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2021年4月25日 (日)

今度開通する名二環(名古屋西JCT~飛島JCT)は、政令上は「近畿自動車道伊勢線」ということで、東名阪道ではなく伊勢道の仲間である件

2021(令和3)年5月1日に、名古屋第二環状自動車道 名古屋西JCT~飛島JCTが開通する。

 ところで、この新規開通区間である名古屋西JCT~飛島JCT間は、「高速自動車国道の路線を指定する政令」によると、「近畿自動車道伊勢線」である。

名二環が近畿自動車道伊勢線である件 (1)

https://www.cbr.mlit.go.jp/kikaku/jigyou/data/r0112/110_shiryou_6.pdf

 近畿自動車道伊勢線というと普通イメージするのは伊勢自動車道だ。

 一方、同じ名古屋第二環状自動車道でも、名古屋南JCT~楠JCT~飛島JCTは、「近畿自動車道名古屋亀山線」である。

 東名阪自動車道は名古屋亀山線だし、名古屋第二環状自動車道は以前は東名阪自動車道と呼んでいたので違和感はない。

 なぜ名古屋西JCT~飛島JCT間だけ、東名阪道系列ではなく伊勢道系列なのだろうか?

 

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 まずは、「国土開発幹線自動車道建設法」の別表を見てみよう。 

名二環が近畿自動車道伊勢線である件 (6)  

 近畿自動車道伊勢線と近畿自動車道名古屋大阪線は、共に名古屋を起点として四日市を経由したのちに分岐し、伊勢市、吹田市を終点にしている。 

 国幹道法の名古屋大阪線は、道路名でいうと、名二環、東名阪道、(国道25号名阪国道)、西名阪道及び近畿道を形づくっている。 

 また、名古屋神戸線は、道路名でいうと新名神(第二名神)である。

 しかし、これでは今回開通する名古屋西JCT~飛島JCT間が、法律上何自動車道にあたるかが分からない。 

 

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 そこで、「高速自動車国道の路線を指定する政令」で見てみよう。 

 先にあげた国土開発幹線自動車道建設法の別表は、第四次全国総合開発計画で第二東名・名神等約1万4千キロの高規格幹線道路が位置づけられたことを受けて、1987(昭和62)年に改正されたものである。 

  

 そして、1989(平成元)年1月に開催された第28回国土開発幹線自動車道建設審議会での審議を踏まえ、高速自動車国道の路線を指定する政令が改正された。 

名二環が近畿自動車道伊勢線である件 (3)  

 細かいところは目をつぶって、ザクっと路線網を描くと下記のような感じだ。 

名二環が近畿自動車道伊勢線である件 (3)  

 この段階では、「高速自動車国道の路線を指定する政令」では「近畿自動車道関伊勢線」であり、現在と異なり、名二環どころか、東名阪道とも重用していない。 

 名阪国道と接続していた「関ジャンクション」の名前が懐かしい方もいらっしゃるかもしれない。

 「高速自動車国道の路線を指定する政令」は、この後、何度も改正されているのであるが、そのうち重要なものを取り上げていく。

  

 1996(平成8)年12月に開催された第30回国土開発幹線自動車道建設審議会で、近畿道名古屋市緑区~名古屋市名東区が基本計画区間とされたことを受けて、1997(平成9)年2月に「高速自動車国道の路線を指定する政令」が改正された。 

名二環が近畿自動車道伊勢線である件 (4)  

名二環が近畿自動車道伊勢線である件 (2)  

 従前までは関町が起点だった「関伊勢線」が、このとき名古屋市が起点の「伊勢線」に変更された。 

 しかし、名古屋南JCT~楠JCT~名古屋西JCT~亀山が名古屋関線と重用し、亀山市で分岐するものとされたにとどまり、まだ今回開通区間である名古屋西JCT~飛島JCT間は、高速自動車国道としては出てこない。

 (※このときの改正で法令上は名古屋~伊勢が繋がったため、便宜上現在の「伊勢関」を図に入れているが、実際に東名阪と伊勢道が直結したのは、2005(平成17)年3月である。ご注意くださいませ。)

 

 

 

 やっと今回開通区間である名古屋西JCT~飛島JCT間が出てくるのが1999(平成11)年12月に開催された第32回国土開発幹線自動車道建設審議会である。 

 このときに、今回開通区間となる、近畿道 名古屋市中川区~愛知県海部郡飛島村間が基本計画となった。 

 ちなみに、いわゆる「道路公団改革」の一環として、国土開発幹線自動車道建設審議会は、この後「 国土開発幹線自動車道建設会議」に改められた。最後の「国幹審」の審議内容の一つが今回開通区間だったわけである。

 当該区間を取り込んだ「高速自動車国道の路線を指定する政令」は、2000(平成12)年1月に改正された。 

  

 そして現在の「高速自動車国道の路線を指定する政令」が下記のとおりとなっている。 

名二環が近畿自動車道伊勢線である件 (2) 

名二環が近畿自動車道伊勢線である件 (1) 

 亀山以東を名古屋関線(東名阪道)と重用していた伊勢線が、四日市JCTから分岐し、今度は名古屋大阪線(伊勢湾岸道)と重用して飛島まで向かい、飛島JCTで名古屋大阪線と分岐し、単独で名古屋西JCTへ向かい、そこで名古屋関線(名二環)へ再び合流して起点の名古屋南JCTへ向かうという奇天烈なルートを辿ることになったのである。 

  

 近畿自動車道伊勢線の起点(名古屋市)から終点(伊勢市)を分類すると下記のようになる。 

名二環が近畿自動車道伊勢線である件 (5)

 参考までに「日本道路公団年報 平成15年」から近畿自動車道伊勢線の部分を抜粋してみよう。小さな文字で「(名古屋関線と重用」「名古屋神戸線と重用」と書いてあるのがお分かりになるだろうか。

名二環が近畿自動車道伊勢線である件 (7)

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 以上が、名古屋第二環状自動車道 名古屋西JCT~飛島JCTが、「高速自動車国道の路線を指定する政令」では、近畿自動車道伊勢線となる経緯である。 

 ところで、「なんでこんな蛇がのたうち回るような路線にしたのか」が本当は皆様の知りたいところであろうが、それを明確に示す証跡は見つけていない。 

 いずれ国立公文書館で「高速自動車国道の路線を指定する政令」の改正経緯の資料が公開されるであろうから、そのときまでのお楽しみといったところか。 

 個人的な推測としては、「国土開発幹線自動車道建設法」の別表を改正せずに、事実上追加となる路線を建設したいという行政手続き上の理由で、既存の路線に潜り込ませるような形を取ったのではないかと推測している。 

 法律を改正して新規路線を追加しようとすると、「なんで名二環だけ?うちの地元の路線もこの際入れろや」との要望が全国から押し寄せられるため、政令の改正に潜り込ませたのではないか。 

 しかし不思議なのは、名古屋南JCT~上社JCT間及び名古屋西JCT~飛島JCT間約28キロが事実上追加されたにも拘わらず、高速自動車国道の総延長は追加以前と変わらず、11,520キロのままなんである。 

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 ということで、路線政令の文言上の言葉遊びみたいになってしまった。 

 

 同じような「路線名遊び」は、以前も「祝!外環道 三郷南~高谷開通!東京外環道って法令上の名称じゃないけどどうなってんの?」という記事を書いているので、お好きな方はあわせてどうぞ。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-450c.html

 

 話は変わるが、名古屋二環といえば、国鉄の貨物幹線となるはずだった城北線が一部区間を並走して走っており、ジャンクションのランプの中を車窓から眺められるという特異な路線でもある。 

名古屋二環と城北線 (1) 

名古屋二環と城北線 (2) 

名古屋二環と城北線 (3) 

 しかし、名二環に新交通システムが走る構想があったことはあまり知られていない。 

(b)名古屋市周辺(名古屋環状二号線)

 継続

 名古屋市東部の国道302号(名古屋環状二号線)周辺の丘陵地域においては、宅地開発が急速に進められているが、この東京(ママ)地域tp都心部とは地下鉄で結ばれており、更に地下鉄三号線が計画されている。これら住宅地域と地下鉄を有機的に結ぶ環状方向の新道路交通システムを環状二号線に併せ導入することについて検討する。

 

「特集-昭和52年度予算の概要と重点施策 新道路交通システムに関する調査費について」建設省道路局路政課課長補佐・沢山民季「道路セミナー」1976年10月号69頁から

 

 未成線マニヤの方からは「おい、bときたら、aやcも出すのが社会人のマナーだろう」と詰め寄られそうだが、

a) 仙台市周辺(北仙台線) 

c) 岡山市周辺(市内環状線) 

d) 広島市周辺(国道54号)

である。 

 このうち、実現したのは、「d) 広島市周辺(国道54号)」だけかな? 

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 「俺はまじめに名二環の成り立ちについて勉強しようと思ってこのページを開いたのに全く役にたたないではないか」と怒られそうなので、最後にそういう方向けのリンクを紹介しておこう。 

■ 「名古屋環状2号線(一般国道302号」の整備について」道路行政セミナー 1992年8月号

https://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/1992_data/seminar9208.pdf 

■「名古屋圏における環状道路と放射道路の整備」道路行政セミナー 1995年7月号 

https://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/1995_data/seminar9507.pdf 

■「名古屋都市圏の新たな可能性の幕開け「環状時代」!」道路行政セミナー 2000年6月号 

http://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/2000_data/seminar0006.pdf 

■名古屋都市計画史 

https://www.nup.or.jp/nui/information/toshikeikakushi/index.html 

 名古屋都市計画史Ⅱ(昭和45年~平成12年度)上巻の381頁以降が名古屋二環にあてられている。 

■「名古屋環状2号線の開通による経済効果」 三菱UFJリサーチ&コンサルティング

https://www.murc.jp/report/rc/policy_rearch/politics/seiken_170822/ 

■「土地区画整理事業から見た名古屋環状 2 号線のあゆみ」 

https://www.nup.or.jp/nui/user/media/document/investigation/h24/NUI.sugiyama.pdf 

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(余談)

 ちょっと高速道路名称の仕組みについてかじって、いきったネットキッズが

「東名阪道の法令上の正式名称は~」

とか言ってみたくなるところであるが、

 上記を見て分かるように

 「国土開発幹線自動車道建設法」では、「近畿自動車道名古屋大阪線」だが

 「高速自動車国道の路線を指定する政令」では、「近畿自動車道名古屋亀山線」だ。

 安易に「法令上は」なんては言ってはいけないということだね。

 よいこは、法律上なのか政令上なのか理解したうえで使い分けようね。

 なお、「東名阪自動車道」だって、日本道路公団の内規に基づいて正式に決裁を取ってつけられた名称なので、別に「正式ではない」のではない。官報にだって東名阪自動車道ということで掲載されている。(官報掲載が名称決定手続きの要件ではないが)

(応用問題)

 平成元年は「名古屋亀山線」→平成9年は「名古屋関線」と変更し、現在はまた「名古屋亀山線」に戻っている理由を考えてみよう。

 何かの間違いで検索してヒットしてしまったNEXCO職員は、コメント欄に理由を書いてみよう!

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2021年1月31日 (日)

日本の初期高速道路7,600kmの路線網が定められた背景と裏話

法定の高速道路に成り損なった「未成高速道路構想」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-73aac0.html

日本の初期高速道路7,600kmの路線網はどのような基準で決定されたのかhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-d76c1d.html

の2回に分けて、昭和40年代の日本で高速道路ネットワークがどのように形成されてきたかを紹介してきた。

 ただし、数値的な理論とか割ときれいごとの部分である。

 

 今回は、そもそもなんでそんなきれいごとで整理する必要があったのか?といった背景等の裏話を当時の建設省担当者の声を紹介してみたい。

未成高速道路ネットワーク (12)

https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/hw_arikata/pdf9/3.pdfから引用

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高橋国一郎氏(建設省道路局長、同事務次官、日本道路公団総裁等を歴任)は、「土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義 : 高速道路に焦点をあてて」で下記のように触れている。

高速道路網7600kmの背景 (10)

 高橋氏は「中国横断道は止めたが九州横断道は止められなかった」と述べているが、先に示した国交省資料のとおり、中国横断道も止められなかった。

高速道路網7600kmの背景 (13)

 (ちょっとページを飛ばします)

高速道路網7600kmの背景 (11)

 7,600kmの大枠は、財政当局との折衝の結果定められたが、本当は8,000kmくらいはやりたかったと。

高速道路網7600kmの背景 (14)

 高橋氏は「和歌山市まで」と語っているが、実際には海南市までである。また東九州道を組み込みたかったというのは井上孝氏と同旨である。

高速道路網7600kmの背景 (12)

高速道路網7600kmの背景 (9)

※後述の「道を拓く : 高速道路と私」から。肩書は同書が発行された1985年10月現在のもの

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 当時建設省課長だった栗田武英氏は、「道を拓く : 高速道路と私」で、下記のように述べている。

高速道路網7600kmの背景 (2)

高速道路網7600kmの背景 (3)

高速道路網7600kmの背景 (4)

高速道路網7600kmの背景 (5)

 「高知市が抜けている」は「高松市が抜けている」の誤りであろう。

 四国の当初の「逆Z型路線」については、法改正前の下記の路線図を参照されたい。

昭和39年高速道路路線図

高速道路網7600kmの背景 (6)

 「いずれ適当な時期に幹線網の追加補正をする」というのが、法定の高速道路に成り損なった「未成高速道路構想」で紹介した「今後追加するよう自民党が強く申し入れた」路線網である。

高速道路網7600kmの背景 (7)

 この原案通り通過するための背景に、先に紹介した井上氏の「黄色いマジック」の逸話が出てくるわけだ。

高速道路網7600kmの背景 (8)

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日本の初期高速道路7,600kmの路線網はどのような基準で決定されたのか

 先の記事「法定の高速道路に成り損なった「未成高速道路構想」」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-73aac0.htmlにおいては、高速道路になれなかった路線構想を紹介した。

 ところで順番が逆になるかもしれないが、「高速道路7,600kmの路線網はどのような基準で決定されたのか」について触れていきたい。 

 おさらいになるが、日本の高速道路ネットワークがどのように形成されていったかを国土交通省の資料から紹介する。 

未成高速道路ネットワーク (13)  

未成高速道路ネットワーク (12)  

 そして今回紹介しようとする7,600kmの路線網は下記のものである。 

未成高速道路ネットワーク (7)  

 「ネット形成で考慮された拠点」という耳慣れない言葉が出てくるが、覚えておいていただきたい。

 「高規格幹線道路網に係る国家政策の歴史的変遷」http://www.jice.or.jp/cms/kokudo/pdf/tech/reports/05/jice_rpt05_04.pdfから引用 

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 先の記事にもお出ましいただいた井上孝氏が 「国土開発幹線自動車道路網の設定について」というそのものズバリの報告を日科技連数学計画シンポジウムにおいて行っているので紹介したい。

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (1)  

 経済的な条件等は割愛する。 

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (2)  

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (3)  

 先に紹介した路線図における「ネット形成で考慮された拠点」はここに対応している。 

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (4)  

 路線選定基準とは関係ないが、この段階では「②東京外郭環状」として、東京外環自動車道が独立した路線として扱われている。(マニヤの皆様はご承知のとおり、この後実際に国土開発幹線自動車道建設法が成立した段階では、外環道は独立した路線ではなく、東名、中央、関越、東北、常磐、東関東の各路線の起点部分に溶け込んでしまっている。この間に何があったのだろうか?)

参考記事「祝!外環道 三郷南~高谷開通!東京外環道って法令上の名称じゃないけどどうなってんの?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-450c.html

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (5)  

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (6)  

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (7)  

 ざくっと整理すると 

・全国からおおむね2時間以内で高速道路に到達できるようにする。

・全国から主要拠点を4大都市圏+58箇所選定し、これら相互を結ぶ道路網仮案を設定する。 

・この仮路線網から「交通需要」「カバーされる人口」「交通仕事量」の3つの指標から路線を選定する。 

・北海道は人口、面積等の事情が異なるため補正する。 

 これらの作業により、下記の7,600kmの路線網が設定されたというのである。 

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (8)  

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 また、井上孝氏と一緒に7,600kmの高速道路路線網設定に取り組んだ山根孟氏(建設省道路局長、本四公団総裁等を歴任)は、「土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義 : 高速道路に焦点をあてて」で下記のように触れている。 

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (9)  

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (10)  

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (11)  

 ここで山根氏の言う「グラフを書いてみると」に該当するのが、井上氏の報文中「図1 道路延長と交通需要指数の関係」である。 

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (12)  

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (13)  

高速道路7600キロの路線採択の考え方 (14)  

 井上氏の報文に加えて山根氏の報文からもざっくり整理すると 

・従来の縦貫道法や個別立法により既に成立している路線は「ギブン」とし、既定の縦貫道等に追加していくものとしていた。 

・理論は国道の指定や諸外国との比較にも使われているものだった。 

・採算性は考慮していない。 

 といったことが分かる。

  

 「こんなもの後付けでもどうにでもなる」というむきもあろうが、建設省の公式見解はこれだということでそこはひとつ。 

 

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法定の高速道路に成り損なった「未成高速道路構想」

 今更ですが、今年も宜しくお願いします。

 

 今回は、高速道路ネットワーク形成に係る裏の歴史をたどってみたい。裏といっても利権ではなくて、成り損ない路線の供養みたいなものである。

 高速道路(高規格幹線道路等各種の用語があるが、本稿では便宜上高速道路と呼ぶ。)のネットワークの大きな流れについては、国土交通省が公開している下記の2枚のスライドで概括できる。

未成高速道路ネットワーク (13)

未成高速道路ネットワーク (12)

 そして、そのネットワークを表した路線図の経緯が下記のとおりである。

未成高速道路ネットワーク (10)

縦貫法等個別法にもとづく高速道路網図(昭和40年まで)

未成高速道路ネットワーク (7)

国土開発幹線自動車道路網(昭和41年)

未成高速道路ネットワーク (8)

高規格幹線道路網(昭和62年)

「高規格幹線道路網に係る国家政策の歴史的変遷」http://www.jice.or.jp/cms/kokudo/pdf/tech/reports/05/jice_rpt05_04.pdfから引用

 ところで、新幹線でも常磐新幹線のように構想はありながら、実際の計画には盛り込まれなかった路線がある。

 高速道路でも同様の闇に消えていった路線はあるはずだ。

 そこを整理してみたい。

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未成高速道路ネットワーク (7)

1966(昭和41)年7月 国土開発幹線自動車道建設法の制定により、7,600kmの路線網が決定されたのだが、この路線網はどのような経緯で決定されたのか?

 その当時の様子を井上孝氏が「井上孝回顧録 国土とともに」で下記のように振り返っている。

未成高速道路ネットワーク (3)

未成高速道路ネットワーク (4)

未成高速道路ネットワーク (5)

 では、ここで自民党議員によって要望されたにもかかわらず国土開発幹線自動車道建設法の7,600kmネットワークに盛り込まれなかった高速道路にはどのようなものがあったのだろうか?

 当時の毎日新聞に下記のような報道があった。

未成高速道路ネットワーク (9)

 国土開発幹線自動車道建設法の7,600kmネットワークに盛り込まれなかった高速道路4,800kmを今後追加するよう自民党が強く申し入れたというのだ。

 その一覧が下記のとおりである。37本と38本の違いがあるが。

未成高速道路ネットワーク (1)

 如何であろうか?

 末尾には(見づらいが)「(注)国土開発幹線自動車道建設法別表予定路線以外の路線」と書いてあるのがお分かりだろうか?これこそ、まさに、「7,600kmに入れられなかった路線一覧」なのである。

 例えば、北海道2小樽線であれば、現在その一部が後志自動車道として開通する一方、九州37出水線のように、現在の高規格道路網の計画にすら組み込まれていないものもあるといった具合に様々である。

 四国33三崎線と九州35佐賀関線あたりは、今だと、とっぴに見えるが、日本道路公団が国道九四フェリーを運航していたことを考えれば、まあ納得はいく。東北5下北線や東北8津軽線も北海道へのフェリーアクセスを重視したのだろう。

 

 なお、井上孝氏は、「土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義 : 高速道路に焦点をあてて」で下記のように触れている。

未成高速道路ネットワーク (6)

 「黄色い太いマジックの逸話は嘘」だとか「東九州道は入れたかったけど入れられなかった」とか述べている。

 なお、最後に出てくる「NHKからのプロジェクトXみたいな感じの取材申し入れ」は、おそらくこいつのことなので、そんなににこやかな話にはならなかったはずだ。これは根拠のない妄想なのだが、取材を申し込むときには「プロジェクトXみたいな感じ」と説明して了解をとったが、実際の取材は違って。。。みたいな感じだったのかなあと。

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 その後、 1987(昭和62)年 第4次全国総合開発計画(いわゆる「四全総」)に高規格幹線道路14,000㎞を決定し、そのうえで国土開発幹線自動車道建設法を一部改正し、約11,520kmの高速自動車国道と約2,480kmの一般国道自動車専用道路を追加している。

未成高速道路ネットワーク (8)

 この際にも、ここに盛り込まれなかった高速道路構想があった。

 1969(昭和44)年の新全国総合開発計画(いわゆる「新全総」)である。

 新全総では「国土利用の現況と将来におけるわが国経済社会の基本的発展方向にかんがみ,情報化,高速化という新たな観点から,国土利用の抜本的な再編成を図り,37 万平方キロメートルの国土を有効に利用するために,中枢管理機能の集積と物的流通の機構とを広域的に体系化する新しいネットワークを整備する。」とし、新幹線等とともに高速道路についても下記のようなネットワークが提唱されている。

未成高速道路ネットワーク (2)

未成高速道路ネットワーク (11)

 この「新全総」のネットワークが「四全総」までの間にブラッシュアップされて、現在の高規格幹線道路網を形成しているということなのだろう。

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 これらの構想を早見表にしてみた。

 

S41自民党     S44新全総     S62四全総     高規格幹線道路   地域高規格道路等  
 --      --     日高自動車道 苫小牧 浦河 日高自動車道 B    
 --      --     深川・留萌自動車道 深川 留萌 深川・留萌自動車道 B    
 --      --     帯広・広尾自動車道 帯広 広尾 帯広・広尾自動車道 B    
 --      --     函館・江差自動車道 函館 江差 函館・江差自動車道 B    
根室線 釧路 根室 北海道横断道延伸 釧路 根室 釧路・根室自動車道 釧路 根室 北海道横断自動車道根室線 A    
網走紋別線 北見 士別 北海道横断道延伸 北見 網走 北見・網走自動車道 北見 網走 北海道横断自動車道網走線 A    
 --      --     旭川・紋別自動車道 旭川 紋別 旭川・紋別自動車道 B    
小樽線 長万部 小樽  --     後志自動車道 黒松内 小樽 北海道横断自動車道 A    
三陸線 大船渡 八戸 常磐、三陸縦貫高速国道 青森 いわき 八戸・久慈自動車道 八戸 久慈 八戸・久慈自動車道 B 三陸北縦貫道路  
 --      --     三陸縦貫自動車道 仙台 宮古 三陸自動車道 B    
 --     奥羽縦貫高速国道 青森 宇都宮 東北中央縦貫自動車道 相馬 横手 東北中央自動車道 A 会津縦貫北道路 会津縦貫南道路
下北線 八戸 大間 下北半島縦貫高速国道 八戸 大畑  --      --   下北半島縦貫道路  
大船渡線 北上 大船渡 東北横断自動車道釜石線 北上 釜石 北東北横断自動車道 花巻 釜石 東北横断自動車道釜石秋田線 A    
宮古線 盛岡 宮古 秋田宮古高速国道 秋田 宮古  --      --   盛岡秋田道路 宮古盛岡横断道路
津軽線 青森 三厩  --     津軽自動車道 青森 鯵ケ沢 津軽自動車道 B    
新庄石巻線 石巻 新庄  --      --      --   石巻新庄道路  
新潟青森線 新潟 青森 日本海沿岸縦貫自動車道 青森 新潟 日本海沿岸縦貫自動車道 新潟 青森 日本海沿岸東北自動車道 A    
--      --     東北縦貫自動車道八戸線延伸 八戸 青森 東北縦貫自動車道八戸線 A    
相馬線 相馬 常磐、三陸縦貫自動車道 青森 いわき 常磐自動車道 いわき 仙台 常磐自動車道 A    
相馬新潟線 相馬 新潟  --     東北中央縦貫自動車道 相馬 横手 東北中央自動車道 A 新潟山形南部連絡道路  
鹿島水戸線 鹿島 水戸 関東環状道路 東海道 鹿島 東関東自動車道鹿島線延伸 鹿島 水戸 東関東自動車道水戸線 A    
水戸前橋線 水戸 前橋 関東環状道路 東海道 鹿島 北関東横断自動車道 高崎 那珂湊 北関東自動車道 A    
関東環状線 千葉 横浜 東京環状道路 横浜 市原 首都圏中央連絡自動車道 横浜 木更津 首都圏中央連絡自動車道 B    
 --     房総縦貫道路 成田 館山 東関東自動車道木更津線延伸・首都圏中央連絡自動車道 木更津 館山 東関東自動車道館山線・首都圏中央連絡自動車道 A    
 --     東京湾横断道路 川崎 木更津  --      --   東京湾横断道路  
 --     東京湾横断道路 横須賀 富津  --      --   東京湾口道路  
横須賀線 東京 横須賀  --      --      --   横浜横須賀道路?  
平塚線 相模原 平塚  --     首都圏中央連絡自動車道 横浜 木更津 首都圏中央連絡自動車道 B    
 --     第2東海道高速国道 東京 名古屋 第二東名自動車道 東京 名古屋 第二東海自動車道 A    
清水甲府線 清水 甲府 関東環状道路 東海道 鹿島 中部横断自動車道 清水 佐久 中部横断自動車道 A    
 --     伊勢湾環状高速道路 豊川 近畿道  --      --   三遠伊勢連絡道路  
磐田飯田線 磐田 飯田 中部横断自動車道 浜松 飯田 三遠南信自動車道 飯田 三ケ日 三遠南信自動車道 B    
福井松本線 松本 福井 北陸関東自動車道 松本 福井 中部縦貫自動車道 松本 福井 中部縦貫自動車道 B    
富山松本線 富山 松本  --      --      --      
 --      --     伊豆縦貫自動車道 沼津 下田 伊豆縦貫自動車道 B    
能登線 金沢 珠洲  --     能越自動車道 砺波 輪島 能越自動車道 B    
金沢荘川線 金沢 荘川 北陸関東自動車道 松本 金沢  --      --      
若狭線 敦賀 峰山 若狭丹後自動車道 敦賀 豊岡 敦賀・舞鶴自動車道 敦賀 舞鶴 近畿自動車道敦賀線 A 鳥取豊岡宮津自動車道  
 --     東海南海連絡道 伊勢 和歌山  --      --      
 --     第2名阪道路 名古屋 大阪 第二名神自動車道 名古屋 神戸 近畿自動車道名古屋神戸線 A    
 --      --     東海環状自動車道 四日市 豊田 東海環状自動車道 B    
京都新宮線 京都 新宮  --      --      --   五條新宮道路  
京都和歌山線 京都 和歌山  --     京奈和自動車道 京都 和歌山 京奈和自動車道 B    
大阪奈良線 大阪 奈良  --      --      --   第二阪奈道路?  
 --     紀南自動車道 海南 白浜 紀勢自動車道 勢和 海南 近畿自動車道紀勢線 A    
 --      --     西神自動車道 神戸 三木 西神自動車道 B    
 --     大阪湾環状道路 和歌山 鳴門  --      --      
 --     山陰阪神連絡自動車道 福知山 鳥取 北近畿豊岡自動車道 春日 豊岡 北近畿豊岡自動車道 B 鳥取豊岡宮津自動車道  
 --     山陰海岸自動車道 京都 山口 京都縦貫自動車道 京都 宮津 京都縦貫自動車道 B 鳥取豊岡宮津自動車道  
 --      --     山陰自動車道 鳥取 美祢 山陰自動車道 A    
鳥取姫路線 鳥取 姫路 中国横断自動車道 鳥取 姫路 姫路・鳥取自動車道 姫路 鳥取 中国横断自動車道姫路鳥取線 A    
 --     中国横断自動車道 岡山 鳥取  --      --   美作岡山道路  
松江尾道線 松江 尾道 中国横断自動車道 松江 尾道 陰陽連絡自動車道 尾道 松江 中国横断自動車道尾道松江線 A    
松江広島戦 松江 広島 中国横断自動車道 松江 広島  --      --      
益田徳山線 益田 徳山 中国横断自動車道 益田 徳山  --      --      
 --     中国横断自動車道 宇部 長門  --      --      
 --      --     尾道・福山自動車道 尾道 福山 尾道・福山自動車道 B    
 --      --     東広島・呉自動車道 東広島 東広島・呉自動車道 B    
 --      --     山陽自動車道延伸 山口 下関 山陽自動車道 A    
 --      --     今治・小松自動車道 今治 小松 今治・小松自動車道 B    
高松阿南線 高松 阿南 四国自動車道 高松 阿南 東四国横断自動車道 高松 阿南 四国横断自動車道 A    
 --      --     高知東部自動車道 高知 安芸 高知東部自動車道 B    
三崎線 大洲 三崎  --      --      --   大洲・八幡浜自動車道  
大洲須崎線 大洲 須崎 四国自動車道 須崎 大洲 西四国縦貫自動車道 大洲 須崎 四国横断自動車道 A    
佐賀関線 大分 佐賀関  --      --      --      
東九州線 北九州 宮崎 東九州縦貫自動車道 北九州 鹿児島 東九州縦貫自動車道 北九州 鹿児島 東九州自動車道 A    
 --     九州中部横断自動車道 延岡 熊本 九州中部横断自動車道 御船 延岡 九州横断自動車道延岡線 A    
出水線 小林 出水 九州南部横断自動車道 出水 えびの  --      --      
鹿屋線 宮崎 鹿屋  --     東九州縦貫自動車道 北九州 鹿児島 東九州自動車道 A    
 --      --     西九州自動車道 福岡 武雄 西九州自動車道 B    
 --      --     南九州西回り自動車道 八代 鹿児島 南九州西回り自動車道 B    
 --      --     那覇空港自動車道 那覇 那覇空港 那覇空港自動車道 B    
                         

 地域高規格道路等のあてはめは詳細に検討せずに勢いで埋めてしまったものもある(例えば「房総縦貫道」と東関道館山線、圏央道の関係)ため、誤りもあるかもしれないが、そこはご容赦いただくとともに、正式な資料があれば是非ご教示いただきたい。 

 なお、上記の表はwikipedia等への転載はご遠慮申し上げたい。 

 未成道マニヤの皆様の妄想に寄与できれば幸甚である。

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 例えば、各地の自治体等の新全総関係開発計画で下記のような図面が掲載されていて、「下北半島縦断高速道路はこれか!」とか「奥羽縦貫自動車道の磐越道以南はどんな経路だったんだ?」とか更に妄想が広がりますので是非。 

奥羽縦貫自動車道 下北半島縦断高速道路

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2020年5月19日 (火)

昭和24年に田中清一が昭和天皇に説明した縦貫道計画のルート案~日本の戦後高速道路ネットワークの推移(3)~

 第1回、第2回と「日本縦貫高速自動車道協会」による、縦貫道のネットワーク図をご紹介してきたが、今度はそれを遡る昭和20年代の田中清一氏によるネットワーク図だ。

田中清一の縦貫自動車道初期案 (1)

 このポスターは、田中清一氏が興した富士製作所(沼津市)に現在も保存されているものである。(※特別に見学の許可をいただいた方からお声かけいただいて、ご一緒させていただき、閲覧等させていただきました。)

 ポスター右上に田中清一氏の写真が載っている。参議院議員との肩書がついている。田中氏が参議院全国区に自民党から立候補し、当選したのは、1959(昭和34)年であるが、このルート自体は、田中氏のご子息が設立した「財団法人 田中研究所」作成のパンフレット「大いなる先見」に1949(昭和24)年に昭和天皇に「田中プラン」を説明したとするネットワーク図をその後も使い続けてきた(字面だけはアップデートした)ものと推測される。

田中清一の縦貫自動車道案の説明、講演 (3)  

田中清一の縦貫自動車道案の説明、講演 (2)  

写真は、富士製作所所蔵のもの 

説明文は 、「大いなる先見」財団法人田中研究所・刊 2頁から引用

 

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 そんな能書きはいいから早く細かい路線図を見せろと言われそうなので、どんどんアップしていく。

田中清一の縦貫自動車道初期案 (6)

 北海道については、本線の縦貫道部分は、其の後の「縦貫道協会」のものよりも、むしろ現在に近い。

 支線も数は多いが、第2回に紹介した支線よりもまともな(工事がしやすそうな)ルートのように見える。

 国鉄名羽線マニアにとっては、「高速道路にも名羽線が未成線として計画された時期があったのか」と感銘を受けるかも。それだけ炭鉱へのアクセス改善が重要視されていたということなのだろうが。追分、富良野周辺の支線網がやたら細かいのも炭鉱へのアクセスを考慮したのだろうか?

 北海道の福島まで、青森の三厩までの支線が計画されているのは、その間をフェリーで結ぶ構想とセットなのだろうか?

田中清一の縦貫自動車道初期案 (2)  

 東北地区は、三厩への支線と岩船への支線が他の構想には見かけないくらいか? 

 新潟へは、関越道と同じようなルートであるが、逆にこれは後の縦貫道協会の案では消えている。技術的に困難だったのだろう。 

田中清一の縦貫自動車道初期案 (3)  

 この絵で、特徴的なのは、飯田~松本~軽井沢~高崎~宇都宮と結ぶ本線、そして、関ケ原~敦賀~和田山の本線である。縦貫道法に取り込まれていない本線である。前者は 旧・中山道の高規格化という位置づけだろうか?後者は、関ケ原から列島を「横断」したり、若狭湾沿いを走ったりと「縦貫道」の定義からはずれているので、支線としてはともかく、本線扱いは不可解である。

 前者は、実際には、中央道、上信越道、北関東道等で具体化されているが、松本~軽井沢間だけは高速道路としてはネットワークされていない。三才山トンネル有料道路が結んでいる。奇しくも、武部健一氏が「道路の日本史」で追加を提唱している区間である。 

 このほかに注目すべき路線は、松本~富山間である。安房峠手前から国道471号沿いに抜けていくのだろうか?

 

田中清一の縦貫自動車道初期案 (4)

 ここで目をひくのは、中国道である。大阪から一旦和田山まで北上してから津山へ折り返している。大阪よりも下関から敦賀を直結することを優先した思想なのかもしれない。 

 四国については、神戸~徳島が本線扱いだ。当該区間は、第1回で紹介した1956(昭和31)年の縦貫道協会の案では、支線扱いで、第2回で紹介した1957(昭和32)年の案では、支線からも落とされている。 

 また、法律で定められた四国自動車道は、徳島~高知~松山というV字型ルートだが、当初は途中高松を経由し、宇和島へ 降りるM字型ルートだったことが分かる。これが「縦貫道」として「純化」していく中で、高松と宇和島が本線から落ちたということだろうか?

田中清一の縦貫自動車道初期案 (5)

 九州では、福岡~佐世保がわざわざ脊振山地を本線として「縦貫」している点が注目点か。縦貫道法はなぜか長崎ではなく佐世保を重視している。 

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田中清一の縦貫自動車道初期案 (8)

「国土建設一円会本部」の字が見えるだろうか?

 

 これは、敗戦国で金が無かった当時の日本で、縦貫道等の田中清一が提案する施策を実現するために、国民に毎日一人一円の貯金を呼び掛けたものである。

 田中清一の縦貫自動車道初期案 (7)

1956(昭和31)年3月29日付朝日新聞から  

 この記事によると、この一円貯金の運動には、「片山哲、藤山愛一郎、杉道助、神野金之助、清瀬一郎、河合弥八、松方三郎、郷古潔、大野伴睦、石井光二郎、下村海南、鶴見祐輔、三浦伊八郎の諸氏ら政界、財界の名士が就任」とある。 

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田中清一の縦貫自動車道案の説明、講演 (1)  

 田中清一が全国を講演して自分のプランの実現を訴えていた様子が写真に残されている。 

※「大いなる先見」財団法人田中研究所・刊 23頁から引用

 背景の路線図は、このバージョンである。

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 せっかく路線図のバージョン違いを貼るのだから路線計画の趣旨もバージョン違いを貼っておく。「縦貫道協会」によるものではなく、田中清一個人名で書いた報文である。

 田中清一の縦貫自動車道初期案 (9)

「縦貫道路による国土の改造」田中清一・著 「資源」1956年1月号 34頁から引用 

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2020年5月18日 (月)

日本縦貫高速自動車道協会の1957年のルート案~日本の戦後高速道路ネットワークの推移(2)~

 前回の第1回では、国土開発縦貫自動車道のネットワークとその思想について紹介したところである。

 

 で、その推進民間団体として「日本縦貫高速自動車道協会」も紹介したのだが、その縦貫道協会については、別のネットワーク案もある。

 第1回で紹介したのは、1956(昭和31)年段階の案だったが、その1年後の1957(昭和32)年に発行された「第三の道 縦貫自動車道 早わかり」に掲載された「高速自動車道網計画図」を紹介したい。

日本縦貫高速自動車道協会案2 (1)

 本線となる「国土開発縦貫自動車道」については大きな変更はないと思われるが、支線扱いとなる「縦貫道に連絡する高速自動車道」については、随分なバージョン違いとなっている。

 前回同様、背骨となる縦貫道と肋骨となる支線の路線図とあわせて紹介したい。 

日本縦貫高速自動車道

 小学三年生1957(昭和32)年9月号から(田中清一氏が監修している)  

 

○中央自動車道 

日本縦貫高速自動車道協会案2 (2)  

 支線が「高田ー長野ー磐田線」「富山ー福井ー米原線」「瀬田ー松坂線」「大阪ー新宮線」である。 

 大阪ー新宮線は国鉄紀勢本線沿いかと思いきや、紀伊半島を縦貫している徹底ぶりである。 

  

○東北自動車道 

日本縦貫高速自動車道協会案2 (1)  

 支線が「能代ー毛馬内(けまない)-八戸線」「秋田ー盛岡ー小本線」「本庄ー平泉ー高田線」「鶴岡ー仙台ー石巻線」「新潟ー宇都宮ー水戸線」である。 

 北から順番に東西に線を引いてみました感があるのだが。。。毛馬内は現在の十和田インターチェンジである。 

 特筆すべきは、「新潟ー宇都宮ー水戸線」であろうか。前回の案では新潟へは磐越自動車道ルートだったが、このルートでは、宇都宮から国道121号から400号のルートに沿っているような感じだ。 

 また、本線である東北自動車道の起点(中央道との分岐点)は、調布、府中あたりということなのだろうか? 

  

○北海道自動車道 

日本縦貫高速自動車道協会案2 (3)  

 支線は「上幌内ー大雪山線」「旭川ー美幌線」「阿寒岳ー網走線」「釧路ー根室線」である。 

 上幌内ってここだ。 

 

 トムラウシや石狩岳の間を縫っていくのだろうか?開拓路線としてもかなりの難易度であろう。 

 また、本線の北海道自動車道も中山峠を越えており、「縦貫道」思想に沿ってのルートと思われる。阿寒湖のあたりは国道241号~240号あたりのルートだろうか? 

  

○中国自動車道 

日本縦貫高速自動車道協会案2 (4)

 支線は「舞鶴ー姫路線」「鳥取ー勝田線」「津山ー岡山線」「米子ー新見線」「庄原ー尾道線」「大田ー十日市線」「大田ー広島線」「石見ー六日市線」「萩ー山口ー防府線」である。 

 他の地区に比べて随分密度が濃い感じだ。 それだけ中国道のルートが需要地から遠いということなのだろうか。

 

○四国自動車道

日本縦貫高速自動車道協会案2 (5)  

 支線は「富岡ー高知線」「西條ー九万ー宿毛線」だが、九万ー宿毛なんて酷道ヨサクだし、「富岡(現・阿南市)-高知線」は酷道195号だ。 

 まあ、酷道のような山間部を開拓するのが縦貫道といえばその思想を体現しているのだろうが。 

 それに比べて高松の冷遇ぶりよ。 

  

○九州自動車道 

日本縦貫高速自動車道協会案2 (6)  

 支線は、「佐世保ー久留米ー別府線」「宇土ー砥用ー延岡線」「川内ー加治木ー宮崎線」である。 

 川内ー加治木は、そんな端っこで肋骨線にこだわらなくてもと思うのだが、宮崎だけでは片手落ちということなのだろうか? 

 九州道の本線は、現在は八代から球磨川沿いに人吉・えびの方面へ向かっているところ、この絵では、阿蘇のすそ野から五木村附近へ直行し、人吉・えびの方面へ向かっている


 まず計画の内容を申し上げますと、「国土開発縦貫自動車道建設法」に基いて、北海道の稚内から九州の鹿児島までの幹線高速自動車国道を、概ね日本列島の中央に近い、背稜山脈の南斜面を縦貫するように一本建設し、それに肋骨状連結路線を整備して、表裏日本両方の重要都市、重要地域を結ぼうというのです。

 

「第三の道 縦貫自動車道 早わかり」日本縦貫高速自動車道協会・刊 19頁から引用

 

 

 皆様、肋骨ぷりはお楽しみいただけただろうか?

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