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2022年8月28日 (日)

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績及びその破綻処理

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (1)

 私の「夏休みの自由研究」ということでw

(※「春休みの自由研究」で追記しましたw 2023.4.2)

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (2)

 最近、四国新幹線の是非等がネット上を賑わせることがあり、「絶対赤字だ」とか「四国新幹線は地方創生の切り札だ」とか色んな声が出ているところ。

 しかし、その中で具体の数字があまり出てこない。

 本稿は、現行のJR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画上の輸送量と実際の輸送量のデータや建設の経緯等をご提示することで、皆様の実のある議論の一助になればという趣旨で作成したものである。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (3)  

 これは、国鉄の1972(昭和47)年の会議資料に登場する本州四国連絡橋公団(以下「本四公団」)作成の資料である。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (4)  

 1970(昭和45)年段階では、本州四国連絡鉄道の輸送量は、旅客・貨物とも宇高航路の航送量の7~8倍と想定されていた。
 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (5)  

 当初の瀬戸大橋線の計画輸送量は御覧のとおりである。 

 ただし、これはAルート(神戸鳴門ルート)にも鉄道が敷設され、Aルートに114千人/日が分担される前提の計画輸送量である。
 実際には、Aルートには鉄道は敷設されなかった。
 では、Dルート(児島坂出ルート)のみに鉄道が敷設される場合の計画輸送量は存在するのか?
 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (6)  

 これは建設省と運輸省が1970(昭和45)年に作成した「本州四国連絡橋の経済効果(中間報告)」に掲載されている、本四架橋全体の輸送量等の開通パターンごとの一覧表である。
  元々は、Aルート(神戸・鳴門ルート)、Bルート(宇野・高松ルート)、Cルート(日比・高松ルート)、Dルート(児島・坂出ルート)及びEルート(尾道・今治ルート)の5ルートの調査が行われていたが、最終的に残ったのはA、D、Eの3ルートである。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (7)  

 鉄道がDルート(児島坂出ルート)しかない場合は、旅客12万人/日、貨物10万トン/日という予測データが遺されている。 

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 では、計画と実績を比較してみよう。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (9)  

 実際の瀬戸大橋線の旅客輸送量はこの表のとおりだ。 

 計画上は、神戸鳴門ルートに鉄道がない場合の12万人/日、神戸鳴門ルートに鉄道がある場合の5万人/日の想定に対して、実際には2万3千人/日を輸送している。
 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (10)  

 こちらは宇高航路と瀬戸大橋線の旅客推移だ。 

 出典はhttps://www.carf.e.u-tokyo.ac.jp/admin/wp-content/uploads/2020/06/zaisei6-material.pdf  

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (11)  

 「瀬戸大橋線開業前後で比較すると、輸送量は約3倍になった」とも言えるし、「宇高航路のピークと瀬戸大橋線の現状はさほど変わらない」とも言える。
 いずれにせよ「7~8倍」という当初の予想にはほど遠い実態である。
 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (12)  

 ちなみに、四国新幹線の輸送量はどういう予測になっているだろうか? 

 四国新幹線が24千人/日、在来線(マリンライナー)が6千人/日となっている。
 新幹線を足しても瀬戸大橋線のピーク時とトントンにしかならない
 

出典は、http://www.shikoku-shinkansen.jp/topics/Pressrelease201403.pdf 
 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (13)  

 以上が、旅客輸送の計画と実績の差であるがもっと悲惨なのは貨物輸送である。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (14)  

 こちらは、国鉄時代の宇高航路とJR瀬戸大橋線の貨物輸送量の推移である。 

 宇高航路のピークに比べて、瀬戸大橋線は21%しか運んでいないことが分かる。
 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (15)  

 瀬戸大橋線の貨物輸送量は、公団計画の約9万トン/日に対して、実績は約80万トン/年(約2千トン/日)である。
 「7~8倍」どころか、年間実績で計画の9日分しか運んでいないのが実態だ。
 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (16)  

 瀬戸大橋線輸送量の計画と実績の差をまとめると、こちらのとおり。 

  旅客は計画の20%、四国新幹線が出来ても計画の25%

  貨物は計画の2%にすぎない。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (17)  

 「オイルショック前の計画と現状を比較するのは適切でない」というむきもあるだろう。実際に国鉄はオイルショック後に輸送量の見直しをしているが、その数字も達成できなかった。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (18)  

 どうしてこんなに計画と実績が違うのか? 

 オイルショック等の鉄道事業者の責任ではない情勢の変化もある。
 一方で、オイルショック後も国鉄の輸送需要の想定と実績は大きな乖離を繰り返してきた。
 この過大な予測に基づいた投資が焦げ付いたという面も否定できないのではないか。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (19)  

 少なくとも本四架橋においては、運輸省と建設省が合同で調査を行っていたので、建設省の予測する関連道路整備計画やその交通量の計画を承知したうえで鉄道の将来計画を策定していたはず。
 なので、よく使われる「高速道路ガー」の言い訳は使えないはずで、むしろ当時の鉄道関係者は「本四架橋とそれに伴い道路整備計画を承知したうえで、それでも鉄道は7倍に伸びる。国鉄は高速道路に勝てる!」と強気の?計画をして大外れしたということなのだろうか?
 もちろんオイルショックやその後の低成長による景気の影響はあるが、それでも「貨物輸送量は計画の2%」とは。。。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (20)  

 これだけしか運んでいない(=目論見通りの収入が上がっていない)のであれば、瀬戸大橋線の事業費の返済はどうなっていたのか? 

 本四架橋の当初費用負担スキームを確認しておく。 

 本州四国連絡橋公団→国や地方公共団体が出資。財投、縁故債等で借金して橋を建設。 

 道路→建設に係る借金返済及び維持管理に係る費用を本四公団の有料道路事業で賄う 

 鉄道→建設に係る借金返済及び維持管理に係る費用を国鉄からの利用料で賄う 

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 国鉄が本四公団に利用料として支払うはずだった瀬戸大橋線建設費の鉄道負担分500億円超/年は返済不可能に 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (22)  

 瀬戸大橋線の実際の収支にあてはめてみると 

 本当は、本四備讃線の「営業費」が27.8億円の他に約500億円増えるはずだったが、清算事業団による返済に。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (88)  

 本四備讃線=瀬戸大橋線の「営業係数」について、本来毎年本四公団→高速道路保有・債務返済機構へ支払うはずだった瀬戸大橋の本来の利用料500億円/年を加えてざっくりと試算したところ、「1647」と出た。

 100円稼ぐのに1647円の営業費がかかるということで、JR四国最低の予土線の1159より遥かに下回る不採算路線となる。 

 瀬戸大橋線を「JR四国のドル箱路線」と見るむきもあるが、「国民の負担のおかげでJR四国の収支上は黒字路線だが、ドル箱かというと激しくビミョー」とでもいうべきだろうか。

  

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 「本四公団債務」は、国鉄長期債務の一環として国鉄清算事業団が負担することに 

 本来は国鉄の鉄道収入から本四公団に返済すべきであった約0.7兆円を国鉄清算事業団に引き継ぎ。
(大鳴門橋の鉄道負担分も含む)
 これは、JR四国の経営安定基金約0.2兆円を大きく上回る額である。(JR四国への支援が足りないと主張する方でこの額に触れる人ってあまり見かけない。) 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (24)  

 JRへの貸付線の貸付条件等について、他の路線と比較してみる。 

 国鉄の分割民営化にあたってすべての公団線等が建設費の返済を免除されたわけではない。 

 「G本四架橋線」は建設費を返済していないことの改めての確認ということで。
(整備新幹線は「受益を勘案した額」であり、建設費を返済するわけではないことも分かる。)

 出典は「整備新幹線財源の持続可能性に関する法制的問題点の検討」楠木行雄・著
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tpsr/15/3/15_TPSR_15R_11/_pdf/-char/ja  

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (25)  

 一方、京葉線はJR東日本が400億円/年を返済中である。

 京葉線ほど利用客があっても、公団へ毎年400億円払うと赤字路線だという。

 出典は「京葉線東京地下駅建設」JR東日本 建設工事部土木工事課課長代理山崎隆司・著
 都市と交通1989年11月号34頁 http://www.jtpa.or.jp/contents/pdf/toshi18.pdf  

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (26)  

 国鉄は、瀬戸大橋線には元々そんなに乗らないと知っていた。 

 国鉄では、1970(昭和45)年から新幹線建設委員会に「青函・本四連絡専門委員会」を設置し、本四架橋への鉄道の設置に係る諸課題を検討していた。
 1972(昭和47)年7月14日の同専門委員会に提出された「本四連絡架橋について(報告)では、「輸送量の想定」として、Aルートに新幹線、Dルートに在来線を設置した場合の輸送量について「本四公団の想定輸送量と比較すると」「旅客合計では約40%、貨物では約70%となっている。」としている。
 本四公団の鉄道担当者は鉄建公団や国鉄からの出向者によって構成されていたと思うのだが、どうしてこんなに違うのだろうか。。。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (27)  

 国鉄四国管理局OBも瀬戸大橋線が大赤字となることを建設中から指摘していた。 

 国鉄四国鉄道管理局輸送長、新幹線総局営業部長、国鉄監査委員、国鉄顧問等を歴任した角本良平氏は、瀬戸大橋線の建設中の段階から、次のように指摘していた。
 なお、次頁にあげた講演は、運輸省(当時)関係団体でのものであり、聴衆も運輸行政・業界関係者が占めていると思われるが、この発言をとがめる問答は記録されていない。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (28)  

「80年代で最後に怒る問題として本四架橋のレール問題があります。」 

「一体こういうことをすべきなのかどうか。」 

「これはまだやらないと言えば、それで400億円助かるのです。」 

「自分は乗らないけれども、建設するというのが国鉄投資である。そうしますと納税者としては踏んだり蹴ったりではないだろうか。」 

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 ということで、ここからは国鉄の分割民営化にあわせて行われた瀬戸大橋線の破綻処理について説明していく。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (30)  

 第二次臨調(中曽根内閣)での指摘 

 1982(昭和57)年5月17日 臨調第四部会報告「三公社、特殊法人等の在り方について」では、
  「進行中の大規模プロジェクト(青函トンネル、本州四国連絡鉄道)については、完成時点において、分割会社の経営を圧迫しないよう国は措置する」とされていた。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (31)  

 臨調の答申で国鉄の民営化の方向づけがされた後に、国鉄再建監理委員会によってその在り方が具体化されていくのだが、 国鉄再建監理委員会は、瀬戸大橋線の建設中止を要求した。


「国鉄監理委、本四橋児島―坂出ルート「鉄道」中⽌提⾔へ。」
 国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)は二十日、本州四国連絡橋三ルートのうち唯一の道路・鉄道併用橋である児島・坂出ルートの鉄道敷設工事をとりやめるよう中曽根首相に提言する方針を固めた。八 月初めに打ち出す「緊急提言」に盛り込む。これは、財政が悪化している国鉄は年間五百億円にものぼる 連絡橋利用料を負担する能力がないので、このまま敷設計画を進めれば、将来国鉄を分割・民営化する際の大きな障害になると判断したもの。
1983(昭和58)年7年21日付 日本経済新聞

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (32)  


国鉄財政は膨大な赤字で“満身創痍(まんしんそうい)”。大半の路線が赤字で走ればそれだけ損する状態だ。四国総局管内の年間赤字額も五百二十億円を超える。瀬戸大橋の鉄道も赤字路線になるのは確実。それどころか年間約五百億円の連絡橋使用料を負担しなければならない。こういう事実を突きつけられると、瀬戸大橋も国鉄にとっては“お荷物”。監理委は「いくら経営立て直しのために知恵を絞っても、新しく赤字を生み出す事業を見逃していては……」というわけだ ろう。

 

1983(昭和58)年7年31日付 日本経済新聞(地域経済四国)

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (33)  

 国鉄再建監理委員会「緊急提言」での瀬戸大橋線の扱いはどうなっていただろうか?

 1983(昭和58)年8月2日付の「日本国有鉄道の経営する事業の運営の改善のために緊急に講ずべき措置の基本的実施方針について」では、

「緊急度の高いものを除き、設備投資は停止すべき」とした。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (34)  

 一方で、中止も取り沙汰された本四連絡鉄道については 

 「国鉄以外の事業主体が行う国鉄関係の設備投資」→「本四公団が行う瀬戸大橋線の設備投資」について、中止ではなく「規模の抑制及び工事費の節減」にとどまった。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (35)  


 緊急提言がこんなに含みのある文章になったのは、政治的な配慮からだ。国鉄大手術に挑む監理委員会のメンバーにすれば、「これから新しい線路を敷くなどは論外」。東京駅乗り入れも、本四架橋の鉄道敷設も、国鉄再建にメドがつくまではいずれも工事中止を命令したいのが本音。ところが、監理委員会でこのふたつの大工事をめぐる論議が表面化するや、地元の自治体や関連業界から政治家などを通して猛烈な陳情攻勢が続いた。このため監理委員会としては、緊急提言の文章は中曽根首相に政治的な判断をゆだねるため含みのある表現にせざるを得なかったわけだ。
1983年8年19日付 日本経済新聞

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (72)  瀬戸大橋線の建設中止は何とか免れたが、議論の的となることを免れたわけではない。

 上に示したのは、国鉄再建監理委員会での議論の様子を報じた新聞記事である。

 再建監理委員会では、瀬戸大橋線の資本費(=建設費の返済等)については「分割民営移管後の新会社のどれにもこれだけ巨額の資本費を負担できる力はないと判断」し、「利用者に運賃の形式で負担を求める場合、現在の宇高連絡船の利用客実態からすると、本四架橋は1人1万円(片道)を徴収しなければまかなえないことが分かった」としている。

 そのうえで、最終的には「国民の負担に」することで意見は一致したという。

  

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (73)  この件は、当然その後の国会でも議論の的になっている。

 ここでは、算出根拠として宇高連絡船の利用者を「年間500万人足らず」としている。

 コロナ禍以前のJR瀬戸大橋線なら年間約800万人オーダーと思われるので、1万円ということにはならないが、ここでは便宜上「1万円」で統一したのでご了解いただきたい。気になる方は、ご自分で電卓をたたきながら読み進めていただきたい。

  亀井委員長は「その運賃の差額は、だれがどういう形で負担するか」「非常に難しい問題でございます」と答弁している。

  

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (74)  「誰がそういう形で負担するか」は、結局「国民が税金(本四公団から国鉄清算事業団へ債務が引き継がれ、その債務を税金で返済した)の形で負担する」こととなった。

 結局、その差分は、瀬戸大橋線を乗客が乗る度に、国民の税金から補助金をもらっているようなものである。

 これは、青函トンネルも同様である。

 「AB線」ならそれでいいんだが、「海峡線」はそもそもそういうスキームじゃないだろうよ。

 「そもそも本四の鉄道を事業化したときにはどういう判断をしていたのか?」については、後でまた触れてみたい。

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (75)  話は、脇道にズレるが、並行して「凍結されている明石海峡大橋の鉄道併設をどうするのか?」ということについても動きがでている。

 明石海峡大橋の鉄道部分については、(私が調べた範囲では)国鉄再建監理委員会では直接の議題にはなっていない(はず)が、「本四備讃線がこんな状況では、当時凍結されていた本四淡路線については望み薄だよなあ」という動きが出てもおかしくはない。

 当時の報道では、上記の亀井委員長の国会答弁の翌月に、山下運輸相が「運輸省としても、国鉄の現状を考えて道路単独橋として凍結解除の方向で検討」と記者会見で述べている。

  国鉄分割民営化の動きと明石海峡大橋の道路単独化については、同時期にパラレルに事態が進捗していたのだが、これについても後で触れてみたい。

 

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JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (36)

 国鉄再建監理委員会「最終意見」こと

1985(昭和60)年7月26日付の「国鉄改革に関する意見 ―鉄道の未来を拓くために―」では、本四架橋の鉄道施設についてはどう処理されることになったか?

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (37)

 瀬戸大橋線(本四備讃線)の建設に係る資本費は、「今後とも経営主体となる旅客会社(=JR四国)に負担能力がない」ことから
「旧国鉄(=国鉄清算事業団)において処理する」
 瀬戸大橋線の建設に係る国鉄から本四公団への支払いについては、能力がないJR四国(=瀬戸大橋線の利用客)が払うのではなく、国鉄清算事業団が払う(=所謂「国民負担」)こととなった。
 これは青函トンネルとJR北海道の関係と同様であった。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (38)  

 ちなみにこれは国鉄再建監理委員会「最終意見」に添付された「処理すべき長期債務等の配分」である。 

 (6)本四公団建設施設に係る資本費負担 ①児島・坂出ルート 0.6兆円が、「新事業体(=JR各社)の負担するもの」ではなく「旧国鉄において処理されるもの」に分類されていることがお分かりだろう。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (39)  

 こちらは国鉄再建監理委員会「最終意見」に添付されたJR四国の民営化前(昭和58年度)と民営化後(昭和62年度見通し)の収支状況である。 

 瀬戸大橋線の資本費を負担する能力がないことがお分かりだろうか。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (40)  

 ここで、 〈北大立法過程研究会資料〉政府立法の制定過程ー国鉄改革関連法案を例にしてー
http://hdl.handle.net/2115/15596 から興味深い箇所を引用してみたい。
 井山嗣夫氏は、国鉄改革法案を担当した元運輸省官僚である。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (41)  

 井山氏は「JR北海道の区分域を青函トンネルの北海道側で切るのか、青森側で切るのかが問題」→「1兆円ほどの青函トンネル建設費を誰が負担するのかという問題に絡んでいる」と述べている。
  つまり、青函トンネルをJR北海道のエリアとするのかJR東日本のエリアにするのかという問題は、どちらが青函トンネルの建設費を負担するのかという問題だと。

 先に述べたように、国鉄の分割民営化に伴って鉄道建設公団線の建設費は一律免除というわけではなく、JR東日本は京葉線の建設に係る資本費として年間400億円を鉄建公団に支払っている。 

 他方、監理委員会最終意見では、経営主体となるJR北海道に青函トンネルの資本費の負担能力がないことから、「旧国鉄=清算事業団」が債務を引き継ぐ こととしている。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (42)  

 本四公団が建設した鉄道施設の建設費用は国鉄が負担する(=清算事業団が負担する)ということを定めた「国鉄改革法」は、1986(昭和61)年11月28日に成立している。
 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (43)  

 ちなみに同法第25条第1項に定める「引き続き行う業務以外のもの」とは、本四公団が建設した本四淡路線をいい、「本四淡路線建設のための本四公団の債務は国鉄が負担する(=清算事業団が負担する)ということをここで定めている。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (44)  

 青函トンネルや瀬戸大橋建設費分も清算事業団(国民)負担とすることへの批判はあった。ここでは国会での議員による質問だけ載せておく。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (45)  

 ネットでは「青函トンネルはJR東日本が引き継ぐべきであった」といった声が聞かれることがあるが、JR東日本が引き継ぐと「経営主体に資本費の負担能力がないから清算事業団が債務を引き継ぐ」というストーリーが使えなかったということになるのだろう。
 これは、瀬戸大橋線とJR四国/JR西日本との関係も同様であったのだろう。
 JR四国が瀬戸大橋線を引き継ぐことと、「経営主体に資本費の負担能力がないから清算事業団が債務を引き継ぐ」というストーリーはセットであり、むしろ債務処理の観点からJR四国が瀬戸大橋線を引き継ぐこととなったとも読める。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (46)  

 JR四国のウェブサイトでも「瀬戸大橋線の加算運賃」の項で「建設費の回収を目的としたものではなく維持管理費を根拠にしている」と説明している。 

https://www.jr-shikoku.co.jp/04_company/information/seto.htm  

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JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (47)  

 そんな税金じゃぶじゃぶの瀬戸大橋線に近年、新たに税金が投入されることになった。 

 JR四国の経営支援策の拡充として、「本四連絡橋更新費用支援」が追加されたのである。 

 上記の国土交通省記者発表資料に「JR四国に代わって」と書いている。

 本来はJR四国が負担すべき施設更新費用を、負担を見直して、鉄道・運輸機構(JRTT)が負担する=税金で負担するという新規支援策である。

https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001380813.pdf

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (48)  


委員御指摘のとおり、本四備讃線は、開業から30年以上が経過し、鉄道施設を含む連絡橋の老朽化が進んでおり、今後、鉄道関係部分などの大規模な改修工事として年間約20億円程度の費用が見込まれますが、経営状況が厳しいJR四国にとって非常に大きな負担となり、経営を圧迫することが懸念されております。
 そこで、JR四国が負担することとなる本四連絡橋の鉄道関係部分の更新費用等につきましては、今後はJR四国に代わって鉄道・運輸機構が本四連絡橋の施設保有者である返済機構に支払うこととし、本法案においてそのための仕組みを設け、JR四国の負担軽減を図ることとしているところでございます。


2021(令和3)年3月25日参議院 国土交通委員会

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (49)

 瀬戸大橋線の実際の収支にあてはめてみると 

 本当は、本四備讃線の「営業費」が27.8億円の他に約20億円増えるはずだったが、JRTTによる負担(=税金)に。 

 

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JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (50)

 では、500億円/年若しくは総額0.6兆円分の効果はあったのか?

 

 単独では計画する輸送量に満たなくても、500億円/年若しくは総額0.6兆円分の経済効果が瀬戸大橋線にあったのだろうか?
 実は本四架橋全体の経済効果といった数字は調べると出てくるのだが、鉄道部分のみの経済効果を扱った指標を調べたものの、私の力不足故、見つけることができていない。
 もしご存じであればご教示いただきたい。 

 道路を含めた本四架橋全体についてのものは、例えば下記のようなものがある。 

https://www.jb-honshi.co.jp/corp_index/company/booklet_disclosure/pdf/2021_booklet_disclosure_15.pdf 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (51)  

 ちなみに四国新幹線の経済効果は? 

 四国新幹線整備促進期成会の資料によると、169億円/年である。
http://www.shikoku-shinkansen.jp/index.html  本来国鉄が返済するはずだった瀬戸大橋線の建設費が500億円超/年なので、その1/3程度(もある?orしかない?)  

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (52)  「処理済みの500億円なんか埋没費用にすぎないのだから、今更四国新幹線の経済効果と比較するのはおかしい」とおっしゃる方もいらっしゃるかとは思うが、まあ規模間の比較の目安ということで。

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (53)  

 なお、四国新幹線整備促進期成会の資料によると、四国新幹線を載せるためには、更に50億円/㎞の追加投資を見込む 

http://www.shikoku-shinkansen.jp/topics/Pressrelease201403.pdf 

(平成4年の単価が今でもあてはまるのかは、また別の問題として。。。) 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (54)  

 こんな瀬戸大橋線について、建設にあたった本州四国連絡橋公団総裁だった山根孟氏は 

「役に立っていますよ。役に立っているけれども、投資に比べてどうかという話になると、なかなか大変ではないでしょうか。」
と語っている。 

https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-14350279/143502792005kenkyu_seika_hokoku_gaiyo/ 

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JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (55)  

 こんなことを書いていると、また「革洋同は、鉄道ばかり厳しいことを書く」と言われてしまうので、有料道路としての計画と実績の対比にも触れておこう。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (56)  

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (57)  

 さきほど、瀬戸大橋線の計画と実際の輸送量を比較した建設省・運輸省による計画交通量を実際の本四道路の交通量とを比較してみる。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (58)  

 鉄道に比べて随分マシではないかと。 

https://www.jb-honshi.co.jp/corp_index/company/booklet_disclosure/pdf/2021_booklet_disclosure_12.pdf 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (59)  

 参考までに、本四間輸送における鉄道と道路の比率(旅客)を貼っておく。 

 本四道路のシェアは約2/3、JR瀬戸大橋線は約1割だ。 

 仮に四国新幹線ができた場合にどのくらい取り返せるものなのか。 

https://www.pref.ehime.jp/comment/030317_dourokensetsu/documents/vision_01-1_genjou.pdf  

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (60)  

 輸送人員の数字が欲しいかたはこちらを。 

http://www.kanseto.jp/conference/pdf/20140911/01_doc1.pdfJR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (61)  

 本四間輸送における鉄道と道路の比率(貨物)もどうぞ。 

 本四道路のシェアは半分強、JR瀬戸大橋線のシェアは1%未満だ。 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (62)  

 なお、瀬戸大橋線と異なり、本四道路は料金から建設費を返済中である。 

 2019(平成31/令和元)年度実績で料金収入の約2/3が、高速道路保有・債務返済機構へ「道路資産賃借料」として支払われ、本四道路の建設費、借入金の利息等の返済にあてられている。

https://www.jb-honshi.co.jp/corp_index/ir/zaimu/pdf/r1kessan-3.pdf 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (63)  

 関心ないかもしれないけれど、道路公団民営化後の高速道路の債務返済の仕組みはこちら。 

https://www.jehdra.go.jp/pdf/kikopdf/pamph_2021_03.pdf 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (64)  

 とは言っても 

 ここでは詳しくは触れないが、本四道路も、過去に国等の巨額の支援策を受けている。


 関心のある方は、例えば下記を御覧いただきたい。
「本州四国連絡道路の計画及び実績について」
https://report.jbaudit.go.jp/org/h10/1998-h10-0525-0.htm  

「本州四国連絡道路に係る債務の返済等の状況及び本州四国連絡高速道路株式会社の経営状況について」
https://report.jbaudit.go.jp/org/h24/2012-h24-0887-0.htm  

「本州四国連絡橋公団の債務の負担の軽減を図るために平成15年度において緊急に講ずべき特別措置に関する法律」
https://www.mlit.go.jp/road/4kou-minei/pdf/2003/0501/030501a.pdf 

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JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (65)  

https://www.jr-shikoku.co.jp/04_company/information/shikoku_trainnetwork/4-2.pdfにおいて、 JR四国はこんな主張をしている。

 JR四国は、「鉄道とバス(道路運送)のコスト負担が不公平だ」と言いたいようだ。
 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (66)  

 ところで、先ほど、国鉄改革法における青函トンネル等の扱いと債務返済の関係において引用したhttp://hdl.handle.net/2115/16372において、国鉄改革法案を担当した元運輸省官僚である井山嗣夫氏は興味深い問答を残している。
 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (67)  

 JR四国の主張は、(運輸省としては)「既に廃れたもの」という認識であるというのだ。 

 昭和48年ころまで国鉄によって「イコール・フッティング論」として主張されたところであるが、実は道路建設費の大部分はガソリン税、自動車重量税等によってまかなわれているのであり、現在(※本稿は昭和55年のもの)ではその議論は廃れている。

 井山嗣夫

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (68)

 イコールフッティング論を詳細に論ずる余裕はここではないが、
国鉄幹部だった谷田貝淑朗氏の「近代化の失敗―国鉄貨物輸送―」陸運経済新聞社発行
第1章第3節「イコールフッティング論」43~58頁に詳しく載っているので、ご参照あれ。

 

 いずれにせよ、JR四国の言う「鉄道とバスのコストの違い」のポンチ絵は、財務省も国交省も交通経済学者も「とうに終わった話で、まだそんなこと言ってるの」扱いと思われ。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (86)

 JR四国の主張する「ポンチ絵」に、井山嗣夫氏のいうような税金やら有料道路料金を落とし込んでみた。

 JR四国は「所有」しか言っていないが、実際には税金や有料道路料金によって、バス会社は道路建設や維持管理にかかる費用を負担しているので問題ない(鉄道は不公平ではない)というのが、交通経済学者や上記井山氏のような官僚の見解である。

 公共交通をこよなく愛する方々にとっては、ご不満かもしれないが、現状そうなっている。

 JR四国では、自社で路線バスも運営しており、JR四国経営者の方々も、日々自社のバスが支払う税金や有料道路料金の存在をご存じのはずだが、それは一体何に使われているのかご存じないのだろうか?

(そんなことは知っていて、それでは格好がつかないので「所有」だけ書いたのかもしれないが。)

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (87)

 それを言うなら、JR瀬戸大橋線だって線路等の施設はJR四国は所有せずに、「車輛」のみを所有して「運行」しているんですけどね。

(なお、バスと違って、JR四国は瀬戸大橋線の建設費は負担していないので、バスよりJR四国の方が有利である。)

 「保有しているので、所有しない費用負担に比べて、参入・撤退のハードルが高い」というのなら分かるのだが。

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (69)

 瀬戸大橋に係る道路と鉄道の費用負担はこんな感じである。

 JR四国の資料にはこれは出てこない。

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理 (70)  

 「瀬戸大橋線は、通常のJRより100円ちょっとしか余計に払わないのに、どうして本四道路はNEXCOの高速道路よりもこんなに高いの?」
という問いに対しては、端的には
「本四道路は料金に建設費の返済分が含まれているけれど、JR瀬戸大橋線は、国鉄民営化時に建設費は全部税金で返済することになったのでJRの料金に建設費の返済分が含まれていないから」
と言える。それだけ当初計画時よりも瀬戸大橋線の方が競争条件は本四道路に対して有利なはずなのだが、利用は伸びていないのが実態である。。
 

 

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■そもそも本四架橋を造ったのが間違い??

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (76)

 運輸省事務次官という運輸官僚のトップ経験者として、国鉄再建監理委員会の委員に就任して国鉄分割民営化の具体化に尽力し、JR東日本の会長等を努めた住田正二氏が、1997年になってから

 「本来採算がとれない青函トンネルや本四連絡橋を財投で造ること自体が間違いであり、造るとすれば全額国費で建設すべきであった」

と発言している。

 財投とは、財政投融資(郵便貯金等を特殊法人等に貸し付ける)であり、国費とは、国の税金である。

 こう書くと、公共交通をこよなく愛する方々は「やはり鉄道財源が必要だった」とピーチクパーチク囀りそうだが、実際にはそんな財源は存在しないのだから、どうするのか?

 なお、財投という借金で先に造ってから料金等で借金を後から返済するので、早く建設できるのだが、税金で建設するとなると、そうはいかない。税金のつく範囲のなかで、チビチビと造り続けるしかない。

 (有料(=財投の借金)による高速道路と、無料(=税金)による街中のバイパスの建設スピードの差を想起されたし。)

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (77)

 ところで、本四架橋の事業化に先立って、運輸省と建設省は連名で、「本州四国連絡橋の経済効果」を公表している。

 そこでは採算性について触れており、「30~40年以内に償還可能」としている。

 「償還可能」というのは、ザクっというと、「財投等で借りた借金は返済可能」ということだ。

 運輸官僚のトップだった住田氏が「本来採算がとれない本四連絡橋を財投で造るのが間違い」というなら、この運輸省の「償還可能」というのは何だったのか?

 インチキ??

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (78)

 余談だが、住田氏によると、青函トンネルの採算性はこんな感じで処理されていたそうで。

 最近、国防上の理由から北海道の鉄道を再国有化すべきと唱える方もいらっしゃるが、こういう経緯を共有していらっしゃるのだろうか?

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (79)

 国鉄最後の総裁となった元運輸官僚の杉浦喬也氏は、国会答弁において、本四鉄道施設に係る負債について

「なかなか大変な負債ではございますが、いずれ使用料を払って国鉄が使うことを覚悟の上での作業であったと思います」

と答弁している。

 運輸省は償還可能とは公表していたが、実際の運輸官僚としての杉浦氏は、「なかなか大変な負債」を「覚悟の上の作業であった」というのだ。

 ところで、「作業であった」とは、おもしろい答弁である。

 杉浦氏は一体何を「作業」していたのだろうか?

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (80)

 先に紹介した運輸省の「本四架橋の経済効果」であるが、これを公表した際の運輸省鉄道監督局国鉄部財務課長が杉浦氏であった。

 つまり、監督官庁側の国鉄財政に係る実務責任者だったのである。当然本四鉄道の採算性についてもガッツリ「作業」していたであろうと推測される。

 そして、「本四経済効果」に先立つ1970(昭和45)年2月19日に決定された、所謂「国鉄再建10カ年計画」も担当していた。

 「時の法令」という法律解説雑誌には、「国鉄再建10カ年計画」に係る杉浦財務課長自身の署名記事で「これにより国鉄は経営の危機を脱し、償却を含めてほぼ経営は安定するものと期待される」と記している。

 しかし、その裏では本四の「大変な負債」について「覚悟の上での作業」していたというのだろうか?

 なお、住田氏は当時運輸省官房文書課長であった。

 文書課長というと、契約書等の「てにをは」を直したり、公印を管理したりという「庶務」的なお仕事をイメージするかもしれないが、中央官庁が管理する文書は「法律」である。法律の中身が分かるためにはそれぞれの政策を理解していなくてはならない。

 実際には、形式的な「文書」事務に留まらない、各省内の筆頭課長が文書課長であり、同世代の事務次官レースのトップを走るエース中のエースが就くポストである。

 実際に住田氏は運輸事務次官に就任することになるわけだ。

 その住田氏が、官房文書課長時代に「本四経済効果」を公表しているのだから、運輸省全体の重要施策として相応に関与していることは容易に推測できる。

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (81)

 1970年当時の運輸省では、住田文書課長と杉浦国鉄部財務課長が

「東海道新幹線開業後国鉄は赤字になったが、今度開始する国鉄財政再建10カ年計画で経営は安定します」

「今後取り組む全国新幹線網も青函トンネルも本四架橋も採算性を確認しながら取り組みます」

 
と、大蔵省や関係政治家に説明して回ったはずである。

 
(それで納得しないと大蔵省は予算を出さない)

 
 それが15~20年しかたってない時期に「採算が取れないので造ること自体が間違い」とか「大変な負担を覚悟の上の作業だった」とか公言するかなあ。

 なんなのそれ?

 

 先に角本良平氏(鉄道省=運輸省では住田氏や杉浦氏の先輩にあたる)が 

「納税者は踏んだり蹴ったりではないだろうか」 

と書いていることを紹介したが、運輸省の実務責任者にそんな裏話をされても、納税者としてはどうせよというのか? 

  

 住田氏はその時期に「そうとでも書かないと、JR東日本に国鉄債務の追加負担が回される」という危機感から露悪的に書いたのだろうが(「運輸と経済」の読者のうち相当の割合は、住田氏の味方だろうし)、ツケを回された納税者としては、「踏んだり蹴ったり」である。 

 

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■瀬戸大橋線の破綻処理と明石海峡大橋の鉄道建設断念の関係

 ところで、この観点から物を書いたりしているのはレアだと思うので、若干脱線気味だが、着工後に赤字が問題になった本四備讃線(瀬戸大橋線)と異なり、着工前に鉄道が断念された明石海峡大橋の本四淡路線とは当時どのように関連していたかを補足として説明しておきたい。

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (82)

 「なかなか大変な負債」と杉浦総裁が答弁した本四備讃線(Dルート)に対して、当時「凍結」中だった本四淡路線(Aルート)は、「本四架橋経済効果」公表直前の1970(昭和45)年3月段階の国鉄社内会議資料では、「鉄道側投資額(概算)」は、約2倍を要することとされていた。

 なお、道路と鉄道の建設費の按分については、実際には「道路と鉄道の荷重比」とされたので、上記の表よりも、鉄道の負担割合は多くなっている。

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (83)

 オイルショックで全ルートの工事が凍結されたものの、優先的に凍結解除されてまがりなりにも工事が進んでいた瀬戸大橋に対して、国鉄分割民営化の議論の際には、明石海峡大橋は凍結されたままだった。

 というか臨調で「凍結」のダメ押しをされていた状況ですらあった。

 関係者は何とか「凍結」解除できないか動いていたわけだが、「膨大な赤字を抱えた国鉄の財政事情」において、瀬戸大橋(本四備讃線)の「なかなか大変な負債」に加え、明石海峡大橋(本四淡路線)の「その倍の大変さの負債」を背負い込ませるわけにもいかず、このままでは明石海峡大橋の「凍結」解除に向けて鉄道が「足かせ」になってしまうというのである。

 

国鉄民営化と明石海峡大橋の経緯

 先に、山下運輸大臣の「国鉄の現状からみて明石海峡大橋は道路単独になる」という発言を紹介したが、

 上の表のうち、朱色で塗った部分が明石海峡大橋(本四淡路線)関係部分である。

 臨調や国鉄再建監理委員会の議論と並行して、「明石海峡大橋の鉄道部分をどうするか」という議論が進められていたことが分かる。

 

 鉄道オタクが言うような「予算不足で明石海峡大橋に鉄道ができなかった」「瀬戸大橋線で発揮される鉄道の効果を予期できないまま明石海峡大橋の鉄道を断念した」のではなく、「瀬戸大橋線(本四備讃線)が、どうしようもない赤字が予想されるので、そのケツを拭くのが大変だったから、その処理を見ながら同時並行的に明石海峡大橋の鉄道(本四淡路線)をやめた」のである。

 「予算不足」なら、それこそ財投で借金して返すことだってできるのだが、住田氏のいうように「不採算路線を財投で造ることは間違い」なのであろう。

 

 山下運輸相の「国鉄ギブアップ宣言」を受けて、 1985(昭和60)年7月に兵庫側から河本敏夫特命相(河本派の領袖)、徳島側から後藤田総務庁長官(田中派ながら、中曽根首相の懐刀。中曽根行革の実行部隊も担当)という実力者、そして木部建設相が会談し、「明石海峡大橋の道路単独化」が方向づけられたのだろう。

 ネットでは「ハラケン(淡路島も地盤としていた原健三郎氏)のせいで鉄道ができなかったのが悔やまれる」という人もいらっしゃるが、ハラケンは所詮「陳情する側」の人であって、「政策決定する大物」ではない。

 このときは、河本氏と後藤田氏に地元代表としての実権があったということなのだろう。

 元々明石-鳴門ルートの徳島側実力者は三木元首相で、三木氏は「鉄道派」だったが、このときは、既に「行革派」の後藤田氏に実権が移っていたということだろうか?

 三木氏と神戸-鳴門ルートの鉄道との関係が気になる方は

 「本四橋・大鳴門橋への四国新幹線架設は本来中止するはずが徳島の政治家が復活させた?」

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-5277.html

 もあわせてどうぞ。

 

 また、ネット等では「ハラケンにもっと権力があれば淡路島にも鉄道ができたのに」と悔やむ人も見かけられるが、ハラケン個人としては元々「神戸-鳴門ルートに鉄道不用派」なので、「ハラケンにもっと権力があればもっと早く鉄道をやめて明石海峡大橋が早く開通できたのに」と悔やむのが正解ではないかと思う。 

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (84)

 参考までに、明石海峡大橋の道路単独化が決定されたときの地元紙で紹介された「喜びに沸く関係者」の声から一つだけ添付しておこう。

 

JR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画と実績と破綻処理2 (85)

 明石海峡大橋が本題ではないので、まあこの辺で。

 

 更にご関心があるかたは、私のブログの他の記事もご参考まで

 「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.html

 

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2021年3月13日 (土)

明石海峡大橋・大鳴門橋よりも瀬戸大橋への鉄道建設が先行した理由を、国鉄の検討資料から探る

 Twitter等のネットで鉄道を愛する方の意見を拝見すると

・明石海峡大橋・大鳴門橋の方が旅客が多いはずなのに、瀬戸大橋の鉄道敷設を優先したのは何故だ!おかしい!

・明石海峡大橋・大鳴門橋への鉄道建設がなされていればJR四国の経営はもっと楽になっていたはずだった!

といった声が見受けられるところだ。

 

 それについては、従前から

「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.html

「明石海峡大橋を四国まで新快速が走り、鳴門線が複線電化されるなんてどこから出てくるの?~本四架橋神戸-鳴門ルートに四国新幹線が決まった経緯~」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-7c7516.html

といった記事を書いてきた。

 また、そこでは、下記のような関係者の声も紹介してきた。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (23)

 しかし、「なぜ鉄道が非常に強く瀬戸大橋への鉄道建設を希望したのか?」を明確に示したものではなく間接的なものにすぎなかった。

 しかし、今回国鉄の昭和40年代後半における検討資料によってその一端が明らかになったので皆様にご紹介したい。

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 それは「新幹線建設委員会」に係る審議資料である。

 そもそも「新幹線建設委員会」とは何か?

国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (1)

国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (2)

「全国新幹線鉄道整備法成立をめぐって」西田正之・著 「交通技術」1970年8月号13頁

 ここにおける「青函本四連絡専門委員会(青本専)」の資料において、本州四国連絡橋における鉄道建設がどのように考えられていたかを追ってみよう。

国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (3)

「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 203頁

 上記が、本四架橋における鉄道建設の経緯である。

 私のブログをお読みいただくような方は皆様ご存じだとは思うが

 国鉄が調査に着手

 ↓

 日本鉄道建設公団へ移管

 ↓

 本州四国連絡橋公団へ移管(道路部分の調査は日本道路公団から本四公団へ移管)

 といった経緯である。

 

 それにしてもオイルショック前の見積もりとは言え「客貨ともに7~8倍」というのは、現在の状況を見ても過大予測にすぎやしませんか。「甘い見積もりに基づく不採算な巨大公共事業」はこうやってスタートするんですねーという典型のようである。

国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (5)

「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 208頁

 以下、「Aルート」「Dルート」といった用語が頻繁に出てくるので上記の路線図でよく確認しておいてほしい。

 

国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (4)

「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 205頁

 上記の「本四連絡A、Dルートの比較」において私は次の2点に注目した。

1)本四淡路線の鉄道側投資額が、本四備讃線(瀬戸大橋線)に比べて倍かかっている

 なお、ここでは「併用橋と道路単独橋の工事費の差額を鉄道橋の増額分として計上した」とされている。

 本四淡路線でいけば、「併用橋工事費 2452億円」-「道路単独橋工事費1884億円」=「鉄道側投資額 568億円」と試算している。

 しかし、実際には上記のような「増額分」ではなく、「道路と鉄道のそれぞれの荷重比による負担」とされ、「道路:鉄道」=「59:41」の比率で按分することとなった。

 そうなるとこの段階で568億円と見込んでいた併用橋部分の鉄道側投資額は1005億円にほぼ倍増する。それに鉄道単独部分となる「取付部分工事費 668億円」が加算される。

 四国新幹線の検討に着手した段階から、採算が悪化する方向へ大きく前提条件が変わってしまったのである。これは本四備讃線についても同様だが。

2)本四備讃線の「その他の経営改善効果」において、宇高連絡船の廃止により年間10億円の赤字(昭和42年度の損金の実績)解消が見込まれる。

 他方、私の過去のブログでも触れているが、明石海峡大橋では、「重すぎて貨物列車を載せられない」ため、本四淡路線を先に開通させても、貨物列車用に宇高航路を残さないといけないのである。

 需要はともかく、投資額と波及効果の段階で既に瀬戸大橋(本四備讃線)が優位に立っているとみられる。あと工期も。

 

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 そして、本四公団での調査結果がまとまって国鉄に意見照会があったので国鉄として見解をまとめて返したいといった位置づけであろうか。

国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (6)

「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 289頁

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 先に上げた部分では需要予測等は記されていなかったが、この段階ではまず本四公団による検討結果が示されている。

国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (7)

「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 290頁

 輸送量については、Aルート(本四淡路線)が新幹線で114千人/日、Dルート(本四備讃線)が在来線で50千人/日と、本四淡路線が2倍の旅客数を見込んでいる。

 他方、「鉄道分の償還についての考え方」では、Aルート(本四淡路線)が新幹線で307億円、Dルート(本四備讃線)が189億円である。これは〔〕内にもあるように、国鉄が毎年本四公団に支払う「償還金(利用料)」である。(本四公団が借金で橋を作り、国鉄が毎年利用料を払って借金を「償還」する計画だった。)

 これに充てるために「特別利用料」としてAルート(本四淡路線)が350円、Dルート(本四備讃線)が200円設定されている

 ちなみに、JR四国の2019年度の「運輸業売上高」は297億円、不動産業等を足しても489億円である。

 これに対して、本四淡路線と本四備讃線の昭和47年というオイルショック前の段階での利用料が496億円である。なんかこの段階でもう本四架橋の鉄道事業は破綻しているような気もしないではない。それに、この496億円の利用料は、前述のように「道路と鉄道の負担比率」が甘甘だったころの試算である

 そして、オイルショック等による物価上昇や工期延長に伴う利息負担等により、実際に本四備讃線の支払うはずだった利用料は年間500億円を超えるものとされていた。

 しかし、国鉄分割民営化の際に、本来国鉄が支払うべき瀬戸大橋や大鳴門橋の建設費に係る鉄道負担部分は全て国民負担となり、JR四国は支払わなくて済むようになったのだ。これに伴い「特別利用料」も200円から100円に値下げされたものと推測される。

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国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (8)

「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 291頁

 上記は、「それぞれのルートに新幹線と在来線をどう載せるか」の検討パターンである。

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 そして、この後が国鉄による「輸送量の想定」(需要の試算)である。

国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (9)

 

国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (10)

「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 291~292頁

 国鉄は、ケース8<Aルート(本四淡路線)が新幹線、Dルート(本四備讃線)が新幹線+在来線>及びケース9<Aルート(本四淡路線)、Dルート(本四備讃線)(本四備讃線)共に新幹線+在来線>の二つの案を検討している。

 注目すべきは、Aルート(本四淡路線)の輸送量である。

 新幹線にあっては、本四公団の昭和65年予想114千人/日の約20%にすぎず、昭和60年段階で16千人/日、昭和70年段階で26千人/日で、Dルート(本四備讃線)の56%に過ぎない。

 また併設する在来線も4千人/日で、Dルート(本四備讃線)の34%に過ぎない。

 輸送量は半分なのに、建設費は2倍かかる。これが国鉄が精査したAルート(本四淡路線)の予測だったのだ。

 

国鉄が明石海峡お箸・大鳴門橋よりも瀬戸大橋に先に鉄道を建設したのはなぜか (11)

 

「新幹線建設委員会の審議概要(その2)」新幹線建設委員会 1975年8月 292頁

 需要予測を反映して、Aルート(本四淡路線)の新幹線は片道17本と、Dルート(本四備讃線)の56%に過ぎない。

 

 ネット上では、鉄道マニアが

・明石海峡大橋に鉄道が架かっていれば、アーバンネットワークに取り込まれて、淡路島や徳島が関西の通勤圏になるはずだった。

・明石海峡大橋に鉄道が架かっていれば、JR四国の経営は改善されていたはずだった。

と呟いているが、国鉄の予測では全くそうではなかったのである。

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 「なぜ、本四公団の予測と国鉄の予測でこんなに差が開いたのか」は、この資料には載っていないので、検証ができないのは残念である。本四公団の予測とは言え、実際には鉄道部分については鉄建公団から引き続き国鉄・運輸省系の人が担当していたと思うのだが。

 しかし、国鉄がDルート(本四備讃線)を優先することとした経緯は追えたと思う。

 

 その後、オイルショックを経て、狂乱物価や高度経済成長の終焉があり、収支見込については更に悪化することとなる。

 

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった

 昭和54年交通年鑑の、1978(昭和53)年3月9日の項に、「大鳴門橋を鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方針を固めた」とある。

  

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった4  

1978(昭和53)年12月13日付読売新聞では、運輸省だけでなく国鉄もAルート(本四淡路線)の鉄道併用橋に反対していると報じている。 

 この背景には、上述のような輸送予測が反映されているのかもしれない。

 なお、建設省が「道路単独」に反対していることに奇異を感じる方もいらっしゃるかもしれないが、前述のように「荷重比」での割り勘相手がいなくなると、道路事業の負担が増える=本四公団の有料道路の返済すべき借金が増えるからであろう。

 


 1981年11月9日、第四部会は「国鉄分割民営化」を臨調全体のコンセンサスにしようと、土光たち9名の委員で構成される臨時行政調査会の会議に論客を送り込む。その論客は角本良平。戦中に鉄道省に入り、東京、四国、門司などの鉄道管理局に勤務後、運輸官僚として東海道新幹線の建設計画に参加。退官後は交通評論家として活動する、国鉄の表も裏も知り尽くした人物だった。角本は、土光たちの前で国鉄の末期的症状を解説した。

(中略)

「四国については鉄道を全部外したほうがよいと思う。四国の国鉄財産を全部売って高速道路をつくったほうが四国のためになる。とくに本四連絡橋の上にレールを乗せるのは何事かと思う。それだけで、四国の管理局で生じているのと同額の300億~400億円の赤字が出る。この際、岡山からバスで高知へ行くというような体制を作ったほうがよい」

 

「土光敏夫―「改革と共生」の精神を歩く」山岡淳一郎・著

http://webheibon.jp/dokotoshio/2012/11/post-17.html

 上記のように、中曽根行革における国鉄分割・民営化論議の中で本四架橋に係る鉄道建設も議論の対象となった。 

国鉄監理委、本四橋児島―坂出ルート「鉄道」中止提言へ。

 国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)は二十日、本州四国連絡橋三ルートのうち唯一の道路・鉄道併用橋である児島・坂出ルートの鉄道敷設工事をとりやめるよう中曽根首相に提言する方針を固めた。八月初めに打ち出す「緊急提言」に盛り込む。これは、財政が悪化している国鉄は年間五百億円にものぼる連絡橋利用料を負担する能力がないので、このまま敷設計画を進めれば、将来国鉄を分割・民営化する際の大きな障害になると判断したもの。首 相はこの提言を尊重する義務があるが、同ルートから鉄道がなくなれば、連絡橋の工費約七千六百億円はすべて道路部門でまかなわれ、地元自治体の負担が二倍近くに増えるだけに影響は大きい。

 国鉄再建監理委員会は現在、緊急提言をとりまとめている。提言のねらいは「六十二年以降、円滑に分割・民営化するための対策」を打ち出すこと。同監理委員会は五十七年度末で十八兆円に達した借入金をこれ以上増やさない施策が最も重要と判断、設備投資の抑制に重点を置いており、本四連絡橋児島・坂出ルートの鉄道敷設中止は緊急提言の目玉になる。

(中略)

 このため、同監理委員会は、このまま計画を進めれば、四国などの国鉄分割会社が 当初から膨大な赤字を背負うことになり、分割・民営化の大きな障害になるとして、敷設中止を求める方針を固めた。しかし、現在、地元自治体は連絡橋の道路部分の工事約四千二百億円のうち三分の一を負担しており、鉄道部分がなくなれば、この負担は二倍近くになる計算。また、五十八年度末までに同ルート連絡橋 (鉄道と道路)工事の契約率は六三%に達する見込みだったので、鉄道敷設工事が中止されると、関係業界は大きな影響を受けるため反発は必至である。

 

1983(昭和58)年7月21日付 日本経済新聞から引用

 国鉄再建監理委員会の「緊急提言」の目玉として、JRに負担を増やさないためにDルート(本四備讃線)中止を求める考えだったという。

 

 

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2020年5月20日 (水)

昭和22年に田中清一が作成した初期縦貫道案~日本の戦後高速道路ネットワークの推移(4)~

 読者の方は、そろそろ7600km構想に行くんじゃないかなーなんて思われるかもしれないが、実は、更に時間を遡るのである。

 第3回は、田中清一が1949(昭和24)年に昭和天皇に縦貫道の「田中プラン」を説明した話を書いたが、そこに至る前段としてはこんな話がある。

田中清一の縦貫道構想(最初期) (12)

「中央自動車道建設をめぐる政治力学ー田中清一プランを中心としてー」栗田直樹 愛知学院大学論叢第39巻第1号10~11頁から

引用文献の(6)は、「東久邇宮日記 日本激動期の記録」東久邇宮稔彦・著 徳間書店・刊 232頁

 

 田中清一は、1945(昭和20)年の敗戦直後から各方面に働きかけをしていたのである。

 ということで、今回お見せする図面は、田中清一が東久邇宮に説明してから昭和天皇に説明するまでのちょうど間になる、1947(昭和22)年のものである。

田中清一の縦貫道構想(最初期) (5)

(以下、青焼き図面は、富士製作所において保管されている資料を閲覧、撮影させていただいたもの)

 ※左上の「国土」の字が2回出てきたりするのは、複数枚に分けて撮影した写真を「image composer」でひっつけたときに上手くいかなかったものである。

田中清一の縦貫道構想(最初期) (13)

 「国土開発自動車道予定路線及び接続主要道路又は一般自動車道」という題名。

 「縦貫自動車道」ではない。

田中清一の縦貫道構想(最初期) (4)

 「昭和22年3月23日著作」とある。

 ざくっと見ると、今まで見てきた縦貫道の路線図のなかで一番まともというか現実の高速道路に近いというか既存の鉄道路線に近いというか。。。といった感想をお持ちになったのではなかろうか?

 田中清一は、5万分の1地形図を丹念に調べ、実際に現地を踏破しながら縦貫道の案を練り上げていったというが、初期はそんな余裕もなく、既存の鉄道路線が記載された地図を見ながら高速道路網を落としていったためではないだろうか?

 その後、「背骨と肋骨」といった思想が優先されていったのではないだろうか?(地図の題名にも「縦貫」と入っていないし。)

 また、例によって各地方毎に見ていこう。

田中清一の縦貫道構想(最初期) (7)  

 北海道は、道東へ向かう路線が、 勇払から日高山脈を越えることになっている。日勝峠と日高横断道の中間くらいだろうか?旧国鉄富内線よりも更に南か?

 長万部~札幌間は、最初からぶれずに中山峠経由の最短路だ。

 それ以外は基本的に国鉄の路線をなぞっているような感じである。

田中清一の縦貫道構想(最初期) (8)  

 北東北地区も各地への「肋骨」路線の曲がり方が国鉄っぽい。 また、津軽半島と下北半島の両方へ支線が伸びている。

田中清一の縦貫道構想(最初期) (6)  

 新潟へは、関越自動車道ルートと磐越自動車道ルートの二本が引かれている。 

 最も注目すべき点は、東北道が「西東京(調布あたりか?)」から、関越道の更に西側を北上し、熊谷、舘林あたりを巻いたループを描きながら宇都宮に至る点である。

田中清一の縦貫道構想(最初期) (3)  

 身延から静岡へ抜ける肋骨線は、以降の絵では直進しているが、この線はあきらかに国鉄身延線に影響されているであろう。田中清一氏は、戦前に沼津に富士製作所を移設して以来、静岡東部には特に地理感があると思われるが、それでもこの頃は直進していない(いわんや、東北、北海道をや)というところだろうか。 

 紀伊半島に三本の支線が伸びているが、当時はまだ国鉄の紀勢本線は東線、西線に分断されており、国鉄ですら一周していない頃である。林業開発等に期待を寄せていたのだろうか?

田中清一の縦貫道構想(最初期) (2)  

 中国地区は、山陽道がないくらいで、今のネットワークに近い。 

 注目すべきは四国である。今まで、高松が四国自動車道の本線から離れた支線扱いという冷遇ぶりを説明してきたが、最初期は、徳島が起点ではなく、高松起点(本州とは 、玉野ー高松で連絡)となっているのである。

 それが、何等かの理由で、少なくとも1949(昭和24)年以降は、「徳島が起点で高松は支線」という扱いになっている。本四間の連絡を神戸ー鳴門ルートに一本化した故なのかもしれない。

田中清一の縦貫道構想(最初期) (1)  

 九州も、東九州自動車道が無いことを除けば、今の高速道路ネットワークに近い。 

 興味深いのは、長崎への路線が、西海橋経由となっているところである。ただし、実際に西海橋が着工したのは、1952(昭和27)年、竣工したのは1955(昭和30)年である。 

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 全国図はこれくらいにして、中央道の古いバージョンの青焼き図面も保管されていたので紹介したい。 

田中清一の縦貫道構想(最初期) (9)  

 「国土開発中央自動車道案略図」である。

田中清一の縦貫道構想(最初期) (10)  

 八王子ー横浜間に国鉄横浜線に沿った支線状のものが見られるが、他には支線のような記載がない。 

 先にあげた1947(昭和22)年の「国土開発自動車道予定路線及び接続主要道路又は一般自動車道」よりも古い図面である可能性がある。 

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田中清一の縦貫道構想(最初期) (14)  

 また、「TOKYO-KOBE SUPER HIGHWAY ROUTE」と題された青焼き図面も保存されている。

 栗田氏の論文にあるGHQへ説明したものだろうか?

 この図面で注目すべき点は、東名高速道路ルートが「SEPARATELY PLANNED ROUTE」とされていることだ。

 田中清一氏をはじめとする「縦貫道派」は、「東海道派」と激しく対立した(当時の敗戦国日本の体力では二本同時に施工することは困難とみられていたことも背景にある)のだが、この図面が作成された頃は、東海道への高速道路の建設も「SEPARATELY PLANNED ROUTE」扱いとなっていたということである。

 それが、どこかの段階で対立する敵対案に変わっていったわけだ。

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田中清一の縦貫道構想(最初期) (11)  

 前の図面は「国土開発中央自動車道案略図」であったが、この冊子は「資源開発中央道の建設に就て」である。

 後に縦貫道派の中でも「あまり資源開発いうな」という点で問題になったのであるが、それは別途。

 この冊子の「新日本の建設と世界の楽園」というキャッチが気になった方もいらっしゃるかもしれない。

 次回はその辺に逸れてみよう。

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2020年5月19日 (火)

昭和24年に田中清一が昭和天皇に説明した縦貫道計画のルート案~日本の戦後高速道路ネットワークの推移(3)~

 第1回、第2回と「日本縦貫高速自動車道協会」による、縦貫道のネットワーク図をご紹介してきたが、今度はそれを遡る昭和20年代の田中清一氏によるネットワーク図だ。

田中清一の縦貫自動車道初期案 (1)

 このポスターは、田中清一氏が興した富士製作所(沼津市)に現在も保存されているものである。(※特別に見学の許可をいただいた方からお声かけいただいて、ご一緒させていただき、閲覧等させていただきました。)

 ポスター右上に田中清一氏の写真が載っている。参議院議員との肩書がついている。田中氏が参議院全国区に自民党から立候補し、当選したのは、1959(昭和34)年であるが、このルート自体は、田中氏のご子息が設立した「財団法人 田中研究所」作成のパンフレット「大いなる先見」に1949(昭和24)年に昭和天皇に「田中プラン」を説明したとするネットワーク図をその後も使い続けてきた(字面だけはアップデートした)ものと推測される。

田中清一の縦貫自動車道案の説明、講演 (3)  

田中清一の縦貫自動車道案の説明、講演 (2)  

写真は、富士製作所所蔵のもの 

説明文は 、「大いなる先見」財団法人田中研究所・刊 2頁から引用

 

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 そんな能書きはいいから早く細かい路線図を見せろと言われそうなので、どんどんアップしていく。

田中清一の縦貫自動車道初期案 (6)

 北海道については、本線の縦貫道部分は、其の後の「縦貫道協会」のものよりも、むしろ現在に近い。

 支線も数は多いが、第2回に紹介した支線よりもまともな(工事がしやすそうな)ルートのように見える。

 国鉄名羽線マニアにとっては、「高速道路にも名羽線が未成線として計画された時期があったのか」と感銘を受けるかも。それだけ炭鉱へのアクセス改善が重要視されていたということなのだろうが。追分、富良野周辺の支線網がやたら細かいのも炭鉱へのアクセスを考慮したのだろうか?

 北海道の福島まで、青森の三厩までの支線が計画されているのは、その間をフェリーで結ぶ構想とセットなのだろうか?

田中清一の縦貫自動車道初期案 (2)  

 東北地区は、三厩への支線と岩船への支線が他の構想には見かけないくらいか? 

 新潟へは、関越道と同じようなルートであるが、逆にこれは後の縦貫道協会の案では消えている。技術的に困難だったのだろう。 

田中清一の縦貫自動車道初期案 (3)  

 この絵で、特徴的なのは、飯田~松本~軽井沢~高崎~宇都宮と結ぶ本線、そして、関ケ原~敦賀~和田山の本線である。縦貫道法に取り込まれていない本線である。前者は 旧・中山道の高規格化という位置づけだろうか?後者は、関ケ原から列島を「横断」したり、若狭湾沿いを走ったりと「縦貫道」の定義からはずれているので、支線としてはともかく、本線扱いは不可解である。

 前者は、実際には、中央道、上信越道、北関東道等で具体化されているが、松本~軽井沢間だけは高速道路としてはネットワークされていない。三才山トンネル有料道路が結んでいる。奇しくも、武部健一氏が「道路の日本史」で追加を提唱している区間である。 

 このほかに注目すべき路線は、松本~富山間である。安房峠手前から国道471号沿いに抜けていくのだろうか?

 

田中清一の縦貫自動車道初期案 (4)

 ここで目をひくのは、中国道である。大阪から一旦和田山まで北上してから津山へ折り返している。大阪よりも下関から敦賀を直結することを優先した思想なのかもしれない。 

 四国については、神戸~徳島が本線扱いだ。当該区間は、第1回で紹介した1956(昭和31)年の縦貫道協会の案では、支線扱いで、第2回で紹介した1957(昭和32)年の案では、支線からも落とされている。 

 また、法律で定められた四国自動車道は、徳島~高知~松山というV字型ルートだが、当初は途中高松を経由し、宇和島へ 降りるM字型ルートだったことが分かる。これが「縦貫道」として「純化」していく中で、高松と宇和島が本線から落ちたということだろうか?

田中清一の縦貫自動車道初期案 (5)

 九州では、福岡~佐世保がわざわざ脊振山地を本線として「縦貫」している点が注目点か。縦貫道法はなぜか長崎ではなく佐世保を重視している。 

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田中清一の縦貫自動車道初期案 (8)

「国土建設一円会本部」の字が見えるだろうか?

 

 これは、敗戦国で金が無かった当時の日本で、縦貫道等の田中清一が提案する施策を実現するために、国民に毎日一人一円の貯金を呼び掛けたものである。

 田中清一の縦貫自動車道初期案 (7)

1956(昭和31)年3月29日付朝日新聞から  

 この記事によると、この一円貯金の運動には、「片山哲、藤山愛一郎、杉道助、神野金之助、清瀬一郎、河合弥八、松方三郎、郷古潔、大野伴睦、石井光二郎、下村海南、鶴見祐輔、三浦伊八郎の諸氏ら政界、財界の名士が就任」とある。 

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田中清一の縦貫自動車道案の説明、講演 (1)  

 田中清一が全国を講演して自分のプランの実現を訴えていた様子が写真に残されている。 

※「大いなる先見」財団法人田中研究所・刊 23頁から引用

 背景の路線図は、このバージョンである。

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 せっかく路線図のバージョン違いを貼るのだから路線計画の趣旨もバージョン違いを貼っておく。「縦貫道協会」によるものではなく、田中清一個人名で書いた報文である。

 田中清一の縦貫自動車道初期案 (9)

「縦貫道路による国土の改造」田中清一・著 「資源」1956年1月号 34頁から引用 

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2020年5月17日 (日)

1957年国土開発縦貫自動車道建設法のルート思想とは? ~日本の戦後高速道路ネットワークの推移(1)~

 これからシリーズもので、日本の戦後高速道路ネットワークの推移を追っていきたいと思う。

 ざくっと流れを追うとこんな感じだ。

●1957(昭和32)年 「国土開発縦貫自動車道建設法」の制定

 民間の田中清一等を中心にした「田中プラン」を元に議員立法した3,000キロの国土を縦貫する自動車道

●1966(昭和41)年 「国土開発幹線自動車道建設法」の制定

 新たに7,600kmのネットワーク

●1969(昭和44)年 「新全国総合開発計画(いわゆる「新全総」)

 7,600kmに9,000kmを追加する構想

●1987(昭和62)年 「第4次全国総合開発計画(いわゆる「四全総」)

 14,000kmの「高規格幹線道路」

●1987(昭和62)年 「国土開発幹線自動車道建設法」の改正

 14,000kmのうち、11,520kmを高速自動車国道に指定

 

(参考)

https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/hw_arikata/pdf9/3.pdf

 これらを数回に分けて、どのような思想でどのような路線を形成していったかを整理していきたい。 

国土を拓く縦貫道路  

「国土をひらく縦貫道路」小松崎茂 「こども家の光」1957(昭和32)年11月号

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(第1回)「国土開発縦貫自動車道建設法」の制定 

  

 早速だが、縦貫道法のネットワークは下記のとおりである。 

国土開発縦貫自動車道  

 後に北陸自動車道を追加。東名高速道路は「東海道幹線自動車国道建設法」として、別の法律で1960(昭和35)年に制定。 

 この縦貫道案を推進するために、「日本縦貫高速自動車道協会」が設立されていた。 

 ここでは、「縦貫道協会」が1956(昭和31)年に作成した「国土開発縦貫自動車道建設計画概要(改訂版)」を基にその思想等を紹介したい。

 国土開発縦貫自動車道ネットワーク (2)

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (1)  

 長くなるが、その思想を理解するために、「縦貫道法案」を国会に提案した際の「提案要旨」を抜粋する。

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (8)  

 

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (9)  

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (10)

 縦貫道法というと、中央道が南アルプスをぶち抜くルートが有名だが、そういったルートをとった趣旨が赤枠部分に書かれている。「外に失った領土を、内に求める」ために「未開後進の山岳高原地帯をも縦横断する」ことで「人の住むに値する領域」を拡大するためである。 

 この冊子には「農家の二男、三男対策」という言葉は出てこないが、戦前は農地を相続できない「農家の二男、三男」を海外植民地に送り込んできたのだが、敗戦によりそれができなくなったため、縦貫自動車道によって新たに「二男、三男」を送り込むべき土地を切り拓くという趣旨も含まれている。

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (11)  

 そして「国民の完全雇用を期するための就労対策事業」である。 

 「ナチスドイツのアウトバーンが失業対策事業として行われた」と世界史の授業で習った人も多いかもしれないが、それは「ナチスのプロパガンダ」に過ぎないものとして、現在では経済効果としては否定する説も多い。 

(例)https://www.express-highway.or.jp/info/document/rpt2017001.pdf の17~18頁

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 また、その趣旨の1つとしての「国土の普遍的開発の促進」についても抜粋しておく。

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (12)  

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (13)  

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (14)  

 「この国土の普遍的開発を促進することにより、各地方における適地産業の立地促進、新都市及び新農村の建設をはかり、国民生活の領域の拡大を期することができる」「国土開発縦貫自動車道が国土開発を冠する所以である」とある。 

 既存の幹線の飽和対策ではなく、あくまでも地方の新都市及び新農村の建設を図るための「開発道路」なのである。 なので東海道を外して敢えて山間部を通しているのだ。

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (15)  

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 ここまでが「思想」の部分。これから「それを具体化するためのルートの考え方」をご紹介。 

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (3)  

 「中国自動車道が、なぜ山陽道筋ではなく、山間部を通るルートが先行したか」については②の「表日本及び裏日本の両方えの連絡を容易にし、できるだけ巾広い勢力圏をもたせ」というあたりを体現しているのだろうか。 

 また、③の「地形の許す限り、未開発後進の資源地帯、山地高原地帯をも貫通させ、高速自動車交通による国土開発の徹底をはかる」というのが先に述べた「国土開発を冠する所以」の具体化である。 

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (4)  

 ④の「農耕地の潰廃を極力避け」「村落及び都市の中心を通すことを避け」というのは敗戦後10年しか経っておらず、食料供給にも不安があった時期を反映している。都市も戦災でせっかく焼け残ったのに、せっかく復興したのにそこを立ち退くのかという観点があるのではないか。(※首都高が河川や運河等の公有地の上を通すことを選択したのもこういった戦後の背景を考慮したものでないか。) 

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 これらの方針に沿って、縦貫道の予定路線が決まっている。

 また、下記のように、「支線となるべき主要な一般道路又は一般自動車道の路線」についても提言されている。

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (7)  

 これらをあわせてご紹介したい。 

○中央自動車道 

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (1)  

中央自動車道  

 現在なお建設中である三遠南信自動車道や中部横断自動車道の前身というような路線が支線としてあげられている点が興味深い。 

  

○東北自動車道 

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (2)  

東北自動車道  

 新潟への支線が磐越自動車道ルートである。当時の技術では現在の関越自動車道で関越トンネルをぶち抜くのは困難だったことのあらわれであろうか? 

 

○北海道自動車道 

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (3)  

北海道自動車道  

 「洞爺湖の西北方を通り最短距離で札幌市附近に至る」あたりが現在と大きく異なる。また、支線の表にはかいていないが地図には載っている浦河への支線は日高山脈を横断する難易度の極めて高いルートだ。北海道は本線支線含めて「安易な態度は棄てゝ思い切って自然を克服する」にもほどがあるチャレンジ精神極まるルートどりだ。 

  

○中国自動車道 

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (4)  

中国自動車道と四国自動車道  

 「中央部を行くことにより(山陽山陰の)両地域を勢力圏におさめる」「両地域の開発に同時に資するため多少地形上の不利を忍んで敢えて本路線を選んだ」を読めば、なぜ中国道が真ん中を通っているのかがお分かりであろう。 

  

○四国自動車道 

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (5)  

 現在、ほぼその形を残していないのが四国自動車道である。比較路線の那賀川~物部川ルートも含めて「ヨサク」並みの酷道ルートだ。確かに四国の未開発の山地開発にはよいかもしれないが。 

 また、高松ではなく徳島が起点となっている背景には、「神戸~洲本~徳島」の支線による本四連絡が念頭にあったことが推測される。 

  

○九州自動車道 

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (6)  

九州自動車道  

 九州道のルートの特色は「直方市附近を経て南下し、鳥栖市と日田市の中間」を通って「門司~鹿児島の最短路線」をとるところである。九州最大の都市である福岡市を経由するつもりはないのだ。 

 その後の建設省の資料では、犬鳴峠を経由する案等があったようだ。もし犬鳴峠を九州自動車道が通過していれば、怪談や肝試しも減ったかもしれない。 

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 以上が、「国土開発縦貫自動車道建設計画概要(改訂版)」による高速道路ネットワークの概要である。 

  

  同書では、この他に「自動車道」とは何か?、「高速道路」と何が違うのか?についても触れている。

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (16)  

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (17)  

 ネット上でも、少なくない方が「自動車道と高速道路の違い」について定義づけようとチャレンジしていると思われるが、一応これが「公式回答?」である。 

 背景を解説するなら、当時の道路法では「自動車専用道路」といった規定はなかった。道路法第48条の2が追加されたのは1959(昭和34)年である。 

  「縦貫道協会」では、建設省が所管する道路法では自動車専用の道路はできないので、道路法に基づく「高速道路」では自動車以外を排除できない。運輸省と建設省が共管する道路運送法に基づく「自動車道」として整備すべきだとしているのだ。

 素人からすると、「自動車道と高速道路の違いは、役所の管轄争い」とでもすべきところなのだろうか?? 

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 このようなルートの「縦貫道」は技術的な困難を伴うこと等から、「国土開発幹線自動車道建設法」等でルート変更されていく。最も有名なのが、中央自動車道の諏訪回りへの変更であるが、建設省道路局長・事務次官等を歴任した高橋国一郎氏は、高速道路調査室長在職時を振りかえってこう語っている。 

国土開発縦貫自動車道ネットワーク (18)  

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義 : 高速道路に焦点をあてて 」高橋国一郎編101頁から引用。 

 九州道や東北道を山から都市に下ろすのに苦労したが、中国道は無理だったと。仙台宮城インターチェンジが仙台市内から離れた旧宮城町にあるのもその名残で、本当は仙台の東を通したかったと。現在の仙台東部道路、仙台北部道路が高橋氏が想定した変更ルートなどだろうか? 

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 こんな感じで手持の高速道路資料の虫干しをやっていく予定です。 

 宜しくお付き合いのほどを。 

 

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2020年5月 2日 (土)

ブルートレイン瀬戸を3分割して高松、松山、高知へ直通させる構想があった

 先日、サンライズ瀬戸の四国内分割構想がtwitterに流れていたが、ブルートレイン時代の瀬戸でも高松、松山、高知への三分割の運行構想が世間に出ていた。


ブルートレイン瀬戸


1987(昭和62)年3月7日付毎日新聞から


 新聞記事を貼るだけではアレなので、往時の写真でも。


ブルートレイン瀬戸


 1970年代末の国鉄横浜駅で撮影したもの。


ブルートレイン瀬戸


 まだ、客車の方にはマークが入っていないころ。


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2020年4月30日 (木)

明石海峡大橋を四国まで新快速が走り、鳴門線が複線電化されるなんてどこから出てくるの?~本四架橋神戸-鳴門ルートに四国新幹線が決まった経緯~

 「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.htmlは、私のブログでも、多くのアクセスをいただいている人気記事なのだが、これはあくまでも「やめた理由」である。

 そこで、この記事では「神戸ー鳴門ルートに新幹線を載せることになった理由」「在来線は載せなかった理由」「瀬戸大橋よりも建設が後になった理由」等を整理してお披露目したい。 

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (1)

 若干、扇動的な題名であるが、「前の記事との対比で、SEO上、喰い合いにならないようにした方がいいかなー」なんて思ったりした次第である。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (2)

 ということで、いつもどおり?過去の文献から切り貼りしていきたい。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (3)

 ご覧のとおり、神戸ー鳴門ルート(本四淡路線)は、児島ー坂出ルート(本四備讃線)と異なり、新幹線一択なのだが、何故か「在来線が走るはずだった」という声が聞こえる。

 「妄想鉄」を自覚している人はいいんですよ。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (4)

 実際には、神戸ー鳴門ルート、児島ー坂出ルート共に、四国新幹線と在来線の両方が検討はされている。上記は、その対比が分かる図面である。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (5)

 で、検討の結果、神戸ー鳴門ルートには、四国新幹線しか載せないということになった。その理由が上記に書かれている。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (6)

 まあ、ネット世論の諸兄の期待を裏切る理由で、新幹線一択となっていたのである。

 ところで、「在来線では、高松、松山への時間短縮が見込めない」というのは、後に出てくるが、当時は瀬戸大橋には新幹線を載せるつもりはあまりなくて、「瀬戸大橋は、将来新幹線も載せられるように場所はあけておくけど、基本的には貨物輸送用」、「神戸鳴門ルートは、貨物を載せられないので新幹線の旅客用」と住み分けをしていたため、新幹線による時間短縮が望まれていたためである。

 淡路島の通勤を考慮したという資料は見たことが無い。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (7)

 「鳴門駅が古いままなのは、四国新幹線ができるときに改築するはずだったので」という声も聴いたことがあるが、残念ながら四国新幹線は鳴門駅を通らない。

 本四淡路線を在来線が走るときには、鳴門駅接続も検討されていたようではあるが、それは最終的には消えているので。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (8)  

  では、起点側はどうなっているか?

 同様にネット上では「新神戸駅だ」とか「トンネルが続くので西明石駅から戻ってくる」とかいろいろあるが、公式資料上はこうなっている。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (9)  

 白川峠とはこのあたりだろうか? 

 

 ちょうど山陽新幹線にも明かり部分がある。 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (10)  実際に明石海峡大橋の計画、建設に従事された島田喜十郎氏の「[新版]明石海峡大橋」には、鉄道ルートの図面が小さく載っていて大変興味をそそられるのであるが、本当に小さいんですよ。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (11)  

 新幹線は、舞子から高架橋で北上する予定で、環境上の問題となっていたと、それが新幹線をやめたことでトンネル構造が可能となったと。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (12)  

 新聞では「三田コース」という計画が報道されたこともある。

 三田??さすがにこれは三木の誤植だと思いたいのだが。三木なら、山陽道から神戸淡路鳴門自動車道が分岐していくルートと合致するので、それなりに整合性はある。 

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (13)  

 先にも触れたが、神戸ー鳴門ルートは新幹線、児島ー坂出ルートは貨物中心の在来線という住み分けがされていた。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (14)  

 明石海峡大橋の径間が長いので複々線ができないから新幹線単独と書いているのも注目すべき点かと。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (15)  

 「児島ー坂出ルートは、当面貨物専用路線」と。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (16)  

 四国新幹線が神戸―明石ルート一択だったのは、上記のように第二国土軸的な発想の「西日本縦断新幹線」があったというのも注視すべきであろう。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (17)  

 その「西日本縦断新幹線」のルートが「新宿ー甲府ー高山ー小牧ー奈良ー大阪ー明石ー鳴門ー高松ー松山ー佐多岬ー大分」という気宇壮大なルートである。高山!!??名古屋をとばして高山??こりゃまた壮大な「名古屋飛ばし」である。

 記事中、田中は田中角栄首相(当時)、鈴木は鈴木善幸自民党総務会長、鉄道建設審議会会長(当時:のちに首相)である。

 角栄の上越新幹線のみならず、東北新幹線も鈴木善幸の政治路線と言われたものである。(採算的には仙台までが妥当とされたが、岩手を地盤とする鈴木善幸が盛岡まで伸ばしたともいわれる。)

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (18)  

 新幹線の基本計画を定める際に、当初は四国新幹線は神戸ー鳴門ルートのみだった。

 前述の住み分けでいけば首肯できる。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (19)  

 ところが、最後の最後にもうちょっと路線を追加できそうだというところで、紀勢新幹線や中国横断新幹線(松江ー広島)、常磐新幹線等との争いの中で、松江―岡山ー高知の路線が追加されたのである。

 二日後の10月19日、閣議の前に田中は新谷を呼んだ。新谷は会談後、記者団に言った。

「現在までの新幹線計画は、整理すると6700キロメートルで、300キロメートルほどゆとりがあるので、10新幹線に合わせ、追加諮問したい。現在追加してほしいという路線は10線近くあるが、全部入れるわけにはいかず、鈴木会長らと来週前半までには追加の路線を決めたい」

 基本計画の7000キロメートルという数字にこだわり、さらに路線を追加しようというのだった。当時、候補として、松江ー高知間、東京ー水戸ー仙台間、大阪ー新宮ー名古屋間、旭川ー稚内間などが名のりをあげていた。

(中略)

 10月26日、閣議後に、田中は新谷運輸大臣と会談し、鉄道建設審議会に12新幹線を試問することを決定する。先の10路線に、中国横断(松江ー岡山)と、四国横断(岡山ー高知)が加わった。あくまで1985年度までに残りの3500キロメートルを完成させ、総延長7000キロメートルをめざそうとしたのだった。

 

「列島改造 田中角栄の挑戦と挫折」「NHKスペシャル 戦後50年その時日本は」369~370頁 日本放送出版協会・刊

 ここで田中角栄の最後の一押しがなければ、今の四国新幹線誘致の姿も随分変わっていたことであろう。

 余談だが、つくばエクスプレスのつくば駅は、当初常磐新幹線の駅として用意されていた土地を転用したものである。常磐新幹線がこのとき破れていなければ、また風景が変わっていたかもしれない。

 なお、この辺のお話が好きな方は、「全国新幹線鉄道網の形成過程角一典・著 https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34003/1/105_PL105-134.pdfをご覧いただくと大層具合がよい。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (20)  

 ここからは、どうして神戸ー明石ルートは児島ー坂出ルートよりも建設が後になったのかを整理してみる。

 ネット世論では「四国と関西を最短で短絡する神戸―明石ルートに先に鉄道が開通していれば、JR四国の採算も改善されていたはずだったのに」という声も聞かれるところである。

 

この辺は、「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.htmlのおさらいにもなるのだが、工事上の難易度の違いがある。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (21)  

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (22)  

 明石海峡大橋には重量貨物を載せられないことから、神戸ー鳴門ルートを先行すると「神戸ー鳴門ルートの新幹線」と、「貨物輸送の宇高航路」を並存させる必要が出てくる。

 また、現行の貨物輸送体系が宇高航路を中心に構築されているので、瀬戸大橋に貨物輸送を託すことで、既存の貨物インフラをそのまま活用できるメリットもあるわけだ。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (23)  

 そんなわけで、鉄道側は「真ん中のルートを強く希望した」のであろう。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (24)  

 ところで、今の若い子は知らないかもしれないが、本四架橋についてはこんな流れがある。

 いろんな「大人の事情」で、3ルート同時着工
  ↓
 オイルショックに伴う需要抑制で3ルートとも工事中止
  ↓
 「1ルート4橋」のみ工事再開で、本州と四国を結ぶルートとしては、児島ー坂出ルートのみを建設。
 上記記事の「他ルートは部分橋」ということで、神戸ー鳴門ルートは大鳴門橋のみ工事再開。
  ↓
 中曽根臨調で、整備新幹線や残りの本四架橋は凍結。
 瀬戸大橋線(本四備讃線)の工事中止も検討されるが、建設債務をJRに引き継がないことで工事続行。

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (25)  

 その中で、児島ー坂出ルートのみが選ばれた理由は、こちらの記事にある。

 記事中の「金丸長官」は、田中派の金丸信国土庁長官(当時)である。田中派ですらこれが精一杯だったのである。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (26)  

 で、最後に「明石海峡に鉄道が通っていれば、ドル箱路線になって、JR四国の採算は改善されたはずだったのに」という点を整理してみる。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (27)  

 今となっては、1路線を除いて大赤字で、いつ黒字転換するかメドがつかないという計画を通してしまう「鉄道建設審議会」とは。。。という思いが強い。

 それだけ田中角栄首相をはじめとした自民党の鉄道族(運輸族)の力は強大だったのだろう。田中角栄-鈴木善幸ラインの賜物である。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (28)  

 しかし、本四架橋の鉄道建設費は、本四公団の借金で作って、国鉄が利用料を払って返済するというスキームである。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (29)  

 当時、瀬戸大橋の建設費返済だけでも、国鉄四国総局の収入の倍以上だったことが問題視されている。ここに神戸ー鳴門ルートの鉄道施設建設費の返済がオンされたらいったいどうなるのか?

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (30)  

 瀬戸大橋と大鳴門橋の場合は、他のローカル線建設費と同様に国鉄長期債務にぶちこんで、JR負担をなくしたのだが、民営化後に開通する明石海峡大橋の場合はそうはいかない。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (31)  

 山根孟・元本州四国連絡橋公団総裁も「役に立っているけど投資に比べてどうか」「備讃線でもういっぱい」と語っている。

 明石海峡大橋の鉄道はまさに「役にたつけど投資に比べてどうか」の典型であると言えるのではないか。

 なお、ここから先は、お遊びなのでスルーしてもらって結構です。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (32)  

 ということで、算数遊びをしてみる。遊びなのでマジレスはご勘弁を。。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (33)  

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (34)  

 

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (35)  

 ということで、超雑な結論。。。

明石海峡大橋と鉄道・新幹線架設の経緯 (36)  

 

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2020年4月 6日 (月)

大鳴門橋の四国新幹線関係鉄道資産の簿価は1円だった。

 「減損」ってご存知だろうか?

 最近経済記事で「買収した会社が予想通りの業績をあげないので、のれんを減損した」というような記事がDeNAとかソフトバンクとかで流れたりするが、鉄道資産も減産したりするというお話。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった6

小学3年生1985(昭和60)年4月号から

 きっかけは以下のツイートである。

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JR瀬戸大橋線は、国鉄民営化の際には、工事中止が議論されたくらいなのに、どうして今は黒字なのか?

 ああ、またクドイ、長い題名をつけてしまった。

 

 先日の国土交通省からJR四国への経営改善の指導をきっかけに、JR四国の経営について、ネットでも議論が飛び交っているところだ。

 その際に、「JR四国の唯一の黒字路線は瀬戸大橋だ。」というのがよく引き合いに出されている。

 ところで、私の過去の記事で「JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?」というものがある。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/jr30-0cd3.html

 行政改革、国鉄民営化の議論の際には、「瀬戸大橋線は作っても赤字だから建設を中止せよ」という議論がなされていたのだ。

  

 瀬戸大橋線は赤字か黒字か

「瀬戸大橋にかける夢」石合六郎(山陽新聞社記者)・著 国際交通安全学会誌 14巻1号9頁から引用 

 https://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/14-1-02.pdf

  

  上記の記事を一読して理解できた方は、これから下の部分は読まなくても大丈夫。

  これから私なりに「瀬戸大橋線は黒字なのか赤字なのか」を整理してみたい。

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (1)

  そもそも、本四公団とJR四国と国鉄はどのような関係なのか、ざくっとパワポ一枚にぶちこんでみた。

JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (2)  

  そして、これが本四架橋における道路と鉄道の費用負担の考え方だ。

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (3)

 JR四国は、橋を所有する本四公団(今は高速道路保有・債務返済機構)に対して利用料を払って鉄道施設を利用するのだが、もともとその利用料が、四国の鉄道に対して莫大なものだったのだ。 

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (4)

  本来は現在のJR四国の鉄道売り上げの倍の利用料を払う必要があったのだ。こんな事業が民営化された一般企業で成り立つわけがない。だから建設中止が臨調で議論された。

JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (5)  

  結局その利用料相当額はJR四国ではなく、国民が負担することとなった。

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (6)

 左下に「本四公団債務」とあるのがそれだ。 

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (7)

 本四公団が民営化されるまではこのような仕組みでお金が動いていた。大鳴門橋で先行して建設された鉄道部分は、JRのような収入が発生しないので、維持費用も含めて税金で対応している。 

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (8)

 実際には、国鉄清算事業団を通して金が動いている。 

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (9)

  国民負担になった金額はこちら。 「四国の人が払った税金も使って他の地方では整備新幹線を作ったのだから、今度は四国に全国の人の税金を使って四国新幹線を作る順番ですね」といった主張を目にすることがあるが、実は、大鳴門橋の新幹線施設部分と瀬戸大橋の新幹線施設部分には、国鉄が支払うはずだった利用料の代わりに、既に全国の国民の税金が使われているのである。

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (10)

  今度は、JR四国のサイトから。「瀬戸大橋線の加算運賃100円は、建設費の回収ではなく維持管理費」と明記してある。結構ここを知らない人が多い。100円で建設費も回収していると誤解しているのだ。

JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (11)  

  では、建設費も含めた加算運賃は幾らになるか、ザックリ試算してみよう。

 「こんな加算運賃では、他の交通機関に対してJRが勝負にならないじゃないか?鉄道のことを重視すべき」と考える方もいらっしゃるかもしれない。逆に言うと、他の交通機関に対して、JRが税金でこれだけゲタをはかせてもらっているのだ。 

 JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (12)

 一応、裏取りも兼ねて、JR四国のサイトからも利用料関係の頁をご紹介。 

JR瀬戸大橋線は赤字なのか黒字なのか (13)  

 現在の鉄道施設利用料の根拠はこちら。 

  「JR四国の経営が苦しいから、利用料を減免してもらうべき」という声もあるようだが、ご覧いただいて分かるように、現在の利用料の内訳は、瀬戸大橋のメンテナンスに係る費用や公租公課といった実費の道路と鉄道の費用分担の自己負担分なのである。じゃあ、誰が肩代わりするのか?

 なお、冒頭の「瀬戸大橋にかける夢」では、利用料の分は三島基金に上積みされているとある。それであれば、減免の要望が仮にあったとしても、よほどその額が乖離していない限りは難しいのではないか? 

 

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2017年9月10日 (日)

本四橋・大鳴門橋への四国新幹線架設は本来中止するはずが徳島の政治家が復活させた?

 先日読売新聞にこんな記事が報道された。

 

大鳴門橋の下部、観光活用へ…トロッコ列車案も

 

 兵庫県南あわじ市は、淡路島と四国を結ぶ大鳴門橋(1629メートル)に鉄道を敷設するため造られた橋の下部について、観光への活用の可能性を探る調査を始めた。

(中略)

 大鳴門橋は、上部が自動車専用道路、下部は新幹線規格の鉄道を通す計画で建設された2層構造の道路・鉄道併用橋。神戸淡路鳴門自動車道として1985年に開通したが、鉄道の敷設計画は具体化していない。

 

(中略)

 一方、紀淡海峡をまたいで本州と四国を結ぶ新幹線の整備構想があることを踏まえ、「四国の経済界は今も新幹線の実現に期待しており、下部の他用途転用はそれを遠ざけると受け取られないか。安全性の観点からも慎重な検討が必要だ」との声もある。(高田寛)

 2017年09月06日 20時50分 http://www.yomiuri.co.jp/economy/20170906-OYT1T50051.html

 

 本州四国連絡橋神戸・鳴門ルート関連の鉄道はこのように建設されるはずであった。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (4)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (6)

 「道路」1973年1月号「本州四国連絡橋の計画」本州四国連絡橋公団 から引用。

 明石海峡大橋に鉄道を架けるのをやめた話は、先日「明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-98f1.htmlに書いたところである。

 ネットやTwitterでは、「明石海峡大橋を道路専用にしたため、大鳴門橋の鉄道施設が無駄になった。」「四国新幹線が建設できなくなったせいでJR四国の経営が悪化した。」といった書き込みが見られる。

 そもそも大鳴門橋だって新幹線設備は建設せずに道路専用橋とすることで政府の方針は固まっていたのだが、徳島の政治家(三木武夫元首相)がひっくり返したのである。当時四国新幹線のアテはほぼ無くなっていたにもかかわらず。

 昭和54年版「交通年鑑」の、昭和53年3月9日の項に、「大鳴門橋を鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方針を固めた」とある。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった

 

 当時の報道も確認してみよう。

本四橋⼤鳴門橋は鉄道はずし「道路単独橋」に――3省庁、建設促進で⽅針固める。

 

 建設、運輸、国土省庁は9日、本州四国連絡橋の神戸・鳴門ルートにかける大鳴門橋を当初計画の「道路鉄道併用橋」から「道路単独橋」に変更する方針を固めた。「国鉄財政が悪化しているのに、開通の見込みの立たない鉄道を併設するのはおかしい」との異論が以前から政府部内にあったが、政府は公共事業促進の一環として、道路単独橋にして完成を急ぐことになったもので、4月中に鉄道建設審議会に諮って正式決定する。

 

1978(昭和53)年3月10日付 ⽇本経済新聞


 この報道の後、国会質疑でも大鳴門橋への鉄道架設の件が取り上げられているので紹介したい。

○二宮文造君 ところで、やっとこのごろに到達したんですが、去る三月の七日に建設、運輸、国土、この三省庁の事務当局者の話し合いで、神戸-鳴門間のいわゆるAルートですね、これの大鳴門橋を、ずっと進んできた道路、鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方向で合意に達したというふうな報道がされておりますが、この件はどうでしょうか。

○政府委員(浅井新一郎君(建設省道路局長)) 御指摘の点でございますが、新聞情報でそういうようなことが流れております。事実、事務当局間で会ったことはございますが、これは大鳴門橋の建設に絡みまして、先ほどもございました、従来併用橋ということで工事がずっと進んでまいっておりまして、いよいよ塔の発注時期を迎えておるわけでございます。ただ、鉄道橋併用問題につきましては後ほど御説明あると思いますが、新幹線問題についていろいろな運輸当局の考え方もあるようでございます。そういうことを絡めまして情勢分析をするために集まったわけで、その席で方針が決められたというようなことはございません。

○二宮文造君 じゃ、新聞報道はうそですか。困りますか、答弁に。

○政府委員(浅井新一郎君) うそというわけでもないんですが、話し合いをしただけのことでございまして、結論を確認したわけでも何でもないわけでございますので、結論を出したというようなふうに報道されるのは、ちょっと大げさな報道ではないかというふうに考えます。

(中略)

○二宮文造君 新聞等を見ますと、国鉄さんいよいよ登場ですが、新聞報道を見ますと、国鉄の方、いわゆる運輸関係ですね、こちらの方が一おりたで、採算上の理由で、非常に強硬な御意見でこの会合をリードされて、それがいわゆる道路単独橋に踏み切ったと、こういうニュアンスになったと思うんですが、鉄道側の事情、いわゆる道路単独橋に至る鉄道側の事情を、ちょっとでなく詳しく説明いただきたい。

○政府委員(山地進君(運輸省鉄道監督局国有鉄道部長)) 国鉄が再三の財政援助を仰ぎながら毎年巨大な赤字を計上していることは先生方の御承知のとおりでございまして、昨年の運賃法定制度の緩和ということをやっていただいたのもその一連の助成の中の一つでございまして、五十年以降運賃を五〇%も値上げするというような非常にドラスチックなことをやったにもかかわらず年間九千億にも上る赤字を計上しておりまして、今回の運賃の法定制度を緩和したということを軸にする再建の基本方針というのは昨年の十二月の二十九日に政府で決定したわけでございますけれども、今後の国鉄再建については並み並みならぬ努力が必要だろう、これは政府の助成もさることながら国鉄自身の経営というものを立て直さなければならないという事態になったわけでございます。このような国鉄の再建というものを今後五十三年、五十四年にわたりまして五十年代中に何らかのめどをつけたいというような中でこの本四の架橋の併用部分を考えてみますと、四国新幹線、いまの大阪から大分に至る新幹線というのがいつできるかということについては非常に見通すことがむずかしい問題の一つになってきております。いま整備五線というすでに整備計画のできているものについても、一体これは財源問題も含めましてどういうことになっていくのかということで議論されているわけでございますが、その他の計画路線についてはさらに時間がかかる問題だろうと思うわけでございます。
 こういうことを考えてみると、一体その併用部分の金というもの、まあ六百億ぐらいの負担を国鉄がせざるを得ないわけでございますが、これが四国新幹線ができない間、まさに何らの効果も生まないままに置くということは金利が毎年積み重なってまいりますので、これは国鉄、それから本四公団についても大変な圧迫要因になる。こういうことを考えまして、一体この併用橋というものについてもう一回見直すべきじゃないだろうかという議論をわれわれの方でいたしまして、今後も本四における鉄道部分というのは、新幹線で行くにしても併用橋であることが必要なのかどうかということで、とりあえず私どもとしては、単独橋の考え方というものは一体いままでの経緯から見て認められるものかどうか、かような観点で国土庁並びに建設省といろいろお話をしているというのが現状でございます。

(中略)

○二宮文造君 運輸省にお伺いしますが、結論は、鉄建審に諮問をして、その最終決定を得て方針が決まると、こういうことですが、鉄建審への諮問はいつと考えていますか。また、やっていますか。

○政府委員(山地進君) 鉄道建設審議会にかける部分と言いますのは、先ほど御説明いたしました本州四国連絡橋公団法に基づいて基本計画を決めた神戸-鳴門ルートについて併用橋ということが出ておりますので、それを直すための諮問を鉄建審にかけなければならない。それからもう一つ、新幹線鉄道網の整備に関する法律の基本計画というのはこれは何ら変更がないわけでございます。したがって、こちらの部分は鉄建審にはかけなくてもいいと、こういうのが事情でございます。私どもとしては、できるだけ早く鉄建審も開いていただいてこの問題の結論を得たいと、かように考えております。

 

1978(昭和53)年3月28日 参議院予算委員会

 ざくっというと、「四国新幹線なんかいつできるかアテもつかないのに大鳴門橋に鉄道施設を造っても600億+金利がかかるばかりなので道路単独橋にしたい。」ということであろう。

○森下委員 (略) 三月二十八日の参議院の建設委員会で運輸省の山地国鉄部長は、四国新幹線の問題でこういうふうに答弁をしております。要旨は「四国新幹線大阪-大分間の完成など見通しを立てるのも難しい。大鳴門橋の新幹線併用部分に対する国鉄の分担金は、金利だけでも国鉄を圧迫するので、併用を見直すべきだという議論を内部でしてきた。」それから「大鳴門橋の計画から新幹線併用を外すため、鉄建審にかけるよう、関係者間のコンセンサスを得る努力をしている。しかし新幹線整備法に基づく四国新幹線の基本計画はなんら変更するものではない。」こういうふうに答弁をされております。

 それから四月十四日に住田鉄監局長は、紀尾井町の赤坂プリンスホテルで開かれました高知県関係者との懇談会でこういうふうにおっしゃっておるようです。「大鳴門橋に新幹線を通すのは国民経済的にも問題があり計画を変更したい。その際四国新幹線はトンネルにすることになるので単独橋が正式決定されれば、明石-鳴門のトンネル調査を始めたい。」それから「計画変更を鉄道建設審議会に諮る際は徳島、高知など関係県の了解を得ることを前提にする」こういうふうに実はおっしゃっております。

 その内容を見ますと、現在の国鉄の財政内容を見ましても、併用橋の場合は六百億ばかりの巨額の金を運輸省が負担するわけでございますから、これも大変でございますし、大阪から淡路を通って四国それから大分県、これが四国新幹線のルートでございますけれども、これができ上がるには二十年も、遅ければ三十年も四十年もかかるのではなかろうか。残念ながらわれわれ自身もそういうふうに予想をされるわけです。そのために運輸省の持つべき六百億の負担金、これが金利等を考えますと、現在の貨幣価値でも二千億も三千億もかかる。効率的に非常によくない。われわれも、決算面から考えましても、併用橋ができて早く開通できればいいと思いますけれども、現実はそう簡単なものじゃないということを考えまして、最善よりもむしろ次善の策をとって、そして単独橋でもいいから早く橋をかけてもらいたい。いろいろ条件はあると思いますけれども、実はそういう方向で進んでもらいたいと私は思うのです。

 そこで、いろいろお聞きになっておると思いますけれども、運輸大臣に次のことをずばりお聞きしたいわけでございまして、ひとつ明快にお答え願いたい。
 まず、大阪から四国を通りまして大分へ参ります四国新幹線、これはすでに豊後水道、大分と愛媛県の間ではトンネル調査をやっております。運輸省で予算を二億円ばかり毎年つけておりますから実績がございます。そういうことで、併用橋問題は別にして、四国新幹線は絶対に断念しないのだ、あくまでもやるのだ、これをまずお聞きしたい。

 それから、鉄建審、先ほど私が申し上げました鉄監局長や国鉄部長の発言の内容にも、鉄建審とか閣議でこれは前に併用橋ということで決めておりますから、これをおろすのはそう簡単にいかないと思うのです。その点やはり運輸大臣の決断によって早く決まる。しかも、不景気なときでございますから、早く公共事業をやらなくてはいけないし、下部構造は大鳴門の場合はできておりますから、上部構造にかかる場合に併用か単独かということが非常に問題になりますし、どうしても六月までに決めないとまた一年延ばされる。実は昨年も予算をそのまま使わずに置いてあるようなことでございまして、これも決算から見ましてもまことに効率の悪い問題でございますから、ひとつ大臣の方からお答え願いまして、また具体的な問題は鉄監局長の方から補足していただいても結構でございますから、大臣からよろしくお願いします。

○福永国務大臣 まず四国新幹線の件につきましては、お話にもありましたように、これの計画には変更は別にないわけでございます。率直な話、やりようにもよりますけれども、どっちが先になるか、これはなかなか、世に急がば回れというような言葉等もございますので、今後どうなるかと思います。そういうように私は思いますけれども、いずれにしてもその四国新幹線につきましては、考え方を変えるものではなく、推進していきたいと存じます。

 それから、鉄道建設審議会との話等につきましては、いま閣議で決めたかのようにお話がございましたが、これはどっちでも大した差はないと言えばそれまででございますが、閣議で決めたのではなくて運輸大臣が決めたことになっております。いずれにいたしましても、それについて変更する措置を講じなければならないことは、これはもう御指摘のとおりでございます。

 なかなかこの節、運輸省に振りかかってまいります問題が多い。一方においてはやれとおっしゃるし、一方においてはやるなと言う方が実は多いのでございます。気の弱い小生、いろいろ悩んでおりますが、いずれにいたしましても、お話のように決めるべきことは決めていかなければならない。せいぜい努力をいたしたいと存じます。

○住田政府委員(運輸省鉄道監督局長) 鳴門大橋と明石大橋の併用橋でございますが、これは閣議了解とか閣議決定ということではなくて、運輸大臣が鉄道建設審議会に諮問いたしまして、その答申を得て、本四公団に併用橋でやるように基本計画で指示をいたしたものでございます。

○森下委員 鉄道建設審議会ですね、四月の上旬ということでわれわれ非常に期待しておったのですが、いろいろな問題が起こったものですから延びておるし、いろいろ関係府県とも連絡を意欲的にやっておるようでございますけれども、私は、でき得ればこの四月中にぜひお願いしたい、またやるべきである、こういうふうに実は思っておるのですが、大臣の方で、非常にむずかしい問題がございます。一〇〇%了解を得るということは非常にむずかしいと思うのですけれども、少なくとも四月中にできなければ連休明けぐらいにはひとつ鉄道建設審議会を開いていただきまして、前向きでやるという私はお約束を得たいと思います。この点、どうでございますか。

 もう六月からこれやってもらわないと、また一年延びますからね。景気浮揚ということで公共事業で大型予算をつけておるわけでございますから、その点ひとつでき得れば四月の下旬でも、どうしてもぐあい悪いときには連休明け直ちに、ぜひ私は鉄建審ではっきりしてもらいたい。どうでございますか。

○福永国務大臣 森下さんお話しのように、私どもも実は四月、なるべく早くやりたいというような気持ちがあったことは事実でございます。正直に申します。いろいろございまして、そういうように運んでいっていないということを大変残念に思いますが、いま、いつ開くということを申し上げると、すぐこれまたいろいろなことになりますので、よく森下さんのお話を伺っておいて……というように存じます。いずれにしても、できるだけ早いことが望ましいと思っていることに変わりはございません。御了承いただきたいと存じます。

○森下委員 この併用橋か道路橋かという問題は、地元の国会議員もわれわれも含めまして十数年前から論議されておる問題でございまして、運輸省だけの責任じゃなしに私どもの責任も実はございます。しかし、政治家である以上、やはり決断すべきときには決断して、県民なり選挙民からの非難を受けることもあるだろうし、先見性がいかになかったかということの批判を受ける場合もあると思うのです。しかし、やはり決断すべきときには決断して、そして後の批判を受けていくのが、批判を避けて通れないのが政治家の一つの宿命でございますから、あえて私も申し上げるわけでございます。
 そういうことで、はっきり言いにくい点もよくわかりますが、ひとつ意欲的にそういう方向でぜひお願いしたい。これは尖閣諸島の問題や成田の問題よりは、国内の問題でございますから簡単にいけるし、われわれ自身も、関係機関、また関係民に呼びかけて了解を得るように努力をしていきたいと思います。

 

1978(昭和53)年4月18日 衆議院決算委員会


 この森下元晴代議士は自民党で徳島県選出である。大鳴門橋の地元議員が、「さっさと鉄道建設審議会にかけて大鳴門橋に鉄道を架けないことを決めて道路単独橋でよいから早く造ってくれ」と政府に申し出ているのである。

 他方、運輸省も「本四架橋では新幹線はできなくても、別途本四間に新幹線用のトンネルを掘るからいいじゃないか」と高知県に申し出ていたことも分かる。

 1978(昭和53)年6月5日付毎日新聞は、その後の駆け引きを下記のとおり報じている。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった2

 先の国会答弁では、持って回った言い方だった運輸省だが、この記事ではもっとズバズバ発言している。

 方針転換の理由を運輸省の住田鉄道管理局長(※引用者注 後のJR東日本社長)は、「新幹線の併用橋を造るには、全部の新幹線計画が決まらなければならない。大鳴門橋はともかく世界最長のつり橋になる明石海峡大橋に新幹線を乗せることは、騒音対策も含め、技術的に極めて困難だ。それに新幹線はいつできるかわからない。21世紀までむずかしいという見方もある。併用橋にすると赤字の国鉄が約4割の費用を負担し、利子だけでも大変。21世紀まで通らないなら、そのときに別にトンネルを掘った方が安くつく」と説明する。

 この考え方で運輸省は建設省、国土庁、大蔵省と事務レベルの根回しを始めておおむねの了解を取り付け、関係県の国会議員も大部分が「道路だけなら早くできる」と単独橋に傾いた。

 ところが、ここで大きく「待った」をかけたのが地元徳島選出の三木前首相。

(中略)

 この動きを横目に見ながら運輸省は「三木さんは併用橋を造っておけば、将来、新幹線を引く”人質”になる、とお考えのようですが、たとえ併用橋になっても人質にはなりませんよ。本土―四国間の新幹線計画は神戸―鳴門ルートのほかに、岡山―坂出―高松―高知ルートの計画もあります」と冷ややかだ。

 

1978(昭和53)年6月5日付毎日新聞


 ネット世論では「なんで明石海峡大橋を道路単独にしたのだ。そのせいで新幹線ができなかったじゃないか」と言わんばかりだが、実際には大鳴門橋建設の段階で国は四国新幹線はできないから大鳴門橋だって鉄道施設は不要であるとしていたのである。

 そこをひっくり返しにかかったのは、地元徳島出身の三木武夫前首相(当時)である。記事にもあるが、この騒動の2年前である1976(昭和51)年に大鳴門橋を少々強引な形(それゆえに四国新幹線の神戸―鳴門ルートへの敷設については正式なオーソライズを得ていない形でもある。)で着工に持ち込んだのは首相在任中の三木である。その後いわゆる「三木おろし」で党内派閥争いに敗れ首相の座をひきずりおろされた後に、政敵の福田内閣が大鳴門橋への鉄道工事を中止させようとするのである。

 今の人は知らないかもしれないが、三木首相は「金権」田中角栄内閣が世論の批判をあびて倒れた後に「クリーン三木」として脆弱な党内基盤にもかかわらず登場時は国民から一定の人気を得ていた政治家である(いわゆる「バルカン政治家」でもあったが。)。そのクリーン三木が地元利益のためになりふり構わず動いたのである。

 この記事によると、淡路島を含む兵庫2区を地盤とし、明石海峡大橋建設に力を入れていた原健三郎(ハラケン)代議士が中曽根派であることもあり、中曽根康弘(当時鉄道建設審議会会長)の支援を受けたようだ。当時の自民党はいわゆる「三角大福中」の派閥争いの真っ最中であり、中曽根にとっては、福田の敵の三木は「敵の敵は味方」ということになるのだろうか。

 一方で、ちょっと時間を遡るがこんな記事もある。

 


 田中がヨーロッパ、ソ連を歴訪していた(※引用者注:1973(昭和48)年)9月28日、田中不在の閣議で主要閣僚が、全国新幹線網計画について一斉に批判を開始する。膨大な新幹線網建設は全国的な地価上昇、物価上昇につながりかねないということを問題にしていたが、批判の理由はそれだけではなかった。田中主導で行われている新幹線の路線決定に、不満が募っていたのである。

(中略)

 これに対し、三木武夫副総理はもっと露骨だった。

「新幹線建設にあたり、特定の人が不当な利益を得るおそれがあるので、こうした面での配慮が必要だ」

 

「列島改造 田中角栄の挑戦と挫折」「NHKスペシャル 戦後50年 その時日本は 5」366頁 日本放送出版協会・刊

 総論賛成各論反対とはよく聞くが、総論反対各論賛成じゃないかw

 いかにもバルカン三木である。

 なお、当初の全国新幹線網計画では、岡山~高知の四国新幹線計画は含まれていなかったが、最後の最後にこの路線を押し込んだのは田中角栄なんだけどねw

 

 ところで、中曽根は首相在籍時には国鉄分割民営化を実施している。その際、本四架橋については、瀬戸大橋に架かる国鉄線「本四備讃線」の建設を中止しようとする動きすらあった。

 その動きは「JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/jr30-0cd3.htmlに書いてある。

 中曽根氏も国鉄改革の際には偉そうなことを言っていたが、自分もちょっと前には党利党略というかそれ以前の党内派閥利益の駆け引きために鉄道建設審議会会長の座を悪用?して国鉄の赤字を増やしていたのである。

 1978(昭和53)年7月31日付朝日新聞でも同様の動きが報じられている。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった3

 

 徳島県では当初、運輸省のこんな計画変更案に対し「やむをえない」との空気が支配的だった。武市恭信同県知事も3月の県議会で「早期完成が最優先」と弱気の答弁をしたほどだ。あまり新幹線にこだわって、橋そのものの完成が遅れたのではもとも子もなくなる、との心配も手伝って、橋の運命は「単独橋」に決まったかに見えた。

1978(昭和53)年7月31日付朝日新聞


 地元徳島県も四国新幹線をあきらめかけていたというわけだ。

 ここで当時の日経新聞の関連記事の見出しを追ってみよう。

 

大鳴門橋問題、道路単独への変更は流動的――武市徳島県知事語る。 1978/03/19  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋、道路単独なら条件付き、近く6団体で協議――徳島県知事示唆。 1978/03/23  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県、強まる大鳴門橋の「道路単独」に強く反発――架橋資金調達の縁故債拒否も。 1978/04/15  日本経済新聞 地方経済面 四国 

徳島県、議会で大鳴門橋の道路単独橋への変更受け入れを示唆、57年度完成変えず。 1978/04/20  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県と徳島県、大鳴門橋の新幹線併用橋実現で意見一致。 1978/05/10  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋の新幹線併用橋建設は厳しい情勢――徳島県議会特別委員長ら語る。 1978/05/27  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋の新幹線併用の見通しは明るい――運輸省などに陳情の徳島県会委員長ら語る。 1978/07/15  日本経済新聞 地方経済面 四国

徳島県、大鳴門橋建設問題で併用橋推進へ高知・兵庫両県知事と意見集約へ――知事談。 1978/07/18  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋は道路新幹線併用橋――自民党四国開発委が決定。 1978/07/21  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋、政治決着にメド、新幹線併用で前進――高知県知事語る。 1978/07/22  日本経済新聞 地方経済面 四国

本四架橋の大鳴門橋は道路・鉄道の「併用橋」に――建設相、経団連会長に意向表明。 1978/08/01  日本経済新聞

大鳴門橋は新幹線併用橋に――三木武夫前首相、徳島市で語る。 1978/09/05  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県、大鳴門橋鉄道併用問題で国の負担での早期着工を建設・運輸両省に強く要請へ。 1978/09/08  日本経済新聞 地方経済面 四国

大鳴門橋は基本方針通り併用橋――中曽根康弘自民党総務会長、徳島で語る。 1978/10/15  日本経済新聞 地方経済面 四国

本四架橋神戸―鳴門の「大鳴門橋」は道路だけの単独橋に――自民調査会が決議。 1978/12/13  日本経済新聞

大鳴門橋はあくまで併用橋で――国鉄基本問題調査会の単独橋決議で徳島県知事語る。 1978/12/14  日本経済新聞 地方経済面 四国

高知県、国鉄基本問題調査会の大鳴門橋「単独橋」決議で対応策迫られる。 1978/12/14  日本経済新聞 地方経済面 四国

 このように、自民党も揺れるし地方も揺れていたのである。徳島県は一時期弱気になるのだが、高知県が強気だったという。

 

 高知県はこれに猛反発した。鉄道併用橋は高知県民の願いであった。ルート争いでは神戸―鳴門ルートを支持してきたのに簡単にあきらめるのかと徳島県を厳しく非難した。

 

本州四国連絡橋神戸―鳴門ルートの計画史 羽田野剛士、近藤光男、近藤明子

https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00039/200411_no30/pdf/232.pdf

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった4

 上記の記事は、自民党の国鉄基本問題調査会が道路単独橋決議したことを報じる1978(昭和53)年12月13日付読売新聞記事である。

 この記事では2点興味深い点がある。

 一つ目は、厳しい国鉄財政を踏まえて、運輸省だけでなく国鉄も鉄道併用橋に反対しているという点である。

 二つ目は、道路橋を所掌する建設省は併用橋を主張しているという点である。日頃から「鉄道と違って道路はお金があってズルイズルイ」と言っている鉄道マニヤ諸氏には不思議であろう。そこには、本四架橋については、道路と鉄道が費用按分して事業を進めているという事情がある。つまり鉄道が撤退してしまうと全額道路が負担しなくてはならなくなる。また単純に道路だけの問題ではなく、本四公団に出資している国、関係地方公共団体の出資金の追加負担が出てくるのではないかという問題もある。そのために「国鉄が赤字だからといって、自分の都合だけで撤退しちゃいかんよ」と釘を刺しているのではなかろうか。この辺はあてずっぽうの推測にすぎないのだが。

 

 最終的には現在あるように大鳴門橋は鉄道併用橋で決着がついた。下記は、それを報じる1979(昭和54)年1月5日付読売新聞記事である。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった5

 この記事によると

・もともとは道路と鉄道は、(応力比率に基づき)59:41で、総工費1,527億円のうち、道路901億円、鉄道626億円を負担するはずだった。

・このときの見直し(経費削減)と負担比率の見直しで、総工費1,527億円を1,325億円に下げるとともに、89:11の負担比率とし、道路1,175億円、鉄道150億円の負担となった。

 結果的に増額となった道路分274億円については、その後、本四道路の料金で返済することになっていると思われる。

 また、このときの経費削減のなかで「新幹線は「単線載荷方式」をとることとし、複線にはするものの、上下線の電車がいっしょに通らないように配慮し、工事費を切り詰めることにした。」のである。

 

 wikipediaの「大鳴門橋」では

また、着工後に四国新幹線建設の見通しが不明確なことと建設費の圧縮を理由として、一度に1列車しか橋上を通過できない「単線載荷」への設計変更が1980年になされているため、仮に鉄道が敷設されても大鳴門橋の区間は実質的に単線運行となる。(参考:参議院建設委員会議事録1981年6月2日)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%B4%E9%96%80%E6%A9%8B 2017年9月10日閲覧

 とだけあるが、そこに至るまではこれだけ長い前振りがあったのである。

 それを知らない鉄道マニヤが「予算をけちったせいで単線運行しかできないものができた」等というのである。

 wikipediaついでに指摘しておくと

1978年(昭和53年)3月 - 関係大臣により大鳴門橋と明石海峡大橋の道路単独橋への変更が合意。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%B4%E9%96%80%E6%A9%8B 2017年9月10日閲覧

とあるが、実際の国会答弁では

○二宮文造君 ちょっと大臣にお伺いしますがね、この三省の事務当局者の会合というのは大臣御承知の上で行われたんでしょうか、知らないうちに事務当局で話し合いしたんでしょうか。簡単で結構です。

○国務大臣(櫻内義雄君) これは、私が指示をしたことのないことだけは事実でございますが、しかし、事務当局者間で必要があってそういう会合をしておる、それを私が不必要だということではございません。私が指示したんではないということは事実です。

○二宮文造君 じゃ、その事務当局の会合があった報告は大臣受けられましたか。非常に大事な問題でこういう三省の話し合いが行われたんですと、報告は受けられましたか。建設も国土も兼ねていらっしゃるんですから、どっちかから入るんじゃないかと思いますが。

○国務大臣(櫻内義雄君) 新聞報道をちょうど見た後に、ちょっとこの報道の真相は違いますと、三者が会いまして、いまの公共投資の、先行投資の必要があるので協議をいたしましたと、こういう報告を受けました。

 

1978(昭和53)年3月28日 参議院予算委員会

 と「大臣は知らずに事務方だけの会合だった」とされている。

 ということでwikipediaの当該箇所は嘘だと思われるので、どなたか直しておいてください。

 

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大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった6


 これは、1985(昭和60)年6月8日大鳴門橋開通を前にした、小学3年生1985(昭和60)年4月号の挿絵である。

 しかし、上記の経緯を踏まえ、1981(昭和56)年6月に建設省から本四公団に、明石海峡大橋の道路単独橋の可能性について検討するよう指示がなされ、大鳴門橋開通の2箇月前である1985(昭和60)年4月に「明石海峡大橋は道路単独橋で技術的にも採算的にも可能である」旨の調査報告がなされている。

 「新かん線も走る!大鳴門橋」とのキャプションはこの時点で実現可能性はかなり厳しくなっていたと言ってよいだろう。

 これを受けて同年8月27日、河本嘉久蔵国土庁長官、山下徳夫運輸大臣、木部佳昭建設大臣の間で、「明石海峡大橋は道路単独橋に変更し、本州・淡路島間の鉄道計画については、別途検討する」旨の合意がなされた。

 

本州四国連絡橋神戸―鳴門ルートの計画史 羽田野剛士、近藤光男、近藤明子

https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00039/200411_no30/pdf/232.pdf

 その後紀淡海峡経由のルートの検討等が行われたのはご存知のとおりである。

 

伊東 明石海峡大橋を鉄道は通さないことにして、あと別ルートを考えるとすれば、どんなことが今考えられているのですか。

山根 トンネルにする案では、水深一○○mの明石海峡の下をトンネルで通っても、明石海峡大橋に乗せても、鉄道の規格にもよりますが、 神戸の駅に取り付かないのですね。

伊東 そうなのですか。たわみがすごくなるということですか。

山根 そうではなくて。

伊東 取り付けの問題なのですか。

山根 そうです。方法としては紀淡海峡を抜ける案が考えられます。

伊東 経営上はどうですか。

山根 備讃線でもう精一杯ではないでしようか。備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

山根孟氏(元建設省道路局長・元本州四国連絡橋公団総裁)

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大鳴門橋の鉄道事業分のお金は結局誰が負担しているのだろうか?

 建設費については、本州四国連絡橋公団から道路公団民営化委員会に提出された資料http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/dai4/4siryou4-1.pdfによると「鉄道の事業費は平成13年度までに国鉄清算事業団(現鉄建公団)の負担により償還済。」とのこと。

 維持管理費については、http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/honsyu_a.htmによると

 本州四国連絡鉄道事業のうち、明石海峡大橋が道路単独橋とされたため(昭和60年8月)、本四淡路線の鉄道事業は凍結状態となっている。このため、これと一体をなすものとして先行して建設された大鳴門橋の鉄道部分(資産価額331億円)が未利用のままとなっている。

 この大鳴門橋の鉄道部分の維持管理費については、負担分を賄う収入の途がないため(本来は、鉄道開通の際に旧国鉄から得られる予定であった。)、一般会計からの補助金(昭和62年度から平成8年度の累計額1億9,100万円)により賄っている。今後、大鳴門橋が鉄道施設として利用される可能性は低いものとなっており、このままでは、公的資金の投入が累増することとなる。

としている。この後はどうなったのだろうか。

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(追記)

 大鳴門橋の鉄道施設については、その後1円に減損されていることが分かった。

大鳴門橋の四国新幹線関係鉄道資産の簿価は1円だった。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-49cd46.html

 をあわせてごらんいただきたい。

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