毎日新聞【⿊川晋史記者】「五輪が来たニッポン︓1964→2021 都市の姿、環境優先へ」とプロジェクトX「空中作戦」
東京オリンピックにあたって前回の東京オリンピックとの比較する記事が幾つか見られた。毎日新聞にもこんな記事が載っていた。
64年五輪で変貌した東京 2度目の大会が浮き彫りにした都市の問題 | 毎日新聞 https://t.co/lSglikG1pU
— 毎日新聞社会部 (@mainichi_shakai) July 28, 2021
五輪が来たニッポン︓1964→2021 都市の姿、環境優先へ
戦後復興の象徴として記憶されている、1964年の東京オリンピック。⼤会を境に、⾼速道路や下⽔道など、都市環境は劇的に変化した。経済発展や利便性の向上が最優先だった時代から半世紀余り。2度目の東京五輪を迎えた今、都市を巡る状況を振り返ってみたい。
64年五輪の開催が決まったのは59年。当時は本格的な⾞社会の到来で深刻な交通渋滞が懸念されていた。放置すれば五輪関係者の移動にも混乱が⽣じかねない。そこで渋滞緩和を目指して計画されたのが⾸都⾼速道路だった。
⽤地買収の⼿間を省くため川や道路の上に⾼架を通す「空中作戦」など、五輪に間に合わせるために奇策も使って⼯期を短縮し、⾸都⾼は59年の基本計画決定からわずか5年間で4路線32・8キロが完成。五輪競技会場や⽻⽥空港を結ぶ動脈として⼤会を⽀えた。東京のシンボルの⼀つ「⽇本橋」の上を通るルートも、空中作戦の産物だった
「我々が⽇本で初めての都市内⾼速道路を完成させる、との気概を持って仕事をしていた。『早く作れ』という社会全体の応援を感じた」。今年6⽉の建設関係の団体の講演会に、旧⾸都⾼速道路公団の技術者だった⼤内雅博さんは亡くなる直前、こんなメッセージを寄せた。都市の発展を願う世相と技術者の熱意が重なって、⾸都⾼建設は進んだ。
(以下 略)
【⿊川晋史】
2021(令和3)年7月28日毎⽇新聞 東京⼣刊
「革洋同の野郎、まーた『空中作戦』狩りかよ。もう飽きたよ。」
とおっしゃる読者の方もいらっしゃるかもしれない。
ただ、今回はいつものやつとはちょっと趣旨が異なる。
私のブログを読んでいただいている方には
「首都高の『空中作戦』は、おそらくNHKの『プロジェクトX』の造語ではないか?(それ以前の出版物等には出てきた事例を見つけられていない)」
「首都高が川や道路の上に設けられたのは、五輪に間に合わせるためではなく、五輪決定以前から決まっていた」
という話はおなじみかと思うので、ここでは詳細には述べない。
過去の記事のリンクを貼っておくので、⿊川晋史記者等、馴染みのない方はあわせて下記をご参照いただきたい。
●プロジェクトXの首都高の回の決め文句「空中作戦」は、本当は言っていなかった
https://togetter.com/li/1432212
●「首都高をオリンピックに間に合わせるためには『空中作戦だ』」のアンビリバボーを検証してみる
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-f51a.html
●古市憲寿氏「東京五輪“負の遺産” 首都高とモノレール 五輪に間に合わせた急ごしらえの代償」を検証する。
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-97a48d.html
一方で、NHKのプロジェクトXで首都高速の「空中作戦」についてどう扱われていたかは、当該番組の制作にあたった今井彰氏が下記に書いている。
「東京オリンピックへの光景 第六回 首都高速道路の空中作戦」style-arena
https://www.style-arena.jp/trend/270
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まあ、ここまではいままでのブログのネタの繰り返しなのだが、ここからが今回の毎日新聞黒川晋史記者の記事の気になるところである。
五輪が来たニッポン︓1964→2021 都市の姿、環境優先へ
(略)
「我々が⽇本で初めての都市内⾼速道路を完成させる、との気概を持って仕事をしていた。『早く作れ』という社会全体の応援を感じた」。今年6⽉の建設関係の団体の講演会に、旧⾸都⾼速道路公団の技術者だった⼤内雅博さんは亡くなる直前、こんなメッセージを寄せた。都市の発展を願う世相と技術者の熱意が重なって、⾸都⾼建設は進んだ。
(以下 略)
【⿊川晋史】
2021(令和3)年7月28日毎⽇新聞 東京⼣刊
先に紹介した毎日新聞黒川晋史記者の記事の部分的な再掲である。
太字で書いた「今年6⽉の建設関係の団体の講演会」であるが、一般社団法人建設コンサルタンツ協会が2021(令和3)年6月22日に開催した「東京オリンピック1964に向けた首都高速道路の整備」ではないかと推測される。
その講演記録が同協会のウェブサイトに公開されている。
https://www.jcca.or.jp/infra70/wp-content/uploads/2021/05/PJNO21.pdf
上記PDFの「講演者」に「大内 雅博 元首都高速道路公団交通管制部長」というお名前が載っている。(この講演会はコロナの関係で延期され、2021年6月にweb講演の形で開催された。その間に大内氏が亡くなられたのだろうか?)
「『我々が⽇本で初めての都市内⾼速道路を完成させる』との気概を持ち」という表現も同じであり、コロナ禍のなか講演会もそうそう開催されているわけではないので、黒川晋史記者が参考にしたのは、建設コンサルタンツ協会の講演で間違いないのではないか。
ところで、その講演ではこんなことも述べられている。
上記は、首都高速道路の構想が具体化していく時系列なのだが、これが、黒川晋史記者が書く「⽤地買収の⼿間を省くため川や道路の上に⾼架を通す「空中作戦」など、五輪に間に合わせるために奇策も使って⼯期を短縮し、⾸都⾼は59年の基本計画決定からわずか5年間で4路線32・8キロが完成。」とは時系列の平仄がとれない。
<プロジェクトXが誤解を広め、今般毎日新聞黒川晋史記者がのっかった首都高速道路建設の経緯>
・東京オリンピック開催決定
↓
・首都高速道路公団設立
↓
・オリンピックに間に合うように「空中作戦」で高速道路を川の上に
<毎日新聞黒川晋史記者が参考にしたと思われる「今年6⽉の建設関係の団体の講演会」の講演録に載った首都高速道路建設の経緯>
1956(昭和31)年 東京都が「道路白書」を作成、「昭和40年に予想される道路交通危機」対策のため都市高速道路の導入等を訴える。
1957(昭和32)年7月 建設省が「東京都市計画都市高速道路に関する基本方針」を作成し、経過地の選定に不利用地、河川、運河等を利用すること等の方針が打ち出された。
1957(昭和32)年8月 東京都市計画地方審議会に、高速道路調査特別委員会を設置。
1958(昭和33)年1月 東京オリンピック準備委員会・設立準備委員会及び第1回総会開催。
1958(昭和33)年4月 国会でオリンピック東京招致決議案を可決(衆議院15日、参議院16日)
1959(昭和34)年1月 首都高速道路公団法が閣議決定され国会へ提出。
1959(昭和34)年4月8日 首都高速道路公団法成立(同14日公布・施行)
1959(昭和34)年5月 首都高速道路の都市計画決定に向けた取り組みが重ねられた最中に東京オリンピック開催決定
1959(昭和34)年6月 首都高速道路公団(現・首都高速道路株式会社)発足
1960(昭和35) 首都圏整備委員会で首都高速道路や都道が「オリンピック関連道路」として位置付け議決。
斜字部分は私が参考までに追記
大学の教授ならともかく、一般紙の記者に「首都高速道路公団●●年史の●頁に載っていることと違う!」なんて記事の水準は求めるべくもないが、通常の注意力があれば、自分が参考にした(であろう)「今年6⽉の建設関係の団体の講演会」の話が、自分が参考にした(であろう)プロジェクトXと違うぞと気づくのを求めるのは酷だろうか?
ちなみに当該講演は実際には2時間、講演録で8頁である。締め切りに追われていたのかもしれないが、根拠があやふやな同業他社の造語である「空中作戦」にそこまで固執しなくてもよかったのではないだろうか。。。
ちなみに、当時の毎日新聞を調べてみるとこんな記事が載っている。
「都内に(有料)高速道路 川の上など利用、八本」という題名で、添付されている「首都高速道路事業計画図」は、現在の路線図とほぼ同じだ。(厳密には羽田空港付近と人形町付近等が変更されている。)
ちなみに、この毎日新聞の記事の日付は、 東京オリンピック開催決定より約10箇月前の1958(昭和33)年8月24日夕刊である。記事中に「東京オリンピック」という言葉は見られない。
黒川晋史記者の「64年五輪の開催が決まったのは59年。当時は本格的な⾞社会の到来で深刻な交通渋滞が懸念されていた。放置すれば五輪関係者の移動にも混乱が⽣じかねない。そこで渋滞緩和を目指して計画されたのが⾸都⾼速道路だった。⽤地買収の⼿間を省くため川や道路の上に⾼架を通す「空中作戦」など、五輪に間に合わせるために奇策も使って⼯期を短縮」という記事と、黒川晋史記者の先輩が書いた記事を比較しての感想は如何であろうか?
黒川晋史記者を指導・教育する立場の上司の方が「黒川君、当時のわが社の記事のデータベースくらいチェックしておいたかい?」と一言かけてくれればこんなことにはならなかったのではないかと悔やまれる。
黒川晋史記者のために付言しておくと、実際に首都高の河川上等を利用した初期のルート決定は下記の形で決まっている。
※このときは、まだ羽田空港には直結していない。
「昭和40年には、(略)交通能力が満度に達するものと想定されるので、都内の自動車の増加率並びに平面道路の交通処理能力からも極めて短期間に建設されることが必要であることを強く要望いたします。」が、昭和32年当時に首都高を急いで建設する理由とされている。
黒川晋史記者の書く「64年五輪の開催が決まったのは59年。当時は本格的な⾞社会の到来で深刻な交通渋滞が懸念されていた。放置すれば五輪関係者の移動にも混乱が⽣じかねない。そこで渋滞緩和を目指して計画されたのが⾸都⾼速道路だった。」と比較してみては如何であろうか?
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黒川晋史記者は、 「名橋『⽇本橋』保存会」の中村胤夫会長のコメント等を通して、当初は「新しい物ができる期待感が強」かったが「そのうちに「圧迫感がある」「⽇陰ができて暗くなる」という声が上がり始める。」としている。
当時(1959(昭和34)年2月23日)の毎日新聞で 黒川晋史記者の先輩は、そのあたりどう報道したのだろうか?
当時の毎日新聞では「都の高速道路に物いい」という見出しで都内の反対運動を報道している。
日本橋がある中央区内では「中央区内を通る高速道路はすべて地下式にしてしまえというわけだ。」とのこと。 ただし、この時点では首都高は日本橋の下を通っていたのだが(日本橋の上を通過するように変更されたのは狩野川台風による水害を踏まえてのもの)。
日本橋のところで首都高が下を通る計画から上を通るように変更された経緯はこちら。いずれにせよ東京オリンピック決定前に日本橋の上を通るように変更されているのだが。
「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」古川公毅・著 45頁から引用。
あわせて1960(昭和35)年4月13日付け読売新聞の報道も見てみよう。
「名橋「日本橋」の上をまたいで四号線が通るのは反対、すれすれでよいから橋の下を通るべきだ。」と、実際には地元は日本橋の上を首都高が通過することを反対していたことが分かる。
ところで、毎日新聞の記事の日付に注目していただきたいのだが、1959(昭和34)年2月23日 である。
黒川晋史記者は「川や道路の上に⾼架を通す「空中作戦」など、五輪に間に合わせるために奇策も使って⼯期を短縮」と書くが、中央区や港区が首都高の高架に反対したのは、黒川晋史記者の先輩の記事によれば東京オリンピック決定以前である。また、日本橋の上を首都高が通ることが決定(変更)したのもオリンピック決定前に狩野川台風による水害を踏まえてのものである。
やはり、黒川晋史記者を指導・教育する立場の上司の方が「黒川君、当時のわが社の記事のデータベースくらいチェックしておいたかい?」と一言かけておくべきだったのではないか。
また、上記の読売新聞によると東京オリンピック決定後も日本橋の上を首都高が通ることを反対しており、 「名橋『⽇本橋』保存会」の中村胤夫会長のコメントとはニュアンスが異なる。まあ、ここは「個人の感想です」といったところか。
ちなみに「首都高研究家」の清水草一氏は「日本橋の上空を通過している首都高が、景観を悪化させていると言われ、地下化が決定しているが、建設当時、反対運動は皆無だった。」と述べている。
https://kurukura.jp/car/2021-0614-60.html
ご参考まで。
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ところで「東京オリンピックに間に合わせるために河川の上に高架」史観は、プロジェクトXや黒川晋史記者だけでなく、コミックの世界でも見られる。
上記は、楠みちはる先生の「湾岸ミッドナイトC1ランナー」2巻9頁から台詞だけ抜粋したものである。
いちいち対比表は作らないが、私の言わんとしていることがご理解いただけるだろう。
なお、一般社団法人建設コンサルタンツ協会の「東京オリンピック1964に向けた首都高速道路の整備」の講演記録と比較すると、当初の開通路線も異なっている(都心環状線の東側か西側かの違いにご注目)。
まあ、こちらはファンタジーだから、もっともらしく楽しめればよい話なので、時系列も路線図もあまり揚げ足を取るようなことは無粋かもしれないが、くれぐれも真に受けないようにといったところか。
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「じゃあ、首都高成立の経緯は何が正しいんだよ」とおっしゃる方には、これがお勧め。
「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010064301-00
黒川晋史記者も竹橋から国会図書館はすぐなので一読してみては如何か?
黒川晋史記者が参考にしたと思われる「今年6⽉の建設関係の団体の講演会」の檀上に立った方でもあるので、是非。
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