カテゴリー「日本の高速道路ネットワーク」の2件の記事

2020年5月19日 (火)

昭和24年に田中清一が昭和天皇に説明した縦貫道計画のルート案~日本の戦後高速道路ネットワークの推移(3)~

 第1回、第2回と「日本縦貫高速自動車道協会」による、縦貫道のネットワーク図をご紹介してきたが、今度はそれを遡る昭和20年代の田中清一氏によるネットワーク図だ。

田中清一の縦貫自動車道初期案 (1)

 このポスターは、田中清一氏が興した富士製作所(沼津市)に現在も保存されているものである。(※特別に見学の許可をいただいた方からお声かけいただいて、ご一緒させていただき、閲覧等させていただきました。)

 ポスター右上に田中清一氏の写真が載っている。参議院議員との肩書がついている。田中氏が参議院全国区に自民党から立候補し、当選したのは、1959(昭和34)年であるが、このルート自体は、田中氏のご子息が設立した「財団法人 田中研究所」作成のパンフレット「大いなる先見」に1949(昭和24)年に昭和天皇に「田中プラン」を説明したとするネットワーク図をその後も使い続けてきた(字面だけはアップデートした)ものと推測される。

田中清一の縦貫自動車道案の説明、講演 (3)  

田中清一の縦貫自動車道案の説明、講演 (2)  

写真は、富士製作所所蔵のもの 

説明文は 、「大いなる先見」財団法人田中研究所・刊 2頁から引用

 

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 そんな能書きはいいから早く細かい路線図を見せろと言われそうなので、どんどんアップしていく。

田中清一の縦貫自動車道初期案 (6)

 北海道については、本線の縦貫道部分は、其の後の「縦貫道協会」のものよりも、むしろ現在に近い。

 支線も数は多いが、第2回に紹介した支線よりもまともな(工事がしやすそうな)ルートのように見える。

 国鉄名羽線マニアにとっては、「高速道路にも名羽線が未成線として計画された時期があったのか」と感銘を受けるかも。それだけ炭鉱へのアクセス改善が重要視されていたということなのだろうが。追分、富良野周辺の支線網がやたら細かいのも炭鉱へのアクセスを考慮したのだろうか?

 北海道の福島まで、青森の三厩までの支線が計画されているのは、その間をフェリーで結ぶ構想とセットなのだろうか?

田中清一の縦貫自動車道初期案 (2)  

 東北地区は、三厩への支線と岩船への支線が他の構想には見かけないくらいか? 

 新潟へは、関越道と同じようなルートであるが、逆にこれは後の縦貫道協会の案では消えている。技術的に困難だったのだろう。 

田中清一の縦貫自動車道初期案 (3)  

 この絵で、特徴的なのは、飯田~松本~軽井沢~高崎~宇都宮と結ぶ本線、そして、関ケ原~敦賀~和田山の本線である。縦貫道法に取り込まれていない本線である。前者は 旧・中山道の高規格化という位置づけだろうか?後者は、関ケ原から列島を「横断」したり、若狭湾沿いを走ったりと「縦貫道」の定義からはずれているので、支線としてはともかく、本線扱いは不可解である。

 前者は、実際には、中央道、上信越道、北関東道等で具体化されているが、松本~軽井沢間だけは高速道路としてはネットワークされていない。三才山トンネル有料道路が結んでいる。奇しくも、武部健一氏が「道路の日本史」で追加を提唱している区間である。 

 このほかに注目すべき路線は、松本~富山間である。安房峠手前から国道471号沿いに抜けていくのだろうか?

 

田中清一の縦貫自動車道初期案 (4)

 ここで目をひくのは、中国道である。大阪から一旦和田山まで北上してから津山へ折り返している。大阪よりも下関から敦賀を直結することを優先した思想なのかもしれない。 

 四国については、神戸~徳島が本線扱いだ。当該区間は、第1回で紹介した1956(昭和31)年の縦貫道協会の案では、支線扱いで、第2回で紹介した1957(昭和32)年の案では、支線からも落とされている。 

 また、法律で定められた四国自動車道は、徳島~高知~松山というV字型ルートだが、当初は途中高松を経由し、宇和島へ 降りるM字型ルートだったことが分かる。これが「縦貫道」として「純化」していく中で、高松と宇和島が本線から落ちたということだろうか?

田中清一の縦貫自動車道初期案 (5)

 九州では、福岡~佐世保がわざわざ脊振山地を本線として「縦貫」している点が注目点か。縦貫道法はなぜか長崎ではなく佐世保を重視している。 

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田中清一の縦貫自動車道初期案 (8)

「国土建設一円会本部」の字が見えるだろうか?

 

 これは、敗戦国で金が無かった当時の日本で、縦貫道等の田中清一が提案する施策を実現するために、国民に毎日一人一円の貯金を呼び掛けたものである。

 田中清一の縦貫自動車道初期案 (7)

1956(昭和31)年3月29日付朝日新聞から  

 この記事によると、この一円貯金の運動には、「片山哲、藤山愛一郎、杉道助、神野金之助、清瀬一郎、河合弥八、松方三郎、郷古潔、大野伴睦、石井光二郎、下村海南、鶴見祐輔、三浦伊八郎の諸氏ら政界、財界の名士が就任」とある。 

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田中清一の縦貫自動車道案の説明、講演 (1)  

 田中清一が全国を講演して自分のプランの実現を訴えていた様子が写真に残されている。 

※「大いなる先見」財団法人田中研究所・刊 23頁から引用

 背景の路線図は、このバージョンである。

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 せっかく路線図のバージョン違いを貼るのだから路線計画の趣旨もバージョン違いを貼っておく。「縦貫道協会」によるものではなく、田中清一個人名で書いた報文である。

 田中清一の縦貫自動車道初期案 (9)

「縦貫道路による国土の改造」田中清一・著 「資源」1956年1月号 34頁から引用 

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2020年5月18日 (月)

日本縦貫高速自動車道協会の1957年のルート案~日本の戦後高速道路ネットワークの推移(2)~

 前回の第1回では、国土開発縦貫自動車道のネットワークとその思想について紹介したところである。

 

 で、その推進民間団体として「日本縦貫高速自動車道協会」も紹介したのだが、その縦貫道協会については、別のネットワーク案もある。

 第1回で紹介したのは、1956(昭和31)年段階の案だったが、その1年後の1957(昭和32)年に発行された「第三の道 縦貫自動車道 早わかり」に掲載された「高速自動車道網計画図」を紹介したい。

日本縦貫高速自動車道協会案2 (1)

 本線となる「国土開発縦貫自動車道」については大きな変更はないと思われるが、支線扱いとなる「縦貫道に連絡する高速自動車道」については、随分なバージョン違いとなっている。

 前回同様、背骨となる縦貫道と肋骨となる支線の路線図とあわせて紹介したい。 

日本縦貫高速自動車道

 小学三年生1957(昭和32)年9月号から(田中清一氏が監修している)  

 

○中央自動車道 

日本縦貫高速自動車道協会案2 (2)  

 支線が「高田ー長野ー磐田線」「富山ー福井ー米原線」「瀬田ー松坂線」「大阪ー新宮線」である。 

 大阪ー新宮線は国鉄紀勢本線沿いかと思いきや、紀伊半島を縦貫している徹底ぶりである。 

  

○東北自動車道 

日本縦貫高速自動車道協会案2 (1)  

 支線が「能代ー毛馬内(けまない)-八戸線」「秋田ー盛岡ー小本線」「本庄ー平泉ー高田線」「鶴岡ー仙台ー石巻線」「新潟ー宇都宮ー水戸線」である。 

 北から順番に東西に線を引いてみました感があるのだが。。。毛馬内は現在の十和田インターチェンジである。 

 特筆すべきは、「新潟ー宇都宮ー水戸線」であろうか。前回の案では新潟へは磐越自動車道ルートだったが、このルートでは、宇都宮から国道121号から400号のルートに沿っているような感じだ。 

 また、本線である東北自動車道の起点(中央道との分岐点)は、調布、府中あたりということなのだろうか? 

  

○北海道自動車道 

日本縦貫高速自動車道協会案2 (3)  

 支線は「上幌内ー大雪山線」「旭川ー美幌線」「阿寒岳ー網走線」「釧路ー根室線」である。 

 上幌内ってここだ。 

 

 トムラウシや石狩岳の間を縫っていくのだろうか?開拓路線としてもかなりの難易度であろう。 

 また、本線の北海道自動車道も中山峠を越えており、「縦貫道」思想に沿ってのルートと思われる。阿寒湖のあたりは国道241号~240号あたりのルートだろうか? 

  

○中国自動車道 

日本縦貫高速自動車道協会案2 (4)

 支線は「舞鶴ー姫路線」「鳥取ー勝田線」「津山ー岡山線」「米子ー新見線」「庄原ー尾道線」「大田ー十日市線」「大田ー広島線」「石見ー六日市線」「萩ー山口ー防府線」である。 

 他の地区に比べて随分密度が濃い感じだ。 それだけ中国道のルートが需要地から遠いということなのだろうか。

 

○四国自動車道

日本縦貫高速自動車道協会案2 (5)  

 支線は「富岡ー高知線」「西條ー九万ー宿毛線」だが、九万ー宿毛なんて酷道ヨサクだし、「富岡(現・阿南市)-高知線」は酷道195号だ。 

 まあ、酷道のような山間部を開拓するのが縦貫道といえばその思想を体現しているのだろうが。 

 それに比べて高松の冷遇ぶりよ。 

  

○九州自動車道 

日本縦貫高速自動車道協会案2 (6)  

 支線は、「佐世保ー久留米ー別府線」「宇土ー砥用ー延岡線」「川内ー加治木ー宮崎線」である。 

 川内ー加治木は、そんな端っこで肋骨線にこだわらなくてもと思うのだが、宮崎だけでは片手落ちということなのだろうか? 

 九州道の本線は、現在は八代から球磨川沿いに人吉・えびの方面へ向かっているところ、この絵では、阿蘇のすそ野から五木村附近へ直行し、人吉・えびの方面へ向かっている


 まず計画の内容を申し上げますと、「国土開発縦貫自動車道建設法」に基いて、北海道の稚内から九州の鹿児島までの幹線高速自動車国道を、概ね日本列島の中央に近い、背稜山脈の南斜面を縦貫するように一本建設し、それに肋骨状連結路線を整備して、表裏日本両方の重要都市、重要地域を結ぼうというのです。

 

「第三の道 縦貫自動車道 早わかり」日本縦貫高速自動車道協会・刊 19頁から引用

 

 

 皆様、肋骨ぷりはお楽しみいただけただろうか?

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