暖化,あるいは大気汚染,森林破壊など様々な原因の悪化によって,たくさんの生物が絶滅すると言われております。政府や企業が研究や対策を打ち出して,制度化や商品の生産をすることは大事でございますけれども,もったいないはもう少し考える必要があるのではないかと思うのであります。

 そこで,「もったいないね」は,土浦・学園線に架かる高架道川口地内に設置されているエスカレーターであるが,この高架道は総事業費132億円と,当時,膨大な建設費用をかけて建設されました。当時の箱根市長は,1982年,市議会において初めて高架道計画を明らかにしたのであります。その建設の理由の1つは,立ち遅れた土浦の中心市街地の活性化と同時に,新交通システムの導入の布石であると強調されたわけでございます。市民の反対を押し切り強行に強行を繰り返して,でき上がったのは悪評高い高架道であるわけでございます。あわせて,川口モール505へのお客さんの乗り入れのために利便を図るとして設置されたのがあのエスカレーターでございます。利用者がなく,2002年以後休止となっておりますが,もったいないね。再利用はないかお伺いをし,第1回の質問を終わります。

◎都市整備部長(古渡善平君)

 それから,2つ目の御質問でございます。もったいないねということで御質問でございます。御質問のエスカレーターにつきましては,昭和60年3月,これは筑波研究学園都市で行われました科学万博の開催にあわせて整備されました,いわゆる先ほど議員さんから御指摘があった高架道にまたがるエスカレーターでございまして,またぐと申しますか,つながると申しますか,高架道につながる川口一丁目地内バス停留所に設置されているエスカレーターでございます。このエスカレーターは,高架道のバス停と隣接する商業施設モール505及び高架下の川口ショッピングモールを立体的に連結する目的で,エスカレーター4基と,階段4基と,それぞれエスカレーター部分と階段部分と計8基の昇降施設を設置しておりますけれども,歩道部と高架道のバス停との高低差が約9.5メートル,いわゆる地べたから9.5メートルあるということで,この高さの昇降を容易にすることによって利用者が快適に移動できる施設として,上り・下り線両側にそれぞれ2基ずつエスカレーターを設置しているということでございます。

 また,エスカレーターを供用開始しました当時は科学博もやっていましたので,高架道の路線バスの乗降,ショッピングモールなど近隣商業施設への利用者も多数ございまして,このエスカレーターも利用されておりました。

 〔「ない」と呼ぶ者あり〕

◎都市整備部長(古渡善平君) ないということでございますが,これはそれなりの利用者があったという調査結果がございます。しかし,その後に大型店舗が閉鎖になり,次第に利用者も減少します,それに並行して路線バスの運行本数も減ると。

 こういうことでございまして,平成14年には1日9.5往復,それに伴う1日当たりのエスカレーターの利用者数も,休日でも10人弱,そういったふうに落ち込んでいった。さらに,年間の保守点検費用も4基の合計で約540万円,これはこれとしてかさむ。やむなく平成14年の4月に運行を停止して現在に至っておりまして,その間の保守点検も実際してございません。なお,現在は路線バスの運行本数も1日1往復でございます。朝1本,夕1本。朝行って,帰り夕方1本というか,そういう1往復ですね。そうなっています。

 さて,議員御指摘の当該エスカレーターの活用でございますけれども,これは一般論で申しますと,エスカレーターを設置するには,最初に建物などの施設の整備計画を立案して,その用途や規模から需要の予測をして,そして,その検討結果に基づいた配置計画を立てて,設置スペースや階高に合わせた規模を決定して,最後に工場製作し,運搬設置を行う。いわゆる受注生産ということです。

 一方,今度は御指摘の当該エスカレーターの場合は,高架道のバス停に設置されているエスカレーターでございますけれども,一般的な建物に設置されているものに比べまして,先ほど申し上げましたように,階高が大きくて利用勝手はあまりよろしくないということ。今度はそれをもし仮に利用する場合においても,再利用箇所の大規模な補強改造が必要になってくるのかなということがまず1つ。

 それから,メーカーから内々の聞き取りを行ったところによりますと,施設の整備に合わせてエスカレーターをもし仮に新設した場合は,その施設費用というのは1基当たり約1,500万円を要するだろうということです。しかし,今度は,御指摘の当該エスカレーターを移設して再利用した場合は,今の骨組み,それから外装以外の手すりも,駆動装置も,踏み板も,踏み段のチェーンも,安全装置等ほとんどの部品の交換が必要になってくるということで,再利用に要する費用は1基当たり約1,300万円ぐらいかかるのではないかということです。それはそれとして,骨組み,外装以外の,ただいま申し上げましたような交換の部分の部材は撤去費用がかかるということで,1基当たり約500万円ぐらいかかってしまいますということの情報をちょうだいしてございます。

 そもそもエスカレーターの耐用年数というのは,屋内型,屋根かぶりで18年,屋外型で15年と言われているということですけれども,そうはいっても,一般的には約25年程度使用しているのが実情だということでございまして,御指摘のエスカレーターも設置後既に23年を経過しているということを思います時には,仮にすべて再利用が可能であった場合においても,間もなくその更新の時期を迎えることになるのではなかろうかということでございますので,なかなかこのエスカレーターをある施設に当てがって,直ちに再利用するということについては難しいものがあろうということでございますので,御理解賜りたいと思います。

 

◆24番(川口玉留君)

 こんなことは市民は知りませんよ。こういうバスを走らせます,それで格好よく水上交通も作りますなんて言っているんだ。高架道にも新交通システムを導入しますと書いているんだ。導入を検討なんだ。検討する必要はないでしょうよ。今までも60本から90本のバスが土浦駅東口から学園まで走っているんですよ。空気を運んでいるの,空気を。人は乗っていないんですよ。関東鉄道は年間4,000万円の赤字を出しながら,路線廃止できないでいるんですよ。それに新交通システムも検討で,検討しても,何を検討するんですか。古渡部長,何を検討するのかはっきりしてください。

(中略)

 そういう点からすると,この高架道川口線にかかっているエスカレーターは,私が設置当時から再三再四この壇上で取り上げて,1日4名,朝8名,夕方8名しか乗らないエスカレーターを何で年間300万円の経費を費やして必要があるのかというのを再三都市整備部長に追及をして,やっと2002年止めたんです。そうしたら,もったいないねというんです。何で止めたきりですか。部長は,今ではもうこれは任期満了になったという話だな。しかし,使っていないわけですから,専門家にちゃんと検証させるべきです。使っていないから,まだ使えるんですよ。  このプロセスを申し上げますと,1985年,これは科学万博が開催の年ですね,それを遡ること1982年,都市計画審議会というのが土浦市にもございまして,この高架道の基本計画にはエスカレーターの設置はなかったんです,

この計画を一生懸命鉛筆なめなめ書いたのが今の都市整備部長の古渡なんです。古渡も一生懸命エスカレーターを作るために鉛筆なめなめ書いたんです。そして,それを強力に推し進めたのが副市長の瀧ケ崎です。それを万歳したのが箱根宏です。残念ながら亡くなったけれども。

 そういう点で,このエスカレーターについての検証をさらにお願いすると同時に,もう任期満了が来ているというふうな話でございますけれども,まだまだ使えるんですよ。この責任問題と,今後のエスカレーターの活用について,瀧ケ崎副市長は責任があるわけです。具体的な答弁を求めます。

◎副市長(瀧ケ崎洋之君) 川口議員のもったいないねの再質問にお答えをいたします。

 突然60年当時にタイムスリップしまして,高架道計画,鉛筆をなめたのが古渡部長で,それを押し進めたのが瀧ケ崎だと。エスカレーターが使われていないこの責任問題をどう考えるのかという御質問だったかと思います。当時,私は財政課におりました。先ほど132億円のお話がありましたけれども,この資金をどうするか,当時を振り返りますと非常に苦労したことがよみがえってまいります。観光資金というような資金を使いまして,高架道を建設したわけです。エスカレーターは当初に計画はなかったというお話,私もそのように記憶いたしております。平成14年から中止になっておりますが,その理由は先ほど部長のほうから縷々御説明がありました。

 私は,当初の予定どおり公共バスが使われて利用されて,エスカレーターが予定どおり使われているということであればもう万々歳ですけれども,先ほど申し上げたように,14年から利用者がいないというようなことでストップしているということに関しましては,誠に残念であるという言葉一言でございます。議員のほうはもったいないねというような視点で捉えておりますけれども,私は,このエスカレーターが使われていないということについてはまさに残念だという一言でございますので,御理解をいただきたいと思います。

◎都市整備部長(古渡善平君)

新交通システムについては,現在,事務方で具体的な検討というものは実施してございません。

 

【 平成23年 第3回 定例会-09月13日-03号 】

◆23番(竹内裕君)

 さて,②の質問ですが,これはもう過去3回,中川市長に質問と答弁を求めていますが,どなたが見ても,つくばエクスプレスのあの周辺の活況化した状況というのは,子どもが見てもおわかりのようでございます。私は,まだエクスプレスという名前がついていない頃から,常磐新線が開通をしたならば,当然土浦の活性化と土浦を元気にするために何らかの対策を講ずることが必要だろうということを何回か質問いたしました。

 特に平成15年12月,これは市長が初当選をした時ですが,そして市長の1回目の選挙の公約の中にも,「土浦・つくば間交通の延伸」という項目が入っていましたね。多くの市民は,土浦・つくば間の交通を,当選したならば新しい市長はやってくれるだろうという期待もあって票を投じた方もおられると思います。1回目の公約です。

 当選をいたしましたので,当時私は監査委員でしたが,議長の承認をいただいて,あえて一般質問させていただきました。「この公約について,どういうような内容のことを考えているんですか」と。その時の答弁は,「常磐線とのアクセスを図ることは,土浦,つくば地域のみならず,茨城県にとっても必要不可欠なものと考えています。このTXが土浦駅まで延伸されることがベストであると考えています。エクスプレス整備の効果を本市が最大限に生かすための策を講じてまいりたい。エクスプレス延伸や新交通システム導入については,国や県や関係機関と働きかけをしていきたいと考えています」。私はこの時に,「モノレールというのを1つの選択肢の中に入れたらどうだ」という質問をいたしました。「モノレールを実施している自治体は幾つかありますが,ほとんど赤字という話を聞いております。しかし,調査はさせていただきたいと思います」。

 私は,エクスプレスが開通をして,そして当然のように利用者が増える。その方たちが土浦市のほうに出向いてもらって,常磐線から帰る。そしてまちの中もできるだけ歩いてもらう。そういうことがTXの波及効果だろうと思っておりますし,今でも思っております。

 そして,平成17年,また同じような質問をいたしました。市長の代表的な答弁,「モノレール等の中量輸送機関は,高津地区,宍塚大池地区など拠点地区に関する交通需要や両市に重なる発展など,多くの課題が成立要件であると考えています。長期的な視点で検討することが大事です」。この時も,国や県やつくば市,または都市鉄道と私は話し合いをしたほうがいいのではないかということを提案いたしましたが,その時の答弁は,「まだ開通をしていないので,開通をしていない段階で話し合いをしても仕方がないということなので,今はしておりません」。しかし,私はいずれ開通をすることは間違いないんですから,内部で協議をして,外部と交渉するような係を設けて,しっかりとエクスプレスの波及効果を土浦市のほうに呼び込むための対策を具体的に国,県,関係機関と交渉したほうがいいのではないですかということを提案いたしましたが,市長の答弁は,「適切な時期が来たらば,作って,外部との交渉,内部での協議,できるような機関を作るほうがいいのではないかと今時点では思っております」,これは平成17年の9月でございます。

 さて,つくばエクスプレスは開通をいたしました。平成19年9月,もう1度質問をいたしました。常磐線とつくばエクスプレスを結ぶ土浦・つくば間の交通体系,これは6次総にも書いてあるし,7次総にも書いてある,中期輸送力という新交通システムのことを言うんですが,これは土浦市が発行している総合計画です。「県南を始め,県内全体の公共交通ネットワークからも大変重要である。エクスプレス利用者が年々増加していることから,この利用者を本市に呼び込むためには,土浦・つくば交通体系強化は必要だと,十分認識しています」,これは市長答弁ですよ。「今後も国や県,関係機関に積極的に働きかけをしていきたいと思います」。私はこの時に,「できれば花室と高架道の入り口までの沿線の開発,特に高津地区や宍塚地区,西部地区のまちづくりに対して意向調査をしたほうがいいのではないですか」という質問をいたしましたが,西部地区に対しては,「まちづくりの方向性を今後見定めていきたい」というのが答弁でした。過去3回やっていますので,もっともっと大事な答弁もあるんですが,主にこういうのが代表的な答弁だと思っております。

 そこで,質問をいたしますが,エクスプレスは開通してもう6年です。先般,石井という社長の今後のエクスプレスの課題についての新聞報道が大きく載りました。初年度は15万人だったそうですが,昨年は28万人だそうです,利用者は。それで,一層,編成車両を増強して輸送力をもっと増強するんだと新聞の談話に載っております。そして,何をやるかというと,「沿線自治体とこれから観光について力を入れて取り組んでいきたい」と書いてあります。

 そこで,中川市長に,こういう立派な答弁を過去3回やられている,そして選挙の公約でもありますこの課題について,この答弁を踏まえた上で,今まで具体的に2期8年,何をやってきたのでしょうかというのをあたり前ですが,聞かせていただきたいと思います。

 そして,国や県,関係機関,積極的に働きかけをしていきたい,何回も言っていますが,具体的に国や県や関係機関とどういうような働きかけをして,少なくとも8年前から見れば,エクスプレスの利用者を本市へ呼び込むためにこういうようなことをしています,そしてこういうような方向で今後もやっていきます,まさかそういうような答弁がなければ,答弁は整合性があるとは言えません。その場しのぎの答弁をしているとしか言えないので,しっかりとした答弁をお願いしたいと思います。

それから,エクスプレスの利用促進協議会というのがありますよね。年間3万円を負担しています。会長は橋本県知事で,事務局は県の企画部です。こういうような時に,土浦市は3万円の負担金を払って,この8年来ているわけですが,一体何を発言しているんですか,何を他の沿線自治体の皆様に,または県に,どういうような提案をしているんですか。少なくとも私が知っている範囲で,県にも聞きました。いろんなところに聞きましたけど,何にもしゃべっていませんよ,土浦は,言ってはなんですが,来てはいます。でも,しゃべっているのは,つくば,牛久,守谷,つくばみらい,沿線自治体の担当者や首長はよくしゃべっています,土浦は来てはいますけど,具体的に土浦のことも少しは考えてくれとか,土浦も本会議でこういう答弁をしているんで,できれば延伸は鉄道であれ,モノレールであれ,時間はかかるんですよ,しかし,そういう考え方を持っているので,利用促進協議会の沿線自治体の首長さん,茨城県の皆さん,これは会社も入っているんですから,ちょっと聞いてくださいということを言わなければ駄目でしょう。2期8年間,何も言ってないそうではないですか。何のために3万円も負担金を払って出ているんですか。ということについて,市長,市長の公約ですから,しっかりと答えてください。

 それからこの青い紙,「土浦・つくば間公共交通連携方策検討調査」,これは613万2,000円かかったんです。でも,この名簿はすごいですよ。委員長筑波大学大学院システム情報工学,それから東日本旅客鉄道,バス,茨城県企画部,つくば市,当時の新治村,この下にワーキング会議というのもあるんです。これだけの優れた国やら県やら学識経験者やら,一番の入り口であるつくば市やら,これだけのメンバーが入って作ったのがこれです。この613万2,000円で作ったこの成果品を私は具体的に生かすのは市長の役目でしょうというのを前に提案をいたしました。当然,そういうようなことも長期的に見て,国や県や関係機関と積極的に協議をして,ここに書かれている内容についてやっていきたいと言ってはいたんですが,この613万2,000円かけて作ったこの検討調査会の報告書は,一体今どういうふうな取り扱いを受けて,この中に書かれているものを具体的に生かそうとしているのかどうかお聞きしたいんです。

◎市長(中川清君)

 それから,2番目のご質問の土浦・つくば間公共交通連携の考え方について,何点かのご質問がございましたので,順次お答えをしたいと思います。

 まず最初のご質問で,つくばエクスプレス利用者を本市へ呼び込むことに関しましては,平成19年第3回定例会の竹内議員のご質問に対して,「TX利用者を本市に呼び込むためにも,土浦市とつくば市を結ぶ交通体系の強化の必要性は十分に認識をしている」と答弁をさせていただきました。この考えは現在も変わっておりません。

 呼び込むためには,具体的に何をしてきたのかというご質問もございました。議員も先ほど申しておりましたけれども,茨城県つくばエクスプレス等整備利用促進協議会,この協議会は,県及びTXの沿線と周辺の自治体及び商工会議所等で組織をしている団体でございまして,土浦市も参加をしております。

 促進協議会では,TXの茨城エリア沿線に関する観光等の情報誌を作成しておりまして,この活用を図るべく,情報誌の紙面を割いて,「TXつくば駅からバスに乗り換えて土浦方面へ」とか,「ちょっと足を延ばして土浦へ」等のタイトルで土浦市の魅力や観光をPRしているところでございます。この情報誌は,TX各駅管理事務所やTX秋葉原駅構内にある茨城情報ステーション等に配布をした他,イベントでのPR活動等に活用をしておりまして,多くの方々がご覧になっているものと思っております。また,TX秋葉原駅内にある茨城情報ステーションの中に,本市で作成をしております観光パンフレット等も置いてございますので,TX利用者へのPRも行っているところでございます。今後もこのような取り組みを行いながら,土浦市の魅力を内外にアピールして,TXの利用客を少しでも呼び込んでいきたいと考えております。

 次に,つくばエクスプレスの延伸や新交通システム導入に関して,国,県,関係機関等に土浦市の考え方を働きかけてきたかというようなご質問がございました。

 これらに関しては,具体的な働きかけにつきましては,ただいまのところ,そのような状況になく,現在のところ行っていない現状でございます。

 導入につきましては,土浦駅東学園線,これは宍塚地区,そして高津地区の沿線開発等による交通需要の増加,それから事業の採算性等を見極めることが必要不可欠でありますことから,何年も経っているということでございますけれども,時間ではなく,そういうような状況といいますか,その時期が来たら,働きかけを行ってまいりたいと考えているところでございますので,ご理解をいただきたいと思います。

 次に,平成17年3月に策定をいたしました,土浦・つくば間公共交通連携方策検討調査に方針化されたことを今まで具体的に進めるために何をしてきたのかというご質問がございました。この公共交通連携方策検討調査では,目前に,平成17年8月に迫ったつくばエクスプレスの開業,そして県南地域や土浦市やつくば市などのまちづくりへ,より良い形で取り入れていくために,県南地域全体と土浦市,それからつくば市の2つの地域を対象に今後のまちづくりや交通体系の方向性をまとめたものでございまして,両市の連携のシンボルとなる基幹的公共交通について,まずはシャトルバスの運行を優先的に行い,その後はLRTの導入,それからTXの延伸等の段階的な整備計画の提案を行っております。この調査を行ったことにより,土浦・つくば間の新交通システムの導入についての現状把握と課題整理ができまして,長期的にはなりますが,今後の導入に向けた足がかりができたのではないかと考えております。

 具体的に何をしてきたか,進んだかと言われますと,経済状況による宅地需要の落ち込み,それからそういう状況もございまして,具体的には進んでいないことは事実でございまして,当面の間は土浦・つくば間の人の往来を増やす策としてバス路線を充実させることが重要との認識から,既存のバス路線をさらに充実させるべく,先ほど申し上げました観光面のPRや各交通機関の連携しての利用券の発行など,その利用促進を図ってまいりたいと考えておりますので,ご理解をいただきたいと思います。

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

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2015年6月13日 (土)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

 土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について、いろいろと調べて来たが、科学万博との関連も、ソースが確認できたので、蛇足までに書いておく。

 ネタ元は、引き続き日本交通計画協会機関誌の「都市と交通」で、今度は1988年14号

 1.土浦高架街路の建設背景・事業計画の概要

 土浦市は首都東京から60kmの位置にあり、西方10kmには我国が世界に誇る頭脳都市「筑波研究学園都市」が隣接しており、水と緑にめぐまれた人口約12万人の地方都市であり、県南地方の政治、経済、 文化の中心となっている。

 近年は、周辺に工業団地や住宅団地造成等の開発が行なわれ、急速な都市化が進み、また筑波研究学園都市の玄関口として、商業を中心とした第3次産業の進出が著しい。

 土浦市の道路交通状況は中心市街地に国県道が集中し、中心市街地は、慢性的な交通渋滞をひきおこしていたが、昭和57年3月の国道6号バイパス・常磐自動車道の開通に伴い、南北方向の交通渋滞は緩和された。しかし、東西方向の交通渋滞は、依然解消されず、公共輸送機関であるバスの運行にも支障をきたしていた状況にあり、それらに伴い、中心市街地の商業活動も衰退の方向にあった。

 一方、業務・商業サービス等の機能を有する土浦市と、学術機能を有する筑波研究学園都市は、相互に補完しながら発展してゆくことが期待され、このためには、この都市間を密接に結びつける交通軸の強化が必要であった。

 さらに、昭和55年11月、昭和60年3月に筑波地区において、国際科学技術博覧会が開催されることが決定、観客輸送のルートとして、土浦駅から博覧会会場まで100万人を運ぶ計画が定められ、輸送路問題が懸案となった

 これらの背景を踏まえ、交通体系を検討したところ、経済的でかつ短期間に投資効果があがる路線として、土浦駅東口を起点に、当時の国鉄常磐線を横断し、市営駐車場・中心市街地を縦貫させ、既設の都市計画道路に接続させる、延長3kmの高架街路が計画された

(中略)

 2.都市計画決定から事業認可までの経過

 昭和57年12月、市において土浦高架街路の素案がまとまり、ただちに市長を陣頭に、関係職員を総動員し、沿線住民への事業概要説明を連日開催して協力を求めた。

 そして58年3月上旬、都市計画法17条に基づく案の公告・縦覧を行い、その後、茨城県都市計画地方審議会の議を経て、茨城県知事は、昭和58年4月14日土浦高架街路の計画決定の告示をした。

 土浦高架街路は科学万博の輸送路にも利用されるため、万博直前の60年2月までに工事を完成させるという使命があったこともあり、県と市は、ただちに都市計画法59条に基づく事業認可申請の手続を進めると同時に沿線住民に対し、工事概要の説明会を実施した。

(中略)

 おわりに

 土浦高架街路は、裁判が始まって間もなく、高架道下部工事に着手、昭和60年3月には計画どおり完成し供用を開始した。科学万博における輸送路として大きな成果を得るとともに、日々、土浦市の道路交通の円滑化に所期の目的を果している

 ということで「つくば万博のために新交通システムを検討した」というのがダウトであることを実証した。しかし、都市計画決定から2年で供用とは猛スピードだ。

 ところで、引用箇所の最後にしれっと「裁判が始まって間もなく、」とあるのだが、実はこの報文は「土浦高架街路都市計画事業認可取消訴訟の東京高裁判決(63.2.25昭和62年(行コ)第78号)について」茨城県土木部都市施設課 技佐 菅野一郎・著 なのである。

 土浦ニューウェイは地元の事業反対派から裁判を起こされていたのだ。その詳細は、http://www.jtpa.or.jp/contents/pdf/toshi14.pdfで確かめてほしい。

 原告らは、事業認可の取消しを求める理由として、①この事業は、長期的展望に立った都市計画でも土浦市民の生活を考えたものでもなく、高架道は博覧会後は不要となることが当然予測される、②この事業は、高架道であるため、一般道路では考えられなかった環境に対する影響が確実に考えられ、大気汚染・騒音・振動・日照被害等が発生することは必定である等を主張した。

 原告住民は結局敗訴したわけだが、「この事業は、長期的展望に立った都市計画でも土浦市民の生活を考えたものでもなく、高架道は博覧会後は不要となることが当然予測される」という主張について、今となっては如何なもんでしょうか。

 私は、現地は知らないので、是非コメント欄に投稿を御願いします。

(追記)

 土浦高架橋の反対活動については、国会の質問主意書でも取り上げられているのでご関心のある方は、下記リンク先をどうぞ。

(質問)http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a098008.htm

(回答)http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b098008.htm

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について~草町義和 @kusa_yoshi 氏の記事に支援

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

と、土浦には一生で一度しか行っていないにもかかわらず、土浦の記事を集中的に書いてきたところである。

 

 すると、参考にさせていただいたブログ「研究学園の生活」さんが、実際に現地で空地となっている導入空間について大変素晴らしいレポートをしていただいた。

 そこで、返礼に、もういっちょ書いてみる。

 土浦ニューウェイは、この悩ましい線形やバス停の長さから、ネット上では、「新交通システムとして作ったものを道路に転用した」とか「将来新交通システムに転用できるように作った」等と書かれている。

 しかしながら、上記記事において「新交通システムは、土浦ニューウェイ以外の箇所で一部事業化されたものの、採算性の問題から当該区間については新交通システムとしては事業化されていない」ことを明らかにしてきたところである。

 だが「将来は転用できるようにした」かどうかは分からなかった。ところが奥さん、いい報文が見つかったんですよ。じゃーん。

 日本交通計画協会機関誌の「都市と交通」1985年6号に「土浦高架街路」茨城県土木部都市施設課長 田沢 大・著が!

土浦ニューウェイ (1)

 この横断図だけでも燃えますわな。

 例によって、字面ばかり長いので、結論だけ先に出します。ででーん。

土浦ニューウェイ (5)

 

 さて、新交通システムが採算性の問題から断念されたのに、土浦ニューウェイは何故に作られたのだろうか?

2.事業の目的・必要性

 都市計画道路・土浦東学園線は、県南の拠点都市土浦と国際的都市である筑波研究学園都市とを結ぶ幹線道路である。両都市を連結し、土浦市の新しい都市づくりの根幹となる土浦高架街路事業は、地方中核都市における全国初の試みとしても、注目されている

 (1) 中心市街地の交通混雑解消と商業の活性化

 現在、土浦市においては、国鉄土浦駅周辺市街地域の道路交通混雑が著しいため、公共交通機関であるバスの機能低下が大きな問題となっており、良好な都市空間の確保と安全で快適な道路網の整備を図るため、土浦駅東口駅前広場整備、土浦駅西口駅前地区再開発等の都市開発事業が進められている。これらの整備計画とあわせて、土浦駅東学園線の一部を高架構造とすることにより、一般平面街路への通過交通の削減や、バスのサービスレベルの向上を図り、あわせて中心市街地における産業活動の活性化を図るものである。

 (2) 中心市街地の交通混雑解消と商業の活性化

  筑波研究学園都市は、首都圏における学術機能を中心とした都市開発区域として位置づけられており、県南地方の業務核都市である土浦市と、相互に機能を補完しながら発展していくことが期待されている。全国的な輸送網と筑波研究学園都市を結び、また、土浦市と緊密かつ迅速な連絡を図るうえからも、特急の停車駅となっている国鉄土浦駅と、筑波研究学園都市間を結ぶ交通軸の強化が不可欠である。

3.土浦高架街路事業の概要

 本事業は、土浦・阿見都市計画道路3・2・30土浦駅東・学園線の土浦駅東口から桜川に架かる学園大橋までの延長約3㎞区間を整備するものである。当街路は、複断面形式の道路で、標準横断面構成は、平面街路部2~4車線、高架部2車線で、延長L=2,739.5mあり、途中3ケ処にバスストップを設置している。

土浦ニューウェイ (2)

 

4.都市景観

 土浦高架街路は、土浦市の中心市街地に建設されるため、都市の環境や景観を配慮し、とくに高架構造物については、美観を重視して計画されている。

 下部工においては、スマートなバチ形の橋脚を主標準横断図体として、その橋脚の大きさを均一化すると共に、断面を極力縮少するため、PC橋梁は、反力分散方式のゴム支承を採用している。

 上部工においては、桁の支間長L=25m~31mの3径間連続PCホロースラブ桁及び4径間連続PCホロースラブ桁を主体とし、主桁形状は、圧迫感のないソフトな軽快さを出すため、下床版巾をしぼった逆台形とし、下部工のバチ形状と一体観を出すため、曲線ハンチをつけている

 特徴のある外観から「これは新交通システムの遺構に間違いない」と思われがちなのだが、実はなんてこたあなあい美観重視のデザインだっただけのようである。

 ところが、ここからが本筋なのだが、「道路だけど、実は新交通システムにも転用できるんだもんね」と書いてあるのだ。

 せっかくなので画像で紹介したい。「ソースを見せろ」とか串カツ屋みたいなことを言う御仁もいる世界だし。

土浦ニューウェイ (3)

6.新しい都市交通

 (1)現状と課題(略)

 (2)新しい交通システムの導入可能性調査

 土浦高架街路は、平面部及び高架部ともに道路として共用(※供用の誤植か?)される。現時点では、基盤整備の状況や人口の集積度などから、需要、採算性の面から新しい交通システムなどの導入は困難であるが、将来、地域の需要動向に応じ、この土浦高架街路の高架部を新しい交通システムヘと順次切換えていく計画も考えられる。土浦高架街路の高架部は、道路橋仕様に基づき設計されているが、将来の新交通システム導入への構造的な可能性についても、検討をしている。

 新交通システムの設計条件及び設計仕様は、「新交通システムの標準化とその基本仕様(日本交通計画協会、昭和58年3月)」を中心に、神戸のポートライナー、横浜のシーサイドラインの計画を参考に種々検討している。

 新しい交通システムに切換える場合の荷重条件は、(表-3)のように定め、土浦高架街路の高架部にこれを載荷した場合、部材断面力等の過不足について検討した。

 上部工について、許容応力度の扱いは、TL-20荷重と新交通荷重で設計した場合と同様であるので、断面力について比較検討を行った。

 また、下部工については、上部工の死荷重反力がTL-20荷重で設計した場合が大となったため、新しい交通の計画時に必要となるであろう柱断面の破壊安全度の照査を行った。この結果、上部工及び下部工とも、許容値内であるので、将来の新交通へと切換えても、構造力学的には対応できるものと考えられる。

 土浦の新しい交通システムの平面線形については、横浜の新交通システムを参考にして、道路線形との比較検討をしたが、緩和曲線のとり方や設計速度を調節することにより、新交通中心線を土浦高架橋中心線と同一にすることが可能であり、問題ないと考えられる。

 これらにより、土浦高架街路の高架部については、本計画どおち(※どおりの誤植か?)実施しても、将来の新しい交通システムに対応出来るものと考えられるが、尚、新交通システムの基準は、現時点では統一されたものがないうえ、将来、もし土浦高架街路を新しい交通システムのインフラ部として使用する時点では、現行の基準が大きく改訂されている可能性があるなど、不確定要素が多いと思われる。

 おもしれー。「ぼくのかんがえたしんこうつうしすてむにもてんようできるかっこいいどうろ」みたいなことを本当にやっちゃってるんだ。

 あの中途半端に長いバス停は、4両編成の新交通システム用だったのだ。

 しかし、この報文には、「科学万博」については、一言も触れられていない。

 長くなったので、その辺を次にご案内しよう。

 ところで、ニューウェイの施工中の写真等も載っているので、この報文は是非とも現物にお目通しくだされ。

http://www.jtpa.or.jp/contents/pdf/toshi06.pdf

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

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2015年5月 4日 (月)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

とそれぞれ「道路セミナー」及び「橋梁」に書かれた新交通システムの記事を紹介してきた。

 本稿では、日本モノレール協会の会誌「モノレール」1979年6月号掲載の「筑波研究学園都市の交通計画 」黒川洸(当時:筑波大学助教授)著からご案内したい。

3 筑波研究学園都市の交通計画

3-1 基本計画

 図4に示した都市計画道路主要8路線を中心とした交通計画は,昭和40年に日本住宅公団が日本都市計画学会に委託した「研究・学園都市開発基本計画」をベースにしたものである。しかし,井上孝(横浜国立大学教授)が述べているように,都市計画的に見ると基本的に南北18km,東西2kmの区域に,研究機関,住宅,都市施設が散在している現在の筑波研究学園都市の計画は必ずしも適当なものではない。交通計画的に見ても,区域内動線が何億に走り,その中央より,区域外の土浦へ向けての内外交通動線がT形に走るパターンは,その処理が非常に難しいパターンである。したがって,もし計画区域が細長くなるとしても,内外動線と同方向の場合(例えば,筑波学園都市の場合,東西に細長くした場合)の方が処理がまだ効率的に出来るはずである。このため,上記の日本都市計画学会の調査時点では,現在のような新交通システムのような公共交通機関は考えられておらず,むしろ東京との連絡用に通勤新幹線的鉄道が考えられており,位置的には,土浦学園線の北側の都市計画道路中央通りに駅を設置し,南北の区域内動線との連絡を図っていた。しかし,その後の経過により,この鉄道は実施計画に入らず,現在のパターンとなっているわけである。また鉄道駅用地分は,中央通り沿いに現在も公団用地として確保されている。

 このような状態であったため,基本計画では,区域内の交通は,主に自動車とバスで対処することとなっていた。しかし,この考え方がすべての施設計画に反映されているとは言い難い。

 

「モノレール」1979年6月号「筑波研究学園都市の交通計画 」46~47頁から引用

「通勤新幹線」キタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!!

通勤新幹線

「交通技術」1968年1月号「東京周辺の改良工事施工上の諸問題」菅原操著35頁から引用

 そもそも、「通勤新幹線」とはなんぞやということになるのだが

 第二の柱である東京周辺の都市交通対策の構想では、東京を中心に放射状の通勤新幹線5本(このうち1本は東北新幹線の宇都宮付近までの線で兼用)を建設する。最高時速は160キロ、駅間距離は30キロ以上、車両は現在の新幹線より1両あたり50人多い6人掛け25列、150人乗りで、原則として全員が座れるようにする。1線1時間あたりの輸送量は3万6000人で、100キロ以内の首都圏に住む人は50分足らずで都心に出られることになる。

 路線は、東京から千葉県の新東京国際空港付近(50キロ)に至るもの、東京から茨城県の中央部(100キロ)、東京から群馬県の南部(100キロ)、東京から神奈川県の湘南地区(70キロ)に至るものと、前記東北新幹線兼用の5つ。

 

「R」1966年11月号「10年後の国鉄 -鉄道網整備の基本構想-」21頁から引用

 ということはアレですかね

・筑波学研都市への公共交通機関は、まずは「通勤新幹線」を想定していた。

・通勤新幹線がぽしゃったので「新交通システム」で常磐線と結ぼうとした。

・新交通システムもぽしゃったので「常磐新線(つくばエクスプレス:TX)」で都心と直結した。(駅は通勤新幹線用にとっておいた用地を活用した。)

てなことになるのでしょうか?思いがけないものが釣れてしまったようだ。

 黒川洸先生の報文に戻ろう。

 

3-2 学園都市の新交通システム導入計画

 3-1で述べたように,基本計画時点では新交通システムのような公共輸送機関は考慮されていなかった」。しかし,その後,昭和45年の大阪万国博覧会等を契機として,わが国では新交通システムの開発が脚光を浴び,その都市への導入問題が本格化してきた。さらに「モノレール等の整備に関する法律」やインフラ補助方式等により導入の促進がされてきた。また筑波研究学園都市も独自の交通問題として,バスのみによる公共交通機関のサービスが問題となってきた。特に,学園都市へのバス交通の土浦市内,土浦駅前広場での処理問題,バス経営上の問題,国際的な計画的研究学園都市としての交通サービス水準確保の問題となり,新交通システムの導入が昭和49年頃より当該都市でも本格的に検討されてきた。代表的な調査報告書としては,以下の調査が挙げられる。

①「研究学園都市光津施設整備計画に関する研究調査」運輸経済研究センター,昭和49年

②「茨城県南広域都市交通システム調査報告書」日本都市計画学会,昭和52年3月

③「筑波研究学園都市新交通システムの需要予測等調査報告書」茨城県,昭和52年

以上の調査のうち,後者2つを対比させながら筑波研究学園都市の新交通システムの計画について以下述べて行く。(後略)

(イ) 人口想定(略)

(ロ) 交通需要想定(略)

(ハ) 新交通システムのルート

 ②の調査では,将来構想として図10のようなネットワークを提案しており,段階建設比較案として,図11に示すようなI型とT型ルートを提案している。また③の調査では図12に示すような,②の調査のT型ルートと同じルートを検討対象としている。①のT型ルートの全線は路線長が24.0kmであり,段階施工は15.0kmである。また③の調査では路線長が15.0kmで,②の段階施工とほぼ同じである。このため両者をベースに以下の比較検討を進める。

 

「モノレール」1979年6月号「筑波研究学園都市の交通計画 」47~53頁から引用

 

 今まで紹介したものには出てこなかった荒川沖駅への詳細なルートが出て来た。

新交通システム筑波研究学園線 土浦ニューウェイ (2)

段階建設のT型は土浦駅と結ぶもの、I型は荒川沖駅と結ぶもののようだ。

新交通システム筑波研究学園線 土浦ニューウェイ (5)

 

 で、ご案内のように、実際にはこの構想は実現しなかったわけだが、科学万博にあわせて「土浦ニューウェイ」が建設されている。その辺を比較してみる。

新交通システム筑波研究学園線 土浦ニューウェイ (4)

 土浦駅の東口へ入るルートは図10と同じような感じ

 

図10の「川口町」あたり

 

図10の「保健所前」あたり

 

図10の「虫掛」あたり。上記3個所と異なり、現在のバス停とは若干位置が異なるようだ。

 現在の土浦ニューウェイは、おおむね新交通システムの計画と同じものと言えそうだ。しかし後述のようにこの区間は、新交通システムとしては事業化されていない(=予算がついていない)ため、「新交通システムの施設を転用した」というのは言い過ぎである。せいぜい「新交通システムの計画を参考に(or空けてあった導入空間を活用して)新たに高架道路を作った」というところであろう。

 なお、黒川先生の報文中「大阪万国博覧会等を契機として,わが国では新交通システムの開発が脚光を浴び,その都市への導入問題が本格化してきた。」とあるが、私が先日このブログで紹介した東京都のモノレール構想も、万博のモノレールを参考にしており、いろいろな事業のトリガーとなっているのだなあと感じた。

(二) 経営収支

(前略)以上の結果により,両調査とも,筑波学園都市の新交通システムは,経営上若干の問題はないとも言えないが,その必要性については認め,導入に向けての新たな展開を計ることを述べている。

 これらの調査結果を受けて,上記T型ルートをベースにし,このうちの交通需要の比較的多い筑波大学の北側より花室地区を通り土浦駅に至るL型の14.6kmについて昭和53年度予算要求が行われ,結果的には,筑波大学附属病院より花室バスセンターに至る1.5kmの区間が事業採択された。現在は,この事業化に向けて関係機関が鋭意努力中である。

 

4 今後の課題

 筑波研究学園都市建設は,あと1~2年でその概成期を迎えようとしている。現在そこで提供されている各種都市的サービス,交通サービスは,東京より移転してきた者にとって決して満足できるものではなく,「陸の孤島」という意見すら聞かれるものである。今後数年間における新交通システムを含む都市施設整備によってこれらに対する感覚はかなり解消されるとは予想されるが,筑波研究学園都市建設は,わが国で手掛けたユニークな,また国際的な研究学園都市であり,1兆円にも及ぶ国家プロジェクトであることを考えると,現計画は,施設整備計画が中心であり,あたかも「物理的な仏像を造り,その仏像の完成が間近にせまった状態である」という感がしてならない。本来の仏像づくりは,今後これにどのような魂を入れるかによるのではないだろうか。その意味では新交通システムの導入は,経営収支上の問題を,その障害となると考えるよりも,むしろ,筑波研究学園都市建設を実験的都市建設と考え,そこへの新交通システムの導入が,今後のわが国の都市交通問題を考える際の新交通システムの位置付けを見極める実験であるとすべきである。(以下略)

 

「モノレール」1979年6月号「筑波研究学園都市の交通計画 」53~54頁から引用

 要するに「経営上問題あるかもしれないけど、国家プロジェクトなんだし、東京から引っ越してきた俺らも不便しているし、多少の赤字は実験代と思って大きく構えようぜ」てなことか?

 

 実際には「計画どおりの人口及び乗客数が見込めない,経営収支上も難があるといたしまして,昭和57年に事業休止となり,今日に至っております。(茨城県議会平成14年第3回定例会(第5号)足立寛作議員の発言)」となってしまったわけだが。

 

 なお、この黒川先生の報文では一切科学万博については触れられていない。よって、科学万博輸送のために新交通システムを計画したということについては消極的に考えるものである。

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下記の記事を参考にさせていただきました。ありがとうございました。

・鉄道ジャーナル 2015年6月号「幻の鉄路をたどる(7)磁気観測圏に残る三者三様の未成線 加波山鉄道/土浦ニューウェイ/常南電気鉄道」草町義和著

・【幻の新交通システム(2)】土浦高架道は万博の置き土産!http://sciencecity.tsukuba.ch/e240811.html

・土浦高架橋http://satoshi.quu.cc/moku/nippn.files/hashi6/tuchiuracouka.htm

・「土浦ニューウェイ」に都市内交通のヒントを見た!?http://ken-show.net/gallery/report/046.html

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

 前回、土浦ニューウェイについて記事を書いたら、草町氏からこんなツイートをいただいてしまった。単なる「横浜ベイスターズ応援ほっこりブログ」なのに、何故プロの鉄道ライターさんがそんなに緊張することに。。。

 ところで、前回は上記草町氏のツイートのとおり「道路セミナー」から筑波学園研究都市に係る新交通システムについての記事を御紹介したわけだが、その後追加で調べてみた。今回はまずは「橋梁」1978年8月号に掲載された「筑波研究学園都市における新交通システム」大川勝克氏(当時:建設省都市局街路課長補佐)著から前回記事の補足となる部分を紹介してみようと思う。

3 新交通システム導入の必要性(抄)

(4) 新交通システム導入の必要性

 以上の道路網整備の動向,交通需要の推計と道路交通の予測等からすると,研究学園都市内及び土浦市内及び土浦市内において、既存の道路網を使った自動車交通及びバス交通のみで、将来の交通需要に対応することは無理であると考えられる。特に土浦市中心部においては,土浦駅を中心として,バス交通の混雑,自動車交通の渋滞,駐車場不足等の問題が予測され,何らかの抜本的な対策が必要である。このような観点から,一般道路から独立した走行面を持ち,バス交通の容量を相当に上回る新交通システムの導入が検討され,その一部が事業化されたのである。なお都市規模及びそれに伴う交通発生量から言ってモノレールや地下鉄等の大量輸送機関は必要とされていない。

 

「橋梁」1978年8月号「筑波研究学園都市における新交通システム」13頁から引用

 

 「特に土浦市中心部においては,土浦駅を中心として,バス交通の混雑,自動車交通の渋滞,駐車場不足等の問題が予測され,何らかの抜本的な対策が必要である。このような観点から,一般道路から独立した走行面を持ち,バス交通の容量を相当に上回る新交通システムの導入が検討され,その一部が事業化されたのである。」のあたりが、新交通システムが事業廃止された後もニューウェイが建設された所以かもしれませんな。根拠はない私的な推測にすぎないけど。

 

4 新交通システムの計画の概要(抄)

(1) 新交通システムの路線計画

 研究学園都市の土地利用計画は,南北軸に細長く伸びており,商業業務施設を中心として,南北に教育,研究機関,住宅地が配置されている。このため研学都市と周辺市町村の需要量を見ると図-4(引用者略)において,常磐線沿線都市との交通需要が多いことがわかる。研学都市に近接する国鉄駅は,土浦,荒川沖,牛久駅があるが,このうち土浦と荒川沖の両駅は,研学都市の中心部から直線距離で7~8kmの位置にあり,このいずれかの駅に公共輸送機関を整備する必要がある。

 以上の二つの需要を満足する比較案として図-5の如き3案が考えられた。この比較案について,利用者への利便性,地域住民への環境上の配慮,運営者の問題,建設性,等の観点から検討行い(ママ),当面の整備対象路線としては,研学都市を南北に縦断する路線と花室地区から土浦駅を結ぶ路線から成るT字型路線が考えられた。総延長はである。(ママ)

 昭和53年度の予算要求にあたっては,このうち交通需要の比較的多いと見込まれる筑波大学の北側より土浦駅までのL字型(延長14.6km)部分について予算要求を行った(図-6)。結果としてはこの路線のうち緊急に整備を必要とする大学病院からバスセンターまでの1.5km区間について昭和53年度より事業採択することとなった。

 

「橋梁」1978年8月号「筑波研究学園都市における新交通システム」13~14頁から引用

図-5 比較案

新交通システム筑波研究学園線 土浦ニューウェイ (1)

図-6 昭和53年度予算要求

新交通システム筑波研究学園線 土浦ニューウェイ (3)

 

(2) 新交通システムの交通需要の推計 (略)

(3) 新交通システムの経営収支の予測 (略)

(4) 新交通システムの事業化区間の諸問題

 新交通システムが事業化された第1期の1.5kmの区間は,北は筑波大学の附属病院から南はセンター地区のバスセンターまでという事であり,新交通の建設されるルートは,研究学園都市を南北にほぼその中央を通る学園中通り線(仮称)である。その沿道にある主な施設としては,松見公園,図書館,短期大学,商業ビル等がある。またこの地区は研学都市のセンター地区と呼ばれ,周辺地区も含めて将来地区の核として整備される地区である。

 当区間の計画,設計については,茨城県が中心となり,建設省,住宅公団がこれに協力して現在検討を進めている。従って詳細な内容の紹介は後日に譲ることとして本稿では,検討すべき主な事項の紹介にとどめておく。

①新交通システムとして採用する機種については,未だ確定していないが,新交通システムを利用する交通需要が,67,000人/日程度という公共輸送機関としては比較的少ない量であること,研学都市の熟成に応じ段階的建設に適すること,研学都市というNew Cityのイメージに合う技術的に斬新なものであること等の理由から,従来の列車タイプのものでなく,単車でかつ一般道路にもサービスできるデュアルモード型のものを想定して路線計画等の検討を進めている。いずれにしても早期に機種を決定する事が,事業推進上望ましい。

②新交通システムの通るルートは先に述べたとおりであるが,新交通システムとこれが建設される下の道路との関係については詳細な検討が必要であり,かつ早期に決定しなければならない。またインフラ部の構造は,安定性,経済性,管理問題,デモンストレーション効果等の観点から高架が望ましいと考えられる。(以下略)

③経営主体については,他の新交通システム,都市モノレールを実施する県,市の場合と同様,公共主導型の第3セクターの設立によることになる。この場合地元町村の規模が小さい事からこれへの参画は困難であり,公共団体は県が中心とならざるを得ない。一方,研究学園都市は,国が企画したナショナルプロジェクトとも言えるものであるから,これの経営について,何等かの援助が望まれる。

 

「橋梁」1978年8月号「筑波研究学園都市における新交通システム」14~15頁から引用

 先に紹介した「道路セミナー」の記事同様、デュアル・モード・バスを想定したようだ。また、地元自治体がつくば市発足前の町村レベルだったので、第3セクターとしては財政基盤が脆弱であることが指摘されている。

 

6.あとがき

(略)

本稿の執筆中に,研学都市において昭和59年に,万国博,海洋博に続くわが国第3番目の国際博覧会とし「科学博覧会」を開催する方針を決めた事を報ずる新聞記事を見たが,もしこれが実現するとすれば,その開催時期までには全体計画である土浦駅までの新交通システムを完成しておく必要があろう。従って,当面の1.5kmに続き是非とも早期に全体路線の事業化を図りたいと考えている。

(略)

「橋梁」1978年8月号「筑波研究学園都市における新交通システム」16頁から引用

 道路セミナーの記事と異なり、科学万博に触れている。中央官庁のキャリア官僚が「新聞記事を見たが」などととぼけたことを書いているが、当然事前に協議を受けているはずだと思うのだがw。いずれにせよ科学万博までに土浦駅と筑波研究学園都市を新交通システムで結ぶ必要があるという見解を非公式に示したものであることは興味深い。

 更に記事を見つけたので(その3)で紹介したい。

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

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2015年4月25日 (土)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について~草町義和 @kusa_yoshi 氏の記事に支援

 こんなツイートを拝見したので、私の「土浦ニューウェイ」手持ちネタをご披露して草町氏への支援活動としておこう。

 まあ、次の計画図を見たら大抵の人はおなか一杯で、あとは字ばかりなので、読む気が起きない方はスルーしてもらってよかですw。

土浦ニューウェイ 筑波 新交通システム

ネタ元は「道路セミナー」1979年1月号「筑波研究学園都市の新交通について」 茨城県土木部都市計画課新交通推進室長 中川三郎氏執筆

土浦ニューウェイ 筑波 新交通システム

 草町氏は鉄道ジャーナルの記事で「道路特定財源」云々と書いておられたが、道路特定財源なので、道路業界誌には記事が出ているのである。

 この記事を丸写しにしてしまうと資料を探す楽しみが減ってしまうかもしれないので、(打つのも面倒だし)ポイントだけ引用しておこう。

四 新交通システム導入の必要性  ※(一)~(二)は省略

(三) 新交通システムの必要性

 以上のような状況をみるとき、研究学園都市だけでなく、常磐線や土浦市における交通サービスを向上させるためには公共輸送機関の整備が不可欠となる。しかし、バスによる対処は、

イ バスの増発により、土浦市内はもとより学園東大通りや土浦学園戦の道路混雑が誘発される。

ロ バス発着場等の専用用地の確保が困難である。

ハ 経営再三、労働力の確保などに問題がある。

ニ 新都市と常磐線間の所要時間が長い。

 などの理由からむずかしいと思われる。このように考えてくると、線輸送だけでなく、効果的な面輸送による新しい公共輸送システムの導入が必要となる。

 

「道路セミナー」1979年1月号「筑波研究学園都市の新交通について」から引用

 ということで筑波研究学園都市の発展に伴い、土浦市(常磐線)との間の交通需要がバス交通では捌ききれないことを述べている。

 なお、この元記事は全て「常盤線」となっており、引用者が「常磐線」に改めているのでお断りしておく。

(四) 新交通システム導入のメリット

 新交通システム導入は、単に交通需要の面からその必要性を満たすだけではなく、種々の点でメリットがある。

イ 茨城県全域でみても、研究学園都市と常磐線が固く結ばれることによって筑波大学附属病院をはじめとする多くの新都市内施設を広く県民が利用できる。

ロ 研究学園都市周辺の県民の立場でみると、新交通システムとバス交通網の一体的整備によって道路交通は大きく改善され良好な生活環境が保持できるとともに、良好な交通サービスを享受できる。

ハ 研究学園都市の人々にとっては、東京や水戸が近くなり、現在のような陸の孤島のイメージが一掃され、定住者の定着が予想される。

ニ 走行時の騒音レベルは、電気駆動のため、一般の自動車に比較してきわめて少なく、騒音問題の解決にもつながる。

ホ 自動車の排ガスの規制が厳しくなっているが、電気駆動はその心配がなく、安全でクリーンなモータリゼーションの一助となる。

 

「道路セミナー」1979年1月号「筑波研究学園都市の新交通について」から引用

 ということで、新交通システムはいいことずくめのようだ。

 

五 新交通システムの計画概要

 交通需要の予測の結果からもわかるとおり、新都市と常磐線沿線の都市を結ぶ交通需要が多く、また、新都市内のそれも非常に多いこと、新都市内の土地利用が南北に長く、中心部の商業業務施設を中心に南北に教育、研究機関、住宅地が配置されるパターンであることなどから、新交通システムの路線の基本的パターンの一つとして、図―4に示すT型ルートが考えられる。昭和53年度予算要求においては、このうち交通需要の比較的多いと思われる筑波大学の北側から花室地区を通り土浦駅に至る14.6キロメートルのL字型部分について予算要求を行った。事業採択されたのはこのうち筑波大学附属病院から花室バスセンターに至る1.5キロメートルの区間である。この地域は研究学園都市の中心市街地を形成する地域であり、昭和55、56年頃には商業機能や生活関連機能も活動をはじめることが見込まれ、公務員住宅や各種の年施設の昭和54年度末の概成と相まって都市としての活気がみなぎると思われる地域である。

 

「道路セミナー」1979年1月号「筑波研究学園都市の新交通について」から引用

 「図―4」を再掲すると下記のとおりである。

土浦ニューウェイ 筑波 新交通システム

 「事業採択されたのはこのうち筑波大学附属病院から花室バスセンターに至る1.5キロメートルの区間である。」というのが気になる。これは南北の路線であり、つくば花室トンネルとは直接関係なさそうだ。「花室バスセンター」とは、つくばバスセンターのことだろうか?

http://sim.nilim.go.jp/Tsukuba/Div02.htm に当時の路線図の一部が残されており興味深い。

 さて、ここに導入される新交通システムはどのような形態を構想していたのかが気になるところだ。

五 新交通システムの計画概要(続き)

 この事業化区間に導入するシステムについては検討中であるが、筑波研究学園都市の交通の質・量からみて、従来の鉄道型のシステムは適当ではなく、新しいバス型の機種が望ましいと思われる。

 バス型のシステムについては、実用化された機種はまだないが、筑波研究学園都市内にある建設省土木研究所構内で実験中のデュアル・モード・バスはこの型の機種として開発の熟度の高いものの一つである。デュアル・モード型のシステムは、専用軌道と一般道路上の二つの運行モードをもつ特性から、多面でしかも多様な交通需要をもつ筑波研究学園都市にふさわものと考えられる。

 

「道路セミナー」1979年1月号「筑波研究学園都市の新交通について」から引用

 当時、建設省土木研究所構内で実験中のデュアル・モード・バスについては、リンク先の記事に詳しい。http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00037/359/359-118909.pdf

 

 事業規模や採算性はどう考えられていたのだろうか?

五 新交通システムの計画概要(続き)

 次に、事業化区間についての経営収支をみる。前提条件として、総事業費42億円(うちインフラ部26億円、インフラ外部16億円)、インフラ部に対し2/3の国庫補助、交通需要3,600人/日(ピーク時片側300人)、運賃120円、建設期間を昭和53年度より昭和55年度、等とすると、経営的収支は累積で18年目に黒字に転換し、資金附sp区は単年度で10年目、累積で15年目に解消する見通しである。

 

「道路セミナー」1979年1月号「筑波研究学園都市の新交通について」から引用

 と順調そうに見えた(だからこそ一部区間ではあっても事業採択された)にもかかわらず未成に終わったのは何故だろうか?

 なお、この報文中、つくば科学万博については一切触れられていない。まだ開催は決定されていない時期である。

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 「高速道路と自動車」1984年2月号「日本と欧米の新交通システム」建設省土木研究所道路部新交通研究室主任研究員 杉山保利氏執筆 には、下記の一覧表が掲載されている。こちらではデュアル・モード・バスではなくガイドウェイ方式の新交通システムとして記載されている。

新交通システム 筑波研究学園線 ガイドウェイバス

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 茨城県議会の議事録には下記のような発言が記録されている。

2002.09.10 : 平成14年第3回定例会(第5号) 本文 17 : 

◯48番(足立寛作君)

 かつて,昭和50年代の初めでありますけれども,土浦,つくば両都市間を結ぶ新交通システムの整備が急浮上したことがあります。それは,国補事業によって,茨城県南広域都市交通システム調査が行われ,土浦とつくば両都市間約15キロメートルの第1期事業といたしまして,花室バスセンターから筑波大学附属病院間約1.5キロメートルをデュアルモードバスで結ぼうとするものでありました。事業費も42億円ついていたわけでありますけれども,計画どおりの人口及び乗客数が見込めない,経営収支上も難があるといたしまして,昭和57年に事業休止となり,今日に至っております

 筑波大学附属病院から花室バスセンターの間だけ事業化されたが、昭和57年に事業休止となったと述べられている。では、いわゆる土浦ニューウェイやつくば花室トンネルは少なくとも新交通システム関係では事業化されていないということだ。

 そういう意味ではwikipediaの「新交通システム未成線・筑波研究学園線(仮称)の転用道路。」という言い方は乱暴な気がする。事業化されていないものを転用しようがないのだ。「導入空間を活用した」ということはありうるだろうが。

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 つくば万博関連でいけば、常磐道の万博用仮出口について書いた記事もあわせてご覧いただければ。。。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-b72e.html

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

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